「武士道精神」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 武士道精神とは

2022-04-26

anond:20220426194126

「礼には及ばんでござる」の武士道精神はどこ行ってもうたんや

2021-11-18

anond:20211118223838

そーゆー武士道精神みたいなの出してくるから日本黒船来航されたんだよ!

2021-09-30

中国ゲーム規制にまつわる文書話題に。『原神』ウェンティや『アズールレーン』『信長の野望』『真・女神転生

今年9月24日から26日にかけて中国北京で開催された「北京国际游戏创新大会(北京国際ゲームイノベーション会議)」の内部資料インターネット上で流通し、議論を呼んでいる。同大会は、政府主導で年に一度開催されるカンファレンスであり、テンセントをはじめ大手ゲーム会社が参加した。ここでのプレゼンテーションに用いられた資料が、インターネット上に流出したと見られている。

 

 

話題となっている文書に含まれるのが、「ゲーム出版コンテンツレビューの要点と分析」とされる資料だ。中国総局の監査専門家、Chen Zhenyu氏による文書となっている。文書のなかでは、実際にコンテンツ規制対象となる内容が列挙。いくつかの項目に章立てられて、禁止対象が挙げられた。非常に多岐にわたる規制対象が挙げられているが、興味深いのは、いくつかの中国内外のコンテンツが名指しで挙げられていることである文書に含まれる広範な内容のなかでも、特定タイトルを挙げて規制対象が示されている部分を中心にピックアップして見てみよう。

第一対象が、「価値観」にまつわる規制対象であるガチャやPay to Winなど金銭至上主義デザインや、退廃的・アウトロー世界観などが、不適切コンテンツとして挙げられた。「プレイヤー善悪選択する権利を与えること」も推奨されないとされている。さらに、「日本的二次元文化」も規制対象とされる。ここでは漫画作品NARUTO」やスマートフォン向けアプリ陰陽師』『アークナイツ』などが高い市場シェアをもっている例として挙げられた。

続けて価値観的に不適切コンテンツとして挙げられるのが、「反社会的・反人間的」とされるコンテンツ。疫病による人類滅亡を目指す『Plague Inc.』や戦争シミュレーション『This War of Mine』も槍玉に挙げられている。また「耽美、耽改」と呼ばれる、いわゆるBLジャンルも取り締まり対象とされる。さらに注目したいポイントは、「女性的に見える男性」が不適切コンテンツとして挙げられていることだ。判断基準としては「主観的に見て性別判断に混乱をきたすこと(説明を見ないと男性だと分からないこと)」が挙げられている。ここでは『原神』における男性の多くが女性的に描かれているとされ、ウェンティ代表例として挙げられた。

 

 

第二の対象が、「文化性」にまつわる規制対象。ここではゲームタイトルなど名称にまつわる注意や、取り扱う題材に関する規制対象が挙げられた。例の一つとしては、日本新選組武士道精神などは不適切コンテンツに相当するようだ。

第三の対象が、「歴史観」にまつわる規制対象事実を歪曲したり、センセーショナルにしたり、歴史的人物を改変することが規制対象になるという。ここでは第二次世界大戦における“悪の勢力”を美化することのほか、日本ドイツ軍武器・装備を使用することや軍服を使った表現歴史上の人物への言及も挙げられた。具体例として『アズールレーン』『ブラック・サージナイト』が挙げられている。このほか『信長の野望』は軍国主義であるとして、「他国歴史の過度な美化」に相当するそうだ。ほか、多数の歴史的な題材についての規制が挙げられた。

そして第四の対象が、「宗教」にまつわる規制対象宗教上の人物不適切引用する例として『真・女神転生IV FINAL』が挙げられた。

 

 

こうしたコンテンツにまつわる規制対象のほか、技術要件も含め、さまざまな規制基準が明かされた。文書で挙げられた内容のなかには、先日中国でゲーム業界団体が発表した「自主規制ガイドライン」と重複する部分もあるように感じられる(関連記事)。しかし、先述のガイドラインでは解釈余地が残されていたのに対し、今回公開された文書ではより厳しい規制基準が設けられていることが明らかとなった。

今回明らかになった当局における規制基準の厳粛さは、中国ユーザーにとっても驚きをもって受け止められたようだ。また中国国内SNSでは、本文書にまつわる投稿がのきなみ削除されたとも伝えられている。まだ資料段階の話であるが、中国国内コンテンツ取り締まりますます厳しくなっていきそうだ。『原神』をはじめ人気IPも苦境を迫られる可能性があり、今後の先行きは不透明となっている。

まあこれでCCPとしては人民の統率がしやすくなるし、

民主国家外国側としては価値観の異なる中国人とコンテンツ共有しなくなることは歓迎しかない

2021-08-13

anond:20210812232854

日本人しか読まないルックバックと、世界の目がある五輪は違う

欧米人の前で武士道精神捏造して欧米人と同じメンタリティの国ですと気取りたいだけの国だから

2021-04-10

北支事變と陸戦法規

外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56

北支事變と陸戦法規

篠田治策

 明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府公文にも新聞紙報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵上海出兵満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである

 此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより

<四七>

宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である二十三日は我が陸軍部隊上海附近上陸を開始した日である。即ちハル長官現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府最初宣言したる事件不拡大の方針余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである

 我が國の國内法に於いては事變と戦争区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。

 即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人

<四八>

対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場於いて事變と戦争区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反問題を生ずることは殆んど無いのである

 従来我が陸軍戦場於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者従軍せしめたのである日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。

東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法理想於いて欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般利益として祝す可き所なり。

又仏國の國際法学者ポールフォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。

此の戦役に於いて日本は敵の万國公法無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま

<四九>

ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用苦痛を醸すべき兵器使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。

日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別任務を以て米國派遣せられた法学博士男爵金子太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。

米國人は事實の真相調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用参謀部に於いて國際法専攻の学士協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法提唱日本政府の決心は露國は大國なり腕力於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す

<五〇>

る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争日本が國際法を破りしことあらば世界歴史汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エールハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。

 世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつ組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面事務従事したるも、亦國際公法適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)

 過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである

 唯だ、陸戦法規適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土性質である。假りに之れを中華民國

<五一>

領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力行使すべきか、又南京政府官吏は既に逃亡し、地方民衆自ら自治政権樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である

 宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合於いて北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政施行治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府領土となりし場合には、其の地域行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである

 日露戦役の際は戦闘地域性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍権力行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域活動したるも、其の権力講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。

 今回の北支事變に於いても、其の交戦地域領土性質曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参

<五二>

考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。

 従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後政治工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官禁止事項の外は自由裁量余地あるかは明かである

 陸戦法規の條項を北支事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである

 凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊安全作戦動作の便益を図るが為めに、無限権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊安全作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の

<五三>

軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限権力を以て此等の犯罪者厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部特に詳細なる規定を發布し、旅順海軍鎮守府別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。

 軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるもの死刑に處すると原則とすべきである

一、間諜を為し及び之れを幇助したる者

二、通信交通機關を破壊したる者

三、兵器弾薬其他の軍需物件を掠奪破壊したる者

四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者

<五四>

五、我が軍軍人故意に迷導したる者

六、一定軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)

七、軍隊飲料水を汚毒し、又軍用井戸水道破壊したる者

八、我が軍軍馬殺傷したる者

九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者

十、職場於いて死傷者病者の所持品を掠奪したる者

十一、彼我軍隊の遺棄したる兵器弾薬其他の軍需品を破壊し又横領したる者

 而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである

 帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支侵略して我が領土なすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民自治政権樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方一時的にもせよ事實上我軍の占領である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり永久に之れを占領するの意思無きが故に此

<五五>

占領は九國條約に牴觸するものに非ずと信ずる。

 我軍が一時的なりとも北支地方占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41

2020-08-02

武士道批判序説(6)

維新後、江戸山の手言葉標準語ベースになったけど……山の手に住んでたんは旗本。以前、人工日本語である標準語は『戦犯ポエム弁』『ジークジオン弁』て言いましたが、同時に『腰抜け弁』やないのかと」

貴族化してながら武士道言い続ける建前は滑稽やわ」

藤原正彦先生の言われる『武士道精神』は、キリスト教まで混じったフィクションとしての武士道やないのか、ていう話やけど……」

空想的な歴史想定して、それ裏付けに論じるんやから手法的には『江戸しぐさ』に近い? 『たとえ史実に反しても、ええもんはええんやからええねん』ていう」

武士道」は鎌倉時代以降、特に江戸時代に多くの日本人行動基準道徳規準として機能してきました(日本韓国国家の品格文藝春秋2019年10月号)

鎌倉時代……正しくは『後期平安時代』やろけど、それ以前の日本人のこと藤原先生はどう捉えてはるんやろか? 平安、平城難波……これらの時代をどう思てはるんやろ?」

儒教仏教もとうに伝来してるやんな」

施薬院や十七条憲法をどう思てはるんやろ?」

武士道発生の遥か昔やけど、仁や惻隠の思想合致してる」

「さかのぼっても千年に足りない鎌倉まり……歴史を深掘りできんせいで、あちらは老いる一方なんやいか……?」

マラソン苦し紛れの暑さ対策に、打ち水朝顔て」

ドラマの史劇フィクションと言えば鎖国時代の一つ覚え……。味のせんガムを噛み続けてる」

室町、平安、平城飛鳥難波国生み神話……振り返るたびに精神リフレッシュされますわ」

鎌倉自体推したいのか推したないんか中途半端やわ。推しすぎると江戸が相対沈下する……。話を戻すと、武士道には大別して二つの潮流があります。一つは兵学者・山鹿素行が説いた道徳律としての武士道。もう一つは鍋島藩士・山本常朝の談話を記した『葉隠』にあるような強烈な行動原理

2020-07-26

海外有名ゲーム雑誌ポリゴン記者ハシモトカズマさんのゴーストブツシマ

安倍政権下で右傾化する日本日本会議、桜井誠靖国歴史修正主義教科書問題など数多くの問題を抱えている」

右傾化する日本政治家軍国主義と侍の概念は深く結びつき切り離せないものとなっている」

安倍ファイナルファンタジーアーティスト自身を侍として描かせた」

大日本帝国が利用した武士道安倍を筆頭とする歴史修正主義者達に受け継がれている」

名誉伝統勇気と言った武士道精神は実際には日本軍国主義が生み出したモノ」

「背景を知らない西洋は侍を美化すべきでない」

ゴーストブツシマ日本ナショナリズム増長させるために作られたとは思わないが・・・

https://twitter.com/Polygon/status/1286300088315318273

https://www.polygon.com/2020/7/23/21333631/ghost-of-tsushima-kurosawa-films-samurai-japan-abe-politics

「『あつまれ どうぶつの森』は日本植民地支配正当化するゲーム日本政府が少数民族に何をしたのか知るべき」

https://blog.usejournal.com/animal-crossing-new-horizons-and-japanese-colonialism-6008d2e30574

2020-07-18

武士道批判序説(5)

「『今大切なのは武士道精神ユーモア』とおっしゃる藤原正彦先生やけど、失礼ながら先生の実演されるユーモアは……」

例えば清の時代の記録によると、李氏朝鮮は毎年、金を百両、銀を千両それから美女・馬・豚・牛などをそれぞれ三千ずつ貢がなければなりませんでした。美女差し出せなどと言う中国は本当にひどい国です。羨まし過ぎて絶対に許せません。(日本韓国国家の品格」・文藝春秋2019年10月号)

「これが何であかんか、ほんまにわからんのやろか?」

ユーモアとは「距離感覚」です。いったん自分と状況との間に距離をおき、状況を俯瞰することで客観を取り戻し、事を上手く運ぶことが出来るのです。

「間違いです。ユーモアがそんなものでないことは、上方落語聴いて、少し考えてもらえればわかります

関東的やなあとは思うで? 『俯瞰』『客観』言うときながら、笑わせ方に余裕がない」

徳川期、『人は武士』の見本は旗本衆やろけど……彼らの3分の1は無役の暇人やし、それも家禄の多い者ほど役に就かへん。役職に就いた者も、実務は旗本家を渡り歩く渡用人頼り。幕府という武断政権最後有事に役立ったんは、旗本株を金で買った祖父を持つ勝家の海舟さんや、京都守護職預かりのバラガキら即製の幕臣

「ほぼ『名誉武士』やんな」

2020-07-12

武士道批判序説(4)

朱子学批判しつつ、徳川武士朱子学を学んだことは無視する。キリスト教精神の混じった新渡戸稲造武士道を『取り戻せ』と言う。藤原正彦先生が、そうまでして武士道言いたい理由と言えば……」

鎌倉江戸……関東を『国家の品格』に一口乗せたいからやろなあ」

先生のおっしゃる品格』の柱は『情緒』と『形』。情緒は『もののあわれ』やから畿内のもの。ここで『形』に儒教を割り当ててしまうと、関東に出る幕がなくなる。儒教仏教で十分説明できる慈愛その他の倫理に、わざわざ武士道の看板を掛けようとするんは、そのせい」

「大体、騎士道現代に当てはめること自体喜劇的な扱い受けてるのに、何で武士道だけ免れられると思えるんやろ……?」

「『国家の品格』に必要なんは『情緒』だけで十分。真っ当な情緒があるなら、そこに慈愛も育たんとおかしい」

文藝春秋に載った論説やと、先生は『武士精神』と『ユーモア』を柱にしてはるけど?」

そこで今改めて見直したいのが「武士精神」です。〔……〕もう一つ、大切なのはユーモア」です。(日本韓国国家の品格」・文藝春秋2019年10月号)

ユーモアも大切やわ! 品格必要なんは『情緒』と『ユーモア』。武士道は必要ない」

先生が『情緒』外したんは、たぶん韓国対応やんな」

朝鮮民謡には哀しい歌が多いのです。

理由はともかく、ユーモアに注目してくれはったんは喜ばしい。ほんでも、藤原先生の実演するユーモアは失礼ながら……」

例えば清の時代の記録によると、李氏朝鮮は毎年、金を百両、銀を千両それから美女・馬・豚・牛などをそれぞれ三千ずつ貢がなければなりませんでした。美女差し出せなどと言う中国は本当にひどい国です。羨まし過ぎて絶対に許せません。

「これが何であかんか、ほんまにわからんのやろか……?」

2020-07-04

武士道批判序説(3)

現実武士の話をします。武士道を体現すべき人間は実際の問題を前に、どう振る舞ったか。それは、徳川幕府の鼻と尻尾残酷に現れてる」

「鼻と尻尾?」

「初代と15代」

将軍か。どっちもなかなかやんな」

「例の『国家安康』は、家康朱子学を講じた林羅山が考えた策。林家は代々、幕府大学頭を務めました。上野忍ヶ丘湯島昌平坂、全部林家が責任者

林羅山朱子学武士道て……系譜の根っこから腐ってるやん」

「その末端が東大。15代慶喜は戊申の時、大坂城から敵前逃亡をやりました。城内の兵に徹底抗戦を説き『最後の一人になっても退くな』言うときながら、自分は夜にこっそり船で江戸脱出

私は「卑怯を憎む心」をきちんと育てないといけないと思っています。〔……〕「卑怯を憎む心」を育むには、武士道精神に則(のっと)った儒教的家族の絆も復活させないと〔……〕(『国家品格』)

「真面目に反論してもしゃーない気はする。藤原正彦先生、こんなこと言うてはるし」

私は新渡戸〔稲造〕の『武士道』が好きです。〔……〕新渡戸の武士解釈に、かなりキリスト教的な考え方が入っていることは確かです。〔……〕しかし、大事なのは武士道の定義を明確にすることではなく、「武士道精神」を取り戻すことです。〔……〕近代武士道は新渡戸の書にもっともよく表現されていると思うのです。

鎖国時代武士道の話と思てたら、いきなり『近代武士道』て。ここまでして武士道言いたい理由と言えば……」

鎌倉江戸……関東を『品格』に一口乗せたいからやろなあ」

2019-03-28

相撲取りが「武士道精神に則って」みたいなこと言ってたけど

相撲武士道関係あったっけな

そりゃひたすら遡ったらあるけど。そことは直接の関係が無いような…?

2018-02-15

「◯◯が嫌い」とか「◯◯が苦手」とか「◯◯って言うのやめろ」っての

わざわざ自分の弱点・逆鱗宣言してどうすんの?

「あ、こいつ◯◯に関する事言えば顔真っ赤にして怒ったり急に見ないふりし始めるな😍」って丸わかりじゃん

ネット人間が全員本当の意味紳士と思ってんの?武士道精神騎士道精神があると思ってんの?

「苦手なんですねわかりましたではそれについてのお話は避けますね」って気遣ってくれると思ってんの?

かに嫌な思いさせられるなら喜々としてくすぐりにいくわ 少なくとも俺はな

2017-05-19

葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。

目次 [非表示]

1 概要

1.1 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

1.2 書名の由来

2 脚注

3 刊本

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

概要[編集]

「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。

文中、鍋島藩である鍋島直茂武士理想像として提示しているとされている。また、「隆信様、日峯(直茂[1])様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏併記しており、鍋島氏龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。

当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。赤穂事件についても、主君浅野長矩切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと[2]と、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別相手に突っかかることはできないのである」と評している。

この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。

明治中期以降アメリカ合衆国出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。

また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしま気概覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。

浮世から何里あらうか山桜    常朝

白雲やただ今花に尋ね合ひ    陣基

武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」[編集]

葉隠記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻玉砕自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。

しか山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナー指南書や礼法マニュアルに近い記述ほとんどである。また衆道男色)の行い方を説明した記述等、一般近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。

戦後軍国主義書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術マニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書出版されている。

戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。

書名の由来[編集]

本来葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公大義とするという説。さらに、西行山家集葉隠和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。

2016-02-05

武士道精神

江戸しぐさと同程度に誤解されたまま、伝わってるんだろうなという気持ちしか沸かないけど、同時に言葉ってそういうものだよねとも思ってる。

2015-11-11

紀里谷監督のナルシシズムは健在。映画「ラスト・ナイツ」|忍之閻魔帳

忠臣蔵モチーフにするなら、浅野内匠頭は立派な君主でなければならないし、大石内蔵助武士道精神体現していなくてはならない」ってキレる奴がいるのな。

戦国ものを観て「織田信長革命児でなければならない」とか言ってそう。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん