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はてなキーワード: 辺鄙とは

2020-07-21

イケメン親友がいた


学校にふざけるなと言いたくなるくらいのイケメンがいた。

かっこいい男子の中でも、そのイケメンはとにかく群を抜いてイケメンだった。

学校の九割くらいのヤツは、そいつ名前を知っていたんじゃないかと思う。道でたまに人が振り返るレベルイケメンだ。イケメンすぎて常に噂になっていた。

そのイケメン、では少し呼びにくいのでそいつをAとする。

Aはイケメンなだけじゃなくて運動も出来たし、頭も良かった。そしてなんでも器用にこなせた。今思い出しても欠点が何一つ思いつかない。贅沢なヤツだ。本当に漫画に出てくるようなイケメンだったのだ。

そして何故かそこで俺が出てくる。

俺とAは死ぬほど仲が良かった。

なぜならAが俺を好いていたかである

しかし、俺は陰キャである。顔も全く良くなくて、学力は中の下、運動神経は下の中。だから慶応まで余裕で受かると言われていて!球技大会では毎年MVPをかっさらっていたAが、なぜ俺を気に入っているのかがさっぱり分からなかった。

俺はそいつと高一の時に同じになったんだけど、初めてAの顔見た時びっくりした。こんなイケメンがこんな辺鄙場所にいたんだ、と思った。

そんな奴と、何がきっかけで仲良くなったかは覚えていない。

Aは、いつだって一番に俺に話しかけに来た。朝俺が登校してきたら、陽キャの輪から離れて俺のところに来た。

体育の時は毎回俺とペアを組みに来たし、クラスが変わっても毎度俺に教科書を借りに来た。

借り物競争で「親友」のような紙が出た時、Aは俺を連れて走ったくらいなのだ。Aの足が早すぎて俺が文字通り足を引っ張ったのを覚えている。(知り合いの腐女子にその話をするとどっかのBLで読んだと言われた)。

しかもAは病的で、俺に合わせて大学の進学先まで変えた。慶応が射程圏内の癖に、Aは俺の行く予定の地元のクソザコ大学に進学先を選んだのだ。俺は動揺して「お前なら○○大学(隣の県の国立)でも簡単に受かるだろ」みたいなことを言ったけど、Aは「大学とかどこでもいいし。お前とと同じところに行きたいから」みたいなことを言って笑った。


Aとは家がやけに近所なこともあって、よく一緒に最寄りのラーメン屋に出かけた。たまにAの部活のヤツらに混ざったりしたが、ほとんどは俺とAの二人だけで食べた。

Aはよく俺にラーメンを奢った。たまに「俺が払うよ」と言ってみたけれど、その度スマートに断られた。Aは何から何までイケメンだった。結局俺とAは卒業までに五十回くらいそのラーメン屋に行ったと思う。

その度に俺たちは爆笑しながらラーメンを食べた。Aはイケメンからか、一緒に話していると気持ちいいのである。Aとは何を話すにも楽しかったのだ。


俺とAはどんなときもつるんでいたので、互いのことはなんでも知り尽くしていた。

Aの好きなポケモンも、スプラの時に使う武器も、紅しょうが嫌いなことも、イチゴ味が好きなことも。

けれどAがなぜ俺ばかり選ぶのかはマジでからなかった。

Aはイケメンなのにも関わらず、一度も彼女を作ったことがなかった。どうやら学年で一番可愛い女子に好かれているらしかったのに、Aは「あんまそういうの興味無いから…」みたいなことを言っていた。そんなセリフ死ぬまでに一度くらいはいってみたいものである

Aと一緒にいることで、少し俺もモテるようになった。「Aはレベル高すぎだけど、俺くんくらいなら丁度いい(笑)」みたいな具合である。結局俺はAの添え物でしかなかった。

みんな、俺とAがずっと一緒にいることを不思議がっていた。「イケメンのAとなんで陰キャのお前が?w」みたいなセリフを遠回しに何度も言われた。

その度俺は嫌な気持ちになった。

Aの顔面はどんなときも俺を惨めにした。

どんな時だって、Aが褒められている横で俺は居ないもののように扱われているのだ。

Aが食堂のおばさんにハートを飛ばされている時、俺はそのAを隣でただ見つめていた。Aが98点の答案を貰っている横で、俺は55点の答案を握りしめていた。

俺みたいなやつが努力しても、Aに勝てることは一切ないのである

Aはとにかく俺を惨めにさせた。自分が悪いのだけど、何だかAといるのが苦痛で仕方が無くなった。

一緒にいて楽しいけれど一緒にいたくなくなった。

俺とAとで高2終わりの春休みに遊びに行った時だ。

多分近場のショッピングモールの帰りだったと思う。俺たちは家が近いので、毎度の如く帰りの路線バスが被っていた。

Aは「今日しかった」「ゲーセン確率来てよかった」「マックはもう米とコラボしない方がいい」みたいなたわいない事を楽しそうに話していた。

Aはその日もかっこ良かった。

服屋の店員はAに必死に服を勧めていたし、女の子から一人声をかけられていた。

俺はAの隣で、そんなことを思い出していた。

から帰りのバスの中で、俺の口をついて出てしまった。

「Aと一緒にいると死にたくなる」

俺はその時、何を思ってそういったのか覚えていない。多分この時のことが嫌な記憶すぎて封印してしまったんだと思う。

悪い冗談だったのか、それとも割と深刻さを伴って言ったのか。

いずれにせよ、Aが笑い飛ばせば済む話だった。「何言ってるんだよお前!」と俺の背中を叩いてくれでもすればよかった。もしくは俺が、「なーんて冗談だよ」と言って笑えばよかった。

