はてなキーワード: 災害とは
ツイッターで未だに、『役立たずのキラキラ女や左翼を追い出して、使えるオタクエンジニアだけ残したイーロンすごーい!Xは素晴らしくなった』とか言ってる。
イーロンが来てコアエンジニアチームがごっそり抜けたりしている中でそういう話がバズりまくっていたのもおかしかった。
三月十一日トラフィック急増で日本の異変を察知して、サーバーを増やし続けてツイッターの情報網を支えてくれた古くからツイッターに居た日本人コアエンジニアも去ったが、そういうのはガン無視だった。
そういう情報を見ずとも、イーロンになってから短期間でツイッターの価値が暴落して、不安定になって、災害時もデマ発信機になり、ゾンビが跋扈しろくなことが起きていないのは使っていたらすぐ分かるだろうに、彼らにはそれが見えない。
何で目の前で起きてることがわからないんだろう。
10年後、無人運転車が一般化されると「野良無人運転車」が発生することが懸念される。
維持費用の負担が大きくなり、所有を継続することが困難になる。放棄されて野良無人運転車になる。
新居で駐車場の確保ができない、新しい環境に馴染めないなどの理由で、連れていくことができなくなる。放棄されて野良無人運転車になる。
結婚、出産、病気など、生活環境の変化に対応できなくなり、所有を続けることが難しくなり放棄されて野良無人運転車になる。
新しい無人運転車を購入したり、他のことに興味が移ったりして、以前のように愛情を注げなくなる。放棄されて野良無人運転車になる。
持ち主がのっていないのに、勝手に逃げてしまい野良無人運転車になる。
地震や台風などの災害によって飼い主と離れてしまい野良無人運転車になる。
持ち主が死亡したことに自動運転車が気づかずにそのまま走行を続ける。そのまま野良無人運転車になる。
毎日、渋谷駅に持ち主の帰りを出迎えにいき、持ち主の死去後も渋谷駅に通い続けて持ち主の帰りを待った野良無人運転車が忠無人運転車として知られるようになり、銅像が建てられる。
書くのが面倒なので省略。
浅井氏(現職)と近藤氏は共に新アリーナ建設に賛成。公明が現職を推し、自民が近藤氏を推したこともあり賛成票が割れた。
直前にあった衆院選で、与党への逆風が露見したのも影響したのかも知れない。
新アリーナは、建設(厳密には建設予定地にある建物の解体工事)が開始されており、長坂氏は「新アリーナの契約解除に向け速やかに手続きに入る」と発言したとのこと。
尚、豊橋市議会は与党会派が過半数を占めており、「ねじれ」の状態となる見込み。
長坂氏が所属していた会派「新しい豊橋」は、れいわ新選組の市議が代表を務め、日本共産党豊橋市議団も新アリーナには反対の立場を取る。
豊橋市に本社を構える 株式会社フェニックス が運営する男子プロバスケットボールリーグ「BJリーグ」の1チーム。
母体は豊川市に本社を置く 株式会社オーエスジー の男子バスケットボール部。
「三遠」が示す通り、愛知県豊橋市("三" 河)と静岡県湖西市・浜松市("遠" 州地域)を拠点としており、
2023-24年シーズンは、ホームゲームを豊橋総合体育館で26試合、浜松アリーナで6試合開催した。
シーズンの平均観客数は4000人を超えたとのこと。
BJリーグでは、2026年度から新リーグ体制に移行し、三遠はそのトップカテゴリ(プレミア)に所属する18チームの一つとしてライセンスが交付されている。
そのプレミアに所属する条件の一つに「5000人収容可能なホームアリーナ」があり、つまり三遠ネオフェニックスは、プレミア所属を「豊橋の新アリーナ完成と維持」に依存している。
(同じく拠点である浜松アリーナの改修計画は、浜松アリーナリニューアル構想(概要版) によると 2028年中頃から運用開始予定である。)
反対の理由は概ね3つに集約される。
1〜3 全てに反対の人も居るし、2 だけ、あるいは 1 と 3 の人もいるだろう。
長坂氏は、浅井氏市政開始後ほどなくして、1〜3 について積極的に自身のブログに投稿し続けた。
