はてなキーワード: 法事とは
まず、私は普通にヲタ活してる人間。でも一応精神疾患持ちで通院中。まあぶっちゃけ躁鬱なんだけど。仕事したい意欲はあれどテンションの乱高下で仕事にならなくて今現在無職。
趣味で文章を書いていて、ちょうどいいので自費で本を出そうかと言う話になったとき、一人のフォロワーが「表紙やりたい!」と言ってきた。私としても嬉しい申し出だったので快諾した。
けど、それから数週間そのフォロワーは姿を消した。挙句、いつのまにやらブロックされてた。そのフォロワーも精神的なものを抱えてる人だった。
責めるつもりはないけど、せめて一言言うのが普通じゃないのか? と思ってモヤモヤして仕方ない。社会人だぞお互いに。いや私は今無職なんだけど。社会には出たことあるわ。
念入りにありとあらゆるSNSでブロックしてあるのにラインは残ってたのも意味不明だし。私が何かを請うとでも思ったのか?
精神疾患持ちで普段の生活だけでも疲れるんだから、その上法事もある今そんなことするわけねーじゃん。マジでもう疲れる。とっとと忘れたい。
よく見る夢ってあるじゃん
誰しもひとつやふたつあると思うんだけど、妙に印象的で覚えてるものってあるよね
自分にもあって、小学生くらいの時によく見てたものなんだけど…それがどうにも気持ちが悪い夢だから書く
母親の顔は妙に暗くて俯いている
母親に連れられて歩いていると、親戚が集まっている部屋に連れてかれるんだよね
誰も笑ってなくて、とにかく暗くてじめっとした雰囲気
みんな黒い服を着ている…というか色がなくて、モノクロ映画みたいな感じ
で、なんか大人達で話し合ってる
部屋は畳の部屋で、真ん中には黒い長いテーブルがあるんだけど、ひとつ、真っ赤な座布団がある席があるんだよね
他のものには色がついてないんだけど、その席だけ、鮮やかな赤
大人たちの話し合いは、どうやらそこに誰が座るのか、って話らしいんだけど、誰も座りたがらない
でもどうしても誰かが座らないと行けなくて、諦めて誰かが座る
で、座るんだけど、座ったら血を吐いてシぬ。真っ赤な血を吐いて
みんなそれを黙って見てる
っていう夢
気持ち悪いよね?なんだったんだろう
この夢を頻繁に見てた。座る人はまばらで、母親の時もあれば自分の時もあった
座らないで!!だめ!!って必死になって止めるんだけど、でも誰かが座らないといけないの、って諭されて、血を吐くのを黙ってみるしかないあのどうしようもなく無力な感じ
座るとどうなるか、はみんな分かってる時と分かってない時があって、ただ自分一人だけが焦ってる
あー、思い出しても嫌な気持ちになる
中学上がるところにはぱったり見なくなってそこからは見てないな
なんだったんだろう
酷い時には月1とかで見てたんだよな、あの夢を見るのか嫌で不眠状態になったりもした
Twitterでよく流れてくる「女性は男性から抑圧されているから自由になろう」みたいな漫画が苦手。この前流れてきたイスラムの女の子の話とか主張が全面的に出ていてストーリーがスッカスカなのがすごく気になった。こういうの説教臭いって言うんだと思う。
あと仕事一筋で恋愛できないズボラ女が家事やってくれる理解のある彼くんとか彼女ちゃんに助けられるみたいな、逃げ恥みたいな恋愛が最高でそれ以外の生殖行為は愚かしいみたいな持ち上げられ方する奴。
他に九州から都会に出て法事かなんかで家に帰ってひたすら親戚ディスる漫画(結婚して子供産まんと行き遅れるばい!みたいな無神経な親戚が出がち)とか、毒親から逃げて真実の理解ある彼くんと子育てしてますみたいなのもありがちなのに何度も何度も擦ってくるのは何で?新規性ないの?
