「神学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 神学とは

2022-07-21

anond:20220721111925

ジェンダ神学、ジェンダ法学、ジェンダ文学の最新の研究成果を真摯に受け止めて、性欲は汚い物•恥ずべき物と徹底的に教え込むのが正解に思うけど…。

暴力事件ニュース動画新聞記事の切り抜きを保存しておいて、お前がやろうとしているのはこういうことだよと実例つきで教育すれば少しはましになるかも。

2022-07-14

anond:20220714082725

ゲイ増田神学も語れたのか

ごめん差別するつもり全く無いんだけどゲイ神学個人的にまったく繋がって無くてスマンまじで謝っておく

2022-07-13

こないだの人か。

https://anond.hatelabo.jp/20220702070421

庶民の「雑」な意見理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?

もちろん正しさなんてものは、人間である以上は、一義的に決められないが、

今の日本民主主義国家なので、「民主主義視点からの正しさ」はあると思うよ。

「それに反発する人間意見も封じ込めない」、ってのも民主主義だし。

間違いと思ったらお互いにいいあえるから平等じゃん。

「言い切る」ってことは独裁主義ってことになる。日本ではそんな状況ないと思うけど・・・

2022-07-12

■全員が「正しさを理解している」国って怖くないか

なんというか、具体例を挙げると

(左:一般大衆、右:専門家哲学者、〇〇キチ)

なにか八百長くさい・わざとらしいやり取りや行為を「プロレス」と呼ぶ → プロレスはそんな物じゃない!プロレスとはリングの上の神聖なうんぬんかんぬん

なにかふわふわした良く分からん文章表現を「ポエム」と呼ぶ → 詩を馬鹿にするな!ポエム蔑称で使うやつは教育を受けてないうんぬんかんぬん

こんなことはまあ良くある事だと思うしTwitterとかでも度々バズったりしてるが

もっと深刻なことでいうと

ある絵や映画とかを見て単純な感想をいう(あるいは性描写を単純に受け取る) → 日本美術教育実践的になっておらず無責任大衆大量生産しうんぬんかんぬん

不毛な議論を「宗教」「神学論争」と呼ぶ → 神学はれっきとした哲学の一分野でありその様な用法で使われることは日本の文化環境頽廃うんぬんかんぬん

なにかの独裁的な様子を「北朝鮮」みたいと言う → 諸外国を引き合いに出すのは差別日本なら日本の歴史で例えろうんぬんかんぬん

なにかの出来事に対して「どっちもどっち」「相対主義」をとる → 相対主義日本の悪癖で、ガンダムひろゆきの見過ぎの悪影響でうんぬんかんぬん

みたいな、用語その物への「雑」さによる、無数の人々の対立って常にあるわけだよな。

言葉狩りには至ってないが、用法が普及しきってしまっていて修正できない事への専門家のいら立ちとでもいうか。

相対主義漫画アニメで「理解」することとかはもっと深い問題だとは思うが。

でも実際、大勢人間が「なんかこの絵よくわかんねーけどおもしれー、うわーおっぱいだー」「相対主義ってのは、そういうもんだろー」「神学論争うぜー宗教くせー、もっと現場こいや」みたいな理解をして、そして毎年そんな人間再生産されている以上、

「雑」とされる感性ってどこまで雑なのか、それこそ大衆理解がなんで間違ってるって言えるのかということになるよな。

もちろん用語の使い方が差別的だステレオタイプ的だとか個別問題にあるにせよ。

東大慶応早稲田の偉い先生よりも、アニメ制作自身がどう考えてるかは別)や、ひろゆきが影響を与えているとして、

この国が資本主義自由主義であり何を選んだり消費するかの自由がある以上、庶民の「雑」な意見理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?

相対主義ってそんなに悪か?相対主義が原因の直接的暴力ってものがあるなら悪いと思うけど、無いなら、まあ最低基準かなみたいにしか思えない。

相対主義のせいで人々が社会正義に参画せずー」みたいなことをいうなら、別に他にもいろいろもっと強力な参画しない理由がある訳だし。

というか全員が全員「相対主義の悪を理解してる」「正しい芸術見方を知っている」国(義務教育でそう詰め込まれる国?)があるとしたらそれはそれで怖くないか

anond:20220712175830

2022-07-12

全員が「正しさを理解している」国って怖くないか

なんというか、具体例を挙げると

(左:一般大衆、右:専門家哲学者、〇〇キチ)

なにか八百長くさい・わざとらしいやり取りや行為を「プロレス」と呼ぶ → プロレスはそんな物じゃない!プロレスとはリングの上の神聖なうんぬんかんぬん

なにかふわふわした良く分からん文章表現を「ポエム」と呼ぶ → 詩を馬鹿にするな!ポエム蔑称で使うやつは教育を受けてないうんぬんかんぬん

こんなことはまあ良くある事だと思うしTwitterとかでも度々バズったりしてるが

もっと深刻なことでいうと

ある絵や映画とかを見て単純な感想をいう(あるいは性描写を単純に受け取る) → 日本美術教育実践的になっておらず無責任大衆大量生産しうんぬんかんぬん

不毛な議論を「宗教」「神学論争」と呼ぶ → 神学はれっきとした哲学の一分野でありその様な用法で使われることは日本の文化環境頽廃うんぬんかんぬん

なにかの独裁的な様子を「北朝鮮」みたいと言う → 諸外国を引き合いに出すのは差別日本なら日本の歴史で例えろうんぬんかんぬん

なにかの出来事に対して「どっちもどっち」「相対主義」をとる → 相対主義日本の悪癖で、ガンダムひろゆきの見過ぎの悪影響でうんぬんかんぬん

みたいな、用語その物への「雑」さによる、無数の人々の対立って常にあるわけだよな。

言葉狩りには至ってないが、用法が普及しきってしまっていて修正できない事への専門家のいら立ちとでもいうか。

相対主義漫画アニメで「理解」することとかはもっと深い問題だとは思うが。

でも実際、大勢人間が「なんかこの絵よくわかんねーけどおもしれー、うわーおっぱいだー」「相対主義ってのは、そういうもんだろー」「神学論争うぜー宗教くせー、もっと現場こいや」みたいな理解をして、そして毎年そんな人間再生産されている以上、

「雑」とされる感性ってどこまで雑なのか、それこそ大衆理解がなんで間違ってるって言えるのかということになるよな。

もちろん用語の使い方が差別的だステレオタイプ的だとか個別問題にあるにせよ。

東大慶応早稲田の偉い先生よりも、アニメ制作自身がどう考えてるかは別)や、ひろゆきが影響を与えているとして、

この国が資本主義自由主義であり何を選んだり消費するかの自由がある以上、庶民の「雑」な意見理解を、「間違い」って言い切る事は出来るのだろうか?