イーロンがツイッター買収してから、理不尽な凍結や金払えば解凍する謎の解凍屋が出てきて、インプレゾンビや災害時のデマが溢れ、投稿は全てAI学習に利用されるようになり、ブロックは貫通、去る絵師は増えて、広告収入は縮小、エックスの資産価値は買収から8割近く減少。
https://www.cnn.co.jp/tech/35224513.html
流石にイーロン買収当時に喜んで、リア充女社員たちが仕事ができるオタクおっさん社員になったぞ!と写真貼りまくってたイーロン信者はもう死んだだろと思っていたら、今さっき
『イーロン前のTwitter社
イーロン後のX社
イーロンの行政改革は、こういうことだよね。
寄生虫を追い出し、まともに働くすべてのひとが報われる社会に。
日本もこうしてほしい。』
と女社員たちとおっさん社員の写真をあげているツイートが流れてきて、アカウントを見たら無職40後半のおっさんで、いつも使ってるツイッターの現実すら見えねぇのか…そして40後半無職おっさんが実力云々寄生虫を追い出せとか語るのかってびっくりした。
Fact Check
Trump’s False Claims About the Federal Response to Hurricane Helene
The former president falsely accused the Biden administration of spending disaster funding on migrants, neglecting areas that had voted for Republicans and ignoring a call from a Republican governor.
訳:ファクトチェック
ハリケーン・ヘレンに対する連邦政府の対応に関するトランプ大統領の虚偽の主張
前大統領は、バイデン政権が災害対策資金を移民に使い、共和党に投票した地域を無視し、共和党知事の要請を無視したとして虚偽の非難をした。
https://www.nytimes.com/2024/10/04/us/politics/trump-helene-fema-fact-check.html
↓
FEMA Fires Employee for Telling Milton Relief Workers to Skip Houses With Trump Signs
The agency said it was investigating the incident in the aftermath of the Category 3 hurricane that hit Florida in October.
訳:FEMA、ミルトン救援隊員にトランプの看板のある家を避けるよう指示した職員を解雇
タイトルそのまんま、闇バイトで金持ちのジジババ共が強盗に押し入られてるのとか、
海外で分断極まって「対立候補応援してる奴は災害時でも助けない」レベルまで落ちてるの見てると最高に気分がいい。
一昨年安倍が射殺されたのも「金持ちの権力者でも撃たれたら死ぬんだ」って気分で内心祭りを楽しんでた。
普段アニメとかソシャゲのキャラでシコることしか考えてない連中が安倍が死んだ途端自分の親父でも死んだみたいに嘆き悲しんでるの爆笑してたよ。
30超えて家庭無し将来への希望無しの身分だからどんだけ世の中荒れても怖くもなんともないんだよな
ウクライナ戦争も核投下まで行ってほしいわ、どんどん世の中荒れて欲しい
人類が宗教や信仰について考え始めて以来、神の公平性と偏愛の問題は常に議論の的となってきました。
「神は侮辱しないけど、贔屓はあるよなって」というこの言葉は、多くの人々が密かに感じている、しかし口に出すのをためらう思いを端的に表現しています。
多くの宗教では、神は全知全能で公平無私であるとされています。すべての信者を平等に扱い、誰も差別せず、すべての祈りに耳を傾けるという考えは、信仰の根幹を成す重要な要素です。この考えは、人々に希望を与え、正義の観念を育むのに役立ってきました。
しかし、現実の世界を見渡すと、人々の間に不平等が存在し、ある人々は他の人々よりも恵まれているように見えることがあります。これは、以下のような形で現れることがあります:
