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はてなキーワード: 裸眼とは

2020-02-15

8年ぶりに目が見えるようになったので再起を誓いたい

夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。

8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分メガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるとき姿勢が悪かったのが原因かもしれない

ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。

しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまたこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。

そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネ割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。

ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。

そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格さらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。

それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代写真ほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラス友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分長所勉強しかないのが嫌だった。

から高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力視力回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。

そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色もっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスさら肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。

大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト大学1年の秋には学内自然孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである

今度はさら孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種パニック症である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間思い込みというのも一つの病だと思う。

そして2019年5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。

しかしそこで一つの衝撃的な事実がわかった。

オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである

オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである

中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単解決したのである

8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。

目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さら家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである

8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。

学生時代ほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。

カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。

ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはい人生を歩みたい。

2020-02-13

不潔な人って目が悪いんじゃないかと思った話

自分は生まれつき目が悪くて、コンタクトがないと目先1mの看板もよく見えないレベル

たまに裸眼でしばらく過ごして、

「部屋綺麗だしま掃除しないでいいか」「毛目立たないし剃らなくていいか」「これはアイロンかけなくてもいいか」とか

思うんだけど

コンタクトして改めて見るとびっくりする

部屋はホコリと髪だらけ、顔はヒゲもじゃ、服はシワだらけ

慌てて掃除して、顔剃って、アイロンかけるんだけど

これ一生弱視の人には、一生気づけない細かい部分があるんじゃないかと思った

マジかよみたいな不潔な人ってたまに見かけるけど、みんな見えてないだけなのかもしれない

イケメンとか美女じゃないけど、それ風に振舞ってる人も視力が弱いのかもしれない

自分裸眼だと鏡に玉木宏が写るし

コンタクトして鏡見ると調子乗らないように、ひっそり生きようと思える

視力人格への影響がでかい

2020-02-07

裸眼であったんだけど

トラブルに巻き込まれメガネ必須

わらいながら、ごめんなさいっている。

あいからすりゃ、その程度

しょうがない。

2020-02-03

炭治郎の「長男から耐えられた」問題

あれを差別だとか家父長制だとか言ってるの、最初ギャグだと思って笑ってたんだけどマジっぽくて戦慄した。

馬鹿馬鹿しいけど一応説明しておきたい。


炭治郎は基本的に控えめで優しい少年だが「俺は長男から」とか「俺は炭焼き小屋の息子なんで」とか言う時だけは自負心の見える得意顔になる。


あれはなんなのかって、山奥の人口少ない環境で育った何の変哲もない少年の精一杯の差異化、アイデンティティだよ。


家族の中では最年長の子供であり、町の中では炭焼き小屋の息子。狭い世界で生育した人間にはそれしかないじゃないか

鬼殺隊の剣士になってから常人より遥かに強いことや庶民と違って命張って戦ってることやにプライドを見いだしてもいいのに「長男から」を使い続けている、そういう一種ボケであり、純朴で世間ずれしない人格表現でしょう?

具体的な表現だって

「俺は長男から我慢できた」とか「俺は炭焼き小屋の息子なんで米炊き上手いんです」とかいずれもシリアスさのないギャグパート台詞だ。


それに炭治郎のアイデンティティはいつも自分に向かっていて、次男三男と知った相手を見下すとか女をバカにするとかそんな態度や価値観は見せてない。


長男から~」程度のユーモアシーンもその内容を読み取れずに差別だとかい人間実在するのは恐ろしい。


漫画も読めないほど国語力の低い人間として社会を生きるのは、視力で言ったら0.1切ってるのに裸眼でやっていくくらいの感じだと思う。当人もきっと苦しいのに障害自覚がないのだ。

2020-01-29

花粉症 目薬に苦しむ

裸眼だ。

目薬をいれるのはスギ花粉発症している期間だけになる。

(実際ほかにアレルギーがあるのだがスギだけ目に来る)

