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はてなキーワード: 主治医とは

2020-05-29

筋肉痛が2ヵ月続くんだけど、どうしたらいい?

具体的には、小指なんだけどさ。

2ヵ月前に友人宅のDIYを手伝ったんだけど、無理しすぎて翌日から筋肉痛になった。

最初は全身だったんだけど、小指だけが未だに治らない。

症状としては、朝起きたら、小指がつってて、グーの状態から開けない。

無理やりまっすぐにすると治るんだけど、朝起きたらまたグーでつってる。

これが2ヵ月ずっと続いている。

病院に行きたいけど、こんな時期だし、そこまで酷くも無い(不要不急かなと)

google検索しても、医者の小難しい話しか出てこない。

googleいわく「線維筋痛症」らしいけど、本当にそうなのかもわからないし、解決法が「主治医に見てもらう」ばっかり。

または解決法が書かれていないか

いつからgoogleはこんなポンコツになったんやろうか。

まあそれはさておき。

できれば似たような体験談が知りたい。

それには中年運動不足肥満体質のくせに、やたらと体に気を使って「野菜がー、自転車がー、瞑想がー」、とのたまっている男が多い増田で聞くのが一番かなと。

同じような症状だった人いない?

ちなみに「病院に行け」は受け付けません

2020-05-19

anond:20200519112116

給与貰えるだけもらって辞めた方が良い

職場に対する適応障害発症してるなら止めないけど、主治医コメントによるな

anond:20200519000531

予約しなくていいから朝イチで病院電話してみなよ。今の状況(通院したくてもできないことや、希死念慮に囚われていてそれを実行することばかり考えてるしまっていることなど)をまず主治医に伝えるの。精神科っていうのはこういうときのためにあるんだから、それを活用しようよ。

2020-05-18

   宮崎年金機構は、申立人に年金を出すかどうかに関し、申立人の親および親が相談した主治医診断書、親の知り合いの申立人に対する

感想文などを書類をもって、年金を受け取るのが本人でなくそ父親だと思い格段申立人が金銭的な得をしないと思って、申立人には精神障害1級

 があるとし、平成29年4月から二か月で16万円の支給を開始したが、申立人が東京都移住し独居生活を始めたことと、年金自分で手にしていることを

理由障害等級を下げて嫌がらせをしようと思い、年金額を変更しただけ。死ねソババア。


   主治医のお前が素直に本当のことを診断書に書かないだけ。元々は体重が90キロ近く穏やかな性格だったが

警察に連れて行かれ刑務所で働かされ体重が50キロまで落ちていて、人格が変貌しており、生前記憶がないとか、手出しをされた警察刑務官などに

対して激怒している。現在していることが自分で考えたことではないから激しい意欲減退があるとか、世間に恨みがあり警官とも複数トラブルになっており

 生活状態はベッド周辺に限られている。人生が裏切られた恨みと、刑務所で働かされたことによる人格変貌、警官らの言葉理解できないなどのことから

著しい意欲減退や精神障害、著しく不適当な行動がある。

    お前はなぜそれを認めないのか。ゴミが。

  精神診断所見

    生まれときは超絶激臭膣だった。顔にコンプレックスがあったが、時代が良かったので自殺したり大きくいじめられることはなかった。昭和60年の

保育所での教育を嫌がり、平成2年に小学校に入ったが、学校を嫌い、勉強も体育もせず、児童からいじめられた。平成10年にインターネット通信が開始し

GLAYの地下掲示板で他の激臭膣と盛り上がっていた。中学生3年生のときに親と喧嘩して見返してやろうと思い自分勝手勉強し、延岡西高校トップで入って

  2年生の10月までは狂ったように勉強していたが、精神破綻。3年次には勉強しなかった。平成14年に北九州予備校入学し、色々な模試を受けてA,B判定をとり

平成15年に東大文Ⅰ採用され、駒場特に勉強をしていて、法学部では授業に出ないで、図書館理系数学の本を借りて独習していた、プログラミング数学検定1級

試験にも挑戦していた。

  平成19年に東大法学部私法コース卒業し、その後は自宅で遊んでいたが、平成20年10月頃に世情が悪化して発狂し、警察に回収されて田舎に帰り腐る。

  平成24年に逮捕され、黒羽刑務所体重を36キロ落としたことから人格が変わり、自分逮捕した警察に対する恨みなどを持つようになった

現在生活保護暮らしているが、若いころの記憶がないとか、警察刑務所に対して激しい恨みを主治医に口にしており、人生で何もいいことがなかったとか、

ぷちくんやざちゃんが好き等と繰り返し、世間に激しい恨みを持っている。金銭にも興味がなく、社会法律にも興味がない。

 

anond:20200518224655

精神科に通院してるなら精神科電話して主治医に「今こういう状態だがどうすべきか」質問する。通院してないのならこれから通院を始める。

2020-05-11

公務員でやってけない奴は他でも上手くいかない

25歳田舎市役所勤務

うつ病休職してる。

さっき主治医公務員ほどラク仕事はないんだからあんたこれ辞めてもロクな未来はないよ絶対後悔するよと言われる。辛い。

2020-05-07

あぁやはり無理だなと思った

約1年振りの職場復帰。リハビリ勤務1日目が終了した。

しばらくは午前中のみ。上長主治医許可が出たら8時間勤務になるらしい。

異動させてもらえたので新しい部署だが知ってる人も数人いた。

死ぬほど緊張してたが周りの人は優しかった。過度な業務を任されるわけでも干されるわけでもなく、負担にならない庶務を振ってくれた。午前の業務が終わる5分前には「そろそろ帰ってゆっくりやすんでね。」と声をかけてくれた。