しかし、俺たちの間はシンと静まり返ってしまった。

俺がAの顔を見れたのは、割と時間が経ってからだったと思う。

Aの大層綺麗な顔は、目に涙をためて歪んでいた。

俺はそのAの始めてみる顔を見て、陰キャ特有の「あっ…」という声を出してしまった。ごめん、と謝ろうとしたが、でてこなかった。

Aは俺から目を逸らしたあと、「今までごめんね」的なことをポソリと言った。Aのセリフの中身は忘れた。


その日以来、Aが俺に話しかけることはなくなった。

で、俺たちは高校卒業辺りまで一度も話すことは無かった。Aがいない日々はまあなんかあっさり受け入れられてしまった。元々Aとは住む世界が違ったのだ。少し虚しかった。

俺たちが喧嘩別れ?のようなものをした後、すぐAは彼女を作った。噂ですぐに流れてきた。本人からその話を聞くことは無かった。

Aはあんなに「彼女を作らない」と言っていたのに、存外簡単に作ってしまったので驚いた。俺たちが話さなくなってすぐの事だった。

廊下ですれ違っても、俺らは軽い会釈すらしなかった。完全に仲違いしていた。

ようやく俺とAが喋ったのは、もう本当に卒業間近の事だった。卒業式二週間前、くらい。

俺が一人で廊下を歩いている時、Aに「おい」みたいな感じで話しかけられた。

一瞬誰の声か分からなかった。

けど、後ろを向けばAがいた。懐かしさは不思議と感じなかった。俺が多分毎日毎日、Aを遠くから見ていたからだと思う。俺は少し泣きそうになった。

俺はAの名前を呼んだ。多分少し震えていた。

Aは俺を見て少し気恥ずかしそうに笑った。イケメンだった。そしてAは気まずそうに言った。

「俺、大学変えたよ。お前と同じ所じゃなくて、〇〇大学に行くことにした」

俺は「あっ」と言った。そして「そう」とも。

Aは俺が死んでも届かないくらレベル大学に行くらしかった。俺はまた辛くなった。

Aが言う。

「今度の土曜授業の帰りラーメン食いに行こうぜ。久々に」

俺は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。俺は「うん」と答えた。何だか女々しかったと思う。

そして俺とAは1年ぶり近くのラーメン屋に行った。

マジで話すことが尽きなかった。話さなかった9ヶ月くらいを埋めるように喋った。俺たちは4回くらい替え玉して、5時間くらいカウンターに居座った。

から何まで話し尽くした。受験が辛かったこと、彼女の束縛が酷いこと、他にも色々。基本はくだらないことばかりだったし、時々それに挟まって将来への不安を語った。

もう本当に楽しかった。

俺はAが好きだった。もちろん友達として。多分その時のAもそんな感じだったんじゃないかな。知らねえけど。

ラーメン屋から出ても、ずっと喋っていた。俺たちは1度だってスマホをいじらなかった。言葉が溢れて溢れてたまらなかった。

途中で俺は「あの時はごめん」と謝った。Aは少し間をあけて、「気にしてねえよ!」と俺の背中を叩いた。

俺たちは卒業間近に仲直りしたのだ。

卒業して、俺たちは完全に別々の道に進んだ。

バカ大学の俺と、エリート大学のA。それでも俺たちは未だに連絡を取りあっているし、そろそろAはこの街に帰ってくる。

その時また俺たちは替え玉を何度もしながらラーメン屋で語り合うのだと思う。


俺はその日が楽しみで仕方がない。

2020-07-07

anond:20200706120126

そもそもスピード凶が多いよね

普通人日常で使う道路を高速走行して「俺はゆっくり目に走ってるよ(ドヤア」と脚力自慢

バイクツーリングしてるような辺鄙場所でやればいいのに

2020-06-30

「新しい生活様式」をしたら分かったことを共有するね

コロナ会社に行ってないんだけど、そのおかげで別荘からテレワークできるようになった。田舎でずっと暮らしている。

で、「高速バスバス停付属駐車場」というものをちょくちょく使うようになったんですよ。どういうものかというと、高速走ってるとバス停あるじゃないですか。あれって実は田んぼの真ん中にぽつんとあったりするわけ。もちろん電車の駅とかからも遠い。

で、高速バスを降りた人のために、あらかじめ自家用車を止めておく駐車場が用意されている。イメージとしては、田舎の家⇒駐車場バス停バス東京かに行く⇒バスで帰ってくる⇒駐車場⇒家、みたいな感じ。

ということで、高速バス停を降りていくと必ず駐車場があるんだけど、もちろん管理人かいないので、事実上、停め放題の無料駐車場って感じなのね。

で、分かったことというのは、「高速バスバス停付属駐車場を、不倫の待ち合わせに使ってるヤツが多い」ということ。

オレはこれまでその駐車場を3回使ったんだが、2組、そういう男女に遭遇した。

駐車場に車が1台とまっている

・そこにもう1台きて、ちょっと離れたところにとまる

挨拶せずに、女が男の車に乗り込む

逆の場合もある。つまり男女が乗った車が1台きて、女が降りて自分の車に乗り込む。この時も、挨拶はしない。

なんで不倫と断定できるのか?

