はてなキーワード: 歯磨きとは
夫がネットで買った何か、今日の午前中指定で再配達を頼んだから受け取っておいてと言われた。
こういうことは度々あって、いつも通り引き受けた。これまで困ったことはない。
切れの悪さに長丁場を予感し、ああ今宅配が来たら困るなと思っていたらインターホンが鳴った。心配の通りになってしまった。
2回目のピンポンの後、こんにちはーヤマト運輸でーすと聞こえる。
玄関前に置いていってほしいと伝えたいがそれもできない。
歯磨き中に催してしまったから、わたしの口は唾液と歯ブラシで塞がっていた。
今にして思えば、サッと尻を拭いて口の中身を便器に吐けばよかった。焦りで、動けないし声も出せないと思い込んでしまっていた。
こちらが指定した再配達だからか、ドライバーさんはノックをして辛抱強く待っていてくれた。
○ご飯
朝:ナポリタン。昼:なし。夜:天かす、オクラ味噌汁。ネギ納豆。たまごかけごはん。サンドイッチ。間食:プリングス。柿の種。ポテチ。スーパカップ。
○調子
・はじめに
言わずとしてれた名作中の名作でゲームとしてのシリーズ展開だけでなく、小説、漫画、アニメなどでのメディアミックスもたくさんある、ダンガンロンパシリーズの第一作目。
勿論僕もプレイ済みなのだけど、シナリオライターの小高和剛さんの超探偵事件簿 レインコードという完全新作がリリースされるということで復習としてもう一度遊んだ。
超高校級の様々な才能を持つ高校生が入学式当日、奇妙な目眩に襲われ気付くと閉鎖された学校に閉じ込められていた。
そこで巻き起こるコロシアイとその犯人(クロ)を特定する学級裁判の果てに絶望の意味を知っていく、という後にダンガンロンパフォロワーがいっぱい出るのも納得な魅力的なあらすじ。
デスゲームじみたルールの分析や解釈の楽しさに、ミステリっぽいフーダニットめいた展開、そして何より超高校級の才能を持つキャラ達の魅力さ、それらとシステムがガッツリ絡み合ってまさにゲームになっているのが楽しいポイント。
システム部分はアドベンチャーゲームではあるものの、学校を探索するためにキャラを操作するパートや、音ゲーやシューティングっぽいミニゲームに、それらを有利に進めるための育成要素もあったりと、出来る範囲で手を変え品を変え楽しませてくれる。
特にノンストップ議論と呼称されているパートは抜群の面白さだ。
ミステリ系のアドベンチャーゲームでよくある尋問や追求のようなパートを自動文字送りにして、かつ狙い撃つシューティングの要素を足した感じなんだけど、ゲームとシナリオの融合が素晴らしい。
ミステリの大きな魅力の一つに議論があるにだけれど、どうしても文章での表現となると「タイミング」や「合いの手」や「野次」みたいな部分が削ぎ落ちてしまうのだけど、ノンストップ議論はそこをゲーム的なレベルデザインに落とし込むことで、議論をディフォルメしつつ楽しめるようにしてくれている。
発言の中の気になる点をシューティングの的にして、証拠や証言を弾丸に見立てて、的を撃ち抜いて論破するから「ダンガンロンパ」という作品のタイトルになるのも納得に素晴らしいシステム。
声優さんのボイスや、立ち絵の演出もバッチリ決まっていて、ノンストップの名に相応しいハイテンポで楽しくかつロジックで考える謎解きの妙がある緩急も良き。
こういうゲームらしい楽しさと、テキストを読む楽しさが、相乗効果でどちらも楽しくなるようなシステムは大歓迎だ。
ただノンストップ議論以外のシステムはちょっと取ってつけたというかミニゲームかなといった具合なのは残念だが、それだけで十分お釣りが出るほどに楽しめた。
・魅力的がすぎるキャラクタたち
公称でサイコポップと呼ばれる雰囲気でまとまっているデザインも素晴らしい超高校級のキャラたち。
なんといってもココがダンガンロンパ最大の魅力だろう。
自分のことは棚に上げつつ主人公に信頼を要求する強引さが素敵な霧切響子、御曹司で頭脳明晰ながら割とポカをする十神白夜、ギャンブラーとしての生き様が格好いいセレス、オドオドしてて小動物系の愛らしさがある不二咲千尋、ギャルとしての一面だけでなく様々な表情を見せてくれる江ノ島盾子辺りが僕の好きなキャラだ。
通信簿会話と呼ばれる好感度を上げて読むことができるキャラ個別のシナリオが楽しめるのも嬉しい。
話の都合上すぐリタイアしてしまうキャラもそちらで楽しめるのが救いだ。
・腐川冬子好き
