はてなキーワード: 汚名とは
えー、こちら、最初のnoteがバズってから何となく眺めている程度の野次馬一号です。原作は好きだけど二次には触れていない、界隈外腐。
noteがトレパクという盗作疑惑をふっかけられた場合の対処法として120点満点の名文だったという理由で興味を深め、未だに経緯を追い掛けています。なるべく丸く収まって関係者全員の傷が浅いといいねと思って頭の隅っこにしかなくなった頃に、お祓い炎上が目に入ってきて、思い出して検索したら、わぁ燃え広がってるしえっぐい増田が目立つやん…と幾つかを斜め読みした結果、多少毛色の違う増田も投稿しといてやんよとお気持ち投稿をしにきました。
当事者のKさんAさんZさんではなく、本来無関係な大勢にまつわる話です。
ちなみに私の個人的主観で名文であったからといって羅列された情報の正確性に関しては何ら保証されないのだし、少なくとも双方から話を聞かなければ当事者間で起きた出来事の客観的判断は不可能だと思っています。
更には名文と褒めそやしながらも読んだ内容を完全に記憶してなどまったくいないので、noteの内容で誤情報を流したらすみません。私の記憶力は当てにならないので怪しい部分はご本人様の発信分で確認してください。
①以前から当人たちを見ていなかったような、人柄を知らない界隈外の奴に何が分かるって言うの?
③noteをバズらせなければ良かったじゃん
④デマ?でもパクってるよ
⑤トレスはしてなかったとしても絵柄を盗んでる
⑥でもnote自体出さなきゃ、ここまで界隈が外からまで騒がれてないのに
⑦どっちの肩も持たないって言いながら一方の話を鵜呑みにして騙されてるよ
⑧Aさんの説明責任って何、疲れてる人に責任を問うて頑張らせるなんて無神経
⑨神前で人の不幸を願ったり、Kさんは人格に問題があるんだから
⑩まとめ
①以前から当人たちを見ていなかったような、人柄を知らない界隈外の奴に何が分かるって言うの?
平素の振る舞いや作品で積み重ねた好感度ないしヘイトは、今回の問題とは無関係です。良い悪いの基準はさておき、良い人であれば道を誤らないわけではなく、悪い人なら必ず問題を起こすわけではありません。
むしろ知らないから今回の件に絞っての客観的な印象を抱けるのではないでしょうか。
もしも「界隈内の者でなければ分からない事情や感覚を判断に用いているので、外の者と意見が異なって当然」と考えているのであれば、それは極めて狭い社会の中でしか通用しない、一般感覚と乖離したルールに縛られている証ではないかと思います。どこかで、界隈の空気やローカルルールを俯瞰して客観性を取り戻す気付きを得られれば良いですねとしか言いようがありません。
だから私みたいなのが乱入してんだろと言われればそこはその通りですが、根本的な原因の追求としては誤りです。
前提として、トレパク即ち盗作とは著作権の侵害であり、親告罪なので、権利者と侵害者または侵害疑惑のある者との間でしか成立しません。本人同士の問題です。
盗用でも相手が海賊版を製作販売している業者であったなら買わないようにと広く呼びかけるのは真っ当な対策ですが、個人同士が、しかも趣味の範疇で活動しているのであれば、当事者間のみで片をつけるべきだったのではないでしょうか。
最初に無関係な外野を呼び込んだのは、不特定多数に向け「助けて」と発言して問題が起きていると知らせた上で救援を望んだ、つまり事態への参入を求めたのは、誰でしょうか。しかも救援とは、具体策やその時点で考えている解決へ向けた道筋等を添えていなかったのではありませんか。救助を要請したは良いが方針も度合いも示さない、加えて不特定多数に発信した以上、事態が発言者にすら制御不能の状態になるのは当然ではありませんか?
③noteをバズらせなければ良かったじゃん
バズったのは結果です。これバズらせたろ!で万バズ狙うのは難易度が高すぎます。
そもそもなぜKさんがnoteを出したのか。不特定多数の前で疑惑をかけられたから、不特定多数に向けて弁明を発信せざるを得なかったのですよね。
ネットで先にデマ(あえてデマと表現する理由は後述)を流されると、後からの反論は極めて難しい。○○って××なんだって〜、と誤った豆知識等がバズった時、間違いですよと大勢が発信しても、一度流れたデマはなかなか取り消せません。間違った知識を覚えたままの人がいつまでも残り続けます。
人々の頭に一旦入ったデマの払拭は、デマ以上の拡散力がなければ成しえません。狙った万バズではなかったにせよ、今回、後出しにあたる反論の方が広く拡散されたのは良い事例だったと、私個人は思います。
拡散による界隈の評判云々は、外野から言わせてもらえば、「どこの界隈にも変な人がいてやべー問題が起きることはあるよね」でしかないので、「これだから○○(CP名)は」なんて別に言いません。所詮どこででも起こりうるので作品やCPの民度は言及に値しないし、一部がおかしければ全員がおかしいなんてわけはない。そう思わない人も当然いるでしょうけどね。
④デマ?でもパクってるよ
検証および告発を行った人が冤罪だったと言っているのですから、盗作ではなかったとの結論が出ています。私は絵に造詣が深くないため絵の検証には何の感想も出しませんが、その結論が現時点で誰からでも確認可能な事実情報です。
どちらの肩を持つ気もありませんが、盗作疑惑に関しては冤罪被害が確定しているのでKさんを被害者として扱います。
⑤トレスはしてなかったとしても絵柄を盗んでる
絵柄を多少模倣したところで何の罪にも問われません。著名なクリエイターだって先人からの模倣や影響を取り込んで創作している、と私は認識しています。
影響度合いにもよるだろと言われれば、他ジャンル、一例として松の二次作品群を確認してきてみてはいかがですかと返答します。Kさんと手本にしたとされる方の絵とは見比べていないので知りませんが、私が調べていないのは模倣であれば検証の必要性を感じないからです。
民事ですら問題にならないので、個人の好き嫌いとお気持ちの範疇です。そしてお気持ちを理由に罪なき他人を攻撃するのは、それこそ不当な行いだと思います。
⑥でもnote自体出さなきゃ、ここまで界隈が外からまで騒がれてないのに
デマをふっかけられた被害者は、自身の名誉のため声を上げるとと公共の福祉に反するので、泣き寝入りしろと?
