はてなキーワード: うずくとは
ちょっと話してみたい。昔の話だ。
若い頃、都内の繁華街にある飲食チェーンで店長職を務めていた。今はもう会社を辞めて実家に帰り、細々と親の仕事を手伝ってる。農業を営んでるから、食料品という意味では繋がってる。
あの頃はまだ30代半ばで、男が乗っている時期だった。心も体も無理がきいて、若者の考えもなんとか理解できて。懐かしいなぁ。今では50代が近づきつつある。
守秘義務とか一応あるから、どこの飲食チェーンかは言わない。読んでるうちにわかるかもしれないが。できればそっとしておいてほしい。
何の話をしようか迷ったが、『人』の話がいいだろう。何人かに絞って話がしたい。皆、よくも悪くも思い入れがある。三人だけ挙げよう。
もちろん仮名だ。雰囲気で名付けている。背は低めだったかな。危なっかしいけど、素直な子だった。だが、ある事件を機に店を辞めてしまった。
大学二年生で、MARCHクラスの大学に通っていた。やんごとなき方々が通いそうな大学名だった。私は専門学校出なので、大学生と聞いただけで眩しい感じがした。
彼は夕方~夜のメンバーだった。クローズまで残ることもあった。ところで、ある従業員I氏との折り合いが悪く、さらにスダ君が好きだった女子店員TさんがI氏と交際していることもあってか、勤務中に不安定な感じになることがあった。若さというものだ。
閉店作業中にI氏と諍いになることがあったらしい。マネージャークラスのアルバイト従業員の場合、連絡日誌を付けるのだが、そういう報告をみかけた。
実際、迷ったものだ。I氏は当時、二十代前半のフリーターで、付き合っていたTさんは大学四年生だった。I氏はほかの女子アルバイトにも手を出していた。時には、新人クルーを無理やり自分のビッグスクーターに載せて、当店の近くにあるラブホテルに直行することもあった。
相関図
I氏 ⇔ Tさん ← スダ君
↓
当時は2000年代の半ばだった。男のそういう行為も甲斐性のひとつとされた時代だ。迷惑行為ではあったが、相当の戦力だったため目を瞑らざるを得なかった。
ある年の秋、閉店数時間前だった。いつもだと、店の目の前にある事務所でシフトを作ることが多いのだが、この日ばかりは実店舗で指揮を取っていた。どんな時間帯にもインして、店舗の運営状況を確かめねば……という意識もあったが、正直この日は気分だった。
夜9時頃、スダ君がお店にインしてきた。この日は3時間半のシフトだ。だが、様子がおかしい。足早にタイムカードを切ったかと思うと、店の奥にあるシンクに手をかけてうずくまるように立っていた。
ほかのアルバイトも「様子がおかしいのでは?」と察していた。私は、スダ君と仲のいい大学生ふたりに事情を聴くように指示した。こういう時はこれでいい。私が聞いても真実を答える保証はない。聞き取りするとしたら彼らの後だ。
大学生ふたりが聞き取ったところによると、スダ君が事務所に入った時、こんなことがあったらしい。
・運悪く、スダ君が入ってきた音に気が付かずに目撃することとなった
・過去にもスダ君の目線からみてそうなのでは、と思うことがあった
これには悩んだ。どう対処すればいいのか。店を預かる者としては判断に迷うところだ。というのも、I氏もTさんも、はっきりいって当店の最高戦力(I氏はマネージャークラス、Tさんは接客専門職クラス)であり、辞めてもらっては困る。困るのだ。ただでさえ人手不足なのに。
本来は免職処分とすべきだ。事務所を本来の目的以外に使うな、とは言わない。待機時間に学校での課題を片付けたり、シフトを上がった後にお喋りをするとか、そういう使い方をしてもいい。少しくらいは。
ただ、過去においては、休憩室で飲み会を催していたクルー3名をまとめて免職処分にしたことがある。線引きが難しい。
結局、I氏もTさんも当店に残すことにした。I氏は「次やったら辞めさすぞ」と何度もクギを差したうえで、出勤停止の処分とした。Tさんは、大学卒業まで残り数か月だったのもあり、比較的温情のある処分をした。※思惑までは書かない。自分なりにバランスを取ったつもりだ。
スダ君には、「人生いろいろあるけど挫けてはいけない」「あなたはひたむきだから。きっと報われる時がくる」など精一杯フォローしたものの、冬になるまでには店を辞めて、同系列チェーン店に移籍した。確か、そこの店長から電話があって、「面接に来たけど、彼どんな子?」と聞かれたから、「ひたむきでいい子です。ちょっと心が弱いところもありますね。でも、戦力になりますよ」と答えた。今でいうリファラル採用だった。
それから約一年後、あの時スダ君から聞き取りをしてくれた大学生から連絡があった。スダ君が、移籍した先の系列店でマネージャークラスにランクアップしたという。私もその店に行ってみたところ、確かにスダ君がいた。社員と同じ服装でキビキビと働いていた。あの頃とは雰囲気が違う。人間として成長したのだ。
それからすぐ、私も遠方の店に異動になってしまって、スダ君を見ることはなくなった。今はどんな人間に成長しているのだろう。いい男になっているだろうか。そんな未来を願っている。
この子は、いわゆるプレーヤータイプの極致だった。ほかの繁盛店から移籍してきた子で、クルーとしての実力は折り紙付きだった。POSでの接客もキビキビとこなすし、サービスレベルは最低限以上だし、料理を作るオペレーション作業も人並み以上にできた。
どんな分野でもマルチに活躍できる子だった……ただし、現場作業に限っての話ではあるが。残念ながら、性格であるとか、人格であるとか、気質であるとか、そういうところに問題のある子だった。
話は逸れるが、圧倒的美人だった。街を歩いていたら男は皆振り返るし、雑誌でモデルをしていたとして不思議ではない。そういうルックスの子だった。
ただやはり、性格に難があった。気に入らないクルーに雑談を振られても冷たい態度を取ったり、無視することがあった。相手のことをミカンの皮くらいにしか思っていないのだ。
ある時だったか、フナモトさんの接客の現場でこんなことがあった(※当時は、女子で厨房に入る子は極端に少なかった)。母親と子どもふたりがレジに並んでいて、子どもがおもちゃ付きセットの説明を求めた。店内のカウンター横には、おもちゃの反則セットが豪勢に飾ってあった。※フナモトさんmaidになる。
だが、彼女は冷たい様子で「ポケモンです。種類はこちらから」とメニューを指さすだけだった。そのお子さんが十秒ほど迷っていたところ、フナモトさんがローファーの先でコーヒーシロップやストローが入ったラックを何度も蹴り飛ばすのが見えた。
またある時などは、夜の店内におばあさんがテイクアウトの注文後、「お水を持ち帰りでくれませんか」と言ってきた。フナモトさんはマニュアルどおり「お水は持ち帰りができません」(※衛生管理上の問題。お客の家で水が品質劣化した場合など)と答えたところ、おばあさんは「車にいる孫が薬を飲むので……水がほしいんです」とのこと。
さて、こういう時はどうすべきか。一応、会社のマニュアルには、接客については「ルールに準じつつも、自分らしい接客スタイルを求めてください。お客様のためになる接客を。迷った時はマネージャーに指示を仰ぎましょう」といったことが書いてある。
フナモトさんはおばあさんに告げた。「その子がカウンターまで来るなら用意できます」と。なるほど、機転が利いている。おばあさんが了承したところ、フナモトさんが水を用意してカウンターの前にいるおばあさんに水を届けた。
しかし、おばあさんは水を取って、そのまま車に戻ろうとしたのだ。フナモトさんが一瞬早かった。おばあさんの二の腕を掴んで、水泥棒をガードしたのだ。
船「ダメっていいましたよね!?」
婆「いいでしょ。やめて!」
船「ダメって言ったよな、おい!?」
婆「ちょっと!」
船「おい!! ……お廻りさん呼びましょーか?」
婆「……」
さすがに堪忍したのか、おばあさんは諦めて外の渋谷通りに留めてあった車に歩いていった。私はその様子を観ていたけど、どっちもどっちだと感じた。フナモトさんはお客様ファーストではなかったし、おばあさんにしてもジュースを買えばよかっただけのことだ。別に水でなくてもよかった。
私だったら、「本来は衛生管理上の問題があり認められませんが、今回はお薬の事情があるということで持ち帰りを認めます」と言っていただろう。マニュアルに反する行為ではあるが、これなら上の人間が観ていたとしても申し開きできる。
三つ目になるが、フナモトさんが専門学校を卒業する半年前のことだ。店内のポジションを替わりたいという要望があった。弊社では、漢字表記だと接客専門職とでもいうべきランクがあり、それに選ばれるとお洒落な制服を着ることができる。昔懐かしい、アンナミラーズの制服にちょっと似ている。
だが、それはフナモトさんのわがままに過ぎなかった。本人から理由を聞いたところ、「可愛い制服だから、最後に着てから卒店したい」とのことだった。当然却下したのだが、それに激昂したフナモトさんは「だったら店を辞めます!!」と宣言して、マネージャールームのパイプ椅子を立った。そのまま事務所を出て行き、二度と連絡してくることはなかった。残りのシフトはバックれてしまった……。
約二週間後、別の系列店から「フナモトさんという子が面接に来ているけど、どんな子ですか?」という問い合わせがあった。ちょっと迷った挙句に、こんなことを答えたかな。
「一本筋が通った子です。いい方に働くこともあれば、そうでないこともあります」
と告げた。嘘は言っていない。確かに嫌な別れ方はしたけれども、かつての仲間だ。応援はしたい。少なくとも、ほかの店への移籍を妨害したくない。
人格者じみたことを書いたけれども、保身のためでもあった。フナモトさんとは過去に二度、ホテルに行ったことがある。お店の公式飲み会があると、私はいつも若い子だけの方がいいだろうと思って(一万円を置いて)早めに帰るのだが、その時は最後の方まで残っていた。
宴も酣(takenawa)ということになって、二次会に行こうと幹事が言い出した後で、フナモトさんと帰り道が一緒になり、いろいろ話すうちに飲み直そうということになった。私はまだ三十代だったので、いろいろと抑えることができなかった。
フナモトさんの見た目はクールビューティといったところだが、いざ一緒に寝てみると情熱的なところがあった。やはり、体のいろいろな部分が柔らかかったのを憶えている。そういう体験が二度あった。
それで、上の段で電話を受けた時は、フナモトさんが暴走したらよくないことになるのでは……!? という懸念があった。そうはならなくてよかった。
思い返すと、これも懐かしい記憶だ。あの子は今も元気にしているだろうか。健やかであってほしい。
この子も鮮烈だった。当時は大学生。独得な雰囲気の子で、普段はボーっとしているかと思えば、厨房でのオペレーション中は熱気に満ち満ちていた。閉店時のクローズ作業も抜群に早かった。
難点があるとすれば、マイペースなところや、人を怒らせる発言をするところや、常識のなさだった。ある時などは、冗談だと信じたかったが、早朝の開店作業中に「今日は気合いを入れるためにビールを飲んできました!!」と宣言していた。
今でいうところの、発達障害というやつだと思う。そうでないならパーソナリティ障害か。医師ではないので判断はできないが。
さて、そのワタベ君だが、大学三年生のある時に「マネージャーになりたい」と言ってきた(※説明が遅れたが、正社員の仕事をするアルバイトをいう)。確かに、作業能力的には余裕でマネージャークラスだった。しかし、彼の発達障害的な言動は、他のアルバイト仲間の間では賛否両論だった。マイルールに対して過剰適応なところがあり、それが特に若い高校生クルーとの間に軋轢を生んでいた。
当時のマネージャー全員に賛否を聞いたところ、半々ということになった。これは低い数値だ。普通は八割以上が賛成する。そして、ワタベ君本人に対して「貴君の意に添いかねる」という意思を告げたところ、なんと……彼は弾けた。バックレたのだ。
フナモトさんと違って、自分のシフトはちゃんと消化していったが、店長である私に何も告げずに店を辞めた。ほかのアルバイト仲間には辞めることを伝えていたらしい。なんということでしょう……(劇的ビフォーアフター)。
でも、これでよかったのだ。こういう極端な行動を取る人間は管理者として相応しくない。彼がマネージャーになっていたとして、またどこかで軋轢を生んで誰かが店から消えてしまうような、そういう事態になっていたに違いない。
それから、約七ヶ月が経った頃だった。なんと、ワタベ君がお店に戻りたいという(ほかのマネージャーから聞いた)。なんでも、そのマネージャーにワタベ君が電話をかけて「就職活動が終わったので店に戻りたい」という旨を伝えたらしい。
これは、社会人でいうところの根回しに相当する行為だ。ワタベ君は成長したかもしれなかった。直球ストレートではなく、カーブを覚えた的な意味で。ワタベ君やるなぁ……。
実際、この時期はとんでもない忙しさだった。スタッフの頭数があまりに少なく、基準に達していない人でも雇わざるを得ず、それがまた現在のクルーとの摩擦を生むという悪循環だった。さすがの私も、相当な日数出勤することになった。時間外手当はゼロだった。名ばかり管理職というやつだ。
話が逸れた。数日後、ワタベ君とマネージャールームで面談をしたところ、次のような意見があった。
・もうマネージャーになりたいとは思わない
・これまでは申し訳なかった
・週に四日以上必ずシフトに入る
まあ、バックレではあるが、これからちゃんとするならいいだろうということで、ワタベ君を再雇用することにした。
しかし、私が人を見る目がないのは皆様すでにお分かりのとおりだ。本当に見る目がない。この会社でも、最終的にはエリアマネージャー(部長級)までは行けたのだが、そこでさらに上のクラスの人達と揉めごと(本部長クラスのセクハラ関係)を起こしてしまい、最終的には理不尽な降格処分(店長に戻れ!!)を突きつけられ、会社を辞めることにした。
さて。ワタベ君は普段はマジメだった。しかし、稀に凶悪な面を見せることがあった。ある日の早朝、お店の目の前に食品資材を搬入するトラックが停まっていた。ワタベ君は、せかせかと動いてトラックドライバーと協力し、荷台から野菜ジュースやコーラのシロップタンクやPotatoを下ろし、店内に運んでいた。
だがある時、見てしまった。トラックドライバーの目を盗んで、ワタベ君が野菜ジュースが50本ほど入ったビニル巻きの段ボールを――丸ごと盗んでいるのを。一瞬の早業だった。私でなければ見逃していたね。※一応、どうやって盗んだのかは伏せる。同様の行為を防ぐため。
その時ほど、自らの人を見る目のなさを恨んだことはない。ワタベ君はすでに雇用三ヶ月目だったし、彼がいなければ深夜と早朝のシフトが回らない。困った事態だった。当時の私には、見て見ぬ振りしかできなかった。
それから、ワタベ君は大学卒業まで店に在籍した。発達障害はやはりそのままで、ほかのアルバイト仲間との小競り合いが度々起こった。実は、ある時期から人手不足は解消していて、別にワタベ君には辞めてもらってもよくなっていた。クビにしようかと思ったことがある。しかし、性格や人柄が悪いとしか思えない彼が、多くのスタッフから嫌われながらも、一部のスタッフには懐かれているという現象を目の当たりにして思い留まった。
なぜ、そんな判断をしたのか? 彼は本当に悪どい人間なのか、と思ったのもあるが――今風の言葉でいえば「多様性」だ。彼は確かに、社会人以前に人として未熟なところが多くあった。だがしかし、一部の得意分野においては紛れもなく輝いていた。だったら、嫌なところには目を瞑ろう。それが当時の私の判断だった。
風の噂だと、新卒時点での彼は、都内の某区役所で地方公務員としてのキャリアをスタートしたらしい。東京生まれの東京育ちだから、やはり地元が一番ということだろう。彼も、元気でやっているといいのだが。
以上で終わりになる。
当時を振り返ってみて、間違いだったと思われる行動は多々ある。どれだけ後悔しても足りない。でも、それも人間だ。迷いながら進んでいくしかない。
ところで、満たされない心というのは、すごく大切だと思う。当時も今も、満足できる仕事をこなすというのは、とてもとても遠いことだと錯覚していた。
成長していくためには、これまでの自分を一人ずつ殺害していく必要があるのだと30代の頃は思っていた。朝が来るから起きるのです、みたいな当たり前のことだと思っていたけど、違うんだな。
人生が満たされなくても、自分は自分なのだ。理屈も何もない。ただ、それだけだ。だから、店長として飲食チェーンで働いていた頃の失敗だらけの自分も、今では受け入れられる。そういう情けない私まで含めて私なのだ。再確認できてよかった。
その上男子は運動部じゃないと駄目な風潮があり、実際に文化系の部に
入ろうとした男子は担任に説得(説教)されたり「○○部(運動部)に出しといたからな」
ただでさえ意に沿わない部活を強制された上に、入部させられた運動部では
特に俺はターゲットにされ、ある日先輩とOBらに呼び出された際、因縁をつけられてのリンチから
嫌がっても集団でも暴力を振るわれ、抵抗する事は出来なかった。
揉み消されそうになったり警察の対応も酷かったが、先輩達は最終的に退学処分となり
OBの内一人は何らかの処分が下ったとか、勤めていた会社をクビになったとも教えられた。
当事者以外には箝口令が敷かれていた筈だが、しばらく不登校になっていた事もあり
自ずと俺がされた事は広まっており、周囲からは遠巻きによそよそしく接せられる様になった。
そんなある日、唯一友達らしい交流があったA君から「女子から何故か回って来たんだけど、さすがに酷いと思って」
とある小説サイトを見せられた。そこには、俺がイケメンの先輩○○とやらに性暴力を振るわれ、でもそれが忘れられず…
というあまりにも歪んだ、気色悪い物語が拙い文章で書かれていた。
名前は一部ぼかしているが、どう考えても俺と、退学になった○○ら数名がモデルだった。
「なんかそういうターゲットになってるらしい。これイジメだよな?」とA君に言われ、何故かその場でボロボロ泣いたのを覚えている。
A君と一緒に教師や親には言った。小説サイトに投稿していた女子にも直接文句を言った。
「あまりにも気持ち悪い、止めて欲しい。勝手にモデルに使われて凄い嫌な気分だ」という事を伝えたのだが、何故か女子には泣かれ
その友人グループとやらが書いた女子を慰めつつ、何故か俺が責められた。「そんな事で怒るなんて酷い!」だって。
『そんな事』ってなんだよ、俺は一生モンのトラウマなんだぞと思ったのを覚えている。
小説を書いた女子、いわゆる腐女子と友人らに担任にチクられ、俺は女子を泣かせてイジメた男として処分を受けた。
わざとらしく泣きべそをかいている腐女子に、頭を下げて反省の言葉を述べさせらたのは本当に屈辱だった。
腐女子という存在の概念を知ったのもその頃だった。正直、嫌悪感しか無かった。
小説のモデルにした事は認めたくせに、けどただ小説を書いただけなのに男子に怒鳴られて恐怖したと。
そして怒鳴った俺が悪いんだとされた。非常に理不尽で、屈辱的だと思った。
イジメの件もあり、すっかり性的な描写や性行為を連想させるものに嫌気が差し、性嫌悪者になった。
告白された事も数回あったが、とてもそういう事をする関係になる自分が想像出来ず、そんな男と付き合う方が可哀想だと思い、全て断っていた。
と聞かれた。驚いた後、非常に気分が悪くなった。何故、こんな事を聞かれているのか……
聞けば、『そういう噂』が流れているという。
気味が悪いと、俺と一緒に仕事をしたくない、チームを外して欲しいという同僚も現れて
このままでは業務に支障をきたすからと事実確認の為に呼び出したと言われた。
俺は当然強く否定した。ただでさえ性嫌悪で、異性との行為も想像出来ないのに、同性となんて無理だと。
そこまではその時は言えなかったけど、全くの事実無根であり交際相手がいないのもそういう理由では無いとは否定した。
上司は半信半疑みたいに見えたが、その時は一応納得はしてくれた様だった。
何故そんな噂を流されたのか。実は心当たりが少しだけあった。
それとなく二人きりになったり、飲みの席にとなり同士になる様に誘導された事もあった。
ハッキリ言って迷惑だったので、遠回しにアプローチは断っていたが、告白された際にはハッキリと断った。
「あなたとは同僚以上に思えません、申し訳ないけど交際はお断りします」と丁寧に断ったつもりだった。
以来、女性の同僚達からあからさまに避けられたり、冷たい態度を取られる様になった。
表面上は丁寧に接してきていた筈なのに。これは逆恨みされているな、と思っていたから、案の定だった。
始めは否定されたが、それでも変な噂を流す動機があるのはあなたか○○さん(先輩社員)しかいないと。
場合によっては名誉毀損での訴訟も辞さないと告げたら、あっさり白状した。
「自分にも○○さんみたいな人にもなびかないなんて、そういう人だと思った」
「ちょっと陰口叩いただけのつもりだったのに、ここまで噂が広がると思わなかった」
「自分がやってしまった事に後悔ばかりしていた、許して欲しい」などと言われた。
上司も取り直そうとしてきたが、俺には身勝手な言い分にしか思えず、絶対に許すつもりは無い事を告げた。
何故か今回も同僚女は最後には泣き出し、上司には「やり過ぎた」と責められる始末。
またしても加害者から加害者扱いされ、加害者は被害者となって被害者である俺が加害者にされてしまった。
それでも「誤解させる様な発言はあったのは事実」だという事で、同僚女には訓告処分が下った。
俺は納得出来ないぐらい軽い処分だったが、表面上は変な噂も収まったようだ。裏では色々言われてたんだろうけど。
数ヶ月後、上司と更に上の上司に呼び出された。俺がセクハラをしているという訴えがあったという。
俺が□□(同僚女とも先輩社員とも別人の女性社員)に対し、指導と称して卑猥な言葉を浴びせる、
性差別的な発言をする、嫌がっているにも関わらずボディタッチをされたという。
□□とは同じプロジェクトに所属している先輩後輩の仲ではあったが、同僚以上の感情なんて勿論無い。
セクハラどころか必要以上に関わりたくも無いのだが、それを伝えても上司らは納得してくれない。
どうして、性嫌悪で人間不信で同性にも異性にも必要以上に関わりたく無いのに、やってもいない行為をやったと
認めろと迫られ責められているのか。あまりにも理不尽で仕方が無かった。
そう言えば□□は同僚女と比較的仲が良かった様に見えたのを思い出した。
この時点で完全に怒り狂っていたので、□□を呼び出してこい事実関係ハッキリさせてやる、完全に名誉毀損なので訴えると怒鳴り散らした。
そして全てでは無いがCOさざるを得なかった。
過去に性被害に遭い、それが原因で性嫌悪になっている事、異性とも同性ともそういう関係や行為をする事が出来ない、気持ち悪くなるからと。
上司は完全に俺を疑っていた。「男性が性被害というのも、トラウマになっているというのも信じ難い」と言われた。
上司は女性だから多分リアリティが無かったんだろうなと思っている。
セクハラは否定したが、結果的に□□や同僚女らの主張が何故か全面的に通り、俺は処分された。
□□本人にも直接抗議したが、彼女には泣かれ周りが『可哀想な被害者である女性』を庇い立て
仕事を全て取り上げられ、皆が忙しい中で自席に座っていなければいけない精神的拷問。
耐えられず退職した。自主退職に追い込まれ、クビにされた様なものだった。
俺は嘘のセクハラ被害の加害者にされて無職になった。COまでして無実を主張したのは全て無駄だった。
過去のトラウマに追い打ちをかける様に追い詰められ社会的に、そして何より精神的に傷つけられた。
レイプが魂の殺人だと言うのであれば、セカンドレイプは精神の殺人と言うべきか。
俺は会社の女達にセカンドレイプされて社会的に精神を殺されたのだろうか。
それどころか被害者扱い。本当の被害者は俺なのに、俺が加害者にされて実際の加害者は被害者様のままだ。
それが何よりも許せない。
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書きなぐったつもりが、思いのほか人から見られていた。
まあ嘘つき呼ばわりしてくる人はいるだろうと思っていた。こっちだって嘘だと思いたいよ。でも現実なんだ。
「男が被害に遭う筈が無い」なんて思いこんでいる人も中にはいるかも知れない。
「女に敵意を抱くな、逆恨みをするな」なんて反応もまあ予想はついていた。
適応障害になってまだ働ける状態になっていないから、カウンセリングに通っているんだけど
「あなたの苦しみの原因はイジメをした男子達なのに、何故女性にばかり怒りを抱くのか」ってさ。
別に女性にばかり怒りを抱いている訳じゃないけど、加害者に敵意を向けるなという方がおかしいだろ。
例えば誰かに殴られて重症を負ってしばらくうずくまっていた。やっと立ち上がりかけたら別の誰かに蹴られた、石をぶつけられた。
この時、蹴ったり石を投げてきた奴を恨むな、憎むな、ってのはどう考えてもおかしいだろ。
これがやったのが女だから免罪しろってのは余りにも理不尽で、ふざけている。
俺に性暴力を振るった男達は、軽いけど何らかのペナルティや罰を受けているのに、女達はほぼ無罪放免だ。
「悪気は無かった、そんなつもりは無かった」だって?悪気無かったら俺の尊厳を傷つけ害しても良いのかよ?
「傷つけるつもりは無かった、謝っているから許して欲しい、何故謝っているのに許してくれないのか、酷い」なんて態度を取られて
どこが反省しているのか謝罪しているのか、俺は全く納得出来なかった。
女達の負の性欲が原因で傷つけられた挙げ句、何故か被害者なのに加害者にされた。
女性性を盾にして被害者である俺を加害者に仕立て上げているのだから、これで女を、女性性を憎むなというのはあまりにも無理で理不尽だろ。
どうせ加害者の自覚なんか持てないだろうし、持てる様な人間ならセカンドレイプなんてしないし、仮にしてもすぐに誠心誠意謝罪するだろう。
初めから期待なんかしちゃいない。
女性患者は覚えている限り5年間、一度も笑ったことがないほどの重いうつ病でしたが、神経マッピングによって発見された最適部位に電気刺激が行われると
「突然、心の底から本物の歓喜と多幸感を感じ、世界に色が戻ったように感じて笑みが絶えない状態に変化した」
とのこと。
この結果は脳への適切な電気刺激が、喜びの感情を強制的に起動し、うつ病に対して有効に働いたことを示します。
しかしより興味深い点は、刺激する場所によって女性患者が感じる喜びの質に違いがあったことがあげられます。
ある場所では「うずくような喜び」が起こり、他の場所では「霧が晴れたような覚せい感」を覚え、また別の場所では「良い本を読むような穏やかな喜びの感覚」を感じたのです。
>リビングの椅子の上で不合格を知った息子は一点を見つめて呆然としていたが、突然エビのようにビタン!と勢いよく跳ね、そのまま床にうずくまって歯軋りを始めた。私が声をかけても反応せず、そのまま奇声を上げて気絶してしまった。
30代の一人息子。真面目でおとなしいのだが、不器用で要領が悪かった。
小学生時代、放課後の公園で何度練習しても逆上がりができず、家でどれだけ練習しても二重跳びはできなかった。中学受験では塾の仲良しグループで唯一全落ちしてしまった。
それでも進んだ区立中では楽しく過ごしていたし、高校受験では所謂名門都立高校に進んだ。しかし、大学受験では再び挫折。浪人したものの国立に落ち早慶に進んだ。国家公務員志望から法曹志望に切り替え、予備校に通い一生懸命やっていたようだが予備試験には受からず、法科大学院修了後も司法試験に受からなかった。
3回目の司法試験の際に初めて短答試験に合格し、私や夫が心配するくらい勉強して論文に挑んだが、残念ながら不合格だった。リビングの椅子の上で不合格を知った息子は一点を見つめて呆然としていたが、突然エビのようにビタン!と勢いよく跳ね、そのまま床にうずくまって歯軋りを始めた。私が声をかけても反応せず、そのまま奇声を上げて気絶してしまった。
それから息子は二日ほど部屋に篭っていた。三日目の朝にリビングに降りてくると「司法試験は諦めて就職する」と言ってきた。
息子は企業の法務部で働き始めた。職場環境は良かったようで本人も楽しそうにしており、私や夫は安心していた。社会人になって以来、息子は帰宅が遅くなり、休日の土日も殆ど家を空けるようになっていたが、忙しいのかと思い気に留めていなかった。
社会人になってから3年ほど経ったある日、息子から自身が主催しているセミナーを手伝うように頼まれた。夫も休日だったため、よくわからないまま二人で会場に赴いた。すると、先に集まっていた人々から「先生のご両親ですか?」と聞かれた。そうだと答えると突然周りが慌ただしくなり、恭しく部屋に控え室に通され、ソファの上でお茶やお菓子を出された。そして、みんなから口々に息子の凄さを聞かされた。「先生のおかげで人生が変わった」、「先生のおかげで世の中の構造が見えるようになった」、「先生のおかげで人生に意味を見出せた」というように。
息子が遅れて控え室に入ると、私たちの周りに集まっていた人々は一斉に息子を囲み、また口々に挨拶と賛辞を繰り返した。息子はそれをあしらい、準備をする様に言うとみんな解散していった。息子から「今日のセミナーの終わりに会場の外で本を売るから、レジをやって購入した人に僕の両親だと言って挨拶や握手をして欲しい」と言われた。
時間になり会場に人が集まってきた。私と夫は後ろから立ち見していたが、来場数は100人ほどで若いカップル、小さな子供を連れた若い女性、私たちと同じ中年の男性、80過ぎの女性など年齢層はバラバラだった。息子が登壇すると、ある人は勢いよく拍手し、ある人は「先生!」と勢いよく叫び、ある人は立ち上がってお辞儀した。息子が話し始めると場が静まり返った。話してる内容は陰謀論だった。息子曰く、世界を支配しているのはビルダーバーグ会議で、日本はビルダーバーグ会議の意向を受けた日米合同委員会が支配している。みんなから事前に集めた悩みを発表し、その悩みの根本原因にはビルダーバーグ会議と日米合同委員会があり、自分は愛と真実によってこれらから世界を解放するのだという。
正直聞いていて呆れてしまった。息子はオカルト話と陰謀論を混ぜこぜにしたような話を披露し、来場者はそれを真面目な顔して聞く。
息子が一通り話し終えると控え室にいた女性が登壇し、「これまでの先生の指導集がいよいよ完成しました。ご希望の方は会場の外の物販コーナーにてお求めください」と言いお開きとなった。来場者はすぐに外には出ず、息子の元へ行列を作って何かを質問したり相談していた。
私と夫は控え室にいた別の男性に案内され物販コーナーに立った。先程女性が紹介した息子の指導集が並んでいたが、なんと文庫本サイズで発言と日時がまとめられただけのものが一冊25000円である。会場から出てきた人々は今度は物販コーナーに列を作り、老若男女迷うことなく購入していった。そして私と夫に握手を求め、息子を讃美した。ある年配の女性からは涙を流してお礼をされた。全てを売り尽くし、私と夫はよくわからないまま帰宅した。
息子が知らない間に教祖になっていた。
子供の時、両親が離婚して母が出て行った。正直、両親が仲良くしてるところを見たことがなかったからその日はいつか来るだろうと思っていたので驚きはなかった。
とりあえず父は仕事で遅くまで帰ってこないので、自分でスーパーでご飯を調達する毎日が始まった。
ある日いつものようにスーパーに行って入り口に近い果物エリアを通ると、「営業後、バナナとかりんごとかにお布団かけといて」とスタッフの人が同じスタッフの人に指示していた。
多分お布団というのはホコリ避けのカバーか何かだと思うんだけど
父と母は仲が悪いというか壊滅的な関係だったが、自分と父、自分と母は仲が良かった。嵐の中でも愛を感じていた。
もっと小さい頃、夜に2人の喧嘩が終わって母が自分のベッドに近づいてきた。
喧嘩を聞くのに疲れていて寝たふりをしていたのだけど、母は自分に布団を優しく掛け直し、頭を撫でながら「生まれてきてくれてありがとう」と言った。
その思い出が頭を巡って、母が出て行って一度も泣かなかったのに急に声を上げて号泣してしまった。
止めようと思っても止められず、バナナとりんごの前で嗚咽を上げてしまっていた。
文字に起こすとなんかバカっぽくなるけど、自分にとって人生で一番激しく泣いた時間だったと思う。
うずくまっていたのでわからなかったけど、あとで記憶を繋げるとかなりの人が心配して周りに集まってきてくれていたようだった。(普通に邪魔だったというのももちろんあるだろうけど)
スタッフの方がスーパーのベンチまで移動させてくれたけど、涙が止まらずずーっと丸まってた。
すると次々に人が来て、「何があったかわからないけど元気出して」とスーパーで買ったお菓子やジュースを次々に置いて行ってくれた。おじいさんが「泣きたい時は泣け!」と言ってくれたりした。茶化す人はいなかった。
しばらくして家に帰って、いただいた食べっ子どうぶつやカプコを食べた。本当に美味しくて、これからも生きていけそうな気がした。
いきなり何?と思われるだろうけど、十数年後の今、地元で市議会議員になりました。
もちろんこんなエピソード、ちょっといじっても話せないから話してないけど
優しさにあふれる街にという話をしたのはこういうことでした。めちゃくちゃありきたりな話にしか聞こえなかっただろうけど。
かつて自分がそうしてもらったように、泣いている人がいたら手を差し伸べる人がたくさんいるような街であり続けることに貢献できるよう頑張ります。
零細会社の経営者をやっているが、やはり従業員の会社への帰属意識ってのは年々弱まっていると思うんだよね。
入ってくる従業員が、みんなアルバイトレベルの意識の人ばかりというか、
「私はこれをやれと言われたのでやりました。おわり。」みたいな人間というか、
まあただ従業員の質が落ちてるだけかもなぁ。
うちみたいな零細はやはりメンバーシップ型雇用というか、良くも悪くも”会社の一員”であるという高い意識を求めてるんだよね。
「会社」としてやるべきことはなにか、その中で自分は何ができるだろうか、そういうことを常に考えていてほしい。
会社の前でよくわからんけど老人がうずくまっていたら率先して手を差し伸べられる人でいてほしい。
会社の前にクソ迷惑な犬のうんこが落ちていたら誰に言われるでもなくさっと拾って掃除できる人間でいてほしい。
そういうことよ。
夫が仕事で発狂する姿を見てから、自分の仕事がしやすくなった。
夫の残業が月100を超えたことがあった。家族としてとても心配したし、もう退職しろとも進めた。だが、今は辞められないと出勤し続けていた。
そんなある日、24時を超えて帰宅するなり、夫が吠え始めた。玄関にうずくまり、オオカミの遠吠えのように、ああああーーーーっっっ!!!あーーーー!うあーーーーーーー!!!!!と大絶叫している。
「会社のやつらはみんな死ねっ!死ね死ね死ね!」と叫びまくり、髪の毛を掻きむしって地団太を踏む。
背中をさすっても抱きしめても落ち着かず、思わず漏れた「近所に聞こえて警察呼ばれちゃうかもしれないから…」で静かになった。
その後、夫は退職。今は、ほぼ定時で帰宅できる会社に転職し、給料は下がったが、安定している。
わたしもフルタイムで勤務していて、総合職なので、それなりに仕事がパツパツになることがある。焦る。
でもそうすると夫の遠吠えを思い出す。頭のなかでうああー―――!っと叫ぶ。それを思い出すと追いつめられる気持ちが少し減る。
なんでなんだろう?と考えてみたのだが、理由はたぶん二つある。
①人間の限界はこんなもんじゃない、今のわたしはたいしたことない、と思えるから
②夫の絶叫を見た時の、こう言ったら申し訳ないんだけど、ドン引きする気持ちを思い出して客観的になれるから。
ドン引きっていうのは、「仕事にそんな痛めつけられる意味ある?」って冷静になっちゃう、みたいな気持ちを自分に転嫁できるというか。
それは主に男性の手指の特徴なのだが、胎児時代に浴びた男性ホルモンの量が多いとそうなるのだという。
それが、自分の性自認と性的指向に、どう影響があるのかはわからないが。
思い返せば、2、3歳くらいの幼児期にはテレビに出てくる女性アイドルばかりに興味を示し、執着していた。
でも、幼稚園以降はわりと普通に恋愛対象としては男子を好んでいた。今のパートナーも男性だ。だが、女性を好きになった事がないわけじゃない。
幼少期は、信じられないレベルの悪ガキで、弟を巻き込んでイタズラばかりしていた。
でも、幼稚園以降は、しょっちゅう同級生女子のわがままに振り回されたり、ハブられたりして、泣くことも出来ずに一人で隅っこにうずくまり、霜柱を踏み潰すとか、石をひっくり返してダンゴムシを見てたりとかした。
可愛いアイドルが好きだったけど、いつもズボンを履いていた……のは、親の意思だったような気がする。
珍しく買って貰えたのが、細かな千鳥格子の布地で出来た、裾に共布のフリル付きの遠目に見ると灰色っぽいスカートで、死ぬほど地味なのがかなり嫌だった覚えがある。灰色って。ピンクや赤だったらきっと喜べた。
おままごとのお母さん役は死んでも嫌だった。
だが、人形遊びは大好きで、やっていたのは完全におままごとで、なのに人形で遊んでいるところを見られるのは絶対に嫌だった。
小学校の頃に、母が友達からVANのパーカーを貰ってきて、それは男ものだったんだが、私は喜んで着た。でも、私以上に母の方が喜んでいたと思う。
以後、母が誰かから貰ったまま押入に仕舞い込んでいたという、ボーイッシュを通り越してマニッシュな、いやおっさん臭い(一応女物ではある)服というのが、謎に沢山出てきた時期があって、当時は偶然見つかったお宝を貰い受けたと自分では思っていて、得したようにも思っていたが、今思えば、上手いこと母に誘導されただけのような気がする。
思春期は、自分の身体が段々女体化してくる事をグロいとしかおもえなくて苦痛だった。
一方で、好きな男子と付き合ってセックスすることを夢見てもいた。
月経困難が酷くて、元気な日が1ヶ月のうちに3日あればいい方だった。
それで同級生女子にも可哀想だと心配され、面倒見のいい女子から何かと気遣われるのが、すごく嫌だった。
女友達と人目憚らずにスキンシップ過剰な付き合いをしていて、男子からはレズは死ねとよく言われていた。
19歳の頃、それまではそこまで思い詰めていた訳でもないのに、急に自分はとても中性的な容姿なんだと思い込み(実際には瓢箪型のデブだったので、どっからどう見ても女だったし、服装がモサかったので、女というよりは産後太りから順当に中年太りに移行したおばさんのような見た目だったと思う。そんななりで男らしくw がに股で肩で風を切って歩いていた様はちっさいおっさんでしかなかったと思う)
友達に半ば無理強いさせる形で「男みたい」「中性的」だと言わせて、有頂天になっていた。
それがある時急に虚しくなり、お水風俗のバイトをやりだし、客から可愛いとお世辞を言われて有頂天になり、以前の「中性的」という名のおっさんおばさんチャンポンムーブは何だったのかというくらい、ゴテゴテの派手メイクのゴスロリと化した挙げ句、初めて付き合った男と唐突に結婚するという離れ技をきめた。
結婚はしたけれど、夫の家族から「○○家の嫁として云々」と言われるのが鬱陶しく、パート先ではダントツに若かったせいで変に「女の子」扱いをされるのが苦痛で、ある日カッとなって頭を丸坊主にしてしまった。
パート仲間のおばさん達から「小猿みたいで可愛いね」と言われて有頂天になった。ついにヒト以下の存在になった事には気づかなかった。
ミニスカートを履いていても「○○家の恥」と言われたが、頭を坊主に丸めたら「お前は俺にわざと恥をかかせようとしているのか」と夫に言われて激しい口論になり、一時的に夫婦関係がマイナス28度まで冷めて険悪になった。
子供が出来るまでに五年くらいかかったが、私の体質のせいで胎児が平均サイズをかなり下回った状態で、予定日を一週間も過ぎて生まれてきた。下の子は完全に低出生体重児だった。
それからは常識の範囲内で色々あったが、現在の私はただのおばさん以上でも以下でもない。夫婦仲も親子仲も良好で、取り立てて言う事はない。言動はもう完全におばさん。
で、今になって思うのは、若い頃の自分はセクシャルマイノリティに何をそんなに期待していたのかということだ。
私の手の薬指は人さし指よりも明らかにずっと長くて、それは母親の胎内にいた時に女児であるにも関わらず沢山の男性ホルモンを浴びたことにより形成されたものと思われる。母体に過剰なストレスがかかるとそうなると言われている。母は昔からいつもイライラしていてヒステリックで家族に当たり散らしてばかりいる人だったから、私が母のお腹にいた時も、やはりイライラムカムカしてストレスフルな毎日を過ごしていたのだろう。
私の手の薬指は人さし指よりもずっとながい。ただそれだけのことで、しかし私の性別が女であることは揺るぎない事実だ。若い頃の私は、「中性的(笑)」ということに変な期待ばかり山ほど抱えた、恥の多い人生を送っていたけれど。
ずっと関東の政令指定都市の実家ぐらしで、就職を期に一人暮らし。
実家から2.5時間くらいのコンビニすらない人口2万人未満の小さなアパートに引っ越しました。
私だけの城で私に最適化した生活習慣にしたので、記録しておこうと思う。
・朝顔を洗わない
・化粧もしない。眉だけ書くときはある
・朝ごはんは食べない。菓子パンかウィダーを家から駅までの道で食べるときはある。
・寝間着のまま出勤(ギリギリ外に出れる格好で寝る、という意味でもある。職種は工場のバックオフィスと考えていただければ良くて、出勤したら作業着に着替える。出勤は社バスで、電車には乗らない)
・靴下は全て同じ黒いやつ。なんならちょっとくらい左右違っても気にしない
これで起床後5〜15分で家を出られる。
・陶器の皿は使わず、百均で買ったプラスチックのどんぶりか、汁物でないときは紙皿。
・カット済み葉物野菜か冷凍野菜を使う。根菜などを数日に分けて使おうとすると腐らすと分かったので。
・飲み物は基本的に水。紙パックのジュースを買うとゴミ捨てが面倒くさいと分かったので。たまにジュースやコーヒーやスープを飲むときは紙コップ。
・風呂は2日に1回
・風呂場に着替えを持ち込んで風呂場で着替える。洗面所が寒いので。
・水道代やガス代や電気代がもったいないなどを気にせずに、寒ければ暖房は一日中つけっぱなしだし、シャワー浴びる前にシャワーを1分くらい流しっぱなしにする。
・電気をつけっぱなしで寝る。朝起きられないので。
・トイレットペーパーは5倍巻きに。
まあこんなもんかな。
(追記)
意外と伸びていてビビった。年の瀬にこんな限界ズボラ女の生活を見せてしまってすみませんね。
うすうす感じていましたが、あらためて言語化してコメントをいただいて、やだ、私ってズボラすぎ…!と理解しました。
●感想
・私は不潔耐性と貧相な食事耐性はあるのかな、と思っています。親には私がこんな生活をしているなんて申し訳なくて言えません。
・ズボラを極めて浮いた時間で何をしているのかと言われると、寝るかぼーっとするかゲームするかくらいにしか当てていないですね…恥ずかしい…
・今は超絶ホワイト企業なので全然残業もなく、遅くたって19時すぎには家に帰れます。
・学生時代は研究室の拘束時間が比較的長く(帰宅は23:30-25:00)、一時期は3日に1回くらいしか家に帰らず、風呂も3日に1回、食事も毎日レトルトカレー、みたいな生活を送っていて、その時期の名残もあります。
・卒業前半年弱くらい、教授との関係が悪化して心を病んでいて、身だしなみや健康に気を配れなかった名残でもあります。入社後4~9月くらいまでは、毎日のように教授との日々を思い出しては泣いていました。辛うじて出勤していましたが、退勤後は毎日ベットでパチンコのようにどうでもいいサイトを読みながらうずくまっていました。最近ようやっと元気になってきました。今日様々な方にツッコミをいただいたので、少しだけ丁寧な人間らしく生活習慣を改善しようかな、と思えました。皆様ありがとうございます…
●清潔系
・目ヤニだけ洗ってとるときはあります。ついでに水洗いするときはあります。朝の洗顔の習慣は取り戻したいです。
・「日焼け止めだけはつけろ」との助言をいただいたので、サンカットなら頑張ればできそうなので時間があるときはやってもいいかなと思います。それか夜のうちに24 hいけるやつをつけておくかですね。そっちのほうができそうかな。
・風呂に入らなかった日はドライシャンプー(吹き付けてさっぱりするやつ)はしています。
・「どうせ出勤の10分だけですぐに作業着に着替えるのに、その間ほぼ人とも会わないのに、なぜわざわざ別の服に着替えねばならない?」と思って寝間着と出勤着を一緒にしました。そのためたまに更衣室で人と隣になるとちょっと気まずいです。
●食事系
・昼食は社食(おいしくて栄養満点)です。昼食が毎日バラエティ豊かな美味しいメニューなので、夜はほぼ同じメニューの適当でいいかな、と思っているのもあります。
・うどんについては、節約したい訳ではなく、献立を考えたくないのと、私がとにかくうどんが大好きなので毎日のようにうどんです。めんつゆは3倍濃縮の2リットルを3か月で1本のペースで消費しています。栄養は一応考えて、野菜と肉は適当に突っ込んでいます。最近はカット白菜です。ビタミン剤とビオフェルミンは一応毎日飲んでいます。
・うどんは太ります。意外と糖分多いですからね。学生時代と比較して6キロくらいは太りましたね。痩せたいなと思いつつ、でもこの食生活が好きでやめられません。
・同じ部署の同期も食には手を抜いていて、毎日卵かけご飯(卵をかけた方が栄養を取っている気がするとのこと)と業務用冷凍食品(唐揚げとかシュウマイとか)で、それかいっそ食べない、と言っていたので、食事に手を抜く人なんてこんなもんだよな、と思っています。同期からはトマトはそのまま食べられて野菜取っている気になるからオススメ、と言われました。
●その他
・食洗機は本当に欲しいのですが、スペースがないので買えません。食洗機を手に入れるまで陶器の皿は使わないと決めています。皿洗いの時に左手が重いのが嫌なんですよ。プラスチックの皿も本当は洗いたくないですね。
・スイッチボットは買いました。これで電気を消して寝られます。ありがとうございます。
・この規模の都市にワンルームは無いは本当にそうで、でもまあ探せばあるもその通りで、ワンルーム・1Kだと3軒とかしか選択肢が無い中選びました。しかも2DKと家賃が1万くらいしか変わらないんですよね。
・コンビニが無い、は駅前や私の生活圏内には無いという意味で、国道沿いに出ればコンビニはあります。車持っていないので行かないけど。言い方が悪かったです、すみません。来年度は車買いたいですね。
ぼっちざろっく最後まで見たけど、昭和のスポコン魂が未だにこびりついてるジジイの予想は見事に裏切られぼっちは成長することなく話が終わった
そりゃ少しは成長(慣れ?)したのかもしれないけど、最後までぼっちはぼっち
元々ギターが上手いとか演奏動画が○万回再生とか広告収入で30万稼ぐとかポテンシャルはあったから成長などいらないという話でもあるだろう
でも人前で演奏できなかったぼっちが勇気を出して人前で演奏できるようになっていく、というよりはぼっちは変わらないんだけど薄暗い世界の片隅でうずくまってたぼっちを他のみんなが見つけて優しく受け入れてったという印象が強い
この「もともといた環境から追い出されたが、その後認められて評価を上げる」というメソッドが追放系なろう
というか「自分が変わらなくても何かのきっかけで周りが自分を認めてくれる」というのが追放系なろうも含めての時代の流れだったんだろうな
さっき近所のスーパーに行った。店に入ると変な歌が耳に入ってきた。
「なんか嫌な曲だな」と思いキムチと刺身をかごに入れ、レジに向かおうとした瞬間「新世界」という歌詞が聞こえた。
Adoの曲だこれ!
自分は慌てて耳をふさぎ「安倍晋三」のような頭に思い浮かんだ単語を念仏のようにとなえその場にうずくまった。
過呼吸状態になり意識ももうろうとすること数分、ようやく曲が終わり塞いだ耳をあけレジに向かった。そして会計後慌てて店を出た。
しかし耳の中には「新世界」という曲の一節がこびりついていた。それがリフレインするたびに呼吸は荒くなり、意識ももうろうとした。一回吐きそうにもなった。
曲が耳に入って40分ぐらいたってようやくちょっと動けるようになった。
別にAdoが好きなら好きでいいけど、自分のように体調を崩すレベルで嫌いな人がいることも頭に入れてほしい。
公共の場で流すな。