相対主義ってそんなに悪か?相対主義が原因の直接的暴力ってものがあるなら悪いと思うけど、無いなら、まあ最低基準かなみたいにしか思えない。

相対主義のせいで人々が社会正義に参画せずー」みたいなことをいうなら、別に他にもいろいろもっと強力な参画しない理由がある訳だし。

というか全員が全員「相対主義の悪を理解してる」「正しい芸術見方を知っている」国(義務教育でそう詰め込まれる国?)があるとしたらそれはそれで怖くないか

2022-07-10

anond:20220710005437

正直知らなかったのでWikipediaちょっと読んできた

引用元 マニ教

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E6%95%99

ゾロアスター教キリスト教仏教などの流れを汲み、経典宗教の特徴をもつ。かつては北アフリカイベリア半島から中国にかけてユーラシア大陸一帯で広く信仰された世界宗教であった。

マニ教の教団は伝道先でキリスト教仏教を名のることで巧みに教線を伸ばした。これについては、マニの生まれ育ったバビロニアのヘレニズム的環境も大きく影響している。この地では多様な民族言語・慣習・文化共存し、他者思想信条や慣習には極力立ち入らない環境で、そうした折衷主義は格別珍しいことではなかった。

マニ教ゾロアスター教母体ユダヤ教預言者概念を取り入れ、ザラスシュトラ釈迦イエス預言者の後継と解釈。マニ自身も自らを天使から啓示を受けた最後預言者(「預言者の印璽」)と位置づけた

色んな宗教を名乗り色んな地域文化習合して開祖預言者を名乗るって統一教会っぽさがあって完璧な返しだなこれ

統一教会へ対してこれを即座に返せるのは素人には無理だろうしマジで神学やってた増田か?

2022-06-29

anond:20220629094548

そりゃ神学を信じている人にとっては「神がいるかどうか」はとっくに結論が出ている手垢のついた学問ですけれども

2022-05-13

anond:20220513101606

フツーに生活保護を頼ってどうぞ

我が身かわいいから名前IDが出るところでは、

『ひとりの人間がした選択を頭ごなしに否定するのはおかしい。セックス産業の人にリスペクトを』っていうが

本音では微塵も思ってねーぞ

増田でも彼女らと同じメンタル・知能レベルの人や夜職っぽい人見るけど

成人していても成年者として扱うのは倫理的問題がある判断能力問題のある人たちですよ(保護者必要)

 

もちろん自分自身性的魅力を使って性カルチャーで頂点を目指そう・大金を稼いで野望を成し遂げようって野心家もゼロではないけど

(政治家になったり、世界的なアーティストになったり、医者になったり、不動産会社社長になったり、

神学学位をとって神学の分野で活躍してたり、セックス産業で働く人たちのアウトリーチ活動してたりって人もいる)

大多数が何も考えずやっちゃうんだ。それこそとりあえず事務員でもやるみたいなノリで

 

あいう人らに支援活動している人たちには頭が下がるなって思う

言っちゃ悪いが誰よりも彼女らがちょっとおつむに問題がある事を理解してるはずだけど

同じ人間として尊重してそういうこと言わないからな

ワイくんと人間の出来が違うわ

2022-04-28

遣欧少年使節大河やれよ

遣欧少年使節メンバー


伊東マンショ

福岡司祭をやっていたが宗教弾圧長崎に逃れ、1年後に病死享年43


中浦ジュリアン

弾圧から逃げながら各地を流浪20年間布教活動したが捕縛され、「穴吊るしの刑」で逆さに吊るされ4日目に死亡。享年65


原マルティノ

弾圧から逃れマカオ移住し以降は平和暮らし15年後に死去。享年60


千々石ミゲル ←墓の奴

皆と共に神学を学ぶも奴隷制に疑問を持ち棄教キリストアンチ信者両方に命を狙われる。享年64

棄教定説だったが墓の発見から表向きの嘘だった可能



千々石ミゲル人生


時の大名宗教洗脳が儲かるけど仏教はもう既得権益があって新規参入が難しいのでキリスト教に目をつける

上級国民の息子4人が本場ローマへ渡って神学を学ぶ

帰国してから布教

40代になってミゲル棄教奴隷制度はクソ」

結婚し、少年使節の中で唯一子孫を残す

大名自分棄教したいと相談され、キリスト教はゴミカス人身売買組織からそうしろ発言 一緒に宗教弾圧

長年の布教で藩はキリスト教に感化された者が大量におり反発が多く、大名信仰を続けることにしてミゲル追放

身を寄せた先でキリシタンに襲われ大怪我

一命を取り留めるがまた引っ越し長崎で死去

伝承ではミゲルの墓は「憎い大名を睨みつけられるように大名土地を向いて建てられた」

長年墓が見つからなかったが伝承通りの墓が見つかる

2022-04-25

anond:20220425140412

まともなわきゃねーですやん

そもそも彼女らはなんで生活保護受けないんだ?って話ですよ

増田でも彼女らと同じメンタル・知能レベルの人や夜職っぽい人見るけど

成人していても成年者として扱うのは倫理的問題がある判断能力問題のある人たちですよ(保護者必要)

 

