はてなキーワード: VBとは
メンタル病んでたんだが最近ようやく、本当に治ったんだなと実感できる。
2年前でも相当良くなったと思ってて、でもどこかへ行くのはすごく怖かったし毎日薬飲んでた。
突然ドーンと精神が落ちるからそれが怖かったし、何だか分からないけど恐怖を感じてた。
考える力が落ちてたんだと思うけど、それでもどうにか普通になりたくて、2年前に旅行に行った。
でも選んだホテルがひどいホテルだった。今だったら絶対選ばないし、メンタル病む前にも良く旅行行ってたがその時でも選ばないような所。
今の私なら無理と感じるのに当時は全然平気だった。なんか全部夢の中の出来事みたい、価値観も変わっている感じ。
その時はかなり良くなってて、選んだホテルも普通だった。2択しかなかったけど…。
実はこの旅行にはもうひとつイベントを仕込んでて、大切な人に会う重要な日があった。
会う時は薬を飲まない状態で会いたかったので、調子が良いと思った時は薬をやめてみて、薬を飲まなくても大丈夫な日を予め増やしていった(医者には黙ってた)。
薬を飲まない方が頭がすっきりする感覚があった。
ちゃんとしてなくちゃいけなかったから、ちゃんとした格好で行かなきゃいけないんだが当時の服をいま久々に着てみたら丈がまるで合ってなかった。
でも私は覚えている、この服を買った時何着も試着して鏡を見て「大丈夫だ」と確信を得てから買った。
で、現在。
現在は全く薬を飲んでいないし、かなり不安で緊張することがあっても薬を飲まずに済んでいる。
メンタルを正常に保つためにやっていたこと(11時には寝る、7時に起きて朝散歩、酒は飲まない、筋トレ、VBとVDの摂取、マッサージ)は今さぼっているけどそれでもメンタルは安定している。
自己否定もすっかりやんだ。
たまに今でも頭の中に嫌な感じで言葉が埋まっていくときがあるけど、それはすぐに気付けるし止まるし、ちょっと疲れてるなって気付いて早めに寝たり運動したりしてリフレッシュできてる。
AIで書けるとか言ってるけど仕様打合せしてプロンプト書いて出てきたコードの動作確認してんのプログラマじゃねえか
いやまだそっちは実用になりませんとか言ったって
ノーコードとかローコードとかまたわーわー言ってるけど書ける奴の間口がちょっと変わっただけで作業してるやつ結局はプログラマじゃねえか
いっつもそうだ
juliaもpythonもそんな触れ込みだった瞬間があったぞperlより直観的ですって
EJBもnode.jsもエンジニアが不要になる~とか言ってた奴を産んだ時があった
あのときの用語は何だっけかそうだエンドユーザーコンピューティングだ
VBもそうだ
言葉で書いた通り動くって話だったぞ
英語の国の人はそうなのかなーって思いながら書いてた
Σプロジェクトもプログラマが不足するから大変だ―プログラマが不要で仕事できるようにしようーみたいな話だったと聞いている
メインフレームのシステム開発に欠かせず数多のシステム開発に使われた言語であるCOBOLだって英語を話すように書くとあっという間にシステムが出来上がるという触れ込みだった
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大したこと言わないよ。
大昔だ。ブラウザがNetScapeでWindows2000からXPに移行し始めたみたいな頃。
MS SQLにMS AccessをUIにしたクラサバシステム。それなりに需要があったんだ。
んで、データベースが何なのかすらわからない新卒の自分が参考書どおりに作って言われたことが
DoCmdは使うな!
最初なんで?と思ったが、確かにこれはある意味正しかったと思う。
全ての処理をVBAで組むことになるので、VBでも同じような処理を書けるようになった。
レコードセットとかカーソルとか、DoCmd使っていたら理解できなかっただろう。
後々ASP(.netじゃないほう)での開発やら、OracleDBの…なんだっけ?oo4oか、とかの操作がイケたのもそのおかげだろう。
その後の勉強不足で、VBの呪縛から抜けられないまま現状に至るわけだが。
なのでもし、仮に、万万が一Accessで恒久的に使うかもしれない何かを作ることを迫られたら断れ!
[自社開発メガベンチャーをわずか半年で鬱退職した雑魚エンジニアの話|JoanOfArc](https://note.com/joan_of_arc/n/ned510ca913c7)
1. 今はなき鉄鋼メーカー、研究所で新規シミュレーションコード立ち上げ
メンターが米国自動車メーカーへ転職して途方にくれた。電磁気学の教科書を読み漁って掲載されているサンプルコードを理解して、コード手打ちして3ヶ月で動く様にした。社内で誰も見たことが無い結果に驚かれた。
2. 鉄鋼メーカーの人員削減が若手にも迫ってきたので、電子部品メーカーへ転職。コードは書かず開発現場で製品試作品の制作をモクモクと行う。
3. 色々あってプログラマー派遣会社へ転職。ドコモ向けのアプリのテストデータを作成するだけの仕事をアサインされた。楽勝の仕事だったが、拘束時間が長く半年で10kg太る。
4. 派遣で今はなきシャープ常駐でデジカメファームウェアの開発現場に放り込まれる。C言語の未知のコードとLSIの仕様書に戸惑ったが、親切な若手社員に助けてもらって独り立ち出来た。2年程やったが、雇い止めに合った。
VC++製の画像処理アプリもメンテした。VBの画像処理アプリも自作した。
5. 現NTT、当時住友銀行子会社で常駐で電磁界シミュレーションアプリの新機能開発を担当。分散処理による計算時間短縮を狙う部分を担当。分散処理はMPI(現OpenMPI)を使用。まずはパソコン2台で分散処理を行うもNIC(LAN Card)がボトルネックで計算は出来るが1台で計算するよりパフォーマンスが出なかった。職場にジョインしたあとは、しばらくは訳がわからず、戸惑った。通勤時間が長く体が消耗した。
派遣プログラマーは嫌で正社員で働きたかったので、プログラマーにこだわらず職場を探した。知財の職に採用されたので、常駐先と派遣会社に退職を願いでると引き止められて困った。退職を強行して転職できた。離職票の入手に苦労した。暑い夏だった。
6. 中小製造メーカーの知財の職場では要領よく仕事をこなしていると時間があまる。余った時間で社内WEBサイトを作ったりした。使ったのはASP(ASP.NETの前身、VB.NETでコーディング)。フレームワークに従ってコードを埋めるとそれなりに動いた。DBMSはAccessを使った。要するにmdbファイルにデータを保存した。更新処理は管理者のみ、データの閲覧が主な機能であるWEBサイトだった。
7. 知財の仕事は楽勝なのだが、やはり開発の仕事に未練が出てきた。iOSアプリの開発もやってみたくなった。10年以上知財の仕事を行ったが思い切って無職へ転向した。親父も無くなり、遺産の整理もサラリーマンを行いながら難しかったのだ。(つづく)
ずっと忘れていた。
いや、脳の奥に生乾きのかさぶたのようなものがじっとりとこびりついて、ふとした時に思い出したりはしていた。
なぜだか、それが昨日になって出てきた
百子はJava言語の技術者だった。いや、技術者か分からないがJavaを学ぶ25歳の若い女性だった。
当時Java言語はJ2EEの登場により大きな注目を集めており、エンタープライズ用途で稼働していた業務系アプリケーションをWEBベースのJavaアプリケーションへのリプレースする事が大きな需要を生んでおり、VBやDelphi又はバックエンドとしてのCOBOL等で活躍していたエンジニアは技術転換を求められていた
現在も大して変わらんないかもしれないが、業務系エンジニアにコンピューターサイエンスを学んだ者は少なかった。
文系出身で(数学としての)関数や代数もちゃんと理解しているのか怪しいような者も数多く居り、当然ながらオブジェクト指向言語に戸惑う者も多かった。自分がそうだった。
当時の技術コミュニティはいくつかはあったが、古くからあったがどれも敷居が高かった。
fj.comp.lang.* (ネットニュース:現在と意味が異なる)は正当な技術者も多かったが初心者が書き込める雰囲気が無かったり過疎っていた。ニフティーサーブやPC-VAN等のパソコン通信(当時既にサービス名が変わっていたかもしれないがみんな昔の名前で読んでいた)をベースにしたものは歴史があったが、老害が偉そうにしているフォーラムも多く、やがて廃れていった。
そうした中で初心者も熟練者も和気あいあいと活発な議論が行われていたのが、JavaHouseというメーリングリストのコミュニティだった。
主催者は現在インターネットセキュリティの大物左翼として時折世間をビビらせまくっている、ひろみちゅ先生こと高木浩光氏。当時既に産総研の研究者になっていたとはいえ、あくまで個人が手弁当で運用していた。無料で誰でも自由に入退会ができるコミュニティであり、他に行き場のなさを感じた初心者のJavaエンジニアたちにとって大きな心の拠り所となった。
でも百子が注目された事があったのだ。
当時は適切な印刷用の整形ソリューションが無く比較的頻繁に挙がっていた話題で、
百子も同様に苦しんでいた
するような方法が、現時点ではり一ゾナブル
かとも思います。
ドラえもんのようなひらがなとカタカナを組み合わせたチャーミングな文体でその焦りを徹底的かつ高度に表現していた。
しかしこの議論中に問題が起こる。JavaHouseに障害が発生しメールが配信されない事象が発生したのだ。
NFSで他のサーバーにマウントしていたが不要と思われたNFSサーバーのデータを一部で参照していたため処理が行えなかった、応急的に対応したが根本対応を後日行うと管理者の高木浩光は告げた。
しかし、議論が途切れた事を不安に思った百子は高木浩光に直接確認を行った。返事は帰ってこなかった。
> This Message was undeliverable due to the following reason:
> The user(s) account is temporarily over quota.
というエラーで戻ってきました。
いろいろとご心配のようでしたので(その内容については書きませんが)、迅
速にお返事を差し上げる必要を感じておりますが、上記の通りでは、連絡の取
り様がありませんので、やむを得ず、お返事を差し上げた事実をここで示させ
ていただきます。
まるで百子に非があるかのように。
恥ずかしさと悔しさで真っ赤となった泣き顔の百子を想像することは難しくない。
次はインスタンス生成時のコストに関する伝統的な議論であったが、
その流れで議論とは関係が無かったが百子はやりとりのマナーについて言及した。
議論をしていた者たちは本質的では無い指摘に形式的な謝罪をしたが、
高木浩光だ
そんな慣習はありませんよ。
きっと百子は憤然たる思いを抱えたに違いなかった
最後に決定的な事が起こる
先日の障害の復旧のためメンテナンスのためサービスを停止すると高木浩光が予告した。
百子はさんざん煮え湯を飲まされてきた高木に対して
以下ちゃちゃです。
全サービスが利用不可というのは、大変なことでしょうに。
以上、ちゃちゃでした。
挙げ句Javaコミュニティを自分で立ち上げてみてはどうかと言う者まで現れた。
か弱く繊細で思いやりのある儚き百子が、このような嘲りに耐えるのは致命的な苦痛だったに違いない。
百子は精一杯の力でJava界の将来についてその想いを書き綴った
私が恐れているのは、恐怖の日が襲い、対応の行動が遅すぎる前に
協議を行って欲しい、ということです。
別れは突然訪れた
「百子の夫です」
技術コミュニティに相応しない短い件名の投稿は衝撃的なものであった
私の妻百子は11日に進行性癌に伴う急性心不全で永眠いたしました
25才でした
医師の診断をもらったとき私たちに残された時間は1ヶ月というものでした
毎日が恐怖でした。、
なんという事だ!こんな悲劇があってよかろうはずがない!
しかもあのプりントアウトの話をしていたときには余命を悟っていたのか。
自分は打ちのめされた
そしてさらに衝撃的な事が続く
百子は先週からふさぎがちになっていました
聞くとブー様とうまくいっていないのではないかということでした
百子はずいぶん前からたびたび高木という男の名を出してひとりでジャバなる
パソコンを動かし一人で全部やってのけているのだと絶賛しておりました
おのれ高木さんめ!いや、ぶー様め!
百子の心に闇で満たしたという事か。
悔しくてウイスキーをストレートで何倍も痛飲し、この辛い出来事を忘れるように努めた。
自分はアプリケーションのプログラミングをする事もすっかりなくなっていた。
数年に1度くらいフッと湧き上がってくる事があったが、すぐに忘れようとした。
しかし、昨日はなぜ、菊池百子を思い出したのかずっと考えていた。
ずっと、ずっと
愛していたんだと思う、百子を。
直接会ったことはないし、見たこともない、投稿の文面の文字でしか見ていない、直接のメッセージのやりとりもしていない、だけど確かに自分は百子を愛していた。
雅人よりもずっと。
ぶー様よりもきっと。
Rest in peace, I love you.
https://web.archive.org/web/20091027013532/http://java-house.jp/ml/archive/j-h-b/052276.html#body
製造業や金融でエンジニア引抜で年収2割増しらしいのでこれから転職考えているブラック企業エンジニアや一人社内SEに向けてアドバイス
自社開発している会社じゃ当たり前レベルだが、今盛り上がっている業界ではそれだけで凄いと思われる。
あとベンダー系の資格と違って上流工程やネットワークとかもさわりは学べるので働くにも便利。資格より経験と言われる業界だけどぶっちゃけ中小の一般企業はPythonで何をどうとか言っても響かないぞ。
ネットワークの基礎知識得るにはこれで充分。基本→応用→ネスペと行くならより上位を取るべきだろうが今盛り上がっている業界はLAN繋げるだけで凄いと言われたりする業界だ。主に外の技術者と話すための知識だ
GoogleとMSもあるけど正直AWS一択はまだ続くので学んで損は無い。初歩の資格だけどAWSの各種サービスを知ることができるのでシステム構築するときにあんなサービスあったよなと思いだせるようになるので良いぞ。これも外の技術者用
ハードル高そうだけど世の中の本屋にある教則本を1冊やりきって1%くらい自分らしさ出してGithubに載せて履歴書にURL乗せておけ。で当日動かしてアピール。これはたまに古参の小太り社内SEが知ったかぶりでマウント取ってくるの防ぐための先制パンチだ。もちろん単純に人手不足だけど能無し技術者引きたくないって純粋な人にも刺さる。これってあの本のソースですよねとか言ってくる奴はごく一部の会社以外居ない(まれに著者に会います)
サーバ構成とか言語とか先に書いておいてそっち読んでと言っておこう。システム構成図書いとけ。口で言うの面倒だし。そうすれば相手は頑張ったことや学んだことくらいしか聞いてこない。たまに小太り社内SEがVBって聞いてVBAとかだと思ってマウント取ってくるけどお前はAccessでDB管理している気分楽しんでろ。(Access自体に罪は無いです)
面接とかマジでアディショナルタイム。職務経歴書をせこせこ書き1個くらい携わったシステムの構成図と各種技術を描画しPDFにしておき、あとはその会社のHPなんとなく眺め暇だったら四季報の業界地図でその業界のなんとなくの雰囲気を覚えれば話は弾むからみんなさっさと転職しよう。もちろん職場は引き留めに入るかもしれないが金以外の交渉は受け付けるな。出す条件は賞与除いて額面で年収600で。上の条件取ってれば残業無し賞与別で年収500は固いよ。
自分が止めた後もっといい条件で前の職場が募集するかもしれないとか思うかもしれないがお前を好待遇で引き留められなかった会社がそれ以上の価格でスタートラインではお前以下の人間を雇えるわけないし、運よく雇えてもとてつもない物を期待するからその人も同じ金額でもっと楽なとこに転職するから気にすんな。