だけど、あぁ無理だなと思った。トイレに行く途中、病気になる原因となった前の部署の人とすれ違いそうになり隠れてしまった。内線が鳴るたびに前の部署の人かもしれないと怖くなった。半日勤務でも終わった後は寝込んでしまった。

たぶんこのまま半日簡単業務をするだけであれば続けられるだろう。だけどそれ以上のことは無理そうだ。フルタイムで働くことも社内で他の部署連携を取りながら働くこともできないだろう。

できないと分かったからにはサッサと身を引いた方がいいのだろうか。明日からも出勤予定になっている。まぁ明日1日くらいはできる。だったら行ったほうがいいのか、だけどリハビリ出勤しても無駄そうだし、だけど、無理にでも続けていくうちに変わることもあるかもだし、迷っている。

anond:20200503020227

2020-05-03

誰も読まない弱音

普段増田を書くとき身バレ防止でフェイクを織り交ぜておくがめんどくさいし、深夜なので誰も読まないだろうと読まれても数人だろうと高を括って今の気持ちを書いていく。

ちょうど1年前の今頃、休職した。理由はよく分からない。いつもだったら聞き流す上司の叱責をその時は聞き流せなかった。1時間ほど、ぼーっと自分デスクPCを眺めた後「あぁもう無理だな、まぁ転職できるっしょっ」と思いながらPCシャットダウンし、上司の目を見ず早退することを告げ、朝バタバタと用意した弁当を食べずにそのまま持って帰った。家に帰ったらちょうど昼食の時間帯だったが弁当は食べる気がせず捨てた。

休職可能期間は1年半。転職活動はあまり真面目にしなかった。資格試験勉強もあまり真面目にしなかった。通院だけは真面目にした。自分でも意外だったが自分は相当参っていたらしくほとんど寝て過ごした。休職可能期間の半分を過ぎた頃ニュースではコロナウイルス中国で猛威を奮っていると伝え始めていた。なんとなく「世界的に不景気になるのでは、そうなれば自分転職先など見つからないのでは」と自分漠然とした不安に襲われた。そして復職しようと急に思いたった。たぶんその前の月に資格試験不合格通知を見た影響も大きい。ちょうど思い立った次の週に通院と人事部との面談があったので、復職希望と伝えた。主治医許可してくれ、人事は私のリバビリ出勤受け入れ部署も用意してくれた。

4月上旬、私の新しい上司となる予定の方と面談した。良い人そうだった。しかし私が復職するにあたって人事に要求した条件(なんて言うと偉そうだが、残業なしが可能部署復職したいという旨をお願いしていた)が全く伝わっていなかった。全員毎日3時間残業してるらしい。そして私1人だけ残業なしは難しいと。

とりあえずリハビリ出勤の間は数時間の勤務で8時間労働可能となった時点で残業については話し合おうという結論になった。GW明けからリハビリ出勤が始まる。席とPC用意しておくね、と上司になる方は言ってくれた。このご時世本当にありがたいと思う。

しか帰宅後猛烈な不安に襲われた。みんなが残業してるから自分も帰れない、定時で帰る人は悪口を言われる、そんな環境は明らかに休職の原因のひとつだったのに結局同じことをまた繰り返すのではないか、それに異動できたといえ、前の部署も同じ建物内にあるため前上司と顔を合わす機会、仕事で関わる機会も出てきてしまうのではないか、そんなの絶対いやだ。そんなことを考えてるうちに眠れなくなった。しかもよくよく調べてみるとリハビリ出勤では給料は出ず傷病手当金生活する必要があるとのこと。だったら傷病手当金もらいながら転職活動した方がよくないか?でもこのご時世にロク就職先なんてあるのか、でもこのまま復職できるイメージが全く湧かないし、でも案外出勤してみたら何とかなるかも、そんな思いで毎日ボンヤリしてしまってる。寝つきがまた悪くなってしまった。

2020-05-02

臨床試験向きの選抜患者

とある疾患の臨床試験に参加中の患者です。参加は主治医から勧められました。

自分で言うのもなんですが、臨床試験に参加するのにピッタリの、モチベーション向上心の高い患者だと思います(というか主治医からもそう言われました)。途中で脱落しそうになく、理解力もある程度あり、協力的。

