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2021-04-10

北支事變と陸戦法規

外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56

北支事變と陸戦法規

篠田治策

 明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる海戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府公文にも新聞紙報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵上海出兵満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである

 此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより

<四七>

宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である二十三日は我が陸軍部隊上海附近上陸を開始した日である。即ちハル長官現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府最初宣言したる事件不拡大の方針余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである

 我が國の國内法に於いては事變と戦争区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。

 即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要な気も、一旦戦争となれば戦場於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人

<四八>

対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場於いて事變と戦争区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反問題を生ずることは殆んど無いのである

 従来我が陸軍戦場於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者従軍せしめたのである日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。

東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法理想於いて欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般利益として祝す可き所なり。

又仏國の國際法学者ポールフォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。

此の戦役に於いて日本は敵の万國公法無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま

<四九>

ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用苦痛を醸すべき兵器使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。

日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別任務を以て米國派遣せられた法学博士男爵金子太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。

米國人は事實の真相調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用参謀部に於いて國際法専攻の学士協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法提唱日本政府の決心は露國は大國なり腕力於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す

<五〇>

る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争日本が國際法を破りしことあらば世界歴史汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エールハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。

 世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつ組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面事務従事したるも、亦國際公法適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)

 過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである

 唯だ、陸戦法規適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土性質である。假りに之れを中華民國

<五一>

領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力行使すべきか、又南京政府官吏は既に逃亡し、地方民衆自ら自治政権樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である

 宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合於いて北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政施行治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府領土となりし場合には、其の地域行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである

 日露戦役の際は戦闘地域性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍権力行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域活動したるも、其の権力講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。

 今回の北支事變に於いても、其の交戦地域領土性質曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参

<五二>

考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。

 従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後政治工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官禁止事項の外は自由裁量余地あるかは明かである

 陸戦法規の條項を北支事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである

 凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊安全作戦動作の便益を図るが為めに、無限権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊安全作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の

<五三>

軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限権力を以て此等の犯罪者厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部特に詳細なる規定を發布し、旅順海軍鎮守府別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。

 軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるもの死刑に處すると原則とすべきである

一、間諜を為し及び之れを幇助したる者

二、通信交通機關を破壊したる者

三、兵器弾薬其他の軍需物件を掠奪破壊したる者

四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者

<五四>

五、我が軍軍人故意に迷導したる者

六、一定軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)

七、軍隊飲料水を汚毒し、又軍用井戸水道破壊したる者

八、我が軍軍馬殺傷したる者

九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者

十、職場於いて死傷者病者の所持品を掠奪したる者

十一、彼我軍隊の遺棄したる兵器弾薬其他の軍需品を破壊し又横領したる者

 而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである

 帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支侵略して我が領土なすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民自治政権樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方一時的にもせよ事實上我軍の占領である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり永久に之れを占領するの意思無きが故に此

<五五>

占領は九國條約に牴觸するものに非ずと信ずる。

 我軍が一時的なりとも北支地方占領したる以上は、我軍は其の地方

2021-02-21

anond:20210221075542

温和なユニコーンさんが、助走をつけてファランクスを組む勢い・・・軍馬?あれ、ユニコーンさん、野生じゃなかったの・・・

2020-12-06

日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事) 1854-1980

https://anond.hatelabo.jp/20201219095651

出来事

1854 日米和親条約締結、下田函館開港

1856 日米修好通商条約締結

1859 函館横浜長崎開港

1860 横浜外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬

1867 大政奉還王政復古

1868 明治改元戊辰戦争開始

1869 戊辰戦争終了

1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬1898年まで)

1874 台湾出兵

1877 西南戦争開始~終了

1894 日清戦争開始

1895 日清戦争終了/馬匹調査会設置

1904 日露戦争開始/臨時馬制調査委員会設置

1905 日露戦争終了

 桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬中央競馬ルーツ

 馬政第一計画の制定(第一期:1906年1923年、第二期:1924年1935年

 帝室御賞典(横浜)創設(当初の名称皇帝陛下御賞盃)

1906 内閣総理大臣直轄の機関として馬政局が設置される

 帝室御賞典(東京)創設

1907 小岩井農場種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する

1908 馬券発売の禁止馬券禁止時代の始まり

1909 ウラジオストックにおいて日露競馬会が行われる

1910 韓国併合

 馬政局陸軍省外局となる

 改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬ルーツ

 主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限1928年まで)

