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2023-11-21

親戚の集まりがあると女であれば中高生でも配膳を手伝わせられる文化

とてもクソだがあれはセクハラから守るという意味もある

どちらに転んでもクソな文化

私が高校生までは年に1回、飛行機距離にある父方の本家へ行っていた。

まりには、車の距離から私達のように遠方に住んでいる10家族ほどと、多分血縁の遠い親戚が年によって顔を出したり出さなかったりな感じで集まっていた。

成人男性だけでも最低でも10人、でかくなった息子や息子夫婦を連れてきたりもするので多い時は20くらいいたと思う。

嫁と女の子たちはもちろん台所に籠って一日中料理を作り、運ぶのが仕事だった。

そうすると中学大学生の娘に、家事なんてお母さんたちに任せてこっち来てお酌しながら飯を食えと男衆から声がかかる。

しか大学生くらいの娘がいる叔母さんは配膳を手伝いなさい!あんなところに行くな!と厳しく言ってくるのだ。

もちろん小中学生の私もなぜ同い年くらいの男の子は座ってご飯食べれて、私は料理を運ぶだけ、余った酒のつまみ台所の隅で食べなきゃいけないのかと言う不満もあったし、私の母も嫁の立場で、こう言った親戚付き合いの経験がなかったので配膳を手伝わせるのは可哀想と思い一緒にご飯食べてきなさいといってくれるので、私は喜んでお酌しに行った。

お酌しに行くと毎年、生理は来たのか、彼氏はいるのかという質問をされた。はじめてお酌しに行ったのは小学3年生くらいでその質問をされる意味も様々な質問意味もあまり理解できなかったのだ、酒のつまみ話題としてのセクハラだった。中学生になり体も成長するとお触りも増えてきた。この頃になるともう気持ち悪さが理解できるのでお酌はしに行かなくなった。また、高校生大学生のお兄さんは来るのに、仲良かったお姉さん達が来なくなる理由も分かった。毎年母と私に台所仕事してなさいと年長の叔母さん達が私と母を諌めてた理由がわかった。私と母に無理やりにでも台所仕事をさせて叔母さん達がお酌しに行く事もあり、自分ばかり楽しいことをしてずるいと思う事もあったが、ああいセクハラから守る為だったというのも今なら理解できる。


高校生の頃本家当主が亡くなり葬式に参列したのが本家に顔を出した最後である

その日の宴会の時当主の伴侶(おおばぁと呼んでいた)に呼ばれ、本家により近い家に30代独身男性がいるので夜の相手しろと言われた。

勿論意味はわかっていたが、ここまでさせるのか!?と怒り?悲しみ?かは分からないが配膳をしようとしなかろうとどう転んでもよく扱われない文化やそれを良しとする文化全てが嫌になり、何も分からない振りをして宴会の席に行き、おおばぁに〇さんの夜の相手しろって言われたけどどういう意味?と大声で聞いてやった。

その日は一晩本家側の女性達に蔵に閉じ込められ、次の日には葬式の一貫でやることがまだあったが、家族共々帰らせられた。

その時以降は両親も出向いてないそうなので所謂村八分?親戚八分?になったのだろう。

本家に集まった時によく遊んでくれたお兄さんに今高校生の娘がいて、あの時の事を思い出して連絡をくれた。

本家には家族で行くことは避けていたが、家族で顔を出せと言われたらしい。

ちょうど私が問題発言をした時と同じくらいの年齢だから何も無かったとしてもバックれると言っていた。

もう当時の半分にも満たないほど集まる親戚も少なくなり、高齢化し賑やかではなくなったそうだ。

このまま滅びて欲しいし、うち以外でも似たような文化は残ってるところもある。

須らくクソなので全て亡びて欲しい。

2023-02-11

もと共産党員から見る今回の騒動

俺は共産党の元下っ端党員だ。だいたい10年ぐらい在籍していたにすぎない。そんな元下っ端の立場から見た今回の騒動を取り上げる。

まず外部の人間から見て、なぜ日本共産党が今回の騒動に対してここまで強硬的で排他的なのか気になるところだろう。

党首選を導入したら?」という意見に対して「攻撃だ!」と騒ぎ立てて除名までやるのは独裁的に見える。

とはいえ、外部の人間共産党言動に対して珍妙に感じているとはいえ党員からすればこれが共産党の「普通」だ。

共産党内では議論が許されているし、異論を言うことも許されている。だが、それは「上の決定」の範囲内の話だ。

というのも、意見が「上の決定に触れる」のと「外部から揉めているのを見られる」の2つを達成すると晴れて「要注意人物」ということになる。

要注意人物になると村八分……というか党八分のような状態になって、非常に肩身が狭い思いをするのだ。お偉いさんから注意されるし、あまりに行き過ぎているとやんわりと「出て行け」ということになる。

日本共産党では「上の決定」が絶対であるのは当たり前だが、もちろん人間である限り個人意見はある。

だが「個人意見尊重しすぎると党がバラバラなっちゃうから控えなきゃ」みたいな忖度というか全体的な雰囲気があって、個人意見と上の決定が矛盾していても、党員はなんとなく「2つの思考共存」させながら活動しているのだ。