もちろん自分自身性的魅力を使って性カルチャーで頂点を目指そう・大金を稼いで野望を成し遂げようって野心家もゼロではないけど

(政治家になったり、世界的なアーティストになったり、医者になったり、不動産会社社長になったり、

神学学位をとって神学の分野で活躍してたり、セックス産業で働く人たちのアウトリーチ活動してたりって人もいる)

大多数が何も考えずやっちゃうんだ。それこそとりあえず事務員でもやるみたいなノリで

 

あいう人らに支援活動している人たちには頭が下がるなって思う

言っちゃ悪いが誰よりも彼女らがちょっとおつむに問題がある事を理解してるはずだけど

同じ人間として尊重してそういうこと言わないからな

ワイくんと人間の出来が違うわ

2022-04-07

anond:20220407184933

数学出来るのが偉いのではなくて、数学出来ないのは学者として資質がないと言ったほうがいい(文学歴史神学といったルネサンス以前からあるごく一部の分野ーこっちのほうが学問としては正統だがーを除いて)

数式を使わないで、自然言語だけで厳密に論理を展開できるのであれば問題ないけど、そっちのほうがはるかに難しい、てか究極的には不可能

2022-01-24

学者不道徳であれ」というのはそれほど間違っていない

以下のツイートとそのブコメ着眼点一面的で残念だったので考えを述べる。

ツイート

@koshian

というか学者なんてのは真理探求のために一般よりずっと不道徳であることが認められたり奨励されたりするもんでしょ

道徳観念で固められてたら死体解剖も動物実験もできないっしょ

https://twitter.com/koshian/status/1485127978162229252

ブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/koshian/status/1485127978162229252

不道徳であることを恐れる学者学問に対して不誠実だ。

学問哲学というものは新しい物事発見概念創造であり、

とき世間に対して世界観道徳観の変更を迫る。

その変更が主流派にとって受け入れられないものであれば不道徳批判される。

自由保障されない政治体制では弾圧されることだってある。

しかし主流派が受け入れられない飛躍的な世界観の変更こそが

パラダイムシフトと呼ばれるような重大発見であり、学者はそれを目指すべきだ。

 

中世神学的な道徳に反してコペルニクス地動説を主張したり、

ニュートンが地上も神の世界である宇宙も同じ自然法則物体が動いていると証明たからこそ、

素朴な感覚に反して実験と理性が導き出した世界観採用する科学という営みが生まれた。

それを継承して相対性理論量子力学遺伝学を生み出し、人類科学技術はここまで発展できた。

逆にソ連では共産主義的に道徳的なニセ科学あるルイセンコ農法を採用し、

大量の餓死者を発生させ、正当な遺伝学社達を投獄・粛清して生物学の後退を招いた。

学問のために不道徳であることを恐れない学者と、道徳のために学問を利用しようとする学者だったら

おそらく後者の方が問題を引き起こすであろう。そもそもそれは学者ではなく活動家だ。

 

では、学者道徳必要ないのか?

ダビンチや平賀源内時代は間違いなく解剖という当時としては非道徳で奇妙な行為必要だった。

現代だって治験という人体実験必要とする。

ただ現代では過去の失敗やいざこざがあってこういう手順でしましょうねって基準がある。

そういった基準を守る方が、世間理解を得られて研究資金得られるし、

手順が洗練されるから効率的安全学者本人のためにもなる。

そういう意味での道徳はあった方がいい。道徳的に不道徳学問をしよう。

2022-01-13

anond:20220113151734

キリスト教における外典神学書、イスラム教におけるハディースファトワーが、すなわち仏教における経典なのであって、

しろ聖書コーランのような根本聖典が「無い」というのが仏教の特徴なんや

2021-11-25

anond:20210617064202

これは神学命題プロテスタンティズム決定論に対して言及がないので不完全。

アメリカ歴史の初期においてピューリタン重要役割を果たした。彼らの思想の一部は今も残ってる。

フス戦争カルヴァン主義やその前史にまで言及すると長くなりすぎるので省くが、重要な要素が【予定説】(神学決定論)であるカンタンにいえば「全知全能の神。神は全知全能なのですべて予定済でお前の自由意志なんかねーよ!なので善行した"から" 天国に行けるとかあるわけねーじゃん。俺が "善行する" と思うことまで神は予定済なの!」

というのがあった。

こうなると、「えーじゃあ善行しようと思うこと意味なくね?」ってなって人々は悪事を働きそうなものであるが、実際にはそうはならなかった。

人々は「私は神によって救済される(=天国に行く)ことが予定済の人間なので、そうあるべくふるまう(=善行を行うしより良くなるため努力する)」となった。

因果が逆転してるというかなんというか。

この因果の逆転によって、ダラダラ働いてシエスタするようなカトリック圏と異なり、プロテスタンティズム圏では修道院のように禁欲的に働き、禁欲的に自己研鑽し、禁欲的に金儲けをしその利潤を禁欲的に再投資する…ことによって世の中を良くする。なぜなら私達は神に選ばれているので!それができる!

となっていった。

(※ 禁欲的に慎ましく暮らすタイププロテスタントもあります

世俗社会修道院化」によって、日常生活の全てを信仰労働に捧げる。

節制禁欲のために複式簿記を導入…。合理的精神禁欲的に社会を発展させる(なお奴隷制ry)。。

この辺の時期の代表例としては、ベンジャミン・フランクリン(アメリカ建国の父にして実業家であり学者であり外交官。そして偉大な政治家。今も100ドル札に顔がある)など。

勤勉性、探究心の強さ、合理主義社会活動への参加という18世紀における近代人間像の象徴

…というあたりで、発展しすぎた禁欲資本主義本来宗教性を失い、資本主義になり、「内なる光=神との対話」みたいなあたりが「自由意志」に変わっていく。

自己研鑽しない者たちに対する憎悪侮蔑は、従来の「つまり定説におけるアイツラは地獄行きになる怠け者」から、「侮蔑すべき怠け者」だけが残った。

・・・というあたりはマックス・ヴェーバーが"プロテスタンティズムの倫理と資本主義精神"という本とかで書いてたこと。

今のアメリカ人は直接プロテスタントというわけではないが、連綿とこの思想を引きずっているのである

(なぜならそのほうが発展に有利だからね)

