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2017-06-22

共感する人いますか?こんな症状

人の目を見れない

なぜなら自分の目から邪悪な何かが発していると思ってしまうから

基本的にどこでも居づらい、いたたまれない

ねたら多少スッキリする

統合失調症で言われるようなはっきりとした幻聴はないが、常にいろんな考え、フィーリングが浮かんできて止まらない

十分に歩いて軽くアルコールが入ったとき(つまり今)に自由を感じる

(1人で居ることは絶対条件)

他人と接すると即座にその人が自分をどう思うかに全ての意識がいってしまい、しばらくはそれが抜けない

大勢の中にいるとまるでストーム 全く自分意思を持てない

周りでガヤガヤやっていると羨ましいが、自分が巻き込まれると急に冷淡になる

十分に1人になった時に、キラキラした何かを感じる

1人になると自分思考検閲し始める

客観的に見たら何も起こっていないのに、自分だけでヘトヘトになってしま

寝ると多少回復する

休日はずっと寝てしま

用事があると憂鬱

いつも、自分のことを考えるのが難しい

風呂温泉神社廃墟回復する(MP?)

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170621115157

体脂肪率が低い人の方が体調崩しやすいという話も聞くし、

誰が体脂肪率落とす話なんかした? 

文字もしてないよねw

ビルドアップしてる人は意外と寿命が短かったりする。

誰がビルドアップの話なんかした?

文字もしてないよねw


しかも「という話も聞く」だの「ったりする」だの怪しい伝聞ばっかし。

体調崩すほどの低体脂肪率ってのは10%切ってるとかで気合入ったボディビルダーとかモデル

短命になるほどのビルドアップっていうのは聞いたことないが無茶なステロイダーとかなら死ぬ可能性あるな

どちらにせよものすごい精神力目的もって自制してる人達の話なので

体力維持程度の運動するのも嫌がるだらしないおっさんとは1ミリ関係の無い世界だよ


相変わらず相手の言ってないことを幻聴したり

あやふや受け売り根拠に強弁したり

脳の衰えを見せ付けてくれるおっさんだね

2017-06-17

酔える草を飲んで酩酊した話

アカシア根皮茶(ACRB)を試す機会があったので、様子を書いてみる。

例えば飲酒したとき、吐く寸前くらいの酩酊時は、気分が大きくなり、説教を垂れたり思考が飛び飛びになったりする経験がある人も多いと思うが、この草の場合酩酊と同時に視覚聴覚幻覚も一緒に楽しめる。

(効果は人によって異なり、効かない人はアルコールの悪酔い程度にしかならない。自分は多いにキマった)

試してみたい場合や調べてみたくなった場合はこのURLから辿っていけば一通りを知ることが出来る。 http://storys.jp/story/24344

当日の朝食は抜いて13:00からお茶摂取開始

13:20 アルコール酩酊に近い状態になる。寝転がっているのが楽で、座っているのが面倒に感じる。目を閉じていた時にも視界に液晶モニタを間近で見たようなツブツブが見えてくる。

13:30 目を開けていても、気を抜いていると何も無い白壁や、陶器の皿にプリズムのような幾何学模様のパターンが見えてくる(ルイス・ウェインフラクタルな猫のような見え方)白い皿の輪郭部分から色収差のように赤と緑の線が見える。

13:32 気分が悪くなり、嘔吐。体温が低く感じる。

13:40 目を開けて意識をしっかり持っている時はアルコール酩酊と同じ感じ。目を開けてぼーっとしていると視界が何重にも見え、幻覚幾何学模様のパターンが更に激しくなる。この視界が何重にも見えるのをぼーっと楽しんでいるだけで多幸感がある。目を閉じていても、フラクタルパターンモノクロの部屋など、各種幻覚強制的に見られる。

14:00 感覚の鋭敏感のピーク。瞬きしたときの視界の変化が知覚できるようになる。蛇口から水がポタポタ落ちる環境音などにタイミングを合わせて視界が歪む。毛布や服の感触安心感を覚える。同居人現在の様子を説明するときに、自分の心情や見えている物が伝わらないのがもどかしく感じる。

14:10 音楽映像摂取すると精神が持って行かれそうな状態になる。音楽映像を全部止めて、ぼーっと天井を見ている。その時に天井シーリングライトの丸い形状が愛おしく感じる。角張ったものに対する忌避感がある。

