はてなキーワード: 誤判とは
はてブのみなさんのなかに複数、「記事の指摘内容」自体は正しいものと鵜呑みにされている人がいることにやや危機感を覚えたので、逐一検証していきます。
準拠する用字用語ルールブックは、記事内では残念ながら指定されていないので、現物を所持しているという点で増田に都合の良い、2016年3月24日発行の『記者ハンドブック 第13版第1刷』を使用します。
なお、2022年3月に「記者ハンドブック」は第14版が出ているのですが、スタイルガイドは別に新しいものが日本語として正しいといった性質のものではなく、またたかが6年で様変わりするようなものでもないので、気にしないことにします。
厳密な話をするなら、増刷のたびに微妙な改訂があったりしますしね。
なお敬語や文法等の指摘は、表記集である記者ハンドブックの範囲外だと思われるので無視します。
また、面倒なので「【誤字】_カテゴリ別」のシートのみを対象にします。
誤用第1位として挙げられていますが、1位になるのも当然で偽ルールです。記者ハンドブックでは「比喩表現には「例え」、仮定表現には「たとえ」、「喩え/譬え/仮令/縦令」は常用漢字表外のため使用禁止」です。
これは正しいルールですが一方で記者ハンドブックには「「まぜご飯」など書き分けが難しい場合には平仮名書き」とあります。必ずしも正誤判定を行えるルールではありません。
例えば
などは、「調べて区別を付ける」ことは可能だが、調べるまでは「混ざっていて区別のつかない」状態を描写しています。
判定は難しいですが、記者ハンドブックは「混じる」の用例に「異物が混じる」を挙げていることも踏まえると、誤りとは言えません。
書き分け基準は正しいですが、『亘る』は常用漢字表外なので『わたる』と平仮名で書きます。
同上。『穿く』は常用漢字表外なので『はく』と平仮名で書きます。
同上。『窺う』は常用漢字表外なので『うかがう』と平仮名で書きます。
記者ハンドブックには「「料理を皿にのせる」など使い分けに迷う場合は平仮名書き」とあります。用例を見ても「猫を膝に乗せる」/ 「家畜を列車に載せる」などは違いがわかりにくいです。
の2点が揃えば「乗る」、2点に反すれば「載る」、片方だけ満たせば書き分け困難として「のる」とするのが妥当に思えます。
そうすると、
は「載る」ではなく「のる」に校正するのが正しいでしょう。
「押さえる」は「物理的圧迫」だけでなく、「確保する」「つかむ」も含みます。そうしないと「要点を押さえる」などが説明できません。
また「物理的圧迫」でも例外として柔道用語では「抑え込み」です。
要約すれば、「抑圧・弾圧・柔道」が「抑える」、それ以外が「押さえる」とするのが正確でしょう。
また、
- 持って帰りたい気持ちを抑えて
は「抑制」なので間違っていません。
これも記者ハンドブックに「使い分けに迷う場合は平仮名書き」とあるようにはっきりとは分けられません。
ただし、少なくとも誤用指摘をされている
- エアコンの効いた
等に関しては記者ハンドブック中に「冷・暖房が効いている」があることから、誤用指摘のほうが間違っていると言えるでしょう。
「沁」は常用漢字表外であり使用禁止。すべて「染みる」で問題ないのが記者ハンドブックルールです。
記者ハンドブックルールでは「敵う」/「適う」を区別しませんが、そもそもどちらも常用漢字表内の読み方に「かなう」がありません。平仮名書きが正しいです。
記者ハンドブックルールでは「散りばめる」/「鏤める」はどちらも誤用ではありませんが、「鏤」は常用漢字外なので使用禁止です。
表記統一のルールとしてひらがなで「ちりばめる」と書くのが正しいルールになっています。
「牡蠣」/「柿」は同音異義語です。牡蠣を柿と書いたら誤りです。しかし「かく」ならば、絵に対しても書に対しても両方に使える、ただの多義語です。「書く」「描く」という2単語があるわけではありません。
多義語も書き分けを行うことで、意味確定が楽になり読みやすい文章にはなります。しかし、「絵を書く」と書いたところで日本語として間違いにはなりません。あくまでプラスワンの基準と考えるのが妥当でしょう。
また、「書く / 描く」の書き分けルールくらい、多くの現代日本人の共通認識になっていれば、強い理由がない限り逸脱しないほうが良いといえるでしょうが、
でも「湧く / 沸く」の違いならどうでしょうか。そんなもの日本人のほとんどは意識していませんし、言語感覚は人それぞれで多様です。何かしらの書き分けを行うことによる読みやすさの向上は、仮にあっても微々たるものでしかありません。
共同通信の配信文などはその性質上個性を抑えた画一の文体が好まれますから、ルールを極めて細かいところまで定めることに意味が出てきますが
一方でオモコロのような個性が売りの媒体では、時にはルールから逸脱することもあるライターの言語感覚を反映させて、自由に書き分けることの方がよっぽど重要です。
記事の冒頭、
にマジレスすると「メディアの違いを理解せよ」ってやつですね。
そして、フォーマルな画一文の校正として見ても、『オモコロを校正する』は、準拠するスタイルガイド・用字用語集・辞書・文法書が指定されていないこと、および常用漢字表外の漢字の使用について明らかに無頓着であることがかなり気にかかります。
記事の著者は「普段、仕事で小説を読んでいます」と主張していますが、この人に仕事で校正してほしくないな……というのが本音です。
夏休みも終わりに近づいてきたし、感想文で苦戦している本人、ご家族に贈ります。
本全体の説明を書く。
その本を選んだ理由を書く。
印象的なシーンを3つ、同じテーマか、承・転・結で結ばれている内容で抜き出す。
それぞれのシーンごとに、「どう思ったか」、「自分だったらどうするか」を書く。
本全体を読んでみてどう感じたのか、今後自分はどのようにしていこうと考えているのかを書く。できれば具体的な行動で。
高学年であれば、思春期的な内容(悩み、葛藤、死生観)をほんの少しどこかに織り交ぜる。
完成!
小学生向けと書いたけど、高校生でもこういう感想文を書く人がほとんど。万能レシピです。
それでも苦労して書けないよ!という人に、裏技を2つ紹介。
・裏技1
本から感じたことから飛躍して、自分の書きたいテーマについて書く。
例えば、戦争を扱った本だったら今のウクライナのこととか書いてしまう。
本文からの引用は最低限、なんならなくてもいい。最悪読まなくてもいい。
ただし、最後の結末については、本から影響を受けた内容で締めくくる。
本の内容に関係なく、自分の言いたいことに誘導できるところが手抜きポイント。
・裏技2
本の内容について、つっこみをいれつつ現在のテクノロジーに置き換えて自分ならどうするかを書く。
例えば歴史の本だとして、過去には正しいとされていたものが今も正しいとは限らない。
そういう部分にツッコミを入れて、今のテクノロジーならこうするといった内容を自分視点で書く。