臨床試験に参加してるのは「選ばれし患者エリート)」であり、結果を一般化することはできないなどと皮肉的に言われることがありますが、まあその通りだと思います

世の中、こんな物分かりがよくてモチベーションの高い患者は少ないでしょう。

それでもこの臨床試験の結果が世に出たとき、もしかしたらどこかの誰かの役に立てるかもしれない。

そしたら患者冥利に尽きるというもの……。

特に気の利いたオチはありません。以上です。

2020-05-01

anond:20200501223900

俺は監禁されて飲まず食わず一年近く死ぬほど内省文を書いてやっと主治医許可されて解放されたからここにいるぜ

anond:20200501034432

近い人がこんなにいるとは。自分一人だけな気がしてたから励みになります

多分、その顧客のやりたいことを理解するコミュ力は高いほうだと思う。

折衝に向いてるのかもしれないけど、そういう仕事には就けなかったね…。

3DCGはいいね。私も昔趣味でやってた。仕事にできるものならしたいな。

私はHのつかないADDだと診断されてるよ。

でもASDも入ってるんじゃないかと思ってる。

一度そのことを主治医に聞いたら

「なぜそんなことにこだわるのですか?そのこだわりを見るにASD入ってるかもしれませんね」と言われてトートロジー世界に迷い込んだ気になった。

コンサータは一度飲んでみたんだけど、動悸がするわ指先震えるわ涙出てくるわで大変だった。

10時に飲んだのに翌朝まで眠れなくなるし、不安の波が襲ってくるし。

ストラテラも飲んだはずなんだけど、どうなったか覚えてない…

2020-04-30

anond:20200430041451

2012年くらいの俺かよ

仕事するとクソな自分が見えてきて寝込む

布団は2組カビと寝小便でダメにした

2回とも親代わりの人が退社の連絡して掃除して捨ててくれた

たまたま前の主治医から精神科変えたら薬が全部変わったのと

カウンセリングじゃないけど医者が話をちゃんと聞いてくれたので

薬飲んでる間の自分自分じゃないみたいで怖いから飲みたくないって話したら

ちゃん説明してくれて俺は納得できた

親代わりの人が田舎の人だから米と野菜宅配でもらって食い繋いだ

途中で薬飲むのやめたらまた寝込んで生活をこなすのがきつくなった

在宅でできる単純作業仕事見つけてなんとかやってる

今は自力家賃光熱費食費通信費を払えてるんだ

死ぬための道具はまだ家に置いてるけどそんなに使う気もしなくなった

まあ急いで捨てなくてもいいかなと思ってる

2020-04-22

今日メンタルが◯んでる

体が健康でもメンタルが終わってたら生きてる意味なくない?

たまたま今日メンタル不安定なだけかもしれないけどさ。

さっき精神科の再診予約入れるために通院先の大学病院の予約専用番号に電話したのよ。

そしたら通話中で繋がらないの。でも予約は取らなくちゃいけないからさ、1時間は頑張った。

それ以上頑張るのは無理だった。ここ、いつもいつも繋がりにくいんだけど普段以上に繋がらない気がするよ。

ほとほと疲れはてた。

もうあとは予約取らないで直接大学病院に行って当日受付する以外ない。

当日受付するためには早起きしなくちゃいけないし主治医先生には診てもらえないんだけどしゃーない。

主治医4月に新しい人になってまだ一回も診てもらってないっていうね。なんだそりゃ。

早起きする自信もない。もう終わった。

2020-04-19

コロナで亡くなるということ

勤め先の利用者さんが亡くなった。

先週熱が出て、下がらなくて、5日目の夜救急車で運ばれて、検査の結果は翌日に分かり、2日くらい元気で居たみたいなんだけど、急変しICUに、そこから1日たたずに亡くなった。もともと心臓も弱くて、どんな病気に罹ってもヤバい人だった。もともと余命いくばくと言われたままなんやかんや数年生きて、そこがまた可笑しかった。

施設で生きるちからがめちゃくちゃつよい人だったと思う。人を見るとニコニコして、身体がついていかないのに愛嬌を振りまいて、トイレもお風呂もつきっきりで介助度高いのに疎ましがられることなく、あの人をきらいな職員なんかいなかったと思う。ただそこに居て、その日いちにちを穏やかに終えられればいい、それがその人の役目だった。

きっと、わけがからないままに苦しいなあと思いながら亡くなったと思う。その人のことが大好きな主治医先生(その人のおかげでコロナ対応じゃない病院に入れてもらえた)のもとで。

流行病で人が、社会的に自立できていない人が死ぬということ。

それはやるせないことだ。どんな死だってそうかもしれないけど。

しかしたら逃げ切れたかもしれない人を、守ってあげられなかった。今必死で逃げているときに、その人を連れて行ってあげられなかった。

病院に行く前に、検査結果が陽性になる前に、もしかしたらできたことがあったかもしれない。

しろ、我々がそばに居たからこそ、こうなってしまったのかもしれない。

暗く、冷たいやるせなさが、終わったあとに襲ってくる。

コロナはこわい。

感染力が高いというのは、触れたものすべて冒してしまうとかではなく、知らないあいだにウィルスを振りまく宿主の数がとても多いということで、それに改めてぞっとした。

施設という環境で、もうどうしようもないこともたくさんあるのだ。他者他者に関わらないと、仕事も命も成り立たない人間ならではのシステムウィルスはそれをとても効率的方法で壊しにきたのかもしれない。

今もずっと、元気な職員が働くしかない。他に方法がないんだから

もう誰も、死んでほしくない。それはただ、無力な祈りだ。

それにすがるしかない、遺された人への救いだ。

2020-04-16

働けないけど遊べますが何か

当方24統合失調症患者。女。17歳とき発病。精神科に入退院繰り返して、合計入院期間は5年以上。障害者手帳2級。

これはもう単なる愚痴病人開き直りしか見えないだろうから、読むと少なから不快になるだろうけど、書いて発散するタイプなので書かせてもらいます

結論から。「病気で働けないわりに旅行ショッピングコンサートは行けるんだね、都合の良い病気だね」 みたいなことを言って病人を追い詰める人、本当に消えて欲しい。せめて黙ってて。

