はてなキーワード: 気象とは
AIが人間に指示する仕事は、以下のようなものが考えられます。
データ入力や情報処理:AIは大量のデータを高速かつ正確に処理できるため、人間に対してデータ入力や情報処理の指示を出すことができます。例えば、ビジネス分野での市場調査や、医療分野での患者情報の整理などが挙げられます。
作業の自動化:AIは、繰り返しの作業を自動化することができます。人間に代わって作業を自動化する指示を出すことで、より高度な業務に集中することができます。例えば、製造業における機械の自動運転や、自動車の運転支援システムなどが挙げられます。
判断のサポート:AIは、膨大な情報から傾向を分析することができます。そのため、人間に対して判断のサポートをすることができます。例えば、医療分野での診断支援や、ビジネス分野での意思決定支援などが挙げられます。
予測分析:AIは、膨大なデータから予測分析を行うことができます。人間に対して、将来の傾向や予測を提示することができます。例えば、ビジネス分野での市場予測や、気象予報などが挙げられます。
コミュニケーション:AIは、音声認識や自然言語処理の技術を用いて、人間とコミュニケーションを行うことができます。人間に対して、会話やメッセージの送信などの指示を出すことができます。
以上のように、AIが人間に指示する仕事は、データ処理や作業自動化、判断支援や予測分析、コミュニケーションなど、AIの得意とする分野が中心になると考えられます。しかし、AIの限界や課題もありますので、人間が重要な役割を果たすことは依然として必要です。
法解釈の例
第17条:気象庁以外の者が気象(中略)の予報をの業務(以下「予報業務」という。)を行おうとする場合は、気象庁長官の許可を受けなければならない。
→うん
第19条の3:第17の規定のにより許可を受けた者は、当該予報業務のうち現象の予想については、気象予報士に行わせなければならない
→つまり民間企業事業者とかがする(使用する)予報の予想の部分は例外なく予報士がしたものじゃなきゃダメなのね
第58回学科一般問12(c):リゾート会社との契約によりスキー場の運営に用いる気象の予報を提供する業務について許可を受けている者が、予報業務の目的を変更して新たに一般向けの気象庁の予報をインターネットで提供する業務を始めようとする場合は、気象庁長官の認可を受けなければならない(正)
→つまり「気象庁の予報」を提供することが予報業務の目的の変更にあたるということのなる。それはつまり、気象庁の予報の提供が第17条に該当する予報業務だということになる。
(もしそうでなければ、問題文は目的の変更ではなく第22条に基づく予報業務の休廃止になるはずだ)
→つまり、提供にする「気象庁の予報」も、第17条に基づき予報士が行ったものでなければならないことになる。
言ってる意味が全くわからない。特に民間等で予報士に予報させるのは予報業務許可事業者だろ
例えばウェザーニュースライブで予報士に予報させてるのは予報業務許可事業者であるウェザーニューズになる
1問正解に過ぎない問題の解釈が他人と違うならその問題は自分の解釈でやって違うなら抗議するかネットでキャンペーンでも張ったらいいのでは?
↑予報資料は予報士がしたものを使わなけならないのかという論点が全然見えてない
気象庁の発表をインターネットで伝えるのに認可が必要なんですか?
じゃあテレビ局が気象庁の発表文を放送で流したり、事後にwebに見逃し配信するのも認可いる?
(煽るつもりはなく、率直な疑問)
↑うん。だからさ、どこがどう勝手なのか、逐条的に「お前の推論はこの部分でこの条文のこの記述に矛盾してる」という形できっちり示してみせてよ。できないからそんなふわふわしたレスしかしてこないんだろ?
https://harenote.com/58rd-test-general/4
↑じゃあこれ誤植?
もっともそれでも一つ片付いただけで予報士の欠員への対処に関する解釈はいまだ謎
まあ0人はだめと言うのを丸暗記で問題には正解できるんだろうがその先の話として無自覚でも違法なことはしたくないからなあ
そもそも気象庁以外の者は業務上の予想を予報士に「行わせなければならない」っていわれても気象庁の職員と民間事業者で指揮系統つながってるわけないのにどうやって「させる」んだろうね?
たとえばその日たまたま自社所属の予報士の調子が全員悪くてまともに予想ができてないという場合、友人の事業者から誼で無料で業務に使えと気象の予想をもらった場合、これに基づく予報をするのは違法にあたるのかね?
指揮系統がないという点では気象庁の場合と同じだけど。「させようがない」場合は条文の適用外だとするなら、こういう場合も違法じゃないことにならないと整合性が取れないような気がする。
気象庁が実際にやってることが書いてあるだけのページを示してどやられても困るな。
遺法という認識なく違法状態を看過してるだけかもしれないだけだからね。論理的にどうして合法なのかと解説したページじゃなかぎり、当てになどできない。
憲法9条絡みの問題だって今後の動向によっては政府はそのつもりなくても違憲状態を維持し続けてきたってことになりえるわけだろ。それと同じだよ。
流れがいつも通りになればもう俺に対する反論もないだろうと安心できる。
そうじゃなきゃいつ反論されるのか分からない状態でほったらかされるのはやっぱり落ち着かないからね。
そもそもなんで同一人物が何度も書き込むのはよくないみたいな価値観が満ちてるのだろうか。
同じ人間は同じ話題ばかり振る傾向があり、連続して発言するのを許すとスレの流れが硬直化するから(要するにs/n比的な意味でスレの情報価値が下がるから)?
