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2019-02-13

これが希死念慮なのか?

ふとした瞬間に足元が崩れ落ちるような気分が襲ってくる。

今まで価値のあると思ってたものが全て無価値に感じる。今この場で死ぬことが最良の選択で、もっとも魅力的に思える。

体調のいい日だったら、「少し休憩しよう」とか「美味しいもの食べよう」とか切り替えが出来るけどその瞬間だけはどうしようもなくなる。頭がきちんと働かない。

ただその場でうずくまり、涙が止まらない。

その時は、「自殺 失敗」や「自死家族」で検索したり、「いのちの電話」をかけたりする。

前者は、死ななかった苦しみや家族を失った苦しみが書いてある。

後者はなかなか繋がらないが、話を聞いてもらうと少し楽になる。

(繋がるコツは、北海道沖縄まで全部チャレンジすると大体どこかにはかかる)

この辛さは、気持ちの持ちようだとは思うけど解消法が分からない。

知っている人がいたら、教えてくれ。

2019-02-03

次に参りますのは東京サラリーマンです。

「みなさん覚悟を持ってくださいね?」

指揮官役の男がホームの上の我々に叫んでいる。

私の右手は震えていた。右手を抑えると今度は左手まで震えだした。

「おいお前、今日が初めてか?」

隣にいた大男が声を掛ける。

「お前、武器持ってねーじゃねーか」

「どうすんだよ、まったく、俺の貸してやるから使ってこい。」

私は10キロはありそうな鉄の塊を大男から受け取った。

モーニングスターって言うんだ、かっこいいだろ?」

大男はそのままホームの先へ歩いて行った。

電車は1分もしないうちに姿を見せた。

電車の中は、異様な光景だった。黒いスーツとバッグの人間で溢れかえっていた。止まる時までどの顔も下を向いていたので表情はまるで見えなかった。

電車が止まり、扉が開いた瞬間、サラリーマンたちがドッと外に飛び出してきた。最初攻撃で我々の「相手が整っていない間に襲いかかる」という計画はあっけなく崩れてしまったようだった。

私に武器を渡した大男など何人かが踏みとどまっていたが、それもサラリーマンの渦の中に巻き込まれていき、1人また1人と消えて行った。

我々は総崩れになって散り散りに退却した。大変な負け戦になったと思った。階段を降り、改札を出た。大通りへ向かうのは右だが私は左に走った。それが良かったのか、こちらへ追ってくる人数はだいぶ少ないようだった。

このまま逃げられるんじゃないだろうか...そう思った時、背中に鈍い痛みを感じ、私は派手に転んだ。後ろを見るとビジネスバッグが落ちており、1人のサラリーマンこちらへ歩いてきていた。

「お前、俺に走りで勝てると思ってんの?こっちは皇居の周りを毎日2時間走ってんだよ?」

つかつかと私の目の前に来てバッグを拾った。

絶体絶命だと思った時、急にサラリーマンうずくまり、変な声を出したかと思うと、息が小さくなっていき、うううと声を出して動かなくなってしまった。

過労死」と私は思った。働きすぎたサラリーマンは時々その限界を超え、死んでしまうことがあることを私は知っていた。

九死に一生を得た私は、そのまま駅を出て、寂れた街を走って行った。誰にも会わなかった。

とにかく、東京サラリーマンのいないところへ行こう。

走りながら私の心は、堅く堅く決心を固めていた。

2019-01-28

anond:20190128071940

真剣検証してみる

・38週プリミ(初産)と秘書会社を休めと言っている事から産前休暇中。

・急にうずくまり病院に連絡していのでおそらく破水した。(急な陣痛にしても周りのリアクションからして破水妥当

・さあやは実は医者ではなく助産師。(助産師であれば21歳からなれるらしい)

ダイガンが産婦人科医師。分娩時になにか(大量出血や会陰切開、吸引分娩など)あった時の為に居るがお産が順調なら特に何もしない。

・ほまれが一番最初にかけつけたのは家族や夫の居る場所よりも空港の方が病院に近かったから。空港に居たのははなの予定日に帰国を合わせたのかもしれない。

・ほまれが来たとき既にいきんでいるので出産も終盤。病院に来た時点でかなりお産が進行しており、麻酔は出来ない(しても効く前に出てくる)状態だったと思われる。

 

それでも残る疑問

・分娩台じゃなくただのベッド。あれではいきめっていうのはかなり辛い。

赤ちゃん心音陣痛をチェックする機械NST)をつけていない。お産が順調だから不要判断したのだろうか。

血道確保の点滴無し。大量出血したらどうするつもりだったんだろう。

 

導き出される答え

経験の浅い若い助産師1人に友人のお産を任せている点も含めて、さあやの勤務している病院ちょっとやばいかもしれない。

2019-01-27

どうやったらセックス脳を克服できるんだ?

ハラミ会」じゃないけれど、女性人権セクハラに対する世間意識高まることで、女性とどう接していいかからなくなった。

ぼくは今年31で、はっきり言ってけっこうモテる自分では思っている。というのも、女性に断られるとか、ぞんざいに扱われるという経験がまったくないからだ。

それどころか、たいていの女性とは仲良くなれるし、事実として好感を持たれているし、ネットでいわゆる「非モテ」たちの悲惨体験談を読むたびに、自己評価高まるばかりである

今までのぼくは女性と仲良くなると「ああ、かわいいセックスしたいな」と思ってきた。事実セックスしてきた。自慢することじゃないが、断られることはほとんどない。

しかし、今やこんな行為世間的にNGであることは明らかだし、ぼくもやっちゃいけないな、と思っている。

フェイスブックを見ていて、かつてセックスした女性投稿が表示されると、ああ、ひょっとしたらこの子MeTooされるかもしれない、と頭によぎる。それは恐怖である

だが、いざ「セックスをしてはいけない」となると、女性とどう接していいかからなくなる。

これ以上仲良くなったらセックスしたくなるな、と考えてブレーキを踏むぼくがいる。それは女性と楽しく会話することができないことを意味している。

まり踏み込まず、当たりさわりのないことを言ってやり過ごす。今のぼくは、女性と接することに臆病になっている。

さっきも若い女の子名刺交換をして、ああかつてならこの子情熱を燃やし、セックスに邁進したんだろうなと切なくなる。ショートカットメガネの子だった。ああ、その小さい口で、ぼくの性器をくわえてごらんよ。叶わぬ思い。虚しい。

