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はてなキーワード: 主治医とは

2018-02-25

anond:20180225113533

詭弁はやめろよ。

ただの違いならなんでみんなこんなに苦しんでるんだ?社会不寛容なのが悪い?

もちろんそれもあるけどそれが完全な答えではないだろうが。

それともアレか?ただの無能として扱うことで金のかかる福祉を打ち切らせたいのか?

俺の主治医が言っていたけど最終的に自身や周囲が苦しんでりゃ障害なんだよ。

それに病気障害の類いじゃなきゃ障害者手帳だってもらえてないだろうにさあ…

厚生労働省当事者に対して精神障害者福祉手帳を取得出来るようにしたのはなぜだ?

2018-02-17

anond:20180217213547

去年は暴飲暴食…てか、食欲が凄くて、夜に目が覚めてそのままご飯食べたりしてて一気に太った。

主治医相談して薬変えてもらったら、食欲がだいぶ治ったんで今年から摂食中。

運動しないから1ヶ月で3kgぐらいしか落ちないけどね。

2018-02-11

anond:20180211213956

ヤフーチャット万歳」の人の主治医(80過ぎの爺医)が、プレコックス感があるからキミは統合失調症ねって診断してそれが誤診だった(精神鑑定では自閉スペクトラム症)というアレ。

プレコックス感なんて医学的根拠一切ないし誤診のもと。

操作診断基準ICDおよびDSM)がなかったころの遺物ですよ。

『長すぎた入院はい・・・鹿児島の県立「姶良病院」の例)

NHKEテレ『長すぎた入院 精神医療・知られざる実態』で描かれた日本精神医療実態https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259602/index.html

リアルタイムの「現実」の一例。

鹿児島県姶良病院http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/

http://bakusai.com/thr_res/acode=10/ctgid=104/bid=1304/tid=3433815/tp=1/

「県立姶良病院について語ろう

#245 2018/02/09 10:55

>>244

携帯は使えない。

副院長の患者なら恋愛禁止強要される。

退院時はデイケア通い(週4日以上)と居住地制限される患者病院周辺のみ)も多い。

売店は、6病棟開放病棟)の患者以外は自由には行けない。

#246 2018/02/09 10:56

>>244

恋愛禁止以外の項目は副院長以外の男医者でも共通する。

#247 2018/02/09 10:58

例え、過労でもデイケア通いは強制される。

潰れた場合は、お迎えが来て、強制入院させられる。

#248 2018/02/09 11:00

主治医は選べない。変更も出来ない。

#249 2018/02/09 11:05

売店で買ったおやつ自由に食べられない。

必ず預ける事になり、おやつ時間(3時)にのみ限られた量だけ渡されて食べる事が許される。

#251 2018/02/09 12:23

マジで副院長は、女性患者しか受け持たなくて、恋愛禁止強要しているのよ。

から女性患者は、ここの患者でいる限り、恋愛禁止されているんだ。

#252 2018/02/09 12:27

医者によっては、資産を売却して生活保護を受ける事を強要された患者もいた。

#254 2018/02/09 15:31

姶良病院の近くにグループホームが新しく出来て、そこに居住する事を強要させられる。そこの設立者姶良病院の元看護師長で、会社設立している。姶良病院の近くに居住強要して、その元看護師長がアパート保証人に当てられる。そして、週に何回か訪問看護があって看護師が自宅に監視にやってくる。その内容は主治医に細かく報告される。退院しても自由はない。金も訪問看護が決められた金額だけ渡して自由に使えない。何かを買う時は、病院許可がいる。

262 2018/02/09 18:05

ここの病院は、患者実験ネズミしか思っていません。

#265 2018/02/09 19:20

南日本新聞患者インタビュー病院に対して不満を持っている患者対象に選ばれなかった。都合が悪い事実暴露されるのを恐れていたからだ。病院側にとって優等生的な発言をする患者のみにインタビューする事が許されており、病院真実は明かされる事はない。

#266 2018/02/09 19:22

都合が悪い告発をした告発者は重症患者扱いして真実を闇に葬る卑怯な手口」

・・・仮に退院しても結局は病院を「出られない」現実

それが公立病院で行われている現実

(注)

南日本新聞患者インタビュー鹿児島地元紙・南日本新聞に16年に掲載されたこ病院ルポ記事のこと。同紙の連載『精神障害とともに』16~17の一部「精神科密着240時間」として掲載された。但しwebでは一部分しか無料で読む事はできない。https://373news.com/_kikaku/16/seishin/

なおラグーナ出版から17年に同内容が書籍化されている。『精神障害とともに』http://www.lagunapublishing.co.jp/books/seishintomoni.html

2018-02-10

翠星のガルガンティア 05。

チェインバーが荷受けなどの仕事をはじめた。

レドは手持ち無沙汰で笛をつくっているが、エイミーの話を聞きながら自分でも働きたいと思うようになり、いくつかの職場をまわる。

就活はうまくゆかず、牧場牛糞倉庫を見て逃げ出したのを最後戦線離脱

警報音とともに凪となる。

ガルガンティアの電源が落ち、各スタッフメンテナンスと休憩にはいる。

ピニオンとエイミー、レドをバーベキュー大会に誘う。

海に面したひとつの艀の上が会場。

チェインバーが艀の端に降りると艀は傾きちょっとしたビーチがあらわれる。

海水浴のため水着になった少女たちは戦闘服のレドを押し倒しパンツ一丁にしてしまう。

エイミーの友達や弟、主治医先生などもあつまり焼肉大会の準備がはじまる。

宇宙育ちで地球2日目のレドはカナヅチ。エイミーに手をにぎってもらってバタ足の練習

肉を焼きはじめるピニオン、電源が復旧しないことのほかにある忘れ物気づき、その調達をレドに託す。

真面目なレドは任務をもらったと意気込むがピニオンはちょっとおもしろがっている。

任務を帯びてひとり船体の奥へ向かうレド、パンイチにアロハシャツ一枚で向かうのはゲイバー街。

レドをみオカマたちは発狂、レドの捕獲こころみ追撃をはじめる。レドはおもいっき仕事オファー、それも好待遇オファーを受けるが本能的に逃走。ともかくにげまわり、さいごは塔のてっぺん階段から落下。

落下中のレドはエイミーのカイトで救けてもらい、ルートを教えてもらった上で目標付近で降下。再度パンイチ状態ゲイバー街に突撃

ゲイバー街のかたすみ、ついに目的地、占い師のばあさんの店にたどりつくレド。レド、パンツは無事だがアロハがぼろぼろ。

ともかく荷物を受け取ったレド、覚悟をきめてパンイチのままふたたびゲイバー街に突入


艀の上。

ピニオンがチェインバーの装甲板の黒いところで肉を焼き始めている。

客が増え肉はたらなくなりそう。

そこにレド、ブツをもって帰還。パンツは無事だがアロハシャツは大破、上半身と顔はキスマークだらけ。

ブツレミーマルタンの瓶だが中身は婆さん特製の焼肉のたれ。

この焼肉大会就活がうまくいかないレドをはげますたのものだった。

エイミーからもらった焼肉をほおばるレド、うまさに笑顔。こんどはタレをつけて焼肉をほおばる。あまりのうまさにショック。

チェインバーは装甲板の黒いところをフライパンにされていた。最後まで状況を理解できないチェインバー

2018-02-08

by 匿名さん 2014-11-29 21:09:00

安倍晋三首相、 暗い顔で、いつもイライラ

安倍首相の“健康不安”説が再燃している。

9月上旬バングラデシュスリランカ訪問した時に風邪をひき、

1カ月もセキの痛みが続いたため、9月末、衆院の医務室に駆け込んだことが

あったが、とうとう持病の「潰瘍性大腸炎」が悪化し始めたという情報が飛び

交っているのだ。

下痢が止まらないらしい、という話が広がっているのです。首相臨時国会

の間も頻繁にトイレに立っていた。

深刻なのはクスリ副作用も強いことです。

服用している特効薬副作用発生率は48.5%と高い。

副作用を抑えるために、またクスリを飲まなくてはならない。

東洋医学が専門の主治医漢方薬を調合しているといいます

先日、ヘリで長野まで飛んで地震被災地を視察した時、体調を悪化させたと

みられています」(官邸事情通

 ttp://news.livedoor.com/article/detail/9516746/

No.52

by 匿名さん 2014-11-30 19:02:24

安倍晋三首相8月20日夜、広島市豪雨被害救出活動が続く中、静養のため官邸から山梨県鳴沢村の別荘に戻った。土砂災害発生の一報後もゴルフを続けたことに加え、対応の指揮を執るべき首相東京を離れ再び静養に入ったことに、民主党海江田万里代表野党幹部から批判の声が上がっている。47NEWSなどが報じた。