14:30 思考断片化しているのを自覚する。喋ったり文字を打っている途中にもう別の事を考えてしまい、発話がおいつかなくなる。おそらく、ボイスレコーダーをセットしておいて独り言を言い放題にしておくと、後で聞き返して悶絶しそう。

15:00 視覚聴覚幻覚幻聴が無くなる。以降は酩酊した状態に近い精神状態連続した思考が出来なくて、自分意思無関係に考える対象ポンポンと飛ぶのが、まるで自分の頭が良くなった、悟りを開いた、と誤解してしまう。

16:00 酩酊も一通り収まり、外に出る。太陽の光がまぶしい。

まとめ

ここまでキマると思っていなかったので、音楽映像の用意をしていなかったのが悔やまれる。人と話していたいのか、映像を流して視覚がめちゃくちゃに過敏になっているのを楽しみたいのか、ぼーっとしていたいのか、の様に方針を決めておくほうが良い。

思考制御が出来なくなった状態の時に、うっかり神からの啓示や、けものフレンズを見ると悟りを開いてしまいそうだった。

2017-06-16

精神障害者就労継続必要もの

私は統合失調症を患う精神3級の手帳持ち障害者だ。就労移行支援施設という障害者向けの就職支援してくれるところに2年ほど通って無事就職が決まり、今はなんの因果障害者指導する立場に立っている。

私が障害者就職支援してくれる施設に通って見聞きした話や、障害者指導する立場に立って思ったことを、精神障害者就労継続にピントを合わせて書こうと思う。

2018年には法定雇用率に精神障害者が算定されるようになることもあり、精神障害者就労についての社会の関心は高いと思われる。

実際、精神障害者就職数はここ数年右肩上がりだ。一方で、精神障害者職場定着率は他の障害者よりも低いと言われている。最近の詳しい統計が公開されているのをみたことはないが、2008年度という古いデータだと一年以上の定着率は約40%。6割近くが一年以内に辞めている。 http://www.nivr.jeed.or.jp/download/houkoku/houkoku117_summary.pdf

この精神障害者がなかなか職場に定着できない理由であるが、障害者本人も雇用側も共に精神障害のことをわかっていないのが一番大きな理由だと考えている。そのためにミスマッチが起こりやすいのだ。

企業側としては、障害制御できるものだと考えている。もう少し正直にいうと、制御できない障害人間は雇わない。

身体障害者は彼らの障害物理的なものであるために物理的に制御できる。知的障害者についても、彼らの特性はある程度型にはまっているし、彼らは幼い頃から支援機関につながりその特性が長い目で観察されているので具体的な配慮点が見えやすい。

そしてそれと同じように、精神障害者に対しても「合理的配慮」をするのが企業義務として課せられる法律が決まった。

だが、これは政策の失敗になるだろうと予想している。何故ならば、精神障害はその特性に型がないからだ。同じ病名であってもひとりひとり症状や対処法が違う。

もちろん病名をつけている医者から見れば、型が見えるのだろう。だが、それは大量の精神病患者と向き合う精神科医からこそできることだ。

私や多くの人のように、機会があって巡り合うことになった限られた精神病患者と、社会的個人的に付き合う人間にとっては、彼ら(というか私も含めて)はひとりひとり全く違った病態を持っているように見える。

私自身も統合失調症だと診断されているが、この病気も陽性期と陰性期では全く違った症状を見せる。陽性期だけをとってみても、妄想が出る人、幻聴が出る人、その両方が出る人といったように症状が違う(私は幻聴タイプだ)。

から精神科医以外の素人にとって、精神障害者に対して「この病名はこういう症状だからこう接するべき」みたいなものは見えないのが実情だと思う。患者個人を深く知れば知るほど、彼らが病名の型にはまった存在ではないということが分かってくる。

から企業身体障害者知的障害者と同じように、精神障害者にもこの病名の人はこういう障害からこうした配慮をすればいい、という合理的かも知れないが画一的配慮をしようとしても、失敗すると予想する。

