はてなキーワード: 社会福祉とは
結局は自分が得したいのに、他の人間が得してるなんて許せない!!!!自分が得できないじゃん!!!!って言ってるだけじゃん
いやこういう人たちは自分が得してるんじゃなくて自分たちが得られるリソースがわけわからんこういう連中に分配されて(ると感じて)怒ってるんだぞ
自分が得したいん!ではなく自分たちが得られるはずだったものが奪われてるって感覚なわけ
これはてなだけで収まらずに自治体による生活保護者の水際対策やいまクルド人やLGBTに対するヘイトが政治家で蔓延ってることにつながってる
論破したつもりだろうがそうなんだ俺たちが間違ってた!なんてならずに維新の会や社会福祉に厳しい政治家への投票行動につながってるだけなので
https://news.yahoo.co.jp/articles/305b43173252ad8a6bc9e6e4e235bfe8777964be
記事は保育園にわざと落選して育児休業を延長しようとする人に、審査を厳格にしようといった内容だった。
それについた人気ブコメに「3歳まで育児休業取れるようにして」「延長したいひとはできるようにしろ」などがあった。
3歳まで?3年も会社休んで戻れるの?というか3年も育休手当てもらうの?会社から?それとも税金から??
3年の間に第二子ができたらまた3年休むの?それでも戻ってきていい会社ってなに?というかそれでも戻れるスキルがあるのすごすぎる、3年も6年もいない人間をフォローしつづけられる会社ってめちゃくちゃホワイト&大手だね。
そして多くのブコメで見られたのが「少子化対策する気あるんか」「だから子供が減る」という少子化対策ヤクザコメントだ。
そもそも今の少子化対策の動機は人口が減ることによる経済的な打撃を懸念している点。経済ちゃんと回したい→子供増やしたい→よし、お金かけよう!って本末転倒やろがい。
子供がいない人は一方的に税金むしりとられ、3年会社休んでもポジションが確率されてるホワイト社員にその金が行くってどんな地獄だよ。
これは受け売りなのだが、少子化対策として本来やるべきは人口が減っても高齢化しても経済が回る仕組みをハード・ソフト面から支援することだ。子供が減るのは個人の意思なので、それを金で釣って産めよ増やせよは本筋ではないだろう。諸外国を見てもいくら金をばらまいたところで少子化を止められてないだろう。
そして、子供がほしいけど経済的理由で断念してしまう人に対して育児支援を行うべきだ。だれでも子供が産める、というのは子供を増やして経済基盤を固めるためではなく、個人が望めば平等に叶えられるためだ。できるだけ平等にすることが社会福祉・税金の使い道だ。
それを「子供産んでほしいんでしょ~?手当てだせよ」て。はてなでブツブツ言ってる人間なんか大半経済的に比較的めぐまれてるだろう。支援金にむらがるな。もっともっと!と欲しがるな。あるものでなんとかしろ。
「休めるだけ休みたーい」じゃねぇよ、全員休みたいよ、そんなにたくさん働かない人間がいたらそれこそ生産性が下がるだろ、ただでさえ働く人口がいないのになに考えてんだ、お前の子供が大きくなったときに社会が破綻してもいいのかよ、休みたいならもう個人で退職せいよ、全員休みにさそうとすな。
うちは零細だから手帳持ってないだけの障碍者みたいな奴も最低賃金で雇ってるけど
今の状態から最低時給200円上げろって言われたらさすがに切ること考える
将来のことも考えてそいついなくてもなんとかなる環境の構築に力を入れるわ
はっきり言って現状でも足引っ張ってるは引っ張ってるけど
もっと時給安い時期から働いてもらってるし人間的に悪い奴じゃないから
なんとかかんとか仕事も金も捻出してるけど、それだってどこかに限界があるわけじゃん
当たり前だけど、時給が上がるってことは期待するパフォーマンスも上がるってことじゃん
もろちん、発揮できるパフォーマンスが上がる環境を整えることも会社の仕事ではあるけど
底辺バイトを捌く仕事したことある奴だったらわかると思うけど、
世の中にはどうやったって無理な奴いっぱいいる
どんだけシステマチックにマニュアル通りやればいいってやってもそれすら無理な奴はいるじゃん
最低時給を上げていけばうち以外でも間違いなく、こういう
この時給なら使ってやれるレベルの人間はどんどん排除されていくと思うんだけど
最低時給上がって潰れる程度の会社は潰れろ派は同じように
最低時給上がってクビになる程度の人間は死ねって思ってるってこと?
【追記】
いろいろ思い違いをしているのを指摘してくれてありがとう
確かに俺みたいな零細経営者が社会福祉まで担おうとするのは間違いだった
今最低賃金で残ってもらってる皆には順次、次回の更新はないことを伝えようと思う
夜間警備やコンビニバイトすら落ちて親のツテで頼み込まれて雇った人たちだったけど
ブクマカのみんなが言う通り今は売り手市場だからきっと俺のところなんかよりいい働き口があるだろう
俺は自分の会社の経営だけを考えて、今より少ない人数で今より多い利益を出して
前提②日本は現在の高福祉社会を維持向上することはあっても福祉を削ることはしない
前提①②から健康保険も含めた社会福祉のための支出は増大するが、それを負担する人口は減ることは確定
ここまで来ると
A.誰が
B.いくら
負担するかの話になってくる。
消費税だと増えた金額を全員で負担するが、金を使える金持ちはより多く負担する。
社保だと所得がある人は多く負担するが所得の無い人は負担しない。
所得のある人って言うのは労働者階級。これは共産主義の担い手。
反対に資産を持ってて働かなくてもいい資本家階級は社保が増えても問題ない。消費税が増えると支出額が減るから困る。
消費税ならブルジョアジーもプロレタリアートも公平に税を負担できる。むしろたくさん使う金持ちの方がたくさん払うから低所得者の負担は減る。
でも支出の増加を社保で賄おうとする既に金を持っているブルジョアジーは影響が少なく、プロレタリアートの収入に直結する。低所得者から生活がつらくなる。
日本共産党は誰の味方なの?
熊代亨先生、先日梅田ラテラルにて行われた『「推し」で心はみたされる?』のトークイベントおつかれでした。せっかくなので感想というか、お手紙を書いてみたいと思います。
私はあの日の観客の一人です。子どもが3人いて最近ラグビー観戦にはまった者といえばわかっていただけるでしょうか。本来ならメールやDMの方が良いのでしょうが、あえてこちらにしました。迷惑だったら申し訳ありません。また、こういった文章に不馴れなので読みにくい点もあるかもしれませんがお許しください。
普段、私はトークイベント等にはほとんど行った事はないのですが、思いきって参加してよかったです。インターネットや著書で知っていても、実際に目の前にすると「遠くから眺めていた人がこんなにも近くにいるぞ」と妙に感慨深いかったです。2時間程度ではありましたが、同じ時間、同じ場所にいられて嬉しく思います。
トークイベントでは新刊のテーマである「推し」について先生や他の参加者の話を聞きながら考えていたのは「ヒトはどこまでいっても社会動物である事実から逃れられない」ということです。今回推しの話から時代ごとの世相の変化、承認欲求と所属欲求の比重の移り変わり、果ては社会福祉までと誰かが無理やり話題を変えた訳でなく自然と話が膨らんでいきました。推しという個人の感情を語ってもどうしても社会に接続されてしまうような、そんな気がしました。ヒトが解脱し娑婆から抜け出す日はまだまだ遠そうです。
私はいま35歳ですが、ラグビーというボールすら触ったことのないスポーツ観戦になぜはまったのかわからないとお話しました。その際先生は自分の心の鍵穴にうまく刺さったのではないかとおっしゃりました。鍵と鍵穴のたとえはいいですね。確かに観戦するという行為が自分の中にするりと入ってきた気がします。鍛え上げた選手達が荒々しくも規律を守って(ペナルティを出さないで)プレーしている姿に心躍らせますが、もしかしたら力のある者が正しく力を行使する様に憧れがあるのかもしれません。実際強いチームはペナルティが少なくスマートにプレーしていますし、それがまた格好良いのです。
一方で家族に対してはどこか一歩引いたような気持ちがあります。少なくとも周りのお父さん達と比べるとどう家族に思い入れが足りないのではと感じます。妻にもたまに文句を言われます。先生はむしろ子ども推しにのめり込みすぎるより全然いいんじゃないかと言ってくれました。思い悩んでいたわけではありませんが、ちょっとほっとするような、励まされた気持ちになりました。
どうして家族をうまく推せないのだろう考えると、私の両親も同じく「推し」がへただったからだと思うのです。
両親はとある同じ地方の出身で、父は貧乏農家の三男、母は貧乏大工の娘でした。地方出身の先生ならお分かりでしょうが、50年以上前の農家の三男ともなれば扱いはさんざんなものだったそうです。また幼くして母親(私からみた祖母)を失くしており、ずいぶん寂しい思いをしていたようです。母も自分の親がずいぶん厳しかったようで、成績が少しでも下がろうものならヒステリーと言えるくらいに叱られたと聞いています。
そのせいなのか両親はお互いにうまくリスペクトし合えてなかったし、子どもの立場から見てもナルシシズムを充たすには不十分でありました。社会に出てから子育てをしている人をみて、こんなにも子どもにかかわり合うんだととても驚いたのを覚えています。
無論、大人になった今では両親にとっての精一杯だったのは理解できます。彼らなりに「推し」ていたのだと。
ただ、私は4人きょうだいですが他の3人も親に対してどこか一歩引いているように見えます。もしかしたら私は家族、あるいは血縁という概念にいい感情がないのかもしれません。
実際、妹は結婚していますが、子どもは絶対に作らないと明言しています。自分の遺伝子は残してはならないと考えているようです。実は私もその意見には共感します。もしかしたら子持ちのくせにうっすらとした反出生主義者なのかもしれません。
それでも生まれた命がある以上ちゃんと育てて社会に送り出さなければなりません。幸い、知人や会社の同僚に子ども推しの参考になる人達とたくさん出会えました。なにより妻という心強いパートナーがいます。見よう見まねではありますが、たとえ擬態であっても良き親、良き「推し活」でありたいと思います。
今回のようなトークイベントをまた大阪でされるのかはわかりませんが、いつの日かお目にかかるのを楽しみにしています。短い時間ではありましたが、言葉を交わし合えた者として、ささやかながらこれからも先生を「推し」として応援しています。
投資がメンタルに大きく影響するのは暴落や暴騰した時だけでなく、そのどちらでもない普段からも起きているらしい
世界的にあることらしく、主に経営者目線で考えることに慣れて内面化することで起きると言われてる現象
それまでと変わり労働運動や社会福祉に批判的な発言をしだす、などなど
Xの株クラや市況かぶ全力2階建で見る人たちがわかりやすいだろうか
あの人たちは演じている面も大きいし現実では控えている可能性が高い一方
"目覚めた"ばかりの人は現実でもお構いなしに発言して周囲はドン引きという定番コース
お金がかかっているということが予想以上にメンタルに影響を与えることを認識しよう、そして自分の為にも自制しよう
個人的な失敗談としても、積み立てだったせいか投資した分が固定費のような認識になってて
貯金してた時と同じ余剰資金のはずなのに勝手に生活が苦しいと感じて愚痴ってた
世の中には相当数、下記の方々がいるからな
あと自尊心を親や学校やその他の人に踏みじられまくったせいで自己愛性障害になっている人
どうか結婚が人生のトロフィーみたいな発想からまずは降りてもろて
まずは誰かから自信を与えて貰わないといけないと感じている現状の改善からしよう
あとこれ
生きづらいちゃんくんは結婚をセーフティネットかなんかだと思ってる節あるけどいい加減辞めてもろて
最低でも平均以上の収入ないとダメよ。それ以下は恋人同士として近くに住んで内縁関係の方が生活しやすいぞ
それから、先進国において結婚に金はいらない。必要なのは一定上の知能と感情制御能力
性的魅力は知らん。条件と結婚できない人の方が多そうだけど、そもそもセックス優先順位低い人、
ぶっちゃけ、セックスの対象というか好みで、価値観が合って、共同生活できる人を見つけるのはかなり難しいので、
予め言っておくが、自分は「安楽死反対派」である。それもかなり強く反対している。
ネット上ではたびたび安楽死に関する法整備を求める意見が見られる。
経済的な理由による安楽死は論外として、病気による耐えがたい苦痛を避けるための安楽死を求める意見は一定の支持があるようだ。
だが、主張は結構なことだが「国家によって安楽死を認める」ことがどれほど重大なことか理解していない意見が多いように見受けられる。
あくまで自分の意見だが、「安楽死を認める要件」として最低限以下のようなものがあってしかるべきだと思う。
安楽死とは、要するに医師などにより生命活動を停止させること、即ち「殺人」に他ならないのは疑いなく事実である。
即ち、「安楽死を法的に認める」ということは「国家によって殺人を承認する」ことに他ならない。
国家によって認められた殺人と言えば、「死刑」もそれに相当する。死刑の判決を言い渡すのは言うまでもなく裁判所だ。
当然殺人を法的に認める以上、安楽死についても裁判所による手続きがなければならないと考える。
医師によって、患者がもはや死を避けられない状態であることの証明が必要だ。
主治医はもちろんだが、感情的な選択を避けるためには利害関係のない複数の医師による中立的な判断がなければならないと考える。
当然、安楽死を「行う」医師がどれほどいるかという問題もある。
これが難題である。
その意志が、短期的な抑うつ状態や、周囲や「世間」の圧力に左右された一時的なものでないかの証明が非常に難しい。
2019年の透析中止死事件では、透析を続ける苦痛のあまり透析中止を決断したとされるが、終末期に至って透析中止を撤回したいと言いながらも助からなかったとされる。
本人の意志とはこのように揺らぐものであり、かなり長期間の意志確認は必須である。中立の公証人による証明があってもいいかもしれない。
同様に、安楽死を決めたものの直前になって「生きたい」と意志表示したならば即座に安楽死を中止しなければならないだろう。
また、周囲や世間の圧力でないことを証明するためにも、「安楽死」を美談にしないようにマスコミやSNSには厳重な自制と規制が求められるだろう。
特定の病気になったら安楽死するべき、なんて世論が広がることはあってはならない。
なまじハラキリ文化の日本であり、「潔い死」が受け入れられやすい社会的素地があるのはかなり危うい。
「安楽死を法的に認める」ためには、「安易な安楽死は認めない」という国民の意識改革がなければならないという矛盾がある。
これらの議論を進められるだけの十分な社会的な理解が日本にあるかというと、正直言って「ない」と言わざるを得ないのではないかというのが自分の意見である。
特にマスコミやSNSに関しては、現状ではほぼ絶望的なのではないかと思われる。
なお、昨今の安楽死議論の中には「終末期患者を生かし続ける社会的コスト」に言及するものがあるがこれは論外で、
憲法25条の生存権を見れば明らかなように、国民には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」し、
国には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とされている。
国民が生存を望むならば国は生存を保障しなければならない憲法上の義務が存在する。どれほどのコストを支払ってもだ。
つまり、一番手っ取り早い方法は憲法25条の改正と言うことになる。
当然自分はこのような憲法改正には賛成しないし、国際人権A規約にも反する。ハードルは極めて高いと言わざるを得ない。
いくつかコメントが来ていたので補足。
繰り返すが、自分は「安楽死反対」の立場からこれを書いている。
これくらい厳しく要件を掛けなければ、恣意的に運用されかねないという強い懸念があってのことである。
コメントにあるように「経営者が労働者に家族の安楽死を要求する」なんてことが起こりかねない。
裁判所の決定を要するとしているのも、時勢に強く左右されかねない行政ではなく、常に法の番人たるべき裁判所が決定すべきと言う考えからである。
実際、裁判によって決定した死刑囚の署名を時の法務大臣の意志で停止した過去の例もある。
そしてこの程度の要件をクリアできないのであれば、そもそも安楽死を法制化するべきではないというのが主旨だ。
国民の生存を保障するためにある国家が、それに相反する法制を行うことがどれほど困難なことかということについて、頭の片隅にでも残れば幸いである。
個人的には本人の自由意志が確認できなくなった段階で安楽死を認めるべきではないと考えている。
「本人の自由意志がなければ生存権を行使している」と見なすべきであり、当然国家はそれを保障しなければならない。
この時点で「本末転倒だ」と思われる人は多いかもしれないが、安楽死法制化は終末期医療のコスト削減策「ではない」。
あくまでも本人の自由意志によって死を選択する自由を与えるための法制であるべきであり、
医療コスト削減が目的にすり替わるのであればそもそも法制化の目的を見誤っている。
なお、現行法制でも積極的安楽死ではなく、延命治療終了による消極的安楽死は行われており、この手続きで不備があるとは思えない。
日本の男って子供ろくに産まないくせに、ろくに働かないし、更に無駄に長生きだからな
人口の再生産もしない、労働力にもあんまりならない、社会福祉だけ食いつぶす
こんなんがうじゃうじゃいてまともに国家運営できるわけ無いでしょ
せめて労働力にろくにならないなら子供を産むとか、その逆でもいいけどできないのかねw
日本の女って子供ろくに産まないくせに、ろくに働かないし、更に無駄に長生きだからな
人口の再生産もしない、労働力にもあんまりならない、社会福祉だけ食いつぶす
こんなんがうじゃうじゃいてまともに国家運営できるわけ無いでしょ
アホにもわかるように説明するが、介護や医療などの社会福祉と年齢には密接な関係があるから世代で考えるのは別におかしなことじゃない。
みんな順番に高齢者になっていくんだよ。
人口ピラミッドとか見てみたら一目瞭然だ。
同じく数が多い団塊世代は氷河期がギリギリ支え切るとして、氷河期世代の下にはそれを支え切れるような人口のボリュームゾーンが存在しない。
だから氷河期世代の社会福祉は飛び抜けて厄介な問題になるんだよ。
そりゃどの世代にも底辺はいるだろうが、氷河期世代の場合は底辺とかじゃなく、切り捨てるために分割されたんだ。
そうしないと国ごと貧しくなってどうにもならないから。
まあ、それはしょうがないよね。
氷河期世代さえいなくなればある程度フラットになるので、極端な少子化にさえ歯止めをかければ安定するから、その下の世代は安心して良いよ。