いっそ「地元最高!」くらい突き抜けていれば気にならないのに。
別々に育った双子、というこの記事を読んで、亡父のこと、そしてKさんのことを思い出した。
https://courrier.jp/news/archives/314969/
目黒で生まれて目黒で育った父が、実は双子だった、という話を教えてもらったのは、私が高校生の頃だ。
親戚の法事の写真を見ていた、まだ小学生だった妹が、「あ、パパだ」と言うと、「よく似てるだろ、でも、パパじゃないんだ、パパの従兄弟なんだよ」と笑いながら父が言っていたのを覚えている。
父が住んでいた一帯の土地は、父の伯父(私からすると祖父の兄=伯祖父)が所有していた。
長兄である伯祖父は麻布に住んでおり、月に一度、地代を集めてその麻布の豪邸に持って行くのは父の姉の仕事だった。
伯祖父の家には子がおらず、末弟である私の祖父(既に4人の子持ち)に「次に生まれた子を養子にくれないか」という話をしていたらしい。
同じ顔をした赤ん坊のどちらか片方を、どういう基準で選んだのかはわからないが、Kさんは長兄の家の養子となり、父は末弟の家に残った。
正確には、養子ではない。
そのまま実子として役所に届けたらしい。
Kさんは、慶應幼稚舎から大学まで進んだ後は東京芸大に進み、その後は六本木で音楽教室を開いていた。
一方、末弟である祖父は米問屋をやっていたが、戦争で米は配給制になってしまい、商売は傾き、私が生まれた頃には既に故人だった。
父は、他の兄弟が全員大学進学したにも関わらず、高校を中退した。
家庭の事情もあったかもしれないが、そもそも学校の勉強は好きではなかったようだ。
実はこの高校中退、母との見合いの際には隠していたらしく、それなりに良心の呵責があったようで、70代になってから、酒の力を借りて(と言っても、ほぼ下戸ゆえコップ1杯のビールだが)孫たちの前でカミングアウトした。
孫たちには笑われ、唐突にそんな話を聞かされた母は呆れたという。
そんな父が、自分が双子だったと知ったきっかけは、社会人になってから少ししたある日、同僚から
と言われたことに始まる。
「君そっくりな人を知ってる」
と同僚。
そんな話を家に帰ってから母親(私の祖母)に話すと、「ああ、実はね」と、いともあっさりと、養子に出したKさんの話を教えてくれたという。
そういえば、地代を集めていた私の伯母は、「赤ちゃんが二人いたのに、一人になっちゃった、って不思議に思ってたの」と言っていた。
それ以後も、この二人はたまに法事などで会うことはあったらしい。
Kさんが真実を知ることになるのは、ずっと後、50歳になった頃だ。
それまでも寝たきりで入院していた高齢の祖母が、そろそろ危ない、という段階になった。
大学で授業を受けていた私のところにも連絡がきて、そのまま祖母の入院していた病院に向かった。
さすがに、真実を知らないとはいえ、ここはやはり教えてあげるべきなのではないか、と父も他の兄弟も考えたらしい。
だが、身長が父よりも5cm以上高い。
そんな、父のアップグレード版みたいな人が、私に敬語で話しかけてくる。
これは母も同じことを言っていたのだが、人が発する気配のようなものが、父と同じだった。
誰かが自分の後ろに立っていて、だけど姿が見えないので誰なのかはわからない、でも気配でそれが家族の誰だかわかる、ということがあるけれど、その気配が全く同じだった。
あまり科学的ではない気もするのだが、実際に多くの親族が出入りする状況で、それを何度も感じていた。
父もKさんも故人となってしまい、私自身も歳をとってきて、どこかにこの話を書いておこう、と件の記事を読んでふと思い立って、昼休みにこうして書いてる。
書いてみると、他にもいろんなことが思い出されてくる。
その後、年賀状のやりとりくらいをする間柄になったKさんが、実はある新興宗教の幹部になっていたとか、そういう話まで思い出しちゃったけど、それは書かないでおく。
【2023/02/03 追記】
「文中の「叔父」だけ「伯祖父(父の伯父)」に校正したくなる」
80代後半の母に確認したところ、「新興宗教の幹部」というのは私の勘違いで、正確には「多額のお布施をしているVIP信者」でした。
昭和になってから立宗された仏教系の教団で、Wikipediaを読む限りでは特に社会的な問題は起こしていないようです。
その後、父の姉(私の伯母)がKさんに誘われて断り切れず入信するも、もともと人嫌いの傾向があった人だったこともあり、集いに出るのが負担になって抜けてしまいました。
父は絵が上手だったり、特に習ったこともないのに自己流でピアノやギターが弾けたり歌がとても上手かったりと、なかなか器用な人でした。
社会人になりたての頃、落ちはしたもののレコード歌手のオーディションを受けたこともあったようで、それはもしかしたら、Kさんの事を意識していたのかもしれません。
そういえば、勉強に関しては殆ど何も言わなかった父でしたが、私が高校受験の頃、「どうやらお父さんは慶應に行ってほしいみたい」と母から聞いた記憶があります。
付属高校の一次試験は通っていましたが、二次試験の日程が第一志望校と重なっていたので、残念ながら結果としては父の願いをスルーした事になります。
戦後、祖父の長兄が亡くなってしまうと、目黒の土地を売ってほしいと申し出があり、世間知らずだった未亡人は言い値で売ってしまったそうです。
その申し出をした人が、私が住んでいた頃の地主です。
平成になった頃、借地権の更新料として数千万円を提示され、既にリタイヤしていた父は契約を更新することなく、週末に暮らしていた東北の別宅に移り住んで、晩年はそこで趣味の家庭菜園をしながら穏やかに過ごしました。
父の弟が私と彼を見て「似てないね」と言い、いや、それを言うなら叔父さん、あなたの息子と私だって全然似てませんよ、とその時には思いましたが、今の私はだいぶ父に似てきたので、もしかしたら今の私たちは当時よりは似てきているかもしれません。
ほんの少し運命が違っていたら、私も悠々自適な立場になっていたのだろうか、ふとそんなことを思ったりもしました。
父は何というか、少し浮世離れしたところのある無邪気な妖精というか森の小人というか、そんな不思議な雰囲気の人でした。
サラリーマンとしてはあまり優秀ではない、というか微妙なところのある人だった、というのは、私自身が社会人になってから知りました。
ただ、その人柄ゆえか、働いていた小さな会社の代表にはとても良くしてもらっていたようで、目黒の家を引き払う時に出てきた昔の源泉徴収票を見てその金額に驚いたことがあります。
こうして書いてみると、それをきっかけに忘れかけていた様々を思い出すもので、また機会があれば書いてみよう、という気になりました。
以下引用
昔ある医師が「〇時44分ご臨終です」と死亡確認をした。その直後ハッとした表情でそわそわしてたので後で理由を聞いたら「44分はよくなかったかもしれない。でも言い直しできるわけもない。あと少し待つだけの配慮ができなくて申し訳なかった。」と。
https://twitter.com/Malicious_nurse/status/1608308401678815234?t=QHwziKVEIHHhjE4WvpLyUQ&s=19
引用終わり
自分もこの界隈のものだが、この医師看護師には同意できない。遺族は正確な情報を知る権利があると思うし、今後、たとえば法事をやるときに死亡時刻に祈りを捧げるかもしれない。その時、縁起が悪いからと医師の独断で1分とかズラされて報告されていたら、嫌だと思うのではないか……。
私は守銭奴だ。出ていく金は一円でも少なく、入ってくる金は一円でも多くするために日夜ケチケチ過ごしている。
初めて貨幣を手にした瞬間から金勘定をしていたので、きっと生まれながらのいやしんぼうなのだろう。そんな私の特性をよく理解していた両親は、私に何かさせようとするときは金銭をからめた。家事をしなかったら罰金、テストでいい成績ならおこづかい増額、「一発ギャグが面白かったら100円やる」と言われたりもした。
中1の冬、いよいよ祖父がベッドから起き上がれなくなった。意識ははっきりしているが体がいうことをきかないらしい。あとどれぐらい会えるのか考えたら泣きそうになった。
祖父が起き上がれないから、その年の正月の宴会は寝室で行われた。酒が入った大人の1人が、「誰かじいさんに添い寝してやりなよ」と言い出した。じいさんも男より女のほうがいいだろう、どうせなら若い女がいいと話が進み、候補は2人のいとこと私に絞られた。従姉妹は絶賛反抗期だったので、おじいちゃんキモいとか、ウザいとか散々罵っていた。お互いに添い寝を押し付けあっている。そのやりとりをベッドの上から祖父が眺めている。見ていられなかった。なんで大人どもは笑って見てるんだ。
私が行くしかない。見せ物になりたくなかったが、誰かが行かなきゃ終わらない。私が立候補しようとした最悪のタイミングで親が財布から金を出した。
「じいちゃんと寝たら千円やるよ!」
千円札をぴらぴらとわたしに見せつけてきた。親にとってはいつもの余興のつもりだろう。私は金さえ出せば動くから。
本当に最悪のタイミング。ここで私が祖父と寝れば、祖父は私の金ヅルみたいじゃないか。断れば、祖父は金を出しても添い寝してもらえない人だ。私の立候補の決心があと10秒早かったら、祖父にこんな惨めな思いをさせずに済んだのに。
結局、私はヘラヘラ笑いながら祖父が寝るベッドに横たわった。親戚たちは「本当に寝やがった!」とドッカンドッカン大爆笑。祖父は掠れた小さいこえで「ごめんねえ、ごめんねえ」と呟いている。
私、おじいちゃんが好きだよ。たかが千円のためにここに来たんじゃないんだよ。昔は一緒に昼寝したもん。ちょっと恥ずかしいけど、中1のでかい図体でおじいちゃんと寝るのが恥ずかしいんだ。おじいちゃんが恥ずかしいわけじゃない。
泣きそうになるのをこらえて、ヘラヘラと起き上がる。親は満足そうに私の財布に千円札を入れた。その光景でまた親戚は大爆笑。
それから半年ぐらいして、祖父は死んだ。祖父の死後10年は経ったけれど、あの日の出来事はいまだ「金のために祖父と寝た女」という親戚爆笑テッパントークとして語られているらしい。
私はあのときどうすればよかったのだろう。添い寝を命じてきた大人を引っ叩いて回ればよかったのだろうか。ヘラヘラせずに号泣してみせればよかったのだろうか。千円札を親の口にでもねじ込めばよかったのだろうか。祖父の法事のたびに、その場の空気とか大人の機嫌とか気にしてヘラヘラした自分を思い出して嫌になる。
竹炭?木炭?拾ってみると靴底のゴム。自分の靴のソールが剥がれてきてた。
歩く度にボロボロ崩れて剥がれてくる。
これだこれ。
冠婚葬祭でしか使わない革靴を履いた瞬間にかかとが粉砕した…経年劣化で粉々になったソールに「あるある」の声 - Togetter
togetter.com/li/1564812
知識として知ってはいたが、自分の身に降りかかるとは思わんかったわ。
↑の棘に「革底の靴履けよ」てブコメ付いてるが、法事だと墓参りで靴底濡れたりするので革底は面倒臭そう。
あと話ずれるが、ブコメに「冠婚葬祭ではローファー(スリッポン)はNG」て指摘あるが、
これだこれ。