 帝室御賞典(阪神)創設

1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)

1912 大正改元

 宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票実施される(事実上馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部実施するようになる

1914 第一次世界大戦開始

1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵1922年まで)

1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年1924年は春のみ。1925年1937年は秋のみ)

 帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)

1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止

 帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設

1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念

1926 昭和改元

 下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する

1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)

1931 満州事変

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する

1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する

1934 中山大障害創設

1936 二・二六事件

 旧競馬改正

 馬政局再設置/馬政第二次計画実施1945年まで)

 各地の競馬倶楽部統合し、日本競馬会発足

1937 日中戦争開始

 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回から春秋共に3200mで施行ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)

 連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止

 ヒサトモ牝馬として初の東京優駿制覇

1938 軍馬資源保護法制

 菊花賞京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬オークス)(阪神優駿牝馬)創設

 ヒサトモ牝馬として初の天皇賞(帝室御賞典)制覇

1939 皐月賞横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)

1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成

1943 クリフジクラシック三冠(変則)を達成

1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬能力検定競走として施行される(戦前競馬はこの年限りで終了)

1945 太平洋戦争日中戦争終了/日本占領/馬政局廃止

1946 競馬再開/地方競馬法制

1947 天皇賞再開(この年春は「平和賞」の名称施行

1948 新競馬法制定。日本競馬解散国営競馬時代の開始

 2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる

1949 朝日杯3歳ステークス1991年から牡馬及び騸馬(せん馬限定レースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設

 阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定レースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設

1951 中央競馬における重勝馬券の発売(1961年廃止

 トキノミノルが無敗で二冠を達成

1952 日本独立占領時代の終了)

1954 高度経済成長の開始(1973年まで)

 日本中央競馬会(略称1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)

 啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬表彰することを始める(1972年から優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初年度代表馬ハクリヨウ(ハクリョウ))

1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁相互実施協定を締結する(国際交流の始まり

 東京大賞典(秋の鞍)創設

1958 ハクチカラ戦後日本調教馬として、初めて海外遠征する

1956 有馬記念中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)

1962 日本中央競馬会が優駿誌上でフリーハンデ公表

1963 中央競馬において8枠制が導入される

 メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される

1964 東京オリンピック。東海道新幹線開業

 シンザン戦後初のクラシック三冠を達成

1965 シンザン天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)

 シンザンが2年連続年度代表馬に選出される

1967 栗東トレーニングセンター開場

1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

1969 競走馬輸入自由化

1970 大阪万博

 スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される

 競馬ブックより「合同フリーハンデ」が発表される

1971 ニクソン・ショック

 地方競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

 貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策実施されたことにより、持込馬有馬記念を除く八大競走への出走権を失う

 トウメイ天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される

1972 沖縄返還

 地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止

1973 第1次オイルショック高度経済成長の終了)

 ハイセイコー中央競馬移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年有馬記念2着(勝馬タニノチカラ)を最後引退

1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止最初指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ最後指定馬は1991年セントライト記念におけるレオダーバン

1977 テンポイント有馬記念トウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス

1978 美浦トレーニングセンター開場

2019-08-20

俳句番組増田見たよ他見出す真美軍馬食いは(回文

おはようございます

こないだテレビチャンネルを回しながらいろいろ見ていたのよね、

俗に言うザッピング

さらに言うとチャンネルを回すという表現は今じゃ、

おまえはおまえは!って言われてチャンネル回す警察に取り締まわれそうなんだけど、

でもさ、

あれ本当にアナログガチャガチャ回す物理チャンネルが逆に今あったら面白いと思うのよね。

昔はそうだったらしいじゃない。

だって現にリモコン上下チャンネルが変わるボタンしか使わないじゃない、

あの上下ボタンじゃ情緒がないわよ情緒が。

あれも結局ぐるぐる回すって意味では回ってる訳だしさ。

話を戻すけど、

でねその時、

ホスト界の帝王なのか帝王界のホストなのか

それとも北銀河の界王なのか。

私は悟空界王拳元気玉を教えた界王様は凄いと思うのよ。

だってあれ要所要所でトドメの技で悟空が使うじゃない。

スーパーサイヤ人界王拳盛りってもはや反則よね。

スーパーカップ1.5倍ワカメ大盛りどころの比ではないわっ!