毎年この時期になるとアレルギー用の点眼薬を入れるのだが、

年2カ月か3カ月入れるかどうか。

10カ月くらいしなかったら人は目薬の入れ方を忘れる。

毎年最初のうちは目薬が目に入らない。

人に見てもらったら「目を閉じている」と言われた。

でも瞼を必死で指で押さえて入れているはずなのに。

10滴くらいでなんとか、それっぽいこととして無理やり納得するのだ。

もはやナイトスクープでやり方をレクチャーしてもらうしかないのではないかと考えはじめたころ、

すんなりと目薬が入るようになる。7割の確率で入れば十分だろう。

これを毎年繰り返す。

なにもいいことはない。自分に落胆するだけだ。

ただ花粉対策をすると日々その期間は免疫力に気を付けたり

鼻をケアしたり喉が鼻水と薬でやられたりするので、うがいをこまめにしたり、マスクを手放せなかったり

できるだけ外出を避けたり身体を労わる時間が長くなる。

すると、流行シーズンと被るのか20年くらいインフルエンザ感染していないのだ。

良いのか悪いのか、よく分からない。

とりあえずコロナはかかってない。

2020-01-22

anond:20200122191841

裸眼メガネ派ではあるけど

いのちが3つぐらいあったらいいのにね

2019-12-27

anond:20191226194850

わりとマジレスになるが、再利用できるほどきちんと洗浄できてるご家庭は少ないので、雑菌排除および口腔内病気予防の観点では使い捨てのほうが健康である

人間裸眼で視認できないものがあることを感謝しようではないか

2019-12-02

anond:20191202203653

スマホをヘッドディスプレイ差し込んで見るVRがあるが、あれはダメだ。

画像が粗すぎる。

スマホにもよるけど、あれでも画素密度に関してはアミューズメント施設用とかの極端に高い端末を除けば

VR専用機器のハイエンドと遜色ない見え方だよ。

よく「リアル!没入感がすごい!」と聞くが、少なくとも自分のやった上記VRでは、

スマホの画面が目の前にあることで、画面のピクセル画素の粗さが際立って、没入感は感じなかった。

なら永久に無理だからVRを楽しむのは諦めろ。

6dofになっても遊び方の幅が凄い広がるだけで見え方に革命が起きるわけではないし。

そして何より表題の件、あんな重たいものを頭にセットしている間は普及しないだろう。

あんものをつけないで、裸眼VRが見られる時代が真の普及の幕開けだ。

これに関しては慣れの問題しかないと思う。

10年前、スマホがどれだけ野暮ったく普及しそうにないものだったことか。

しかし普及してしまえはそれが普通になる。

2019-11-25

上条春菜が抱えてしまった倒錯について

上条春菜眼鏡は切っても切り離せない存在である彼女はかつて視力が下がったとき眼鏡をかけることで世界は明るくクリアものだと再認識する体験をした。眼鏡に救われた彼女は、眼鏡が持つマイナスイメージを変えるためアイドル事務所の門を叩き、アイドル活動を始めた。現在彼女の野望は、視力など関係なく誰もが眼鏡をかける社会である。実際に彼女は至るところで眼鏡プレゼンテーションしているし、それは時に普段コンタクトをしているアイドルにも及んでいる。

でもちょっと待ってほしい。それって、目的のための手段として正しいのだろうか。

眼鏡マイナスイメージ払拭する」ことだけが完全に達成されたとしたなら、訪れる結果は「誰もが眼鏡をかけてもいいし、かけなくてもいい」(眼鏡フリーと呼ぶことにする)社会である。つまり彼女の望みは「眼鏡マイナスイメージ払拭する」を通り越し「眼鏡は素晴らしいものだと広める」に及んでしまっている。それは眼鏡は野暮ったい、ダサい裸眼主義)、という価値観を、眼鏡は素晴らしい(眼鏡主義)、という価値観で上書きする、ということだ。

だが、眼鏡主義裸眼主義は、ひとつ価値観強要しているという点で同じである上条春菜は現状に眼鏡フリーをもたらすつもりで、眼鏡主義を持ち込もうとしてしまっているのだ。もはや「眼鏡はイケてない」と言う人と何も変わらない。

彼女はまだ18歳である自分の行動の意味に気づかないまま突き進むのは仕方のないことだし、その一途さは彼女の強みでもあるから、それは上条春菜の落ち度ではない。だが、どんな個性でも許容されるシンデレラガールズという世界で、彼女が抱える問題を指摘してくれる人はいない。

かくして上条春菜はひたすらに眼鏡を広めようとする存在になってしまった。それは上条春菜というキャラクターの舵をこの方向に切ってしまった運営責任である

だがまだ間に合う。彼女自身が気づいて、方向転換すればいい。掛けたい人は掛ける、掛けない人は掛けない。気分に合わせて、時には別の手段を使い分ける。眼鏡至上主義とは違う、真の眼鏡フリーを目指すのだ。その中には四六時中眼鏡を掛けるという選択肢だってあるのだから彼女アイデンティティが無くなることもない。