フェイルセーフとは、何らかのシステムや機械装置が、想定された動作をしていない、または異常を検知した場合に自動的に安全な状態に移行する仕組みのことを指します。つまり、もしも予期せぬ問題が発生した場合でも、人為的な介入がなくても自動的に安全な状態に移行し、事故を未然に防ぐことができます。
しかし、ロケットの打ち上げにおいては、フェイルセーフだけでは十分ではありません。ロケット研究は、多岐にわたる科学技術の知識が必要とされ、完璧なシステムを構築することは非常に難しいとされています。
例えば、ロケットの打ち上げにおいては、加速度や振動などの複雑な物理現象に対する対策が必要となります。また、気象条件や地球の自転などの要因によって、打ち上げのタイミングを調整する必要があります。
また、ロケット研究においては、多大な時間と資源を投入する必要があります。繰り返しの試験が必要となり、そのためには膨大な費用と時間が必要となるため、研究者たちは常にコストとリスクのバランスを考慮しなければなりません。
さらに、ロケット研究においては、技術的な問題だけでなく、政治的・社会的な問題も存在します。国際協力や法律や規制の遵守、環境保護など、多くの問題が存在し、それらを解決するためには、政治的な合意や社会的な配慮が必要となります。
以上のように、ロケット研究には多くの科学技術的な問題だけでなく、費用やリスク、政治的・社会的な問題など、さまざまな課題が存在します。それらを解決するためには、複数の分野の専門家が協力し、それぞれの分野の知識を共有し、常に最新の情報を入手することが必要とされます。
合理的であることは道徳的要請である。知能指数(IQ)と合理性指数(RQ)は別物である。IQはエンジンの馬力で、RQはエネルギー効率だと考えて良い。幸いにも、合理的になるように自分自身を訓練することができるかもしれない。ここにいくつかのアイデアがある。
1. スコアをつける
Brierスコアはもともと、気象予報士の天気予報に対するフィードバックを得るために開発されたものである。気象モデリング技術の向上と、より鋭いフィードバックにより、今日の気象学者は、1、2世代前よりもはるかに正確になっている。このスコアリングを応用できるだろう。
2. 同じ状況に陥った他人を探す
あなたが投資家で、ある会社の経営陣と面接し、その株を買おうと考えているとする。経営陣には楽観主義バイアスがかかっているはずなので、彼らの言うことは大目に見なければならない。しかし、他社に対する彼らの見方は、正確である可能性が高い。つまり、自分のことを聞くのではなく、他の人のことを聞くのである。皆、自分のことをユニークだと思いたいものだが、他の人が同じ状況に置かれたときにどうなったかを尋ねることは役に立つ。
3. クリティカルパスよりも余裕を持つ
あるタスクがどのぐらいかかるのか、と問われた時、「2時間」を「4日」と訳す。
現実の世界では、確率は常に変化している。合理的な思考をするための重要な課題の1つは、新しい情報が入ってきたときに、確率を正確に更新することである。最も優れた予測家はこれを非常にうまく行い、非常に細かい確率の刻みを使っている。(ただし、多くの人は確証バイアスに陥り、新しい情報を適切に評価に取り入れるよりも、無視したり、割り引いたりすることを好む。つまり、目的に対して間違った信念を補強し続け、コミュニケーションを無視し続けたり、間違った人とコミュニケーションをする。)
批判されるレベルの文章とは思わないし平均よりだいぶレベルが高いと思うけど、一文目はちょっと引っかかったわ
気象予報するには予報士受かった程度じゃ全く足りず大学で気象学なり地学専攻してないときついと前スレにあったけど、逆にそのあたりの学士どころか博士さえ予報士資格を確実に取れるかといえばかなり微妙なところあるんじゃないの?と思う
ここね
(1) 予報士資格を取る < 地学専攻 <= 実際に予報する
という順ではないかという疑義が挟まれる 個人的には(1)が納得感のある順序なので、全く何の根拠もなく納得感もない(2)が唐突に提示された時点でフラストレーションを感じた
後半を読むとようやく順序の問題ではなくそれぞれのカバーする範囲が違う(=順序をつけることができず、地学専攻だからといって予報士資格を取れるスキルを持っているとは限らない)という話であると分かるが、一文目で脱落する人はそれなりにいるだろうと思った
文章は書き出しが重要なので後ろは多少テキトーでもそれっぽく読み飛ばしてもらえたりするけど、一文目に引っ掛かりがあると体感的な文章のわかりやすさが大幅に下がってしまう気はする
掲示板に以下の引用文を書いたらいろいろ文句を言われてむかついた。
句読点や文の区切りを意識すると読みやすくなるといったって、お前らが書いてる文章と比べて読点の量やタイミングや文と区切り方と差なんてねーじゃねーかと大概的外れに感じたが、なにに比べても圧倒的にむかついたのが「頭の中と文字が上手く繋がらないんでしょ。よくある発達さん」というもの。まあとにかく引用する。
気象予報するには予報士受かった程度じゃ全く足りず大学で気象学なり地学専攻してないときついと前スレにあったけど、逆にそのあたりの学士どころか博士さえ予報士資格を確実に取れるかといえばかなり微妙なところあるんじゃないの?と思う
