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はてなキーワード: 官吏とは

2019-04-03

過去元号に対するイチャモンまとめ

日経こちらの連載と、

https://bizgate.nikkei.co.jp/series/DF150320194919/

こちらの「中国年号予言」という発表が面白かったので、

https://www.rekihaku.ac.jp/events/forum/old/f2017/pdf/106.pdf

その中で紹介されている「難陳」=イチャモン簡単にまとめてみた。

日本

長徳

「徳」の字が「毒」に通じるとして貴族あいだで評判が悪かった。

太初

中国採用されたとき不祥事が多かったとして却下された。

政和

秦の始皇帝・嬴政の名前と被るとして却下された。

天保

「一大人只十」と分解できる。

「家臣が十人しかいない」と読めて不吉であるとして却下された。→700年後には異論なく採用された

天仁

仏教の「天人」に通じる。→むしろ縁起がいいじゃんってことで採用

長仁

当時、同じ名前芸人がいたということで却下された。

弘保

弓偏は戦争連想させて縁起が悪いということで却下された。

建保

藤原定家が「献宝(=賄賂)」に通じるとして批判していた。

正保

音が「焼亡」に通じる。

「保」を分解すると「人が木を口にする」となって飢饉連想させる。

などとして庶民から評判が悪かったので、三年ほどで「慶安」に改元

明和

明和九で「めいわく」と読める。→明和九年に改元

令徳

徳川命令する」と読めるので却下された。

中国

永昌

「昌」は日が二つで「二日」しか続かない意味に取れる。

実際、改元したその年に皇帝が亡くなった。

隆昌・泰昌

「昌」は二つの太陽、すなわち二人の皇帝存在する意味に取れる。

実際、その一年間に代替わりがあり、二人の皇帝が在位した。

雍正

「正」の字は「一に止まる」と分解できる。

皇帝が一代で止まってしまうようで不吉。

天正

「天」は「二人」、「正」は「一に止まる」と分解できる。

二人の皇帝がほぼ同時に「天正」を用いたが、どちらも一年ほどで殺されてしまった。

天保

「一大人は只だ十なり」と分解でき、「皇帝は十年だけ」と読める。

実際、天保十年に皇帝が亡くなった。

日本で言われたのはこの故事を踏まえてのことっぽいですね。

嘉靖

悪政を嘆く民が、

「嘉靖」は「家浄」と発音が同じで「家が空っぽ財産がない」という意味だ、

と言っていたのを聞いた官吏が、それを皇帝に伝えて諌めた。

純煕

殷の紂王を討伐した周の武王を称える記述典拠としており、

当時強大だった異民族を徒に刺激するような意味に取れる。

あるいは「屯」という旁は「草木がなかなか芽を出せない」という意味なので縁起が悪い。

などといった理由改元から六日後に「淳煕」に再び改元された。

平成

「成」は「戈=戦争」が含まれているので縁起が悪いとして却下された。

美成

「美」は「羊」と「犬」に分解でき、家畜まで「戈=戦争」に巻き込まれるという意味になるので却下された。

豊亨

「亨」は「子」の横棒が欠けており、皇帝に子ができないことを連想するので却下された。

隆化

「隆」は「降」、「化」は「死」に似ており、降伏して死ぬという意味になる。

実際、この元号ときに国が滅び、降伏した皇帝は翌年に殺害された。

太平興国

四字の元号だが、「太平」は「一人六十」と分解でき、「六十歳で死ぬ」という意味になる。

実際、このとき皇帝は五十九歳で亡くなった。

大亨

分解すると「一人二月了」となり、「一人、二月に了(おわ)る」と読める。

このとき改元を主導した重臣は二年後に帝位を簒奪したが、その年の二月に起きた反乱で殺された。

宣和

「宣」を分解すると「ウ=家」に「二日」となり、一家に二つの太陽があるのは不吉である

当時の皇帝は息子に譲位して上皇となったので、実際に皇帝が二人いることになった。

また「宣和」を分解して組み立てると「一旦宋亡」となり、「一旦、宋が亡ぶ」と読める。

宣和から靖康に改元された直後に北宋は滅亡した。

靖康

「靖」は「十二月に立つ」と分解できる。

靖康元年の十二月首都が陥落して北宋が滅亡したあと、

「康」王である趙構が南宋の初代皇帝として立った。

広明

反乱を起こした黄巣が暴れまわるなかで改元したが、

「広=廣」は「黄」と「广=家」、「明」は「日月」と分解でき、

「黄家日月」と読めるので、黄巣は自らに天命があると称した。

広運

「運」は「軍が走る」と書く。

皇帝が軍によって走らされる=敗走するのではないか、と読める。

建炎

改元されてから各地で盗賊暴動や反乱を起こしたので、

「火は戦乱を意味し、炎にはそれが二つもあるから良くない」と反省して再び改元された。

以上、やはりイチャモンに感じられるだろうが、

元号縁起物であり、こうした験担ぎのようなもの真剣に考えられてきたということで、

現代において「令は命令意味だ」とか「安を入れるな」とか騒ぐことも、

決して故なきことではないのだと一抹の理解を求めたいところである

2019-03-10

anond:20190310181512

茉莉花官吏伝とか紅霞後宮物語とか(トラバでも言われてるけど)薬屋のひとりごととか、ライト文芸やなろう系の中華ファンタジーが増えて、むしろ一時期より盛り上がってるぞ。

2019-03-06

anond:20190306194211

ありがとう。いつも飲んでるから真剣検討してみた

自分はホエイ飲めない(乳糖不耐なのと臭み。その他の甘味料にもたまに不耐でガム2粒でお腹壊す)

※全きなこも無理(豆腐とかザバス水溶性成分が抜けてるせいかだいたいOK、おそらくソイプロテインも多糖類は糖質にあたるので抜いてあると期待)

いつものザバスは2.5キロで7300円(クーポンがいつもつく、クーポンないと8300円表示。ただし8000円超えないと送料無料にならない)やつ飲んでるけどマイプロテインはしらなかった。

マイプロテインはおおわけの種類でホエイプロテイン、ホエイアイソレート、ソイアイソレートプロテインから選べる(ソイあり合格

味は味付けしてあるものしか在庫がない(甘味料抜きは選べないが甘味料がスクラロースなのでギリギリOK

値段:今半額だからキロ1260円(味見用の試供品とおもえなくもないほど安いがまずかったら処分にこまるキロ)送料抜き2.5キロあたり3000円だからおおよそ半額以下、半額がおわってもザバスよりちょっと安くはある なお今2.5キロ袋も売ってるけど割引率が低く割高。翌日配送のは値段3倍する

お届け:11~20日(公式には1ヶ月、現在繁忙期とかかいてある)うーん味見(つか腸のお試し)して選びたかったけど半額セールおわる

送料:1800円 ええ~ 2袋でも4300円、3袋で5400円だから安いっちゃ安いけど・・注意書きによれば味が違うものをまぜて注文すると別送(送料加算)されてしま可能性もある。8500円以上(8袋)だと送料無料だけど関税がかかる可能性があるとな

  

個人輸入の通関ってめんどくさいんだよな、万が一疑われたら取りに行って税関官吏たちあいであけて説明する。それか、全くとりにいかず廃棄してもらうかしかない、どちらにせよ丸損

まあプロテインからそんなことないだろうけど1袋では安くないし2-3袋置いとく場所考えるのも面倒だしあきらムードがでたので自分に正直にやめとくわ

でもおもしろかったよありがとな

そのうち状況変わったら買うかもしれん

みくらべたのは item.rakuten.co.jp/myprotein/10529701/ と item.rakuten.co.jp/alpen/3422113000/ です

2018-09-05

anond:20180905162546

第70条  政府国憲に違背するとき日本人民は之に従はざることを得。

第71条  政府官吏圧制を為すとき日本人民は之を排斥するを得。

       政府威力を以て擅恣暴逆を逞ふするときは、日本人民は兵器を以て之に抗することを得。

第72条  政府恣に国憲に背き、擅に人民自由権利を残害し、建国の旨趣を妨ぐるときは、日本国民は之を 覆滅して新政府建設することを得。

第73条  日本人民は兵士宿泊を拒絶するを得。


明治14年8月28、29日起草「東洋大日本国国憲案」


日本国民自身が起草した憲法案のひとつやね

2018-08-23

anond:20180823083243

増田ラノベは女がまったく書けてない」

ぼく(女性が書いた女性官吏出世物語ラノベを読みながら)「そうだね」

2018-04-07

anond:20180407061452

報道の自由で守られてるはずの新聞記者に対して官吏とき恫喝ともとれる発言をするなんて許されるわけがない

2018-02-18

anond:20180218093337

DNAがデオキシ-リボ核酸 (普通に略語語源)(ポケモンデオキシスDeNAもずっとあとだぞ)

