はてなキーワード: 吃音とは
自己紹介!普通の社会人で、それなりに年をとっているおじさん。
最近の苦手な語は、TPOに応じて発さなければ行けない単語全般。例えば自己紹介だったり、世間話をしてる時に、自分が発したい何らかの作品の雑談だったり。
今日は銀行の来店予約があり、銀行に来店するも不意に「お名前は?」と聞かれて、あっあってなってしまった。
何とか言えたけど、あっあってなった事実と、何でこんな簡単な会話もできないんだと言う無力感。恥ずかしさと情けなさが込み上げてきて、落ち込んでしまった。
自己分析すると、自分は過敏性腸症候群の持ち主で、それは思春期の学生時代の頃に発動しており、騙し騙し付き合ってやってきたけど、そこから併発した自律神経の乱れなどもあり、知らず知らずのうちに精神を蝕み今に至るので、自分にとっての吃音は、きっとその症状の副産物なのかなと思う。
(元々吃音の気配はあったのだけど、他の悩みに打ち消されて顕在化しておらず、ここ数年は吃音に悩まされてはいなかった)
自分にとって特に苦手なのは、周りが騒がしい時に自分が何かを伝えなければ行けない時で、自分が正しく大きな声で発さなければ、相手に伝わらないかもしれないと言う恐怖心や気負いから、来ているようなのだ。
これは、昔親と会話していた時に指摘された、声が小さくて聞き取れない…と、聞き返されることが多々あり、それが呪い化しているのだと思う。
(これは、親が悪いと言う事ではなく、実際に声が小さくて聞き取れなかったのは確かなのでしょうがない…親がトリガーにはなったと言うだけの話)
なので、騒がしい居酒屋などでの会話が苦手。酔っぱらってテンションが上がれば、気持ちが盛り上がり自然と声が大きくなって行くので大丈夫になったりする事もある。
私も吃音あるけど病院で名前と生年月日を言うのは問題ないな。なんでだろ。
第一声目から名前を言おうとすると吃る気がするので「えっと…○○です」「はい、○○です」みたいに敢えてフィラーを入れることが多いかも。
病院とかで本人確認のために「自分の名前」を「口頭」で言わなきゃいけない時ってよくあるじゃん。
「あ、えっと」とか言いながらちょっとモゴモゴしながら何とか絞り出して言う感じになる。
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』という吃音持ちの女子高生が主人公の押見修造の漫画があるけど、ほんとにあんな感じ。あの漫画はリアル過ぎて胃が痛くなるぐらいよくできている。
自分の名前が言えないなんておかしいと普通の人なら思うと自分も思う。だからこそ、吃っている時はこっちも焦る。
ちなみに病院だから吃音への理解があるとは限らず、すぐに名前が言えずにいると「何やってんですか?名前ですよ名前」と呆れたような顔で医者に言われたことがある。
最近は最初から「すみません自分は吃音持ちなので自分の名前や生年月日がすぐに言えません。ご迷惑をおかけします。」と白状している。
ちなみにこのセリフはスラスラ言えるんだよ。不思議で仕方がないしこんな自分が本当に嫌いになる。死にたくなる。
何が言いたいかわからなくなってきたけど、とにかく以下のことを覚えておいてもらえるとすごく助かります、という話をしたかったのだった。
25歳くらいまで、顔はそこそこいいだけの、ガチガチのコミュ障だった。というか童貞だった。
犬は好きだけれど、人は嫌いだった。見た目が可愛いわけでもないし、俺のことを嫌うこともあるし、扱いが分らない。
国語は得意だったけれど言語的なコミュニケーションが大の苦手。吃音も少し入ってるからとにかく自信が無かった。
父親は学者、恐らくASDが入っていて無神経で人の気持ちが理解できない。母親は専業主婦、やかんを定期的に焦がしてやっていることを忘れる軽度のADHD。
恐らくその両方の特性が俺にも入っていたんだろう。そして強迫性障害持ちでもあった。
それでも周りが優しかったり話しかけてくれたりコミュニティに入れてくれたのは、俺がそこそこ顔が良かったからだろう。
だからこそ、母親からうつったとにかく他人を否定から入るクセなどが無くなり、「一般人を模倣」することができた。
そして初めて彼女ができても、話もしたくないし、体にしか興味ないから結局フラれた。
根本的に人間に興味が無くて、もっぱらイラストの技術や哲学、世の中の自称を抽象的にまとめたり、他人の主張のアラをみつけて指摘することが楽しみだった。
自分にすら興味が無く、うっすらと人間全体に不信感を抱いていたけれど、性欲はあった。
マッチングアプリは正直性欲のために始めた。いろんな女とセックスしてみたかった。
だからこそ人間心理や営業方法を学び、メモをしまくり、成果が出てくると同時に相手の「気持ち」を学ぶきっかけにもなった。
どんなことを言ったら傷つくか、ここで学べた気がする。人間に対する恐怖心も無くなった。
犬嫌いが犬を飼って犬好きになるように、人間をうっすらと好きになるきっかけも与えてもらえた気になったのが28歳。
恐怖心はあったが、比較対象がフリーランスライター達とマッチングアプリ、親なので、皆聖人に見えた。
一重に自分がある程度コミュ力を身につけられたのは、性欲があって、顔が悪くなくて、ASDのパターン化の傾向、若さがあったからだ。
何日か前に新聞を読んでたら、吃音への支援団体に関する記事を見かけて、ふと思い出した。
そういや、俺は昔、吃音に悩まされてたのに気がついたら治ってるなと。
まあたまに詰まるときがあるから、完全に治ったわけではないけど、たまに発生するレベルだしな。
ただ、吃音とは関係あるのかは知らんが、早口なので聞き辛いと言われることはまあまあある。テンパるとさらに早口になりやすい。
そして、吃音のおかげで言葉で伝えづらいときの対策として、やたらと派手にジェスチャーする癖もそのまま残ってる。
しかし、なんで治ったんだ。
やっぱり社会人になった辺りが節目か。
吃音をいじられることが減ったのと、吃ってようが吃っていなかろうが、とにかくコミュニケーションや発表等で喋らざるを得ないことが増えたから、吃音を気にしなくなったこととかか。
サイラーッス
本日は国際吃音啓発の日、日本においては平安遷都の日、時代祭、鞍馬の火祭、絹婚記念日、キャットリボンの日、アニメの日、パラシュートの日となっております。
言いたいことが言えないことは結構あります、とはいえ言えなかったなぁで諦められるようなら最初から考えもしないです。
やっぱり言いたいことはどうしても言いたくはなるのでしょう。
だから、上手く会話の節々に混ぜていくのが上手なコツなのかもしれません。
というかそれを口にしてしまった時点である種疲れているのかも知れません。
そう考えると、良くない気持ちが発散できないままでいるというストレス状態を表現したいヘルプサインなのかもしれませんね。
下手に口出しするより時の流れに任せるのがいい時もありますからね。
変にテクニックあるように見せるよりその方がいいです。