大学で学べば解析学なりテンソルなりの知識を授かるから物理現象の数式化によって数値予報モデルを作れるようになる、つまり機械に予報させるスキルは身に付くことになるだろうけど。
まあ衛星画像から雲の存在高度や厚さを答えろみたいな問題ならさすがにパターン化できるけど、時系列ごとに並べた予想図を使って予想を答えろ的な問題は全然無理。
この日時までの部分を含めていいのかとか、微妙にこの県も含まれてる気がするけど含むべきかとか、そのあたりかなり曖昧で、少なくとも私は解くごとに間違える
むしろ物理現象の数式化というスキルと比べても予想図の解釈とかいうのはチャート式みたいに言語化して教えられない主観的なセンスによるところが大きすぎる。たとえるなら株のチャートを見てこの株は上がるか下がるかみたいなデイトレのスキルに似てる。あれもだめなやつはどんなに練習しても次の一回で大損する選択をしかねない。
実技の参考書持ち込み可でも50点も取れる気がしないから、大学行ってりゃ受かるとかいうものじゃないと思うんだがどうだろう?真鍋叔郎氏でもある意味で落ちるんじゃね?
「頭の中と文字が上手く繋がってない」などと言うからには、批判先の文章が日本語として体をなしてないはずだ。
しかし別にそんなことなかろう。むしろ山田悠介より全然ましだと思う。これがたとえば日本語学びたての外国人が書いたかのような文章に見えるだろうか?
頭の中と文字がつながらないとはやや専門的に言えば、内言を同じ意味を持つ文法等がまともな日本語に変換できないということを意味するが、俺自身が発達だから知らんが別に字面からそんなふうなことが起こっているようには見受けられない。
優劣の問題じゃないのよ。
大学や研究者がやることはある現象が数式に則って振る舞っているとしてそれを解くというのが代表的な仕事の一つだろうが、こういったものはそれが同様の法則に則っているかぎり、ある厳密に論理化された方法論を理解しさえできれば誰でも解ける。
でも実技の勉強は具体例に対する方法論を学んでそれを活かすというやり方しかできない。実際問題を解くときはその方法論に対して「行間」を自分で補って目の前の問題に対処できるように加工しなければならない。
厳密な論理を理解して活用するのと、あいまいな方法論に基づいて良い具合に図を読み解いて出題者が満足する論述をするのとではそもそも能力として別物だと言うことだよ。話題が気象と共通なだけで実は別の技能
真鍋教授ができないならよっぽど難しいみたいな皮肉を叩くのは一流バッターと一流ピッチャーを比較するようなもの
もっとも真鍋教授ほどの御年なら筆記スピードもだいぶ落ちてると思うしもっとメタ的な事情でも合格点に達しない可能性は十分あると思うんけど。
2009年11月のいわいる事業仕分けから、もう13年も経った。「2位じゃダメなんですか?」の質問の発言で非常に曰く付きとなったアレだ。
ところが最近、13年も経ってまだなおナゼ「2位」という言葉が出てきたかが理解できてない人がかなりいる事を知った。それどころか、スーパーコンピュータの京は、事業仕分け時点で世界一になることが明白だったなどという認識まで飛び出す始末である。
ただ、資料もなしにどこが変だと言っても仕方あるまい。何がどうして「2位」なのか、少し語ろうじゃないか。
初期の次世代スーパーコンピュータ (この時点では名前が付いていなかったが、以下わかりやすく京と呼ぶ) 計画 は、補助金を投入してのHPC産業育成に目を向けられていた[1]。世界一の性能を出していた海洋研究開発機構の地球シミュレータが、NECのSXシリーズをベースにしたベクトル型であり、ベクトル型のスーパーコンピュータは日本のお家芸とみなされていた。これを育成することが一つの目標。そして、立ち遅れていた当時の世界のスーパーコンピュータの潮流、スカラ型の開発に追いつくこと。これがもう一つの目標となった。結果、世界でも類を見ないベクトル型とスカラ型のハイブリットなどという中途半端な方式になる。実に日本的な玉虫色の決定と言えるだろう。しかし、補助金の注ぎ込みが不足し、事業者持ち出しの負担が大きくなってしまった。結果、事業費負担が高額になることを嫌い、NECと日立の撤退する[2]。これにより、世界の潮流通りのスカラ型とならざるをえなくなった。
CPUはというと、世界のスーパーコンピュータの潮流では当時から既に汎用のx86アーキテクチャのCPUが既に多くなってきていた中、富士通はSPARC64VIIIfxを採用した。よく国産CPUと表現されているが、SPARCの名で分かる通り、当然命令セットは米国Sun Microsystems (現 Oracle) のセカンドソースであり、端から端まで国産というわけではない。更に、業務用UNIXをささえるマシンとして一世を風靡したSPARCではあるが、当時ですらもう下火となっていた。京の事業費の約半分、実に600億円が、この専用CPUに注ぎ込まれることになった。なぜその選択をしたのか。富士通のサイトには省電力と安定性が理由として書かれている[3]。しかし、その省電力という目標も、後述するように微妙な結果となってしまった。また、ソフトウェアの使いまわしも微妙となった。
