「於いて」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 於いてとは

2020-05-28

忘備録-失恋編-

端的に言って失恋を喫しました

とても長い時間恋をしていた気がしますね。

それは多分実際その通りで、思えば、ある冬の日から始まっていた恋なんですよね。

しかしどうしようもない、どうしようもないダメ人間だった僕はどうしようもないのでどうしようもなかったんですよね。

グズグズしています

気付きがありまして、気付きって言うのかはわからないですけど。

失恋して初めて気付く恋というものがこの世にはあったんですね。

フラれたんじゃなく失恋、ここがミソです。

僕はついに最後まで好きだった人に好意を伝えることができませんでしたね。

最後ってなに?って自分でも思いますが、最後最後です。最後という意味です。

別にタヒぬとかそういうネガティブ意味じゃなく、もっとカラッとした気持ちで言ってるつもりなんですけど、まぁ実際は違いますよね。

考え、全然まとまらないですね。

同じことがずっとずっとずーーーーっと頭の中をグルグルしている。

まるで微弱なWi-Fiで見るYou Tubeのように、続きが一向に再生されない。

少し話が逸れるのですが、私は人生於いて嫉妬しない」ということを目標に掲げていまして、

嫉妬というのはとても醜い感情で、それが私のような人間になればより一層醜悪ものになってしまうわけです。

から誰にも何にも嫉妬せず、応援希望や羨望の言葉を持って尊敬や称賛にかえているわけです。

それは自分なりに正しい思考だと思っているので、それ自体否定してくる人はあまり居ないのではないか、というか居てほしくないなとも思っています

それは本心で、心の底からそう考えていることだと、そう思っています

そう思っているはずなんですけど、なんですけども。

好きな人恋人が居ると知った時に私の心に芽生えた感情は、それはそれは立派な嫉妬でした。

轟々と音を立てて自分の心がどす黒い曇天に変わっていく様子を私は呆然とした気持ち観測していました。

本当に醜い。失恋からしばらく経った今でも尚その厚い雲は一向に消えません。どうしちゃったんだ一体。

しかし、上にもあるように私はダメ人間なんです。

ことの本質はたった一言で済みます。「別に付き合いたかったわけじゃない」と。

ずっとそんな気持ちをなんとなく抱えて誤魔化しながら生きてきたんですね。

相手恋愛経験があまり無いほうらしく、いうなればそこに甘えきっていたんですよね。

なんとな~く「相手の身近な異性」というポジションでなんとな~く良い感じになれたらなんとな~く幸せなんじゃない?っていう。

甘い!クソ甘です。ぬるま湯にも程があります、どれだけ自分に甘いのか……反省しなさい。

ほんっっっっっっっっっっとうに自分大好き人間思考ですよこんなの。結局、自分が傷付くのが怖くて、友達で居られなくなるのが怖くて、ああ好きな人って友達なんですけども、

それで特に何もアクション起こすことなくいつか相手自分のこと気にかけてくれるの待ってて、でもそんな都合のいい話あるわけなくて、

で?いざ恋人ができたらメソメソして?

バ~~~~~~~~~~~~~ッカじゃないの???

返す言葉もございません。

ずっとそんなことばかり考えています

落ち込む自分自分を律する自分自分の中に混在しています

失恋ってこんなに辛いんですね。

これは笑い話として聞いて欲しいんですが、失恋後2日ほど食事が喉を通らなかったんですよね。

なんなら食うやいなや嘔吐みたいな、そのくらい参っちゃってたんですよ。ウケますよね、根っからデブなのに。こんな時だけはいっちょまえに飯食えないって。

失恋が発覚した後私の心にはひとつの嘘が芽生えました

それは「相手の恋を応援しよう」という気持ちです。

上にもありますが私と相手は友人です。少なくとも私は相手のことを大切な友達だと思っています

友達の恋路を応援するのは友達として当然でしょう?まるで女子中学生みたいなことを言ってますね。

でね?一応本人にも伝えてあるんですよ。応援してますって。

それが自己満足なのはわかってるけど、友達として、心から応援しているって、言ったんですよ。

相手の反応は芳しくありませんでしたけど。

凄くない???俺。

ほんとよく言ったよね。手震えっぱなしだったけどね。

で、肝心なのはそれは本心なのか?っていうところだよね。

本心じゃないとしたら私は友達の前ででっかい嘘をついたことになるわけで。

嘘つき呼ばわりされても仕方ないぐらいの嘘で、嫌われても、軽蔑されても、友達じゃなくなっても仕方ないくらいの

でね!?私は「それらがいつか本心になればいいな」って思っているんです

そもそも付き合いたい訳でもないし相手のことを幸せにできる自信がないクズなんですよ僕は!?

その上応援もできない友達なんてそんなの友達じゃないじゃないですか!?!?!??!!?

から!!!!僕は!!!!!その子!!!!!!ハッピーになってもらいたいんです!!!!!

以上、ゴミクズメンヘラ戯言でした。

ご清聴ありがとうございました。

2020-05-13

新型コロナ時代適応したコメンテーターを見た

3月30日(月)から日本テレビ番組ニュースワイドショー於いてソーシャルディスタンスが導入された。

スタジオ出演者を減らし出演者間の距離をとり、従来スタジオにいた出演者の一部をリモート出演に。

画面構成にも苦労が見て取れた。

最初テレビと同じ16:9の画面にリモート出演者を映す。リモート演者の背景は白。

これだと余白が多く絵面が間延びして見える。

次に、リモート演者を映す画面を縦配置に。これで余白は減った。

更に、リモート演者スタジオ出演者サイズを合わせ、並んでるように見せたり。

リモート演者の背景も飾り立てたり。

等々、日々変化していった。

   

そして今日、その究極進化形態を見た。

TBSの「ひるおび」にリモート出演している八代弁護士

隣に座ってる(ように見せてる)田崎シローのほうを向いて話しかけていた。

これは新しい。

   

https://pbs.twimg.com/media/EXd-tPaU8AAm7a0.jpg

https://pbs.twimg.com/media/EXyfvleUcAAP6qX.jpg

   

ツイッターで調べるとどうやら5月頭頃から始まっていたようだ。

八代弁護士個人で思いついた?

それとも番組制作陣のアイデアなんだろうか?だとしたら、それを受け入れ演じてみせる八代弁護士、器用だな。

2020-05-12

これだという奴が挙げられない以上、固定票がついてる奴に適うわけがないという単純な話も分からないのがアレ

誰でもいいは票集めに於いてお話にならないのだよ

2020-05-10

anond:20200510195654

その書き方だとネトウヨかつ法改正の良い点を言える奴以外犯罪者からネトウヨ以外は生き残れないな

もうちょっと日本語勉強した方が増田於いてTwitter於いても良いと思うよ

2020-05-05

コロナ時代に自らゲシュタポへ志願するみんなへ

コロナ陽性判明後に、保健所に嘘をついた上で山梨から帰京した人がはてブ匿名掲示板等でぶっ叩かれている。

Twitterでは「山梨20代女性」なんていうワードトレンドになっているらしい。検索してみれば、早くも特定しようという動きがでているのが垣間見える。

今朝TVをつけたときにやっていたワイドショーでも、この女性の行動の「身勝手ぶり」について逐一「報道」していた。

個人的に見れば、この人の行動は徹頭徹尾、愚かな判断だと思う。東京へ帰るという選択がまず百害あって一利なしに思えるし、そもそも保健所に嘘をついたってバレるのは時間問題だ。10秒くらい考えればわかりそうなことがわからなかったのは、賢明ではなかったと言わざるを得ない。

