はてなキーワード: 普通地方公共団体とは
第二百四十四条
2 普通地方公共団体(次条第三項に規定する指定管理者を含む。次項において同じ。)は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。
埼玉県は住民の利用を拒んだのではなく、指定管理者(水着撮影会の運営者)に対して管理業務の停止を命じたんだぞ。
ちなみに指定管理者に対する管理業務の停止は、第二百四十四条の二で定められているから適法だぞ。
第二百四十四条の二
11 普通地方公共団体は、指定管理者が前項の指示に従わないときその他当該指定管理者による管理を継続することが適当でないと認めるときは、その指定を取り消し、又は期間を定めて管理の業務の全部又は一部の停止を命ずることができる。
これなんて分かりやすく行政法の問題なのに良識(笑)で否定しようとしてるの反ワクあたりの陰謀論者と何も変わらないな
その上で拒むなら正当な理由があるかどうかだけど
「正当な理由」に該当するかどうかは、個々具体的の場合に判断するほかはないが、一般的には、公の施設の利用に当たり使用料を払わない場合、公の施設の利用者が予定人員をこえる場合、その者に公の施設を利用させると他の利用者に著しく迷惑を及ぼす危険があることが明白な場合、その他公の施設の利用に関する規程に違反して公の施設を利用しようとする場合等は、正当な理由に該当すると解される。
これが通説なわけだけど、これに該当する可能性ある?
俺はないと思う。
Colaboと東京都との契約が「公法上の契約」とのことで、その取扱いについて話題になっている。
また、先行したまとめもあるが、
もう少し詳しく見ていこうと思う。
結論を先にいうと、
と考えている。
どのように区分されるのか。
国や公共団体(市町村がその典型)の内部や相互間の関係を規律するルール、および、それらと私人との関係を規律するルールが《公法》であり、私人相互間の関係を規律するルールが《私法》である。
具体的にいうと、公法に該当するものとして、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法、国家行政組織法などがあり、私法に該当するものとして、民法や商法、会社法などがある。
ただし、公法に区分されている法律にも私人間について規定した部分があったり、私法に区分された法律にも国家について規定した部分があるなど、法律単位で明確に区分できるものではないので、概念的なものと理解してほしい。
公法と私法はそれぞれ別の法体系として捉えるべきかどうか、という議論がある。現在の通説は一元論(というより区分の意味がない)であり、判例・実務も一元論寄り(あえて区分しない)と理解されている。
法解釈技術的に見る限り、今日、公法私法二元論を取って取れないことはないにしても、その場合、一元論に対比しての独自の意味は余り無く、従って、どうしても二元論に固執しなければならない、という理由もまた無い、というのが実態
公法上の契約に入る前に、行政庁がその活動を行うにあたって、どのような形式があるのか見ていこう。
一般的に、私人間の法律関係・権利義務関係を作るものは契約である。
契約という手段を用いることもある(後述)が、そのほかに「行政行為」という概念がある。法律上の用語ではなく、講学上の用語であるが、便利なのでこれを用い、具体例を挙げて説明する。
行政行為にはこのような種類があるが、それ自体は余り重要ではない。重要なことは、行政行為とは私人に多大な影響を与えるものであり、法的な根拠が強く求められる(行政の好き勝手は許されない)ということだ。
行政行為は権力的行為の象徴としてとらえられ、その限りにおいて行政権についての法の拘束を問題とする法律による行政の原理を中心とする行政法の諸原理が直接妥当する。
例えばあらゆる行政活動につき妥当する「法律の優位の原則」は言うまでもなく、「法律の留保の原則」に至っては、そもそもそれ自体が行政行為を中心とする個別具体的な行政活動をめぐって展開されて来た
ざっくり言うと、「法律による行政の原理」とは、行政は法律に従って活動しなければならない、という大原則(例外あり)のことであり、この原理から導かれる「法律の優位の原則」とは行政は法律に違反してはならないということで、簡単に理解できると思う。
また、法律に反しなければ行政は何をしても良いわけではない。そこで登場するのが「法律の留保の原則」である。これは、「行政活動を行うには法律の授権を必要とする」という考え方だ。ただ、これはすべての行政活動に妥当するとは考えられておらず、例えば純粋な私経済作用(例えば文房具を購入するなど)については妥当しないと考えられている。
しかし、我が国における一般的な行政慣行として、行政行為に至る前に、行政指導というものが行われている。具体的にいうと、役所に「こんなことできませんかね?」と質問した際に「それじゃちょっと難しいっすね。ここをこうしてもらえるならできまっせ」と回答して貰ったり、役所から、「建物が壊れそうで、このままだと行政処分をせざるを得ないから、今のうちに危険を除去しといてね」と指導されたりするやつだ。