消去法的にそれしかいからだ。

まず、普通の男女交際ならこんな辺鄙駐車場で待ち合わせなどしない。どちらかの家に迎えに行く。

男女の仲じゃないかもしれない。例えば職場の同僚が、営業先に一緒に行くとか。でもオレが見たのは2回とも休日だし、全員ラフな格好をしていた。そして、同僚ならばあった瞬間「お疲れさまです」って言うよな。

会った瞬間抱き合うみたいな、露骨なことはしない。田舎から誰が見ているともしれないから。でも逆にそのよそよそしさが、不倫を決定づけている。

2組とも、40代の男女だった。1人は美人ではないが、ちょっとチャーミングなおばさん。もうひとりはアウディに乗った、いい身なりをしたおばさん。

2組のカップルのうち、1組には2度会うことができた。

朝9時頃に会った時、オレは「コイツ絶対不倫だ!」と思って1人でニヤニヤしていた。そして夕方5時頃に駐車場に戻る時「ラブホサービスタイムが終わる頃だから、もしかしたらアイツらまたいるかなー、いたら面白いなー」と思っていたのだが、なんとちょうど同じ時刻に駐車場に戻ってきた。

カップルの男とは目があったので、思わずニヤリとしたら、向こうもニヤリと返してきた。

単に「朝も会いましたね」という意味のニヤリだったのかもしれない。

または「お互い目的外利用ですよね」という意味かもしれない。

でも「不倫ですよね」「バレてますよね」だったんじゃないかな。

3回駐車場を利用して2組と遭遇するのは、かなりの確率だ。世の中にはオレが思っているよりもたくさんの不倫があるのかもしれない。田舎不倫カップルはみな高速バス駐車場を使っているのかもしれない。オレが探偵なら高速バス駐車場張り込みするな。

ということで、みんなも新しい生活様式で得た知見を共有してね~

2020-06-26

anond:20200626101228

四国が有りなら松山はおススメだよ

コンパクトシティなので車が無くても生活出来る

広島とか岡山と比べて家賃が異常に安い 中心部で飲んだあと歩いて帰れる距離に住めるからタクシー要らず

空港って辺鄙なところにある県が多いけど、松山空港は市内中心部からすぐなので東京出張でも便利

転勤で松山に住んだことがある人が定年後に松山移住するケース結構多いよ みんな居心地いいみたい

2020-06-12

anond:20200612105506

ほんとなんで辺鄙なとこにあるんだろうな

僕のチンコデカかった

年寄りの古い時代の話さね。

 

当時は自宅にお風呂なんてまだ恵まれた方で、多くの人は銭湯に通っていた。僕の実家はそんなに貧乏でもなかったけど、小学六年でやっと自宅を改造してお風呂が出来たくらい。だからそれまでは銭湯通いをしていたのだけど、たまにクラス同級生と一緒になることもあった。といったって、顔見知りなだけで、友達でもないから仲良くするわけでもない。誰かいたらあいつ来てるなぁ、位の感覚

で、小学校五年生くらいの頃だったと思う。僕は成長が早くて、身長も背の順番で最後尾なくらいだったし、陰毛だって既にうっすら生えてきていた。これが恥ずかしかった。確か、修学旅行林間学校、通っていた塾の合宿などでも僕は絶対に見られないように一緒に入るお風呂はいつもタオルで隠していた。同様に成長の早かった見られたやつが他にいて、みんなからからかわれているのを知っていたし。でも、僕はバレなかった。

そんなある日、普通に一人で銭湯に行って、普通通り体を洗ったり入浴していたりしていた。まさか、そこにクラスで一番意地の悪いAがいただなんて気づきもしなかった。次の日、学校に行くと、既に噂がばらまかれていて、「あいつさぁ、チンコに毛が生えててさぁ、チンコもでかいんだぜ?」のような話が周りから聞こえてきた。くすくす指を刺されて笑われている感覚。恥ずかしくてたまらなかった。そして、昼休み放課後だったか記憶するけど、とうとう「見せろよ」といじめっ子達に囲まれしまった。

いっき抵抗したのに、羽交い締めにされて、ズボンパンツを下ろされ、僕はさらし者になった。その上、そのズボンパンツを校舎の外に投げ捨てられ、泣きながら、下半身裸のままでそれを取りにいかされたのだ。

でも、いじめられて引き下がるような性格でもなかったので、クラスに戻ってすぐにそいつらのリーダー格に飛びかかって喧嘩になった。ただ、すぐに先生を呼ばれてしまい、どっちが先に殴ったかを問われて、僕は先生に滅茶苦茶怒られた。さらし者にされたのは言わなかった。それを先生に知られるのも恥ずかしかたからだ。それから一週間ほど学校を休んだ。また同じことを言われるのが嫌だったから、逃げたんだけど、どういうわけかそのまま不登校ということにはならなかった。

結局、小学時代自分チンコからかわれたりすることはそれっきり一度もなかった。でも続きがある。

中1か中2くらいにはもう大人サイズのそれも少し大きいくらいにまでなっていた。小学時代事件コンプレックスを持っていたから、自分チンコがでかいことや既に陰毛大人レベルなことは誰にも知られたくないと思っていた。銭湯はいかなくて良くなっていたから知られるチャンスはほぼなかったのだけど、小学時代から通っていた塾の夏冬の合宿だけは違った。馬鹿なクソガキ連中がいて、僕じゃない1人の同様に成長の早かった男子ズボンパンツを脱がせて、何人かで部屋で笑っていたのである。ところがその男子はみんなと一緒に自分も笑っていて、楽しいからかノリで勃起までさせてみんなの爆笑さらっていたのだ。さらには、それを写真まで撮る始末。

