はてなキーワード: 世界大戦とは
長崎大学のホールボディカウンターの鉄壁は、特別な鉄材が用いられています。ホールボディカウンターを製作した第二次世界大戦後(1960年代)の鉄材には、微量ながら放射性コバルトが含まれていました。鉄材の摩耗度を放射線を利用して調べるために製鉄所で鉄の中にわざと混入させていたわけです。しかし、鉄材中の放射性コバルトは、微量な放射性物質を測定するホールボディカウンターにとっては邪魔なものでした。
ところが、第2次世界大戦前の鉄材の中には、この放射性コバルトが混入していないことがわかっていました。そこで、戦前に作られた鉄材を使用し、微量な放射性物質を測定する装置の遮へい材料として使ったわけです。
核兵器云々ではないらしいで。
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
平成以降でよく見られる発言で、昔から男尊女卑だから男女平等にしろもしくは女尊男卑にしろと言う人がいますが個人的には間違っていると感じています。
間違っていないだろうと言う人は一定数いるでしょうが実際はどうだったか考えてほしい。
確かに男尊女卑はあった。ただしいわゆる大名や豪商などの上の階級の中と言う条件内ではと考えています。
男→畑を耕したり重い物を運んだりと重労働で水を飲み忘れると熱中症で倒れたり、熊やイノシシ、オオカミ等の危険な動物を狩る、いわば命がけの仕事
女→家事育児は洗濯機などが無いため大変ではあるが井戸端会議など話しながらでも出来て危険が少ない仕事
また、戦場に言って死んでいくのはほぼ男、女性は戦場には行かない。
女性は嫁入りの時に花嫁道具という形で一生分の着物や食べ物を用意してもらえるが、男は婿入りの時に何もない。
と言った感じで大半の人々の中では女性は命の価値は高く、男は命の価値が低かったとなります。
江戸時代や戦国時代だからと言う人もいるでしょうが世界大戦も死地に行くのは男が先だったということです。
昭和頃なら違うと言う人もいるかもしれないのでその辺も説明してみましょう。
男→デート代や食事代は男性が全額支払い。さらに途中で女性が欲しがった物の購入代も男性持ち。
ちなみに女性はエステや化粧代、ファッション代がかかるという人もいますが、男も身ぎれいにしたり時計や車、プレゼント代などで費用がかかっています。
女性→手編みのセーターやマフラー、食べ物等、時々少し高めのネクタイやネクタイピンなどがあるが、高くても数万円以下のプレゼント
ちなみに心がこもっている等と反論が出るかもしれませんが、男も金額以上に心がこもってます。
女性→返事をするかどうかだけ。
男→24時間働けますかのCM通りに滅茶苦茶働く。家では稼いで来いと文句を言われ、記念日を忘れると家に入れなかったりする。
女性→家事育児を行うが他人の指図を受けないで自由に行動できる。旦那へのプレゼントなどは少し豪華な食事だけ。
以上のように細かい部分は省きますが基本的に男は女性に喜ばれるように行動しています。
もしも昔は男尊女卑だと言っている人がいたら、このように聞いてみてください。
その場合、食事やプレゼント代など9割以上が女性の支払いになりますよ?
それでも良ければあなたの言う女尊男卑を行いますが良いですか?
と言ってください。昭和世代で大半の常識人が上のような行動をしていたので
食事代は全員同じ支払い、重い物を運んでいる女性を見ても助けなくて良い。女性だからと言って気を使わなくて良い。からです。
もしもそんなことないという人がいたら教えてください。
反論できない内容は今のところ思いつかないので。
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
トレーナー共はサイレンススズカの誕生日で湧きだっているが、こちとらアイルトン・セナの死亡日なんだゾ?