計画は2005年に始まる。世界でも類を見ないベクトル型とスカラ型のハイブリットという構成もあり、概念設計にはしっかり時間を費やした。2007年9月には性能目標は10P FLOPSと示した[4]。稼働開始は2010年、2012年に完成という工程も同時に示されている。直前の2007年6月のTOP500を見ると[5]、1位のIBM BlueGene/Lが370TFLOPS。5年後に30倍という性能を目指したことになる。当時の発表としては、世界一が取れるような計画だったが、しかし日進月歩の分野で5年は結果的に長かった。
さて、前述のように、ベクトル陣営は2009年5月に撤退を決めた。10P FLOPSの性能と決定した時には、ベクトル側も居たのに、そこがぽっかり空いた状態。10P FLOPSのあてはいつついたのだろうか? 2009年7月の報告書[6]では、スカラ単体で10P FLOPSを達成できること、ベクトル部は存在していても接続まわりの性能が不足していて問題があったことが表明されている。結果的に、なくなってよかったというトホホな内容だ。さて、同報告書では、稼働開始前の2011年6月に、ベンチマークだけでも10P FLOPSを達成してTOP500の1位を目指すと書いてある。どうしてこうなったのだろうか。
遡ること半年の2009年2月3日、米国国家核安全保障局(NNSA)はIBMと新しいスーパーコンピュータ Sequoiaを展開すると発表した[7]。性能は20P FLOPS、京の予定性能の実に2倍を達成するという発表だ。しかも、提供開始は2011年~2012年。京の1年も前になる可能性があるという。
そう、双方が計画通りなら、京は2012年、提供を開始する時には既に2位になっているという話題が出ていたのだ。なるほど、それはあせって2011年にベンチマークだけでも「トップを取った」という実績を残したいわけである。
さて、その後のSequoiaはというと? ある意味計画通りだろう、2012年に提供が開始され、2012年6月のTOP500[8]では予定通り20P FLOPSを叩き出し、1位になる。しかし、2012年11月のTOP500[9]では、Crayとオークリッジ国立研究所が作ったTitanが叩き出した27P FLOPSという数字ににあっさりと抜き去られ、2位になる。まるで幽遊白書のラストのような展開だ。しかも、SequoiaはIBMのPower系アーキテクチャで構築されたA2プロセッサだったのに対して、TitanはAMD OpteronとNVIDIA K20Xの組み合わせ。汎用性でも差を開けられている。これはお手上げというものだろう。
さて、話は京に戻す。京が有名になったのは2009年11月13日の行政刷新会議、いわいる事業仕分けである(ここは参考文献は要るまい)。このときまで、そんな計画があることを知らなかった人の方が多かったのではないだろうか。どういうニュアンスで言ったかわからない、まるで日本を貶めているかのように聞こえる「2位じゃダメなんですか?」という言葉が非常にインパクトを与えたことだろう。
さて、じゃぁ何が2位なのか。だ。前述の通り、この時点ではIBMのSequoiaに追い抜かされることが見えていた。TitanはGPUの調達など細かい話が決まってきたのは2010年なので、この時点ではほとんど影がなかったはず。ということで、3位じゃなくて2位としたのは、Sequoiaを意識してのことだろう。つまり、「2位じゃダメなんですか?」というのは、1位を諦めて2位の性能で我慢するべきということではなく、客観的に見れば「2位になるのが見えているのだけど、何で1位と言ってるの?」という話になってくるのが見て取れる。蓮舫氏がそこを意識してたか知らんけど。
共同事業者が撤退し、一応強気に「大丈夫」と言ってはいるが、本当に達成できるかは周りからは疑問符が付くグダグダなプロジェクト状況、ほぼ専用設計で量産時にどういう問題が出るかわからないCPU、ソフトウェアも新規制作。税金の投入は中途半端で、産業を育成したいのか企業負担を増やしたいのかよくわからない(だから撤退する事業者が出る)。そもそもここで出来たスーパーコンピュータ、CPU抜きにしても売れるのか分からない。そりゃ、金田康正教授でなくても、京にはため息が出るというものだ。
さて、京は何を達成したのだろうか? 京は完成前ではあるもののベンチマークを実施し、見事11P FLOPSを叩き出し、2011年6月[10]と2011年11月[11]のTOP500でトップに躍り出る。この分野に日本ありと示した…かどうかはわからないが、一つの実績として言えるのは間違いない。いや、経緯のグダグダ感からして、見事なプロジェクト進行だったと称賛できる。しかし、前述の通り共用を開始した2012年9月[12]にはTOP500ではSequoiaに追い越されており、直後のTOP500ではTitanにも追い越されて3位となっていた。1位は、ベンチマークだけの存在だったと言える。
