はてなキーワード: 何気なくとは
私はリマインドを好かない。
私は、誰にもリマインドをしたくないし、誰かにリマインドされるのも極力避けたい。
ひと足先に社会人になった友人たちが、軽い飲みの約束のときですら進んで前日のリマインドをしたがり、またリマインドされたがっているが、その気持ちを全く理解できない。
本当に大事だと思っている約束ならば、リマインドなどしなくとも、その約束通りに身体は動くはずだ。忘れてしまったならば、その程度の約束だったというだけの話だ。
それでも、リマインドをすれば確かに約束を忘れるリスクは減るし、有益なところもあるかもしれない。しかし、それ以上に私は、私の人生にSNSやカレンダーアプリの機械的な通知による横槍が入るのが心底嫌で仕方がない。例えば、音楽や本に夢中になっている休日の夕方に、旅行の最終日に感傷に浸っているときに、あるいはいつものように何気なく散歩でもしているときには、その時々の心の動きに身を任せることが最も幸せで贅沢なのではないかと思う。
リマインドはその幸福をことごとく破壊する。おまえ如きが、私の心の自由に横槍を入れていいはずがない。そして同様に、私自身も、誰かの心の自由に横槍を入れる権利など持つはずがない。
リマインドされれば、いついかなるときもその用事通りに身体を動かせてしまえるというのは、恐ろしいことではないのか。そのときおまえの心は、実のところ全く動いてはいないのではないか。
「忘れてしまえばその程度の約束」と書いたが、リマインドに慣れきってしまったとき、リマインドされたすべての約束はもはや、「その程度の約束未満」に成り下がっているのではないか。
わかったら今すぐリマインドをやめろ。
高校時代からの親友という存在。自分のことも、相手のこともすべて知っている…そう信じていました。久しぶりに会って、何気なく貯金の話になったとき、彼は笑いながら「貯金なんて全然ないよ。将来は野垂れ死にかもな」と言いました。その言葉に一瞬胸が痛むほど驚き、そして心配になりました。あんなに真面目で努力家だった彼が、まさか本当に「野垂れ死に」を覚悟しているなんて思いもよらなかったのです。
親友の言葉が頭に残り、家に帰ってから母にこのことを話しました。「彼、貯金がまったくないって言うんだよ。将来が心配だ」と話すと、母は少し笑いながら「そんなわけないでしょ。彼はしっかりしてる子なんだから」と言うんです。その言葉が妙に引っかかり、今まで抱えていなかった疑いが胸に広がっていきました。もしや、彼は嘘をついていたのかもしれない…。
彼の言葉を信じたい気持ちと、どうしても納得できない疑念との間で揺れながらも、ついに親友に内緒で少し調べてみることにしました。共通の知人に聞いてみたところ、親友は実はしっかり貯蓄していて、将来に備えて堅実にやっているという情報が入ってきました。貯金が全くないどころか、自分よりもずっと計画的に生きている彼の姿を知り、心にぽっかりと穴が空いたようでした。どうして、自分にだけそんな嘘をついたのでしょうか。
34歳年収700万の貧困弱者男性として、貯金は3000万しかない自分にとって、親友の「野垂れ死に」発言は人ごとではありませんでした。それなのに、自分が親友を少し見下していたことに気づき、胸が苦しくなります。親友だと信じていた相手が、嘘をついていたなんて、裏切りと感じるのは自分勝手でしょうか。確かに、僕も少し見栄を張って嘘をついたことがありましたが、それでも、彼が僕にだけ嘘をついていたのがどうしても許せないのです。信じていた友が遠ざかっていく虚しさが、今も心に重くのしかかっています。
彼は数年前に「自分の絵で食べていくんだ!」と意気込んで、サラリーマン生活を捨て、好きだったイラストに全てを賭けて独立した。
もともと真面目で、地道に絵を描き続けていたけど、子供もできて家計も大変だったはず。
そんな彼が人生をかけて打ち込んできたイラストの世界が、いままさに生成AIという波に呑まれつつある。
AIの台頭によって、彼の仕事が厳しい状況に追い込まれているのを、間近で見てきた。
最初は「AI(笑)」ぐらいの態度だったんだけど、いつの間にかその態度は影を潜め、最近はAIの話題に触れること自体が地雷になってしまった。
以前、何気なくAIイラストのことを話題に出したら、彼は怒りで顔を真っ赤にして、ほぼ半狂乱になって「あんなのは絵じゃない!」と叫んで、暴れ出したとがある。
先日、彼の家を久しぶりに訪ねた。
部屋の隅には空の缶(発泡酒)が山積みになり、生活の苦労がそのまま形になっている感じだった。
彼の奥さんも目が合うと気まずそうに微笑みを返してくれるけど、その表情には、少し疲れたものが滲んでいた。
お互いに黙りがちな空気が重苦しくて、どうも居心地が悪い。
彼は家族を養うために頑張ってきた。でも、好きなイラストの仕事が徐々に少なくなっていることに対する不安と、将来に対する焦りが入り混じっているんだろう。
彼にとって、生成AIはただの技術革新以上の脅威で、イラスト業界の敗者として取り残されていく感覚が耐え難いものなのだろう。
何かできることがあればと思うけど、こんな状況で何かを口にすることも難しく、ただ見守るしかない自分の無力さを痛感してしまう。
ちょっと前に遊んでいた人が遊戯王に詳しかったんだけど、その縁で俺も数年ぶりにやったのね
そんでその詳しい人って攻略wikiとか公式の裁定ってのを滅茶苦茶暗記しているらしく、とにかく「ここはこういう処理をして、この動きだとすぐ相手にアド取られるからやめたほうがいい」みたいにアドバイスしてくれるんだ
それはいいんだよ
ただ、一度だけ滅茶苦茶怒らせたことがあってさ
俺が「このチェーンってよくあるけどさ、なんでこんなヘンテコなルールなの?」って何気なく聞いたんだ
それで色々サイト漁って教えてくれるけど、こっちはそういうルールがどうしてあるんだろうって2回くらいいったんだよ
そしたらいきなり、いきなりだよ
デッキを近くのシンクに投げ捨てて「お前は二度とやるな」って騒ぎだしたんだ
別に遊戯王嫌いなわけじゃないし、むしろルールが色々あって覚えるの面白そうだなって考えていたからさ
あとになって別の人に聞いたら「YP(遊戯王プレイヤーのこと)は公式の裁定に理由があるなんて思ってない」
「ルールは一応あるけど基本的に全部後付けご都合主義だから考えるだけ無駄」
「次々にカードや裁定が出てくるから覚えるだけでも一苦労だし、真面目にルール勉強してる人なんていない」
「怒らせたのはその人が単なる暗記魔で意味を深く考えていなかったからだろうね」
「(よい言い方をすれば)理由もわからず公式の仕様を受け入れる信者」
的なことを言われた
なんとなく符合した
公式を受け入れられないなら辞めちまえ的なことも言ってた気がするよ、なんだかんだいって公式が言ったことに従ってるだけなのかも
そんでそれに疑問を持っちゃいけないのかも
遊戯王は大変だね
ハロウィンが近づくと、どうしてもあの夜のことを思い出してしまうんだ。静かな秋の夜に、ふと胸の奥にあの日の空気が蘇る。
すべての始まりは、今の嫁との出会いだった。大学のハロウィンパーティーで、何気なくその場にいた俺は、浮かれた気持ちで仮装している周りの学生たちに少し距離を置いていたんだ。ただ、友達に誘われて参加しただけで、特に期待もしていなかった。
しかし、その時——あの瞬間、俺の目に彼女が映り込んできた。彼女は黒いドレスに包まれ、吸血鬼のような装いをしていた。夜の闇に浮かび上がる彼女は、まるで森の中に迷い込んだ魔女のようで、静かで強い光を放っていた。彼女の肌は白く、赤い唇が闇に映える姿は、何かこの世のものでないものを感じさせたんだ。秋の風が彼女の髪を揺らし、そのたびにまるで小さな木の葉たちが囁きあうような音が聞こえる気がした。
心臓が強く高鳴り、足が勝手に彼女へ向かっていた。俺が彼女の前に立つと、彼女はゆっくりと振り向き、目を細めて微笑んだ。その瞬間、彼女はただの人間ではない、まるで精霊のように思えた。俺は気がつくと跪き、言葉が自然に口をついて出たんだ。
「眷属にしてください…」
その瞬間だった。
「オラもまぜて〜!」という大きな声が響いたかと思ったら、どこからともなくクレヨンしんちゃんが現れた。あの小さな坊主が、ニヤニヤしながら俺と彼女の間に割り込んできたのだ。
「おいおい、何してるゾ〜?眷属って何だゾ?かっこつけすぎじゃないか〜?」しんちゃんはそう言いながら、勝手に彼女のドレスの裾をいじり始めた。
俺はあまりのことに呆然としてしまったが、しんちゃんはさらに調子に乗り、「ねぇねぇ、お姉さん、オラもその眷属ってやつにしてくれない?」と彼女に向かってお願いし始めた。
彼女は、最初は驚きつつも苦笑いし、しんちゃんに何かを言おうとしたが、その間にしんちゃんは「ねぇ、眷属って具体的に何するの?」とズバズバ質問を浴びせ始めた。
「えーと…それは…」と彼女が答えようとした瞬間、しんちゃんはお尻を突き出して、「じゃあ、オラの眷属ダンスを見てくれ〜!」と勝手に踊り始めた。
その光景に会場全体が爆笑の渦に包まれ、ロマンチックだったはずの夜が一気にバラエティ番組のようなカオスな状況に。彼女も俺も、もう笑いをこらえることができず、しんちゃんに巻き込まれる形でその場に崩れ落ちた。
そう、あの日のハロウィンは、感動の夜になるはずが、いつの間にかしんちゃんによって台無しにされてしまったのだ。それでも、あの出来事がきっかけで彼女とは結ばれた。だから今では、しんちゃんの「乱入劇」も含めて、俺にとってかけがえのない思い出になっているんだ。
そこでブス女なりに気づいた事を話したいと思う
1 とにかく素を出す
当たり前だが取り繕うと続かない
そりゃ多少見た目は綺麗にはしていくが
見た目で刺さるような人間ではない事は痛いほどわかっているので、個性で売るしかない、というか自分の個性が刺さる人を見つけるしかない
意外と何気なくした話で盛り上がったりするぜ!
盛り上がらなければ縁がなかっただけ、諦めよう
2 話は(つまらなくても)楽しそうに聞こう
全てにおいて自信がない私だが、喜怒哀楽と感情表現と笑顔だけには定評がある(気がする)
盛り上がるかどうかは、楽しそうに話を聞けるかにかかっているといっても過言ではない
とりあえず最初は楽しそうにしとこう!相手も緊張している場合が大半なんだから初っ端から面白い話なんてできるわけないのだ
175cmいや180cmがいいとほざいていた私だが
外見も性格も「嫌じゃない」が一番だと思う
私の中での決め手は「気になる所がない」こと
あとは「素を出して相手が受け入れてくれるか」
この2つが長く一緒にいられるかの基準だと思う
よく見られたくて取り繕って疲れて重くなって
学生時代70キロで彼氏が出来ないことで友達まで失い街中を歩くカップルは目で殺してた私でもなんとか大丈夫だったのでこの世は全員大丈夫絶対
前にちょっと色々恋愛沙汰のゴタゴタの結果、最終的に縁切った友達がいるんだけど、共通の友人を介してめちゃくちゃ見かける。
どちらかといえば私が悪いんで加害者として関わらないようにしてるんだけど、さぎょわとかにそいつがいるとそこに入れないのが何気なくつらい。共有の友人とは私はめちゃくちゃ仲良くて、結構絡みたいんだけどそいつがいるとあんま関われなくて結構ストレス。
佐藤太郎は、静かに夜が明けるのを待つように、いつもの朝を迎えた。枕元の目覚まし時計が一日の始まりを告げると、彼は重く閉じた瞼をゆっくりと開け、僅かに冷たい空気を吸い込みながら、ベッドから体を起こした。薄暗い部屋の中で、手を伸ばしてカーテンを引く。途端に、柔らかい光が部屋に差し込み、無音の世界に静かな生命を吹き込むようだった。
窓から見える空は、まだ青と淡いピンクが混じり合う静かな朝焼け。太郎は窓を少し開け、朝の冷涼な風を体に取り込んだ。新鮮な空気が胸の奥まで届き、彼は深く呼吸をした。胸が次第に温かくなり、瞳の奥にまで光が届いたかのように、心も体も満たされていく。
「今日も良い一日になりそうだ」
静かに呟いたその言葉には、確かな実感がこもっていた。太郎はゆっくりとリビングに移動し、コンロで湯を沸かす。穏やかな朝のルーティンの中で、彼の心は変わらず平穏であった。トーストが焼ける香ばしい香りが部屋を満たし、湯気の立つカップを手に取った時、彼はふと、自分の毎日がいかに満ち足りたものであるかを感じた。
朝食を終え、彼はいつものように駅へ向かった。歩き慣れた通りには、すでに多くの人々が行き交っていたが、太郎はその一人一人の顔に、特に注意を払うことはなかった。彼にとって、通勤風景はただの風景であり、日々の当たり前の一部だったからだ。
ホームに立ち、到着した電車に乗り込む。混み合った車内で太郎は窓の隅に立ち、周りを見回した。スマートフォンの画面に視線を固定する者、何気なく本を開く者、目を閉じて休んでいる者、皆が自分の世界に閉じこもっているかのように思えた。それはいつもの光景で、何の変わりもない日常であった。
しかし、ふとした瞬間、太郎の胸に言葉にならない違和感が生まれた。周囲の人々の目がどこか虚ろに感じられたのだ。まるで彼らがそこにいながら、実際には存在していないかのように。ある女性が微笑んでいたが、その笑顔には不自然なものを感じた。感情の伴わない形だけの笑顔。それは、どこか機械的なものに見えた。
会社に着いた時も、その違和感は消えるどころか、ますます増していった。同僚たちは普段通りに業務をこなしていたが、その動きには滑らかさがなく、まるでプログラムされた動作をただ繰り返しているかのように見えた。彼らの目に宿る光も薄く、生命の躍動を感じることができなかった。
その日の夜、太郎は家に戻り、テレビをつけた。何気なくチャンネルを回していると、奇妙なドキュメンタリー番組が彼の目に留まった。そこでは、「意識の世界」という名の仮説が語られていた。
番組は、現実世界とは別の次元に存在する「意識の世界」の存在を主張していた。多くの人々の意識は実際にはその異世界にあり、そこで過酷な苦しみと絶望の中で生きているという。そして、現実世界にいる我々が見ている「他人」とは、実は意識を持たない哲学的ゾンビに過ぎず、ただ現実世界を歩き回る空っぽの殻なのだと。
太郎は凍りついたようにテレビ画面を見つめた。番組の内容があまりに荒唐無稽であるにもかかわらず、彼の心には強烈な共鳴が走った。リモコンを握りしめる手が震え、全身に冷や汗が滲んだ。その瞬間、全てが繋がったのだ。なぜ自分だけがこんなにも平和で幸福な日々を過ごしているのか。そして、なぜ周りの人々が皆、虚ろな目をしているのか。その答えが、今目の前で語られていた。
彼は特別な存在だったのだ。唯一、意識が現実世界に留まっている者であり、他の人々は全て、別の世界で苦しんでいる。彼らが現実世界に存在しているかのように見えるのは、ただの錯覚に過ぎない。
太郎は、この恐ろしい真実に直面し、恐怖と罪悪感に押し潰されそうになった。しかし、やがて彼はある種の使命感に目覚めた。自分が特別であること、それに伴う責任を感じ始めたのだ。彼は思った。自分が幸せであることを最大限に享受し、また他者—空っぽの殻たち—に対しても、可能な限りの思いやりを持って接するべきだと。彼らの本当の意識が苦しんでいるのであれば、少しでも彼らに温かさを届けることが、意識の世界での苦しみを和らげる助けになるかもしれない。
太郎は窓の外を見つめた。冷たい夜風がカーテンを揺らし、街の灯りがちらちらと輝いている。何も変わらない日常の風景がそこには広がっていた。しかし、彼の目にはすべてが新鮮に、そして尊いものに見えた。
繊細さんの行動原理を読んで、とある職場の同僚についての理解が少しできた。
とあるトラブルで話し合いの際、他のチームメンバーの見解に対し「自分はそう思わない、私はこう思う。逆の立場になって考えてみたら同じように思うのか」と言っていた。
チームメンバーとは入社歴も待遇も同じで、立場による差はない。
自身が相手の見解に同意しないのは自由であるが、自身の主張は相手に理解を求める。
事あるごとに傷付き、すごく辛くて、もう嫌なのだと言う。
なぜなのかと思ったが、“自身は弱者である”という認識が強いのだと考えると、腑に落ちたところがあった。
>配慮されることは特別扱いなのではなく、生存のための大前提なのだ。
>だから常に配慮されている「べき」で、それが無いということは加害されているのと同義である。
彼女にとって、何もしないということは加害と一緒なのだ。とんでもないな。
>生存のための武器として、態度や間接的な言葉で他人をコントロールする術に長けている。
>罪の意識も無ければ、相手の自由を奪っているということに気付くこともない。
彼女は「自分は人より出来る」「人の相談を受け、感謝されている」というような話を自ら伝えてくる。
事実、話しの中で矛盾が大いにあるが、彼女はおしゃべりで弁が立つ方だと思う。
その思考が平等な観点なら良いのだが、突き詰めると自身の主張を通すことが主題であったりする。
共同業務の中で効率的なやり方を提案した際、彼女のポリシーとは違ったようで、威圧的な言動で提案内容を詰めて来た。
別に提案しただけなので、彼女のやりたいようにして良いと思い身を引いたが、「私に理解できるように説明して、言ってくれれば良い」と大声で返してきた。
これは彼女とまだ知り合って間もなかった時であったので、私は萎縮してしまった。
結局私の提案は無かったことにして、彼女をリーダーに作業を終えたが、彼女は嫌な思いをしたようだった。
彼女は人一倍できると豪語しており、私はまだ経験が浅かったので彼女を立てたのだが、どうするのが円滑であったのか分からなかった。何気なく提案してしまった自身の言動を後悔した。
私自身、彼女に聞かれたことを教えたり、教える際も私も横で実践しながら親身にしていたのだが、こういった積み重ねというか、彼女は持ちつもたれつの考えが無いように思えた。
罪の意識も相手の自由を奪っていることも気付かないという認識ならば、理解できる。
>我々はもうすでに、あの人が恐ろしくなっている。
>コミュニティに繊細さんが入ってきたとき、自分が善人でいたいなら、そのコミュニティのことは諦めろ。
私は現在もう彼女に完全に嫌われているので詰んだのだが、職場の同僚であるため、完全に関係を断てない。
過去チームメンバー間でトラブルがあり、その際に上司は彼女の特性について認識している。
一度お互いが円滑に仕事をするため、上司含む同僚全員と話しをする場を設けようとしたが、彼女は固辞した。するならば私抜きでと。
そのため、彼女の気持ちが落ち着くまで一旦話し合いの場は延期になったが、その場がいつになるのかは未定である。
彼女と一緒に居ると大変ストレスを感じる。彼女も居心地は良くないと思うのだが、仕事を辞めたくはないらしい。この職場はもう終わりだ。
ある晴れた日の午後、俺は公園のベンチに座って、何気なく周りを見渡していた。すると、石原ちゃんが颯爽と歩いてくるのが目に入った。彼女の歩き方はまるで風のようで、周囲の空気が一瞬で変わった。俺は思わず目を奪われ、彼女の後ろ姿に釘付けになった。
その瞬間、俺の頭の中に不思議な考えが浮かんできた。「創価に入信してもいいかもしれない」と。何故そんなことを思ったのか、自分でもよく分からない。石原ちゃんのケツが、まるで神秘的な力を持っているかのように感じられたのだ。彼女の存在が、俺の心の中の何かを揺さぶったのかもしれない。
周りの人々は、犬を散歩させたり、子供と遊んだりしている。俺はその光景を見ながら、石原ちゃんのケツを見つめ続けた。すると、ふと「信じるものは救われる」という言葉が頭に浮かんだ。俺は、何かに導かれているような気がした。
その後、俺は創価学会のことを調べ始めた。教義や活動内容、そして信者たちの熱心さに触れるうちに、ますます興味が湧いてきた。石原ちゃんのケツが、俺を新たな世界へと導いているのかもしれない。まるで、彼女が俺の運命を変える鍵を握っているかのようだった。
結局、俺はその日、公園を後にする際に、石原ちゃんに声をかける勇気を持てなかった。だが、心の中では彼女のケツを見ていたことが、俺の人生における重要な転機になると確信していた。創価に入信するかどうかは別として、少なくとも石原ちゃんの存在が、俺に新たな視点を与えてくれたのだ。
こうして、俺の思考は続いていく。石原ちゃんのケツと創価、二つの要素が、俺の心の中で奇妙に絡み合っている。果たして、これが運命なのか、ただの偶然なのか。どちらにせよ、俺の人生は少しだけ色づいた気がした。
商店街の一角にあるスーパーはセルフレジがなく、レジの数自体が少ないのですぐに渋滞になってしまう。
増田も列に並ぶとなかなか進まず、まあ仕方ないかなと思って待っていると後ろに一人加わった。
何気なくチラッと振り返ると後ろには綺麗な女性がいた。歳は二十代半ばほどだろうか。白いシャツにタイトな黒のミニスカート。すらりと白くて長い脚が目に入った。
そしてカゴの中にスーパーカップがあるのを目にすると、俺は思い切って声をかけた。
「あ、あの!もしよかったら先にどうぞ!」
しかしすぐに続けて「アイスあるから…先にどうぞ」と言うと彼女は自分のカゴを見て「ああ」と納得した。
それから順番を譲り、「ありがとうございます」という笑みと共に感謝された。