江田氏は21日午前、兵庫県丹波市記者団に「こういう時だからこそ官邸公邸に詰めて情報収集に当たるべきだ」と強調。衆参両院災害対策特別委員会予算委員会を開催するよう与党に求める考えを示した。

anond:20180208054807

障害者手帳すら出ない程度なら、後見人でもないと思うけど、本人ではなく家族退職勧奨なんてするかなあ。

もし本当なら、退職勧奨は受け入れず、解雇通告された場合には会社に対し解雇通知書もしくは退職理由証明書の発行を依頼して。

そもそも後見人でもない増田がやることではないはずだけど。

 

障害者枠の仕事では自立できないって言うけど、障害者枠の仕事子育てもして自立してる人もいるので、「障害者枠の仕事」と一括りにしないでほしい。

 

会社で勤務中だけ様子がおかしくて、主治医増田悪化が把握できないなら、会社から具体的な症状を聞き取りして主治医へ伝えることで障害者手帳を取得できる可能性はある。

 

そもそも介護問題というより労働問題ではないのかなあ。

大変だった時期もあるだろうけど、現在障害者手帳が出ない程度だし、具体的にどんな介護をしてるか書いてないし。

 

行政支援が受けられないなら、距離を置くか、イライラ溜め込まないよう増田自身メンタルケアを優先してみては。

高次脳機能障害者の介護がクソ地獄だ。

私は20代、男。

学生ときに、父が重い病気になった。

くも膜下出血だ。

小室哲哉の奥さんと同じである

病後、例に漏れず私達の家庭も「高次脳機能障害」と付き合っていくことになった。

あれからもう5年以上も経過して、父は依然として

約束(決められた時間場所にいく等)を覚えていられなかったり、

ちょっとしたこと感情が爆発してしまったり、

記憶や話の整合性が取れなかったりすることがある。


「妻が女の子になってしまった。」

小室氏の表現は、まさに言い得て妙だ。

から罵詈雑言を浴びたり、記憶の抜け落ちにより息子だと認知されなくなったりするのは、悪意がないとしても(無いからこそ余計につらいのだが)相当、精神的に堪えるものである

今回、KEIKO氏の高次脳機能障害が世の中のトピックにあがったこタイミングで、タイムリーなことに私の父にも進展があった。

決してハッピーものではないため、増田にて書かせてもらう。長文雑文になるが、どうか一読いただければ嬉しい。



当時、いわゆる夢追い人だった私は、残された家族のため(高齢祖母、まだまだ10代半ばの弟)

父に代わって、なんて格好のいいものではなく、なし崩しなのかなんと言うか、泣く泣く人生軌道修正をすることにした。

肝心な父の状態は相当ひどいらしく、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。

「生きても半身不随になるかも」

そう医者にいわれた。

わかっちゃいるが、お医者さんもすごい慣れた喋りクチだ。そのせいか、えらく事務的に聞こえる。

自分のこと、家族のこと、父のこと。私が死ぬわけでもないのに走馬灯のように色んなことが、しかも最悪の形で頭で展開されていき、

それと同時に、ただでさえパニックになっている頭の中を、物凄い情報量が通過していく。

まともに読みもしていない手術に関する合意書等、沢山の書類サインをしていく。こんどはこちらが事務的にこなす番だった。

ふと気がつけば、手術がはじまっていた。

その時になってはじめて、あんなにキライだった父のことなのに、思いきり泣いた。


手術は成功だった。

見事に父は快復。重篤的な意味で。

術前に医者から聞いていたとおり、父は高次脳機能障害とよばれるものを抱えながら生きていくことになった。

まり障害者だ。

パッと見、ちょっと痩せて目がトロンとしているくらいなのに、障害者だと思うのは不思議感覚がしたが、それも始めだけだった。

開口一番、「おまえ、誰や?」。

ああ、父の病気はまだ続いているんだと悟った。

発症から数ヶ月ぶりにコミュニケーションがとれたこともあり、必死に状況を説明してみた。

うんうんと理解したような素振りをみせたと思いきや、「なんで俺はこうなってるんだ?全部のお前のせいだ!」と怒号を飛ばされる。

悪意がない、あたまが混乱しているだけだ。と周りには慰められたが、当時まだ二十歳そこそこで、ここまで自分なりに夢や時間やと犠牲にしてきたのに、あんまりだと思った。

この段階でまた泣いた。

リハビリ施設に入って半年、父は退院することになった。

聞こえはいいが、後に詰まっている患者を入れるため、心太式に入れ替わることが制度で決められているだけだ。

要は強制退所である

怒号はなくなったが、兄弟の人数を間違えたり、架空人物を作り上げたりする父をみて、私は「これで大丈夫なのか?」と医者に問うたところ、

「これ以上の治療はできないかリハビリして現状維持するしかない」と返ってきた。

絶望だった。

もう私は一生、この現状に縛り付けられるのか?こんなあっけなく、自分コントールできないところで審判がくだされるのか?何度も自分に問いかけた。

その後しばらくして、父はなんとか勤めていた会社に復帰するまで持ち直した。奇跡的だった。

私の絶望は、どうやら杞憂だったらしい。

父は、昔みたいにバリバリ仕事はできなかったが、会社事情を汲んで軽作業仕事を与えてくれた。

うそれだけでも充分だった。やっと終われる。そう思った。

それから5年経ち、個人的にも家族的にもバタバタした時期がすぎて、なんとか人生プランを立て直す段階まできた。

そのタイミングで、また事がおこる。

つい先日、僕の電話宛に、父がいる会社社長さんから電話があった。

嫌な予感がした。どうやら5年前の絶望杞憂ではなかったらしい。

聞くと、実は1年前から仕事中だけ様子がおかしい。症状が酷くなっている。と言われた。

正直にいうと、「またか。」と思った。

もうこれ以上、振り回されたくないのが本音である

世間は、血のつながりだとか、産んで育ててくれた恩人だとか押し付けがましいことを勝手にいいやがるが、クソ食らえである

リハビリ施設からは、外来は受付してないと断られる。

ソーシャルワーカーに紹介してもらった施設は、結局のところただの相談窓口で、抜本的な解決につながらない。ガス抜きにもならない。温度間がちがう。

いまの会社では働けないのに、障害者手帳をもらうには程度が低いので認定できないと言われる。

障害者用の雇用枠では賃金が安すぎて自立した生活ができない。

基本的に周囲からは「健常者」としてみられるのだが、自分のケツをふけなくなったくせにワガママだし、仕事もできない。

この細かい矛盾が本当に納得いかない。

あんなに強かった父が、若いから「ジャマだジジイ」だなんて蔑まされてるだなんて、聞きたくなかった。

泣いてたらしいし。もうつらいです。


■追記

深夜にどうしようもない心持ちになり、完璧に勢い任せな投稿だったのにも関わらず、反響があって驚いている。

コメントをみると、私みたいな物でも誰かの役に立てそうな気がしたので、返事を書いてみる。

>>>anond:20180208054807

本当にお疲れ様ですとしか言えないな。あなたの感じる細かい行政上矛盾が少しづつでも解消することを祈っているよ。

私も二人、子供がいるんですが子供迷惑かけたくないな、と強く思う。健康大事だな。。。君も(抜けないかもしれませんが)手を抜く事に躊躇しないで欲しいです。

ーーーー

ありがとうございます

父は元々仕事人間プライドが高い人だったので、いまの状況が本当にもどかしいです。

一身上のことですが、祖母と父は養子縁組だったので血が繋がっていません。

本文では割愛しましたが、実は父には血縁関係の無い姉がいて、軽度のダウン症を患っています

そんな家庭でも、父は恩を感じているようで、私に常々と「家のことは俺が全て最後まで面倒みるから、お前は心配するな。」なんて言っていました。

なんとも救えない。皮肉な状況です。

お互い、ご飯と睡眠は大切にしたいですね。

>>>anond:20180208054807

嫌いをキライって書くやつ嫌いだわ。 苦しめ。

ーーーー

不快にさせて申し訳ない。だけど、少しでも読んでくれて嬉しいです。

ありがとう

>>>anond:20180208104709

一言余計だわ。 その一言が人を殺すかも知れないのに…。

ーーーー

気遣いありがとう

いまのところ死ぬ気はないです。

件のおかげで、「嫌われる勇気」は読まずとも身についたのでラッキーだったかもしれません。笑

>>>anond:20180208054807

今までと、これから先の自分を見ているようだった。

自分が関わらないことで「見捨てた」と思いながら自分だけの人生を歩むのと、

積極的に関わって「自分人生を生きられなかった」と思う人生を歩むの、

どちらの人生が良いのかとときどき考えるが、私はまだ答えが出せないままズルズルきている。

ーーーー

その気持ち、すっごくわかります

当時は経済的にもすごく不安定でしたので、よく「自分死ぬくらいなら、全員見捨ててでも生きる。」と思って日々を過ごしていました。

いまでもそれは変わっていませんが、自分のできる範囲でなにか手伝おうというスタンスでやろうと模索しています

しかし、何か在ればや私のところに連絡がきてしまうのかもですが。

>>>anond:20180208054807

障害者手帳すら出ない程度なら、後見人でもないと思うけど、本人ではなく家族退職勧奨なんてするかなあ。

もし本当なら、退職勧奨は受け入れず、解雇通告された場合には会社に対し解雇通知書もしくは退職理由証明書の発行を依頼して。

そもそも後見人でもない増田がやることではないはずだけど。

障害者枠の仕事では自立できないって言うけど、障害者枠の仕事子育てもして自立してる人もいるので、「障害者枠の仕事」と一括りにしないでほしい。

会社で勤務中だけ様子がおかしくて、主治医増田悪化が把握できないなら、会社から具体的な症状を聞き取りして主治医へ伝えることで障害者手帳を取得できる可能性はある。

そもそも介護問題というより労働問題ではないのかなあ。

大変だった時期もあるだろうけど、現在障害者手帳が出ない程度だし、具体的にどんな介護をしてるか書いてないし。

行政支援が受けられないなら、距離を置くか、イライラ溜め込まないよう増田自身メンタルケアを優先してみては。

ーーーー

なるほど、そもそも後見人概念を知らなかったので勉強します。

様子については、基本ちょっと抜けているのですが、仕事や非日常イベントなど緊張する場面になると急に症状が酷くなるみたいでした。

タイトルについては、私自身も介護問題なのか労働問題なのかは上手く切り分けられていないのですが、小室さんの件もあり介護先行で書きました。

障害者枠の仕事」も含め、相談員の言うことを鵜呑みにして思考停止している部分もあるかもです。

色々とご指摘、ありがとうございます

2018-02-03

https://anond.hatelabo.jp/20180202134232

元増田。一部コメントへの返答的なもの

anond:20180203123534

その主治医、この辺の論文を知ってるのかどうか確かめたほうがいいですね

研究は、市販抗うつ薬有効性をプラセボ偽薬比較したもので、9~18歳までの5260人を対象にした臨床試験成績34件をまとめたものです。

その結果によりますと、プラセボ薬よりも高い抗う作用がみられたのはフルオキセチンだけしかないことが明らかになりました。

http://d.hatena.ne.jp/Drhase/20160705

anond:20180202234819

なるほど、ありがとうございます

まりに効かないので主治医相談したんですが…どうしてもSSRI提案されるんです。

そもそも薬なんか飲むべきじゃないのかな…。

2018-02-02

過ぎたことを思い出してしまう癖との私なりの付き合い方

「過ぎたことを考えすぎてしまう人は必要以上に落ち込んでしまう傾向にあるので要注意。過ぎたことを思い出さないようにしましょう」という趣旨記事を久し振りに目にした。

私は過ぎたことを思い出しやすい。寝る前、手を洗っているとき風呂の中、ご飯を食べている最中過去のことをふと思い出してア゛ーとなる。

少年時代黒歴史を思い出して悶える」という人はよくいるが、私の場合はそれよりもっと瞬間的な記憶を思い出す。過去に話した人が、自分の話を聴きながら退屈そうにしていたときの恥ずかしさと焦りが目の前に訪れる。自分は箸を持ってシャケ弁当を食べているにも関わらず、そのとき手に滲んでいた汗や、周囲の雑踏などが突然現れて、私を今いる場所から過去へと連れ戻してしまう。思い出すというよりも瞬間的に過去体験する。これはどうにもならない私の癖である

その癖を直そうとしていた時期もあった。「過ぎたことを思い出しても仕方ないから考えないようにしよう」と何度も自分に言い聞かせたりした。そして、フラッシュバックがおきるたびに、私はまた過去に囚われている、なんて卑屈なんだ、しっかりしなければと自分を叱ったりなどもした。

今の私は、そういうことを自分に言い聞かせていない。主治医からアドバイスを貰ったからだ。

「思い出し癖はあなたの脳の癖。フラッシュバックのせいで寝れないとか病気にかかっているならば薬を出すが、あなたはそこまでの問題にはなっていない。むしろあなた記憶力が役立っている場面の方が多いのではないか

主治医言葉を繰り返し思い出しながら理解したことは、つまり私は、普通の人よりも記憶の引き出しが滑らかに開くのだ。ということである普通の人がウンウン唸って開ける「記憶の引き出し」が、私はまるでコマでも付いているように容易に開くのだ、ということである

それからは、自分の思い出し癖に悩むことはなくなった。思い出し癖がやってきたら、「ああ、私、思い出してるな」それだけである。実際医者の言ったとおり、私の記憶力は私にとって役立つことが多い。たまに誤作動して私を苦しめることもあるが、それよりずっと多い場面で私を助けている。うむ、悪くない。可愛いやつめ、近う寄れ。

体質である、という発想はとても私を楽にした。だいたい、「過ぎたことを思い出すと辛いから、思い出さないようにしましょう」とは一体なんなのだ貴様アレルギー患者に向かって「むやみに免疫反応を起こさないようにしましょう」とでも言うつもりか。私は私の特性と、このまま上手くやっていきたいと思っている。

2018-01-31

受動喫煙一年半の感想など

2018年2月1日23:00頃、二度目の追記。

2016年の夏頃に、持病で働けないという理由生活保護受給しだして今住んでいるマンション引っ越してきたのだが、

隣にヘビースモーカーというかチェーンスモーカーが住んでいるせいで、

毎日時間受動喫煙を強いられるようになってしまった。

今までの人生でこんなに長く副流煙さらされることはなかったので、

ここに住みだしてから現れた体や心の変化などを書いてみる。

受動喫煙時間

1日辺り、およそ8時間~18時間ほど。

時間帯はバラバラで、最も多いと感じるのは午前0時~午前7時頃。

隣の住人は生活スタイルが不規則らしく、また私と同じくほぼ毎日日中家の中におり、

室内でベランダの窓を開けたままタバコを吸っている様子。

このマンションは古いので吸気口が存在せず、

玄関の隙間やベランダの窓の通気口(とガバガバのサッシの隙間)から吸気するようになっている。

ちなみに換気扇を止めても窓サッシの隙間からガンガン煙が入ってくる。

私はクローン病という難病を患っているのだが、

この病気安倍総理の持病に似ていて腹を下す病気で、

ぶっちゃけ外出すると外でウンコ漏らす可能性があるので、基本的に引きこもっている。

それゆえ一日中隣人の喫煙に付き合わされている。

目の症状

かゆみと痛み。

副流煙が入ってくると、目がショボショボしだし、

痒くなり、やがて痛みと涙が出てくる。

花粉症の症状に似ているかもしれない。

大して辛くはないが、眼球癌がちょっと心配だったりする。

呼吸器(喉から肺辺りまで)の症状

喘息になった。

一番症状が酷かったのは半年ほど前で、咳でまともに会話ができない状態だった。

今は声を出しても咳が出ない程度には治まっている。

常に喉から鳩尾にかけての辺りがムズムズする。

あと両胸の肋骨の下辺りに妙な違和感が出てきた。

このまま受動喫煙が続いたら普通に肺癌になりそうな予感。

鼻の症状

かなり悪い。蓄膿症になった。

後鼻漏、膿、鼻血など。

洗面所で口から、白く濁り黄色い膿と赤黒い血が混じった鼻水を吐き出すのが、毎朝の日課だったりする。気が滅入る。

鼻詰まりも酷い。少しでも煙を吸うとすぐに両鼻が詰まり、力を入れないと呼吸が難しい。

かといって口呼吸に切り替えると、咳喘息の症状が出て余計辛いので、頑張って鼻で呼吸するしかない。

市販マスク三重にして付けると、ちょっとだけ鼻詰まりがマシになる。

二重だと足りず、四重だと苦しい上に耳が痛い。

とにかく鼻詰まりで息が苦しいのが辛い。

肺癌よりも副鼻腔癌の方が先になりそうな気がする。

タバコは臭くない

ネット上だとタバコ臭いという意見をよく見かけるが、

そういう人達は長時間受動喫煙は未経験なんじゃないだろうかと思ったりする。

受動喫煙日常になると、タバコ臭いに慣れるうえ、蓄膿症で嗅覚が鈍るので、

タバコの煙を臭いと感じなくなる。

私はすでに隣人のタバコ臭いはほぼ分からなくなってて、

目の違和感と鼻詰まりで煙が入ってきた事を認識するようになっている。

というかひょっとして、副流煙を吸っても臭いと感じるだけなのが普通で、

私みたい肺や鼻を病む方がおかしいのだろうか?