彼女にとって大きな転換点になるはずだ。上条春菜次の一手として、どうですか運営さん。

まぁでも、上条春菜というキャラクター自体眼鏡主義象徴みたいな面を持ってしまっているから、今更は無理なのかな。上条春菜が「眼鏡を掛けなくてもいいんです」って言っただけで解釈違いで映画ヒトラーばりに怒り狂いそうな人、いるしな。

2019-11-24

anond:20191124232746

その辺で買えるやつだと養潤水使ってるよ

裸眼用だから昼間の点眼には使えないけどいい感じ!

2019-11-23

anond:20191123214108

ゲームばっかりするヤツはメガネが多いんだろうな

オレは本も読まねーし裸眼だぜ

2019-11-17

anond:20191117054955

近眼だけど全く見えないレベルにはならないからそれほど支障はなかったか

おれ両方合わせて0.4くらいだけどそれでも裸眼銭湯いけるし

2019-09-26

グレタさんはCO2が見えない

結論比喩やで。

色々言いたいことがあるとは思うけれど、まずは前後文脈も含めて読まなきゃダメよね。

から前後込みで訳してみたわ(原語およびドイツ語版より)。機械翻訳に頼っているので変なところがあったら指摘してちょうだい。

日:なぜならば、彼女は[私たちに見えない/私たちが見て欲しくない]ものを見ることができたからです。

ス:För hon såg det som vi andra inte wille se.

独:Weil sie das sieht, was wir anderen nicht sehen wollen.

グレタは私たち二酸化炭素裸眼で見ることができる、数少ない一人でした。

Greta tillhöde det lilla fåtal som kunde sera koldioxider med blotta ögat.

Greta gehört zu den wenigen, die unsere Kohlendioxide mit bloßem Auge erkennen können.

彼女私たち煙突から流れ出る温室効果ガスが空に立ち上り、風に乗り、大気を巨大な不可視ゴミ溜めへと作り替えていくのを見ることができました。

Hon såg hur väthusgaserna strömmade ut från våra skorstenar, svävade uppåt med vindarna och förvandlade atmosfären till en gigantisk osynlig soptipp.

Sie sieht, wie die Treibhausgase aus unseren Schornsteinen strömen, mit dem Wind in den Himmel steigen und die Atmosphäre in eine gigantische unsichtbare Müllhalde verwandeln.

彼女子供でした。私たち皇帝でした。

Hon var barnet, vi var kejsaren.

Sie ist das Kind, wir sind der Kaiser.

そして私たちはみんな裸でした。

Och vi var alla nakna.

Und wir sind alle nackt.


この文章元ネタはScener ur hjärtat (英題Scenes from the Heart,でも英訳版はまだない)という本よ。

ドイツにてFrankfurter Allgemeineという新聞社ドイツ語版の一部を抜粋して公開し、その中の一文だけを抜き出してグレタ氏の画像と共にツイートしたのが今回の件の発端。

これは主にドイツ語圏のツイッターなどで盛り上がっていたのだけれど、それがスイスNauベルギーHet Laatste NieuwsVRTNWSといったニュースサイトに飛び火。それがWUWTのような温暖化否定論者のブログに取り上げられたことで、英語圏にも拡散していったのね。

そして先日、ShareNewsJapanのグレタさんの母「娘は空気中の二酸化炭素を裸眼で見ることができる」という記事日本に到着。Frankfurter Allgemeineのツイート4月29日なので、5か月ほどかかったみたいね

ちなみに、この日本記事の元は文中にもあるようにAfrinik.comの“My daughter can see CO2 with the naked eye”という記事よ。

Het Laatste NieuwsやVRTNWSなんかは「文脈無視した切り取りじゃないか」といった批判を受け、マレーナ氏と出版社に問い合わせたところ双方から比喩やで」という返答をもらっており、翌日に記事を訂正しているわ。

これは日本記事元ネタたるAfrinik.comの記事にも反映されており、ShareNewsJapanがこれを無視しているのはちょっといただけないわね。

まあ機械翻訳って書いてあるし、実際に読んだわけじゃないのでしょうけれど。

ちなみにドイツベルギー(2019.09.27修正)のfactcheck.vlaanderenでも独自に問合せをしており、グレタの両親スヴァンテとマレーナ両氏から比喩やで」と回答されているわ。