これらの現象を目にすると、「神は一部の人々を贔屓しているのではないか」という疑問が生じるのも無理はありません。
しかし、この「贔屓」という感覚は、必ずしも神の不公平さを示すものではないかもしれません。むしろ、以下のような解釈も可能です:
1. 試練としての不平等:困難を乗り越えることで成長の機会を与えられている
2. 自由意志の結果:人間の選択の結果が不平等を生み出している
3. 大局的な視点:個人の人生を超えた、より大きな計画の一部である
4. 人間の理解の限界:神の意図を完全に理解することは人間には不可能である
「神は侮辱しないけど、贔屓はあるよなって」という言葉は、人間の視点から見た世界の不公平さと、神の公平性という理想の間の緊張関係を表現しています。この問いに対する答えは、個人の信仰や哲学観によって異なるでしょう。
重要なのは、この問いを通じて自分の信念を深く考え、他者の経験や視点を理解しようとする姿勢を持つことかもしれません。そして、たとえ「贔屓」があるように見えても、それぞれの人生に意味と価値があると信じ、自分にできることを精一杯行うことが、この難解な問いに対する一つの答えとなるのかもしれません。
岸田文雄って少子化対策に関して担当大臣と異なる理解をしていたり、防衛費の増額について財源を決めずに投げっぱなしにしたり、能登震災発災当日に国交大臣にも防衛大臣にも偶然良いタイミングで東京にいた被災地知事にも会わずに執務室に10時間以上篭ってたり、裏金問題への対応でなんら根回しや調整をせずに意味不明な対応を繰り返した結果世論どころか党内からも見放されて総裁選不出馬に追い込まれていたりしていて、政策への理解度も達成させるだけの覚悟もなければ災害対応もできないし不祥事にも対応できない、端的に言って酷い政治家で、支持率の低さがそれを表している。
ファンの言動を追っていくと、岸田文雄のあらゆる行動が深謀遠慮の末に導き出された最善手に見えているらしい。
思慮が無く、能力も低い政治家の、めちゃくちゃな行動が熟慮の上で行われてるように見えていて、本当の敵は別(岸田文雄の場合安倍派だったりマスコミだったり)にいると思ってるっぽいのが齋藤元彦のファン層とよく似ている。
にも関わらず、岸井文雄のファンは齋藤元彦のファンをバカにしたり怖がったりしている。
なかなか笑える。
今日という日、日本のインターネッツでは左右ともに国を憂う人々で溢れかえっている。
いや、これ自体が最近よく言われる「フィルターバブル」だの「エコーチェンバー」だの、言わば「目に見える情報・見たい情報しか手元にない」ことによる認知の歪みかもしれない。YouTube Liveに目をやれば、大手事務所から転生したVTuberのデビュー配信の同接が、その他あらゆる政治系その他の配信を凌駕している点からしてもそんな感じがする(個人的に事務所時代の彼女は推しの1人だったので複雑だが)。それに、そもそも「左右」の二元的視点で政治を見ることへの危険性だってある。
そういう話はともかくとしても、ここ最近は選挙の度に国を憂う、正確に言えば「対立する政治思想の候補者・それを支持する者の罵倒」でネットの海は溢れかえる。
でも、これも必然かもしれない。勝手に分析系記事を垂れ流している私のこのブログを含め、各個人がOwn Mediaを持つ現代。国家による徹底した情報統制がない以上、極端な言葉がネットの海に散乱する状態であっても、ほとんど野放しになっている(侮辱や権利侵害といった"規約違反"でしょっ引かれることはあってもそういった事例はほんの一握りにすぎない)。それがこの10数年のインターネッツの内実だと思う。とりわけ政治方面でいえば、日本でのSNS普及が例の民主党政権→第2次安倍政権発足あたりと時を同じくしている点から、なんとなしに右派現政権vs左派野党の対立構造に帰着している。
正直言って、現下の日本のインターネッツ・それも政治方面においては、左右両翼とも一般庶民の仮面を被りながら政治家ないしは外部勢力の息のかかったインフルエンサーが複数存在すると私は確信している(そんなニュースあったよね)。何を言っても「拡散」される土壌があるなら倫理上どうであれ使わない手はないだろう。第一、「民主主義」と言えば聞こえはいいが、ネアリーイコール「人気投票」のようなものだ。
それに、ここ最近は迷惑系YouTuberよろしく「見られたもん勝ち」と言わんばかりの過激な政治主張が目につく。その市場を追い風にしてか、陰謀や暴力・排外主義を堂々と主張する人達が現れ、そのまま政治家となった者がいる。今年の都知事選なんて特にそう。これまたXで拾った話だが、ある英字の投稿で「候補者のほとんどが民主主義を嘲笑っている」と書かれる始末だ。まったく左右に関わらず酷い為体だ。
そんな中で迎えた衆院選。ハッキリ言って今回は過去イチ酷く映った。結果をわざわざここで書くつもりもないが、色んな意味で「あぁ、そんなもんなんだな」と思わされた。
(ここは筆者のプロフ・ポジの紹介なので読み飛ばして頂いて結構。28歳独身男会社員。Z世代のハシリあたり。給料は低くはないが見渡せばもっと高給もいる。こんな書き方見りゃキャラの陽陰区別つくっしょ← よくつべに上がってる昔のテレビを見漁ったり。罵倒ばかりの言論界隈にウンザリ。よって裏金はどっちかといえば「そう喚くあなたは?」な立場。それと手取り・安保の観点で今回比例は国民に入れた)
これはもう風水的言いがかりでしかないが、バブル崩壊・阪神/東北震災・コロナと、国全体が苦境に立たされた場面では必ず政治的混乱がセットにあったように思う。ホント、台湾有事やら南海トラフやらどうすんだよ…。
特に台湾侵攻。あるウクライナのジャーナリストが言っていたが、「民主主義陣営がカンカンガクガクしているうちに専制主義陣営に行動を起こされてしまう」…これまさに、今のNATOとロシア・ウクライナ。ならば台湾・中国の傍でカンカンガクガク真っ最中の日本、それにアメリカって…西側ブルーチームのいう「ならず者国家」の思う壺じゃないの?
まぁ、「にわとり-たまご」的な話で、そういう混乱に至る史実があったからこそ政治も混乱せざるを得ない状態だったと言われるかもしれないが、とにかく「今の政治体制なら困難を乗り切れる」と思えた試しがない。それに…待てよ、振り返ってみると「政治への"信頼を善しとせず"」みたいな風潮が続いているのかもしれない。「常に疑え」と言わんばかりに。そうでしょマスコミの皆様方。
今はもうネットに限らず、既存の大手メディアさえ信じる/信じないの篩のかけ方がものをいう時代。冒頭の話に戻るが、Own Mediaの氾濫する今、「何を信じる/信じない」がその人の社会・世間に対する認識を半ば不可逆的に決めてしまう。かくいう私だってそうかもしれない。説明が難しいが、あらゆるものに対する漠然とした不信感の中で「これなら信じられる」と思ったものに傾倒してしまう。これ、昔はオウム真理教、今はインターネッツの左右急先鋒による陰謀と安倍暗殺をはじめフィジカルに訴える連中、はたまた「闇バイト」と、日本のあらゆる社会問題の根本にある気がする。そのうえ、世界を見渡せば目下宗教を巡る戦禍が中東で継続中だったり。コミュニティを作ることで生き残ってきた人間の生物的・本能的弱みで、昔から何度も言われてきた事だろうが、時折その脆さを嫌と言うほど思い知らされる。
そう、「何を信じる」の話で言えば、現役世代の我々がよく言われる/私自身も自己暗示的に復唱してしまう言葉がある。
「社会や環境がどうであれ、いま自分が出来ることに集中しよう」
会社員である私を含め、一定の組織の括りで動いている者にとって、こういう発想は少なくとも間違いではないと思う。そりゃ「仕事に邁進する」に文句のつけようもあるまい。が、時折こんな事も思う。
「それを言い訳に、もっと目を向けなければいけない重要な問題から逃げてないか?」と。
政治に関心を持たない人達、はたまた選挙で投票しない人達の理由の1つに「それより私が今抱えている仕事(タスク)をやるのに精一杯」なんて文句がある。ああ、国として今何をしなければならないか、そういう事を考える余裕は「ニュースを見る時間のある」人にしかないのだろうか。はたまた、そのニュース記事を作っている人達も、ひょっとして「もっと伝えたい事があるのに、仕事としてやらなきゃいけないから…」なんて思っていたりしてないかしら?
