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はてなキーワード: 日清戦争とは

2020-06-27

anond:20200627095022

だけどさ、日本軍日清戦争日露戦争に一応は勝っているので、その経験判断の誤りを招いたってことかな。結局は慢心?

2020-06-26

anond:20170809013919

メモ感想

.

>なぜ立ち止まれなかったのかを考える材料提供してほしい。

加藤陽子の本(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』等)が参考になるかも

.

>そりゃ大きく変わったのは事実だけど、ずっと前から変わっていたんじゃねーの?

そのへんを考えると、日露戦争終結あたりから歴史を見ていった方が良さそうだな

他のコメントブックマーク含む)を参照してみると、結節(ターニングポイント)としては例えば、以下が挙げられるようだ

開国ペリー来航)

征韓論

台湾出兵

日清戦争

日露戦争

シベリア出兵

世界恐慌

満州事変

・五一五事件

盧溝橋事件

・第二次上海事変

トラウトマン工作

.

>ここから既に国内人材物資徴発が始まっていたわけで、いわゆる戦時下体制内閣は挙国一致内閣

マスコミは1937~1941年もっとスポットあてるべき。

1940年体制』(野口悠紀雄)ってやつかな?

.

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170809013919

ブックマークコメントで、

>それを言ったらペリーが来たときから

日中戦争満州事変帰結で、満州事変日露戦争ロシア革命辛亥革命の延長線上にあり、日露戦争日清戦争維新の不平士族征韓論が背景にあり、維新関ヶ原の… つまり卑弥呼黒幕だったんだよ!

とある

こういうような考え方をして、信長時代から維新まで歴史を説き起こしたのが徳富蘇峰近世日本国民史』だったような気がするな(ふと思い出した)

.

anond:20200626190850

一つには、日本軍中国軍近代化過小評価していたこと。まだ日清戦争イメージ鎧袖一触くらいに考えていた。

それから連合国からの援助が効いていた。(ドイツは........)

あと、当然ながら、日米開戦後は戦線が飛躍的に拡大したわけで、対中戦線に割ける戦力は限られてきた。

2020-06-25

anond:20200625084532

実際勝ってさえいればそこで出た犠牲悲惨というよりは「こいつはこんなに勇敢だったんだぞ」と持ち上げる方がメインになるから

アメちゃんにとっての太平洋戦争がまさにそれだし、日本でも日清戦争なんかそんなノリだったろ

悲惨というのは死んだ割に得られたものが少ないという損得の問題でもある

2020-05-29

anond:20200529133012

司令官最前線は愚行だが、士気を上げる上では効果が大きい。

しかし、日清戦争における広島大本営は半端な位置ではないだろうか。

朝鮮半島まで行くか、せめて北九州まで行かないと移動した効果は少ないのでは。

2020-05-14

終戦記念日はあるのに戦勝記念日がない

日清戦争とか日露戦争とか勝ったんだから祝日にしようや

あと大和朝廷鎌倉幕府が出来た日と大政奉還祝日にしようや

2020-05-10

anond:20200510155741

そもそも日本が勝った戦争は、何らかの資源の制約があって引きどころをわきまえているか漁夫の利狙いだけだからな。

から資源が十二分にある状態では、完全勝利か、完全敗北しかありえない。無駄資源が有れども落としどころを考えないから勝てないだろうな。

アメリカゲリラ戦に持ち込まれてなかなか勝てないのと同じ。

日清戦争日露戦争→そこまで資源がなかったためひきどころをわきまえてた。日露戦争財界安田善次郎)が「これ以上戦費を調達できん」と突っぱねたのもある。

第一次世界大戦欧州戦争漁夫の利

第二次世界大戦地方部隊暴走して大戦争になって、向こうの講和の申し出も無視して、イケイケどんどんで進んだら、アメリカが介入してきてぼこぼこにされる。

2020-01-03

松本俊彦医師ストロングチューハイ規制論に反対

松本 俊彦 - ストロングZEROは「危険ドラッグ」として規制した方がよいのではないか。…(以下略)『https://www.facebook.com/matsumoto.toshihiko/posts/2647659768647332/

 ストロングチューハイ松本医師は「ストロングZERO」と商品名表記、この文章では以下「ストロング系」と表記する)による健康被害社会問題になっていることはニュースで重々承知のことだが、それでも私は規制に反対である

 ストロング系のアルコール度数は約9%であり、ビール(約5%)よりは高いが日本酒(約15%)・ワイン10~15%)・焼酎20~30%)よりは低い値となっているので、アルコール度数だけの問題ではないことは明らかだ。ストロング系は炭酸が込められた缶飲料なので、缶ビールと同じ感覚で飲めてしまうことが問題と言えるだろう。だがこれは、ストロング系そのもの問題というよりそれを飲む人の問題である日本ではアルコール摂取20歳以上の成人のみに認められているので、たとえ適切に摂取できなかったとしても成人としての自己責任範疇に収まる問題であるストロング系の歴史が浅くてまだ社会に馴染んでいないことがストロング特有問題である錯覚させるが、年月が過ぎればストロング系の問題は他のアルコール飲料と同程度の問題へと収束していくだろう。

 仮に規制をするとしても、どのような方法規制するというのだろうか。一定度数以上の缶飲料禁止するのだろうか。アルコールを感じさせにくくする為の炭酸封入を禁止するのだろうか。医薬品のように販売規制をするのだろうか。はたまた「ストロング」の名称禁止するというのだろうか。いずれの場合も、メーカー市場を混乱させてアルコール飲料多様性を失わせるなどのデメリットばかりで、健康被害が縮小するとは考えにくい。そもそも、紙パックやワンカップで手軽に飲み切れる日本酒や、ペットボトル詰めの焼酎といったストロング系を超える度数アルコール飲料コンビニで気軽に買えるというのに、特定商品だけを槍玉に挙げることに何の意味があるというのだろうか。

 医師という社会的使命を帯びた者が軽々しく規制を口にして、飲酒を楽しむ人に対して不当に罪悪感を植え付るようなことは慎むべきである。他のアルコール飲料比較するなどのエビデンス提示せず、個人的な臨床経験とやらで特定商品を有毒性の薬物であるかのように喧伝するのは、メーカー営業妨害という範疇をも超えた、飲酒文化に対する不当な圧力といえるだろう。「お酒お酒らしい味をしているべきであり」という松本医師表現からは、飲酒文化の在り方を押し付けるかのごとき傲慢さを感じる。

 また、「公衆衛生アプローチを考えれば、本来酒税は含有されるアルコール度数の上昇に伴って傾斜すべきです。」という医師記述からは、根本的に酒税法を理解していないことがうかがえる。そもそも酒税法は明治政府が安定した財源を確保するために制定したものであり、1890年代(日清戦争の頃)は酒税収入国税の約30~40%を占めていたのである(ちなみに現在酒税収入国税の2%ほど)。公衆衛生酒税を絡めた記述から松本医師酒税収入公衆衛生の為の目的税特定財源)と勘違いしている節があるが、明治時代から現在に至るまで酒税収入一般財源として扱われている。さらに、酒税アルコール度数関係だが、「アルコール度数の上昇に伴って傾斜すべきです」と松本医師は述べているが、現在基本的にそうなっているのである

 酒税法において、酒類1キロリットル当たりの税率はアルコール度数1度ごとに1万円の加算税率が原則である清酒焼酎ウイスキーリキュール果実酒もそのように設定されている。例外としてビールだけは税率が高く設定されている。1度ごとに1万円の原則を当てはめるとビールは5万円程度が妥当だが、実際は22万円である。これには理由があり、酒税法制定当時にビール国内醸造しておらず、舶来品としての贅沢税扱いされていたという由来がある。ビール国内醸造されるようになり、酒税法が改訂されてもビール酒税は高いままとなっている。このことが、ストロング系はビールに比べて酒税が不当に安いと勘違いされる要因になっている。実際にはビールけが不当に高いのであり、ストロング系は清酒焼酎ウイスキーリキュール果実酒と同様に、1度ごとに1万円の原則に当てはまっているである。だからストロング系の酒税を上げろと主張するのは間違いであり、正しくはビール酒税を下げるべきなのであるストロング系に何らかの規制を課そうとするのはお門違いも甚だしい。

参考:

文化研究所レター24日本酒税制度の軌跡をたどる『http://www.sakebunka.co.jp/archive/letter/pdf/letter_vol24.pdf

国税庁の酒税一覧表『https://www.nta.go.jp/taxes/sake/qa/01/03.pdf

2019-11-27

anond:20191127134114

いずれ戦争が起きて日清戦争で清が日本に負けたように日本北朝鮮に負け、今あるような秩序が全て崩壊し再度安定的社会が築かれるまでの長きにわたって東アジア全体で戦乱が続く。

2019-09-30

anond:20190930223612

江戸の三大改革をすべて挙げろ」とか「日清戦争日露戦争講和条約はそれぞれ何?」とかは暗記じゃん。

三大改革の中身や日清戦争日露戦争の経緯は流れで覚えられても具体的な単語は暗記だよ。

2019-08-30

オリラジ中田敦彦ネトウヨに叩かれてるけど

朝鮮半島は、明~清の属国として支配されていて、

日清戦争で清が負けたことで清から解放されたけど、今度は日本併合されてしまい、

太平洋戦争日本が負けたことで日本から解放されたけど、

今度はソ連アメリカがそれぞれコントロールやす朝鮮人を国のトップとして立てて、

ソ連中国支配下の北朝鮮と、アメリカ国連支配下の韓国誕生し、

朝鮮半島冷戦代理戦争戦場になってしまった。

朝鮮半島は一度も自力独立を勝ち取ることができなかったから、

アメリカでいうような「階級主義イギリスから脱出して自由の国を作った」みたいな、

国民を良い気分にさせる「建国ストーリー」が無い。

から日本を敵視する教育をすることで国民をまとめているんだ、と主張していた。

その同情的な語り口が、朝鮮半島人間に対して怒り狂って口汚く罵っている人々よりも、

よほど残酷に思えた。

2019-05-18

臥薪嘗胆

19世紀の終わりころ日清戦争で得た遼東半島ドイツフランスロシア三国による干渉により手放すことになった。

このころの日本は腰抜けばかりだったので「薪の上で寝て、胆を嘗めよう」といった意味不明スローガン現実から目を背けることにした。

2019-03-02

anond:20190301202450

韓国以外の国は日本に屈した歴史はない

  って、あんた、日清戦争って聞いたことないんか?

2019-02-01

anond:20190201021510

その回数へのこだわりが心底気持ち悪いんだけど、白村江と第二次世界大戦を同じ「一回」としてカウントすることが異常だと思わないなら手の施しようのない馬鹿だとしか言いようがない。

あと、日清戦争とか日露戦争とかシベリア出兵とか第一次世界大戦とか知ってる?

anond:20190201011442

ユーラシア大陸とは地続きではなく、ヨーロッパのように群雄割拠でもないので隣国に脅かされることはなかったのに、延々と国内で争い続け、たまに平和になったと思えば、隙あらば白村江、隙あらば文禄・慶長の役さらには日清戦争から太平洋戦争が終わるまでの50年間、延々とアジア侵略し続けた国がなんだって

2018-12-17

武井俊輔議員へ 何を仰りたいのか全くわかりません

https://www.facebook.com/100002110983459/posts/2131123246968021/

読解力には自信ある方なんだがマジで何言いたいのかわからない。

仕事でこんな文章上げてくるやついたら一年目の新入社員でも赤ペン入れまくってしばきます

国会議員自民党先生と言うのはこんなクソ文でオッケーなんでしょうかね。




武井 俊輔

12月15日 6:35 ·

【なぜこの時期に訪韓したのか】※長文ご注意

長文でもいいんだよ。

内容があればね。その文字数必要だったと納得させるだけの内容があれば。

日韓議連全日程が終わりました。参加すれば当然厳しい意見はあろうかと思っておりました。帰ってくるな!裏金をもらっているのか!売国!ガン!落としてやる!...なかなかなものです。

一つひとつに何か申し上げる気はありませんが、改めて私個人という意味においては、合理性という観点でみるならば、確かに極めて非合理的だったかもしれません。しかしそれでも行って良かったとも思っています。なかなか不思議感覚です。

不思議感覚です」じゃなくて、

それでも行って良かったと思えるのは何故なのかの理由を書こう?


ていうかもうこの時点で文章無駄にダラダラしてるんだが

「改めて私個人という意味においては、」「合理性という観点でみるならば、」とか、全部要りませんよね。

こういう馬鹿学生レポート文字数稼ぎみたいな無駄なセンテンスもずーっと続くので見て行こう

そもそも今回の訪韓は党から議連からも経費も出ません。全て自弁です。従って行く義務もまったくありません。しかも行き先は温暖なリゾート地でもなんでもない氷点下10度にもなる厳寒のソウルです。

この「僕個人は損をしてるんだ」(だからどうした馬鹿が)という同じ話がこれから何度も何度も何度も何度も出てきます


しかし私には私なりの思いがあって訪韓しました。私はいま国政の一席をお預かりしていますが、それまでに私は2度と会社を辞め、それなりに安定した生活を捨てて政治の道を歩んでいます。もちろん様々な葛藤は日々ありますが、その中でも自らの信念として歩むべきことは歩まなければ、政治家になった意味価値もありません。

私の事務所には小村寿太郎侯のポスターを貼っています。わがふるさと宮崎県の生んだ大政治家です。

小村がポーツマス条約を締結し帰国したとき日比谷焼き討ち事件が起こりました。日露戦争勝利したにも関わらず10年前の日清戦争と異なり賠償金が取れなかったことについて、国民の怒りとそれを煽動した者によって起こされた新聞社などへの放火を伴う暴動です。

しかし時の桂太郎内閣も、小村自身も当時の日本の戦力、ロシアの戦力を考えれば講和しかないと確信していました。(このあたりに興味のある方は吉村昭の『ポーツマスの旗』をぜひお読み下さい)

小村は当時の人、特に政治家には珍しく日記つけませんでした。歴史は後世が評価するという思いからだといわれていますが、小村の交渉術、成果はいまなお歴史においても、外務省においても高く評価されています

しかし私には私なりの思いがあって訪韓しました。」から

その思いと言うのが具体的にどういうものかについて全く説明が無い。

から長々書いてるけど内容が何も無いすごい駄文


なんで突如長々と小村寿太郎の話が始まるんだよ。

それよりお前がお前の現在の行動について説明するんじゃないのか。

するんならしろよ。それだけだろ。


話が逸れましたが、いまの訪韓がいま厳しい評価を受けることはやむを得ないと思いますしかし今回の対応、文大統領発言対応などについては一定の成果があったと思います

大統領公式に面会をするという一事は極めて重いことですし、それを額賀会長が直接伝えたことは意味があります総理からメッセージが出なかったのは事実です。しかしそれも含めての額賀会長発言であり、外交の極めて微妙駆け引きとはそういうものです。

からその一定の成果ってなんだよ。

大統領から現在の懸案についてなんか具体的な提案や表明を引き出せたの?

ないよね。

公式に面会したからなんなのw

ただの定例行事だよね。

「文大統領に会った(いつものこと)」

微妙駆け引きをした(具体的な報告は何もできましぇーん)」

これさあ、何の成果も無いのにわざわざ行ったっていうだけのことだよね。


どうしてこんな時期に行ったのかの説明も出来ず、

行ったことで獲得した成果の報告も何も出来ず、

まりやらなくてもいいことをやったってだけだよね?

からもっともらしく装った口調で

こんな内容皆無の水ぶくれした文章書いてんだよ。


その上で、いまの訪韓国益に反する、との意見について申し上げます

そもそも私達は勝手政府与党の反対を押し切っていったのではなければ、隠密裏に行ったのでもありません。

そもそも、いつ、誰が行くかは公知の内容であり、私自身も岸田会長にも報告して参加していますそもそも自民党で最も多く参加していたのは幹事長派閥二階派です。

もし我々の行動が本当に国益に反すると政府与党判断があれば、表裏問わず勧告”があったはずです。超党派ですから、極端な話、わが党が全員出なくても成立するのです。

しかしそのような動きは全くありませんでしたし、また当日の開会式には長嶺駐韓大使も出席頂きました。この議連活動問題があれば、現場のロジ(足回りのお世話)はともかく大使が出席することにはなりません。

なんだこりゃw

「強く止められなかったか責任は党にあるんだもん!」ってか。

マジで1年目の新入社員みたいなやつだな。

お前の判断についてと、その判断理由と、お前の行動成果とを報告するターンだろ。


「行って良かったと言う不思議感覚

「僕は批判覚悟で行ったんだ」

「成果は微妙駆け引きだ」

自民党が止めなかったもん!」

お前さあ、何年目の何歳だよ?

こんな奴が議員でいいのか?自民党さあ。


批判される方はこのようにご説明しても批判されるとは思いますが、かくの如きをみても、政府与党としてもこの議連一定の意義と期待を持ってのことであろうことは、元外務政務官としての経験から確信を持っていえます

「僕達は期待されてたんだもん!」

「強く止められなかったのがその証拠!」

本当に重要役割として期待されてるならそれこそ

党の偉い誰かから「頑張ってきてほしい」「こういう交渉してきてほしい」とか激励なり指示なりなんかあるもんじゃないの?


「具体的に誰にもそんなこと言われてないけど外務政務官としての経験でそう思うんだもん」

話にならねえなこいつ。

冒頭に合理性と述べましたが、合理性だけを問えば東京に残って部会で厳しい発言をすることが費用対効果的にも最も合理的です。それだけで産経新聞評価してくれますし、こんな発言しました!といえば一定賞賛は得られるでしょう。

しかし逆に訪韓すれば冒頭のごとく叩かれますし、わが党の議員でもツイッターで煽るような意見を述べる方もいました。(それはそれで構いませんが、同じ党の議員なのですからネットに書き込む前にぜひ直接聞いて頂ければとは思いますが)

しかし、このような厳しいときこそ足を運ぶというのは私の政治的信念です。

私は日中次世代交流委員会という超党派議員団で毎年訪中しています公明遠山清彦代議士団長に私は副団長を務めていますが、今年で6回を数えます

6年前、初めて訪中したとき政権交代直後ではありましたが、野田政権での尖閣国有化の余韻が冷めやらず、極めて厳しい対応、いわゆる”塩対応”でした。第1回は日中国交回復35周年の年で、団として訪問したのは私達だけでしたし、訪中自体に厳しい意見も多く頂きました。

しかし私達はとにかく毎年、誰に会える会わないは問わず訪問するということで、訪中を続けました。

からその「政治的信念」って具体的に何よ?

そしてその信念でどんな成果を挙げてきたのよ?

それを説明・報告してくれよ。


Q「その行動の理由は?」

A「僕の信念です」

 「僕個人の損得ならこんな行動はしないのが合理的でした」

Q「うんそっか、で、行動の理由は?」

 「信念が理由ですじゃ説明になってないよね。あと君の信念って具体的には?」

 「んでその信念の行動でどんなよいものを獲得してくれたの?」

A「先輩も強く止めなかったですよね」

 「社が僕に期待してることははっきりわかりました」

 「成果は特にありません」「微妙駆け引きとだけ言っておきます

Q「お前ぶっ飛ばすぞ」

 

ってなるやろ。

こんなわけわからん会話が成り立たないやつ1年目のガキでも嫌だわあおれ。

指導したくないわあ。

会話通じないやつにはどうしてもキレ気味ぽくなっちゃうもん。


そしていま、まだまだ課題はあるもの安倍総理訪中、そして習近平国家主席訪日視野に入るまでになりました。いまは政治においても双方多くの交流が続いています。厳しい時期でも訪問を続けたことは間違いはなかったと思っています

から関係が非常に厳しくてボール相手にあるときに出向いていくのは

間違ったメッセージを送ることになる、って言うのがよくある批判の声だよね?

そういう良くある批判に対する反論説明すらないのかよ。

だめな企業サポート以下か。


かに今回の訪韓超党派ゆえの難しい部分もありました。一部政党幹部の方の文大統領をはじめとする先方に対する発言分科会での主張などは相手にわが国の主張の一貫性を誤解させる危惧も感じました。

しかしそれは超党派性格上やむを得ない部分でもあり、それは改めて政府与党が正確に伝えておかなければならないと実感しました。

こいつ駄目な点はわかってるのに

そこの説明になると自分意思判断希薄化させて

自民党が強く止めなかった」

超党派性格上難しい部分があった」

みたいに他人事っぽくまとめるのな。


その危惧デメリットが見えてた行動を敢えてとった理由説明

そこまでしたからには当然何か手柄をたててきたのだろうからその披露を頼むわ

って言うのがお前に今求められてることだろ。

そこについてはなんにも説明できないか意味不明な冗長駄文で逃げ回ってるわけだろ。


お前が今回の行動にきちんと説明できるものなんかもってないこと、

何かを誤魔化そうと言う邪心があることは逆にはっきりわかるわ。


その上で、ですが、もちろん私達の訪韓で劇的に変わることはないでしょう。課題は引き続くと思いますし、厳しい局面もあると思います

しかし、日韓引っ越しできない永遠隣国です。訪日韓国人は過去最高を記録していますし、ミョンドンを歩いても日本観光客が回復しつつあるこを実感しています政治が厳しいときなればこそ、経済観光役割果たして行かなければなりません。

わがふるさと宮崎アシアナ航空イースター航空と2社がソウルと結んでいます。この時期は温暖な気候を求めて、特に多くのゴルファーが訪れます。国と国との関係が厳しい時期なればこそ、しっかりおもてなししたいものです。

冒頭にも述べましたが、今回の訪韓は私個人合理性を考えればまったくメリットはありませんでした。しかし国政の一席を預かる者としての役割は果たすことができたと確信しています

から具体的に言えよ。

何をしてきてどんなよいものを獲得したのか。

何回も内容の無い言葉を繰り返すな。

胡散臭いやつだって自分からばればれにしてるだけだぞ。

また、私は安易アジテーター扇動者)にはなりたくありません。小村はけしからん擁護する新聞社けしからん!と煽れば、それは暴動になるのてす。

政治は常に抑制的でなければなりません。

あーあ。結局そんなことが言いたいのかよ。

「ぼくちんを批判するのは扇動者だーー!」「暴動こわーい」ってか。最低だな。

暴動が起きるほど注目される大物かよお前は。

んで、普通に非難されてるだけなのに「暴動だ!」とかいって被害者ぶるのは卑怯だろ。


そうやってひたすら言を左右にしたり暴動(笑)被害者ごっこまでしながら

あくま自分の行動や意思については新入社員レベル説明と報告もしない・出来ない・逃げ回るってことは

これはよっぽどやましいやつかよっぽどの無能ってことだろう。


前歴が外務政務官だってうから実務能力はあるのだとすれば

これはやっぱりなんか筋の悪うい人物なのではないかな?



私がお世話になっていた宮崎交通創業者である岩切章太郎言葉を集めた『無尽灯』(むじんとう)にこんな言葉があります

宮崎交通”が”あってよかった。宮崎交通”で”あってよかった。そんな会社になりたい。』

私も、たけい”が”いてよかった。たけい”で”よかった。

そう思われる政治家であり続けられるよう、精進して参ります

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

あーはいはい

小村寿太郎だの岩切章太郎だの人の言葉引用ばっかりで

自分の行動を自分言葉説明することは全く出来ずに逃げ回るやつなんだってことはよくわかったよ。

自民党という党のレベルもよくわかった。

2018-12-08

世界が見た日清戦争日露戦争

日清戦争日本語けが日清」の順で、他はみんな清(中国)が先で日本が後

日露戦争日本語中国語が「日露」の順、他はロシアが先

2018-08-12

元寇朝鮮出兵日清戦争日露戦争第一次世界大戦第二次世界大戦

全部サッカー

ただのワールドカップ

第二次世界大戦で客席に

ボールが飛んできて

事故に巻き込まれたから、

過ちは繰り返しませんとか言ってる

サポーター日本人

国内Jリーグはあるけど、

国際試合日本代表選手にはアメリカ人

しかなることができない

右を向けば、

アメリカ人バンザーイ、サイキョー」

左を向けば、

サッカーなんて野蛮、球場を守れ」

一方で中国選手練習

励んでいるのだ

2018-03-31

はいから「ト」なのか。

江戸時代は、京都はキョウノミヤコ

そのあとの「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」には首都という言葉はない。

でも首都という言葉は、1895年頃には印刷されている。

ともあれ首都中国語ではショウドゥーが、シュトと読まれた。

シュトは、イタリア語「私」、ロシア語「何」、ドイツ語「争・シュトライト」。

シュトイベンと言えば、米国独立戦争参謀プロシア人。

当時の活動団体と言えば、伊藤博文ドイツ協会ドイツ法学の帝大。

帝国憲法草案ドイツ人が書いた。

中国漢語ドイツ語風に読んでドヤ顔たかったのか。

日清戦争のあとには、ドイツ山東省を租借してた。

シュトは「主と」にも聞こえる。東京は主と?

ドイツから賄賂で失脚した日本軍閥内閣もある。怪しい。

日本会議にもドイツ団体の影響があるんだろうな。

北朝鮮の在ドイツ大使館ミサイルの話もあったし。

米国ドイツ移民が多すぎてナチス問題に介入できなかったことがあるし。

2018-01-28

日本辞書における台湾関連の記述

<背景>

産経新聞が次のような記事掲載している。

広辞苑台湾を「台湾省」 20年前から記載 「日本代表的辞典としては瑕疵と言わざるを得ない」(1月26日

http://www.sankei.com/life/news/180126/lif1801260004-n1.html

広辞苑」に相次ぐミス指摘 “国民辞書”揺らぐ信頼

http://www.sankei.com/life/news/180126/lif1801260003-n1.html

今回の広辞苑第七版ではLGBTしまなみ海道記述の誤りが指摘されている。しかし、台湾については触れているメディアほとんど見かけていない。

私はまだ広辞苑第七版を見ていないが、広辞苑第六版その他の辞書記述について気づいた点を記す。

<私の結論

1)広辞苑第六版の「中華人民共和国」にある〔中華人民共和国行政区分〕は日本刊行する辞書としての中立性に欠ける。

2)広辞苑以外も日本国語辞典は総じて現在中華民国に冷たい。現在中華民国は「名称」であり、台北首都ではなく主要都市なのだ

画像

1 産経新聞より

http://www.sankei.com/smp/life/photos/180126/lif1801260003-p1.html

2 広辞苑第六版より

https://pbs.twimg.com/media/DTTEa_YVwAAJM6J.jpg

<本文(長い)>

きっかけは昨年秋、広辞苑新版ニュースになりはじめたころの、1つの記事だった。

日本広辞苑が「台湾中国の一部」に改定。日台の絆に深い傷

http://www.mag2.com/p/news/333476

ただし、この記事有料メルマガ抜粋であるため、詳細を確認することができなかった。

そこで、近くの図書館に行き、台湾関連の記述確認することにした。

まずは「台湾」を引いてみた。

【1】「広辞苑」第六版第一刷(二〇〇八年一月一一日)新村出

たいわん【台湾】(Taiwan中国福建省台湾海峡をへだてて東方二〇〇㌖にある島。台湾本島・澎湖諸島および他の付属から成る。総面積三万六〇〇〇平方㌖。明末・清初、鄭成功オランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本植民地となり、一九四五年日本敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。六〇年代以降、経済発展が著しい。人口二二八八万(二〇〇六)。フォルモサ。→中華民国。➖・あひる台湾鶩】(以下略

まぁ、こんなもんかな、と思った。

他の辞書も見てみることにした。

【2】「大言海」新訂版第四刷(昭和五十七年十二月一日)故大槻文彦、大槻清彦

たいわん・ぼうず(タイワン・バウズ)(名)臺灣坊主明治二十七八年戦役ノ際、臺灣に出征セシ兵士ノ、此病ニ罹リ、つるつる坊主ニナリテ歸國セシ故ニ云フト〕(以下略

台湾自体見出し語になく「台湾坊主」という禿頭病の説明だけだった。

【3】「角川国語辞典初版昭和五十七年十二月二十日)時枝誠記吉田精一

たいわん【台湾中国福建省東方にある島。面積三万五六〇〇平方㌖。明(みん)末、清(しん)初のころから中国人が多数移住して中国領であったが、日清(にっしん)戦争後、日本領第二次世界大戦後、中華民国返還され、一九四九年以降は蔣介石の国民政府がこの地によっている。中華人民共和国台湾省という。

続いて【台湾海峡】【台湾総督府】【台湾泥鰌(どじょう)】【台湾パナマ】【台湾坊主】と続いた。

【4】「広辞林」第六版第一刷(一九八四年三月一〇日)三省堂編修所

たいわん【台湾中国福建省東方にある島。中国の一省。

これだけの辞書もあった。続いて【台湾征討】【台湾総督】と続く。

【5】「岩波国語辞典」第7版新版第1刷(2011年11月18日西尾実岩淵悦太郎水谷静夫

台湾」はなく、【台湾坊主】のみ。禿頭病のほか、低気圧意味も載っていた。

【6】「旺文社国語辞典」第十一版(2013年10月13日山口明穂、和田利政、池田和臣

たいわん〔台湾沖縄諸島南西方中国大陸福建省東方位置する島。中心都市台北タイペイ。➖ぼうず【ー坊主】(以下略

台北が初めて出てきたが「首都」ではない。

【7】「国語辞典 言泉」第一第一刷(昭和六十一年十二月二十日)尚学図書

たいわん【台湾日本列島西南方にある紡錘形の島。島のやや東寄りに高峻な台湾山脈が南北に縦走し、西側平野がひらける。気候亜熱帯モンスーン気候原住民インドネシア系とされる高山であるが、人口の大部分は華南から移住した漢民族が占める。明末・清初から中国領日清戦争日本領。一九四五年中国返還され、四九年中国国民党政府がここに移った。略称は台タイタイワン。

高山族が出てきた。

【8】「新明解国語辞典」第六版第一刷(二〇〇五年二月一〇日)山田忠雄柴田武酒井憲二、倉持保男、山田明雄

これも【台湾坊主】のみ。

【9】「大辞林」第三版第一刷(二〇〇六年一〇月二七日)松村明三省堂編修所

たいわん【台湾中国福建省東方位置する大島台湾本島とその属島からなる。米・サトウキビ・茶・バナナなどを産する。製糖・製紙・機械セメント・造船などの工業が発達。先住民高山であるが、住民の大部分は漢民族一六八三年から中国領土。日清戦争日本植民地になり、一九四五年中国返還されたが、四九年国共内戦に敗れた中国国民党がここに移った。主要都市台北。面積三万六千平方㌖。人口二二七五万(二〇〇五)。

かなり詳しいが「中華民国」とは書かない。以下【台湾海峡】【台湾兜虫】【台湾銀行】と続く。

【10】「日本国語大辞典」第二版第八巻第一刷(二〇〇一年八月二〇日)日本国語大辞典 第二版 編集委員会小学館国語辞典編集部

たいわん【台湾中国の南東方にある紡錘形の島。本島のほかに澎湖島などの付属島を含み、台湾海峡を隔てて中国福建省広東省に対する。島のやや東寄りに高峻な台湾海峡が南北に縦走し、西側平野がひらける。ほぼ中央を北回帰線が通り、亜熱帯モンスーン気候を示す。先住民はマライ・インドネシア系とされる高山であるが、人口の大部分は華南から移住した漢民族が占める。明末・清初から中国領日清戦争後の一八九五年から日本領。一九四五年中国返還され、省制がしかれたが、四九年中国国民党政府がここに移った。面積三万五九八一平方キロ

かなり細かい記述

台湾については大体こんな感じだったが、「中華人民共和国」と「中華民国」も引いてみることにした。

【1】「広辞苑」第六版第一刷(二〇〇八年一月一一日)新村出

➖・じんみんきょうわこく【中華人民共和国中華民国国民党政権革命によって倒し、一九四九年一〇月一日、中国に成立した共和国中国共産党指導のもとに、全国人民代表大会国家権力の最高機関とする。社会主義体制標榜しつつ、七〇年代から経済改革・対外開放を推進、近年発展著しい。面積約九六〇万平方㌖。人口一二億九六〇〇万(二〇〇四)。首都北京

本文にさして問題は感じないが、問題は〔中華人民共和国行政区分〕なる地図である

(1)北京市に始まり(34)マカオ特別行政区まで掲載されている中に、しれっと(26)台湾省が何の説明もなしに入っているのは、非常に違和感を覚える。

➖・みんこく【中華民国辛亥革命の結果清朝が倒れた後、一九一二中国最初共和制政体として成立した国。初代大統領袁世凱(えんせいがい)。二八年中国国民党国民政府樹立、全国を統一したが、第二次大戦後共産党との内戦に敗れ、四九年本土を離れて台湾に移った。

ちゃんと中華民国見出し語になっているのだが。

【3】「角川国語辞典初版昭和五十七年十二月二十日)時枝誠記吉田精一

➖・じんみんきょうわこく【ー人民共和国

中国大陸支配する社会主義国首都北京ペキン。(以下略

➖・みんこく【ー民国

中国大陸の南東海上、台湾島を中心とする共和国。辛亥(しんがい)革命により一九一二中国大陸に成立。のち、蔣介石の率いる国民党によって統一されたが、第二次世界大戦後、国民党共産党に敗れ、一九四九年台湾に移った。首都台北タイペイ。面積三万五九六一平方㌖。

中華民国見出し語にあり、台北首都である

【6】「旺文社国語辞典」第十一版(2013年10月13日山口明穂、和田利政、池田和臣

中華人民共和国のみ見出し語にあり。中華民国台湾については特筆すべき点なし。

【7】「国語辞典 言泉」第一第一刷(昭和六十一年十二月二十日)尚学図書

中華人民共和国については特筆すべき点なし。

➖・みんこく【中華民国】(一)辛亥革命後の一九一二から中華人民共和国が成立した四九年まで、中国代表する政府採用した国名。(二)一九四九年、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党政府使用している名称

最も正確な気がした。

【9】「大辞林」第三版第一刷(二〇〇六年一〇月二七日)松村明三省堂編修所

➖じんみんきょうわこく【中華人民共和国アジア大陸東部を占める国。中国革命成功により一九四九年一〇月一日、毛沢東主席として成立。中国共産党指導の下で、土地改革農業集団化、数次の五か年計画などを遂行し、文化大革命による混乱を克服して「四つの現代化」を掲げ、社会主義国建設を目指している。国家の最高機関全国人民代表大会首都北京。面積九五九万七千平方㌖。人口一三億一五八〇万(二〇〇五)。

➖みんこく【中華民国辛亥革命の結果、中国誕生した共和制の国。一九一二孫文臨時大総統として南京ナンキン)に政府樹立されたが、袁世凱政権を奪って政府北京に移した。のち、中国国民党国民政府樹立し、北伐をおこない全国を統一したが、日中戦争内戦を経て、四九年中国共産党中華人民共和国が成立。台湾に移った国民党政府は、中華民国国号使用

【10】「日本国語大辞典」第二版第八巻第一刷(二〇〇一年八月二〇日)日本国語大辞典 第二版 編集委員会小学館国語辞典編集部

ちゅうか-じんみんきょうわこく【中華人民共和国ユーラシア大陸東部にある人民共和国東部はやや湿潤な平野からなり、内陸部は乾燥気候で、山地高原盆地が多い。大多数を占める漢民族のほか、チワン族蒙古族ウイグル族チベット族など五五の少数民族からなる多民族国家北京上海天津の三直轄市と、二二省、五自治区、ニ特別行政区香港マカオ)に分かれる。中国国民党との内戦勝利を得た中国共産党の全国統一により一九四九年一〇月、毛沢東主席として成立。中国

広辞苑第六版の地図比較すると、この時点では重慶直轄市ではなかったようだ。そして台湾省は「二二省」には含まれていないと思われる(広辞苑の「省」は23ある)。

ちゅうか-みんこく【中華民国】(一)辛亥革命後の一九一二から中華人民共和国が成立した一九四九年まで、中国代表する政府採用した国名。一九二七年を境として、前半の軍閥組織を背景とした北京政府と、後半の中国国民党による国民政府時代とに分けられる。首都は前半は北京、後半は南京。(ニ)一九四九年、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党政府使用している名称

【11】「国語辞典第一版第七刷(昭和五十七年二月十二日)尚学図書

➖・じんみんきょうわこく【中華人民共和国

国共内戦記述があり、首都北京とあるが、台湾についての記述はない。

2017-12-12

在日朝鮮人

在日朝鮮人出稼ぎ密入国末裔です。

朝鮮人は長期に渡り自国政治を行ったことが無く、属国として存在していました。

それが、いきなり日清戦争により独立を果たした為、それまで奴隷だった層(白丁)が日本に渡って出稼ぎに来たのが、多くの在日朝鮮人起源です。

ですから在日朝鮮人は何時また迫害されるのかという疑心を常に抱きながら生活をしていました。

何時また差別をされるのかという疑心から事実と異なる差別発言を繰り返し、被害者面して日本寄生しているのです。

貴方は、どれくらい朝鮮の歴史に詳しいか解りませんが、日本朝鮮の歴史殆ど捏造された歴史です。

その捏造された歴史は、現在差別人権侵害の基本概念として、在日達は日本国内でユスリタカリを行っているのです。

強制」と言われるのも嘘ですね!

彼らの言う「労働者強制連行」ですが、これは徴用というもので、公の機関が行った労働者募集で、その募集に応じた者が徴用として、日本で働いたのです。

まり今でいう、ハローワークで職を募集してそれに応じた者が、出稼ぎで働いたと言うのが「徴用」なのです。

慰安婦についても強要ではなく、民間業者募集に対して応募したのが慰安婦です。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1299711822

はてブをつけて真実を広めよう!

2017-11-05

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である21世紀中国がどこに向かうのか。この種の権威主義統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である

 19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派残酷鎮圧にあって失敗した。辛亥革命1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジア最初共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国現代全体主義深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国毛沢東時代の普遍的貧困絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆生活水準は大幅に向上し、個人経済的自由社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間人権政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者市場化と私有化経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会2004年憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れ直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。

二、我々の基本理念

 中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。

自由:自由は普遍的価値の核心である言論出版信仰集会結社・移動・ストライキデモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。

人権人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである

 平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民社会的経済的文化的政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。

 共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和方法で公共の事務を処理することである

 民主もっと基本的な意味は主権在民と民選政府である民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民真正選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。

 憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。

 中国では、帝国皇帝権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国根本的な活路である

三、我々の基本的主張

 そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。

1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国民主化の法的な基礎を固める。

2、権力分立権力分立現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。

3、立法民主:各級立法機関直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。

4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会解散させ、公器の私用を防ぐ。

5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。

6、人権保障人権を確実に保障し、人間尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。

7、公職選挙全面的民主選挙制度実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民選挙参加は奪うことのできない基本的人権である

8、都市農村の平等:現行の都市農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民移動の自由の権利を保障する。

9、結社の自由国民結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争原則確立し、政党政治正常化と法制化を実現する。

10、集会の自由平和集会デモ示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。

11、言論の自由言論の自由出版の自由学術研究の自由を実現し、国民知る権利監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識確立し、社会に奉仕する国民美徳提唱する。

14、財産保護私有財産権を確立保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権帰属責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。

15、財税改革:財政民主主義確立納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択住民投票)や民意機関議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。

16、社会保障:全国民カバーする社会保障制度を構築し、国民教育医療養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。

17、環境保護:生態環境保護し、持続可能な開発提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織環境保護における参加と監督作用を発揮させる。

18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国樹立する。

19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動政治的迫害を受けた人々とその家族名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会設立歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。

四、結語

 中国世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会メンバーとして、人類の平和事業人権進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。

 そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。

(括弧)内は訳注。

原文:

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40

転載自由、出典明示)

2017-10-05

[]木口小平

木口 小平(きぐち こへい、明治5年8月8日1872年9月10日) - 1894年明治27年7月29日)は、日清戦争戦死した日本陸軍兵士。ラッパ手として、死しても口からラッパを離さなかったとされた。その逸話明治35年から昭和20年まで小学校修身教科書掲載され、戦前日本においては広く知られた英雄であった。

木口小平 - Wikipedia

2017-09-07

anond:20170907224900

日清戦争太平洋戦争にかけて団結してましたよ。

ケイケどんどん過ぎて国のキャパ越えして破滅しましたけど(滝汗

2017-09-06

https://anond.hatelabo.jp/20170906054618

あのさぁ、、、、メガネ出っ歯カメラってもう数十年来の日本人イメージよ?

カメラがないメガネ出っ歯であればもう大正時代まで遡れるな。

その前はちょんまげ和服だ。日清戦争風刺画が有名だが、明治維新から何年たってるの。

あんたがきにし過ぎなだけだって

何だ日本人を描くときは無個性に描いて欲しいってのか。誰が誰だ格別がつかないだろうが。

しろさ、そういう「外国人ちょっと笑える程度のステレオタイプで見る見解ケチつける」ってのは色々世間が狭くなるからやめい。

そういうのがうるさいから、逆にアメリカ映画なんかは上司だとか大統領黒人とか逆の固定観念が生まれてるんだろうが。

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