結局、フェイクニュース(って言っていいのかしら?)が言語ロンダリングされながら5か月かけて日本にたどり着いたってのが今回のお話

残念ながら、一部の人たちは引っ掛かってしまったみたいだけれどね。

マレーナトゥーンベリ氏が「娘はCO2目視できる」と本気で信じているとは、文章から断定することはできないでしょうし(私としては比喩と思う)、実際に本人が否定している以上、この話はそこで終わりよね。

どうしてもグレタ氏の母(ひいてはグレタ氏本人)を「バカな考えを持っているヤベー奴」認定したいというのなら止めはしないけれど、それならもっとアプローチでやった方がまだしも分があると思うわよ。

それじゃあね!

追記

factcheck.vlaanderenオランダやで

あらヤダ!なんで私ドイツって書いちゃったのかしら。教えてくれてありがとうね。修正しとくわ。

裸眼二酸化炭素が見えるというネタ、元の新聞記事みたら日付は5月海外でも表現に対して好奇の目で炎上したやつだし、既に本人もFB釈明してた。

半年近く前のネタ引っ張ってきてネガキャンに使うのっていかにもって感じ。

沢木惣右衛門直保の悪口はやめろ!

裸眼で菌が見えることはストーリー上、あまり役に立っていないんだぞ。

「グレタは二酸化炭素裸眼で見ることができる」についての補足

が元記事に書いてあるので引用する。

https://www.afrinik.com/my-daughter-can-see-co2-with-the-naked-eye/

The publisher of the book in Sweden said: “I was shocked by the commotion in Germany, Belgium and now also in Italy”. “I can assure you that it is a metaphor; if you read the entire passage, end it with the tale of “The New Emperor’s Clothes” by Christian Anderson. So it is certainly not literal.” In a text message, the mother also says that it is only about imagery.

スウェーデンのその本の出版社は「私はドイツベルギー、そして今イタリアで起こっている騒動にショックを受けています」と言った。「私はそれが比喩であると断言できます。この一節全体を読むと、最後クリスチャンアンデルセンの『裸の王様』の物語で締めくくられています。それは文字通りの話でありません。」母親テキストメッセージで、それはイメージに関することだけだとも言っている。

本人のFacebookも。

https://www.facebook.com/gretathunbergsweden/posts/of-course-the-ongoing-hate-campaigns-never-rests-there-is-at-least-one-new-consp/823189474715541/

The latest - and perhaps most entertaining - spin is that ”I can see CO2 with my own eyes”.

This is of course a metaphor from a book taken out of it's context, taken from a German newspaper.

No one has said that I can literally see CO2… that is beyond stupid.

最も新しく、そしておそらく最も面白いフェイクニュースは「自分の目でCO2を見ることができる」ということです。

これはドイツ新聞引用したもので、もちろん文脈から切り取られた比喩です。

私が文字通りCO2を見ることができるとは誰も言っていません…それはあまり馬鹿げています

anond:20190926091916

でもお前らだって自身HP裸眼で見える(HPが減ってくると視界の端が赤くなってくる)じゃん。多分トンベリさんも似たようなもんなんだろ。

anond:20190925160357

グレタ母「娘は二酸化炭素裸眼で見える」って凄いな!!

2019-09-22

強度遠視の大人眼鏡作りってどうするのが正解なんだ

タイトルに関して知見が欲しいの半分、愚痴りたいの半分で書く。

アラサー。2〜3歳ごろから眼鏡かけて生活している。

母子手帳には遠視・斜視乱視と書いてあった。

斜視はかなり改善してるけど片目は未だに弱視。もう片方も裸眼で遠くは見えるけど本の活字がほぼ読めないか眼鏡必須

ここ1年くらいで視力が落ちてきて目に力を入れないと手元が見づらくなったので久々に眼科に行った。

初診で散瞳剤を点眼し検査をしたがうまくいかなかったと言われ、後日サイプレジンという目薬を使って再検査をした。

長丁場の検査後「左右2段階ずつ度数をあげますね」と言われ、処方箋を手渡された。そのまま眼鏡屋に直行眼鏡を購入した。

数日後完成した眼鏡を受け取りに行き、掛け替えて店を出て少し経ったあたりで頭痛吐き気じわじわ感じ始めた。

遠近感も妙で夢の中を歩いているような違和感がある。手元のスマートフォン文字もぼやけるし、駅の電光掲示板は滲んで見えづらい。

初めて眼鏡を買い換えてこういった感覚におそわれたが、じきに慣れるだろうと思い様子を見ることにした。

翌朝になっても何も改善せず、昼過ぎおかしいと思い処方箋見直した。

見える方の度数が3段階、弱視の方の度数が1段階上がっていた。

すぐ以前の眼鏡に掛け替えたところ1〜2時間で体調も良くなった。

眼科に逆ではないか電話すると「おそらくそうだと思うが診ないとわからないので来てくれ」と言われた。

そして昨日眼科に行ってきた。

「前回対応をした者に対応させる」と言われたので「不安なので別の方に対応していただけるとありがたい」と伝えた。

点眼をせずに視力検査をし、診察室に呼ばれた。

検査結果通りに処方したがどうやら合わなかったようだ」と言われたので「2段階あげると言われたのにそうなっていないうえ、かけても視力が出ないのはおかしいし逆ではないのか」と言ったら、医師パソコンデータか何かを見ながら「確かに逆だ」とかそんなことを小さく呟いた。

改めて正しい処方箋が欲しい旨を伝えたが「遠視の目は測定が難しいので来月専門家(なんたら士?と言っていた)が来た時に再検査したい」と言われた。すぐに眼鏡を買い換えたいと伝えたがしばらく前の眼鏡生活してくれと言われた。

病院から指定された日は仕事を休まないと来院できないと伝えたがじゃあそうして欲しいと言われ少しイラッとした

腑に落ちない部分はあったが来月の予約をさせられ診察を切り上げられた。

受付で800円程取られて「処方箋が間違っててもお金を払わないといけないんですね」といらない嫌味を行ってしまった。

言い訳すると月のもので体調が非常に悪い上に朝1で受診するため寝不足気味の状態で来院したため精神的な余裕を欠いていた。

もう1度診察室に行ってくれと言われたが、いらないことを言ってしま申し訳ないしごねたり金を返せと言うつもりはないので会計してくれと返した。

暗所で看護婦数人と医師に囲まれるのは正直嫌だったが強引に診察室に連れていかれた。

医師から「あの処方箋は誤りではない」「こちらは正しい処方をしたが合わなかっただけ」と言われた。

もうさっさと家に帰って寝たかったので「誤りでないというのは納得できないが揉めるのは本意ではないし誤っていたからといってタダにしろとかごねる意図はない。先程の発言やつあたりということにしてほしい。申し訳ない」と言った。

何言ってるんだこいつみたいな顔をされてなんとなく話が終わったので受付に失礼な態度をとったことを謝って病院を出た。

3度も通って眼鏡代より高い金を払ってこの状況はなんなんだと思ったので、そのまま眼鏡屋に行って処方箋なしでレンズ度数を変更できないか相談した。

本来処方箋がないと変更できないので駄目元だったがその場で検眼してレンズを変更してもらえることになった。

病院のいうとおり遠視に合う眼鏡を調べるのは難しいと前置きされた上で、左右均等に1段階か2段階度をあげるのが丁度いいだろうとのことだった。

何度か比べた上で2段階度数を上げるよう頼んで眼鏡屋を出た。

昼前に帰宅してそのまま倒れるように床で寝て夜に起き今に至る。

週明けに病院電話して予約は取り消そうと思う。

他の遠視の人もこういう面倒な工程や出費を経ているんだろうかと思って似たような境遇の人がいないか軽く検索したが大半が子供のうちに治るらしいと知って心が折れそうになってる。

ケントデリカットの一発芸を飲み会披露してウケるのはメリットだと思う。

2019-09-13

追記あり】野外で合法的全裸になりたかったので、オーストリア混浴してきた

【初めに】

 コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である

【本文】

 服を着るのが苦手だ。できることなら裸で生活したい。

 ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。

 そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。

 だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分全裸特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。

 目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。

 とはいえ、男女混浴可能場所国内でも限られている。ましてや、近年は混浴マナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしま地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴誕生した時代とは、私たち羞恥心感覚も変わってしまった。

 そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。

 もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂人間ではない。

 私は建築美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムトシーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである

 日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである

 駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄香りがしている。そうしたところは我が国温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。

 ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。

 ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。

 まずは、せっかくなので水着エリア温泉を楽しむ。とはいえ水着エリア温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である

 これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリー温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。