持病の症状

ストレスタバコの煙はクローン病悪化の原因になるらしいのだが、

今のところ影響は無い様子。

というか、結構大量に副流煙吸ってるのに、

クローン病はここしばらく症状が安定してるとか、一体どういうことなの?

クローン病になって10年以上経つけど、ここ半年ほど痛みもなく、

排便周期も最も安定している感じなんですけど。

クローン病の症状はかなり個人差があるらしいのだが、

こんだけ煙吸ってストレス感じてるのに影響無いとか、自分でも信じられない。

どうなってるんだ私の体は。

精神状態

怒りと恨みと憎しみが酷い。

最近はたまに怒鳴り散らすことでストレスを発散するようになってしまった。

引っ越してきた当初は、癌になるまではただひたすら我慢しようと思っていたのだが、

どうもそれは無理そうだ。

今の目標2021年までは何とか頑張って我慢して、

それ以降は我慢せずに怒りと恨みと憎しみで一杯になり、

その後、人生の終了を予定している。

と言っても自殺というわけではなく、

自殺は出来ないというか、10年ほど前に首吊り自殺に失敗してから

自分の中の自殺スイッチが完全にオフになって、

自殺する気が全く起こらなくなってしまった。

自殺できたらどれほど楽か。

あと、他人の不幸を喜ぶようになってしまった。

誰かが不幸になったニュースを見るたびに、

胸の内にどす黒い感情が湧き上がってくる。

自分がこんな気持ちを抱くなんて思いもしなかった。

それが嫌で仕方がない。

その他

マンション利用規約喫煙に関することは全く書かれていないので、

管理会社へ苦情は一切入れていない。

訴訟を起こす気も無し。というか、訴えても勝てないだろうし、

訴えるお金も無い。

何年か前にベランダ喫煙で訴えて勝った人がいたが、

あれは確か分譲マンションだったはず。

寿命が削られることに文句は無い。

私の場合生活保護費と持病の医療費を合わせて年間400万円ほどかかっているので、

私が早死にするのは良いことだと思っている。

でも、なぶり殺しは勘弁してほしいです。

副流煙でジワジワといたぶるのではなく、

殺すなら一撃で楽にしてほしいなと強く思ってますマジで

あと、喫煙者絶対に許さない。

殺されるのは別に構いません。

でも苦痛を味わわされた事に対する憎悪を抑えることはできません。

いやホント苦痛ってのは心を病む。

喘息蓄膿症の治療は行っていない。

受動喫煙を止められない以上、

病院に行っても治らないだろうし、

どうせ近いうちに人生終了のお知らせから治療しても無駄だろう。

私物結構捨てた。ヤニでベタベタになって気持ち悪いので。

何ていうか、物に対する執着が無くなった気がする。

所持してもベタベタになるだけだし。

引っ越しは無理。

ケースワーカー受動喫煙理由での引っ越しは無理だと断言。

そりゃそうだよね、引っ越し先にもヘビースモーカーいるかもしれないわけで、

その度に引っ越すのとか現実的じゃないですし。

安楽死合法化してほしい。

とりあえず、あと三年。あと三年は何とか我慢したい。

何で三年かというと深い理由は無いと思うのだけれど、

何となく頭に浮かんだのが三年という数字だった。

とにかく三年だ、あと三年頑張ろう私。

その後はもうどうにでもなーれから

三年だけ我慢しよう。

2018年2月1日午後2時頃、追記。

コメ読みました。

管理会社

窓サッシ

調べたら隙間風に関しては管理会社に依頼できるみたいですね。

管理会社に言わないのは、

受動喫煙合法である

受動喫煙被害者側が訴えて勝った事例が少ない、訴えて勝てるとは限らない、

だいたいはベランダ喫煙ではない(ベランダ喫煙時の煙の濃さも把握してますが、頻度が極めて低いです)、

タバコの煙に関して規約に何も書かれていない、

管理会社と揉めたくない、

などの理由からです。

私が住んでいる地域は、生活保護の人が借りられる物件洗濯機を屋外(ベランダなど)に設置する物件が多いです。

しかし私の病気は寒さで症状が悪化する場合があり、私もそのケースに当てはまるため、

可能な限り屋内に洗濯機を置ける物件に住みたいという思いがあります

ここに引っ越してくる前、引っ越し先を探している際、

屋内に洗濯機を置ける物件ほとんど見つからず、

見つかった物件も入居審査ではねられ、

何とかこの物件に入居することができました。

一度入居すれば家賃滞納や騒音問題など以外では退去させられる可能性は低いらしいですが、

管理会社に苦情を入れるなどすれば、何かと理由をつけて退去させられるのではないか、という不安があります

その際抵抗しようにも、弁護士を雇えるとは限りません。

なるべく管理会社に関わりたくないのは、そういう後ろ向きな理由からです。

養生テープ

これは、実はもう試しました。本文が長くなったので省きましたけど、

ガーゼと脱脂綿と養生テープを使って、窓の隙間を塞ぎました。

その結果窓を空けることは出来なくなりましたが、隙間から空気流入はほぼ無くなりました。

窓を開けられないので換気は換気扇のみ(窓上部の通気口と、玄関の隙間から吸気)になります

ベランダから空気流入量は減ったのでタバコの煙の量も減りましたが、

体へのダメージはほぼ変わりませんでした。

ちなみに今は、ベランダ側の窓を覆う形で壁全体に、台所の換気扇フィルター(ロールタイプ11mのヤツ)を、

五重にして貼り付けています。窓は開けられないのでカーテンをした状態で締め切り、窓上部の通気口は開けています

効果は無いよりマシ程度でしたが。

窓を開けての換気どころか、太陽光の量も減るので、カビの心配がありましたが、

換気扇除湿機空気清浄機扇風機24時間稼働させており、

今のところカビが生える様子は無いようです(室内干しの洗濯物や布団の裏側、台所、部屋の隅の壁などを確認)。

空気清浄機

タバコの煙には効果無いです。すごく高い物なら効果があるのかもしれませんが買えません。

塵や埃はよく吸ってくれるので付けっぱなしにしています

タバコを吸っていいところでタバコを吸っただけで勝手に恨まれる隣人が気の毒でならない

そうですね

ごめん

いえいえ、謝ることはないですよ。

なんで喫煙者に直接文句が言いに行けないのだ?

