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はてなキーワード: 呼称とは

2018-02-12

重要はてな利用者名称変更に関するお知らせ

                 2018年2月12日

           はてな利用者名称選定協議会

関係者各位

 従来より、株式会社はてな(以下、はてな)の提供する各種サービスを利用する方々の呼称を「はてなー」としてきましたが、この呼称1990年代半ばに安室奈美恵氏のファンを「アムラー」と呼んだことからファン層を「〇〇ラー」と呼ぶ習慣が転じたものです。

 「アムラー」の流行から20年以上が経過し、はてな利用者高齢化が進み、収益性への寄与が弱まっていることから、このたび、利用者層の若返りを目的とし、はてな利用者のあたらしい呼称を制定することとしました。

呼称変更の概要

呼称はてなー

呼称:はてにゃん(hatenien, 男性利用者)、はてにぇんぬ(hatenienne, 女性利用者


●新呼称説明

 フランス語特定地域に住む人々の呼称を参考とし*、はてなという場所に住む人の名称としたものです。フランス語には男性名詞と女性名詞があり、はてな利用者の新呼称男性女性に分かれています

*例:パリ市Paris)の住民パリジャン(parisien, 男性)、パリジェンヌparisienne, 女性


発音留意事項

 フランス語単語は多くの場合語頭の「h」は無音で、次の母音から発音しますが、hatena場合日本語はてな」のローマ字表記が由来であるため、有音のhとして発音することを推奨しています

 はてなのサービス上で所謂フランスパンバケット正式名称バゲット)と誤って呼ぶ傾向が一部に見られます。このたびの新呼称につきましては、正しい呼び方を徹底するため、利用者の皆様のツイッターまたはブックマーク上での周知徹底をお願いいたします。

はてな利用者名称選定協議会について】

はてな利用人口の年齢構成バランスの取れたものとするため、高齢者に偏りがちな利用方法の再検討を行い、フランス語の正しい使用とともに提言を行う任意団体です。

 

<<お問い合わせ先>>

はてな利用者名称選定協議会

広報増田


anond:20180212064319

2018-02-09

『父から息子へ贈るスマートフォン貸与契約書』が何故気持ち悪いのか

https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/iphone-contract?utm_term=.kewKprB5#.tc0rxq4G

『父から息子へ贈る「スマートフォン貸与契約書」が本気すぎると話題』という記事を読んだが大変気持ち悪い内容だった。

なぜ気持ち悪いと思ったのか分析していこう。

契約の内容がまったく平等ではない

契約書の内容が酷すぎる。記事では「甲」と「乙」という関係なのでフラット立場だとかなんとか意味の分からないことが書いてあるが、フラットかどうかは内容によって判断すべきであって、呼称は甲と乙だろうがオレサマとボクチャンだろうが構わないに決まっている。

その内容だが、要約すると「朝6時から夜9時まで以外使用禁止」「使うときリビングで。ポケットに入れて持ち運んではいけない」「パスワードは親が設定したものを使う」「新しいアプリを入れるときは必ず親に許可を取る」「破損、修理の費用は息子持ち」「SNSLINEのみ許可する。Twitterもインスタも禁止」「親は必要に応じて端末のすべての情報確認することができる(プライバシー尊重する、とは書いてある)」「調べ物をしたいときは何を調べたいか親に相談すること」「親は一方的契約を破棄できる」

うーん、さすがに厳しすぎじゃないだろうか?今のうちはいいかもしれないが、中学生にもなって友人とのLINEのやり取りやエロサイト閲覧履歴を親に見られる可能性があるというのは、正直言ってかなりキツい。中学生なら夜3時くらいまで起きていることも珍しくないのに、夜9時までしか使えないというのもだいぶハードではないだろうか。それに、Twitterもインスタも出来ない上に調べ物をするときは一々親に相談するって、それは果たしてスマートフォンを買う意味があるのだろうか?ポケベルでよくないか同級生ミクシィやろうぜ!って言われた時、息子に「ごめんね、パパにLINE以外は禁止されてるんだ」なんて信じられないほどダサいセリフを吐かせるつもりなのだろうか?自然故障本体交換8万って言われたら全額息子に払わせるのだろうか?