では目標の産業育成としてはどうだっただろうか。京をベースにしたスーパーコンピュータ PRIMEHPC FX10[13]やFX100は、東大[14]、名大[15]、キヤノン[16]、九大[17]、信大[18]、JAXA[19]、核融合科学研究所[20]、気象庁気象研究所と、調べるだけでも国内実績は多くある。国外実績は、台湾中央気象局[21]、シンガポールナショナルスパコンセンター、豪州 NCI、英国 HPC Walesと、それなりにある。ただどうだろう。産業としてうまくいったのだろうか。有価証券報告書を見ても、その他のセグメントに入ってしまっているため状況がつかめない[22]。謎ではある。とはいえもし、産業としてそれなりに育ったのならば、有価証券報告書で報告する事業セグメントとして独立したものを与えられてしかるべきだったのではなかろうか。少なくとも1000億も出したのだ。そのくらいではあってほしかった。更に言うなれば、特に競争の激しい国外市場をうまく取り込めたかというと、産業育成という視点では頑張ったとは思うものの心もとない結果だったように、少なくとも私には見える。
消費電力の面はどうだろうか。上述の通り、SPARCを使う理由には省電力が上げられていた。これをライバルのSequoia、Titanと比較してみよう。2012年11月のTOP500[9]で見ると、京は12.6MW消費するとある。Sequoiaは7.8MW、Titanは8.2MWだ。実はこの時の報告のあるスーパーコンピュータの中で、最大の電力消費量を誇っている。高いほうがいいのではなく、消費電力は低いほうがいいので、これはかなり問題がある。
費用面はどうだろうか。これもライバルと比較してみよう。京は日本円にして1120億円かかっている。対してSequoiaは2億5000万ドル[23]、Titanは9700万米ドル[24]だ。2012年11月で見るとドル円相場は82円なので、Sequoiaは約205億円、Titanは80億円となるだろうか。京のプロセッサ開発費を除いたとしても、数字が違いすぎるのだ。
纏めてみよう。京は、一時期でベンチマーク上だとしても、TOP500で1位を取った。これは「夢を与え」(平尾公彦氏)た結果だったろう。しかし、それは砂上の楼閣でもあった。しかしそれを実現するための費用は米国の5~10倍で、性能は実は半分、消費電力は1.5倍という結果になり、産業育成も盛り上がったかどうかは判然としない。こんなところだろうか。
近年のスーパーコンピュータを含めたHPC分野はどうなっているだろうか。近年のクラウドコンピューティングの流れを当然HPC分野も受けており、主要プレイヤーとしてAWSの名前が挙がっている[25]。またレポートでは挙がっていないものの、Google Cloudも猛追しており、円周率の計算では1位を叩き出している[26]。必要な時に、必要な規模で構築できるクラウドコンピューティングの波は、さてHPC分野でどこまで浸透していくのだろうか。産業育成の方向が、2009年時点では確かにハードウェア開発だったろう。しかし、事業仕分けへの反発により、日本は方向性を間違ってしまったのではないか。私は、そんな気がしてならない。
[1] ttps://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/hyouka/kentou/super/haihu01/siryo2-3.pdf
[2] ttp://www.nec.co.jp/press/ja/0905/1402.html
[3] ttps://www.fujitsu.com/jp/about/businesspolicy/tech/k/whatis/processor/
[4] ttp://web.archive.org/web/20130207162431/https://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2007/070914/index.html
[5] ttps://www.top500.org/lists/top500/2007/06/
[6] ttp://www.jaist.ac.jp/cmsf/meeting/14-3.pdf
[7] ttps://www.llnl.gov/news/nnsa-awards-ibm-contract-build-next-generation-supercomputer
[8] ttps://www.top500.org/lists/top500/2012/06/
[9] ttps://www.top500.org/lists/top500/2012/11/
[10] ttps://www.top500.org/lists/top500/2011/06/
[11] ttps://www.top500.org/lists/top500/2011/11/
[12] ttps://www.riken.jp/pr/news/2012/20120927/
[13] ttps://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-24020620111107
[14] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2011/11/14.html