恐らく少子化も「こんなしんどいのに結婚子育てなんて出来ない、それよりも今の自分がやるべきことを」の積み重ねから来る話だと思うし、とりわけ筆者はこういう目線で安全保障の話を積極的にしなければならないと思う。ノーベル平和賞取った被団協の方々には土下座ものだが、リアルに核の恐喝が罷り通ってる今、9条信奉のようなユートピアニズムは文字通りの「無力」だ。特に政権を担う政治家にはリアリストであって欲しいと私は強く願う。
地震と戦争、片方は人の手で起きるとはいえ、今やどっちも「いつ起こるかわからない/いつ起きてもおかしくない」と思いさえする。「自分1人で何も出来ないくせに考えすぎだ」と人に言われるが、少なくとも国の意思決定を左右する政治家の先生方にはこの手の話をしっかり真面目に考えて頂きたい。
そしてこの際もう1つ、過去の歴史や目下の国内外の情勢を見渡していて、文明社会をゆっくりと衰退させているものが何となく分かった気がしたので、ここで書き留めておく。
「被害者意識」。
無論、現にいじめや差別その他ハラスメント、あるいは災害を被っている人々に対して、その心痛を突っぱねる意図はないし、適切な保護をするべきだと思う。が、現代はその「被害者」たることを訴える主張が拡声器のように周囲の音響を支配し、それを基準に社会が目まぐるしく動かされている気がする。で、そうして変わった社会が全体最適となるような良い結果をもたらすか…と言われるとクエスチョンが残る事もある。
例えば「働き方改革」。やり甲斐の有無にかかわらず身柄を拘束され、なりふり構わぬ檄を喰らう辛さは、自分だって現役世代、大いに同情する。が、それに対応した結果起きたのが「物流2024年問題」であり、運送コスト上昇は今の物価高の一因となっている。それに、逆にハラスメントを訴えられるリスクと待遇の不釣り合いを嫌ってか管理職志望の社員が減り、少子化も相まって人手不足倒産が増加中とか(環境変化に適応できなかった会社が悪いという見方もある)。
もう1つは「ダイバーシティ」。差別や偏見をなくし、多種多様な人々の「違い」を受け入れる…理屈は結構な話。だが、それで今揉めているのが「移民」問題。一度異文化を受容したはいいけど、かえってその痛みを訴える人は地域や職種を問わず跡を絶たない。ヨーロッパなんて極右が台頭する始末だから…
つまり、「しんどい」「つらい」という主張ゆえ、先述の通りむやみに突っぱねる事は出来ない(それどころか、理解を示さなければ当人がより破滅的な行動を起こすことだってある)。同時に、その被害者意識と醸成に至るまでの背景には本人なりの因果関係・論理があるし、訴えを一読すれば、同情する/しないは別としても少なくとも一定のつながりを見出すことができる。が、我々は得てしてその時の感情につられて「加害者とされた側」の論理を見落としてしまう。決してこれは危害を加えている人を擁護する目的で言っている事ではないが、要は「論理は1つだけではない」ことを机上の理屈としては理解したつもりでも、感情では「真理」を追い求め、「悪者」を特定・はたまた無理矢理にでも作りにかかってしまう。ここに怖さがある。
これが、現代の言論空間で跋扈する陰謀論、あるいは紛争当事国で現に起きている。戦争なんて酷いものだよ。どっちも「自衛のため」っていうんだから。
まぁ「被害者意識」と仰々しく言っているが、噛み砕いていえば、「こんなにしんどい思いをしているのに報われないのはおかしい!/こんな仕打ちをしてくるなんてひどい!」、さらに端折っていえば「私の苦しみを理解してくれ!」といった、悲鳴・慟哭・喚きの一種である。これまたコミュニティを作ることでしか生存できない人間の「動物的本能」の一部なのかもしれない。それゆえ、今後も色んな場面で目にすると思うが、それにどう反応し、対処していくかは、高等動物として会得した知識と理性にしたがって冷静に判断したいところ。