まずインターホンを鳴らしても出てこないです。

また法律にもマンション規約にも違反していないので、文句が言い辛いです

それに話が通じるとは思えません。

経験上、健康な人は病気の症状に対する理解が浅い(これは普通だし仕方のないことだと思います)ので、

健康被害苦痛を訴えて理解して貰えるとは思いません。

あと、住んでいる人の人物像がよく分かりません。

隣の部屋を借りている人物の氏名は把握しています

しかしその人、最寄りのスーパー店長なんですよね、

ググったらニュース記事や人事に関する記事が出てきたので判明しました。

レシートにも店長名前が入っているので、間違いないと思います

名前的に同姓同名可能性も低そうです。

でも、店長やってる人が毎日自宅で長時間タバコを吹かしているわけないですよね。

なので恐らく店長の身内、親や子供を住まわせているのではないか、と思っています

ずっと部屋にいるので、定年退職したのか引きこもりなのか、

いずれにせよ、なんだかよく分からない生活をしている人に対して、私はビビっています

QOLを著しく下げる

ですね。

ただ、治療を受けるかどうか実は今も悩んでいる最中です。

まず、これ以上医療費をかけたくないという思いがあります

持病の治療で毎回40万円以上かかってるので。

また、病院に行くのが難儀です。

最近は体調が安定しているとは言え、基本的に私は下痢しか出ないので、

外出すると便失禁の可能性が常に付きまといます

私は持病の治療で通院する際、

前日は食事を取らずアクエリアスとチュアブルタイプビタミン剤のみを摂取し、

当日は浣腸使用して可能な限り便を排出してから病院に向かうようにしています

通院だけでなく、散髪をする時も同様です。

持病の治療は2ヶ月に一度、散髪はもっと期間が開いているので絶食しても何とかなりますが、

耳鼻科などに通うことになった場合絶食を短い期間で繰り返すことになる可能性があります

その辺がかなり気がかりです。

持病は過去にサブイレウスで苦しんだことがあるため、通院に対する抵抗は無いのですが

蓄膿症と咳喘息は、今のところ死にそうな症状はまだ出ていません。

そのため「まだこの程度なら病院に行かなくても」という考えが私の中にあると思います

2018年2月1日午後11時頃、追記。

同じ病気です。で、喫煙者です。なんか申し訳ないです。

(゚∀゚)人(゚∀゚)ナカーマ

いや申し訳なく思うことはないですよ。

喘息に関しては、通院時に会話が出来なかったので筆談主治医に伝えました。

その時に同じ病院内の耳鼻咽喉科受診を勧められたのですが断りました。

私が通院している病院には精神科もあるので、

向精神薬の事も含めて主治医相談してみます

潰瘍性大腸炎だと、ニコチンで症状が軽くなるらしい。クローン病も同じなのだろうか…

一般的クローン病場合は悪影響しかないらしいですね。

私の場合は何ででしょうね、体質的ものなのか、

あるいは症状が出ていることに気づいていないだけなのか…

防毒マスク

実は購入を検討中です。

Amazonで調べたらタバコ副流煙対策には重松の防毒マスクGM31が良いそうなので、

買って試してみるつもりです。

入社時に精神疾患があるのを黙ってたら待遇変えられた

当方大卒新卒1年目、そこそこ名の知れた会社に勤務中。

中学生の頃パニック障害になり、一時不登校だった時期もあるものの、ここ数年発作もなく過ごしてる。

軽度すぎて手帳はもらえず、障害者就労は不可。

去年の秋、上司何気なく仕事慣れた?体調管理とかちゃんとしてる?」と聞かれたので、「今は元気ですけどパニック障害の既往症があるので再発は不安ですね」と答えたら、上司の顔色が変わった。

人事に呼び出され、なぜ黙っていた!と言われた。

欠勤もしていないし普通に勤務してるし、言う必要を感じなかったからとしか…。

そこから、あれよあれよというまに人事命令が下った。

総合職一般職への変更。

各種手当の支給中止。

地方転勤。

条件を飲めないなら辞めろと。

新卒1年目で職歴もないのに辞めるわけにもいかず、条件を飲んで転勤したところ。

入社時はどうだったか知らないが、入社後に休職やらうつやら経験して、それでも総合職のままの社員の多いこと(今までは小さい支店にいたから、そういう人の存在を知らなかった)。

自分はと言えば、転勤したからといって何か体調に配慮されるわけでもなく、むしろ前任地よりひどいパワハラ上司に当たって毎日苦しんでる。

遠回しな退職勧告なのかなあ。

「辞めさせたいと思ったら、代替案なんか出さずにとっくに辞めろって言ってる」とは人事に言われたが。

労基やハロワでも相談してみたが、転勤時の念書に判を捺しているので、抵抗できる可能性は少ないとのこと。

総合職としての試験を受けて、一般職ならやらなくていいことをやって入社したので、正直不満だ。

一応「定時に帰らせろ」って診断書主治医から会社に出してて、上司も把握してるんだけど、全然守られてない。

職歴つけたら辞めるべきか…。

これが世間本音なのかなあ。

「一度でもメンタル病んだ人間は要らない」

好きでパニックになったわけじゃないんだけどなあ。

2018-01-23

anond:20180123163145

主治医相談しろ、以外は言わない方がいいよ。家族でもないんだし、責任取れないでしょ。

薬が合ってないとか飲んでないとかがあるかもしれないし、主治医の指示で認知行動療法などをすべき。

2018-01-19

年寄り

60代の母が手術を受けることになり、主治医から説明があるというので聞きに行った。

「お年寄りの方ですと、○○というリスクがあって……」

と言われ、『○○』は母に当てはまることなのだなと思って聞いていたのだが、

「でもお母様はお若いので、そのような心配必要ないでしょう。」

と続いて驚いてしまった。

60代はお年寄りではないのか。

2018-01-16

anond:20180114161100

おい、ふなぽん!

貴様、思いっきフツメンじゃねーか!

ていうか、鼻は高いし形が整ってるし、耳の形も綺麗だし、骨格が整ってるよアンタ。

このくらいの肌の人なんて普通にいるか全然気になんねー。

こちとら鼻は低いわ耳は異様にちっちゃいわ家が貧乏から矯正できずにガチャ歯のままだわ皮膚生検したときパンチ穴が顔にあるわ首には頸部リンパ節生検した時の跡があって首切り未遂して失敗した人みたいになってるわ尻には骨髄穿刺した時の丸い跡がいくつも残ってるわコンプまみれじゃコラ!!!

あとステロイドいっぱい飲んでた時は額と顎にニキビ大量発生してたわ。

知ってるか? ステロイドざ瘡(ニキビ)はステロイドの量が減るか飲むのを止めるかしない限り、薬を塗っても治んないんだよな。

でも主治医は一応ビタミン剤抗菌薬(ダラシンTゲル)とか出してくれてた。もちろん、大量のステロイドの前にはそんなもの無力だったがね。

そのうちステロイドの量が減ってきて、今じゃ維持量5mgしか飲んでなくて顔面ニキビMAX状態からは脱したが、顎ニキビけが治らん。飲んでる免疫抑制剤関係してるのかもしれないし、してないのかもしれない。食生活めっちゃ気をつけててもお肌の洗顔とお手入れを入念にしても顎ニキビだけは治らん。なのでこの件で3年前に皮膚科受診した。そしたらディフェリンゲルダラシンTゲルが処方されたんだけど、このディフェリンゲルが超やばいやつだった。顎にしか塗ってないのに顔中真っ赤にただれて(?)、皮膚が剥けまくって痛いのなんの。皮膚科からは中止しましょうと言われたが、「もうちょっと頑張ってみたいです!」と言ってしまった。詳しくは書けないが、そのあと皮膚が大変なことになって、それが完治するまでに1年半かかった。そしてつい先月のことだ。顎ニキビだけはなんとかしたいと、今度は近所の皮膚科クリニックにかかった。前回はディフェリンゲルで大変な目に遭ったが、その後、国内承認された「ベピオゲル[」という新しいニキビの薬に期待を持っていたのだ。

皮膚科医には、ステロイド免疫抑制剤使用であること、ディフェリンゲルで肌がえらい目にあったこと、今までビタミン剤抗菌薬などを使用してきたが顎ニキビは何をやっても治らなかったことなどを伝えた。医師は期待通り「ベピオゲル試してみようか」と言ってきた。予想外だったのが「抗生剤も飲んでみる?」と言われたこと。正直、飲んでも飲まなくてもどっちでもいいわと思ったが、いま飲んでる薬の量がハンパなく多いので持参したお薬手帳を見せたところ「今回はやめとこっか」となった。だよね。今、薬14種類飲んでるし。

「ベピオゲルアクアチムクリーム出すので、これで治らなかったら抗菌薬の服用をまた考えましょう。ディフェリンゲルの話からすると皮膚が刺激に弱いようなので、ベピオゲルは塗ってから15分経ったら洗い流しちゃってください。それでも十分効きますから。15分で大丈夫だったら30分、1時間というふうに時間を伸ばしていきましょう。アクアチムクリームは1日何回塗ってもいいです」

えー、そんな方法あるんだ! それ裏技?すげえ、目から鱗

それで言われた通りに15分で洗い流して、そのあと保湿を兼ねてアクアチムクリームを塗りたくっているけど、あれだけひどかった顎ニキビめっちゃマシになっとる。マジかよって感じ。顎の角質がいつも固かったのが柔らかくなってきてるし。あとディフェリンと違って全然刺激感ないし、皮膚も赤くならない。15分で洗い流してるんだから当たり前? でもニキビにはしっかり効いてる。一昨日から時間を30分に伸ばしたが皮膚に刺激感なし。あー、ディフェリンの件で顎ニキビ治療を諦めなくて良かったあ、と思ったのでした。

にしても、今度から新しい免疫調節薬をスタートさせるのでそれが皮膚にどんな影響を及ぼすやら。持病持ちは原病だけではなく副作用とも共存していかなきゃいけないから大変だ。そりゃ憂鬱にもなるさ。そう自分に言い聞かせながら今日も生きるワイであった。

ふなぽんはいつも自分語りばっかて他人の話なんか全然聞きやしないからワテも思いっき自分語りしたったわ、ハッハッハーッ。

2018-01-11

anond:20180111135207

先日、諸事情により大学病院眼科でさまざまな検査を受けた。

その中に石原式色覚検査もあったのだが、物心ついた時からずっと絵を描いている自分特に色彩感覚には自信があり、全て一瞬で数字認識ができた………とはいかず、何枚かどうしても認識できないものが混じっていた。

検査結果は色覚正常であったが、どうも釈然としない。

帰宅後に、ミドリンPで瞳孔の開きまくった目を凝らしながらネットで調べてみると、どうも石原式色覚検査には色覚異常の人には見えて正常色覚の人には見えないパターン存在するらしく、私が判別不能であったものはそのパターンだったようだ。