僕は同室だったけど、その輪には加わらず、布団に入って寝たふりをしていたのだけど、どういうわけだか、僕のチンコがでかいことを知っているやつがいたのである。その輪の中の誰かが「あいつのと比べてみようぜ。めっちゃデカイらしいし」と言い出したのだ。そいつらの中の1人は不良寸前の悪ガキで、他の男子に嫌がる僕を布団の上に押さえつけさせ、無理やりパンツまで脱がさせられた。実は僕はその悪ガキとめちゃくちゃ仲が悪かった。何が原因かは思い出せないけど、お互いムカつく相手認識していたのは事実だ。だけど僕は、その塾では友達らしい友達はおらず、悪ガキには取り巻きがいっぱいいたのが運の尽き。小学時代のような抵抗不可能だった。そして無理やり勃起させられ、先に脱いで楽しんでいたやつと比較させられ、同様に写真まで撮られたというわけだ。

流石に余りにショックで、僕はその塾にはそれ以降通えなくなって、やめてしまった。その理由を親にも言わなかったから、相当親を悩ませてしまったと思う。

 

こんなことを辺鄙増田で書いてもほとんど読まれもしないと思うけど、世間にはペニスが大きいことが男の自慢になるような風説が流れているように思う。でもそれは少なくとも、僕にとっては全く違うものだったということを言いたかった。それ以降、高校以上になると、見られたところで誰も何も言わなくなったし、当然辱めも受けなくなったけど、たまに「いいの持ってるなぁ羨ましい」などと言われることがあって、やっぱりそれが嫌で酷い目にあったことを何度か思い出したりもしたし、他人に見られるような温浴施設などでは今でもずっとタオルで隠すようにしている。

巨乳コンプレックス漫画話題になっているみたいだけど、男だってあったんだよ、と。

2020-06-06

anond:20200605161805

田舎辺鄙な駅の横に宿泊施設を併設して10万円払ったら払った日から一年路線上のどこでも20泊できる仕組みを作ってほしい

狭くてもいいから必ず個室で泊まれる奴がいい

ホテル側の不正防止のために空き部屋はネットで公開しろ

食事なんてクオリティを言わなければ弁当でいいのだから障碍者や老人向けなど特別意味もなければ月額である意味がない

2020-04-28

終わりの始まりは、始まりの終わりより良いんだ

NHKがついにUFOニュースを公開した。何年も前からすでに存在した映像が、このコロナ禍のさなかに、改めて本物であるとして記事にされたのだ。

気づいている人もいるかもしれないが、これは、始まりだ。長く待ち望まれた始まりだ。そうでない人は、フィクションだとおもって聞いてもらえればいい。どうせこんな辺鄙場所だ。もうしばらくすると、第2の公式発表がされるだろう。我々と、彼らの接触について。

時は満ちた。人々が救いを求め始め、宗教もその役割を果たせず、我々のテクノロジーでもどうにもできない破壊の波が押し寄せるとき、それは現れる。すべての人の心にできた少しの隙間にぴったりとはまり込むように、我々の前に姿を表す。

そうでなければ、いつだったというのだろうか。いまでなければ、なにがそうだったというのだろうか。

嘘だろうと思うことが起きる。しかしその頃には嘘だろうと思うことがすでにたくさん起きていて、これまでだったら信じられていなかったことも、信じられてしまう。そのひとつの点の上で、時代は、歴史は変わっていく。扉をあけるそのときまでは、我々は薄い壁の向こうにすら盲目であるのと同じように。

2020-04-16

パパ活生活が豊かになって、胸が痛くなっている。

こんにちははじめまして

私は所謂パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。

私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。

お金はそんなにない家庭だった。

まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。

勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。

おまけに学校での素行は悪く高校は2年生の冬に辞めた。

両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さ大事からそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。

そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。

高校を辞めた私はバイトを始めた。

未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店バイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。

家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。

休日地元の不良仲間とカラオケプリクラ、安い古着屋で服を漁る。

今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。

ある日、ふとテレビで見た原宿に強い憧憬を抱いた。

私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。

そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。

車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。

ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎からカラフルキラキラ輝いている街を闊歩するように。

当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。

とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。

毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。

人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。

家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。

とにかく貪欲になっていく。

当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。

ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。

月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。

新宿家賃20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店ブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。

そんな生活をしていたらまあ、誰でも破綻するだろう。

働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。

つくづく私は運の良い人間だ。

いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」

なんて言われた。

その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。

金以外何も見えていなかった。

こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。

早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。

凄い。これが本当の金持ちなんだ。私の暮らし虚構だった。

詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具

夢にまで見た暮らしがあっさり手に入ってしまった。

こうして私のパパ活が始まった。

初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。

自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。

エルメスセリーヌバレンシアガディオールルブタンジバンシーフェンディヴィトンバーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。