----

補足すると、こんだけ「プロテスタンティズムがー!」と書いておきながら、実は西海岸カリフォルニア州は全米でももっともカトリックが多い地域である。なぜならもともとあそこはメキシコであり、今でもスペイン語圏からカトリック移民が多いからです。

ただ、思想的な主流派は?というと難しい。モルモン系やユダヤ教徒(思想原理は異なるが同様に資本の蓄積が宗教的OK)もスゴイ多いし、西海岸を語るなら中華系の人々に言及を避けることが出来ない。

そして何より、【西海岸リベラリズム】と対極っぽそうな南部バイブルベルト。

この地域基本的プロテスタントだ。そしてめちゃめちゃ保守的

ただまぁ、この辺はそもそもバプテスト派なので同じプロテスタントと言ってもなというのと、更には南北戦争で負けたエリアっていうのと、そもそも南北戦争以前から移民が少なかったため思想固定化されたっていうのとかありそう。

2021-11-12

あるいはそんなポルノグラフィティー

 まあネットにはポルノというものが溢れ返っており、我々は無自覚のままポルノ摂取してそれをメインストリームだと勘違いしながら生きている。

 例えばスタンダールの『赤と黒』なんかはフランス文学史に燦然と輝く金字塔文学とされているけど、実際読んでみたら完全にポルノやんけコレ、となる。当時欧州文学界には姦通文学の嵐が吹き荒れており、玉石混交グロテスクモザイク画が出来上がっていたんだけど。まず、その最高レベルのものから言えば『アンナ・カレーニナである貞淑女性が徐々にぶっ壊れていき、自分の命さえ省みなくなる生々しいまでの過程リアリズム小説真骨頂であった。後はエミール・ゾラの『居酒屋』もいいね。首尾一貫した自然文学小説それから翻訳で読んでるからかやや粗い印象だけど(そして『赤と黒』同様にややポルノ臭がするけれど)、バルザックの『谷間の百合』。これは疑似姦通小説とでも呼ぶべきもので、母性的なものの没落を示唆している攻撃的な文学なんだ。

 でもね、『赤と黒』は申し訳ないけどただのポルノだ。『ボヴァリー夫人』はアンナ・カレーニナより格が一段落ちるけど、『赤と黒』はそのボヴァリー夫人より更に一段下だ。

 赤と黒のあらすじを書いてしまえば、

「おっす! オラ、ジュリヤン! 田舎材木のしがない子せがれで、日々ぶん殴られながら生活してたんだけど、町の牧師に徹底的にラテン語を叩きこまれた結果、町一番の市長屋敷家庭教師をすることになった! その結果、お屋敷の奥様に気に入られて、話の行きがかりでその奥様を旦那である市長から寝取ってやった! そのことがほんのり露見したんで、オラ奥様から遠ざかるという意味合いで都会の神学学校に通わせられた! 都会に着いてからは暫く頭を冷やしてたんだけど、話の行きがかりで社交界の重鎮である侯爵家の世話になることになった! やがて侯爵秘書としてパリ社交界デビューしたんだけど、その侯爵家の娘さんは聡明社交界花形美少女で、最初はツンケンされたけども、最終的には行きがかりでその美少女をもモノにしてやった!」というものになる。

 いやポルノやんけと。

 というか、もうなろう小説だよね。『材木の子せがれの俺、ラテン語完璧聖書のありとあらゆる箇所を暗唱でき、市長家のお屋敷の奥様に気に入られてしまうも、最終的に社交界デビューし、侯爵秘書としてスパイじみた任務をも任せられてしまい、戻ってこいと言われてももう遅い!』的な。

 なろうだよこれ、と。

 ちなみに同じスタンダールでも『パルムの僧院』は面白いです。まだ読んでる途中なんだけど。ただ、少なくともこの『赤と黒』に関してはどう控え目に言ってもポルノだし、スタンダール自身通俗小説としてこの小説を書いてたと思う。

 とにかく、いか権威ぶられてもどう見てもポルノ、ってものがあるように、いかに厳粛に見せかけてようが、結局は自分の主張を都合よく擁護してるだけのポルノ作品ってネットにはありふれてんだよね。「なろう」作品ポルノであるのと同じで、都合の良いポルノ作品に頭すっからかんにされてるとどうしても認知歪んでくるよね、って話。

2021-10-31

のちにプロテスタントを生み出したマルティン・ルター宗教改革って

鍵垢で書いたツイート((大衆が読めない)ラテン語で書いた神学論)を拡散されて(ドイツ語翻訳されて)