私は幸運ながら言われた事はないが(思われてはいるだろう)、ネットはじめ、病気理解のない人からほんとうによく目に耳にする。

でもちょっとだけ考えて欲しい。

・決まった日に決まった時間に決まった場所に行かなくてはならない(誰もがそうじゃないが、大半は、ということで)

・休むと周りに迷惑がかかる

契約して給料を貰うぶん責任がある

……という仕事と、

・急に取りやめにしても途中で帰っても誰になんの迷惑もかからない

雇用主や社会に対して負うべき責任もない

……という遊びじゃ、難易度全然違う。まずそこが想像できてない人が多すぎる。

私は今、週に3度病院外来OT(作業療法といって、心のリハビリみたいなもの)に通いながら、心身に障らない程度にライター仕事イラストレーター仕事をちまちまとやっているが(書くのと描くのが好き)、それでもそこに行き着くまでには相当時間がかかった。数年単位入院を繰り返したり、毎日沢山薬を飲んだり。ちなみに今も、今後再入院可能性はじゅうぶんにある、と主治医からハッキリ言われてる。

そんなふうに、健康な人の3分の1くらいの時間と労力しか仕事治療に割けないのは、前述したように、仕事は生半可な体調やメンタルではできないから(治療も同じ。病院担当スタッフと話し合ったり相談して通わせてもらってる身なので)。

そもそもコンサート旅行だって、私らメンタル病みには娯楽であると同時にリハビリであり社会復帰の訓練でもある。1人で人混みを歩く練習。1人で満員電車に乗る練習。決まった時間に始まるライブへ、途中で体調を崩すことなく参加するっていうのもまた訓練。仕事だって途中でダウンしたり職場までたどり着けなかったらアウトだから

あと、その「働けないけど遊べる連中」、多分大半が、遊びの途中で具合悪くして無念のなかタクシーで家に帰った、みたいな苦い経験一度はしてると思う。少なくとも私はそう。皮肉混じりに「都合の良い病気」なんて言われるけど、こちとら都合が良かったことに対して毎日感謝と安堵しながら生きてる。

……というか、病人からたまのささやかな楽しみを奪わないでくれ。

毎日一年中部屋に閉じこもって布団被ってりゃ満足なんでしょうか。 同じ働けないでも、楽しみがあるのと無いのとじゃ何もかも全然違う。別に働けない連中を叩きたいなら叩いてもらって私は一向に構わないけど、そうやって叩かれて外に出ることをやめた病人を、間違っても「引きこもり」だなんて言わないでくれよ。

もちろん働かなくても遊べる時点で、経済的に恵まれていることは分かっている。親の脛かじりと揶揄されても、私達には反論言葉がない。でも親はいつか死ぬ。そうなれば障害者年金生活保護でなんとか凌ぐしかない。短期的には恵まれているけど、長期的に見れば腰抜かすほどカッツカツ。そもそも厄介な病気抱え込んじまった時点で人生ハードモードなわけで。簡単に「良いご身分」なんて、ちったあ想像しろよ、と思う。

(入院してたときとあるヘルパーさんが患者に向かって「年金生保でそんなに貰えるの?!私が毎日働いて得てる金額よ?!」とか言ってたけど精神病院で働く者として最低だなと思った、せめて黙ってて)

……なんか死ぬほど口悪い上に悪い方向から開き直ってるし被害者意識バリ強な文章になってしまったが、実際これが私達の見てる世界の1面でもあるので。Twitterでフォロイーが「働けないのに遊べるなんて」(大意)と呟いててげんなりしたので、1度ちゃん言葉にして書いてストレス発散したかっただけ。次からチラシの裏に書く。

あ、あと最後、これも前々から思ってたんだけど、「働いてる」ってそんな尊重されることか? 頑張ってるねエラいねってされるようなことか? 結局自分生活のために働いてるんでしょ? 別に社会奉仕とかじゃないじゃん? 私も文章とか絵でちょっとだけお金貰ってるけど、100%自分のためだし。働けない障害者叩かずに居られないほどストレス溜まってんなら会社辞めたら?と思うんだけど、やっぱこれも病人の甘い考えなんだろうな。

終わり。まとまりのない文章でごめん。読んでくれた人ありがとうコロナ大変だね、外出できなくて私も早速調子崩してるけど、健康なひとでも堪えると思いますメンタル病み経験不安ストレス溜めないことが何より大切だから、適度に息抜きして乗り切ってください。

2020-04-14

発達障害女性ルポに支えてくれる恋人が登場してくるやつ

よくTwitterで見かける、発達障害、または精神病を患った女性が、生きづらさやそれをどう乗り越えているかを、コミックエッセイ風に綴っているやつ

に、ほぼ必ず、理解がありその女性を支えてくれる男性が登場するやつ

を、揶揄するツイート

というのを非常によく見かける。揶揄する人の言いたいことはとてもよくわかる。

とっても生きづらいけど、良いパートナーのおかげで生きていけている、というのは、パートナーに恵まれない障害病気を抱える人々を改めて絶望の淵に突き落とすようなものだ。

非常に一般的な考え方として、例外は必ずあるにしろ基本的に、女性のほうが男性に比べ、恋愛的なパートナーを得る機会が多いのはおそらく確かだろう。その理由はいくつか挙げられるが、ここでは割愛する。

ゆえに、パートナーに恵まれ日常を送ることができている障碍者/精神疾患持ち女性という存在を見せつけられると、同じような状況にある男性なかに、『では誰にもかんがみられることなく、パートナーに恵まれない自分たちは、どう生きていけばいいのか』と暗澹たる気持ちが生まれしまうのは仕方がないのではないだろうか。

私の話をしよう。

私は女性である。そして発達障害者であり、精神疾患を持っている。

具体的に言うと、ASD優位のADHD、かつ、うつ病解離性同一性障害の診断が下りている。

希死念慮が強く、1度自殺に失敗し、閉鎖病棟入院していた。

理系大学院卒業後、財閥企業に勤めていたが、病状の悪化に伴い退職した。

そして離婚歴がある。

私の持つ障害と疾患は、両親から虐待に由来する可能性が高く、主治医の所見もそのようになっている。私の両親は裕福で社会的地位のある人たちではあったが、あまり子供を育てることは得意ではなかったらしい。成人し、うつ発症し、自殺未遂後、弁護士を通して虐待事実を認める旨、慰謝料を支払う旨、それができないのであれば縁を切る(ことは非常に難しいのだが)協議書を送り、その段階に至り、はじめて自分たちがしてきたことが客観的虐待に当たると気づいた、なかなか能天気な人たちでもある。

この虐待由来というところがネックなのか、私の抱える障害精神疾患は非常に根深いところにあり、もう10年近く投薬を続けているが、治るというよりもただ生きているだけだ。

さて、表題の話をしよう。私の人生において、障害精神疾患を支えてくれるパートナーはいたかという話である

結論から言うと、いなかった。これからも現れない気がしている。

そもそも、私は強い気分障害を持っているが、精神が不調の際は自ら抗不安剤(軽いものならソラナックスリボトール、ひどければヒルナミン)を飲んで、迷惑をかける前に自分コントロールしていた。これはたぶん、両親による『人に気を遣わせるな』という強い教育が行き届いた結果だと思う。もちろんこの人という言葉には、家族も含まれている。

解離性同一性人格障害というのは、簡単に言うと多重人格のことで、現在この病名が診断されている患者はかなり少ない。最近は発作もあまり怒らないが、解離時、私にはなんの記憶もない。どこで何をしていたのか、ポケットに入ったレシートや、体についた汚れや傷、SUICA履歴など、いろいろなものからなんとなく推理するしかない。でもそれがとても怖いともあまり思わない。発作が起こるタイミングシチュエーションは決まっている。そうならないよう、そういった状況に自らを送り込まないよう注意すれば、ある程度制御できる。

私は精神療養手帳も持っているし、飲んでいる薬の数も種類も途方もない数だが、それでいて、一人できちんと精神科に行き、診察を受け、薬を飲んで生活している。もちろん生活も一人だ。親元なんて考えられないし、世間体のためだけにした結婚は、結局相手が何を考えているのかわからないまま、かつ、相手も私がどういった人間なのかわからないまま終わった。

主治医はあまりこの状況をよしとはしていない。つまり、頼れるだれかが近くにいたほうがいいのではないかという話をされることもある。しかし私は、短い結婚生活のことを思い出す。いつも誰かがそばにいるのに、その人がひとつ自分のことをわかっていないという状態は、単純に一人でいるより何倍もつらい。元夫との生活の中で、私は何度も『大丈夫』と言った。ぐうぐう寝息を立てる元夫のとなりで、絶望が押し寄せてきて一晩中声を殺して泣いた。これではいけないと、元夫に私は何度か自分の話をしようとした。それはかなり勇気のいる行為だった。他人精神いびつになるに至る理由を、好んで聞きたがる人はいないし、そのあと慰めるのだって面倒だろう。もし、面倒がられたら、聞いてくれなかったら、と思うと、だれにも言えなくなってしまうのだ。

結果から言うと、元夫は私の話を聞いてはくれた。その間ずっとドラゴンボールかなにかのソーシャルゲームスマホで遊んでいた。

最初から期待していない分、絶望も少なかったが、たとえ結婚していても、他人他人であり、興味のない話を無理やり聞かせることはできず、自分のことは自分でけりをつけなければいけないのだとわかった。私は、元夫がしてくれる自分の話を聞くのが好きだった。それは元夫に興味があったということだろう。そしてその逆はなかったということだ。

ちなみに離婚の直接の理由となったのは、元夫の暴力的行為により、私が結婚前に拾いともに暮らしていたネコが、ストレス性の病気になってしまたことだ。ネコ家具破壊される音を聞き、泣き叫ぶ私の声を聴き、壊れた箪笥を見、過度のストレス過呼吸を起こし、自らのしっぽをかじり始めた。ネコの異状に気づき獣医でそれがストレスのもので、環境を変えるか、抗不安剤を投与するかしかないと聞くその瞬間まで、私は無気力のあまり離婚することすら考えていなかった。動物病院を出た私は、その日のうちに離婚届を手に入れ、元夫に書くように強制した。

元夫は渋っていたが、一連の暴力行為を私がICレコーダーに録音していることを知ると、あきらめたようにぐちゃぐちゃと署名をした。

私は現在独り身であるが、もちろんネコとともにいる。

おそらくこれを読んで私に好意的気持ちを抱く人は少ないと思う。それは私が完全に自己完結しているからだと自分でも思う。私は折り紙付き障碍者で、精神疾患を抱えているが、誰にも頼りたくないと思っているし、私が求めているものは、他人に求めるにはあまりにも重たいものだという自覚がある。

私はネコ暮らしている。ネコは私がいなくてもおそらく生きていけるだろうが、私はこのネコがいないと生きていけない。ネコは私の話を聞いて頭をなでてくれるわけでも、そっと抱きしめてくれるわけでもないし、「つらかったね」とかそういうことを言ってくれたりもしない。ただ生きていて、日向ぼっこをして、昼寝をして、ノートPCに向かう私の邪魔チョコチョコとしてくるだけだ。

でもそんな存在を私は心から愛し、どの人間よりも深い信頼を抱いている。

誰にも愛されない、だれも愛すことができないと思い、絶望している、私と似たような境遇の人がいるとしたら、まずネコを拾うことを強くお勧めする。

2020-04-12

手術が延期になった

持病の手術のため、今日から入院する予定だったが、延期になった。コロナの影響だ。

延期といっても今度いつ入院できるのかはまだわからない。入院予定の1時間前に病院から電話が入り、近隣のコロナ患者の受入拡大のため急遽入院は延期したい、今後の予定はおって連絡すると伝えられたのみだ。入院が伸びたので手術も未定だ。

直前の直前になっての延期に困惑したが、すぐに理解した。当該病院のすぐ近くにある別の病院で、コロナ集団感染したというニュースを目にしたからだ。噂が事実なら、病院スタッフ感染が判明してから外来診療を続けていたという。当該病院としては、新規受け入れを一旦止めるのも仕方ないことだろう。

持病は基本的に、すぐに死に直結するものではない。ただし視力が徐々に失われていく特徴がある。手術さえすれば回復するが、放っておけば失われたままだ。手術が遅れればそれだけ失明するリスク高まる

嫌な予感が的中してしまった。手術が決まったのは一ヶ月前だったが、それからずっと、自身主治医コロナ感染したり、院内感染が発生したりして、手術ができなくなるのでは、と考えていた。あと一日、いやあと一時間ちがっていたら入院できていたのに。入院してしまえば、手術もできたかもしれないのに。

コロナが憎い。集団感染を発生させた病院が憎い。

なによりも、失明してしまうことが怖くて怖くてたまらない。

2020-04-11

anond:20200411213443

かかりつけ医はほかにも当然あるけど

胸部レントゲンをとられたところはないな

 

っていうかたぶん総合内科みたいなものを期待してるんだろうけど

高齢化社会では総合内科しろから晩まで今すぐ死んじゃうと訴える老人でいっぱいだろ

 

総合病院もたらいまわしだ、当然どこを受けるかは自己判断だし1日に1科だけ

2科まわれたら御の字だから体調の悪さの正体を(体調が悪いうちに)捕まえることは

近所に総合病院があったとしても素人にはとても難しいんだ

 

まり世の中が専門医ばっかりなんだ

一人の人間の体調全部に責任持つような

主治医」なんか、小児科血縁でもなければやってくれないぞ

 

ま、アドバイスありがとう

それだけヤイヤイ電話をかけて

最初になかったコロナウィルスPC検査場で自分でもらいにいくことになったらこまるからじっとしとくよ

37.5度の熱が(ずっとは)でてない基礎疾患持ちは

これも基礎疾患だとおもいこんだままアナグマしておくにかぎるよ

2020-04-08

anond:20200408204401

北九州に住んでいた52歳の男性。Aとしよう。

Aはタクシー運転手をしながら独り暮らしをしていたのだが、2006年10月に肝障害糖尿病などで働けなくなってしまった。

2006年12月生活保護を受け始め、仕事を探して自立するように指導も受けていた。

2007年1月の段階で、福祉事務所ケースワーカー仕事をして自立するよう2度にわたって指導

2月の段階でも、ケースワーカー主治医から普通に働けると事情を聴きとり、

さら福祉事務所嘱託医も同様のことを言ったため、ケースワーカーはAに働きなさいと指導保護打ち切りもちらつかされた。

だが、主治医は後日の検証で、Aは確かに内臓方面は治りつつあったが、酷い鬱状態になっており、

せいぜいデスクワークちょっと可能な程度で、普通に働けるなどとは言っていないと反論している。

実際、死後に見つかったAの日記には生活保護を受けている間から

「亡くなった父や弟の所に行きたい」「なかなか人間って死ねないものだ」

と、素人が見てもわかるレベル自殺願望が表れており、当時の彼が精神的に危険鬱状態であったことは間違いないとされている。

ところが、働けると認定されたためか、Aに対する「就職しろ」という圧力は非常に厳しくなっていった。

3月も終わりになると、福祉事務所はAを6か月以内に仕事を見つけさせて生活保護を打ち切るために重点的に指導することにした。

4月2日生活保護費を受け取ろうと思って福祉事務所に赴いたAに対し、ケースワーカーはまたしても働けとせっついた。

だが、当のケースワーカーもたった数日前にAの精神状態おかしいのではないかと疑い、精神科への受診を勧めている状態であった。

鬱状態人間に「もっと頑張れ」とせっつくなどは論外の禁句である

そしてこの日、Aは生活保護の辞退届を出した。

しかし、辞退するにあたって、福祉事務所就職先がどこか、収入の見込みはどれくらいなのかなどを全く確認していなかった。

おりしも、生活保護を切るにあたっては就労先や収入見込みについて確認すべしという判決が、前年に出たばかりであったが、全く無視されていた。

日記では、担当者生活保護を打ち切られたかのような記述もあり、

辞退届を無理矢理書かされたか、働けという指導精神的に耐えかねて辞退届を書いたのではないか、とも言われている。*1

少なくとも、Aが働こうにも働ける状態ではなかったことは間違いないだろう。

現に死ぬまで働かなかったのだから

ともあれ、Aが4月2日にもらった最後保護費は4月分だけ。

しかも、その時点でもガスと水道は止まってしまっていた上、住居地はボロボロであった。

そして、福祉事務所保護を打ち切った後、Aの安否については何の連絡も取ることはなかった。

Aが死んでいるのが見つかったのは、たまたま彼の友人が家に訪ねてきて異変に気付いた7月10日のことであった。

遺体ミイラと化し、死後1か月程度が経過していたという。


残されていた日記には

日付不明「せっかく頑張ろうと思っていた矢先、切りやがった。生活困窮者は、早よ死ねってことか」

4月5日 「体がきつい、苦しい、だるい。どうにかして。」

2020-04-05

日本って本当は後進国なのではありませぬか

感染患者を運ぶ救急車がない https://toyokeizai.net/articles/-/342132?page=2

 

男性の陽性結果が出たのは18日。翌19日、病院は閉鎖された。新規患者外来救急の受け入れは中止された。受診予約をしていた約500人の患者電話し、すべての診療を断った。

2つ目は、受け入れ病院への搬送だ。患者感染症の指定病院へ移さなければならなかったが、どこへ搬送したらよいかからない。杉並区保健所相談すると、候補となる病院複数教えてくれたが、受け入れの交渉病院がする必要があった。

やっと決まった受け入れ先が、文京区にある都立駒込病院だった。しかし、患者病院まで運ぶ手段がない。「感染患者搬送するために救急車を出すことが認められなかった。わらにもすがる思いで近くにある消防署にかけ合ったが断られ、民間救急サービス電話してもだめだった」(高橋副院長)

助け船を出したのは、病院長と親交があった民間病院荻窪病院杉並区)だった。同院から借りた救急車を総務課長運転し、主治医看護師が同乗して男性患者駒込病院まで搬送した。女性患者も陽性が判明した後日、駒込病院搬送された。

しかし、第3の苦闘が待ちかまえていた。

  

 

感染症が蔓延してる場面でどう動くか、具体的な教科書教育集団行動訓練を、病院厚労省が用意していない様にしか見えない

医師会とか勉強会って平素何をやってる場なんだろうか

2020-03-17

独居の人間感染症で死なない為の病院へのかかりかた。

病院選び
  • 老人の溜り場になってる所は避けれたら避ける。
受診前に自分で症状を把握する
  • 熱、鼻水、咳はあるかどうか。
  • 熱が出たらすぐ測定。朝、昼、夜と体温計測して記録する。
  • 吐物や尿に便に血が混じっていないかどうか。便に血が混じる場合、便が赤くなるだけじゃなく黒くなることもある。
  • 排尿の間隔が空きすぎていないかどうか(目安三時間以上)
  • 全身を鏡に映して、発疹の有無を確認
  • ここ重要なんだけど、熱があってなおかつ首が妙に痛い・痛くて曲がらないというのはマズイ症状なので、受診しよう。
受診する時間
  • 思いきって休みか半休取ってお昼頃の空いている時間帯に受診する。
  • 仕事前に病院に寄って診断つかなかったら出社しようというのはやめれ。
  • 医者さんが暇そうな時間帯に行くとゆっくり診て貰えるし、話聴いてくれるし、こっちも話しやすいのでいいぞ!
いざ受診

  • 女性は出来れば素っぴんで受診した方がいい。ネイルも落とせれば落としておく。
  • 問診票に書けるだけのことは簡潔に全部書く。
  • マスクしてるなら、お医者さんに挨拶する時くらいは外す。具合の悪い顔を見てもらおう。
  • 医者さんがちゃんと問診票に目を通してくれているとも限らないので、診察の時に症状全部説明する。
  • 具体的にどういう症状に「困っているのか」、困りポイントを訴えるの大事
  • 具合が悪くなる前に、出張旅行に行ったならそれも話す。
医者さんに言ってはいけないこと
  • 「この症状って◯◯じゃないですか?」という決めつけ。

医者さんに聞いておくべきこと
  • 仕事はしてもいいか、休むべきか。(診断書が出るほどでなくても、休めって言われたら休もうね。難しいのはわかるけど)
  • 「もし症状が改善しなかったり悪くなったりしたら、また受診してもいいですか?」まぁ、ダメとは言われないだろうけど、聞いておくと、これこれこういう症状が出たらすぐ来て下さいとかなんとか、再受診の目安を教えてくれる。
受診が終わったら
治らないとき
  • 受診の目安は、処方されたお薬を最後まで飲みきったら。大抵三日後。それで改善しない、または悪化したら、再受診しよう。
  • 何度受診しても治らないんですけど!となって初めて、「他の病院受診した方がいい感じですか?」と聞く段階になる。
  • 症状の改善しないのは医者の腕が悪いのではなく医者の専門領域外の何かが原因だったりもするので、まず主治医相談して他の病院を紹介してもらうという手順を踏んだ方がいい。

2020-03-16

あるニュースが忘れられなくて、精神疾患罹患していた私の話

3年前に亡くなったある方のことが忘れられないでいます。私は彼女の顔も名前も忘れられずにいます遺影に映る彼女笑顔が、何かをしているときにふと、私の脳裏をのぎります

私は3年前、あるニュースを見ました。それは世界中にあふれる悲しいニュースひとつにすぎなかったはずなのです。彼女のことは何も知らなかったのですから。それはとても痛ましい事故でした。その事故について思い出すことは私を絶望の底に落とします。いまでも彼女のことを思うと涙が出てきます。心の奥が激しく痛み、ただ息をすることだけでも苦しくなるのです。

彼女は苦しんで亡くなりました。その瞬間、暗く狭い場所彼女が何を思っていたのか、私は知ることはないでしょう。彼女自分はもうすぐ死に、ここから出られることはないと悟ったときの苦しみは、どれだけ大きなものだったのでしょう!私はそれを想像するだけで、私の一部も死んでいくように思います

私はこの事故について、ほとんど誰にも話していません。親しくしている友人のうち数人と、愛する家族は、私がその事故のことを知って悲しんでいると知っています。ただ、それは事故の数か月後のこと。今でも私がそれを思い出し、泣いていることなど、彼らは知りません。そもそも私が言っていないのですから、知るはずもないのです。

彼女が亡くなってから、私は学校に通えなくなりました。一日中寝ていることしかできない日も、泣き明かした夜も、たくさんありました。何度か私は命を絶とうとしたこともあります。高い橋の上で(ご存知のとおり、ゴールデンゲートブリッジは有名な自殺の名所です)私は失望し、泣くことすらできずに、そこにいました。警察が私を助けたので、幸い、私はいまもなんとか生きています

こんな状況が続いた、1年半が経ったある日、私は家族の勧めで精神科に行きました。精神科で処方された薬を規則正しく服用していましたが、症状はあまり改善しませんでした。最初主治医に対し、ただ症状だけを言っていました。気分が落ち込むことがあるとか、眠れない日があるとか、そうかと思えば寝ていることしかできない日があるとか…。主治医は黙って私の話を聞いてくれました。いくつかの抗うつ薬抗不安薬を服用していましたが、症状がいっこうに改善しないため、私はついにその痛ましい事故のことを打ち明けました。

事故のことを打ち明けたところ、私はPTSD(Post-Traumatic Stress Disorderの略。日本語では心的外傷後ストレス障害と略されます)と診断されました。現在も私はこの病気で闘病しています

私の国では、この病気に対する認知は進んでいます。帰還兵たちのための相談ダイヤルもあります。私は、日本では地震きっかけに認知されていると聞きました。ただ、私の1番大事友達が住んでいるイタリアでは、残念ながらそうではありません。イタリア人の多くは、心的外傷後ストレス障害というものが何なのかも知らないようで、うつ病不安障害の下位分類とみなされることもあるようです。

この文章は、私の経験です。彼女が亡くなった事故も、私の闘病も、実際にあることなのです。

私は独学した日本語でこの文章を書きました。私の文章はあまり上手ではないと思います:/

私はこの病気で非常に苦しみました。私は日本イタリアでも、私の国のように理解が進むことを心から願っています

そして、この瞬間もトラウマと戦っているあなた未来に、少しでも素敵なことや素晴らしいことがあるように、心から祈っています。抱擁とキス

2020-03-12

障害がしんどくて障害年金を申請する手続きができない

精神障害手帳持ちでもう十五年くらい無職ひきこもりなんだけども、障害年金申請したいのよ。

主治医に話したら「通るかはわからんけど申請してみるなら書類は書きますよ」って言われて、病院常駐のケースワーカーにも相談してどういう手続きしたらいいか教えてもらった。

そしたらもう、その手続きが大変すぎてできる気がしないんだが?

なんかどっかの役所に行って用紙をもらって、初診の病院にいって十五年前の主治医書類書いてもらって、今の病院にいって、役所に行って云々。

いや、ひきこもりにはできる気しないが……?

俺レベルになると普通に通院するのもキツくって、本来一月に一回通院のはずが二ヶ月とか三ヶ月間を空けちゃうわけ。

精神手帳の取得も、普段の通院の際に診断書もらって、役所に行って窓口でお願いしますという、と比較シンプルなのにめちゃくちゃ大変だった。

無事手続き終わったから手渡しのためもっぺん役所に来てと言われてから、実際取りに行く気合を持つの半年くらいかかって、いや一年更新なのに既に期間の半分を手元に置かずに終わらせちゃったじゃんって自分で笑ったよね。

それがもーっと面倒なあれこれしなきゃないって、とてもできる気しない。

外出が厳しい、病状のヤバい人間ほど取得できないってことになってない? どうすりゃいいの?

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