 他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップル夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールほとんど温まらない。日本温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。

 そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イストサウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。

 なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。

 サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである

 サウナ入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。

 二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやり天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。

 ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナ読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。

 しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本温泉露天風呂がメインで、サウナ複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプサウナがあり、存分に楽しめた。

 たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかからなくなってしまうのだが。

 ちなみにこの眼鏡裸眼で転ばないように、日本サウナ用の眼鏡をわざわざ購入したものである

【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである

 そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルサウナの人々に熱風を浴びせるのである

 それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。

 そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞活用無茶苦茶ドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルトカルト」(寒い寒い)などというものから、思わずその場は笑いに包まれた。

 私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。

 その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰から干渉されない時間だけそこにあった。

 それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。

 人間身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたもの普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。

 そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】

 さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。

 その一、スポーツマンタイプものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアローマ彫刻そっくりであるスポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。

 その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。

 その三、老夫婦。なんというか日本混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。

 その四、比較若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。

 ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。

 で、こうして振り返ってみると、比較若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。

 混浴について、猥褻だとか下品だとかい意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂サウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそも風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから勝手判断差し控えるが。

 というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。

 それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉気持ちいいのでどうでもよい。

 そういうわけで、私はオーストリア混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナー一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。

 プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。

 個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。

 もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。

 ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。

 皆様の快適な全裸ライフの参考になれば幸いである。

 最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。

最後に】

 本記事カクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。

【付記】

 ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?

2019-09-03

ビルコン某セッション炎上への一女性エンジニアぼやき

下記ブログに感銘を受けたので、噂のセッションを聞いていた女性エンジニアの一人として、乱雑になるかもしれないですが意見を書かせてください。

https://anond.hatelabo.jp/20190902021257

まず、8/29当日の話をしようと思います最初から最後まで前夜祭にいた私はセッションに散々笑ったり、内心ツッコミを入れたりしつつ、大満足で帰宅しました。

残念ながら婚活アプリにもマッチングアプリにも興味がないので、CROSS MEが何かは知らなかったのですが、『黒髪メガネ女子マッチング』辺りで内容は普通に想像できていましたし、概ねその通りの内容でした。

概ね、と言ったのはCROSS MEの「近くにいた人と出会える」という仕組みについて、ふうん、登録した人がただひたすら延々と出てくる感じじゃないんだー、と感心しつつ、想像していたマッチングの仕組みを脳内修正たからです。

この時点で大した反感も持たず、普通にセッション満喫していたことがわかってもらえるのではないかと思います

また、仕事の都合で来ることができなかった友人に前夜祭の各セッションについて実況のようなものを送りつけていましたが、彼女普通にすべて面白がり、笑い転げているスタンプを大量に送り返して来ていました。

翌日、TLに何か不穏な雰囲気が漂っていました。

何事かと思って経緯を確認して、最初に私が抱いた感想はこうです。

「何勝手主語を大きくして人のこと哀れんでくれてるんです???

だってビックリするしかありません。

チケット自分で購入して、仕事の都合を付けてウキウキ参加しようとしているイベント

前夜祭もとても面白かったし、明日明後日も楽しみだな〜(*´ω`*)と思って、寝て、起きたら、男女の人数比が偏った場で女性ゆえの苦労をしている不遇の女性エンジニア進化していたんです。もうわけがからない。

感受性の高い方がセッションを聞いた結果、女性エンジニアの不遇(?)を思い出したり思いを馳せたりして号泣し、辛くなったのでブログに書いて想いを昇華しようとしたわけですが、それは何も問題ありません。何せ、それはただの個人の感想であり感情です。人の感想制限する資格も、感情制限する資格も、誰も持っていません。

それが、本当に全くこれっぽっちもなんでそんなことになったのかわからないのですが、セッション自体の"正しさ"だの、"ジェンダー問題"だのの議論に波及しました。

しかも、イベントに参加したら人事や営業に間違えられた、だの、マウント取られた、だの、関係のない話まで浮上していたわけです。やっぱりわけがからない。それ、何か関係あります

引っかかることがいくつかあるので、一つずつ取り上げさせてもらいます

もっとスマート反論できればいいのですが、そもそも論点が切り分けされず、いつまでもセッションエンジニア業界の男女比と男女差別問題運営方針etc……がごちゃごちゃとしているので仕方ありません。

1. マッチングアプリテーマしたことがだめだったのか?