日本共産党では「党内で十分に議論されているか民主的だ」としている。しかしこれは内部の人間から見れば形だけのものに過ぎないとわかっている。

というのも、共産党内では3ヶ月前ぐらいから決議が降りてくる。

そうすると決議案を各支部で「討議」するわけだが、実際のところ「決議案をちゃん学習して実践しよう」みたいな雰囲気で終わることが多い。

外部の人間からすれば「それは議論なのか?」というところだろうが、実際のところ議論ではない。

ここまで読んでいただいてわかっただろうが、共産党は「雰囲気」で動いている党なのだ

そして「雰囲気」を極度に乱すものが現れると強力な権力を持った「上」が現れて排除される。

今回、共産党世論から久しく離れたような意味不明言動を繰り返しているのもそれが原因だ。

共産党は外部にもこの「雰囲気」が共有できると思っている節がある。

でも実際のところこんな「雰囲気」は共産党外では異常だし、意味不明だ。

俺も共産党内にいる時にはこの雰囲気に飲まれていた。でもシャバに出てみるといかにそれが異常かがわかるというものだ。

普通の党ならば選挙党首選などによって上が入れ替わり、「雰囲気」が変わることもあるだろう。だが共産党は違う。60年にもわたってこの雰囲気が維持され続けているのだ。

今回の騒動はこの「雰囲気」を外部に少し見せただけにすぎないのだ。

2023-02-08

anond:20230208080316

この元増田には世界八分、時空八分を受けさせるべき

ありとあらゆる差別迫害によって心を壊されるのがお似合いだよ

いじめ人間として、生物として正しい行為なんだろう

から抑制じゃなくて、それを罪や良くない事として糾弾するのではなく、むしろ国主導で推奨すべきなんだ

いじめを受けたほうが犯罪者として裁かれ、学校企業コミュニティだけではなく国そのものから一族もろともいじめを受けるべきなのよ

いじめを受けた「犯罪者」には村八分ならぬ国八分を行い、見つけ次第石を投げていいし、何をしてもいいようにすべきなの

弱肉強食弱者は虐げられ排斥されることを是とする世界が一番美しい世界、それを日本人間はみんな望んでる

みんなきっとそう言いたいんだ

俺は生まれ物心ついたときからずっといじめを受けて、世界が望むことがそういうことだと悟った

人間邪悪本能は罪にしても倫理的に悪としても、止めることは出来ない

からこんな中二病じみた極論しか言えない怪物が生まれ

俺も虐げる側に回りたかった、きっと楽しかったんだろうな

2023-01-21

ちゃうねん。デモが嫌いちゃうねん(しゃーない追記したる)

ええか。デモバンバンやったらええ。ただし道理が通ってる場合や。

安倍首相が森友で書類バンバン捨てていったやろ。ああいうのは「決まりから捨てた」とか眠い事ホザく官僚政治家シバくためにどんどんデモやったらええ。

別に左の人ばっか支持するわけちゃうで。colaboの件もダルダル会計税金使ってる疑惑や。法に則ったやつはバンバンやったらええ。

ただな。安倍元さんへの個人攻撃アカン。眠い事やってる件についてはガン詰めしてええで。

けどな、なんやアベ政治をゆるさない」って。なんで太鼓藁人形写真貼ってシバいたり潰したりしてんねん。

あいうのドン引きですわ。

colaboもそうや。バスの周りウロついて未成年威圧したらアカンよ。子供に手を出すゴミクズなんてロシア兵だけで十分じゃい。

ちなみに仁藤さんはええわ。アイツは責任者当事者権力側や。容姿や年齢で揶揄するのは個人攻撃でもちろんアカン。でも会計草津キモいおじさんの件はガンガン詰めたらええ。

でもバスに来てる未成年アカン。当然やろ。

デモいうもんは、正義を通したいけど権力側がクソナメた態度で逃げよるのを詰めるもんやろ。

儲けてるのに給料出さん社長汚職カマして責任取りよらん政治家税金もろとるクセにナメた使い方してる活動家。こういうのを叩いて正常化させるためのもんや。

盗人にも三分の理いう諺あるけれど、デモ八分の理が無かったらアカンで。

ちなみに一分は道路占拠して民間の皆さんにご迷惑かけてる分や。ようするに九分以上ジャスティス場合手段としてオッケーや。

そう考えると、日本でやってるデモマジで理がないな。

いや、森友はアカンで。あれだけでデモやってるなら応援するわ。けどな、大勢寄ったらおかしいのが混ざるんはしゃーないとしても、壇上上げたらアカンやろ。

なんや反戦反原発基地て。各自別個にやったら聞いてもええけど、混ぜてなんでもイケイケ、ついでに写真貼ってシバいて潰してポンや。

政治家官僚が怪電波流しよるから是正しにきたら、壇上から電波ゆんゆんや。やってられんわ。

右のデモも大概にしーや。在日特権を許さないの時もそうやったけど、子供おる所でやんなや。

お前ら保守やろ。女子供守るつもりで死んだ大東亜英霊呪い殺されるで。(カスもぎょうさんおったけど本題ちゃうから除くで)

覚悟キマってる大人同士でやれ。物理的にやりかえせんと思ってナメてるならお前ら人ちゃうで。

ええか。デモはパワーを増幅させる方法や。

ちなみに、わりと何でも増幅させよるからキモい主張がキモキモキモに大拡大されるんや。

一番拡大されてキモかったのは学生運動やな。一般人角材でシバいて機動隊員を石で潰して銃撃ってもうやりたい放題のテロリストや。

グループ内でボスハーレムして子供が出来たら責任取りとうないから皆で育てよとか言い出すキモキモキモよ。(調べろ、出てくる)