大炎上したみたいなのがことの発端なんだなあ。

ルターって、天然の煽り天才みたいな人だったんだろうか。

2021-10-27

anond:20211027102848

この批判は正しいが、微妙に的を外している。

まず当然、オタク醜悪に描くことを忌避するのは「普段みなさんが嫌ってるポリティカル・コレクトネス」ではない。

ツイートが、橋本宗洋が、ポリティカル・コレクトネス基準を全く理解していないことを端的に表している、という認識はあっている。

ただそれはポリティカル・コレクトネス支持者たちの反応を見てから初めて分かるものではない。

なぜなら、そもそもポリティカル・コレクトネス基準においては、「悪」醜悪に描くことは、政治的に正しいからだ。

オタク行為「悪」であることを、行為によってだけではなく、その描き方でも表現することにより、無知大衆でも直感「悪」を判定できるようにする。

これはポリティカル・コレクトネス基準において正しい。

行為の良し悪しは無知大衆には容易には判定できない。その基準言語化できない。その訓練を受けていないかである

から、作者があらかじめ「善」「悪」を判定しておき、それが直感的に、生理的理解できるように表現を工夫しておく。

それが「正しい描写である

もちろん、「悪」でないもの、例えば特定人種性的マイノリティ醜悪に描くことは明確にポリティカル・コレクトネス違反である。当たり前だ。

だが、間違っているのは、「悪」でないものを「間違って」醜悪に描くことであり、「悪」であるオタク醜悪に描くことは当然正しい。

醜悪に描いているかポリコレ違反、なんていうのは、全くの勘違い、何ひとつ理解していない証左だ。

冤罪は悪だから犯罪者逮捕するのも悪だ、というレベルの全くの誤謬である


橋本宗洋およびその賛同者は言語的な訓練を受けておらず、認識能力の欠如した無知大衆側の人間からポリティカル・コレクトネス運用基準理解できていない。

ただし、醜悪に描かれたものに反応する生理的な性能はあるからポリティカル・コレクトネスを用いれば、彼らのような大衆も動員することが出来る。

オタク何が悪いかを理解していなくてもオタクを叩くことは出来る。

なぜなら醜悪に描かれているからだ。

これこそがポリティカル・コレクトネス真骨頂だ。

から、彼らの反応はポリティカル・コレクトネス運用者の意図通りの行動をしているにすぎない。

ゆえに橋本宗洋たちの言説そのもの批判してもあまり意味はない。

それすらもポリティカル・コレクトネスという装置の内側での、想定通りの挙動である

彼らは、いくら批判されても、醜悪批判者が向かってくるから、我々は正しいという認識を深めるばかりであろう。

以上より、彼がサブカルのノリを引きずっていて、真なるポリティカル・コレクトネス理解していない、という推論はありえない。

しろ、彼はポリティカル・コレクトネスを全く理解しないまま、その正当な実行者として振る舞っているにすぎない。



彼らがオタクをいじり、馬鹿にし、気味悪がるのはポリティカル・コレクトネス違反ではない。

しろ、それにより、ポリティカル・コレクトネス体現者となることができる。

それは彼らが理屈を全く理解していないこととは関係ない。

真なる信仰者は、聖書を読めなくても、神学論理構造理解しなくても、その行いの聖性によって信仰を示すことが出来る。

ポリティカル・コレクトネス構造も全く同じだ。

政治的正しさ大衆に埋め込み、自律的に正しさを執行させるための装置、それがポリティカル・コレクトネスなのである

批判するとしたら、この構造自体批判しないと意味がない。

2021-10-10

宗教カルト教団みたいな認識の人

なんであんなに極端なんだろうな

近くに寺があるから先祖代々檀家やってますって人に「お前らは満足な豚だぁ!」って言って回るのかね?

宗教を信じたいから信じるって人は稀なんだよ

日本だと先祖代々檀家やってたから感じのゆるい人が多いし、墓や葬式の時に関わってた方が楽とか、コネを作れるからとかみたいなその人なりの合理性で関わってる人も多い

そもそも現代の様々な学問神学から派生してる訳でしょ

法律だって根底にある倫理道徳宗教に根ざしてる

宗教って現代に至るまでにずっと人類が積み上げてきた物の土台になってる部分だよ

だるま落としじゃあるまいし、土台の部分だけスコンと取り除けるとでも思ってるのかね?

2021-09-22

聖書を読み終えた

エルサレムのおとめたちよ

野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください

愛がそれを望むまでは

愛を呼びさまさないと。

聖書(新共同訳)

大学2年生をしている。

一昨日、旧約聖書新約聖書を読み終えた。

キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。

なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。

率直に感想を述べる。

長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。

そのうえわたしは、本を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。

なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。

得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。

これからつの掌編を引用して、それぞれコメントをつけたい。

全文引用ちょっとどうかなと思うところもあったけど、この聖書の発行元は、250節までは引用OKとしている。

なので、この2編だけグサッとまるまる引用する。ほかにちょっとだけ引用している。冒頭の詩は、『詩編』(追記:雅歌の間違いでした)という閑話休題的な部分から取らせてもらった。(私が持っている)旧約聖書1052ページに載っている。



まずは『放蕩息子』からだ。

子どもの頃、こんな題名ドラマを観たことがあるかもしれない。

放蕩息子のたとえ

また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたし友達宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなた身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

――ルカによる福音書 15.11-32(15章の11節~32節) P.139~140


最初意味不明だった。お前は何を言ってるんだ? そんな気分だった。

「あ、これ講義で習った!限界効用の逓減だ!」とも思った。

さて、解説サイトを巡ったところによると、この掌編というのは――父親を神に、放蕩息子を(いつも罪を犯しがちな)迷える人間に喩えているらしい。

なるほどと思った。イエス説話にはたとえ話がよく登場するが、たとえ話の中でもたとえを使っているのだ。

神は寛容な存在だ。聖書においても、寛容さが重要な徳であると述べた個所が多くある。

現代社会においてもそうだ。昔に比べると、個人に対する寛容さが求められるようになっている。傍目では愚かに見える行いであっても、当人意志尊重する。自己決定権というやつだ(うろおぼえ)。

聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。

次は、『不正管理人のたとえ』だ。

不正管理人のたとえ

イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったときあなたがたは永遠住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかであるあなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

――ルカによる福音書 16.1-13(16章の1節~13節) P.140


それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という、中学生の時に読んだ漫画台詞を思い出した。

読み始めは、聖書らしい勧善懲悪を期待していた。読了後は、こいつやりたい放題だな! と感じつつ、この物語は何を意味しているのだろう――今度は自分で考えることにした。

こたつ机の上で、通勤途中の自転車で、トイレの中で、サイゼリヤでの雑談中に、神学Web講義中に、何度も考える機会があった。

からなかった。結局。

それで、解説サイトを巡ってみることにした。どうやら聖書のたとえ話の中でもメジャー作品らしい。

しかし、わからない。どの解説サイトを読んでもしっくりこないのだ。

どのサイトにおいても、「どんなに苦しい状況の中でも、神の国に行くために最善の行動を取ることが大事」と書いてあった。不正にまみれた富でいいので、いつか最後の審判が訪れて、永遠の国に住む時のための友達を作っておくべき、みたいなことが書いてあった。