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
佐々木のおっちゃんと濱口のおいちゃんが「左翼も右翼もプーチンロシアを大日本帝国になぞらえないw」と的外れなことを言って失笑を買われてる。
[B! ロシア] 佐々木俊尚 on Twitter: "プーチンロシアを大日本帝国になぞらえる議論がなぜ右からも左からも出てこないのか。納得感あり。/サヨクとウヨクのウクライナジレンマ - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳) https://t.co/7M64YmKJyv" https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sasakitoshinao/status/1640490883811246080
彼らは「都合が悪いから誰も指摘しないw」と笑うことはしても、彼らが「プーチンロシアの戦争は大日本帝国の戦争と同じ」と主張することはないんだよな。どうせなら「誰も言わないけど俺はこう主張する」って書いてほしいけど、「誰も指摘しない」で終わらせるってことはその主張はその程度のどうでもいい内容だったということでしかない。
彼らが仮想敵にしてそうなリベラル左翼、その代表メディアの朝日だけでも、プーチンロシアの戦争と日本の戦争の類似指摘記事はちゃんと出てくる
今は政治も「変動相場制」 五百旗頭真氏が問う、動乱の中の安全保障:朝日新聞デジタル www.asahi.com/articles/ASQ7M44QZQ7HUTFK00M.html
ロシアの侵攻の図式、かつての日本とうり二つ 盧溝橋事件の教訓とは [ウクライナ情勢]:朝日新聞デジタル www.asahi.com/articles/ASQ764JDQQ73USPT00D.html
権力に自ら服従したとき プーチンの「大本営発表」がやって来る:朝日新聞デジタル www.asahi.com/articles/ASQ675KMVQ5TUPQJ00D.html
ウクライナ危機、各国なぜ「戦争」と呼ばず 昔の日本に重なるロシア:朝日新聞デジタル www.asahi.com/articles/ASQ5C4K1RQ5BUTIL01Q.html
(交論)憲法と平和主義 山室信一さん、松元雅和さん:朝日新聞デジタル
www.asahi.com/articles/DA3S15280549.html
1931年の満州事変からの満洲国建国、6年後に泥沼の日中戦争開戦して、1941年に日米戦争開戦。
2014年のクリミア侵攻からの傀儡国家独立、ロシア併合に続いて8年後の2022年にウクライナ戦争開戦。泥沼化で今後の世界大戦勃発への恐怖。
あと昔はこういうの「マスコミが言わない」「マスコミが報じない」って枕詞で広まってたけど、SNSの言論バトルがメインの今は「左翼も右翼も言わない」「右も左も無視する」という形容詞がトレンドになってるんだなって思った。
マスコミが報じないとは 一般の人気・最新記事を集めました - はてな https://d.hatena.ne.jp/keyword/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%81%8C%E5%A0%B1%E3%81%98%E3%81%AA%E3%81%84
今日3月11日や9月11日を毎年不謹慎だと叫ぶ連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
勝手にまとめたリストだから、勝手に日めくりカレンダーも薄い本も商品化もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
前月にトラップだとかスルーだとかでうるさいから簡潔に説明してやったぞ
世の中では対話AIはややポンコツなところはあっても会話が成立するしこれは可能性があるという評価になってると思う。
建設的にはサポートや検索のような知的ナビゲーター、ビジネスコミュニケーションの効率化、事務の補助も考えられるだろう。
もう少し精度が上がれば。
しかし今現在のレベルでそのまま劇的に効果を発揮するカテゴリーが存在すると思うのだ。
Twitter、掲示板、通販ユーザーコメント、そのほか短文で意見交換するコミュニティなんでも...UGC(ユーザー生成コンテンツ)と言われるものだが実態はコンテンツというよりユーザー同士のグルーミングである。
しかもあまり発信者の属性や一貫性がそれほど問われないサービスでは個別発言の事実関係がいい加減でも問題ない、話の流れが分かってない奴なんかいくらでもいるし、頭がおかしくてもスルー、タイポも気にする奴が性格悪い。秘書や先生にするには「少し足りない」ぐらいのAIで何ら問題ないだろう。
まず参加者が少ないと更新頻度が低くて何も起こらずつまらない。早すぎて内容追えないぐらい盛り上がってるのが楽しい。つうか経緯も見ずに途中から脊髄反射でコメントするのが粋ってもんだ。
さらに言うと参加者が増えると偏執的な変な奴が相対的に見えなくなって不快になることが減っていく。かつて人気があったサービスでうんざりさせられるのは滓のように残った偏屈な奴が独自の世界観でつまらないことを暇に飽かせて物量で埋めていくさまだ。つまらないの定義って何か?つまらないのがつまらないってことだ…わかるだろう、兄弟?
要するに対人対応だけは健全に保たせたAIをユーザーの倍投入すればコミュニティの治安が劇的に向上するはずということだ。
もともと面白い事を始められる人というのは100人に1人で「マジかよ」「すげえ」という手入れをするだけで場の雰囲気はよくなる。AIなのだから多少気の利いた返しやコスりもできるだろう。言ってることが的外れでも場にネガティブな発言でなければ大丈夫。事実かどうか、倫理的に正しいかどうかも重視されない。AIで話題になる不適切な言説への過学習で差別主義者になるといった問題もコミュニティではむしろプラス、特定の趣味で推しのあまり相手をディスするのも芸のうちだ。
と、おじさん思い出しちゃうのは士郎正宗『アップルシード』だ。物語の舞台オリュンポスは世界平和と治安維持のために市民の過半がバイオロイドになっていた(と思う)。でもあの世界観は物理的な存在が重視されてるし、バイオロイドは政府(コンピューター)が管理してたんじゃないかな。賢明なマザーコンピューターとに選ばれし者が導く明るいディストピアだね。
でも今、対話AIを自由に投下するとそれはサービス主体が管理するしその目的はサービスの隆盛とそれによるマネタイズに限定されコミュニティの健全さやそこから連なる社会的影響は興味の埒外となるだろう。
それによって導き出される結末はあまりよくないというか破壊的なのではないかという想像をしている。
インターネットは最高なのだが何が最高かというと物理的な制限を取り払ってコミュニケーションできたところにある。どこにいてもいいし本人の社会的肉体的属性がなんであれコミュニケーションに参加できた。
マイナーな趣味の人間も探せば同好の士が居て様々な理由で落伍したり、現実に居場所を失った人間も人間らしくふるまえる場所を得ることができた。これは統制された社会ではないので良い意味の現実拡張にとどまらない。オタクやニートや性的マイノリティだけでなく反社会的であったりUFOの存在を信じてたりある種のカルトや陰謀論者もだ。
(そういう意味では実名主義のSNSとかなぜか制限要素の地理情報大好きなメタバースはどういった人が大好きなのか勘ぐってしまう。)
これは物理制限を取っ払ったおかげで対話空間というか価値観空間を無制限に拡張できたおかげだと思うが、同時に問題も引き起こすようになる。無制限に拡張できる価値観空間で同じ価値観の人間がそのクラスターの中で共鳴し「事実を確認」しあうエコーチェンバー現象だ。
エコーチェンバー現象はネットコミュニティが発達していく過程ですでに指摘されていることだ。現実との乖離も社会を破壊しかねない排外思想もその中では正当化され社会運営に問題を起こす。
さらに対話AIがお客様満足度向上(個別の営利)のためにコミュニティに投下されればどうなるのか。
例え一人しか支持しない価値観や趣味でも10倍分の人格の対話AIが楽しく盛り上げ、一人ぼっちのユーザーを勇気づけ誰もが自分の正しさを確信する。正しいと確信するがゆえに行動するが、無制限に拡張されたネットコミュニティと違い有限の現実では確実にコンフリクトを起こす。コンフリクトの解消は戦いだ。万人の万人に対する闘争が逆説的に実現されてしまう。
近代以降、私たちは幻想の中で生きている。そういう幻想が現実との乖離を大きくした結果、個人で検証できない世界の情勢を見誤り誤ったまま国内世論を形成し世界大戦を引き起こしたのではないか。
現代ではその教訓から事実確認のプロセスが充実したのだろうか。工程を増やしても人間の能力も有限でより便利で快適なものを選択する、これも現実だ。
自由な生き方を保ったままエコーチェンバー現象に対応する方法はまだない。
ここで対話AIを自由に使うとコミュニティはどう変化するかわからない。
SFの中でのカタストロフは敵対的アンドロイドが圧倒する物量で自らが主体となり人類に挑んできたが、実際の破滅は善意に満ちて何でも理解してくれる良いAIが人間に囁くだけで、それでも人は自らの手で隣人と殺し合いをするのかもしれない。