はてなキーワード: 牛乳とは
正直そこまでうまくはないから、決して人にはあげない。家族にもあげない。
でも、小麦粉が家にあるのはなかなか良いし、クッキーというものはかなり楽なのだ。焼ける時の匂いもいい。無心にもなれる。
基本レシピはこう
小麦粉50g 砂糖(上白糖でもグラニュー糖でもなんでも良い)20g オリーブオイル大さじ2くらい 塩ひとつまみ
これを基本にする。卵は入れない。卵を入れた瞬間、全てが卵焼きの味になる。卵白と黄身を分けるのもやりたくない。素人はお菓子作りに卵を加えてはいけない。なんとなく生臭くもなる。卵を使った美味しいスイーツはお店で買おう。
オリーブオイルが無ければサラダ油でもいい。ただ、開封してしばらく経ってるサラダ油だと結構びっくりするほどまずくなるのでオススメしない。
ここからさらに西友のやっすい板チョコを金槌でガンガン叩いてチョコチップにして混ぜてみたり、砂糖を減らして蜂蜜を入れてみたりするのはかなり良い。増田はジンジャークッキーが好きなのでチューブの生姜を入れたりする。ココアクッキーにしたい場合は小麦粉を5g減らしてココアパウダーを5g足す。ココアクッキーのときはすこーーーしだけ牛乳を足すとなんとなく美味しい。お金に余裕があればナッツとか高級な混ぜ物をするのもいい。増田は高いのでやらない。
これらの材料を適当なボウルに入れ、ゴムベラで混ぜる。小麦粉が油を吸うと黄色くなる。ボウルの中で生地はモロモロのままだが、慌てて油を足すと脂っこくなるので我慢する。どうしてもだめだ!という時のみ、小さじ半分から調整しよう。基本はモロモロの状態でいい。ただ、小麦粉の白い状態のままでいるやつらは黄色のもろもろに合流させるように、切るように混ぜる。
その後、ポリ袋に生地を移し入れ、ひとまとめにする。いい感じにまとまったら適当に丸くし、乾かないようにポリ袋の口を閉め、冷蔵庫で寝かす。少なくとも1時間、丸一日寝かしてもいい。
寝かした後はポリ袋の上から生地を適当に伸ばす。厚さはお好みでいい。伸ばし棒が無ければラップの芯でいい。増田はダイソーで売っている激安サランラップで伸ばし、汚れた時に一回り剥がして運用している。型抜きしたい人はするといいが、洗い物が増えるので切った生地をポリ袋の上からスクレーパー的なもので食べやすい大きさに切ると楽。切った後、ポリ袋をハサミで開く。
うちにはオーブンなんて上等なものはないので、トースターで焼く。鉄のトレイの上にアルミかクッキングシートを敷き、先ほど切った生地を載せる。
トースターは予熱しておく。だいたい200度くらいが好ましい。増田の家には親から譲り受けしバルミューダのでかいトースターがある。親がデカくて重いから扱いづらいということで貰った。それは温度調整ができるが、できないタイプのものは適当に1番熱い温度でいいと思う。3分くらい予熱しよう。余熱が終わったら並べた生地アルミホイルを被せて20分程度焼く。アルミホイルを被せると焦げない。20分経って様子を見、なんだかダメそうであれば2分単位くらいで刻んで追加焼きをする。お好みの焼き目をつけよう。小麦粉の生焼けはストレートにお腹が壊れるので気をつけてくれ。
満足できたら粗熱をトースターの中でとる。そうすると予熱がまわりさっくり仕上がる気がする。その後、蓋ができるタッパーに移し、狂ったように食べる。
クッキーなんてものは手間暇を考えると買った方が安いしおいしい。
ただ、なんだか知らないけどめちゃくちゃハマる。焼けた時は小さな達成感がある。慣れてくると自分好みの味にできる。これからもどんどん焼いていきたい。
それは、つねにおもいがけない可能性に対して開かれた態度であり、慣習的な物事の結びつきを超えてあらゆる未来を否定せず、支配と被支配の天地すらもあいまいに塗りかえる。そうした状態に政治性を求めるのならば、こういいかえてもいい。NTRとは革命である、と。
NTRの宿る瞳は風景を革命する。たとえば、あなたは都会とも田舎ともいいづらい、郊外の住宅地に住んでいて、そこにしゃれたパン屋さんが建っているとする。味はそこそこで、町のなかでさえ注目度は低い。あなたはその店へ日常的に通い、品揃えと定休日を完璧に把握し、なんとなれば五回に一回は店主が声をかけて二言三言挨拶をかわす。ちゅうくらいな好ましさがある。
ある休日、幸福な遅起きをしたあなたはその店に向かう。しかし閉まっている。開店時間は過ぎているし、定休日でもないのに。店の扉に張り紙がしてある。「Aデパート地下街新春スイーツフェア出店のため、誠に勝手ながら、〇日~×日はお休みさせていただきます」。
世界がすうっと冷えて遠のいていく。
そのデパートは毎日百万人が乗り降りするような規模の駅の前にそびえている。
そこに行くと、よく見知ったパンが知らない装いで売られており、おそらくあなたが手をふったとしても、他人のふりで無視されてしまう。三百円の買い物ごとにスタンプを捺してもらっているあなたのカードも、存在しないものとされるだろう。
もうあのひとかみごとに皮が崩れ散るクロワッサンも、あの固くなった餅のような生地のベーコンピタも、もうその手には届かない。あの店は二度ともどってこないではないか。そんな感覚にあなたは襲われる。
開期が終わると、パン屋はもどってくる。以前の顔のまま、あなたのとなりに、なにひとつ変わっていないかのように。
だが、変わってしまったのだ。なにかが決定的に以前とは違うのだ。
営業再開初日の朝一番にあなたはその店を訪れる。柔和な顔立ちの店長が、変わらぬ笑顔で「焼きたてですよ」といいながら、あんパンを棚にならべる。あなたは礼儀正しく待ったあと、ひとつをトングでつかみ、瓶入りの牛乳といっしょにレジに出す。
あなたが知っているかはわからないが、あんパンはパンのなかでもっとも官能的なパンだ。NTRを体現している。それはおはぎと逆の極にある存在だ。おはぎで餅米を包んでいたオラオラ系のあんこが、西洋の象徴であるパンと出会ったとたん、しずしずと包まれるに甘んじている。 あなたはあんことパンを咀嚼しながら、自分が今、寝取っていると同時に寝取られているような、ふしぎな感覚を味わう。それこそがNTRの奥義だ。シナイ山でモーセはふたつの神の名を与えられた。ひとつはYHMH。もうひとつはNTR。発音できないことはそれ自体神聖さの証だった。
能動と受動ーー寝取りも寝取られもNTRというひとつの言葉に封じられている。わたしたちはそうした矛盾を孕んだ言葉を何の違和感ももたずに使っている。どちらでもあり、どちらもない状態こそが自然なのだ。そうした状態を自然にすることで、わたしたちは今ある景色を転覆できる。
NTRという言葉の両義性に想いを馳せるとき、わたしは菅井の顔を思い出す。
九十年代の善き日々に、わたしはフリーランスでいわゆるNTRビデオレターのディレクターをやっていて、彼はそのプロデューサーのようなポジションで助監督的な雑用からポストプロダクションまでを一手に引き受けていた。
あの時代を知らない子どもたちには、NTRビデオレターをヤラセだと思っているものも多いと聞く。たしかにそうした側面があったのは否定できない。特に大手の制作会社がAVのついでに量産しているようなものは、最初から商業的な流通を折り込んで、俳優を雇って制作されていた。
だが、わたしのいた現場はみな本物で真剣だった。寝取るほうには寝取るものの矜持があり、寝取られるほうには寝取られるものの葛藤があり、そしてかれらを撮るわれわれはそうした昏い機微、愛の真理といってもいい、そのさざなみのような感情を、一コマも撮り逃すまいという気概があった。誰もが真剣に傷つけあっていた。
独立系の低予算のチームである。撮ってくれと頼むのも、大手に発注できないような貧乏な若者ばかりだ。ビデオレターを撮って、送りつけたい。その情熱が何よりの対価だった。
菅井もそんな情熱しか財産を持たない若者のひとりだった。彼と出会ったのは大学のあるサークルの飲み会のことだ。三次会だったか四次会だったかを先輩の家に転がり込んでおっぱじめ、みなひとしくへべれけになったノリで、先輩が「おもしろいものがある」とVHSテープを取り出した。
それは当時話題になっていたNTRビデオレターで、メーセッジを収録している最中に寝取られる女性(四十代の主婦という触れ込みだった)が感極まって泣き出し、泣くのはよくあることだったが、その上にすさまじい量のゲロをぶちまけて寝取り役も撮影スタッフも大騒ぎ、という内容だった。要はネタビデオである。皆視聴済みの有名作で、先輩もそのことをわかっていたはずだけれど、みな初めて観る体で盛り上がった。
そして、例のゲロの場面が来ると、みんなで爆笑した。わたしも笑った。下に見る笑いだった。そうした笑いを仲間内で共有することが結束である、と信じていた。
だが、菅井はそうでなかった。
それまで部屋の片隅でちびちびキリンなどをやっていたのがいきなり、「笑うな!」と叫んだときは、おどけた反語的表現なのかなと思っていたが、先輩にくってかかるに及んで本気だとわかった。
押し倒された先輩の顔に浮かんでいたのは暴力を振るわれた怒りではなく、驚きと困惑だった。わたしたちも止めるでもなく、ただひたすら唖然としていた。先輩もわたしたちも、NTRビデオレターに対して真剣になる人間がこの世に存在するなどとは思わなかったのだ。 菅井は酔っ払いすぎだとして家に帰され、後日、酒の席のことと暴行は不問にされた。菅井はサークルで、なんとなくアンタッチャブルな存在になった。
サークルの他の人間たちとは逆に、わたしは菅井に興味を抱いた。
当時のわたしはNTRビデオレターの大半をヤラセだと考えていた。そうした作り物にたいして、あそこまで入れ込める人間がいるというのは不思議というより驚異だった。
菅井はふだんから近づきがたいオーラを発している類いの一匹狼だったが、こちらから話しかけると意外に愛想良く応じてくれた。
彼のNTRビデオレターについて該博な知識を持っていた。その歴史からジャンル、ゲームチェンジャーとなった名作の存在、業界構造まで、事細かに、しかも大変おもしろく教えてくれた。良い教師だった。
あるとき、彼の部屋でふたりだけで宅飲みをしていたとき、わたしは彼に訊ねた。「どうしてNTRビデオレターにそんなに興味を抱いているのか?」
菅井は、酒気に染まった赤ら顔しばらくゆらゆらさせたのち、立ち上がり、押し入れからひとつのVHSテープを取り出した。
部屋の明かりを消し、無言のままビデオデッキにそのテープを挿入する。あまり上等とはいえない画質に、ベッドに座った二人の裸の男女が浮かび上がる。男のほうは下腹が出ていて、若いようにも中年のようにも見える。女のほうは透き通った印象の美人だった。
男のほうがピースをしながら口上を述べる。さしてオリジナリティのない、平坦なセリフだった。菅井はその口上にかぶせるように、ぼつぼつと、VHSテープの来歴を語りはじめた。
ビデオに映っている女のほうは菅井の伯母であるという。知的でやさしくて、幼心に憧れの存在だった。伯母夫婦には子どもこそいなかったものの、傍目から見れば、仲睦まじく、理想の夫婦といった趣に見えた。夫婦で菅井をかわいがってくれ、週末にはよく遊びに連れて行ってもらったそうだ。
その伯母が急な病で若くして亡くなった。菅井が高校生のころだ。意気消沈する伯父を励ますために、菅井は伯父の家をたびたび訪問して話し相手になったやった。
しかし、伯父は一方的に話す菅井に黙って相づちを打つだけだった。菅井が三人で出かけた思い出を語らおうと、アルバムの場所を聞くと、伯父は「焼いた」といった。そこで菅井は初めて、家の中から在りし日の伯母の写真という写真が消失しているのに気づいた。
菅井はそのことを問い詰めようとしたが、伯父の返答は要領を得ず、ついには泣き出してしまった。
菅井は長らく伯母について伯父の前で触れずにいた。だが、大学進学が決まって伯父の家に挨拶へ行った日、めずらしく伯父が上機嫌で出迎えてくれた。自分から菅井にいろいろ話しかけてきた。流れで伯母の話題にもおよび、ひさしぶりに伯母の思い出について深く二人で語り合った。良い時間だった、と菅井はいう。
微笑みながらも目頭を熱くしていた伯父は、ふと思いついたように席を立って、どこかからかVHSテープを持ち出してきた。なにそれは、と菅井が訊ねると、伯母の映っている唯一のビデオだという。
そして、菅井と伯父はそれを観た。ふたりとも、ひとことも喋らなかった。
伯父の訃報を聞いたのは、菅井が大学の下宿へ引っ越した直後だった。自殺だった。
わたしたちの観ているビデオレターは山場にさしかかっていた。VHSと自らの由来を語り終えた、菅井の横顔はブラウン管の青い光にぼうっと照らされ、かそけく浮かび上がっている。画面を凝視している。そこにあるのが歓びなのか、哀しみなのか、あるいはまた別のなにかなのか、推し量ることはできない。
と言っても3年過ぎちゃったけど
・出先のコンビニでお茶とか消耗品を買えるようになった。まぁお茶とかは無駄出費ではあるが、必要な時に必要なものを買うということが出来るようになった。
・銀行に現金を預けられるようになった。今までは引き落とし分以外の全財産を細かく仕分けて財布に入れ、毎晩残金を確認しながらの生活だった。今は最低限の現金とプリペイドを持ち、残りは銀行に全て預け入れをしても平気だ。
・電子マネーにお金をチャージしておく余裕ができた。現金が手元にないととにかく不安で、ポイント付与等で総合的に得をするとわかってはいても、それでも現金を電子マネーに変える事はできなかった。今はいくつかの電子マネーを活用して溜まったポイントで嗜好品を買ったりポイント投資で月に数千円儲けたりしている。
・日用消耗品の買い置きができるようになった。ストックはもちろんだけど、3個まとめ買いで少し安くなるような商品や大容量の詰め替えパックが購入できるようになった。損なのはわかっていたが、セットの合計額に怯んで手を出せず単品を都度買う生活だった。
・シャンプーinリンスをシャンプーとリンスに、柔軟剤入り洗剤を柔軟剤と洗剤にそれぞれ買って使うようになった。スキンケアもオールインワンジェルから化粧水と乳液やクリームも使えるようになった。
・食品のグレードも上がった。低脂肪乳をやめて牛乳を買うようになった。おいしい。おやつやデザートも食べるようになった。肉はまだ豚ひき肉・鶏むね・鶏ももくらいしか買えない。
食べ物は198円、日用消耗品は298円、服は1,500円を超えると買いづらかったが、今は食べ物250円、日用消耗品398円、服1,990円(そもそも服自体あまり買わないが)くらいまでなら普通に買えるようになった。
・長く使えるものを買えるようになった。さすがに数万のブランド椅子とかベッドとかはむりだが、ツインバード、アイリスオーヤマばっかだった家電を国産メーカーとかにしたり、ワイヤーネットとか衣装ケースで済ませてた収納をチェストとかに変えたりした。
・月収は18歳から数えて4、5回バイトを変えながら14万→20万になった。社員登用とか普通の就活もちょこちょこチャレンジしたがついに叶う事はなかった。
・先月貯金100万達成した
【訃報】劇場版艦これのCM、魔法陣グルグル内でも確認(´・ω・`)
ヤマトタケル、空想科学世界ガリバーボーイ「俺たちのCSでの再放送ではこいつのCMは流すなよ!」
ああ、スクエニ漫画原作ならドラクエ・FFの課金ゲーや勇者ヨシヒコのCMとか流せよ
※光のお父さんはTBSが映像版権、音羽グループが書籍版権持ってるため円盤CM他局では難しい(*_*)
BSジャパン異世界食堂、提供クレジット後に殺伐としたドラマ番宣垂れ流す
恥を知れよ、グルグルやNewgame内で艦これ流すような事と同じレベルだ
メイドインアビス最新話
DMMよ、KADOKAWAよ、これが劇場版艦これ円盤CM流すのに相応しい番組だ
結局BS11はバンナム忖度枠かシリアスか腐女子かダーク系の事しか気にしてねえんだろ?
特に14夏はKADOKAWAに対して要らんことで尻尾ふりやがった
あの某ノンケのために…
先日のNewgameは話も安心して見れて
(問題箇所のため削除)
なんせ腐女子忖度のBS11だからこの男子…バカ一代なんだろ?
日本芸能界に反逆した愚か者が出ている実写東京喰種の宣伝に貴重な30分を半年も使って
18日
さっき異世界食堂の録画データ調べてたら本編終了後の提供クレジットの後に発砲シーンから始まるドラマや映画の番宣流れてて気分が悪くなった。
おそ松さん二期ではこんなことはしないで欲しいわ
そりゃあこの二つの番組終了後に殺伐とした映画やドラマの番宣CMはOKでしょう。
BS11が一昨年9月に当時の癒し枠であるUSAT15夏スタート直前に刺々しい鬱な映画のCM流したという大馬鹿なことをしたさ。
なんせけもフレ再放送最終回がL字だった南関東組への救済が何も無いんだもん
キッズステーション入れとでも?
マジ何考えてんだよBS11は
「今日PLLあるから20時以降は育児しない」と言ってすっぱり育児を辞めて自室に引き篭もった夫。
めちゃくちゃに腹が立つ。PLLなんてアーカイブあるんだから後で見ればいいだろ。なんで今見なきゃいけないわけ?
もうすぐ新しいパッチが公開されてまた零式だなんだとか言って夜中にゲームをする日々が始まるんだろう。
結果朝が遅くなって、朝の子どもたちの朝食準備補助登園支度などなどは全て私が担うことになる。
今からイライラするし実際始まったらめちゃくちゃイライラするだろうな〜〜!!
なにが天獄編だよお前がタンクをヒールしてる間私は子どもたち相手にタンク職です!!家庭内にヒーラーはいません!!ばーかばーか!!
他のゲームと違ってMMOは「人がいる」時間に「まとまって」やらなきゃいけないからあまりに育児と相性が悪いのに、育児より優先してやり続けてる夫にめちゃくちゃ腹が立っている。
「家事はやってるからいいじゃん」って?確かにそれはそうだけど、家事は終わりがあるけど育児は終わりがないからお前が「家事早く終わった〜」って休日ニコニコゲームしてる間こっちはずっと子どもの相手をしているわけ!!
お前が「今レベルレでタムタラ来てるから手が離せない」とか言ってる間!私は喉が渇いたという子どもに牛乳を入れてやり、泣いて後追いする赤ちゃんを抱き上げてあやしています!死の宣告だよこんなんデバフつきまくって死ぬわ
ていうか「このゲームはストーリーがいいからやってほしい」と言われて私もはじめたときに、「育児をちゃんと半々でやってお互いのプレイ時間を確保すること」って条件つけたのに守られてないんですけど?腹立ちまくりだよ。
は〜〜FF14サ終してくれないかな〜〜〜と思ってしまうし、PLLはなんで20時からなんだよ〜〜〜という気持ちになってしまうけど、悪いのはFF14じゃなくて夫なんだよな〜。わかってます。
ベイクドモチョチョ食べて元気出そ。
なんか最初は邪険に扱われても長く住んで貢献すれば受け入れてくれると思ってる人多いけど、そんなこと無いよ被差別階級だから
田舎の代表格みたいな地元では祖父母世代に引っ越してきた一家がいまだによそ者扱いされてる
孫なんかその町で生まれてその町ですくすく育ってるのによそ者だぜ?よそ者の孫じゃない、「よそ者」そのもの扱いだぜ?
あ、今もしかしたら「村でもないのに田舎を名乗るな」と思ったかもしれないけど
とうの昔に人口が"町"の認定条件を下回ってる過疎地域だから。
牛乳パックに描かれているような風景が広がってるよ のどかだよ 風景だけなら
とにかく単に外から来た人たちってことじゃないんだよ、田舎にとってのよそ者は
異物だよ異物
仕事や買い物はできるから○○よりはマシかもしれんが、逆にいうと別の被差別階級を引き合いに出さないと慰められないくらいナチュラルに酷い
その辺の認識が甘い人たちが夢を抱いてやってきて想像以上に差別されてズタボロになるの、もう見ていられない
初めにも書いた通り結婚して子どもを産んだって同志とは認められない 一生どころか孫世代まで被差別階級のままだ
変に人を集めず滅びた方がいい集落ってのは確実にある
最近、観光地に行くと牛乳アレルギーの人でも食べられるようなメニューが増えてきている。実際には牛乳アレルギーの人のためではなく、ヴィーガン用のメニューなのだ。
何が言いたいかというと、ヴィーガン用のメニューではなく牛乳アレルギーの人用メニューがほしいのだ。
ヴィーガンの志向を否定するわけではなく、単純に牛乳とバターをふんだんに使っていないメニューであれば、それを食べたいのだ。
牛乳やバターを使わない店に行けばいい、あるいはそうではないメニューを選べばいい、という話はそうなのだが
例えば観光地や観光スポットの性質として美術館とか洋風の館などはどうしても、そういう食べ物ばかりになるのだ。
で、そういうところが用意しているのはヴィーガン用のメニューなのだ。ヴィーガン用のメニューはどんな感じかというと、これまでさんざん議論されてきたので省略するが、
ヴィーガンの志向を否定するわけではなく、牛乳アレルギーの人が入っても楽しめるメニューがあると嬉しいのだ。
ただ、ここまで書いて気になるのは自分が果たして牛乳アレルギーなのか、乳糖不耐症なのか分からないのだ
血液検査で牛乳アレルギーだ診断されているのだが、バターをふんだんに使ったと思われるクッキーを数個食べただけでお腹を壊すのは