はてなキーワード: 知的好奇心とは
馬鹿でも発信できるようになるとそうなる
バカな人たちって知的好奇心が少なくて、見たことがあってわかりやすいものしか好まない
テレビ番組みたいなBGMと擬音と大きなテロップ、親しげにふるまう人物、タレント、わかりやすいキャラクターがあったら、「これは難しくないし、自分たちにやさしくしてくれる良いメディアだ!」
って判断する
専門的な立場の人ほど、エビデンスのないものには断定できないし及び腰になる
でもバカなインフルエンサーは長期的視野を持たないし、目先の利益のために間違ったことも平気で発信する
それを正しい人が指摘すると嫉妬だなんだ、バカにするなとか言われるだろう
この国の頭の悪い人たちにとっては、学位を持った熱意のある研究者より、学のない頭の悪いタレントやインフルエンサーの言ってることが正しいんだよ
そういう頭の病気なの
前の職場でお世話になった人から突然コロナのワクチンに注意した方が良いというメッセージが届いた。
実はコロナワクチンの危険性がよくわかってないとかじゃなくて、コロナワクチンは闇の政府による人口削減のための策とかそういうやつ。
別に医学の専門知識を持ってるとかではないけど知的な人だという印象だったのでまず驚いた。でもそこそこ知的好奇心があって情報収集にも意欲のある人がかえってはまったりするんですかね。
で、これ送ってきた人はまあまあ年配の人で職場ではそれなりの肩書きがある人なわけ。自分はそもそも直接の上司ではなかったし、今後会うこともまあそれほどなさそうだし「勉強になりました!」でなんとか乗り切れると思うけど、これもし部下とかにもやってたらきつくない?
前にまったく別のつながりの飲み会で突然911陰謀論について語り出した人がいたんだけど、ああいう陰謀論て「なるほどー」「そうかもしれないっすねー」とかでけっこう流せる。でもワクチンだと打ったかどうかの話がその後に出てくる可能性があるよね。打ってても「いや打ってないです」って言えばいいのかもしれないけど副反応で発熱したりすることを考えるとその人だけじゃなくて職場の関係者全員にワクチン打ったって言えなくなるよね。実際にやるの意外に難しそう。
いやーやっぱり医療系の陰謀論はきついっすよ。日本じゃもうHIV陰謀論なんか知ってる人の方が少なそうだけど実害につながる可能性が高すぎる。でもたぶんそういうことを教えてくれる動機は善意なんだよね。「気付けない人たち」を馬鹿にしてくれても良いから、頼むから陰謀論者だけで盛り上がっててくれないかな。
で、ちょっと心配になったんでつながりのある人にそれとなく聞いてみようかなと思ったんだけど、これが意外と難しい。「○○さんも聞きました?ワクチンこわいですよね!まさか打ってませんよね?」とかなったらやびへびだもの。
実はこれ増田に書こうと思ったのも意外とこういうのって誰かに愚痴るの難しいなと思ったからだ。適当な人に愚痴ってその人も陰謀論者だったらややこしいからね。
多変数微積分の問題に没頭していく中で、数学の魅力と深遠さを再び見つけました。
関数と曲線の振る舞いを探求し、微小な変動が全体に及ぼす影響を追求する過程で、数学は私にとってまるで美術館の中の至宝を鑑賞しているかのように感じられました。
数学の問題はその複雑性から挑戦的でありながら、それを解明する喜びと充実感は何よりも素晴らしいものです。
数学は単なる計算や公式の羅列ではなく、知の探求の旅でもあります。
微積分を通じて、数学は宇宙や自然の法則を解き明かす手段であり、知識の宝庫であることを改めて理解しました。
関数と微分方程式の背後にある論理的な構造や、微小な変化が物理現象や経済の動向にどのように影響を及ぼすかという洞察力は、数学の美しい魅力の一部です。
数学の世界は無限大であり、それを探求することは知的好奇心を満たすための果てしない冒険です。
新しい概念を学び、新しい問題に挑むたびに、私の思考能力が高まり、知識の深化が加速します。
少し前に東京の文化や地方都市の文化、みたいな話題が増田で盛り上がっていた。
大体、こういう話題のオチは東京は消費文化に過ぎないとか、クラブカルチャーのようなものは地方都市では生まれ得ないといったマウント合戦になる。
我が家は地方都市の自営業。地主階級ではなく、単なる1代限りの商売をした層だ。自分は継がずに東京でサラリーマンをしている。
そんな父はエスタブリッシュメントではないが、書斎や職場の倉庫に優に2万冊を超える書籍を残していた。
思い出せば父は休みの日は本を片手にソファで寝っ転がっていた。インテリ風な見た目、オシャおじな見た目では全くなかった父は、家族以外の他人からはいつも印象と蔵書量がピンと来なくて驚かれる。
あまり父と本の内容や政治経済の話をしないので、読んでいた本の傾向はわからないが、いわゆる雑食型だと思う。そもそも大学教授や地方の研究家というわけではないので雑食で問題なかろう。
もともと経済学部出身だったこともあり、経済関連の本は多く、地方都市のただの自営業者にもかかわらず世界経済に関する書籍が多いのは少し笑った。実学よりも知識欲だったのだと思う。
とはいえ、堺屋太一や立花隆、村上龍などの著作はかなりあり、好きだったのだろうと思わされる。
もともと文学少年だったようで、小説が最も多く、1万冊程度、あとは歴史が好きなので歴史関係の書籍が数千冊、経済、思想、美術あたりが多い。子供を東大に入れるための教育法、不動産投資で失敗しない方法みたいな本棚に並べるのも恥ずかしい本もあって笑える。そのあたりも雑食で好感が持てる。文学は自分が全く知らない著者や世界文学の本もあり、なかなかの教養を伺わせる。生前にいろいろ聞いてみたかった。
理系の話がわかるようになる本、大学受験用の数学や物理、生物の参考書、大学以降の化学の教科書(東京化学同人とか)もあって、このおっさんはどこに向かおうとしてたんだと思う。コンプレックスかもしれないし、学生時代に身につけられなかったことを少しずつ勉強していたのかもしれない。よくわかるレアメタルの本、とかよくわかるEVの本みたいな仕事と全く関連ない本も読んでいて本当によくわからない。付箋がついているので読んでいる跡はある。
画集や詩集も多く、このあたりはまったく詳しくないのでどう評価したらいいのかわからない。でも、昔から美術は好きで、海外にはよく美術館巡りをしていた。ルーブルに3日連続で通ったあとに、全然見れなかったからまた来たいなぁと言っていた。その想いは叶わなかったけれども。
私が知る限り、父には友人らしい友人はいなかったし、小説を書いて応募したという話は聞かないし、金儲けで成功したという話も聞かない。せいぜい母と私と兄を養ったという我が家にとっての偉大な功績があったくらいである。
父の仕事に直接関連する書籍は蔵書の中の1%未満であり、父は人生の可処分時間の大半をステップアップや成長のための読書ではなく、趣味のための読書、自分のための読書で過ごしている。父が得た知識や理解はどこにもアウトプットされることなく、灰となって消えてしまった。
もちろん地方都市に父のような生活をしてる人が大半だなんて言うつもりはない。おそらく少数派だ。しかし、人口20-30万人くらいの小さな地方都市には大体、父のような人間がいるものだ。
東京や大阪にもいる、という話ではない。そんなのいるに決まっている。
地方都市の自営業者のような世間的にはそんなに尊敬される、すごいと思われるわけではない職業についた人々が、自身の知的好奇心ドリブンで年収や職業訓練になんの役にも立たないことをしている。そういうのも一つの地方文化だと思う。首都圏生まれの人には想像しづらいかもしれないが、いわゆる知識人階級(大学教授や医師・弁護士といった士業など)の肩書を持っていないが、準知識人(もしくはエセ知識人、隠れ知識人かもしれない)がそれなりに埋もれている、そういうことも知っておいてほしい。
しかしなぜか全く関係ない通りすがりの弱者男性の俺が致命傷を負ってしまうのであった——…
ノ
それ、俺。
かっこいいキーボードを自作したいと思って電子回路を勉強してるんだけど、電子回路自体が好きな感じは全然ない。勉強しても作りたいものが浮かんでこないんだ。だから結局、与えられた練習課題だけ作ってる。ごく少数の手持ちのアイデアはすべて他人に見せびらかす、という基準の上にあると思う。
ノ
それも、俺。
小さい頃ねだって物理の大学生用の教科書を買ってもらったんだけど、一度も開けずに捨てた。テストで頑張ったり、爺ちゃんに「計算機のルート記号って何?」って聞いたのも知的好奇心からじゃあない。だって押して試してみようとなんてしなかったんだから。すべては大人たちに知性をアピールするためだったと今では解る。だけど、他人にアピールする以外の自分の欲望って何かあるか、と考えると、全然まったく何も思いつかない。村上春樹を好きと称して全著作を読んでいるが、村上春樹が無名ならおそらく読まないという小さくて確かな自信がある。
ノ
友達なんていらないと嘯いているのに、寂しくて仕方がないよ。いつも X と ? に張り付いてしまう。
へ
いや………………… 俺には、分からない。
自分で自分をどう思うか、って、そもそも思い浮かばない。メタ認知がムズイっていうか…。
ごく稀に凄い久しぶりに他人と会って話して帰宅した後に、クヨクヨと自分内反省会することはあるけど………、コミュニケーションの機械が何もないときに自分と会話したりはしない。そんなんするくらいなら Youtube でゲーム配信をみて誰かが笑ってるのを眺めたほうが時間のコスパがいい。
自分自身ってボディースーツのように常に一体で、相手としてなんて捉えられないよ。
呪術廻戦を観るのだって、スレの人々の意見に自分ならどう対応するかをシミュレートするために読んでる・観てるのであって、オレ自身が楽しんでるかの確信はない。いや…
もし世界が今日破滅して、俺一人になったなら、呪術廻戦はもう読まないだろう。
というか… 何もしない植物人間になってしまうと思う。もはや対応すべき「敵」が存在せず、世界は「クリア」されたのだから。
昔、「嫌な思い出はだんだんと消えていって、良い思い出だけが残るものなんですよ」という事をはづきちゃんのばあやが言ってたけど、アレって、ばあやの優しいウソだったんだな、って痛感する。嬉しかったこと、楽しかったこと、好きだった人………… 霞がかかって何も思い出せないけど、トラウマはすべて鮮明に覚えている。初恋の片思いの相手の名前は曖昧なのに、体育教師から蛇のようなクソ人事まで敵の名前は全員記憶してる。
「俺はまだまだこんなもんじゃない!」「もっと上を目指せる!」
だから頑張ろう!と向上心に転化できるタイプのプライドなら大いに持てば良いと思います。
へ
俺には。
結果的に自分の中だけで完結してしまっているプライドは結構あるってかほぼ全てだけど、どれもがおそらく「誰かに見せる」のを最初から前提にしてて終わってる。
えー、いまはテンプレがあるんで従えばいいです
昔こうやってたよって話ね
人物の行動を書く
自分ならこうするな
ずっと書く
延々と書く。
一通り終わったら
2回目
3回目
4回目
エンドーレスー
学年が上がると知恵がつくもので
「マカロン」とかあるよね。食い物だろ。知的好奇心死んでるんで絶対に調べない。ところが調べて書く。食べれたら書く。味も書く。
読み終わってないのに原稿用紙が埋められた瞬間に多幸感を感じられるまでになりました。
食べ物はね、言葉の意味、食べられてる国、どんな時に食べるのか。過去は?現在は?日本で近い味は?行事は?書く
あと作り方。これもな。素材を書いたら化学反応を書いていくんだわ。授業で習いましたー!って。
ひたすら書く
複雑なトリックを解いたときのパズル的な達成感、なぜその人がそんなことをするのか知りたいという知的好奇心、まさかそんなことまでやってくるとはという「驚き」そのものに感じる面白さ。
「事件」という状況では突飛なキャラクターを活躍させやすい。奇矯な探偵、天才的な犯罪者、狂った殺人鬼、華麗なる怪盗など、ミステリには多くのキャラ類型がある。また極限状態における人間心理(恨み・怒り・恐れ…)も描きやすい。
絶海の孤島、不気味な村、からくり屋敷、見立て殺人、ダイイングメッセージなど、ミステリにはさまざまな定番の道具立てがあり、怪奇的であったり衒学的であったりと独自の雰囲気をまとっている。
ミステリには「事件発生→調査→解決」という分かりやすい構成があり、これは作品をつくるうえで強力なフレームワークになる。「本質的なジャンルは青春ものやバトルものだが、形式的にミステリの構成を借りている」という作品も多い。
いずれを重視するかで作品の雰囲気はがらりと変わる。島田荘司や綾辻行人のようないわゆる本格ミステリは「謎解き」に奉仕するし、森博嗣や京極夏彦あたりは衒学的な「雰囲気」でゴリ押してくる。西尾維新の戯言シリーズはお約束程度に殺人事件が起きるだけの奇妙奇天烈な「キャラ」のバトルものに移行していったし、米澤穂信の日常ミステリなどは「構成」としてはミステリでも青春小説としての側面が大きい。
「まずは『十角館の殺人』とか『殺戮に至る病』読め」とか言ってくるような人はおそらく「謎解き」の信奉者なので、「論理が端正でトリックに驚きがある」というだけでその作品を高く評価する。極論すれば作品を「物語」ではなく「問題」として評価しているのであるが、あくまでそれはミステリの派閥のひとつにすぎないので、必要以上にその視点に囚われないことが大切である。現代社会に生きてフィクションに触れているなら、どこかでミステリ的な要素は摂取しているはずだし、その要素を面白く感じているはずなので、「ミステリの面白さを理解できない」などと心配する必要はない。
原発の処理水の数値がどのくらいで、これは自然からの放射線レベルより低く、という話はわかる
ただし、その数値が改ざんなどなく信頼できるならば、だ
科学的に問題はない、という話をするとき、当然全てのデータが真実であるとする仮定、というか、前提が入る
我々はそういう発表は全部真実だと無邪気に信じているから、反対派を非科学的とあざけるのだろう
でも本当にそうか?
科学者が自らの知的好奇心探求のために発表するデータでさえ、ちょこちょこ恣意的な解釈が混じる
それなのに政治的な検査数値をどこまで信じられる?となると、韓国や中国の人は信じられないのだろう
結局、我々が科学的科学的と言って賢いつもりになっているけど、それだけでは身を守れない国で生まれ育った者は他者に都合のいい説明を妄信しないという癖がついていて、それはそれでひとつの賢さだよな、と思う
・高身長(165↑だと良い) ・頭がいい(学歴とかじゃなく、思考力とか知的好奇心とか) ・音楽の趣味が合う ・見た目には気を遣っててほしい
全体的にちょっと理想が高い。特に身長の部分。女性の身長165cm↑って男性で例えると178cm↑になる。これに該当するのは全体の1割程度しかいない。
あと音楽の趣味は年月の経過と共に変化する(もしくは興味自体が消える)のでこれも条件から外してもいいかな。まあ音楽の趣味が合うって会話の取っ掛りとしては便利だけどね。
頭がいいこと〜はまあ理解できる。語彙が豊かで知的好奇心の高い人って魅力的だよね(これは単純に私の趣味の話です)
ちなみに見た目に気を遣うとはどの程度の話だろうか。同世代の平均値程度の身だしなみならウンウンと頷けるけどもしそれ以上を求めるのなら少し緩めた方がいいかも。上位1割の高身長で音楽の趣味が合って頭も良くて平均よりオシャレ〜ってなると該当する人は1%も居なさそう。
あと増田も書いている通りデートや交際について重く考え過ぎ。大学で同性比率の高い学部に通っていた自分からするとデートってのは相手を知る方法の1つだった。何せ日常で同世代の異性と関わることが少なかったからね。
違うよ
男の大半は彼女いないのよ
男の大半に彼女いないって、女の大半に彼氏いないって言ってるのと同じじゃない?基本的に男女はほぼ同数だし(女性の方がLGBT多いってこともないだろうし)。男女で難易度が違うっていうのは同意できる。
全体的にちょっと理想が高い。特に身長の部分。女性の身長165cm↑って男性で例えると178cm↑になる。これに該当するのは全体の1割程度しかいない。
あと音楽の趣味は年月の経過と共に変化する(もしくは興味自体が消える)のでこれも条件から外してもいいかな。まあ音楽の趣味が合うって会話の取っ掛りとしては便利だけどね。
頭がいいこと〜はまあ理解できる。語彙が豊かで知的好奇心の高い人って魅力的だよね(これは単純に私の趣味の話です)
ちなみに見た目に気を遣うとはどの程度の話だろうか。同世代の平均値程度の身だしなみならウンウンと頷けるけどもしそれ以上を求めるのなら少し緩めた方がいいかも。上位1割の高身長で音楽の趣味が合って頭も良くて平均よりオシャレ〜ってなると該当する人は1%も居なさそう。
あと増田も書いている通りデートや交際について重く考え過ぎ。大学で同性比率の高い学部に通っていた自分からするとデートってのは相手を知る方法の1つだった。何せ日常で同世代の異性と関わることが少なかったからね。
やっぱり理想高いんだね。女性でこの身長ってそんなに少なかったんだ...身長だけで大分候補絞っちゃってたみたいだし、そこから考え直すべきだと思いました。見た目に関しては、明らかにダサくなければ大丈夫(女性が言う清潔感がある人みたいな)。やっぱりデートって気軽にするものなんだね。堅めの中高一貫校に通ってたから恋愛する人も少数派だったし、デートを気軽にする文化がなかったのが原因かもしれないなと思いました。友達の紹介とか頼んだことなかったかも。お願いしてみます!
恋人ってデキモノみたいに「できる」ものじゃなくて絵とか料理みたいに「つくる」ものだって聞いたな
最後まで読んだけど「恋人を作りたいと思っているのかどうか」はわからなかった
おそらく「できたらいいな〜」くらいは思ってても「作りたい」とまでは思ってないんじゃないんでしょうか
うちから湧き起こる創作意欲だとか作らないと食い物がないだとかなにかしら動機ががないと人は作らんのじゃないですかね
学生時代に彼女ができるのって「そこらにブロックが散らかってたのでなんとなく家っぽい形にしてみました」という幼児的創作活動に近いのかもしれないなと思いました
耳がいたいです。本当にその通りかも。彼女がほしいと思うと同時に、一から知り合ってどうのこうのはめんどくさいなと思ってました。このままだと一生彼女ほしいな...で終わりですよね。
追記終わり。
最後に付き合った彼女と別れてから2,3年、ずっと彼女ができていない。友人諸兄曰く、スペックは良いらしいのでなぜかずっと悩んでいた。理由について色々自分で考えたり友達と話してみて、最近なんとなくわかってきた気がする。まず、背景情報として前の彼女との話を軽く書いてから、考えうる理由を列挙する形で書いてこうと思う。君たちにも自分が考える彼女ができない理由とかあったら参考にしたいのでぜひ教えてほしいです。(初めて使うので読み辛かったりすると思うけど許して)
(今の所)最初で最後の彼女だった。元カノ(以下A)とは高校の同級生で、高校三年生から大学二年生までのほぼ2年間付き合っていた。喧嘩もほぼしたことなかったし、毎週会っていたし、趣味も結構合っていたのでそこそこ上手くやっていた方じゃないかと思う。別れたのはAの浮気が原因なのだが、状況が結構特殊で身バレが嫌なので詳しくは割愛する。単純化して書くと、遠距離恋愛になった後、Aに好きな人ができて、自分が捨てられたといった感じになるだろうか。付き合いはうまくいっていた(少なくとも自分はそう思っていた)ので、ショックが大きすぎて一年ほど立ち直れなかった。しかし、立ち直ってから2年ほど経つが、いまだに新しい彼女はできていない。
どうやらデートという行為は「自分の好きな人を誘って、一緒に出かけて遊ぶもの」ではないらしい。厳密に言うと、それ「だけ」ではないようだ。世の人々は、「この人かわいいな、良い人そうだな」と思ったら、とりあえずデートに誘って色々話してみて、付き合いたいかどうかを確認するらしい。そして交際に発展させたいと思えば、さらにアプローチをかけて...という流れみたいだ。全部伝聞系で申し訳ないが、モテる友達に聞いたので間違いないと思う。とりあえず少しでも気になったらデートに誘い、好きになったらイイね!心が動かなくても友達が増えたと思えばイイね!と言っていた。『好きな人ができる→デートに誘う』ではなく、『デートをする→好きになる』が正しいらしい。確かに、中高生のように学校で毎日顔を合わせる同年代の異性が数多くいる状況では、時間をかけていろいろな異性のことを知れるので好きな人ができやすいが、大人はそうはいかない。所属するコミュニティの人数が圧倒的に減ってしまう。異性の同年代かつパートナーがいない人の数となると相当限られてくる。その中から好きな人ができる確率はあまり高いとは言えないと思う。だからこそ、パートナーを作るためには好きな人ができるのを待っていないで、少しでも気になった人がいればデートに誘うべき。俺はピュアすぎたのかも。
『人と付き合うには誠実に付き合わないといけない。だからこそ本当に気が合う人と交際し、結婚まで行くくらいに真摯に付き合うべきだ』と思っていた。しかし友人たちの話を聞いていると、一年付き合ったらもう長いと言われるらしい。なんなら三、四ヶ月くらいで別れても普通らしい。理由1と同じように、付き合ってみても良いなと思ったら、とりあえず付き合ってみることが大事みたいだ。付き合う前の段階で見えてくることは外行き用の顔だから、付き合って彼氏彼女という関係になってみないとわからないこともある。付き合う前に選り好みしても意味ないから、試行回数を増やして合う人を見つけた方がいいかもしれない。Aとの交際がなまじ長かっただけにそれが普通だと思っちゃってたかも。
Aに振られた理由の一つに、「B(浮気相手)の未来を見てみたいと思った。」というものがあった。裏返せば、「お前からは面白そうな未来が感じない」ということだろう。確かに、当時の俺はどこにでもいるただの大学生で、社会で輝かしい活躍をしているBに比べればくすんで見えただろう。考えてみれば、今まで告白される時は、部活動やらを必死こいて目標に向かって努力していた時だった。Aに告白された時も受験勉強を頑張っていた時だった。ここから、頑張っている人はモテるし、頑張っていない人には人と付き合う資格はない、と思い込んでいた。自分が立派な人間になるまで俺を好きになってくれる人なんか現れないんだからそれまで我慢だ、とか考えていた。でも普通に考えたら、周りのカスみたいな生活してる限界大学生みたいなやつにも彼女はいるし、高校卒業してからプー太郎の同級生の女子にも彼氏はいる。『立派なやつはモテる、けど立派じゃなくたって他の所で良い所があれば評価してくれる人はいる』、こんな当たり前のことに気づくのに大分時間がかかった。上ばかり見て自分がいる場所を見ていなかった。限界大学生は話が面白いし、同級生の女の子は笑顔が素敵な子だ。振られ方が少し強烈だったので、変な思い込みをしてしまっていたのだと思う。
友達に指摘されたことだが、理想が少し高いかもしれない。これに関しては俺はそう思わないけど、これって高いのかな?
・高身長(165↑だと良い) ・頭がいい(学歴とかじゃなく、思考力とか知的好奇心とか) ・音楽の趣味が合う ・見た目には気を遣っててほしい
ただ、固執する気はなくて、妥協する気は全然あるのだが、理由1に書いたように好きな人ができてからデートに誘おうと思っていた。でも、そもそも理想に適合する人じゃないと好きにならないんだったら、妥協しようがないよね。
自分自身つまらないやつじゃないとは思うけど、陰キャだとも思う。仲間内であればむしろよく話す方なのだけど、初対面だと借りてきた猫みたいになる。特に複数人。一対一であれば意外と得意だけど、複数人で知らない人と話すの本当に苦手。交友関係が増える時って、大抵もうコミュニティができているところに自分も紹介されるなりなんなりで入っていく時だと思うんだけど、あまりにも苦手。結果、あまり馴染めずそこのコミュニティには二度といかないor誘われない、となりがち。関係が薄いひとにアプローチしていかなければならない大人の恋愛の世界ではおおきなディスアドバンテージになっていると思う。これはもう頑張って克服するしかないかも。
俺に彼女ができない理由は、失恋からきたよくわからん思い込みからきてる気がする。『好きな人ができるのを待ってないで、とりあえず話してみる、デートに誘ってみる、誰にだって彼女はできる。という精神が大事。』が結論です。
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。