腑に落ちない。聖書には矛盾する箇所がいくつもある。

例えば、主人が召使い3人に、自分が留守の間お金を預ける話がある。3人の召使いの中で、そのお金資産運用によって一番増やした人が主人に一番褒められていた。お金を土の中に埋めておいた人は、主人の命でそれを取り上げられ、一番増やした人に渡ったうえ、彼は外の暗闇に追い出されてしまう。

(だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる)

でも、その一方で、「金持ち神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」みたいなことを述べた箇所が同じ新約聖書に3つ以上はある。

約二千年前に作り始められたわけだから矛盾する箇所も当然あるだろう。しかし、それにしても不正管理人の話には納得がいかない。

そうこう考えてググっているうち、こんな本をアマゾンで見つけた。

捏造された聖書

要約すると、長い年月に渡って聖書が写本され続けた結果、当初は存在しなかった物語解釈意図が入り込んでいった、とのことだ。

ならば納得できる。この『不正管理人のたとえ』の真実は、こうだ。昔、聖書を写本していた権威ある人が、「このネタ入れたら面白いんじゃね?」的なノリで挿入したシュールギャグだったのだ。それが不正管理人のたとえの正体である――解決

解説サイトヤフー知恵袋なんかでこの掌編を肯定している人は、もしかして、あれじゃない? 権威に弱い人なんじゃないか?? おかしものおかしいとして、はっきり言わないといけないんじゃない??? と、わたしは思いました。(小学生並みの感想



聖書を読んでよかった。

はっきり言おう(ここイエス意識している)。わたしにとって収穫だったのは、多くのコンテンツ原典元ネタであることを確認できたからだ。以下のようなものがある。ネタバレ防止のため、どの作品派生しているか原則述べない。

例えば、①エジプト王宮でのモーセアロン VS ファラオの対決時に、お互いの杖を蛇に変えてバトルする場面とか、②サムソンが今わの際に両手で二本の柱を押し倒して数千人を巻き添えにして死ぬところとか、③ペルシャクセルクセスが、「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」って2回も言うところとか、④大岡裁き(どちらが本当の母親か決めるやつ)の元になった母親2人の諍いの話とか、⑤ダビデの三勇士の一人イシュバアルは、槍のひと突きで800人を殺してしまうとか、サラっと書いてあって思わず吹いた……。

かにも、ここには挙げきれないほど多くの漫画小説ゲーム元ネタに会うことができた。これだけでも読んだ甲斐があるというものだ。

特に士師記サムソンには笑わせてもらった。スラップスティックギャグコメディの原型が聖書にあったなんて! 高橋留美子も、これを読んで『うる星やつら』の肥やしにしたのかもしれない。

聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。

聖書は、各編によって色あいが相当違う。格調高く綴られた世界創造の語りだったり、長い旅と王国繁栄の中で主人公が次々と交代していく群像劇のようにも見えるし、小説上のジャンルはだいたい網羅している(冒頭の詩は兄×妹の恋愛ものだ)し、どんな生き方が正しいのかという論じ合いもあるし、お笑いな感じの喜劇もあるし、いきなり箴言集になったりするし、詩もたくさん出てくる。

ところで、聖書に出てくる神は、その時々によって寛容だったり不寛容だったりする。人によらずとも、矛盾していると感じることがある。

キリスト者を迫害した人や、信心律法の罪を犯した人を赦す場面もあれば、かの有名なオナンさんはあっさりと殺されるし(彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。)、聖者エリシャを「禿げ頭出ていけ」と詰った子ども達42人は、突如現れた熊2匹によって皆殺しに遭っている。

しかし、世の中というのは、そういうものではないか

同じ人でもやることなすことに筋が通っていたりいなかったりすることがあるし、理不尽だと感じた運命が後に自らを利するものであることがわかったりするし、法律常識に反した行動がみんなの共感を得ることだってある。



わたし若者でいられる時間は少ない。あと10年以内には若者ではなくなってしまう。それまでには、ひとかどの人物になっていたい。今回、半年がかりで聖書に向き合った経験が生きたらいいなと思っている。

最後に、物語の背景を知らなければ厨二な詩としか思えない台詞を書き留めて結びとする。

わたしの生まれた日は消えうせよ。

男の子をみごもったことを告げた夜も。

――ヨブ記 3.3(3章の3節) P.777


サタンの弄びにより、死に等しい皮膚病に冒されてしまった義人ヨブの独白の一部だ。

いつかは口に出してみたい台詞ランキングで第1位に入っている。

面白い書物だった。また一度は読んでみたい。

2021-09-01

おいハニトラ工作員、お前らが魂を売り渡して手に出来るものの正体を教えてやる。

 連中が女をギャルのように攻撃的にしたり、腐女子のように男女のセックス嫌悪させたりして、男女の分断を図るのは、主に三つの理由からである

 一つにカトリック権力者という真の処女厨たちが、より多くの処女の女と姦淫するため。

 一つには少子化させ、治安が悪く貧しいカトリック国の、教会のためなら四肢切断して拷問することも平気な工作員移民を増やして支配するため。

 一つには男を性的に抑圧し、少しハニトラしてやっただけで喜んで女を通して操られる犬を増やすため。

 このために優秀な男でさえ、このような陰謀がなければもっと抱けたであろう淫売とやるためだけに、この陰謀に加担する。

 彼らは目先の性欲のために、本来ならもっと安定した幸福約束してくれるはずだったお見合い文化破壊し、連中の犬にならなければ女一人抱けない世の中にしようと悪魔に魂を売り渡し、永遠に赦されざる者となって働いている。

