2021年05月30日の日記

2021-05-30

ジェンダー論に明け暮れてるのも平和ぼけで豊かだからなんでしょうね。本邦の凋落はまだまだこれから

anond:20210530235244

いいね淡々とした死の描写

はいつか死ぬ

それをことさらに平気な顔をする必要もなければ、

10年経っても乗り越えられないような悲劇にする必要もない。

そう考えると、死は果てしなく悲痛な出来事であると同時に、感動的でもある。生と同じくらいに。

メメントモリとは、そういうことだと思う。

お母様の後生の安らかなることと、あなたの魂への慰安を祈る。

anond:20210530223200

おぉ…それエロい

どこで見れんだろ

清純派アイドルグラビアとか?

リアルなんて言うなよ…

anond:20210530235341

知ってるシングルマザーの人はものすごくきれいな人で子供父親とはクラブ出会った踊るクラブじゃなくてお酒飲むクラブのほうって話でああそうだろうなあって何人もの人を納得させていた。

anond:20210530235341

勝手にどうしようもない男に引っかかってんだもんな

anond:20210325055342

アイドル競馬ソシャゲ擬人化

全ての要素が嫌い

客を楽しませるために奉仕してるだけの娯楽が嫌い

そこにハマったら負け

人権はてなが決める

findup テレワーク可能が多く「テレワークは最低限の人権」と言っているはてな民はそこそこ「上級国民」の集まり

はてなでどこかで勝手に最低限の人権ライン決めてたっけ?

何のために生まれ何をして喜ぶのか

自分とは何か

人生とは何か

幸せとは何か

生きるとは何か

俺は答えを持ち合わせていない

anond:20210528194702

あれを「目くじら立ててる」と解釈する程度の読解力なら成分表なんてあっても無意味だろ。

anond:20210530234931

修理に3万かかるとして、その設備が止まることの損失はそれとはまた別なんだよなぁ……

anond:20210527211544

ほんとにそうなら結婚相談所行ってるでしょうよ。

anond:20210530235157

フィクションと違って弱者ほど攻撃的で化け物じみてるってのがわかっちゃうよな

anond:20210530230102

他人人生勝手に始めるなっていう極めて行為と結果が結びついている話をしてるのに、ブラジルで蝶がはばたくとテキサス竜巻が起こるかもしれませんよみたいな話を延々とされてもな

シングルマザー

テレビ番組お金がなくて困ってるシングルマザー見ると、助けてあげたい、お金あげたい、って思うのに

実際知ってるシングルマザーの人には対しては、何故かお金なくても自業自得ギリギリ生活がんばれー

って思うの。

ギリギリ生活できるからいいじゃん、税金とか優遇されてるでしょ、って思う

母が亡くなった

初めて匿名日記を書く

まず、家族構成はこのようになっている。

母、父、僕、妹

母は去年の春にガンが見つかったときにはすでに末期だったらしい。

らしい、というのは、僕は実家から新幹線で3時間距離に住んでいる。

母の闘病を手伝えたのは最後の一ヶ月だけだった。

母のガンがみつかってからは、父と妹が母に付き添ってくれていた。

(妹は僕とくらべれば実家の近くに住んでいる)

母はとにかく明るく前向きで真っ直ぐな人だったため、闘病も最後最後、一切の治療ができなくなった時まで緩和ケアという選択はしなかった。

昨今の新型感染症の影響で、最後家族旅行に行くことができなかったのが悔やまれる。

(これに関しては抗がん剤治療で一気に体力がなくなってしまったため。行くなら抗がん剤治療を始める前のほうがよいのだろうな、というのが反省である

感染症の影響もあり、母の病気が見つかってからは、去年の夏と、最後の一ヶ月の二度しか会うことができなかった。

今年の春になって、母の容態がさらに悪くなったと連絡を受け、しばらく仕事を休んで実家に戻った。

母はガンが全身の骨に転移しており、顔の形が変わってしまっていた。

去年の夏から半年でここまで悪くなるのか、と悔しい気持ちでいっぱいになった。

この時、母はまともに食事がとれなくなっていた。

僕は気づかなかったが(どのくらいの食事量が正常が知らなかったため)、その異変を父が感じ取ってくれて、母を入院手続きするところまで実家で手伝いをした。

感染症の影響で、面会謝絶であったため、僕にできることは何も無くなった。

そして、母の容態も最後状態になり、母は退院して実家に戻ってくることになった。

退院後、母は9日間、家で過ごして、そして亡くなった。

最初の4日ほどはまだずいぶん元気で(完全なる寝たきりではあったが)、実家いたころの楽しみであったミステリドラマipadでのゲームなどを楽しんでいた。

最後の3日は、毎朝計測していた血圧がちょうど10ずつ下がり、最後の日は聴診器では血圧を測れなくなったため、脈拍を指で確認しながら血圧を測ってもらっていた。

母が息を引き取った時、僕は母の右手を、妹が母の左手をさすっていた。

当時の僕は、母が亡くなる日が今日だとは思っておらず、また連日の看護でまともに眠れていなかったため、正常な判断力もなかったように思う。

母が呼吸をしなくなったことを、看護師さんを家の外でまっていた父に伝え、妹と、ちょうど来ていた妹の子供達とみんなで母に別れを伝えた。

妹の夫(僕からみたら義弟)もありがたいことに駆けつけてくれた。

看護師さんが来て、担当のお医者さんを呼んでくれ、お医者さんがやってきて、死亡診断書を書いていただいた。

そしてまた来てくれた看護師さんが母の体を綺麗に拭いてくれた。

今回の経験で、最後を看取るための医療にかかわる方々には、ただただ尊敬の念を抱いたことを覚えている。

葬儀社に連絡し、母の体をドライアイス冷房で保たせるようにした。

葬儀は母が大好きだった花をいっぱい飾り付けしてくれるように手配した。

母が亡くなってから3日ほどは、僕はずっと泣いていたように思う。

3日目に、学生の頃の友達最後の別れをしてくれるように集まってもらい、20年ぶりに心の底からくだらなくて楽しい話をしたことで、僕の悲しみはだいぶ和らいだように思う。

母は葬儀の都合で一週間ほど家で過ごしたため、ご近所さんが相次いで挨拶にきてくれた。

通夜葬儀は母の兄弟の子どもたち(僕からみたら従兄弟にあたる)が、母の兄弟代理としてきてくれた。

母と父の若いからの友人(僕も子供のころに大変お世話になった)も来てくれた。

中年になった僕をみてすこしだけ不思議そうであった。

母を棺にいれてもらい、花で満たし、そして火葬場へ向かい荼毘に付してもらった。

最近火葬場は、骨を拾いやすいように火葬場の人が丁寧に並べてくれるんだなぁという発見もあった。

母が亡くなったことの届け出を大量にこなし、遺産整理金額は小さいがやることが細かくたくさんあった)をして、僕は自分生活に戻った。

もうすぐ四十九日と納骨だ。

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