ドMで陰気でオドオドしている割に忘れてたとかでなく自発的にお風呂をサボるし言われないと歯磨きもしない、可愛いなあ。
まあこの好きは癖の好きなのであまり掘り下げないでおこう。
今作の事件はトリックらしいトリックもあるものの、概ね誰が行ったかが焦点に当たる展開が多い。
そのため超高校級の魅力的な仲間たちを疑わないといけないんだけど、これが辛くて面白い二つの気持ちに挟まれる。
なにしろ少し前まで楽しく好感度を上げて個別エピソードを読んでいた相手を疑い告発するのだから。
今回リプレイだったこともあり、あえて先回りしながら犯人の個別エピソードばかり読んでたんだけど、この辺の構造が辛面白かった。
突然閉じ込められてゲームに巻き込まれる現実にはありえない突飛な設定に加えて、主人公達の中に科学捜査が出来る人がいなかったり、色々ありそうで色々ない閉鎖空間の都合などもあってホワイダニットやハウダニットは少な目なんだけど、この辺も良い意味で割り切ってると感じられて謎を解いていく部分が物足りなくはなかった。
仲間を疑うからこそのストーリー的葛藤も作中に用語で言う「絶望」らしさがあって恐ろしいからこそだ。
そんなわけで大絶賛なんだけど、締め方は少し雑だったかも。
希望対絶望という大きなテーマの掘り下げは正直ちょっと不足していた。
要しちゃうと諦めずに生きるか諦めて死ぬかの二択になってしまうのも、要しすぎただけかもだけど、希望対絶望ではなく生対死ってことになっちゃって、そりゃ絶望が不利だよと思ってしまう。
前提条件のために大きく無茶な設定を作ってしまったので苦労している感じの伝わってくるので、この辺はシリーズが続いて良かったなあ、と前向きに捉えておきたい。
・おわりに
犯人やトリックを知っていても楽しめるのは本物の面白さがあるからこそだ。
明日雨か。くえないな。お店にたちよれないくらい豪雨なのだろうか。おそらくそうなのだろう。おわったな。おなかすいたよ。いまからお刺身たべます。はらいっぱい食べるってことにならないから・・・なんか一緒にうどん食べたい気分。でも無理だろうな。しかし最近の米まずいな。どこからかったのかしらんけど・・・今日、会場でおにぎりにしたのを食べたけど、つらみしかなかった。腹減ってなかったら、その辺に投げ捨てたい気分。おにぎりなのに塩をまぜてないっていうのもあるけど・・あああああなんかこう美味しいものを腹いっぱい食べたいものだ。食事前だけど、歯磨きしたい気分だ!!理由はわからん。おそらく甘いお菓子をたべたためか。ああいうお菓子はほんとうにクソだ。はらへってしかたないので、しかたなく食べるけど・・あれならお魚ソーセージたべたほうがまし
親元離れると快適すぎる
けど快適
部屋の隅に埃は落ちてるし、クリスマスケーキも餅もひなあられも柏餅も自分で忘れずに用意しなきゃ無いし、Amazonの箱が床に転がってるし、机の上に食器が出しっぱなしになってたり割り箸と紙皿の使用率が上がったり洗濯して干して取り込まなきゃ服が無かったりするけど、格段に快適
歯を磨かなくても食べた後食器を片付けなくても帰りが遅くなっても誰にも何も言われない
歯を磨かなかったら翌日口が臭くて歯磨きに時間がかかるだけ、食べた後食器を片付けなければ翌日起きた時に机の上に食器が残っててカピカピして洗いにくいだけ、帰りが遅ければ睡眠時間が短くて次の日眠いだけ
余計に怒られて不快な思いをせずに済む
ていうか毎回母親にめちゃめちゃ不機嫌に用意されて若干嫌な思い出のほうが強い
今思うと用意するのが負担だったんだろうけどさ、そこまでしなくていいって
ただ嫌な気分になるだけ
それより一人暮らしさせて「食べたらさっさと食器を片付けなさいってこういうことかー」って実感させたほうが100倍生活力付く
来客がキッチンシンクを皿用スポンジで洗いやがった、清潔観念がおかしいもう絶縁だとか、旦那がそれやりやがった、もう離婚考えているとか、シンクをスポンジで洗う事で発生するトラブルは多い。
これは畢竟、ケガレの観念の問題だ。シンクは下(シモ)の範疇になっているのである。
実は日本人のこのシンク=シモの感覚というのは20~30年前に定着したもので結構新しい。それまではシンクは上(カミ)の範疇であり、1990~2000年頃はこれらが混じり合った状態だった。また、調理の現場ではまだシンク=カミだ。
ところで古い国鉄時代の特急などでレバーやボタンを放すと即座に水が止まってしまって手が洗えない洗面台に困惑した事はないだろうか?