・抜群(群を抜いて、の音読みかとおもいきや、もともと古代中国官吏採用試験評価のAクラス相当が「抜群」で、それを日本語に書き下したのが「群を抜いて」だったりしますぞ)

液晶の混用(なんで有機EL液晶っていうの?液晶つかってないのに)

携帯を家に置いてきた(非携帯携帯意味が通じてる日本人っておかしいね

 

なんでも調べるとおもちろいねー 

スクラップ帳みたらもっとネタあるけど今は暇がないからそのうちブログにまとめるわ

2017-11-05

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である21世紀中国がどこに向かうのか。この種の権威主義統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である

 19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派残酷鎮圧にあって失敗した。辛亥革命1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジア最初共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国現代全体主義深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国毛沢東時代の普遍的貧困絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆生活水準は大幅に向上し、個人経済的自由社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間人権政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者市場化と私有化経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会2004年憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れ直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。

二、我々の基本理念

 中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。

自由:自由は普遍的価値の核心である言論出版信仰集会結社・移動・ストライキデモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。

人権人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである

 平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民社会的経済的文化的政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。

 共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和方法で公共の事務を処理することである

 民主もっと基本的な意味は主権在民と民選政府である民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民真正選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。

 憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。

 中国では、帝国皇帝権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国根本的な活路である

三、我々の基本的主張

 そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。

1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国民主化の法的な基礎を固める。

2、権力分立権力分立現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。

3、立法民主:各級立法機関直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会解散させ、公器の私用を防ぐ。

5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。

6、人権保障人権を確実に保障し、人間尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。

7、公職選挙全面的民主選挙制度実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民選挙参加は奪うことのできない基本的人権である

8、都市農村の平等:現行の都市農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民移動の自由の権利を保障する。

9、結社の自由国民結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争原則確立し、政党政治正常化と法制化を実現する。

10、集会の自由平和集会デモ示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。

11、言論の自由言論の自由出版の自由学術研究の自由を実現し、国民知る権利監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識確立し、社会に奉仕する国民美徳提唱する。

14、財産保護私有財産権を確立保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権帰属責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

15、財税改革:財政民主主義確立納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択住民投票)や民意機関議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。

16、社会保障:全国民カバーする社会保障制度を構築し、国民教育医療養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

17、環境保護:生態環境保護し、持続可能な開発提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織環境保護における参加と監督作用を発揮させる。

18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国樹立する。

19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動政治的迫害を受けた人々とその家族名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会設立歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。

四、結語

 中国世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会メンバーとして、人類の平和事業人権進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。

 そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。

(括弧)内は訳注。

原文:

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40

転載自由、出典明示)

2017-06-05

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線として言っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学歴史学勉強したわけではありません。高校時代文転して受験するかと生半可に考えていて(結局やめたけどね)、興味本位教科書を読んでみただけの素人です。

さいしょの方でも書いたとおり最新版教科書を持ってません。はてブでバズっていてびっくりしましたが、このエントリ専門家レベルのものとして受けとるのは、恥ずかしいのでやめてください。

再追記。id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝。)

  

  

  

(追記2

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかったことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-05-19

朝鮮朝鮮王朝(李朝)の高宗31(1894)年に起こった反侵略,反封建の農民戦争東学党の乱ともいう。高宗1年,東学1世教主崔済愚が,邪教を広めたとして処刑された。第2世教主崔時亨は東学公認を求め,同 29年以降「教祖伸寃」の請願教徒大衆行動でしばしば行なった。しかし「教祖伸寃」という宗教的訴えは,かえって狡猾な地方官に農民収奪の口実を与えることになった。そこで農民たちの運動は貪官汚吏の処分など政治的要求へと変わっていった。反乱は同 312月全羅道古阜郡の民乱を契機にして始まり,一応の成果を得て解散した。その後政府派遣の按覈使(あんかくし)の不法弾圧激怒した全琫準は,全羅各地に呼びかけ,5月古阜,泰仁で本格的な闘争に立ち上がった。全羅各地で蜂起した農民軍は白山に集結,大多数が農民東学徒は少なく,指導者東学接主であった。全琫準ら指導者は,農民軍を軍隊式に編成,四大綱領を発表し,反封建,反侵略を訴えて広範な農民層の支持を得た。農民軍は黄土峴,長城で政府軍撃破し全州を占領した。閔氏政権はこれに驚き清国出兵要請する一方,農民軍の弊政改革案を受け入れた。全州和約後,農民軍の大半は解散したが,全羅道 53郡に農民軍の自治機関である執綱所が設置され,実質上の政権機関として機能した。日清戦争が起こるとまもなく,全琫準ら農民軍は再起したが,日本軍政府軍の圧倒的な軍事力の前に敗北した。

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デジタル大辞泉解説

うご‐のうみんせんそう〔カフゴノウミンセンサウ〕【甲午農民戦争

1894年朝鮮李朝末に起こった東学信徒を中心とした農民の反乱。鎮圧のため李朝政府清国派兵要請日本出兵して乱は鎮圧されたが、日清戦争を誘発する結果を招いた。東学党(とうがくとう)の乱。

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百科事典マイペディア解説

甲午農民戦争【こうごのうみんせんそう】

李朝末期の1894年(甲午の年)に朝鮮南部で起こった農民反乱。圧政に苦しむ農民の間に広まった民衆宗教東学〉は1890年代には活動公然化させるが,全羅道古阜で全【ほう】準(ぜんほうじゅん)に率いられた農民たちが同年2月郡庁を襲撃し,5月以降全羅道一帯に及ぶ蜂起に発展,閔(びん)氏政権の打倒と日本人駆逐をかかげて各地を転戦した。

→関連項目大院君|李朝朝鮮

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世界大百科事典 第2版の解説

うごのうみんせんそう【甲午農民戦争

1894年(甲午の年)に朝鮮南部でおこった農民反乱。李朝末期の朝鮮では封建的収奪に反対する民乱が続発し,とりわけ南部地方開港後の外来資本主義との接触によって矛盾が激化していた。圧政に苦しむ農民の間に広まった東学は,1890年代に入ると活動公然化するようになった。こうした情勢のもとで,94年2月全羅道古阜の農民は,規定外の税をとるなど暴政を行った郡守趙秉甲(ちようへいこう)に抗議し,全琫準を指導者として郡庁を襲撃した。

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大辞林 第三版の解説

うごのうみんせんそう【甲午農民戦争

朝鮮1894年(甲午の年)東学信徒が主導した農民戦争地方官の悪政に反対した全羅道農民が蜂起したのに始まる。朝鮮王政府鎮圧のため清しんに出兵を求め、清に対抗して日本出兵日清戦争の契機となった。東学党の乱。 → 東学

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

甲午農民戦争

うごのうみんせんそう

1894年(甲午の年)に起こった朝鮮の歴史もっとも大規模な農民蜂起(ほうき)。この戦争きっかけとして、中国、清(しん)の勢力排除朝鮮支配することをねらっていた日本政府は、公使館警護と在留邦人保護名目大軍を繰り出し、日清戦争引き起こした。

 当時、朝鮮民衆は、朝鮮政府財政危機を取り繕うための重税政策官僚たちの間での賄賂(わいろ)と不正収奪の横行、日本人の米の買占めによる米価騰貴などに苦しんでいた。それにまた、1890年代の初めには干魃(かんばつ)が続いて未曽有(みぞう)の飢饉(ききん)に悩まされていた。これに耐えかねた農民たちが、日本への米の流出の防止、腐敗した官吏罷免租税減免要求して立ち上がったのがこの戦争の始まりである指導者には、急速に教勢を拡大していた民衆宗教である東学教団の幹部であった全準(ぜんほうじゅん)や金開南らが選ばれた。そのため東学党の乱とよばれたこともあった。5月初め、全羅道古阜(こふ)郡で結成された農民軍は、全羅道配備されていた地方軍や中央から派遣された政府軍を各地で破り、5月末には道都全州を占領した。農民軍の入京を恐れた朝鮮政府清国に援軍を出してほしいと要請した。ところが、ここで予期しないことが起きた。清軍の到着と同時に日本軍が大挙して朝鮮侵入してきたのである朝鮮政府は急遽(きゅうきょ)方針を変更して農民軍と講和交渉を行い、農民たちの要求をほぼ全面的に受け入れることで停戦した(全州和約、6月10日)。

 全羅道の各郡には執綱(しっこう)所という機関が設けられ、農民たちの手による改革が始まった。農民戦争はこれで終わったかみえた。ところが、朝鮮上陸した日清両軍は、朝鮮政府のたび重なる要請にもかかわらず撤退しようとしなかった。それどころか、日本政府朝鮮の内政改革を求め、朝鮮政府にこれが拒否されるや、1894年7月23日王宮占領し、親日政府組織させた。