マッチングアプリは男女の人数比がある中で発表に取り上げられることが憚られるような、男女差別に繋がるようなものでしょうか?

もちろんそんなことはありません。マッチングアプリ男性女性を探すことができますが、逆に女性男性を探すことも可能です。

男性しか女性スキップすることができないのか? いいえ、女性も同様に男性スキップすることができます

アプリ上での登録項目もUI性別による差はないでしょう。

マッチングアプリ性差別助長するものではありません。むしろ、昔の恋愛観を考えると、女性から能動的に恋人候補を探すことができる仕組みを生み出したことである意味恋愛における男女平等を進めた、と言えるかもしれません。

そもそもマッチングアプリを取り上げた背景としては、登壇者が(少なくとも)3年ほど彼女ができないエンジニアコミュ彼女を作ろうと頑張っており、その過程マッチングアプリヘビーユーザーになってもいたからです。

馴染みのあるもの主題に取り上げるのは当然かな、と思います

2.黒髪メガネがいけなかったのか?

逆に、黒髪メガネに何かありますか?

それがなんらかのアイコンになるのでしょうか?

それは性差別に結びつくようなアイコンですか?

そういう考えがあるとすればあらゆる黒髪メガネ女性に対して失礼なので認識を正した方がいいでしょう。

黒髪だろうが茶髪だろうが青メッシュだろうが、眼鏡だろうが、サングラスだろうが、裸眼だろうが、そんなものは数ある属性のうちの一つです。それ以上でもそれ以下でもありません。

また、黒髪メガネという属性を持っていることは、美醜の問題とは無関係です。

これが「美人マッチングする方法」とか「タイプじゃない女子マッチングしない方法」とかであれば、明確に誰かを傷つけるものとして不快に感じたかもしれません。

それこそ技術無駄遣いですが、バストアップ画像から胸のサイズ予測して女性を選ぶ、といったセクシャルな内容であればドン引きしたし、率直に言って最悪なセッションだと登壇者にフィードバックしたでしょう。

しかし、黒髪メガネはそういった類のものではありませんでした。

また、データに関して言えば、顔認識で拾える情報なんて微々たるもので、その中から髪色とメガネ有無という特徴を選んだことになんら疑問はありません。

3.感想投稿した人がいけなかったのか?

そんなことはありません。

感想を言うこと、発表に対して良い感情を持つことも悪い感情を持つことも自由です。

そもそもご本人もセッション自体についての是非を問うものではない、という風に書かれていたかと思います

あえて問題があるとすれば、その投稿に目をつけて拡散する人が現れ、ビルコン参加者に限らず、ビルコンになんら関係のない、その場でセッションを聞いてすらいないにも関わらずセッションなどに対して非難の声を上げる人が出始めたことです。

4.勉強会で人事と間違えられた

恐らく間違えられた人はむっとしたのでしょう。悲しいと思った人もいたのかもしれません。

しかしそれは女性差別的な視点でしょうか?

例えば、ひと目で女性エンジニアだと外見から判断することはとても難しいと思います私自身、普段服装を考えてみても、特に人事や総務の方と一線を画するようなものは着ていないと思います。客先に行く機会も多いので、カッチリ目の服を着ている関係もあってか、営業に間違えられることは少なくありません。

しかし、それが問題だと思ったことはありません。

服で判断はつかず、勉強会であってもスポンサー企業広報の方なんかが訪れる可能性がゼロでない以上、目の前の女性が何者であるかなんて聞いてみないとわかりません。というか、女性である私にも見分けなんて付きませんし、間違えたこともあります。ごめんなさい。

それとも、勉強会技術イベントにいる女性に対しては常にエンジニアだと思って接するべきだ、という話でしょうか? それは些か乱暴ではないでしょうか。まさかとは思いますが自分が間違えられたくないから、エンジニア活動場所に入ってきた人事(マイノリティ)の方が間違えられればいい、それが当然だ、というのであればとても怖い話だと思います

また、例えば私の見た目上のエンジニア判断基準は、「このままじゃ絶対客先に行けそうにない服装」というのが一つの基準ですが(笑)、ひと目でエンジニアとわかってほしいですか? 本当に?

業界の男女比の話に絡めると、女性エンジニア現場一定数いる職場って案外少ないのではないかと思います。(少なくとも私は現在含め、女性エンジニア一人の職場ばかり経験しています

とすると、「知っている女性エンジニア服装」と一致しなかった場合職種誤判定するのは仕方ないと思いませんか? 今ビルコンでもいくつかのセッションで取り上げられていたAIと同じで、一定量の学習データがなければ人間も正しい見分け方が身に付くはずがありません。

5.勉強会マウンティングされた

これは……うーん……。正直、(相手性別年齢に限らず)マウンティングされても全く気づいていなかったということが多い(後で他の人から大丈夫だった? とか言われて初めて気付く)私には何も言えません。

ただ、体感として、上から目線ものを言いたがる人は自分より若いと見れば言うし、自分の得意分野である特定ジャンルに話が及べば言うし、相手知識レベルなど気にせずに言うイメージがあります。また、エンジニアの中には(全然そんな気がないのに)威圧的な言い方になってしまう単なる口下手がいれば、説明が過剰になりがちな説明下手もいます

それが本当に"女性から"マウンティングしてきたのかは私にはわかりません。

6.このセッションは悪なのか?差別倫理品位問題なのか?

それを考えるには、非常に慎重になる必要があります

少なくとも議論が十分になされていない状態で、差別倫理品位といった単語を出して非難することは望ましくありません。

言うまでもなく、差別は悪いことであり、倫理品位人間として大切にすべき重要な要素です。だからこそ、非難する人が「差別を嫌う人、倫理観を持ち合わせている人、品位のある人はこれを問題にするのは当然だ」というスタンスに立ってしまうと、反論ができなく、あるいは少なくともしづらくなるなります。また、非難する側は反論に対する切り返しが非常に楽という一面もあります

反論することで差別主義者扱いされるかもしれないし、倫理品位に欠ける人間扱いされるかもしれないのです。それを覚悟して反論したとしても、非難する側はいくつかの魔法呪文を唱えることでそれ以上の反論を封じることができます

「なんて冷たい人なんだ」

自分さえ良ければいいのか」

「傷ついてる人のことはどうでもいいのか」

正常な議論になんてなるはずがありません。

正義の彼らからすると、このセッションに疑問を抱かなかった人、セッション普通に楽しんだ人は良識とか倫理観とか品位に欠けてるということになるかもしれません。私も女性なのに女性差別主義者なのでしょう。

最後

論点がとっ散らかっているのが良くないのですが、そもそもセッションに対して正しい・正しくないという視点で論じること自体が誤りだと思います。好ましい・好ましくないという個人意見であれば好きに言えばいいし、活発に議論しようと構いません。

しかし、正しさを主軸とした場合、先に相手が悪だと言った方が勝ちかねないのです。言ったもの勝ち、非難したもの勝ちの世界です。

そうなったら表現の場としておしまいです。当たり障りのない、お上品な、冒険心のない、発見もないセッションビルコンを占めるでしょう。誰か声の大きい一人に目をつけられただけで自分の発表が悪にされる。そんな怖い舞台に誰がユニークものを抱えて上がりたいと思うでしょうか? 安全を取るなら誰もがうんうんと頷くだけで終わる内容に留めておくのが1番だと思いはしないでしょうか?

おめでとうございますちょっと尖った発表を見られたかもしれないビルコンの終焉です。

……もちろんそんな風にはなってほしくありません。

ダイバーシティと絡めての意見散見されましたが、ダイバーシティとは単なる正義の味方ではないと考えていますセッションに対して嫌な気持ちになった人もセッションを楽しんだ人もどちらも区別なく受け入れられるのが、理想ダイバーシティではありませんか?(犯罪などが絡んでいたら別ですが)

もう一度繰り返しますが、今回のセッション面白かったし、女性エンジニアとして問題に思うことは何もありませんでした。

どのセッションも「日本最高峰技術無駄遣い」の名に恥じない、最高にくだらなくて、発想力に笑うしかない、すばらしいものでした。

運営の皆さん、ありがとうございました。

また来年もこういう笑えるセッションが見たいと思います

2019-08-17

かっこいいサングラス🕶買ったけど

サングラスかける時だけコンタクトレンズつけるのめんどくさいから、

サングラスかけられなくていつものメガネをかけている

サングラスに度を入れれば良いじゃんと思うかもしれないけど、

室内でサングラス外すと裸眼になってしまうから

やっぱりコンタクトレンズつけてサングラスかけるのがベストだが、

そうするとコンタクトレンズつけるのがめんどくさくていつものメガネ👓かけちゃう

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