田舎1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。

もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。

専属運転手毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから

半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。

欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。

上京して2年。私を取り巻く環境はあまりにも変わりすぎた。

しか生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。

それでも、何かが足りない。

それから私は思考を巡らせました。

あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。

只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。

そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。

みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。

...。

結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自生活の差に号泣してしまいました。

仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。

母親100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。

妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズ大事に使っている。

ショックだった。

私は、最悪だ。

金に塗れ、周りの事など見ていなかった。

思えば収入が増えた時点で実家仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分お金を使い続けた。

なぜあんなに大好きだった家族に何もできなかったんだ。

本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。

お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。

現に私はまだパパ活を続けている。

今の生活を手放すのが怖い。

ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。

本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。

20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。

この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。

もう一般的幸せは手にできないと諦観しています

私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。

お金以外で感情表現することができなくなった私は、毎月お金実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています

愛情ゆえの行為ですが、正しくはないんだろうな。

正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。

パパ活生活が豊かになって、胸が痛くなっている。

こんにちははじめまして

私は所謂パパ活」と呼ばれる援助交際によって生計を立てている者です。

私の育ちは豊かとは言えないがそこそこ幸せだったように思う。

お金はそんなにない家庭だった。

まあでも、無くても無いなりの幸せってのはあるもので親元を離れるまでは地元で楽しく暮らしていました。

勉強はそこそこだったが突出して良いという訳ではなく、スポーツや一芸に秀でていることもなかった。

おまけに学校での素行は悪く高校は2年生の冬に辞めた。

両親は共にヤンキー上がりで、私が問題を起こすたびに「若さ大事からそんなに気にしないの。子供の行いは親が責任取るものから」なんて言って励ましてくれていたが、流石に退学処分を食らったときは泣いていた。

そんなこんなで学もなく、真面目さの一つもない私が持っていたものは両親から譲り受けた"可愛さ"だけだった。

高校を辞めた私はバイトを始めた。

未成年だったので朝9時から夕方の6時まで、有名雑貨店バイト仲間と駄弁りながら時間を浪費していた。

家に帰れば大好きな両親と兄弟がいた。

休日地元の不良仲間とカラオケプリクラ、安い古着屋で服を漁る。

今思えば私の暮らしは何の不満もなかったはずだ。

ある日、ふとテレビで見た原宿に強い憧憬を抱いた。

私の地元はお世辞にも発達しているとは言えない、辺鄙な所でした。

そんな土地で十数年暮らしていた不良少女が華やかな東京の街を見てしまった。憧れないわけがない。

車の免許費用として貯めていた40万円の貯金を元に突発的に上京した。

ここから私の生活は一変、彩度が低い田舎からカラフルキラキラ輝いている街を闊歩するように。

当時の私にとって全ての体験が新鮮で刺激的でした。

とりあえず東京暮らしをするためにガールズバーで働き始めた。業務内容も、時給ひとつとっても全て田舎の比ではないくらい良いものだったし。

毎月20〜30万ほどの収入があって、こんなにお金が貰えるなんて...と感動した。

人とは愚かなもので一度甘い蜜を味わってしまうとさらに上を求めてしまうんですね。

家はもっと立地がいいところ、服や鞄はブランド物じゃないと嫌、一流のデパコスで顔を彩りたい。

とにかく貪欲になっていく。

当初は満足していたバイトですら物足りなくなって風俗嬢になった。

ここで私は可愛く生まれたことを激しく両親に感謝した。整形しなくとも指名は入り、バンバン固定客を掴んでいった。

月収はゆうに100万を超えていたと思う。ただ、それ以上に出費がとにかく多かった。

新宿家賃20万くらいのマンションに住み毎週のように百貨店ブランド品を買う。貯金なんてしなくても稼いでるからいいでしょ?と自分に言い聞かせ。

そんな生活をしていたらまあ、誰でも破綻するだろう。

働けど働けど一向に貯金は増えなくて、いよいよ生活費を賄うことすら厳しくなってきた。

つくづく私は運の良い人間だ。

いつもの様に出勤し、太客から指名が入り開口一番「君のことを本当に愛してる。僕に養わせて欲しい」

なんて言われた。

その瞬間私が思ったことは、やはり可愛く生まれて良かった と、傲慢過ぎる感覚だった。

金以外何も見えていなかった。

こうして私は水揚げされ、彼と暮らすことにした。

早速住んでいたマンションから退去し、都内有数の超高級住宅の部屋を与えられた。

凄い。これが本当の金持ちなんだ。私の暮らし虚構だった。

詳細は伏せるが有名人御用達の高級マンション家賃は3桁万円。これだけでなく毎月うん百万のお小遣い、それだけで軽自動車が買えてしまう服に鞄に家具

夢にまで見た暮らしがあっさり手に入ってしまった。

こうして私のパパ活が始まった。

初日から1ヶ月目くらいまでは興奮のあまり寝ることすらままならなかった。

自分の通帳を何度も開き、これは嘘でも夢でもないんだと都度幸福に浸る。

エルメスセリーヌバレンシアガディオールルブタンジバンシーフェンディヴィトンバーバリー。まあなんとも成金臭の強い物ばかりだが部屋の中で買い込んだブランド品で自分を着飾っては恍惚した。