・・・と、ここまで選挙を機に自分なりに考えた今の社会・世界の歪みをつらつらと綴ってきた。「自由選挙」が出来る民主主義は恵まれているようで、分断やレッテルの張り合い、そして今はノイジーマイノリティといった弱点が露呈している。だけど、野田さんがいう「不完全」な状態でありながらも、こう徒然なるままに憂国の情を書けることは、やっぱり恵まれた国なのかもしれない。でも、そんな国を取り巻く環境はやっぱり厳しいし、向いてる方向は違ってもそこは日本人みな理解してるんじゃないかな。
もう1回言う。私も有権者の1人として政治に参加させてもらいましたので、政治家の先生方は他人の足を引っ張ったり悪者を作ったりしてないで、真剣に国について議論してください。
最後に、ここまで書いた私の文章も、究極的には一個人の稚拙な雑感に過ぎず、共感する/しないは個々人の価値観次第であることを付け加えておきます。というか、こう書くことさえ「主語を大きくしておきながら"個人の感想です"とか言って責任から逃げやがって」とか「善人ぶるな」という自己批判が出来てしまうな…やはりインターネッツはもとよりメディアに毒されすぎたか。
まぁ、仮にも「自由の民主主義の国」の一員として生をうけた者として、そこは(節度をもって)大いに論議してください。気の済むまで。
元々臆病なのもあるけど、そういう教育を受けてきた世代だからかもしれない。あるいはウクライナやガザのニュースを見すぎたのかも。
祖父母世代はWW2経験世代だし、夏になったら戦争特番がバンバンやってて本当に気が重かった。
色んな大義名分があるのも、背景に色々あった事も、当時と今で価値観が違うのも知ってる。
でも、やっぱり狂ってたと思う。あんな時代を経験するのは真っ平ごめんだ。
暴力に怯えたくない。飢えたくない。家族や友人が当たり前に死んでしまうなんて嫌だ。家や街が壊されるのも嫌だ。
自国が戦争してないって最高だ。しないで済んでるって最高だ。経験しないまま死ねるって最高だ。
親世代はそういう時代を生きる事が出来つつある。うらやましい。
私たちはどうだろうか。どうかそうありたい。できるなら子どもやその更に子どもの世代にも。
でも、戦争をするしないの選択肢を常に自国が選べるわけでもない。
日本がどんなつもりでも世界があの時代に戻ろうとしたらどうしようもなさそうで怖い。日本には世界を変える影響力なんて無いし。
私はよくたとえ話で、職場の実力はないけどなんとなく出世が早い人を「社内政治が上手い人」って揶揄していたんだ。
政治ってネゴシエーションで特定のポストにうまく収まる事だと思っていたんだよね。そんなこと当たり前に間違っていて、政治家のゴールは国会議員になることではないのにね。
また、野党は実行能力はない一般企業の監査役のようなポジションだと思っていた。つまり主体的な政治活動を行う機能は持っていないものだと。
私は今までとりあえず投票には行っていてたけど本質的に政治に興味を持ってはいなかった。
今の政治の致命的な問題というのはよくわかんない、とはいえ現状が良いとは思えないので野党のどこかに入れておくか、みたいな。
今回私はボートマッチングで国民民主党がええんちゃう?って言われてから言われた通りに投票した。
開封が終わって、今回私と同じように国民民主党に投票した人が沢山いたことを知った。
因果が前後する気もするけどそこから玉木さんのインタビューやYouTubeを見た(露出も増えたしね)。
こんなに自分自身の意見として発信してくれる政治家を私は初めて見た。最近少し期待してしまっている。
私は経済のことは正直何が正解なのか分からないのだけれどエネルギー政策に関しては再エネ推進は無理筋だろうと思っている。
まず最悪なのが効率が悪すぎて全然エコではないところ。(災害対策として、一般家庭の屋根にソーラーを積むのはありじゃないとは思っている)
もちろん今更化石燃料を燃やすべきではなく、原発の稼働(できれば再稼働ではなくリプレース)しかないだろと思っている。