でもさ

きっと界王様はずっと色々な技の研究をなされてて、

理論では完成された技だったけどご自分では体現出来なくて

そんで悟空なら出来る!って具合でいろいろ伝授教えたんだと思うのよ。

から結構私は北銀河の界王様勉強家で研究熱心だったんじゃないかなとも思うの。

まあ真相は分からないけどさ。

何の話しだっけ?

うそう、

何界の帝王栄養ドリンク界のユンケル黄帝液なのか

私はよく分からないって話しだったわね。

でそんときたまたま見た番組

ローランド俳句やるってよ」ってのをやってて、

最初何のことだかよく分からなかったんだけど

元ネタの桐島から桐島ローランドさらローランド

もう原型が分からないほどのクオリティー。

そんな俳句番組があって面白かったわよ。

漫画パタリロの作者さんの漢字がソラで書けないように

魔界の夜の覇者的な、

とりあえず「魔」は入ってそうな名前

うそ生姜みたいな名前ってそれは姜尚中さん!

調べたら魔夜峰央さん、

そう書くのねって自分史上初めて手で書いてみたわ、

魔夜マックス!感その迫り来る漫画から青赤メガネをかけなくても飛び出そうな

ローランドさんの画力しかりだけどあまりに歯が白すぎて、

もう金グリルしてるラッパーの白版!みたいな。

街のみんなが考えて投函してくれた俳句を詠むのが全然入ってこないのよね。

結局すっごい歯の白い人!って印象しかなく、

私もしっかり歯磨きしなくっちゃ!って

全然俳句関係ないじゃないって

きっとローランドさんは歯科衛生週間で一山きそうな気がするわ!

でもさ

せっかくだからちょっとでも俳句のことをと思って、

季語辞典全五巻を引っ張り出してきたのよね!

四季なのに全五巻?っておかしいと思ったでしょ?

一巻まるまる新年季語のことをぶっこんでる巻があるのよ、

新年で一巻の尺を使うとかお正月にかける情熱って凄いわよね。

私はその情熱歯磨きにかけるわ。

でもあれひょっとして白グリルかもしれない、

だとしたらちょっとガッカリ

リンゴ囓れるのかしら?って思っちゃった。

うふふ。


今日朝ご飯

おにぎり買ってきたので

明太子おにぎりよ!

久しぶりのそう言うおにぎりは美味しく感じるわ。

海苔パリパリ気合い入ってるし

イタリアで食べてもパリパリね!

シャンゼリゼを思い出すわ。

デトックスウォーター

輪切りキウイイチゴと白いドラゴンフルーツ

緑赤白ときゃわわな感じがいいと思います

涼しげな色を演出して夏を乗り過ごそう!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-05-14

anond:20180419100232

あの世界の競馬相撲みたいな物なのだろう

スポーツであると同時に神事、みたいな意味

だったら神楽で舞うみたいな要素はあってもよかろう

実際の歴史じゃ、日本競馬って最初軍馬育成の手段だったんだけどな(だから初期は陸軍省競馬の元締めだった)

2017-09-28

日本総街ぶら増田番組軍馬堕す間螺淵舞う損保に(回文

最近本当に街ぶら番組多いわよね

内田洋行クールファイブでお馴染みの

前川清さんですら街ぶらってたわ。

そんなんだから

いま日本全国どこでもロケしてるんじゃない?