田舎1000円以下の古着を漁っていた頃の自分はもういない。今の自分は、一枚10万もするシャツを惜しみなく買える。それも際限なく。

もう私の頭の中はとにかくお金でいっぱいだった。

専属運転手毎日ブランド品を取り扱う店に走らせた。使わなければ溢れてしまうほどのお金があるのだから

半年ほどこの様な生活をしてみたが遂に、またしても「飽き」に到達した。

欲しいものはもう買い尽くした。新商品が出たら別に欲しくなくても、惰性で買っていた。

上京して2年。私を取り巻く環境はあまりにも変わりすぎた。

しか生活水準は地元にいた頃とは比較にもならないぐらい上がった。

それでも、何かが足りない。

それから私は思考を巡らせました。

あぁ私に足りないのは無償の愛だ。という答えに辿り着いた頃にはもう遅くて彼から受ける一方的暴力的とも言える施し。私は1秒も彼を愛していなかった。

只々与えられ続けブクブクと肥えた心を得ただけでした。

そういえば上京してから家族と連絡をあんまりとっていなかった。

みんな何をしてるんだろう、と思い友人数名と母親のインスタを覗いた。

...。

結論から言いますと、あまりにも私の家族や友人と私自生活の差に号泣してしまいました。

仲が良かった友人らは相変わらず某ショッピングモールで屯し、安いフードコートスイーツを食べ、プリクラを撮って、カラオケに行っている。

母親100円ショップで可愛い小物を探すのが楽しみです♪なんて投稿をしていた。服なんてもう何年も新しいものを買っていないだろう。私の母は美人だ。美人だが、金はない。ルックスと身につけている物の落差で余計にみすぼらしく見えてしまう。

妹もとびきり美人だ。勉学に勤しみ、運動神経もずば抜けている。なのに、私のお下がりを着続けてボロボロになったランニングシューズ大事に使っている。

ショックだった。

私は、最悪だ。

金に塗れ、周りの事など見ていなかった。

思えば収入が増えた時点で実家仕送りをすれば良かったのにそれをせず自分お金を使い続けた。

なぜあんなに大好きだった家族に何もできなかったんだ。

本当なら、母にはいつまでも綺麗でいてほしいし妹にはもっと自分の可愛さに気づいてほしい。これは押し付けかもしれないけど、私はそう思う。

お金は一番の麻薬。与えられれば与えられただけ、求める量も増えていく。

現に私はまだパパ活を続けている。

今の生活を手放すのが怖い。

ただ変わった点はいつ見限られてもいいよう貯金は常に2千万を切らないようにし、家には毎月20万の仕送りをしている。

本当なら100万でも200万でも送ってあげたいけど、私がどのようにして稼いでいるかを知ったら、ひどく悲しませてしまう。

20代前半にしてこんな暮らしを覚えた私の行く先は、どうなってしまうのだろう。

この身体が私の商売道具だ。身体さえあれば稼げるが、逆に言えばそれ以外何もない。

もう一般的幸せは手にできないと諦観しています

私の幸せが飽和してしまった分、家族や友人らに幸せを与えることが、今後私の役目だろうか。

お金以外で感情表現することができなくなった私は、毎月お金実家に送り、使わなくなったブランド品も定期的に送っています

愛情ゆえの行為ですが、正しくはないんだろうな。

正しい愛を誰か私に、再教育して下さい。

2020-04-13

anond:20200413131139

ホテルとか病院なんて全然たりない

辺鄙場所テントを張って野戦病院化して隔離する以外ない

火葬場も併設して

一瞬で恐怖国家の出来上がり

2020-04-07

anond:20200407080548

辺鄙土地が余ってる場所太陽光発電所を作ったとしてだ

増田は朝から晩まで、鳥のウンコで汚れたパネルをモップで掃除する仕事をやりたいですか

発電量が多すぎると班長命令されてパネルの上にブルーシートを置いたり

台風が来るからと言われてパネル撤去してトラックに積み倉庫収納する仕事で一生を終えたいですか

2020-04-05

アベマスク国民にもれなく2枚配る金があれば軽症患者隔離できる

辺鄙施設をまるまる借り切れる

2020-03-05

anond:20200305154459

まあ、あん辺鄙な屋外にいるとコロナよりも風邪インフルあたりを心配することになるから

閑散とした屋内で手洗いうがいのできるとこがよさそうだ

2020-03-02

俺は家に置き去りだったなー

妹がいたから一人ではなかったし

辺鄙田舎治安心配宅地ほどないということもあったろうが

今ならネグレクトだーって言われるところ

2020-02-18

一目惚れした人に会った場所へ5年ぶりに行った

タイトル通り

かなり辺鄙場所時間お金がない限りなかなかいけない場所

5年の歳月を得てようやく再訪することができた

それが何の意味も表していないってのは分かる

だけどいいリフレッシュだった

あの場所にいる時だけは永遠の18歳でいられる気がした

って年齢がバレるな

anond:20200218090443

ガイジとエンカウントするのがみんな嫌だからこそ、ああやって辺鄙なとこに施設造ってぶち込んでるわけでな

命には等しく価値があるから許されないとか言ったところで何もかも茶番しかない

2020-02-13

anond:20200207185501

 今更だけれど思ったこと書くね。

 エンタメに飽きたら、世界史勉強をするのがいいんじゃないかな。

 この元増田の言っていることの全部が正しいとは思わないんだけれど(たとえば「海外ドラマはお子様向けを卒業した十二歳向け」みたいな表現ね)、娯楽をある程度摂取するとパターンが見えてきちゃうのは本当だと思うし、たくさんの作品を鑑賞していると、脚本術について詳しくなくても、「この場面で伏線を張っているな」とか、「今このキャラクター物語をたたみに向かってるな」とか、何とはなしに見えてきちゃうよね。

