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はてなキーワード: 神経症とは

2023-09-21

https://sinsoku.hatenablog.com/entry/2023/09/21/153121

Rails v7.1.0 で `can't be blank` が `can’t be blank` に変わるんだって

Railsって時たまこういうユーザー生産性に対して微塵の影響もなく本質的にどうでもいい発達障害神経症のこだわりみたいな変更入れてくるよな

スマス・ラードフに説教させたい

2023-09-17

anond:20230917013749

肉体捨てただけで別人やで

腸内環境変わるだけで性格変わるって言われているしな

Gut microbiome composition and diversity are related to human personality traits

https://www.researchgate.net/publication/338100489_Gut_microbiome_composition_and_diversity_are_related_to_human_personality_traits

 

腸内細菌は、ストレス不安うつ症状や社会的行動などに影響を与えることが示されており、腸内細菌と脳との相互作用は、微生物群-腸-脳軸と呼ばれている

被験者は、自分人格特性を測定するためにビッグファイブを回答し、自分の腸内細菌構成多様性分析するために便サンプルを提供した

結果は、腸内細菌構成多様性人格特性に関連していることが示された

腸内細菌多様性が高いほど、神経症傾向が低く、協調性や誠実性が高かく、腸内細菌の種類によっても、人格特性に違いが見られた

例えば、Bacteroides属やPrevotella属などの細菌は、外向性や開放性と正の相関があった

一方で、Ruminococcus属やDialister属などの細菌は、神経症傾向と正の相関があった

でも長生しまくりたいの超わかる。太陽がヤバくなるまで生きたい

健康安全担保されたら生き飽きるなんて絶対ないと思うんだよな

2023-09-02

陰謀論なぁ…昔ハマってたか心理はよく分かる。

陰謀論ってオカルトとかスピリチュアルとも相性がいい。宗教とも。

いくつか要因はあるが、

自己肯定感が低いので、「自分けが知ってる真実!」に惹かれてしま

ワンチャン楽して一発逆転がある、と思ってしま

③世の中に対して不信感や無力感がある

みたいなところかな。

陰謀論オカルトスピリチュアルも、科学では分かり得ない領域があるというところから来てるから科学的に説き伏せてもあまり意味がない。

直感」を信じる世界から理論じゃないんだ。

じゃあどうやったら陰謀論から抜けられるかっていうと、難しい。

俺の場合

陰謀論を言ってる首謀者が信用できなくなった

・言われてた陰謀論が実現されなかった

・いつまで経っても現実が良くならない

自分ソースを調べて間違いに気づき始めた

だったかな。

俺は陰謀論だけじゃなくオカルトスピリチュアルにもハマってて、しか10代の頃からだったから抜けるの人大変だった。

30代半ばでやっと抜けれたよ。

いろいろ周りに迷惑かけて、人が離れてって一人になったから気付けた。

陰謀論1つだけじゃ気付きにくいんだけど、陰謀論者って複数の(多くの)陰謀論を語りがちなので、合わせ技でヤバいって気付くようになる。

ワクチンだけなら気付きにくいけど、そこから人工地震不正選挙や平面地球などあらゆる陰謀論を首謀者が言い出すと、流石におかしいんじゃないか?と疑い出す。

陰謀論者ってヤバいしかいないんじゃ?と気付ける。

危ないのは陰謀論者が集まる集会。仲間が沢山いると落ち着くし、みんなで世の中変えていける!私はすごい!ってなりがちだから、本当はそういうところに行かない方がいい。

結局は寂しいんだよ。そして未来不安がある。だから陰謀論にハマってしまう。

あとメンタル病気もあると思う。俺の場合脅迫神経症って病院で言われて、薬飲んだら治ったし、陰謀論もハマらなくなった。一つの理論固執するのは脅迫神経症なんだよな。

もし家族陰謀論にハマったら…どうしたらいいんだろうな。

俺は自分で抜け出したので、他の人がなった場合は分からない。

ただ本人の選択ではあるのでそれは尊重し、こちらに押し付けてきたら断る、という姿勢いいんじゃないかな。

こちらに迷惑がかかってきたら、それは嫌だとちゃんと言う。お金を浪費してこちらにまで迷惑がかかってきたら、お金は出せないと言う。

相手自由は認め、その代わりこちらの自由も主張する。そこをちゃんとしておけば、そのうち収まるかも。

2023-08-26

anond:20230825213943

でもこれはちょっと分かる。フロイトって母親への性愛神経症とか色々を全部無理矢理説明した昔の心理学者だよね。

トラウマ概念発明したりして尊敬されたけど、そのエディプスコンプレックス自体批判された。

何でもかんでも母親への性愛に結びつけるので反証できないじゃん、それは科学じゃなくね?

みたいな。今風にいうと内面化ってお気持ちだよねエヴィデンス出せ、のような。

転じて、~性欲だ、が反証できないのを批判してるのかな。

どんな証拠を提出すれば、女の子キャラ可愛いと思う気持ちが性欲じゃない、と証明できるかが分からない。

2023-08-21

anond:20230821075559

ブクマカなかに国語力がかなり怪しい人はそれなりの割合でいると私は思っている


https://anond.hatelabo.jp/20230817102337

このエントリーについたブコメを見たら、

自分が正しいからこそ誤読させられた」とでも言いたげな皮肉っぽいニュアンス誤読したことを報告している人がチラホラいて私は驚いた。

誤読したことを誇ったり怒ったりするのは、その人の知能が低かったり、神経症だったりするからではないかと私は疑っている。

2023-07-23

心療内科にかかった時の話

春先に仕事ストレスで体調を崩した人間個人的メモ

初診、1箇所しか行っていないので何が正解かもわからないが、ただの実例として

◾️病院の探し方

 ・精神科心療内科メンタルクリニックなどの名称があるが、初診のハードルを下げる意味で「心療内科」「メンクリ」を名乗る医院が多いぐらいで多分それほど差はない

 ・病院webサイトを見て、心理士カウンセリングも受けられると書いてある所の方が医療心理分野の連携が取れていて「薬をやたら出して点数稼ぐ医者」を避けられる可能性が高いらしい※昔大学心理学科の授業で習った。これは対患者コミュニケーションもそれなりに心得ている医師出会える可能性も高いと思う

 ・Google口コミ、epark等各種口コミサイト個別意見は書いてる人のメンタル不安定なので信頼性微妙だが、総じて良い意見が多い/少ないの偏りは医院ごとにまあまあある。

 ・初診は電話予約の所か多い 得てしてそういう医院の方が評判が良いようにも見える

◾️問診の備え

 ・初診の問診票フォーマットを書こうとすると結構まとまらないのでメモも書いていくと良い 書くことで思い出す症状も結構ある

 ・最初に、何を相談しにきたのかを書く。私の場合は「仕事ストレスコントロール出来ていないと思う」と書いた※ストレス源が確定されるかが適応障害うつ判断に関わると見たので書いた。仕事が原因だと自覚があったので、直近の労働時間も伝えた。月合計250hぐらい

 ・身体自覚症状について書く。胃痛、腹痛、下痢、動悸、頭痛眩暈などの有無や食欲、睡眠の不調は問診項目にもあると思うが、私の自覚症状には他に大きい音が怖くなる、頭に靄がかかる感じがする、人の目が見られなくなる、仕事について誰かに相談しようとして涙が止まらなくなる など

 ・感情面の動きなどを書く。抱えているのが悲しみなのか怒りなのか無力感なのか、自責に駆られているのか誰かへの苛立ちなのか、何も感じなくなってきたのか。その辺りにフォーカスして書いた。患者がどんな環境に置かれているのかの情報は、ここまで挙げた3項目に関わる所だけ簡潔に。医師カウンセラーではない。必要であれば聞いてくるのでとっかかりレベル

◾️診察

 ・書かなかったけど聞かれたこ

  通院のきっか

  (私の場合、友人に仕事のことを話そうとしてめちゃくちゃ泣いてしまたこと)

  友達が多いか少ないか

  (はっきり「すくないです」と伝えた)

  家庭環境

  (片親とかでもないが、なんとなくコミュニケーション希薄な家に育った、とは伝えた)

  手を洗いたくなるか

  (神経症っぽい部分があるのかの確認と思われる Noと答えた)

  休日は何をしているか

  (慢性的抑うつ確認ぽい 普通に遊んでると答えた)

  朝起きれるか

  (寝覚めは良いというか意識の浮上と同時に動悸がしてた)

 ・他、思ったこ

  はじめてのメンクリだったが、私の行ったところは個人名で呼ばれないようになっていたり、次回診察日時が印刷される診察券を貰えたりという工夫があって、なるほどと思った 待合室は共同

  上記の診察の結果私は適応障害、出来るならすぐ休職 の診断が出た

  休職したくてきた訳ではなく、鬱になった時のためのかかりつけを作りたいのと薬などで眠れる、元気になれるなら処方を願いたいだけなのだが…もうダメなのか?と聞いたら

  ストレスがはっきりしているからには離れるのが最優先との答えだった

誰かの参考になるかはわからないが、一例として置いていく

anond:20230723013646

鬱とか神経症なんか?

でもYoutube動画記憶できないけど普通勉強物事記憶は出来るし、家事とか学業/仕事みたいな必要なことは滞りなく出来てるんだが

2023-07-16

マリーのアトリエPS版で2,3回クリアしたくらいで、

このタイプゲームでいうならちょっと触ったくらい。

マリーは活発で苦しみを感じにくいキャラだった気がする。

外向性が高めで神経症傾向が低め。

お子様向けだから描かれていないだけで、

実はマリーは男性から性的魅力を感じられること自体を好んでいるか

結果として得られる損得を考えた上で、許容しているのかもしれないと思った。

2023-07-14

anond:20230714132340

神経症かもしれないか病院行ったほうがいいか

ふきあがりかたに異常性を感じた

2023-07-08

anond:20230708201822

例えば、ジュリア・クリステヴァの名声を確立したプロジェクト--詩的言語構成するものは何かについての彼女調査--を考えてみよう:

私たちにとって詩的言語とは、他の言語包含するコードではなく、言語コード無限性を表す関数phi(x1...xn)と同じ力を持つクラスAであり(存在定理参照、p.189参照)、すべての「他の言語」(「通常の」言語、「メタ言語」など)は、より限定された範囲におけるAの商である(たとえば、形式論理学の基礎である主語-述語構文の規則によって限定される)。例えば、形式論理の基礎である主語-述語構文の規則によって制限される)、この制限のために、関数phi(x1...xn)の形態論を偽装している。(SとB41ページより引用)

そして、これはほんの始まりに過ぎない。彼女のページの多くには、次のような公理選択公理)が散りばめられている:

(EA) {Un(A) . (x) [~Em(x) . -> . (Ey) [y e x . < yx > e A]]}

集合論を学んだ数学者には馴染み深いが、(私を含む)彼女の読者の大部分には全く不透明ものである。この公式は、「私たち宇宙plのEに適用できる」と彼女は主張した(SとB p. 42)。(SとB p. 42)

ロラン・バルト彼女作品を「まったく新しく、正確なもの」と称賛した。そして最近の論者(John Lechte, Julia Kristeva, 1990)は次のように主張している。

クリステヴァ仕事で最も印象的なのは......それを提示する能力、それを追求する強烈な一途さ、そして最後に、その複雑な厳密さである既存論理理論が引き合いに出され、量子力学が登場することもある(p.109)。

それ以外の人たちは、若干の懸念を抱いているかもしれない。用語妥当性をチェックする知識もなく、議論に組み込む知識もなく、謙虚さと傲慢さの間のようなものから、CMTP(タウリン由来の大腸材料)に分類することをためらったのである私たち直感が正しかったと言えるのは今だけである

というのも、SとBは非常に驚くべき2人なのだ。彼らは理論物理学者であり、集合論行列代数位相幾何学、そしてそれらの量子力学非線形系への応用が日常的な労働の基盤となっているだけでなく、より広い文化的哲学的問題についても深い理解を持っている。今回初めて、クリステヴァの主張を判断するのに必要資格を持つ学者たち--言語文学自己などに関する世界的な主張を裏付けるために、高度な数学など(あるいはその外面)を動員する彼女のような人々--が、彼女の書いたものに注目した。-- 彼女が書いたものを見て、その中で科学数学がどのように使われているのか、あるいはどのように使われているのかを詳細に検証した。そして彼らが発見したのは、彼女概念投下(cf 名前投下)はまったく不適切であり、彼らにとっては初歩的な混乱と誤解を裏付けているということである

SとBは、クリステヴァの`pl'の説明は、彼らが長々と引用分析した他の多くの箇所と同様に、厳密に無意味であることを示した。例えば、「選択公理」の使用言語学とは何の関連性もなく、詩的言語の解明には役立たない。数学集合論にこの公理が導入されたのは、無限集合、あるいは集合の無限の集まり研究するためである

詩のどこにそのような集合があるだろうか?選択公理が「すべての配列が本のメッセージをどのように含んでいるかを正確にする」と言うのはおかしなことである。(p. 42)

SとBの多くの長所ひとつは、引用の長さと数であるさらに彼らの批判は、誤用されている用語--少なくとも超限集合論や数理論理学のより基本的概念--について、光り輝くほど明快な説明と結びついている。SとBの解説知的饗宴であり、本物の数学者と一緒にいることに飢えを覚える。

SとBがクリステヴァテキストで暴いている数多くの(そして彼らにとっては初歩的な)誤りの中には、(a)ゲーデルがその有名な定理で実際に主張したことと反対のことを主張していると彼女が思い込んでいること、(b)選択公理構成可能性の概念を含意しているという彼女の誤解、(c)関数C0(R3)の集合の定義誤訳がある。私やPNRの読者のように、高度な数学の訓練を受けていない聴衆のほとんどは、彼女の言ったことを一言理解できなかっただろうし、彼女議論と詩的言語との関連性(たとえば、「私の車に触れたら、頭をぶち割ってやる」と対照的な「夏の日になぞらえようか」の特徴的な性格)を信用するしかなかっただろう。とはいえ、このようなクズのような彼女パリ第7大学言語学の椅子を得たのは、「新しく正確な」仕事パリ(全権を握っていたロラン・バルトを含む)を驚かせた8年後のことだった。信頼を裏切るというのは、椅子に座るにはひどい仕打ちのように思えるが、あちらでは順序が違うのだ。彼女の任命委員会に誰がいて、彼らが集合論数学論理学をどれだけ理解していたかを知るのは興味深いことだ。これはすべて昔のことで、クリステヴァ教授は他のことに移ってしまった、という弁明はもちろん通用しない。もし私が、自分臨床医学の分野では不正行為とみなされるようなことを根拠にして現在椅子にたどり着いたと示されたら、その仕事が何年前に行われたものであれ、辞任せざるを得ないと思うだろう。その上、クリステヴァは、自分ブランドの準数学詩学から、あからさまな詐欺師であるジャック・ラカン仕事を受け入れるようになった。

象徴、イマジナリーリアルに関する根拠のない教義を、クリステヴァがこの20年間、無批判情熱をもって提唱してきたラカンは、クリステヴァと同様に、自分には本当の知識理解もない学問領域から概念用語を借りてきた。ラカンは亡くなるまでの10年以上、ある位相幾何学的な図形が精神疾患人間の心に光を投げかけるかもしれないという考えに取り憑かれていた。例えば、彼はトーラスが「まさに神経症構造であると信じていた。(「まさに」というおかし表現は、巨大な範囲ほとんどゼロに近い理解可能性を持つ直感に反する概念が、論証も事実説明もなしに主張されるときに、強化語が使われることを見事に例証している)。したがって、彼の弟子たちもトーラスを信じていた--信じることが理解をもたらすかもしれないという、おそらくは常に先延ばしにされる希望の中で。(Credo ut intelligam)。いずれにせよ、彼らはボロメの結び目などに関する彼の一日がかりのセミナー畏敬の念を抱いて耳を傾け、何度も脳卒中を起こした結果、失語症言葉不自由になり、認知機能がやや断続的になった哀れな晩年でさえ、そうし続けた。それまでは、失語症失行症に移行し、彼の心が空っぽになるにつれて、彼の沈黙でさえも注目され、惜しみなく敬意のこもった解釈がなされた。

ラカン数学の使い方のどこが問題だったのか。それは空虚な輝きであるだけでなく、内面的な欠陥でもある。ラカン著作は、悪い精神医学、あるいは狂気精神医学であるだけでなく、悪い数学でもある。SとBが示すように、ラカンは高度な誤りを犯している--トポロジーに由来する特定用語(「コンパクトさ」など)の非常に特殊技術意味混同している、など。しかし、彼は初歩的な間違いも犯す。例えば、無理数虚数普遍量化子と実存量化子を混同するような場合だ。

擬似数学の助けを借りて、ラカンは何時間もしゃべり続け、弟子たちは黙ってそれを聞いていた:

私はここで「コンパクトさ」という言葉提唱する。断層ほどコンパクトものはない。そこに閉じているすべてのものの交点が、無限の数の集合にわたって存在すると仮定すれば、交点はこの無限の数を意味することになる。それこそがコンパクトさの定義なのだ

SとBが指摘したように、コンパクト性という位相幾何学的な概念と、位相幾何学の内外にある他の概念との混同は、数学勉強をしていない聴衆にはまったく気づかれなかっただろう。このような話を何時間も聞きながら、彼らは何を思ったのだろうか。おそらく、ゴールドスミスの詩に出てくる村人たちのように、ただ畏敬の念を抱いたのだろう: それでも彼らは見つめ、それでもなお驚きを募らせた。彼のセミナーに参加した精神分析医や準医療関係者の中に、その頭が晩年は進行性の痴呆に悩まされていたという、あまりにも明白で悲劇的な事実を指摘する者がいれば、その驚きはさらに大きくなっていただろう。

SとBは、ミックスマスターの散文(あらゆる種類の華やかな用語が鍋に注がれ、500 r.p.m.で回転している)に気を取られることなく、個々の用語がどのような特定用途に使われているのかに気を配っている。だからラカンが次のように主張するとき

構造とは、言語アーティキュレーションに隠された非球面である

意味に関する限り、この副文--擬似様態語--の「それを持っている」ことは、動詞としてその文法的主語に包まれている対象のものから反響しているのであり、主語効果が非球面(中略)の渦巻きを作るか、この効果主体がそこからそれ自身を「反射」させるかによって、意味の偽の効果トポロジーによって誘発される想像共鳴があることは明らかである引用p.20)。

SとBは、ラカン構造とは何を意味するのかを明確にしていないことを指摘するだけである。この用語が厳密な数学用法限定されると仮定しても、位相幾何学構造解釈の一つにすぎない。秩序構造ベクトル空間構造多様体構造などであるラカンはどのような意味での「構造」を指しているのか明らかにしていないため、彼の議論空虚である

クリステヴァについての議論の中で、SとBは「彼女は、言語学、文学批評政治哲学精神分析といった、彼女研究しようとしている分野と数学概念の関連性を正当化する努力をまったくしていない」と指摘している。そして、誇示された博識の関連性の欠如は、『知的詐欺』において常に見られることであるメタファー文字通りの真理であるかのように扱うことで、関連性があるかのように見せることもある。これは特にルーチェ・イリガライの著作に顕著である

リガライは、クリステヴァラカンと同様、彼女著作で利用する科学について徹底的な誤解を抱いている。彼女流体力学特別な関心を示し、「積層面」、「ソレノイド運動」、「スプリングポイント」といった専門用語を好んで使う。しかし、SとBの主な関心事は、彼女流体力学を利用して、性的政治女性の抑圧され疎外された状況について、かなり大げさな主張をしていることである彼女結論は、控えめに言っても、彼女が引き合いに出した科学によって決定されたものではない。

リガライは有名なように、科学性差別であると主張している。例えば、E=Mc2は「性差別された方程式である彼女がそう考える理由は並大抵のものではない。方程式は:

我々にとって極めて必要な他の速度よりも光速優遇している。この方程式性癖を示すと思われるのは、核兵器による直接的な使用ではなく、むしろ最も速く進むもの特権化していることである......(p.100より引用)。

ここでの泥沼は非常に濃密であり、おそらくそれを解き明かす価値はないだろう。SとBが言うように、アインシュタイン方程式は高い精度で検証されている。イリガライが「我々にとって極めて必要な他の速度」よりも光速優遇することについてどう感じようと、光速(c)が他の速度--例えば、スーパーマーケットで逃げ惑う幼児を追いかけて走る女性の速度--に置き換えられたら、この方程式は成り立たないだろう。別の言い方をすれば、もしこの方程式性差別的であれば、自然も同じである。もし科学者がこの方程式に関して性差別であるとすれば、それは物質性差別的だからである。そして、物質性差別であるならば、物質でできている女性もまた性差別的なのである(このことについては、後述するようにもっと言うべきことがある)。

科学性差別は、流体力学が固体力学ほど発達していない理由説明するとイリガライは主張する。男性優位の)科学が乱流を扱えないのは、流動性女性性と結びつけているかである男性には突出して硬くなる性器があるのに対し、女性には月経血や膣液が漏れる開口部がある。したがって、男性科学流体力学対応できない。これは、男性女性と同じように90%が水分であること、女性と同じように5.5リットル血液が体内を循環していること、女性と同じように出血し、唾液を分泌し、そう、小便をすることを見落としているように思える。こうした初歩的な観察にもかかわらず、これはイリガライの説明であり、なぜ女性男性から排除され、体液が科学から排除されるのかについての説明である

もちろん、流体力学や乱流に関する膨大な文献がある。ここ数十年、カオス理論から派生した新しい解析ツールを使って研究されてきた重要な分野のひとつである。流れが乱流になる条件についての完全な定義は、科学者たちにはまだ見つかっていないが、固体力学物理学全体においても、未解決問題がある。

事実誤認、専門用語誤用(イリガライは流体力学よりも数理論理学が苦手だ)、狂気じみた比喩使用は、知識人が払うべき高い代償だと思うだろう。どのような目的がこのような絶望的な手段正当化するのか知りたくなる。驚くべきことに、イリガライの目的は、男性優位主義者の豚が寝言で叫ぶような結論を支持することなのだ:

しかし、(女性の性経済の)発展のどの段階にも、それなりの時間性があり、それはおそらく周期的で、宇宙リズムと結びついている。ケモビル事故によって女性たちがこれほどひどい脅威を感じたとすれば、それは女性たちの肉体が宇宙と不可分の関係にあるからである。(113-4ページより引用

これは田舎者特有エピソードではない。イリガライは、合理性客観性男性性と結びつけ、感情主観性女性性と結びつけている。女性セクシュアリティ月経周期やリズム宇宙的なものであろうとなかろうと)に還元する」ことは、SとBが指摘するように、「フェミニズム運動がこの30年間闘ってきたことすべてを攻撃すること」であるシモーヌ・ド・ボーヴォワールは墓の中で眠っているに違いない」。美学的な目的のために、多くの神秘化と知的不誠実さを展開し、ただ田舎者との思いがけない共通点発見するというのは、苦い皮肉であるルーチェ・イリガライが普通の抑圧された女性たちの怒りを惹かなかった理由は、彼女国際的な名声をもたらした著作が、アカデミズムの間では曖昧に包まれいるかである

興味深いことに、ポストモダン思想における科学俗物的な誤用は、科学のものへの敵意と隣り合わせにある。SとBは、科学徹頭徹尾社会的ものだと主張するブルーノ・ラトゥールのような認識論的相対化論者を特に効果的に扱っている。科学が正確な予測をすること、科学機能する技術を生み出すこと、そして科学ブラックバーンでもソウェトでも同じように効果であること、つまりブラックバーンに住む重病の老人に対する抗生物質が、ソウェトに住む重病の若い女性に対する抗生物質と同じように効くということである

科学専門用語詐称

子供の頃、私は数軒隣に住む若者と仲良くしていた。一緒に自転車に乗ったり、荒れ地で銃撃戦をしたり、火をつけたり、スクラッチクリケットをしたりしたものだ。しかし、互いの興味が異なる方向に発展したため、別れることになった。恨みはなかったし、実際、多くの善意が残っていた。ロジャー(彼の家族のために伏せておくが、これは彼の本名ではない)は、私自身の発展途上の知的興味をまったく共有しなかったし、私は彼のヨットに対する愛情をまったく感じなかった。ある晩、母が『リバプールエコー』紙に掲載されたロジャーインタビュー記事で、彼が本当に情熱を注いでいるのは「サイバネティクス」だと語っているのを目にしたとき、私は驚いた。私は彼を誤解していたのだと思い、結局のところ、私たちは思っていた以上に共通点があるのだろうかと思った。次にロジャーに会ったとき、私は彼にサイバネティックスへの関心について尋ねた。私の無知思い込みではなく、本物だった。恥ずかしながら、ロジャーサイバネティクス本質について無知であることがわかった。彼にとっては、サイバネティクスは単なる言葉だった。サイバネティクス科学技術未来関係するもので、当時は華やかで話題になっていた。明らかに地方紙の読者を感心させるためのものだった。私はそのことを追及せず、その後、ほとんど会うことはなかった。最後に聞いたのは、彼が不動産業者としてうまくやっているということだった。かわいそうなロジャーは、自分の「サイバーティックス」についてのコメントが、『リバプールエコー』紙の読者に取り上げられる(「尋問される」、「問題視される」)とは思ってもみなかっただろう。これは不運だった。さらに不運なことに、彼はサイバネティクスへの言及理由人文科学テニュアトラックポストを与えられることもなく、パリ大学思想システムの講座も与えられなかった。

アラン・ソーカルとジャン・ブリクモン(以後SとB)の『知的詐欺』を読んで、私はロジャーを思い出した。ロジェと同じように、ジュリア・クリステヴァジャック・ラカンジャン・ボードリヤールジル・ドゥルーズは、感受性豊かな人々に感銘を与えるために、微塵も理解していない用語を使う癖がある。ロジャーとは違って、彼らはそこから抜け出せず、またロジャーとは違って、無名ではなく、国際的な名声と世界中一見知的学者たちからの憧れで報われた。

長い間、ラカンデリダクリステヴァらは、自分たちの思想学問の名声、実に全知全能の名声を支え るために彼らが収奪した知識領域について、読者がほんのわずしか知らないと確信して、殺人を犯して 逃れてきたのであるミシェル・フーコーの風変わりな時代考証に注目する真の歴史家は、いたとしてもほとん どいなかった。分析哲学者たちは、たった一人の例外を除いて、デリダをJ.L.オースティンと言 語行為論の現代的意義について議論を交わすべき人物だとは考えなかった。

やがてポストモダンの理論家たちは、彼らが迷い込んだ分野の専門家たちの注目を集めるようになった。言語学者たちは彼らの言語学を見て、初歩的な誤りが散見されることに気づいた。例えば、デリダ記号全体とシニフィエを繰り返し混同し、何十万人もの従順弟子たちもそうであった。この誤りは、デリダ研究の根幹のひとつである。他の言語学者たちは、デリディアンたちがソシュール以外の言語学について無知であることを面白がっていた。歴史学者たちは、フーコー思想史に関するひどいバージョン検証し、彼の広範な理論の土台となっている極小かつ風変わりな経験的基盤でさえ、文献的証拠と大きく食い違っていることを発見した。彼の時代区分--西洋史と「最近発明」としての人間についての彼のビジョンにとって極めて重要--は、ほんの一例を挙げれば、正しいエピステーメーに適合させるためには、デカルトが死んだ後のある時期に生きていたことを要求することになる。実際、フーコーエピステーメーとそれを隔てるいわゆるエピステーモロギーの断絶--彼に国際的な名声をもたらした本(『言葉と物』)の中心的な概念--が、いかなる歴史的現実にも対応していないことを示すのに、大した学者である必要はない。彼の時代の一つに当てはまるはずの名前が、他の時代ではぎこちなく活躍し、彼の時代を超越した学問領域は、彼が考えていた以上に数多く存在することが判明した。(彼が生きている間に、このことを指摘しようとした人は一人か二人いたが、コレージュ・ド・フランス思想教授に何を言っても無駄だろう)。おそらくフーコーは、言説を「われわれが物事に加える暴力」と表現したとき自伝的に語っていたのだろう。いずれにせよ、ポストモダニズムの理論家たちが、その理論偶発的に事実汚染されたときいかに頻繁に事実を取り違えているかが印象的である(このことは、「経験的なもの」に対する党派的な侮蔑では説明しきれないほど頻繁に起こっているのだが、事実理論に合わせて曲げようとする断固とした努力の結果であるに違いない)。(事実蔑視証拠捏造の傾向と密接に関係しているのは興味深い。おそらく、真実--そして真実という概念のもの--を憎むことと、誤りを愛することを結びつけることには、ある種の一貫性があるのだろう)。ポストモダンの理論家たちによる哲学思想哲学思想史の誤った表現については、最も詳細な批判検証が行われている。プラトンデカルトフッサールパイスといった主要な人物について、ポストモダニストたちが自説を支持するために述べていることを検証してみると、主要な人物孤立したコメントが「西洋思想」の巨大な塊を意味するように仕立て上げられていることが少なくない。

それなら、このゲームはとっくに終わっているはずだ。これは、テリーイーグルトンによって示唆されている。最近ポストモダニズム理論敵対心を抱いたこから判断するに、彼は、巧妙な資金が動いていること、そして今こそ、仲間との旅行や協力から抵抗に切り替える時かもしれないことを察知したのだろう。(とはいえ、無批判だが儲かる『文学論』から手を引いたわけではない)。ポストモダニズムの「思想」を支える哲学的前提のいくつかに対するM.J.デヴァニーの壊滅的な批評(Since at least Plato ... and other Postmodernist Myths)に対する好意的批評の中で、彼は批評家たちが何も知らない分野に「飛び込む」ことの危険性について皮肉交じりにコメントしている。批評家が「哲学に立ち入る」場合、次のようなことがある、と彼は指摘した。

パーティー死海写本についてのちょっとした知識披露して相手を感心させようとしても、後でその人が新約聖書学者であることが判明するようなものである。(タイムズリテラリーサプリメント1998年1月2日号2頁)

そして、M.J.デヴィーニーについて、「彼女ポストモダン思想の側面に、ポストモダニズムに対する哲学史の知識という著しく不公平な利点をもたらしている」と付け加えている。ポストモダン理論で(経済的にもそうでなくても)大成功を収めた人物に、労を惜しまない皮肉は似合わない。いずれにせよ、『リバプールエコー』紙の読者からサイバネティクスとは何か」と尋ねられたり、「サイバネティクスについて語る資格があるのか」と訝しがられたりするリスクが常にあるのは事実である

では、勝負はついたのだろうか?ポストモダンの理論家たちの無能ぶりが暴露されても、主要人物や業界のものにはほとんどダメージがない、というのが恐ろしい現実だ。イーグルトン自身が言っているように、ポストモダニズム産業には精神的・物質資本が投下されているため、その重役たちは耳を傾ける余裕がないのであるリベラルアーツ学生理論出会わない者はほとんどいないだろうし、文学を学ぶ学生などその多くは、理論カリキュラム全体を覆い隠している。どうしてこんなことが可能なのだろうか?

セオリーとその系列校の網の目のように張り巡らされた、セオリー批判から守るためのプロテクトは実に厚い。何十万人もの英語科の1年生が、教師からロゴセントリック」な西洋哲学の概説を聞かされても、ほとんどの場合プラトンデカルトハイデガーも1ページも読んだことはないだろう。また、彼らの教師や彼らを教えた教師が、プラトンデカルトハイデガーを読んだことがないことも少なくない。ポストモダニズムの哲学史を支持するために出される書誌は、プラトンデカルトハイデガー著作を除外していることが多い。デリダラカンフーコーなど、あるいは、デリダラカンフーコーなどの大衆化、そして彼らの知的子孫の著作リストアップされるのである。言い換えれば、教師テキストも、ポストモダニスト世界的な理解体系に取り込まれ思想家たちの思考を、生徒たちが信頼して受け入れなければならないような、その思想家たちとの関わりや知識考察から、数段離れたところにいることになる。プラトンを読んだ学生一人につき一万人が、デリダが「西洋哲学のすべてを支配するパターン」としての論理中心主義についての有名な理論を打ち立てた『パイドロス』についての、間違いにまみれた説明を受けていることになる。

ポストモダン理論事実誤認、経験的不備、論理的矛盾、説明の失敗を実証すれば、カード城を瓦解させるのに十分だろうと想像していた人々(私もその中に含まれる)は、理論家たちがこのように何重にも絶縁していることを考慮していなかった。われわれは、ソンムの戦いの前にハイ将軍が、1週間にわたる砲撃100万発の砲弾を浴びせ続けた後、ドイツ軍イギリス兵に戦線の上を歩くことだけを許すだろうと予想したときと同じ過ちを犯した。そして、ヘイグの歩兵と同じように、私たち無人の地で、60ポンド荷物事実議論など役に立たないものを満載し、10フィートの高さの有刺鉄線の絡まり合いの向こうで、無傷の機関銃に向かってライフルを振っていた。ドイツ軍ソンムの戦いの前に2年間しか塹壕を掘っていなかったが、ポストモダンの理論家たちは30年も前から塹壕トンネルや地下壕を造っていたのだ。また、沈黙というもうひとつ戦術も想定していなかった。反論必要宣伝拒否することで、有効な反対意見の影響を最小限に抑えることができる。あるいは、第三の戦術として、他の者が欄干の上から頭を出すのを躊躇させるような獰猛反論もある。セオリー批判する者は、診断され、分類され、ステレオタイプ化され、嘲笑され、傷のなめあいに追いやられた。デリダジョン・サール侮蔑的に扱ったのは、デリダ軽率な火術の核心がいかオースティンの単純な誤読にあったかを示すものであった。彼はサールの名前に注目し、「サール」と嘲笑することで、人格攻撃論法さらに一歩進めた。この闘争的なアプローチの利点は、議論スキャンダル煙幕に覆われて見えなくなってしまうことだった。続く暗闇の中では、良い議論も悪い議論もすべて同じように見え、革命派と保守派、あるいは老いぼれたトルコ人若いトルコ人の殴り合いとして全体を見せることができた。デリダソシュールを使うことに疑問を呈する本1冊につき、何百冊もの本がそれを当然視し、学年末テストで生き残るためには流暢なテオローア語を話せるようにならなければならない学生にとって重要であることを説いている。デリダ1000ものカリキュラムに載っているが、彼の作品に対する批判的な試問はほんの一握りにも及ばない。セオリーを教える者は、セオリーに対する批評に注意を向けるほど愚かではない。真に批判的な思考と真理の無関心な追求に熱心な学者(このカテゴリは超高齢カテゴリである)だけが、反対意見に注意を向けることで自らの足を撃つような愚かなことをするのである

これらの理由から、『Intellectual Impostures』の出版は、人文科学未来にとって第一重要出来事である。その本質的な利点が非常に大きいことは別として、『ソーカル・ハックス』という素晴らしい著作出版されたことで、学術界内外で大きな反響を呼んでいる。さらに、SとBはポストモダン理論批評に新たな基準を打ち立て、「不真実の城」がついに攻め落とされるかもしれないという新たな希望をもたらしている。知的失政の領主(と淑女)たちに対する批判が、これほど徹底的に、これほど堂々と行われたことはかつてなかった。SとBは冒頭で、ポストモダン理論全体を貶めるふりをしているわけではないこと、あるいはその創始者たちの全作品否定しているわけではないことを注意深く述べている。しかし、彼らの忍耐強く、静かな考察は、その具体的な使命をはるかに超えた意味を持ち、またその影響をもたらすだろう。学生たちが、理論に屈服した教師たちのドグマから外れた言説の世界をようやく認識し、反対意見にも公平な耳を傾けるようになり、本当の意味勝負がつくようになるかもしれないのだ。

SとBは、ポストモダニズムを「啓蒙主義合理主義伝統の多かれ少なかれ明白な拒絶、いかなる経験検証からも切り離された理論的言説、そして科学を「物語」「神話」「社会的構築物」以外の何ものでもないとみなす認知的・文化的相対主義によって特徴づけられる知的潮流」と定義している。SとBは、ラカン、イリガライ、クリステヴァ、ラトゥール、ボードリヤールドゥルーズガタリヴィリリオなどが数学物理科学テクノロジーについて語ったこと、とりわけ彼らが言語文学人間精神フェミニズム現代文化などについての著作の中で数学物理科学から借用した概念を用いたことについて、細心の注意を払って調査している。SとBは、これらの著名人が男女を問わずロジャーであることを発見した。彼らの著作には、彼らが微塵も理解していない用語概念散見され、彼らの主張の見かけ上の力強さは、それに大きく依存している。彼らの読者は『リバプールエコー』紙の読者よりも若干洗練されている(騙されやすさは変わらないが)ので、彼らが借りる用語は「サイバーティックス」よりももっとリッチものでなければならない。クリステヴァは数理論理学集合論からラカンは数理論理学位相幾何学から、イリガライは固体力学流体力学からドゥルーズガタリ微分積分学量子力学からボードリヤールユークリッド幾何学非ユークリッド幾何学から、といった具合だ。しかし、博識に見えるのはまったくの欺瞞である

例えば、ジュリア・クリステヴァの名声を確立したプロジェクト--詩的言語構成するものは何かについての彼女調査--を考えてみよう:

私たちにとって詩的言語とは、他の言語包含するコードではなく、言語コード無限性を表す関数phi(x1...xn)と同じ力を持つクラスAであり(存在定理参照、p.189参照)、すべての「他の言語」(「通常の」言語、「メタ言語」など)は、より限定された範囲におけるAの商である(たとえば、形式論理学の基礎である主語-述語構文の規則によって限定される)。例えば、形式論理の基礎 Permalink | 記事への反応(2) | 20:18

2023-07-02

トランス女性女性です」への嫌悪感と向き合った

警告:私はシス女性で、この日記にはトランスフォビアが含まれます

身近にLGBT当事者がいないのだが、人の不幸には興味があり、

同性婚賛成、中絶権利賛成、子供権利ものすごく擁護

ハラスメント反対、糖尿病へのスティグマ反対、

ジェンダー解体推奨、とにかく子供を守りたい、

このような感じの思想を持っている。

個人的には、病弱なので子供をもたないし、女性らしさを好んでいる…。)

しかし、トランスジェンダーがらみの話だけは、疑問だらけになる。

apexのカタリストが好きだし、幼い頃に性同一性障害を知って気の毒に思った。それでもだ。

差別主義者といわれるのはキライなので、差別心をなくすために自分の頭の中を整理した。

【1】トランス女性女性です」への嫌悪感

一部のTRAがしているこの主張に、なぜ嫌悪感があるかというと、

トランスジェンダーアンブレラタームだからという面はある。

タリストは女性だけど女装おじさんは男性だよ、というのが一つ。

もう一つは、トランスならトランスと言ってくれるなら問題ないけども、

シス女性を騙るのはやめてくれ。めちゃくちゃ怖い。ということ。

シス女性という概念すら奪うのはやめてほしい。

トランス女性女性ですの言葉は、シス女性概念破壊しようとしてるように聞こえる。

たとえ手術をしたとしても、男性として生きた経験ゼロの人とそうでない人が同値になることはない。テストステロンも。

女性が抑圧されている文脈がなければ、このことは問題にならなかったんだけどね。

そして、トランス女性女性じゃない論の間違いをすっぱぬくという記事を読んだ。

この記事微妙だ。

現に社会の中で女性として生活してるから女性だって書いてあるが、

それって社会女性と見做されなかったら男性ってことなのか?

シス女性ボーイッシュな格好して、男性と間違われることを肯定しているということにならないか

パス度の低いトランスジェンダーに望む性別で生きる権利はないということ?

結局その記事は期待外れだったけど、

femalewomanの違いに思い至って、確かにトランス女性女性かもしれないという結論になった。

かに、雌猫を女性とは言わない。

なら女性という言葉はあげるから私はメスだけのスペースに行くわ。

私はメスでfemale女性womanにはもう依拠できないんだ。

男性以外が女性なのではなく、

女性以外が男性であると、思う。

男女に非対称性があるから。だからこういう、喧嘩別れみたいな結論になった。

【2】ジェンダー解体トランスジェンダー

ずっと思っている疑問として、

そもそもパス度、パスジェンダートランスする、というもの自体が、

女は髪が長い、髪が長いなら女、という性別判定を前提としてるけど、

それはジェンダーバイアスそのものじゃないの? というものがある。

アライさんたちはこの点について説明してくれないと、私を味方にすることはできない。

私はほとんどの恵まれない人の仲間になりたいけど、トランスだけは理屈ガバガバから、まだ仲間じゃないわ。

性差別のない平等社会っていうのは、

性別が単に血液型と同じ、セックスであり、

面接で男女を問われることもないし、仕事でも何もかも、性別意識しなくて済む、

恋愛生殖だけで性別を使う、ということだと思うんだけど、

トランスの人たちはむしろ恋愛生殖以外の場面で、アイデンティティ確認したいという。

その必要ってあるのか?

トランスセクシャルは、私が昔から共感して助けたいと思ってる人の一部。

トランスジェンダーは、私が解体すべきだと思ってるジェンダーの話なので、よくわからん

今の考えはこうだ。

そして、ジェンダーバイアス強化論への反論検索した。

シスジェンダーもそれをしている、というものがあった。

うーん…。ただそうあることがジェンダーバイアス強化じゃなくて、

性別移行に社会ジェンダーバイアスを利用していることを指摘してるんだよ。

単にフェミニンな装いがしたいだけならなぜ性別を変更する必要があるんだ?

フェミニンな装いをしたくないけど性別を変更したい場合社会に扱われなければ性別変更ができない。

謎じゃん。

(余談)

ジェンダー社会からの扱われ方で、パスしてないやつらはその性別ではない、といってる人たちがいるのにもかかわらず、

それとは異なる考え方にもとづくはずの、自己申告による性別変更という、セルフID制が出てきてるから性別自体崩壊してる・・・

ん?自己申告の性別変更って、もしかしてその、ジェンダーバイアスを利用した性別以降をさせないために作られたのか?

(余談おわり)

ジェンダー解体推奨派だから

ジェンダー解体トランスジェンダー対立しないことを知りたい。と思いながら検索を続けた。

納得の行く記事があった。

好きでのっかってるわけじゃなく、ジェンダーバイアスにのからないと同一性を疑われるという話だ。

それは確かになるほど。

私が、男性マネをしたり、~だが、って話しても、どう見ても女でしょ、と思われてるのと違って、ということか。

でも、「(反対の性別)って言わないで」はわかるけど、「(反対の性別)で呼ぶのは差別だ」、は正しいのか?

パスしてないという指摘は、侮辱にはなりうるが、差別なのか?

属性を恨むことが差別であって、単にその人がどちらの性別に見える、という感想は、とき残酷意見…でしかないと思う。

正直、私は女性に見えない人を彼女と呼びたくない。彼と呼びたいわけでもないが、theyと呼ばせてほしい。

男性自称でいい。なぜなら、女性男性より身体が弱いから。強いほうを自称するのはいい)

女性記号をつかわないと女性として見てもらえない不幸にみまわれている人たち。

そう思うと親身になれる気がする。

でも、どうやったら同情や憐れみもなしに、対等に見れるんだろう。

シス特権を指摘してトランス権利をいうとしたら、

憐れみとセットになってしまう気がする。

シス特権を指摘しないとしたら、ジェンダー解体への逆行という批判をしなければならなくなるパラドックスに陥る。

要約。

トランス女性女性です」への嫌悪感はなくせたが、female自認が強まった。(理由は、男性特権経験した人を同胞と思えないから)

ジェンダー解体トランスジェンダー対立するが、かれらが、ジェンダー規範を温存することを強いられている、という理解をした。

なお、私の思う、男性特権とは、「テストステロンの量」「身体が強いこと」「ころされたり、奪われたりするかもという警戒をしないですむこと」、です。

被害者意識が強いのではなく、ちゃん自衛していないと、被害者女が悪いと言われるからです。

収入とかはあまり興味がありません。ガラス天井はなくなるべきだと思いますが、正直、専業主婦を望む女性も多いので、低収入はその結果もあると思います

性差は確実にあります女性は外向性と神経症傾向が強い。これは優位な差です。プロ棋士女性がいないのは差別とは思いません。

より知見を深められるような情報や、自分はこう思うという意見があったら、お待ちしています

2023-06-08

anond:20230607162734

窓の周りや窓本体に防音シートを貼り、家の外壁に防音シートを貼るだけでも、安い金額でかなり変わると思う。

こういう神経症とか強迫性障害みたいになった奴は周りをどうにかするんじゃなく、さっさと精神科行って治療して欲しい

2023-03-07

anond:20230306231719

昔なら神経症とか社会不安とか立派な病名がつくやつだとおもうんだけど、

5歳児みたいに世慣れないこういう人って増えていくんだろうなという気もする

兆候テレビの時点であったよね

芸能人電車に乗れず一般人ロッカーがつかえない

2023-02-11

大衆ってもっと蒙昧に何の確証がなくてもぼんやり自分幸せだと思って生きているのだろうと思っていたけど、お前らは不満だらけで不幸そうだな

組織トップとか指導者は思い悩んだりしていれば良いと思うけど、一労働者レベルが悩んだりしても悩んだだけのメリット返ってこないと思うぞ。

ぼんやり楽しく生きている方が幸せ

庶民凡人の小賢しさはつまらん悩みばかり増えて人生を不幸にしていると思う。

日本人は全体的にちょっと神経症気質だよね。

2023-01-26

上田瞳に恋してる!

君の瞳に恋してる!』そんなドラマがかつてあったが、いまだに、いや、やまだかつてないほど瞳に恋してる。御簾越しの君こと上田瞳さんに。

思えば去年の夏に電撃的、ブリッツクリークか!ってほどに恋をした。ごめん早速電撃的にウソをつきポーランドフランスの虚をついた。

加齢とともに、いわゆる「アニメ声」の高音が苦手になっていた。性別わず、低い声が良い。

ウマ娘アニメシーズン1は観てたし、ゲーム配信歓喜バイブレーション勝利してドロップキックかますゴルシの、あの独特なイントネーションぶりに惹かれてはいた。

ウマ娘に携わる声優みなさんに興味を持った。

ウマ娘声優さんが出演しているコンテンツテレビ配信番組無料範囲で観まくった。

元々性別わず高身長の人は素敵だと思ってはいた。

自分身長178cmなのだが、自分より低い身長の人に対してなんか上から見るのは失礼なのではと、猫背になりがちだった。

やがて一人でパーソナリティをつとめるラジオを聴いた。

音声越しに一生懸命さが伝わり、とても好感が持てた。

高柳知葉さんとのラジオも始まった。仲の良さからくるグルーヴやばい

川崎競馬ゲストに出る前田佳織里さんと上田瞳さんの配信がとても面白かったし、ビールを飲み顔を赤らめマッチョ買いをする上田瞳さんに好感を持った。

徐々にJOJOに(主に第2部が好き)上田の瞳ごころをウォームアップしつつ、ついに時は来た!(橋本)(蝶野うっかり失笑

後世の歴史家がこぞって歴史の転換点と語り継ぐ、『ウマ娘 プリティーダービー 2nd EVENT「Sound Fanfare! 』Blu-rayの発売である

ヤバかった。何がって、上田瞳さんが。公式YouTubeで数分しか公開されていなかった映像でも確認されていた上田瞳さんの姿が。

なにせ高身長から舞台に映える。映えながら、MCではオーディエンスの事を気遣う。

パフォーマンス最高峰アイドル振り付けをあの高身長でこなす迫力。

後にしごはじのラジオで語ってたが、考え過ぎて常に右上を見つめてしまっているのも、絵的にはとても自身に満ちてキレイに映る。

落ちた。この時、オレが。

その後は現在過去未来森羅万象全て上田瞳さんの仕事を堪能しなければ気がすまない。

すべて素晴らしすぎる。今後の上田瞳さんの仕事、きっとうまくいく。ホワット、ミー、ウォーリー?なんて不安に思うロマン神経症を患う使いすてハートは本当の君には必要ない。悩む前に体で反応、勇気あるものが持ちうる本能

推し事・推し活とか、話には聞いてた。今まで体験してこなかった。が、とてもいいものだ。なにせ人生で一番、とんでもなく若返ってる。

しかしこんな状態初めてなのでわからなかったが、どうも「ガチ恋」というステータスのようだ…

このステータスものすごく悩んでいた。

でも、ご迷惑のかからないよう、上田瞳さんのお仕事体験したり、イベントに参加したり、ツイートされるお姿に見惚れる分には許してもらえるんじゃないかな、と勝手自分を納得させつつ…

遠く続くこの長い道で 君と僕がすれ違った 幻か 僕は立ち止まってポエムを吐き出しつつ…恋はいつも幻のように、幻のままゆるやかに続いて…美味しいもの食べて、ハンバーグ屋さんでお味噌汁おかわりして、ずっといつまでも長生きしてください 夢の宇宙旅行 きっと出来る日が来る…

なにこれ

とりあえずみなさん、上田瞳さんが月・火・水はnews23ナレーション、土はBSテレ東「一柳良雄が問う 日本未来」、テレ朝中居正広キャスターな会でナレーションされてるのでゴルシしか知らない人、見て下さい!(Vガンダムシャクティ

2023-01-11

女だけどオナニーが好きすぎる

(注:私は女です。おっさんとか言う人はどうか読まないでください。)

小さい頃に角オナを覚えた。

椅子の角に股間押し付けエッチ妄想をする。

エロ漫画を拾って読んだらしていたのでイクという概念はなんとなく知っていたが、イク寸前で怖くなる感覚があってやめていた。(それでも充分気持ちよかった)

小学生のころウォシュレットオナニーを覚えた。

クリに当てるとびっくりするくらい気持ち良いのだ。女性ならわかると思うが脳天が痺れるような感覚だ。

自分で腰を動かして気持ちいいところを刺激しまくる。口をあんぐりと開け、舌をペロペロと出して喘ぐ。

家族がいるので声は出せなかったが、いやらしいのに罪悪感の中エキサイトしていくのが気持ちよくて仕方なかった。

イク寸前で「ああイク…!!」となるも腰がふわふわとなって怖くなり寸前で止めてしまう。いかんせん小学生には刺激が強すぎるのだ。

どうにかイッてみたい…漫画の中によく出てくる「イク」を体感してみたい…やっぱり男の人のエッチじゃないとイケないのかな

ずっとそう思いながら18才のとき初体験をした。

丁寧にクンニされ、指でいじられ、待ち焦がれていた男のペニスを入れたが、感想は「オナニーのほうが断然気持ちいい」だった。

何人かと試したがセックスはイクことはなかった。

そして24才のときAmazonバイブを買った。

クリ責め機能つきのピンクバイブだ。

バイブを使うとイキにくくなると聞いてはいたが、長年角オナをやりすぎたせいで私の身体は満足しなくなってしまったのだ。

スイッチを入れてクリに当ててみた。率直な感想は「なんか痛い」であった。

オカズがよくないのかもしれない….と私はスマホエロ動画を漁った。

お気に入り動画エロアニメである

「黒獣〜気高き聖女は白濁に染まる」という作品で、それはもうエロエロい。

ただエロいだけでなくプライドの高い女が無理矢理レイプされるも、快楽に目覚めてしまいチンポ狂いになるという濃厚なストーリー付きだ。

(女性ならわかると思うが、女はストーリーのないエロ感情を乗せにくい。「とても恥ずかしくて嫌なのに無理やりされて身体が暴かれてしまう…本当は嫌なのに感じてしまう…!」といったシチュエーションはおそらく大半の女性の好物だと思う)

私は角オナ時によくこの動画を見ていたので「私の初イキはこれをオカズにしたい」とずっと思っていた。

動画を流しながら愛液でまみれたクリにバイブを当てる。するとどうだろう。最高にすごく気持ちいいのだ。

身体中の血液が高速で循環し性器付近に集まるのを感じる。脳に電流が走り口をアホのように開けてしまう。息遣いが荒くなり自然と舌が出てしまう。

(もっと欲しい、この刺激がもっと…!)そう思いながらバイブの強さを上げる。

クリトリス勃起し、皮を捲り上げてバイブの刺激を直に感じている。愛液にまみれたバイブはトロトロとして刺激を何倍にも増す。

気持ちいい、気持ちいい、気持ちいい…!!!

そしてイッた。

腰を前後に振るわせ快楽をきちんと味わった。

意外にも頭の理性はきちんとしていて、初イキをきちんと全力で感じなければ…!とか考えていた。

イキおわると虚しかった。

(賢者タイム女性にもあります)

こんなに気持ちがいいのに、私は今までの人生何をしていたのだろう。

角オナなんかやめればよかった。あれのせいでクリトリスの皮が分厚くなって感じにくくなってしまっていたのではないか

そんなことを考えながらバイブを見つめる。

このバイブは普通にチンコの形をしたものにクリバイブがついたものだ。

今回はクリバイブのみを使うことになったが、それだけでもこの快楽だ。膣内にチンポ部分を入れながらクリを刺激したら一体どのくらいの気持ちよさに包まれしまうのだろう。少し怖いと思った。

ちなみに怖すぎるので今も挑戦できてないです

これが私のオナニー狂いの序章である

最近は夜寝る前に必ずしている。

幸いにも不感症にはなっておらず、安眠効果もあり仕事ストレス発散できて超捗る。自立心も芽生え美容面でもファンデーションがいらなくなるなど効果ありすぎて他人布教したい。

まりにもしまくりなので初代バイブは熱暴走を起こし電源が入らなくなってしまった。中華製はこれだからダメだ。

今2代目をどれにしようか悩んでいる。

次はやはりクリバイブならぬクリ吸い機能付きだろうか。おすすめあったら教えてください。

なぜこれをはてな投稿たかというと私はどんどん同性に嫌悪感なくオナニーしてほしいから。

神経症な人ほどこういった話題嫌悪感を示すが、そう言う時こそオナニーだと思う。

オナニーは全てを解決する。最近セルフプレジャーという言い方も出てきているらしい。

全て自己完結する快楽の追求は自立した女性特権だ。

オナニーをしてみてほしい。

わたしのようにイケなくて人生の途中でやめてしまったならバイブがある。

今はおかずも多様に溢れている。

男の人に気を使う必要はない。オナニーは全て自由だ。

女のオナニーは同性間でもタブーなのでなかなか始まるまでにハードルが高いとおもうがこれを読んだならオナニーしてほしい。

オナニーは全てを解決する。

2022-12-27

anond:20221227220717

はてなのこういうのはもう神経症だと思うことにしてる。ってか神経症だろ。

「これこれこういう会社人間関係がどブラックから辞めるかも」

みたいなこと書いたら

「平均学歴日東駒専で、社員200人程度で、そんな人間性の奴で溢れている会社がそんな年収水準のわけがいからすぐ嘘だとわかった」

とか反応されて病気だろと思った。

こういうやつほんとトラバには多い。

anond:20221226163816

神経症の人は気を取られないように努力しているから5%アップだな

2022-12-05

なんか眠れないや

女の子セックスハードルって男が思ってるよりもめちゃめちゃ低いの切なくなりませんか?

こんな、夜はふと眠れなくなっちゃうような神経症気味の、雑談とかもできないし友達もいない僕なんですが

大学の頃、僕と仲良くしてくれる女の子がしばしばいたのです(cf.僕は割とカッコいい部類です)

そういう女の子に限ってわりとメンヘラで、、というか女の子メンヘラ割合ってめちゃ高くないですか?

でさ、しばしばバーで持ち帰られてる、そういう話をふとされてました。そういう文化があるみたいなんです。

いわゆる、「連れ出し系」の店じゃなくても、なんとなく他のお客さんの女の子に話しかけてもよくて

で、お互いに妥協に達したらさ、女の子会計を払ってあげて連れて帰れるという。

女の子も、まあ、なんか「そういう気分(性欲じゃなくて、寂しさというか、、どうにでもなっちゃえみたいな)」なら割とOK

そういうの怖くないですか?なんか切ないです、ふつうに嫌だな、なんでかな

2022-11-03

ネトウヨ日本朝鮮に乗っ取られる!!」

ワイ「そんなわけないやろ…」

山上




ワイ「ホンマやった!

ネトウヨすまんかったこから朝鮮カルトとそれに支配されてる自民党を倒すために共に戦おう!」

ネトウヨ「…何が問題なんだ?」

ワイ「え」

ネトウヨ朝鮮カルトがなんの問題なんだ?」

ワイ「」





ネトウヨって思想が表出した状態ではなくて実は単なる神経症精神疾患の症状が出ている状態なのかもしれない

2022-10-08

anond:20221008001422

その女こだわり強いな

自閉症発達障害なんじゃね?

周囲が見えてないのはなんか脳疾患神経症もってるわ

2022-09-24

妻の人格攻撃的になる

https://www.mosumiharuto.com/men-should-not-get-married#aggressive-wife

結婚した女性性格は断続的に変化していく。よくあるパターンは、交際時には優しく魅力的だった女性が、結婚後には不機嫌になり[28]、出産後には攻撃的になり[29]、子育てを経て支配的になり[30]、更年期イライラ苛烈性格に変化し[31]、高齢期には認知症の影響で暴言暴力を止められなくなる[32]というものだ。

結婚独身から大きく変化する環境役割に対する不満感や不公平感を溜め込み、不機嫌で攻撃的、常にイライラして怒りっぽくなる。

出産産後に急増するオキシトシンの分泌が影響して攻撃的になることに加え、乳幼児育児疲労感情抑制が効きにくくなりキレやすくなる。

子育て期 – 子供安全を確保しつつ教育する必要性から支配的な性格に変化し、過干渉で口うるさく操作的になる。

更年期エストロゲンなどの女性ホルモンの分泌が低下し、イライラなどの精神神経症状を引き起こすほか、ストレスや不調にも過剰反応するようになる。

認知症期 – 理解できないことが増えてくる不安ストレスに加え、感情抑制が困難になることで怒りを抑えられなくなり、暴力暴言が多くなる。

こうした性格の変化はごく普通のこととされており、これらの性格変化をすべて回避できる女性はまず存在しない。性格が変化した妻はもはや別人であり、かつて夫が愛した妻はすでにこの世に存在しない。そこにいるのは不機嫌で攻撃的で支配的な誰かだ。その誰かと一生にわたって共に過ごすのは、経済的にも精神的にも負担が大きすぎる。

大きいのは負担だけではなく、危険もまた大きい。女性暴力性は家庭内だけを対象に発現する。世間の誰もを見境なく攻撃するのではなく、選択的に自分の夫や子供だけを標的として攻撃する。精神医療の専門家でもない一般男性にとっては、こうしたもの対処していくことは極めて難しく、無理をすれば自分自身の精神破壊してしまう。

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