 清国がこうした日本の行動を批判したのを好機として始められたのが日清戦争である日本政府日清戦争と併行して朝鮮植民地化する政策を推し進めた。この日本勢力を追い出すため、朝鮮農民たちは10月かばになって再決起した。全準たちは東学組織を使って各地の蜂起を統一したものにしようとした。このとき立ち上がった農民20万人を超えたといわれる。日本軍朝鮮政府軍相手にして農民軍はよく闘った。しかし、日本軍の圧倒的な火力の前になすすべはなかった。翌年1月農民軍は壊滅し、全準は3月末、ソウル処刑された。[馬渕貞利]

[参照項目] | 日清戦争

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世界大百科事典内の甲午農民戦争言及

【崔時亨】より

92から翌年にかけて東学合法化をめざす教祖伸冤運動を展開。94年の甲午農民戦争では,東学本来非暴力的な教化主義立場から武力蜂起に消極的で,全琫準らの主戦論対立したが,のちに農民軍への合流を教徒に指示した。農民軍の敗北後,98年に江原道原州で逮捕され,ソウル処刑された。…

朝鮮】より

しかし,金玉均ら開化派が政権奪取をめざした甲申政変(1884)は内外の困難を克服しえずに挫折を強いられた。一方,民衆の反封建・反侵略変革運動は,壬午の軍人反乱(壬午軍乱,1882)を先駆として,甲午農民戦争(1894)に大きく花開いていく。甲午農民戦争こそ朝鮮社会近代への移行の決定的転換点となる可能性をはらんでいたのだが,日本侵略意図に立つ軍事力行使がこの可能性を破壊してしまったのである。…

日清戦争】より

… 朝鮮では王妃一族閔(びん)氏を中心とする親清派と国王の生父大院君派および金玉均独立派(開化派)が抗争しており,政治は乱れ,官吏不正日本商人の買占めで民衆の不満は高まっていた。1894年春,民間宗教東学を奉ずる農民分散した民衆の不満を結びつけ,朝鮮南部を中心に汚職官吏の掃滅と外国人排除を求める大規模な反乱を起こし,5月には各地で官軍が敗北するという重大な事態となった(甲午農民戦争)。朝鮮政府日本亡命中の金玉均らが農民反乱に呼応することをおそれ,上海に誘い出して暗殺した。…

※「甲午農民戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています

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2016-11-15

恣意的誤用

追記

誤用ではありませんでした

恣意的誤用」という記事は誤りです

http://anond.hatelabo.jp/20161119102702

謹んでお詫び申し上げます

本文

最近恣意的」の本当の意味を知りました

恣意的 誤用」で検索すると非常に沢山の記事が出て来ます、もう何年も前から有名な話なんですね

こんな有名な誤用も知らずに自分は今の今まで、ドヤ顔で「恣意的に~」とか使っていたわけです

正しい意味を知っている人たちは誤用を見るたびに内心笑っていたことでしょう

本当に恥ずかしい……

以下正しい使用例です

はてなキーワード - 恣意

恣意的であるとは一貫した思想に基づかずその場限りの考えに基づいている点で、明確な目的をもった「意図的」とは区別されるべきである

ttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%D7%F3%B0%D5

ニコニコ大百科 - 恣意的

恣意的』という言葉は、文中での登場の仕方が似ているせいか意図的作為的故意とという意味で使われることがあるが、恣意的には、無作為や定まった意図がないというニュアンスがあり、正しくない

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%81%A3%E6%84%8F%E7%9A%84

▼「恣意的」を「意図的」と同じ意味で使ってる人は低学歴 「恣意的」は「偶然に」という意味ですよ

http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1343400752/

▼「意図的」と「恣意的(しいてき)」の正しい使い分け方

自分や誰かの行動の理由説明できない(と思われる)ときに使います

https://nanapi.com/ja/105751

恣意的の読み方は?皆が誤用しているその意味とは?反対語は?

ランダム」と言い換えることもできます

http://rubeusu-trend.com/1709/

▼どうして意図的って書かないの?

勝手気ままに」「任意に」「ランダムに」「自分勝手に」「無作為に」「その場その場の思いつきで」

http://blogs.yahoo.co.jp/delightful_mikan/60763792.html

▼【誤字等の雑記帳 3】

深く考えず、でたらめに行動している様子

http://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/misc003.html

解釈記事によって少し揺れています

分かりやすく2点書き出すとすると

ということらしいです

まり意図的」という言葉に置き換えてもニュアンスこそ違えど意味が十分に伝わる文章や、"偶然に"といった意味が含意されていない文章誤用ということですね

ではここから誤用だということも知らずにドヤ顔で「恣意的に~」とか言ってる日本語の下手くそ馬鹿達を見ていきましょう

▼****さんのツイート

NHK恣意的編集にはうんざり

まずは個人です、まあ可哀想なので晒さないであますが、NHK批判の前に自分言葉を直してほしいですね、思いっき誤用しています

政府年金運用情報を開示へ…懸念払拭の狙い : 政治 : 読売新聞

運用信託銀行などに委託しているが、情報公開には恣意(しい)的な運用への懸念などを払拭する狙いがある。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160307-OYT1T50167.html

次は世界最多の発行部数を誇る読売新聞、なんと振り仮名まで振って誤用しています、これは恥ずかしいですね、情報公開で偶然性を廃するなんて意味不明ですからこれは言い逃れできません

フェイスブックニュース表示 恣意的と指摘で調査 | NHKニュース

フェイスブック利用者の画面に表示するニュースについて共和党政治家話題を避けるなど恣意的(しいてき)に選ばれているとアメリカの一部のメディアが伝え、内部で調査が進められることになりました

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160514/k10010520761000.html

言葉遣いには厳しいはずのNHK、なんと表題誤用してます、相当恥ずかしいですね、しかもこれは"偶然に"という意味だったとは絶対言い逃れできない誤用です、NHKしっかりw

▼「哲學研究入門」小石川書房 - 1949(昭和24)年9月30日発行

併しこういう歴史的現實の把握は全く恣意的な直觀に訴えるわけにはいかないから、そこに類型了解ということが必要になって來る

京大名誉教授矢田部達郎先生1949年上梓した本の一節です、旧字体でカッコつけてる割には普通に誤用してます

場当たり的な直感っておかしいですし、明らかに「作為的な」という意味で使っています先生どんまい

▼「文芸」1940(昭和15)年1月

今度の問題は、素子がそれほど恣意的に振舞う筈のものだろうか。

宮本百合子という文壇の元天才少女小説家先生です

全文読めばわかりますが、明らかに偶然性など含んでいませんし、自分の思うままに~という典型的誤用例と同じ形で使っています

▼「文藝春秋 第二八巻第一号」 1950(昭和25)年1月1日発行

まことに二つながら恣意的で、こうワガママでは、どこまで行っても、同じくりかえしにすぎない。

皆さんご存知、坂口安吾文章です、文意にはまったくもって「ランダム性」など含まれていません、典型的誤用ですね

油脂の浪費は法度監視制を創設 : 帝国油糧重点統制要綱決る : 化学 日本産業経済新聞 1943.4.14

地方割当民需(雑工業油、食料油等)の割当を、地方官吏の低度観点、古めかしい実績主義業者請託による虞あるが如き恣意的割当等に委せない制度確立

戦中の新聞記事です、こんな古くから誤用してます

▼日支政府呼応す : 社説 - 大阪朝日新聞 1940.3.31

思うに、今般反共和平建国親日政府樹立の挙たるや、他国家のロボット政権として恣意的に駆使するていの意図によるものでもなくてさりとて戦争相手政府として講和談判の衝に当っているわけでもない

少し遡って戦前朝日新聞の社説です、誤用してます

政党ファッショ大阪時事新報 1933.1.1-1933.1.7

かれらは所謂議院内閣主義否認し、国王恣意的に任命した官僚内閣組織し、議会対立したのである

更に遡って昭和一桁の頃の新聞記事です、誤用してます

▼減債基金存廃問題 大阪朝日新聞 1916.11.22(大正5)

経常費とす可しというにあり、乍併這は既にシェフレーの言えるが如く国債償還費は恣意的に定む可き最可動的の臨時費として各年の予算状態に応じ国家余裕を考察し大小有無伸縮的に定めらる可く