 それに、月9ドラマなんかだと作業しながらでもそれなりに理解できるようにストーリーを作っているので、まどろっこしく感じちゃうのもよくわかる。自分全然見ない。映画なんかも、友達と付き合いで行く以外は、こじらせ芸術映画をたまに見る程度。なんでかっていうと、アート映画脚本術に従っていない、従っていたとしてもあからさまじゃなくて、どういうストーリーになるかほとんど予測がつかない。そこが楽しいから

 で、この増田勉強することにしたみたいだけれど、なんだかんだ言って、教養を得ることに向かうってのは、いい考えなんじゃないかな。

 自分なんかは、世界史をざっくりと勉強してみると楽しかった。ちょっと古い本だけれど、中央公論社から出ている「世界歴史シリーズ全三十巻を、数年前に読んでみた。正確には、学生時代に流し読みをしたものの再読だ。

 世界史を知っておくメリットはいくつかある。ニュースを流し読みしても大体のことが頭に入ることだ。でも、それとは別にそもそもすごく楽しいってのがある。いろんなファンタジーとかゲームとかの元ネタを見つけるとわくわくするし、遠い国の人たちの暮らしを知って空想するだけでも、毎朝の通勤時間が豊かになる。

 それと、このシリーズは、歴史地域ごとに分かれて書かれているので、ある出来事複数の巻で重複して触れられることがある。たとえば、モンゴルによるバグダッド破壊なんかはイスラームの勃興期と遊牧民を扱った巻にそれぞれ出てくるし、トルキスタンで起こったムスリムの反乱は、近代イスラームの巻と清朝末期を扱った巻の両方に出てくる。

 それの何が面白いかっていうと、同じ出来事見方によって評価全然違うってこと。当たり前なんだけれど、ある国では救国の英雄だけれど、別の国では冷酷な侵略者になっていることなんてざらだし、時代が変化することで評価が逆転したり、忘れられていた人に急に光が当たったりする。チンギス・カンモンゴルではヒーローだけれどほかの国では災厄以外の何物でもないし、バッハフェルメールといった人物も、忘れられていた時代があった。この世界史シリーズも著者によってバイアスがかかっていて、そこがかえって読みごたえがあるんだけれど、モンゴル担当した人が個性が強くて、「遊牧民文化は定住民のせいで低く評価されすぎ!」みたいな本を出していて、おかげでモンゴル残酷行為が若干省かれちゃっているのが難点。

 これってまさに芥川龍之介の「藪の中」みたいな感じで、互いの証言矛盾しているから頭を使わないといけなくて、下手な娯楽よりもずっと面白い。いや、自分現在起こっている日本中国韓国との証言の食い違いは、あまりいい気持がしないんだけれど、それがたとえば何百年も昔のことだと、それがとてもロマンチックに感じられる。聖地奪還の情熱燃えていた十字軍も、アラブから見れば「なんか辺鄙なところから蛮族が来たぞ」みたいな印象しかない、みたいな話だ。

 話がそれてしまったけれど、自分が言いたかったのは、頭の中に複数物語を併存させておくことで、自然物事に対して客観的になれるメリットがある、ってこと。しょっちゅう増田表現の自由だとかセクハラだとかいろいろと炎上したりしているけれど、ある人の意見絶対視しなくて済むようになる。Aという視点ではこうだけれど、Bという観点からだとこういう意見が当然出てくるだろうな、ってのが読めてくる。読めてくると、「この人ならこういう反応をするだろうな、この専門家ならこういう発言をするに違いない」ってのがわかってきて、こっちも必要以上に感情的にならなくて済む。元増田は「悪化する大衆メンタリティ」という表現で、そういう荒れがちな場をちょっと下に見ている感じもないではないけれど、議論にすらなっていない議論から距離を取ることができるようになると、余計なストレスを感じなくて済むのは確かだ。

 それに、複数見方ができるようになると、例えばムスリムから世界史を見たらどう見えるだろう? 女性史の観点からならどうだろう? って、多くの人に受けいれられている歴史見方を疑ってかかれるようになるので、やっぱり楽しい

 他にもいろいろメリットがあって、基礎的な知識があると、ほかのことを勉強していてもすごく楽しい古典文学を読んでいてもすごく面白いし、百年前のあの憧れの人と同じ本を手に取っているって興奮できる。文豪たちと同じ詩を読んで感動するのはいものだ。科学医学歴史についてざっくりとでもいいので学ぶと、自分生活は先人のものすごい技術的蓄積の上に成り立ってるんだなって思うし、自然科学の基礎的な素養があると、ぽっと出のインチキ治療法には引っかからなくなる。哲学史について軽く触れるだけでも、学生時代にしたような哲学的思索は、ギリシアインドが二千年前にとっくに通過した場所だってわかってはっとする。女性地位がどう変化したかをたどってみると、「女性は『常に』被害者だった」みたいな極端な意見には大きな疑問符をつけることができる。

 それと、こうやって三十巻ざっと読んで思ったのは、自分歴史観はバイアスがかかっていたんだなってこと。たとえば、ギリシアローマ歴史は一巻にまとまっていて短すぎるって思ったし、中国歴史ももう少し細かいところに触れてほしいって思ったけれど、たとえばムハンマド時代からアッバース朝滅亡までが一巻ってのはちょうどいいって感じられて、これってつまり自分イスラームのことをまだまだ知らないってことだよね、って思えたりして、バランスが悪いなあって。自分の考えは、ちょっと偏っているかもしれないって、疑えるようになるってのもまた、勉強する楽しさの一つだ。