というかさ、

こないだ私も見ちゃったのよ。

そんな街ぶらのロケ模様的なものを。

このみかんの花咲く丘公園駅前も

そうやって紹介されるのは嬉しいわね。

その後になんか追っかけか何かのファンというか

そういう人たちがずらっとついて行ってたわ。

の子そこのけそこのけお馬が通るって

大名行列のようよ。

でさ、

なんか和菓子屋さんがスゴい行列が出来てたの、

きっとみかん大福がお目当ての人たちなんだわ。

しばらくはその行列で賑わいそうよ。

普通に紹介される前から好きで買ってる人から見たら、

行列出来て買いにくくなっちゃうから

たまったもんじゃないけどね。

うふふ。


今日朝ご飯

ピザトースト、出来たてはチーズがとろとろで引っ張ったら伸びるの。

それがヤミーよ。

美味しいわ。

デトックスウォーター

この時期はやっぱり窓開けっぱなしは

もうちょっと寒いわ。

冷えてきたので、

早速ホッツ白湯ウォーラー昆布落とし。

ちょっとアレンジしてみました。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2014-07-27

統合リゾート(カジノ)は、妻子同伴で行動する欧米上流文化大前提

日本人イマイチ統合リゾート」が理解されないのは、例えばビジネスマン研究者などが海外出張する際に、

「妻や子供出張に同行する文化が全くない」からだと思う。

欧米では、例えば研究者他国の国際会議に参加する時などは、パートナー(妻、同棲相手。場合によっては同性)を連れて行く。

で、連れて来たパートナーは、会議後のレセプションパーティーに参加したりする。その為に連れて行く。

しかし、会議のものは、研究者しか参加出来ないし、パートナー会議の間は「ヒマ」。

からパートナーのヒマ潰しアイテムとして、アミューズメント施設、つまりカジノ必要になってくる

イギリス競馬場などは紳士淑女の社交場で、パートナー必須

一方日本競馬場は、オッサン一人。夫婦とかカップルほとんどいない。

日本人カジノと聞くと「日本のすさんだ競馬場」をイメージするが、世界的には「社交場」。

そもそもイメージ面でボタンの掛け違いが生じている。

東京外人向けの広いホテルが少ない」と言われる。

日本人感覚だと「出張とかで、そんなに広いホテル不要でしょ?」と感じる。

一方、欧米エグゼクティブは、出張にもパートナーを同行させる。

パートナーアメリカの自宅並みのスペースがある客室で、自宅同様のゆったりした「生活」を東京でも要求

ここでもイメージ面でボタンの掛け違い。

から統合リゾートカジノだけ作るのは片手落ちで、

「奥様向けのスパエステ」とか、「託児施設」なんかも必須な訳だが、そういう解説記事は見かけないなあ。

要は「ダボス会議みたいのを、ジャンジャン東京に誘致しましょう」な話で、カジノはその為の手法に過ぎない。

でも多くの日本人は、「ダボス会議って、何?」「ダボス会議を誘致する意味あるの?」レベル

から、その手段であるカジノも、短絡的に反対されてしまう。

からカジノ賛成派は「ダボス会議とは何ぞや」とか「欧米エグゼクティブ出張は、妻子同伴が当たり前」と言うレベルから

まずは説明をスタートさせなければならない

でも「ダボス会議とは何ぞや」とか「欧米エグゼクティブ出張は、妻子同伴が当たり前」と言うレベルから説明始めたら、

説明時間がいくらあっても足らない。説明を聞く側が我慢出来ない。

からカジノ賛成派」は世論工作に失敗する。

あと、変な話だが、日本では「エグゼクティブ高額所得者ほどギャンブル嫌い、ギャンブルをしなくなって」る。

そんなことじゃ、ギャンブル慣れした世界エグゼクティブと会話が合わせられるのか、心配

例えば日本グローバルエリートは、

英語は喋ることは出来ても、ポーカーとかブリッジが出来るんですか?」と言う話。

「向こうのグローバルエリートと一緒にポーカーブリッジが出来なきゃ、グローバルエリートコミュニティに入れないでしょ?」という話

から東大教養過程の授業に「ポーカー」とか「ブリッジ」を設けるべき。

バブル期社畜、もといエリートサラリーマンが、接待ゴルフ社会人人生をかけ、自腹でゴルフ練習場に通ったのと一緒。

グローバルエリートは自腹で「ブリッジ練習場」に通うようになるかも。

多分、日本欧米では競馬ルーツが違うんだろう。

ヨーロッパでは、貴族自分の馬を自慢する場が競馬場。だから上流階級の社交場になった。

一方、日本競馬場は、戦前軍馬育成目的戦後は国・自治体財政目的。そもそもが上流階級と無縁でスタートした。