まぁアレは最も拡大されたデモからな。本で読んだだけでも人の醜さを極大に見せてくれよるわ。

日本国内のデモはあまりキモすぎる。

ジャスティスや、ジャスティスを心がけろ。

自分の胸に手を当ててジャスティスまでは当然や。周囲の人くらい軽く説得できるだけの裏付けゲットして、知らん人でも共感してくれるやつだけやれ。

バレたら絶対引かれると思う件が1つでもあったらやめとけ。増幅されてだいたい無茶苦茶になる。

大勢寄ったらアホが来るはしゃーない。壇上に上げんくらいでええよ。

まぁ手練のデモ仕切り団体が来て無茶苦茶にするんやけど、そこはがんばれ。

パンピーのワシはデモという弱者のパワーを手放したくないんや。

たのむでホンマ。



追記やで

何が正義かをワイが決めるんちゃうで。

どこにもそんな事は書いとらん。

キモいデモ中毒シャブ抜いてどうぞ。幻覚見えてるで。

目的ジャスティスでも個人攻撃すんな、子供に手をだすな。

話がわからんようなるから主題が有る所に勝手サブタイつけんな。

シンプルやろ。

人によって正義が有る、そんなん当たり前や。そやけど社会生活しとるワイらは共通項持っとるはずやろ。

子供リアル手を出すは殺人に並ぶ禁忌やで。これ共有できん奴はキモすぎるんで無人島行ってどうぞ。

他人に話する時にあっちゃこっちゃ話飛ばす奴は相手しきれんわ。

いいたい事絞ってどうぞ。もちろん道理通してな。

極めてシンプルやろ。

お前ら小理屈こねて自己正当化しすぎや。

ジャスティスなら自己正当化なんていらんのやで。

「森友おかしいやん。ちゃんと調べろや」これには何の自己正当化もいらんやろ。

「colaboの金の使い方おかしいわ。東京都ちゃんと調べろや」何の正当化もいらんわな。

書いてない幻覚見て理屈こねる必要なんて無いんよ。これがジャスティスのええ所や。

ここに原発やら基地やら入れてくると話がややこしい。なんでつながるか小理屈こねにゃいかからな。

子供巻き込んだり、仁藤さんの個人攻撃やってもややこしい。女子供に何やっとんじゃとなる。

これがジャスティスが無い弊害や。

人は寄ったらおかしゅうなる、歴史証明しとる。

そやからキモくならん為にジャスティスがいるんや。

シンプルやろ。

2022-11-22

文字コード八分言語ってあるんだろうか(その言語で使われている文字登録されていないので表記しようがない)

そういうところは旧列強国の言語ネットに発信してるだけなのだろうか

2022-10-26

anond:20221026090159

オイオイオイ、社会に負けた、ってそれ八分じゃなくて村十分ってヤツだぞシヌワアイツ

2022-10-03

オフィスで音声チャット出来なかった

Slackの使い方もよくわからんのにハドルドル言ってる人がいて、ハドルググるとなんかスポーツ関連のアプリとか出てきて

ドルドル言ってるの意味わからんかったけど、なんかIT技術特有エスパー能力を発揮するになんとなくSlackの音声チャットっぽいなーって思ってて

そのハドルやりましょうみたいなこと言われたんだけど、Slackには普通にどこにもそんな機能がなかった

このボタン押してみたいなことも言われたけど、そんなボタンはありません。

エスパー能力を発揮してもしかしたらFirefoxWebアプリSlack見てるのが原因ジャネーノと思ってSlackのはドルチャット問題みたいなのググったら案の定ドルSlackデスクトップ版かChrome歯科使えないとか書かれてて

またFirefox八分死ねみたいな感想になってるんだけど

そもそもオフィスの自席で音声チャットするのっていいの?よくわからんのだけど。なんかそんなかんじでやくのけを刈ってる間に、ミーティング終わってたっぽい

ノーパソ支給されてる人は持ち歩いて人気のないところに移動して音声チャットとかできるかもしれんけど、俺デスクトップだし、どうやるのが正解だったんだろうか

よくわかりません

自席で音声チャットしてる人とか見たことないんだが

2022-07-24

賢者タイムといえば性欲より食欲なんだよな

性欲の賢者タイムってのが俺には分からん多幸感に包まれる派だ。

そんなのよりもむしろ食欲が満たされたときの方が巷でいう賢者タイム定義をよっぽど顕著に満たした状態になる。

おごられた帰り道とかに目に入ってくる中華料理屋のカロリーの高そうな料理が映った写真看板とか見るともう嫌気が差す。

空腹のときだったらぜひ食べたくなるような、テレビに映ってくる金持ち料理も目に入れたくない。

性欲は、特に男のはよくその場限りの欲望なんて言われる感じがするが、食欲のほうがよっぽど顕著に、刹那欲望を満たすために作り出された偽りの欲求なんだと感じる。

幸せを感じるのは食べてる最中でかつまだ腹が八分目に達してないときだけだろう。食欲が満たされて満腹になった後はもはや幸せを感じない

2022-03-03

anond:20220303064036

勝敗は六分か七分勝てば良い。

八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる。

ですね

2021-04-23

anond:20210423214456

こらこら

無理はせず普通盛りを頼みなさい

八分目が健康秘訣というのは健康マニアの中ではすでに常識

2021-03-22

ドル

ハックニー馬[※1]のしっぽのような、巫戯《ふざ》けた楊《やなぎ》の並木《なみき》と陶製《とうせい》の白い空との下を、みじめな旅《たび》のガドルフは、力いっぱい、朝からつづけて歩いておりました。

 それにただ十六哩《マイル》だという次《つぎ》の町が、まだ一向《いっこう》見えても来なければ、けはいしませんでした。

(楊がまっ青に光ったり、ブリキの葉《は》に変《かわ》ったり、どこまで人をばかにするのだ。殊《こと》にその青いときは、まるで砒素《ひそ》をつかった下等《かとう》の顔料《えのぐ》[※2]のおもちゃじゃないか。)

 ガドルフはこんなことを考えながら、ぶりぶり憤《おこ》って歩きました。

 それに俄《にわ》かに雲が重《おも》くなったのです。

(卑《いや》しいニッケルの粉《こな》だ。淫《みだ》らな光だ。)

 その雲のどこからか、雷《かみなり》の一切れらしいものが、がたっと引きちぎったような音をたてました。

街道かいどう》のはずれが変《へん》に白くなる。あそこを人がやって来る。いややって来ない。あすこを犬がよこぎった。いやよこぎらない。畜生ちくしょう》。)

 ガドルフは、力いっぱい足を延《の》ばしながら思いました。

 そして間もなく、雨と黄昏《たそがれ》とがいっしょに襲《おそ》いかかったのです。

 実《じつ》にはげしい雷雨《らいう》になりました。いなびかりは、まるでこんな憐《あわ》れな旅のものなどを漂白《ひょうはく》してしまいそう、並木の青い葉がむしゃくしゃにむしられて、雨のつぶと一緒《いっしょ》に堅《かた》いみちを叩《たた》き、枝《えだ》までがガリガリ引き裂《さ》かれて降《ふ》りかかりました。