 あと、いろんな知識が増えると、いろんな人が自分よりも前に書かれた本について言及しているのをたくさん見つけることになるんだけれど、この世界がまるで巨大なシェアードワールドみたいな感じがして面白い自分古典を読むのが好きな一番の理由がそれかもしれない。さっき述べた、互いに矛盾するような証言でさえ、この世界がどれほど「作りこまれいるか」、いいかえると複雑なのかを教えてくれているみたいで、興奮する。

 自分通勤時間と昼休みしか読書をしないエンジョイ勢だけれど、こういう勉強ってのは一生やっても飽きない気がしている。娯楽を馬鹿にするわけじゃない。でも、「娯楽の場がぎすぎすして嫌だな」ってときには、ほかに楽しいと思える遊び場を持っておくのは、いいことなんじゃないかな。

お礼は義務か?

車をだしてもらったときにするお礼が義務のように感じてしまっている。

友達と遊ぶとなったとき、大体はみんな電車で来て集まるんだけど、たまにちょっと辺鄙なところにあるカフェかに行こうとなったとき友達や先輩が車をだしてくれる。

私はペーパードライバーだし運転できる車が手元にないので、せめてもと助手席でナビ役をすることが多い。

車を走らせることもタダではないし、運転が苦ではないと言う人でも、隣に人がいるということに無意識に気をつかってくれているところもあると思う。

から、心ばかりではあるけれどガソリン代を出したりとか、断られたときは心をこめてお礼を言ったりとかジュースお菓子を奢ることもある。これは私のエゴではあるけれど、やっぱり助手席に座っているだけの私よりは色んなことに気をつかってくれているし、車もだしてくれているから何かしらのお礼はしたくて私からいつも言い出していることだ。

でも最近、ある一人がそのお礼を当たり前のようにしてくる人がいる。

はじめは「そんなの悪いしいいよ」って断られていたのを、私が「それもなんだかな」と思ってジュースを奢っていた。その子も「ジュースなら嬉しい」と言ってくれていたから、選択も間違ってなかったなと思っていた。

車をだしてくれたときは私からコンビニに寄らない?」と誘ってそこでジュースを奢る、という流れだったんだけど、今は向こうから何かと理由をつけて「コンビニ行こうよ」って誘ってくるようになった。私の奢るジュース目当てで。

車をだしてくれているから断る理由はなくて今でも奢ってはいるけど、これって向こうから言ってくるともうそれはお礼ではなくないか

最近はそれが面倒くさくて遊ぶとなっても電車でいける距離にしているんだけど、なんだか私のお礼って本当にエゴしかなくて都合がいいように使われていたんだなと思って悲しくなってしまった。

そもそも私の対応って間違っていた?

みんなは人に車をだしてもらったときは、お礼してるの?

なにしたら正解だったの。

2020-02-04

明日あたり無職になるかどうかが決まる

今週中に連絡が来なかったら雇用打ち切り無職

連絡きたら更新

更新ですよーって言われても異動先が通勤難しい凄く辺鄙などころだったら断る

更新のための試験の結果がビリだったので無職可能性はかなりある

正直ワクワクする

パワハラ野郎ほど引き留めるっていうのがホットエントリに入ってるけどまさに今年度はずーっとその状態パワハラを受けて泣いてたら加害者から一番熱心に慰められて

ほとぼりが冷めたらまたパワハラされての繰り返しで頭がおかしくなりそうで

人事の方から「いらない」と言われる形なら上司も何も文句は言えないだろう

引き留めたって人事の決定だから上司は何言っても無駄だし

あ~~~~~~文句言われず無職になれるかも!!連絡来なくていいぞ!!そしたら送別会にも出ず辞めてやるんだ!!楽しみだなあ!!!

anond:20200204210239

辺鄙場所に住む権利侵害される国になりそうだ

現状の水道ですら税金でたった数件の家のためにパイプを引くのが悪いみたいな言い方をする人がいる

2020-01-17

バイト日記

常連さんの中に、

「お願いします!」

一言で全ての注文を済ませる人がいる。私は、変な奴だなぁ、と思いながらも、いつものやつを用意してレジを打つ。

取扱のタバコの種類が増えすぎて、数種類がタバコからあぶれてしまい、別に売れない種類でもないのに辺鄙な所に、番号札も付けられずに並べられている。売れない種類でもないからこそ、辺鄙な所に置かれていると言ってもいい。

ただ、バイト私共お客様もそのタバコ正式名を中々覚えないので、

「あの棚の左の棚の、右側から三番目の、灰色の、6ミリの……」

という、純文学みのある(あるいは魔方陣グルグルっぽいと言ってもよい)曖昧な指示をされ、

「これですか?」

「そう、それっす」

みたいな受け答えをしてタバコを出す訳で、それを三回ほどやったら、タバコ銘柄を覚えないわりに、私共お客様の顔とタバコパッケージの色とミリ数と辺鄙定位置をセットで覚えるのであり、お客様の方も、私共の中で「話が通じる」者の顔を覚えるわけだ。

そしてまた、

「お願いします!」

で、全ての注文を完了するお客様が、爆誕してしまうのである

2020-01-13

辺鄙場所にある飲食店レイプが起きないのはなんでだろう

周囲は人通りどころか車すら走ってなくて

じゃあたまに家族ずれが来たとして皆殺しにしてレイプしてもばれないのでは

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