 実際、お見合い文化がどれほど優れた社会制度だったかは、お前らのご主人様たちが証明している。

 お前らのご主人様たちは、お前らの魂と一緒に破壊させたそのお見合い文化を、自分たちだけは未だに保持しているではないか

 このカトリック権力者財閥企業の連中の結婚相手を見ろ。

 みんな良家同士のお見合いだ。

 連中は、表面上は恋愛結婚偽装していても、その内実を見れば、家同士が決めた政略結婚であることは目に見えて分かる。

 こうした権力者たちは、自分たちの嫁さんだけは、他に男を知らず、夫に忠誠を誓う、温室育ちの処女お嬢様結婚するのである

 当然こうしたお嬢様たちには、彼らの歪み切った性欲の捌け口となることはない。

 そんなことをすれば連中の使い捨てたメス犬のように、夫を憎む、ぶっ壊れた男性憎悪女を嫁にすることになるからだ。

 溜まった変態性欲は、メディアを通して洗脳したそういうメス犬でのみ発散する。

 お前らには下賜されるのは、このメス犬の成れの果てだ。

 お見合い文化が残っていれば、彼らはただ真面目に働くだけで全ての男が夫思いで従順で、しかも他の男を知らない妻を独占し、安定した家庭を築けたはずの社会破壊し、過労死するか精神を病むほどの労働環境酷使され、その上で連中の犬として悪事に加担し、かつ飛びぬけて優秀でなければ淫売一人ともまともに付き合うことが出来ないような社会を築いたわけである

 しかもそうして身と魂を犠牲にしてようやく手に入れた淫売というのは、連中の権力者からあらゆる暴力的体位実験台に散々利用され、使い捨てられた中古ガバマンで、そのため心の底から男に逆恨みを募らせ、いつでも己のエゴイズムのために夫を毒殺しても何とも思わない文字通りの毒婦なのである

 彼ら彼女からしたら配偶者などと言うのは、権力者のためにあらゆる屈辱拷問に耐えた結果に与えられた性奴隷ATMに過ぎず、そのためお互いにどんな些細な要求をされることも耐えられないので、その結婚生活は憎悪暴力によって支配される。

 ちょうどそうした陰謀の中心であるハリウッドイケメン俳優たちのように、どんな女でも思い通りに出来るはずの金とルックス社会的地位を手にして完全に充足しているはずの者たちでさえ、その結婚生活は破綻し、どんな些細なことでも女を殴らずにはいられない精神状態に追い込まれているのだから、それ以外の使い潰されている工作員の家庭など、どうなるものか誰でも想像できる。

 

 しかしこのような煉獄さえ、この陰謀さらに進行した挙句には、やがて天国だったとさえ感じさせられるだろう。

 カトリック世界はこんな生易しい代物ではない。

 地獄という概念を作り上げ、彼らの神学的支柱を作った偽典『パウロ黙示録』や小説神曲』は、おそらく実際にあったことをモデルにしている。

 あの凄愴な残酷描写は、全てカトリック国の使徒たちが、各地で彼らにとっての異端者や罪人に対して実際に行わせていたこなのだろう。

 その裏にある思想は、異教徒、どころか異端者、特にそれが自らの教会を慕う者、あるいはその臍を噛み、彼らに経済的従属する者に対しては何をしても赦される、ということであり、エジプト修道院、あのヒュパティアを殺害したキュリロスの倫理観を、更に醜悪に、残酷推し進めた結果のものである

 なぜならこの異端者という者は、彼ら自身教会からも生まれる者とされているからだ。

 実際のところは異端者というレッテルを張って、都合よく搾取し、虐めぬき、狂犬として暴れさせる工作員を作る口実にしているだけだろうが。

 今もその名残が、中南米フィリピン韓国などの新参カトリック国において行われていることを、我々はニュースによって知ることが出来る。

 それがお前たちが築き上げようとしている社会、お前たちが子供たちに約束する未来とやらの正体だ。

 お前たちは偉大な先駆者となることなどない。

 お前たちは地獄を地上に引っ張り上げた、醜い餓鬼どもだ。

2021-06-17

anond:20210617064202

これは神学命題プロテスタンティズム決定論に対して言及がないので不完全。

アメリカ歴史の初期においてピューリタン重要役割を果たした。彼らの思想の一部は今も残ってる。

フス戦争カルヴァン主義やその前史にまで言及すると長くなりすぎるので省くが、重要な要素が【予定説】(神学決定論)であるカンタンにいえば「全知全能の神。神は全知全能なのですべて予定済でお前の自由意志なんかねーよ!なので善行した"から" 天国に行けるとかあるわけねーじゃん。俺が "善行する" と思うことまで神は予定済なの!」

というのがあった。

こうなると、「えーじゃあ善行しようと思うこと意味なくね?」ってなって人々は悪事を働きそうなものであるが、実際にはそうはならなかった。

人々は「私は神によって救済される(=天国に行く)ことが予定済の人間なので、そうあるべくふるまう(=善行を行うしより良くなるため努力する)」となった。

因果が逆転してるというかなんというか。

この因果の逆転によって、ダラダラ働いてシエスタするようなカトリック圏と異なり、プロテスタンティズム圏では修道院のように禁欲的に働き、禁欲的に自己研鑽し、禁欲的に金儲けをしその利潤を禁欲的に再投資する…ことによって世の中を良くする。なぜなら私達は神に選ばれているので!それができる!

となっていった。

(※ 禁欲的に慎ましく暮らすタイププロテスタントもあります

世俗社会修道院化」によって、日常生活の全てを信仰労働に捧げる。

節制禁欲のために複式簿記を導入…。合理的精神禁欲的に社会を発展させる(なお奴隷制ry)。。

この辺の時期の代表例としては、ベンジャミン・フランクリン(アメリカ建国の父にして実業家であり学者であり外交官。そして偉大な政治家。今も100ドル札に顔がある)など。

勤勉性、探究心の強さ、合理主義社会活動への参加という18世紀における近代人間像の象徴

…というあたりで、発展しすぎた禁欲資本主義本来宗教性を失い、資本主義になり、「内なる光=神との対話」みたいなあたりが「自由意志」に変わっていく。

自己研鑽しない者たちに対する憎悪侮蔑は、従来の「つまり定説におけるアイツラは地獄行きになる怠け者」から、「侮蔑すべき怠け者」だけが残った。

・・・というあたりはマックス・ヴェーバーが"プロテスタンティズムの倫理と資本主義精神"という本とかで書いてたこと。

今のアメリカ人は直接プロテスタントというわけではないが、連綿とこの思想を引きずっているのである

(なぜならそのほうが発展に有利だからね)