女の子距離を縮めていって、そして服を脱がしてセックスをするのは、とても崇高で、何物にも代えがたい楽しい時間だった。あの生命の輝き。まるで太陽へ少しずつ近づくイカロスのような気分。

しかし、それはもう禁忌となってしまったのだ。それでもセックスがよぎる。女性無味乾燥な会話をして「かつてなら……」と考える。

きっと同じことを考えている人間はいっぱいいるはずだ。たった一人でこの思いを抱えて、暗闇のなかでうずくまっている友よ、朋輩よ。

みんなどうやってこの思いを克服しているんだい。ぼくはセックスに呪われている。どうやったらこ呪いが解けるのか、男性から自由になるのか。だれか教えてくれ。

2019-01-26

貧乏くじひきまくった時の話

ふと貧乏くじひきまくる中学生時代を思い出したので吐き出し。

自分コミュ障なりそこそこ青春謳歌した。

当時は溢れ出る正義感と、ずっとつるむ友達はいない程度のコミュ力、そこそこの成績もあって

委員長的なのを押し付けられたもした。

そういったものに喜んでたのも小学校中学年くらいまでで、

どんどん「まとめあげる」的な中間管理職的なことの難しさだとか、

色々言われるのにも疲れて正直「向いてないな」って思ってた。

でも学期ごとのそういったもののの選出は名前が上がり、向いてないと正直に言いつつも結局やることになるのがほとんどだった。


それでも、文化祭だとか祭りごとは大好きで、

行事のための看板製作などは喜んで参加してたし、そうのには関わることはしたいと思ってた。

そういったものに最も関われるのは何か? そう、生徒会だ。

その流れで生徒会立候補するのは、自分でもまっとうな理由だったと思っている。

だがしかし、そこには大きな壁があった。

生徒会は内申にしっかり書かれ、影響する。そのため、やりたがる人間が多かったのだ。



自分中学校の生徒会選挙は1年任期。毎年3学期に1,2年が、投票する。

正直、自分容姿は良くない。演説もうまくない。

そこそこ付き合いのある同学年はともかく、何もしらない下級生、上級から票が入ってる気がしなかった。

おそらく同学年からも入ってないとは思わないが決め手なるほどの支持を得られてなかったのだろう。その程度のコミュ力だった。


だがしかし、まだチャンスはあった。

その後に選出される議長は、ほぼ生徒会と同じ行動をし、行事に関われる。

幸い自分は何度も役職を任された経験上司会を何度も経験し、そこそこできている自覚はある。

しかもこれは

・必ず2年生から

・先に決まった次期生徒会長と2年の担任たちの意向

で決められる。

他に枠はなくこれが最後のチャンス。だがしかしこれなら任されると思った。

…が、落ちた。

選ばれた子は友人だった。

だがしかし、その子は内申+αが目的で、本当にそういった仕事をしたかったのではないのは感じていた

生徒会とそれ以外では関われる行事や行動が全然違う。

生徒会長もよく知った中ではあったし、教師受けもよかった(実際、担当した教員から「この役職が向いてる、推薦する」とお墨付きももらっていた)。

だがしかし自分が良くないと思ったことは曲げられないタイプで「扱いにくい」と感じられていることも自覚していた。

多分敗因はそこだろう。そう自覚しつつも非常に悲しく悔しかった。

結局その他、内申に関係する「生徒会」と各種委員長

それまで面倒を避けてたような要領の良い子が7~8割(もしかしたらそれ以上)が占め、

いままでコツコツとクラス委員会運営を支えて来たような子たちはほとんど落ちていった。





それからしばらく進みできる限り行事に関わるものに参加しつつ、結果受け入れて生活していた。

中学3年にもなると受験意識し、更に「◯◯長」をしたがる人間が増えた。

総合的な学習の班分けも同様だった。

郷土関係することをテーマを分けて発表する、という内容だったのが、

自分が興味をもって提案したテーマ希望者が自分しかおらず、

他の希望者多数のテーマに組み込まれた。しかしそれでもやっぱりそのテーマちゃん学習したくて立候補した。

だがしかし、昨年までが何だったのかというくらい希望者多数となり、じゃんけんで負けた。

勝者は正直、同学年の支持がない子だった。

案の定自分のやりたかったテーマは影が薄れ、忘れ去られ、それでもやることはやって着々と作業を進めていた。

そして発表時テーマ班長は決まっていながら、それとは別に発表の「監督」を複数人選出することになった。

もちろんこれは内申に影響しないし、監督になると発表する側にはなれない。

そして後半は発表に準備だけになるし、実質、監督が指揮を取ることになる。

「船頭多くして船山に登る」状態になるのには反対したが通らず、やはりそこで自分担当することになった。

(今思えば、それまでの行動で求心力がなかった班長で進めるのを避けたかったのかとも疑っている)


発表側をやりたかった自分は不承不承、しかし決まったものは仕方ないと全力で発表に向けて走り回った。

発表側になった班長や、人員が不足したときつのまにか発表側に回った同じ監督だった子を羨ましいと思いながら。

そして発表当日、班長の子に嫌味を言われた。

確か、小道具場所を把握してないのは監督としてどうか、的なことだったかと思う(余談だが小道具係は別にいる)

些細なことだし苦笑いしてやり過ごしたが、これまでのことでパンク寸前だった自分にはだめ押しとなって

本番中誰も来ないところでうずくまってこっそり泣いた。

ちなみにこの後も班長やらかしくれた。


そして部活も同じようなものだった。

部長副部長は生徒の投票を加味して「顧問が選ぶ」という方式だった。

当時の部活は「顧問VS部員」の構造があった。その結果、明らかに顧問が付き合いやすい」

だが部活内での求心力はそこそこの子を選んでしまった。

「票が入ってないわけではない」と強調していたが、密な付き合いのある部員間の話では

それが嘘でなくても1,2人いる?という票数であるのは皆察していた。

ぶっちゃけ得票数TOPの子たちは顧問に不満は持ってなかったんだから

部長はそこから選べばよかったのに、と思う)

その結果、顧問が転属して居なくなると「部長副部長VS部員」の対立構造に変わり、

部長副部長が居づらい環境になり、不満を持つ子たちが言うことを聞かず、落ち込んでいってるのがわかった。

自分比較的その子達と仲良かったのもあり、緩衝材として連絡する、仕切る、やきもきするという謎の構造ができていた。

正直この行動は部長たちの孤立を加速させ、良かったのかは自分でも疑問であったが、そうしないと団体行動も怪しい状況だったのだ。

結果、最初に話した議長/各種委員長でもあった2人は生徒会に入り浸り、ますます対立を深めていった。

これに関しては正直、仕方ないことだと思うし、それほど2人は追い詰められて居たと思う。

だが、生徒会室で仕事がなくても談笑した姿をみると自分が本気でやりたかたことを逃げ場にしていること、

その一方で自分がやりたくもないことばかりしている状況にがすごく虚しかった。

その気持を抱えながら部活動はやりとげた。



今でもこの一連の流れは思い出す。

あー、内申ももらえないし、バイト代がでるわけでも無いのに、

評価もされ… あ、いやこれは幸い一部からはしてもらってた。

まあ、その程度でなにやってるんだろう、明らかに貧乏くじじゃないか

そして残念なことにこの正確、環境は今でも変わってない。


根本的な理由は「やりたがる」「でしゃばりたがる」正確と長年いじられ続ける容姿

心意気をうまく伝えられないコミュ力プレゼン力であり自業自得だ、と自覚している。

本気で「義」を理由に口を出ししても、「自己のため」と誤解されることも多々ある。

そこを変えないと…と思いつつも、「誰かがやらないといけないこと」をやり続けても「やりたいこと」がやれない思い出を愚痴らせてほしい

2019-01-18

長生きしたい老人と死にたいアラサー

60代の親から糖質制限してるからおかずを増やすのが大変、とかいう旨のLINEがきた。

長生きしたい、とも。

であるアラサーの私はというと、死にたいけど頑張って死なないようにして毎日を過ごしている。

毎日かにつけてネガティブ波動に襲われてうずくまりたくなったり、

子供の頃より習得した無能感とミミズより低い自尊心仕事しててもものすごく当てつけられる。

ほどほどに長く生きたいらしい親と死にたいけど死なないように頑張ってる私とでは、死に近いのってどっちなんだろう。

考え始めたら止まらなくなってぼろぼろ泣いてしまった。

長生きしたい老人と死にたいアラサー

60代の親が糖質制限してるからおかずを増やすのが大変、とかいう旨のLINEがきた。

長生きしたい、とも。

であるアラサーの私はというと、死にたいけど頑張って死なないようにして毎日を過ごしている。

毎日かにつけてネガティブ波動に襲われてうずくまりたくなったり、

子供の頃より習得した無能感とミミズより低い自尊心仕事しててもものすごく当てつけられる。

ほどほどに長く生きたいらしい親と死にたいけど死なないように頑張ってる私とでは、死に近いのってどっちなんだろう。

考え始めたら止まらなくなってぼろぼろ泣いてしまった。

2019-01-15

慢性的な眠気、身体のだるさ問題

29歳の女性です。

お陰様で大病もなく、入院も一度もしたこともない。しかしここ最近、私は妙に周りの人達よりも常に眠たい、常に身体だるい感じがあるのでは、と思うようになった。

0歳の頃の思い出話を母に聞くと、いつもこう返ってくる。「夜泣き最初の一ヶ月くらい。泣かず一日20時間くらい寝てくれたから育てやすかった。寝すぎて怖かったからよく呼吸を確認しに行ってたし、ミルク量を確保するため起こさないといけなくて辛かった」。

3才頃でもまだ「寝る子」で、アルバムに残っている集合写真殆ど私の姿は残っていない。いつも部屋の隅、レジャーシートの上、車の中で昼寝を始め、解散まで起きなかったらしい。お友達と遊んでいる途中でもウトウトし始め、複数人の子供が走り回って騒がしい部屋の真ん中でうずくまって寝ていることもあったという。

朝の幼稚園バスでもいつも寝ていたらしい。これは今でもそうだが、ボーッとした子だねとよく言われていた。普通幼稚園から帰ってきたら家で遊んだりするものだが、私の場合は昼寝していた。あまり遊んだ記憶はない。休日遊びに連れて行ってもらっても車の中では常に寝ていたそうだし、事実疲れるから、あまり外をウロウロするのは好きでは無かった。(遊園地でも乗り物に乗るより、ベンチでアイスクリームを舐めながらボーっとするのが好きな子供だった)。

小学校に上がると体育がある。体育そのものよりも次の授業が苦痛だった。身体が重くて、よく眠くなった。また家に帰ると身体がぐったりすることもよくあって、帰るとよく昼寝していた。この昼寝の習慣は中学でも続いた。

高校では授業中によく寝た。部活には入らず、帰りの電車の中でよく眠った。この頃から私は虚弱体質なのでは?と思うようになった。が、疲れるとかそういうのは気合問題だけな気もするなとも思い直した。

大学は進学したものの、朝起きられず(普通23時くらいに寝てたと思う)、出た授業も眠気が強くてまともに聞かず、半年留年してしまった。一年休学し、半年分の学費を稼いで復学しなんとか卒業した。

就職先は近所の小さな企業事務職。9時5時勤務の比較的ゆるい仕事だったと思うが、それでも眠気はついて回った。毎日のようにエスタロンモカなどを2回飲み、エナジードリンクごまかしながら仕事をし、家に帰ったら夕飯も忘れ、朝の7時まで泥のように眠った。それでも眠気は続いた。

あれから転職して別の企業で働いているが、相変わらず眠気や身体のだるさをごまかす生活を続けている。

寝ても寝ても、寝た気がしない。これまで一度もぐっすり寝たという感覚がない。金晩に寝始めて、土日月と寝ても翌火曜日の朝まだだるくて、これ以上寝てもも改善しないなと諦めて仕事に行く、そういう感じだ。今朝は、土日月ひたすら寝続けたのにまだ身体が重すぎてベッドから出れず、仮病を使って休んでしまった。

気合が足りないと思う。でも、眠気と気合というのは本当に関係してるんだろうか?みんなこんな感じの身体の辛さを抱えながら気合で、深夜まで働いているのだろうか?

身体の疲れやすさ、眠くなりやすさ、慢性的なだるさはみんなこんなもんなんだろうか?

これが何か改善できる体質だとしたら、どんなところへ相談すればいいのだろう。

群発頭痛

※とても長いです

群発頭痛、群発性頭痛自殺頭痛

この病気存在をいつどうやって知ったかはよく覚えていない。

何かのまとめでも見た気がするし、世界三大痛のような誰かが勝手に作ったランキングにもあった気がする。

Discoveryチャンネルだったかドキュメンタリーを見たときにはすでに知っていた。

その映像では男性が痛みを抑えるためにマスクで何かを吸入していたり、大麻を薬用で使えないか

とか頭痛に関連することが色々出ていた。大変なんだなぁと思っていた。

ある年の冬。確か1月だったと思う。11月かもしれない。「1」という文字が入っていたはずだ。

ある日、変わった痛みに襲われた。

最初無意識に右目をぶつけたことを疑った。鏡で見た限り目立った外傷はなかった。

目を上から手のひらでゆっくり押すと、何とも言えない圧迫感?があると思うが、それに痛みが加わったような感覚だった。

こう表現すると少しも痛そうに思えないのが残念だ。実際はとても痛かったのだが。

痛みで目を開けられないし、ひどいときは眼球が破裂するんじゃないか不安だった。

毛布か何かを握りしめて丸くなったり身を捩ったりして2時間ほど過ごしたと思う。

「不摂生の賜物なんだろうな」となんとなく思っていた。

次の日もだいたい同じ時間に、痛みに襲われた。そこから2週間ちょっとで十回ほど、そういうことがあった。

継続する時間や発作(?)が始まる時間にずれや差がある場合があるものの、記録を見た限りではそこそこ定期的と言って良さそうだった。

このころには、これはあの群発頭痛ってやつじゃないか?と疑い始めていた。

痛くなる部位は目の周辺が多い。だいたい右目側だった。

痛みは頻繁に大小した。その大小の周期から、どうも脈拍のような定期的なものとは思えなかった。

さらに痛みは1時間から3時間、長いと寝るまで続く。ただあの痛みで寝れるとは到底思えないので気絶しているんだろうか、とも思っている。

その継続時間内でも痛みの大きさには波があって、これにも周期性のようなものはなかった。

痛みの質もほとんど圧迫感だけからかなりの鋭い痛みまでの幅で大きく変わるらしかった。

手の指の骨が折れたことがあるが、折れた指に突き指するような形で何かが強くぶつかったときが、その鋭い痛みと近いと思う。

痛みの質は数時間継続時間の中であまり急激に変化はしないらしい。

立っていられるが車の運転のような作業はしたくないくらいの痛みからだいたい始まり

徐々に寝た状態で丸くなって、何か握ったり噛んだり、痛みに反応して体のどこかしらが硬直するくらいになり、

ひどいときは目を開けられなくなり、眼球が破裂しそうな感覚、涙、声が漏れる、体を止めていられない、くらいになる。

何度か経験して、「確かにこれは、痛みの質や大きさ次第では目を抉られると言ってもいいような痛みだ」と思った。

ドキュメンタリー男性がベッドの周りを歩き回ったり唸ったりしていたのがよく分かった。

部屋が広ければ私も歩き回るだろうし、たまに唸っている。

この痛みの質なり大小なりがどう変化するのか、継続期間がいつまでか、わからないことが辛かったし、面倒だった。

時間、何日続くのか、わからない。

まず、予定を入れることができなくなった。

病気です、寝坊しました、交通機関麻痺していました、冠婚葬祭です」あたりは何かの予定をキャンセルできる理由だろう。

相手の方によく思われないかもしれないけれど、一応は相手も「そういうことは起こりえる」と判断してくれるからキャンセルできるだろう。

では「目の奥がめちゃくちゃ痛いです」というのはどうだろうか。

少なくともこんな理由で予定をキャンセルして、その後も付き合いを続けてもらえる、なんてことはあまりないんじゃないだろうか。

友人や家族なら別かもしれないが、理解なんて到底してもらえない理由だろう。

そもそもそんな意味が分からないことを言う奴と付き合いを続ける理由もないんじゃないか

そんなわけで頭痛の期間が明けるまで予定は入れられないようになった。

外出が怖くなった。

おそらく街中で、急に頭痛に襲われたら、例えば横断歩道の途中で。

渡り切れないかもしれない。頭痛が酷ければまず渡り切れないだろう。

階段も手すりなしではまず昇り降りできないだろう。

そんな状態で外出先から戻ってこれるのか、怖い。

一日に10人も通らないような雪道で数時間うずくまっていても死なないかもしれない、けれど確信はなかった。

次の頭痛が怖くなった。

一度、頭痛が始まると、「痛みから逃れるためなら何でもする」衝動が起きるようなこともあった。

この衝動が本当に怖い。平常時に比べると様々なアクションハードルがかなり下がっていると思う。

壁に頭突きをする、声を上げる、痛みを少しでも軽減してくれそうな動きはしてしまいそうだ。

頭痛時に周囲に銃とか刃物とか、開いた窓があったら本当に危ないのかもしれない。

医者は前に行ったところではCTMT半日待たされて撮影した挙句

「器質的異常はないですね。あとアレルギー性結膜炎です」なんてことを言われて結局何にもならなかった。

他でもらった鎮痛剤も効かなかった。

冬に外で数時間うずくまって動けなくなるかもしれないリスクを考えるとあんまりな成果だと思う。

頭痛がない時期に行けばいいんだろうか。

偏見かもしれないけれど、

「前痛かったけれど今は大丈夫です。でもまた次もきっと頭痛が来るので鎮痛剤なり予防薬なりください。」

なんてお願いが聞いてもらえるとは思えない。

そんなこんなで、ある日すうっと頭痛は起こらなくなった。

それから再発といったん静まる、を繰り返している。

前々回の頭痛期間はそこそこ長くて1か月ないくらいだったか

前回は10日と少しくらいで、前々回に比べると期間が短くなっていたこともあって

「徐々にマシになっているならいいな」なんて楽観的だった。

そもそも前々回と前回には2年の間隔があった。

私は群発頭痛というものには年単位の長い間隔なんてものはないと思っていた。

ネットで調べた限りそんな記述は見たことがなかったから。

から2年も感覚のあった私の頭痛群発頭痛ではなくて別の何かなのだろうと思っていた。

なんとなく東洋眼虫のような寄生虫を疑っていた。

最近、また頭痛が始まった。

一回だけで終わることを期待していたけれど違った。

今日調べなおしてみると群発頭痛は年単位で間隔があいたりするものらしい。

やはり群発頭痛なのだろうか。

寄生虫よりはマシなんだろうか。

医師に診断されたわけではないので、自分でそれらしいと考えているに過ぎないけど。

今は結構大事な時期で、予定をキャンセルできないこともある。

私は相当ダメなやつなので頑張らないといけないと思っていたところに

頭痛が足を引っ張ってきたので少しやる気をなくしている。

キャンセルした予定もある。目の前の人が急に丸くなって唸りだしたら誰だって困るだろう。

まだまだこれから頭痛でいろんなことがダメになる。

これまで積み上げたものは決して大層なものではないが、それでも何度も崩れるさまを見てしまっては積み上げるのは馬鹿らしく思う。

賽の河原のようだ。

ここで吐き出したのでまたやれるだけ頑張ることにする。

2019-01-09

anond:20190109154134

シーブリーズだっけ?

夏に風呂上がりとかに体につけるとスースーするやつ。

あれつけてみな。

昔、(体がこれほど涼しくなるなら、さぞかし涼しいことだろう)と思ってつけてみたら、

刺激のせいでむしろ熱く感じて、うずくまってしまったよ。

2019-01-05

憂鬱はもう仕方がない

人生の一時期、あるいはかなりの期間、憂鬱になってしまうのは仕方がない

何もできずにうずくまって寝る日があっても仕方がない

人と会いたくなくなるのも仕方がない

うまくやっているいける人のようにはなれない

(本当にその人がうまくやっているのかどうかは別にしても)

だましだまし、反省しながら、ようやく少しずつ、せいいっぱい、何とか人並みにやっていく

そうするしかない

2018-12-18

俺の右目がうずく……

どうやら目を使いすぎたらしい。

ぴくぴくずっと動いてる。元気だ。

2018-12-05

から自宅に帰る途中、気づくと速い動悸で胸が痛くなった

帰り道、走るようなことは一切してない

それどころかいつにも増してのんびりと歩いていたのだ、ゲームなんかしながら

から動悸と胸の痛みに息苦しさを感じて、これはただ事ではない!と焦った

急激に運動した時と同じような感覚の体調だった

動悸が激しく胸が痛く苦しく、その場に座り込みたくなるような

けど 住宅街の静かな道でうずくまるのもためらわれ、ゲームで立ち止まったフリをした

動悸が少し落ち着いて、あまり刺激しないようにと いつにも増してのんびりと家に帰った

今も若干痛みがある

ネットで調べたが、候補としてはズバリ心臓病気か、貧血からくる動悸が確率高そうだ

心臓親族に何人か患った人がおり、あまり強くはない遺伝もあるようだし

貧血はもう持病レベルの慢性症状だ、しか最近ちょっと悪化した自覚もある

なんにせよ放っておいて良さげな症状ではないようだった

とりあえず近々に健康診断もあることだし、相談してみることにしようと思う

2018-11-18

anond:20181117113030

前提が決めつけすぎなんじゃないか

化粧をしていても自信がない人はたくさんいるし

すっぴんでも自信があってガシガシ仕事してワイワイ楽しんでいる人も私の周りにはいっぱいいるよ

自信が無くて行動できないなら化粧すれば一発解決って単純な話じゃないでしょう

ぶっちゃけあなた場合過去コンプレックスを思い出してしまうから見ていてつらいってことのように見える

それ彼女たちのことじゃなくて自分ことなんじゃないですか

古傷がうずくからといって痛みの理由を人のせいにするのはスマートじゃないな

まぁあなたの言う化粧しない人はたぶんしないので別の価値観を持った人として適当距離で過ごすか

あなた経験値を使ってあなたが徹底的に面倒を見て変身させるしかいか

2018-11-07

陰キャって

「くっ。手がうずく!」

とかほざいてる奴じゃないの?

2018-10-29

声優オールタンディングイベントに行った

オールタンディングだと前のほうの位置でも全然声優が見えないので暴れまわるファンばかりが見える

神曲に高まってうずくまって頭を横に振りながら掻きむしる「高まりエアシャンプー」やモッシュダイブする「輝き厄介オタク」やモッシュに慣れず眼鏡をぶっ壊す「不憫オタク

面白かったけど僕は席があったほうがいいと思った

2018-10-27

開発によって感じるようになれる

いや女性でも乳首感じない人はいると思う。開発されていないと感じない。自分がそうだった(過去形

自分最初二十代前半の頃はくすぐったいのが大半だったけど気持ちよい感じも少しあって、その感覚を強く意識しながらクリオナする前に少しでも触るようにしてたら二十代中盤ぐらいか気持ちよくなった。

触ってるとクリと膣の中がうずく。体の性的興奮が性感が高まる感じがある。

からこれ↓すごいわかる

https://anond.hatelabo.jp/20181027114634

乳首前立腺ダイレクトコネクトされているので、

乳首気持ちよくなると前立腺がギュンギュンと気持ちよくなるよ。

こっちは乳首子宮ダイレクトコネクトされてる感がある。

指で直接さわると皮膚が擦れて痛いのでシャツとかの薄い服の上からや、薄い掛け布団の上からがいいです。

厚手と薄手で感覚が違うのでお好みで。

指の腹でこする、爪でひっかくなどなど。

クリにローターあてて脚ではさみながらフリーになった両手で乳首をいじるとか良いかも。

乳首が感じない人は開発によって感じるようになれる、が自論です

2018-10-12

辛さスパイスゼロカレー増田すまーレカのロゼパスサラか(回文

私が求めているのはコレジャナイ

もっと日本人完全無視カレー屋さんがいいのよ。

じゃないとスパイスがキマらないの!

もう日本人の味覚にあわせなくていいから!

もう日本人の好みのこと考えなくてもいいから!

一口食べたら気絶しそうなほどスパイスの利いたやつが欲しいわ!

でないと食べた気がしない!

食べたあと辛さでうずくまっちゃうほど動けなく具合が悪くなる感じがいいの!

ラッシーでもライタでも中和できないくらいで、

舌を引っペ剥がしたくなる辛さのまとわりつくような!

そういうやつ!あの辛さみのスパイス

ハマってるインドカレー屋さん巡りで

初めて行ったカレー屋さんの感想酔った勢いで書いたメモ書きよ。

しかもさ

そこのカレーの辛さデフォルトで0倍!って。

辛いスパイス入ってないのかよ!って

デフォルトゼロカレーって。

さすが0を発明した国なだけあるわ。

「そう思うと辛さ0倍カレーこそがザ・インドなのかも知れない」って

週刊サファイア記者の人が言いそうよね。

でも今こうやって振り返って思うと

辛さ0倍カレーって新感覚、新食感よね。

逆を突かれたって感じで!

インパクトキャッチーだわ。

お店の人曰くちゃんと辛さ4段階あるので

今度は辛いのよかったら挑戦してみて下さいねって言ってたか

また行ってみたいと思ったわ。

でね、

そのお店に行ったとき

デスメタル音楽が流れてたんだけど、

私が行った途端インド音楽チャンネルに変えて流してくれて、

そこは別に自由メタル聞いててもいいわって思ったし。

今度デス級の辛さのカレーを頂くことにするわ!

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドとヒーコーです。

だんだんと冷たいヒーコーも寒くなってきたので、

うそろそろホッツかなと思ったりします。

あんまり考えたことなかったけど

ホールスパイスを使ったデトックスウォーター閃いたと思ったのね!

ググったらめちゃくちゃ出てきたわ。

だいたい私のようにごく普通の人が考えつくことは、

やってる人がもうすでにいるのね。

でもシナモンとかローリエとかよさそうよ。

試してみるわ。

で、今日昆布ホッツウォーラーです。

ワカメあんまり「ん?」って首をかしげる感じの磯臭さなので、

昆布の方が良いかなと思うわ。

でもチャレンジしてみてもいいと思う!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!おー!

2018-10-10

毎朝大学行きたくない

昨日から鼻炎が酷くて鼻炎薬を飲んだら鼻は止まったけど市販薬なので全身干からびて怠かった。夜になっても治らないのでもう一度薬を飲んで寝たら身体は火照って暑いし朝起きたらやっぱり全身カピカピで喉が痛い。今日は2限からからいつもよりは遅いけど家が遠いので6時半には起きないといけない。

全てのやる気が消えている。なんとか朝ご飯を食べて化粧まで済ませたけどどうしても家を出られない。あいかわらず鼻炎は酷くて全く粘り気のない鼻水が滝のように出てくる。

熱を測ったら完全に平熱だったけど今日はもう休もうかな、でも休むと面倒だし午後は必修だし放課後サークルの集まりがあるからできれば顔を出したい。体調は良いとは言えないけど特別悪いわけでもない。

だけど必修も最近は先週から作ってきたものを見せてちょっと面談してあとは他の人が面談してる間作業するだけで半分くらい家でもできるんじゃないかってことばっかりだ。作業するのにパソコンがほぼ必須から片道2時間半も重いノートパソコンを背負っていかないといけない。だったらもう今週は休んで家で作業してようかな。

もうすぐ学祭があるからその準備にも追われてて毎日毎日やらなきゃいけないことを消化して気がついたら1週間が過ぎている。

終わらないか毎日1時くらいまで起きていて朝は5時に起きるから睡眠時間絶対足りてない。だけど早く寝るために作業を何もしないで1日を終えるのが怖くてつい夜更かししてしまう。ソシャゲはきっちり周回している。虚無。

リビングから今日も元気なアナウンサーの声が聞こえてきて、あの人たちは毎朝早くから笑顔で頑張ってるのにどうして私は頑張れないんだろうって思ったら辛くて涙が出てきた。こういう時に泣いてると世界で一番自分が不幸だと思っている人間みたいで嫌だ。なのに出るものは出る。

大体私の世界で一番不幸なのは自分に決まってる。自分の辛さを一番強く感じているのは自分だ。他の人から見たら私の何十倍も大変な思いをしている人はたくさんいるけど他人の辛さなんてこれっぽっちもわからいから結局私が一番辛い。

大学から家が近いくせに徹夜したとか朝起きるのが辛いとか言ってる人間が嫌いだ。絶対私の方が辛いと思う。お前は1週間に6日5時起きの生活したことがあるのか?

からって一人暮らし料理洗濯掃除ゴミ出し買い出し全部自分でやらないといけないか実家から離れられない。

こんなことばっかり考えている怠惰人間が一番嫌いだ。

この間ネットで流れてきた漫画ではこうやって人生疲れた時、不器用だけど優しい先輩が声をかけてくれてた。そのままのあなたでいいんだよって言ってもらえてた。

私の周りには私と同じくらい辛い人間しかいないからそんなイベントは起きようがない。心の中の夢彼氏に励ましてもらおうと思ったけど疲れた心ではそんな妄想さえできない。今そのままのあなたでいいんだよとか言われたらよくねーーよハゲしか言えないけど。

好きなことを高い学費払ってやらせてもらってるんだから授業出ないと勿体ない。だけど高い学費の割に毎回面談しかしない教授もどうなんだよ。話すと次回やることがわかるから意味がないわけではないけど待機時間がひたすら虚無だし毎回授業長引くし早めに面談終わらせて時間通りに帰るのもどうかと思って残ると帰りが8時9時になる。それから飯食って風呂入って11時。今日こそ学祭に出す絵を描くぞと思っていたのにあと1時間しか今日がない。

毎日課題学祭の準備のことばっかり考えてて授業始まってからろくに趣味の絵が描けてない。月曜から金曜まで大学行って土日課題やってまた月曜だ。午前上がりの日も帰ったら4時前だし疲れて眠いから昼寝をすると7時前。

朝起きてから夜寝るまでずっと何かしら考えてて脳が休まる暇がない。唯一登校中にゲームやってる時は比較的何も考えなくて済むけどその時間作業に充てられたら……とか考え始めると何もしたくなくなる。

しばらく部屋でうずくまってツイッターのみんなの推しについてのツイートとか見てたらなんとか元気を取り戻したから2限はもう間に合わないけどせめて午後だけでも出ようと思ってなんとか家を出た。すごい偉い。

今日もどうせ授業は長引くんだろうけどさっさと面談を終わらせて7時には家に帰ってテレビ見ながらお母さんのご飯食べて金曜提出の課題やって時間があったら学祭の絵を描いて12時半には寝よう。明日は1限だ。

凡人は努力しないとどうにもならないんだからせめて授業に毎回出るくらいのことはしよう。凡人のくせに努力しなかった奴より努力したけどどうにもならなかった凡人と思われる方が5億倍はマシだ。

私の推しは今のままでも十分すごいのに毎日勉強してるんだって。すごいよね。私もああい人間になりたい。

はてなIDに使ったアドレスが思い出せなくても授業には出よう。

2018-10-03

全ては手に入れられなかったけれど

僕はQUEENファンなのだが、I WANT IT ALLという曲が好きだった。この曲の、特にブライアンメイのソロの部分~Not a man for compromise and where’s and why’s and living lies~「妥協したり、場所理由のために生きたり、偽りの人生を生きるような男じゃない。だからこそ全てを賭けて何もかも手に入れてやる」・・・そういう歌に、当時15歳の僕はひどく感銘を受けた。何度もこの歌を繰り返し聞き、辞書の側面にこの歌詞を書き込んだ。そして人生に夢も希望目的意識も無い偏差値45の私立高校生だった僕は、人生目標として独学による早稲田大学合格を打ち立て、何を思ったか高校中退してしまった。校風が合わないこともあったが、自分を追い込み、それこそ全てを賭けるに相応しいと思ったのだ。しかし高い意識目標とは裏腹に自堕落受験生活。元々要領が悪く遅々として進まない独学に焦りを感じ、代ゼミ社会科目の単科でリズムをなんとか維持するも、現役は全落ちし、一浪の果てに偏差値50の私大法学部しか引っ掛かからなかった。しかし、(方法方向が間違っていても)それなりに努力していた僕の姿を見ていた父の言葉は優しかった。「もう1年やってみるか?」泣きながら自宅の窓から外を眺めていた僕はその優しい言葉にとても惹かれたが、自分学歴面のハンデや就職時年齢を考慮して、今後受験を続けては人生へのリスクが高すぎると判断し、コンプロマイズ(妥協)の道を選ぶことになる。偏差値50の私大へ進むよ、と答えた時、僕のI WANT IT ALLは終わり、僕の心は死んでしまった。

早稲田だろうと滑り止めだろうと、どの大学に入ったとしても、大学へ入った時点で偏差値呪縛やしがらみから解き放たれて大学生活を充実させるべきなのは間違いない。今では心からそう思うし、妥協して腐っている新入生には、偏差値呪縛から解放されて人生を楽しんで欲しい。しかし僕にはそれが出来なかった。話しかけてくれる数少ない人達好意を踏みにじり、常に孤独を選んだ。そして心が1度死んでしまうと、頭が何かを理解しようとすることを拒否してしまうのだ。高い教科書を何冊も買い読もうとしても、講義いくら受けても、言葉言葉の間に繋がりが見いだせず、混乱しか引き起こされなかった。次第に大学へは通わなくなり、1日のほとんどを自室から出ずに過ごすようになる。1度も大学へ行かないまま2年前期が終わったとき、僕は「ヨシ、もう死のう。友人もいない、勉強もできない、頭も死んでいるし、どうせ妥協した人生だ。僕の負けだ。もう死のう。」と思い立ち、同じ旨の遺書を書き置きし、身辺整理してから実家を出た。家族迷惑がかからないどこか遠くで自殺しようと、ひたすら電車を乗り継いだ。電車が止まれ路地公園で凍えながらうずくまり、朝になるとまたひたすら電車であてもなく遠くへと揺られた。九州へたどり着き死に場所を探していたときの事だ。ある駅のマクドナルドで座っていると、隣に明らかに知的障害のある若い男とその父が座った。その父は、食事をしている我が息子に愛しそうにカメラを向け、楽しそうに、笑顔写真を撮り出したのだ。その親子の姿に私は衝撃を受けてしまった。なんという父親の愛だろう。もし僕に障害のある息子が産まれたら、この父親の様に心の底から息子を愛せるだろうか。そこにあるのはただひたすらな無条件の愛だった。自分の両親顔が浮かび、次の瞬間僕の目からは涙が止めどなく流れ、いてもたってもいられずすぐに席を離れた。泣きながら公衆電話を探し、実家架電した。「今から帰るよ。ごめん。」と。自宅へ帰ると泥のように眠った後、今後のことについて話した時も父は優しく「もう大学は辞めるのか」と尋ねてきた。僕はもう迷わずこのまま通う事を選んだ。大成功けが人生では無い。あの親子のおかげでそれを本当の意味理解し、心の再生は近づいていた。大学では相変わらず孤独だったが、それからは全ての講義に欠席せず、聴講したのを録音して更に講義録を作り、試験対策も死に物狂いでやった結果、本当にスレスレで4年で卒業できた。留年が無く卒論必須ではない法学部からこそだったと思う。しか就職活動は完全に捨ててバイトサークル等もせず、卒業だけを目指していたので、卒業して無職になってからは、今後の人生方向性は定まらず、これにも困りきってしまった。なにしろ受験大学勉強だけしか知らず、その他は中学生時間が止まっているのでやりたいこと、人生目標なんてものは無い。呂律は回らない、言葉は詰まる、人生経験は何一つ無い。そのため就職活動は困難を極めた。臆病で説明会面接で行った会社インターホンを押せずに帰ったりもした。結局数社説明会を受けたりボロボロ面接をしただけでやめてしまい、困った事になったなと思いつつも1年ほどダイソーの釣具で海釣りばかりしていた。けれど何か人生軌道修正をする糸口が欲しいと思い、就職活動の練習のために一般教養科目だけで受験できる公務員試験受験した。これがトントン拍子に進んでしま採用されることになり、現在はもう5年が経とうとしている。面接相手が、実際の職場で会うことはまず無い公務員試験だと、堂々と話すことができたのだ。それに法学部出身故の法律素養が意外と仕事や昇進で役に立ち、年齢的には結構早く昇進もさせてもらっている。何がどこで繋がり役に立つかは、なかなかわからない。確かに僕の人生妥協の先にある人生だが、これは妥協や敗北ではなく、小規模な成功と換言できるのではなだろうか。大大大勝利だけに囚われて孤独で苦しい人生から抜け出せなくなるより、戦略的人生スライドさせていくことも、ひとつ人生としてはありなのではないかと思った。

2018-10-02

1◯歳や2◯歳で凄い事を成し遂げる人たち

俺の人生は何だったんだろうと思わせてくる。

たとえばそれがスポーツにおける活躍であるならば、むしろそれは二十代、せいぜい三十代のうちしか出来ないようなことだからまだ耐えられる。

俺がいつかそこを目指そうと今から歩きだしたら実力を身につけるだけで20年はかかってしま場所にすでにたどり着いてる人を見ると絶望する。

若さというエネルギーを振り回し、若さゆえに期待され、若い内に凄い世界に飛び込めた人間だけに許される圧倒的成長なしではとてもたどり着けない場所に彼らは居る。

長い時間をかけて十分な実力を身につければそこに届く事はあるかも知れない。

でも、人生の最大値で若くして成功した人に勝つ見込みはほとんどない。

若くして結果を出した人間はその後多少の減速を見せても、常人人生2回分必要とするところまでいつかたどり着いてから人生を終える。

勝てないんだ。

一生。

勝てない事が絶望なんじゃない。

そういう世界で勝ち抜いた人間にだけ許されるような仕事がある。

いつかそういう世界で勝ち抜く可能性を秘めた人間しか門をたたけないフィールドがある。

そこに……俺達はもう二度と立てないんじゃないかと突きつけてくる。

同時に、泥を這い回れば自分のような凡人でもただその場所に行くだけなら……ただ砂を噛みに行くだけだろうけどたどり着ける可能性が完全に途絶えていなかった事も突きつける。

圧倒的な違いはあるが、その圧倒的は、絶対的な壁ではない。

越えられたかも知れない壁。

100mを9秒台で走るのは苦しいだろう。

だが100mを10秒台で走るぐらいなら、根気と目的意識、ないしはただそれが純粋に好きであれば可能なのだ

それすら出来ないままにうずくまった奴に、嘆く権利なんて有るのか?

若くして成功したものの姿はそれを突きつける。

お前の人生には彼が産まれからと同じだけの時間がまだ残っているんだから全部使ってみたらどうだ?そこまでする勇気はないか

そう突きつける。

から若い人間成功は耳に痛い

[]

糞尿被害が発生したわ。きっと茶太郎の仕業だわ。まったくけしからん!!室外機の下の中空もなくなってないし( ^ω^)・・・荒らされたあとはあるんで、誰かが接触したんだろうけど。どうなってるだろう?

🌋

それにしても大輪??あの子どこに行ったのかしら?見ないわね。室外機の下で摂取したのは、あの子だと見てるのよ。2,3日前に見かけたときは、歩き方がいささかヨレヨレしてたけど、とうとう尿路結石うずくまっているのかしらね?とか言ってると、目撃するのよね。見かけるとイライラするけど、見ないとロスね♡茶太郎は、室外機を通り道にしているけど、手を付けないってことなのかしら?

2018-09-30

イジメてた罪はどうすれば贖えるのか

中学の時通っていた塾で、色白の美しい顔の男の子の後輩がいた。彼は、足が速く運動が得意なのだが、学科の成績が悪かった。普段から私や同級生の友人は彼の頭の悪さをイジっていた。彼は屈託のない笑顔でそれを交わしていたし、私たちもその関係が居心地良かった。

あるときそいつがどこまで根性あるか試そうという話を友人とし、塾の休み時間が来るのを待ち、実行に及んだ。友人が彼の体を羽交い締めにし、私は彼の眼球の寸前に尖った鉛筆の先端を突きつけた。怖がらせようとしたのだ。ビビらせて、その様子をあざ笑うのが僕らの想定だった。

しかし、彼は毅然とした態度で前を見据え、まったく怖気付く様子がなかった。想定とは完全に逆の光景だった。自分なら、恐怖に屈し、情けない顔をし、全身で嫌がり、バタバタともがいただろうに、年下のこの男にはまったくそれがなかったのだ。その時点で、私は男としての負けを感じた。それが猛烈に腹立たしくなり、どうだ、怖いだろう?なんならこの鉛筆を動かすぞ、と脅した。

それでも彼は力強い表情で、全然怖くない、と言ってのけた。なんだこいつは?くそう、本当にやってやる。私は鉛筆をブルっと横に震わせた。やはり、彼は怖気付く様子を微塵も見せなかった。

このままでは終われない。そう思った私は、逡巡した挙句、ついに数ミリ前後鉛筆を震わせてしまった。彼は悲鳴をあげ、うずくまった。友人は驚きの表情を見せていたが、私が青ざめた表情をしているのを見て、後輩に、お前が動いたからいけないんだぞ、と嘘を言って私の立場を守ろうとした。私は、なんてことをしたんだ、男として負け、あまつさえ暴力を振るい、本当に怪我を負わせるなんて、こんなのは現実じゃない、自分はそんなことする人間じゃないんだ、ほんとうは、と、何度も現実否定し、やがて頭が真っ白になった。

その日のその後のことは覚えていない。

後日、彼の目は幸い大事に至らず元に戻ったことが分かり安堵した気がする。

あれから30年ほど経つ。未だにそのことを思い出すたび、身悶えする。

せめて私は、罪の分だけ、なにかを為さねばならない、とは思っている。

anond:20180930060302

以前光り物振り回す奴が隣で

めちゃめちゃはしゃいで俺の顔にかするぐらい振ってくるから

わざと当てて顔を抑えてうずくまったら

心配して近寄って来てくれたか

無言で立ち上がって肩で思いっきり突き放したら

それ以降お通夜状態になって快適になったよ

なぜか反対側の人のテンションも下がったけど

あとわざと足を踏ませてブチ切れるみたいのもある

本当に頭がおかしい奴が相手だと通用しないと思うけど

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