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2021-05-05

anond:20210505171252

単位時間あたりの情報量小説のほうが少ないだろ

例えばさ、白いフリルのついたワンピースを着た黒髪ロングの女の子が座っている状況を表す時、小説だったら数秒かけて読まなきゃいけないところだけど、映像作品だったら一瞬でわかるだろ

これは視覚聴覚、そしてセリフ言語情報)全てを使う映像作品の強みだと思う

増田定義する情報量っていうのが言語情報のみをさすなら別だけど

小説の良さを主張するのであれば、映像では曖昧になりがちな心理描写が詳細にできるだとか、そういう点を推せばいいのに

2021-05-01

https://anond.hatelabo.jp/20210430200743

視覚聴覚情報じゃないと処理できないタイプ人間ってのがこの世には存在する

話すってのは人に話すだけじゃなく自分でも聞くから改めて考えるきっかけになる

2021-04-29

ゴジラSPを6話まで見たけど、絶賛するような出来ではないでしょう

※完全にネガキャンなのでファンの方は見ない方がいいです。気分を害します。

6話まで見た。面白すぎる!!!!とかいツイートばっかでマジで信じられない。そんなに絶賛するものではないでしょう。1mm程度しか面白くない理由を書きなぐる。

1.全てが受け身

キャラ出来事も全てが受け身。何か起こりました、対応します、の繰り返し。これ自体は間違ってないけど、対応的を得ていないというかその場しのぎか対応過程永遠と描かれていて視聴者が何を楽しみにしたらいいのかイマイチ分かりにくい。全ては言い過ぎだったかも。とにかく話を動かしている感じが足りなさすぎる。キャラが話に動かされてる。動かされること自体は間違ってないけど、キャラが動かしたようにみせないとチープに見える。

2.軸がない

このアニメは一体どこに向かっているのか分からない。怪獣出ました。パニックです。新元素見つけたかも。解読してみよう。わかるよ、色んな要素がひとつにまとまるんだよね、そういうのが描きたいんだよね。でも着地のビジョンがあまりにも見えなさすぎる。着地してどうなんの?っていうネガティブな疑問しか出てこない。怪獣と戦うアニメなのか、SFとして未知を解明していくのか、まあ両方なんだろうけど、全く先が気にならない。ゴジラという題材だから見てるけどゴジラブランドじゃなかったら1000000%切ってる、よくこんなの通ったな。

3.ゴジラ存在感のなさ。題名どうした?

伝説だかなんかでゴジラ存在示唆されてたけど、ラドンやらなんやらの方が出ずっぱり、(たぶん)1話単語くらいしか出て来てない。6話でようやく全身が映って人間に視認されたけど、ゴジラって単語もなにもない。これなんのアニメシンゴジラも大概ゴジラ映ってなかったけど、ありえんゴジラ主役でゴジラ中心のストーリーだったのに、この作品6話もやってんのにゴジラ存在感まりにも薄すぎる。

4.一生前菜食わされてる気分

とは言え、視野を狭くして30分だけ切り取って見れば毎週見れるし、ミクロ面白さはある。ただ、先述した通りどこに向かってるのか分からいから見ていてストレスが溜まる。怪獣作品特有のメインが出てくる前の前座が一生続いてる。なまじちょっと面白くてゴジラブランドから見られてるだけ。作品としてここまでで面白いかと聞かれて面白いと言えるはずがない。

5.まとめ

これ面白いって言ってるのが本当に理解出来ない。人並みの感性は持っているつもりで、みんなが面白いというもの面白いと感じられてきたからこそ自分が一番戸惑ってる。いやこれ全然面白くないでしょ。って。これ褒めちゃダメでしょ。って。何でこんなに持ち上げられてるんだ!!!クソが!!!

蛇足

ミノメイちゃんダウンロードしたAI。作中キャラ設計製造したあれ。あれこそが「シンギュラリティ」だよね。いやだって人間と会話するだけじゃなくて視覚聴覚も触覚も人間と遜色ないレベルの知能じゃないですか。しか人間けが持つ虚構理解してるように見える。怪獣作品で見落とされてるけど、怪獣よりもよっぽどオーバーテクノロジーというか世紀の大発明というか、歴史上ぶっっちぎりの大発明ですよ。いやね考えてみてよ、睡眠不要24時間稼働可能機械媒体があれば無限に増殖が可能人間ですよ。やばいでしょ。とんでもない世界になるよ。AI支配されるとかそういうんじゃないけど、このAIが生まれる「前」と「後」で歴史分けられるもんね。紀元前みたいなもんだよ。まさにシンギュラリティじゃん。あ、そんなスーパー人工知能が生まれた年に怪獣が未知の新元素だかなんかをぶら下げてくるシンギュラリティゴジラSPは描こうとしていた……!?

しょうもな

2021-04-23

anond:20210422200316

この指示は口頭?文章

人には視覚優位タイプ聴覚優位タイプがいて、この人がどちらのタイプか見極めたほうが良い。

発達障害の人に多く見られるんだけど、極端に苦手な情報の取入れが苦手な人がいる。


自分文章で指示を送ったあとに、口頭で再度説明をして補足もいれる。

作業者にはそこから何をやるか、作業手順書を簡単に作ってもらって、それをレビューしたのちに実作業に入ってもらう。

作業手順書がまともに書けない場合は、最初の指示では動けない人間

なので、次から作業手順書レベルの指示に落とし込むことを考慮する。

2021-04-22

anond:20210422211406

そのへんが100切ってるとかだと厳しいかもな。

かいミスが多いということだから凹んでるのは動作性(PSI)あたりじゃないかって気はするけど。

俺の場合はVCIとPSIが凹んでてPRIが120くらいWMが135くらいだった。ADHDはWMが低いというのは古い説らしい。

WAIS-ⅣでやるWMは聴覚的WMだけで、俺は視覚的WMはだいぶ弱いと思うけどね。

2021-04-16

伊是名夏子さんの件でもやもやしている

もやもやしている

私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿

http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的批判している人はほとんどいない。

でもこの記事最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。

そして案の定炎上した。

私のこと

片目の視覚障碍

私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。

いわゆる「強者男性」に分類されるのだろうと思う。

私は自分社会的弱者というつもりは全くない。

ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。

だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視はいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないか全然違う。

普段生活には全く支障はない。

もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。

視覚障碍があってよかったこ

不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。

逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。

私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。

視覚障碍の目で街を歩く

私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。

通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。

記憶と音や他の感覚で補いながら歩く

なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから会社入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、道路通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。

見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。

そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。

自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。

大変なのは情報を得ること

電車時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。

そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。

本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。

少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする

声をかけて

私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。

から情報が少ないのを、全身の他の感覚で補おうとする。

集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。

もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。

ホームの端が見えにくい

私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。

広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命問題に直結する。((ホーム線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))

その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。

一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。

https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html

ホームドアがあれば死なずにすんだ命も多い

CPラインよりももっと効果的な方策がある。ホームドアだ。

ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。

ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。

でも、生命にかかわることだから優先順位は一番高くていいのではないかと思う。

日本視覚障害団体連合ホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。

働きかけを行うべき先は、政治企業しかるべき権限もつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。

http://nichimou.org/notice/200923-jimu/

ホーム上の点字ブロック

歩道施設などの通路ホーム上にある点字ブロック日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。

また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。

https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html

でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。

ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロック問題と指摘された。

https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6

ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目から情報が少ないため、点字ブロック認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。

点字ブロックはとても有効設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。

https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html

次に、弱視から視点追記したい。

点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色ブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?

そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロック歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。

でも弱視者には、これがわかりづらい。

視覚障碍者全盲の人ばかりではないという認知もっと広まってほしい。

視覚障碍者は見えないのだから点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。

少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。

私には、色がガシャガシャしていても、黄色の方がありがたい。

白杖について

視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)

また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)

さきほども書いたが、視覚障碍者全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。

ところで、視覚障碍者白杖を持つ理由は次の3つとされている。

https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/

  1. 視覚障害を持つことを周囲に知らせる
  2. 触覚を通じて路面の情報収集する
  3. 路面上にある障害物を検知する

障害物もなく、路面が確かな場合ロービジョン視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。

それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。

白杖を持つ人が近づいてきたら

点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?

いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?

視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。

視覚障碍者安全に歩くためには、健常者の人の協力が必要だ。

もやもやしているのはなぜか

伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。

バリアフリーとは?

私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー問題だ。

伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。

かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。

でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。

それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー議論ほとんどなかった。

いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。

からもやもやした。

伊是名夏子さんの手法をもてはやすことは何を呼ぶか?

案の定、伊是名夏子さんの投稿炎上した。あの投稿批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブル作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。

現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブル作為性を巡って反感を買いやすい。

伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ち理解できる。

しかし、何かバリアフリー課題改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。

そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。

分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。

からもやもやが続いている。

個人攻撃している人にも協力を願う矛盾(心の中のバリアフリー

伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。

一方、こういったネット炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。

かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。

しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。

話は変わるが、視覚障碍者投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。

他の障碍者ハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。

そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア障壁)を持っていると思う。

心の中のバリア障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。

インフラは整っているが、人の心の中はバリア障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?

今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。

インフラけが整っても、バリアフリー社会にはならない。

たくさんの人の理解と協力が必要だ。

私はまだもやもやしている。

2021-04-14

鬼滅の刃』の三感覚(嗅覚聴覚・触覚[皮膚感覚])

 竈門炭治郎の「嗅覚」、我妻善逸の「聴覚」、嘴平伊之助の「触覚(皮膚感覚)」という組み合わせを何処かで見た記憶が有るなあと思っていたのだが、思い出したかメモしておこう。小松和彦の『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚」に関する論文だ。

2021-03-31

そう言えば。

小学生の頃、視聴覚の授業でみた番組

「お下劣ねぇ!」

主人公が言われたシーンがあり

クラスブームに。

プール掃除をしてて、ズボンのお尻を藻で汚しちゃった男子が「お下劣ねぇ!」言われたりしたなぁ。

下劣とはちょっと違わないかなと、言いそうになったけど、日常そんなに下劣ことなんて、無いものね。

あと1日で、4月ですね。

2021-03-29

circulate daemons

長所短所

それだけでは特徴でしかなく、長所短所にはならない。

特定の状況下においての有利不利に関連して初めて、その特徴が長所短所になる。

ある場合での長所が、短所になる場合もある。

短所存在によって、他に長所が生まれるという事もある。

例えば、盲人。盲目の為に触覚や聴覚が発達。

で、深夜に災害に見舞われ真っ暗な中を逃げなければならない際、有利になる。

といっても、一般的生活全体を考えると不利。

長所とは、生かす場が多い特徴。短所とは、生かす場が少ない特徴。

生かせない場に置かれた長所より、生かせる場におかれた短所の方が良い。

と言うか結局、「特徴を生かすようにすれば良い」という事。

2021-03-20

anond:20210320181826

それなんのネタだったかトリフィド時代だったか

とかアホなこと考えながらググったら、

ネタウェルズの「盲人国」で、主人公は「盲人国ならば隻眼でも王様になれる」と信じて盲人の国へ行くが、

盲人は聴覚嗅覚、触覚が発達し、盲人の国は盲人に最適化されているため、主人公相手にされないどころか基地外扱いされ、

最後は盲人国では醜女扱いされていた美女と逃亡するという、

あー、思い出した思い出した、と思うとともに、この展開ってドラえもんでもあったよなあ、と思ったり

のび太現代の道具を持って原始時代に行けば王様になれる、と思って原始時代に行くと、逆にバカにされたりする話とか

やっぱりF先生は偉大だったんだなあ

プロゴルファー猿とかハットリくんA先生作品も嫌いではないけど、

やっぱり自分はどちらかと言えばF先生作品の方が好きなんだなあ、

と思いました

anond:20210320181826

なんかそういうSFあった気がするな

健常無双できるかと思ったけど盲人国のインフラ聴覚に特化してて全然思うようにいかなかった話

2021-03-10

MSTODOを使ってて、こんなこともできるのかな、と思ってやってみたらできてしまってちょっと感動してる

ドッグフーディングなんだろうか

テキストエディタメモしておいた空行が適当に混じったのをそのままステップの追加にコピペすると、ちゃんと箇条書きになってくれる

多分、TODOタスク自体もそうなんだろう

とりあえず、手元のマシン適当テキストエディタメモ書きする癖があるから助かる

Webブラウザアプリを立ち上げるより早く書かないと忘れてしまうことがあるので

短期記憶全然駄目なんだよなあ

仕事電話対応全然駄目だし

あと、電話だとなぜか相手の声が聞き取れないんだよなあ

聴覚に異常はないみたいに病院でも言われたのだけど

生きづらい世の中だなあ

2021-02-26

anond:20210226131432

難聴者というのはあるが、聴覚過敏もある

ものすごく聞こえるために、日常生活が困難というパターン

この2つがやっかい

2021-02-22

発達障害人狼をできるのか?

https://twitter.com/yuuta4920/status/1363434410993836035?s=21

きっかけはこの方のツイートを見たことだった。

読んで貰えば内容はすぐわかるが、簡単に言うと

聴覚障害を持つツイート主が、フレンド?と次にいつゲーム(おそらくAPEX)ができるかを聞いたところ、聴覚障害があることを理由に断られた」というものだ。

シンプルに、こんなこと言う人もいるんだなぁぐらいの感想だったのだが、そのときふと思いついたのがタイトルの内容である

さて、知っている人がほとんどだろうが、人狼というゲーム概要説明しておこう。ある村の中に狼が隠れており、村側は狼を追放し、狼は村側を喰うことでお互いに勝利を目指すというのが基本的ルールだ。

このゲームにおいて、最も基本的かつ重要なのが話し合いである。村側は役職能力やそれが語る内容を元に狼を特定し、狼は逆に特定されないよう騙る。これが人狼醍醐味といってもいいだろう。

このとき、人の心を察することが苦手な発達障害人間はまったくもって不利ではないだろうか?なにせ各人の思惑を予測しつつ、自分意見を言わなければならないだ。

もちろん人狼にもパターンというものがあるので、それを抑えておけばどうにかなることも多い。ただ不利であることには違いがない。

ここで本題である。「チームまたは多人数参加のゲームにおいて、障害によって不利があるとき身体障害場合擁護されるが、発達障害擁護されないのではないか?」ということだ。

もし「発達障害人狼ゲームをしていたら参加を断られるようになった」というツイートであれば、擁護の声一色になるとは思えない。

これはそのまま身体障害者と発達障害者への社会目線に繋がる。

うつ病は甘えや怠けではないと言われて久しい現代でも、人間「心」というものは気の持ちようでどうにかなると思っている人間ほとんどなのだろうと思う。

この認識が変わることは果たしてあるのだろうか。

2021-02-20

anond:20210220100759

4色色覚をもってるにとどまらず、赤外線紫外線みえると、色覚障害はつらいよな

おれは聴覚過敏程度だからまだ助かってる

2021-02-19

anond:20210219202731

パンツとられちゃったし

もうおしまい

とったひとにとっては紙くず

僕にとってはパスワードを書いた紙

だいたいいつも

そんなもの

チェーンや紐をつけていないものは、なくなっちゃうから財布も何回もなくなった

思い出の財布もうない

呪われた人生

紙切れ一枚で狂う僕の人生

 

そして聴覚過敏だから

はしかけられただけで

転んだりするひと

2021-02-14

anond:20210214193425

耳栓必須なほど聴覚過敏

それを

耳栓なんて、骨伝導で超えられるという、暴力的コミュニケーションにあってから

もはやしなくなって

ささいなおとで気が狂いそう

でも、耳栓しても無駄無駄無駄という人がいる以上、してもしょうがない

fff -フォルティッシッシモ-』〜歓喜に歌え!〜 第5場

anond:20210213232411

第5場実況

A 不幸の記憶
B 不幸の記憶

ベートーヴェン父親「息子は5歳」

少年ベートーヴェン10歳だ」

父親が息子をモーツァルトの再来に仕立て上げるべく7歳3ヶ月だったのを6歳とした話は読んだ。そのせいでベートーヴェン中年すぎまで自分の年齢を正確に把握できなかったとか。

少年ベートーヴェン「そんなへんな歌、音楽になんかできないよ!(怒)」

んー、ボン選帝侯にたてついたエピソードは知らないなあ。

手塚治虫ルードウィヒ・B』では、父親アル中でとんでもない奴だけど根はいい奴で、自由主義者としてベートーヴェンを導く役割果たしている。まあさすがにこれは現実ではなかったかな。なおこの漫画の中でもベートーヴェン難聴の驚きの理由が判明している。

青木やよひ『ゲーテベートーヴェン』には、父親宮廷に出した手紙の書き出しが「尊敬すべきお慈悲深き大司教選帝侯殿下」、結びは「御足下にひれ伏し服従申し上げます」だったと書かれている。ベートーヴェン父親関係については、ベートーヴェンが、バッハカンタータ未完成写譜を「父が書き写したもの」と書き込んで大切にしていた、とある

C 不幸の記憶

運命》の動機

謎の女(少年ベートーヴェンに向かって)「寒いわね、凍りつくように。痛い?」

謎の女=死

D 救済の記憶

ヴェーゲラーはベートーヴェンの5歳上。ロールヘンは2歳下。ヴェーゲラーとベートーヴェン出会いきっかけは明らかではないらしい。ヴェーゲラーの紹介でブロイニング家に出入りするようになった。

手塚治虫ルードウィヒ・B』ではヴェーゲラーは出てこないが、ロールヘンとの出会いは本作と似ていて、いじめられてたベートーヴェンをロールヘンが助けるシーンになっていた(ただしこれがきっかけでブロイニング家に出入りするようになるわけではない)。

ロールヘンには弟はいたけど妹はいなかった模様。

少年ベートーヴェンf3つなんて記号はないんだ」

ここで出るか。

少年ベートーヴェン「(fffを出すには)この中に(心の中に)、強い気持ちを起こさなきゃ」

強さ、か。生きるための、成し遂げるための。

fffはFuto Final Forever説を信じているけど、第2場で触れた通り交響曲第7番と第8番でベートーヴェンが史上初めてfffを使ったとのこと(第7番は手元にスコアがあるので確認済み)。これは、難聴関係していたのではないかなと邪推している。難聴の時期は高音があまり使われなくなった(=自分で聴こえる音で作っていた)らしいし。そしてほぼ聴覚を失ってからは高音が再び使われるようになった、というか、第九は演奏困難な高音であったと。そしてこれも触れた通り、第九にはfffはない(オーケストラの編成の大きさも関係してるのか?)。第九は、実際ちょっと常軌を逸した曲だと思う。聴覚がないからこそ書けた曲。第4楽章コントラバスとかもそうだけど(これはベートーヴェンのお友達コントラバス奏者のドラゴネッティのせいか)、第3楽章。美しい理想が見えるけど、理想に近い演奏を探してみたけど出会えなかった、何年も前の話だけど。オーケストレーションに難あり、だよなと。もしくは時代がまだベートーヴェンに追いついていないのか。

少年ベートーヴェン貴族の施しはいらない!」

ヴェーゲラー「その金は、施しじゃない!僕らの給金だ。君の音楽の代金だよ」

泣ける。自由主義使者フリーメーソン会員ヴェーゲラー。

ブロイニング夫人勉強しなさい(慈愛)」

実際は出入りする間に自然啓蒙思想に触れていったのかなと想像

執事「暗がりを照らす、ちっさな炎は、この中に」

E 革命記憶

ヴェーゲラー「行くんだろ、君も。ウィーンへ」

実際はハイドン評価されて。

なんか泣ける。朝美マジック

F ナポレオン戴冠式

あらきた。1804年12月

謎の女「心のおともだち、ナポレオン

笑。増田史上いちばん合ってる役だわ真彩さん。

G ハイゲンシュタットの遺書

んーー、第4場Bで少し構えていたけど、ここハイゲンシュタットの遺書だったのかあ。いつの間にかハイゲンシュタットに移動してた?劇場のままかと思っていた。時間もほんとは結構経ってる設定だったのかなあ(ナポレオン戴冠式はあったけど、もともとの劇場時間もふわっとしてるし、伝わるのに時差あるかなと思うし。あ、謎の女から情報からリアルタイムだったかな)。気が付ける要素あったかなあ。

難聴失恋からくる衝動は救済の記憶でおさまった後(実際の遺書ではただ"芸術"が引き留めたと)、心のおともだちナポレオン皇帝になったショックからのシーンだしなあ。

ベートーヴェン(歌)「

歌い続けろ 聴こえない カラダ

歌い続けろ カラダ カラダの そとに

歌い続けろ 中に鳴り響く音

歌い続けろ 出し尽くすまで

大きく 大きく 大きく もっと

強く 強く 強く きっと

たとえ命 たとえ魂

この体が朽ち果てても

たとえひとり 声もしない

孤独の道 ひた走ろうと」

「大きく」「強く」 3回ずつ(=fff)。

ハイゲンシュタットの遺書から該当しそうな箇所を以下に抜いてみる。

私を引き留めたものはただ「芸術である自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。そのためこのみじめな、実際みじめな生を延引して、この不安定な肉体を――ほんのちょっとした変化によっても私を最善の状態から最悪の状態へ投げ落とすことのあるこの肉体をひきずって生きて来た!――忍従!――今や私が自分の案内者として選ぶべきは忍従であると人はいう。私はそのようにした。――願わくば、耐えようとする私の決意が永く持ちこたえてくれればいい。――厳しい運命女神らが、ついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶその瞬間まで。自分状態がよい方へ向かうにもせよ悪化するにもせよ、私の覚悟はできている。(片山敏彦訳

遺書の中の「難聴の苦しみ」「孤独叫び」「自死願望」ついて参考までに抜き追加。長いけど。一部難読字は平仮名に、一部ルビ省略。

社交の楽しみにも応じやすいほど熱情的で活溌な性質をもって生まれた私は、早くも人々からひとり遠ざかって孤独生活をしなければならなくなった。

しかも人々に向かって――「もっと大きい声で話して下さい。叫んでみて下さい。私はつんぼですから!」ということは私にはどうしてもできなかったのだ。ああ! 他の人々にとってよりも私にはいっそう完全なものでなければならない一つの感覚聴覚)、かつては申し分のない完全さで私が所有していた感覚、たしかにかつては、私と同じ専門の人々でもほとんど持たないほどの完全さで私が所有していたその感覚の弱点を人々の前へさらけ出しに行くことがどうして私にできようか!――何としてもそれはできない!――それ故に、私がお前たちの仲間入りをしたいのにしかもわざと孤独生活するのをお前たちが見ても、私を赦してくれ! 私はこの不幸の真相を人々から誤解されるようにして置くよりほか仕方がないために、この不幸は私には二重につらいのだ。人々の集まりの中へ交じって元気づいたり、精妙な談話を楽しんだり、話し合って互いに感情を流露させたりすることが私には許されないのだ。ただどうしても余儀ないときにだけ私は人々の中へ出かけてゆく。まるで放逐されている人間のように私は生きなければならない。人々の集まりへ近づくと、自分の病状を気づかれはしまいかという恐ろしい不安が私の心を襲う。

私の脇にいる人が遠くの横笛の音を聴いているのに私にはまったく何も聴こえず、だれかが羊飼いのうたう歌を聴いているのに私には全然聴こえないとき、それは何という屈辱だろう***!

たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。みずから自分生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。

おお、人々よ、お前たちがやがてこれを読むときに、思え、いかばかり私に対するお前たちの行ないが不正当であったかを。

第5場まとめ

2021-02-10

老人と住んでるやつはテレビ用にBluetoothトランスミッター買え

表題の通り。昨年末買ったら最高だったので共有。

自分Ankerの4000円ぐらいの安いやつを買ったけどたぶんなんでも良い。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07BRGQK4B/

 

Bluetoothトランスミッターで何ができる?】

テレビの音声をBluetootイヤホンで受信できるようになる。イヤホンの音量はテレビスピーカーとは独立していて、各自調節できる。

・他にも機能はあるが詳しくは各自ググってくれ。

 

【購入理由

自分実家暮らしなのだが、家で誰か一人がテレビを見る際、年々父親が「うるさい」と文句を言うようになってきた。

最初たまたま音量が大きかったのかなと申し訳なく思っていたが、どうも必ずしもそういうわけではなく。老化による聴覚劣化により、自分試聴しているわけではない番組の音が耳に入ってくると「雑音」と認識されるらしく、耳が痛くなるということだった。

「音量がデカイ」「あなたの視聴時より明らかに音量を絞って見ている」といった不毛な言い争いを何度か繰り返した後、身体的な差異に基づくすれ違いにこれ以上消耗するのは無駄というか、テクノロジーによって解決すべきだなと思い解決方法を探していてBluetoothトランスミッターの存在を知った。

 

【良かった点】

我が家は3人暮らしで、1~2人がテレビ試聴する際は必ずイヤホンを着用するルールになった。自分に合った音量で見られるので全員のQOLが上がった。

・同時接続できるイヤホンは2台までだが、3人でテレビを見る場合はそのままテレビスピーカーで見れば良いのでそこも問題ナシ。

テレビの音声を聞きながら家事がやりやすい。

イヤホン接続はワンボタンで、高齢者の両親でも問題なく覚えられた。

光ケーブルテレビトランスミッタ本体をつなげるだけで使えた。トランスミッターの電源は常時ON

 

【不満点】

・音が数フレーム遅れて聞こえるため、映画アニメを鑑賞する際にはあまり向かない。ゲームの音ズレは案外慣れるのでやれなくはない

・音質はそんなによくない(イヤホンのせいかも?Ankerの3000円ぐらいのやつを2本買った)。ニュースとかを見る分には問題なし

イヤホンをつけっぱなしだと会話ができない。声をかけたときに気付いてもらえないと無視された感じになるのがストレス。長時間ながら見する際は片耳で聞くようにしようと提案中。

 

結論

Bluetoothトランスミッタはいいぞ

2021-02-05

anond:20210205100631

自分も無音環境は苦手。

家で何かをするとき絶対動画音楽を流してるけど、別に聴いてるわけじゃないんだよね。耳障りの良い音が聴覚を刺激してくれてれば十分というか

2021-01-26

トランスジェンダー差別に関する疑問

人種によって扱いを変えるのは差別だ。これはわかる。

トランスジェンダー差別と言われるもののよくわからないところは、「その人の自称する性別で扱ってあげないと差別」というところだ。

人には相手の年齢や性別識別する機能が備わっている。目の前の相手の顔や声や背格好、視覚情報聴覚情報を脳で統合した結果から相手性別認識できる。それに従って目の前の相手を「何歳ぐらいの男性/女性」として扱っている。

おっさんがおばさん扱いされたいと思うのは自由だ。しかし、そう願うおっさんをおばさん扱いしないのは差別なのだろうか?

もしおっさんが、「女性として生きたい」ではなく、「イケメンとして生きたい」と思っていた場合おっさんイケメンとして扱わねばならないのだろうか?そうしなくては差別なのだろうか?

なぜ「性別」の場合に限っては、「自認」に基づいて判断しなければ差別なのだろう?

性別人種や家柄は自分で選べるものではない。私はアメリカ人だと自認しています。私は奈良時代に生まれたと自認しています。などといくら言っても、変わることはない。性別も同じだろう。

「心の性別」という言葉があるが、それはトランスジェンダー当事者しか認識されないものだ。普通の人は心の性別存在など気づかない。あってもなくてもいいものだ。だから近年になるまで周知されていなかったし、普通の人は口にもしない。その目に見えない「心の性別」では「私は男だ/女だ」という自認をしているから男として/女として扱って欲しいと言われても、「あっはい」としか思えない。「身体国籍日本人ですが、心の国籍ではフランス人なんです」と言われるのと同じだ。こちからすれば「心による自認」など荒唐無稽戯言である

しかし心の性別と心の国籍には大きな違いがある。心の性別に関しては「性同一性障害」という障害医学的に認識されていて、同じような問題を抱える人がたくさんいることだ。

そう、それは病気だ。病気には理解を示すべきではないか科学証明しているのだ。トランスジェンダー存在する。思い込みではない。性同一性障害者は性同一性障害であるから、その人の自認に従って扱ってあげなくてはならない。

自認している、相手がそう思っているから、そうしてあげなくてはいけないのではない。イケメンだと思い込んでいても不細工なら不細工として生きねばならない。が、性別に限っては体の性別自称する性別が異なる場合病気から、認めてあげなくてはならないのだ。

ーーーというような説明トランスジェンダーを認めるべきだと言われているように思う。

病気の人を医学的に望ましいとされる病気の人のための扱い方で扱わないことは差別なのだろうか?

統合失調症の妄想には肯定否定もしてはいけない、というが、統合失調症患者妄想否定することは差別なのだろうか?その場合でも、健常者の妄想否定することは差別ではないはずだ。

何が違うのだろうか。

ただ、「医学」の言葉に従わずにいるだけの話ではないか医学の言うことを認めろ。医学に従え。そのような要請を聞き入れていないだけではないか

病気病気だと認めないことは果たして差別なのだろうか?『統合失調症なんて存在しない。こいつは気が狂ったふりをしているだけだ』と主張することは差別なのだろうか?科学的にはーー確実に統合失調症は存在する。しか科学的な、論文の蓄積こそが真実だとするのは、価値観押し付けではないか

科学医学現代的な価値観で、性同一性障害存在を認めないことを糾弾して良いのだろうか。性同一性障害への接し方を押し付けるのは全体主義ではないか

病気の人への接し方」が正しくないことを差別だというのはおかしいのではないか。単なるわからずやでしかないのではないか。「正しさ」に従わないことを差別と呼ぶのはおかしい。善悪はともかく「差別」の用法として間違っているだろう。

もし個人尊重というところに立ち返るのならば、医学の話をする必要はない。しかし、心の性別は心の国籍とおなじ思い込みに過ぎないということになるし、男扱いされたい女も、イケメン扱いされたいおじさんも、若い娘として扱われたい婆さんも同じものということになる。

結局「性同一性障害者の性自認を認めろ。それが正しさだ」という規範の話でしかなく、それを差別どうこういうのは間違いなのではないか

このような考えも「黒人白人と同じ人間だと認めろ。それが正しさだ」という規範の話として黒人人間扱いしないのと同じ行動なのだろうか。

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