フラットとか平等とかなんとか言っているが、実のところかなり親に有利に、息子に不利に出来ている契約だ。恣意的運用をすれば息子にほとんどスマホを使わせないということも可能なほどだ。大人同士対等な契約しましょう、といったようなことを言っている一方で、息子に経済力がなく、スマホを使いたいなら親に頼るしかないということにつけ込んで、年頃の子供には極めて不利な「契約」を結ぶように迫っているのだ。フラットと言っておきながらその実、大砲を突きつけながら不平等条約に調印するように迫るのとやっていることは同じなのだ

いや、確かに、世の中にはスマホ厳禁という家庭もたくさんあって、買ってあげるだけマシというのはその通りだ。親にはスマホを買わないという強大な権力が認められている。でも、そういうことを言うのであれば、契約書だのフラットだのとイキらないで、自分が圧倒的強者であることを自覚した上で、ルール決めて守りなさいね守らなかったら没収よ、貸してあげてるだけ感謝しなさいね、と普通の家庭で言われていることと同じことを言えばいいのだ。なぜイキってしまったんだ。親がイキリオタクだというのは思春期の子供にとって最も辛いことだ。

世の中の大抵の契約平等には作られていないという事実を教えるための教育なのだとしたら狙い通りだろうが、そういうつもりでもなさそうだ。

そもそも小学生大人ではない

息子が大人だという前提の元に、ただスマートフォンを貸すのではなく、大人ならば対等の条件で契約を結ぶほうが良いだろうという発想でこの契約書を作ったのだと思うが、そもそも小学生大人ではない。

どのタイミング人間大人とみなすかについては議論が別れるところだろう。義務教育が終わり自分意思で賃労働が出来るようになる中学卒業時。選挙権が与えられる18歳になったとき高校卒業時。飲酒喫煙合法になる20歳になったとき就職したとき。様々あるわけだが、12歳でまだ小学校すら卒業していない段階の人間大人と見做す人はあまりいないだろう。少なくとも俺は聞いたことが無い。思春期経験していない人間に対して何を根拠に言ってるのだろうか。「受験勉強を頑張って、知識が猛烈に増えた息子よ。きみはもう大人だ。」と書いてあるが、受験勉強を頑張れば大人になれるのだろうか?受験勉強たか契約を結びましょうというのは論理10段階くらい飛躍していてよくわからない。法律でも未成年者がした契約基本的に取り消せることになっている。大人ならば対等な立場契約すべきだというのはその通りかもしれないが、そもそも小学生大人ではないのだ。

大人扱いと子供扱いを都合よく使い分けている。

思春期だと一番腹立つやつなんだよな。グレるぞ。大人なんだから対等な立場契約を結ぼうと言っている反面で、夜9時以降は禁止とか、親の気まぐれでスマホガサ入れできるとか、親のみ一方的契約を破棄できるとか、めちゃくちゃ子供扱いしてる。これはよくない。この人の家庭のことはよく知らないのでこんな心配をしても無駄かもしれないが、中学2年生くらいになって、周りは徹夜ツイッターしながらシャドバやっているのに自分の家だけ意味の分からない契約書のせいで9時までしかスマホ使えないしリビング以外で使っちゃダメだし新しいアプリ入れるのも親に相談しないといけないしTwitter禁止、なんていう状態になったら、あまり理不尽感に耐えかねて半端ない反抗期が訪れるだろう。そうして息子さんは理不尽条項を破りまくってルール形骸化、見兼ねた父親スマホ割って息子はさらにグレるというファミコン時代から続く黄金パターンだ。美しい。口約束で十分なのにわざわざ契約書とかなんとか言って都合のいいときだけ半端に大人扱いすると、そのことに子供が気づいたときの反発はヤバいぞ。半端に大人扱いというのは一番だめだ。

・いいところもある

はいえ良いところもたくさんある。例えば第6条。本契約が守られなかったときは、親は息子に一定期間の利用禁止を命じることができる、という条項だ。ルール守らなかったら使用禁止というのはよくある約束だが、「一定期間」となっているのがポイントだ。ルールを破ってしまった時のペナルティに期限が定められているというのは、子供にとってはとても安心感のあることだ。もしこの条項がなくて、親の気まぐれで、お前もう二度とスマホ禁止な、という措置になってしまったら、自分携帯を買える歳になるまで二度と友人とLINEできないのだからとても辛いことだ。思春期人間が同世代とのコミュニケーションツールを何年も絶たれるというのは想像以上の苦しみなのだ(現代学校は、LINEやってないだけでともだちの輪から弾き出される苛烈サバイバルなのだファミコン時代から変わらない)。だから禁止期間に終りがあるというのはとても息子目線の良い条項だと思う。

はいえ親が一方的契約を破棄できるという条項があるし、利用禁止期間は2京年ですとか言ってしまえば即無意味になる条項ではあるが、この親はそういう酷い運用はしないだろうという信頼関係があるのであれば良いだろう。契約とか言っておきながら結局信頼関係に頼るのもナンセンスだとは思うが。

第2条の(6)なども、ネットリテラシーについて正確で十分な教育をしている良い条項だ。とてもよく考えられていると思う。

どこぞの社長だか役員だかという人に上から目線申し訳ないがこれが率直な感想だ。今のうちはスマホ買ってくれてパパありがとう大人扱いしてくれてうれしい、みたいな反応をしているかもしれないが、その気になればスマホ解約すらできるという強大な権力を持っていながらそれを自覚せず、自分子供と対等なのだと思っているのだとしたら2年後くらいにはどうなっているかからない。とはい契約書を作った人の家庭環境を一切存じ上げないので、まったく的はずれなことを言っているのかもしれない。もしそうなら申し訳ない。これからも頑張って欲しいと思う。

2018-02-08

anond:20180208140228

単に呼称問題

割とつるみがちなそれなりに仲の良い人などと、信用できる心の友だと思う人を、違う名称で呼ぶと、なんとなく色々角が立つから

いっしょくたに「友人」としておけばよくて、心の中でフォルダを分けておけばよいだけのことである

2018-02-07

ゆきすと

今日はてな巡回していたら、アイマス関連の記事で、アイドルが「プロデューサー」に呼びかけるから、「ファン」として見るのはダメなのかなと悲しくなった、というような話題を目にした。

それを読んで、ここのところ毎朝感じているあることを言葉にしたくなった。

ゆっきーが、ファン呼称が「ゆきすと」に決まってから、「ゆきすとの皆さん、おはようございます!」とツイートするようになった。

これを見ていつも、ゆっきーゆきすとではない人には言っていないのだなと寂しく感じている。

例えば、「先生おはようございます」と言ったら、それは先生に言っているのであって、周りの友達には言っていない。それと同じ。

ゆきすとという呼称FRESH!生放送で決まったらしい。それを見ていないのでわからないが、イメージとしてはそのリスナーや、一部のコアなファンを「ゆきすと」と呼ぶ印象がある。

これも喩えるなら、ラーメン二郎に1、2回だけ行った人をジロリアンとは呼ばないのと同じ。

ゆっきーの中での定義はわからないが、少なくとも自分はその放送も聴いていないし、成人式イベントにも行けなかったし、次のライブも行けないし、ゆきすとを自称できるレベルファンだとは思っていない。

から、今まで自分にもかけられていた「おはようございますっ!」が、突然一部の人にだけ言われるものになってしまって、とても寂しい。

しかしたら自分は「ゆきすと」の端っこくらいにはいるのかもしれないが、単にフォローしているだけのフォロワーもきっといて、そういう人は完全に「おはようございますっ!」の対象から除外された。

ESDを辞めたことで、より大きな世界に羽ばたいていくのかと思ったら、今のところより小さな世界に目を向けているように感じる。

まあ、でも。

そんなことを書きながら、1月25日の、呼称ゆきすとに決まった報告ブログを読んでいると、なんだかとても楽しそうだし、思わずにっこりしてしまう程度にはゆっきーのことが好きだし、ゆっきー可愛いし、元気だし、可愛いし、好き。いっぱい好き。

FRESH!生放送も気にはなっているが、月額1,080円は安月給の身にはとても高い。

ゆっきーは高い。

次のライブの特典会、握手会が物販2,000円、チェキ会が物販4,000円とのこと。ESDの無料ライブや、1枚540円の『開運!招福!炎天歌』のことはもう忘れよう。一度安売りすると、なんでも高く見えてしまうのはマクドナルドと同じ。

数日前にはてなーファンクラブ話題で盛り上がっていたが、「お金を持っていない小中学生ファンは置き去りか?」みたいな意見には、個人的には「そうです」と思っている。

慈善事業ではないのだから、何にしろお金がかかるのは当然だし、お金がない人は、自分の出せる範囲で楽しむのはすべてにおいて同じ。

自分ゆきすとを名乗ることなど到底できないが、自分にできる範囲で、これからもひっそりとゆっきー応援していきたい。

anond:20180206205151

他社のプロデューサーですが他社の視察に来ました

この程度で良いんだよ

ディスらない事と楽しむ気持ちがあれば大体の他事務所のPは笑って迎えてくれるし

総選挙で声がつくかなんてぶっちゃけ運だ

(勿論それが長く続きすぎて擦り切れそうってのもあると思うが)

あと声が付いてなくてもテキストは沢山あるのは間違いないか

それを読み込んで行って担当への理解を深めるなら十分間違っていない活動

あとキャラが「プロデューサー」と呼ぶのは

提督だのマスターだのの呼称一緒でゲームにおいてこちらを感情移入させるための手段

ゲームプレイする人の立場」がドラクエ勇者(違う場合も色々あるが」だったら世界を救うために冒険するのと同じで「アイドルをと共に頑張るあなた」に「プロデューサー」という立場を与えて感情移入させやすくしているだけだ

軽率ゲームやって事務所行ってプロデューサーと呼ばれて良いんだよ

そんだけのもの

2018-02-06

オタクとか陰キャって要するに「コンテンツ主義者」なんだよな

◆はじめに

これは私の個人的考察である

世の中には大きく分けて二種類の人間がいる。

オタク・陰キャ・非リアなどと呼ばれる人々と、それ以外だ。

後者は前者と対比して、ウェイだの陽キャだのリア充だのと呼ばれてきた。

さらに、最近ネットではもっと乱暴に「社会不適合者/健常者」という呼称区別されることもある。

今やオタクとは「ある分野に異常に詳しい人」とか「趣味に異常に没頭している人」といった意味を超え、

「ある種のコミュニケーション・行動を示す者」全般を指すようになったのではないか、と私は考える。

そして恐らく、陰キャや非リアと呼ばれる人々もまた、この特有パターンを共有している集団の別名に過ぎないのではないか

彼ら特有言動根底にあるもの、それは「コンテンツ主義である

◆「コンテンツ主義者」と「雰囲気主義

オタクコミュニケーションや行動は、「コンテンツ」に重きを置いたものであることが多い。

言い換えれば「コンテンツに関わる何らかの目的存在し、その手段としてコミュニケーションや行動がある」という状態である

要するに、オタクは「自分の興味のあるコンテンツ」について話したり、アクションしたりする修正を持っていて、

逆に「中身のない話・興味のないこと」に時間エネルギーを使いたがらないのである

<例>

友達は少ないが、共通趣味もつ人とはやたらと話が弾む。

人間関係よりもモノに興味がある。もしくは「特定個人のもの」に異常なまでに興味を持つ。

恋愛は「恋愛という行為のものに対する憧れ」、あるいは「特定個人への執着」のどちらかになりがち。相手との関係二の次

旅行に行く時は、目的地/移動手段/旅先の名物など、「モノ重視」で旅程を組む。

職場の懇親会や、大して親しくもない人との飲み会を毛嫌いする。

・誰もが知っている曲しか歌われないカラオケには何の価値も感じない。自分の好きな曲、面白い曲/パフォーマンスこそがカラオケに求めるもの

・身だしなみは、人から何も言われない限りはかなり適当に済ます。あるいは逆に超個性的ファッションに走る。

コンテンツ主義」とも言うべきオタク思考の対極にあるのは「雰囲気主義」ではないだろうか。

これは「中身そのものより、盛り上がってる空気が好き」「会話の内容よりも、会話のやり取りそのもの楽しい」という考え方、というか感性である

<例>

共通趣味がない相手とも友達になりやすい。

・知り合い同士の人間関係に興味がある。何かと「誰かと誰かの関係」について噂話をしている。

恋愛とは関係である。「友達として仲良くなって、いつの間にか恋愛関係になってました」パターンが基本。

旅行面白さは「誰と行くか」「何を話すか」「どんな体験をしたか」で決まる。言い換えると「コト重視」。

・大して中身のない話、当たり障りのない話を続けても苦にならない。

カラオケは「みんなで盛り上がること」が重要なのであって、好きな曲でも盛り上がらなければ意味がない。

・身だしなみは自然TPOに合わせられる。

◆なぜオタクは肩身が狭いのか

社会の中では「雰囲気主義者」が多数派なので、少数派であるコンテンツ主義者」は肩身の狭い思いをすることになる。

少数派の立場に甘んじる彼らは、半ば蔑みの意味を込めて「オタク」「陰キャ」「非リア」と呼ばれる。

厄介なことに、「雰囲気主義者」も「コンテンツ主義者」も「互いの感性が世の中のスタンダード」と思い込みがちなので、

両者のコミュニケーションはしばしば噛み合わず、深い溝が生まれることとなる。

目に見えない「空気」を巧みに読み、協調性に優れる「雰囲気主義者」は、往々にして「オタク協調性がない」とのたまう。

オタク自身もまた、「雰囲気主義者」のそういう一般論鵜呑みにして、「自分たち協調性のない人間だ」と評価することも多い。

しかしこの一般論不正である

かに、「コンテンツ主義者」は、コンテンツを共有しない=前提知識文脈、興味関心を共有しない相手とは協調することが難しい。

その反面、共通コンテンツの下に集まった時、「コンテンツ主義者」は「雰囲気主義者」を超えるほどの連帯を発揮する。

ネット上、特にTwitterで何らかのコンテンツが急激に拡散される時、「コンテンツ主義者」の恐るべき協調垣間見える。

それはある時には爆発的なヒットの原動力となるし、ある時には過剰なまでの炎上騒動を引き起こす。

◆おわりに

私は「コンテンツ主義者」側の人間である

こんな長文を気まぐれに投稿するような人間は大抵「コンテンツ主義者」の仲間だろう。

コンテンツ主義者」と「雰囲気主義者」の立場が逆転することは、当面期待できそうにない。数の上で不利だからだ。

それでも、お互いの陣営思考の癖、感性がどんなものであるかを想像できれば、無用な争いも避けられるのではないだろうか。

2018-02-05

[]パイパン

パイパンは、女性男性の陰部に陰毛が全く、あるいはほとんど生えていないこと、またはそのような女性男性のものを指す。

陰毛男性は陰茎の増大(男性器の成長のTannerの分類で第3段階)から約1年後、

女性乳房の成長がTannerの分類で第3または第4段階(初経の1年前から3年後の間)に達した頃から発生する。

この時期を迎えるまでは陰毛が生えていないが、パイパン範疇に含めることは少ない。

語源は「白桃」という説と麻雀牌の「白(白板)」という説とがあり、共に中国語読みである

白桃説はその色や形状から麻雀説は白は他の牌とは異なり、表面に全く模様が彫られていないことから

陰毛の生えていない状態をそう言い表すようになったと言われている。

もともとパイパンという語は、アダルトビデオ性風俗関係で使われることが多かった。

このため近年は、美容関係者ハイジニーナ呼称する場合もある。

なお、ハイジニーナ語源は、「清潔、衛生」などの意味があるhygieneである

これは陰毛の除去が、陰部を清潔に保つという効用があることから命名された。

なお一部海外アダルトサイトでは、立位での無毛の女性器を前から見たイメージから

キャメルトウ(camel toe、駱駝のつま先)と表現する場合もある。

パイパン - Wikipedia

陰毛男性???

松坂牛を、

「まつさかうし」って呼ぶやつ何なの?

最近三重県商品呼称統一しただけでしょ

エベレストのことを、いきなりチョモランマって言い出した奴と一緒だよ?

吉野家が、

創業者は"うしどんぶり"と呼んでました、これからは"うしどんぶり"でお願いします」

って言ったら大人しく従うの?

「久々のうしどんぶり美味しかったですー」

とかツイッター投稿するの?

2018-02-04

日本人はパレスチナ人被害者像を設置しよう

他人に騙されないためには、言っていることではなく、実際にやっていることを見ないといけない。

 

第2次世界大戦悲劇

ユダヤ人ナチスホロコースト迫害された。

ユダヤ人自分たちが酷い目に遭ったのだから、力を持たない弱者立場理解して、弱者に対して優しくすべきではないのだろうか?

中東戦争悲劇

パレスチナインティファーダは「イスラエルによるパレスチナ軍事占領に対する2度の民衆蜂起(あるいは抵抗運動)」に対する呼称として一般的使用される。

イスラエル強硬派からは「国際社会を反イスラエルに向けようとするテロ作戦の一環」とみなされ、「蜂起を名目とした不均衡な戦争」として主張されることもある。

イスラエルの一部ではインティファーダとそれへの弾圧などにより「強硬な対パレスチナ占領政策」の誤りに気付き、良心的兵役拒否や和平支持などの運動が広がる契機となった。

イスラエルパレスチナ武力占領して、パレスチナ人を追い出した。

抵抗したパレスチナ人は、イスラエルに対してインティファーダという民衆蜂起を起こした。

素手で投石するパレスチナ人少年を、イスラエル軍兵士が銃で射殺していた。

 

ユダヤ人の中には、ユダヤ人祖国を作りたいシオニストと、そうではない非シオニストもいる。

シオニストの中にも、武力建国する強硬派と、メシアの到来によって建国を待つ穏健派もいる。

彼らも1枚岩ではなく、多数の意見がある。

 

ユダヤ教エッセネ派出身イエス・キリストは「無償の愛」(アガペー)を説いた。

当時のユダヤ教パリサイ派形骸化しており、神の恩寵無償の愛)を忘れていると、イエス・キリストに指摘された。

怒ったパリサイ派は、イエス詐欺師として当時のローマ提督告発し、死刑にした。

 

セムの人々(一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教)は、神の恩寵を忘れて、今もお互いに殺し合いを展開していないだろうか?

 

日本平和伝道師

日本戦争加害者戦争被害者の両方を経験した。人間には失敗はつきものだが、同じ失敗を何度も繰り返すのは学習機能がなくて、アホだ。同じ過ちを繰り返さないように、自他ともに襟を正したい。

従って、日本人世界各地にパレスチナ人被害者像を設置して、戦争悲惨さを後世に語り継がないといけない。

みんなでクラウドファンディング資金を集めて、世界中パレスチナ人被害者像を建てよう!

2018-02-01

マンションという呼称

共同住宅集合住宅)をこう呼ぶのは、どうも好きになれない。

本来の「豪邸」という意味で使われるのであればいいのだろうけど。

アパートメントハウスコンドミニアムが適切ではないのか。

古い時代アパートイメージが有って、

それを払拭するために作られた言葉和製英語としてのマンションという言葉だという事は

分かっているつもり。

他の増田で書かれていたが、外から煙草の煙が流れてくるような建物は決してマンションではないだろう。

それこそ、日本高度成長期存在たかもしれない、ただのぼろアパートだ。

アパートという言葉馬鹿にしているのではなく、馬鹿にするような使い方をして欲しくないんだ。

話はちょっと飛ぶが、プレハブという言葉も誤解されているように思う。

プレハブというと工事現場の仮設事務所(兼住居?)のような物をイメージされるかもしれないが、

本来はプレファブリケーションから来ている言葉で、事前に工場で作られた事を意味している。

現在の多くの戸建住宅ほとんどがプレハブだ。

昔は大工さん達が現場で部材を加工し家を建てた事に対しての言葉だ。

プレハブ住宅と言って馬鹿にしているような風潮が有るが大間違いだ。

こんな増田を書いてみたところで、世間が1mmも動かないのは分かっている。

2018-01-31

anond:20180131231936

繰り返しになるがアナタ呼称は要らない

勘違いのもと

やめてくれつってんのに辞めないお前はだからDV

anond:20180131231401

いいえ。元増田おいてゆきますね。この方は、「アナタ呼称が気に入らないようなので。

https://anond.hatelabo.jp/20180131225830

都合のいいときだけアナタ言うの辞めろつったのに アナタ説教するやつはDV認定するわ

この、論旨のめちゃくちゃさ。この方のお母様はどんな方かな。

anond:20180131230416

リアル相手に面と向かってそう言ってるならそういう解釈もアリだけど

ネット匿名掲示板で態度Lな奴を見るとそうした乱暴表現使いたくなる衝動に駆られる事がままある

あなたがそうした呼称で呼ばれる側なんだったらまずは自分言動を振り返ってみるといい

2018-01-29

外国人技能実習制度について

(割と適当に書きました、多分間違いもあります

慰安婦問題をはじめとする過去の人侵害が近年においても話題になっている。

慰安婦問題は70年以上前のことだが、現代日本でも同様に将来外交問題化しそうな問題として”外国人技能実習制度”がある。この問題を知ってから気にはなっていたがこの機会に調べることとにした。

元々は1981年改定された在留資格の1つだったが1990年団体管理型が運営する座学を行う外国人技能"研修"制度になった。そして、1993年労働を行う外国人技能"実習"制度が追加された。2016年統計では外国人技能実習制度23万人がこの制度農業建築、食料品製造などに従事している。

本来目的日本研修を受けた外国人出身国でその技術を発揮するための制度だったが、現在格安労働力を確保する手段として利用されているという批判もある。

アメリカ国務省2001年から毎年、技能実習制度強制労働の温床になっていると非難しており、人身取引報告書2016では、"強制労働の事案は、政府運営するTITPにおいて発生している" [1] と外国人技能実習制度(TITP)で強制労働が発生していると報告している。

賃金は平均して13万円が支給されている。外国人技能実習生家賃光熱費を払う必要がないが多くは実習生出身国斡旋業者説明された金額より低い額であり不満の主な原因になっている。

外国人技能実習制度に関して河野太郎議員(現外務大臣)は「ほとんどイカサマ」と発言した.

報道されている個別の事案の例としては、

縫製工場では1日15時間労働を強いられており時給は400円だった、

大葉農家では時給は300円で残業代は支払われず、雇用者添い寝させられるなどの事案があった

パスポート没収、外出の制限などがある。

もちろん実習生にも労働基準法適応されるが違反していた

これらは特殊な事例ではなく一般的もの法務省2014年調査では受け入れ企業に79%で法律違反確認されている

また、近年報道インターネットでこれらの違法行為が明らかになるずっと以前から行われていたと見られる

少なくとも2000年には武生コンフィクソン協同組合理事長違法行為相談に来た実習生に対して暴行している[2]

外国人技能実習生問題はいくつかあり、

まず一番に外国人実習生人権人生を著しく害している。

実習生出身国斡旋業者が高額の斡旋手数料徴収しており日本に来る時点で業者借金しており借金賃金から天引きするなど中間搾取構造になっている。

違法に安く雇用することは不正競争であり法令を遵守する企業利益侵害してする。

日本労働者雇用機会を損ねている。

長期的には、外国人が抱く日本イメージを悪くする。

などの問題があると思われる

長年の批判によって2017年に"外国人技能実習の適正な実施及び技能実習生保護に関する法律"が施行され技能実習生の受け入れ団体監視団体を届け出制から認可制に変更され不正を行う監視団体を排除できるようになりました。

認可された団体は292団体

ここまで外国人実習生の受け入れ団体違法行為を見てきたが、実習生実質的安価労働力として機能していて、実習生出稼ぎ労働目的としてきているのなら、そもそもこの制度をやめて、短期労働ビザを発行したほうがいいのではないかという意見もある。

外国人実習生外国人労働者呼称しないのはこの労働問題解決する妨げになるはずだ

[1] https://japan2.usembassy.gov/j/p/2016/tpj-20160801-01.html

[2] https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section2/2000/09/post-22.html

2018-01-21

ダーリン・イン・ザ・フランキス連想するアニメ一覧

健全ロボ ダイミダラー

キルラキル

天元突破グレンラガン

鋼殻のレギオス

うる星やつら

星刻の竜騎士

銃皇無尽のファフニール

To LOVEる -とらぶる-

新世紀エヴァンゲリオン

フリクリ

ゾイド

NANA

ヘヴィーオブジェクト

  • 巨大な球体の乗り物

勇者ライディーン

ストライクウィッチーズ

これはゾンビですか?

君の名は。

  • 「君の名前は?」と尋ねる

波打際のむろみさん

輪廻のラグランジェ

クロスアンジュ 天使と竜の輪舞

STAR DRIVER 輝きのタクト

HEROMAN

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

あの夏で待ってる

蒼穹のファフナー

クオリディア・コード

エリア88

サイボーグ009

超速変形ジャイロゼッター

トップをねらえ!

創聖のアクエリオン

マグネロボ ガ・キーン

バディ・コンプレックス

フリップフラッパーズ

アクティヴレイド -機動強襲室第八係-

ロックマン

あいまいみー

付与された番号をもじって呼称にするところ。31番⇒ミイ、17番⇒ナナ。

冥王計画ゼオライマー

MAZE☆爆熱時空

2018-01-20

anond:20180120143939

そうだね、そういう経緯だったんだろうね

でもそれ以前から創作実話は沢山あったんだよ

それなのにおそ松さんクラスタ創作実話けが槍玉に挙げられて「嘘松」という呼称が付けられたのはやっぱりおかしいよね

2018-01-19

anond:20180119173715

まあ、おそ松は関係ないにしても、話盛る腐女子やホラ話の呼称としてはピッタリなんだよなあ

もちろんDQN武勇伝とか、そんな輩はどこのコミュニティにもいるもんだけど

2018-01-16

売春婦の呼称

AV嬢」より「セクシー女優」という呼び方のほうが印象が良くなって、頭の悪い女を集めやすいからでは?

経済ヤクザは、頭の回転が半端なく速いから、金儲けには抜け目がないよね?

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

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