シンクというのは元の意は「溜め」だ。水を溜めて使うのがシンク。これとは別に「流し」もあった。これは小学校のプール付属の長いのが判り易いね。
故にキッチンシンクも水を溜めて使う、流しとして使うの二つを兼ねる事が前提になっていた。これは洗面台も同じ。
だからキッチンシンクにも洗面台も水を溜める為の栓が必ず付属していた。
また、1990年代前半までのシステムキッチンのCMでは、シンクに水を張ってそこに野菜をまるごと投入して洗うというシーンがよく登場した。それは清涼感の演出のためであり、つまりはシンクはカミだったのだ。
洗面台ではゴム栓だけではなく、もっと機能的なレバーやノブ式の排水栓が一般化していた。洗面水栓の近くにあるノブなどを引っ張ると水がたまるのだ。
今では洗面台ボウルは手を洗った水受けや歯磨きうがいした後の水の吐き出し受けになってるから洗浄後でも水を張ってそこに顔を付けるという行為はしたくない人が多いだろう。つまりはシモである。
このシンクやボウルに水を張って使うというのは80年代後半~90年代に廃れ、キッチンでもシンクにボウルを入れてそこで洗うというのが一般的になった。
この為に2000年代前半から各調度品メーカーは水溜めの栓とか排水蓋を付属しなくなる。洗面台のレバー式排水栓も廃止された。
こうなると利用者の方のケガレ観念も完全にアップデートされてシンク、ボウルはシモのケガレあるものとなり「皿用スポンジでシンク洗いしやがった、信んじらんねぇ!」となるようになったのである。
一方、プロの調理場の方ではシンクは水溜めのままだ。シンクに水溜めて食材洗うし食器のすすぎもする。カミのままなのだ。
だから皿用スポンジでシンクを洗った人は調理場で働いている可能性もある。汚いという意識が発生しない(排水口の網などは別だ。ここは単純に不衛生だ)。
増田も「気まぐれクック」で金子がシンクに魚置いているのを見て「不潔だな」と思う口だったが、実際に自分でも魚捌きをやるようになると、シンクの中でやらないといけない作業が結構ある。
すると食材をシンクに置くなんてとんでもない!というケガレ意識はなくなった。
特急で多客期や臨時列車などで国鉄時代の電車が来ることがある。
トイレが和式なのも困るが、後に手を洗おうとするとすると、出水レバーやボタンから手を離した途端に水が止まってしまうので両手をすり合わせての手洗いが出来ない。一定時間で止まる装置が壊れちゃったのか?
しかもお湯と水の二つのボタン、レバーがあるが、お湯の方を押すと火傷する熱さで手洗い出来ない。なんだこれ!どうやって使うんだ!?
こういう体験した事ないだろうか?
また、昭和中期の古いホテルや旅館に泊まると、同じように水栓が湯水二つあり、こっちは普通の蛇口で出しっ放しには出来るものの、お湯の方はやはり熱くて使えない。
しかもメインのボウルの他に小さなボウルがある。これは一体どうやって使うんだ…。
これも説明しよう。
例を用意した。
これは戦後すぐに製造or改装された旧型客車の手洗いで、ボタンを押している時だけ湯水が出る、洗面ボウルの右にワンタッチ排水栓がある、メインのボウルの左手前に小さいボウルがあるというこの問題の全入り品だ。
https://twitter.com/ma_mere_loye/status/1642412578201800704/photo/1
小さいボウルがある。水栓は湯/水二つ式だったのを潰して後付け水道管に変更されている。
なんでこうなっているかというと、今の人は手も顔も水を出しっ放しにして手を洗い、流水を掌に受けて顔を洗うだろう。
だが昭和中期までの日本人は流水でそんな事をしなかったのである。ほぼ必ず洗面器のボウルに水を溜め、それを掌で掬い、顔を洗ったのだ。だからお湯と水を洗面台で混ぜて適温にしていた。
昔は冷房も無く窓を開けていたので蒸気機関車の煤煙で顔が汚れた。長時間の乗車も多い。夜行列車も多かった。だから洗面は必須だった。
そしたら歯磨きしたりうがいした吐き出しはどうすればいい?
それが手前の小さいボウルなのだ。ここは吐き出し専用で、痰が残ったりしたら手で水を掬って水で流すのだ。
つまりは洗面台=手を洗うところ、夜行なら歯磨きや洗顔の排水受け、または化粧直しの場という風になったのは昭和後期であり、それまでは洗面台はその名の通りに水を張って顔を洗う場所だったのだ。
因みに洗面器という名もその通りで、水を溜められない流しなどでは洗面器に水を張って手で掬って顔を洗う為の物であった。その洗い方では石鹸で水が汚れるが、そしたら水を交換して2回くらいで洗顔する。
ただ、この洗顔法は昭和後期には誰もやってなかった筈であり、感覚的にも大勢が痰や唾を吐いたり手洗いの排水受けた洗面ボウルに水張って顔洗えるかという感覚だった筈だ。国鉄は融通が利かずに規格化されたこのタイプの洗面台を発注していたが当時から手洗いしにくい不便なものという評価だったと思われる。
だからJRになると今のと同じ、自動水栓や時間水栓に交換されたりした。
そういう訳でシンクや洗面台に対する日本人の清潔感情、ケガレの意識がアップデートされ、それによって水を溜めるという構造の調度品が作られなくなり、それでまた更に清潔感情がアップデートされ、となって来た。
故にシンクを皿用スポンジで洗うと非常識に驚き、古い構造の洗面台は使い方すら判らない、という事になるに至ったのである。
だが調理場ではシンクは未だ水溜めて使うカミのものであるから、そういう従事者が他業種の人と交差するとトラブルになる。
またハードな料理をすると家庭でもどうしてもシンクで食材扱うようになるから感覚は変わる。
https://otakei.otakuma.net/archives/2023050102.html
単純に「充電式が面倒」だから、じゃなくて「コスパが悪い」っていう理由
例えばエネループって一本300円〜500円ぐらいするけど
乾電池って一本50円ぐらいだし、EVOLTAでも100円ぐらい
毎週レベルで電池交換が必要なものなら3,4週で元が取れるけど
時計なんて半年以上は持つしリモコンだって電池切れは滅多にない
そもそもいまどき頻繁に充電が必要なものは充電池を内蔵しているので
乾電池に頼ってる物は「乾電池でも長持ちするもの」になってしまっている
例えば電動髭剃りとか歯磨きとかは充電式
なのでコストメリットは3年で数百円とかそういうレベルなので誤差レベル
そのくせに「充電をしないといけない」というイレギュラーかつ定期対応が必要だし
充電器がどこにあるのか分からなくなるし
2本しか必要無かったけど安かったから10本買った電池が余ってたりするので
そうなると「イレギュラー対応」というストレスだけがかかるのでデメリットしかない
お茶の間で文房具や爪切りや耳かきが入っているのも牛乳パック。
台所の箸立ても、冷蔵庫の中を区切って物入れにするのも全部牛乳パック。
あのオレンジがおばあちゃんちをアメーバみたいに侵食している感じが心底嫌で苦痛だった。
玄関の引き戸のガラスがちょっとヒビが入ったときも応急処置は牛乳パック。
玄関から2階の隅に到る様々な視界のどこかにあのオレンジ色が飛び込んでくる。
あるものはつい最近導入されたパリッとした牛乳パック、またあるものは自分が赤ん坊の頃からそこにあった萎れた牛乳パック。
あのさぁ〜?
男の人って、なんでそんなに生活音が大きいんですか?
ドア、ドーンッ!!!!て閉めるじゃないですか?
冷蔵庫もバァーンッ!!!干し終えた洗濯物をピンチから外すときも突如7cmの雹が降ってきたみたいな音を立てながら外すから仰天です。仰天なのです。
歯磨きも釈迦!!!釈迦!!!南無阿弥陀仏!!!ブッペッ!!!ヴォエエエエエッ!!!って本当におかしい。どう考えてもおかしい。地の底に棲む悪魔みたいな声で歯磨きするじゃん。意味わからない。
それを指摘すると「そんな大きな音を立ててるつもりはない」って。
まず謝れと。その件についてとにかく不愉快だから謝れと。女の子の気持ちを察しなさいよ、と。
だいたいなんなの?
「そんなつもりはない」って。
そう感じている私がおかしいってことか!
あァ?
「ごめんなさい」ってよ!!!
なんなの?マジなんなの?
学生の頃からそうなんだが、歯磨きを終えた後に歯を爪で掻くとけっこう歯垢が取れたりする。
5分ぐらいブラッシングしてるのに、そんな感じ。
なので、そんなにきっちり歯垢が取れてなくてもいいものなのだろうと思いながら人生を過ごしてきたわけだが、このあいだ歯磨き粉をきらしてしまい、「昔は指に塩を盛って歯を磨いていた」という親父の言葉を思い出して歯ブラシに塩を盛って歯を磨いてみたら歯垢がきれいに取れてしまった。
デンターつぶ塩っていう歯磨き粉があるくらいなので歯磨きにおける塩の効果は非常に高いのだろうが、するとじゃあなんで私は普通の歯磨き粉で歯がちゃんと磨けないんだ?と思い、なんか悔しいからここ数日歯磨き粉で歯を磨いているのだが、やっぱりかなりの歯垢が残る。
どうなってるんだ?
実はみんな前歯から奥歯に至るまで歯糞をべっとりさせながら日常生活を送ってたりするのか?
んなわきゃない。
認めるしかない。
どうやら私は歯を上手に磨けないらしいと。