では、どうやれば精神障害者を受け入れられるのか?そのためにはまず、障害者本人と、雇用する側と、そして精神障害者支援者の三者が絶対必要だと考える。

何故支援者必要なのか?それは、精神障害者自己認識についての難しい問題があるからだ。

身体障害者自分特性問題なく理解している。知的障害者には支援者が必ずいて、その人が本人の特性理解している。では、精神障害者は?精神障害者はその障害精神にある以上、自分障害特性客観的判断することが非常に難しい。私もこれができなかった。なので、支援者客観的自分障害特性を把握してもらう必要がある。それが職場へのマッチング就職後の雇用する側の対応策などに非常に効いてくるのだ。

こちらの資料 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ichiokusoukatsuyaku/iken_koukankai/dai7/siryou2.pdf の16ページにあるように、支援者がいる場合精神障害者一年定着率は65.1%にまで跳ね上がる。

そしてこの支援者雇用する側には、精神障害者には病名による決まった型はなく、ひとりひとり特性が違い、それぞれに別個の配慮をする必要がある、という認識がなければならない。

自分精神障害を抱えているにもかかわらず、私自身この現実に気がつくまで時間がかかった。

なので、精神障害者雇用をする側には、例えば統合失調症の方を受け入れよう、というような姿勢ではなく、〇〇さんを受け入れよう、という姿勢を取っていただきたい。

それは非常にコストのかかる話だとは思う。けれども、精神障害者に働いてもらうつもりで雇用するのなら、そちらの方が長い目で見ると良いだろうとかなり確信を持って言える。

次に精神障害を持っている本人やその家族には、客観的障害特性を把握してくれる第三者支援者を持って欲しい。

プロ支援者は本人が気づかない障害特性にも気づいてくれる。そうした第三者いるかどうかで、雇う側も本人への対応のしやすさが非常に大きく変わる。雇う側も第三者相談することができるからだ。精神障害者本人と雇用側だけの二者しかいない関係はいろいろミスマッチが起こりやすい。本当に。

そして行政の方にも、精神障害者への配慮画一的にする方向の動きではなく、ひとりひとりに焦点を当てた雇用ができるようにする仕組みを作ってもらいたい。

精神障害者長期間就労継続やす社会を作るためにはこれらの動きが絶対必要だと思う。

2017-06-14

私は忍耐がないだけなのか

自分は、今年25歳になる女である

仕事が続かなくてつらい。

今回は転職3回目、4ヶ月目に入ったところだが、数日休んでしまっている。

(電話で欠勤連絡はしている)

また、急にだめになった。仕事休みの日に友人とご飯を食べに行った。そして帰宅し、いつも通り仕事の用意をして寝るだけだった。でも、できなかった。

行きたくない、どうしても行けない!」

と大声を出して泣いてしまった。いい年した大人なのに情けない。

実家暮らしなので母が、「誰だって仕事行きたくないよ」と言う。私だってわかっている。わかっているのに、この気持ちが止まらなかった。

やめろ私! やめろ私! 情けないぞ! と内なる自分が言うのだが、止まらない。

実はこういうのは初めてではなく、過去に何回も起こっている。

冒頭に、また、急にだめになった。とあるように、前の仕事でもそうだった。そして前の前も。

一種衝動性を孕んだ感情制御不能になり、暴走してしまうと、もうだめだった。

この日は一睡もできず、家族が寝静まった後落ち着かなく家の中をウロウロして過ごした。多量の薬(風邪薬や胃薬、鎮痛剤のたぐい)とにらめっこして、多量に服用して(いわゆるOD)少しだけ楽になろうと思ったり、2階のベランダから落ちてみようと思ったりした。小期間失踪するのはどうかとも思ってみた。

見てわかるように、私は死にたいとは思っていない。全く死にたくないし、まだ生きていたい。でも、逃げたかったし、消えたかった。

夜は人を不安にする。色々なことを考えてしまう。薬とにらめっこし、どうしよう、どうしようと考えていたら、寝室で寝ている母の顔が浮かんだ。短大時代、これ以上に追い詰められ精神安定剤を多量服したことがある。そして、救急搬送され、母に迷惑をかけた。前みたいなことはあってはならない、いい年なんだからしっかりしないといけない。そう思い自室へ戻り朝を待った。

やはり一睡もできなかったし、気分の落ち込みとやる気のなさ、自己嫌悪感がやばかったので仕事場電話をして、当日欠勤した。人手不足なのに申し訳ないが、とてもじゃないが仕事できそうになかった。

その日の午前中に、かかりつけの内科医院に行って「しんどい」と伝えると泣いてしまった。

女医さんなのだが、すごく優しい先生で、少し休んだ方がいいと言ってくれた?「うちの息子は鬱になってひどい状態になった」と笑顔で話してくれた。

心療内科にかかっていた話をしたら、少しの精神安定剤と、診断書と、別の心療内科への紹介状を書いてくれた。

そのことを職場に伝えると、とりあえず19日まで休んでいいよと言ってもらえた。

心療内科へは、明日行ってきます

でも、心療内科に行くのは少し怖い。

高校の時にインターネット性的誹謗中傷を受けてから、私はおかしくなった。もともとおかしかったのかもしれないが、この件があるまでは、なんとか普通を保っていたはずだ。

食事の味がしなくなったり、実際の被害+被害妄想が強くなったり、自傷行為に走るようになってしまった。

そこから心療内科スクールカウンセラーにかかり、

社会不安障害パニック障害適応障害など病名がついてしまった。

通院するのは苦じゃなかったが、薬を飲むのは嫌だった。怠薬したり、まとめて服用したりもしてしまった。

通院を続けていると、統合失調症になりかけているかもしれないと言われ、怖くなり通院を辞めた。薬も服用しなくなった。

でも、大丈夫だった。幻聴なんかは聞こえないし、多分聞こえたこともない。

人の目が気になったり、人が自分のことを悪く思っているのでは、と感じてしまうことくらいしかなかったし、それでしんどくなる日もあったりなかったりで、段々普通生活を送れるようになった。

結局のところ、自分が本当に病気なのかわからないし、ただ忍耐がないだけじゃないのかとも思った。

鬱なんかでは絶対にないと思うし。

(鬱の方は私なんか以上に苦しんでおられるだろうし、申し訳ない)

そして短大を1年留年(留年した理由精神的に疲れてしまい)したが卒業し、新卒として就職した。

新卒から就職していたところでは、自分自身が馴染めず5ヶ月目で異動となった。そこから約1年後に、お局からいじめに負け退職してしまった。

そして次に就職したところも1ヶ月で退職し、今に至る。

どうしてこう、うまく行かないのか。とりあえず、NARUTOでも読み明日を待つ。

2017-06-13

金縛り幻覚幻聴現実とのつながり

とりあえずWindowsから培ってきたマルチタスク癖で精神的に死ぬというもの恨み節は置いておくとして、10年ぶり2回目の体験である金縛りの詳細は軽躁状態であるうちに記載しておこう。

10年前はあんまり公にしたくないオイタをしでかしてしまい非常に頭がハイテンションになりすぎ脳が疲弊してしまったあとに金縛りが起きたわけです。ベッドで目が覚めると全く体が動かない、そうすると凶器を持った人間玄関からのっそりとやってくる。おれは動けない。恐怖が絶頂に達したときにわっと起き上がる。部屋にはは何もない、誰もいない。ただのマンションの一室がある。

研究で解明されているようなのだが、金縛りというのは非常にリアリティのある夢を見ている状態らしい。自分の部屋で寝ており、そこで動けないという現実を脳が作り出しているに過ぎないということ。だから実際は起きて動けていないわけではなく、浅く眠り続けたまま現実トレースした夢を見ているだけらしい。そんなのは当人にとって知ったことではないけど。

今年起きた理由は、普段やっている仕事範疇とは大きくかけ離れたテンションを上げざるを得ない作業従事を命じられたためだった。別に嫌ではなかったが、仕事を終えたあとは憔悴しきっていたものの、それとは別の企画書を一気に作るくらいのテンション作業をしてしまった。

今回はそれほど大きなクライシスが起こったわけではないのだが、10もの年令を重ねたこともあり自分限界を超えたテンションに身を包まれ眠れなくなり、無理やりアルコールで寝たことが最大の原因だと思われる。また、朝の起き抜けに神経痛を穏やかにする鎮痛剤を飲んでふわふわしたことも大きい。

朝6時半頃起床。家を出るのは8時半頃。7時までにシャワーを浴びて換気のために窓を開ける。胃の調子が悪いので野菜ジュースのみの朝食。その後、頚椎ヘルニアの痛みを抑える神経痛の薬を飲む。出勤まで時間が少しあるので布団で横になりながらスマートフォンネットニュースを読む。痛み止めのせいでぼんやりとしており眠るか眠らないかの浅い睡眠状態でいきなり幻聴が始まる。

NHKラジオ想像してもらえればいいのだけど、あの淡々としたニュースの語りが突然頭の後ろから聞こえ始める。もちろんラジオなんてつけていないから、それは幻聴だとすぐに分かる。しかも、日本語である認識できているにも関わらず内容の理解は全くできない。何かしらの言語を喋る、聞き覚えのある声が頭の後ろからAMラジオの音質で聞こえてくる。あーこれは幻聴だ。体も動かないし完全に金縛りだ。一度経験はあるのでそれはわかる。どうせ大したことはないし目が覚めればそれまでだろうと思っていたのだが、突然首や胸に見覚えの痛みが走る。シェアハウスに住んでいたとき、猫に噛まれた同様の痛みがチクッとする。見えない猫がおれを襲っている。大した痛みはない。大したことはないがそれはそれで。あれ。

その直後に誰かが体をまさぐり始める。腹を、胸を、手のひらが性欲を掻き立てるように優しくなでつける。気持ち悪い。はじめは交際相手かとも思ったが、こういうことをする人間ではない。痛みは何もないが見えない人間と見えない猫がおれを噛み、まさぐっている。

感じたことのない恐怖が浮かび上がる。おれの体を犯そうとするやつが居る。

10年前の金縛りも、殺人への恐怖が布団をはねのける動力源だった。

体をまさぐられながら吐息のような唸り声を聞いた瞬間、布団をめくり上げて初めて金縛りから解き放たれる。

金縛りに合いながら同時に聞こえていた音が聞こえる。道を走る車の音、冷蔵庫駆動音。布団の感触がする。毛玉でざらついたシーツ感触自分の臭がする枕。

明確に死をもたらしに来た殺人鬼妄想から10年、何故か反抗するペットやいやらしく体をまさぐる何かの手が脳に宿っていた。わかりやすくおれは快楽を求めているのか、それとも人間に対する意識が変容しているのかはわからないんだけど、とりあえず知らない人間に体をベタベタ触られるのは怖いよ! 痴漢痴女もだめ! マジで気持ちいからやめろ! 男だっていからな、変な人間ベタベタ触られるの!

そんなことを今回の金縛りで思いました。

2017-06-12

私に子供が出来るまで

元々は子供は要らなかった、つーか喪女結婚も出来ないと思ってたしどうでもよかったが妹が子供を産み、その赤子が超絶可愛かった。

の子の為なら死ねると言ってたら妹から「そういうのは親がやるからおばさんが重い愛をそそがんといて自分の子供を作れ」と言われた。

それもそうだ子供が欲しいと思ったのでギリギリ二十代で結婚する事にし、幸い母親の新しい友達お見合いおばさんがいたので紹介してもらい結婚相手高齢童貞だった。

新婚当初は処女童貞だった為にセックスが出来なかった。

毎晩頑張ったが痛そうな顔をすると夫が萎えて終了を半年ほど毎晩続けた。

子供はまだなの?若いから気楽に思ってるかもしれないけどそろそろ孫が見たい。と言われる度に処女懐胎は無理と思ったが高齢処女旦那高齢童貞なのでやり方が解らないのは人には言えない話題だった。

やっと成功して子供が出来たがいわゆるぶどう子で流産した。

一人で行ったそうは手術の麻酔からさめたら、カーテン越しに妊婦さんが血液検査で明るく「血管には自信があるんです」と笑っている声が聞こえて辛かった。

最初は辛い程度だったのがぶどう子で異常に分泌されてた妊娠ホルモンが一気に消えた影響と流産のショックでその晩から不眠に苦しみ鬱のようになり、死ねお前のせいで子供が死んだと夜中に幻覚幻聴が聞こえ気絶するように眠り朝起きたら絶望を感じ地獄だった。

悪阻がきつくて妊娠してない体に戻りたいと思っていた事を思い出しては泣いた。

旦那の親に妊娠を伝えた直後の流産だったので旦那流産を伝えるように頼むと「病気流産した」と電話で話しており、その言い方だと性病勘違いされるだろうが!!!と腹が立ったのを覚えている。

その後ガンになる危険があったので検査のために医者に子作りをしばらく止められ、やっと出来たがまた流産をしてと数年経った頃に旦那睡眠時間も足りない程の超激務になりセックスが出来なくなった。

親は孫を見たそうだったが、セックスせずに子供は出来ないとは言えなかった。

その後運よく正月休みに体力回復してやったセックス子供を授かったが、ある日夜中にトイレに行くと真っ赤な血が大量に出てきた。

旦那過労死心配になるレベル睡眠時間だったので伝えてから家で寝かせて、母に電話をして泣きじゃくりながら病院に行きそのまま入院看護婦さんがお腹を温めるカイロを持ってきて聴診器赤ちゃん心音を聞かせてくれた。

数週間寝たきりになり退院したその日の晩にまた出血した。

また長期の入院になり今度は退院したらそのまま私の実家で寝たきりになるように指示された。

薬は飲んだら冷や汗が出るくらい副作用が強い、横向きになったら腹がはるので上向きで姿勢が固定され、トイレ食事風呂以外ずっと寝てるので大きな腹に圧迫されて背中やお尻は真っ赤に腫れて痛かった。

ギリギリ子供が逆子になり帝王切開出産、顔を見た瞬間に幸福ホルモンが脳に溢れて物凄い愛しさと幸福感に包まれ涙が出た。

出てくるまで生きているのかずっと不安だったが腹から五体満足な赤ちゃんが出てきた人体の神秘を感じた。

子供が居ないなら居ない幸せもあると思っていたけど今は居ない幸福想像できない。

2017-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20170510122443

頭がお花畑元増田さん、こんにちは

何度も措置入院するような患者はだいたい何十回も警察沙汰になってるので、とっくのとうに警察には名前も顔も病名も知れ渡ってます

ご存知ありませんでしたか

そりゃさぞかし平和人生を歩まれてきたんでしょうねぇ。

何十回も警察沙汰になって、やっと1回措置入院に至れるかどうかというくらい措置入院ハードルは高いんですよ。

近所や身近な家族に他害のひどい精神障害者がいたら嫌というほど実感させられることを、あなた今日まで知らないでこられた。実に羨ましい。

こういう精神障害者家族と同居もできないし、かといって自立もできないのでだいたい生活保護を受けてます

生活保護担当者保健所担当者病気ことなんてとっくのとうに細かく把握してます

(そもそも措置鑑定にいたる時点で警察保健所都道府県職員が必ず関わる)。

引っ越してもそれは同じ。

問題を起こす人は引っ越し先でも問題を起こすので警察には必ず把握されます

措置入院時に本人の意思関係なく、支援計画が立てられて、警察を含めた自治体関係者自動的居住地、病歴などが通知されることに賛成なんですね。

はい、大賛成です。

その脅迫するかのような書き方からするに、もしかして反対すると思いました?

今まで支援計画自体なかったのがおかしいくらいなんですよ。

措置入院って本当にすぐ措置解除されて出てきちゃうので治療もクソもないですからね。

あくまでも自傷他害の恐れがある場合に限った、緊急的な社会から隔離しかないんです。

上にも書きましたが、措置入院になるような患者は、警察を含めた自治体関係者にはすでに有名人ですのでプライバシーもクソもなくメリットしかありません。

それと私個人といたしましては措置入院に「犯罪抑止効果」なんぞを期待したことなど一度たりとてありません。

夜中に支離滅裂なことを叫びながら包丁を振り回す人がいる(でも実際には刺さない)。

幻聴妄想から、深夜に隣人の家の玄関を蹴り続ける。

大声で笑ったり叫んだりしながらベランダから飛び降りようとする(実際には飛び降りない)。

こういう「今」目の前にある犯罪未満の異常事態対処する方法が、警察通報して、警察官経由で保健所通報してもらうことくらいしかないのが問題なんです。

(ちなみに何故か元増田さんの中では私が精神障害者措置入院歴ありということになっていますが違います。私の家族の話です。よく読んでください)

あと、精神保健福祉法歴史については少しでいいのでお調べになったほうがよろしいかと。

2017-05-06

私は朝から晩まで授業で怒鳴りつけられ

校則は頭髪検査までガチガチ放課後暴力教師が納得いくまでずっと掃除させられる

自称進学校奴隷養成所に放り込まれしま統合失調症になってしまったので無理でしたね

といっても幻覚幻聴はない陰性なのでストレス負荷が低度とき普通な感じです

2017-04-13

盗聴器がつけられていた

匿名質問にも書いたので、よかったら相談にのってください。

http://q.hatena.ne.jp/1492052653

病院にも通っており、薬も飲んでいます

幻聴かと疑いながら過ごしてきましたが、今は現実である確信を持っています

補足をすると

幻聴でない理由として

朝の5時6時に噂が聞こえ、その声で起こされたりします。

こちらは寝ていて時間を知ることはできないので幻聴ではありえません。

そもそも幻聴で起こされることもありえません。

昼の12時に一旦、噂が収まり、2時3時あたりにまた始まります

また、中学生高校生などが噂に参加しはじめたなと思ってカレンダー確認すると夏休み冬休みだったりします。

これも幻聴ではありません。

盗聴器の電波を受信するレシーバーには3Ghzまで受診できるものもあり、もし単純なアナログ方式ならこれで見つけることができる可能性もありますが、安いものでも5万円以上するので買うを躊躇しています

どうにか家族に実際に盗聴器が取り付けられていることを理解してもらい、できる範囲対策をしてもらいたいのです。

良い知恵はないでしょうか?

2017-04-08

終わってしまった人生の続き

 大学生の頃に、統合失調症にかかった。このときは、まだ人生終わったとは気づいていなかった。

 しかし、幻聴に苛まれながらも6年かけて大学卒業したものの、当然就活は上手くいかず、あっさりとニートになった。

 このあたりでようやく、自分人生は根幹が崩れてしまったのだと気がついた。それでも、病気は徐々に回復し、アルバイトから社会復帰を図った。

 それは一見成功たかのように見えた。アルバイトを始めてから3年後にはフルタイムで働けるようになっていた。私の人生、まだまだこれからだと思った。だが、元気になったことで病気をなめていた。服薬を怠ったのだ。

 あっさり病気は再発し、今度は自殺未遂まで行った。会社は辞める羽目になり、今度こそ人生終わった、というか終わらせるつもりだったのに生き残ってしまった。

 それからずっと終わってしまった人生の続きを生きている。

 けれども思う。

 「終わってないお前らの人生はどんなだ?」

2017-04-06

今でも忘れられない

 今からもう3年くらい前、自殺しようと思った。統合失調症にかかって約7年くらい経った頃のことだった。

 私の場合幻聴死ね死ね毎日追い詰められ、死に方も指定されていた。しかし、幻聴指定された死に方で死ぬのは嫌だった。そして、病気のせいで死ぬのだから私の身の回りの誰が悪いわけでもない、ということを示すための死に方が良かった。結果、水中毒で死のうと決めた。これなら、統合失調症の症状でまれにあることだし、私が死にたいと思って死んだのだと周りの人々に思われることはないと思った。幻聴指定された死に方でもなかった。この方針が決まった時、「やったぞ!私は奴らのいいなりにはならないで死ぬんだ!」と心中快哉を叫んだ。