(もうすっかり法則《ほうそく》がこわれた。何もかもめちゃくちゃだ。これで、も一度《いちど》きちんと空がみがかれて、星座《せいざ》がめぐることなどはまあ夢《ゆめ》だ。夢でなけぁ霧《きり》だ。みずけむりさ。)

 ガドルフはあらんかぎりすねを延《の》ばしてあるきながら、並木のずうっと向《むこ》うの方のぼんやり白い水明りを見ました。

(あすこはさっき曖昧あいまい》な犬の居《い》たとこだ。あすこが少ぅしおれのたよりになるだけだ。)

 けれども間もなく全《まった》くの夜になりました。空のあっちでもこっちでも、雷《かなみり》が素敵《すてき》に大きな咆哮《ほうこう》をやり、電光のせわしいことはまるで夜の大空の意識《いしき》の明滅《めいめつ》のようでした。

 道はまるっきりコンクリート製《せい》の小川のようになってしまって、もう二十分と続《つづ》けて歩けそうにもありませんでした。

 その稲光《いなびか》りのそらぞらしい明りの中で、ガドルフは巨《おお》きなまっ黒な家が、道の左側《ひだりがわ》に建《た》っているのを見ました。

(この屋根《やね》は稜《かど》が五角で大きな黒電気石[※3]の頭のようだ。その黒いことは寒天《かんてん》だ。その寒天の中へ俺《おれ》ははいる。)

 ガドルフは大股《おおまた》に跳《は》ねて、その玄関《げんかん》にかけ込みました。

「今晩《こんばん》は。どなたかお出《い》でですか。今晩は。」

 家の中はまっ暗《くら》で、しんとして返事《へんじ》をするものもなく、そこらには厚《あつ》い敷物《しきもの》や着物《きもの》などが、くしゃくしゃ散《ち》らばっているようでした。

(みんなどこかへ遁《に》げたかな。噴火《ふんか》があるのか。噴火じゃない。ペストか。ペストじゃない。またおれはひとりで問答《もんどう》をやっている。あの曖昧な犬だ。とにかく廊下《ろうか》のはじででも、ぬれ着物をぬぎたいもんだ。)

 ガドルフは斯《こ》う頭の中でつぶやきまた唇《くちびる》で考えるようにしました。そのガドルフの頭と来たら、旧教会《きゅうきょうかい》の朝の鐘《かね》のようにガンガン鳴《な》っておりました。

 長靴《ながぐつ》を抱《だ》くようにして急《いそ》いで脱《と》って、少しびっこを引きながら、そのまっ暗なちらばった家にはね上って行きました。すぐ突《つ》きあたりの大きな室は、たしか階段かいだん》室らしく、射《さ》し込《こ》む稲光りが見せたのでした。

 その室の闇《やみ》の中で、ガドルフは眼《め》をつぶりながら、まず重い外套《がいとう》を脱《ぬ》ぎました。そのぬれ外套の袖《そで》を引っぱるとき、ガドルフは白い貝殻《かいがら》でこしらえあげた、昼の楊の木をありありと見ました。ガドルフは眼をあきました。

(うるさい。ブリキになったり貝殻になったり。しかしまたこんな桔梗《ききょう》いろの背景《はいけい》に、楊の舎利《しゃり》[※4]がりんと立つのは悪《わる》くない。)

 それは眼をあいてもしばらく消《き》えてしまいませんでした。

 ガドルフはそれからぬれた頭や、顔をさっぱりと拭《ぬぐ》って、はじめてほっと息《いき》をつきました。

 電光がすばやく射し込んで、床《ゆか》におろされて蟹《かに》のかたちになっている自分背嚢はいのう》をくっきり照《て》らしまっ黒な影《かげ》さえ落《おと》して行きました。

 ガドルフはしゃがんでくらやみの背嚢をつかみ、手探《てさぐ》りで開《ひら》いて、小さな器械《きかい》の類《たぐい》にさわってみました。

 それから少ししずかな心持《こころも》ちになって、足音をたてないように、そっと次の室にはいってみました。交《かわ》る交《がわ》るさまざまの色の電光が射し込んで、床に置《お》かれた石膏《せっこう》像《ぞう》や黒い寝台《しんだい》や引っくり返《かえ》った卓子《テーブル》やらを照らしました。

(ここは何かの寄宿舎《きしゅくしゃ》か。そうでなければ避病院《ひびょういん》か。とにかく二階にどうもまだ誰《だれ》か残《のこ》っているようだ。一ぺん見て来ないと安心あんしん》ができない。)

 ガドルフはしきいをまたいで、もとの階段室に帰り、それから一ぺん自分背嚢につまずいてから、二階に行こうと段《だん》に一つ足をかけた時、紫《むらさき》いろの電光が、ぐるぐるするほど明るくさし込んで来ましたので、ガドルフはぎくっと立ちどまり階段に落ちたまっ黒な自分の影とそれから窓《まど》の方を一緒《いっしょ》に見ました。

 その稲光りの硝子《ガラス》窓から、たしかに何か白いものが五つか六つ、だまってこっちをのぞいていました。

(丈《たけ》がよほど低《ひく》かったようだ。どこかの子供《こども》が俺のように、俄かの雷雨で遁げ込んだのかも知れない。それともやっぱりこの家の人たちが帰って来たのだろうか。どうだかさっぱりわからないのが本統《ほんとう》だ。とにかく窓を開いて挨拶あいさつ》しよう。)

 ガドルフはそっちへ進《すす》んで行ってガタピシの壊《こわ》れかかった窓を開きました。たちまち冷たい雨と風とが、ぱっとガドルフの顔をうちました。その風に半分声をとられながら、ガドルフは叮寧《ていねい》に云《い》いました。

「どなたですか。今晩《こんばん》は。どなたですか。今晩は。」

 向《むこ》うのぼんやり白いものは、かすかにうごいて返事もしませんでした。却《かえ》って注文《ちゅうもん》通《どお》りの電光が、そこら一面《いちめん》ひる間のようにしてくれたのです。