あなたの大切な人が同じ立場に立たされても、「かわいそう。でも界隈のためにパクラーの汚名と人々の軽蔑を甘受して沈黙しててね」と理不尽さの追い討ちをかけるのでしょうか。無茶言うな。
第一、note公開のDMが偽造でない限り、Aさんが公表の許可を出していたと記憶しています。当事者同士が同意のもとで行ったのに結果から見て一方のみのアクションを非難はできません。noteを出したのが悪いのなら、それを認めたのも等しく悪いということになります。
⑦どっちの肩も持たないって言いながら一方の話を鵜呑みにして騙されてるよ
もう一方の話を聞こうにも現在は不可能です。両方の話を聞かなければわからないにも関わらず、片方からしか情報が出てきていないので、話半分で聞いてもその半分が情報全体を占めているのが現状です。
繰り返しますが、発端は著作権の侵害が焦点で、当事者間だけの問題でした。
しかしAさんは不特定多数の人たちに問題の発生を知らせました。告知したのならば、その後のことも知らせるのが筋ではないのでしょうか。
リアルでも、相談と称した愚痴だけ聞かせて、付き合わせた相手をその後は放置する人、いますよね…。報告がないとだらしない人だなとの印象を持ちます。私にとって相談と報告とは必ずワンセットであり、仕事であれプライベートであれ、何かしら尋ねたりアドバイスを求めたり、第三者に助力をもらえば必ず結果ないし経過の報告をします。
ですから私の感覚としてAさんは「助けて」以降は問題に関する説明責任を負っていると思っています。
今後、Aさんから説明と信頼性の高い証拠が提示され、それがKさんのnoteの内容を覆すものだった場合、当たり前ですが私は掌クルーしますよ。
⑧Aさんの説明責任って何、疲れてる人に責任を問うて頑張らせるなんて無神経
疲れていらっしゃる方に無理を要求はしませんが、最初に事態を公にしたのがAさんである以上、Aさんが始めた物語です。ならば今少しご自分で収束への道程を進められれば良いのではと思っています。
いつ、何があって、どうして問題が生じたのか。いかにすれば解決すると考えているか。そのために相手方に何を求め、自分はどうして行くのか。周りの人にはどうして欲しいのか。
これらをKさんは全て表明しました。トレパクについて被害者であった側が明晰に説明し、説明責任を担う側からは説明が出てきていません。これでどうやって両方の主張を等しく吟味しろと言うのでしょうか。
あのDMからでは読み取れなかった侮辱や嘘とは何だったのか、時系列に不審な点があった(Aさんが検証画像を送られたタイミングに辻褄が合わない)のと、話し合いによる手打ちを済ませて後はAさんが説明しますとの報告から行動が一転した展開には、特に首を傾げていますので、説明があれば知りたいなぁとは。Kさんの出したDM画像が捏造や切り取りだったとか、和解したとはKさんの虚言だった等の実情がAさんから発信されれば、両者の主張乖離で改めて見方を変えるでしょう。
Aさん側の主観を知りたくはありますが、しかしながらAさんが私を含めた人々にまで説明責任があるとは思っていません。私のような後から湧いた外野の好奇心に対して責任を取れとは言っていません。私が言っているのは「助けて」を受信した人たちや、Aさんが問題を公にしたことによって心を痛めている界隈の人たちに対してです。
⑨神前で人の不幸を願ったり、Kさんは人格に問題があるんだから
お祓いのことを指しているのであれば、不幸を願ったというのは誤情報です。
私の記憶では、悪縁を断って良縁を願う、なお強力な神様なので願いの仕方を間違えないよう気を付けた上でお祓いを依頼した、だったと思います。そもそも一人で手を合わせたのではなくて神主さんによるご祈祷なら、不幸を願う祈祷なんて絶対に受けてくれる筈はありません。神社に風評被害はマジでやめて差し上げて。
お祓いはさておき、仮に人格に問題があったとしたら、それが一体何なのでしょう。性格が悪い人に対しては個人攻撃をして構わないとでもお考えでしょうか。悪事を非難するならまだしも、"性格が悪い人"と"悪事を働いた人"では全くの別物ですよ。
クリエイターが盗作をしたなら問題ですが、盗作疑惑は晴れましたよね。「トレパクです」が「冤罪でした」になって100%解決しているのに、なぜそれで話が終わらなかったのでしょう。
始めは盗作疑惑があったから。それが覆ると、絵柄を模倣しているから?性格が悪いから?槍玉に上げる問題点が変化しているのはおかしくありませんか。最初から絵柄の模倣や人格を問えば良かったのに、そういう理由の後出し、後付けは駄目でしょう。
模倣では糾弾性が弱いので頭からは出さなかった、問題が広まっていない時点で性格への非難を行えばした側がおかしいのは一目瞭然なので後からの付け足しにした、のであればそれは最早、目的が個人攻撃であって理由は問わないとする暴挙です。
(なんだかなぁと、とあるニュースを思い出しました。法改正議論で同性間の婚姻に反対した議員さん方の言い分。うろ覚え甚だしいけど「子どもができない間柄での性行為は不適切」だとかいう内容の意見があったように憶えています。その理由で反対するのであれば子どもができない体質の人が結婚できないよう法改正に向けて動かなければ筋が通らないし、閉経後の女性は性行為を禁止されるべきだと考えているのだろうし、なんなら避妊の全否定なので避妊具の規制に言及しなければ辻褄が合わないのですが、そういった話は聞こえてきませんでした。好き嫌いの感情で判断を下したものに理屈を後付けするから破綻するのだと思っています。)
好き嫌いで判断した後から、嫌うと決めた一方への攻撃理由を見出していませんか?Kさんの非難に値する要素を、わざわざ探してしまっていませんか?Kさんの言動に触れようとする時、不明瞭な事実を知る一端を得ようとフラットな気持ちで向かうのではなく、嫌いなやつをもっと嫌いになれる要素を見出そうとする心情で赴くのであれば、とても不健全な行いです。
嫌いな人には悪いやつでいて欲しいのが人情なのでしょうし、悪いやつは殴っていいと信じている人は一定数いるかと思いますが、それは私刑です。
誰を好きになって誰を嫌おうが個人の自由ですが、問題とは分けましょうよ。ましてや好悪感情を非難の原動力に据えるのは間違いです。
「無実の人をパクラーに仕立て上げそうになったのだから、AさんとZさんは良くないことをした。でもやらかしたことの尻拭いをしてから前に進めると良いですね」、「それはそれとしてKさんのことは嫌いです」、「Kさんの性格が悪いのを非難したいです」。これらは紐付いているようでいて実は全て別の話なのですが、一つずつを切り離せていますか?Kさんの性格が悪ければ冤罪を被せた過ちに正当性が生じますか?
人ではなく、その人がした行為の一つずつに焦点を当て、それを自分にとって好ましい人あるいは嫌いな人がしていたらどう感じるかと考えてみれば、いくらかは好悪フィルターを外して行為そのものを注視しやすくなるのではないでしょうか。好ましい人がやっても気にならないがあの人がやっているから腹立たしい、というのであれば、客観性を欠いているのが分かりやすいかと思います。
もし冤罪をかけられたのがAさんであったなら、noteの作者がAさんであったなら、あなたが今Kさんに向けているものをAさんに向けましたか?