大正新聞記事です、「ほしいままに~」という意味で使っています、偶然やランダム性などという意味は含まれていません誤用ですね

ちなみにこの大正5年の使用例が調べる限りでは最も古い「恣意的」の使用例となっています

まり恣意的」という言葉は一番最初に使われた時、生まれた瞬間から誤用されていたんですね

そしてこの大正5年から2000年頃まで、1世紀近くの間、ほぼ全ての使用例が誤用となっています

酷いですね

正しい使い方、本来意味で使われるのは2000年以降、ネットが普及してからになります

特に最近は親切な人達ネット上で

とか

とか言って正しい使い方を普及してくれています

ありがたいですね

皆さんも誤用には気を付けましょう

2016-03-02

俺の決断とは反対に世界は動くんだけど

神の視線を感じる世界は大きなゲーム盤であり神の見えない指先が俺という駒を排除すべく大いなる権謀術数を張り巡らせているか

あるいは今まで俺が自覚無自覚を問わずに重ねてきた罪悪を帳消しにすべくついに官吏を寄越し彼らは俺の人生の辻褄合わせを行ったのだ

何故なら人生の禍福の最終的な数値は差し引きゼロでなければならずそうしなけば不平等であるという思想であり人類の禍福もまた神の視線で見れば差し引きゼロでなければならない

全ては均衡を保たなければならないので全ての罪悪は大小・軽重を問わずにいずれ必ず何らかの形で罰という形で現れる

んじゃないかと思うんだよね

2016-01-14

中国歴代王朝対策と結果」に期間と補足を追記してみました。

http://anond.hatelabo.jp/20160113194003

元増田面白かったので期間と()で補足を追記してみました。

王朝期間対策結果
257王が諸侯領地を与え、諸侯世襲でその領地を治める 諸侯の力が強くなって群雄割拠となる
19領地皇帝の直轄とし、皇帝が任命した官吏がその領地を治める 中央集権に対して地方から反発が起こる(陳勝呉広の乱)
前漢225中央は直轄とし、地方皇族世襲としつつ、徐々に皇族の力を削る 皇族の力が弱くなったことで外戚が専横(新朝建国
後漢161外戚の専横を抑えるため、宦官を重用する(皇太后竇氏の垂簾政治外戚に代わって宦官が専横
後漢36宦官の悪政に対する反乱(黄巾の乱)を鎮圧するため、地方豪族たちを登用する 地方豪族が強大化して群雄割拠となる(三国時代
19地方豪族の力を弱めるため、官吏地方人材推挙するよう改める 官吏人事権を握るようになり、上級官職を独占して貴族化する
26後継者争いを防ぐため、皇族の力を制限する 皇族の力が弱まったことで、国を有力貴族に乗っ取られる(高平陵の変)
39皇族の力を強めるため、皇族優遇する 皇族同士の内乱が起こる(八王の乱
12皇族同士の内乱に勝つため、異民族の助けを借りる 異民族に滅ぼされて群雄割拠となる(永嘉の乱
南北朝 84異民族が国を建て、統治のために漢民族同化する 異民族の気風を残す辺境軍閥が反乱を起こして国が分裂する(六鎮の乱)
南北朝 66軍閥の代わりに徴兵制に改めて、辺境防衛を任せる 領土が拡大すると遠く離れた辺境兵士を送るのが難しくなる
29貴族解体するため、試験によって官吏を登用するように改める(科挙教養のみを重視して実務を軽視するような文弱化を招く
289徴兵制では辺境防衛が難しいため、募兵制に改めて辺境軍隊を置く 軍閥化して反乱が起き、群雄割拠となる(五代十国時代
167軍閥が力を持たないよう、中央官吏の力を強める 文弱化して異民族に敗れる
89漢化して弱体化しないよう、異民族の気風を保つ 差別された漢民族の不満が溜まって反乱が起き、群雄割拠となる(紅巾の乱)
276外戚排除して皇帝独裁体制を構築する 暗君が続いて弱体化し、異民族に敗れる
268漢民族統治するために漢化する 漢化して弱体化した国軍では反乱(太平天国の乱)を鎮圧できず、代わって活躍した義勇軍軍閥化して専横

2016-01-13

中国歴代王朝対策と結果

王が諸侯領地を与え、諸侯世襲でその領地を治める諸侯の力が強くなって群雄割拠となる
領地皇帝の直轄とし、皇帝が任命した官吏がその領地を治める中央集権に対して地方から反発が起こる
前漢中央は直轄とし、地方皇族世襲としつつ、徐々に皇族の力を削る皇族の力が弱くなったことで外戚が専横
後漢外戚の専横を抑えるため、宦官を重用する外戚に代わって宦官が専横
後漢宦官の悪政に対する反乱を鎮圧するため、地方豪族たちを登用する地方豪族が強大化して群雄割拠となる
地方豪族の力を弱めるため、官吏地方人材推挙するよう改める官吏人事権を握るようになり、上級官職を独占して貴族化する
後継者争いを防ぐため、皇族の力を制限する皇族の力が弱まったことで、国を有力貴族に乗っ取られる
皇族の力を強めるため、皇族優遇する皇族同士の内乱が起こる
皇族同士の内乱に勝つため、異民族の助けを借りる異民族に滅ぼされて群雄割拠となる
南北朝異民族が国を建て、統治のために漢民族同化する異民族の気風を残す辺境軍閥が反乱を起こして国が分裂する
南北朝軍閥の代わりに徴兵制に改めて、辺境防衛を任せる領土が拡大すると遠く離れた辺境兵士を送るのが難しくなる
貴族解体するため、試験によって官吏を登用するように改める教養のみを重視して実務を軽視するような文弱化を招く
徴兵制では辺境防衛が難しいため、募兵制に改めて辺境軍隊を置く軍閥化して反乱が起き、群雄割拠となる
軍閥が力を持たないよう、中央官吏の力を強める文弱化して異民族に敗れる
漢化して弱体化しないよう、異民族の気風を保つ差別された漢民族の不満が溜まって反乱が起き、群雄割拠となる
外戚排除して皇帝独裁体制を構築する暗君が続いて弱体化し、異民族に敗れる
漢民族統治するために漢化する漢化して弱体化した国軍では反乱を鎮圧できず、代わって活躍した義勇軍軍閥化して専横

2015-06-16

(三) そこでまず、学説を通覧するに、

(1) 正田彬著官公労法二〇頁によれば、「官公庁建物を作つたり、官公庁

器物を買入れたりする時は、やはり官公庁は一応対等な立場商人と取引する。と

ころが官公庁労働者を買入れる時だけは任命とか任用とかいつて一方的行為

あつて、売り手は承諾するだけ-それも承諾しなかつたら失業から事実上強制

ということになる-というような考え方がそもそもおかしいのではないだろうか。

やはり官公庁労働関係労使関係契約関係だという原則すなわち労働力の売買

取引だという原則にしたがつて考えられることが必要であろう。」というのであ

り、

(2) 労働法一一号一六七頁林氏論稿「公労法上の団結権団体交渉権について」

によれば、「郵政林野等の五現業政府機関でも同様であつて、経済的活動を行

うにとどまりその事業性格公共的なものとは認められないからその労働関係

ついてもたかだか強化された私法関係のものと解される。」というのであり、

(3) 松岡三郎・大野正雄・内藤功共著条解公労法・地公労法(三八八頁~三九

〇頁)によれば「公労法は争議権制限をしているが、労組法・労調法と同じく労

使対等の原則、私的自治の原則によつて貫らぬかれているのであつて、その間これ

公法権力関係とみる何らの規定もない」とされている。

 右論稿部分は、公共企業体従業員労働関係が私法関係であることを強調する

諭調となつており、その公労法の対等原則、私的自治を根拠とする理論を貫らぬけ

ば、公労法の適用をうける現業公務員もまた公共企業体従業員と同じ結論に達す

る筋合である

 また、地方公営企業労働関係適用下の地方公務員に関する昭和四〇年一二月二

日東地方裁判所判決めぐり労働法律旬報社が実施した各学者に対するアンケ

ートは、回答者一一名中一〇名までが右公務員労働関係は私法関係と解すべきで

ある旨回答しており(疎甲第一四号証)、明治大学教授松岡三郎氏も同旨の見解

ある(疎甲第一五号証)。

 なお地方公務員法で「免職」と規定している(同法第二八条、第二九条等)に対

地方公営企業労働関係法で争議行為違反に対して「解雇」と規定している(同法

一二条)点を指摘している学者があるが、このことは国家公務員場合も全く同

現象がみられるのであつて、一般の国家公務員場合は「免職」と規定している

国家公務員法第七五条、第七八条、第八二条等)に対し、公労法適用下の国家

務員が争議行為をした場合については同法第一八条で「解雇」と規定している(国

公務員法第一八条)のである

(四) 次に我が国裁判例をみるに、次に挙げるものはいずれも、労使対等原理

私的自治の原理に立つて立論している。

(1) 国鉄職員に関するものとして、東京地方裁判所昭和三八年一一月二九日判

決(判例時報三六四号一四頁)

(2) 専売職員に関するものとして、広島地方裁判所昭和三八年五月七曰判決

(別冊労働法律旬報四九〇号一四頁)

(3) 公立学校教諭退職処分無効を前提とする公法上の給与支払請求を本案

とする仮処分を認めたものとして、松山地方裁判所昭和三四年一一月二〇日判決

判例タイムズ九九号一〇〇頁)

(4) 国鉄職員に関するものとして、

(イ) 東京地方裁判所昭和二四年八月八日判決

労働関係民事々件裁判例集七号八六頁)

(ロ) 東京地方裁判所昭和二四年一〇月一〇日決定

労働関係民事々件裁判例集七号一〇九頁)

(ハ) 福岡地方裁判所昭和二五年三月一七日決定

労働関係民事々件裁判例集七号一二二頁)

(ニ) 東京地方裁判所昭和二五年二月二五日判決

労働関係民事々件裁判例集七号一六〇頁)

(ホ) 大阪地方裁判所昭和二五年五月一一日判決

労働関係民事々件裁判例集七号一四一頁)大阪高等裁判所同年八月一二判決

労働関係民事判例集一巻五号九三二頁)

(ヘ) 大阪地方裁判所昭和二六年一〇月一〇日判決

労働関係民事判例集二巻四号五一八頁)大阪高等裁判所昭和二八年一月一三曰判

決(労働関係民事判例集四巻一号四〇頁)

 ことに、前記アンケート対象となつた東京地方裁判所昭和四〇年一二日二七日

判決は、「地方公営企業の職員の勤務関係は私法的規律に服する契約関係とみるの

が相当であり、本件解雇行政処分であるとすることはできない。」と判示してい

るのであつて、地方公営企業体労慟関係適用下の地方公務員と公労法適用下の国

公務員とは、地方公務員法国家公務員法関係において、理論上および実定法

体系上全く相照応するものであり、右東京地方裁判所判決論理は、そのまゝ本件

にあてはまるものである

(五) 立法経過の概観

(1) 昭和二二年の国家公務員法制定により、従前官吏の勤務について認められ

ていた無定量の勤務の観念否定され、公務員の勤務関係契約関係とみるのが適

当とされるようになつた。

 そして公務員にも団体交渉権、協約締結権が認められ、当時現業公務員特別職

とされていた。

 ところが昭和二三年の法改正により一般職に移され団体協約の締結が禁止される

に至り、一方国鉄、専売事業公職から除外し公共企業体労働関係法の適用をうけ

ることとなつた。

 その後昭和二七年八月一日公共企業体労働関係法として改正施行され、いわゆ

る五現業もまた、この法律適用をうけることとなり、再び団体交渉権、協約締結

権を取得した。

 右法改正労働関係調整法等の一部を改正する法律案)の提案理由中で政府

公務員のうちでも郵政その他の現業公務員につきましてはその業務の性格実態

が一般行政事務とは著るしく相違し、むしろ国鉄等の公共企業体に近い点もありま

すので云々」と説明しているのである

 昭和二九年には五現業公務員につき給与に関する国家公務員法規定適用除外

を認めた「国の経営する企業に勤務する職員の給与等に関する特例法(昭和二九年

法律一四一号)」の制定により国家公務員法第一八条、第二八条、第二九条ないし

第三二条、第六二条ないし第七〇条、第七五条二項、第一〇六条一般職の職員の

給与に関する法律国家公務員職階制に関する法律昭和二五年法律一八〇号)

規定は除外されるに至つている。

(2) 右の立法経過からも明らかなように、五現業公務員は全くぬえ的な立場

立たされており、ここから幾多の混乱が生じている。

 その顕著な例は公労法第一七条違反による同法第一八条解雇問題である

 公労法第一八条解雇は同法第一七条違反理由として労働契約を解除するいわ

ば通常の解雇であり懲戒解雇ではないといわれる。

 ところが国家公務員法第八二条による懲戒処分としての解雇もまたなし得るとし

て五現業庁は公労法第一七条違反国家公務員法における懲戒処分をもつて対処

ようとする。

 従つて、この点についてはあたかも公労法第一八条国家公務員法第八二条が選

択的に適用し得るような不合理な結果を生じている。このような混乱はいわゆるI

LOのドライヤー報告の表現を借りれば日本においては「政府としての政府」と

使用者としての政府」とを区別しないところから生ずるものであり国際的批判

受けざるを得ない。

(六) ひるがえつて公労法における五現業職員と使用者との関係規律する実定

法が特別権力関係的なものであるかどうかを検討してみるに、

(イ) 公労法第八条労働協約締結権の規定は、明らかに労使対等当事者自治の

原則に立つている。

(ロ) 不当労働行為救済等について、労働組合法上の労働委員会対応する公共

企業体労働委員会が設置され、人事院提訴することができない。

(ハ) 右公共企業体労働委員会がした処分について行政不服審査法による不服

申立が許されない。(公労法第二五条の七)

(ニ) とりわけ本件にとつて重要なことは五現業公務員に対する処分であつて労

組合法第七条各号に該当するものは、行政不服審査法による不服申立が許されな

いことである。(公労法第四〇条第四項)

 右条項の解釈はいろいろ考えられるけれども、少なくとも不当労働行為に該当す

処分に関する限り、当事者対等私的自治の原則に立つ公労法により処理すること

規定したものであることは疑問の余地がない。

(ホ) その他給与に関しても前記国の経営する企業に勤務する職員の給与等に関

する特例法により、一般職公務員に関する諸法規規定排除されている。

2015-04-24

中国十大忠臣

諸葛亮

言わずと知れた宰相諸葛孔明

劉備亡き後の蜀漢をよく支えたが、志半ばにして五丈原に死した。

その判断公明正大で、諸葛亮によって流罪とされた者ですら、彼を恨まずその死を嘆いたという。

彼の手になる「出師表」は古今の名文とされ、「読みて涙を堕さざればその人必ず不忠」と言われるほどである

魏徴

唐の凌煙閣二十四功臣の第四位

もとは太宗の政敵である李建成の部下であったが、その剛直さを買った太宗が自身の側近として登用した。

皇帝となった太宗に対しても容赦なく諫言し、亡くなったときには「朕を写す鏡を失った」と太宗を嘆かせた。

そのやりとりが多く記録された「貞観政要」は帝王学の名著とされている。

寇準

北宋の名宰相

魏徴と同じく、性剛直にして諫言を多くすることで知られ、寇準がやってくれば百官が震え上がると言われた。

その性格のため周囲の恨みを買い、讒言により宰相を追われるが、死後に名誉回復がなされた。

小説「楊家将演義」にも登場して活躍する。

包拯

北宋政治家で、清廉潔白代名詞として知られる。

賄賂を厳しく取り締まったことで、貴族からは恐れられ、民からは慕われた。

その峻烈な性格は「包拯が笑う時は黄河が澄む時だ」と言われるほどだった。

死後、人気はさらに高まり、「包公故事」として劇や小説、あるいはテレビドラマの題材となった。

文天祥

南宋の三忠臣、亡宋の三傑と呼ばれたうちの一人。

弱冠にして科挙首席合格した傑物であり、「正気の歌」などの優れた詩を残す。

南宋首都が陥落したあとも抗戦したがモンゴル軍に捕らえられた。

彼の才を惜しんだクビライから、帰順すれば宰相にするとまで言われたが、「宋の宰相がどうして二姓に仕えようか」とただ死を望んだ。

やむなく文天祥処刑したクビライは、彼を評して「真の男子なり」と讃えた。

于謙

エセン率いるモンゴル軍に明軍が大敗し正統帝が囚われたとき、于謙はすぐさま正統帝の弟を皇帝に立て、徹底抗戦の構えを見せた。

首都である北京にまで迫ったエセンを撃退し、正統帝を取り返したが、のちに反逆者の汚名を着せられ処刑された。

地方官吏であった頃に、賄賂を受け取らずに都に戻る清々しさを詩に詠んだという故事は、「清風両袖」の語源となっている。

海瑞

道教に傾倒し政治を顧みない明の嘉靖帝を諌めたことで投獄された。

海瑞は、棺桶を買い、妻子に別れを告げ、死ぬ覚悟を持って直諫に臨んだという。

嘉靖帝の死後、釈放されてから要職に就けないまま役職転々としたが、その謹厳な性格は変わらなかった。

この海瑞のことを描いた戯曲が、文化大革命の発端となった「海瑞罷官」である

史可法

明末、抗清の武将

李自成の乱によって明の首都である北京が陥落すると、江南へ退避して亡命政権を打ち立てた。

揚州にて清の大軍と戦っていたがついに包囲され、熾烈な抵抗を行った末、落城時に自刎した。

それによって莫大な損害を被った清軍は、報復として揚州の八十万人を虐殺したと言われる。

鄭成功

同じく明末に活躍した抗清の武将

日本で生まれて七歳で明へ渡り北京陥落後は亡命政権の一つに拠った。

そこで隆武帝に気に入られ、国姓の「朱」を与えられたので、以降「国姓爺」と呼ばれるようになった。

父親が清に降ったのちも、鄭成功奮戦を続けたが、抗しきれず台湾へと渡った。

その地を支配していたオランダ人追放して独自政権を打ちたて、翌年に死去した。

林則徐

清の官僚として、地方農村の再建と腐敗した官吏処分を行い、名声を高めた。

道光帝によって欽差大臣に抜擢され、阿片禁輸の大任を託された。

その期待に応え、1425tもの阿片を没収して焼却したが、それをきっかけとしてアヘン戦争が勃発する。

持久戦に持ち込めばイギリスに勝てることを林則徐は見通していたが、親イギリス派の讒言によりあえなく失脚した。

2015-02-22

次ノ如ク大日本帝国憲法公布施行

次ノ如ク大日本帝国憲法公布施行

公布 

 明治元年1月28日

施行

 明治元年1月28日

告  文

 朕ハ諸外国文化哲学ノ最高潮ニ達シタルノ研究結果即チ心身ノ二元性及ヒ我カ国ノ古来ヨリノ実情特ニ性的側面ノ根深キ実情ニ鑑ミテ我カ実社会暴力装置ヲ有スル官憲ニ拠ルノ統治ナクシテハ民族安寧秩序及ヒ慶福ハ実現サレザルヲ悟リ憲法ナクシテハ我カ社会永遠繁栄シ得ベカラザルヲ知ルニ至ル

 而シテ我カ国ニ於ケル社会安寧ハ英知ヲ結集シタル高級官吏管理監督ニ拠ラサレバ凡ソ実現サレス又如何ニ心身カ二元性ヲ有シ生業運動ナクシテモ心理面ノ幸福ハ何処マテモ実現サルルト雖モ其カ許サルルハ天性素行善良ノ穏ヤカナル子ニ限リ何人ニモサルニアラザルハ条理ナリ又如何ニ生業運動ナクシテモ心理面独立シテ何処マテモ幸福ヲ実現シ得ベキト雖モ他人生業運動ノ結果ナクシテハ心理其ノ物ヲ維持スヘキ身体ノ健全ヲ維持シ得ベカザリシハ道理ナリ

 又我カ国ニハ凡ソ矯正ノ効カザル悪人ノ非常ニ多キコト自明ノ理ニヨリテ此レヲ一般社会ヨリ分界シ官憲官吏監督指導ニヨリ定役ニ就カシメル事合理的ナル事ハ明白ナリ其ノ他ノ臣民ニ付キテハ官憲官吏実施セル社会安寧秩序ニ背カザルノ限リニ於テ自由ナル生業ヲ認メ集団生活ノ維持向上ヲ期スルカ合理的ナル事モ明白ノ理ナリ

 斯様ナル理ニ拠リテ我カ国家神聖ナル天皇統治セル帝国官僚国家ナリテ朕ノ欣栄ノ枢要ハ天皇タル朕ノ大権ノ元ニ構成セラレタル優秀ナル官憲官吏及ヒ其カ実施セル社会安寧秩序ヲ基礎トシテ善良ノ子ノ心理面ノ果テナキ幸福追求及ヒ一般臣民自由ナル生業及ヒ悪人ノ服役ノ結果タル社会生活全体ノ利益ノ維持向上ニ在ル物ナリ此レニ反スル一切ノ思考現代一般世界特ニ西洋諸国家ノ文化文明ノ発達状況及ヒ我カ国ノ実情ニ反シ不合理ナル物ナル事ヲ信ス

 又我カ国ハ一度大国家ヲ建設シナガラモ積極的戦争ニ参加シ敗戦シ既得ノ公益ヲ全テ失ヒシ歴史アルニヨリテ戦争惨禍ハ二度ト起シテハナラスト信シ我カ帝国陸海空軍ヲ備フルモ其ノ権能ハ帝国自衛目的ニ限リ帝国主義征服積極的ナル戦役ニ此レヲ用フルヲ永遠ニ禁ス

 朕ハ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ永遠ニ遵行セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ臣民一般ノ慶福ヲ増進スヘシ朕カ現在及将来ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ神霊此レヲ鑒ミタマヘ 朕ノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス

 朕帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ正当臣民翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治元年一月四日ノ詔命ヲ履践シ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ臣民臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム

 朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ

 朕ハ我カ臣民権利財産安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法法律範囲内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス

 帝国議会明治元年ヲ以テ之ヲ召集議会開会ノ時《明治元年一月二十八日》ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ

 将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及ヒ朕ノ系統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ

 朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠従順義務ヲ負フヘシ

  御名御璽

   明治元年一月二十八

 内閣総理大臣 伯爵 前 田 記 宏

 枢密院議長 伯爵 新 宅 正 雄 

 外 務 大 臣 伯爵 ファイナルベント 

 海 軍 大 臣 伯爵 須 藤 優

 農商務大臣 伯爵 西 見 徹

 司 法 大 臣 伯爵 河 城 に と り

 大蔵大臣内務大臣 伯爵 桑 田 佳 祐 

 陸 軍 大 臣 伯爵 長 谷 川 彰 男 

 文 部 大 臣 子爵 中 野 裕 太

 逓 信 大 臣 子爵 白 鳥 英 美 子 

大日本帝国憲法

 

 第1章 天皇               

第1条

大日本帝国天皇之ヲ統治

第2条

皇位ハ別ノ法律ニ定ムル所ニ依リ五等善良者之ヲ継承

第3条

天皇神聖ニシテ侵スヘカラス

第4条

天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

第5条

天皇帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ

第6条

天皇法律ヲ裁可シ其ノ公布執行ヲ命ス

第7条

天皇帝国議会召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス

第8条

1 天皇公共安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス

2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ

第9条

天皇法律執行スル為ニ又ハ公共安寧秩序ヲ保持シ及臣民幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス

第10条

天皇行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル

第11条

天皇陸海軍ヲ統帥ス

第12条

天皇陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

第13条

天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス但シ本条ニ言フ戦トハ国家自衛ノ為ノ戦ニ限リ征服的戦役ハ之ヲ一切禁ス

第14条

1 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス

2 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第15条

天皇爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス

第16条

天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス

第17条

1 摂政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル

2 摂政天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ

 第2章 臣民権利義務               

第18条

日本臣民タルノ要件法律ノ定ムル所ニ依ル

第19条

日本臣民法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得

第20条

日本臣民法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役義務ヲ有ス

第21条

日本臣民法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス

第22条

日本臣民法律範囲内ニ於テ居住及移転自由ヲ有ス

第23条

日本臣民法律ニ依ルニ非スシ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナ

第24条

日本臣民法律ニ定メタル裁判官裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルコトナ

第25条

日本臣民法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナ

第26条

日本臣民法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書秘密ヲ侵サルコトナ

第27条

1 日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルコトナ

2 公益ノ為必要ナル処分法律ノ定ムル所ニ依ル

第28条

日本臣民安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

第29条

日本臣民法律範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社自由ヲ有ス

第30条

日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得

第31条

本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権施行ヲ妨クルコトナ

32条

本章ニ掲ケタル条規ハ陸海軍法令又ハ紀律ニ牴触セサルノニ限リ軍人ニ準行ス

 第3章 帝国議会               

第33条

帝国議会貴族院衆議院両院ヲ以テ成立ス

第34条

貴族院貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織

第35条

衆議院選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織

第36条

何人モ同時ニ両議院議員タルコトヲ得ス

第37条

凡テ法律帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス

第38条

両議院政府ノ提出スル法律案ヲ議決シ及各々法律案ヲ提出スルコトヲ得

第39条

両議院ノ一ニ於テ否決シタル法律案ハ同会期中ニ於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス

第40条

両議院法律又ハ其ノ他ノ事件ニ付各々其ノ意見政府ニ建議スルコトヲ得但シ其ノ採納ヲ得サルモノハ同会期中ニ於テ再ヒ建議スルコトヲ得ス

第41条

帝国議会ハ毎年之ヲ召集

第42条

帝国議会ハ三箇月ヲ以テ会期トス必要アル場合ニ於テハ勅命ヲ以テ之ヲ延長スルコトアルヘシ

第43条

1 臨時緊急ノ必要アル場合ニ於テ常会ノ外臨時会召集スヘシ

2 臨時会ノ会期ヲ定ムルハ勅命ニ依ル

第44条

1 帝国議会ノ開会閉会会期ノ延長及停会ハ両院同時ニ之ヲ行フヘシ

2 衆議院解散ヲ命セラタルトキハ貴族院ハ同時ニ停会セラルヘシ

第45条

衆議院解散ヲ命セラタルトキハ勅命ヲ以テ新ニ議員選挙シメ解散ノ日ヨリ五箇月以内ニ之ヲ召集スヘシ

第46条

両議院ハ各々其ノ総議員三分ノ一以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開キ議決ヲ為スコトヲ得ス

第47条

両議院議事ハ過半数ヲ以テ決ス可否同数ナルトキハ議長ノ決スル所ニ依ル

第48条

両議院会議ハ公開ス但シ政府要求又ハ其ノ院ノ決議ニ依リ秘密会ト為スコトヲ得

第49条

両議院ハ各々天皇上奏スルコトヲ得

第50条

両議院臣民ヨリ呈出スル請願書ヲ受クルコトヲ得

第51条

両議院ハ此ノ憲法議院法ニ掲クルモノヽ外内部ノ整理ニ必要ナル諸規則ヲ定ムルコトヲ得

第52条

両議院議員議院ニ於テ発言シタル意見及表決ニ付院外ニ於テ責ヲ負フコトナシ但シ議員自ラ其ノ言論ヲ演説刊行筆記又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ公布タルトキハ一般ノ法律ニ依リ処分セラルヘシ

第53条

両議院議員現行犯罪又ハ内乱外患ニ関ル罪ヲ除ク外会期中其ノ院ノ許諾ナクシテ逮捕セラルヽコトナ

第54条

国務大臣政府委員ハ何時タリトモ各議院ニ出席シ及発言スルコトヲ得

 第4章 国務大臣及枢密顧問               

第55条

1 国務各大臣天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス

2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅国務大臣ノ副署ヲ要ス

第56条

枢密顧問枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス

 第5章 司法               

第57条

1 司法権天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ

2 裁判所構成法律ヲ以テ之ヲ定ム

第58条

1 裁判官法律ニ定メタル資格ヲ具フル者ヲ以テ之ニ任ス

2 裁判官刑法ノ宣告又ハ懲戒処分ニ由ルノ外其ノ職ヲ免セラルヽコトナ

3 懲戒ノ条規ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第59条

裁判対審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキハ法律ニ依リ又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ対審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得

第60条

特別裁判所ノ管轄ニ属スヘキモノハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第61条

行政官庁違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス

 第6章 会計               

第62条

1 新ニ租税ヲ課シ及税率ヲ変更スルハ法律ヲ以テ之ヲ定ムヘシ

2 但シ報償ニ属スル行政上ノ手数料及其ノ他ノ収納金ハ前項ノ限ニ在ラス

3 国債ヲ起シ及予算ニ定メタルモノヲ除ク外国庫ノ負担トナルヘキ契約ヲ為スハ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ

第63条

現行ノ租税ハ更ニ法律ヲ以テ之ヲ改メサル限ハ旧ニ依リ之ヲ徴収

第64条

1 国家ノ歳出歳入ハ毎年予算ヲ以テ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ

2 予算ノ款項ニ超過シ又ハ予算ノ外ニ生シタル支出アルトキハ日帝議会ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス

第65条

予算ハ前ニ衆議院ニ提出スヘシ

第66条

皇室経費ハ現在ノ定額ニ依リ毎年国庫ヨリ之ヲ支出シ将来増額ヲ要スル場合ヲ除ク外帝国議会ノ協賛ヲ要セス

第67条

憲法上ノ大権ニ基ツケル既定ノ歳出及法律ノ結果ニ由リ又ハ法律上政府義務ニ属スル歳出ハ政府同意ナクシテ帝国議会之ヲ廃除シ又ハ削減スルコトヲ得ス

第68条

特別ノ須要ニ因リ政府ハ予メ年限ヲ定メ継続トシ帝国議会ノ協賛ヲ求ムルコトヲ得

第69条

避クヘカラサ予算ノ不足ヲ補フ為ニ又ハ予算ノ外ニ生シタル必要費用ニ充ツル為ニ予備費ヲ設クヘシ

第70条

1 公共安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府帝国議会召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政必要処分ヲ為スコトヲ得

2 前項ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出シ其ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス

第71条

帝国議会ニ於テ予算議定セス又ハ予算成立ニ至ラサトキハ政府ハ前年度ノ予算施行スヘシ

第72条

1 国家ノ歳出歳入ノ決算ハ会検査院之ヲ検査確定シ政府ハ其ノ検査報告ト倶ニ之ヲ帝国議会ニ提出スヘシ

2 会計検査院組織及職権ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

 第7章 補則               

第73条

1 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ

2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

第74条

1 皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス

2 皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ条規ヲ変更スルコトヲ得ス

第75条

憲法皇室典範摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス

第76条

1 法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法矛盾サル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス

2 歳出上政府義務ニ係ル現在契約又ハ命令ハ総テ第六十七条ノ例ニ依ル

2013-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20131220211508

お前が喧嘩越しで汚い言葉を使ってるんだろ。それに相応に返してるだけだが。俺の言ってる内容は基本的なことでしかないし。

なるほど、長く続く大国家の起源部族連合のようなものであるケースも割とあるよ?

戦国期の地方領主を束ねて天下統一、みたいなことをやるときには便利な形態からね。

でも、それで終わってしまうのでは脆弱国家しかならないんだよ。

国家統一がなったときには、地縁血縁の束による統治形態の「解体」が始まるんだ。

地方領主土地を所有させ、世襲相続させて、その地縁血縁による統治を行う、という形態から中央から任命した官吏中央の部分としての任地を統治させるという形態に移行しなければならない。

そのためには、建国の際に功績の大きかったものであっても徐々に失脚させ、潰していかなければならない。強固な地縁血縁による地方支配は、盤石な国家を築く上では不安要因でしかないんだよ。

北海道を治める俺がなんで沖縄の問題のために費用負担しなきゃいけないんだよ、みたいなことを必ず言い出すの、地方領主は。当たり前だ。彼の所領とは関係のない話なんだから

から国家の体裁が整い、これからは一つの国としてやっていきますよ、となったその時に、必ず、今までやってきた地縁血縁の束による統治システムは否定されるんだ。国家国民というフィクションをそこから始めるんだよ。文化への手入れとか、それこそ国民教育によって。

「我々国民」「我々日本人」というのはそうやって生み出されるフィクションだ。フィクションという言葉が悪ければ、そういう人工的な思想だ。いい悪いの意味じゃなく、事実の問題として。

2013-11-20

これが民主主義の基本理念である


547 :ソーゾー君:2013/11/19(火) 19:08:51 ID:vE4S6Trk

1,行政決定を管理する選挙された官吏

2,自由で公正な選挙

3,普通選挙

4,行政職に対する公開性

5,表現の自由

6,代替情報(反対意見)へのアクセス

7,市民社会組織の自治


↑これが民主主義の基本理念である

殆ど守られてねーな・・4は殆ど機能してなかったけど新たに悪法設立して

1~7全て破棄するんですか・・





中央銀行・発行権】黒幕銀行家3【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50

中央銀行・発行権】黒幕銀行家37【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1343051395/

2013-07-02

憲法ブームにのっかって最初から読んでみる・前文と1条から9条まで

10日分たまったので整理、というかコピペ

条文ごとに別記事だと見にくいし、かといって今回のようにコピペするのも面倒なので、10条以降は書いたものに追記していくことにしよう。




昨日からコンビニ憲法の本が販売されてるらしい。

改正の話題などもあって、どうやら憲法ブームのようなものが起きつつあると感じる。

ので、自分もこれにのっかって憲法を読んでみて、思ったところを書きとめておこうと思う。

今日はとりあえず前文を。

  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府行為によつて再び戦争惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威国民に由来し、その権力国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ国際社会おいて、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想目的を達成することを誓ふ。

「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」→代表民主制ってことか。

主権国民に存することを宣言」→国民主権だね。

「恒久の平和を念願し、……」→このあたりが平和主義かね。

「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……と信ずる」→国際協調主義

学校では憲法の基本原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の3つを教えられたが、前文に基本的人権の尊重は少なくともわかりやすい形では出てこないのな。あえて言うなら「自由のもたらす恵沢を確保」あたりか。

あと気になったのは、「これに反する一切の憲法法令及び詔勅を排除する」って部分。

「これ」は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、……」からはじまる「人類普遍原理」を指すのだろうが、それはつまりこの「人類普遍原理」に反するような憲法改正はできないということだろうか。いや別にできなくていいけど。

今日は1条。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

「象徴」であるということをどう捉えるべきなのか。「象徴に過ぎない」という消極的な意味に尽きるのか、なんらかの積極的な意味を読みこむことが可能なのか。

そもそも「象徴であ」るってどういうことなのだろう。

今日は2条。

皇位は、世襲のものであつて、国会議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

国会議決した」ってことなら「法律」でいいんじゃないの、と思ってしまうのだがなぜわざわざ「皇室典範」としたのだろう。

皇室典範」は成立要件や効果等の面において他の法律とは何か違いがあるということなのだろうか。←解決。教えてくれた人ありがとう

今日は3条。

天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

いまいち意図をつかめてない気がする。

ひとまずは(象徴天皇制ゆえ?)天皇フリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解しておく。

今日は4条。

天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

2項  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為委任することができる。

自分は3条についてひとまず「(象徴天皇制ゆえ?)天皇フリーハンドの決定を許さない、その反面として責任も負わせないということだと理解」したわけだが、4条を見ると「国政に関する権能を有しない」と定めることで既に天皇フリーハンドの決定は不可能とされ、天皇政治的実権は奪われているように思える。

だとすれば、「国事に関する行為」についても「内閣の助言と承認」を要求したのはなぜなのだろうか。「内閣の助言と承認はいかなる意義を有するのか。そもそも「国事に関する行為」とはいったい何なのか。

今日は5条。

皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

前条2項が準用されていないのは、摂政が国事に関する行為さら委任することはできないということだろうか。

今日は6条。

天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

2項  天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

これらは「国事に関する行為なのだろうか。4条に照らせばそう考えるのが自然な気がするが、司法行政トップを任命する行為は明らかに政治性を帯びており「国政に関する」行為であるという気もする。

前者だとすれば、国事に関する行為と国政に関する行為との区別の仕方がまったく分からない。

後者だとすれば、本条は4条の例外としてなしうる国政に関する行為を定めたものと理解することになるのだろうか。だとすると、3条が「内閣の助言と承認」を要求しているのは国事に関する行為のみなので、国政に関する行為というより濫用の危険の高いものフリーハンドで行われることになりかねず大変問題ではないかと思うのだが。

今日は7条。

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一  憲法改正法律政令及び条約公布すること。

二  国会を召集すること。

三  衆議院を解散すること。

四  国会議員総選挙施行公示すること。

五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

七  栄典を授与すること。

八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書認証すること。

九  外国大使及び公使を接受すること。

十  儀式を行ふこと。

ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。

儀式を行ふ」などは国事に関する行為イメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。

今日は8条。

皇室財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会議決に基かなければならない。

財政上も統制を加えるということなんだろう。

今日9条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

さすがにこれは有名なのでどのあたりがポイントなのか聞いたことある

1項は「国際紛争を解決する手段としては」という文言が何を意味するか(放棄するのは侵略戦争のみか、自衛戦争もか)という点。

2項はこれによって放棄される「戦力」とは何か(自衛隊は「戦力」か)という点が重要ポイントだということだったか

2013-06-28

憲法ブームにのっかって最初から読んでみる・7条

憲法を読んで思ったところを書きとめる試みの8日目。

今日は7条。

天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一  憲法改正法律政令及び条約公布すること。

二  国会を召集すること。

三  衆議院を解散すること。

四  国会議員総選挙施行公示すること。

五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

七  栄典を授与すること。

八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書認証すること。

九  外国大使及び公使を接受すること。

十  儀式を行ふこと。

ここに挙げられているものは国事に関する行為ということで、ますます国政に関する行為との区別が分からなくなった。

儀式を行ふ」などは国事に関する行為イメージどおりだが、「国会を召集」したり「衆議院を解散」したりするのは政治性があり、むしろ国政に関する行為ではないかという気がする。

2013-04-25

就職活動が辛いことについて

「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」

誰もが知っている超名門高校を出て、日本で最高と言われる大学に入った。大学では少し遊び、遠回りをすることとなったが、いわゆるリーダーシップを発揮する経験も積み、所属する組織において一定以上の地位に立ち、そして価値提供してきたと自負している。腹を割って話すことのできる友人にも多く巡り合った。このような大学生活の後、就職活動に臨むこととなった。誰もが羨む、そして自らも納得することのできる企業に直ぐに決まると信じて疑わなかった。

しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年の俤は、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷けたかは、想像に難くない。」

 同期が着々と内定を獲得していく。自分は滑り止めだと思っていたところにすら落ちる。自分よりも愚鈍であろうと思っていた人間も進路が決まっていく。周りが浮かれていく中、かつて歯牙にもかけなかった企業エントリーシートを書く。

「彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。」

 こうして李徴は虎になってしまったわけだが、私もまた虎になってしまうかもしれない。

 彼は「臆病な自尊心尊大羞恥心」を虎となった原因として挙げていた。これは(特に「素晴らしい」経歴を持つ人間であれば)誰もが持ちうるものではなかろうか。

 私は今もなお虚勢を張り続けている。期待をかけ育ててくれた両親や語らいあった友、後輩に情けないところは見せられないと必死である。「就活100m走じゃないから、ゆっくりと納得のいくところに行くんだ」「なまじ考えが新卒っぽくないから、染まりにくいと評されているのではないか」と嘯き、自己正当化しようともがいている。この言動が関わりのある人間安心させるためのものではないことは自明である。自らの臆病な自尊心を飼い太らせるためのものだ。

 実際私がなぜ内定を得ることができないか、正確な理由はわからない。企業からフィードバックは当然ながらないので、不確定な仮説を立てる他はない。この仮説を立てる上で私の尊大羞恥心は牙を剥く。「縁がなかった」「合わなかった」と結論付けるのだ。

 何も現状の仕組みについて不平を言うつもりはない。それで結果を出す人は多くいるのだから企業採用活動は慈善事業ではないのだから落とす人間コストを掛けないことは道理であるし、両親や友が期待も道理である。誰もが道理である行動をとり、結果私の中で猛獣が、虎が猛るのだ。

 むしろ虎になってしまったほうが楽なのかもしれない。今からでも間に合うような、一般的に東大生が行くとは到底言い難い企業を受け何とか内定を取るのか、またはそうではないフリーターか何かになってぶらぶらとその日暮らしを送るのか。しかし虎に身をやつした李徴がどれほど悲しみに胸を灼いたことか。ふと我に返り、自分無駄にした人生に嘆くこととなるのは目に見えている。

 これらを総称するといわゆる「大手病」であろう。良く聞く言葉だ。しかし、私の経歴を辿るような人は皆この病に罹っている、猛獣を内側に飼っているのではないだろうか。誰がこのシステムの中、好き好んで羨まれる経歴を歩みながら道を外すことがあろう。大手病自体が悪いのではなく、結果が出ないことの原因を大企業だけを受けていることに求めているに過ぎないのではなかろうか。特に一定以上の学歴である場合は。

 熱意があればいいだろう、熱意が足りないのだ、熱意を見せろと言われたこともある。が、そもそも何で測るというのか。志望理由は明快にし、論理は組んでいるはずである。そういった準備をおろそかにするほどに馬鹿ではなかったから。もっとも、「作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがある」のかも知れないが。

 私は見えないものと戦っている。取り掛かるべき相手が誰なのか全くわからない。自分なのか、他者なのか、企業なのか、はたまた社会システムなのか、何に不平を言えばいいのだろう。何を変えればいいのだろう。そこには悪意はない。悪意のない殺意が私の首を真綿で絞めるように、私をじわじわと殺している。

嗤ってくれ、虎になってしまう哀れな男を。そしてこの虎の中にかつての私がまだ生きているしるしにこんな文を書いてしまった。願わくばより広く広まれば。

本当に虎になってしまうのか、それとも「人」として就職活動を終えることができるのか。それは神のみぞ知る。天命に任せよう。がおー。

2012-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20111231174813

wikipediaから引用お疲れ様。しかしそれは、「ある国が民主主義を僭称する独裁体制であるか否か」を調べる基準と書いてあるとおりで、「民主主義ルール」と決めつけるのはいかがかと思う。従って、それを、ある人物の言動を「民主であるか否か」をチェックする基準に用いるのは適切とは思えない。そもそも日本の「官吏」は選挙によって選ばれないしねえ。

どうせwikipedia引用するなら、シンプルに一番上の定義

集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う思想・運動・体制である

引用してくるべき。その上で、「構成員の合意」を必要ないと考えている人間が「民主主義ルールを守っている」と言えるのか?とお伺いしたい。

2011-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20111231173519

実際彼はある種独裁的で、現状の問題に対して民主主義的解決をする気は(あまり)ないというのを理解した上で

民主主義ルール」に抵触しない形でやっていると自分は評価している。

民主主義ルールとは以下を認めるという事だ。


本人は公正かつ自由な選挙で選ばれ政治している人物である

橋本氏は「"市民"社会組織の自治」も「反対意見へのアクセス権」も認めている

発言に矛盾はない

 
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