でも私たち人間はそういうものだ。不安なことがあると衝動的に愚かな判断をしてしまう。子供の頃、同級生がどうして先生に「宿題はもうやった」「ほうきを折ったのは僕じゃない」とすぐバレるウソを付くのかさっぱり理解できなかったが、いざ親に「メガネを壊したのはお前か」と聞かれて、なるほど追い詰められた人間は愚かな選択をしてしまものだと合点がいった記憶がある(そのあとどうなったかは、あまり思い出したくない)。

実際、同じ人であっても、金銭的に不安定な状態にあるときは、そうでないときに比べてIQが大きく下がることが研究でわかっている。お金の不足は自らの先行きに対する不安に直結する。コロナへの感染もまた、社会自分生活がどうなるかわからない、という不安に直結するものだろう。

先行きへの不安は、衝動的で、非論理的な行動を招いてしまうのだ。

もちろん、この女性が一体どういう心境でこの判断に至ったのか私にはわからない。もしかすると一片の不安のかけらもなかったのかもしれない。でもそんなことは実はどうでもいい。なぜなら、社会人間ほとんどは衝動的で非論理的判断をし、「失敗」するものからだ(そうでなかったら、今ごろ人種差別とか性差別とか、もっとマシな状態になっているはずだ)。多くの場合それは、友人に窘められたり、上司に叱られたりする程度で済む。でも中には、人生を大きく変えてしまうような「失敗」もある。スピリチュアル100万円の壺を買ってしまったり、消費者金融につられてしまったり、交通事故に巻き込まれしまったりといったたぐいの「失敗」だ。

でもそうやって「失敗」してしまう人を救うために、行政社会システム存在している。バカな買い物をしてしまった人のためにクーリングオフ制度や、財政的「失敗」をしてしまった人のための(あるいは多くの場合、「失敗」した家庭にうまれてきた人のための)生活保護、そして事故って骨を折っても破産してしまわないための健康保険、というように、社会システムには「失敗」した人のためのセーフティネットが組み込まれていて、それを行政運営している。健康保険がないとどうなってしまうのかは、米国を見れば明らかだ。

また、「失敗」がある種意図的ものであったり、他の人の人権侵害したりしかねないものに対しては、法律によって罰則が設けられている。たとえ「失敗」でも人を殺してしまえばそれ相応の罰則を受け入れる必要があることに(罰則の程度について議論があるのは当然として)今更異議を唱える人はあまりいないだろう。

「失敗」の種類によっては、これら「救済」と「罰則」両方の性格を併せ持つ対応をするのが必要なこともある。例えば違法薬物使用などは、周囲への影響を考慮して法的な罰則が設けられているが、実際に必要なのは依存症治療であるという点で、その顕著な例だろう。

こういったシステムは、非論理的で愚かな私たちが、一つの失敗で社会的・物理的に死んでしまうようなことなく、円滑に生活していくための、社会の「バッファ」としてそこに存在している。「バッファ」のないシステムは、すぐバランスを失って崩れてしまう。人類が長きに渡ってありえない量の二酸化炭素大気排出し続けて炭素サイクルをめちゃくちゃにしても、地球生態系がまだ大量絶滅経験していないのは「バッファ」のおかげだ(それも、サンゴの大量白化を見れば分かる通り、もう崩れつつあるのだが)。

はてブ匿名掲示板で「山梨20代女性」を叩き、特定して吊るし上げようとしている人々は、衝動的な判断をしているという点に於いて本質的に「山梨20代女性」と全く変わらない、オロカモノだ。あなたいくら懸命に彼女の行動を叩き、牽制したところで、「失敗」する人は絶対に出てくる。それどころか、「失敗」するのはあなたである可能性もある。それでも叩くのは、叩けば「失敗」をする人はいなくなるだろうという誤認か、あるいは自らの先行きの不安を叩くことに向けたいという欲求によるもので、どちらにせよ非論理的で愚かな選択といえる。

ただ一つ違うのは、「山梨20代女性」の行動が、既に感染してしまった彼女自身への悪影響はあまりないのに対し、「山梨20代女性」を叩く人々の行為は、自らの首を絞めているということだ。

考えてみて欲しい。感染経路を把握して感染拡大を防ぐのは行政役割であって我々には特に何もできないのに、この「山梨20代女性」の行動を逐一報道させ世間に知らしめることに一体何の目的があるのか?

その「目的」は、はてブ匿名掲示板で「山梨20代女性」を吊し上げ、特定しようとするみんなの動きが、雄弁に物語っている。

私たちが「山梨20代女性」を叩くとき、そこには「行政対応に落ち度はなかったのか」という疑問は存在していない。

この女性は陽性が発覚したあとなぜ移動できたのか?感染者の隔離行政仕事ではないのか?最初から検診・検査が迅速にできていればこうはならなかったのではないか?症状が出てから4日放置するという検査要件自体感染の機会を大きく広げていないか?症状が出ていても、生活が苦しくて実家に帰らなければならないような人は、一体どうしろというのか?そもそも日本では大きく広がらない」「4、5月頃には収束している」なんて言って対策を怠っていた人が、本当は一番無責任ではないのか?

こういったシステムとそれを運営する行政に対する正当な疑問は、「身勝手な行動をしたオロカモノがいました」という行政からの発表とそれを広報するメディア、そしてそれに乗せられてオロカモノを断罪する人々によって、巧妙に隠蔽される。

この一件だけではない。自粛を「要請」されても、明日生きていくために店を開け続けたり、満員電車に乗り続けたりしなければならない人に対して、「人殺し」と吐き捨てたり張り紙を貼ったりして自粛しない者たちをリンチする社会は、生活補償保障なく自粛を「要請」されるという構造欺瞞に気づくことができない。

愚かな我々を、救済にしろ罰則しろ本来受け止めるかべきバッファ機能していないという問題は、愚かな行動をしてしまう我々個人問題還元され、それに対し我々は反発するどころか自ら自警団へ志願して、我々自身の首を絞めている。

それを知った上で、みんなは「山梨20代女性」を吊るし上げる勇気があるのだろうか。自らの知性に絶対の自信を持てるのだろうか。

私は持つことができない。

社会の中からオロカモノ」を探し出しリンチする一方で、何も考えずに愚か者為政者として選出し、その愚か者扇動されまた「オロカモノ」を探しだしまリンチする……というループを繰り返す社会にしたいなら、好きにすれば良いと思う。個を喪失し、考えることをやめた日本社会に、ある意味お似合いの帰結だ。

ただ、私は参加したくない。私は時々オロカモノになってしまうことが許される社会に住みたい。

それは今のうちに、はっきり言っておこうと思う。

2020-05-04

日本語圏の不自由について考える

「いつかの休日、野山を散策していたら大きな栗を抱えた一匹のリスを目撃した。」という事実があったとして、果たしてその話題は日の目を見ることがあるだろうか、という事を思案する。

「栗の実をほおばる栗鼠の姿を描いた絵画」は果たして公開されることが許されうるのか。「栗と栗鼠」という題を避けたとしても、コンテクスト批評から果たして逃れうるものなのだろうか。

リスは「栗鼠」の音読である。栗とリスはかように関連性の高い語句であって、栗とリスの語句は決して忌避されうるものである筈がないのであるしかしながら、この「陰核」なるものを想起される

事を回避する手段が完全に奪われて久しい令和の世に於いては、この栗とリスはもはや暴力であるかのように我々日本語話者の脳細胞に直接作用せしめ、思想とは無関係女陰のある一点

イメージを否応なく上書き破壊脱構築してゆく。嗚呼このおぞましき精神的DVたるや、何故に大きな栗の木の下で遊んでいるのは二匹の可愛らしい栗鼠であってはならないのか。何故に

この詩的かつ純粋空間於いて栗と栗鼠が存在すら許されず原罪を抱えたままで楽園追放されうるか

試論 風俗嬢カツオの話 差別の話

https://anond.hatelabo.jp/20200503121929

https://anond.hatelabo.jp/20200503204026

風俗嬢カツオ比喩がよく話題に挙がっているが、話がなかなか深まらないのでずばりいいたいと思う。

風俗業とカツオ漁師の端的な差は、賤業かそうではないかです。

先ず、カツオ漁師需要減に依って不利益を被る中で価格の低下を喜ぶことは悪なのか?ということについてですが、私達の社会における自由競争の中では、誰かの損益と誰かの利益がつながっているというのは当たり前の話です。

何処かの会社画期的な新商品を開発して売上を大きく伸ばせば、同業他社不利益を被ります廃業ということもあるかもしれません。

からといって、その事に心を痛めて利益の追求をやめるという選択馬鹿げた話でしょう。需給ギャップによる価格の低廉化というのも極当たり前の市場原理であり、いち消費者倫理的問題として考えるのは馬鹿げています

ただ、この新型コロナウィルス禍に於いては少し事情特殊で、そのような不利益配分が単なる損失というだけでは済まず、数多くの人が経済的困窮に陥り生活破綻する恐れがあるという事を皆が漠として思い描いているのでしょう。

その結果として多くの人が「健康で文化的な最低限度の生活」をすら保てなくなるのではないか?という問題ですが、それは憲法保障された国民権利問題になります

民主主義国家於いて主権者国民ですから、その範囲では国民には国家に対してそのような自体に陥らぬようにさせる政治的責任があるとは思いますが、

市場活動の中での商取引一つ一つに於いてその倫理に基づいて感傷的になるべきだ、というのはかなり筋違いの話であると考えます


では本題ですが、性風俗業についても上述のカツオの話と同等にただの自由競争の中の話と言えるのかということですが、これは言えないと多くの人間が思っています

なぜなら性風俗業が賤業だからです。

性風俗業は賤業です、理由は多岐にわたりますがいくつか挙げてみましょう。

性風俗業は性倫理に反する

地域時代ごとに文化は異なると思いますが、現代本国於いて不特定多数人間に体を委ねる女性というのは性倫理に反すると思われています

そのような考えは女性差別で前時代的な産物だという考えもあるとは思いますが、そうは言ってもそのような倫理性が各人に植え付けられているというのも一つの事実ですから

業としてそのような行為を行うことには躊躇があって当然でしょう。

性風俗業は被差別的な職業である

1つ目の理由と地続きですが、そのような反道徳的な行いに身をやつすことは被差別的な眼差しを向けられることにも繋がります

そもそも風俗業というもの自体管理売春であり、法律的にも限りなく黒に近い灰色と言っても良い業種です。

そういった業に就いている事実は、通常あまり公にして得のあることではありませんから、そのような業への就業が寿がれることはないでしょう。

性風俗業は就業者の心身に対するリスクが多大である

性風俗業には健康リスクがあります不特定多数の客と粘膜的に接触することはエイズに始まって多種多様病気への感染リスクを齎します。

業態に依っては妊娠というリスクもあるでしょう。そういった身体的なリスクがまずある上に、精神的なリスクもあります

個人差はありますが、汎く言って不特定多数と望まず性的関係を持つという事は当人精神に負の影響を与えるものです。

そのような統計があるのかは知りませんが、多くの風俗嬢が何らかの精神的な問題を抱えているものと私は感覚的に思っていますし、そう大きくは外れていないでしょう。


このようなリスク性風俗特有リスクであって、カツオ漁師とは比較にならないことです。それを理由として皆は岡村隆史氏の発言に憤りを感じました。

ですが、前段で挙げたような種々のリスクというのは風俗嬢に対して差別的なんじゃないか?という疑問があると思います

はい差別だと思います

どれも事実として存する事柄ですが、別に風俗嬢個人還元して良い話ではありません。

倫理なんてもの自体絶対ではないし、それを破ろうがどうしようが他人がとやかく言う話ではありません。望まず性倫理を破らなければならないのならそれは貧困問題です。別の手当が必要でしょう。

また、その当人差別的に扱うなんてことは言語道断であってはならないことです。法的にグレーだというのならきちんとそれを整えるべきなのであって、当人非行のように言うのは欺瞞です。

心身のリスクについても出来る限り低減させるような取り組みがもっとあって然るべきだし、当人健康リスクがあることを以て当人忌避されなければならない謂れは全くありません。

この社会では、差別は許されないということになっていますが、差別を語らないことが差別を許さないことになったと誤解している人が多いように感じられます

本来差別が許されないことであるのと、差別存在することは両立します。

差別は許されないが、差別現存しており、被差別的な扱いを受け(させ)たくないという感情もあるので、人は差別を遠ざけようとする為、差別再生産されます

カツオ風俗比較という話に対するレスポンスの多くが、体表を撫で回しているだけで終わるような表面的な話に終始し、風俗業の被差別性という本質に全く切り込まないことの理由がこれで、でもそれでは駄目なのです。

この社会性風俗というものをどう位置づけるかを考える良い機会ではないですか?単に岡村隆史バッシングしていればいいという話でもないと思うのですが。

2020-04-26

まりは、選択肢式のエロゲプロトコル

はいつもこう思っている

自分が選ばなかった選択肢の、隣の世界が常にあるんだ」と

今この瞬間にも、隣に無限世界が作られていく

ほんの少しの違いが、多世界を作っていく

今この場の自分の恥でそれを選べないくらいなら、そんな感情なんて蓋をしてしま

今この場の労力を厭いそれを選べないくらいなら、そんな倦怠なんて無にしてしま

しか選べないこの選択肢の視座に於いて、それをできるのが今だけなのであれば

跳躍一つで届く距離に、次の瞬間には那由他距離に遠ざかる浄土があるのであれば

2020-04-23

anond:20200422160753

生殖しないまま死ぬ個体や巣立たずに終わる個体」は進化に何の影響も全くこれっぽっちも及ぼさな


  って、本当? 蟻や蜂を見ていると、生殖しない個体遺伝子の生き残りに影響を及ぼしているように思えるんだけど.... (もちろん蟻や蜂など以外の社会的生物於いても同様ではないかと)

2020-04-19

anond:20200419160004

データサイエンス学位を持ってるわけでもないのにPythonで何すんの?

(日本於いては)Webでは使われてないよ

医療崩壊は防げたのか

政府がよくやってるとは思わない。

豪華客船への対応、お肉券にお魚券に旅行券、突然の休校要請、かと思いきやなかなか出さな緊急事態宣言10万円配る配らないのゴタゴタ、そして虫入りマスク

政府がよくやってるとは全く思わない。

しかしそれを一旦於いてみたとしても、果たしてこの何ヶ月かで医療崩壊は防げたのか?

そもそもの、5年計画の病床削減。

足掛け5年という長期計画で病床を削って来たという時点で、今回医療崩壊することはもはや避けがたかったのでは?

高齢化を見据えてカネのかかる高度急性期及び急性期病棟を削り、ついでに療養病棟も絞って医療費削減を、というのがコロナ前までの地域医療構想であり、病床再編計画だった。合理的妥当性があると判断された方針だった。

誰もこんなことになると思っていなかった。

いや、たぶん専門家は「こうなったらどうする」という警鐘を鳴らし続けていたはずだが、それを聞いた上で、「そうなったらその時だ」式に、目の前の高齢化に備える選択を取ってきたのだ。

まり普通に賭けに出て、負けた。それだけだ。

東京都23区内某所在住だが、ここのところ毎日救急車サイレンを聞いている。

毎日必ず最低1回。朝も昼も夜も聞く日もある。早朝、深夜、関係なしに。

現に今も鳴っている。

たらい回しの立ち往生なんだろうなあ、と思う。

せめて医療マスクとか感染制御アイテムはさっさと増産したれや、と強く思う。

あと肉の壁になってる方々、マジで逃げた方がいいよって言いたいけど、もう今更逃げ場もないだろって言われたらそうかもねとしか返せないので言えない。

頑張れる範囲で、頑張ってください。

元肉の壁より。

2020-03-30

anond:20200329121729

何が言いたいのかよく分からなくて何度も読んだが全然からなかった…

 

オタクって「顔が良い」って言わない傾向強くね?

 

これは「可愛い」「見た目が好き」とは違うのか?

 

「ああーー顔が良いーーー」っていう悶え方をあんまりしないというか。「その人物人格言動の美醜を一旦於いて、見目の良さのあまり肯定と感嘆に暮れ過ぎて語彙を失う」みたいな状態にならないというか。

 

その表現方は確かに見ない。「性格は最悪だがめちゃくちゃ可愛いので許す(許せる)」が近いかと思ったが「許す許さないの問題じゃ無い」と増田否定されそうだなと思った。

 

そもそもオタク二次元の(異性の)推しの良さを語彙を尽くして語ろうとしてるの自体あんまり見ない気もしているが。

 

上で言ってた「顔が良い」は語彙を失った言い方じゃ無いのか?

好きキャラ語りたがりオタクは男女共に見る気がする。男女比が半々のアイマスラブライブFate系辺りがわかり易い。

 

Fate作品語りが多いが、男オタも好きな異性キャラに特化してよく語ってる気がする。アイドル系は言わずもがな増田の好みの語り口が何かは分からないが、とりあえず推しについて語ってはいると思う。

 

言動クズまたはダメ人間または一歩間違えば他害に達するタイプヤバいやつ、だけど顔が良い(顔「は」良い)」という評価の仕方があんまりメジャーでないよね。

 

顔以外にも良いところがあるって語る事は「推しについて語彙を尽くして語る」ことから外れるのか…?

 

興味深いのは、「見目のある程度の麗しさはあって当然」であって、言動人格の美が見目の醜を覆すことが基本無いこと。

 

「見た目は好みじゃないが性格は好きだわ」っていう語りはわりと見るがこれは見目の醜を覆してる判定はされないんだろうか

 

読み応えのある表現物が読みたい

 

顔が良いって表現しないって話がこれに繋がることが一番良く分からなかったんだが俺の頭がめちゃくちゃ悪いんだろうか

読解力なさ過ぎて泣けてくるんだがまじでどういう事?

2020-03-29

オタクと女オタク二次元推しに対する違い

いや、いわゆる観測範囲問題の域を出ない話かもしれないんだが。

オタクって「顔が良い」って言わない傾向強くね?

「ああーー顔が良いーーー」っていう悶え方をあんまりしないというか。「その人物人格言動の美醜を一旦於いて、見目の良さのあまり肯定と感嘆に暮れ過ぎて語彙を失う」みたいな状態にならないというか。

そもそもオタク二次元の(異性の)推しの良さを語彙を尽くして語ろうとしてるの自体あんまり見ない気もしているが。(オタクかどうかはともかく風俗レポで文豪になってるのはよく見る)

なんかちょっと不思議だな。

言動クズまたはダメ人間または一歩間違えば他害に達するタイプヤバいやつ、だけど顔が良い(顔「は」良い)」という評価の仕方があんまりメジャーでないよね。

言い換えると、「(プラスの)評価」というのは常に人格言動への評価であって、見目のある程度の麗しさは備わっていて当然の足切りラインしかないような、そういう感じに見える。

興味深いのは、「見目のある程度の麗しさはあって当然」であって、言動人格の美が見目の醜を覆すことが基本無いこと。

どころか、言動人格が見目の美の引き立て役的スパイスとして期待されてる節があること。

逆に女オタク言動人格や一瞬の感情の美を引き出し表現するために、絵柄捏造解釈こねまわしは当たり前にやるってところがある。結果的に「読み応えのある」表現物が出やすくなってる感がある。キャラ解像度を上げる、というやつ。

何が言いたいかっていうと、引きこもりサンデーで暇だからキャラ解像度を上げようと試みてるような読み応えのある表現物が読みたいんだけど、みんなどうやって探してるの、という話です。

オタクは探しやすいとこあるじゃん……語ってるの見つけやすいじゃん……男オタ、エロ方面は充実してるけどどうも非エロが見当たらないんスよ……そしてエロエロスの解像度こそ高いけどエロいだけというか、「エロを通して関係性が変わった」とかそういうのが見えないのが多いんですよ……!

っていうかここまで書いてて気がついたけどそれこそ二次とかじゃなくて商業漫画のがいいか青年誌モノっぽい感じか?BEASTARSとか宝石の国とかあそこらへんか?

なんかないっすかねー。

2020-03-25

今年も始まって3ヶ月が過ぎようとしている。

酷く憂鬱な始まりの年ではあったが、この後はもうちょっとマシな生き方をしようと思う。

先ず、昔普通にやっていた文化的生活っぽいものを復活させたい。

本屋映画館美術館動物園水族館

そういったところに行こうと思う。

動物園水族館に一人で行くのはちょっと腰が引けるが。

きっと癒やしがぼっち感を上回る筈だ。

私は車に乗らないので、e-bikeでも買ってポタリングがてら遠くまで行こう。

日帰りでもいいから、寺なんかがあるところへ旅行へ行くのもいい。

それからストレスで肥って行く気にならなくなった大きいお風呂へ行こう

(なんなら週イチくらいで行こう)

あと、夏になったらちゃん花火を見に行こう。毎年職場から見るのは嫌だ。

職場から花火を見る…か。

そもそもこの職場を去るべきなのだ

勤めて丸3年は経っていないが。

この後の短くはない人生於いて、この職場に居ることによる肉体的精神的損失は計り知れない。

そもそも、「人に尽くす様な仕事」というのに向いていなかったのだ。

「もしかしたら」という淡い期待によって奉職してみたが、矢張り私の「人間に対する愛情の薄さ」は並大抵ではなかった。

そして、「仕事」と割り切ってやるには内容が過酷過ぎる。

こんな「仕事」に就いていながら、得られる報酬は僅かである

同僚は「バイトした方が楽だし稼げる」と言っている

(この片田舎ではダブルワークでもしないと私が現在得ている微々たる月収にすら届かないと思うが。それか夜職でもしない限りは)

ボーナスだって夏冬合わせても貧乏腰弁の月給に届かない程度だ。

ボーナスがあるだけマシ?月給がそれなりなのならボーナス無しでも構わないのだがな

(ところで、これから始まる同一労働同一賃金について世の正社員はどう考えているのだろうか。

普通企業なら賞与額で差を付けるのだろうが、正社員で居る意味が無くなる様な人も出てくるだろう。

あと、この法のせいで馘首される非正規も)

なんにせよ、この惨めな人生を更に生き続けるのならば

少しでも楽で満足出来る様なものを目指すべきだ。

自分自身も、人生も、コントロールしているのは己なのだから

2020-03-23

約束のネバーランド鬼滅の刃,HELLSING,そして人の尊厳矜持について

可哀そうに あなたはなぜ そんなにもひもじく飢えているの?

誰より豊かで何だって手に入るあなた

何かと思えば…妾がひもじい?飢えている?

「ええ あなたは飢えている」

いくら食べてもいくら手に入れてもいくら上りつめても満たされない

可哀そうに 哀れだわ 本当は何が欲しかったの? 何を恐れているの?

足りていると感じることさえできたなら 別の未来もあったでしょうに

際限のない欲望に囚われて 神への敬意も忘れ 世界をむさぼり

結果自らを破滅に導いてきたのだとあなたは気づいていないのよ

(中略)

いいわねムジカ あなたはずっとあなたもの

鬼は何者にもなれるが何者でもない

飢えが怖い 退化が怖ろしい

長く生きてさえたまにわからなくなる

どこまでが自分なのか 自分が何者なのか 何者になりたいのか

――白井カイウ/出水ぽすか約束のネバーランド


殺し続けていた

私の中で 私の命を

三百四二万四千八百六十七 一匹以外は 全員殺して殺し尽くしてきた

もう私はここにいる

もう私はどこにもにいるし どこにでもいれる

からここにいる

――平野耕太HELLSING

私にはね インテグラ

吸血鬼が あの恐ろしい 夜の世界を統べる不死身の化け物が

ひどく哀れな 哀れな弱々しく泣き伏せる童に見える」

――平野耕太HELLSING

「おまえはおれだ!!」

「お ま え は お れ だ !!」

「おれもこの通りの有様だった 俺もこの通りの様だったんだ!!」

「カッ カハ… カハッ… カハ…ッ カハハ…ッ カハッ」

「鬼が泣くなよ 童に追われたか

鬼が泣くな 泣きたくないから鬼になったのだろう

人は泣いて涙が枯れて果てるから

鬼になり化け物に成り果て 成って果てるのだ

ならば笑え 傲岸に不遜に笑え いつもの様に

はいく お前はいつまで生きるのだ

哀れなお前はいつまで生きねばならぬ?

膨大な私の過去を 膨大な私の未来が粉砕するまでだ

なに 直ぐだ 宿敵よ いずれ地獄

――平野耕太HELLSING

きっと吸血鬼になれば素晴らしいのだろう

無限永久に生きて 無限永久戦い続けられれば

それはきっと歓喜なのだろう

だが私はそれはできない それだけはけっして

不死は素晴らしい 能力は眩しい

血液通貨とした魂の命の同化

失 せ ろ !!

俺の心も魂も命も 俺だけのもの

他者との命の共合 生命(いのち)の融合

精神統合 吸血鬼本質

何と素晴らしい それはきっと素晴らしいのだろう

きっとそれは歓喜に違いない

だが冗談じゃない 真 っ 平 御 免 だ ね

のものは俺のものだ 毛筋一本 血液一滴

私は私だ

私は私だ

私は私だ!!

うらやましいね

眩しい 美しい

からこそ愛しく だからこそ憎む

からこそお前は私の敵だ 敵に値する

遂に私は宿敵を見つけたぞ

私の戦争

そして我々はそのための準備を営々とはじめた

50年かけて

――平野耕太HELLSING

私は永遠が何かを知っている

永遠というのは人の思いだ 人の思いこそが永遠であり不滅なんだよ

――吾峠呼世晴鬼滅の刃

「これきりなのね…………」

「手術が終わったらこの気持もかき消えてしまうのね」

「いや そうじゃない」

「この瞬間は永遠なんだ」

――手塚治虫ブラックジャック

やろうと思えば刑務所くらい俺も出られる。

ただ俺は今たいした不自由を感じちゃいないんでね。外出する必要もない

さ、戻ろうや所長。バカバカしい…

世界自由でなければ自由を感じられないなんて

なんて不自由な男だい

板垣恵介範馬刃牙

ノミっているよなあちっぽけな虫ケラのノミじゃよ!

あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて 戦いを挑んでくるなあ!

巨大な敵に立ち向かうノミ…これは『勇気』と呼べるだろうかねェ

ノミものは「勇気」とは呼べんなあ

それではジョジョ!「勇気」とはいったい何か!?

勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!

人間讃歌は「勇気」の讃歌ッ!!

人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!

いくら強くてもこいつら屍生人は「勇気」を知らん!

ノミ同類よォーッ!!

――荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険:ファントムブラッド




タイトル引用だけで9割が伝わる人もいるだろうから、これ以後はもはや蛇足である

約束のネバーランド18巻を読んでから連想感想

冒頭で引用した、鬼の女王レグラヴァリマのとの会話が印象的だった

まり、これは「主観的地獄」についての話なのだ、と思った

 餓鬼は、三途・五趣(五道)・六趣(六道)の一つ。餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされる

 「正法念処経」では36種類の餓鬼がいると説かれている。

 鑊身:私利私欲動物を殺し、少しも悔いなかった者がなる。眼と口がなく、身体人間の二倍ほども大きい。手足が非常に細く、常に火の中で焼かれている。

――wikipedia餓鬼


誰が地獄を作るか、それはまさに仏教的な意味での「縁起」や「十二因縁である

現代的かつ限定的に例を出せば、基本的信頼感とも言える

人は足るを知らなければならない

人を知る者は智、自ら知る者は明なり

人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し

足るを知る者は富み、強めて行なう者は志有り

その所を失わざる者は久し

死して而も亡びざる者は寿し

――老子

逆説的というか、皮肉にもというか

「欲しい」と思い込んでいるものを求め、望み、手に入れれば入れるほどそこから遠くなっていく

それが物質であれ、行為であれ、関係性であれ

現代於いて、それは「依存症」という形で結実している

依存症を救うのは、常に人間関係であるという

詳しい解説松本俊彦の著書でも引用すれば良いが、そうなのである

そも、依存を引き起こすのは何か、何を求めてそれだけの執着になるか

冒頭で引用したセリフにあるように、「何を求めているのか」が掏り替わっているのだ

掏り替わり続け、世界と擦れ違い続けた結果、その主体者の主観的世界地獄に生まれ変わる

潔癖症人間が、自らの認識作用を総動員してその主観的世界汚物で席巻するように

それは、人間というシステム原理的に持ち得てしまうある種のエラーである

その救いとして、この世界では「自分意思」というものを一つの解答とすることが多い

恐怖や不安直視し、良いものも悪い物も等しく自分の中に置き、「曇りなき眼」で見続ける

倒すことはできない、消すこともできない、「ただそこに在るだけ」をそのままにしておくこと

これは、ACTの考え方とも同義である

ACTは従来型のCBTと異なり、クライアント自分自身の思考感情感覚記憶など私的出来事のよりよいコントロール方法を教えるということはしない。むしろACTクライアントに教示されるのは、「ただ気づいていること」、受容すること、私的出来事を思ったままにすることである特に、自らにとって望ましくない事柄についてそうすることが求められる。

――Wikipediaアクセタンス&コミットメントセラピー

 最後に、くり返しになってしまうがまとめておこう。他者はいつでも私にとっては「理解きぬ不気味な存在」でありえる。その不気味さが同じチームのなかで突然浮かび上がることがあるし、理解という手法でそれを解決することはできない。むしろ、その「理解できなさ」こそが、一種の救いなのだ他人の心に踏み込んでいったり、他人自分を同じ存在だと思ってしまったりすると、正常な距離は失われることになってしまう。

 だから、互いに「理解できない不気味な他者」として関わり、そしてそれゆえに「共にいる」こと。わたしたちはそうした関係に満足しているべきだし、そうした関係にこそ価値がある。

――ティッシュ専用ゴミ箱2 「女児向けアニメで描かれる「他者の理解できなさ」について。あるいは、女児向けアニメは家族の問題とどのように向き合ってきたか。-『プリティーリズム』『プリパラ』を一例にして」

の子を解き放て!あの子人間だぞ!

黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか?

森を侵した人間が、我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ!人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い、かわいい我が娘だ!お前にサンを救えるか!?

からぬ……だが共に生きることはできる!

ハハハ!どうやって生きるのだ?サンと共に人間と戦うと言うのか?

違う!それでは憎しみを増やすだけだ!