下手すると悪ふざけになるので、最後には真面目なテーマに戻ってくる。
本文に対する深い解釈は不要で、相手の関心を現在の方法論に対してミスディレクションできるのが手抜きポイント。
感想文で絶対にやってはいけないことは、その本の書評を書いてしまうこと。
書評というものは有識者がこぞって行っているもので、それをしようとすると正誤判定を受けてしまうことになる。
そこから逃れるためには、正誤判定の外に話題を持っていくことが必要。
自らの考え方や行動については、その瞬間において正解かどうかなんてものはない。
そのため、感想文の一番の攻略は、「何事も自らの視点に置き換えて考える」ということに他ならないと言える。
以上。
皆さんがんばってください。
https://b.hatena.ne.jp/site/anond.hatelabo.jp
で動くスクリプトでたとえば投稿後10分以内にブクマされページに乗ったら「1 user」が「1 user セルクマ 1とか5(何分後にブクマされたか)」になる。もしマイナスなら誤判定なので無視して。
時間を置いたセルクマには効かないし普通のファーストブクマカがどれぐらいの頻度で確認してるかしらないけど5分以内や1分以内もポロポロあるのでまあ目安に。
.forEach(div => {
('.entrylist-contents-title > a')
とかの
を
<>
に変えてね
他にも見落としあるかも
誤判定が減るから非公開ファーストブクマを判定できたらいいんだけどね。
// ==UserScript== // @name hatebu masuda selkmark // @namespace http://tampermonkey.net/ // @version 0.1 // @description 特定時間以内にブクマされた増田を強調する // @author You // @match https://b.hatena.ne.jp/site/anond.hatelabo.jp* // @grant none // ==/UserScript== (function() { 'use strict'; const threshold = 60 * 10 // 何秒以内か const domain = 'https://anond.hatelabo.jp/' const dateTemplate = '202301020304' // 時分まで urlの時刻表記 const dateTest = new RegExp('\\d{' + dateTemplate.length + '}') document.querySelectorAll('div.entrylist-contents').forEach(div => { const masuda = div.querySelector('.entrylist-contents-title > a') const dateStr = masuda.href.substring(domain.length + dateTemplate.length, domain.length) if (!dateTest.test(dateStr)) { // キーワードとか console.log('not diary', dateStr) return } // new Dateできるように変換 // https://amateur-engineer.com/javascript-date-yyyymmddhhmm/ const year = parseInt(dateStr.substring(0, 4)) const month = parseInt(dateStr.substring(4, 6)) const day = parseInt(dateStr.substring(6, 8)) const hour = parseInt(dateStr.substring(8, 10)) const min = parseInt(dateStr.substring(10, 12)) const date = new Date(year, month - 1, day, hour, min) const bukumaDate = new Date(div.querySelector('.entrylist-contents-date').textContent) // 2023/01/23 00:00 const diffSec = (bukumaDate - date) / 1000 // ms to sec if (diffSec > threshold) { return } // ブクマ数 user const user = div.querySelector('span.entrylist-contents-users a').lastChild user.textContent += ' セルクマ ' + (diffSec / 60) // 古い記事がマイナスになる でも2015年ぐらいの記事までかな?新着はセーフ臭い /* if(diffSec < 0) { user.textContent += ' 異常差分:' + diffSec } */ }) })();
https://twitter.com/search?q=-filter%3Alinks%20%E5%AE%87%E5%86%85%20&src=typed_query&f=live
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2153066
lenhai id:kamm Content IDだからペナルティにカウントされないし、アカウント凍結にもならない。YouTube「著作権侵害の警告とは異なります」「チャンネルやアカウントには影響しません」→https://support.google.com/youtube/answer/6013276?hl=ja
を無視して
kamm id:demakirai たとえ誤判定であっても権利侵害はペナルティにカウントされて、下手したらアカウント凍結とかに繋がるんですよ。不満を言うのは当たり前では?
に星付けてんの、もうYアノンだろ
ここで言うマイナンバーの銀行口座紐付けとは「マイナンバーと銀行口座の紐付けによる確定申告の半自動化」のほうで「公金受取口座登録制度」のほうではない。
インボイス制度の批判について自営業者の事務コストや氏名が明らかになる点が問題視されていたが、そもそもマイナンバー構想当初の銀行口座とマイナンバーの紐付けがしっかりと進んでいたら多くの国民や企業は年末調整と確定申告の事務コストから軽減・開放されていたのは明白で、しかもそれはインボイス制度のような氏名公表制度ではなかった。