「ははは、百合ゆり》の花だ。なるほど。ご返事のないのも尤《もっと》もだ。」

 ガドルフの笑《わら》い声は、風といっしょに陰気《いんき》に階段をころげて昇《のぼ》って行きました。

 けれども窓の外では、いっぱいに咲いた白百合《しらゆり》が、十本ばかり息もつけない嵐《あらし》の中に、その稲妻《いなずま》の八分一秒《びょう》を、まるでかがやいてじっと立っていたのです。

 それからたちまち闇が戻《もど》されて眩《まぶ》しい花の姿《すがた》は消えましたので、ガドルフはせっかく一枚《まい》ぬれずに残ったフラン[※5]のシャツも、つめたい雨にあらわせながら、窓からそとにからだを出して、ほのかに揺《ゆ》らぐ花の影を、じっとみつめて次の電光を待《ま》っていました。

 間もなく次の電光は、明るくサッサッと閃《ひら》めいて、庭《にわ》は幻燈《げんとう》のように青く浮《うか》び、雨の粒《つぶ》は美《うつく》しい楕円形《だえんけい》の粒になって宙《ちゅう》に停《とど》まり、そしてガドルフのいとしい花は、まっ白にかっと瞋《いか》って立ちました。

(おれの恋《こい》は、いまあの百合の花なのだ。いまあの百合の花なのだ。砕《くだ》けるなよ。)

 それもほんの一瞬《いっしゅん》のこと、すぐに闇は青びかりを押《お》し戻《もど》し、花の像はぼんやりと白く大きくなり、みだれてゆらいで、時々は地面《じめん》までも屈《かが》んでいました。

 そしてガドルフは自分の熱《ほて》って痛《いた》む頭の奥《おく》の、青黝《あおぐろ》い斜面《しゃめん》の上に、すこしも動《うご》かずかがやいて立つ、もう一むれの貝細工《かいざいく》の百合を、もっとはっきり見ておりました。たしかにガドルフはこの二むれの百合を、一緒に息をこらして見つめていました。

 それもまた、ただしばらくのひまでした。

 たちまち次の電光は、マグネシアの焔《ほのお》よりももっと明るく、菫外線《きんがいせん》[※6]の誘惑《ゆうわく》を、力いっぱい含《ふく》みながら、まっすぐに地面に落ちて来ました。

 美しい百合の憤《いきどお》りは頂点《ちょうてん》に達《たっ》し、灼熱《しゃくねつ》の花弁《かべん》は雪よりも厳《いかめしく、ガドルフはその凛《りん》と張《は》る音さえ聴《き》いたと思いました。

 暗《やみ》が来たと思う間もなく、また稲妻が向うのぎざぎざの雲から北斎《ほくさい》の山下白雨のように赤く這《は》って来て、触《ふ》れない光の手をもって、百合を擦《かす》めて過ぎました。

 雨はますます烈《はげ》しくなり、かみなりはまるで空の爆破《ばくは》を企《くわだ》て出したよう、空がよくこんな暴《あば》れものを、じっと構《かま》わないでおくものだと、不思議《ふしぎ》なようにさえガドルフは思いました。

 その次の電光は、実に微《かす》かにあるかないかに閃《ひら》めきました。けれどもガドルフは、その風の微光《びこう》の中で、一本の百合が、多分とうとう華奢《きゃしゃ》なその幹《みき》を折《お》られて、花が鋭《するど》く地面に曲《まが》ってとどいてしまたことを察《さっ》しました。

 そして全くその通り稲光りがまた新《あた》らしく落ちて来たときその気の毒《どく》ないちばん丈の高い花が、あまりの白い興奮《こうふん》に、とうとう自分を傷《きず》つけて、きらきら顫《ふる》うしのぶぐさの上に、だまって横《よこた》わるのを見たのです。

 ガドルフはまなこを庭から室の闇にそむけ、丁寧《ていねい》にがたがたの窓をしめて、背嚢のところに戻って来ました。

 そして背嚢からさな敷布《しきふ》をとり出してからだにまとい、寒《さむ》さにぶるぶるしながら階段にこしかげ、手を膝《ひざ》に組み眼をつむりました。

 それからまらずまたたちあがって、手さぐりで床《ゆか》をさがし、一枚の敷物《しきもの》を見つけて敷布の上にそれを着《き》ました。

 そして睡《ねむ》ろうと思ったのです。けれども電光があんまりせわしくガドルフのまぶたをかすめて過ぎ、飢《う》えとつかれとが一しょにがたがた湧《わ》きあがり、さっきからの熱った頭はまるで舞踏《ぶとう》のようでした。

(おれはいま何をとりたてて考える力もない。ただあの百合は折《お》れたのだ。おれの恋は砕けたのだ。)ガドルフは思いました。

 それから遠い幾山河《いくやまかわ》の人たちを、燈籠《とうろう》のように思い浮《うか》べたり、また雷の声をいつかそのなつかしい人たちの語《ことば》に聞いたり、また昼の楊がだんだん延びて白い空までとどいたり、いろいろなことをしているうちに、いつかとろとろ睡ろうとしました。そしてまた睡っていたのでしょう。

 ガドルフは、俄かにどんどんどんという音をききました。ばたんばたんという足踏《あしぶ》みの音、怒号《どごう》や潮罵《ちょうば》が烈《はげ》しく起《おこ》りました。

 そんな語はとても判《わか》りもしませんでした。ただその音は、たちまち格闘《かくとう》らしくなり、やがてずんずんドルフの頭の上にやって来て、二人の大きな男が、組み合ったりほぐれたり、けり合ったり撲《なぐ》り合ったり、烈しく烈しく叫《さけ》んで現《あら》われました。

 それは丁度《ちょうど》奇麗《きれい》に光る青い坂《さか》の上のように見えました。一人は闇の中に、ありありうかぶ豹《ひょう》の毛皮《けがわ》のだぶだぶの着物をつけ、一人は烏《からす》の王のように、まっ黒くなめらかによそおっていました。そしてガドルフはその青く光る坂の下に、小さくなってそれを見上げてる自分のかたちも見たのです。

 見る間に黒い方は咽喉《のど》をしめつけられて倒《たお》されました。けれどもすぐに跳ね返して立ちあがり、今度《こんど》はしたたかに豹の男のあごをけあげました。

 二人はも一度組みついて、やがてぐるぐる廻《まわ》って上になったり下になったり、どっちがどっちかわからず暴れてわめいて戦《たたか》ううちに、とうとうすてきに大きな音を立てて、引っ組んだまま坂をころげて落ちて来ました。

 ガドルフは急いでとび退《の》きました。それでもひどくつきあたられて倒れました。

 そしてガドルフは眼を開いたのです。がたがた寒さにふるえながら立ちあがりました。

 雷はちょうどいま落ちたらしく、ずうっと遠くで少しの音が思い出したように鳴《な》っているだけ、雨もやみ電光ばかりが空を亘《わた》って、雲の濃淡《のうたん》、空の地形図をはっきりと示し、また只《ただ》一本を除《のぞ》いて、嵐に勝《か》ちほこった百合の群《むれ》を、まっ白に照《て》らしました。

 ガドルフは手を強く延ばしたり、またちぢめたりしながら、いそがしく足ぶみをしました。

 窓の外の一本の木から、一つの雫《しずく》が見えていました。それは不思議にかすかな薔薇《ばら》いろをうつしていたのです。

(これは暁方《あけがた》の薔薇色《ばらいろ》ではない。南の蝎《さそり》の赤い光がうつったのだ。その証拠《しょうこ》にはまだ夜中にもならないのだ。雨さえ晴れたら出て行こう。街道の星あかりの中だ。次の町だってじきだろう。けれどもぬれ着物をまた引っかけて歩き出すのはずいぶんいやだ。いやだけれども仕方《しかた》ない。おれの百合は勝ったのだ。)

 ガドルフはしばらくの間、しんとして斯う考えました。

2021-03-20

政治はしたくないし他人信者ファンネルにはなりたくない

から私はムラ社会を飛び出したけどどこまでいっても世界は狭い

狭い世界ムラ社会を作る

ムラ社会でムラの政治をしてムラ八分にしながら自分達は先進的なことを話していていると思い込んでいるSNSユーザーはなんなのだろう

これではSNSを捨てて一人桜を見る会を開いておやつを食べないといけない

2021-03-18

腹八分目って食い過ぎじゃない?

健康的な成人男性なら、空腹から満腹まで例えばコンビニ弁当なら3個はイケるでしょ

少なくとも俺は絶対いける

とすると八分目は2.4個食ってる

食い過ぎだろう

2021-03-08

八分目にならない、幸せとは

悪いけど、今結構幸せだと思う。

「悪いけど」と言ったのは一年半続いたバイト人間関係に疲れて辞めたばかりであること、膝が痛いと溢すようになった母の元に養われながらゲームばかりしていること、随分前に大学中退したこと…などなどが絡み合って昼間のスーパーに堂々と行けないくらいの後ろめたさを感じているせいだ。

でも人と比べることがなければ今までの人生で一番ぐらいに幸せ時間だとおもう。

10点満点中4点ぐらいかな、低すぎか。今までがマイナスだったからかな。

母の料理小学生の頃ぶりに食べられて、話し相手がいて、好きなだけ好きな本を読めているんだから

10点満点中10点の幸せは怖い。躁状態になってる時の錯覚を見るのが怖い。でも幸せだった。

性欲だけで好きになった男の車に乗せて貰った時も、分不相応に高い服を買った時も。

ハタチになったばかりの頃は周りを見られなくて、だから逃げる事も突っ込む事も出来て(出来るような気がして)とにかく夢中だった。

あの頃は10点の幸せがあったけどもうそういうのは出来ないんだろうなぁ…

2年そこらでこれだけ老けるなんて、ハタチの私が見たらガッカリだと思うけど

「起こるべきことが起こった、同い年になれば分かるよ小娘」ぐらいは言う気がする。

自分に対する諦めと年少者に対するごまかしを身につけた嫌な大人

4点は幸せだけど満足じゃない。「アフリカの子供よりはマシなんだから」の理屈

8点欲しい。あと4点どうやって加点できるのかわからない。

とりあえず30万借りて二重弄ってくるわ。

2021-02-21

田舎者村八分にする。陰険人種

みたいな物言いする人がいる。

地方問題が起こると、地方と言うだけで「田舎に住んでいる人の思案が狭い」という態度をとる人に嫌気が刺す。

何故、「村八分」が駄目で「日本八分」が許されるんだ?

おばちゃんばかりの清掃員に学生ぽいお兄さんが入ったけど

八分丈のクロップドパンツハーフパンツになってしまってる

あれスネ毛剃ってるのかな

2021-02-13

anond:20210212214154

おいおいおい、正気か?

はてなスポーツが人を救うなんて話が通じるわけ無いだろ

ブコメでもスポーツを推奨する=知を捨てるってことかって感じのコメが並んでるだろ

はてブカテゴリスポーツがない時点でお察しだろ

下手なこと言うとはてな八分にされるから気をつけなよ

はてな八分炎上と死亡報告以外ではスターを付けてもらえないこと

2021-01-14

GAFAによる検閲

やばい所まで来てる感じ

昔はGoogle八分問題になったけど今SNS八分になったらネットから黙殺されるわけでしょ

本当のことを言ってる人が消されて、ウソをばらまくやつが本物扱いになる可能性もミリであるわけで

2020-11-19

anond:20201118101837

夫婦別姓になれば、離婚率は更に増えると思う。

それで困るのは子供だ。子供はどちらの姓を選べばいい?

まあそんな選択の悩みの前に、両親が他人同士だと理解するきっかけになったり、

喧嘩になると離婚が見え隠れする状態での精神的な苦痛を味わうのは子供

そして、父と母を別で切り離して考える子供達の思考も主流になるだろう。

個の自由意志を大切にするあまり、父は父、母は母、そして、子は子。

今は村八分になっても余裕で生きていける。これを平成時代とすれば、

令和は、家族八分になっても余裕で生きていけるような時代になるのかもね。

個の自由尊重しすぎれば、集合体崩壊

そして日本崩壊につながっていくような危機感がある。

2020-10-21

通販サイトマジで最近Google検索結果汚染されまくってて萎えからはよ潰れろ

plとかdeとか外国ドメインなのに日本語使ってる…みたいな分かりやすいやつはまだ避けられるけど、たまにまともなレビュー記事に見せかけたフィッシングサイトがあるのがクソアンドクソ

ノイズレスサーチとか使わなくても早く八分にされて欲しい

2020-09-02

瀬田文学

 二十三時過ぎ、ホテルを出て近所にある和食さとへ向かった。道中、大通りをまたぐ信号を待つ間に何となく周りに目を向けると左方のフェンスに簡易な近隣の地図が括られている。近くに池がいくつもあるようだ。興味を惹かれたので食後に出向くことにした。地図を眺めつつ待つも一向に信号が変わらない。押しボタン式だった。ボタンを押ししばらく待つがやはり青にならない。車の通りが収まっていたので無視して渡った。

 和食さとでは刺身天ぷらいくらかの小鉢のついたようなセットを食ったが大して美味くもなく、胸焼けに似たような妙な不快感が残った。

 店を出て先の地図記憶を頼りに池を目指す。時折地図アプリを参照しつつ最寄りの池を目指すとすぐに着いた。四方を柵で囲まれセメントで岸を固められた、実用を旨とした何の風情もない水たまりだった。過度な期待をしていたわけでもないので、特段失望もなくしばらく柵に肘をついて暗いばかりの水面を眺めた。

 次の池を探して再び地図アプリを開く。目についたのは一つの長方形区画で、短辺に平行に三等分すると、端の三分の一が池で、残りは陸になっており、碁盤の目に道が走っている。また道の周囲が緑色で表されていることから樹木が茂っていることが窺われる。最も目を惹くのは池の中央に浮かぶ円形の陸で、そこへは陸から小路が一本延びている。いかなる場所だろうかと地図をよく見れば霊園だという。深夜に何の縁もない自分が訪ねるのも罰当たりな気がしたけれども、近隣の住民迷惑のないよう静かに立ち入る分には問題ないだろうと自分を納得させ墓地へと向かう。

 その区画境界まで着いたが周囲にはフェンスが張り巡らされており入れない。どこかに切れ目はないかと沿って歩くうち、フェンスに括られた地名表示板を見つけた。ここは月輪つきのわ)だという。

 この名前に触発されて月を見る。今夜は多少雲がかかっているけれども月は八分以上満ち、月明かりを確かに感じる。この優れた月の晩に月輪で池と共に月を眺めるのは非常にふさわしい気がして、池への期待が一層高まった。しかし一向にフェンスの切れ目は見つからず結局フェンスに沿って立つ人家に突き当たってしまった。どうにか入れないか迂回路を探すが地図を見る限り確実に入ることのできそうな場所はあれど、霊園を跨いだ対角側にあり遠い。そこまで行くのは面倒だが、諦めるのも早い気がして、回り道しつつ再びフェンス沿いへと歩き戻るうち気づけば他の池の近辺まで来ていた。その池の名を見ると月輪大池とあり、名前から言ってこちらの池の方がよっぽど立派そうなので、霊園の方はやめ、こちらの池に向かうことにした。

 その池は名に違わぬ立派な池で、近くまで寄ると鳥居が目に入った。その上部に掲げられた文字を見れば龍王神社だという。龍と池という組み合わせが不穏で、気味は悪いが入って見ることにした。鳥居をくぐると白い石の敷き詰められた参道が長く伸び、道の両脇には石灯籠が一列ずつ密に立ち並び、周囲の闇の中でそれらのみが微光を発するように浮き上がっている。それは幽玄さを感じさせるものではあれど古典的怪談舞台のようでもあり、すっと背筋が寒くなる思いがした。足を踏み出すと砂利は一歩一歩が僅かに沈みこむほどに厚く、粉を纏う玉砂利を踏んだときのあの軋む感覚が足の裏を伝わった。参道を歩む途中振り返ると、石灯籠の列が遥かに見え、正面を向き直るとやはり前方にも石灯籠に縁取られた道が長く続く。私は明らかに恐怖を感じた。それでも時折振り返りつつ歩みを進めた。

 やがて参道が果て、二つ目鳥居に辿り着いた。それをくぐり、二、三歩進み周囲を見渡す。正面には拝殿があり、周囲は薄く木々で覆われており暗いが、左方の木立の隙間からわずかに月明かりが漏れ、その先に池が垣間見える。目が慣れるまで待とうと立ち止まって周囲を見ていると、突然右方からかにふうふうと浅く早い吐息のような音が聞こえた。慌ててそちらに目を向けるが何もいない。そこには背の低い茂みがあり、その陰に何らかの獣でもいる可能性は否定できないものの、茂みの大きさからいってあまりありそうもない。微かな音だったか幻聴かもしれない。ともかくしばらくその方向を睨んだ後、気にしないことにした。

 正面の拝殿に参拝し、木立の隙間から池の方へ抜けようとそちらに向かうと、途中に小さな社があった。そこにも参拝した後、岸へと抜けた。月輪大池は非常に大きく、正面を向くと視界に収まらないほどの横幅がある。奥行きは向こう岸一帯が闇に融けているためはっきりとはしないが、その先にある人家のシルエットの大きさから推するに、それほど深い訳ではないだろう。それでも立派な池だ。月は私の背面にあり先ほどよりもやや濃く雲に覆われ、ぼやけていた。月と池を同時に眺められないのは残念ではあるがしばらくそこに佇み、交互に見た。そろそろ戻ろうと思いつつ、ふと脇に目を遣ると池を跨いで石灯籠の列が見えた。またあの道を行くと思うと気が進まない。「行きはよいよい・・・」などとふざけて呟き、気を紛らわせつつ帰路につく決心を先延ばしにしながら周りを見渡していると岸に沿って道が伸びているのに気が付いた。先を覗くとずっと続いており、先には低い丘とその上には東屋が見える。そちらから抜けることにした。

 東屋まで行くと、隣接して高いフェンスで囲まれた芝生のグラウンドがあった。無論人はいない。グラウンドへ入りずんずんと歩く。微風が吹き抜けている。中央辺りで芝生に触れると僅かに湿り気を含んでいるが濡れるほどではない。尻をついて座り、月を眺める。月は一層雲に覆われ今や輪郭も寸断され最早奇形の灯が天に浮かんでいるばかりだ。明瞭に見えたならばどれだけいいだろうと思いつつ、眺めているとしかしこの月も美しく見えて来、私は今更になって朧月なる観念を再発見したのだった(*1)。普段酒を飲まないけれども、この時ばかりはあたりめもつまみながら飲めたらどれだけ気分がいいだろうかと感じた。準備をしてまた来るのを心に決めた。

 ひとしきり眺めた後、地図で帰り道を探す。グラウンドの逆側から抜け、道路下りつつ戻る道を見つけた。グラウンドを抜けると、公衆便所があり煌々と光を放っていた。少し尿意はあったがまだ余裕があるためそのまま過ぎた。淡々ホテルへと向かう。

 しばらく歩いたのち尿意が強まってきた。近くに便所が無いため立ち小便も考えるが違法なので出来る限りは避けたい。しかし同時に私が立ち小便をしたところで、ばれる筈もなく誰が咎めることができるだろうかという不敵な気分もあった。歩き続けるうち住宅地の間に公園を見つけた。それは家屋の列と列の間に取り残された三日月状の領域に造られた小さな公園で簡易な遊具が並んでいる。ここの公衆便所を使おうと外縁に沿って歩きつつ中を伺うが見つけられない。どうやら無いらしい。私は憤慨した。便所のない公園などありふれていることは承知しているけれども、わざわざ今現れなくてもいいだろうと怒りが湧き、本来ならば便所のあってしかるべき空白に、あてつけに尿を撒いてやろうかと考えたが、この静寂の中放尿すればそれなりに音が響くに違いなく、周囲の住人に聞かれることを考えると不安になり止した。私の尿意限界近くまで高まっていた。地図アプリを見るとまだ二十分以上は歩かなくてはならない。どう考えてもホテルまでもつとは思えないが、ともかく足を進めると、見覚えのある道に出た。行きに通った道だ。記憶を辿ればこの先は道路建物が立ち並ぶばかりで立ち小便できるような茂みはない。一度足を止める。地図アプリを見るとすぐ右に行けば公園があることが分かったので、歩道脇の草むらを横切り、駐車場を過ぎ、公園へと向かう。この公園は先のとは異なり、庭園やら広い芝生やらがある大規模な公園だった。どこに便所がありそうか見当もつかないが、ひとまず建物が目についたのでそこへ向かった。しかしそこには施錠された建物があるのみで便所は見当たらない。建物に挟まれた道の奥へ行くと芝生が敷いてあり、奥に池、周囲には植え込みがある。この植え込みの陰で済まそうかと考えながら歩いているとある看板が目に入った。曰く、「山の神池では釣りをしないでください」。なんという名前だろうか。信仰心のない私でも山の神を冠する池で立ち小便をするのは流石に気が引けた。道を戻る。もう限界が近く、考える余裕もない。諦念が私を支配した。自らの限界、ただそればかりのためにどんな平行世界においても便所存在しないような場所を私は尿で汚すのだと、敗北感を感じつつ、間近の立ち小便に都合のいい場所を探して歩くうち、左手に蔦で上方が覆われたプレハブが現れ、「公衆」の文字が目に入った。慌ててその文字の続きを追うと、蔦で部分的に隠れているけれども確かにトイレ」の文字が続いていた。降って湧いたような都合のいい便所に驚いたが、ありがたく使うことにした。入り口のドアには窓がついており中は真暗だ。スライドドアを開き、中をスマートフォンライトで照らすが照明のスイッチは見つからない。もしや時間帯によっては電気がつかないのだろうかと不安を感じるも、これ以上我慢できないので闇の中でも済ませるつもりで足を進めるとカチとスイッチの入る音がし、灯りがついた。人感センサーがついていたようだ。無事に用を足した。非常な安堵を感じ、軽快な気分でホテルへと帰った。

 風呂に入るなどしつつ明日のことを考えた。出来れば龍王神社を改めて太陽の下で見たい。しかしすでに四時近くになっている。明日のチェックアウトは十一時までで、今から寝るとなるとぎりぎりまで眠ることになるだろう。午後のバイトを考えると十二時頃には瀬田を出なくてはならず、一時間で往復するのは不可能なので恐らくは無理だろうと諦め半分で床に就いた。

 翌朝九時過ぎに目が覚めた。まだ眠気はあり、もう一寝入りしようとするも寝付けない。それならばということで、龍王神社を見に行くことにした。

 日の光の下では龍王神社はありふれた田舎神社だった。あの幽玄さを湛えていた石灯籠は改めて見れば妙に小綺麗でそれ故安っぽさを感じさせるもので、大粒の玉砂利に思えた敷石は粒が大きめのバラスに過ぎなかった。しかし歩き心地さえ違って感じるのは不思議だ。昨日は沈み込むようにさえ感じたのが今や普通の砂利道と変わらない。あれだけ長く感じた参道も晴天の下では容易に見渡すことのできる程度のものだった。再び拝殿とその脇の社を拝み、木立を抜けて池の岸へ出る。昨日は闇に融けていた向こう岸も、今や明らかに見え、昨日よりもずっと小さな池に見える。しかし僅かに波打ちつつ光を反射する湖面は凡庸ではあれど清々しく、美しくはあった。

(*1 実際には朧月は春の月に対してのみ言うらしい。)

2020-08-19

anond:20200819181728

自治会に入らないとゴミ出しさせないよとか騒音おばさんがいるけど何もしてくれないとか自治会イベントが多くて月一くらいあるとか会合に出席しないと自治会八分にされちゃうとか

知らずにそういう地域に越しちゃう死ぬよね

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