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2018-02-17

謎の発作

さっき洗面所で歯みがきしてたら突然心臓が剥がれたんじゃないかってくらい胸が痛くなって

もう頭真っ白になって倒れ込んで動けないくらい痛かったんだ

何もできずにそのままうずくまってたら少しずつ痛みが引いて今なんとか回復した

家には誰もいないし、ちょっとこのまま死ぬんじゃないかと思ったね

おかげで洗面所の床が歯磨き粉まみれになっちゃった

こんな痛いの初めてだったんだけど一体何なんだろう

2018-02-15

まだ自己管理の出来ていなかった若い

友人とコミケへ行く途中猛烈な腹痛に襲われほぼ満員の電車のなかでうずくまって動けなくなってしまった

その時の苦しさとか恥ずかしさとかがきっかけになって

外出している時、お腹が痛くなりそうになると

心臓の動悸がはげしくなり、吐きそうな気持ちになり、

視界がぐにゃ〜〜っとなるような感じになり、全身に冷や汗をかいて、

死にそう、倒れそう、ていうような気持ちに追い込まれるようになってしまった

電車に乗っている時(とくに、満員とか快速とかの身動きがすぐにとれないと自分が感じるとき

または仕事での打合せの最中(すぐに離席できない、帰ったりする事ができない)

しばらくたってから、これはパニック発作というものかもしれないと知った。

近年、仕事フリーランスに変え、外出する機会が極端に減り

ニートではないけど外界との接触がほぼない引きこもりみたいな生活になっている。

たまの打合せとか、友人に誘い出される食事の機会とかに、そとへでることがすごくイヤになってしまった。

最初は面倒なだけだと思っていたんだけど

やはり一時期のパニック発作をひきずっているのかもしれない。

いい大人なのに引きこもりなんて恥ずかしいけど

きっと病院などへ行くほどの事でもない。

ウソをついてでも打合せを断るべきだろうか(別に直接会って話す必要など実質的には無い)

それとも自分を外出できるように仕向けていくべきなんだろうか・・・

今日も打合せがあって朝からものすごくものすごく憂鬱だ。

2018-02-11

生きている

なんで生きているのかわからないし

ずーっと死にたい

でも死ねないし

人と何を話していいかもわからないし

ずっと一人だし

でも人といると辛くなるし

どうしようもないところにいる

自分から何かを行動する能力もなく

ただこの世に存在している

誰かを好きになることや

何かで感動することもなくなり

自分が暗い部屋で一人うずくまっているような感覚をおぼえる

こんなことを伝える相手もおらず

ただこんな自分がここにいるということだけを記しておく

2018-02-07

私の宝物と将来の夢

二ヶ月前、道路交差点うずくまっていた黒い物体に驚き

車を停めすぐにそばに駆け寄り抱きかかえた。

子猫だった。

の子風邪をひいていて目はぐちゃぐちゃで見えなく、

鼻も詰まっていて匂いもかげない状態だった。

家に連れて行こうか正直迷った。

既に家には3匹も猫を飼っていて、父が特にもう猫は飼うなといっていたし

家族日中家にいることが少なかったため

子猫を飼える自信がなかった。

車が通らない野原に置いてみた。

すると視覚嗅覚も失っているので私を追いかけてくるのだ。

やせ細った体に「みゅーみゅー」と私に訴えかける。

私はとりあえず家に連れ帰ることにした。

知り合いにねこ里親探しのプロがいたか相談してみることになった。

するとすぐに貰い手が見つかった。本当に感謝でいっぱいだった。

しかし向こうから3日間だけ預かっててくれたらという条件が来たのだ。

家族で話し合い、3日間だけ子猫を預かることになった。

1時間ごとにミルクを飲ませたり目を拭いてあげたり…とにかく大変だった。

ここで驚いたことに先住猫と相性が抜群なのだ

先住猫が我が子のようにするものからびっくりした。

せっかく仲良くなったのにあっという間に3日が過ぎた。

約束の日、私は仕事だったのを休み、引き渡しの時を待った。

3日間だけだったけど逆に3日間もいると情も沸いてくる。

先住猫と引き離すのも辛くて私は静かに涙した。

しか問題が起こった。

引き渡しの日を延長してくれと連絡があったのだ。

仕方ないかとその時は思ったが

後1日、後4日、後1週間とどんどん先延ばしにされたのだ。

最後まで反対だった父や家族はみんな、責任感のない人の元にこの子を渡したくない。

という気持ちで引き渡しを断り、なんだかんだでうちの猫になったのだった。

黒猫長毛のオス猫。

動物病院に連れて行ったときにやせ細っていたからわからないけど

おそらく生後2ヶ月はたっているだろうと言われた。

から今は4ヶ月になるのかな。

今じゃ目もすっかり開いて黄色のくるっとしたかわいらしい目をしていて、

長毛も毛もふわふわ温かくて気持ちいい。

元気で…いや元気過ぎて困っている。

仲良しの先住猫も最近ちょっかい出されまくって参っているのか疲れ気味だ(笑)

それでも寝ている時と私が仕事に出かけるときのこの子は本当に可愛い

暴れん坊将軍がすやすやとお腹を見せて寝ているのだから可愛くて仕方がない。

私が仕事に行くとき行ってしまった私を家の中からずっと目で追いか

「くぅ~んくぅ~ん」と鳴くらしい。私も母に聞いた話で詳しくは知らないが可愛すぎる。

のろけに来たわけではない。

の子出会って今まで密かに望んでいたことが

”将来の夢”へと変わったのだ。

それは大きく言うと不幸な猫をなくしたい。

でも大きすぎるのでせめてうちの地域ねこだけでも救いたいと思った。

今は一般企業で働いているがお金がたまってきたら

まずは近所に野良猫が増えすぎて最近では追い払われているなどという

噂もきくのでどうにかしてあげたい。

長々書く内容じゃなかったと思うけど

とにかくこの世界から不幸な猫が減りますようにというのと

家のチビ可愛いぞということでした!(ただの親ばか

2018-01-19

今朝のラジオNHKニュース高速道路で猫がうずくまってるニュースを詳細に読み上げてて、それって、朝の大事な時間に長時間かけてニュースで読むことか?と思った

顛末としては

高速の壁の上?でうずくまってる猫をドライバー発見して通報

対応する会社人間がかけつけて虫取り網みたいなので捕獲しようとしたが、捕獲失敗

猫は救助車の下に入り込んだ後、最終的にエンジンルームに入り込んでしまった

どうしようもなくなったため、低速運転高速道路から出て3kmくらいの場所まで移動した

ボンネットを開けると猫は逃げたとのことです

らしいけど

他に重大ニュースなかったんだと思えばまあ平和証拠なんかもしらんが、そういや最近政治経済系のニュースあんまり大きな話題になるのがなくなった気がする

特に政治ニュース

スキャンダルみたいなことじゃなくても大事なことを税金議論したりしてんだから、猫なんかじゃなくてちゃんとニュースを流してほしい

特にNHK

2018-01-18

みなさんは現実土下座謝罪されたことがありますか?

わたしはありますドラマみたいだなと思いました。


みなさんはコップの水を目の前の人間にぶちまけたことがありますか?

わたしは一度だけあります土下座している人に向かって、そのとき持っていたコップの水を全部勢いよくぶちまけました。うわっ、ますますドラマみたいだなと思いました。

すなわち、わたしには「土下座して謝っている人に向かってコップの水をぶちまけた経験」があります稀有経験だと思いますが、リアルで話すと絶対に引かれるので、致し方なく匿名ダイアリーに書いています


どうしてそんなことをしたのか?

相手土下座という、およそ非現実的謝罪方法選択したときわたしは強い危機感を覚えました。彼の必死さが怖ろしく、一方で、ここで舐められたら終わりだと思いました。わたし相手絶対に赦さないことをはっきり示し、復縁を諦めさせる必要があると感じました。

伝統的には土下座をしている相手を踏みつける方法もありますが(ドラマとかで)、現実にそれをやると犯罪なので、とっさに手に持っていたコップの水をぶちまけました。水は弧を描いて、土下座をしている相手の後頭部と背中を濡らしました。

厳密に言えば、これも暴行罪に該当する可能性がありますが、場所が自宅のリビング相手パジャマ姿だったので、万が一、被害届を出されても警察は動かないだろうと考えました。

相手は、土下座して謝っている最中に水をかけられるという完全に異常な状況であるにもかかわらず、特に驚く様子もなく、か細い声で「ごめんなさい。本当に反省してる。許してほしい。」と言いました。

わたしはここが正念場だと思ったので、普段は出さない大きな声で「うるさい。早く出て行け。視界に入るだけで不愉快だ。」というようなことを言いました。その夜はさすがに眠れませんでした。


その日に至るまでの3カ月間、彼はほぼ一日おきに「とても反省している。愛しているのは君だけだ。君を失ったら生きていけない。なんでもするからやり直すチャンスをくれ。」といった内容のポエムメールを送ってきていたのですが、その夜を境にピタリと止み、2週間ほどで荷物をまとめて出て行きました。

彼が去ったあと、がらんとした部屋のテーブルの上に記入押印済の離婚届と一緒に四つ折りにされた便箋が置いてあり、確か「君と暮らし10年間、とてもしあわせだった。本当にありがとう。傷つけてごめんなさい。」というようなことが書いてありました。

わたしはそれを読んだあと、すぐに鋏で細く切って他のゴミと一緒にマンションゴミ捨て場に持って行きました。

部屋に戻って靴を脱いだ瞬間、ああ本当に一人になってしまったんだなという実感が湧いてきて、涙が溢れて止まらなくなり、床にうずくまって、文字通りわんわんと泣きました。

離婚たことについて後悔はなかったのに、それでも10年の歳月はあまりにも長く、喪失感は大きく、どうしようもなくてわんわん泣きました。


それから一年は、これまでの人生で最もつらい期間でした。一番つらかったのは、人を信用できなくなったことです。わたしはおろかだったので、10年も一緒にいた相手が病的な嘘つきであることを見抜けなかったのです。客観的証拠により相手が膨大な嘘をついていたことが分かった後は、誰も彼もが嘘つきに見えました。

周囲の人からは、なんであんなにいい人と離婚したのか、もったいないと責められたり、浮気は男の甲斐性だ、許せない女のほうが悪いと説教されたりしました。

離婚後も相手からは「元気にしてる?君のことをとても心配している。落ち着いたらまた会えないかな。」といった内容のメールときどき来ていたのですが、返信せずに削除していました。

最近連絡がないなと思った矢先に、「ご報告」という妙にかしこまった表題メールが届いて、開けてみると「結婚再婚)することになりました。相手妊娠しています。」といったことが神妙なトーンで書いてありました。彼が出て行ってから半年も経っていませんでした。


彼の再婚相手は、複数人いた浮気相手の誰でもなくて、わたしもよく知っている、ほんの数日前に一緒に食事をした女性でした。わたし彼女を友人だと思っていました。お酒がとても好きなはずなのに、その日はガス入りの水しか飲まなかったので、体調が悪いのかなと少し心配していたのです。ああ、なるほど、妊娠していたかアルコールを飲まなかったのかと妙にスッキリ腑に落ちました。

わたしは、「土下座して謝っている人に向かってコップの水をぶちまけた」瞬間が一連の出来事クライマックスだと思い込んでいたので、まだ続きがあるなんて想定外でした。事実小説より奇なりとはこのことかと思いました。

そして、ようやく治り始めた傷口に乱暴に塩をすり込むようなことをした彼らを強く憎みました。彼らを憎んでも自分を損なうだけだと頭では分かっているのに、感情コントロールできなくて、四六時中、彼らがしたことについて考え、彼らが不幸になるように願いました。そのときには、もうわんわん泣く余裕もありませんでした。


その後どうなったかというと、特に何もありません。

彼が出て行ってから一年くらい経ったある日、気が付くとすべては過去になっていました。時折、激しい憎しみの名残が発作のようにやってくるのですが、それも長くは続かなくなりました。ただ、不倫浮気を美化する内容のドラマ小説に強い嫌悪を感じるようになりました。

彼らが不幸になったかも知りません。子どもは無事に生まれたらしいと風のうわさに聞きました。それでよかったと思いますわたしの見ている前で、彼らが不幸にならなくて本当によかった。

さっき「離婚して、わんわん泣ける女になりたかった。」というタイトル記事を読んだら、一連の記憶フラッシュバックしてつらくなったので、気持ちを静めるためにこれを書きました。

自分経験に照らすと、記事中できれいごとを言っている元夫は嘘つきで、本当は慰謝料を払わず離婚して他の女性再婚したいだけなのではないかと感じましたが、そんな風にうがった考えを持つことは人を幸せしません。



なので、ここに書くことで忘れてしまうつもりです。

2018-01-14

「ウザがらせる自由」に対して:『あなたは、豚として生まれたの?』

(追記)ウザがらされない→ウザがらせられない ですね。日本語不自由になってました。恥ずかしい。

後、importuner と Un porc, tu nais がどちらもアンポルチュネで発音同じことに言われて気づきました。これも恥ずかしい。

そして、さらに恥ずかしいことに、最後段落抜けてました。大急ぎで追加しました。

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ちょっとフランス語翻訳してみたくなったので、最近増田の流れで、一つ記事を訳してみました。

Leïla Slimani (レイラスリマニ)というモロッコ出身フランス人女性作家の Liberation のサイトに昨日掲載された«Un porc, tu nais ?» (「あなたは、豚として生まれたの?」)という記事です。

なんで、これを訳したかというと、先の「ウザがらせる自由」が、何やらフランス代表するもの英米からmetooブームに対する、大陸から批判みたいな取られ方をしている向きがあったからです。全然そんなことありません。twitter を見る限り、あの記事叩かれまくっています

現在も、テレビ討論番組で、Brigitte Lahaie という元ポルノ女優(あの記事署名者の一人です)が「レイプ最中だって、楽しめるわ」と発言した件で、絶賛大炎上中です。(この発言が、あの記事の後半部につながっているのは明らかでしょう)。

フランスでは #metoo に加えて #balancetonporc というタグ使用されていて、意味は「あなた豚野郎を叩き出せ!」です。ものすごく攻撃的ですね。Le Monde 誌の記事はそんな流れの中でのカウンターとして出されたもので、まぁ、要するに両者ヒートアップしてるってことです。

あなたは、豚として生まれたの?」は明確に「ウザがらせる自由」に対する反論として書かれています。いくつかの言い回しが、あの記事から来ているので、増田での訳語にその辺はあわせました。この記事文脈では「ウザがらせる」は生ぬるい気もしますが。

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(追記)ブコメで指摘がありましたが、あちらの翻訳は「ウザがられる自由」でしたね。完全に見間違いをしていました。

でも、これはしょうがないところがあって、原語 importuner は他動詞能動形以外のなにものでもないので、まさか受動形で訳しているなんて思わなかったのです。

「ウザがらせる」が正しいです。

不器用勘違いから来る過失のニュアンス」は日本語訳からまれものであって、原文にはそうした解釈余地はありません。

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小説家による平明に書かれた文章なので、致命的な誤訳はないと思いますが、気づいた点があれば、じゃんじゃん指摘しちゃって下さい。

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あなたは、豚として生まれたの?』

通りを歩く。夕方地下鉄に乗る。ミニスカート、胸の広く開いたシャツハイヒールをはく。ステージの真ん中で一人で踊る。派手めの化粧をする。ほろ酔いタクシーに乗る。半裸で草むらで伸びをする。ヒッチハイクする。深夜バスに乗る。一人旅をする。テラスで一人グラスを飲む。ひと気のない道を走る。ベンチで待つ。男を誘い、意見を交わし、歩き続ける。イル=ド=フランスの人込みに紛れる。夜勤する。公共の場子どもに乳をあげる。賃上げ要求する。

こうした、日常的で平凡な生活において、私はウザがらせられない権利を、そんなことにかかずらわされない権利要求します。 私は、私の態度、私の服装、私の歩き方、私のお尻の形、私の胸の大きさについて、とやかく言われない自由要求します。私は、私の平穏孤独権利を、恐れることなく前に進んでいく権利要求します。私はただ、内的な自由だけを求めているのではありません。私は、外での、広々とした場所での、私もまたその片隅を占めている世界においての自由を求めているのです。

私はちっぽけな壊れやすい品物ではありません。私は守られることを求めているのではなくて、安全尊重についての私の権利を認めるよう求めているのです。そして男性たちは、皆が皆、豚であるわけではありません。そんなことは全くありません。この数週間、どれほどの男性たちが、彼らの能力でもって、今起こっていることを理解し、私を魅了し、驚かせ、大喜びさせたことでしょう。どれほどの男性たちが、もう加担することをやめ、世界を変え、これらの行為から、彼ら自身をもまた解放しようとする意志を示してくれることで、私を驚嘆させたことでしょう。

というのも、例のいわゆるウザがらせる自由は、その奥底に、男性性についての極めて決定論的な見方を隠しているからです。すなわち、「あなたは豚として生まれたのだ」と。

私の周りの男性たちは、私を侮辱するものたちに対して、怒り、抗議してくれます。朝8時に、私のコート射精した誰かに。私の出世に何が必要理解させようとした上司に。研修の対価にフェラチオを求めた教師に。「キスしないか?」と尋ね、「淫売」扱いして去った通行人に。

私の知っている男性たちは、この男らしさについての反動的見方に、うんざりしています。私の息子は、そう私は希望するのですが、きっと一人の自由な男になるでしょう。その自由とは、ウザがらせる自由ではありません。制御できない衝動にとりつかれた捕食者としてではなく自分定義する自由です。私たちを魅了した男たちが持っているようなたくさんの素晴らしい仕方で、魅了することのできる一人の男に、息子はなるでしょう。

私は一人の犠牲者ではありません。しかし何百万もの女性たちはそうです。これは事実なのであって、道徳的判断やそうした女性たちを(犠牲者として)本質化するものではありません。

そして、世界中の何千もの街の通りを、うつむいて歩いている全ての被害者たち、付け回され、ストーカーされ、レイプされ、侮辱され、公共の場場違いものとして扱われている彼女たち、その恐怖が、私の中で瞬きますうずくまり、恥じている彼女たちの、辱められたという理由で通りに投げ出され除け者になった彼女たち、彼女たちの体がウザがらせる行為を招くからという理由で、黒く長いベールに隠させられている女性たちの叫びが、私の中で響いています

カイロニューデリーリマ、モースル、キンシャサカサブランカの通りで、歩いている女性たちは、失踪誘拐そして(下心ありの)慇懃さを心配しているのではないでしょうか?彼女たちに、誘惑し、選び、ウザがらせる権利などあるでしょうか。

私は、いつか、娘が夜中に通りを、ミニスカートと胸の開いたシャツを着て歩き、一人で世界旅行をし、真夜中に何も恐れることなく、そんなことを考えることもなく、地下鉄に乗れることを望みます。その時、彼女が生きるその世界は、清教徒世界ではないでしょう。私は確信しています、それはより正しい世界、そこでは愛と歓びに満ち、魅了し合う場だけが、より美しくより豊かである世界になるだろうと。それはまだ想像すらできないものだけれど。

http://www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1621913

2018-01-10

新成人地下鉄サリン事件阪神淡路大震災

知らない…とは言わないが生まれる前に起こった出来事。どちらも1995年からな。今年の新成人1997年まれだ。

子供過ぎて覚えていないとかではなく、文字通り生まれる前だから覚えていないのだ。

地下鉄の出口にうずくまる人々をヘリコプター撮影した中継映像も見ていない。

朝起きたら関西やばい、高架の高速道路が横倒しに倒壊している映像も覚えていないのだ。

そして、おそらく、2001年世界同時多発テロ事件も幼すぎて覚えていない…旅客機ワールドトレードセンターに突っ込んだ、日本時間よる9時のあの瞬間を、リアルタイムで見ていない、覚えていないのだ。

俺は新成人より15年早く生まれただけなのだが…正直、世界に対して同じ認識が持ててるとは思えないよ。

2018-01-04

anond:20180104012902

こういうの見ると、なんか「俺と付き合わない?」って言いたくなる自分がいる。

童貞特有の誰でもいいからがっつく、みたいな意味合いじゃなく、なんというか同情なんだろうな。

自分ならこの人の、なんか拗れた心のモヤモヤを解いてあげられるかも知れない・・・みたいな自信過剰が、超うずく

まぁ、そんな能力全然ないんだけどね。

で、言われる側は、そういう安い同情に辟易してんだろーな・・・っていうことも、流石に理解してるけどね。

2018-01-02

母の愛と2018年

年末の忙しさから解放されて気が緩んだのか、冬休みに入ってから急に体調を崩してしまった。

30代一人暮らし風邪はなかなかにツラいものがあるが、まあ寝ていれば治るだろうと特に何もせずごろごろしていた。

本来であれば1/1には実家兄弟家族が集まるのだが、今年はパスメールだけして携帯放置していた。

1/1の夜、急な来客があり何かと思ったら母親だった。

電話をしたのだが出てくれなかったので、連絡も取れないくらヤバいのではないかと思い飛んできたとのこと。

ごめん寝てた。そこまでじゃないよ。とぶっきらぼうに答えながらも、片道2時間をはるばる来てもらったことに申し訳ないようなありがたいようなことを感じていた。

んが

入口すぐ横の洗面台に大型オナホールが思い切り干してあるのに気付く。(リアルボディシリーズのどれか)

ヤバい

1歩でも踏み込まれたら正月早々死んでしまう。

来てくれたのはありがたいが、風邪うつしてしまうと悪いので気にせず帰ってくれないか。と、2時間はるばるミカンと水を持ってきてくれた親に言ってしまう俺。

掃除でもしていこうか、などとぬかす母親。いいからいいからと突っ返そうとする俺。

軽くひと悶着あったのち、そのまま追い返すことに成功した俺。ああよかったよかった。

その後、2018年なんて来なければよかったのに、と布団の中で自己嫌悪とともにうずくまっていたらこんな時間でした。

あけましておめでとうございます

2017-12-31

anond:20171231132429

まらせた者は、その苦しさに

必ず地に這いつくば

喉を抱え丸くうずくまる。

故に、「丸餅」

2017-12-24

三十路過ぎのこぎたないオッサン初恋が終わって一年が経ちました

聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。

酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。

おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。

三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋一年と少しで消えていった。

仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。

わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。

「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテオタクらしくビクビクした卑怯惰弱予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。

それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこ一年はただネトゲソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。

我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。

俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。

別れを告げられる前の、楽しそうだった最後デートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。

もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。

万全の心の準備があった。

傷付かずにいられると思った。

やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。

愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき

ここからの余生が決定された。

このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルなめるように溶かしながら生きていくのだ。

それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。

恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったもの一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。

そうしたら、突然推し自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。

これは失われゆくとき効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。

余生のはじまりであったこ一年は短いが、人生支配するには十分な期間だった。

一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。

から、いろんなところに手がかりを残してしまった。

ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。

つきあっている間からちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。

お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たときバスの中が閑散としていたときTwitterネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったときカップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたときテレビサメがでてきたとき花火の音を聞いたときモネの絵を見たとき映像の世紀テーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったときふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。

容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。

思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。

そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。

記憶は軽く、少しずつ改竄され、曖昧になっていっている。

たった一年だ。

たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。

どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。

忘れたもの自分にとってどうでもいいものだったのか。

なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。

どうすればこの変質を止めることができるのか。

高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味思索を止められない。

写真を眺めても、LINEのやりとりをさかのぼっても

俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。

傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。

変えられなかった自分怠惰か。

いや、それに妥協する自分を、自己愛自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱自分への嫌悪感だ。

こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶邪魔をする。

しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。

ひとりの脆弱なオッサン過去に食い尽くされるより、

きっと、未来朽ち果てる方が早いんだろう。

冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。

本当は、もっとからずっと余生だと思っていたのだ。

20代のはじめに自分というハードウェア脆弱性愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。

本当にしあわせだった、大事にしたかった。

思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。

なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。

感謝言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。

誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。

そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。

こんな寒い日に、さびれた地方都市ビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。

あの日彼女が着ていた服をもう、思い出せない。






みんな! 現実には存在しないキモオッサン気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!

2017-11-27

anond:20171125180307

「救われる方法」ということを昔、自分も思っていたなと思い出した。

なんかいきなり世界が滅びそうになったり急に環境が変われば変わるのかなとも思ったけど、

そんなこと自分に起こらなかった。

そんな中で精神的になんとかやりとりして、今までなんとか生き延びてみると、

なんかうずくこともあるけどやり過ごすこともできるようになりつつある。

とは言え、いきなりダメになるかもしれないけど。

「生きることは素晴らしい」というよりもいまだに「生きることは苦しい」と思うタイプだけど、

生きていると、全然意図しなかった場所でほんの少し救われる瞬間にも出会ったよ。

2017-11-11

うつだと思ったら発達障害と判明して体調不良が劇的に良くなった

小さい頃から体力がなかった。

体力がないというのは例えば長距離走が苦手というのではなく、オールライブカラオケが出来ない類。

休憩や睡眠時間をある程度取らないと、どうにもならないやつ。

小さい頃から掃除機の音や高い声の女の人の怒鳴り声が苦手だった。

実際にはやらなかったけど、本当はその場でうずくまって耳をふさぎたかった。

小さい頃から運動神経がなかった。

ドッチボールはいつもぶつけられる側で、恐怖の時間しかなかった。

逆上がり死ぬほど努力して、やっと出来るようになったけど、死ぬほど努力しなきゃできなかった。

小さい頃から手が遅かった。

ノートうつすのが遅くて字がめっちゃ汚かった。

学校勉強は反復作業から何とかなったし、むしろ成績はいいほうだったけど、地頭は悪い方だという思いが常にあった。

二十歳の時に人間関係で色々あって、ひどいめまいで動けなくなったことがあった。

心身症だと診断された。

でも、そこから体に無理が効かなくなった。

肩こりが酷い。頭痛が頻繁に来る。腰痛にまでなってぎっくり腰にもなった。

睡眠時間と休憩をある程度以上取らないとどうにもならないのも、余計ひどくなった。

学生生活、色々したかったのに、あれもこれもできなかった。

それでも何とか就活では内定を取れた。

だけど二十五の時、人事異動で(体力のない自分にとっては)オーバーワークになって、三ヶ月でぶっ壊れた。

眠りたいのに眠れなくなって、ひどい疲労感で動けなくて、体中の筋肉ガチガチになって、ものすごい自己嫌悪に苛まれた。

神経内科に駆け込んだら『典型的なうつですね』と言われた。

そこからうつ治療が始まったのだけど、一向に良くならなかった。

基本的に鬱の治療は投薬・休養で、調子が上向いてきたらリハビリ→復帰なんだけど、体調が本当に良くならなかった。

どんな薬を出しても中々効かない。副作用ばかり出る。

会社休職期間はあっと言う間に過ぎて、リハビリもしたのだけど頭も体調もうまく働かず、結局退職になった。

もう薬も効かない仕事もできないとなって、精神病院入院して脳に電気を通すことまでした。

電気けいれん療法でググればわかるけど、理由はよくわからないながら鬱に確かに効果がある本格的な治療方法

それで精神面ではだいぶ良くなって、就労行事業所(民間委託復職支援みたいなの)に通ってスキルつけつつ体力をつけていこうということになったんだけど、それでも体調不良と体力不足がついて回った。

とにかく頭痛い。肩こりが酷い。腰痛がひどい。

それと、一部の事業所利用者女性)の声が耳についてたまらなかった。

養護学校に通ってたような人や性格的に難があって仕事が続かなかった人も多いんだけど、そういう人の突拍子もない高い声や変な咳払いがたまらなく嫌で、本当にその場から逃げ出したかった。

事業所スタッフはできるだけ対応してくれたんだけど、やっぱり我慢できなくて、むちゃくちゃ就職活動して就職先を見つけ、事業所から逃げるように去った。

そのころ通っていたカウンセリングで、「あなたひょっとしたら発達障害じゃない?」と言われた。

何だそれは。

信頼できそうな著者のわかりやすそうな本を幾つか探してみたけど、当てはまるような当てはまらないような、と言う感じで、結局その場では保留にしてしまった。

そして就職先での生活が始まった。

けど就職先でも体力不足体調不良がついて回った。

ついでにノート取りの遅さも足を引っ張った。

自分なりに頑張ったんだけど能力不足とみなされ、三ヶ月で別の部署に異動になった。

異動で引っ越して、別の病院を探すことになった。

前の病院で『発達障害の疑いあり』と書かれた紹介状を持って。

地域の大病院で紹介された個人病院。そこの先生紹介状を見て、色々聞いてきた。

「苦手な音とかある?」

頭痛ひどい?」

頭痛くなる前に、視界の周りにキラキラした物が出るとかある?」

「色彩が痛いとか、そういうことある?」

「苦手な作業とかある?」

他にも色々聞かれたけど、だいたいそんな感じ。

色々に、はいかいいえで答えて、何の質問だこれと首を傾げていると、先生は言った。

「ウェクスラー人知検査とか受けないとちゃんと診断しちゃいけないんだけどね、あなたは確実に発達障害だと思います

え、でもADHDアスペも当てはまるようで当てはまらない感じだったんですけど。

「今のはね、発達障害によくある感覚過敏について色々聞いたの。あなた聴覚過敏が強い感じだねー。人より騒がしい中で生活してる可能性あると思うよ」

そう言われると反論できなかった。苦手な音は確かにあるし

頭痛とかは感覚過敏な中で生きてる反動過緊張で出てると思う。今でてる薬(サインバルタ60mgと補助にエビリファイ3mg)がシンプルでちょうどいい感じだから、その効果を高めて、さら偏頭痛リラックス効果がある薬出すね」

半信半疑ながら処方箋を受け取って、薬局でもらった追加の薬(デパケン400mg、クロナゼパム2mg)を飲んでみた。




上半身に乗っていた重石が消えた。



今まで自分はこんなに頭が痛くて重かったのか、今まで自分はこんなに肩が凝っていたのかと初めて気づいた感じだった。

つまるところ、めっちゃ効いた。

しっかりした診断はでていなかったけど、その時確信した。

自分発達障害なのだと。

そのあとウェクスラー人知検査のWAIS-Ⅲを受けて、言語理解(高い)>作動記憶≧知覚統合(平均)>越えられない壁>処理速度(平均よりかなり下)と言う結果が出た。

これは個々の検査の数値を見てどうこういうより、折れ線グラフを作ってみてその凸凹具合を見るのが正しいらしいんだけど、グラフにしても処理速度の凹具合はひどかった。

これを持って、発達障害自分場合自閉症スペクトラム障害にもADHDにも微妙に当てはまらないので、とりあえず非定型)の診断がついた。

で、本当はADHDに処方されるものなんだけど、今はストラテラ80mgを毎日飲んでる。

これは並行作業の処理が多少マシになる薬。

今の職場ではまだ研修間中で、失敗して怒られることも多いんだけども、薬の効果が出てき始めるっぽい今週は少し作業がうまく廻ってきて、今の生活はまあまあだと思ってる。

現在28歳。

20歳で診断がつけば人生違ってたかなあと思うけれど、20代のうちにわかってまだ良かったとも思う。

何がいいたいかというと、なかなか治んないうつとか心身症とか不定愁訴の人は発達障害特に感覚過敏とか)由来の二次障害可能性があるので、一度発達障害に詳しい病院で診察受けてみて下さい。

劇的に変わる可能性あるよ。

2017-11-10

私に似てるなぁ

とある投稿を読んで、昔の私を思い出しました。

道端で殴られ蹴られの激しいいじめを受けていたときと、

それからずっと一生続く苦しみの中で必死にもがいている私とその元投稿の人似てるなぁと思って。

最近、そうやってもがいている人を自殺に見せかけて殺すという嫌な事件がありました。

その人がもしも変な人に引っかかって自殺してしまいたくなったら私は泣くから、ここに出来る限りのことを書きます

死なないでね。

私のこと信じられなくてもいいから死なないでね。

しかったら助けを求めてね。

てか、あの投稿をした時点であなたは助けを求めてるし、それに応えてくれる人はいるよ。

辛いときには見えなくなっちゃうけど、

助けに来てくれる人、実はいるよ。

昔の私

誰のことも信じられなかった。

だって道行く人は自分のことが可愛くて、『助けて!』の言葉さえも言えずにただ泣いて殴られ続けている私を見捨てて去っていったから。

母のことも信じられなかった。

私が家の前でいじめっ子に首筋にナイフを突きつけられているときに、

何もできなかったから。

ナイフって言ってもね、すごいナイフじゃないの。

当時鉛筆削りとして使われていた折りたたみ式のプラスチックケースが着いていたもの

肥後守に似てるけど、それよりももっとチャチな、当時の小学生普通に買って使ってたようなもの

もう机にくくりつけて使う大型の安全鉛筆削りも普及していたけど、

まだナイフ鉛筆が削れる能力普通に求められていたと思う。

今の人だと感覚がわかりにくいかな?

ちびまる子ちゃん時代です。

そんなチャチなナイフでも首筋に突きつけられたらそりゃ怖い。

動脈の近くだったし。

今の私だったら当時の母やそう、近所のおばさんもそばにいたけど、手を出したら私に命の危険があるから何もできなかったってわかるけど、

当時の私にそんなことわかるわけがない。

助けてもらえなかった

それしか頭に残らなかった。

もうさ、朝は近所の子なんかと一緒に登校できるから怖くなかったけど、

帰り道はいつ襲われるか不安でならなかった。

学校にいるときも同じ。

安住の地とは思えなかった。

ものを隠されたり、ハブられたり?

まあ色々ありました。

本当に誰のことも信じられないから、成人して仕事についても同僚のことが信じられないのね。

全部悪い方に捉えちゃう

よくニュースでいい人が出てきたり、仲の良いクラスの話が出てきても、

同じ世界のこととはとても思えなかった。

とてもじゃないけど信じられなかった。

護身用にビクトリノックスナイフを持ち歩いてた。

(念のため。

今そのナイフは持っていません。

持ち歩くのをやめてからも保管してたけど、自分にはそのナイフを使う資格がないと思ったので警察に持っていって正式処分しました)

私がナイフを持ち歩いていると知ったとき止めてくれた人がいましたが、その人のことも完全に信じたわけではありませんでした。

でも一応、持ち歩くのはやめました。

本当に誰のことも信じられなかったのよ?

誰も私が困ったときには助けになんて来てくれない、そう思い込んでいました。

それが変わったのは阪神淡路大震災ときでした。

被災地大勢の人が助けに向かったでしょう?

そのとき、アレって思ったのね。

あれ?あの人たち本当に助けてもらえてる。

すごくビックリした。

しかしたら声を上げたら助けてもらえるの?って生まれて初めて思った。

その直後に起きたのが地下鉄サリン事件でね。

オウム真理教教祖のことを連日テレビで報道してて、

あるとき彼の実験を知ってしまったの。

それは信者左脳破壊するものでした。

ショックだった。

私は人を信じられないけれど、それでも自分の子時代と同じような思いをする人が出ないように、自分だけは助けるんだ、助けることでちっちゃかった頃の私も喜んでくれるに違いない、そう思って仕事を選んでいたから。

その仕事は脳の研究をする人たちのお手伝いで、生活できるようなまともなお給料なんてもらえていなかったけどね。

でも、必死になって働いてた。

その私と教祖が合わせ鏡のように見えたのね。

別の言い方だとドッペルゲンガー

鏡のお化けかな。

見たら死ぬと言われるもう一人の自分

ほんのちょっと砂一粒分違っていたら、私はこの人になっていたのかもしれない。

その時、それまでの自分が壊れました。

それで初めて人に助けてと言いました。

それまで自分が心の中で憎んでいた恵まれた頭と恵まれ環境にいた人に助けを求めました。

信じてはいない人に助けを求めました。

それからいろんなことがありました。

もうとっくにその仕事はやめてます

まれ土地を逃げ出して、よその土地を回りました。

どの土地も私には故郷よりも優しい人が住んでいるように感じました。

しがらみがないから新鮮な目で見られたのでしょう。

初めて人を信じることを覚えました。

で、もう大丈夫だろうと思えた頃、故郷に帰ってきたのだけれど、やっぱり昔の傷がうずくの。

それでも私が子供の頃から比べると通学路は随分と安全になっていました。

大人があちこちに立ってて、通学中に襲われる心配をする必要はないように思いました。

それでも傷はうずく

精神安定剤が欠かせません。

なんで自分いじめ人間が苦しむのではなくて、私が苦しまなくてはいけないのか!

そんなことを考えると耐えられなくなるときもあります

でもね、辛かったときには思い出せなかったことがありました。

一度だけ小学生の頃に助けてもらえたことがあったの。

道端でベルトをムチ代わりにしてぶたれていたときに、家の中から飛び出してきて助けてくれた人がいたの。

そのときたまたま私ショックで吐いてたのよね。

吐けば助けてもらえるとでも刷り込まれたか、苦しくなるとそれ以降吐くようになっちゃいましたが。

最悪の結果にならずに大人になれたのはその時のことがあったからかもしれないと思うことがあります

投稿の人、勘違いしないでね。

お前は助けてもらえたじゃないか自分はそんな経験ないぞ!って思ったでしょ?

うからね。

あなた投稿を読んで、どれだけの人がブックマークしたと思ってる?

助けてもらえないなんて嘘だからね。

信じられなくてもいいから助けは求めなさい。

助けは来ます

今の私だってあなたを助けるのに必死になってる。

効果があるのか、それとも逆効果なっちゃったらどうしようなんてことを考えながら、必死になって言葉を紡いでる。

気づいてください。

助けは来ます

でもって傷ついたままでも、

あいうのが流行語になっても、

生きていけます

とりあえず、酒飲んで精神科の薬っつうのはやめて、

いのちの電話でもなんでもいいか電話しよう。

私が今やってるみたいに増田に書き込んでもいいと思う。

毎回じゃないだろうけど反応があるかもしれない。

本当に助けは来るのよ。

うつヌケ?

そんなもん信じられなくてもいい。

助けは来る。

それでも信じられないなら、自分が人を助ける側に回れ。

そうしたら少なくとも例数1確保できるから

何度でも言う。

助けは来る。

自分自身のことさえ信じられなくてもいい。

それでも助けは来る。

私のことも信じられなくてもいい。

それでも助けは来る。

から助けを呼ぼう!

害悪しかいからしんでくれ

電車から飛び出しでホームホーム内で人に体当たりしながら走ってるヒール

まじでしんでくれ

なんで朝から体当たりされないとならないんだ

こっちは、痛みのあまりうずくまったぞ…せめて謝るぐらいしろ

ほんとうにしんでくれ

なんであさからこんな目に合わないといけないんだ

生きるのが辛すぎる。しにたい

2017-11-05

きになるひとができた。

ちょっと子宮うずくかんじね。

でも会ってる時は、ぜんぜんやらしい感じもない。

向こうからベタベタさわられたりもない。

普通にお話してて楽しい感じ。

ふふふ。

2017-10-26

主人公みたいでありたい

愚直な主人公みたいでありたい

例えば困ってる人を見つけたら手を差し伸べたい

目に見える人はみんな幸せで居てほしい

でもそれをすると結局ヘンに目立って変なヘイトを買う

うずくまってる女性に「大丈夫ですか?」と声をかけるだけで「触らないで」と言われるおっさん

子供に「こんにちは」って声をかけるだけで事案

子供にも信じることより先に疑うことを教えないといけない

主人公みたいであればあるほど生きにくい

2017-10-21

就職したばっかだけど、明日まれてはじめて心療内科行く

タイトル通り。

別に会社がつらいわけじゃない、というか会社サイコーなんだけど、自分があれすぎて死にそうなので、ちゃんと働くためにもいくことにした。

理由希死念慮?とADHD傾向、あと不眠?。

希死念慮は正直自分でもよくわかってないんだけど、夜中に突然自分が嫌になってしにたさで眠くても眠れなくなったり、駅で立っていられなくなってうずくまって号泣したりする。わりと辛い。

ADHD傾向については昔から自覚があったものの、就職前は同居していた両親がそういうものへの偏見がつよくて行けなかった。怠け者だと言われてきたけど、怠けたかたことなんてなかった。

最後に不眠。さっきもいったけど夜になると寝れなくて昼になるととたんに眠気がくる。仕事ミスりまくる。すげー辛い。

もし会社上司にばれてクビになって実家かえるしかなくなったら死ぬつもり。

でもきっと上司さんならばれても大丈夫だとおもう。多分だけど。

めっちゃ怖いけど、今度こそなりたい自分になるために、がんばろうと思う。

2017-10-20

推しへの感謝ワガママ

若手俳優をやっている推し

慣れないイベントとかで頑張って笑顔でみんなに対応してくれてありがとう。人見知りだからファンはいえ全く知らない赤の他人には面白いことなんて何一つ言えないような不器用性格だけどそんなところも好きです。何百人も対応するのは本当に疲れることだろうに笑顔写真SNSにあげてくれてありがとう。またやりたいです、って嘘でも言ってくれてありがとう。接触では基本的に8割「ありがとうございます。」ばっかりだしそっちから話を振ってくれたりなんてもってのほかだけど一人一人目を合わせて丁寧に対応してくれようとするのが伝わりますありがとう舞台はどんなものでも真面目にやってくれてるよね。舞台によって多少やる気というか、熱量の差はやっぱ違うんだなってSNS見てると感じるけど、本番は全力でやってくれてるのがわかりますありがとうファンからプレゼント使ってくれてありがとう。よく同担たちも喜んでるよ。服が部屋に溢れかえっていないか少し心配だけど。自撮りは好きじゃないらしいのに謎自撮りをあげてくれたりすることろも推せるなって思うよ。

でもね、例えば「地方から来ました!」って言うとさ、みんな「わ、ありがとうございます〜」って言ってくれるじゃないですか。いや有難いよ、有難いしこっちが好きでやってることだからそんな言及することじゃないけどさ。そんな遠くから来てくれるファン自分にもいるんだなってホクホクしてくれてるかどうかは分からないけどさ。

君に一目会うためにさ、こっちは朝早く起きて、または深夜に夜行バス乗って、お尻や背中や腰をバキバキにしつつ東京に着いて、バスじゃよく眠れないか寝不足で頭グワングワンさせながら東京歩いて、早朝とかに着くと時間有り余るから体調不良状態漫喫やらマックやらでうずくまりながら時間潰して、知らない道を地図頼りに歩いて、イベント舞台が終わればまたすぐ長い時間公共交通機関に揺られて帰るんだ。腰背部はマジギレ寸前だしお尻は怒りを通り越して呆れてる。そんな感じ。家に着く頃には体はボロボロ。でも次の日は普通に仕事だったりして。

「遠くからありがとうございます」って言ってくれてありがとう。でも、本当にそう思ってる?私がお金魔法を使って楽にピョーイと東京に来たと思ってない?なんだかんだ地方から来てるんだって実感わいてないでしょ?いやそれはまあ仕方ないとこもあると思うんだけどさ。

私は君がイベントとか舞台とか、誠実に、真面目に、喜んでやってくれてると当たり前に思ってるし。推し私たちファンプレゼントとかチケット確保とか、好きでやってくれてるというだけでその裏苦労してお金注ぎ込んでるとまでは多分思ってない。

見てないだろうけど見てるか。推し。君に何千円も何万円も使うことが当たり前じゃねえからな。日々死にたい死にたいと思いながら働いたお金を君に投資しているんだ。時間を体力を、君に使ってるんだ。分かってるのか。意識してくれてるのか。君は人間だし、何なら私たち人間だ。君と同じようにバックグラウンドがあって今の生活がある。例え無意識だとしても、「自分お金をかけてくれる人たち」という認識で、括りで、見ないでくれ。それはそんな簡単なことじゃないんだ。大変で難しくて、でも君にその価値があると信じてるからやってるんだ。

けどこれが全てファンワガママだというのは重々理解している。

私たちからすれば推し1人へ向ける意識だけど、推しからすれば何百人のファンバックグラウンド理解しろだなんて酷な話だ。一体どれだけの人の生活を背負えばいいのって話になる。

そしてファン推しも出来るだけ綺麗な部分だけを見せ合いたいと思ってる。そんなデュエルの中で、裏の泥臭い部分も察して労われよ、なんて無理難題

推しを心労で潰したいわけでは毛頭ないのに、心のどこかで駄々をこねる自分がいてしまう。

推しよ、一つだけ、一つだけ忘れないでいてほしい。知ってほしい。

ファンをするっていうことは、楽しいことばかりじゃないんだよ。

2017-10-07

友達大学フェードアウトした

類稀なる音楽の才能を持った友達Aが大学フェードアウトした。

さっきAのマンションに行って来て遠方から駆けつけた親御さんと話したけど、Aはずっと布団にうずくまってシャドウバースをやっていた。俺が話しかけてもウンともスンとも言わないし、親御さんが話しかけてようやく「あぁ」とか「うん」とか話すレベルで話にならん。あんな抜け殻みたいな人間は初めて見た。中学友達に鬱になった奴がいたけれど、それとはまた違う。Aは呼吸とシャドウバースしかしていなかった。

Aとは大学軽音楽部で出会った。

ギターの類稀なる才能を持っていた。

ファンクが大好きで俺はAのギターが正直好きではなかったけれどその腕や才能には舌を巻いた。中学生の頃からギターを初めて、ずっとオリジナル曲を書いてきて一応腕には自信があったけれど、あらゆる意味でAには勝てないと思った。

何より顔が良く、ギターの腕もあり、人を惹きつける魅力があるAは女によくモテた。

人としていいやつとは言えないし、バンドマンらしいクソ野郎だし、わがままで人を振り回すのが好きな奴だった。

歩くスター性のような男だった。

授業の感想レポートを一緒に2日徹夜して丸々曲にし、提出した事もあった。

俺はなんとなくこいつはきっとギター人生食って行くんだろうなと思っていた。

Aが学校に顔を出さなくなったのは1ヶ月前の事で、夏休みが明けてからのことだった。他の友達心配して家を訪ねても家の電気は点いているけれど本人は出てこないという事が続いた。

クレジットカードの支払いが払えずサラ金から追われてるから玄関を開けないなんて噂もまことしやかに囁かれた。

親も教授も教務課も電話した。だけどAは一切レスポンスを寄こさなかった。

大学祭ライブが近づけば音楽に誘われて出てくるだろう、とも考えたけれどそれでも駄目だった。Aのいない大学祭は卵の無いチャーハンみたいだった。

大学祭が過ぎ、俺は痺れを切らしてAを心配していた&金を貸していた他の友達と教務課に乗り込み、Aの親御さんを越させる事に成功した。これが、昨日のこと。

今日、親御さんと少し話した。Aは大学にはもう二度と来ないらしい。お父さんも、お母さんもAに似てとても整った顔立ちをしていた。急いで来たのか2人ともラフな格好だった。服装もAに似ていた。

俺はAに貸していた現金1万7000円とブルースドライバーを親御さんから受け取り、その金でAとよく行った店で台湾ラーメンを食べて帰った。Aの車は何故か俺が引き受ける事になった。

Aがなんでこうなったかからない。だれか詳しい人教えてくれ。Aはどういう病気なんだ。治るのか。

2ヶ月前にAがポムポムプリンギターのボディに挟んで笑顔で弾いている写真を撮った。2ヶ月前までは普通だったんだ。

誰か教えてくれ Aを返してくれ

2017-10-04

[]

16 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイ 4de0-ahc3)[] 投稿日:2017/10/02(月) 20:42:05.55 ID:ZlZxB3kn0

位置関係

http://a.abcnews.com/images/US/vegas-shooting-map-abc-ml-171002_4x3_992.jpg

マンダレイホテルの32階からルート91の会場めがけて乱射してる

こんなに離れてると、会場の人はどこから撃ってきたかからないだろう

290 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (アウアウイー Sa61-Sz0g)[sage] 投稿日:2017/10/03(火) 04:26:38.41 ID:yBYCxlzfa

>>16

動画見た。リロード最中に逃げろよ、と思うのは俺がFPSに慣れてるからか?

銃声で即座に敵の位置を捕捉、遮蔽物を利用してのタイミング計った立ち回り

うずくまってて撃たれてる連中は馬鹿しか言いようがないよ

でも流石に一般人要求するのは酷か

http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1506944131/290

2017-09-17

教習所過呼吸になって教習中止になった

もともと、反射神経が悪く、車の運転なんてもってのほかだなぁ、と思ってたんだけど、友達免許取るので一緒に取りに行った

なんとか、一段階は受かったけど、路上に出る前日、どうしようもない不安に襲われて、よく眠れなかった

音楽を聞いたり、水を飲んだり、友だちと話したりして、気を紛らわせていたが、乗車した途端、汗がダラダラでできて、体中が震えて、過呼吸ぎみになってしまった

それでも、教官は「だいじょーぶ、おちつて、ね?」というばかりで、路上に出ようとするから、「ごめんなさい!私無理です!!」と泣きながら叫んでしまった

教官は、「じゃあ、教習中止するから、降りて」と事務的にいって、私をロビーおろし

わたしは、全身が震えてうまく息ができないのに、なんかキャンセル料だの、次の予約だの、の説明をしてくるのでうずくまって、わんわん泣いてしまった

けっきょく、事務のお姉さんに介抱してもらって、その日は一人で帰りました。

そんな私も、今では車でお買い物できるまでになったので、みんなも車の免許とろうね♪

2017-09-04

いじめられていた時私はどうすべきだったのか、未だにわからない



中学生の頃、教師も、友達も、家庭も、周りが敵だらけだった時期があった。

というか、3年間ずっとそうだった。

それは自分がなんらかの行動を起こさなかったからそうなった部分もあるのだが、

今になっても、自分があの時どうすべきだったのかわからない。

私は小さい頃から内気で大人しいタイプだった(今はそんなことはない)。

近くに声の大きい、いわゆるスクールカースト上位の人がいると、怖くて萎縮してしまう感じの子だった。

親が厳しく、親の言うことは絶対な家庭で育ったこともあってか、自分意見意思を持つことはほぼなく、流されやすい子でもあった。

でも何人かいつも一緒に過ごす友達がいた。中学生に上がる時に、その子に誘われて吹奏楽部に入った。

本当に誘われて入っただけだから何も知らなくて、最初水槽で何か育てるのかと思ってた。

まらなそうだなーと思いながら、流されて入部した。

パートトランペットになった。内気な私らしくない、目立ってかっこいい楽器だった。

本当はドラムをやりたかたか打楽器希望したのだけど、希望なんて一切考慮されていなかったし、毎年希望なんて通ってないよと先輩に言われていたので覚悟はしていた。それでもがっかりした。

トランペットパートの新入生はもう一人いた。Aちゃんという、気が強くて背の高い女の子だった。小学校の頃から苦手だと思っていた子だった。小学生の頃、面識もないのに私のことを「影が薄い子だ」とか言っていたのを知っていたからだ。

しかしろくに話したこともないのに避けるのは良くないし、部活をやめることも怖かったのでとりあえず頑張って続けることにした。

最初はビクビクしていたが、Aちゃんとはそれなりに仲良くできていたと思う(少なくとも、険悪な感じではなかった)。一緒にプリクラも撮りにいったし、お互いを名前呼び捨てにして、部活時間はずっと一緒に行動していた。

でも、入部して3ヶ月も経たない頃から、よくAが「気に入らない」という理由から無視してきたり、周りの部員に私の悪口を言うようになった。「気に入らない」というのははっきり言われたわけではないが、「○○なのがムカついた」とか言ってたので要するにそういうことなんだろう。

ある日突然急に話しかけても無視される。何か悪いことをした覚えはないのでAに「ねえ怒ってる?私、何かした?」と聞いて事情を聞いた。そしてAが私に対しての不満を言い、私が「ごめんね、私が悪かった。これから気をつけるね」と言う。これが2ヶ月に1回くらいのペースで繰り返される。

しかけることがとても怖かった私は、ある時はメールで怒っているAに話を聞いたこともあった。21時以降のメール禁止されていたので、「もう寝なきゃいけないから、また明日話そう」と送ると、Aは「なんで話の途中なのに寝るの?私と仲直りしたくないの?」とか送ってきて半泣きになったのをよく覚えている。

もちろん私は小心者なので、相手を怒らせるようなことは何もしていない自信がある。というのも、当時何をされたか記憶がほぼなくなっていて、何がきっかけでAの機嫌を損ねていたのかを覚えていないので、実際は私が本当に失礼なことをしてしまったのかもしれない。でも少なくともA以外の周りから性格言動に関して指摘を受けたことはなかったし、過保護で厳しい親から他人を傷つけることをするような教育は受けていない。

そんな心臓に悪いことが何度も続き、次第に私もストレスが溜まっていった。ストレスと言うとイライラするイメージだが、実際には怖くていつも泣いていた。最初部活には行き、隠れてこっそり泣くだけだったが、次第に部活時間に逃げるようになった。友達美術部にいたので、美術部に逃げたりしていた。しかしAと他の仲がいいいじめっ子女子を連れて私を探しに校内を歩き回っていた。美術室で物陰に隠れて、友達も「ここにはいないよ」とかばってくれていたのに、探されて見つかって連れ戻され尋問された時の恐怖はずっと忘れられない。怖すぎて何を言われたのかは覚えていないが。

他にも、悪口や仲間はずれは常のこと、「お前だけうまくなるから練習するな」というようなことを言われたり、時には「話し合い」という名のもと、教室の隅にAと他3人くらいの女子に呼び出されて、私に対する不満やら悪口やらを聞かされた。旅行に行ってお土産を買ってきたので渡したら、「そんなものいらない」と言われた。

他にもいろいろ言われたしされたけど今は思い出せない。ふとした時にフラッシュバックするんだけど。

言い返すことはできなかった。何されるかわからなくて怖くてできなかったし、一度退部も考えたけど退部後にずっと私の悪口を言いふらされるかもと思うと退部しても状況がよくなると思えなかった。されるがままになっていた。私が一度でもAに声をあげて言い返していれば、何かが変わっただろうか。

2年生になる頃には、毎日部活の帰りは泣きながら帰っていた。朝練時間部活後に人通りのない階段に座って静かに泣くのが日課だった。うずくまって泣いている時はたまたまある男性教員に見つかり、虫みたいだと笑われた。でもいつも一緒に登下校していた親友のBは、そんな私を見捨てることなく慰めてくれた(彼女も同じ吹奏楽部だった)。

勉強はきちんとしたかったので小学校の頃から塾に通っていたが、勉強が手につかなくなってきた。授業中に突然意識が飛ぶように眠ってしまうことが増えた。常に泣き疲れてたため自室で宿題をやりながら寝てしまうことも多々あり、そこを母親に見つかり怒鳴られ、平手で頬をぶたれ、あるいは蹴られていた。一人の時間が怖くなっていった。

どんなにつらくても、必ず学校には行っていた。というか、母親が怖くて行かざるを得なかった。母親は「つらくても一度行かなくなるとずっと行けなくなる」という意見の人だったので、休んだりすることは許されなかった。これが正しいのかどうかはわからないが、私には合っていなかったと思う。私には、とにかく一度休んで冷静になり、自分の置かれた状況やどうすべきかを考える必要があった。

とうとう部活顧問相談した。当時30代前半の、猫なで声を出す音楽教師顧問が親身になって話を聞いてくれた。といっても、そうなんだ、と相槌を打つだけだったし、「Aにも話しておくね」と言ったきり何もしなかったが。むしろ自分がAに嫌われて反抗されると厄介だったのか、Aに気に入られるようなことばかりしていた。

同じく30代前半くらいの女性の副顧問にも相談した。副顧問は優しかったが、彼女には私を救うような行動を起こせる権力?がなかったようで、でも顧問よりは私を心配してくれていた。副顧問自身もどうやら先輩教員からパワハラに悩まされていたようで、どちらかというとこっちが心配だった。

他のパートの同期にも相談した。その頃にはAの暴れっぷりは部活内だけでなく学年中に知れ渡っており、彼女たちは首をつっこむと自分が面倒を被ることがわかっていたので、「あーそうなんだ」と言うだけで終わってしまった(し、3年生になって役職に就くと、部活に来たがらない私に朝練にちゃんと来いとか言っていた)。

精神的にもきつくなってきた2年生のある日、また「話し合い」に召集され、塾の時間ギリギリまで帰してもらえないことがあった。急いで帰ると、母親にきつく怒鳴られたし、もちろん顔を平手打ちされた。そこでとうとう耐えきれず、母親の前で号泣してしまった。泣きながら、ことの顛末を話し、私だってこんなのもういやだ!と叫んだ記憶がある。それでも時間は守れ!と怒られ、塾に連れて行かれたが、塾でも泣いていたので、かなり人目を引いただろう。

帰ってくると、母親に、何か悩みでもあるのか、みたいなことを聞かれた。母親は本を読んでいたか携帯をいじっていて、真面目に聞いてきてはいなかったが、ようやく楽になれるかもしれないと期待した。

Aにされたことを(一部だが)話すと、じゃあ関わらなければいいと言われた。パートは一緒に活動するのでそうもいかない、という話をすると、じゃああんたが悪いんでしょ(何か悪いことをしてるんでしょ)、と言われてしまった。一瞬頭が真っ白になった。立っているのもつらくなり、自室のベッドに倒れこんだ。どんな状況でも、親は子供の味方になってくれるものだと思っていた、私が甘かったのかもしれない。

もう頼れる人は誰もいない、私はこのままずっと一人で戦わなければいけないんだ、と絶望したし、自分を追い詰めすぎて軽くパニックになっていた。その時、初めて部屋にあったはさみを手首に当てて傷つけた。痛みで冷静になれている自分がいた。(これは結局高校2年生のころまで続いた。)

(ここまで書いていると、なんだか本当は自分が悪かったのではないかという気がして来た・・・

その日から、私はこの状況から脱却することを諦めた。諦めようと決めて諦めたわけではなく、Aやその周り、顧問(、あと母親)の機嫌をとる方が簡単で、自分精神的に苦しむことが少ないと思ったからだ。

それからは笑っていられる日が増えた。部活楽しいとすら思った。でも夜に布団に入ると、考えることをやめて毎日惰性で学校に通い、イエスマンになってAのいいなりになっている自分がいることに気がつき、結局毎晩泣いていた。泣いてカッターで手首切って疲れて寝るのがルーティンだった。

3年生になり、パートリーダー顧問が決めた。顧問がAをパートリーダー指名してくれたおかげで、Aの権力正式に認められてしまうかたちになり、何をするにもAの許可必要になった。

その頃にはAの機嫌を損ねるのも3ヶ月に1回あるかないかになっていたし、もはや「Aのいいなりになるいじめられっ子であること」がアイデンティティになっていた。それがなくなると、私は本当に空っぽ人間だった。

局部活はそのまま3年間続けて、卒業することとなった。思春期大事な時期がこんなだったので、高校生になってから大変だったのだけど、それは今回とは関係がないので割愛します。

さて、私はこの3年間で、心を守るために自分を殺して逃げる以外に、どうすべきだったのでしょうか。

今のようにインターネット自由に使えない、電話もできないのでなんとかホットラインにも相談できない、家庭では悪者勉強をしない不真面目な娘扱い…

私が声を上げることができなかったので、3年間、ずっと苦しむことになったのだろう。それは原因の一部ではあるはず。

この出来事客観的に見れるようになった今でも、10年前の私はどうすべきだったのか、未だにわからないのです。


※補足ですが、私が3年間つらくてもなんとかやってこれた背景には、親友のBと、Bのお母さんの存在があります

Bのお母さんは、たまに会う程度でしたが私とAの事情を知っていて、会う度に私の心配をしてくれましたし、私は悪くない、Aが悪いと言って励ましてくれました。私にとって、一番信頼できる大人だったと思います。この方のおかげで、本当は自分は悪いことはしていないんだと、心を強く持っていられました。

また、Bも常に私の味方でいてくれました。毎日泣いていても付き添っていてくれたり、愚痴を聞いてくれたりもしました。彼女とは今でも深い交友がありますし、これから人生でBが大変な時は必ず力になりたいと思っています

BとBのお母さんには感謝してもしきれません。これを書いて改めてそう思いました。

以上、自己満足自分語り駄文でした。最後までお読みいただきありがとうございました。

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