----

補足すると、こんだけ「プロテスタンティズムがー!」と書いておきながら、実は西海岸カリフォルニア州は全米でももっともカトリックが多い地域である。なぜならもともとあそこはメキシコであり、今でもスペイン語圏からカトリック移民が多いからです。

ただ、思想的な主流派は?というと難しい。モルモン系やユダヤ教徒(思想原理は異なるが同様に資本の蓄積が宗教的OK)もスゴイ多いし、西海岸を語るなら中華系の人々に言及を避けることが出来ない。

そして何より、【西海岸リベラリズム】と対極っぽそうな南部バイブルベルト。

この地域基本的プロテスタントだ。そしてめちゃめちゃ保守的

ただまぁ、この辺はそもそもバプテスト派なので同じプロテスタントと言ってもなというのと、更には南北戦争で負けたエリアっていうのと、そもそも南北戦争以前から移民が少なかったため思想固定化されたっていうのとかありそう。

2021-03-17

anond:20210316232303

宗教神学歴史的権威武装してるからポリコレ民が雑に火付けしにくいってのはあるよな。

起点は神の存在という妄想だけど壮大な理屈付けの大系があって、長年に渡り多くの人々が信仰してきたという実績があってと。

2021-03-16

クリスチャンじゃないけど anond:20210316230236 anond:20210317221559

むかしは同性愛にも近親相姦にも寛容というか無頓着なので

男色ダメよって書いておきながらフツーに男色を暗示させるエピソードが出てくる

 

けど聖書解釈は『○○の暗示でしょフツーに読めば』っていうのが許されないので

さまざまなお作法にのっとった聖書解釈神学ってのがある

 

ゲイに関するあれこれは『クィア聖書解釈』とか『クィア神学』って日本語では言われてんね

 

いくつか解釈があったけど忘れたので思い出したら書く

2021-03-09

フェミニスト神学」、アホくさすぎる!

聖書、大昔に謎のオッサンたちが書いたウソ本に過ぎないので、当然当時の価値観がそのまま出ていて、「同性愛者はカス死ぬべきだし、女は全員男の下!」みたいなことが前提になってんのに、それを涙ぐましくも「じつは現行のポリコレ にも適合してるんだァ〜!」っていうのはちょっとさすがにアホくさすぎる

謎の詐欺師おじさんの妄想シェアード・ワールドに浸ってたいんだったら、原作者尊重してその世界観に従いなさいよ

マトモな感覚をもってんだったら、あんなクソみたいな設定捨てて、現実を見なさいよ

差別主義者の髭面のオッサンが頭の中でこねくり回した妄想シェアード・ワールドの設定をキッチリ守るぞ!っていう謎の価値観もってる人間が、一丁前にポリコレみたいなのを気にしてるの、本当に気持ち悪いんだよな

どっちかにしろよ!

2021-02-10

本好きなら高校生までに読破しておきたい古典100

哲学思想

プラトン饗宴

アリストテレス詩学

アウグスティヌス告白

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』

マキァベッリ『君主論

モア『ユートピア

デカルト方法序説

ホッブズリヴァイアサン

パスカルパンセ

スピノザエチカ

ルソー社会契約論』

カント純粋理性批判

ヘーゲル精神現象学

キルケゴール死に至る病

マルクス資本論

ニーチェ道徳の系譜

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

ソシュール一般言語学講義

ヴァレリー精神危機

フロイト快感原則彼岸

シュミット政治神学

ブルトンシュルレアリスム宣言

ハイデッガー存在と時間

ガンジーガンジー自伝

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品

ポランニー『大転換 市場社会形成崩壊

アドルノホルクハイマー啓蒙の弁証法

アレント全体主義の起源

ウィトゲンシュタイン哲学探求』

レヴィ=ストロース野生の思考

マクルーハングーテンベルグ銀河系

フーコー言葉と物』

デリダ『グラマトロジーについて』

ドゥルーズガタリアンチオイディプス

ラカン精神分析の四つの基本概念

ウォーラーステイン近代世界システム

ケージジョン・ケージ

サイードオリエンタリズム

ベイトソン精神自然

アンダーソン『想像の共同体

本居宣長『玉勝間

上田秋成『胆大小心録』

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』

岡倉天心東洋理想

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』

九鬼周造『「いき」の構造

和辻哲郎風土

柳田國男『木綿以前の事』

時枝誠記国語学原論

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア

旧約聖書創世記

ソポクレスオイディプス王』

唐詩選』

ハイヤーム『ルバイヤート

ダンテ神曲

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

シェイクスピアハムレット

セルバンテスドン・キホーテ

スウィフトガリヴァー旅行記

スターントリストラム・シャンディ』

サド悪徳の栄え

ゲーテファウスト

スタンダールパルムの僧院

ゴーゴリ外套

ポー盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ嵐が丘

メルヴィル白鯨

フローベールボヴァリー夫人

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー悪霊

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ審判

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン魔の山

ザミャーミン『われら』

ムージル特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナーアブサロム、アブサロム!

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』平

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ嫉妬

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシア=マルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット荒地

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキー詩学

ブランショ文学空間

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉にごりえ

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋蒲団

徳田秋声あらくれ

有島武郎或る女

志賀直哉小僧の神様

内田百閒『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩押絵と旅する男

横光利一機械

谷崎潤一郎春琴抄

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如エロ事師たち

島尾敏雄死の棘

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉円陣を組む女たち』

後藤明生挟み撃ち

円地文子食卓のない家』

中上健次枯木灘

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥小説神髄

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉福翁自伝

正岡子規歌よみに与ふる書

石川啄木時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝復興期の精神

吉本隆明転向論』

江藤淳成熟喪失

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん