はてなキーワード: 墓参りとは
周りに年の近い子もおらず、従兄弟と3人で遊んでいた
その日は従兄弟は伯母の実家に行っており、祖母の家には自分だけだった
テレビも飽きて庭で花を摘んでいたら庭の前で女の子がこっちを見ていた
年の近い女の子を見たのは初めてでテンションが上がってすぐに声をかけた
2人で話していたらその子が「ねぇ、おままごとしよ」って言ってきた
「おもちゃがないよ」って言ったらその子は葉っぱのお皿に花弁を乗せ、「はい、これでごはんできるよ」
笹の葉を丸く巻いて端を刺して「はい、お湯のみ」
幼いのに次から次へと側にあるものでおままごとの準備をしていく
その上で2人座っておままごと
「もうお昼だから帰るね」
「また遊べる?
「ううん、もう来れないんだ」
「おうちどこ?今度は私が遊びに行く」
「あのね、おうちは…」
空を指差した
幼い自分は「お空にもおうちがあるんだ」程度にしか思わなかった
「じゃぁ、お空に遊びに行くね」
と強い口調で言った
仕方なく、「わかった。でも、また来てね」
祖母が「Kちゃん、一人遊びが上手だね。婆ちゃん、ドラマ見ているみたいだったよ」
?
「お友達になった子と一緒に遊んでたんだよ」
その子は2度と現れなかった
月日が経ち、亡くなった妹のお墓参りをした時に急に思い出した
母に連れられて電車に乗って大きな病院に誰かのお見舞いに行った事
両親の友人の娘さんがずっと病院生活で危ないって時に、「お友達が欲しかった。一緒に遊びたかった」
そう言っていると聞いた母が自分を連れてお見舞いに行ったんだ
その時、ベッドに横たわる女の子に「早く元気になってね、一緒におままごとしよう」って言ったんだ
母に言えって言われたわけじゃない
何となく、声を掛けなければならないって思ったんだ
その子は小さく頷いた
お線香をあげたい、拝みたい
そう思ったらどこからともなく、「こっち」と声がした
その方向に歩いて行くと「こっち、こっち」と嬉しそうな声が近づいてきた
ここだ!
お線香をあげ、「ここなら何度も前を通ったよね。遅くなってごめんね」
拝んでいたら「ふふふふふ」
我ながら情けない話だけど人生で誰かにモテた経験がなさ過ぎて、自分みたいな喪女相手でも穴さえあればそれでいいっていう猿がいる可能性を失念してたんだよね
元々ボディタッチ多いおっさんだったけど、営業職の体育会系ってこんなもんかなーくらいにしか思ってなかった、数か月前の自分アホすぎ
営業先で用事済ませていつも通り帰社するもんだとばっかり思ってたら全然知らん道走ってる、そん時もメシ連れてってくれんのかなーくらいにしか思ってなかった、助手席の自分アホすぎ
人気もなーんもなくて雑草ぼーぼーのだだっぴろい市営駐車場ついて、隣が墓地だったから知り合いの墓参りか?とかまだのんきに考えてた、その時に限ってスカート履いてた自分アホすぎ
「そろそろいいよね?」の意味が分かんなくてしばらく間抜けにただへらへら笑ってたし、おっさんがスカートの中に手突っ込んでくるまで本当に何も気付いてなかった
ユニクロで二枚セット980円のパンツをずり下ろされそうになった瞬間、恐怖より思考より何よりも先に「病気だけどいいですか?」って言ってた。今思うと意味わかんなくて草
おっさんは一瞬で固まって、「ビョウキ?」と初めて聞いた単語みたいにカタコトで言った。
私はようやく思考が戻ってきて、いやゴメン戻ってきてないかもしれない、何か聞かれるよりも先に「うれしい!私、性病持ちだからだれにも相手にしてもらえなくてずっと悩んでたんです」って前のめりで言った。おっさんはスカートの中から手を引いた。
それからはおっさんは私のほうを見ようともせずしっかりハンドル握って、「なんか今日暑いね、会社の方が涼しいかもね、アハハ」とか笑って、サイドブレーキをがちゃがちゃやってた。すごい慌てて、事故られても困るから、「運転代わりましょうか?」って言ったけど、今までにない優しい声で「いいよ、座ってなよ。疲れたでしょ」とか言われた。今日の取引だって私おっさんの隣に座ってただ笑って資料出し入れしてただけだけどな。
そのあと車内は無言のままどこにも寄らずに会社へ直行、車を停めた途端おっさんは「急ぎの会議があるから!」とあわただしく駆けて行った。走る背中に「車のキー返しときますよ」って言ったけど、無視された。
その日の定時すぎ、うしろのデスクのお喋りデリカシー皆無男こと私の従兄弟が「おまえ病気持ちなの?」と聞いてきた。一日すら黙ってられんのかおっさんは。
「病院行ったことないから知らない(※マジで健康体すぎて物心ついてから健康診断と予防接種以外一度も病院に行ったことない)」と言ったら、「てかヤったの?」と興味津々な様子で聞かれた。お前それが聞きたかっただけだろ。
デリカシー皆無男は放置して、定時前に約束をとりつけておいた上司(もちろんおっさんではない、おっさんより上の人)に事の顛末を報告…しようと思ったけど上手く言えなくて、「社用車のドライブレコーダーって車内の様子も分かるようになってますか?」みたいな意味わからんことしか聞けなかった。
優上司はある程度察してくれたらしく、「落ち着いたらでいいから、話せるときに話して」と言い、しばらく私の業務をひとりでもくもくとやる作業(タコ部屋みたいなもん)にしてくれた。
タコ部屋作業に3日で飽きたので3日目の夕方に時系列をまとめた文書を優上司に報告した。優上司は一応社用車のドラレコを確認してくれたらしく、掠れた音声だけではあったが何が起きたかを察するのは容易だったかもしれない。
自分が明確に拒否していないので対応は難しいかな、と思ったけどあの日から2週間も経たないうちにおっさんは営業部から姿を消していた。
俺が生まれた時、仕事の都合もあって両親は親元から離れたところに住んでいた。
両親は共働きで俺は近くの保育所に預けられていたが、当時は父も母も帰宅が遅くなりがちだった。
そんな時に隣の家に住んでいた老夫婦に俺を預かって貰っていた。
幼い俺はてっきり親戚なんだろうと思っていたが、完全に赤の他人だった
だがとても良くしてもらった事をよく覚えている。
お世話になった老夫婦はすでに二人共亡くなられた(俺も墓参りに行った)のだが、息子さん夫婦と両親は家族ぐるみの付き合いを続けている。
俺と同世代(40歳前後)から上の世代とこの話をした際に、似たような経験をした人が結構いた。
これが俺より下の世代になるとかなり少なくなる。
隣近所との付き合いが減ったのも大きいのではないかと考えている。
核家族化が進んだという事もあるのだろうが、それに伴う住環境の変化の影響も大きいのではないだろうか。
妹が生まれた頃には両親は父方の祖父母と同居する様になり、俺の保育所への送り迎えなどは祖父母がやってくれていた。
妹が成長し保育所に通う様になると、そちらも祖父母が送り迎えしていた。
妹は俺よりはるかに活発で、祖父は病気持ちなのに散々振り回されていた事をよく覚えている。
祖母はあまり料理が得意ではなく、よくお惣菜を買ってきてくれたのだがジャンキーな物も食べられるので俺は母が作る料理よりそちらの方が嬉しかった。
小学校に入ったくらいから俺は料理を趣味にする様になり、下手なりに妹のおやつなどを作る様になった。
祖父母にもよく振る舞っていたが、今考えるとあんな酷い出来の料理をよくもまあ美味いふりして食ってくれたとものだと思う。
学校が早く終わった日は俺が妹を迎えに行く事もあった。
こうして振り返ってみると、俺の成長と共に負担を分散しやすくなったところがあったと感じる。
小4くらいになると両親の代わりに晩飯を作るくらいの事はできる様になっていたし、自分の飯は作れるから留守番させる時も楽だったと後になって母から言われた。
まあ昔だから色々緩かったというのもあると思う。
今だと子供に飯を作らせる様な親は、SNSなどで叩かれがちなのではないだろうか。
下手すると虐待扱いされるかもしれない。
祖父母がまだ元気だった頃だというのも大きい。
これが10年くらい遅くて祖父の介護が必要な状況だったら、子育てと介護を両立せねばならず両親のどちらかは仕事を辞めなくてはならなかったかもしれない。
そう考えると晩婚化が昔より子育てが苦しくなった要因の一つになっているのかもしれない。
俺のいとこが40過ぎで結婚したのだが、叔父や叔母の介護と子育てを両立せねばならなくなり大変な時期があった。
なんか急に寂しくなってきた
コロナになってから帰省して墓参りという行動をしていなくて、そろそろ行かないとすでに鬼籍に入っている祖父に寂しがられちゃうなとふと思って悲しくなってきた。ひとりっ子で結婚もしてないので、先祖代々脈々と続いてきた遺伝子は残念ながら自分で終わりなんだけど、終わりということは頑張って家族の終わりを全部看取らんといけんということだ。
そういうのが辛いから一緒にいてくれる人を探すっていうのはなんか犠牲者を探してるみたいで嫌だし、ひとりで立ち向かっていくしかない。自分こそが「しんがり」なのだ。物理的にできなくなるまで、いや出来なくなろうとも心の内では、二本の足でしっかと立ち続けるしかないのだ。
馬鹿なおっさんだけれども、ネットにはお世話になりました。妻も子供もいないし、骨になったら
ネットに散骨してほしいです。海洋散骨するにはそんなに泳ぎも上手くないですし、
海が大好きというわけでもありません。宇宙に骨を飛ばしてもらえるほどお金持ちでもありません。
イメージとしては、ネットに接続したら、お墓参りしたい人はお墓参り終了という感じです。
決して、お墓のページにアクセスするとお墓参り完了となるとか、アクセスカウンタが回るとか、そうではありません。
意識する人は少し意識でき、知らない人は全く知らなくて良いそんなに散骨が出来ないものでしょうか。
や、それは結構あったらしいじゃん。
中央の政策で移住してきたのにまともなインフラがなくて困ってた所に、急速に経済成長した日本が金をぶち込んでインフラ整備したから。
そんで、当時、その対価らしい対価は、元の住人がビザ無しで墓参りぐらいしか要求しなかったからさ。その住人も「お利口さん」でお行儀がかったから、現住民と交流会なんてしちゃってよ。
不毛の地にエネルギープラントを建設したのもロシア政府の成果だとか言ってるけど、東洋人がうろちょろして調査して、開発した事は現地人はよく知ってるはず。ロシア政府に強権振るわれて利権を召し上げられても辛抱強く残ったことも知ってるはずだ。
でも、その後人口増えてるから、そう言う過去の経緯を知らない住民の方が多いはずだし、それが独立運動に繋がる訳もないし、確かにそれが致命的な影響になるとは思えないんだよなあ……。
去年色々あって、28歳目前にしてやっと少し人生が落ち着いて、キリが良く、そういう気持ちになったので、死ぬわけでもないが、
なんとなくこれまでに出会った人への感謝を、文字として残しておこうと思って書く。伝えられるときには伝えた、つもりだけど。
金が無くて、半年だけ入塾みたいなわけわからない形でもちゃんと対応してくれて、しかも良く面倒を見てくれた。
校長とも知り合いで口利きもしてくれて(母親にはこういわれていたが、正直ないと思う)、ある私立中学に特待生として入学できた。
人生をすべて救ってくれた方。毎日のように個別に指導していただき、ほぼ数学だけで良い大学に入れた。
当時は数学が勉強だとは思わなかったが、これは先生も一緒に楽しんでくれていたからで、一緒に学ぶことは日々の楽しみで、救いだった。
勉強以外でも父親のように面倒を見ていただいたことがあり、本当に感謝している。
ただ、お墓参りに行きたいと思いながら数年が経ってしまった。ご実家の連絡先しか知らないのだけど押しかけていいものなのだろうか…
私立中高や大学には特待生があるし、国立大学も家庭環境次第にはなるが、学費を免除してくれる制度がある。
自分は中学から、博士課程まで15年、運が良かったのはもちろんありますが、学費は1円も払うことはありませんでした。
なんなら大学では学部から給付型奨学金でお金を貰えたので、努力して運があれば、弱者を救済してくれる日本の様々な制度に感謝。
そもそも自分が大学に進学させてもらえたのは祖父母や叔父たちが母に圧力をかけてくれたおかげではあった。
それ以外にも幼いころから父親がいない自分のために、見えないところで父であろうとしてくれたのだな、と思いあたることも多い。
本当に感謝。関係ないけど叔母が結構過激な陰謀論者みたいになってるのに離婚しないの本当にすごいと思う。
⑤母
母子家庭、毒親で、数年前までも感謝こそすれ、恨む気持ちや殺意の方が自分の中で強かったが、年々身体も気持ちもしぼんでいく母を
見ていると、祖父の介護が終わってしまうと一緒に亡くなってしまうのではないかと、昨年祖母が亡くなった瞬間に強く感じてしまった。
親を大事にしろ、みたいな記事や漫画が視界に入るたびに拒絶反応が出て、自分の中の感情がぐちゃぐちゃになっていたが、
そういうことの大切さも、少しだけわかってきた気がする。
いつも実家や地元に帰る時は、家には泊まらずにホテルを取っていたが、今年は家に泊まろうかな、と思う。
正直、自分の口も心も、実家周りのすべてに対して完全に閉ざしていたが、今なら言えるような気がする、本当に育ててくれてありがとう、と。
しまちゃん家にはパパが二人いる。能天気でマイペースな茜パパと、理性的で優しい葵パパだ。
そんな二人に愛されすくすくと健やかに育ったしまちゃん。ところが、授業参観の後、パパが二人いてママがいないなんて変だとクラスメートに言われてしまう。
「変じゃない」と言い返したしまちゃん。だが、しまちゃんは自分の家族に何の不満もないものの、茜パパと葵パパがどうして結婚したのか、ふと疑問に思ったのだった。
授業参観の帰り道にパパ二人に疑問を投げかけたしまちゃんに、茜パパが葵パパとの馴初めを語ってくれた。そう、初めての出会いは、葵パパの「秘密基地」で……。
オメガバース作品。オメガバースとはなんぞ? というのは、ググれば私の説明よりもよっぽど解りやすい図解がいくつも出てくるので割愛。
私は普段、ツルツルテカテカな絵柄のビーボーイコミックスってあまり読まないんだけれども、表紙が助平じゃない作品は当たり率が高いという個人的観測により、試し読みを読んだ。そしたらパパ達の過去話の出落ち感が気に入ってしまい、購入してしまったという次第。実際のところ、わりと当たりだった。
オメガバース設定の作品は性質上悲惨になりがち……特にΩのほうが。そして悲惨な暮らしぶりのΩが理解のある彼くんに出逢って幸せになるというのがよくあるパターンのようだ。
だが、本作は型破りなストーリーだった。つまり、野性の本能に振り回された挙げ句の不幸展開ではなく、αもΩもそれぞれ本能を抑え着けてお互い相手を気遣って着々と幸せになっていったという、そんな結婚生活の序章話。
このご時世なんで、なるべくポリティカルコレクトネスに配慮したストーリー構成なのだろうか……。BLという時点で男性同性愛者の性的搾取だろけしからんと言われたら終わりだけれども。まあ、Ωが一方的にヤられて不幸になる話よりはストレスなく読めていいと思った。
茜と葵の若い頃に使っていたガラケーの型からして、彼らは00年代半ばくらいに高校生だった模様。ということは、現在は見た目は若いけど30代半ば。で、娘のしまちゃんが小学校低学年ぽいので、彼らはガチで計画的人生を歩んできたことがわかる。芸が細かい……。
とはいえ、エロシーンはエロい。別にエロがエロいのは悪くないけど、個人的にあんまり受けが派手にトロ顔するのは好きじゃないんで、そこだけは微妙と思った。
あ、これはネタバレになるけど、彼らはちゃんとゴムは着けていたというのが後のページに書かれていて、そんな後出し設定をだされてもなと思いつつ、ページを遡ってみたら、ほ、本当にゴムして致している!? それを修正が入らないように描くだなんて、なんつう芸と配慮の細かさなんだ……。半端ねぇ。
オメガバース設定はその性質と物語のよくあるパターンから、ずっとBL読みからも批判され一部からは嫌悪されて来たのだけれども、批判される部分を全て排除した作品も出て来るとは……。これもまた業界の自主的表現規制のたまものかと思えば、良し悪しだなぁ。そもそも、女性向けの作品で今時は古風な嫁入り譚とかが書きづらくなってきたというのも、オメガバース等特殊設定が流行った原因の一つだと思うので、オメガバまでクリーンになると行き場のない物語の受け入れ処が更になくなってしまうのでは。
この世ならざる者をホイホイ拾い、しかもまぐわうことで相手を成仏させるという特殊スキルを持った若者・左近桜蔵(さこんさくら)を主人公とした短編~中編連作集。シリーズは『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』『その花の名を知らず』の全部で四作品が刊行されている。
大学生の桜蔵は、父方の祖父の墓参りに行く為にバスに乗った。そこで彼はまた自分が異界に迷い込んだことを察知し身構えたが、起きたのはなんと交通事故。
そこで物語は四年前、彼が高校に上がる春に遡る。祖父の遺品を祖父の縁者に形見分けをする際、遺品の一つが函だけを遺して中身がないことが判明。桜蔵は無くなった茶碗〈ざくろ〉探しの手伝いをすることになった。桜蔵は〈ざくろ〉の手がかりを求めて、祖父の生家・白鳥家の家系を辿るが……。
『さくら、うるわし』までは幻想小説の体だったが、『その花の名を知らず』はそこにミステリー要素が加わる。といっても、殺人など事件が起きて主人公がその解決にのり出すという話ではない。テーマは茶碗〈ざくろ〉の行方探しというよりは、茶碗探しにかこつけて桜蔵と血の繋がりのない父親・柾の系譜を遡り、彼らの因縁を解き明かすことにある。
そもそも、『左近の桜』シリーズのはじまりは、桜蔵が柾に懐いた疑問、「どうして柾は子どもを持つことにしたのか」なので、今回もまたその謎に、一族の系譜を紐解くことで迫ろうということのようだ。
私はずっとこのシリーズをなんかよくわからん幻想小説と思って読んでいたので、物語にミステリー要素があるということを完全に見逃していた。なんなら、あれだけ頻繁に登場しまくる柾をただの味のある脇役くらいに思っていたりとか……。なんだかなぁ、すごい訳わかんない話だけどなんなのこれ? と。
ところが、最新作『その花の名を知らず』を読んでみて、既刊とテイストが違いミステリー要素があるのは一体何故なのかと不思議に思い、それから、万葉集などの和歌や謡曲などの引用があるのが気になった。もしかすると、このシリーズは単なる思いつきとインスピレーションで書かれた幻想小説というより、何らかの大仕掛けが仕込まれた大作なのでは? と思い付いて、シリーズ一作目から全部読み返した。ああ疲れた!
細かいことは全部省くけど、『左近の桜』ワールドには「蛇性」というかつては水神を祀っていた一族……その者達自身が蛇あるいは水神なのかも……と、その伴侶となる「女」の血筋があって、前者が柾の家系、後者が桜蔵の血筋のようだ。桜蔵の育った左近家は、何故か「女」の血を継いだ男の子を、養子にするなど何らかの形で代々引き取ってきたらしい。
「蛇」も桜蔵の血筋(おそらく、『左近の桜』に出てきた「とても長生きな蜃=龍の子ども」というのがこれだ)も長寿だというが、家系図をみれば、柾の先祖にも桜の先祖にも誰も度を超えて長生きした人物はいない。「長寿」というのは、血統が絶えることなく長く続いているという意味なのだろう。
そもそも、タイトルおよび主人公の名が「左近桜」に由来している。左近桜は京都御所にあるとても長い歴史を持った桜だが、すごく長生きな一本の木なのではなく、枯死するごとに新しい桜を植え替えて守り続けて今に至るものだ。『左近の桜』シリーズにおける「長寿」も、そういう意味での長寿なのだと思う。
まあそういうわけで。桜蔵は「蛇」の伴侶になる「女」で、彼の戸籍上の父親の柾は「蛇」だ。柾は過去に彼の最愛の「女」を亡くした模様。そこで柾は桜蔵を自分のあたらしい「女」にするべく桜蔵を育て、彼が大人の「女」になるのを待っているのか、それとも単に「女」を育てるのが自分の役目と思って育てただけなのかは、『その花の名を知らず』でもまだ不明。
まあ、柾×桜蔵というカップリングが成立するのかどうかってとこだけど、年齢差が20歳以上もあるから、どうなるんだか。
『その花の―』はストーリーの大部分が桜蔵の子ども時代の話で、柾と桜蔵が親子らしくキャッキャしているシーンが微笑ましくてよかった。それを読まされると、あーこの二人がカップリングになることは無いかもしれんなぁーという気もしてくるけども。
「猫飼停」と呼ばれる豪奢な屋敷に棲む兄弟達のもとへ、とある必然によって引き寄せられた男達のなんやかんや。
『左近の桜』シリーズみたいに深い謎があるわけではない、肩の力を抜いて読めるちょっとえっちなBL短編連作小説だったー。
猫シッターのアルバイトのつもりがセックスのポジション的な意味で猫にされてしまう大学生の話から始まったので、猫飼停に住まわされて客を取らされる話かなあと思ったら別にそんな話ではなかった。
BL要素以上に、猫飼停の和洋折衷の豪華絢爛な内装や調度を想像するのが、とても楽しかった。
今回はこれまで。最近某BLレビューサイトのくじが当たらないし、長野まゆみ先生の新刊待ちでBLに使えるお金が乏しいので、BL日照りだ……。
コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。
それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。
入院前に会った老人ホームで車椅子に腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。
この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。
私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院の規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。
受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。
しかもそれも一回。
小さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教を信仰している祖母はよくその教会に私を引き連れた。
教会にいくと祖母には祖母の仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。
同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。
私はその宗教を信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。
それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。
属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。
高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。
そんな宗教も祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。
あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。
おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。
おばあちゃんがお墓参りのときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。
おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。
祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。
なんか食べ物の話ばっかりだな。
皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)
今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的に祖母が食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由で筑前煮を作ったことがある。
「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」
これを50回位言われた。
当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。
ごめんね、お嫁には行けないかも。
内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。
妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分で新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。
言い訳はこの辺にしとく
あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。
輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。
火葬ボタンを喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。
思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつで眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。
ちょっとうまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。
タイトルで10割なので読まなくてもいいけれど感情のやり場がないのでここに置いていく。
生きた時代(まだ生きてるけど)の価値観によるものも大きいのかもしれないけれど、だからと言って周囲の人間に迷惑をかけていいわけでもない。
幼少の頃、私から見た祖父は几帳面で割と優しい印象だったと思う。
ご飯前に手を拭かなかったり、脱いだ靴を揃えなかったり、開けた戸を閉めなかったりすると怒られた。買い物について行くとよく本や塗り絵を買ってくれた。このお陰で読書の習慣がついたのでそれには感謝している。
成績は悪く無かったし褒められる自信はあったけど、それでも「もう少しだな」と言われた。祖父は結構努力して公務員になったらしいので、そう言われても仕方ないのかなと思っていた。
まだ年若く、同居もしていなかったので家族や親戚周りの内情をよく知らなかった。おそらくは両親や祖母が負の側面を見せないよう配慮してくれていたのだと思う。
私が30に差し掛かった数年前、祖母が亡くなった。祖母は施設に入らずに祖父が面倒を見ていた。足も悪く認知症も患っていたが祖父が施設に入れることを渋り、自分が面倒を見ると言ったらしい。その頃祖父は少し耳が遠くなっていたが、祖母のために筋トレグッズを自作したりしていたのを見て、仲が良いんだなと思っていた。母が祖父母宅へと通ったりヘルパーさんの助けを得たりしていたようだが祖母は目に見えて弱り、いつの間にかほぼ寝たきりになり、そして亡くなった。
私達家族が葬儀の手配などに奔走するなか、祖父は何もしなかった。霊安室での対面の際も特に言葉をかけることもなく、最低限のことだけ終えてその場を後にした。祖父は補聴器をつける気すらないので決まった事項を説明してから難癖をつけ始める。葬儀はどこだ、いくらかかるのか、この人を呼ばなくてはならない…。この人は年長者として監督してるつもりなのだと思った。働いているつもりの無能という言葉がぴったり当てはまる。
聞けば過去に親戚の葬儀の準備に頼まれてもいないのに口を出し、やんわりと拒否された後激昂して葬儀を欠席したらしい。当時私も参列していた筈だが子供だったので記憶になかった。
気に入らないことがあれば激昂して怒鳴り散らし、物を投げようとする。祖母や母に対して行っていたらしい。身の回りのことも祖母が全てやっていたため、祖父に生活能力は全く無かった。
昔の価値観で言えばよくいる親父なのかもしれない。だが、私はあんなに献身的な祖母に愛は無かったのかと愕然とした。泣かなかったし、何も言わないし。
結局体面なのだ。外面は良く、お人好しだと周りから言われていた。自分より格下の相手(年下や女性)に怒鳴り散らせば意見が通ると思っている。自分は公務員だったから、年長者だからといったゴミみたいなプライドが根底にあるのだ。祖父本人の激情家な性格と年功序列、男尊女卑の時代が合わさってこんなモンスターが生まれてしまったのだと思っている。
墓参りなども、祖父の視界に入らない所でやった事は「していない事」として扱われる。手を合わせるのも、水をかけるのも、やっていないとみなされ激昂する。手を合わせにきてくれた親戚や周囲の方に申し訳ないと思う。
隣人トラブルもままあり、その度に両親が謝罪に回っている。あわや障害沙汰になりかけた時もあったらしい。それもこれも、自分が組長をしていたというプライドからくる上から目線が元凶だろう。
祖父にとって祖母も母もただの召使いでしかない。葬儀の際に1番奔走した母に感謝の一言も無かった。恐らく自分はちゃんとした生活を送れているという自負があるため絶対に施設には入らないだろう。しかし家族にも手に負えず、両親の愚痴は絶えない。加齢による認知機能の低下も一因ではあるのだろうが、本人が生きてきた価値観や気性に依るところが大きいと感じる。
そんな祖父に怒りを覚えるが、この人は歳を取って疎まれて逝ってしまうのだと思うと何とも言えない気分になる。少なくとも私にとっては私の人格形成に関わった人であり、祖父が本を買い与えてくれなければ今の私はないと思っている。正直両親の愚痴を聞くのも心苦しい。
祖父のモンスター化を止められなかった我々の責任なので甘んじてこの状況を受け入れるしかないのだろうけど、割り切れない感情に苛まれている。
『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』に続く、左近の桜シリーズ第4作目。
謎の引き寄せ体質というか拾い物体質というか、とにかくやたら異界の住民と関わりあっては「アッーー!」なことになってしまう、左近桜蔵くんが主人公の幻想小説シリーズ。初期の頃は「アッーー!」の回数がやたら多かったが、新刊が出る度に「アッーー!」成分は減ってきている。
祖父の墓参りをするために、霊園行きのバスをロータリーで待っていた桜蔵は、鍵を拾ってしまった。交番に鍵を届けようとしたものの、交番では奇妙な女性が巡査相手におかしな事を言っていた。ただでさえ引き寄せ体質で拾いもの体質の桜蔵は、また何か厄介なものを拾ってしまったのではないかと怪しむ。
バスに乗ってみれば、今度は「森」のいわれを語る妙な男がおり、いよいよおかしな事になってきたと思う桜蔵。その時、バスが交通事故に遭ってしまう。そして案の定、桜蔵は異界に迷い込んでしまうのだった。
本作は『咲くや、この花』までとはちょっと趣きが違い、まるで番外編のような話。ほとんど過去の話だし。桜蔵の祖父の遺品の一つ〈ざくろ〉という銘の碗、それと対になる〈しろうづ〉、そしていわく付きのお碗〈朱薇(あけび)〉を巡る謎。それに絡んで、柾の生家・白鳥家と、桜蔵の生家・左近家、そして白鳥家の縁戚にあたる白(つくも)家の系譜が明かされるのだが、超ややこしくて訳がわからん。新しく人物の名前が出てくる度にメモしておけばよかったなぁ。まるで『百年の孤独』を読んでるみたいだった。
物語の鍵となるのは「蛇」。互いに絡みあって一本の木のように育ったザクロや、テイカカヅラやアケビなど蔓性の植物、鏡、月、橋(水府の出入口とされる)など、蛇につながるモチーフがやたら出てくる。
何で蛇なのか、それが桜蔵にどう関係するのかというのは、何となくわかった。それからテイカカヅラ(定家葛)の別名から、柾と桜蔵の関係性がなんなのか……要は名実共に柾は桜蔵の保護者である、というのはわかったけど……、なんか核心の部分ははぐらかされたままだなぁ。
白鳥家と左近家の付き合いが今に始まったものではないのはいいとして、しかしそれが分かっても桜蔵の実父の正体とその人と柾の関係性の謎は放置されたままだし。
うーん、よくわからない。
そして今回も、相変わらず他人の悪夢を追体験させられるような読み口であり、更に超絶ややこしい系譜にも惑わされるので、ストーリーにちりばめられた謎を考察するどころじゃない感じ。森博嗣の『スカイ・クロラ』シリーズと同質の幻想文学調ミステリー。これって謎の深堀はしない方がいい感じのやつ? でも気になってつい何度も読み返しちゃうんだよなぁー。
植物の名前や神話伝承や伝統文化に関する知識を求められ、しかも登場人物が超上流階級の人たちばかりなので、頭が全然ついていかない。読んでいて眩暈がしてしまうが、『左近の桜』シリーズのお陰で私の教養は深まったので、頑張ってググりながら時間を溶かすぞ……。
正直、正確な命日すら覚えていない。11月の下旬だったと言う程度にふんわりしている。
愛情や感謝の気持がなかった訳でない。病気が発覚した後は関東の会社をやめて地元に帰ったし、
しかし亡くなってしまえばそれまでだ。生きている間にしっかりと恩返ししたと言う思いもあってか、命日に実家に帰ることも墓参りすることもない。
それくらい割り切っているつもりだし、普段は思い出すこともないのだが、命日が近いこの時期になると、ひどく気分が滅入って無気力になる。
10年だ。命日も覚えておらず、実家に帰って手を合わせることもないのに、気分だけは勝手に滅入ってくる。
それでも働かなければならないので、なんとか気合で起きて仕事に行っている。薬は倍くらいに増える。この時期だけを乗り切るなにかいい方法が欲しい。ただただ辛い。
今人気エントリに入ってるフェミに言われてもウマ娘のR18創作をやめなかったのに公式がガイドライン更新したらやめるって言ってる!って記事、界隈にいる人間からすると限りなく嘘に近いなと思ったので自分が実際に見たことを書く。
まずアプリリリースしてちょっとバズったくらいの時期から「ウマ娘のR18を描いてるやつはやべえ奴」って認識が大多数の普通のオタクの中であった。同時にお墓参りや引退馬を訪ねるときのマナーなんかやPixivのファンボで金取ったり限定公開でR18載せてた奴なんかも晒されて燃えてた。R18続けますって公言したバカとかやっていいじゃんって言った奴が鍵リツ山付いたり晒されたりして糾弾されてるのを何度か見かけた記憶もある。まあ俗に言う「ウマ娘警察」みたいに二次創作中でウマ娘が強く落ち込んでるのもダメ!って騒ぐ奴とか所謂ヤンデレ化もダメなんじゃないかみたいな議論とか問題も起きてたけど、界隈全体としてはマナー守ろうねって方向だった。フェミに言われるまでもなく。
で、公式がガイドライン更新したらやめる!って言ってるってのは100%嘘。今ウマ娘のR18やってる連中は本当に周りからどう思われようと気にしてないし自分が描きたい/読みたいので公式のことも界隈のことも知らねえですっていう筋金入りのやべえ奴らなわけ。公式がガイドライン更新したからやめてくれるならもうとっくに周囲からの注意や冷たい視線、初めの良識でお願いしますって注意でやめてるはずなの。事実そういう奴等はデリケートすぎとか自分は続けるって呟いて批判されたり晒されたりしてる。公式からのお達し更新されたから引き続き気を付けようって言ってんのは初めの段階で言うこと聞いてた人たち。そういう人たちになんで今さら言うこと聞くんだ!って切れても意味ないの。だって初めから聞いてんだから。
公式だってたぶん現段階になっても続けてるキチガイがこれでやめるとは思ってないと思うよ。はっきりこの描写がダメですって言い切ることで名指しで注意や規制ができるようにしたってこと。公式が直々にキチガイを始末しようとしてくれてるってことだと自分は解釈した。
だからもう歴史修正やめてもらえませんか。界隈の人間もキチガイのこと迷惑だなあ消えてくれないかなあって思ってるし、フェミさんにとっても消えてほしい人種だと思うのでむしろ始末してもらえませんか。というかどうやったらあのキチガイ達は消えるんですか。たくさんの人が注意してるし界隈全体で排斥する雰囲気だけどでも死なないんですよ。公式が今回のことで殺してくれたらいいなあと思うけど、それも上手くいくかわかんないし。みんな消えてほしいと思ってるんだけど