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はてなキーワード: カーテンとは

2018-05-25

キャバクラ感覚心療内科の予約を入れてしまった

中の人は「金を払ってでも話を聞いてもらいた……そうだ病院に行こう」のノリだったと供述しており

身バレを防ぐために、具体的に詳しく書けない部分もあるけれどそこは許してください

前提として、これを書いている中の人は、地方大学3年生で、イベント企画/運営を授業の一環としてやっています

そのイベント関係でいろいろメンタルゴミになってるって話をしま

ここ1ヶ月の生活

7時半に起きて、帰ってくるのは20時ごろ

拘束時間ブラックではない

ただ本当に、家に帰ってくるとお風呂に入って寝ることしかできなくなってしまった

食器洗いも、自炊も、掃除も、洗濯も、何もできない、する気力がない

元々人との対面コミュニケーションがすこぶる苦手で、けれど多大なるMPを消費すれば「できるフリができる」せいで、どんどんそういったコミュ力必要仕事を任されてしまっていた

私がその仕事を断ると、他のメンバー負担がかかるのが分かっていたので極力引き受けた

それがマズかったのかもしれない

拘束時間ブラックではないと前述したけれど、休みは無いに等しかった

いつでも外部連携の人たちから連絡のメールが届き、なるべく早く返信をしなければならない

逆に返信がこないところには催促のメールを打たなくてないけない

休日も別イベント宣伝のために参加するとなり休みは潰れた(しかもここでも不特定多数のいろんな人とコミュニケーションを取らなくちゃいけない)

基本的に、休み=カーテンも一切開けないで家から一歩も出ずなるべくSNSも見ないで自分の好きなことをする、の外との繋がりを遮断したい自分が、そりゃまあ耐えられるわけがないんだよなぁ、書きながら納得してしまった

日常生活にも少しずつ支障が出始めてきた頃、就職の話をよく聞くようになった

そういう話を聞く場はほぼ強制参加で、さんざ脅された

大手企業リーマンショック後と同じくらい採用とっていない」

コミュニケーション能力が一番求められている」

インターンシップから就職が決まった人のサクセスストーリー

焦った

だってたか大学の授業でやってるイベントですらこんなメンタル死んでるのに、社会に出られなくない?

そんな気持ちを一カ月くらい抱えていた

友人はいないわけじゃない。だってコミュ力が高いフリができる」から

からその友人たちには相談できなかった

実はこんなインドア根暗なやつだったって思われなくない、というか今後そういう思いを持って私に対応してこられるのが嫌だなと思ってしまたか

親も相談相手にはならない、大学以前の友人にも、大学の友人と同じ理由相談はできない

「あぁ〜、金払うから話聞いてくれる人いないかな〜」

ふと、それこそ就職の話の時に思った

最初に思いついたのはキャバクラだったけど、そもそもそんなところに行く元気はない、というか多分話せないでできるフリの自分が出てきてしまいそう

そしたら病院か?

それぐらいの気軽さで"心療内科"の文字が出てきた

あとはそのお話中に、メールで予約できる近場の心療内科を探して(電話がかけられない)、家に帰りスケジュール帳とにらめっこして何とか空いている時間を見つけて、予約を入れてしまった

心療内科ハードル高い」

そういう人が大多数だと思うけれど、むしろ自分は「近くにいる人の方がハードル高い」

病院でどんな話するかも全く分からないし、そもそもお金引き下ろさなきゃ銀行開いてる時間に暇作れるかなとか、色々思っているけれど

人とコミュニケーションとると異様に疲れる性格(?)が幾分か改善されて、日常生活普通に送れて、就活にも支障が出なければいいなぁと思う

ここまで読んでくださってありがとうございます

タイトル詐欺になっていたらすみません

2018-05-16

anond:20180513195125

レスだけど 現在進行形住宅街の1階に住んでる 治安は悪くない場所 住んで1年ほど

選んだ理由元増田と同様、部屋の広さ等の条件と予算

小さめの通りに面している 人通りはそう多くはないがそれなりに通るためカーテンは閉めっぱなし

だが、以前住んでいた部屋でも諸事情で閉め切っていたため、さほど不便は感じない

台所の換気扇風呂トイレ換気扇設備はあり、そこまで空気がこもることはない・カビもないが、空気の流れは良いとは言えず 排水臭いが逆流したり ブコメにもあったが、突然部屋に糞尿の臭いが漂って来ることがありと、不満はある

しかし四六時中というわけでもないので 臭い時は芳香剤等でごまかしている

バルコニーはあるが日当たりは悪く、外で洗濯物を干してもあまり乾かない むしろ部屋でエアコンかけた方がよっぽど乾燥するため、外干しはしなくなった

部屋は暗く、外から帰ってドアを閉めると昼間でも真っ暗

夏はさほど暑くもならず快適 冬は寒い暖房あるので問題なし

総合評価は概ね満足

2018-05-15

妹のゴミ部屋を掃除した

妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます

経緯

2009年春に妹が地方大学へ進学し、それからアパート一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約けが残る状態が続いていた。

丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。

大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りアパートを借りていたので、。

開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリカマドウマ死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。

最後居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。

その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫洗濯機リサイクル家電処分した。

教訓と考察

ゴミ屋敷の片付け作業において

片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。

事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。

二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対心が折れる
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーマスクゴム手袋軍手ウェットティッシュ調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いか独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。

できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越し祖母遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。

車も必須可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能自治体清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときタイムロスになるため)。

土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋マスクメガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。

作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間ゴミ処分作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボール分別必要もの解体や、分別必要ゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミ玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線干渉せず、効率的作業できた。

進捗は正義
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミ無限ではなく作業意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。

一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。

ゴミ屋敷にしないためにできることはなんだろうか

延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分一人暮らし経験とも照らし合わせながら、整理したい。

ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュビニール袋、綿棒、割り箸から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシートアイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。

あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定ゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。

捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボール処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボール処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分定期購読した雑誌を、未開封状態積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。

仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのもの散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しか調理しないと使えないようなものなど邪魔しかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らし栄養状態心配する母なのだからなおさらだありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷トリガーとなっていたと思える。

これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。

どうでもいいこと(なんか汚い話)

初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分大事荷物ユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。

意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。

賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。

2018-05-14

きょう整骨院性器を見られた話

当方20代後半、女、既婚、子ども2歳、デスクワーク

最近肩こりがひどく、背中が痛むし、吐き気まででてきたので、きょう整骨院ににいってきた。

これまで整骨院整体?)というものほとんど行ったことがなく、予備知識もほぼない。

とりあえず徒歩圏内で、評価星4.5くらいの整骨院を予約した。

▪️来院

昼頃来院。

さな町の整骨院って感じで、いたのは院長一人だった。

40代くらいの男性で、いかにも優しそうだ。

平日は基本ひとりで回しているらしく、私が帰るまで整骨院には彼だけだった。

▪️着替え

予診表をかいて、症状をつたえて施術の大まかな内容を説明受ける。

から背中、そして骨盤

内容は、施術ストレッチ整体?)、電波筋肉をほぐす)、電気治療(血行をよくする)。

下半身施術必要ですので、こちらでご準備したものに着替えていただいても大丈夫ですか?」と促され、もちろん承諾。

カーテンを閉めたあと、受け取った着替えを見て焦った。

勝手ハーフパンツ想像していたのだが、ショートパンツだった。しかも思ったより短い。

完全に一分丈。しかスパッツのようなタイプではなくて、ゆるゆるタイプ普通に横たわっているだけでも足が全部出ていて、ちょっとでも膝を曲げると下着が丸見えだった。

しかも最悪だったのは、今日はTだった。Tバックだったのだ。

Tバックはお尻部分だけが状態になってるのが特徴と思う方もいるかもしれないが、そうではない。

多くのTバックは前方から後方にかけてだんだんと細くなるため、フルバックのそれと比べて、陰部部分も布面積が小さいのだ。

から今日の私は外陰唇が左右から半分くらいはみ出ていた。

念のために書いておくが、整骨院に行くからコレにしようとか一切考えなかった。ラインが出るスカートからかいうわけではなく(今日デニムだったし)、ただ単にタンから適当に手にとっただけだ。ただ何も考えずに履いてただけ。

そんなTバックにゆるゆるショートパンツ

膝を曲げただけで外陰唇が見えるスタイル。なんだこれは…と思い直した。

女性のお客さんも多いわけだし、ここが見える施術をするわけがない。そんなことしてたら大問題だ。何かで見えなくしてくれるんだろう…」となぜか思い込み、着替えが終わったと声をかけた。

▪️施術(整体)

うつ伏せになりタオルをかけられて施術開始。やはり下半身隠してくれるじゃないか。よかった。

からふくらはぎ、太もも、腰、背中…とグイグイ押されはじめた。

ところが中盤から、そのタオルを腰あたりまでまくられてしまった。足が丸出しだ。

恥ずかしい、恥ずかしいが、「いや、ちょっと、あの」と声をかける勇気は出なかった。

そして膝を曲げてそのまま上へ持ち上げ、前ももを伸ばすストレッチ

ベッドの横に立ち膝を持ち上げているであろう院長。いやもうこれ完全に見えているのでは….いや、でもまさか、目をそらしてるだろ。

きっとそんなやり方していたら他の患者に訴えられるだろうし、そんなわけはない…。なるだけ何も考えないようにした。

今度は仰向けに。顔にタオルをかけられたので様子は見えない。

今度はうち太ももを直接マッサージ

違和感。なんで直接触るの?タオルの上からじゃダメなの?太ってるし恥ずかしいし、なんで旦那以外の人にうち太ももやら足の付け根の肉を触られないといけないんだろう?しかも足の付け根をやる時、ちょっと指が外陰唇に触れたりしている。どうしたらいいんだ。怖い。

正直もう帰りたい気分だった。

しかし、密室、初めての場所男性と二人、というのは普段意識しないけど、結構怖い状況だ。

大抵の男性には全力を出しても腕力でかなわない。「もう帰ります」と言って、もしニコニコした顔が一転して、怖い形相で腕を掴まれたらどうしよう。言えなかった。

▪️電波治療

「際どいところまでやりますけど、大丈夫ですか?」

「えーと……はい…」

コレより際どいことやんの?マジで?という気持ちでいっぱいだったが、そのまま電波治療へ。

どうやら手では強くマッサージできない筋肉であるももから足の付け根までを、電波の出る器具で優しくマッサージするというものらしい。

両足を曲げて足の裏同士をくっつけるように指示された。

引き続きタオルで目を隠されているため自分では見ることができないが、

お察しの通りすでにショートパンツのゆるゆるの隙間からパンチラどころかマンチラしているはずだ。外陰唇が見えているはずだ。泣きたい。

ももからローションのついた美顔器みたいなやつ(施術前に見せてもらった)をくるくるマッサージされる。

恥ずかしさも頂点というその時、

足の付け根へ続いていき「ちょっと浮かせますね」と言われた。

ショーツの前部分を数センチ浮かせたようだった。

かろうじて隠していた小陰唇部分が空気に触れ、あらわになっているのがわかった。

私は何をされているのだ。それ浮かす必要あるのか?そのTバック、足の付け根部分まで布ないよね?そのまま下着に触らなくても治療できるよね?浮かさなくてもローションつかないよね?もう嫌だ、どうしよう。パニックだった。

にも関わらず、「痛くないですか」と聞かれ「大丈夫です…」とただ普通に返事をしていた。

その後10分程度低周波機器をつけられて終了。

院長は変わったそぶりもなく、丁寧に保険説明会計をしてくれて、整骨院をあとにした。


▪️これは一体なんだったのか

モヤモヤとはしていたが、午後から普通に出勤した。

が、さっきお風呂に入る時、下着を下ろすときに手が震えている自分に気づいた。

どうやら自分が思っているよりも傷ついてたみたいだ。

足を広げて妊婦健診も触診も出産経験した私でも、

不本意性器を見られたことがショックだったみたいだ。

モヤモヤする。

本当に純粋治療だったんだろうか。

多少性的な想いがあってやられたことだったんだろうか。

いや、いやいやいや。

改めてサイトを見ると、口コミはどれも星3.5以上で、ざっと見た感じ、誰もそのようなを書いている人はいなかった。

院長はおおよそ口コミ通り、親切で優しく丁寧な人物なのだと思う。

実際会話した印象もほぼその通りだった。

そんな院長だからこそ、私が何も抵抗しないので、院長も「見えてるからやめます」とは言えないし、そのまま続けざるを得なかったのだろうと思う。

そうか、こんなにつらいのに、私が悪かったのか。

あーあ。

あんな下着履いていかなければよかった。

ショートパンツに履き替えるの、断ればよかった。

そこ触らないでください、って断ればよかった。

ちゃんと断ればよかった。

言えばよかった

こんなの夫に言えない。

きっと、そんな格好で行ったことや、途中で拒否しなかったこと、すごく怒ると思う。

ごめんね。ごめんなさい。

かに聞いて欲しくて書いたけど「お気の毒だけど自業自得」とコメントがついて終わりなんだろうな。情けない。つらい。

カーテン

眩しい日差しシャットアウト

眩しい意識高い系も視界から消したい


真っ暗な部屋でぼーっとスマホをいじる

まるで映画館の中みたいに


さなさなスクリーンに映るのは野良猫動画

彼らもきっと世知辛い自然の窓にカーテンをかけたいだろう


閉めっきりの窓だから風に揺れることもない

私の精神に波風立たないように

ジメジメした私の心が乾かないように


会社に出れば世渡り上手な彼らにジェラシー

せめてこの土日だけでも遮光させて


月金の地獄業火から身を守ってね、カーテン

https://anond.hatelabo.jp/20180513195125

オートロックから1階もありかな?と思ってた部屋をGoogleマップで見たら、

部屋の中の対面の壁まで丸見えだったから、

これじゃ日当たりよくてもカーテン開けられない…って気づいてやめた。

1階に住んだことある者ですが、もう2度と住みません

20代後半から30代まで数年間住んでいたことがあります

◎私のケース

・住んでいたのは、世田谷区小田急沿線治安は悪くない場所

・周囲もアパートマンションが多い地域

・私は男で体格も良い方なので、不法侵入者について参考になる情報経験談はもっていません。

◎1階に住んで何が起きたか

皆が指摘している通り、1階に住む場合、周囲の人から必ず覗かれます

それを防ぐため、24時間カーテン締め切りは必須になると思います

(実際に街を歩いて、小さなアパートの1階の部屋を観察してみてください。ほとんどの部屋がカーテンを閉め切っています

以下、私のケースを書いてみました。

《覗き防止カーテンの話》

・前を通る人に覗かれる

・覗かれるのを防ぐためカーテンを閉めきるようになる

カーテンを開けるのは、洗濯物を干しているときだけになる。洗濯物で往来を歩いている人の視線をふせぐことができるため

洗濯物を干している間だけ、洗濯物の上から日差しが部屋に差し込む。久々に日差しを見て幸せな気分になる

・ところが、周囲の建物の2階以上に住んでいる人からは、丸見えであることに気づく

洗濯物を干している間も、カーテンを閉め切るようになり、ついに、日の光が部屋に入ってくることがなくなる

・部屋の中で、ものがかびる、腐る、空気がよどむ

・その結果、(暮らしている最中気づきませんが)風邪をひきやすくなる、病気が治りにくくなる、いつも気分が優れない、といった症状がでる

《そのほかのデメリット

アパートのすぐ前は駐車場だったが、夜中になっても人通りがありうるさい

路上の痴話げんか等で、深夜でも安眠できない

◎その後

結局、職場が変わるタイミング引っ越しました

日の光が入る部屋に越すと、風邪はひかないし、アレルギーは良くなるし、気持ちも晴れやかな毎日が続きました。

すべてが前の部屋にいたせいだ、と断言はできませんが、日の入らない部屋に住むことで、健康状態精神状態にかなり悪い影響を及ぼしていたように思います

少なくとも、私は2度と1階には住みません。

もし知人、友人の女性が住むと言い出したら、全力で止めます

家族や(将来)子供が1階の物件に住みたいと言い出したら、身銭を切ってでも2階以上に住むように説得します。

健康犯罪リスクを考えると失うものが多すぎます

◎備考

不動産に勤めていた友人からも、「女性場合には1階に住むことはあり得ない」と聞いたことがあります

表にあまり出ていなくても、やはり犯罪被害はあるらしいです(伝聞ですが)

https://anond.hatelabo.jp/20180513195125

2018-05-09

人生の答えって何だろうか

これまでの人生苦痛が多く、ほとんど無意味人生だった。

淡々人生を歩んできて、楽しいと思った時期なんてそこまで無かった。

そんな日々も残りあと少しなので、簡単にだけど振り返って吐き出したい。


幼少期は両親の喧嘩が絶えず、割れる瓶と鈍く低い音、そして奇声といつも冷や冷やとしていた記憶しか無い。

もちろんその喧嘩によるとばっちりを受けたこともある。

親の友人からはいつも大人しいと言われていたが、あのような状況が続いてわいわいと騒げるわけがない。

更に親が喧嘩した後、薄かった壁に大きめの穴が空いていたのが恐怖を感じた。

幼いにも関わらず、この時から親を反面教師にして生きていこうと決意していた。

しかし、この頃から人の目を伺うという性格根付いてしまった。

ずっと無気力がちだったのもこのせいなのかもしれない。


その後、小学校入学して新しい環境になるが、学校が唯一の癒やしだった。

勉強ほとんど出来なかったが、家と比べて遥かに休息出来ているという感覚はあった。

友人も何人かでき、よく休憩時間放課後でも楽しい時間を過ごしていた。

とは言え、当時の記憶なんてもうほとんど覚えていないが、暖かく晴れた日の柔らかな風とカーテンの揺らぎが、子供ながらに不思議と癒やしを感じていたのはよく覚えている。

けれど安らかな一時というのは時間が経つのが早い。

学校が終わったら癒やしも何もない家へ帰るのは本当に億劫で、わざと遠回りして家に帰ることはしょっちゅうだった。

ただ、両親が居ない時の家は心を休めることが出来た。


そして中学になってから両親は離婚したが、母親相手に強く依存するタイプだったようで、依存対象が無くなったせいなのか更にメンタルがやられ、この時からロクに家事をやらなくなった。

母親が何もやらないので、仕方なく自炊やらを覚えたのはこの辺りだった。

肝心の学生生活については、育ちの悪い連中に影響された奴が多く、一気に不良となった子が増えたのにうんざりしていた。

小学の時は良い友人だったのに、突然万引きやらタバコをやり始めた人が何人もいた。

ただの格好つけで根は良い奴だと思っていたが、弱い者イジメに加担する輩も結構いて、私は心底呆れていた。

小学の時の癒やしとは程遠かった。


数年経ってそのような生活も終わり、高校へと進学した。

この時、知っていた小中の人達とはほとんど別れて全く別の環境になった。

全く賢い学校ではなく、むしろバカ学校と言える高校だったが、当時の担任面白いお兄さんで、学生のようなノリをしながら生徒と同じような目線勉強を教えようと頑張ってくれた。

担任ギター経験者であり、時々息抜きとしてみんなに弾き語りしてくれた時もあった。

小中とロクに勉強してなかったので日々勉強するのはそこそこ辛かったが、先生一生懸命教えてくれたこともあり、賢いとは言えるレベルで無いにせよ、ある程度の教養は身につけられたと思う。

でも、ある日からその担任は別の高校へと向かうことになった。

その高校はここよりも遥かに賢く、誰が聞いてもとても良い場所だった。バカ学校なんて所にいるより、遥かに待遇も良いだろう。

また、当時担任の奥さんは妊娠していたようで、それを含め生徒らは祝福した。


そしてお世話になった担任は去り、別の教師が新しい担任になった。

しかしこの教師曲者で、突然怒り出したと思ったら平気で授業を放棄するわ、意味分からん自慢話ばかりで授業が進まないわで非常に厄介な人で、ひどく困惑した。

他の教師からも疎まれているようで、教員会議でもワンマンぶりを発揮し、大声で意味分からん持論を発して他の教師を困らせていたようだ。

何故そんな教師がクビにならないのか非常に疑問を感じていた。

担任変更が高校最後の年だったので被害はそこまでだったが、二度と関わりたくない相手だった。

前の担任が別の学校へ行った時、その教師はアイツは逃げたと言っていたが、そりゃこんな所なんて逃げるだろうと誰もが思っていた。

ちなみにこの頃、母親は別の男を見つけ、更に家事放棄するようになっていた。

まあ、この時大体の事は自分で出来るようになったので、大した影響は無かった。


そして時が移り、大学入学を迎えた。

正直なところ、高校入学当初は大学になんて行けると思っておらず、高卒就職だろうなと考えていた。当時の最初担任のおかげだろう。

ただ自分学力では良い大学には行けなかったが、割と綺麗でお洒落大学に入れたので良かったと思っていた。

はいえ、折角大学に入ったのにそこまで勉強をせず、サークルにも入らず、自堕落生活を送っていた。

また、以前から一人で過ごすことも多かったので、積極的に友人を作ろうともしなかった。

居ても一人や二人程度だ。

大学では一応授業はちゃんと出ているつもりだったが、大抵途中で居眠りしていた。落とした単位が少なかったのは幸いだろう。

それよりも静かな図書館でひたすら眠ったり、よく晴れた日に大学のベンチでご飯を食べながら日向ぼっこしていた事が、小学生の時の癒やしを何となく思い出させた。

大学がこれまでの人生で最も安らかだった時期だと思う。


アルバイトを始めたのはこの頃。

高校バイトしている人は多かったが、学校自体禁止していたので積極的に参加は出来なかった。

バイトコンビニで働いていたが、時給の割にやることが多すぎて大変だった。

仕事自体は大変なだけで辞めるほどでは無かったが、その店のオーナーと息子があまりにも横柄で更に仕事をしなかったため、衝突が多くなり、半年もせずに辞めた。

まりイライラする職場だったので、最低限の事だけを行って何の言葉も残さず退職した。

仕事よりも人間関係の離職理由が多いとはよく聞いていたが、なるほどなと理解した。

正直この時点でもうバイトはしたくないと考えていたが、そんなこと言っている場合じゃなかったので、次は家の近くにあった小売の仕事に転換した。

また同じ事になったら嫌だと思ったが、予想とは異なり、その店の従業員はみんな良い人ばかりだった。

以前のとの差に驚き、最初からここで働いていれば良かったなと後悔した。

ここは大学卒業するまでずっと働いていた。

当時の方々には非常にお世話になったと感謝している。


ちなみに女性を初めてまともに好きになったのは大学に入ってからだった。

出会い大学の通学途中、学校へ向かう電車が一緒だった。

当初はお互い気付いていなかったが、ゼミが一緒だったこともあり、行きや帰りの駅で何度か姿を見かける事に気付いた。

の子は小柄で物静かな女性で、物腰や動作がどことなく品がある女性だった。

最初はそこまで何も思わなかったはずなのだが、気付けば気になる存在となっていた。ただ、姿を見かけてもどうすれば良いのか分からず、会話することが出来なかった。

向こうもこちらの存在には気付いていたようで、お互い気にはなっているがその先が踏み込めない状態だった。

大学ではその女性の友人間でこの話が広がり、私がその子の近くにいればその子の友人らはよく騒いでいた。

偶然隣り合うくらいに近くにいた時、彼女の顔が凄く赤くなり、若干挙動が慌てていたのもよく覚えている。

また、大学構内で彼女を近くで見かけた際、こちらに気付いていない彼女は私の事について嬉々としてその子の友人と話していたことがあり、それで私は色々と察した。


本来ならすぐにでも仲良くなるべきだったが、酷い事に年単位で何もすることが出来なかった。腰抜けにも程がある。

流石の自分もこのままでは駄目だと思い、授業中や通学途中にもどうにかするべきだとずっと考えていた。

結局良い方法が思い浮かばず、結局は素直にそのまま接触することにした。

夕方大学の帰りの電車で話しかけた時、彼女はとても驚いていたが、その目はどことなく輝いていた気がする。

ただ、こちらはあまり必死過ぎたせいか、話した内容も聞いた内容も全く覚えていない。


それから問題なく彼女と仲良くなれたと思うだろうが、残念ながらそうはならなかった。

この後に私は友人に呼び出され、何かと思えばその友人は彼女の事が好きなんだという事を話していた。

以前から何となくぼんやりとは察していたが、やはり言われれば印象は大きく変わる。

しか彼女好意を抱いている友人は一人だけではなかった。これには流石に困惑してしまった。

これからどうすれば良いかも分からず、完全に混乱してしまった私は、最終的に彼女無視するという馬鹿げた行動に至る。

これが良い行動でなかったことは言うまでもなく、理由を知らない彼女は私にからかわれたと思ったのか、徐々に避け始めた。間違いなく嫌いになったのだろう。

友人も以前から私と彼女との間を少し察していたため、どんどんとギクシャクした関係になってしまった。

それ以降、この友人とも連絡を取ることは一度も無かった。

これらが影響で大学へ行くのも面倒になってしまい、楽しくもなくなった。

そしてこの件は私を含め誰も得をすることなく、何も解決することもなく、呆気なく大学生活は終わりを迎えた。


これまでの学生生活は長いようにも短いようにも見えたが、その中で何か大きな事を成し遂げることは一切無かった。

10年以上もの時間が与えられたのにも限らず、ただ時間無駄に過ごしただけ。

それを思うだけで自分の中の自信が無くなっていくようだった。

せめて何か形に残るような事をやっておくべきだったな。


大学卒業後、私は在学中ギリギリ内定を貰った職場で働くことになる。

この職場実家と離れるために一人暮らしをしていたが、今まで以上に億劫な日々を過ごし続けていた。

学生時代とは違った、空気の全く異なる職場で何も考えることなく働き続けた。

仕事特にやりがいがあるわけでもなく、また休みの日に何かをすることもなく、ただただ無為時間が過ぎているだけだった。

同僚や上長もそんな私の空気を察したのか、ほとんど関わろうともしなかった。

話しても挨拶のみや一言や二言程度で、会話が広く発展することもない。

このような状態が続いても精神面に良い訳がなく、更に朝昼晩の交代制の仕事だったため、生活リズムも徐々に狂い、心身共に壊れていった。

まりに酷い時は心療内科に通うこともあったが、その医者は話を聞いてくれずただ薬を出すだけだったので、諦めて薬も飲まずに自分で何とかしようと考えた。

そうやって何日も何日も耐えてきたが、ある日の朝、全く起き上がれなくなった。

動こうと考えても身体は言うことを聞かず、天井を見上げていることしか出来なかった。

日経ち、その職場退職した。


辞めたあとは仕事から解放感か、体調は一時的に軽くなった。

しかし、その後もまともな生活を送っていなかったため、暴飲暴食や昼夜逆転生活で体調は日が経つごとに悪化していくだけだった。

部屋はゴミだらけで文字通り足の踏み場もない状態風呂すらロクに入らなかった。

でも途中で生活資金が尽きそうになり、仕方なく正社員での募集を探してみるものの、何度も何度も断られた。

挙句の果てにアルバイトですら断られる時もあった。

そんな生活が何年も続いた。

もう起きることすらしんどくなり、お腹が空いても飯も食べず1日中寝ている日もあった。

もはや生きているとは言えず、死んでないだけの抜け殻状態だった。

時々母親からは安否の連絡が来たが、適当に返して放置していた。


そんな鬱々とした生活のある日、久々に入った短期での仕事中に体調が一気に悪くなって倒れた。

酷い吐き気めまいがあったのを覚えているが、倒れてから記憶はなく、後で知ったのだが救急車で運ばれたらしい。

そんな体験をしたのは生まれて初めてだった。


目覚めた時、妙に病室のベッドが心地良かったのを覚えている。

今までは床で寝ていて掃除もされていない酷い部屋で生活していたからだろうけど。

その日会った看護師によると、私は数日間意識が無かったようで、ずっと眠っていたらしい。

ただあの時のベッドの心地良さが続くならば、ずっと眠っていたい。そう思った。


それからしばらくして、母親が部屋に入ってきた。

泣いていた。

私はそれを見ても全く何も感じる事はなかった。むしろ、早く一人にして欲しいと思うくらいだった。

しかし、すぐに帰らないので仕方なく相手をしていたが、その時はいつもと比べて妙に母親が優しいと思った。

その理由はあとになって分かった。


日経って病院での生活も多少慣れてきた頃、担当医者に呼ばれた。

話によると、私は余命が半年と少しほどしか無いらしい。

肝臓に酷いダメージがあり、もう治療をしようにも手の施しようがないそうだ。

できるだけ安静にしていれば余命は伸びるかもしれないが、それを怠ると今後の苦痛が大きくなるとか。

今までの経緯を話したところ、今回は重度のストレスと暴飲暴食が原因だと先生結論付けた。

から身体は弱い方だったが、それがここになって一気に来たものだと思った。


余命宣告された時にはあまりに突然だったため、一瞬驚いたが、同時に安堵した。

過去自殺を考えたことは何度もあったが、実行に移し切れずその度に憂鬱になっていた。

でも、もう無理に頑張る必要は無いんだなと、張っていた気が抜け、少し救われた気分になった。

はいえ、現在の状況は何もかも全て自分の行いで招いた結果ではあるが。


それからしばらくして一時退院、主に自宅での安静を命じられて実家に戻る事となったが、家に居ても特にしたいと思うことがない。

食事にしても身体を壊してからは何も食べられず、内容も淡白ものばかりになってしまい、当然美味しくもない。

幼い頃は家にいるとテレビゲームをよくしていたが、今となってはやる気力さえ全く起きない。

無理やりやろうとしても10分もせず飽きてしまう。

気分転換にどこか出かけるにしても身体負担が大きいので遠出は出来ず、そもそも金が無いか旅行なんて出来ない。

テレビを見ているかスマホパソコンネットでも見るか、それとも何か食べているか、眠たくもないのにただ寝ているか

結局は入院前の生活とさほど変わりなかった。


残りの人生何をやろう、と思っても前々から考えていなければすぐには思いつかないものだった。

仕方ないので、晴れた日にはとりあえず近所にある大きめの公園へ行き、ベンチに座りながら遠くを眺めていた。

園内では子供達がいつもはしゃいでおり、その姿を見ているだけでも元気が貰えるように思えた。

時には夫婦と幼い子が仲睦まじく歩く姿もあり、それを遠くで羨ましく見ている時もあった。

ネットサーフィンをしている時に時々フェイスブックを見るが、当時の友人や知人は徐々に結婚してきており、既に子供が生まれているのが何人もいる。

そして彼らが時々掲載する写真動画を見ると、微笑ましいと思うと同時に気が落ち込む。

自分も、もう少しまともに生きていればこうなっていたのだろうか。


そこでふと、大学の例の女性を思い出した。今は一体何をしているのだろうかと。

もう卒業してから何年も経っており、当時はよく注目されやすい人だったから、とっくに結婚もしているだろうとは思っていた。

でも最期に少しでも連絡が出来たらと間抜けな期待を抱き、数少ない友人に連絡が出来るかどうかお願いをしてみた。すぐに了承してくれた。

そしてしばらくして、思っていたよりも早く結果が返ってきた。

友人によると彼女はまだ結婚していないらしい。でも向こうは連絡がしたくないそうだ。

それだけ聞けたら十分だと思い、その他のことは何も聞いていない。まあ当然だろう。仲良くもなかった男から突然連絡が来ても迷惑なだけだ。

時間も経ちすぎているし、向こうにしても過去の事であり、もしくはどうでもいい事だと考えているだろう。

当時の事も謝りたいとも思っていたが、思い出したくもない過去を今更掘り返しても意味がないと考えざるを得ない。

もうすぐ終わる身としては開き直るしかなかった。


こうしてまたいつもの日常に戻り、何か特別にやらなければいけない事も無く、残り少ない日々を消耗している。

まだ時間がある人ならば、これから頑張ればいつか良い日がやってくると信じて先へ進めるかもしれない。

私のようにもう時間が無い者ならば、これからどうすればいいのか、未だに分からない。

今の私では新しい思い出を作ることは出来ず、過去を思い返すだけしか残されていない。

病院ではそんな私を哀れんで慰めてくれる人もいるが、私は言葉を表向きは受け入れるが、裏では全く何も思わない捻くれた人間であり、素直に受け取れない自分に嫌気が差す。

こんな状態でまともに気持ちの整理も出来ず、向き合えないまま死んでいくと考えると、どんどん悲しくなってくる。


ちなみにこの余命については親以外誰も知らない

言った所で今後会った時の対応に困るし、友人に話そうと思っても言葉が詰まって何も話せなかった。

顔色が悪いと言われても、ただ愛想笑いしながら、いつものように話すことしか出来なかった。

でも、例え自分が何も言わずにこの世を去ったとしても、数年も経ってしまえば、昔あんな奴いたな程度の存在で徐々に忘れ去られていくのだろう。

他人自分が思っているよりそこまで何も考えていないし、期待しても単なる思い過ごしになる。それは今までの経験上、全て事実だった。

それ以前に難しいことを考えるのはもう疲れた

病気悪化しているのか、体調の波がどんどん激しくなってきているため、こうやっていられるのもあと少しだろう。


今までの人生を軽く書こうと思い、これまでを思い出しながら突貫で文章を綴ってきたが、作成中には当時のそれぞれの場面を思い出し、その度に涙が止まらなくなった。

あの頃に戻れたら、もう少し自分に行動力があれば、または別の場所で生まれていたら、何度も何回も様々な事を考えどそれは無駄な事だと察して嫌になった。

まれ変われるならとも考えた事もあるが、そもそも宗教なんて信じていないのに、そんな事を考えるのはおかしい話ではある。

でも死んだ先に何があるのか、それとも何も無いのか、それは今の私でもとても気になっている。


20年以上生きてきた中、他人にも自分にも今後のためになるような何かを与えたことはなかった。

そして生み出すこともなかった。

ほとんど何もしなかった私のこの人生意味はあったんだろうか。

私には答えが何も浮かばなかった。

人生についての意義を考えるのは人間くらいだと言われるが、少しでも生きていて良かったと、そう思えるような意味のある何かが欲しかった。


こんな駄文をここまで読んでくれて本当にありがとう

2018-05-08

ロケット花火

15年前の今日高校卒業をし一人暮らしを始めたアパートロケット花火が打ち込まれた。

犯人は今の嫁さんだ。

カーテンを開けたらロケット花火の束を持った山姥が号泣していて私は悲鳴を上げた。

失恋した直後でヤケクソになってめちゃくちゃ酒を飲んで泥酔した挙げ句の果てとのことで、本人はよく覚えていない。

といっても私と嫁さんの間にあるエピソードなんてこれだけで、後は普通に恋愛して結婚した。

2018-05-07

レオパレス入居メモ

レオパレスに二ヶ月住んですぐ退去した。

次に同じようなところに住むときにあったらいいものメモ

型によっては違うかも。

遮光カーテン

特に夜勤の人は必須。3500円でアマゾンで買える。

電気ケトル

ハンガー

100均で5つまとめ売りを3セット買った。

浴室に乾燥機能があって、温風みたいなのが出るので、浴室に吊るして乾かす。

靴下タオル、下着

洗濯こまめにするの面倒なんで5セット以上買った。

コンセント延長コードマルチタップ

部屋中央に机があって、その周辺1メートルにはコンセントがない。2メートル以上の要る。

100均の重ねるストッカー、かさばらない収納

メタルラックに置いてたけど、そんなに使い勝手よくなかったけど、撤収するときは小さくなって楽。


必要なかったもの

メタルラック

備え付けの机が狭くて、デュアルディスプレイの台と収納スペースを兼ねると思った。

デフォルト収納スペースが多くて、使い切れないのにメタルラックものをポイポイ置いてて散らかって見えて不釣り合いになった。

炊飯器

徒歩3分のところに、8時すぎると半額のものぽんぽん置いてるスーパーがあるうえ、めんどうで自炊しなかった。

スーパーはいいわけで、自分スタイル理解できてなかった。

次があれば欲しいもの

・ベッドの下に収納スペースに置ける棚

そこをぜんぜん活用できなかった。

高さ50センチくらいの、棚なり小物入れなりカラーボックスなりが欲しい。

・洗った食器の水切りの台

ザル付きボウルで代用したら面倒すぎ。

・いい布団

安物は駄目だ。寝にくい。

まあすぐ引っ越したので、結果オーライか。

2018-05-05

大塚家具には撒き餌商品必要

会員制をやめた以上、沢山あるいは頻繁に来場いただく必要がある。それはweb店舗も実店舗も。そういうわけで定番商品である程度頻繁に買い替えるもの例えばカーテンラグスツール、筆記用具入れなどで安価で高品質ものがあれば、それに合わせて家具も変えようとか、インテリア相談してみようとかなるのではないかと思った。

2018-05-03

あの夏、僕と彼女

その日も脳内の海で女は揺れていた。

女の相手があの軽薄そうな老人だと知った折には面食らっていた。

まるで概念が弄ばれているようだ。松明の火だけの薄明かりのさなか、老人は女を自在に操りつづけるがごとく…

ビューーーンっ!

大の字で自分の部屋のベッドに仰向いていた。

きらびやかな光たちが象る星々の海の下、彫りの深い男たちも彫りの浅い女たちも変わることなく営んでいる。

私が白雪に護られた宮に休んでいるといつのまにか彼は来ていた。

逃げても逃げても松明は私を追って来た。 

私の部屋にあぶり巻かれ、またあぶり巻かれ、いつのまにか背をとられ2つの物を鷲掴まれていた。 

そうやって僕はまるでー彼女の店に来ていた。犯してしまった罪の赦しを得るためのようにして。

      \

       女はカーテンを開ける。森林のような街路樹たちの群れ。踵をかえす。なごり惜しげに揺れる髪ー伏し目がちの瞳、せみの鳴き声を意識することはなかった。

2018-05-01

anond:20180430193442

ロマグッズって売上げすごいだろ。ちゃんとした花や樹木果実香りなどリラックスできる。

タバコは逆アロマ。臭くて頭痛がする。エアコンや照明、壁紙カーテン、本の傷みも激しい。

タバコ喫みがつける香水がまた臭くて頭痛を盛り上げる。

自動車香水ブルガリとかベルサーチとかあの手の。

2018-04-26

起きられなすぎてもう逆に面白い

最近かなりの頻度で起きるのに失敗してる。

学生からまだ許されてるところがある。

からってこのままの状態社会人になったら本当の終わりだ。そもそもこのせいで社会人になれない気がする。

というか大前提として学生でも寝坊から遅刻は本当にダメなことだって自分でも思う。周りから評価も怪しくなると思うし。毎日のように遅刻してくるやつがいたらなんだアイツ問題児かよってちょっと警戒するもん私なら。

そんなこと考えてても結局は起きられないんですけどね。悲しい。家族に起こしてもらう+目覚まし時計スマホアラームカーテン開けて眠るって方法を取ってるけど起きられない時があって目が覚めたとき絶望してる。

基本的に起きられない時は3パターンあって、1つは家族の声とか目覚ましの音が夢の中に登場しちゃうパターン。起こしてくれる家族の声は夢の中で喋ってる人たちの声に変換されちゃう現実で鳴ってる目覚ましの音は夢の中で電話とか電子レンジとかの生活の中の電子音として出てきちゃうから起こされてるって認識ができない。

2つ目が、寝ぼけすぎて状況が理解できないパターン。ここはどこ私は誰状態で、目覚まし時計も何かやかましい物体がある……って程度にしか思えないし適当に触ってるうちにアラーム切ってることが多々。あまりにも頭が働かないせいで時計も読めなくて事の重大さに気付けない。一番厄介。意識がはっきりする頃には始業時間になってることもある。

3つ目は二度寝スムーズすぎるパターン。目覚ましが鳴ったことに気付けてちゃんとした時間に起きられることになっても「よし、起きるかー」って思って息を吸った次の瞬間怒鳴る母の声と明らかに遅刻の時刻をさしてる時計があってやっぱり絶望感に苛まれる。なんでそんなに二度寝自然なんだよちょっとは躊躇しろよ。

そんなわけで自分ではこうやって振り返ってるうちはめちゃくちゃ面白いし「眠りへの執着強すぎだろwww」ってなって笑えるからいいんだけど(いいのか?)やっぱり朝目覚めてとんでもない時間だと知ったときのショックは強すぎるし遅刻した日は事あるごとに「ああ、自分遅刻した人だったわ……」って気分が沈みまくるから流石に起きられるようになりたい。

あとさっきも言ったけど社会でやっていけなくなるからこのままじゃ本当にまずい。

もう病院とか行った方が良いんだろうか。

寝る時間早ればちょっとはマシになるけどこっちも学生から余裕持って寝てられるほど暇じゃないんだよな。

ほんとどうしよう。

2018-04-25

過呼吸

その日僕は、様子見のために会社が新しく立ち上げたバルに立ち寄った。

オープン前のまだ穏やかな時間

いつものようにSが近寄ってくる。

彼とは新規事業部に移る前からの付き合だ。

新しく入店した2名の女性スタッフを紹介したいのだという。

1名はすでに履歴書確認していたのでなんとなく人物像を描けていたのだが、もうひとりを見て口から心臓が飛び出そうになった。

Kと名乗るその女性は、僕がまだこの会社ペーペーだった頃に猛烈な恋心をいだいたZに生き写しのようだったのだ。

少し鼻にかかる声、長い手足を更に大げさに振り回すようなリアクション、育ちの良さから来るであろう無自覚に人を見下ろすような言葉選び、そして時折、吸い込まれそうなほど大きな瞳で時が止まったかのようにこちらをじっと見つめてくる癖までも、何もかもが同じだった。

しかし、いくら生き写しのようだとしても初対面の見ず知らずの女性だ。

準備運動もなしに階段を一気に駆け上がったかのような鼓動をさとられないように冷静に挨拶を交わす。

ただ、そうやって話せば話すほど、彼女は隅々までもZと同じだということがわかった。

あれから15年が経とうというのに、まさかこんなに胸が苦しい思いをすることになるとは思いもよらなかった。

そんな時唐突に、Sからそろそろねぎらい食事に連れて行って欲しいと提案を受ける。

この男は全く無神経なところがあるが、今日に限ってはその無神経さが染みるほどにありがたく感じた。

「それならば今日の閉店後はどうか。たまたま予定が空いている。」

そういうとSは早速その場にいる人間に予定の確認を行い、かくして閉店後、すぐ近くにある居酒屋テーブルを囲うことになった。

はすむかいの、Kとの視線が直接交わらない位置に座ると、僕は周囲にさとられないように改めて彼女を観察した。

Zの娘なのではないかと疑わなかったわけでもないが、聞けば23歳だというKの年齢を考えるとそれはあり得なかった。

15年前、Zはまだ19歳でしかなかったのだから

僕を含め、まだあってから日も浅いであろうバル従業員たちに対しても、Kは喜怒哀楽を隠すことなく誰にでも等身大ストレートに交わっていた。

世間に出たての、恐れることも疑うことも知らなかったZと同じ、見ている人間をどこか心配にさせるほどの天真爛漫さに、もう若くないはずの自分の胸の奥にある甘酸っぱい感情が刺激されるのがわかった。

こちらが感傷に浸っていると、Sがこそこそと耳打ちをしてきた。

聞けばキャバクラに行きたいのだが一緒にどうかということらしい。

ある種悶々とした気持ちを引きずったまま妻子の待つ家に帰るのも気が引けると小声で承諾すると、Sは唐突に皆に向かって叫んだ。

「お前ら!次はキャバクラ行くぞ!」

よせばよかったという後悔と、別に自分がそういうところに出入りすることをKに知られたから何になるのかという自問自答に挟まれながらふと顔をあげると、なぜかKは目を輝かせながらSを見て「わたしも行きたい!」と言い放った。

Sは当然のようにそれを受け入れると、Kに加えてもうひとりの新人と、店長であるDを含めた5人でキャバクラに行くことが決まった。

すでに終電も終わっている。ここかはらタクシーに乗らなくてはキャバクラに行くことは出来ない。

Sと新人女性2名、自分店長に分かれて2台で2つ隣の駅までタクシーを走らせる。

タクシーから出ると、Sはなれた様子で客引きに声をかけて早々と値段交渉を始める。

それを待っている間の悪さをさとられないように、残りのメンバーとは当たり障りのない仕事の話を交わす。

いよいよ交渉が成立し、客引きに連れられて店へと入ろうとすると、Sがニヤニヤとしながらこちらに近づいてきた。

「値切って安くさせたのでよろしくおねがいしますね!彼女らも喜んでましたよ!」

こやつ、女性の手前断れないだろうと支払いをこちらに押し付けようとしてきたらしい。

酔いも手伝ってか、この一言で完全に頭に血が上った。

「ふざけるな!どうしてお前はいつもそうなんだ!自分根性見直してこい!」

自分もいつもなら社長が一緒でなければこういった場所はいかない。

お金が勿体無いという以上にそれほど興味がないし、社長と一緒にいく理由も、社長は男同士が腹を割って話すのに必要儀式だと譲らないからだ。

居酒屋で耳打ちしてきたときから、Sは全てを計算の上だったのだろう。

しかし、Sは怒鳴られて悪びれるどころか横目でこちらを一瞥して舌打ちをしただけでその場を去っていってしまった。

怒りにまかせて身を翻し駅前タクシー乗り場へと向かうが様々に渦巻く感情を引きずったまま家に帰る気にはなれずに、しかたなく気持ちが収まるまで立ち飲み屋で過ごすことにした。

Kに対して下心がなかったわけでもなく、見栄を張りたい気持ちがなかったわけでもない。

それをSに見透かされたような気がして、そんな自分に一番に腹が立ったのだ。

それがわかると今度は心底情けくなってしまった。

このままではどちらにしても家族に合わせる顔はない。

唐突孤独感に襲われると、そこから逃れるように8年前に別れたHを携帯電話アドレス帳から探し出して呼び出しをタップした。

である理由はなかったのだが、Hなら電話に出てくれそうな気がしたのだ。

しばらくの呼び出しの後、「どうしたの?」と訝しげな様子のHの声が聞こえてきた。

「すまない。特別理由があるわけではないのだけど、ただ、少し声が聞きたくなって。」

沈黙の後、彼女の口から出てきた言葉は意外なものだった。

「今から来る?」

Hとの付き合いは僕から一方的音信不通になって終わった。

色々とこうでなくてはいけないと押し付けてくる彼女が面倒くさくなったのだ。

何となく彼女もそれに気づいていたのだろう、数回の着信を最後に、一切の連絡はなくなった。

その後半年もせずに僕は、親同士の知り合いによる紹介でお見合い結婚をした。

仲人の方が二人をよく見てくれていたのか、お見合いから早々に意気投合し、半年で挙式、そこからちょうど11ヶ月で長男が生まれた。

結婚生活には満足している。

それまで見ず知らずだった僕に、妻は本当に良くしてくれている。

ただ、2人目の娘が生まれて4年。その妊娠以降、セックスはない。

お酒のせいで冷静な判断が出来なかったのかもしれない。

「30分あれば着きます。」

それだけいって電話を切った。

Hは8年前と同じ様子で僕を迎え入れてくれた。

相変わらず僕の服装や行動一つ一つに、こうでなくてはいけないと色々と注文をしてくる。

今なら笑って受け流せるが、これも半月も持たないだろうと心のどこかで考える。

テーブルをはさんで、何も生み出さない会話と発泡酒けがいたずらに消費されていった。

気がつくと時計は3時を過ぎようとしていた。

何も連絡をしないままでは妻に怪しまれる。

携帯電話を取り出すと、メールをうち始めた。

申し訳ない。少し飲みすぎてしまった。朝までSの家で休んでから帰ります。”

「誰にメールですか?」

Hの問に「あぁ、妻に。」とだけ答える。

Hも「そう。」とだけ答える。

しばらくの沈黙唐突に震える携帯電話。妻からの返信だった。

「わかりました。お気をつけて。子供の出番までには間に合うと、きっと喜びます。」

メッセージと一緒に、体操服を着た長男写真が送られてきた。

忘れていた。明日子供運動会だったではないか

子供の屈託のない笑顔に、急に冷水を頭からかけらたかのようにはっとする。

自分は今どこにいて、今まで何をしてきて、これから何をしようとしているのだ。

猛烈な後悔が押し寄せる。

涙で目の前はかすみアルコールを多分に含んだ血液は音を立てんばかりの勢いで回り始める。

周囲の音は一切が聞こえなくなり、ただただ息が苦しくなる。

いくら息を吸っても苦しさは増すばかりで、体内のありとあらゆるものが溢れ出ようと小さな口へと殺到してくるのがわかった。

身体の内部から気管が塞がれもう吐くことも吸うこともできない。

シャツの上から胸元をひっかきながら床に倒れ込む。

ここで死んでいく理由をHは妻にどのように説明するのだろう。

今日、僕がたどった道のりを妻はSからどのように聞かされるのだろう。

にゆときさえも後悔で終わっていく自分人生に、薄れゆく意識はどうしようもない情けなさと悲しさで滲むように満たされていくばかりだった。

ふと枕から顔をあげると、先程の息苦しさが嘘のように新鮮な空気身体へと流れ込んできた。

肩で呼吸をしながら逸る心臓が収まるのを待つ。

涙で目の周りがぐしゃぐしゃになっているのがわかった。

音色の違う穏やかな寝息が耳に聞こえてくる。

カーテンから差し込む光が、まだ夜が明けたてだということを教えてくれる。

僕は一度死ぬことが出来た。

後悔のない人生の終わりはきっとないだろう。しかし、家族をいたずらに悲しませることは避けることができるかもしれない。

まずはこのぐしゃぐしゃの顔をさっぱりと改めようと、寝室の扉を音を立てないように静かに閉じた。

2018-04-24

あのとき死ねなくてよかった

小学校卒業して入った先は、神奈川田舎にある公立中。援助交際を行う女子先生ともめて暴力走る男子、学期ごとにターゲットを変えてクラスみんなでいじめ合う。教師教師部活の生徒に体罰を行う……。

メチャクチャに荒れてるそんな中学で、自分も虐めのターゲットになった。無視、陰口、暴力暴力エトセトラエトセトラ

不登校になれるものならなりたかったが、周囲に理解してもらえず、わたし暴力を振るわれるために毎日登校していた。学校を休むと親に叱られ、登校すればボコボコにされ、「死にたい」以外の感情を失うのにそう時間はかからなかった。

その後わたし自殺未遂を起こした。失敗して生き残りました。

そうして虚無を耐え抜き、学校をぽつぽつ休みつつもわたしはなんとか卒業した。卒業式では涙も出なかった。

そうしてまともな高校に滑り込んだものの、勉強する気が起きず偏差値は30を切り、先輩の名前も覚えないうちに部活をやめた。

中学時代いじめ抜かれたおかげでわたし精神はずたずた。無気力で、何もする気が起きなかったし、自分に何かできるとも思えなかった。

もういじめられるまいと周囲に適応しようと必死で、目線のすべてにびくつき、笑い声は自分嘲笑うように思えた。

いじめから逃げ切ってなお、わたし精神はぐらつき続けていた。

そんなとき熊本で大きな地震が起こった。そこで、被災した男の子が、よくある『季節外れの転校生』として隣の席にやってきた。

これがマンガなら不思議物語が始まるのだが、彼はごく普通高校生で、わたしによく話しかけて、よく笑っていた。

彼はドイツ人ハーフで、あだ名は『進撃の巨人からとってエレン。彼は復興に携わる仕事を目指していた。

 「――という訳で、この人は二回の戦争かいくぐり、生き残ったんですね。しかし周囲の人間や職を失い、差別に遭った――これは不幸でしょうか、幸福でしょうか。考えてみましょう」

英語の授業。教師の問いかけに、エレンわたしを見やった。

 「あまり辛い夜は、いっそ殺してくれたほうがまし、とか思いそうなもんだけど」

プリントを2つ折りにしながら、エレンはくすくす笑った。

 「それはよっぽど病んだ時だけだね」

瞳には真剣な色があった。

 「生きることに不幸なんてないよ」

エレンはよく笑う。

エレンクラスに馴染んで、しばらくした時のことだった。

 「揺れてる」

教室がざわめく中、エレンはまっさきに机の下に逃げ込んだ。わたしもそれに合わせて机の脚を掴み、体を縮めた。

この地方地震は少ない。揺れが収まってから一気にクラスメートが這い出てきて、ニヤニヤ笑いながら談笑する。揺れたね、感じなかったよ、なんて。いつもはひょうきん者の男子が怒鳴った。

 「放送がある!静かにしろ!」

 「携帯の電源は付けておいて。窓は開けたほうがいい」

神妙な顔つきでエレンが立ち上がる。学級委員長カーテンと窓を開くと、冷たく焦げ付いた匂いが吹き込んで来た。

やがて待機の放送流れると、エレンは立ったり座り込んだりを繰り返して落ち着かないようだった。

熊本地震の恐怖が癒えない中、避難先での地震。怖くて当たり前だ。

 「今日の小テスト範囲どこだっけ?」

エレンは気を紛らわすように、いつものようにわたしに話しかけてくる。教科書を持つ手が、ぶるぶる震えているのに気付いた。

 「……平気?」

 「大丈夫

 ――そんなに手を震わせて、何が大丈夫なもんか。わたしはその言葉を飲み込んだ。

傍にいたいと感じつつも、彼が経験した地震の凄絶さはわたしにはわからない。PTSDに苛まれエレンに、何と声をかければいいのかも。

エレンは真っ青な顔で自分右手を見やり、大きな目に涙をいっぱい溜めた。そして彼はそのまま、保健室に行ってしまった。

 しばらくして帰ってきたエレンは顔色が悪かった。早退するらしい。鞄の支度をしながら、神妙な表情で切り出す。

 「これ、余震かもしれない」

 「もっと大きな地震が来るってこと?」

 「うん。もし本震が来るなら、明日明後日

 鞄を取り去って消える背中を、わたし呆然と眺めていた。また明日、と言うこともできないまま。

空っぽになった隣の席を見ながら、わたしは何も言えなかった自分について考えていた。

わたしは生きる苦しみをエレンほどに知らず、生き残る美しさを知らない。

復興の進む故郷を懐かしむ彼が、生き残ることに不幸などないと言い切る彼が、手を震わせながらも変わらずに笑う彼が、人としていとおしくて、器と視野が小さな自分が汚くて、ひどく切なかった

エレンは死を前にしながらも必死で立ち直ろうとして、故郷復興のために尽力している。それなのに、いじめっ子たちから既に逃げ切った自分無気力のまま怠惰な日々を過ごしている。比べるようなことではないにしろ、情けなく思えた。

「このままではいけない」

モヤモヤが心に爪痕を残した。

高校3年生に昇級してエレンとは別のクラスになり、目線を交わすこともなくなった。

そしてわたしは、その年の夏にアメリカ短期留学する。

アメリカといえば、前年、トランプ大統領就任した国だ。人種差別的な主張を繰り返す彼が選ばれた土地。正直、有色人種として差別されるのではないかという恐怖もあった。

けれどアメリカは思いのほか楽しい場所だった。(まだ『お客さん』扱いだったか差別を受けなかったのだろうが)

アメリカにも慣れたわたしは、ホストブラザーショッピングモールに買い物に行った。そのおもちゃコーナーで、彼は短く呻いて足を止める。

「うわっ、ヘイトスピーチ……」

彼が手に取ったのは、真っ赤なパッケージカードゲーム黒人奴隷使役して儲けよう!みたいな内容。

ホストブラザーはかなり憤慨していたので、わたしは「自分差別されるのではないか」と懸念していたことを話してみた。すると彼は笑って、

「そんなこと絶対にしないよ、人間として間違ってる!肌の色や性別に、人間本質関係ない!」

彼は留学生ホストファミリーとして受け入れるくらいだから、あまり差別的な考えを持っていなかったんだろう。

肌の色と性別が同じ人達からグシャグシャいじめられていたけれど、海を超えた先でこんな人に出会たことが嬉しかった。

ホストブラザーとの別れの日はただただ悲しかった。頬を伝う涙を感じながら、やっと人間の心を取り戻してきたような気がした。

あれから1年。

いまだに私は人間不信が抜けきらず、人と上手にかかわることができない。過去の苦い思い出が脳内を駆け巡って鬱状態に陥ることもある。けれど、たくさんの人の温かさに触れてきた。

復興に尽くすエレン差別ダメだ、とはっきり口にしたホストブラザー

びくつく私を「あーしがあんたのこと馬鹿にすると思ってんの?そんなことするわけないじゃん」って笑い飛ばしギャルちゃん

成績を上げようと奮闘するわたしに、つきっきりで勉強を教えてくれた教員志望の男の子

誕生日に登校して、黒板に「〇〇、お誕生日おめでとう!」って書かれてて、みんなから祝ってもらったときには泣いてしまった。学校はもう地獄ではないと。

人間は人との関わりで傷つくことも高めあえることもある」、本当にそう思う。

今、わたし社会問題解決する仕事につくため勉学に励んでいる。

歪んだわたしを助けてくれたみんなのように、傷ついて「死にたい」って追い詰められている誰かを助けられるような人になりたい。

あのとき死ねなくてほんとうによかった。

2018-04-23

20年前に上野ゲイ映画専門館へ行った時のこと

隊長のふとした一言と某隊員の熱望により、ついに実現したツアーといえば、「第一東京ブラックツアー」で決まりである東京ディープスポットを探訪していくという、とてもわかりやすいコンセプトが唯一の自慢である。今回は初回であるし、ディープ場所から抜け出せなくなることを避けるため、ツアーは昼間に行われることに決まっていた。それなのにそれなのに、予想通りというべきかいつもどおりというべきか、隊員の集まりは悪い。全然時間どおりに集まらない隊員、この先の我々の運命を暗示するかのような曇天、どんどんと下がるテンション、等々の様々な悪条件の中、我々は出発した。その出がけ、玄関で見知った顔を見つける我々3人。当然のごとく強制参加させ、隊員の数は4人に急増した。4人といえばSPEEDと同じ人数だ、これでもう心細くないね

曇天上野公園、しのばず池にいる鳩や鴨達も心なしかブラックに見える気がしてならない。今にもあの平和使者である鳩が俺達を襲うのでは?、と意味不明疑心暗鬼が次々とわき上がってくるほどに気分はダークである目的地へ近づくにつれ、隊員の緊張は見てとれるほどになり、武者震いなのだろうかしきりと震えだす隊員もでる始末。そう、例の場所に向かう我々の姿を客観的に見れば、怪しい4人組=おやじSPEED(暗黒)といっても過言ではなかっただろう。目指す場所上野某所の映画館である。「ほら、あそこだよ」という隊長言葉に、なんともいえない緊張のさざ波が隊員達を駆け抜けた。その場所は、少し歩けば大通りに出てしまうくらい人通りは激しい所だった。

その映画館はそこにあった。紛れもなく、そこに。映画館は2階らしい。あせるな、と思いつつ上映時間確認する我々隊員。まだ上映開始まで時間があるようだ。合議の結果、若者が集うゲームセンター時間をつぶすことになった。しかし、どの隊員も緊張のせいかゲームには手を出さない。いや出せなかったのだ。あと数分後に行かなければならないあの場所のことを思うと。上映時間が近づき、なにはなくともとりあえずトイレ希望する隊員が続出する。しかし、京成線の駅のトイレには紙がなかった。とても嫌な予感がする。嫌な予感がビンビンするよ!

トイレの事は諦めて、我々はその映画館へ向かった。ちなみに映画は2本立てである。これから約2時間の長丁場であるしかし、隊員1号はそのことを知らなかった。このことがあの悲劇の序章だったとは、全隊員露ほども思っていなかっただろう。年季の入った階段を縦列に並んで登る途中にも、映画を見終わった人達だろうか、次々と人が階段をおりてくる。もう誰も信じられない、あの人もこの人もそういうのなのだ、そうなんだあの中ではすざましい饗宴が繰り広げられているんだ、と思いながら階段を登っていくと、「ヤング薔薇族ショー」という看板が突如現れる。ますます下がるテンション。ふと階段の上を見ると、そこにはいかにもなもぎりのおばちゃんがいた。一番最初階段を登り切った一人の隊員が、おばちゃんに近づくと、何かを指さすおばちゃん。そうである自動販売機切符を買うのであるハイテクである自動販売機へ向かった隊員へ、たたみかけるようなおばちゃん言葉が襲いかかる。「どっち?薔薇族学生さん?」。思わず「は、はい」と答えてしまう隊員だった。実はそこには劇場が2つあり、切符売り場は共通だったのである。もうひとつ映画館ピンク映画館だった。次々と無言のまま切符を、学生切符を買う我々隊員であった。血の契りを交わしあい、相当に団結しているはずの隊員達であったが、その時には既に他の隊員を省みる余裕はなかったようで、会話を交わすこともなくなっていた。そして、ひとかたまりにはならずに、ひとりひとり左奥にある劇場へ向かうのであった。

妙な圧迫感。第一印象はこれにつきている。72席あるという座席は、ぱらぱらとしか埋まっていない。それなのに、壁際にたつ人が異常に多い。なぜだ。と、座席を見渡して、先に着席していた隊員を見つけると、思わず安堵の息をもらしてしま自分がいじらしい。あれ、でも、事前のミーティングでは一番後ろに座ろうと決めたはずじゃあ。。。何故か入り口のすぐ側の列、後ろから4列目ほど、に整列して座っている隊員達であった。その顔は暗い。その場の嫌な感じに、その顔は真っ暗であり、しかも皆うつむいていた。一番最後劇場入りした隊員1号は、既に着席していた某隊員の左隣に座った。隊員1号の左隣は一番端の席である。そう、その時点ではスクリーンに向かって一番左の端の席が空いている状態だった。ふと嫌な予感、突然の頭の回転、第六感で席をうつる。当然、左端にである。それは、隣を空席にしておくのは危険すぎるという判断からだった。身の安全を確保したあと、少し落ち着いて上映開始を待つ間、なにか生暖かい気がしてならない。しかポマードなのかなんなのか、嫌な匂いエアコンから暖風とともに排出されているようだ。もうテンショメーターは左に振り切れ、ほぼ0になっていた。

ブザー、暗転、上映開始。まわりは気にせず映画に集中しよう、と心に決めて観賞を開始する。初っ端から現代映画とは思えないチープ感が漂っている。なんなんだあの貧相な女優は。と思っている間に、例のシーンに。変則的な格好に思わず心の中で笑ってしまう。これがそうなのか、と訳も分からず納得している自分。そしてストーリーは展開を見せはじめるのだが、映画に集中などできなかった。ストーリー自体のしょうもなさもさることながら、それよりも気になったのはまわりの人間達、隊員以外の動向だった。のれん状のカーテンが掛かっているだけの、ドアのない入り口のすぐそばに座っているせいか、上映中にも頻繁に出入りする人々が気になるのである。そして、席に座ったとたんに立ち上がって壁際に立ったと思ったらすぐに別の席に座る客が気になるのである。そして、壁際に立つ人の後ろに立って腕を前の人にまわしている人が気になるのである。その場所で、落ち着いて映画を見ることは不可能であった。このくだらない映画はいつ終わるのか、そんなことばかり考えはじめたのは、まわりの人間模様が気になりはじめたのと同時だったかもしれない。その間にも、入り口付近では相も変わらず人が頻繁に出入りし、通路に出て奥にあるトイレの方へ向う人あり、がら空きなのに人の隣に座る人あり、映画よりもその様子が気になってしようがなかった。いつか、それは我慢の限度を超えるほどに。

1本目と2本目の休憩時間に他の隊員と一緒に抜け出そう、と決めた。その時決めちゃったのである。とにかくこの場所から早く抜けだしたかった。いつだいつだいつ終わるのだ、と思っているうちに、映画はどうにかスタッフロールまでたどりつく。当然普通映画館でよく見られるような、スタッフロールで立ち上がり帰る客はいない。いつもはそんな客を苦々しく思っていた隊員1号も、この時ばかりは一刻も早く立ち去りたかったのはいうまでもない。終了。「1999(映倫)」の文字驚愕する。最新の映画だったのだ。あの映像感で。それよりも、ようやく帰る事ができることが嬉しいかった。しかし、ライトよ早くつけ、と熱望しているのに、なかなか客席のライトはつかない。ライトがついたら全員で帰ろう、と思っていたのにライトはつかない。そう、その時、次の映画がはじまってしまった。2本立てなのだから当然である。軽い衝撃を受けつつ、あと1時間我慢するか、いますぐ立ち去るか、立ち去るなら他の隊員にはどう伝えるか、数秒の間に色々な考えが渦巻く。そもそも、大抵の映画館なら休憩時間におしゃべりしているうるさいカップル等が必ずいるものだが、この映画館には言葉存在しない。無言のコミュニケーションがその場を支配している。とても他の隊員に話しかけられるような状況ではなかった。もし、今左端に座る自分がいなくなると、某隊員の左隣には二つの空席ができてしまう。それはきつい。自分だったらそんな状況は嫌だ。でも、この生暖かい嫌な雰囲気にあと1時間は耐えることはできない。すまない、と心の中でつぶやきつつ、他の隊員には無言で席を立ち、もぎりのおばちゃんの前を抜け、逃げ去るようにその場を立ち去った。つらい選択であった。すまん。

しばらく映画館付近で待つが、他の隊員が出てくる気配はない。あと1時間耐えることを決めたのだな、と判断して、ツアーからひとりぼっちの帰還を果たした。なんともいえない疲労感をかかえつつ。その頃、あの映画館では、左端に二つの空席を抱えこんだ某隊員に緊急事態が起きていた。その列の左端に座る見知らぬ人。この時点でおかしい。席はがら空きである。そのうち席をひとつ右に移る見知らぬ人。完全におかしい。席を移る意味がわからない。そして、見知らぬ人の右手が某隊員の左膝に。。これ以上は詳細不明のため描写できないが、その隊員が無事帰還したことだけは記録しておきたい。

脱力感、疲労感、倦怠感。どうやら全員無事帰還した我々隊員は、今日の日の事を忘れたくても決して忘れられないだろう。そして、この記録をここに残すことによって、あなたの心の中にもいつまでもこの体験は残り続けるだろうし、どこかの誰かによって語り継がれていくだろう。疲れた

2018-04-22

寝室は真っ暗にすべしということだったので

とりま遮光カーテンの周囲をさらアルミホイルで塞いだ

これで真っ暗だ

2018-04-20

[]映画いぬやしき

ネタバレ注意

うーん

キナシはよかったが佐藤ダメだった

常に無表情でたまに涙流す感じ

一応佐藤絡みの出来事キナシよりも優遇して原作からピックアップされてたけど、いかんせん雑すぎるのと佐藤の演技が下手なせいで、駆け足すぎてみてらんない

ほんごうかなたはよかった

序盤の起の部分(しいたげられてるおやじサイボーグになって驚くあたりまで)はかなり展開も早くて、

おっこれは全体的にも期待できるかな

と思ったんだが、佐藤パートもはさむようになってから雑さとか変な間延びとか、

原作からの変なシーンチョイスが増えてきてうーんとなっていった

原作読んだことないツレ的には、日本CGもここまで進化たかとおどろいた・展開もいろいろあったから飽きなかった

ということだったが、原作既読からしたら微妙な出来だった

CG高層ビルの間をマウスカーソルみたいにスーッと飛んでったりするから違和感ありすぎた

原作しらないほうが楽しめそう

ただ原作しってても最後最後の部分は楽しめた

最後が爽快かっていうとそうじゃない

原作だと和解じゃないけど家族から見直されるシーンあるけど映画だとナイから

あと最初宇宙人が改造するシーンのセリフ字幕とかなかったからなんで改造されたのかとかの事情が見る人に伝わらないのはダメだったと思う

やくざ関連とかエロ関連はのきなみカットされてた

最後アルマゲドンもなし

二人の対決で終わった

ただ最後死んだと思ってた佐藤が浦澤直樹のもんすたー ばりにカーテンゆらして姿消したのはオマージュか?と思ってしまったが

2018-04-19

海外在住独身女が一人で海外中絶をした話

はじめに

人生で初めて中絶を、しか海外(先進国です)で経験してきたのでその一部始終等を書こうと思います

衝動的に書き始めてしまった上に、初めての投稿で思ったより長く、読みにくくなってしましました、すみません

他に同じような内容をポストされてる方がいるかわかりませんが、似たような境遇の人たちの参考にでもなればいいし、そうでない人たちにも暇つぶしにでも読んでもらえれば嬉しいです。

妊娠発覚まで

彼氏とのセックス避妊に失敗した(避妊具が外れた)。

やばいと思ったので12時間以内にスーパー薬局で緊急避妊薬を購入

(私がいる国では薬局処方箋なしで緊急避妊薬が買えます。値段は4000円ほど。)

3週間経っても生理がこないので妊娠検査薬で検査したら妊娠発覚...

確率は諸説あります避妊失敗から12時間以内の緊急避妊薬の服用で90%以上の確率避妊できるのはたしかっぽいのにどうしてこんなことに...

中絶する?しない?

妊娠発覚してから一般的にみなさんどれだけ悩まれるかわからないですが、私の場合はほぼその場で「中絶しよう」と決心していました。

理由としては3点:

1)彼氏結婚するつもりがない

2)経済的余裕がない

3)そもそもそんなに子供が欲しくない

じゃあ普段から低容量ピル飲んどけよって話なんですが、そこについては反省しました。

後でも触れます中絶してからは低用量ピルを飲んでいます

中絶しよう!予約方法は?費用は?

中絶しようと決心した私、早速病院を探します。

地名 abortion clinic」みたいな感じでググる自治体Webページが出て来ました。

基本的中絶自治体承認した少数の病院しか行われません。

今回私が選んだ病院中絶避妊専門の病院で、その病院ではほぼ朝から夕方まで営業時間の間ずっと中絶行為が行われていました。

予約方法基本的ウェブ電話になります

私の選んだ病院はどちらか好きな方を選べて、私は電話が苦手なのでウェブで申し込みました。

最後生理からどれくらい経ってるかとか、持病の有無とか、自治体健康保険に加入してるか否か、みたいな質問が続く問診票を埋めたら仮予約完了です。

病院から連絡が来たのは2日後でした。

病院からメールは、プライバシー保護観点からメール自体にはほぼ何も書いてなくて、ウェブ上のメールサービスへの招待と、そちらでやり取りをしようという内容でした。

こうすることによって中絶情報を、特に職場メールを見る人たちが多いので、他人に見られる可能性が減るのだそう。

費用無料でした。中絶手術そのものに加えて、手術前のカウンセリング、手術後に始めた低容量ピル無料でした。全部自治体健康保険カバーされるらしい。

ちなみに、保険未加入でも日本円で50000円弱と日本に比べてかなり安いみたいです。

中絶手術当日の話

いよいよ中絶手術当日がやって来ました。

予約はお昼でしたが、朝から何も食べるなとの指示があったのでお水を飲んで凌ぎました。

病院に着くと、玄関のドアに鍵がかかっていてインターホンが。押してみると看護師さんが応対してくれて、名前と予約時間を告げるとドアのオートロックを開けてくれました。

びっくりしたんですが、このドア、なんと二重扉になっていました。

1枚目のドアを入ると受付から入った人が見えるように透明な小部屋のようになっている短い通路があって、そこの奥に2枚目の扉があります

看護師さんは怪しい人間がいないことを確認して2枚目のドアを開けるそうです(付き添い禁止病院だったので付き添いを入らせないためでもあるっぽいです)。

受付をすませると緑のガムテープを2切れ渡され、スマートフォンのインカメと外カメを覆うようにはりつけろと指示をされました。ここでもプライバシー保護が重きが置かれていました。

待合室はシンプルです。ソファが並んでいて、ウォーターサーバーがあって。

一つ特殊な点があるとすればサイドテーブルに山盛り避妊具が置かれていて、好きなだけ持っていけるようでした。

15分ほど待つとカウンセラーさんに呼ばれてカウンセリングです。

ここでは手術の具体的な工程説明をされ、その上で中絶をすることに対して罪悪感があるか、どのように罪悪感に対処しているか、など精神科っぽいカウンセリングを受けます

また低用量ピル説明もされ、服用を勧められました。

このカウンセリングで、日本との中絶に対する姿勢の差を強く感じたのは、そのカウンセラーさんが言ってくれた「あなたはきちんと自分のやったことに対して責任を持っているわ」という言葉でした。

こちらの国では中絶も一つの選択肢である、と認められていると感じます

もちろん中絶に反対する活動家の方はいらっしゃるようですが、少なくとも医療関係者患者説教したり、否定的言葉をかけたりすることはありませんでした。

中絶は善でも悪でもなく、医療行為の一つである」という共通認識がしっかりあって、個人選択尊重される風潮がある。

これで随分精神的に楽になりました。

カウンセリングの後はいよいよ手術です。

トイレで下着を脱いで、妊娠確認するための尿検査をした後、病院で渡された巻きスカートのようなものに履き替えます

妊娠確認が取れると、抗生物質と強めの痛み止め・吐き気どめを処方されるので飲んで、薬が効き始めるまで待ちます

30分ほどカーテンで囲われた大きな一人用ソファリラックスしたあと、いよいよ手術室に呼ばれました。

まずは看護師さんが採血をしてくれます。これは梅毒HIV感染の有無を調べるもので、強制ではありません。その後麻酔兼気分がふわっとする薬を注射してくれます

そして先生がやってくると、まずは超音波で再度妊娠の有無を調べます

潤滑剤ベタベタ避妊具をかぶされた直径3cmくらいの器具を挿入されて、具体的にどの位置胎児いるか確認します。

確認が終わるとついに中絶です。

方法としては、吸引法と呼ばれる方法が用いられました。

薬で多少気分がぼけっとしていたので記憶が怪しいのですが、子宮口を器具で広げられ、クラミジア淋病検査(こちらは必須でした)のために細胞?を採取されたあと、吸引機を挿入、吸引開始されました。

この吸引、めっっっっっっっちゃ痛い。麻酔全然効いてない(個人差があるようです)。5分ほどでしたが、これも報いかと思いつつ人生で一番痛い経験しました。

手術が終わるとあらかじめ用意していたナプキン付き下着を履かされ、手術前に座っていた大きな一人用ソファに戻され、麻酔が抜けるまでまた30分ほど休憩です。

そして手術後の出血が酷くないことを確認されたあと、術後の注意点が書かれた紙を渡され、すべての工程が終了しました。

注意点としては2週間膣内に何も入れないこと(タンポンもダメ、お風呂ダメ)、出血やばい時は病院直通電話番号があるのでそちらにすぐに電話することを告げられました。

帰宅に関しては、タクシー帰宅を厳命されたので、タクシーに乗って帰宅、即布団へ倒れこみ次の日の朝まで寝ていました。

術後の経過

術後の経過はいたって良好でした。徐々に出血は減っていき、2週間ほどでほぼ出血がなくなりました。中絶後初めての生理もちょうど3週間後に来ました。

低用量ピルは手術の次の日から始めました。

避妊のためもありますが、低用量ピルの服用は中絶で傷ついた子宮回復と、生理週間を正常に戻す手助けをする作用もあるようです。

特に問題がない場合は術後の診察も必要ないとのことだったので、あれから特に病院へは行っていません。

中絶経験して思ったこ

中絶めっちゃ辛い(精神的にも物理的にも)。もう二度としたくないですし、するようなシチュエーションに陥らないように対策はしていきたいと思います

罪悪感はもちろんあります中絶前・中絶後共に「本当に堕してよい(よかった)のか...この子(胎児)の命を私の勝手で奪ってしまって許されるわけがない...」など考えました。

カウンセリングがなければ精神的な辛さはもっとひどかったと思います

自分選択責任を持って、などと大それたことは言えませんが、自分意思で堕したということはしっかり胸に刻んで避妊を徹底していきます

今回海外中絶をして、社会福祉の一環として中絶サポートされているなと感じました。

低用量ピルを服用していても100%妊娠を防げるわけではない以上、日本でも緊急避妊薬や中絶選択肢として、もう少し身近なものになってもいいなと思います

私はセックスが好きです。彼氏セックスするときはとても幸せです。スキンシップ大事です。

なので妊娠はしたくないですがセックスします。もちろん、自分でできうる限りの避妊しますが、妊娠してしまときには妊娠してしまうと学びました。

ですが女性人生プランにおいて、子供ができるということが必ずしも歓迎できることではないシチュエーション存在すると思います

中絶は褒められたことではないですが、そういう場面に直面したとき、頭ごなしに否定するのではなく中絶も一つの選択肢として受け入れられていけばいいなと思います

終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございます

ふと思い立って書いた文章ですので、思ったより長くなってしまいましたし、表現等変な箇所があるかもしれないです、すみません

自分経験、感じたこと・思ったことを書かせていただきました。

賛否両論あるかと思いますが、あくまでも私個人の感想であって、社会がこうあるべきだ!!とか、日本が間違ってる!!とか言いたいわけではないです。

ただ、同じような境遇の方や関係者の方が、本当に追い詰められた時に、中絶が必ずしも悪いことではないと言っていた人がいたな〜くらいに思い出していただければ幸いです。

2018-04-18

anond:20180418130112

むりです

季節問わず日光イコール日焼けでございます

家の中でまで日焼け要素増やしたくないというのは強迫観念でなくても理解はするが、難儀だなあ


一応紫外線カットUVカットカーテンというものがあるにはあるので、これで説得してみるというのはどうか

日焼けが嫌でカーテンを開けない

といっても自分ではなく、妻の話だ。

そのため、我が家は年がら年中カーテンが閉まっている。

休みの日にいいお天気だと、遮光カーテンを開けてレースだけにして明るい光を部屋に入れたいのだが、

レースごしの光も嫌がるので開けられない。

その代わり,部屋の明かりは真昼間でも煌々と照らしている。

照明の電気代なんてたかが知れているので、電気代がーなどとは言わないが、外の明かりを入れたいなぁ。

レースごしの日光なら日焼けしないという話ってありませんか?

2018-04-15

猫助よ

幻を追う猫よ

カーテンの後ろには何もいません

カーテンの後ろには何もいません

2018-04-11

anond:20180411134503

ありがとう

やっぱりそうするしかないよね。

カーテンやっても、カーテン開く時間が長そうな気もするんだけど

もうどうしようもないか……

共働きから色々手伝ってくれようとするのはありがたいんだけど

冷蔵庫以外やって欲しい感じ…。

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