これは行政行為(処分)ではなく、単なる事実上の指導であるので、基本的には法的な根拠は不要であるし、訴訟の対象にもならないと考えられてきた(例えば行政指導を信じた私人が不利益を被った場合、行政庁に責任はないと解されてきた)。
行政行為には法的根拠が必要で、手続き守らなければならず、訴訟の対象にもなるということで、面倒くさい行政行為ではなく、行政指導を活用してきたということだ。
しかし、あまりに便利で幅広に使いすぎたせいもあり、一定の手続きの整備や訴訟の対象とすることは必要だ、と解されているのが現在である。
行政指導には何らの法的拘束力も無いという基本的な考え方からして、行政指導に対する私人の信頼の保護ということが、行政法学上重要な問題とは考えられなかったような時期はもう終わった、ということだけは明らかとなった
第三十二条 行政指導にあっては、行政指導に携わる者は、いやしくも当該行政機関の任務又は所掌事務の範囲を逸脱してはならないこと及び行政指導の内容があくまでも相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであることに留意しなければならない。
2 行政指導に携わる者は、その相手方が行政指導に従わなかったことを理由として、不利益な取扱いをしてはならない。
第三十五条 行政指導に携わる者は、その相手方に対して、当該行政指導の趣旨及び内容並びに責任者を明確に示さなければならない。
2 行政指導に携わる者は、当該行政指導をする際に、行政機関が許認可等をする権限又は許認可等に基づく処分をする権限を行使し得る旨を示すときは、その相手方に対して、次に掲げる事項を示さなければならない。
(略)
第三十六条の二 法令に違反する行為の是正を求める行政指導(その根拠となる規定が法律に置かれているものに限る。)の相手方は、当該行政指導が当該法律に規定する要件に適合しないと思料するときは、当該行政指導をした行政機関に対し、その旨を申し出て、当該行政指導の中止その他必要な措置をとることを求めることができる。ただし、当該行政指導がその相手方について弁明その他意見陳述のための手続を経てされたものであるときは、この限りでない。
(略)
行政行為と行政指導を見てきたが、大まかな考え方として、「行政のフリーハンドは認めない」方向で議論が進んでいる点が重要である。
行政の意思の実現は、これまで見てきた行政行為や行政指導以外に、契約という形式を用いることがある。例えば、住民と水道局との給水契約、官公庁舎の建築契約、消耗品の売買契約等々、幅広く存在している。
そして、これらの範疇に含まれない、公法上の契約というものが存在する、と議論されてきた経緯がある。
しかし、先ほど見てきたように、そもそも公法私法二元論自体に疑義があり、公法契約にも疑義が呈されているのが現状である。
いわば狭義の行政契約すなわち公法契約(公法上の契約)という行為類型が存在する、という主張が、伝統的になされて来た。
(略)
特に「公法契約」というカテゴリーを解釈論上設定する意味は極めて薄い、と言わざるを得ないことになる。このような事情にあるために、現在わが国では、公法契約なるものの存在可能性自体は否定しないにしても、現実には極めて例外的にしかその例を認めない見解が、多数であると言ってよい。
そこで、これら行政の行う契約をひっくるめて、行政契約(行政上の契約)として議論されることが多くなっている。
いずれにしても、大きな議論の流れとして、契約であるから行政庁は好き勝手して良い、という方向では議論はされておらず、行政行為・行政指導で見たように行政庁の自由裁量を認めない方向で議論が進んでいることは間違いない(もちろん契約内容にもよるが)。
したがって、行政契約であることをもって、契約主体(行政庁と契約相手)が自由裁量を得る、というのは誤りであると言える。
特に、公法契約が存在するとした場合、行政庁と私人の自由な意思に任せることが原則の通常の契約よりも行政庁の裁量の幅が狭くなることはあれ広くなることは考えにくい。
この方法には、私人との合意があったことを理由に、行政主体が好き勝手なことをなし得る、という危険が内在することをも意味する。先に見たように、現行法上、行政主体の結ぶ契約について、様々な制約が付されているのは、まさに、このような危険を防ぐためである
Colaboと東京都の契約は、「東京都若年被害女性等支援事業委託仕様書」に基づいてなされた一般的な委託契約(請負契約か準委任契約かは結論に影響しない。)であり、公法契約という概念が出てくる余地はない。
従来の行政法学では、行政上の契約を公法に属する「公法契約」と私法に属する「私法契約」とに二分し、前者のみを行政法学の対象としてきた。そして、「公法契約論」においては、報償契約・公用負担契約などを念頭において、こうした公法契約を締結するには法律の根拠が必要とされるかとか、いかなる要件のもとに締結が可能かといった問題(公法契約の許容性と可能性)を主に議論してきた。
また、仮に公法契約であったとしても、競争入札において、予定価格を定めなくて良いという特別法がない以上、一般法(地方自治法)の規定が適用されるものである。
