はてなキーワード: 不特定とは
元増田ではないが、ブコメを見る限り売春だからダメって書いてあるわけだが
1. そもそも個人間の売春に罰則規定はない。管理売春等を規制するために売春はしてはいけないということになっているが。
2. 売春の定義は「不特定の相手と」なので、個人間でお金もらって何回か飯食ったあとにお金もらってセックスしても、それは売春ではない。例えば愛人など。
と思うわけなんだがどうなんだろうか。
いやさ、若い女を買う金もない、可愛くないからお金出してくれる男なんていないから僻みで叩いているだけなんじゃなくて?
俺はどっちかといえば、「払ってる税金で何回女を買えると思ってんだふざけんな」なんだよね。
【戦国こぼれ話】惨殺された兄弟姉妹。なぜ豊臣秀吉は厳しい処罰を下したのか?
豊臣秀吉像。時代劇では明るくひょうきんな秀吉だが、実は残酷な男だった。(写真:アフロ)
現在でも隠し子なるものが存在する。隠し子がいた場合、亡くなった親の遺産をめぐって争うことは決して珍しいことではない。非常に厄介な問題である。
豊臣秀吉といえば、弟の秀長などが有名であるが、知られざる兄弟姉妹が突然姿をあらわしたことがある。秀吉はどのように対処したのだろうか。
秀吉の兄弟姉妹については、以下に示す興味深い史料がある(フロイス『日本史』第12章より)。
1人の若者が、いずれも美々しく豪華な衣裳をまとった2、30人の身分の高い武士を従えて、大坂の政庁(大坂城)に現れるという出来事があった。この若者は伊勢の国から来たのであり、関白(秀吉)の実の兄弟と自称し、同人を知る多くの人がそれを確信していた。
時期は、秀吉が関白に就任した翌々年の天正15年(1587)のことだ(秀吉は51歳)。この若者に関しては他に史料がないものの、秀吉と兄弟であることを周囲の人々が確信していたとの記述は、興味深い。
秀吉は実の兄弟と称する若者に対して、いかなる対応をしたのだろうか。
関白(秀吉)は、傲慢、尊大、否それ以上の軽蔑の念をこめて、自らの母(大政所)に対し、かの人物を息子として知っているかどうか、そして息子として認めるかどうかと問い質した。彼女(大政所)はその男を息子として認知することを恥じたので、デウスに対する恐れも抱かず、正義のなんたるやも知らぬ身とて、苛酷にも彼の申し立てを否定し、人非人的に、そのような者を生んだ覚えはないと言い渡した。
若者が秀吉と面会した際に、何らかの身分的な保証を求めた可能性がある。秀吉があえて母・大政所に若者のことを問うたのは、当然「知らない」と言わせるためだったに違いない。
大政所も秀吉との暗黙の了解のうちに、「若者のことを知らない」と答えた。大政所も後ろめたいところがあり、何かと不都合なことがあったのであろう。
■残酷な結末
母・大政所が知らないとなれば、若者は権力者・秀吉に嘘をついたので、苛酷な運命が待ち受けていた。続けて、同史料を引用しよう。
その言葉(大政所が知らないと言ったこと)を言い終えるか終えないうちに、件の若者は従者ともども捕縛され、関白(秀吉)の面前で斬首され、それらの首は棒に刺され、都への街道筋に曝された。このように関白(秀吉)は己の肉親者や血族の者すら(己に不都合とあれば)許しはしなかったのである。
母の大政所には、3回以上の結婚歴があったといわれている。貧しい大政所が生活を維持するためには、仕方がなかったのだろう。大政所は不特定な男性と関係を持ったのは確実で、当時としては珍しいことでなかったのかもしれない。
■姿をあらわした姉妹
無残な最期を遂げたのは、この若者だけではなかった。次に、史料を挙げておこう(フロイス『日本史』第12章より)。
その(若者が殺されてから)後3、4ヵ月を経、関白(秀吉)は、尾張の国に他に(自分の)姉妹がいて、貧しい農民であるらしいことを耳にした。そこで彼は己の血統が賤しいことを打ち消そうとし、姉妹として認め(それ相応の)待遇をするからと言い、当人が望みもせぬのに彼女を都へ召喚するように命じた。
「己の血統が賤しいことを打ち消そう」としたとあるのは、血のつながりのない兄弟姉妹を根絶やしにすることを意味する。秀吉は自分の知らないところで、血縁者を名乗る人物を消したかったのだ。
■惨殺された姉妹
さらに話は続く。
その哀れな女は、使者の悪意と欺瞞に気が付かず、天からの良運と幸福が授けられたものと思いこみ、できるだけの準備をし、幾人かの身内の婦人たちに伴われて(都に)出向いた。(しかるに)その姉妹は、入京するやいなやただちに捕縛され、他の婦人たちもことごとく無惨にも斬首されてしまった。
この姉妹はあまり気乗りがしなかったようであるが、最終的には使者の甘言にそそのかされたようである。秀吉に会うためにふさわしい服装を整え、来るべき輝かしい未来を信じて入洛したのであった。しかし、結果は史料にあるとおり、無残なものであった。おそらく首は晒しものにされたに違いない。
秀吉といえば、明るくひょうきんなイメージがあるが、実は大変残酷で怖い男だったようだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20201110-00207204
(太字強調は筆者による)
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律 第7条第6項]
児童ポルノを不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。
これらの表現はたとえ大人相手にしか売っていなくても有罪になる。
児童ポルノの方は基準がおおむね明確である(もちろん過激な水着などボーダーライン上のものはある)。
では刑法的な『わいせつな文章、図画』の基準はどこにあるかというと、現在の基準は『無修正の性器』である。だから、大人しか見ない(ことになっている)アダルトビデオやエロマンガであっても日本では性器にはモザイクをかけねばならない。肛門はセーフである(はず。少なくとも2021年に発売されたアダルトビデオで無修正の肛門が映っている作品は複数確認している)。もちろん『修正が甘い』と判断されると違法になることはあり、以前薄消しが流行ってビデ倫の関係者が逮捕されたことがあるし、逆に『モザイク破壊』ものを制作した人も逮捕されたはずだ。
余談だが、AVで女性器内を内視鏡で見るシーンなどではある程度中に進むとモザイクが外れているのでどうやら基準は外性器らしい。
古典芸術(ダビデ像など)も例外であると考えられるが、ここでは一旦その是非は置いておく。
実は『18禁』に関する唯一の法的根拠はここにある。だが仕組みは分かりづらい。
条例そのものは多数の都道府県にあるが、東京都の条例を取り上げる理由は後述する。
この条例は『青少年に見せるには有害』であるコンテンツについて規定している。『大人が見ても有害』は想定していない。
そしてこの条例では『表示図書類』についての定めがある。いわゆる『18禁』である。
第七条 図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者並びに映画等を主催する者及び興行場(興行場法(昭和二十三年法律第百三十七号)第一条の興行場をいう。以下同じ。)を経営する者は、図書類又は映画等の内容が、次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年に販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない。
一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
二 漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの
第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
『18禁』をつけているのは誰かというと、基本的には出版社等の発行者自らもしくは自主規制団体がつけている。そのようなコンテンツは青少年に見せないようにする旨が書かれている。
それに対し、「出版社は18禁扱いしていないけれどこれは18禁にするべきだろ」というコンテンツは出てくる。そのようなコンテンツがいわゆる『有害指定』を受ける。
第八条 知事は、次に掲げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。
一 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、青少年に対し、著しく性的感情を刺激し、甚だしく残虐性を助長し、又は著しく自殺若しくは犯罪を誘発するものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの
二 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、第七条第二号に該当するもののうち、強姦等の著しく社会規範に反する性交又は性交類似行為を、著しく不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく妨げるものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの
そして重要な点として。東京都で有害指定を受けた書籍は、取次が扱わなくなるため“事実上”販売できなくなる。
ではその『一般指定』と『18禁』を分ける基準であるが、実のところ『器具の使用や人格否定などの表現(星崎レオ氏のtweetより)』はそれほど重視されていないと考える(出版社が受けている指導として編集者経由でそのように聞いたのかもしれないが…)。
増田が審議会の議事録を読んだ限りで言うなら、主なポイントは『性行為描写』ではなく『性器描写』である。
(というか、これは増田の個人的意見であるが『性行為描写』を基準にする方がアホらしいと思う。まさか『男性器を女性器に挿入する行為』だけをアウトにして他は野放しにもできないだろうが、『では何を広義の性的行為としてアウトにして何をセーフとするか』に基準が作れるとは思えない)
性器が無修正だとそもそも刑法175条違反というのは先述したが、『性器+モザイクなどの修正』だと基本は18禁になる。そこで『白抜きだけれど性器の輪郭ははっきりしているか、いわゆる“謎の光”で周辺含めて飛ばしているか』といったことが議事録には書かれている。(それがバカらしい、という点は増田も同意する)
その点で言うなら、星崎レオ氏に関しては有害指定された該当書籍は分からないが、、それ以前の単行本では『男性器の輪郭が分かる白抜き』が使われており、正直かなりボーダーライン上ではある。
もっとも、女性に関しては「そもそも股間に何も描かない」という手が使いやすいのに対して男性でその手は使いづらい、というのはあるだろう。
だが一方で、男性器と女性器は平等に扱うべきであり、男性の肛門と女性の肛門も平等に扱うべきだとも思う。胸は平等ではないと思うが。
鍵垢に幻想持ちすぎじゃない?
鍵垢の外にいるやつがシステムをこじ開けて無理矢理掘り出したわけじゃなくて、もともと鍵垢の中にいたやつが、外に向かって「こんなこと言うてましたよ!」って外に出しただけ。「鍵垢を読める(自分がフォローを許してる)のはみんな仲間」みたいな勘違いをして、外で言ったら普通に社会的制裁されるようなことを放言しまくってた呉座氏が浅慮すぎたんよ。
ユーザーからは気のおけないロッカールームのボーイズクラブに見えるような場が、実際は全然そうじゃない、っていうネットの構造を、呉座氏やその仲間たちは知らなかった。あるいは、忘れていた。だって、白井聡批判の文脈で、呉座氏本人も一度はこんなこと書いてるんだぜ。
https://twitter.com/rurururu5959/status/1373232463690952710
居酒屋談義の感覚でつぶやく人は多いよね。内輪で陰口言ってるつもりだったのに相手まで届いてしまい、予想外の反論を受けてパニクり醜態をさらす。
これって、まさに北村紗衣氏をめぐって自分がやらかしたことだろ。
ちなみに刑法的にも鍵垢での発言は完全に名誉毀損が成立するからな。
・公然と
「公然」とは、不特定または多数の者が直接に認識できる状態のことをいいます。多数が集まる場での発言、不特定の人たちが閲覧可能なインターネット上での投稿や記事、などが該当します。また、仮に少数に対してであっても、噂が広まる可能性(伝搬可能性)の認識があれば「不特定多数への摘示」と同一視されます。ネット上の場合には、実際の閲覧数などは関係なく、広まる可能性があることで違法となります。
保育園には登園自粛要請が出ているのに幼稚園には出ていないそうなので、先生に聞いてみたところ
「保育園はなるべく休園したくないので、リスクを下げるためにも家で見られる人は登園自粛をお願いしているが、幼稚園は休園しても子供を家で見られる前提の施設なので今の所登園自粛はお願いしていない」とのこと。だから登園させてもいいし、コロナが心配で子供を休ませても欠席扱いにはならない。
なるほどな…? と思った。文部科学省と厚生労働省の管轄の違いもあるのかもしれない。でも保育園に通わせているのに子供を家で見られる人がどのくらいいるのかという感じはする。在宅ワークだとしても、子供を見ながら仕事なんてとても無理だろうし。
登園させるか迷ったが、家で見るといっても一人で留守番させられる年齢ではないし、結局親の用事について来させることになるので、不特定の人と会わせるよりかは幼稚園に通わせたほうがいいのではと思って行かせている。今日にも連絡が来て「明日から10日間の休園です」と言われそうな雰囲気ではあるが、年長児なので友達と会えるうちはなるべく会って最後の思い出を作って欲しいのもある。
早くインフルエンザ並の扱いにして町のクリニックで診てほしいと思うが、軽症者向けの経口治療薬が足りないのと、安全なワクチンも出ていないのでできないのかな。症状が出ても家で診なければならないなら、咳止めは使ってもいいのか、熱はすぐ下げないほうがいいのかなど、具体的なアドバイスがほしい。
決まった時間に起きる。
1日の活動のためのエネルギー補給を目的とした、朝食という名の飲食物を体内に取り込む作業をこなす。
休憩時間は限られるので、残りの仕事をこなすのに足りるだけのエネルギー補給を目的とした、昼食という名の飲食物を胃袋に詰め込む作業をこなす。
仕事が終わって家に帰ったら、夕食という名の飲食物を体内に取り込む作業をこなす。
翌日に差し支えないよう時間を最適に考慮して、就寝・睡眠という作業をこなす。
そしてまた決まった時間に起きて…が1週間繰り返される。
休日にやりたいことはあるが、昨今のコロナ禍を踏まえ、自粛せざるを得ないものもあり、十分とはいえない。
不完全燃焼のまま、また決まった時間に起きて…が再び1週間繰り返される。
人生とは特定または不特定の作業をひたすらこなし続けるだけのものだったのかといまさらながら気付かされた。
もっと刺激に満ち溢れた、喜怒哀楽に富んだものだと思い込んでいたが、単なる自分の希望的観測にすぎなかったようだ。
今はいち早くいかにしてこの無味乾燥でつまらない作業の連続に終止符を打つか、そればかりを考える毎日である。
日本の刑法で刑罰として死刑が課されているのは以下だ(刑法以外での死刑も少しあるが割愛)。
罪名 | 刑法 | 保護法益 |
---|---|---|
内乱 | 77条 | 国家の対内的存立 |
外患誘致 | 81条 | 国家の対外的存立 |
外患援助 | 82条 | 国家の対外的存立 |
現住建造物等放火(致死の結果を生じた場合) | 108条 | 不特定又は多数の者の生命、身体及び財産 |
激発物破裂(致死の結果を生じた場合) | 117条 | 公共の安全、人の生命 |
現住建造物等浸害(致死の結果を生じた場合) | 119条 | 公共の安全、人の生命 |
汽車転覆等致死 | 126条 | 交通の安全、人の生命 |
水道毒物等混入致死 | 146条 | 公共の安全、人の生命 |
殺人 | 199条 | 人の生命 |
強盗致死・強盗殺人(故意殺の場合) | 240条 | 人の生命・身体 |
強盗・強制性行等及び同致死 | 241条 | 人の生命・身体 |
人の生命は、刑法における個人的保護法益のうち最重要の法益で、国家的法益(国家の存立)と同じぐらい重視されている。しかし、死刑はその「人の生命」を奪う刑罰である。「人を殺したら、その犯人を殺す」という報復原理(同害復讐の原理)は一見わかりやすいが、そもそも刑法が「人の生命」を至上の保護法益としていることとは矛盾した関係にある。死刑は、すでに有罪判決を受け、拘置所に収監され、これ以上他者の生命を危険にさらす懸念がなくなっている人間から、刑法自体が最大限に尊重し保護しようとしているはずの人の生命を奪う刑だからだ。
これは憲法36条(公務員による拷問や残虐刑の禁止)に反しており違憲であるという観点から、1948年の死刑制度合憲判決事件において最高裁大法廷で違憲審査がなされたこともある。当時の判決文は次の通りだ。
生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。…憲法第十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している。しかし、同時に…もし、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども、立法上制限ないし剥奪されることを当然予想しているといわねばならぬ。そしてさらに憲法第三十一条によれば、国民個人の生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明らかに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである…社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性は承認されている。
「全地球より重い価値がある、尊貴なもの」を奪う刑罰が、「社会公共の福祉のために」正当化される。こういうインチキくさいレトリックは、この後も死刑肯定論の随所に顔を覗かせる。こういうインチキで辻褄を合わせざるを得なくなってしまうのは、結局は「人の生命」が個人的法益として最大限に尊重・保護されるべき尊い権利なのか、国家に従属する劣位の法益なのかが、刑法条文の自己矛盾によって曖昧になってしまっているからだ。
(いっそ死刑を存続する国家は「国家には生殺与奪権がある。国家の円滑な運営と社会秩序の維持のために、国家は施政権の及ぶ範囲に住む国民や住民の生命を恣(ほしいまま)にしてよい」と明言したほうがいいと思う。そのほうがずっとわかりやすいし、現実に即してると思う)
死刑制度を存置する国家では、「個人が他者の生命を奪うこと」と「国家が他者の生命を奪うこと」の倫理的な違いはぼんやりしたものになり、逆に両者の権力・執行力の違いが決定的な差として立ち上がってくる。国家というシステムは、国民と住民に対して法的な権力・執行力を持っているから、人を殺すことができる。個々の国民と住民は、国家の権力・執行力に従属しているから、人を殺して捕まったら国家に殺される(こともある)。このような制度は、「人を殺すこと」の意味と是非を、価値ではなく制度の問題、倫理ではなく力の問題に還元する。
死刑制度を存置する国家では、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにきちんと答えることができない。「国が『人を殺すな、殺したらお前を殺すぞ』と決めているからだよ」「人を殺して捕まったら自分も死ぬから損だよ」という風に権力関係や因果関係を説くことはできても、それは「人を殺してはいけない」というモラルの根拠にはならないし、むしろ「一定の条件では人を殺すことが許される」ことを追認してしまうからだ。
死刑制度を廃止(または執行停止)しない国家に住み、その現状を受け入れている自分は、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子どもの問いかけに「人を殺すと殺されるから」という損得勘定以外の答を返すことができない。それが嫌なこともあって、自分は死刑を廃止すべきだと思ってる。
元々自分は人間関係諸々が苦手であり、入社後の客先配属面談ではうまくいかず、今から1ヶ月前に唯一受かった場所で現在夜勤をしている。
夜勤自体も正直、頭痛や吐き気等体調が悪くなりやすく、これだけでも嫌なのだか、先述の通り人間関係が不特定である自分は人の近い環境が非常に苦しい。
(一緒に勤めている人が厳しいとか業務が難しい訳ではない)
体調の悪さもあり、現場のリーダーに声をかけられ、今の状況が苦しいということ伝えたところ、こちらから本社(自分側)に伝えようか?と提案を持ち掛けられた。
ここまではまだ良かった。
それからしばらく、本社の担当営業から客先からクレームが来ている、との連絡。
この時配属していた現場と本社との間には、もう一つ会社が存在し、面談時に営業の人として会っていた。
(この当たりの関係がどうなっているのか、自分はいまいち分かっていない。)
おそらく、この間に何かが起こったと考えられる。
この会社は社員50人程度の中小企業であり、社長との距離が近い。総務事務も1人の社員が行っている。
(それが嫌な点でもあるが)
社長から現場リーダーとどのような話をしたか色々と聞かれ、自分が夜勤がしんどいと感じていること、人と近い環境が嫌だということを改めて伝えた。
社長からは、客先に心配をかけないように、人間関係は仕事上避けられないと言われた。
…まぁ、正しい意見ではある。
しかしその後、人間関係諸々を鍛えるため、次回勤務から現場社員と雑談をして、それが出来たかどうか週報(1週間毎に提出する勤務時間に何をしたかの報告書)に書いて出すように言われた。
…これ以上人を苦しめてどうしたいんだ。
何故、ここでクビにするなりしない?何故切り捨てない?
まぁ、でも経験とスキルが乏しい自分は仮にまた転職しても同じような失敗になるだろう。
このまま生きても幸せにはなれないだろうな。
30になる前には死ぬべきかな。
小田急京王九州新幹線でのテロ、過去の通り魔事件やはたまた地下鉄サリン事件まで実行犯や主犯は見事にほぼ男性
wikiによると通り魔事件42件中1件は女性犯人、残りの41件は男性犯人となっており男女の人口比を考えても明らかに偏ってる
例の地方ではまだ生き残っている、1世代前の不良行為=一矢報いれるのがかっこいいという図式が犯人の中にあるんじゃないかと推察する
鉄道テロ事件 | 犯行時の年齢 | 出身地 |
小田急 | 36歳 | 青森県 |
京王 | 24歳 | 福岡県 |
九州新幹線 | 69歳 | 福岡県 |
女性でも悪い=かっこいいという考えの人はいて、過去にはレディースも流行っていた
ただ不良や反社、暴力団、半グレと言われる人は圧倒的に男性が多いように、不特定多数への殺傷をするのも男性が多くなっているのではと推察する
悪い=かっこいい、これの根絶が犯罪率の低下に繋がるのではないか
元々、男児は悪いことをしても「男の子だから、やんちゃだから」と叱られない傾向があったり、不良漫画が身近にあったり、女児と比べて暴力や非行との距離が近い
不良に憧れることと不良になることは別という意見もあるけど、「悪い=ダサくてかっこ悪い、人生ドブに捨てる」という考えを持っていたら不良にならない
ここで難しいのが、これから育てる男児への教育以外に取れる手段がないということ
お前の言ってるのは男女雇用機会均等法における「職場のセクハラ」な。
今回
第5条 何人も、正当な理由なく、
人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であつて、次に掲げるものをしてはならない。
(1) 省略
(2) 次のいずれかに掲げる場所又は乗物における人の通常衣服で隠されている下着又は身体
を、写真機その他の機器を用いて撮影し、又は撮影する目的で写真機その他の機器を差し
向け、若しくは設置すること。
イ 住居、便所、浴場、更衣室その他人が通常衣服の全部又は一部を着けない状態でいる
ような場所
本サービスを個人的、非営利的な用途以外でコンテンツを視聴するために利用すること(たとえば、不特定または多数の人のために、本サービスの動画を上映したり、音楽をストリーミングしたりすることはできません)。
そもそも店側が業務内容に性交渉を組み込んでいる店などありえない
https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20180826-00094346
あくまで「不特定の相手方」でなければならず、夫婦や交際相手といった特定の者同士の間で金品のやり取りがあっても、買売春には当たらない。
また、「性交すること」が要件となっているので、手淫や口淫といった性交類似行為は含まれないし、同性間では買売春とならない。
ソープランドなどの性風俗も、実態はさておき、従業員と客との関係は性交類似行為にとどまり、性交には至っていないという“建前”に基づいているので、風俗営業法の下で合法化されている。
要するに風俗店であっても「不特定の相手と金品を目的とした性行為」は違法になる。
なのでそれを前提とした福利厚生もあり得ない。
自分は
マンガやアニメやゲーム一般(を愛好する|を疎む|に興味のない)
・
・
(子供向け|男性向け|女性向け|対象者が不特定)の広告に利用することを
支持(する|しない)
単純に考えてもこれくらいバラバラな状況と意見を、ヲタ嫌いなブスBBAが巨乳美少女が気に食わないからって表現物を燃やしてるだけだし、ヲタで巨乳の女は作品内の描写と広告を区別しないし反対しないはずって構図で押し切ろうとするの、無理くね?
ちなみに自分自身は「漫画等を愛好する胸の大きな女」だから、「女性の胸の強調表現には若干嫌悪感を持つ」であり、「民間企業の男性向け広告はともかく、子供・女性向け広告及び公共広告での利用を支持しない」。
「もくりで痴漢被害にあった」という旨のツイートがタイムラインに流れてきた
https://twitter.com/0shiya/status/1434281696719867904
これがずっと心の中に引っかかっている。
mocriというのは、主に同人作家の中で流行っている通話アプリだ。その性質上、非常に女性ユーザーが多い。それに目につけたか、たまたま知ったかはさておき、そういった場に性を求めてしまう男性が発生し、女性がそれを嫌がるという、典型的なセクシュアルハラスメントが発生しているようだ。実際問題として都会にはずっとナンパしてる謎の生き物がいるし、こういった問題は根深く枚挙にいとまがないなとおもう。
だが、「この漫画」の話は少し違うような気もする。痴漢に見られる嫌がらせやスリル、または性欲の押しつけというより、毛色としてはむしろ「喋りすぎてしまうコミュ障」に種類が近いような気がする。知らない人と話してみたい、通話で面白いことに出会うかもしれないという期待をいだく人間はやはり一定いて(自分には理解できないけど)、それがディスコミュニケーションを起こすと「ナンパ」「チカン」「いやがらせ」と区別がつかないという事例に感じる。
スマートフォンの普及、通信環境の向上、様々なゲーム機の台頭により、「特定・不特定関わらず話しながら何かをする」機会が増えた結果、そして社会の大きな動きも相まって、この「喋りすぎてしまうコミュ障」の問題は鮮明に可視化され、より深刻にとらえられるようになった。
言ってしまえば、コミュニケーションが下手くそであるために痴漢呼ばわりされる世界がもうすでに到来している。我々は深刻にコミュニケーションの仕方について1からきちんと勉強しなければならない。コミュニケーションとは心の動きだけで行う動物的なものではなく、技術によって行われる理性的なものではならないというのを、もっと大きな声で警告していかなければならない。
■コミュ障側に向けての話
実際問題、「喋りすぎてしまうコミュ障」の被害は、残念ながら少なくなく、深刻である。「Among us」のプレイヤーたちなどは身近な話題じゃないだろうかと思う。特にこのゲームは制限時間内に話をまとめて人狼と思われる人を探し当てなければならない(人狼は必死にごまかさないといけない)という性質上「喋りすぎるコミュ障」が強い。したがって一方的に、「集団」や「会」の意図を汲まず、喋りたいだけ喋ってしまう人間がどうしても紛れ込んでしまい、時には誰かの胃をキリキリと痛めてしまう。「自分コミュ障なんで」と自虐できたのは残念ながら10年前のインターネットまでで、今後は確実に敬遠されていくことだろう。それだけネットワークは開かれたものとなってしまった。
コミュニケーションというのは料理における味付けの様なものだ。最初は薄味で出して、「好きな様にしてください」といってトッピングを持ってきてもらうのが無難だ。一口にカレーといっても、人の好みのからさはばらばら。だが我々コミュ障はここを見間違えてしまう。「私はなんでもいけますよ!」といって自分好みにめちゃくちゃ辛く味付けしたり、「自分は料理のこと全然わからないです!」といってレシピを無視して作ってしまえば、基本的には大変な事故を起こるのだ。
特にネットワークを介したコミュニケーションはその場にいる全ての人間に開示されてしまう特質があり、これはオフラインで行われる「会合」とはまた異なる。この点にも留意し、基本的には「発言に気をつけなければ」ならない。
第二に、とりわけインターネットで呼びかけられる「募集」に関していえば、そのお題目を厳格に守ることが求められるだろう。不安であればどういった主題に基づいて人を集めようとしているのか、それについてよく確認したほうがいい(後述するが、募集する側も極力明確にしておいたほうがいい)。そこに来る他の人々も「募集をする人」や「募集文」を中心にして集まってくるのだ。「建前」や「目的」というのはコミュニケーションにおいて一番上のレイヤーにあるべき便利アイテムだ。
これはゲームに例えると簡単で、「リオレウスから出る逆鱗が欲しくて出るまで行きたいのであと三人きてください」という募集に入ってきたのに、自分が行きたいのでといって別のモンスターのクエストを貼ったら、どうだろうか。募集主が気を使って「別に一度くらいならいいですよ」といってもその募集文をよんできた人は「別にリオレウスにしか用事なくてそのモンスターに行く義理はぜんぜんないんだけど」と思っているかもしれない。人が立てている募集で出しゃばるというのはそういうことだ。考えられないことかもしれないが、喋りすぎるコミュ障というのはこういうことをしてしまう。
あくまでも募集している人間が主役であり、自分が主役になりたければ自分で募集をかけなければならない。
■募集する側の話
インターネットというのはまさに「有象無象」と「玉石混淆」の象徴だ。悪意の有無を問わず、様々な人間がいる。知らない人が勝手にめちゃくちゃなコミュニケーションをふっかけてくる時もあるし、なんなら知ってる人間がその場合だって全然ある。嫌がらせだと思っていた行動がADHDの性質だった、悪意だと思っていたら単純に能力が低いだけだった、馬鹿にされていると思っていたら単純に生活レベルの違いだった。この様なことが平然と存在する(逆にいうと日常生活ではそういうものと自然と境界を置いていると思うとヒトの社会性ってすごい)。そしてもっと言えば、これらの事情が大衆の面前で明らかになってしまうことをが往々にして存在するのが、インターネットの恐ろしいところだ。「遅い!なにをやってるんだ!」と怒鳴りつけたら「すみません、実は生まれた時から足が不自由で…」と義足を見せられる様なクリティカルな状況を人がめちゃくちゃいる交差点でやる、みたいな現実ではあり得ないことをワンチャンやりかねないのがインターネットだ。
くだんの漫画で言うならば、「もくりは男性が使っているイメージがなかった」「知らない人が入ってくるとは思っていなかった」が正直に言えば甘い。運転免許の問題みたいなことを言うが、相手がボイチェンしている可能性もあるし、自分のフォロワーのコミュニケーション能力が最悪の場合もあるからだ。多様化する社会事情を鑑みれば、当然「性的被害は異性間に限る」という無意識も捨てたほうがどのみち安全だ。
正直に言えば、喋りすぎるコミュ障に対しての対処法は無に等しいと思う。基本的にこっちが強く出るしかないのに、彼らは出しゃばってくるからだ。
だが対処法といて、「建前を強く使うこと」と、それのために「建前をきちんと用意すること」は非常に大切だと思う。友達の主催するAmong usにいったときはギチギチに組まれたローカルルールのおかげですごく快適に遊べてびっくりした。これももちろん「ゲーム歴も付き合う歴もばらばらな人間と一緒に一つのゲームを楽しく正しく遊んでもらう」という強固な建前の上に成り立ったルールであり、その説明があるから納得がいくのだ。
この人の様に、自分のフォロワーがくるかもしれないという気持ちで待っていたら全然知らない人がきたというのであれば「初めて見る名前ですけど、ツイッターのフォロワーさんですか?」(ちがうなら)「ごめんなさい、フォロワーさんとやろうとおもってたので……」「これってフォロワー限定とかにできないんですかね、次からわかりやすくしますね」といかなんとかいってまず素直に追い出すべきだった(たとえ相手がチカンじゃないにしろ、男が入ってくるとは思っていなかったのだから)。それで食い下がってきてやっと「キック」というのが、やはり順序としても正しい。
当然だが、世にはきちんと「悪意」が存在している。この相手にすべきでない悪意を排除したい時に「悪意ではなかったケース」が邪魔するのが、最も避けるべきことである。また相手に悪意がないにしろ、自分が不快に思ったその感情自体はかわらない。そのためにはやはり「強固な建前」が必要だと感じる。「目的や趣旨と異なるため」「ルールに反するため」もちろん「私が主役の会なので私を不快にさせるなんて意味わからんでしょ」でもいい(言えるなら)。必ず作ったほうがいい。
作業通話相手や一緒にゲームをする相手を募りたいという簡単なことなのにそこまで覚悟しないといけないのか?と言われれば……「そうです!」としか言いようがない。なぜなら気の合う友達とわいわい話しながら何かをすると言うのは、通常ほとんどの人間にとっては難易度が高く尊いものなのだ。新しく得ようとすれば難しいし、すでにあるなら必死に抱きしめて大事にしなければならない。「知らない人とのやりとりがおもろかった」みたいな話は、当人、もしくは相手のコミュニケーション能力の上で成り立っている。この二つをどうかゆめゆめわすれてはならない。