はてなキーワード: フリーとは
アニメにおいてキリスト教描写が無茶苦茶なのも悪役になるのも今更誰も怒らないと思うけれど
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この人は私からの善意を当たり前に考えてるな、と思うと親切にする気が失せる
この間、夜の九時に電車に乗ったらある駅で両隣が空いて、そこに太った二人の女性が一人ずつ座った。二人と6〜8歳くらいの男の子、そして父親らしき男性の四人のグループらしきその一団に包囲されるような形になった
女性は片方が母親で片方がその親族なのだろうか、とにかく二人いて、片方が「ここに座りぃ」と男の子を自分の片膝に座らせた。そのまま私を挟んで女性たちが会話をする。居心地が悪い
その時、この人たちは私が席を譲るだろうと期待しているのだろうなと思った。早足で電車に乗り込み、私の両隣にそれぞれ陣取ったのも、そこで私を挟んで会話するのも、これ見よがしに男の子を膝に座らせるのも、すべて善意を当てにされている気がする
それはいいけど、もし私が親切にしたとして、その見返りはどこにあるのだろう
こんな見え見えの状況を作る女たちに一言「ありがとう」と言われても全然気持ちよくないし、圧をかけられて追い出されたという気持ちにしかなれない。というか疲れてるし、席を替わるというより交換してほしい。今、通路に立っててフリーの父親っぽい男が離れた席を確保しておいて、その席と交換するっていうなら分かる。でも気の利かない男なのか、俺は立ってても平気ってタイプなのか、そういう動きはしてこない
これみよがしに、「私達のために譲ってくれるわよね?」みたいな雰囲気を醸し出されている感じがして心底嫌だった、ので譲らなかった
すると男の子は少しして、「いい、立ってる」と言って女性の膝を離れて父親の隣に立った。とはいえ子供なのであとあと疲れてグズりだすのを心配してか、座っている女性は二人とも男の子を座らせたそうにソワソワと車内に視線を向けていた
いや、それならあなた達のどちらか一人が立ちなさいよ。それで男の子を座らせたら解決でしょ?どうして挟まれただけの私が譲る必要が?と思うとやっぱりそんな必要はなかったので譲らなかった
その後、私は目的の駅で降りた。そのグループがもっと乗っていくならようやく座れただろう。よかったね
とにかく善意を大前提にされると萎える。善意に甘えすぎて当たり前だと思ってる連中は気をつけた方がいいと言いたいけど、そういう人たちはこんな投稿見ないだろうな
女がどうなのかは正直わからないから、そこは何とも言えないのよ
言いたいことはなんというか、男の多くは性犯罪者予備軍どころかセックスはおとぎ話で実在してないくらいな認識の人も多いの、わかってね、ってくらいのことよ
真面目に啓蒙すれば届くかというと難しくて、フリーレンじゃないけど、イメージできないことは教訓にできないっていうかさ
イメージ湧かないような話を、どうリアルにイメージさせるかってのも、課題だよね、っていうかさ
そういうことなのよ
啓蒙さえすれば世の中よくなるならとっくによくなってるはずでさ
昔々、インターネットの片隅に大作ゲームを見下しフリーゲームを褒めそやすスノッブなキモータがおった
キモータは毎日のように「最近のUbiやFalcomのつまらんオープンワールドもどきなんかより、ノンフィールドのフリーゲームの方がよっぽど面白いよね」といったことをインターネットでほざいて暮らしては、多くの人に嫌われておった
そんなある日のこと、ふと最近話題のフリーゲームをやってみると、これが大層よく出来ていることに気づくもどうも気持ちが乗ってこない。
「なんてこった!作者の情熱やオリジナリティは感じるのに全然ビンビン来ないぞ!」
キモータは少し考えてから、「比較対象がないから熱を感じられないんだ。そうだ。最近話題の中華資本ソシャゲをダウンロードして、奴らの適当な作りに呆れてみれば相対的に良さが見えてくるはずだ!」と最新ソシャゲをダウンロードしおった。
アクションRPGや戦略RPGなんて名前を気取っては装備だレベルだ昇格だと延命装置をゴテゴテにつけた大作ソシャゲにうんざりしながらも、キモータはそれを大層楽しく遊んでしまったのであった。
そうして再びフリーゲームを始めてみるが、微妙なUIの手の届かなさや、見飽きたフリー素材のエフェクトになんだかウンザリするばかりであった。
「なんてこった!フリーゲームは世界観を大切にしていて、すべてが有機的に作り手の頭の中でつながっているはずじゃなかったのか!」
商業的な粗製乱造が続いていたゲーム業界は少しずつ改善され、世界観を大切にするためのノウハウをしっかりと受け継いできた大手ゲーム会社のキラータイトルこそがキモータの求める「すべてが有機的に繋がったゲーム」へとなっていった。
反対に、開発環境がなまじっか整えられてしまったフリーゲームの世界は、何から何まで何処かから借りてきた部品で作ったブロック建築のようになってしまっておったのじゃ。
「嘘だ!俺の知っているフリーゲームが失われたなんて嘘だ!」
また朝キタ!目を開けると時計の針は6時ジャスト。今日は待ちに待った花金だけど、週末が遠い未来みたいに感じるし。会社とかマジ行きたくないって感じ。昨日も一昨日も、同じこと思いながら起きたし、毎朝同じルーティンとかマジでヤバい。
窓の外見たら、超青空が広がってて、鳥たちがフリーダムに飛び回ってるの。彼ら、どこでも行けちゃうんだろうなー。風に乗って、好きなとこ行っちゃってさ。仕事とか縛られることもなく、上司にギャンギャン言われることもなく、超フリーって感じ!
マジで鳥になりたいって、何回思ったことか!羽広げてどこまでも飛んで行きたいし、見たことない景色見て、感じたことない風を感じるとか、ヤバすぎ。でも、それってただの夢だし、現実は毎朝同じ電車に揺られて会社行くだけだし、退屈な会議出て、無意味な報告書書いて、上司の機嫌うかがってるんだよね。
昼休みには、同僚たちとランチ行くけど、みんな同じような表情してるし。笑ってるけど、目は全然笑ってないって感じ。みんな、ただの給料泥棒じゃん。働く理由なんて、生活のためだけだし、他に何があるっての?
午後の仕事をこなして、やっと退社時間!オフィス出るとまた鳥たちの声が聞こえてくるんだよね。彼らは今日も超フリー。でもあたしは違うんだよね。明日も、明後日も、同じように会社行くって感じ。それがあたしのリアル。
結局、あたしはただの給料泥棒。でもさ、いつかフリーになれる日が来るのかな?その日を夢見て、明日もまた、会社に向かうんだろうなー。
AIって画像生成だけじゃなくて「この絵とこの絵はクセが似てる」ってのを判別できるんだよね。それも証拠能力として正式に採用されるレベルで。
これって絵師にとっては大打撃なわけ。トレパク?そんな優しい話じゃない。信用問題。
GREEとDeNAがソシャゲ競争してた時代、絵を大量に発注する必要があったんだけど、絵師の締め切り遵守率って40%切ってたんだよね。
まぁそれだけでフリーの絵師様って社会性皆無なの解ると思うんだけど。
前金せしめて締め切り破った後逃げる絵師様がマジで多かった。遅れてすいませんと言いながら納品するだけマシなレベル。マジで飛ぶ奴多すぎ。
もちろん信用問題になるわけだけど、数が多いし訴訟に勝った所でかかるコスト的にはその時間を開発に充てた方が利益になる。
だから「コイツ飛びやがったリスト」だけ控えておいて、その場は血涙流しながらじっと耐えた。
で、この時足引っ張りやがったクソ共のリストが過去実績と共に最近流出したわけだ。
その結果AIで手癖や特徴を比較してSNSのアカウントと突合が進み、ケツ巻いたクソ共が特定されて今に至る。
その複垢のまぁ、多いこと多いこと。あのアカウントとこのアカウントの中の人は同じで、過去どっちも飛んでる信用事故持ちってのが証明できるわけだ。
この信用事故リストが最近匿名化されて出版社とソシャゲ会社が組むAIタスクフォースの議論で出て共有された。
つまり今、我々は絵柄パクだけでなく信用事故持ち絵師に関しても企業の枠を超えて情報交換してる。
絵柄盗まれたとか抜かしてるそこのカス。お前過去飛んでるのこっち知ってるからな?証拠出たからな?足引っ張ったのバレたからな?
今日は少し重い話をさせてください。ここ1年ほど、AIに仕事を奪われ始めて、正直なところ苦しい日々を送っています。
去年の春頃でしょうか、常連のクライアントから「今回はAIで作ったイラストを使うことにしました」と言われたのが始まりでした。それから徐々に、似たような連絡が増えていきました。
最初は「AIなんかに負けるわけない」と高をくくっていました。でも、現実は厳しかった。特に、ラフ案や概念的なイラストの仕事がどんどんAIに置き換わっていきました。
収入は昨年比で4割も減少しています。家賃や生活費の支払いが厳しくなり、貯金を切り崩す日々です。妻のパート代で何とか踏ん張っていますが、このまま絵で食べていけるのか不安です。
それでも、AIには出来ない「人の温もり」のある絵を描き続けようと必死です。時間をかけて丁寧に仕上げ、細部にこだわることで差別化を図っています。が、正直、闘いは楽ではありません。
同業者の中には廃業を選ぶ人も出てきました。私も何度か考えましたが、絵を描くことが好きで始めた仕事です。簡単には諦められません。
これを読んでくださっている方々、もしイラストが必要な時は、人間の絵師のことも思い出してください。AIには出来ない、あなただけのための一枚を描かせてください。
これからどうなるのか、正直わかりません。ただ、絵を描き続けられることに感謝しながら、日々を過ごしていきたいと思います。