したがって、東京都の「公法上の契約のため当該資料は存在しない」という説明は、①公法上の契約とは考えられないこと、②仮に公法上の契約だとしても予定価格の算定は必要なこと、と二重の意味で誤っていると思われる。
(予定価格の算定をしなくて良いのであれば、地方自治法第234条3項が適用されない法的根拠の説明が必要だ。)
第二百三十四条 売買、貸借、請負その他の契約は、一般競争入札、指名競争入札、随意契約又はせり売りの方法により締結するものとする。
2(略)
3 普通地方公共団体は、一般競争入札又は指名競争入札(以下この条において「競争入札」という。)に付する場合においては、政令の定めるところにより、契約の目的に応じ、予定価格の制限の範囲内で最高又は最低の価格をもつて申込みをした者を契約の相手方とするものとする。ただし、普通地方公共団体の支出の原因となる契約については、政令の定めるところにより、予定価格の制限の範囲内の価格をもつて申込みをした者のうち最低の価格をもつて申込みをした者以外の者を契約の相手方とすることができる。
すなわち、競争入札でなければ予定価格を算定する必要はない、ということだ。
では、東京都若年被害女性支援事業は競争入札で行われたのだろうか。実は、この公募関係のウェブページが全部削除されているのである。
かろうじて、平成30年度は公募が行われたらしきことが見て取れる。
[都]平成30年度東京都若年被害女性等支援モデル事業の一部を実施する事業者を公募します
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/jakunenjosei/jakunenjosei.html
https://www.tcsw.tvac.or.jp/php/contents/mailmagazine.php?key=617
だが、リンク先を見てもらえばわかるようにすでにリンク切れであり、ウェブ魚拓・ウェブアーカイブさえ見つけることができなかった。そして、平成31年度~令和4年度までは公募が行われた形跡すら見つけられない。
通常、こういった公募手続きについては終わった後も消すことは余りないように思うのだが、何故見つけられないのだろうか。(見つけた方はぜひ御提示ください)
不意に予定価格と出てきて、何のことかわからない方もおられると思う。
予定価格とは、ざっくりというと契約金額(落札金額)の上限だ。
不思議なところであるが、例えば議会で予算が1000万円と認められた事業について、入札を行う際には予定価格は950万円くらいになったりする(なので980万円で入札しても落札することはできない。)。
予定価格の算定方法は公表されてないが、一般的には業務ごとに一定の割合を乗ずることによって算出している(例えば役務(労働力)の提供であれば予算額の95%等)。
(ここではそういうものだとご理解ください。詳しくするとまた長くなるので)
ここに書いてきたことは、「東京都が、都とColaboの契約を公法上の契約ととらえており、また、予定価格を定めていない」という情報が正しかった場合です。
個人的には何かの間違いだったと思い
第一条
この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。
第二条
1 学校は、国(国立大学法人法(平成十五年法律第百十二号)第二条第一項に規定する国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構を含む。以下同じ。)、地方公共団体(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第六十八条第一項に規定する公立大学法人(以下「公立大学法人」という。)を含む。次項及び第百二十七条において同じ。)及び私立学校法(昭和二十四年法律第二百七十号)第三条に規定する学校法人(以下「学校法人」という。)のみが、これを設置することができる。
2 この法律で、国立学校とは、国の設置する学校を、公立学校とは、地方公共団体の設置する学校を、私立学校とは、学校法人の設置する学校をいう。
第二条第1項では「国」「地方公共団体」「学校法人」という3つの用語が新たに定義されている。
同第2項では「国立学校」「公立学校」「私立学校」が定義されているが、この時点で既に前の定義が使われている。単体ではこの条文は読めず、ここまでの4つの定義を持ってこなければならない。
VBで言うところのDim a = ~。JSで言うところのvar a = ~。
法律によっては第二条あたりに、以降で使う全ての用語を定義しまくるものすごく長い定義セクションがあったりする(例:所得税法)。初っ端にDimが何十行も続くコードのよう。
第二条
一 生活保護法(昭和二十五年法律第百四十四号)に規定する救護施設、更生施設その他生計困難者を無料又は低額な料金で入所させて生活の扶助を行うことを目的とする施設を経営する事業及び生計困難者に対して助葬を行う事業
二 児童福祉法(昭和二十二年法律第百六十四号)に規定する乳児院、母子生活支援施設、児童養護施設、障害児入所施設、児童心理治療施設又は児童自立支援施設を経営する事業