ちなみに、元増田記事リンクされていた簡易色覚検査は全て容易に判別できた。

結論ミドリンPで瞳孔の開いた自分を鏡で見たらめっちゃ怖かったし、次の日まで目が痛かったし、眼圧検査機械からプシュッて風が出るたびにビクッ…ビクッ…てなって笑えたし、眼科ハイテクマシンが多くてカッコよかったし、私の主治医イケメンだった。

2018-01-08

anond:20180108055616

ここ最近色んなことにすぐに感動して涙が出てくるんだけど、ちょっと脳みそヤバイのかも。

具体的にいうとドパミン過多状態なんではないかと。

双極 II 型障害で、長い間ひどい抑うつ状態が続いていたか抗うつ薬が処方されて、動けるようになったのはいいんだけどなんかヤバイのかも。

でもこれを主治医に正直に言っちゃう抗うつ薬ストップになってまた寝たきり状態に戻っちゃうから言えない。

今のところ浪費とかはしてないし、観念放逸寝不足ときしかならないし、生活に支障は生じてないから。

ただ色んなものが美しく尊く思えて涙が出てくるの。

2018-01-06

母がうつ病理解してくれない

昨年働き過ぎで不眠になりうつ病になった。

とりあえず3ヶ月ほど仕事を休むことになった。実家住まいで母と姉と3人暮らし。母にうつ病になったことを報告したら「あんたは昔から繊細というか気難しいことばかり考えるからもっとポジティブ物事を考えていればよかったのに。」と言われた。それから観光に行けば楽しく病気を治せるから温泉に連れていかれた。とにかく休みたかった。そのことを母に伝えても家にいるだけじゃ気が滅入るからと半ば強引に連れていかれた。

家で寝てるだけでは身体が鈍ると色々な家事を任された。わたしはただ休みたかったのだけど社会人になっても実家に住まわせてもらっているという罪悪感もあって家事をやった。

心療内科主治医からは母も診察に来てもらってうつ病について説明を聞いてもらいましょうと提案があったが「いい大人なんだから診察なんて一人で行きなさい」断られてしまった。

とにかくつらくて六畳一間でいいから一人で過ごしたくて家をでた。そこで寝れるだけ寝て休んで過ごそうと思った。でも週2、3日は家に母がやってきて一人暮らし暮らしぶりを観察しにくる。もはや監視されてるみたいだった。食材を切って持ってきては「これであとは焼くだけだから楽でしょ?自炊しなさい」言われたりした。わたしカップラーメンでいいからとにかく休みたい。一人でなんの圧力もかから休みたい。そう母に伝えたら「あんたはそうやってすぐ被害妄想が強くなるんだから」と返ってきて、思わず「うるさい!お前がガチャガチャうから治るものも治らないんだ!私の家から出て行け!」と怒鳴ってしまった。

母が帰ってから罪悪感で泣いた。私がうつ病になるから悪かったのかと考えてしまう。

母は祖母脳梗塞になったとき、いろんな本を読んで病を理解しようとしてた。でもうつ病となると話しが違うようで、心が弱いとか根性とか言ってくる。できれば祖母ときのやる気のひとかけらでいいかうつ病について調べて欲しかった。でもそれも叶わないならとにかく一人で休みたい。

精神科病棟身体拘束された話

せっかくの経験から、伝えようと思う。

2年くらい前まで入退院を繰り返してた。

中高生時代にも子供精神科に通ってたけど、高校卒業を期に、いったん精神科卒業した。

けど大学生活のストレスで再発した。

私がお世話になった病院精神医療専門病院で、なおかつ建物が新しくなって間もなかったのは、とっても幸運

鉄格子なんてなかったし、建物ボロボロや不潔でもなかった。

大学一人暮らしをしてたある日、何故か包丁を持って外にでようとしてた。やばいと思って近所のメンタルクリニックに行ったら即病院に紹介されて、受診したその日に入院が決まった。

はじめは保護室という部屋に入れられた。

窓はなくて、トイレとベッドだけがある、施錠された個室。分厚い鉄扉についた小さなから、1時間に1回看護師さんが様子を見にきた。

部屋が真っ白で、ベッドに寝転んで天井を見上げるしかすることなかったから、いまでも白い蛍光灯は苦手。

何も持ち込めず誰とも話せず、孤独で辛かった気がする。

数日様子を観察されて、解放された。

4人部屋に移った。

入院の際にコード類や携帯没収されてるので、音楽も聴けなかった。外部を遮断できるツールが使えないこれが一番辛かった。みんな顔死んでるけど。

病棟内でも保護室エリア一般エリアは区切られてて、一般エリアは以外と静かだった。騒いだり奇声を発する患者保護室に入れられてるから

ご飯は食堂で一斉に食べた。毎回暗黙の席取り合戦がある。勝つために時間がきたら早く座ってた。

どれだけ食べたかももちろんチェックされた。

主治医許可がでて看護師さんに言えば、1日に1回だけ売店に連れていってくれた。何買ったかはもちろんチェック。甘いもの好きだけど、買いすぎると怒られた。部屋に持ち帰ってこっそり食べたりした。

辛かったのは看護学生が実習で来てたとき

私と同い年くらいなのに立派だな、と思ったし劣等感爆発した。大学に行ってたはずなのにどうして今こんなところにいるんだろうって。病室の窓から大学が見えるのが、余計に悲しかった。

入院生活は暇すぎた。

テレビ見るか、作業療法行くか、塗り絵するかくらいしかなかった。

病棟に同年代なんていなかった。

それでも主治医毎日顔を出してくれて嬉しかったのは覚えてる。

一度、持っていたタオルで首を締めることがあった。一応看護師さんに軽く報告してタオルは預かってもらった。

そしたら当直の医師に伝わってしまって、保護室連行され身体拘束された。

両手首・両足首・胴体の5箇所をベルトでベッドに固定され、ピクリとも動けなかった。

おまけに血栓防止ストッキングなるものを履かされ、めちゃくちゃ痒かった。

ぴっちぴちのメディキュットもどき

痒くても掻けない。

トイレ自由にいけない。

天井蛍光灯時計しか見るものがない。

拷問のようだった。時間が経つのが遅すぎて気が狂うかと思った。

私はまだ、見回りのタイミングベルト外してもらってトイレできたが、最悪オムツらしい。女子尊厳は守られた。

食事は胴体と手首のベルトが外され、ベッドの上で監視されて食べた。

翌日に主治医が来てくれて、もうしないことを約束して、その翌日に解放された。

あれは自分にとって紛うことな拷問だ。罰則だ。約束を守るように頑張った。

最初に入った病棟は楽しかったよ、割と。

症状の軽い人たちがいる病棟だったから、会話が楽しかった。気のいい兄ちゃんもいたし、優しい兄ちゃんもいた。

でもそれ以外の病棟は、みんな症状重くてそれどころじゃなかったなぁ。

私も病状が悪化して、ますます壊れてたし。身体拘束はこのころね。

なんだろ、そんな感じ。

まだネタはあるけど、区切るわ。

今は元気にOLしてます

んじゃ。

精神科病棟入院した話

はじめて使うので、おかしいところが多々あるかと思うが勘弁してほしい。

私は14~22歳の約9年間くらい精神科にお世話になった。その間に何度も精神科入院する経験をしたので、ここに書くことで成仏させたい。

家は小金持ちで、中学から私立だった。中学3年のある日、左半身が突如として麻痺しだした。色んな病院検査たらい回しにされ、最終的に児童青年精神科に行き着いたのが精神科との長い付き合いの始まり

そのときの病名は「適応障害」。

だんだん不登校になり、家にこもりだした。主治医が好きだったか病院には通った。そんである日「家から離れようか」と入院が決まった。

病棟ナースステーションを中心に左右に別れてた。左は小学生以下幼児まで。右は中学生から高校生かな。もちろんそれぞれの入口に鍵がかかってた。

総合病院だったかキレイだし、小児病棟みたいに明るい病棟だった。

携帯は持ち込み禁止

 (ずっとゲームするか音楽聴いてた)

食べ物も持ち込み禁止

 (拒食症の子かいから)

・親とは専用の面会室で話す

おやつは3時のみ

 (甘くないお菓子の時は悲しかった)

主治医許可がないと外出禁止

 (許可されても看護師同伴)

そんな感じの入院生活だった。看護師さんは優しかった。たまに左ゾーンの子達と一緒にレクもあった。めっちゃ暇だったけど、いま思えば入院生活はこんなもんだ。

そんな生活を1ヶ月ほど。それを高校卒業までに2回経験した。

いから切る。

たぶん続くと思う。

2018-01-04

うつ病とうまくやっていく、たったひとつの冴えたやり方。

ハサミの使い方を忘れました。

■ちゃんとハサミを使えたボクの話。

それまでのボクは、ケータイサイトを作るベンチャー会社でちゃんと働いていました。

その会社社長とボクとボクの友達で作った小さな会社

2000年誕生し、2007年には株式上場最初は4人だった社員も今では150人強に。そんな中でちゃんとした給料をもらい、取締役という役職ももらい、ちゃんと仕事をしていました。

かに、朝9時30分に出勤し家に帰るのは午前1時とか2時とかだったり、土日も出勤してたりもしましたが、「ベンチャー企業なんてそんなもんだよね。」と人からも言われ自分にもそう言い聞かせて働いてました。普通に

逆にそんな風に頑張っている自分が誇りだったし、「最近寝る暇も無い位忙しい」ってことが自分にとっては「美談」でした。

気づいていただけましたか??すべて過去形です。

そうボクがちゃんと普通に「ハサミ」を使えてた頃の話。

ここで一度考えてみてください。

あなたの「ちゃんと」って、本当にちゃんとしてますか?

あなたの「普通」って、本当に普通ですか?

■ハサミの使い方を忘れました。

意外と自分自身の事って自分ではわかりません。

「ボクってカッコいいのかなぁ?」とか「ワタシってかわいいのかなぁ?」ってのは、「誰か」と自分を見比べて、鏡の前で悩めばわかるかもしれません。

自分って健康なのかな?」ってのは、健康診断を受ければ解決します。

ただ、「もしかして、ボクって精神的におかしくなってきたのかも?」っていうのは案外自分では気づかないものかもしれません。

幸いにも(?)ボクには兆候がありました。

ある日突然「ハサミの使い方」を忘れたんです。

ハサミを見て「あ、これはハサミだ。」ってことはわかるんです。でも「何に使うものなのか?」ってことが分からないんです・・・

「何かの道具」だって事は覚えてるんです・・・

でも、「何のための道具なのか?」って事が思い出せないんです。

他にも「会社資料を作っているときに誤字脱字が増えてきた」「会社会議などスケジュールを覚えていなかった」「机の上に置いてあるお茶が、いつ注いだものかわからなかった」など、いろんな兆候がありました。

でも、なにより会社に行きたくなかった。社長に会いたくもなかった。

部下にも会いたくなかった。

この時期、会社でボクの身に何があったのかというと上司取締役が変わったことくらい・・・

その方は他社から転職してきた方で、もともとは凄くボクとも仲良くしてくれていました。

冗談を言いあったり、喫煙室で長い時間話をしたり・・・

ところが、直属の仲間になった途端そんな関係は造り物だったことに気付きます

喫煙室で顔を合わせると、不機嫌な顔をされ一言も口を聞くことはありませんでした。仕事相談すると「今忙しい。それくらい自分で考えろ。」と一蹴され、取引先に向かう電車の中で「あんたってこの会社に8 年間もいて今までどんな実績上げてきたの?何も無いんじゃない?あったら私の耳にも入ってくるけど。本当は社長あなたの事なんて要らないと思ってるんじゃない?」なんて事も言われました。

さすがにきつかったので他部署のAさんBさんに相談しました。

なんとなくですが、「社長が僕自身を鍛え上げるために、この取締役にそう言ってあるのかな?」なんてポジティブに思ってた事もあって。

今までの同僚としての距離感ではなく、取締役としての距離感で接してくれているから、こんな冷たい態度なのかな?って思ったか・・・

その数日後。その人に会議室に呼び出されました。

あなた、AさんとBさんに何か相談したらしいじゃない?」

その一言で目の前が真っ暗になりました。

信じていたAさんBさんもボクの味方では無かったんだ・・・

その真っ暗な目の前を真っ白にしてくれる一言がやってきます

「そんな事くらいで他人相談するし、仕事もできないし、あんたなんて生きてる価値ないんじゃない?」

『ボクはこの会社必要とされてない役立たずなんだ。』

『もうこの会社に居たくない。』

そんな気持ちがボクの心のすべてを満たしていきました。

家族にも相談し、近所の心療内科のドアを叩きました。

でもそれは、自分兆候(症状)を相談解決してもらう為じゃなく、会社に行かなくてよくなるように「診断書」を書いてもらうためでした。

そう。ハサミの使い方を忘れてしまったボクは、もう一度ハサミを使えるなるようになることよりも、いまの現状(会社から逃げ出したかったんです。

もう一度ハサミを使えるようになりたいなんて気持ちはこれっぽっちもありませんでした。

■ハサミの使い方を思い出した今のボク。

最初に今のボクの生活をご報告します。

1年2ヶ月という長い休職期間を経て、この度元の会社復職いたしました。

精神的にも安定しています。まだまだ薬は飲み続けています・・・

でも、逆に薬さえ飲んでいれば普通に生活できるわけで、何てことはありません。

今だから思うこと・・・

うつ病になる前の自分生活には、絶対戻りたくないと思っています

あんなに仕事人間だったボクが、会社と上手く距離をおいて物事を考えています

趣味カメラを持って出歩いたりしています

今でも人混みは苦手です。

でも、そんな所に行かなくても生きていけるので不自由はありません。

そう。

今までのボクは会社100%依存していたんです。

特に趣味もなく、会社評価されること・会社仕事をこなすことだけが、ボクの生きがいであり、ボクの存在必要としてくれる居場所だったんです。

そりゃぁ、その会社からあんたなんて必要ない。」って言われれば、自分の居場所が無くなるんだからうつ病にもなりますよ。

今のボクは、趣味であったり、美味しい食事であったり、大好きな自然だったり、友達だったり、ブログだったり、いろんなところに居場所があります

から会社で辛いことがあろうが平気です。

逆に今の会社で無くてもいいやってくらいに思ってます

不思議と楽なんです。会社以外に帰れる居場所があるから

ライフワークって言葉があります

今までのボクは仕事ライフワークにしていました。

今のボクは仕事会社を「ライスワーク」と考えています

御飯食べるための仕事。要するに飯の種って事です。

それくらいに割り切ったお付き合いを会社人間関係に置いてみると、多少嫌なことも我慢できるのかもしれません。上司にガミガミ言われても、新しいカメラレンズを買うためなら・・・って。

では、ボクがここまで変わることが出来た経緯をご紹介します。

休職できた。

休職」ってボクの中では重病(骨折とか入院とか)の方しかできないと思っていました。

よく勘違いする人が多いのですが「うつ病心の風邪」って言う人がいます

うちの会社の総務の人も「うつ病心の風邪からちょっと休めば治りますよ。」なんて、気休めを言ってくれました。

ボク自身がまずは「うつ病は脳の病気」だと意識を変えました。

しかも外傷も見当たらない「脳の重病」だと。

だって、食欲もない・眠れない・何もする気が起きない・・・これって心(気持ち)でどうにかなるものでしょうか?

「心」なんて自分の体のどの臓器かもわからないのに、「心の病気」とか「心の風邪」って言われることが本当に怖かったんです。

だって自分じゃ治しようも無いわけですから

心療内科先生カウンセリング先生からうつ病は脳の病気です。」って聞いて、本当に安心しました。自分おかしなっちゃったのは「心(気持ち)」がおかしくなったんじゃなくて、脳がちょっと壊れちゃったんだなと。

しかも、ちゃんと薬があるのであれば、怖くもなんともない。何となく「心の病気」って言われると、自分自身おかしくなったように思っちゃって怖かったんです。もう元に戻らないような気がして。