[15] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2013/05/15.html
[16] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2013/08/6.html
[17] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2013/08/22.html
[18] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2014/02/13.html
[19] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2014/04/7.html
[20] ttps://nsrp.nifs.ac.jp/news/PS-next.html
[21] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2012/06/25.html
[22] ttps://pr.fujitsu.com/jp/ir/secreports/2015/pdf/03.pdf
[23] ttps://arstechnica.com/information-technology/2012/06/with-16-petaflops-and-1-6m-cores-doe-supercomputer-is-worlds-fastest/
[24] ttps://web.archive.org/web/20120727053123/http://www.hpcwire.com/hpcwire/2011-10-11/gpus_will_morph_ornl_s_jaguar_into_20-petaflop_titan.html
[25] ttps://www.sdki.jp/reports/high-performance-computing-market/109365
[26] ttps://cloud.google.com/blog/ja/products/compute/calculating-100-trillion-digits-of-pi-on-google-cloud
俺は↓この増田を書いた者で
https://anond.hatelabo.jp/20221126194637#
ガキと思われてると感じたのはこの書き込み
医療過誤でもなければ手術後にすぐ死んだとかでも責任問われないでしょ。それと同様のことだと思う。
AIのプログラムには設計ミスがないという前提に立ってるので、そのAIが起こした事故はもはや天災のようなもの。なるべくしてなった不可避の事故とみなされるんだろう。
参考ページ
https://toyokeizai.net/articles/-/349633?page=3
「まず、法人は刑事罰の対象ではないので、実質的には社長や開発担当者などが対象になる。だが、品質に問題があった、というだけでは難しい。現不能なバグによって事故が起きた場合、メーカー、運転手含めて誰にも過失がないことになる。ほかの法律でも起こることだが、刑事責任を誰も問われない、という状況が起こることもありうる。」
に君呼ばわり
この文を書いている今日、所用で外出した先で雨に遭い、それが止むのを夕方まで待ち、さて自転車で自宅に帰ろうとした道すがら、空に虹(にじ)を見た。
今日の外出先から自宅へと向かおうとすると、ちょうど西から東へ進行する形になる。東の空へと流れ去る黒い雨雲を背景に、色の濃く鮮やかなもの、色が淡いもの、二本の虹が綺麗な弧を描いていた。
その時、私が通行していた自転車道兼遊歩道には、他に散歩やランニングをしている人たちもいたのだが、彼らも私と同じように、虹に見とれたり、スマホで画像を撮ったりしていた。中には「二本の虹なんか初めて見た!」と驚いている人たちも少なからず見られた。虹が二本出ることを知らない人もいるのかと、むしろそれに私は驚いたのだが、のんびりと空を見上げる余裕を持つことがあまり許されない現代人には、仕方が無いことなのかもしれない。綺麗な虹を見たという新鮮な感動が機会となって、彼らが空の気象や天体に関心を持ってくれたら嬉しい。
ところで、二本の虹が出ることを知らないということは、おそらく彼らは二本の虹の名前も知らないのであろう。しかし、虹が二本出ることを知っている人でも、案外その名まで知っている方は少数派ではなかろうか。こんなことを言うと「虹は虹でしょ?区別とかあるの?」と思われるかもしれないが、漢字による呼称は区別がある。
漢字の原型は、殷代の甲骨文字に見ることができるが、その中には既に、虹を表した象形文字を見出すことができる。それは、弓形の弧を描く二本線で描かれており、弧線の両端には口を開いて下を向く頭を持ち、しかも角らしき突起まで見られる。