⑩まとめ
・そもそも無関係な人々を巻き込む道を選んだのはAさんだったという事実の認識は持っていますか
・経緯開示や証拠提示が片方からしか出てこない歪さへの疑問を持たないのですか
・盗作疑惑問題については加害者と被害者が明確にされたのに、最初の加害と被害の存在を放念して次の問題を探そうとしてはいませんか
・好悪感情と事態の問題点を分けて考えなければ客観性を著しく欠きます
目に余ったのがKさんやKさん側に立った人への、反対の立場の人たちの言葉の数々だったので、今回はそれらへ向けて書きました。当然ですが誰は対してでも人格攻撃はダメゼッタイなので、KさんのみならずAさんやZさんへの中傷も等しくダメです。
元々の当事者たちの外で既に被害が出ているようです。これ以上被害が広く深くならないうちに可能な限り穏やかな収束を見られると良いですね。
二次元関係のコンテンツで幾度となく繰り返されてきた炎上ネタに、トレパクは確実に含まれるだろう。
ここでいうトレパクというのはpixivの解説の中にあるような、
を指している。
このトレパクだが、少なくとも日本のネット界隈では非常に忌み嫌われている。
その悪印象たるや、一度でも発覚すれば、恐らく一生言われ続ける汚名になりかねない。
というか発覚後に、絵を描く系のクリエイターとして食っていくことはほぼ不可能。
多分、世間一般や芸能界での不祥事に置き換えたら、不倫に近いレベルだと思う。
しかし残念ながら、トレパクは今に至るまで根絶していないどころか、定期的に散見される。
過去に何度も炎上事件が起きている時点で、知らないはずはないのだが、一体どういうことなんだと首を傾げてしまう。
何しろこれだけデジタル技術が発達した昨今なら、こんなのすぐバレるわけで。
それこそ「フリーハンドで模写したくらいじゃ、絶対にあり得ない一致」とか、たちまち露見してしまう。
しかも有名になればなるほどトレスを検証される可能性は上がるのだから、長期的に見れば自分で自分の首を絞めているのに。
でも無くならないのは、やっぱ自己顕示欲ドリブンの行き着く結果?
実際、悪質性が高いケースになればなるほど、当事者がまともに謝罪しているのを見たことがないので、プライド高すぎて謝ったら死ぬ病に罹るくらいには自己顕示欲旺盛と感じてしまうし。
そして絵描きさんの名誉のためにも、こんなことを疑問に持ちたくはないのだが、もしかして現状トレパクって、相当カジュアルに横行していたりする?
もちろん
「そんなわけねーじゃん」
という答えを期待したいが。
Wikipediaで真珠湾攻撃の記事を読むと、昔の日本人は無能だったことが分かります。
失敗は他人のせいにして、誰も責任を取らない姿勢は今も昔も変わりがないでしょうか?とても残念です。
https://anond.hatelabo.jp/20220319102718
「リメンバー・パールハーバー」というのは単に「真珠湾を思い出せ」というだけの意味ではなく、人類史上最悪の戦争犯罪である原爆投下を正当化するための合言葉なんだよな。これもまた「犬笛」なんだよ。だから日本人は怒ってるわけ。
東郷から駐米大使の野村吉三郎宛に、パープル暗号により暗号化された電報「昭和16年12月6日東郷大臣発野村大使宛公電第九〇一号」は、現地時間12月6日午前中に大使館に届けられた。
「帝国政府ノ対米通牒覚書」は現地時間午後2時20分に特命全権大使の来栖三郎と大使の野村吉三郎より、国務省において国務長官のコーデル・ハルに手交された。
宣戦布告の通知書を相手国に届けるのが遅れてしまい、結果的に奇襲攻撃になってしまいました。
事前に宣戦布告ができなかったので、日本はただの卑怯者になりました。
一事が万事。計画が杜撰だったので最初から失敗。日本が負けるべくして負けた戦争でした。
肝心なところで失敗するのは、やはり頭が悪いからという他ありません。大変残念なことです。
1994年11月20日に外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開した。
この調査などに基づく通説では、6日夜に大使館員が南アメリカへ転勤する寺崎英成の送別会をメイフラワー・ホテルの中国料理店で行っていたこと、奥村が送別会後も大使館に戻って浄書を行わず知人の家にトランプをしに行っていたこと、奥村の英訳親書の浄書・タイプが遅れたこと、14分割目に「大至急」の指示が付されておらず「帝国政府ノ対米通牒覚書」[257]本文の続きであることがわからなかったことなどが原因であるとされている。(この外務省調査は本来行うべき外務省からの発信時刻を調査対象から外しており、その点に大野は疑念を呈している。)
このような大使館のミスによる失態であるとの通説に対して、奥村とともに責任を問われることがある大使館総括参事官の井口貞夫は生前に「自分の管掌事務ではなく、この対米通告が宣戦布告だとは承知していなかった」と主張していた。
またその息子である井口武夫元ニュージーランド大使も、彼自身の調査研究の結果として外務省本省が負うべき落度を現地大使館に責任転嫁しているとして、奥村書記官を含めて大使館側に失態はなかったと主張している。
真珠湾攻撃の2日後の12月9日には、ポートランドのオレゴニアン紙で、アラモの戦いでのスローガン「Remember the Alamo!(アラモを忘れるな)」を改題した「REMEMBER PEARL HARBOR!(真珠湾を忘れるな)」とのフレーズが早くも登場している。
ルーズベルトが汚名演説で、日本の行為を「恥知らずな蛮行」や「背信行為」と激しく非難するなど、アメリカ政府が真珠湾攻撃を「だまし討ち」と喧伝することによってアメリカ国民の愛国心はさらに高まることとなり、「REMEMBER PEARL HARBOR!」というフレーズはたちまちアメリカ全土を席巻する国民的スローガンとなった。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、アメリカの議会で「真珠湾攻撃を思い出せ」と訴えています。
日本人は、過去の失敗から教訓を得て、同じ失敗を繰り返さないよう賢明になるしかありません。
しかし、アメリカが広島と長崎に原爆を落として、大量の非戦闘員を殺したのは戦争犯罪です。
「REMEMBER PEARL HARBOR!」は「REMEMBER HIROSHIMA!」「REMEMBER NAGASAKI!」とセットで覚えておくべきです。
アメリカが日本に原爆を使ったのは戦争犯罪であるのと同様に、ロシアがウクライナに原爆を使うのは戦争犯罪なのでやめるべきだとゼレンスキーは日本の国会で主張するべきでしょう。
日本の国会における演説では、日本人向けに「核兵器の使用は戦争犯罪である」「核兵器を所持する者、核兵器を使用する者は人類の敵である」と明確に主張してください。
(一応フェイクいれたけど気づいてもだまっててほしい)
推し絵師さんは以前から、いく人か美人の創作キャラをつくっていた。
最近、キャラ同士の会話(関係性)をちょこちょこ考えたから、有識者、外国語に翻訳してくれ(無償で)とおっしゃっていた。
お答えしたいのはやまやまだが…。
そのキャラ外見にその話ぶりはナイ、ナイです。
たぶん外国人ファンは「名前のニュアンスもきれいだ。やはりキレイな顔のキャラは名前もキレイなんだな~」とかおもってるところですよ。
ひたすら耽美に「このバラのジャムを食べますか?A」「やなこった、宝石の搾り汁をもって出直してきたまえ、B」みたいな会話を感じ取って気がするんですよねぇ。
自分もそうだったし。
それが、絵師さんのあてたセリフは「○○だっぺ」だったわけですよ。
それを忠実にたとえばオーストラリア訛「グダイマイト!」とか黒人英語とかブードゥー語みたいなので訳したら
「キャラにあってない、キャラ崩壊、もっといい翻訳者を」とかなってたぶん汚名を着せられ炎上すると思う。
この泥臭さ、どうやっても言い訳できません…。
かといって全く泥臭くなく普通に訳するのも…。
===
いや、今やっぱやばいわとおもってみてきたけど、マシュマロもないから自然炎上をまつばかりだなあ。
韓国人にニダニダいわせたり中国人にアルヨいわせたり日本人にEngrishいわせたりするのってもはやいじりをこえて差別じゃん?