コミュニティは、一旦「金持ちコミュニティ」になってしまうと、貧乏人は気後れして寄り付かなくなる。

欧米競馬場がこれに該当。

一方、一旦「貧乏人のコミュニティ、もとい、溜まり場」になってしまうと、

金持ちが気持ち悪がって寄り付かなくなる。日本競馬場がこれに該当

から日本カジノも「出だし」が重要

「出だし」で金持ちが沢山来るようになれば、自然と金持ち最適化された雰囲気になり、ますます金持ちが寄りつく。

「出だし」で貧乏人が沢山来てしまったら、貧乏最適化されてしまい、軌道修正は極めて困難になる

から統合リゾートカジノを「成功」させるには、「カジノ金持ちの社交場」と言うブランディングが肝心。

上品宣伝必要であり、間違ってもスポーツ新聞なんかに宣伝を載せてはいけない

日本版カジノ金持ち向けにブランディングさせたいなら、

金持ち志向」「専業主婦志向」「見栄っ張り志向」「お受験志向」が明白な「雑誌プレジデント」に企画記事載せればいい。

「お子さんにポーカーブリッジを教えないと、将来グローバルエリートコミュニティに参加出来ません」な記事。

まあ、「金融資産1億円以上じゃないと来場不可」「年収1000万円以上じゃないと来場不可」みたいな仕切りにすれば、

カジノ自然と金持ちサロンになるわな。

但し、メンバーセレクションしちゃって、売上高を達成できるか?

から、「小さく作って、大きく育てる」ことがカジノには必要

最初は来客数千人でも採算が合うレベル建物規模に止め、来客が急増したら追加建築する、と言うやり方が正解。

最初から大きな建物作ってしまい、客が来ないから、と大衆化させてしまったら失敗する。

2014-05-07

常識成立の時代背景を捉えよ

★今読んでる「帝国陸軍本質」という本が実に面白い

 旧陸軍は、現場東京無視して独断専行して進軍し、満州さら支那戦線拡大して、挙句自滅した。

 「帝国陸軍本質」の筆者は、その理由を明治初期の陸軍大学校教官メッケルの教育内容にある、と看破。

★メッケル教官は、明治陸軍士官タマゴたちに、

 「場合によっては、大本営の命令を待たず、独断で行動すべし」と教育した。

 その教育があって、帝国陸軍現場勝手に行動する軍隊になった。

 しかし、メッケルがそのように教育したのには、それなりの理由があった

★メッケルは19世紀半ばのプロイセン軍メソッド日本移入

 プロイセン軍は最強の軍隊で、ドイツは統一するし、フランスも破った。

 当時のプロイセン軍は、独断専行「だから」強かった。何故か?

★19世紀半ばは、まだ無線電信が発展してなかった。

 ⇒現場軍と大本営とは、軍馬とか伝書鳩とか、アナログ方式で命令を伝達するしかなかった。

 だから大本営の命令を待ってたりしたら、行動が大幅に遅れて致命傷になる。

 だからプロイセン軍現場判断で独断専行するようになった

帝国陸軍士官タマゴたちは、メッケルから独断専行するように」と教育されたとき

 「なぜ独断専行すべきなのか?」を深く考えなかった。

 考えていたら、無線電信技術が発達した20世紀の戦争で、独断専行無益有害であったことに気付いたハズ

★これで思い出した話が、草加市教室天井高論争。

 小学校教室天井高は、文部科学省省令で事細かに決められているのだが、

 草加市が(コスト削減のために)

 「省令より低い天井高にしたいと思います特に教育に支障はないと思いますが、いかがですか?」と

 文部科学省にお伺いを立てた。

★因みに、なぜ天井高の規定存在するか?と言えば、

 以前の薪ストーブ石炭ストーブ教室暖房行っていた時代の名残で

 「教室内の換気の関係」で、天井高を高く確保していたらしい。

 薪ストーブ石炭ストーブもない現代では、あまり意味のない規定

★そうすると文部科学省

 「天井高を高くすることで、教育効果がある」として

 草加市の申請を拒否した。

★「教育効果」という文部科学省の言い分に疑問を感じた草加市は、自ら実験実施

 天井が高い教室と、低い教室児童を入れ、それぞれ「どっちが学習やすいか?」を聞いてみた。

 ⇒結果は「天井が低い方が、心理的に落ち着く」という、文部科学省赤っ恥な結果になり、

 文部科学省草加市の申し出を認めざるを得なくなった、というオチ

・・・ことほどさように「常識の成立した時代背景を探らなきゃならない」という教訓

 
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