甲骨文字は占いに関する記録を遺したものであることから卜辞(ボクジ)とも呼ばれ、古くから中国人自身による研究が行われていた。その一つに郭沫若(かく・まつじゃく)の著した『卜辞通纂考釈』があるが、この中で「一つ出た虹を『虹(コウ)』、二つ出た虹を『霓(ゲイ)』と称したものであろう」という説が述べられている。ただし、現在の漢和辞典を引けば、『虹(コウ)』が雄で『霓(ゲイ)』が雌とも記されていて、郭沫若の説とはやや異なる。二本の虹の濃い方を『虹』、淡い方を『霓』として雌雄ペアと見るのが後代の見方である。いずれにしても、卜占の亀甲や肩甲骨に刻まれるような神秘的・神話的存在として、虹・霓は古代中国人の心を捉えていた。
残念ながら、私のデバイスの文字変換では『霓』の文字しか出てこないのだが、本来は『虫』偏に『兒』旁で、ちゃんと『虹』とペアになるのに相応しい形をした文字である。それが現在、雨冠の字形が主流となっているのは、科学的な物の見方をするようになった近・現代人が、この漢字には神話的・呪術的な役割ではなく、気象用語という科学的な役割を担わせるようになったことの反映であろう。
虫偏の字であることからも判るとおり『虹(コウ)・霓(ゲイ)』のことを、昔の人々は、広い意味での『蟲(むし)』の類いと考え、すなわち「ヘビ」の一つと見做していた。これは日本でも同じことで、マムシやフクムシなど「ムシ」の呼び名がヘビには用いられている。『フクムシ(福虫)』というのは、これは穀倉を荒らすネズミなどの害獣を捕食してくれる益獣だからである。『マムシ(真虫)』の真(ま)は、オオカミに冠した神名『大口真神(おほくちのまかみ)』における真(ま)と同じく、強く猛々しい神の名を軽々しく直接的に呼ばないようにするための、一種の忌み名としての尊敬の接頭語であろう。
『虹(コウ)・霓(ゲイ)』は、両端に頭を持つ怪蛇であるから「それではヘビじゃなくて、むしろ龍とかの仲間ではないか」と言われるであろう。しかし、昔の人々にとっては、家屋の周辺や田畑などで身近に見かける普通のヘビですら、神秘的な存在だったのである。昔の人々にとって、龍(りゅう)/蛟(みずち)etc.と普通のヘビとの間の境界は、我々現代人が考えるよりも遥かに曖昧であったと言ってもいい。足を持たない、もしくは四脚が有っても小さくて目立たない、細長いクネクネとした身体の動物のことを、一纏めの仲間として昔の人々は捉えていたと考えられる。このことを少し頭の片隅に置いてから、以下を読み進めてもらいたい。
「それにしても、虹がヘビだなんて、昔の中国の人たちは面白いことを考えていたものだなあ」と思われるかもしれない。しかし、実は「虹(にじ)=天の蛇」という考え方は、近代化する以前の社会では、地球レベルで広く見られた/見られるものである。そして、それは日本も例外ではない。そもそも日本語の名称『ニジ』そのものが『ヘビ』を意味していたとも考えられている。
日本における「『天の蛇』としての虹」の話に関しては、ロシア人言語学者ニコライ・ネフスキーによる有名な研究をはじめとして、多数の調査研究が為されている。それらから、思いつくままに事例を紹介していこう。
例えば、琉球諸島宮古島では虹を『ティンパウ』と呼んでいたが、『ティン』は「天」、『パウ』は「ハブ」のことである。『ハブ』は『ヘビ/ヘミ』系統の語である。大蛇を表す『ウワバミ』の語に含まれる『バミ』もまた『ヘビ/ヘミ』の転訛であると考えられる。『ウワ(上)』はマ(真)カミの真と同じく、忌み名としての尊敬の接頭語であろう。
宮古島の北にある池間島には、若返りの水についての昔話が伝えられている。欠けて新月となり姿を消し、再び満ちて姿を現すことを繰り返す月。脱皮して不老不死を保つ(かのように信じられていた)蛇。若水とは、神話では月や蛇と結び付けられて語られる、不老不死の象徴である。月と水が結び付けられるのは、潮の干満との連想であろうか。
太古の昔、人間はスデ水(若返りの水)を浴びて脱皮することで、不老不死を保っていた。ある時、天の太陽神が、セッカ(ヒタキ科の鳥類)に命じて、スデ水を月から地上へと運ばせていた。ところが、途中で『アウナズ(虹)』が、スデ水を奪って捨ててしまった(あるいは、スデ水を横取りして使い、脱皮するようになった)。このため、太陽神と月神の怒りを買ったアウナズは、それ以来、太陽の反対側に出るようになったという。
若水物語に登場する『アウナズ』という語は、琉球諸島地域におけるアオヘビ類を指して言う『アウナジ/オーノジ』系統の語と明らかに同じものである。他に、八重山群島竹富島でも『オーナーヂィ』と言うとされる。つまり『天の虹』と『地上の蛇』を、同じ名前で呼んでいたのである。
少し変わったものでは、小浜島では虹を『チネー・ミマンチィ』と呼んでいたというが、これは『ティン・ヌ・ミミジィ(天の蚯蚓[ミミズ])』の意であるという。細長くてクネクネした動物を昔の人々は一纏めに捉えていたという話を、今一度、思い出してもらいたい。
新城島では、虹を『アミ・ファイ・ムヌ(雨を食うモノ)』と呼ぶ。雨が降りそうで本格的には降らない俄か雨で終わる状況を「虹が雨を食った」と言うからだそうである。与那国島には『アミ・ヌミャー(雨を飲むモノ)』という呼び名もある。
虹が喉の渇きを潤すために雨や地上の水を飲みに現れる、或いは、虹が喉の渇きを潤すために雨を呼び起こすという信仰もまた、広く見られるものである。
