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2023-06-02

渡波茂木市の中心にある横浜市立北中町

渡波茂木市の中心にある商業施設である横浜市立北中町にできた、イオンの大型店舗店舗である南大沢南大沢プラザタカシマヤと異なり、大型店舗型ではあるものの、東急東横線学芸大学まで15分・渋谷まで20分程度でアクセスできる場所という点や、規模に比べて比較的低料金であることなどの特徴を持っているのである特に、近隣にマンションの立ち並ぶ住宅地にありながら、比較的低家賃で借りられるというのが特徴的だった。地元の方にもしばしば足が運ばれる隠れ家

Anond AI作成

ポリアンナみたいな後輩

新入社員が入ってきた。

そのうちの一人が、とてもポジティブ面白いである

まず基本口角が上がっており楽しそう。

挨拶を全力で行う。うちの会社は、すれ違った人とは軽く挨拶しあう文化ではあるのだが、ちらっとすれ違っただけでも満面の笑みで全力でお疲れ様です!と言ってくれる。

リアクションがすごく大きい。大したことない説明でも喜んでくれるので教えてて楽しい


何よりも彼は、小さなことにも喜びを見出している。

仕事タイマーを使う機会がある。彼はそのタイマーの音がよい、と言うのである。3秒前から鳴るタイプなのだが(ピ、ピ、ピ、ピー)、「始まるぞって感じがしてよい」とのこと(終わりのアラームなのだが)。

正直毎日使っててそんなことかけらも思ったことがなかった。彼は本物だな、と思った。



他にも彼は散歩が好きらしく、ただ彼の家の周りは住宅地で何もないのに何を楽しみに散歩しているのかと聞いたところ、「家が綺麗だなー」と思って、とのこと。まあ一般散歩好きはスポットが無くても道があれば散歩をするのだろうが。


私が覚えているエピソードはこんなもんだが、常に楽しそうな彼は見ていてこちらも楽しくなるのでとても好感を持っている。あと単純に新人の振る舞いとしてなんと素晴らしいのか。見習いたい。




さて、「ポリアンナ物語」という世界名作劇場や、「少女パレアナ」という小説をご存知だろうか。

赤毛のアンのような頃の作品(恐らく)で、ポリアンナパレアナ)という少女が、色々と困難な状況に置かれるも、「よかった探し」といったハイパーポジティブシンキングで乗り越えていく、といった作品である

例えば、馬車でお迎えに来てくれたのが叔母でなくメイドだった時は、「それでは私は養母に会う楽しみがまだ残っている」と言い、叔母与えられた部屋が鏡のない屋根裏部屋だったときは、「じゃあ私のソバカス顔を見なくて済むわ」とか、そういった「よかった探し」をするのである

個人的には、ポリアンナの後ろ向きなよかった探しは、あまり健康的ではないよな、と思う。現状よりも悲惨な状況を想像して安心するのは、健全ではないと思う。貧乏からって自分よりもっとつらい生活を送っている人を想像して安心するのは、一時の慰めにはなるため必要なことではあろうが、ブラックな働き方を肯定してしまうような思考回路だろう。

実際、「ポリアンナ症候群」という言葉があるらしい。直面した問題に含まれる微細な良い面だけを見て負の側面から目を逸らすことにより、現実逃避的な自己満足に陥る心的症状を指す(Wikipediaより)。


私はその新人の彼に仕事を教えながら、彼はまるでポリアンナみたいだな、と思った。

彼ならば、屋根裏部屋で暮らすことになっても、「鏡がなくても天井のシミがきれい」とか言って楽しむだろう。

ただ同僚にこの話をしたところ、誰もポリアンナを知らなかった。

まあね、昔の作品だしね。私も家にたまたま小説があったから知ってたけど、そうじゃなきゃ知らなかったと思うしね。おじさまならポリアンナをしっているかしら。



と、いうわけで、ポリアンナ君が面白い新人だなーという話がしたかったのです。

今年の新人は皆優秀で話せるので、さすがだなぁと思っています。抜かされちゃう…お勉強頑張ろ…

2023-05-18

NTRとその効用

 NTR的視座を持って生きることは人生を豊かにする。

 それは、つねにおもいがけない可能性に対して開かれた態度であり、慣習的な物事の結びつきを超えてあらゆる未来否定せず、支配と被支配の天地すらもあいまいに塗りかえる。そうした状態政治性を求めるのならば、こういいかえてもいい。NTRとは革命である、と。

 NTRの宿る瞳は風景革命する。たとえば、あなたは都会とも田舎ともいいづらい、郊外住宅地に住んでいて、そこにしゃれたパン屋さんが建っているとする。味はそこそこで、町のなかでさえ注目度は低い。あなたはその店へ日常的に通い、品揃えと定休日完璧に把握し、なんとなれば五回に一回は店主が声をかけて二言三言挨拶をかわす。ちゅうくらいな好ましさがある。

 ある休日幸福な遅起きをしたあなたはその店に向かう。しかし閉まっている。開店時間は過ぎているし、定休日でもないのに。店の扉に張り紙がしてある。「Aデパート地下街新春スイーツフェア出店のため、誠に勝手ながら、〇日~×日はお休みさせていただきます」。

 世界がすうっと冷えて遠のいていく。

 そのデパート毎日百万人が乗り降りするような規模の駅の前にそびえている。

 そこに行くと、よく見知ったパンが知らない装いで売られており、おそらくあなたが手をふったとしても、他人のふりで無視されてしまう。三百円の買い物ごとにスタンプを捺してもらっているあなたカードも、存在しないものとされるだろう。

 もうあのひとかみごとに皮が崩れ散るクロワッサンも、あの固くなった餅のような生地ベーコンピタも、もうその手には届かない。あの店は二度ともどってこないではないか。そんな感覚あなたは襲われる。

 開期が終わると、パン屋はもどってくる。以前の顔のまま、あなたのとなりに、なにひとつ変わっていないかのように。

 だが、変わってしまったのだ。なにかが決定的に以前とは違うのだ。

 営業再開初日朝一番あなたはその店を訪れる。柔和な顔立ちの店長が、変わらぬ笑顔で「焼きたてですよ」といいながら、あんパンを棚にならべる。あなた礼儀正しく待ったあと、ひとつをトングでつかみ、瓶入りの牛乳といっしょにレジに出す。

 店の外のベンチで、あなたあんパンにかじりつく。

 あなたが知っているかはわからないが、あんパンパンのなかでもっと官能的なパンだ。NTRを体現している。それはおはぎと逆の極にある存在だ。おはぎで餅米を包んでいたオラオラ系のあんこが、西洋象徴であるパン出会ったとたん、しずしずと包まれるに甘んじている。 あなたあんこパン咀嚼しながら、自分が今、寝取っていると同時に寝取られているような、ふしぎな感覚を味わう。それこそがNTRの奥義だ。シナイ山モーセはふたつの神の名を与えられた。ひとつはYHMH。もうひとつはNTR。発音できないことはそれ自体神聖さの証だった。

 能動受動ーー寝取りも寝取られもNTRというひとつ言葉に封じられている。わたしたちはそうした矛盾を孕んだ言葉を何の違和感ももたずに使っている。どちらでもあり、どちらもない状態こそが自然なのだ。そうした状態自然にすることで、わたしたちは今ある景色転覆できる。


 NTRという言葉の両義性に想いを馳せるときわたし菅井の顔を思い出す。

 九十年代の善き日々に、わたしフリーランスでいわゆるNTRビデオレターディレクターをやっていて、彼はそのプロデューサーのようなポジション助監督的な雑用からポストプロダクションまでを一手に引き受けていた。

 あの時代を知らない子どもたちには、NTRビデオレターヤラセだと思っているものも多いと聞く。たしかにそうした側面があったのは否定できない。特に大手制作会社がAVのついでに量産しているようなものは、最初から商業的な流通を折り込んで、俳優を雇って制作されていた。

 だが、わたしのいた現場みな本物で真剣だった。寝取るほうには寝取るもの矜持があり、寝取られるほうには寝取られもの葛藤があり、そしてかれらを撮るわれわれはそうした昏い機微、愛の真理といってもいい、そのさざなみのような感情を、一コマも撮り逃すまいという気概があった。誰もが真剣に傷つけあっていた。

 独立系の低予算のチームである。撮ってくれと頼むのも、大手発注できないような貧乏若者ばかりだ。ビデオレターを撮って、送りつけたい。その情熱が何よりの対価だった。

 菅井もそんな情熱しか財産を持たない若者のひとりだった。彼と出会ったのは大学のあるサークル飲み会のことだ。三次会だったか四次会だったかを先輩の家に転がり込んでおっぱじめ、みなひとしくへべれけになったノリで、先輩が「おもしろものがある」とVHSテープを取り出した。

 それは当時話題になっていたNTRビデオレターで、メーセッジを収録している最中寝取られ女性(四十代の主婦という触れ込みだった)が感極まって泣き出し、泣くのはよくあることだったが、その上にすさまじい量のゲロをぶちまけて寝取り役も撮影スタッフも大騒ぎ、という内容だった。要はネタビデオである。皆視聴済みの有名作で、先輩もそのことをわかっていたはずだけれど、みな初めて観る体で盛り上がった。

 そして、例のゲロの場面が来ると、みんなで爆笑した。わたしも笑った。下に見る笑いだった。そうした笑いを仲間内で共有することが結束である、と信じていた。

 だが、菅井はそうでなかった。

 それまで部屋の片隅でちびちびキリンなどをやっていたのがいきなり、「笑うな!」と叫んだときは、おどけた反語表現なのかなと思っていたが、先輩にくってかかるに及んで本気だとわかった。

 押し倒された先輩の顔に浮かんでいたのは暴力を振るわれた怒りではなく、驚きと困惑だった。わたしたちも止めるでもなく、ただひたすら唖然としていた。先輩もわたしたちも、NTRビデオレターに対して真剣になる人間がこの世に存在するなどとは思わなかったのだ。 菅井酔っ払いすぎだとして家に帰され、後日、酒の席のことと暴行は不問にされた。菅井サークルで、なんとなくアンタッチャブル存在になった。

 サークルの他の人間たちとは逆に、わたし菅井に興味を抱いた。

 当時のわたしはNTRビデオレターの大半をヤラセだと考えていた。そうした作り物にたいして、あそこまで入れ込める人間がいるというのは不思議というより驚異だった。

 菅井はふだんから近づきがたいオーラを発している類いの一匹狼だったが、こちからしかけると意外に愛想良く応じてくれた。

 彼のNTRビデオレターについて該博な知識を持っていた。その歴史からジャンルゲームチェンジャーとなった名作の存在業界構造まで、事細かにしかも大変おもしろく教えてくれた。良い教師だった。

 あるとき、彼の部屋でふたりだけで宅飲みをしていたときわたしは彼に訊ねた。「どうしてNTRビデオレターにそんなに興味を抱いているのか?」

 菅井は、酒気に染まった赤ら顔しばらくゆらゆらさせたのち、立ち上がり、押し入れからひとつのVHSテープを取り出した。

 部屋の明かりを消し、無言のままビデオデッキにそのテープを挿入する。あまり上等とはいえない画質に、ベッドに座った二人の裸の男女が浮かび上がる。男のほうは下腹が出ていて、若いようにも中年のようにも見える。女のほうは透き通った印象の美人だった。

 男のほうがピースをしながら口上を述べる。さしてオリジナリティのない、平坦なセリフだった。菅井はその口上にかぶせるように、ぼつぼつと、VHSテープの来歴を語りはじめた。

 ビデオに映っている女のほうは菅井の伯母であるという。知的でやさしくて、幼心に憧れの存在だった。伯母夫婦には子どもこそいなかったものの、傍目から見れば、仲睦まじく、理想夫婦といった趣に見えた。夫婦菅井をかわいがってくれ、週末にはよく遊びに連れて行ってもらったそうだ。

 その伯母が急な病で若くして亡くなった。菅井高校生のころだ。意気消沈する伯父を励ますために、菅井は伯父の家をたびたび訪問して話し相手になったやった。

 しかし、伯父は一方的に話す菅井に黙って相づちを打つだけだった。菅井が三人で出かけた思い出を語らおうと、アルバム場所を聞くと、伯父は「焼いた」といった。そこで菅井は初めて、家の中から在りし日の伯母の写真という写真消失しているのに気づいた。

 菅井はそのことを問い詰めようとしたが、伯父の返答は要領を得ず、ついには泣き出してしまった。

 菅井は長らく伯母について伯父の前で触れずにいた。だが、大学進学が決まって伯父の家に挨拶へ行った日、めずらしく伯父が上機嫌で出迎えてくれた。自分から菅井にいろいろ話しかけてきた。流れで伯母の話題にもおよび、ひさしぶりに伯母の思い出について深く二人で語り合った。良い時間だった、と菅井はいう。

 微笑みながらも目頭を熱くしていた伯父は、ふと思いついたように席を立って、どこかからかVHSテープを持ち出してきた。なにそれは、と菅井が訊ねると、伯母の映っている唯一のビデオだという。

 そして、菅井と伯父はそれを観た。ふたりとも、ひとことも喋らなかった。

 伯父の訃報を聞いたのは、菅井大学下宿引っ越した直後だった。自殺だった。

 わたしたちの観ているビデオレターは山場にさしかかっていた。VHSと自らの由来を語り終えた、菅井の横顔はブラウン管の青い光にぼうっと照らされ、かそけく浮かび上がっている。画面を凝視している。そこにあるのが歓びなのか、哀しみなのか、あるいはまた別のなにかなのか、推し量ることはできない。

 その横顔に、初めて世界を知らない角度から見た気がした。

2023-05-07

anond:20230507091722

苦手な音のタイプにもよるけど

隣人の足音や声が気になる場合

・鉄筋コンクリート

分譲マンションオーナー賃貸に出してる部屋

楽器OKマンション最初から防音設備有りのところ)

大家さんが子供NGにしてるマンション

街の音が気になる場合

建物と同じ通りに店舗がない(=住人以外の往来なし)

交通量の多い道路に面していない(google map交通量をチェック)

・社宅や団地に面していない

都心の高級住宅地の中にある1K

とかかな。


大学病院の真横は意外と静かだった。

救急車は近くまで来ると近隣への配慮から音消すし、病院にわいわい来る人っていないので。

2023-05-06

anond:20230504110406

愚痴らせてほしい。昨年の春、向かい新築戸建てに家族引っ越してきた。

そこは元々100坪ほどの土地だったのだが、3分割にして分譲されている。

 

販売が終わり戸建てが建築され始めても、新住民は一向に挨拶に来ることはなかった。

ニュータウンマンションならいざ知らず、古くからある住宅街に家建てて挨拶に来ないことなどあるのだろうか。

戸建てが完成するまで建築業者の車が頻繁に出入りして危ないし、それなりに騒音もある。

 

さすがに不安になって、新住民引っ越してきた直後に、お隣さんが挨拶に行った。

居住マナー町内会ルールを丁寧に説明したそうだ。

けれど、結局新住民はうちに挨拶に来ることはなかった。

 

しばらくして、新住民の女がうちをずっと見ていることに気がついた。

正直気持ちが悪かったけど、色んな人がいるだろうしということで我慢していた。いつかはなくなることを信じて。

 

でもある時、敵意の原因が分かった。

うちは和風の古い住宅で、急階段トイレが1階にしかない。

自分の部屋は2階だったので、恥ずかしながらたまに2階から用を足していた。

我が家敷地範囲内だったし、まさか見られていると思っていなかった。

 

女はすごい剣幕でうちの親にクレームを言いに来た。

自分が悪いので、謝るしかない。

それでも気が済まなかったのか、精神異常者扱いで近所の人に言いふらされた。

 

 

週末になると、目の前の道路で新住民の子供が遊ぶ。

ガレージ程度の広さの庭なので道路で遊ぶしかないのだろうが、車が1台通れる程度の道路なのに、奇声を発したり塀にボールをぶつけたりとやりたい放題。

目の前に分譲住宅ができたことで、静かな生活が一変してしまった。

どうしようもない状態だ。どうすればいいんだろう。ノイローゼに近くて、仕事の方もうまくいかなくなってきた。

 

 

かに非常識な行動はあるんだけど、あとひとつだけ言わせてもらう。

8月だった。日曜日。新住民の庭に大勢大人が集まってバーベキューをしていた。

庭が広いとか、田舎なら分かるけど、普通住宅地だよ?

煙が流れてくるし酔っぱらってうるさいしで頭に血が上り、ついに「おい、お前ら!!」と言ってしまった。

そうしたら、新住民の男が言い返してきた。

 

「なんですか、あなた?」

「あの家に住んでますバーベキューくさいんでやめてくれますか?」

別にいいんじゃないですか。匂い届かないでしょ」

「あの家の二階に住んでます。やめてください」

「いや、どう見ても離れてるでしょ。くさくないでしょ」

「ほな警察よぼか!!」

 

もう辛いので、これくらいにさせてほしい。

態度が悪くバーベキューもやめようとしないので、仕方なく警察を呼んだ。

状況を察して、お巡りさんが新住民に注意してくれたようだ。

 

どうやら、最近は近所の人に自分や親の仕事などを聞きまわっているらしい。

住民は住む場所を選べるが、旧住民は新住民を選ぶことができない。

まれ育った町なのに、こちらが引っ越しをするしかないのだろうか…。

2023-05-05

引っ越してきた道路族の隣人に耐えられない

すまん、ちょっと愚痴らせてくれ。

具体的な日付はあまり覚えていないが道路族が去年の春ぐらいに引っ越してきた。

自分は長年ずっと京都の北の方に住んでいる。そんな中、一昨年ぐらいか空き地新築住宅が建てられはじめていて音がうるさく嫌な予感がしていた。また、工事騒音が出るのは当然なのにもかかわらず、事前に挨拶にも来ないので本当に嫌な予感しかなかった。核家族世帯にありがちだが、地域に住むということがどういうことかわかっておらず、都市部のように当たり前のようにサービスを受ける側だと思っていることが多いのだ。近所の住民とも少し話したが、どんな人が引っ越してくるのか不安しょうがなかった。家の外観を見たところ、まあ若い世代引っ越してくるのだろうと思った。とにかく不安だった。

そのうち家族が新しく引っ越してきた。見るからヤンキーっぽい出で立ちであり、異質な感じを受けた。周りの住民たちは、どんな人間なのかを確認するために先手を打って若い家族に媚びを売っているようだった。自分はああいうのは好きになれない。まあ放っておけばそのうち挨拶に来るだろうと思っていた。

しかし、しばらく待っても挨拶に来ない。それどころか、毎日のように狭い庭ではしゃいでいる子どもと親を見かけるようになった。自分は昔から窓をあけてボーッと景色を見て考え事をするのが好きだったのでそれをぶち壊された気分だった。最初は新居で浮かれているのだろうと思っていたが、ずっと騒いでいるので、きっと周りの迷惑を考えられない人間なのだろうと憂鬱になった。

それにボーッと景色を見ているだけなのに、その余所者ジーッとこちらを軽蔑したような顔で見てきて、ヤバい奴らだなと思った。特に女の方は典型的ヒステリーを持ったようなやつで、自分の一番嫌いなタイプだ。自分母親がそういうタイプだったのでよくわかる。「私こそが正義なり。私の思い通りにならない人間は悪である」と断罪するようなやつだ。観察していたところ専業主婦のようだ。

子どもと外で遊ぶのは良いことだが、それにしてもうるさい。平日の夕方や土日の終日で、ボールの突き跳ねや「イエーーーーイ!!!」だの「ギャハハハハハハ!!!」だの、およそ住宅地とは思えない騒ぎ方で騒いでいるのでいい加減こちらもノイローゼになってくる。心の休まるときがない。自分学校に勤めているので、ちょうど自分休み時間帯と騒いでいる時間帯がよく被るのだ。家に帰ると絶えずうるさいというのは本当に困る。周りの住民もそれとなく「お子さん、元気でよろしいですね」などと遠回しに注意しているようだが、全然理解できていない様子だ。周りも迷惑しているのだが許容範囲らしい。あれを許容できるというのはよくわからないが、自分が神経質だとは特に思わない。

それで、これは良くないことだとは思うが、あるときもう我慢がならなくて2階から外に向けて小便をした。完全に不審者だ。しかしいろいろ調べたが、まあこちらのことをキチガイだと思ってくれれば怖くなってやむだろうと思ったわけだ。さすがに「うるさすぎたか嫌がらせしてきたのだろう」と考えるぐらいの脳はあるはずだと考えたわけだ。自分としては、もしそういうやつが横に住んでいたら相当嫌なので、まあこれで騒ぐこともなくなるだろうと思った。

しかし、なくなったのは最初だけで、しばらくするとまた「イエーーーーイ!!!」だの「ギャハハハハハハ!!!」だのが始まった。信じられなかった。気のせいかどうかわからないが、声量も大きくなった気がした。徹底的にうるさい。なんで自分は前から住んでいただけなのにこんな目に遭わなければいけないんだと苦痛だった。こう言ってはなんだが、隣人は精神障害者に違いない。相手気持ち推し量るということが不可能なのだろう。自分が姫であることは当然で、周りは姫である自分を輝かせてくれるための家畜にすぎないと、そう感じているのだと思った。その後も何度か同じようなやり取りが続いたが、一向に収まる気はなかった。

また、うるさいだけではない。夏になったら友人を呼んでバーベキューをし始めた。もう勘弁してほしい。バーベキュー住宅地でしないでほしい。常識的おかしい。臭いも騒ぎも酷く、精神がどうにかなりそうだった。我慢限界だったので、注意しにいくことにした。だいたい会話はこんな感じだ。覚えてる限りでは、

「あの、すみません……」

「は? 何お前?」

「あの家に住んでる者です。バーベキューなんですがすごく臭うのでやめてもらえませんか?」

別に臭わなくね? ねー、臭うかなー?? 別に届かないでしょ。何? クレーム?」

「いや、あの家の二階に住んでるから届くんですよ。やめてほしいです」

「いやいや! どう見ても離れてるっしょー! 臭くないでしょ」

「わかりました。警察呼びますね」

こういう流れで自分警察を呼んだ。警察を呼んでも何か変わるわけではないが……。民事不介入の原則というのがあるのだが、少なくともああいう輩は権力には弱いから効くだろう。

このトラブルに似たことが何度も何度もあった。あるときには、その隣人が親父に突撃していた。小便については親父にたしなめられたが、まあそれは自分でもイカれていると思うからわかっている。親父は「世の中にはああいう猿みたいなのもいるんだ」とある種の諦念を持っていて、自分がどうにか自助努力回避しようとすることによく思っていない様子だ。会社でも愚痴って鬱憤を晴らしているが、どうにもこうにもいかない。

こういうのってどうやったら解決できるのか、本当に助けてほしい。

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(なお、この話は https://anond.hatelabo.jp/20230504110406 に基づいた創作であり、内容はフィクションです)

anond:20230504110406

目糞鼻糞を笑うというのはこのことかという話だと思った。

最初の方は二階からしょんべんとかあからさまにおかしい人もいるんだなぁと思って読んでいたが、

真ん中くらいからお前もいい加減おかしいよって思ってきたので、まあ自覚がない人もいるんだなぁという感想

かつての住宅広告一戸建てを買ってバーベキューをしようみたいなのがあったらしいが、

普通住宅地でバーベキューされるのははっきり言って近所迷惑

元増田は他の分譲の住人からも恨みを買ってないか

anond:20230505003356

バーベキューするだけで」と「住宅地バーベキューするだけで」はえらい違いだぞ。

トイレで放尿する」と「2階から放尿する」くらい違う。

言葉足りないにも程がある

anond:20230504110406

家でBBQって海外並みのクソでか家とクソでか庭がなかったらやっちゃ駄目じゃね

もしくはど田舎で家同士が100m以上離れてるとか。

日常を楽しむために自然の多いところに行ってやるものだったのに

焼く所だけ真似して住宅地でやって何が楽しいのか理解できない

賢くレジャー代を節約してるつもりなら貧乏臭すぎる

2023-05-04

anond:20230504171833

モデルハウス見学会に参加して、分譲予定の土地を見て」

佛教大学立命館大学の間くらいの地域」という記述に着目。

金閣寺の近くで分譲住宅地ということはたぶん郊外

・「空気がおいしそうなところ」ということはたぶん高台

衣笠赤阪町は以上の条件を満たす。

セントフローレンスタウン衣笠赤阪町は2020年11月新規分譲開始だから

「おととしの秋」の段階で「新家建築中」という条件にも合う。

2023-04-28

anond:20230428162214

自分の近所の1000円カットは3/4くらいは女性だな。郊外住宅地からかも。そういや都市部でその手の店に入ったときは2人とも男性店員だったな

心なしか若い相手だと長めに時間とって丁寧に切ってくれる気がする

2023-04-27

住宅地を走り回らないなら選挙カーでいいよ

迷惑選挙カーを走り回らせた共産が減ってたんで満足です

2023-04-26

家の前の道路で遊ぶ子供

どう思う?

友人は分譲住宅地の一つを購入したけど、近所の子供が家の前の道路で遊ぶ声に耐えられなくなって、ノイローゼ(もしかしたら鬱?)気味になってしまって1年と経たずに結局売ってしまったらしい。

私としては「分譲住宅なんてそういうもんじゃないの…?」という印象を持っていたんだけど、違うのかな?正直、「それくらいでノイローゼになるのか、神経質だな」と思ってしまったけど。

友人も近所の人とトラブルになるのは避けたいというのもあって、子供の家の人に直接言うことはできなかったらしい。回覧板を回してもらったりしたけど効果はなく、市の窓口にも相談してみたらしいんだけど、市の職員からも伝えることはできないということを言われたらしい。

分譲住宅地でも公道にあたるような道路らしいんだけど、通報なんかも難しいのかね?

ご近所付き合いなんてさ、実際に過ごしてみないとわからなくない?なんか家買うのちょっと怖くなったよ。

2023-04-18

anond:20230418204831

現在東京駅まで5時間~6時間バスで4時間名古屋まで電車で4時間バスで1時間30分。

リニア品川40分、名古屋20分。

かにリニア中央新幹線があいたら、全然話は変わるのは確か。ただいつ出来るんだ?

城下町なので、旧市街はわりとコンパクト、その周辺に住めば徒歩圏内でいろいろできる。ただし、町そのものが山裾に張り付くように出来ており、坂しか無い。

リニアの駅は、殆ど郊外に作られる中間駅に対して、市街地に近い住宅地に無理矢理作られるので、その近くに住むというのも悪くはないかもしれない。

古い町並みは無いが、山はある。アウトドア系のアクティティが多い。

全国的名前の知れた企業工場は数社しかないが、中小企業が多く立地していて仕事はある。

2023-04-14

anond:20230414110723

こういうの見ると辛い。文体が違うから元増田じゃ無いと思うけどな

つか元増田もいつものなりきり増田だと思ってるけどな

会員制のホテルは割と会社福利厚生他で泊まれ

東京きて日本にもエスタブリッシュメント存在しているんだなを実感したいなら

松濤とか行くといいと思うよ

エリートリーマンFIREがどうたらって言ってる横で、40億の家が売られてたりするし

松濤1(神泉駅) 40億円の一戸建て情報

■面積約235.75坪の広大な土地

京王新線神泉」駅徒歩5分

■閑静な住宅街に佇む令和3年新築未入居物件

間取り 5LDK+3S(納戸)

 

沿線以上利用可、土地100坪以上、スーパー 徒歩10分以内、市街地が近い、システムキッチン、浴室乾燥機、陽当り良好、閑静な住宅地、前道6m以上、整形地、トイレ2ヶ所、2階建、東南向き、温水洗浄便座、都市近郊、アイランドキッチン、IHクッキングヒーター、都市ガス、小学校 徒歩10分以内、平坦地

 

そもそもこういう桁違いなの抜きにしても、永住前提の邸宅グレードのマンションは最低4億からだし、

エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理っすね

 

あと、高給住宅地方民に認識がない住宅エリア武家エリア文京区高台渋谷区目黒区中央区のあたりには、

開業医でも厳しめの家建ってるぞ

 ↓

エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理

いや本当に、年収千万でまったく無理だよね。その手の高級住宅地も高級ホテルも。

庶民が思いうかぶ金持ち」のイメージがまさに「エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや弁護士」だけど、そんなの所詮は「高級な労働者」で、

本当の上流階級ってのは労働から離れたところにいるんだろうね。

 

うちの地元だって地元スーパーオーナー創業者の孫)とか、全国的には無名だけど豪邸に住んでるもん。

人を使う立場、買ったのではない大きな財産土地金融)を持ってる立場こそが本当の富裕なんだろうな。

 ↓

いやだから会員制のホテル会社福利厚生ほかで泊まれるぞ。一般人でも割と泊まる

起業してれば桁違いの金持ちじゃなくても税金対策で買うこともあるよ

 

ただ、40億の家はフツーに無理でしょうね。鳥山先生ならイケる?レベルの家がフツーに売られてる日本恐ろしい

 

ケタひとつ外して永住できる(資産価値暴落しない)邸宅グレードの家(4億以上)も

エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや町弁じゃ厳しいでしょうね

属性フル活用して投資成功してればイケるか?くらいか

増田の言う通りただの労働者からな、彼らエリート

2023-04-12

貧乏人のスパイスカレー、あるいは初期投資おさえて楽に初挑戦スパイスカレー

スパイスカレー気になるけど、最初スパイス一式揃えるのがハードル高いよね。

超絶貧乏から、無理ムリ無理ムリかたつむり!って思ってた増田が、無職の暇に任せて開発・・・もとい超適当アレンジしたよ!

基本のスパイスカレーレシピ見て、単価下げて時短するアレンジした。基本レシピ比較すると余計なもの入ってるけど、少量だし味の邪魔もしない(むしろプラス効果?)。

これで気分を味わって各種スパイス揃える最初の一歩ということで、原理主義の人は許して。

材料(2人分)
作り方

レシピ作成者より

2023-04-05

anond:20230405122430

億以上の分譲マンションや家が並ぶ地域の話なんかしてないだろw 八王子ニュータウンがそんな場所に思えたか?w サラリーマンが住むような場所しか挙げて無いじゃん。 新宿渋谷広尾赤坂ならいざ知らず....

なお、田舎のことは知らん。農村部とか住んだことないし。(現在九州の某県庁所在地住宅地に住んでる)

小学生女児の頃、ストーカーをされていたけど誰にも言えなかった話

※※このお話知的障碍者の方への差別助長してしまうかもしれない内容になっています

それは増田意図ではなく、望むところではありません。※※

  

  

ですが、そういう内容であるがゆえに、今まで誰にも言えずにいました。

  

  

相当前の話なのでほぼそのままではありますが、一応フェイクを要所で入れています

まり読ませようと書いている文章ではないので、ポエムだと思って読み流してください。

  

  

当時うちがあったのは関東の片田舎住宅地であったその周辺には昔、少し有名な知的障碍者の人がいた。

  

出歩くのが好きな方なようで、小学生だった私も登下校の時にほぼ毎日レベルでよく見かけていた。

電柱の影や、建物の隙間などに隠れて(?)いることが多く、たまに「いー!!」と声を出しながら走って移動していた。

「いー!」と言っている様子から、みんなからは「いっくん」と呼ばれ親しまれていた。

  

そう、親しまれていたのである

ほぼ毎日レベルで見かけていたこともあり、私たちにとっては日常風景であった。

からかう子すらもはやいなかった。たとえ事情を知らない子がたまにいて、ついからかってしまっても、周りの友人が注意し謝罪するような雰囲気があった。

  

ただ、いっくんの兄にはよく思われてはいないようだった。

  

ある日、私たちが通っていた小学校いっくんの兄と名乗る人が来た。

「全校集会を緊急で開くから体育館に集まるように。」

先生に言われるがまま、集められた私たち

  

いっくんの兄と名乗るその人は、重々しい空気体育館児童が集まるやいなや泣き顔で

「弟をいじめてるやつは出てこい!!!!」

と、差し出されたマイクを受け取ることもせず怒鳴りだした。

  

いわく、いっくん私たち学校児童からからかい暴力を受けているというのである

それも一度や二度ではなく、自分は非常に頭にきていること、加害者を同じ目に遭わせてやりたいと、大の大人が泣きながら怒鳴る姿は数十年経った今も忘れられない。

  

いっくんのお兄さんが他の職員に制止されながら帰っていったあと、体育館は異常に静まり返っていた。

突然のことであったし、小学生にとっては迫力がすごく、かなり怖かった。

  

かにいっくんいくらしまれていたといっても、一部には石を投げるなどのいたずらをした人もいたようだ。

その兄曰く、なので今となってはどうだったかは分からないが。

  

ともあれ、そのようなこともあり、より一層いっくんにはみんな優しくした。

知的障碍者の方を差別してはいけない。

いじめたりからかったりなど、もってのほか

私たち健常者と同じ。悪者なんかじゃない。

彼はただ、平和毎日をすごしている大勢のうちの一人なのだ

  

  

  

その集会が行なわれる少し前、いつものようにいっくんを道で見かけた。

いつも通り、電柱の影に隠れて周りやこちらをじっ……と見ている。

私はその時たまたま一人だったが、こちらもいつも通り横を歩きすれ違った。

  

「さちーーー!!!

  

さち、私の名前だ。

突然いっくん名前を呼ばれた。呼ばれた?

繰り返し、繰り返し。

「さち、さち、さちちちぃ・・・・さちーーーーー!!!

  

聞き間違い?早口に「いーー!」と言っているのがたまたまそう聞こえるだけ?

混乱し、足が止まった。

反射的にいっくんの方をつい見てしまった。

バチっと目が合えば、いっくんはそれまで居た電柱の影から勢いよく飛び出し、突然走ってどこかへいった。

  

自分より大きい生き物が突然予想していない動きをするというのは、いざ目の当たりにするとかなりビビる

こっちに来たらどうしよう、逃げたい、そう思っても体が固まって動かなかった。

  

  

気のせいかな、最初はそう思っていた。

だって、なんで私の名前、知ってるの?

かに登下校の時、いっくんの前で友人たちと呼びあっていたけれど。

  

  

あの集会で、お兄さんが言っていた。

「○○(いっくん)は普通の、君たちとなんら変わらない俺の大切な弟だ。」と。

そうだよ、気持ち悪いとか思ったらダメなんだよ。ダメダメ

そもそも、もしかしたら私の聞き間違いかもしれないし。

  

  

でも、気づけば下校時間や登校時間待ち伏せされている。

―――――たまたまだよ。たまたまタイミングがあっただけ。

  

一人の時、追いかけられたこともある。

―――――ちがうよ、こっちに移動しようと走ってただけだよ。

  

気のせい。

  

気のせいだよ。

  

ほんとに?

  

  

何年も、ずっと続いてるのに?

  

  

ある日、母親と歩いているとそこにいっくんがいた。

横を通ったその時、また「さちさちさちさちさちーーー!!!」と叫ばれた。

母は笑いながら「名前呼ばれてるみたいに聞こえるわねぇ」と言った。

私は「早口で何言ってるか分からないけど、びっくりするよね~」と笑いながら返した。

  

  

  

  

正直、今真剣にこのことに向き合うと「気持ち悪かったな」と思う。怖かった。

本当に言い方が悪いのは分かった上で書くと、言葉が通じるかわからない相手に、名前を叫ばれ、待ち伏せされ、追いかけられるのはひたすら気持ち悪かった。

でも差別はいけないことだから。あの人は知的障碍者で仕方がないから、これは気持ち悪がってはいけないし、何も悪いことはされていないんだ。

当時は本気でそう思い込んでいた。気持ち悪いと思うことすらできなかった。怖いとか避けたいとか、感じさせてもらえなかった。

  

  

本音をいえば今現在も、知的障碍者の方とはなるべくフラットに接しようとはしているものの、心の底の抵抗感がすさまじい。

できるだけ関わらずに生きていけるなら、その方がいいとまで思ってしまっている自分もいる。

  

  

差別はよくない。差別は、よくないことだ。

  

  

大人になり、「そういう被害」もあると知った今、それでも誰にも打ち明けられないけれど

  

せめて自分の中でだけでもあの頃の自分を救ってあげたいと思い、匿名の海に流すに至った次第。

  

これを読んだ諸氏は賢いから、きっとこれは質の悪いフィクションだと笑い飛ばしてページを閉じてくれるだろう。

追記

視点だけで怖かった、嫌悪感がひどかったということばかり書いていたからなんとなくひとりよがり感が強いかもしれないけれど、

相手がしているのは犯罪行為なんだってところがこの話のミソなわけで……

2023-03-24

anond:20230324172322

エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理

いや本当に、年収千万でまったく無理だよね。その手の高級住宅地も高級ホテルも。

庶民が思いうかぶ金持ち」のイメージがまさに「エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや弁護士」だけど、そんなの所詮は「高級な労働者」で、

本当の上流階級ってのは労働から離れたところにいるんだろうね。

 

うちの地元だって地元スーパーオーナー創業者の孫)とか、全国的には無名だけど豪邸に住んでるもん。

人を使う立場、買ったのではない大きな財産土地金融)を持ってる立場こそが本当の富裕なんだろうな。

anond:20230324171753

会員制のホテルは割と会社福利厚生他で泊まれ

東京きて日本にもエスタブリッシュメント存在しているんだなを実感したいなら

松濤とか行くといいと思うよ

エリートリーマンFIREがどうたらって言ってる横で、40億の家が売られてたりするし

松濤1(神泉駅) 40億円の一戸建て情報

■面積約235.75坪の広大な土地

京王新線神泉」駅徒歩5分

■閑静な住宅街に佇む令和3年新築未入居物件

間取り 5LDK+3S(納戸)

 

沿線以上利用可、土地100坪以上、スーパー 徒歩10分以内、市街地が近い、システムキッチン、浴室乾燥機、陽当り良好、閑静な住宅地、前道6m以上、整形地、トイレ2ヶ所、2階建、東南向き、温水洗浄便座、都市近郊、アイランドキッチン、IHクッキングヒーター、都市ガス、小学校 徒歩10分以内、平坦地

 

そもそもこういう桁違いなの抜きにしても、永住前提の邸宅グレードのマンションは最低4億からだし、

エリートリーマン高級官僚勤務医やインハウスローヤーや町弁程度の収入じゃ無理っすね

 

あと、高給住宅地方民に認識がない住宅エリア武家エリア文京区高台渋谷区目黒区中央区のあたりには、

開業医でも厳しめの家建ってるぞ

2023-03-22

anond:20230322083736

逆に東京者が地方行くと高級住宅地じゃないようなとこでも一軒一軒がでかくてびびる

土地余りすぎだろ

そこに気づいた情強新幹線通勤とかやってるのかなって思う

2023-03-11

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

2023-03-05

昔ながらの住宅地に住んでいるのだが

近所の爺さんが亡くなり、家を売り出すことにしたみたいだ

家の横に自動車一台通れるぐらいの道しかない

周りは家が建っている

どう見ても建て直すどころか家解体出来るの疑問に思う立地なんだが

家買うって売却出来るかまで考えて買わないと詰むことになるんだな

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