令和では、だけど。
だっぺってアリか?外国語になおすときそうとう差別感ひどくなりそうだけど?
しなければだれもが沈黙を守ったな、ってことで。
===
そういえば神楽ちゃんはなんでアリなんだろ うすっぺらな中国人ギャルとおもったら夜兎設定でしたって説明がのちにでてくるからだろうな
いやでも兄貴と父親アルアルいってないのはなじんだからなのか…
でも元ネタの絵師さんの場合、訛の元ネタ分布地域のばらつきが大きすぎてどこでそんな日本語習ったんだ、民話系日本映画でも見まくったのかって感じ
FF5をSFC時代から長年遊んでいた人なら異論はないであろう、最弱ジョブ候補の一つ。
なぜならピクセルリマスターでアビリティ『踊る』、とりわけ『剣の舞』が大幅強化されたからだ。
盾も鎧も装備出来る魔法剣士等と違い、赤魔道士は他の魔道士系と同様の軽装備しか出来ない。
これでは前列で運用しようものならすぐ寝転がされるのがオチだ。
極めて中途半端なステータスのため、赤魔道士でしか出来ない仕事が何もなかったのだ。
赤魔道士でも装備可能な後列武器もなくはないが、フレイルは序盤だけ、モーニングスターも悪くはないが本当に悪くはない程度。
「ゴブリンパンチ」なら「青魔道士+格闘」や「忍者+青魔法」の方が優れている。
「ジャンプ」は槍が装備出来ず、等倍でいいならシーフや忍者で良い。
「竪琴装備」は素早さと魔力が上がるが、魔道士系が使う方が色々と相性が良い。
「弓矢装備」は力と素早さが補えるが、赤魔道士である意義が薄い。
「鞭装備(特にファイアビュート)」は力の荷重値もあり赤魔道士と相性が良いが、確率発動なので不安定。
ただ鞭でシバくだけなら手数の出せる忍者やシーフ、魔力の高い吟遊詩人の方が向いている。
ならいっそ「盾装備」や「鎧装備」で前衛に…とやっても体力の低さはどうしようもないし、力が低いのでやはり戦士未満の火力しか出ない。
せめて「盾装備」「鎧装備」に力や体力補正さえあれば…と悔やまれるばかりである。
ピクセルリマスターにおいて踊り子のアビリティ『踊る』が大幅な強化を受けた。
もちろん本家踊り子も体力値全ジョブ最低という前衛に置けない致命的な弱点を持っていたのでこちらも大幅強化なのだが、
赤魔道士と「踊る」の噛み合わせが本当に信じられないくらい良くなったのである。
「ラミアのティアラ」は「剣の舞」の発動率を上げてくれる頭装備で、戦士系は装備不可、魔道士系のみ装備可能な魔法帽子だ。
赤魔道士は魔道士系で最も高い力を誇る上に、攻撃力の高い剣まで装備出来る。
後述の「格闘踊り子」程ではないが、それでもメインアタッカーに匹敵する火力を出す事が可能。
(第二世界中盤Lv25、グレートソードティアラ力だすきパワーリスト剣の舞で平均2400程度)
SFC時代から「剣の舞」を本職踊り子並に上手に扱えるジョブが赤魔道士なのだ。
踊り子も赤魔道士も物理アタッカーとしてのポテンシャルを秘めているのに、防御力も体力も低く耐久力がペラッペラなジョブであった。
後列でも火力が出せる隊列無視攻撃に恵まれた事はそれだけで安定感を大きく上げてくれる。
また「ふたりのジルバ」によるドレイン効果があるおかげで多少の被弾なら意に介さず継戦可能となっている。
体力の低さをフォロー可能な、まさに『死ななきゃ安い』の体現である。
「踊る」で発動する「剣の舞」は力と攻撃力依存だが、不発の際に出る「ふたりのジルバ」「ミステリーワルツ」は魔力依存である。
これらは基本攻撃力が高くないとは言え、やはり威力が高いに越した事はない。
また後述のルーンブレイドのポテンシャルを最も引き出せるのも赤魔道士の魔力あってこそ。
微力ながらHPを削れる「ふたりのジルバ」はまだしも、MPをドレインする「ミステリーワルツ」は減ってもいないMPが虚しく回復するだけ。
ところが赤魔道士のMPには『道中の回復係』という立派な使い道がある。
戦闘の合間合間に使ったMPをミステリーワルツで補充出来るのだ。
これによりケアルラもレイズも実質無制限、多少魔力が低くとも移動中なら問題なく全回復出来る。
試走時にはアビリティ「召喚Lv3」を付けて回復力を上げる工夫もしてみたが、
そんな工夫が馬鹿馬鹿しくなる程度にはミステリーワルツの回復量は高い。
「剣の舞」発動が運に左右されるだけに、『何が出ても当たり』という安心感は赤魔道士ならでは。
「サイレス」「ミニマム」「コンフュ」「ポイズン」「トード」と実に豊富で、中でも「スリプル」は群を抜いて強力である。
なぜならFF5の状態異常「睡眠」はシリーズでも屈指の凶悪さだからだ。
第二世界はもちろん、第三世界であっても雑魚が睡眠耐性を持たないなんてザラだしなんならボスにすら効く。
そんな強力な魔法「スリプル」が赤魔道士なら普通に使えてしまうのだ。
無力化して「盗む」等のサポートももちろんだが、そのまま踊り続けても普通に強い。
「ふたりのジルバ」「ミステリーワルツ」は睡眠を解除しないし、「剣の舞」なら大打撃。
ちなみに「いやしの杖」に持ち替えるとタダで回復が出来るが、その状態で「剣の舞」が出てもなんと「いやしの杖」は睡眠を解除しない!(「たたかう」では解除されるので注意)
「ふたりのジルバ」が出続けるような、よほどの不運でもなければ実質無限MP回復まで狙えるのだ。
とことん「踊る」と「白黒魔」は相性が良い。
力と魔力の合計値を火力に加える、第三世界飛空艇入手直後から使えるルーンブレイド。(スティングレイというレアモンスターからレア盗みなので手間はかかるが、その価値は非常に高い)
SFC時代から弱い武器ではなかったのだが魔法剣不可・攻撃時MP消費・魔力が低いと火力が活かしにくい、とどうにも扱いにくさばかり目立っていた。
そんなルーンブレイド装備可能者で力と魔力の合計値が最も高いのが何を隠そう赤魔道士なのだ。
四倍撃の「剣の舞」は相性抜群で、おまけに対象の防御力を1/4で計算する特殊な計算式までついている。
第三世界の高防御な相手に刺さりまくる上に、あのオメガにさえ『例えレベル1でも』ダメージを通す事が可能となっている。
おかげで下手な物理アタッカーよりも大ダメージが期待出来る。(Lv40、ティアラ黒のローブ剣の舞で平均7200程度)
乱れ打ちにも防御無視効果があるが、こちらはランダム攻撃な上に習得もかなりの手間。
MPを4回分きっちり消費するためルーンブレイドとの相性も最悪。
ちなみに同時期に入手可能なエンハンスソードと比較すると低乱数ではルーンブレイドに勝るが、高乱数では倍近いダメージ差が出る。
赤魔道士ならMP消費を気にしなくて良い点で見てもルーンブレイド一択。
『踊る赤魔道士』に必要なアビリティ「踊る」習得までの累計ABPは75ほど。
土のクリスタル入手直後から踊り子を使っていけば飛竜の谷辺りで習得可能。
ちょうどバル城で拾えるグレートソード(疾風の弓矢やツインランサーといった強武器入手時期と被るので周回プレイでは余りがち)や
ねじり鉢巻、力だすき、パワーリストの力が上がる通称ケルブ三点セットが使える時期に第二世界の装備が完成する。
しばらく変動がなくエクスデス城~ピラミッド辺りが辛いが、第三世界で飛空艇入手すると直後に取得可能なルーンブレイド、黒のローブ、エルメスの靴で装備が完成する。
ルーンブレイド盗みとエルメスの靴がちょっと割高だが見合った見返りが得られ、最後まで暴力的火力で無双出来る。
装備の入れ替えが少なく、これといった稼ぎも封印武器も次元の狭間のレアアイテム取得も必要としない手軽さは踊る赤魔道士の魅力の一つだ。
本家踊り手である『踊り子+格闘』との比較だが、単純な火力面では格闘踊り子が圧倒している。
「カイザーナックル」が使えドーピングも容易、カンストしても両手で19998という天井の高さ。
しかし踊る赤魔道士なら『「ミステリーワルツ」も当たり踊り』と『「踊る」以外も色々出来る』という2つのメリットを持っている。
特に後者はアンデットだけで編成された敵パーティでその真価を発揮する。
良くも悪くも「踊る」しか出来ない格闘踊り子は「後列たたかう」か逆ドレイン覚悟で「踊る」しかない。
スリプルを筆頭とした状態異常が豊富に撒けるし、属性ロッド装備からラ系魔法も使える。
赤魔道士が指を咥えて見てるだけ、という状況の方が少ない。
筆者が試走したところ、第二世界から使い始めた赤魔道士ガラフがジョブマスターしたのはイストリーの滝攻略中であった。
ピラミッド攻略が最も辛い時期でここだけはジョブチェンジしたが(ちょうどカルナックに寄れるので炎のロッド折り乱発でも良かった)、
残りは全て赤魔道士で突破、雑魚も快適に全狩りした結果である。
「連続魔」取得後は召喚士→時魔道士→黒魔道士と渡り歩き、白魔法はマジックポットで取得。
特に稼ぎをしなくともラスボス戦に『ものまね師+連続魔+召喚Lv5+時空Lv6』が余裕で間に合う。(おまけに黒魔法&白魔法も)
次元城辺りから強化シルドラやバハムート一発では倒せない雑魚が増えるので、この時期に連続魔が使える意義は非常に大きい。
また踊る赤魔道士があまりにも強いのでクルルが連続魔取得した後はレナに踊る赤魔道士を引き継がせた。
二人目におかわりしたくなる程度には踊る赤魔道士は強力な戦法なのだ。
雑魚狩りの安定感は言い換えれば「逃げる必要がない」という事である。
赤魔道士はブレイブブレイドを装備出来ないので直接関係はないが、ピラミッド攻略前からラグナロクに匹敵する火力のブレイブブレイドを使えるメリットは小さくない。
同時期に狩人を育てていればちょうどピラミッド辺りで「乱れ打ち」が取得出来るので、『ナイト+乱れ打ち+ブレイブブレイド』といつもと一味違ったプレイが楽しめる。
一方魔道士系は魔法一つ一つが選択肢なので、最適解を見つける楽しみが戦士系よりも大きい。
中でも踊る赤魔道士は「踊る」だけでなく「攻撃魔法」「状態異常」「回復」「装備入れ替え」と特に選択肢が豊富だ。
ターン開始時の一時停止がないピクリマFF5で操作の忙しさはデメリットでもあるが、それは「選ぶ楽しさ」「操作する楽しさ」「最適解を模索する楽しさ」「最適解を実行出来たカタルシス」でもある。
選べる手札の多さは「ゲームの楽しさ」だ。
私が日本で中共のサブカル規制を見た最初のニュースは子供のゲーム時間規制だった。
未成年の「ゲームは1日1時間」+「金土日だけ」=「週3時間」 揺れる中国、その影響は?
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2109/11/news030.html
一斉に規制が始まる予感が過った。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/news/articles/2109/11/news030.html より
中国人の開発系の人に聞いても居たが、実際中国の開発会社では「影響は小さい」と思っているところが多いらしい。岩崎さんの話もわかるけど、地下に隠れてインディーズゲームが作られたりとかするんじゃないの?
中国当局、2021年7月から新作ゲームを1本も承認せず。約1万4000もの関連企業が登記抹消
https://japanese.engadget.com/china-ame-regulator-not-approved-new-titles-040053815.html
未成年は世界が少数のおとなと大多数の未成年で出来ていると思ってるけど、実際は逆だからな。未成年がどうなろうと、世界に大きな影響はない。
“未成年がどうなろうと〜”から文化一つなくなるレベルまで早かったね。
こんな最悪な歴史でも繰り返すんだなって。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
近年では香港の事もあり、己の声の無力さも身に染みてるけど。
それでも私は声を上げ続けようと思う。
とりあえずこのサブカル規制ぶり、真剣に言うけど、漫画やアニメやVTuberが規制されるのも時間の問題だと思う。
ゲームがなくなったら余計そっちのコミュニティに流れるだろうし。
中共の事だから、明日言い出されて数日で全部終了しても何もおかしくない。
執着しても良いことはないと思うので、中国を市場と見る企業は早く見限って他国の市場を開拓した方が経済的にも精神的にも名声的にも良いと思う。
よく犯罪報道で犯人が(刑法39条に該当し得る)精神障害者なのが判明したのかいきなりぱったりされなくなるのあるけど
順番が逆じゃないのか?と思う。
一瞬でも実名報道されたわけだよ。
あとから「この人は罪に問えない人なんです無罪なんです」と言われたところで人々の頭にある、その名前を持つ人に対する悪印象はなくなると思うだろうか。
一瞬でも犯罪者として実名報道されたことにより人々に刷り込まれた汚名はそうそう消えないと思う。
「職業不詳」とかに象徴されるように、報道機関はとりあえず犯罪の事実があれば詳細が分かる前にどんどん発表しちゃうんだよね。
実は昔でいう禁治産者レベルの心神喪失者だろうが職業の詳細の判明すら待ってくれないのだからそういった素性の特定も当然待ってくれるはずがない。
でも最低でも精神鑑定が終わるまで待ってるのはさすがにきりがないと報道機関側は思うんだろうけど、ならせめて成年被後見人であるかとかの書類で照会できる程度の事実が判明するまでは報道を控えるべきじゃないのかと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/pinhu_haha/status/1329940299372658689
いつもの様に「あるあるw 弱い男って拗らせてて厄介だよねw」ってノリで盛り上がってるけど、「弱者(男性)」ってバチっと定義されてるの? それを僕が共有してないだけ? 「弱者(男性)」って別に「非モテで軟弱なインセル気質のオタクくん」とは限らんやん? インターネット的な文脈に毒され過ぎというか、他人を信頼し過ぎじゃない?
みんな勝手にそうだと読み取って無邪気に乗っかってるけど、もしこのピンフスキーの母が「障害者」「イジメ被害者」「外国人労働者・留学生」を指してこう言ってたら、バチバチの差別に加担した事になるよね?(※) そういう可能性って考えへん? どっちかっつったら「弱者」ってそっちを指す単語でしょ?
これは「男女を置き換えたら?」「踏んだのが虫じゃなくて人間だったら?」みたいなミラーリング的な当て擦りですら無い。「お前の足の下に実際に人間がいるかも知れない」という話。
ましてや、ピンフスキーとか名乗っとる相手なわけやん。この名前だけで、雑なネット論客をあげつらうためにハシゴ外して来るとか、なんならそのつもりで罠はってるとか、そういう露悪チョケ野郎の可能性くらいは疑えるでしょ。お前が踏み殺した虫を、後出しで人間に変化させて人殺しの汚名を着せてくる悪意の魔法使いだって可能性を疑える名前なんよ。(僕が共有してない文脈で、この人にそんな可能性は無いって事であれば、それはごめんなさい)
差別とか社会問題とかいう超センシティブな問題に、まあクソ雑に放言して悦に入って終わるのなんか僕も含めたコメンテーター気取りのインターネットクソ野郎の基本動作なわけだけど、それにしてもこの程度の慎重さくらいは持って欲しい。持って欲しいなあ。僕もまあ色々気を付けますんで。
(※)もちろん、障碍者じゃなくて健常インセルならセーフという話でも無いんだけど。これはそれ以前の、いわゆる「可哀想ランキング」の話ですらなくて、「おまえら可哀想ランキングすら読めないんだ?」という話。
これは僕が悪いんだけど、タイトルの付け方が雑でした。はてなブックマークにはタイトルしか読んで無いのにまるで内容全部分かったみたいなノリで頓珍漢コメント付けるワイドショーコメンテーター未満の邪悪が無数にいると知っていながら、詰めが甘かったです。正直無駄だろうなと思いつつ、一応タイトル変えました。ちょっと前に釣りタイトルにエラソー言ったばっかりだし。
上の本文には普通に書いてるし、読んだ人には伝わってると思う(伝わってたらいいなあ)けど。奇しくもタイトルだけ見たクソブコメが言う様に、弱者男性などという属性は定義困難なんですよ。
『だから』気持ちよく蹴っ飛ばすその前に、中身を確認しませんか? 何故なら、元の発言者とお前との間で「弱者男性」の定義が摺り合わさって無い可能性が高いからです。その中身、もしかしたらあなたの大事なものかも知れませんよ?
って書いたつもりだったんだけど。自信なくなるわ。
『公助は削って、福祉は家族による相互扶助を基本とする』に対して、そんなことしたら社会が貧困化するよという主張が感想レベルだからダメですかそうですか。そもそも自助や互助で貧困は防ぎきれず、その貧困への対策が共助、公助なわけなんだけども。こんなことは常識の範疇と思っていたよ。
この自助・共助・公助という3分論は、自民党の綱領(平成22(2010)年)で政策の基本的な考え方として採用されている。「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する」とある。菅氏の発言は自民党員として、党の綱領に忠実であったともいえる。また、社会保障制度改革推進法の第2条には、「社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。一 自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。」とあり、法律の文言にもなっている。
総理大臣になった菅氏が、この社会像としての3分論を具体的な政策の中でどのように生かしていくのかは分からないが、これまで、介護保険制度の創設と運用にかかわり、自助・互助・共助・公助という4分論を唱えてきた筆者としては、共助の主体に地域とともに家族が含まれていることと、地域以外に共助の主体が想定されていないことに若干のコメントをしておきたい。
われわれは、人生の途中で、老化に伴う日常生活上の困難や思いがけない病気、事故、災害など、さまざまなリスクに直面する。このように何か問題が生じて解決を迫られたときに、まず、本人が自助努力で対処する。しかし、それでは無理なときは、本人の身近にいる家族・友人・隣人などが手を差し伸べる。これがインフォーマルな支援、すなわち互助である。自助と互助ではカバーしきれない場合にはシステム化された地域・職域の自治組織が支援する(共助)。この共助システムではなお解決しえない場合に行政が支援する(公助)。この4分論も、いわゆる補完性の原則に基づく社会形成の考え方であるが、自助と共助の間に互助を考え、共助としては地域以外にも社会保険を想定している。
個人が直面するリスクを、その本人の自助努力だけで克服せよというのは無理な話で、社会は、何らかの形で共同してリスクを分担する仕組みを備えていなければならない。自助から出発するにしても、自助の次に互助を想定せず、家族の支えを「共助」に包摂してしまうと、例えば、いつまでたっても家族を老親介護の責任から解放できないのではないか。家族は大事だが、それに頼りすぎては家族が参ってしまう。
互助は、自発性とゆとりと思いやりに基づく支え合い活動であって、その活動範囲も支援能力も限定的である。それは、家族・友人・隣人が無償で行う支援活動であるからである。しかし、自助のすぐそばに、この互助が息づいていることが自助の励みになるのである。老いて心身が弱っても、自分の生活に関することは自分で判断し、できるだけ自分で行おうとする個人の自助努力を尊重し励まし支援する、それが互助の意義である。自然災害のときにも、真っ先に頼りになるのは自助と互助の結びつきである。新型コロナ禍の困難の中でも自助に寄り添う家族・友人・隣人の親身な支援こそが大事である。
わが国にはシステム化された地域の自治組織として、自治会・町内会があり、近年は地域運営組織が台頭し、これらは市区町村行政と相互関係をもって活動している。この地域が共助の主体として期待されている。ただし、同じ共助のなかに、リスクを共有するもの同士で助け合う社会保険制度が存在し、国と自治体の行政(公助)が関わっているから、共助の主体は地域だけではない。共助システムである医療や介護の社会保険制度は、経費の約半分を国と自治体の公費(租税)で賄っているし、介護保険では保険者を市区町村にしているから、この共助システムは共助と公助の混合型といえる。それだけに、公費負担をしている国から、システム運用を通ずる効率化圧力が絶えず加えられる結果、公助から共助へ、共助から自助へとリスク負担を逆流させようとする動きが出てきやすい。要注意である。
共助、公助の成り立ちと役割については、このリンク先の厚生労働省白書に良くまとまっている。https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-01.pdf
(工業化に伴う人々の労働者化により、血縁や地縁の機能は希薄化した)
産業資本主義の社会では、企業が潰れたり、解雇されれば失業してしまい、また、けがや病気などで働けなくなった場合、労働者は所得を得られなくなる。その一方で、労働者が血縁や地縁の関係から一定程度独立した結果、それら血縁や地縁で結ばれた人間関係を基礎とする支え合いの機能は、近代以前の社会と比べて希薄化しているため、個人にとって、生活が立ちゆかなくなってしまうリスクは大きなものとなる面があった。また、産業資本主義の社会では、労働力の商品化の結果、モノやサービスの生産が「使用者-労働者」の関係を軸に展開するようになる。近代以前の社会と異なり、労働者は自己の労働力以外に機械や原材料などの生産手段を持たない。生産手段は使用者(資本)によって所有され、労働者はそれを借用しながら自己の労働力を提供する。この関係の下では、自ずと労使の力の差が生じる。使用者に比べて力の弱い労働者は、低賃金、長時間労働という劣悪な労働条件を強いられ、解雇のリスクにさらされるようになる。過酷で貧困な生活を送る労働者は増え、労働問題が大きな社会問題になっていった。労働者たちは、同業者の間で相互扶助的組織を設けるなどして生活上のリスクに対応してきたが、これらの組織に加入できたのは、経済的に多少の余裕のある熟練労働者などに限られ、多数の非熟練労働者などは、それらの組織に加入することができなかった。
(近代的な社会保障制度の創設はドイツから始まり、欧州各国に広がっていった)
近代的な社会保障制度が世界で最初に創設されたのは、大陸ヨーロッパのドイツであった。ドイツでは、19世紀終盤に、帝国宰相の地位にあったビスマルク(Otto von
Bismarck, 1815-98)により、法律上の制度として世界で始めての社会保険制度(疾病保険法(1883年)、労災保険法(1884年)、老齢・障害保険法(1889年))が制定された*3。社会保険制度は、事業主の負担と併せて被保険者(労働者等)自ら保険料を負担(拠出)することにより給付の権利を獲得するという関係があるため市場整合的であるとして、多くの工業国で社会保障の手法として第一義的に選好される傾向が強いものとなっていった。そして社会保険による給付は、市場経済的な権利関係の裏付けを欠くために、社会の負担、あるいは自助能力を欠く者との差別や偏見から逃れられず、受給にスティグマ(汚名)が伴っていた恩恵的・救済的福祉の給付とは異なっていた*4。また、あらかじめ生活リスクに備える点で、それまでヨーロッパ各国で主流であった事後的な「救貧」施策から事前の「防貧」施策への第一歩を踏み出した点でも大きく評価された。
(略)
(社会保障は、個人の生活上のリスクに社会的に対応する仕組みとして求められるようになり、産業資本主義の社会と国民国家の発展を支えていった)
このように、産業資本主義が発展する中で、血縁、地縁がそれまで果たしてきた人々の生活を保障する機能は限定的なものとなっていった。それらの機能を代替するため、傷病、老齢、失業などのリスクに公助又は共助という形で社会的に対応する仕組みが必要となり、現在に通じるような社会保障制度が求められるようになったといえる。
そして、社会保障が血縁や地縁の機能を代替*8することにより、人々は経済活動に注力することができるようになったという意味で、社会保障は産業資本主義の社会、国民国家の発展を支えていったともいえる。
(世界恐慌から第二次世界大戦までの間に、戦後社会保障の構想が練られていった)
1929年には、アメリカのニューヨーク証券取引所での株価の大暴落をきっかけに世界恐慌が発生した。その影響は大変大きなもので、1930年代には各国で多くの企業が倒産し、街は大量の失業者で溢れ、社会不安はますます増大した。
(略)
ケインズの理論によって完全雇用に近づければ、失業給付を激減させ、なお残る失業者に手厚い給付ができ、また、社会保障によって全国民に最低限度の生活を保障すれば、有効需要が増え、さらに失業者が減る。このように、ベヴァリッジとケインズの考えは互いに補強しあう関係にあった。これは「ケインズ・ベヴァリッジ主義(体制)」、「福祉国家の合意」などと呼ばれる。その後、ベヴァリッジは、第2次世界大戦中の1942年に、いわゆるベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)を英国政府に提出し、「ゆりかごから墓場まで(Fromthe Cradle to the Grave)」のスローガンの下、新しい生活保障の体系*10を打ち立てた。このベヴァリッジ報告の影響を大きく受け、第二次世界大戦後には世界の多くの資本主義諸国で、経済の安定成長と完全雇用*11、国民福祉の充実を目指す「福祉国家」の潮流が広がっていった*12。
(戦後、どの先進諸国にとっても社会保障は不可欠なものになった)
(1970年代―オイルショック後の経済成長の鈍化等により、社会保障・福祉国家批判は大きな潮流になった)
(1980年代―新自由主義的な政策が採用され、社会保障・福祉国家の「見直し」が行われた)
(新自由主義的な政策は、経済のグローバル化の趨勢とも親和的だった)
(社会保障・福祉国家の「見直し」がもたらした弊害は大きなものだった)
(当初の「見直し」という目的が実際に達成されたかについても、見方は分かれる)
(1990年代以降、社会保障の重要性が再認識され、過去に指摘された問題点に応える努力をしながら、社会保障・福祉国家を再編成する時期に入っている)
(今日では、社会保障は様々な機能を持っており、私たちの経済社会に欠かせない重要な仕組みである)
今日では社会保障は、個人の視点からみれば、傷病、失業、高齢など自活するための前提が損なわれたときに生活の安定を図り、安心をもたらすことを目的とした「社会的セーフティネット(社会的安全装置)」という機能を果たしている。また、それを社会全体としてみれば、所得を個人や世帯の間で移転させることにより貧富の格差を縮小したり、低所得者の生活の安定を図る「所得再分配」や、「自立した個人」の力のみでは対応できない事態に社会全体で備える「リスク分散」という機能を果たしているといえる。
さらに社会保障は、必ずしも恵まれない人たちにも社会の一員としての帰属意識を共有してもらうことで社会的な統合を促進させる。また、消費性向が高い低所得の人たちに所得移転し購買力を高めることで個人消費を促進したり、医療、介護、保育などの社会保障関連産業における雇用の創出を通じて経済成長にも寄与する。こうした「社会の安定及び経済の安定と成長」といった機能も果たしている*20。
このように、社会保障は私たちの経済社会にとって欠かせない重要な仕組みとなっている。だからこそ、支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能な制度を構築していくか、若年者等の失業問題や社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度を機能させていくべきか、経済のグローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性を要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要な政策課題となっている。
社会は貧困化するの件が感想でしかないので、感想に対する反論などありません残念でした
人生に遅いということはないよ
以下は小山田圭吾さんの辞任騒動をきっかけに、SNSの問題やマスコミの姿勢についての疑問、虐めの本質とは何かを私なりの視点で考えた物です。
本来はTwitterで呟くつもりでしたが、かなりの長文となってしまいましたので、こちらで書く事にしました。
基本私はTwitterであまり呟く事はないのですが、ファンである小山田さんの擁護をきっかけに今回の炎上の渦中に入りました。
そんな私のツイートにリプして来た人の殆どが汚い言葉を使い、怒りの感情をぶつけて来ました。私はそれを〝攻撃〟と呼び、ミュートやブロック等でスルーしましたが、冷静に対話出来ると感じた人とは出来る限りやり取りしていました。
そうしたリプの中に、障害者と直接接触する機会がなかったのか、TVドラマによくある表現に影響されたのか、「障害者は純粋である」とか、障害者はとにかく「被害者となる対象(弱く可哀想な人)だから優しくしろ」と思い込んでる人が多い印象を受けました。「障害者が小山田の音楽を聴く訳がない」と言う人もいました。
しかしそれこそが私は差別的だと常々思っていて、それを今回の辞任騒動で再認識しました。
障害者の中にはして貰って当たり前の態度の人もいれば、席を譲る等の声かけに強く拒む人もいるし、嘘をつく人もいます。多様な人格や価値観があるのは健常者と一緒です。
(その点ではQJを見る限り、小山田さんは障害者である沢田さんを事細かに観察し、〝探究心〟で接しています。先入観なく人を知ろうとする姿勢そのものは、虐めはともかく差別はしていないと思います。)
それを想像せずに叩いて来るのは〝正義感〟ではなく〝傲慢〟であり、自己中心的な価値観の〝押し付け〟でしかありません。
そもそもSNSにおいて、なぜただの擁護者までも攻撃するのでしょう。それはまるで、殺人犯の家族まで同罪のように扱うのと同じ事です。
いえ、元々そう言う思考を持っている人達が攻撃しているのかもしれませんが。
攻撃は問答無用で人を傷付ける事ができます。その武器が言葉なら、傷が目に見えない分だけどこまでも攻撃でき、相手が死のうとする迄のダメージを与えていても気付かないのです。その行為こそが「虐め」そのものなのに。
誰かを虐める理由のひとつとして、相手と同じ立場に立った時の想像力が欠けている〝経験の浅さ〟があると思います。それだけなら大抵は躾や注意で改善されるでしょう。
それが駄目なら実際にその立場に立った時にしか気付けないかもしれません。
他には承認欲求が満たされないストレスがその行為に繋がっていると見られるパターン。
劣等感は内に向く人と外に向く人とがいて、内に向く人は自分に自信がなく自分を責めて病む。外に向くと他人を見下したり攻撃的になりやすく、虐めに発展しやすくなる。
劣等感の元は無意識下にあるので、罪悪感が伴わないのではないでしょうか。
最近になって本当にケアが必要なのは虐める側だと言われていますが、そこに本質があると思います。無意識にストレスが存在したままの人は、今回のような出来事がスイッチとなり、ヒステリーを起こすのでしょう。
虐められる側には理由がなく、仮にあったとしても虐めていい理由にはなりません。だから世間は虐めを許さないと言う。学校や会社と言う限られた世界でそうならば、今回の件は異常なまでの規模での虐めです。
しかも真実の検証も本人の説明の時間もない完全に不利な状況で始まっているのです。
それをマスコミはこのまましれっと終わらせようとしている空気になっていますが、私自身は謝罪しない限り許す気はありません。何が出来る訳でもありませんが。
煽られた攻撃者は個人なので、私が何かを要求する義理はく、真実が世に出た時は黙っていればそれでいいと思っています。ただ、最初に誤情報を拡散した人は別ですが。
ここまでで私が言っている事は虐めを容認している訳ではないと解るはずですが、そうでない人は読解力が足りないと言っておきます。
どんな場合でも相手を理解しようとする姿勢で対話しなければ、お互いの考えや価値観を知る事はできません。その上で解り合えなかったとしても、認め合う事はできます。
いきなり断罪しては真実も何もあったものじゃ無い。まだ「真実」には辿り着いていないのだから。
現時点で検証しているのは擁護側(しかも個人)だけで、本来は攻撃側もしなければなりません。QJ全文を読んだけど印象は変わらなかったと言う人がいますが、それは検証ではなく文字通り〝印象〟で留まっているだけに過ぎません。
しかし、双方が検証をしてもやはりまだ〝検証〟の段階でしかなく、何割が、どこが嘘か真実かは
それら全てが揃って始めて〝真実〟と呼べるのではないでしょうか。
こういう事を書くと「汚名を晴らしたいなら本人が会見すればいいじゃないか」等とよく言われましたが、普通に考えればパラリンピックが終了しないとタイミングとして難しいと思います。
オリンピックは終了したと言っても今回の発端が〝障害者を虐めた〟である以上、パラリンピックではより過敏にならざるを得ず、水を差す事になりますから。
私はまずそこまでは待ちたいと思っています。
会見が行われた場合、雑誌社からの証拠の提出やライター本人の釈明がなければ、小山田さんの発言が全てとなります。
そして世に出た情報が嘘であった場合には、彼がこれまでと同じ活動が行えるようになるレベルでの、マスコミやコメンテーターの謝罪を含まなければ終了にはなりません。
逆に、証拠が全て揃わなければ言い訳としか取らない人がいる事は容易に想像できますが、その場合は雑誌社を追及するのが正しい姿勢です。
会見がなかったなら、被害者とされる人が虐められたと思っていたとしても、謝罪文を出していれば本来は〝社会的〟には終了する話であり、これ以上叩く必要はありません。
本人に謝らなければ意味がないと言うならば、謝罪文には〝本人に連絡を取り直接謝罪したい〟と書いてあります。連絡が取れて受け入れられなかったとしても、後は当事者同士の話であり、外野が口を出す事ではありません。会えなかったとしても同じです。
本人に連絡を取っても傷口を広げるだけだと言う人もいますが、それも当事者の問題です。何故なら
その点について言及する人を少なくとも私は見た事がありません。攻撃者が常に小山田さんが〝許されない〟事を前提で話しているのには疑問が残ります。
また、この件について同じ経験のある人を刺激したという声もありますが、それは小山田さんだけが悪いのでしょうか?
確認しておかなかったJOC、沈黙したままの当の雑誌社、問題になったブログ、検証なく報道したマスコミ、間に受けて拡散・コメントしたタレントや識者、それに煽られた一般人。
無闇に人の目に入るような形にしたのは決して小山田さんだけのせいではありません。その点は責任転嫁ではないかと思っています。
本来マスコミは、検証、取材、時代背景、あらゆる面からひとつの物事を捉えてからでないと報道するべきではありません。憶測がひとり歩きするような今回の事態は普通ならあり得ないのです。エンタメ的な雑誌やワイドショーならともかく、公的なニュースを慎重に考察した上で伝えるはずの新聞や報道番組でさえ、エンタメ化しているようにしか私には見えませんでした。
しかも著名な識者までもが感情的にコメントしていた事には愕然としました。連続殺人事件のような大きな事件ですら、冷静にコメントしているのにです。
国民の半数が反対していた五輪だったからなのか、コロナ禍でのストレスが噴き出したからなのか、とにかくどこでも爆発的に感情が横行していた事に唖然としました。
敢えてTwitterの炎上に飛び込みましたが、その異常さを目の当たりにして、文字にここまでの殺傷能力がある事に恐怖を感じました。
木村花さんの出来事が遠い昔でも無いのに、こんなにも簡単に忘れてしまうのかと。
また内容の是非はともかく、その後に起こったメンタリストのDaiGoさんや、アーティストの大森靖子さんの騒動は、ご本人の口から出た確実な証言です。
それを考えると、小山田さんの場合は本来、ここまでのバッシングを受ける物であったのだろうかと違和感を覚えます。
ここまで書いて、ただの擁護という印象を持たれる方もいるかもしれませんが、一度冷静に考えて欲しいのです。「小山田」と言う主語を、貴方の敬愛する誰かに当て嵌めて。
そしてそれを守る為にその時、自分はどうするべきなのかを〝想像〟してみて下さい。
傷つける人、傷つく人が一人でも減る事を祈って。