ボクは胸をはって休職することにしました。

当然の権利だと思いました。会社ストレスで脳に病気を持ったわけですから。だから休職することに何の抵抗もありませんし、恥ずかしくもありませんでした。

最初診断書で「3ヶ月の休職期間を必要とする。」と記載してあったので、会社からは3ヶ月の休職期間をいただきました。

3ヶ月で治るんだと思っていましたが、治りませんでした。

そして、会社休職期間の限度である「6ヶ月間」に休職期間を延長してもらいました。

多分、6ヶ月で治りますうつ病になる前の仕事人間自分には。

ちょうど休職期間が終わる6ヶ月後の頃、会社面談を行ないました。

その時の総務の方の対応に疑問を覚えました。

毎回「調子はどうですか?」と聞かれ、ボクは「たまに、メマイとかします。人の多いところとかだと。」と答えます事実、今でもそうですが・・・

それを「明確な復帰の意思、どこに復帰したいか意思表示がありません。」と言うふうに社長や他の取締役に報告していたようなのです。

人混みでメマイやパニック障害を起こしている状況で「はい!もう大丈夫です!元の取締役として働かせてください!」なんて言える人はいないと思います

そして、そもそも根本的な疑問を持ったんです。

「あれ?ボクはなんでうつ病になったんだろう・・・。」って。

この時、自分の持っているすべての感情会社にぶつけました。

だって会社うつ病にさせられた」と思ったから。

もう、休職期間も終り自然退職自己退社)になるんだから、言いたいことは全部言ってやれ!って気持ちでした。

休職期間に入るとき社長から伝言で「休職は認めるけど、戻ってきたら取締役解任ね。」って言葉を頂戴してました。

それ以外他にも例の人から言われたことの全てを総務の人に報告し、「パワハラではないか?」と詰め寄りました。

そもそも、総務の人は現場で何が起こっているのかを知りません。

レベルで「こんな事いわれたらしい。」と言うことは聞いていても、他の取締役本人の口から伝えなきゃわかってくれません。

から言いました。

スッキリしました。

本当に。

今までのストレスを全部吐き出したんです。

今思えば、抗うつ剤副作用だったのかもしれません。

抗うつ剤の服用者が暴れたり言動が荒くなったりってニュースを見たことがありました。

今思えば、この頃のボクはそんな状態だったのかもしれません。

でも、今のボクは当時のボクを責めたりはしません。

自己嫌悪もしていません。

薬の力を借りていたとしても、自分の気持を汚い言葉罵声であれ会社に伝えられた自分を褒めてあげたいと思っています

だって、それだけストレス溜まってたんですもん。たまったストレスを吐き出させてくださいよ・・・

今までいっぱい我慢してきたんだから

今思えば、休職してすぐにストレート会社気持ちをぶつければよかったなぁとも思います。でも、そんな気力も余裕もなかったんですよ。

自分の気持を整理して、相手の言うことを理解し、自分の気持と照らし合わせ、思いを伝える気力と余裕を持つまでに半年掛かったってことです。

その半年間のことは正直よく覚えていません。

ひたすら寝て、きちんと薬を飲み、食べられるものを食べる。

人間として何とか生きている感じ。

でもきっと、気力を貯めこむ期間として必要半年間だったんだと思います

おかげで気持ち会社へ伝わり、会社の規程が「病気場合での休職は1年間とする」と変更されました。

ただこれに素直に感謝できるまであと半年かかりました。当時は当たり前だろって位に思ってました。

今思えば、ここからが本当の「闘病生活」の始まりでした。

■本当に自分と向き合った半年間。

一気にストレスを吐き出したボクは、やっと何かを吸収する余裕ができました。

からアドバイス聞いたり、本を読んでみたり、ちょっと難しいテレビを見てみたり、Twitterを始めてみたり・・・

やっぱり自分気持ち(想い)が自分の中に溜まっていると、人から何を言われても「そうは言うけど、ボクはうつ病だし・・・。」みたいな感じで聞く耳を持てなかったりします。

想いを全て会社に吐き出して、やっと「何か」をしてみようという気持ちになれました。

この想いの吐き出し方や吐き出し先は人それぞれだと思います

ボクの場合は「会社のせいだ」と思ってしまっていたから、会社にぶつけたまでで。

まずは何故自分うつ病になったのかをきちんと主治医カウンセラー相談し、答えを見つけることが必要なのかもしれません。

余裕が出てきたところでやっと気付きます

「うちの会社うつ病でこれだけ長く苦しんでいるのは自分が初めてだ。」と。そして、相手を思う余裕も出てきます

「もしかしたら、会社の総務人事の人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?だから、ああ言う対応しかできなかった。」と。

そこで1つの結論自分の中で出ます

「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と。

簡単に言っちゃいましたが、「そりゃぁ、仕方ないよね。」って考え方は、ボクの中に初めて生まれた考え方でした。

仕事人間だったボクは「何にでも白黒付ける」事を求められ、必ず答えを出さなければいけなかった。「仕方ないよね。」とか「どうしようもないよね。」で片付けることなんて出来なかった。

全てにおいて私生活でも白黒付けて生きてきました。

「この世にはどうしようもないことがある。」

それに気付き納得できたことは、これからのボクの闘病生活を大きく左右する出来事でした。

会社人達社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?」から「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と思ったボクは、「うつ病」について知ってもらおうと思いました。

せっかくなので会社の人だけでなく、全国の人にも。

うつ病を楽しんでみる。

ボクは写真が好きでブログTwitterをやっていました。

まずはブログTwitterで「自分うつ病であること」「うつ病の人ってこんな人」ってことをセキララに語ってしまおうと思いました。

本名会社名を明かした上で。

当然、ブログで「ボクはうつ病です。こんな生活を送ってます。」なんて記事を書こうと思ったら、自分生活で「あれ?」と思ったことを記録しなきゃいけません。

・ あれ?ボクは何でこんな事してるんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事を考えたんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来ないんだろう。

・ あれ?ボクは何でこんな事が出来なくなったんだろう。

この4つを思いついたときメモするようになりました。

そうすると何だか自分自分のことが面白くなってきたんです。

例えば、ある日「冷蔵庫サランラップ仕舞っている」事がありました。

朝、冷蔵庫を開けたら冷蔵庫サランラップが入っていたんです。

・・・あれ?ボクはなんで冷蔵庫サランラップ入れたんだろう?って思いました。

それをうつ病のせいにしてブログに書いてみたんです。

サランラップ冷蔵庫に入っていました・・・うつ病って凄い。」って。

そうしたらいろんな人からコメントを貰いました。

「あー!私もよくあるから大丈夫だよ!」

「疲れてるだけだよ!」

「冷たいサランラップって気持よさそう!」

などなど。

あれ?と思いました。

自分の変な行動をみんなが面白がってくれてる。

ちょっとでも人を笑わせる事ができるってことは、凄いことなんじゃないか

急に目の前が明るくなった感じがしました。

それから毎日その繰り返しです。

そこであることに気付きました。

自分の中で「変な行動や変な考えを全てうつ病のせい」にするのって意外と楽だって事に。

だって病気がボクをそうさせてるだけで、ボク自身おかしいわけではないんじゃないか?きちんと病気と向き合って対処すればいいだけじゃないか

これに気づいたときに本当に楽になりました。

今まで無かった「目標」ができたんです。

そして、このメモ主治医カウンセラー相談するときにも役立つんです。

この発見は本当に大きな出来事でした。

それからのボクは、「うつ病を楽しむ」生活に切り替わりました。

うつ病が恥ずかしいなんて気持ちはいっさいありませんでした。

「ありがとう」って言われたくなる。

そんな日々を繰り返していると、Twitterメッセージを貰いました。

ブログを拝見しました。ご想像の通り、ボクも若干うつなのです。薬も服用しています。でも、まだ公表できていません。ブログを読んで気持ちが楽になりました。ありがとうございました。ただ、それがいいたくて。」

別に誰かを幸せにしたいとか何も考えずに書いているブログに、「気持ちが楽になりました」って言ってもらえるなんて思ってもいませんでした。本当に嬉しかった。

ボクにだってかに勇気を与えることができるんだ。

こんなボクに「ありがとう」って言ってくれる人がいるんだ。

本当に嬉しくて、夜中に涙を流しながら母親電話しました。

「生きてて良かった。」って泣きながら母親に話をしたことを今でも覚えています

それから他人から「ありがとう」って言われることをすれば、自分存在理由を見つけることができるのかもしれないと思うようになりました。

同時に、きちんと自分から「ありがとう」と言える人になりたいと思いました。例え、コンビニ店員さんであっても「ありがとう」って言うようになりました。外食したときお金を払って店を出る前に「ごちそうさまでした」って言って帰るようになりました。

しかすると、その事自体別に褒められることではないのかもしれません。

人間として当たり前のこと。

だとすると、なおさら「今までやってこなかった自分」を恥じるようになってきました。

そう「仕事人間で余裕が無く他人に『ありがとう』とも言えなかった自分」が恥ずかしくてしょうがなかったんです。

普段探してみると「ありがとう」って言う機会は思った以上に転がっています

それに気づかなかった過去自分おかしいんじゃないか?って思ったんです。

それが自信から確信に変わったときにハッキリと目が覚めました。

そして「うつ病になる以前の仕事人間自分になんて戻りたくない。」と。

自分に自信が無くなったときは。

はいえ、自分って何故こうなんだろうって、自信を無くす時はあります

そんな時ボクは、あまり褒められる事ではないのですが、見知らぬ誰かと自分を比べるということをしています

例えば、街でタバコポイ捨てしている人を見かけたら、「自分ポイ捨てしないなぁ。」って思えれば、その人よりも自分のほうが生きてる価値があるのかもしれません。

まりいい事ではありませんが、自信を持つことは出来ます

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