クレジットカード決済で民間事業者へ個人情報を渡し、監視カメラ下の民間商業店で現金決済し、出生からその個人情報を把握されている日本国籍保有者が今さら国へ渡して困る決済とは一体なんなのか。
銀行口座とマイナンバーの紐付けはむしろ公人や税金から拠出される予算を受ける社会福祉系団体のような組織、巨大企業グループのほうが非常に嫌がり、汚職や不適切な会計を抑制する効果が高く期待できる制度であり、財務省の口車にのせられ税収に目のくらんだ巨悪自民党みずから提言させたのに妨害した野党やその支持者は何を考えていたのか。
どんなに小さく見積もっても当時の野党とその支持者の妨害は誤判断極まり、今現在インボイス制度に難癖を付けるのは一体どの様な精神状態なのか誠に理解しかねる。
よって、野党とその支持者はインボイス制度を反対すると共に「マイナンバーと銀行口座紐付けによる確定申告の半自動化」を支持してもらいたい。
鬱に限らず精神疾患にはたくさんの種類があるけど、"程度"があるから付き合いに際して画一的な対応法がない。
僕だって疾患がある。でも少し服が好きで、環境を意識的に絞れば人付き合いも好きだ。かいつまんで言えば精神疾患持ちの人が好きだ。よく付き合う。それは見せ物小屋的な下品なモチベーションじゃないかと言われれば返答に窮するが、そんなこと言ったって仕方がない。翻って考えれば人間全員とのコミュニケーション全部がそうだと思えてしまう僕は。あなたはどうだ。
とにかくそういう生き方をしてると、僕に対して懐疑的な態度をとる疾患持ちが割といる。
懐疑的な態度とは「こいつ疾患持ちじゃないから俺らのこと何も分かってない」みたいなのや、変な人が好きみたいなこと言うと(実際はこんな娑婆い言い方はしない。ニュアンスね、ニュアンス。)、「変人と付き合ってる私変わってると思いたいタイプかよ」って感じのリアクションを頂いた。
そう言うフィードバックを受けるたび「あぁ、これは僕が服が好きなせいで変人に見えないのかな」と訝しんだ。僕がもっと髪の毛ボサボサで、服も中学生の時から変わってなくて香水もつけてなくて、吃るか早口だったら彼らは僕を"認めて"くれたのかなって。
結論として僕はそう言う奴らを"ガキ"と思うことにした。彼らは当事者にも関わらず、自分以外の当事者への配慮が足りない。その配慮不足を含め様々なコミュニケーションエラーも疾患のうちと言えるのかも、と最初は僕は考えた。しかし僕も鬱はじめ色々に罹っている当事者としてまた今まで付き合ったサンプル達を元に考えてみると、それはただ"幼稚"なだけだと気づいた。でも冒頭で書いた通り画一的な対応もないので画一的な境界線も引けない。さらに上手く言語化もできないし、ここまで書いたのに自分の間違いかもしれないで疾患の一つかもしれない。
でもやっぱりなんか違うと思うんだ。違うと言うのは僕への態度の話だ。僕を仲間に入れないようにしたあの排他的な行動。
説明が本当に難しいが、疾患の功罪が現れるのは一人の人間として振る舞っている時であって、後でその原因を(当人や周りの人が)掘ってみたら精神疾患だったという感じだ。つまり自分が人間ではなく疾患持ちとしてその疾患の功罪を発揮しているわけではないはずだ。僕もそうだ。
でも、僕への態度は違った。
"""変な人が好きみたいなこと言うと(実際はこんな娑婆い言い方はしない。ニュアンスね、ニュアンス。)、「変人と付き合ってる私変わってると思いたいタイプかよ」ってリアクションを頂いた。"""
このとき彼らは不機嫌になると共に、人間として振る舞っているのをやめ疾患持ちとして振る舞い始めたような気がする。言わば個人を捨て「疾患持ち代表として」みたいな振る舞いをしたように感じた。それでもって僕のことを辟易していた。
疾患に対して画一的に考えられがちな現状においてこういう悪行(ここではあえて悪行と言わせてもらう)を疾患の一部と言うのは他の患者に対して些か"配慮不足"だと思った。
だから僕は彼らのそれを疾患とは切り分けて唯の配慮不足なガキと定義することにした。
これは間違ってるかも知れないし、その可能性をいつまでに捨てない自意識を孕んだ上でそもそもこれは僕目線の印象の話だ。だから次に彼らがなぜそういうことをしてしまうのか考えてみた。
変な人の心を考えるのは難しいし正誤判定ができないが、結論としてそれは自己防衛本能というか引力のようなものなんだろうと思った。原因が自分の幼稚さではなくて疾患の方にあると思いたいんじゃないかな。
彼らだって分かってるはずなのにね。疾患も自分だって。そこも幼稚さと呼べるのだろうか。
彼らがどう認識してるか分かんないけど、そういう「降りかかったコミュニケーションエラーについて常に自分が被害者で加害者」というマインドの疾患持ちが偉く気味が悪いという話でした。オチなし。
自分の中で疾患とその他の特性との線引きをするのはさずかし難しいだろう。僕もそうだ未だに上手くできない。しかし、あまつさえその努力を放棄することだけは僕が許さない。被害者としてね。
まあ"頑張ろう"ぜ。いつでも腕を広げて立ってるから。
『外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56
篠田治策
明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言の形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面に於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府の公文にも新聞紙の報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争、日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵、上海出兵、満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである。
此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府の公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより
<四七>
宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後の通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三日ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成を注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である。二十三日は我が陸軍の部隊が上海附近に上陸を開始した日である。即ちハル長官も現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府は最初に宣言したる事件不拡大の方針を余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官は支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである。
我が國の國内法に於いては事變と戦争を区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。
即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務を負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場に於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統的武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人に
<四八>
対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場に於いて事變と戦争を区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反の問題を生ずることは殆んど無いのである。
従来我が陸軍は戦場に於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者を従軍せしめたのである。日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。
東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法の理想に於いても欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州に於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力を覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般の利益として祝す可き所なり。
又仏國の國際法学者ポール・フォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。
此の戦役に於いては日本は敵の万國公法を無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま
<四九>
ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産を保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。
日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別の任務を以て米國に派遣せられた法学博士男爵金子堅太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。
米國人は事實の真相を調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料を蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用は参謀部に於いて國際法専攻の学士と協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法を提唱す日本政府の決心は露國は大國なり腕力に於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す
<五〇>
る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争に日本が國際法を破りしことあらば世界の歴史に汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エール・ハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者を従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。
世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏が従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつて組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面の事務に従事したるも、亦國際公法の適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)
過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである。
唯だ、陸戦法規の適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土の性質である。假りに之れを中華民國
<五一>
の領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力を行使すべきか、又南京政府の官吏は既に逃亡し、地方の民衆自ら自治政権を樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である。
宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合に於いて、北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政を施行し治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府の領土となりし場合には、其の地域に行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである。
日露戦役の際は戦闘の地域に性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土と遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍の権力を行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸後直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立を宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域に活動したるも、其の権力の講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。
今回の北支事變に於いても、其の交戦地域の領土の性質が曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参
<五二>
考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。
従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交に政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規の適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後の政治的工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官に禁止事項の外は自由裁量の余地あるかは明かである。
陸戦法規の條項を北支の事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍の名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領地住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである。
凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊の安全と作戦動作の便益を図るが為めに、無限の権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊の安全と作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般の安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業に従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方の官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序を回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の
<五三>
軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限の権力を以て此等の犯罪者を厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般に公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領地人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州軍総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの総司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部は特に詳細なる規定を發布し、旅順口海軍鎮守府も別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。
軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に處すると原則とすべきである。
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
<五四>
六、一定の軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。
帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支を侵略して我が領土となすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊を駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民が自治政権を樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方は一時的にもせよ事實上我軍の占領地である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり、永久に之れを占領するの意思無きが故に此
<五五>
我軍が一時的なりとも北支地方を占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41
その人たちは二次元と現実を地続きにしようとがんばってもはや二次元と現実が等価だと信じ込んでしまっている
でもキャラはだれかが線をひけばできるけど子供はお父さんとお母さんがセックスして出産子育てしないとおとなになれない
そのクソ重い育児負担というこれまで・これからも人類が向き合っていく現実を無視しなければそんなに簡単に等価だといえるわけがない
そうやって異性愛規範を憎む人は母の日、父の日といった時節にも
親子の愛情(とくに子供が親のケアを望んでそれに答える親の愛情の美しさ)をガン無視してヘイトをぶつけてしまうんだろう
おそらく生育したご家庭に問題があって実際に親や子であった自分を憎んでいるのかもしれない
でもそれを二次元に持ち込まないでほしい
別に子供を育てながらでも二次元や同性愛作品を大事にして萌えることはできるし
実際にファンの中にも子育てしながら書いている・よんでいる人がかなり多くなってきた
その人たちも多くは二次元に親子愛の正誤といった邪念をもちこまないようにしているのに
一方的に、生殖や育児行為(正しいとまでいわずとも、負担が重いので大変ですよねという現実認識をして覚悟をしているカップルの存在)まで
とはいえ多くはみちゃいられないとおもえばそっと離れるだけだけど
それは逆もまた真であって
完全に同性愛になる流れの作品が「なぜか一方が子供をほしいという理由でドンデンがえしをされた」ということならよんでいられないほど描写がヘタだな、となるのは自然である そういう教条的な作品をやまほどみせられたら、「現実はともかくあの手の作品は大キライ」となるのはある意味仕方がない(私は今の状況でそういう作品が多いとはおもわないがその人たちはそういうのをみせられて育ったのかもしれない)
ここでは二次元と現実を地続きにして誤判定しているのは元増田のほうということになる