長野県では、龍が天から水を飲みに降りてきた姿が虹とされ、また、同県更科では「虹は『ジャ(蛇)』の吹く気である」と信じられていた。山梨県西部でも「『ノジ』は蛇の息」とされた。秋田県平鹿では「『ノギ』は吹いた」と表現した。大分県でも、虹が出ると「『ジャ(蛇)』が吹いた」と言われていた。水神としての蛇神が棲むとされた湖沼から天の蛇としての虹が出現して、雨を呼び起こすという話も広く分布していることが認められる。このことから、ネフスキーは湖沼の支配神を指す『主(ヌシ)』も『ニジ』と同一起源ではないかと考えたようであるが、それは流石に後代の研究者から否定されたようである。しかし、湖沼の主といえば大抵は龍蛇なので、語源論としてはともかく、ヌシと虹を結びつけるネフスキーの見方は意外に悪くないと思える。
ネフスキーと同じ頃の時代、宮良当壮という研究者は、虹とヘビ類の方言呼称を分析して「『ニジ』はヘビを意味する語から分化した」ということを立証しようと試みた。ニジの呼び名には『ノジ/ネジ/ヌジ/ヌギetc.』がある。既に上でも紹介したが、琉球諸島地域におけるアオヘビ類の呼び名が「アヲ+(語根)」の形をとっており、その語根部分の変化が『ノジ/ナジ/ナギetc.』となっていて、極めて似ている。そこから、宮良は「『ナギ』が『ウナギ(鰻)』を含めた『ヘビ型動物』の総称であり、そこから『ニジ/ヌギ』などの語が派生分化していった」と考えたのである。細長いクネクネした動物を一纏めに捉えていたという話を、再度、思い出していただけたであろうか。
この宮良説の傍証としては、例えば秋田県ではアオダイショウのことを『アヲノジ/アヲノズ』と呼び、『ノジ/ノズ』は同地域における虹の呼称と共通しているなどといった事例が幾つも見られるので、宮良説はあり得ると個人的には思っている。大蛇を指す『オロチ』という語も、尊敬の『接頭語オ(御)+ロチ(ノジ系統語の転訛)』と考えられる。
とはいえ、現代人の感覚から見れば、特に、生物学や動物分類学の知識を通じて見れば、ヘビとウナギを同類視するという考え方は、なかなか受け入れ難いものと思われるかもしれない。しかし、以下の話を読まれたならば、どうだろうか。
昔の日本人は、雷神に対して信仰を抱いていた。特に農民は、落雷に対する特別な信仰を抱いていた。例えば、岐阜県美濃地方では、稲田に落雷があれば、その場所に注連縄を張って神聖視・聖別した。何故このように稲田への落雷を特別視したのか。それは『稲妻(イナヅマ)』という単語に端的に表されている。イナヅマとは「稲の配偶者」であり、昔の日本の農民たちは、雷神を「稲田神を孕ませる夫(ツマ)」と見做したのである。これは、落雷のジグザグ線が蛇神の顕現と見做されたこと、そして、蛇体が男性器の象徴と考えられていたこととも関係しているのであろう。落雷は豊作の予兆であった。
東北地方には、落雷のあった稲田を神聖視する風習が存在した。例えば、岩手県では、落雷のあった稲田を「お田の神の田」と呼んだり、女性や家畜を入れないようにしたり、雷神と刻んだ石を建てて祀るなどした。
この岩手県をはじめ、東北地方には「ウンナン田」と称する水田の事例が見られ、これは「落雷のあった水田」であり、しかも「鰻(ウナギ)の姿が見られる水田」のことであるとされる。ウナギが住める水田は、水温が比較的高く、良い水田だと考えたからともされる。落雷後の水田でウナギを目撃したことで、農民たちは「雷神が水田に棲み着いて、良い水田に変化した」と考えたのであろう。しかし、それだけではあるまい。
今では、落雷が豊作の予兆であるという考え方は、単なる非科学的な迷信ではなく、それなりの自然科学的な根拠があったと知られている。農作物の稲だけに限らず、植物の生長には、窒素肥料成分が不可欠である。大気中には気体の窒素が大量に存在するものの、それらは化学的に安定な窒素分子の状態で存在しているため、そのままでは植物も栄養素として利用できない。ハーバーボッシュ法による大気中の窒素を人工的に固定する方法が確立し、窒素肥料の大量生産が実現するまでは、大気中の気体窒素を、植物が栄養素として利用できる窒素化合物の形に化学変化させることができたのは、マメ科植物の根に共生している根粒菌を除けば、雷による空中放電だけであった。おそらく、落雷が起きた水田の周辺では、雷の電気により生じた窒素酸化物の影響で、稲の発育が良かったのだと想像される。それを見た農民たちが、経験知として「落雷=豊作の徴」と語り伝えたものが、ウンナン田なのであろう。
最後になるが、もしも『ナギ』系統の語がヘビ型動物を指すという説が真実であるとすれば、そこからどうしても思い浮かべてしまうのが、インドから東南アジア地域に広く分布する蛇神『ナーガNaga』の存在である。果たして、ヘビの古い呼称の一つである『ナガムシ(長い蟲)』の『ナガ』は『ナーガ』と関係があるのか。水の中にいる長くクネクネしたヘビのような身体をした動物ウナギは、もしかしたら『オ(御)+ナーガ』からその名が付けられたのか。
妄想は尽きない。
今回の内容は、この本の受け売りである。とても面白い名著なので、是非、図書館などで一読することをおすすめしておく。
栗花落カナヲと蛇の話⇒anond:20221108215545