――宮崎駿もののけ姫」

ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものにしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。ゲドはそのような人間になったのだった。

――アーシュラ・K・ル=グウィンゲド戦記影との戦い

2020-03-09

運命に従わなかったものの末路(その1)

これが運命、という啓示が予めあったにも関わらず、それに従わなかったパターン


まず、その運命に反する行動をとるときに、ものすごい抵抗がある。

その後、しばらくはもやもやと抱えたまま生きる。

本来運命ではないことが起こったことをはっきりと自覚してからは、死にたくなる。大うつ病がやってくる。

その後は、よくある受容が起こる。

ただ、受容の程度がえげつない

記憶が抜け落ちる。解離性健忘が起こる。

私の場合は、なにかから接続がぷっつりと切れ、糸が抜かれるような感覚があるときがあった。

それからの感じ方というのは、感覚でいうと、時計じかけのオレンジアレックス状態

ルドヴィコ療法の如く、目を見開かされながら、自分のいない世界線を、ずっと見る感じ。

ただ、自分のいない世界線といっても、自分という登場人物はいて、あくま世界線の一部として存在している感じ。

それまであった主人公感は完全に抜け落ちる。

自分時間は与えられるが、自分本来やりたいことは手に付かない。

でも、自分のいない世界線は、自分の在不在に関わらず、本来進むべき脚本に従って続いていく。

自分場合他人との関わりに於いてだったので、その他人の演じる分まで演じている感じ。

時折、現実世界を見ていると、本来世界線映像が出てくる。

夢にも本来世界線が出てくる感じ。

なんであんなことしたんやろ。

運命には従ったほうがよい。

2020-02-16

内藤一成『三条実美』を読んで

内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書2019年2月)読了

面白い三条理解できたことで、この時期の政権本質についても理解が深まった。三条を「有徳の為政者」と位置づけ、最後にそれを「知の政治家」(瀧井一博の伊藤評)とつなげるのは見事だなあ。

封建制社会儒教道徳徳治属人的」→「近代社会議会制原理法治/属制的」。高貴な出自なのに革新志向、清廉無私の人柄、この二つの特徴を持った三条実美という人物が当該期の政権運営には必要だったということだ。

興味深いのは、手腕でなく徳で政府を治める太政官制(あるいはそのような政治文化)とその後に樹立された明治憲法体制比較すれば、前者がより属人的後者がより属制的といえるが、さらにその後の昭和戦前期と比較すれば初期の明治憲法体制属人的要素に頼る所が大きかったことだ。伊藤らの意図は立憲制度確立、つまり天皇閣僚が入れ替わっても立憲政治の根幹が失われないよう制度化することにある。言い換えれば属人から属制への転換を図ることだ。(ちなみに、神棚に祀ることで天皇政治勢力を接近させずまた天皇権力事実上制限したのが、まさに伊藤(井上伊東)の深謀遠慮というものだ。この賢察を思うにつけ、天皇機関説排撃とかバカジャネーノとしか言えん。天皇機関にするのが憲法だろ!)。

しかしそれでも、憲法に明記されない微妙問題、あるいは高度な政治判断が求められる局面になると、個人パーソナリティーや個人間の特別関係ものを言うことが多い。要するに、当面の政敵でも共に維新回天の荒波を潜り抜けてきたという同志的な感覚とそれに基づく信頼・敬意・連帯感があり、最後最後ではその琴線に訴えかけることで複雑な問題の調整が図られているように思える。制度に足りない部分を人情が補っている、草創期ならではの危うい立憲制。

そして明治元勲が皆世を去ってしまうと、憲法は輝かしいけれど文字になり、制度要塞になり、縦割り・現場無視党利党略・悪い意味での官僚的態度等々が前面に出てしまい、それが政権運営不安定さや政党政治機能不全につながった……のではないか日中戦争前後政府官僚・軍・政党を見ていて感じるのは、よく「彼は調整型の人物で…」というが、政治的調整とは調整役が何とかしてくれるということではなく、また調整役とは八方美人意味であるはずがない。

三条近代立憲政治にふさわしいリーダーではないが、ある時期には彼のような調整役が必要で、それは彼が出自人徳という計画的習得できるようなものではない要素を備えていたからで、そういう意味で代えのきかない存在だった(武器として装備しました、ではなく、元々そういう人だ(あるいはそのように見える)という点こそが重要)。その後の政府現代組織於いて三条人物三条のような高い地位を占めるべきかと言われれば疑問だが、組織運営(特に責任者の周囲)に於いて三条的な役割不要成る事は決してない。三条合理的積極的存在意義を見出すという著者の意図は十分成功しているし、その存在意義はそのようなことをも示唆しているのではないか

2020-02-13

映像研の感想

酔っ払っている。

映像研。

今、アニメ6話まで見たところ。

原作漫画アニメを本格的に見る前に5巻まで読んだ。

で、原作を踏まえてアニメを見た感想

こんなに「愛」に溢れたアニメはないんじゃないか

作中で3人の少女は、アニメを作ろうと奮闘する。

設定を作り、動画を割り、資金環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。

で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。

しかし悲しいか漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。

そこで今回のアニメである

完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。

それだけじゃない。

アニメ制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場感覚アニメの作り手自身が持ち込んで足している。

決して「現実をナメるなよ」というニヒリズムや諦念ではない。

強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。

映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。

「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」

粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ

祝福をもって、受け入れられたのだ。

そして、アニメプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。

他でもない、原作者・大童澄瞳氏、その人である

エンディングアニメーターとして参加したことがその証左だろう。

原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。

で、このアニメは、アニメからの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。

エンディング動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。

(おそらく、浅草氏に近い画的資質を持つ人なのだろう)

それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。

これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。

原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、

「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。

それでいて、そのラブレター勇気づけられたことに感謝も示す。

偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬しかないでしょ。

アニメの作り手は原作に、原作の描き手はアニメの作り手に、

お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。

その結晶が、このアニメ作品なのだとしたら。

それが傑作に、ならないわけがない。

余談

それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。

そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。

アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。

そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。

アニメ映像研は、そういう作品だと思う。

映像研の感想

酔っ払っている。

映像研。

今、アニメ6話まで見たところ。

原作漫画アニメを本格的に見る前に5巻まで読んだ。

で、原作を踏まえてアニメを見た感想

こんなに「愛」に溢れたアニメはないんじゃないか

作中で3人の少女は、アニメを作ろうと奮闘する。

設定を作り、動画を割り、資金環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。

で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。

しかし悲しいか漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。

そこで今回のアニメである

完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。

それだけじゃない。

アニメ制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場感覚アニメの作り手自身が持ち込んで足している。

決して「現実をナメるなよ」というニヒリズムや諦念ではない。

強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。

映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。

「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」

粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ

祝福をもって、受け入れられたのだ。

そして、アニメプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。

他でもない、原作者・大童澄瞳氏、その人である

エンディングアニメーターとして参加したことがその証左だろう。

原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。

で、このアニメは、アニメからの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。

エンディング動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。

(おそらく、浅草氏に近い画的資質を持つ人なのだろう)

それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。

これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。

原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、

「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。

それでいて、そのラブレター勇気づけられたことに感謝も示す。

偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬しかないでしょ。

アニメの作り手は原作に、原作の描き手はアニメの作り手に、

お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。

その結晶が、このアニメ作品なのだとしたら。

それが傑作に、ならないわけがない。

余談

それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。

そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。

アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。

そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。

アニメ映像研は、そういう作品だと思う。

2020-01-27

文章の終わりを()だけで終わらせる人

()の中に(白目)とか言葉が入ってるのは分かる。

たまに語尾に()だけ書く人がいる限り日本於いて空気を読め文化はなくならないと思う。

2019-12-27

たくさんセックスをして自己肯定感が湧いた話

35歳男。世の中に自分の居場所があるのか、いつも自分に問いかけていた。

ここ数年、たくさんセックスをした。そしたら自己肯定感が湧いてきた。

相手は様々。女子大生もいるし、社会人もいる。彼氏持ちもいるし結婚している人もいる。おしゃれな人、太っている人、裕福な人、不幸な人、色んな人がいた。色んな人と会話をして、キスをして、セックスをした。セックスに詳しくない女性に性を教え込んだこともあったし、お互い協力して最高のセックスを追求することもあった。癒やされるセックスも、溶けて無くなるかのような激しいセックスもした。

そういう経験を経て女性人間というものが多少わかってきた。なかでも一つ知見として得られて良かったことがある。男性女性を強く求めるのと同様に、女性男性を強く求めていること。そのことがわかったし、自分を求めてくる女性結構たくさんいるということもわかった。自分を求めてくる人がいること、それはこの世の中に自分の居場所ができたことと同義だった。

たくさんの女性セックスしたことは、おそらく世間的には良しとはされないだろう。彼氏持ちや夫がいる女性とのセックスもしたので自分のせいで不幸になっている人がいるかもしれない。全部公になったら罵詈雑言を浴びせられる側になるだろう。でも、それはもうどうでもいい。他人の顔色を伺うより自分の居場所を作ることのほうが遥かに重要なのだから。たとえ誰かを怒らせても、罰則がつくことになっても、自分セックス依存症だと診断されることになっても、それらは些末なことなのだ。

セックス観も変わった。以前の性に疎い頃は、どうも男性女性搾取しているような感覚があったが、少なくとも自分セックス於いては全くそうではないと思った。むしろ女性からセックスを求めてくるほうが多いと思う。世の中の女性はこんなにもセックスに飢えているのかと驚くくらいだった。搾取ではなく協力。それがセックスだ。

そして無事、自己肯定感のある健全精神を手に入れた。

今はもう昔のようにセックスをしなくても良いと思ってる。でも、女性から求められたら断れない。女性も恥ずかしい中セックスを求めてくるわけだから、それを断るのは人間としてひどい行為からだ。さて、仕事納め今日セックスだ。

2019-12-09

[] 承知しました

相手要望に対する返答に用いる。

「(相手要望の)趣旨理解しました」との意味

しかし、相手要望に応じた行動はとらない。

https://buzzap.jp/news/20191204-wakarimashita-naikakufu/

  

「承諾」は、「承知」が「聞くこと・知ること」がポイントであるのに対し、「承諾」は単に聞く・知るだけでなく、

最終的に「引き受ける」ことがポイント

相手事情を「承知」した上で「積極的に引き受ける」ニュアンスがあります

https://news.mynavi.jp/article/20190517-824604/

  

※「承知ではなく承諾してください」と言質とらなきゃあかんかったんか?

 でも承知の例文だと、

  

(例文)

承知しました。すぐに在庫確認して参ります

承知いたしました。準備出来次第、お届けいたします。

かしこまりました。明日までにご用意いたします。

https://news.mynavi.jp/article/20190517-824604/

  

認知だけでなく行動が伴ってる。

 行動はあくま忖度サービスであって、「承知」に於いてマストではないってこと?

2019-11-18

香港の話 民主デモ あと共産党 要約すると『香港は誰の物?』問題

ついに煮詰まりつつある香港デモですが、まあ難しいよね。

日本民主国家であり、中国社会主義看板を掛けた独裁国家なのだ

一党独裁体制と言われるのだけど、強大な権限を持つ指導部がけん引していくことを前提に組織が出来上がっている。

共産党にとって、中国国内は全てシマウチであって、指示に従わない方が変だという姿勢なのだ

対して、香港は100年近くもイギリス支配していた。領有特有のあれやこれやはありつつ、それでも少なくとも民主主義が建前だった。

まずこの、主権の在処が大きく齟齬を生み出す。

民主制於いて国民は、何より尊重されなければならず、一党独裁体制では尊重されるべきは体制の存続だ。

今、日本は『成功した社会主義』なんて陰口をたたかれつつも個人財産権自由保障されている。デモだってハロウィンだって蘇民祭だってやっても殺されることはない。

同じ感覚中国へ行き、反体制デモに参加すると結果は哀れなものになる。

その中間民主主義が育ち、独裁に組み込まれ香港ではどうなるか。

はっきり言えば『香港は誰の物なのか?』という問いへの答えが出るまでデモは続くのかもしれない。

共産党は、返還されたのだから当然自分の物だと思っている。

香港とそれが醸す民主主義で育った香港青年たちは当然、それを構成する自分たちの物だと思っている。

互いがその思いを譲れない以上、共産党軍は守るべき国民に銃を向けることになる。

香港大勢知識階層産業施設を失うことになる。

市民駆逐することは出来ず、禍根は後を引くだろう。

共産党市民香港はどちらの手に握られるのだろうか。

2019-10-24

田中亜以子さんの論考が滅茶苦茶

「感じさせられる女」「感じさせる男」という役割は、いつ生まれたか(田中 亜以子) | 現代ビジネス | 講談社

これな。中を読めばなるほどと思わされる近現代面白いトピックがたくさん書いてあるんだけど、それはいいんだが、総論があまりにおおげさじゃね? 「男性女性を『感じさせる』セックスデフォルトとする価値観誕生は、20世紀初頭の西欧に見出すことができる」とある。マジかよ、と驚いた。

とはいえ女性受動的、男性能動的とする当時の性別観は強固に維持された。(中略)『感じさせられる女/感じさせる男』の誕生である」ともある。そこに至る論旨がよくわからないんだが、なんか「女性受動的、男性能動的とする性別観」イコール「感じさせられる女/感じさせる男、という性別観」であり、そんな価値観19世紀以前の地球人類には存在しなかった、と言ってるように読める。そりゃいくらなんでもおおげさじゃねーの。

そんなに最近まれ特殊価値観だとしたら、「昔のセックスは男女対称だった」という例が,いくらでも挙げられるハズだ。しかしどこまで読んでも、それは、ない。ないのはどう考えてもオカシイんだが、そう指摘するブコメもない。春画では男女が対称的に絡み合ってる、という仄めかしが冒頭にあり、全体の締めに「性的快楽平等は、女性リプロダクティブ・ライツ保障はもとより、社会的女性男性と対等な存在となることなしに、ありえない。そして、そのときこそ単純な『感じさせられる/感じさせる』という性役割消滅しているのではないだろうか」とあるが、その割に、江戸時代町人男女は社会的に対等で性的に対称だった、のかどうか、踏み込んだ検証もない。なんでないの。ないならなんで仄めかすの。

オスがアプローチし、
諾否の決定権はメスが持つ。
オスが攻めでメスが受け。

その構図が、西暦1900年以降の西欧発明されたものだっちゅーの? アホか。地球上の大抵の虫も鳥も、カメレオンクジャクラッコカメも、そういうふうになってるじゃないか。それでも普遍的とは言えない、というなら別にそれでいいけど、数億年単位歴史があるものを「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー

◉◉

精子は貧弱だが活発で無尽蔵、卵子は富栄養だが不活発で希少である。種の生存戦略としてそれが普遍的な正解だとは言わない。原初地球原初の海の所与の条件下で、たまたま結果としてそういうタイプ勢力を拡大した、ということなのかどうか、まあとにかく事実としてそうなった。そういうタイプ生物於いては、オスが遺伝子を残す確率は、ほぼ、孕ませたメスの数に比例する。要するに、片っ端からヤリたがるのが正しい。

一方、メスはいくらヤッたって、一繁殖期当たり、通常一体のオスの子しか孕めない。当然、遺伝子を残す確率を高めるには、相手を厳選しなくてはならない。クソみたいなカスみたいなオスに孕まされたら一巻の終わりだ。なにせ卵子は希少なのだからヤリチン英雄だがヤリマンは愚か。例外は「タマシギ」くらいしか知られていない。

ヒトの場合で言うと、オスは1年で300人を孕ませることだって(3000人だって原理的には可能だが、メスはその間、一度しか妊娠できない。クソみたいなオスのアプローチを、時にかわし時に撥ね付け、同時に一方では懐妊のタイムリミットも気にしつつ、落としどころで妥協して決断して受諾するしかない。人気ブコメに「女が『やらせてあげる』(男が『やらせてもらう』)っていう表現意識絶滅してほしい」というのがあるけれど、そういう意識の根源はここにあり、絶滅はなかなかむずかしいと思う。「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー

◉◉

昔のブンガクの話をする。好色一代女は、「堂上家の姫君に生まれた一代女が、その道を踏み外して、快楽と苦悩とのないまぜになった売春生活の末に、次第次第に転落し、太夫から天神私娼へと堕ちてゆく」話で、1686年刊、とWikipediaにある。

あるいは八百屋お七。これはどこまでが史実でどこが創作文学なのかわからないんだが、大火で焼け出されたうぶな少女が、避難所遊び人にヤラれちゃって忘我の境地を知りメロメロになり、そのオトコに逃げられて想いを募らせ罪を犯すという話が、当時も、現代においても、深い同情と共感を呼ぶ。

あるいは竹取物語。男たちが求婚し、諾否の決定権は女が持つという、まさにそういう構図の話だ。

あるいは「逢ひ見ての のちの心にくらぶれば 昔はものを 思はざりけり」とか「つれなのふりや すげなのかおや あのようなひとが はたとおちる」とか、どうですか。エロいでしょう。西洋寓話には「眠れる美少女イケメンキスで目覚める」というのが多く、男女逆のは聞いたことがない。あれも、そういうことじゃないんですか。

あるいはオウィディウスの「恋愛指南」(複数和訳があるらしい。以下はネットで拾いましたすみません)。「私は[女が]自分の喜悦をついもらす声を聞くと嬉しくなる。私に待ってくれとか、こらえてくれとか、いってくれるのは嬉しい。女の愛の狂的な、もう参ったという目つきを見たいものだ。彼女をぐったりさせたい。もうさわってくれるなと拒ましめたい」「目当ての女性の膝に塵が落ちかかるようなことがあったら、指で払い取ってやらねばならぬ。たとえもし塵など全然落ちかかってこなくとも、やはりありもせぬ塵を払い取ってやりたまえ。なんでもいいから、君が彼女に尽くしてやるのに都合のいい口実を探すのだ」「接吻を奪ってからは、満願成就までなにほどのことがあろうか。ああ、なんたることぞ。そんなのは恥じらいではない、野暮というものだ。力ずくものにしてもいい。女にはその力ずくというのがありがたいのである。女というものは、与えたがっているものを、しばしば意に添わぬ形で与えたがるものだ」紀元前の書らしいよこれ。

これらに接して素直に浮かぶ感懐は、オレの場合、ああ、エロ事情って二千年前から変わらねえんだな、というものです。お前ら様はどうですか。ちなみに怪人小谷野敦は、怪著『もてない男』の中で「近代以降と中世以前との違いばかり強調するのがいまどきの流行だが、共通点だって普通にある(大意)」と述べている。「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー

◉◉

まあブンガクは置いとくとして、「ほとんどの生き物が、オスが性的アプローチし、諾否の決定権はメスが持つ」というのは、珍説でもなんでもなく、大抵の人が知っているはずの事実だ。「ほとんどの生き物で、まあ控えめに言ってもほとんどの哺乳類で、メスは交尾の間、ただじっとしている」というのも「ヤリチン武勇伝として語られがちだが、ヤリマンは呆れられる」というのも、大抵の人が知っている。「男の性欲は視覚からでも、あるいは内なるリビドーからでも一瞬で火が点くが、女の身体時間をかけ手順を踏んで優しい接触から始めてもらわないとなかなかスイッチ入らない」とか、「多くの男は射精快感自然に知るが、多くの女は上手な男に上手に開発されないとなかなか目覚めない」とかいうのも、まあ俗説かもしれないが、フェミ勢を含む多くの人が直感的に、かつ体感的に、認めているのではないか

若い女可愛い」というのも、無視できない。もちろん筆者なら「それこそまさに社会押し付けジェンダーロール」と言うだろうが、本当にそうか。「ヒトは、小さくてすべすべでふわふわで声の高い生き物を可愛いと感じ、愛でたくなるようにチューニングされている。子育てに有利だから結果としてそういう特性が優位になった」という仮説は、そんなにおかしくないと思うんだが。写真を見るとこの筆者自身、明らかにオレより可愛い

「オスが攻めでメスが受けなのは性器の形状から考えても当たり前」というような一見バカっぽい主張だって、「いつ生まれたか」を本気で考えるなら、当然アタマをよぎるはずのファクターだ。

なぜ、それらをすべて無視して、20世紀初頭の西欧なのか。

それは、「いつ、なぜ生まれたか」を、本気で考える気がないからだ。

この人は「それは社会的刷り込みに過ぎない。それもごく最近の、特殊な」という結論ありきでものを言ってる。だから、その結論に都合の悪い話は無意識スルーする

◉◉

ホニャララという価値観はなんら普遍的ものではない」式の主張は、確かに快刀乱麻感があって気持ちいいが、そもそも価値観というものはすべて何らかの偏りであり、したがって「普遍的ではない」のは当たり前だ。それだけでは「価値観価値観だ」と言ってるのと変わりない。

それが意味を持つのは、ホニャララフリー世界も意外に広い、という事実とセットの場合だけだ。例えば「チョンマゲはカッコイイという価値観」に対して、「チョンマゲを奇異に思う世界の方が圧倒的に広い」と提示することには意味がある。また例えば「食事というもの主食とおかずから成る」と思い込んでる人に、そうでもない文化圏存在を示せば、有益な目ウロコ落としになるだろう。だが「感じさせられる女」の論考には、男女が互いに感じさせ合う文化圏も意外に広い、というような例は、ぜんぜん出てこない。

そんなら、最初からこう言えばいいんだよ。「普遍的かどうかとか、いつ生まれたのかとか無関係に、私はその価値観が嫌いだ」と。「想像してごらん、男女が対称的なセックスを。私を夢想家だと笑うかい?  But I'm not the only one. I hope someday you'll join us」と。

オレは「セックス快感の授与と受容において、男女はもっと対称的であるべきだ」という、なんとなくジョンレノンっぽい主張を、批判する気はない。特に賛成でもないが反対でもない。そう思う人はそう主張すればいいと思う。少なくとも、悪い意見じゃない。

また、男女の性行動の非対称性自然根拠があるからと言って、「自然根拠があるから肯定・維持すべきだ」とも思っていない。例えば「痴漢は男が多い」ことには、生物としてもっともな理由があると思うけれど、だからといって痴漢擁護する気はない。いくら本能的にもっともであっても、否定されるべきことというのはある。

からね、その主張自体は、べつにいいんだよ。ただ、その主張を強化するために、客観を装ってもっともらしい嘘を述べ、あるいは誰かのもっともらしい嘘を本気にし、それをあたかも確定した事実であるかのように無批判引用し、自分の主張の根拠とし、都合の悪い要素はスルー、という、その姿勢がイヤだ。恥ずべきだ。

◉◉

オレの方こそ些細な点をおおげさに問題にしてるのだろうか。

例えば「そういう価値観は太古からある。ちょっと20世紀初頭の西欧から概観してみよう」とでも書いてあれば何も文句はないんだし、脳内さらっとそう読み換えて流すのが大人のたしなみなのかも知れない。だけどさー、「いつ生まれたか」というタイトルで、「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、はっきり書いてあるんだもんよー。長くてごめんねー。

同一個体・同一意識で、いままで一度も滅んでいない生命は、

こ の 宇 宙 だ ー ッ ! !


かっこ 但し観測可能範囲内に於いて

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん