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はてなキーワード: 足切りとは

2019-01-19

センター試験思ひ出

国語で50点台をたたき出した。

自己採点終わった時、終わったなっと思ってなぜか笑えてきてしまった。

他の科目は軒並み良かったため、600/800ぐらいの点数だったが玉砕覚悟東大に出願した。

その年はセンター難化した年だったらしく、足切り回避する人が多かったのか東大でも足切りはぎりぎり通ってしまった。

2次試験は、気分は記念受験みたいな感じだったので、よく覚えてない。

解答速報見てみたら、数学全部解けてたぽかった。

結果受かってしまった。

人生どうなるか分からないと思った。

受験生はがんばれ。

anond:20190119013831

大学足切り点数が設定されておりますセンター○点以下はうちの試験受けちゃダメ、ということになります

2019-01-16

けもフレ2を見て、アニメの難しさを感じる

2期見て変な話だが目が覚めた

魔法が解けたというか

よくよく考えてみたら、こんな設定や雰囲気アニメ見るわけなかった

テレビザッピングしてたら、たまたまNHK教育でこんなアニメがやってるかもしれない

そんなイメージ作品

今期アニメリストの中で、ターゲット自分ではないと判定するタイプアニメ

2期1話はそのイメージ通りの、普通アニメだった

アニメは悪くない、ただそれはおもちゃコーナーに置いてあって、おっさんの私はそこを通り過ぎるだけの存在

 

1期だって最初はそんなイメージだった

でも1話~4話あたりでそのイメージ崩壊した

子供をあやすためのきぐるみのようなモデルだったが、中に入ってる奴は何らかの達人だった

目を奪われ、心を奪われた

 

たぶん、アニメと言うのはそういうものなんだろう

何かアニメ成功すると、皆ジャンルや設定を分析したがるが、もっとそれ以外の言葉や形にしづらい無形の何かが人の心を掴むのではないか

 

そう言えば結構前に、ゾンビランドサガとけもフレが似てると書いた

ゾンビランドサガも、「ゾンビ」「アイドル」「佐賀」がキーワードであって

たぶん多くの人にとってパワーワードというよりは、スルーする存在だったと思う

それが、何らかの魔法をかけられて突然変異するわけだ

かぼちゃが馬車に、ねずみが馬に変身する魔法必要

 

特撮に一ミリも興味が無いのにグリッドマンを見たのも魔法がかけられていたからだし

きららアニメを見るのは別に美少女動物園からではない

自分の好みのジャンルだけを消化する時代はもう過去のもの

 

そういった魔法があって、視聴者に「これは最高だ」と言わしめて、ようやく足切りラインアニメは至る

もしこれが食べ物なら、最高じゃなくてもいい、普通でもいい

でもアニメは最高でようやくスタートライン

視聴者の最高ラインを超えてきて、ようやくBDが売れたりする

 

別に魔法が掛かっていないことは悪いことではない、むしろ魔法が掛けられている方が異常で特別なことだ

何の興味もなかったスポーツや、舞台となった御当地に憧れを持つのだって魔法がかかってるから

アニメには魔法必要で、だから上手くやるのはかなり難しく厳しい

 

___

 

いや、どちらかというと私は1期ニコ生1話から見てて、全力で拡散したタイプだよ

ここでも10個以上はけもフレ関係日記書いた(仕事中に書いた)

ゾンサガは1話からリアルタイムで見てアニメ板に常駐してた

どっちも前評判よくなかったね、私は運良く目敏く察した

 

流行ってるのに感化されちゃう人はたしかに居るね(それでも限度があるけどね。魔法効果高まるくらい?)

 

___

 

ほかの創作物でも似ているけど、12回という視聴する/しないジャッジが入るとか、深夜だから明確な意思を持たないと見るに至らないとか、1話抜かすと分からなくなりやすいとか

そういうところが他よりシビアだなと思う

加えて最近は数が多い

 

___

 

考えてみたら元はゲームだし深夜アニメから子供向けじゃないし

なんかよく分からなくなってきた

2019-01-15

anond:20190115101812

ソシャゲシナリオアニメ脚本とでお前らが思うほど差異は無いんだし、「アニメ脚本いたことあるかないか」位で足切り出来ると思うんだがそうでもないか

ソシャゲシナリオがそれほど独特とも思えんのだが。

2019-01-05

anond:20190105092752

どっちに100%責任があるとかじゃなくて、

教える側も教わる側も譲歩して落としどころを探すのが大人ってもんじゃ

どこで足切りするか、そのハードルが高ければ高いほど教育コストは下がるが採用率は下がる。

それだと仕事を回すだけの人員を確保できないのであれば教育コストを支払って適正低い奴でも戦えるように鍛えるしかないんじゃん

2019-01-04

anond:20190102063518

面白そうなので私も書いてみようか。東日本公立学校卒→東大理Ⅰのケース。

・家庭環境

電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。

田舎町なので私立中学校などというものはなく、受験高校から

小学校入学

小学校入学からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。

両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。

小学校

選択肢も何もなく近所の市立小学校入学国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。

うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子ソフトボールサッカー女子ミニバスケットボール合唱しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。

自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。

運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。

中学校

選択肢(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋ゲームやって帰ってくる生活

英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。

高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校偏差値的な意味トップ私立すべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。

受験すべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。

高校

進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風リベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。

部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器中学校ブラスバンド経験者が占めているため、素人必然的弦楽器担当ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。


2年生で文系理系コース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義スルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。

科目としては数学化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。

中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学最初東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。

センター試験自己採点は720点ぐらいで、足切りクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケーレベル。(理Ⅲは知らん)

2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式ちょっと特殊なので、トラディショナル形式京大工学部受験することにした。大学受験私立すべり止め無しの舐めプ

初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰ合格ラインは2.5〜3問。残りの化学物理英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。

結果、現役で一発合格

・その後

地方お山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業就職してエンジニアやってます

受験生の人は、なんだかんだ言ってもやはり王道は反復練習なので頑張って。大学に入るとがらっと世界が広がります

2019-01-03

京大までの受験の思い出(失敗編)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

ダメだった身で恐縮だけど、見てたら俺も自分語りしたくなったので。

中学受験

小学校首都圏某県の公立に通っていた。長男にはありがちだと思うが、低学年のころより通信教材をさせられたり、あちこちの塾にお試しで通わされたりしていた。

中学受験も完全に親の意思によるものである勉強別に好きではなく、塾では机に落書きをしたりしてあまり授業を聞いてなかった。だから当然成績は振るわず、ある日テストで50点をとって(自分ではそれでも上出来と思っていたのだが)ブチ切れた母の命により、それ以来は学校が終わると直帰し祖母らの監視下で勉強強要させられる日々が続いた。志望校も全て親が決め、いざ受験期になっても明日どこの学校を受けに行くのかさえ把握していなかった。

とはいえ元来陰キャ友達も少ないことから自分だけ別の中学に行くことに未練はなく、また特段この学校を受けたかった!というのもなかったため親は恨んでいない。まあクラスメートからいいねと言われるのは気分が良かったし、(勉強は嫌だけど)親に怒られるのも嫌だからしょうがないか、ぐらいのもんだったと思う。むしろ中学受験は大なり小なり「させられるもの」だと長らく思っていたので、東大編の元増田や知り合いの子供が純粋自分意志中学受験をしたというのを聞いてびっくりしているくらいだ。結局(親の)第一志望の御三家は全く歯が立たず、第三志望?くらいの中堅校(中高一貫)に入学

中学高校時代

中学に入る前後から弟が病気で入退院を繰り返すようになり、親や祖父母はそれにかかりきりになった。お陰でこっちはこれまでと打って変わって完全放任。ゆるい文化部に入って暇を持て余した俺は、当時流行っていたMMORPGメイプルストーリーとかそういうやつ)にドはまりした。当然勉強は全くせず、テストは常に一夜漬け。成績は最下位スレスレ状態が高1の終わりまで続いた。相変わらずクラス友達はなく、図書室にこもっていたお陰か現代文だけは良かったが、文筆家になる気はなかったし歴史とかの暗記系が大嫌いだったので理系選択

高2になって、見かねた親が東大生の家庭教師をつける。俺が京大へ興味をもったのは、その先生の「京大単位が空から降ってくる(けど東大単位が逃げてゆく)」という言葉だった。折しも本屋大賞だかがきっかけで森見登美彦を読み始めた俺は、自由楽園としての京大への憧れを一気に膨らませた。当時の京大ホームページアクセスすると大学京都の町並みの影絵だけがボーンとあり、それを横にスクロールしていゆくと最後入口が出てくるといった具合で、他の「普通の」大学とは違うその作りに大いにワクワクした感覚を今でも覚えている(どこかに画像が残ってないだろうか)。

同時に両親とも激務で働く姿を見ていた俺は、会社員自由のない苦痛に満ちた職業というイメージ漠然と持ち始めた。そして自由自分のやりたいことのできる職業大学教授という安直な発想から研究者(当時は「研究」が何かも知らなかった)の道を志す。そのために必要要件も何人かの研究者の略歴を見て「早慶以上で博士課程まで行けばなんとかなる」という勝手イメージを抱き、結論として「京大に入る(滑り止め早慶)」ということだけを目標に高3に突入した。

大学受験(現役)】

再び受験生となった俺は、MMOを休止し何となく予備校に通い始める。当時クラスメートたちは進度の遅い高校カリキュラムを見限り、授業中も内職して予備校の教材をやっていた。だから自分もそんなもんかと思って高校課題は真面目にやってなかったのだが、5月定期試験で相変わらず下から一桁番目の成績だった俺は担任からこっぴどく叱られる。

「お前に学校予備校勉強を並行してやるのは無理だ。予備校を辞めるか、さもなくば学校を辞めて大検を取れ」

恐れおののいた俺はとりあえず担任の教科(数学)だけ予備校を外し、そこから漸く(自分なりに)真面目に勉強をするようになった。

学科は(高校の教科で言う)物理が好き&理屈ばっかりではつまらないという理由工学部物理工学科を選択首都圏学校だったので京大志望はクラス自分一人で、ちょっと一目置かれていた(単にハブられてただけかも)。しかし当然ながら、京大試験問題は難しい。特に積み重ねと言われる数学絶望的だった。でも当時はそこまで深刻には考えてなかったように思う。物理は高3になるまで運動方程式も知らなかったけど、一歩一歩ものにできている感覚があった。化学予備校の教材が奇跡的に分かりやすかった(何せ浪人時代予備校を変えたけど、化学はこっそり現役の時の教材で勉強していたくらいだ)。当時京大では理系でも国語二次試験があって、読書趣味から現文が感覚で解けてた俺には有利だった。元増田の通り、センター数学足切りしか使われないから出来なくてもノーダメージ。あとは英語センター地理を合わせて総合力で何とか、という作戦だった。

高校である教師が言っていた。

現役生はあらゆる点で浪人生より不利だが、唯一有利な点は『落ちたことがない』ということだ。

高3の俺は正にその状態だったと思う。模試でD判定をとっても、周囲が「E判定は良い判定」とか言い合ってるのを聞いて安心していた。試験前日も風邪リスクなど考えず、噂の折田先生像がいつすげ替わるのか番を張っていた(夜になって諦めたけど)。今から見れば完全にただの馬鹿だった。

そんな根拠のない自信は、試験帰りの新幹線慶応に落ちたことを知り、補欠だった早稲田にも繰り上がりはなく、そして3月10日を迎えて完全に打ち砕かれた。後日はがきで送られてきた俺の点数は、合格最低点に(全教科計1000点満点で)80点以上足りなかった。

大学受験浪人)】

私大早慶以外にも何校か受けており、そのうち1校には辛うじて受かっていた。浪人生活はとにかく苦しいと聞く。しかし極限まで肥大化した京大-自由楽園-への憧れと、早慶未満→研究は無理→会社員自由のない人生というイメージから俺は進路に迷った。結局家族で唯一理系だった祖父の「受かった大学師事したい先生がいるならよいが、そうでないならもう一年頑張ってみては」という言葉におされ、俺は浪人生となった。

もう現役のころのような希望はなかった。予備校京大クラスはそこにしかないため、満員電車を乗り継ぎ片道1時間半かけて都心の校舎に通った。中学受験ときは決まった休憩時間には遊べたが、浪人の間はあらゆる時間勉強に費やさなければならないのが本当に辛かった。趣味読書も一切禁じた。もし落ちたら奴隷のような一生しか歩めず、それだったらもう死ぬしかない。そう思いつめているせいか夜はなかなか寝付けず、自習時間や週末に眠り込んでしまうことも度々あった。クラスメートと一切話さず(結局誰一人名前も知らなかった)、昼休みは机に突っ伏していた俺は相当浮いていたと思う。

それでも振り返れば、この一年で俺の馬鹿は(お勉強の面では)だいぶ治ったと思う。物理は難度の高い問題をこなし、得点源といえる域になってきた。化学は詳しい理論(π電子とか)は理解できず丸暗記だが、現役時代と合わせて知識量はそこそこあるはず。国語感覚を廃した分析的な読みを一から勉強し、地理と合わせてセンターで大幅な特典増が見込めた。数学はやはりしんどいが、どうにか100/250点とれれば総合合格点に届く計算だった。

試験前日、俺はやっぱり眠れなかった。ホテルの有線音楽で聞いた『一年生になったら』がずっと頭の中を流れていた。興奮は当日になっても続き、寝不足による不調は感じなかったが、2日目の最後理科試験問題を開いて絶望した。物理が例年よりも簡単すぎる!差別化を図れる唯一の手段を封じられ、動揺した俺は同時に出された化学で手こずりまくった。絶望感とともに帰宅した俺は、迎えてくれた家族の態度から早慶に落ちたことを察し、今度こそ人生が終わったと泣いた。そこから3月10日までは後期(京大にはないので他所)の勉強をする気力も起きず、抜け殻同然の日々を過ごした。

ここでいつか使おうと思って、結局使えなかった話のネタを供養したい。俺は出願期間が始まって速攻で願書を出したから、京大受験番号は(学科を表す千の位+)8番だった。たしかその年の工学部の倍率は2.5倍くらいだった気がする。迎えた3月10日ホームページで見た合格者の番号は

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 9, 11, ...

あの時同じ部屋にいたはずの10番は、今何をしているだろうか?

【その後】

結局俺は最低点には17点届いていなかった。そして死ぬだけの覚悟があるはずもなく、併願した某私大に進学した。この大学に現役で進学し、新歓の時期ばったり会った高校クラスメートの「一浪して○○大!?」という言葉が今も胸に突き刺さっている。

……とまあ、受験生を奮い立たせる目的ならこういう風にBad endで終わった方が良いのかも知れないが、どっこいこれもN年後の今では良い思い出である。あれから俺は京大とは別の国立大の院に進学し、今は民間企業への就職を控えつつ博士課程を終えようとしている。結局私大生活も十分すぎるほど自由だったし、現状研究者も中々自由が効かなそうだし、企業でも上手くマッチングすればかなりやりたいことが出来そうだった。後に残った傷といえば、森見登美彦が読めなくなったことぐらいである。

もちろんこんなのは結果論しかいから、これを読んでる受験生は悔いのないよう今の信念を貫いてほしい。しかしもし将来(受験に限らず)苦い思いをすることがあったら、それがどのようにして「良い思い出」に変わり得るかのヒントとして次の言葉を思い出してほしい。

人生には割と結果オーライな所があって、今の状態が悪いと過去の一つひとつがその原因のように思えてくるが、逆に今が良ければそれらにも意味があったんだと思えるようになるもんです。

これは今の大学である先生が仰っていた言葉だ。過去未来を決めるのでなく、未来過去意味づけるというとまるで(京大編の元増田の)「汗をかけ」へのアンチテーゼみたいだが、そうではない。大事なのはもし受験不本意な結果に終わっても、その後人生で「成功」するチャンスはまだまだ残されているよということだ。私大の院で着実に研究者への道を歩んでいる同期がいる。生涯の伴侶を見つけた後輩がいる。サークル趣味が高じてプロになった先輩がいる。俺だって京大に落ちなければ、今の研究(超絶面白い)には出会えなかっただろう。どんな道でもとにかく今が楽しいという状態にさえ持っていければ、きっと明日だって「落ちたことにも意味があった」と僻みなく言えるようになれるだろう。

全ての受験生と、かつて受験生だった皆が、新時代を迎えるこの年に「成功」出来ることを祈っている。

[]2019年1月2日水曜日増田

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2019-01-02

仕事勉強に対するモチベーションについて

ここのところ、東大とか京大受験して合格した人々の投稿が続いているけど、それが何年前の話なのかはおいといて、細かく模試の成績とかを覚えていることに感心する。私は大学を出て就職してから25年以上も経っているので、あまりかいことは覚えていなくても仕方ないと思っているけど、勉強が出来る人、努力家の人というのはそのへんからして違うのかも知れない。

私はそこそこ進学校で有名な公立高校に通っていたわりには、受験勉強にあまり熱意がなく、浪人覚悟東大一本とか早稲田一本とかやってるクラスメートを横目に何とかMARCHとある学部滑り込み自分より成績のいい友人に「合格おめでとう」と言わせた記憶けが残っている。確か彼女は私が入った大学の中で一番偏差値の高いところを滑り止め(!)にしており、第一希望の国立大学に落ちたという理由一年浪人した後、東大合格した。

そういう人たちを見ていてすごいなと思うのは、とにかく努力であること。そして努力を続ける根性があること。私はあまり受験勉強に熱心でなかったので、私大文系にすれば数学理科受験しなくていいからと理系勉強ほとんどスルーし、保険のために第一希望と同レベル大学学部を何校も受けるようなことはせず、確実に受かりそうな大学しか受験しなかった。今思えば早慶ぐらい受験しておけば良かったかも知れないけど、うっかり合格してしまって大学生活で勉強について行くのに苦労したり希望の専攻に行けなかったりするとイヤなので受験料をムダにするようなことはしなかった。

だいたいよほどのエリートコースを目指さない限りMARCHぐらいの大学を出ていれば困らないと思っていたし、実際バブル崩壊直前に就職活動をした我々はそこそこ名の通った企業入社する連中が多かった。飛び抜けて成績優秀な先輩や後輩はキャリア組官僚になったり司法試験に受かったりしたが、さすがにそれは一握りのエリート限定でまぁそれが妥当な結果だろうと思える状況だった。

で、無事就職するところまで行ったはいいが、自分欠点として反省しているのは「(勉強でも仕事でも)ほどほどに足切りされない程度にやればいい」「完璧を目指して自滅するのはバカ」という認識がしみついてしまたこと。だいたい職場で優秀だと見なされる人間は、「結果を出すためにベストを尽くす」ことを旨とし、仕事のために自分時間犠牲にすることを厭わなかった。でも、優秀だと思われると激務ポストでいいようにこき使われ、嵐のような残業に耐えるわりにはさほど見返りがないので、全然そういう人々を羨ましいと思えなかった。

さらに私のやる気を失わせたのは、2~3年ごとに人事異動があり、異動のたびに前の職場で覚えた仕事がムダになることだった。結構専門的な仕事であってもきちんと研修が行われることは少なく、一所懸命勉強しても異動すればそれがパーになると思うと、自分必要最低限の仕事だけこなして極力定時で帰れる職場こそ最高だとしか思えなくなった。当然そんなヤツが上司にいい評価をもらえるはずはなかったけど、まっとうに出勤して最小限の仕事をしている限り、上司も私の給料を減らすようなことはできないのだった。逆に優秀だと評価されている人間でも、多少給料に色が付く程度で、むしろ収入の差は自分時間犠牲にすることによって得られる残業手当によるところが多かった。

一番つぶしが効くのは、新人女の子がよくやらされる「庶務担」というやつで、旅費や残業手当の計算をし、年末調整の時期が来れば書類を皆に配って書き方や必要書類指導をする仕事だった。一緒に福利厚生社会保険関係手続きもする。あとは経理系の仕事で、予算執行状況を見ながら消耗品を買ったり業者に支払いをしたりする仕事だ。私は今、勤続25年を超えてそんな仕事をしている。我ながら給料ドロボーな気がしなくもないが、どうしても仕事生活費を得るための手段しか思えないのでどうにもならない。仕事自体モチベーションを見いだせる人、「ベストを尽くそう」と頑張れる人がちょっとだけ羨ましい。

自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまったけど、「仕事でも勉強でもモチベーションを持って努力し続けられる人は偉い」「家庭の事情などが許す限り、勉強(スポーツなどでも可)はやれるところまで努力した方がいい」というのがまぁ結論なのかな。ただ、仕事に関しては「優秀な人に仕事は集中する」「頑張り屋だと思われるとどんどん重荷を背負わされる」というのが鉄則なので、自分会社過労自殺とかが出るようなところに勤務している人は無理しすぎない方がいいと思う。長文なのに大した結論じゃなくてごめんなさい。

京大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。

元増田と違い中学受験私立とは無縁で、片田舎公立中学公立高校卒業して京大入学した。

中学時代

勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。

一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿私立高に通って高いお金さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。

将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学工学部卒業し、自動車メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。

そんな自分に両親はとても優しかった。自分選択意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。

高校入学受験勉強まで】

結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅から公共交通機関アクセスが最悪だったかである

この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大ゼロ京大が1人いるかいないか旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さなさなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。

1年生の夏、家族京都旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威シンボルである時計台自由象徴する立て看板鴨川百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。

ここに入ろう。自分にはその資質がある。

本気でそう思った。

そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師OB地方でやっている個人塾だった。英語数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。

受験勉強受験まで】

高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立MARCH関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しか学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。

高3になると全国模試ランキング浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタル不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。

高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。

受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるとき不安でやる気を失いかけているとき鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。

試験

京大工学部センター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけがまれた。

私立早稲田慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。

京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝たかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。

当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学試験試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。


ところで、新年を迎えたこから自分の中のルールとして「前期試験不合格連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。

合格発表掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ち掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。

【その後】

入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。


【さいごに】

一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章わたし世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。

http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html

「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対無駄はらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから

恋でもいい。グラウンドの上でもいい。

そして、エンピツを握ってでもいい。

フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。


元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しか自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。

すべての人に受験勉強というプロセス必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。

センター試験まであと少し、全国の受験生に幸多からんことを。

東大受験の思い出(文系おっさん篇)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

触発されるところがありました。増田にも、コメントにも。

家庭環境など

百姓家の倅です。3人兄弟長男比較的小さいころから「下がつかえているかあなたオール公立で。それだけの頭はあげたでしょう」と母親からいわれて育ちました。母方の母方は庄屋(糀屋)、母方の父方は漢学者家系です。父方はよく知りません。父親東京教育大の出、全共闘火炎瓶を作って安田講堂に攻め入ったことを生涯の語り種にしていました。いまはアルツハイマーで息子たちの見分けがつきません。発話も失われて久しい。

その倅たる僕はプロテスタント幼稚園に騙されて入り、地方二期校の教育学部の附属小学校に騙されて入り、そのまま持ち上がって附属中学校へ、高校東大合格者を年に15人から20人くらい出すいわゆる県立トップ校です。中学校男子90人のうち35番くらいまでにいればトップ校に入れた。塾には行かせてもらえなかった。習字水泳英会話歯医者、これはよく通わせてもらいました。中学は共学でウェイウェイしていました。藤井郁弥の影響でテクノカットに前髪が顎下までありました。高校男子校です。圧倒的な絶望です。キルケゴールに耽溺しました。

どこで勉強をしたか(中学まで)

田舎から街中まで通うのにバスで片道45分かかります。退屈なので寝るか教科書を聞くか路線図や料金表を覚えるか(後に)音楽を聞くしかありません。小1から、時折(4割程度)の自転車通学を挟んで、半分以上はバス通学です。小6までは学期の始まり教科書を配られると最初の1週間で読んで覚えてしまます

教科書本体よりも便覧や資料集が好きでした。面白かった。地図帳も、資料集も、地勢統計も。中学に入っても英会話は通わされていたので楽ちんです。中間/期末/学力試験の前1週間くらいにざっと教科書見直して500点満点で425点。リスニングは、携帯プレイヤーはなかったので、ウォークマン英会話学校の教材やNHK英会話を入れて、まあ適当に。中3で県のスピーチ大会に出させられ(て、落ち)る、そんな感じです。

部活はやりませんでした。お金時間もないし、水泳通ってたし、弟のバスケットと体操に両親は夢中になっていました。素行不良のため内申点が足りなくて合唱団に入れられました。

どこで勉強たか(高校)

うちの高校合格すると「入学式までの30日間の重要性」とかいって英数国の宿題が課されます。それと直近の大学受験結果を分析した資料ざっと見て、学年360人、2年次から文系150人理系210人の、まあ自分文系だろうから文系30番くらいにいれば、努力で入れるといわれていた東北大、東京外大に入れるかなという目算がつきました。東北大はかっこいいし、外大女性比率が高い(放っておいてもモテそう)。まあでも、適当です。それで入学式直後のテストで、学年で50番くらいに入った(いちおう、ビビって用意はしていました)。

でも生活の基本パターンは大きくは変わりません。教科書は行き帰りのバスでだいたい読んで、物理科学不要なので捨てる。家に帰ったら数学問題演習(4STEP)、英語古文単語を。同じころ僕を溺愛してくれた婆さんが脳梗塞から前後不覚に陥り、街中の病院に入ることになった。学校帰りに爺さんと待ち合わせをして立ち寄る。病院は暇ですからお茶を入れて飲んで、英単語を覚えるくらいしかやることがない。たまにノートを開いて、数学は先取り。ざっと、次の単元に目を通して(授業中に指されるのが不安から…)。そうそう、効果のあった教材は「パターン演習」でした。今はもうないのかな。「現代文 例の方法」もよかった。古文は聖文社の薄い本意識の高い友だちから、いろんな情報が入るようになってくる。それを病院に立ち寄る前に市内の書店でチェックして、合いそうなものを買います

大学受験意識する

東大意識したのは高校2年の11月です。恩師(英語先生)に、冗談で「おれ東大無理ですよね。ははは」みたいに話したら「お、ようやくやる気になったか」なんてその気にさせられて。帰りに本屋ペンギンか何かの洋書を買って、1日2ページ、英文解釈和訳です。朝持っていくと、帰りまでに真っ赤に添削してくれる。古文や、数学先生も噂を聞いて「おお、あのあいつが」みたいに様子を覗き込んでくる。ひとり、ふたりノートを見てくれる先生が増えました。でも、だれも僕がまさか東大に入るとは級友たちは思っていなかったと思います

受験戦略

受験戦略は至ってシンプルです。後期には絶対の自信がありました。読書感想文論文も出せば県予選までには行った。英語も出来ました。社会世界史日本史現代社会、どれでも満点近くとれました。参考書は「世界史Q&A」「日本史Q&A」です。資料集を見てビジュアルで頭を刺激して(例、ザビエル。毛の話ではない)大掴みし、後はひたすら反復練習です。高3初夏の時点の大手模試で文3後期はB+くらいの判定でした。前期はさすがに無理です。

ただ、「やるだけやった」ことは自分言い訳を残したくなかった。病院で婆さんが「うちの孫はいい子で」「末は大臣から」って、看護婦さんや主治医に言いふらしたらしい(後に爺さんの仕業だと判明するのですが)。それで先生方が「東大を受けるって聞きました」「がんばってね」って声をかけて下さいます。病状のことも聞きました。当たり前ですが、下り坂です。いっときは、医学部を目指そうかとも思った。でも入って出て研修医になるまで7(6+1)年です。婆さん、間に合いそうになかった。爺さんも肝硬変になって、爺さんに「どこがいい?」って聞いたら「そりゃ天下の一高がいいさ」というから「わかった」と返事をしました。

再び受験戦略の話

本戦略は4つです。

1. センターは満点をとる。二次は天下の俊英が集まってくる。勝てるわけがない。センターなら勝てる。1:4(800→110):440の圧縮傾斜とはいえ、110点とって無駄にはならない。田舎凡才がまず考えるべきは足切り回避です。足切り回避したら「二次で逆転」なんて赤本成功譚を鵜呑みにせず、センターで1点でも多くの上乗せをと考えました。

2. 後期は受かろう。英国世界史満点を目指す。論文素面でいけるはずだ。

3. もし現役で東大がだめだったら地方公立医学部に切り替えよう。そのために、生物をメインで、化学も少しはやっておこう。

4. 問題は、前期で東大を受けるか、A日程で外大を受けるかでした。こう考えました。A日程で外大に受かる(東大後期の足切りにあわなければ後は外大用の英語対策です。外大二次英語東大二次よりもやや歯ごたえがあって格好の対策になります)、そして後期で東大文3に受かる。これがベストシナリオだ。そのとき東大に行くだろう。だとしたら、A日程は無駄ではないか?

教科別の話
現代文

岩波講談社現代新書、などを、手当たり次第に読んで咀嚼しました。また、Z会添削(これだけは母親に頼んだ)を受け、「模範解答をできるだけ歯切れのいい単位自分言葉に分解して、とことん納得するまで書き換える」を行いました。添削はあまりしませんでした。毎月送られてくる薄い模範解答の本がありがたかった。小説は、ごめんなさい、蓄積があったので(うちは1950年代60年代70年代文庫季刊誌文学全集が堆くあるような家でした。数少ない父親の正の遺産です。片っ端から読んでいました)、あとは「例の方法」で、受験とはこういうものかと調整する程度。

古文

品詞分解と2,000語レベル単語暗唱です。高2の11月からセンターまで400日。1日50語。予習(N-1日)、当日(N日)、復習(N+1日)のサイクルで、ということは150語/日ペースで頭を通す計算になります。「あさきゆめみし」を読みました。明治書院(?)の作品解説集をバスの行き帰りに読みました。

漢文

ごめんなさい! 爺さん漢学者の家柄なもの(笑)。「蒙求」「戦国策」とか。「戦国策」はよかった。いまでも、なるなら刺客です。司馬遷ありがとう!

英語

単語は5,000語レベル単語集を1冊日割りで。効果的だったのは、ある単語を覚えた/引いたとき辞書の同じ見開きページに載っている重要単語はぜんぶその機に覚えてしまうやり方です。

文法桐原発音アクセント英会話教室からもらった対策本。英字新聞は読みませんでした。代わりに、前にも記した高校先生から受ける日々の添削

日本史世界史

「Q&A」です。「一問一答」ではなくQ&A。

数学

苦手にしていました。系(?)の拡張、みたいな感覚になかなか付いていけなかった。虚数単位とかです。仕方ない、というので「4STEP」を繰り返し、センター200点満点を180点とることに集中。二次は、大問4のうち、かき集めて1つ、配点で80点中15点とれれば合格には御の字。15点ならセンターの延長でとれます文系微積が苦ではなかったのが本番でも生きました。

理科生物

高校の授業です。これだけは、参考書の目利きが自分にない。熱心な先生でしたので、出されたご飯は残さず食べるの精神です。

受験結果
センター試験

国語:190点

英語:192

世界史:98点

数学:180点

生物:92

合計:752点

(あれ? 756点だった気が。)足切り回避です。よかったですね。

二次試験の結果

国88/120

英104/120

世界史40/60

日本史35/60

数学25/80

292/440点

自己採点です)250点あれば十分、220点でも年によっては受かるといわれていました。勝因は英語です。よかったですね。

合格発表の日

これでも、自分には無理という思い込みがありますから赤門をくぐってまず後期合格者の掲示板のほうを見にいきました。前期は絶対に無理、でも、後期の足切りには確実に通っている。「国語古文漢文選択肢に引っかかったのが痛かったなあ。あれがなければ前期だって」と頭を抱えていました。

そんなことを思いながら後期(追記:足切りクリア)の掲示板の前まで来ると、自分の番号がない!

「さすが東大は違う。おれはもうだめだ」と、代ゼミに向かい踵を返そうとしたとき、同行していた父母が「せっかくだから前期のほうも見てみよう。どんな人が受かるのか顔を見てみたいじゃない」「予備校それからでいい」というわけです。

ありました

ありました。

公衆電話実家にかけると、すでに電報が届いていて、いまかいまかと祖父母電話を待ち構えていました。祖母許可を得て病院から戻ってきていました。もう、東大に受かることの社会的な意味合いは、わからなかったろうと思います。でも、みんなが喜んでいるからといって、赤飯を炊く準備に、これから近くで豆を買ってくると電話口でいうわけです。「そんなのはいから」「とにかくそのまま家でお日さまに当たっていて」と僕がいうと「ご親切さま。うちのは、ほんとにいい孫でね」と僕にいう。僕は思わず「おばあちゃん、よかったね」って。

結びに代えて
英語だけは

言い古されたことですが、東大学歴というのは、かなり費用対効果のいいLadder of Success(成功の階梯)です。その中でも、ひとつたつを添えて、本記事を締めたいと思います

それは、文法的な意味での英語力の最初ピークは、大学受験直後ということです。その勢いを駆って、TOEICなり、英検なり、お受けになれば、さしたる苦もなくCertificateを取れるのではということ。僕自身大学年の初夏(だったか)に準1級、以来、TOEICが(維持のための努力だけで)だいたい945点くらいをかれこれ25年、続けています

1年くらいは

間もなくセンター試験です。もし、2019年のセンター二次に間に合わなくてもと思う現役生がいたら、1年くらい、大きな気持ちで構えていいのではないでしょうか。長い人生、1年くらい、駒場の3年目や、離婚や、放浪放蕩や、悪所通いでたちどころにトントンになってしまます

受験生のみなさんのご武運を、ねこちゃんたちと共に心よりお祈りします。長文、失礼いたしました。

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-12-31

anond:20181231091656

0円にして誰でも参入できるようにすると質の最低値が下がる

すべてを審査なんてできない以上、費用をもって「足切り」するのは現実的な回答だ


まあ、詐欺的な意味でのアプリ小金払っても割に合うからこれでは排除できないんだけどな

ゴミみたいな品質アプリの混入を、0円なら入ってきうる優秀アプリ可能性を潰してでも確保したいという感じだ

WindowsAndroid魑魅魍魎自己責任をみるに、一応アリかなという気はするのだ

2018-12-18

anond:20181218161459

増田にもあるけどそういうマニュアル化されたノウハウが普及してそれが当たり前になった時点で

その当たり前が足切りラインになってその上で顔や金を持っているやつが勝者になるっていう構造があるから

マニュアル化はただの人権が認められるライン釣り上げとしてしか機能しなくてそういうマニュアル文化自体不毛な消耗戦でしかないんですよね

2018-12-13

KKOが言ってるから暗黙の足切りも許されずにフルボッコだけど

女性が言ってたら最善の相で解釈されて許されてたろうな

2018-12-11

anond:20181211225531

はてなインターンが作っていったアプリあったよな。あれどうやってたんだろう。

ブクマが多くてブコメが少ないのが良い説もあった。

トラバ数。オリジナリティのある単語が入っている。あとはNGワード足切りしても良いかも。

東大に入るまで

なんか東大入るまでを書いたクソ長い記事がバズってるみたいなので自分も思い出して書く。ちなみに理Ⅰ現役。何年前かは秘密

一応小学生の頃から東大に行くと決めていたと思う。父親東大出身で、ずっと「親に負けるのだけは我慢できん」と思っていて、じゃあとりあえず東大に行くしかないなと。最初は塾に行かず家で市販の教材で勉強してたけど、頼み込んで東大生の家庭教師を付けてもらった。その先生から大学生活について聞かされて、楽しそうだしやっぱり東大行きたいと思ったのをよく覚えている。

中1から高校受験のために塾に通い出した。中学の授業はとことん肌に合わなくて(テストでどんなに良い点をとっても、蛍光ペンで綺麗なノートを作ってる女子に成績で絶対に勝てないと気づいてすっかりやる気を無くした)、比較システマチックに進む塾の講義が楽しくて仕方なかった。ただ、不安障害みたいになってしまって、途中から心療内科に通うようになってしまった。でも勉強を辛いと思ったことは無かった気がする。どの教科も楽しかった。

高校受験疲弊したので高1のはじめの頃はダラダラしていたんだけど、3ヶ月くらい経ってこのままだと堕落すると怖くなって、また塾に通いだした。ここも比較的肌に合った。同じ塾に通っている同級生自然ライバル関係になるので、塾の宿題以外にも勝手勉強していた気がする。ただ、勉強時間楽しい教科(数物化)にどんどん集中していってしまって、苦手教科をカバーするために高3で別の塾にも通い出した。今にして思えば親の金に頼りすぎていた。古文勉強苦痛しかたなくて、2次試験で落ちることよりもセンター試験国語のせいで足切りされることのほうが怖かった。

振り返ると、親に行かされた塾というのは一つも無いので、その点では自主性があったのかなと思う。行きたい塾は全部自分資料を集めて決めた。ただ、塾で勉強するのに慣れすぎて、大学入ってしばらくは勉強スタイル矯正するのに苦労した。当然ながら大学講義と近いのは塾の授業ではなく高校の授業なのだなと思った。中学の延長で高校の授業もどうせ碌でもないと決めてかかっていたところがあったけど、真面目に受けていれば楽しかったに違いないと今では思う。

親の金で苦労せずに東大に入ったとまでは思わないけれども、独学の人よりは楽をしていたという自覚はある。塾によって勉強のペースが良くコントロールされていたので、自分で長期的な計画を立てて学習するという能力が中高で培われなかったとも思う。

家庭環境に相当恵まれていたのは間違いないだろうけど、環境の面で一番重要だったのは、勉学で張り合える同級生が常に身近に居たこなのだろうなという感じ。

2018-12-07

anond:20181207012603

マジョリティ自由平等を声高に叫ぶくせに、

どっかのラインで「さすがにこのラインから向こうの奴には寛容になれないな」って足切りをする。

GBTはそのラインの内側に入れて、ペドフィリアラインギリギリ外側に残された。

結局決めるのは多数派の連中だ。

GBだって見方を変えれば、今までホモ差別対象だったのが、

マジョリティの気分が変わってホモフォビアが差別対象になっただけとも言える。

2018-12-06

anond:20181205230256

かつて俺も全く同じだった。とりあえず今言えることは1秒でも早く行動してほしい。

イケメンじゃなくても童貞卒業できる。受験と同じで足切りされないところまで自分を持っていくんだ。100点を目指すな。

安いのでいいかドラックストアかAmazon男性洗顔料化粧水乳液を買い、朝晩毎日洗顔して、最低週3でいいか筋トレしろ

ジムに行くのが面倒なら、筋トレ専用の有料アプリ課金しろ

これを半年続けて体脂肪率10%前半にして肌が人並みになったら、ユニクロシンプルで着回しが利く服を買え。

サイトに載ってるコーディネート例の丸パクリでいい。

その後、美容院眉毛カットまでやってくれるヘアサロンネット予約しろ。最短で行ける繁華街にあるところでいい。

4000円ぐらいでやってくれるはずだ。どんな髪にしたいかからなければ、面接があるとか適当なことを言って卒なく切ってもらえ。

ここまでやったら、マッチングアプリを使え。残念だが田舎職場出会いはない。でも、同じように出会いがないと嘆いている奴らは外にいる。

まず女性登録して競合となる男がどんなプロフィールをしているか調べろ、そしてお前が思うイケてる男のプロフィールを参考にして適当プロフィールを作れ。

写真タイムチケットというサイトを使うと数千円でプロっぽく撮ってくれるやつがたくさんいるから、そいつらに頼め。

間違っても雑に自撮りするな。

ここまで来たら有料課金してどんどんアプローチしろ。いいか、性欲丸出しにしたり会いたいを連呼すると引かれるからな。

がっつかず安心感を与えることを念頭に置きながら、実際に会えるよう距離を詰めろ。しょうもない駄話ばかりするなよ、飽きられるから

シミュレーションゲームをやるつもりで、何をやったら相手が反応するか、逆に反応がなくなるか、細かくPDCAを回しながら

出会いを楽しめるようになれ。ナンパ師にならなくていい。いい女と出会ったらアプリはやめて、これまでの時間を取り戻せ。

ここまで読んで面倒臭いなと思っただろうけど、俺はこれを30過ぎから愚直にやって1年で童貞卒業できた。がんばれ

id:nemuneta なぜそんなにしてまでがっつくのか。本当に理解できない

このまま誰にも自分を受け入れてくれず、死ぬしかないのかと夜中に絶望したり、気がつけば何もないまま徐々に体が衰えていっていることに気づいて叫びたくなったことが無いんだろう、お前には。

anond:20181206182005

短期的な人間関係容姿足切りラインがあって、

容姿足切りラインをこえたあとに長期的な人間関係に進むにあたってコミュ力経済力足切りラインがある、

結論出てるっしょ

足切りラインがどこかは判断する人間自身スペックにより上下する

2018-11-22

anond:20181122204747

システム男女平等女性優遇」の話をしてんのに法や公共機関の話をしなくてどうすんの?

から資本主義社会なのに、システムを語るのに法や公共機関に限る必要は無いって言ってるの。アホ呼ばわりは見逃してやる。

ついでに言えば法で平等が定められたとて、直ちに平等社会が実現するわけではないぞ。それまでの不平等社会で築かれてきた固定観念格差是正しないとスタートラインにも立てない。

例えば「今後全国民自分資産株式投資信託運用して生活して行ってください」という御触れが出されたとする。金がある程度以上あればいけるだろうが、貧乏人は軒並み文無しになりかねないぞ。

お前の言ってる『男女平等』はそういうことだぞ。

お前女性専用車両を知らない?男女共同参画センターも?顔の傷について男女で等級差があることも知らない?

まあ話くらいは聞いたことはあるけどな。

それなら医学部入試での女子受験足切り問題とか、男性優遇と取れる政策だっていくつもあるわけでね。

2018-11-11

anond:20181111111509

受験合格100人程度のとこを2年で100人ほとんど女が不正足切りされ大学を落とされ賢い女ほど減点されバカ男ほど加点されるシステムで取り替えられる国で何を言ってるんだろう

もしかして35歳で足切りされてる?ヤバい」と考えて周りより一歩先に安売りセール始める見た目だけかろうじて若い敗残兵のような36歳の女が狙い目、ほんま婚活アプリ地獄やで

2018-11-02

女の育児休暇のために独身男性しかいない中小会社が潰される問題

女が下方婚しないことが全ての元凶なのだが、どうすればいいのだろうか。

やはり面接で夫の収入育児状況を聞いて足切りするしかないのでは?

2018-11-01

東京オリンピックボランティアJICAボランティア(いわゆる協力隊)を見習え

2020年東京オリンピックボランティア募集しているという。

しかし、ハード仕事内容にも拘わらず給与0円のゼロゼロ物件。これじゃ誰も応募しない。

一方、青年海外協力隊JICAボランティアの4部門のうちの1つであるが、同じボランティアでもこちらは有償

もともと英語ボランティアという単語有償無償があるが、日本では無償ボランティアのことを指すことが多く、すっかり和製英語になってしまっている。

実際、青年海外協力隊電通から見れば雀の涙ほどの拘束時間、具体的には実働2時間で週休3日とかもザラ。

長期休暇も無駄に多く、夏休み2か月間とかある。

それでいて大卒初任給生活保護ぐらいの金がもらえるとあって応募も多く、東大卒早稲田慶応卒もゴロゴロ

しか任期終了後はJICAの在籍証明書でもって就職大学院進学が有利になる。

内向きの若者が増えているとはいえ、こんな楽して金がもらえる制度を見逃す手はない。

話を戻して、東京オリンピックボランティアJICA協力隊に倣うとどうなるか?

1日8時間拘束なら日当3万円、交通費は別途支給

自宅から通えない人(JICA基準に倣い、東京都千葉県神奈川県以外に住んでいる人)は指定ホテル宿泊費全額支給

さらに、ボランティア間中医療費は全額主催団体が払う。

このような好条件なら応募は多いだろう。応募者多数の場合TOEICの点数による足切りを設ける。

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