三 老人福祉法(昭和三十八年法律第百三十三号)に規定する養護老人ホーム、特別養護老人ホーム又は軽費老人ホームを経営する事業
四 障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(平成十七年法律第百二十三号)に規定する障害者支援施設を経営する事業
五 削除
ほとんど既に制定されている法律を引用しただけで、第一種社会福祉事業の定義を構成している。
Cで言うところの#include。Pythonで言うところのimport。require派でもusing派でもなんでもどうぞ。
第四条
1 次の各号のいずれかに該当する者は、所持しようとする銃砲又は刀剣類ごとに、その所持について、住所地を管轄する都道府県公安委員会の許可を受けなければならない。
四 国際的な規模で開催される政令で定める運動競技会のけん銃射撃競技又は空気けん銃射撃競技に参加する選手又はその候補者として適当であるとして政令で定める者から推薦された者で、当該けん銃射撃競技又は空気けん銃射撃競技の用途に供するため、けん銃又は空気けん銃を所持しようとするもの
1 法第四条第一項第四号の政令で定める運動競技会は、次の各号のいずれかに掲げるものとする。
二 アジア競技大会
2 法第四条第一項第四号の政令で定める者は、公益財団法人日本スポーツ協会(昭和二年八月八日に財団法人大日本体育協会という名称で設立された法人をいう。以下「日本スポーツ協会」という。)とする。
銃刀法では、銃砲刀剣を持つ許可をする相手を「政令で定める」とぼかしておいて、許可を与える仕組みだけを制定している。
つまり、枠を作ってあとからそれに当てはめるコードを書いているわけだ。
法律に定めるべき具体的な内容は、時代や情勢によっていくらでも変わっていくものだが、法律の改正は国会でいちいち可決しなければならないから手間がかかる。
それに対して政令であれば内閣が制定できるし、さらに下位の省令となれば省庁だけで完結できる。より偉い法律の立場からより小回りの利く政省令に委任することによってコードの柔軟性を保っている。
これは大規模開発にて分担してコーディングすることにずいぶんと似ている。
第八十九条
第九十四条
先に定義された条を、後に書かれた条が覆すことができるし、なんなら後から制定された全く別の法律が、急に他の法律を覆しにくることもよくある。
これはプログラミングにおいて、変数の値や状態を後から書き換えられることに似ている。あるいは、クラスのオーバーライド。
法令解釈では、ある条文を読むとき、その条文に書かれている全ての定義を参照先まで確認しに行き、他の条文に委任されている事項も全て調べ、その上、他の条文で覆されていないかも調べる。
プログラマーがデバッグしている時の動きに一致しているといっても過言ではないだろう。
酒税法(昭和二十八年法律第六号)の一部を次のように改正する。
第十条第一号中「若しくは第二号の」を「から第三号までの」に改め、同条第二号中「若しくは第二号」を「から第三号まで」に、「ついては、」を「ついては」に改める。
第十四条の見出し中「取消」を「取消し」に改め、同条中「左の各号の一」を「次の各号のいずれか」に改め、同条第三号を同条第四号とし、同条第二号の次に次の一号を加える。
法律は基本的に「~を改正する法律」を施行することで、このように改正を繰り返している。
単体の「新法」が新たに発生するのではなく、元の法律と差分を組み合わせて結果的に新法になるという仕組みだ。
第2章(教育委員会の設置及び組織)第1節(教育委員会の設置、委員及び会議)第2条(設置)には
都道府県、市(特別区を含む。以下同じ。)町村及び第23条に規定する事務の全部又は一部を処理する地方公共団体の組合に教育委員会を置く。
とある。
そして
同法律の
第3章(教育委員会及び地方公共団体の長の職務権限)第23条(教育委員会の職務権限)には
教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。
とある。
ここには25条以外の業務がある
そして
第3章(教育委員会及び地方公共団体の長の職務権限)第24条(長の職務権限)には
地方公共団体の長は、次の各号に掲げる教育に関する事務を管理し、及び執行する。
1.大学に関すること。
2.私立学校に関すること。
5.前号に掲げるもののほか、教育委員会の所掌に係る事項に関する予算を執行すること。
大阪市の教育(ここでは高等学校)に関してはこの教育委員会が最高責任者とするのが妥当ではないか?
そうだとすると、教育に関する命令は教育委員会が責任を取るべきだろう
委員会の責を上位にある普通地方公共団体の長である市長が取るというのは分かるが
それは会社で例えるなら、営業部門での不祥事をわざわざ会長クラスが出向くようなものだ
通常では起こり得ない重大な問題が起こり、委員会だけでは責任を負いきれないのならば市長が責任を取ることも考えられるが
市長の業務管轄外におけるトラブルである以上は、教育委員会が責任を持つのが通例では?