 500mlのペットボトルを大量買いした。そして両親が寝静まった後、いつも処方されている量の睡眠薬を飲み、静かにそれらを飲み始めた。

 ボトルを何本飲んだ頃かは忘れたが、段々と意識朦朧としてきた。その朦朧とした意識の中でふと思った。

 「これ以上飲んだら本当に死んでしまうかもしれない」

 だが、それでもさらに飲むことを選んだ。この時の気持ちは今でも忘れられないし、この文章はこの気持ちを書き留めるためのものである。ただ、言葉にはできない。

 そのあとの顛末間抜けものだ。私の体に入った水分は綺麗にシモから抜けていき、今もこうして生きている。

 それから生きてて良かった悪かったは当然あるが、そんなことはどうでもいい。

 あの日快哉を叫んでから世界金色に染まったかのように見えたこと、夜中に一人でさらに死にやすい方向へと舵を切ったこと、それらが今でも忘れられない。

 それらを今でも忘れたくない。

自分自己肯定感が低い理由の一部がわかった

お花見でもして浮かれているんじゃないの?」と母親留守電メッセージを入れていた。

物凄く腹が立ったが、冷静に考えて納得したことがある。

こういう性格の親に育てられたら、そりゃあ自己肯定感なんて持てる筈がないという事に気付いたのだ。

統合失調を患い入院してた母が、病棟から電話を掛ける様になってきた。

入院当初は文法もまともじゃなく、四六時中幻聴に取りつかれていたようだが、

最近は薬の効果があるらしく、比較的会話が成立するようになってきた様だった。

しかし相変わらず病識はなく、会話の中で彼女の敵が現れ、悪い事をされている妄想がたまに出る様だが、

数年前の最低限の社会生活ができていた頃の状態にまでは戻っている様な印象を持った。

先日「春物の服が無いから持って来てくれ」という要求があった。

多少の回復を喜びつつも、男の見立て申し訳ないが、女性用の服やら、見舞いの品を持って行った。

見舞いの際は服も差し入れもとても喜んでくれ、会話も比較的まともになりつつあり、それなりに喜ばしい時間を過ごして戻ってきた。

医師ケースワーカーさんとも話したが、やはり今後も病識をもってもらう事は難しそうという見解だった。

しかし、入院時の完全なる狂気状態は脱している様で、これからどうするか、という事も徐々に考え行きましょう。

という事でその日は帰った。

そして今日留守電に入っていたのが、冒頭の言葉だ。

なんでも持って行ったパンツやらスカートサイズが合わない、気に食わないという不満の表明と文句が延々と入っていた。

そして最後に「お前は、花見でもして浮かれてるんじゃなの?」だからからまともな服を買ってくることもできないんだろ、

という趣旨の吐き捨てる様な言葉が入っていたのだ。

私は彼女妄想の中で花見でもしていたのだろうか?

先日は花見話題は全くしていなかったのだが。

自分意図に沿わない服を届けられただけで、その相手に対し「花見でもして浮かれてるんじゃないの?」と言い放つ。

病気の症状が軽減されて現れたのは、かつて自分が嫌った親の姿だった。

ああそうか、そうだった、こういう人だった。

こちらの苦労や意図など全く無視して、自分の都合でしか物事を考えず、自分が常に正しいと考え、

自分省みる事がないから、周囲の人間を傷つけ、呆れられ、孤立する。

元来の性格狂気を呼んだのだなと改めて思わされた。

何かをやろうとしても、母の意図に沿わないと否定され、激高し、ののしられる。

そのようにののしられて育った記憶がよみがえり心がざわついて仕方がない。

そんな親に育てられた子どもの頃の自分は、きっとけっこうかわいそうな部類だったのだろう。

でもだからこそ、今、自分を認めてくれる人を大事にしようと思うし、

自分必要以上に否定する必要もない事に改めて気付く事ができた。

母との溝は絶対に埋まることはないだろう事を改めて予感しながら

退院後、どう接して行けば良いかを考えて行こうと思う。

スカートやらパンツは改めて郵送でもしてやろう。

2017-04-04

支援者は嫌ならすぐ切り捨てるくらいでいい

http://anond.hatelabo.jp/20170402141024

私は中学から相談員診療内科への受診を続けている。しかしこの悪くない人を探すのが本当に難しい。

怒鳴ったり否定してきたり見下してくる、そういう素振りをしてきたらそれは即やめていいのだ。

それは本当に自分が偉いと思って威張ってる奴だ。

看護師仕事で関わるけどプライベートでは絶対関わりたくないって言われてる奴でも精神科をやってるおかし病院もあるのだ。

対人恐怖が悪化するとか、悪夢に出る人間の数が増えるとか、そんなことになって欲しくはない。

貴方自分が本当に大切でいいのだ。自分の命を守るのが生き物としての本能なのだ。何十ページの道徳の本よりもそれが真実でいいのだ。

上の言葉が信じられなくなってからは生き地獄が待っている。

いじめボロボロになってる時に、運悪く性格悪い支援者にぶち当たる余裕なんてない。

起きた事実に重ねて悲しいことが起こり、新しく苦しい症状が増える可能はいくらでもある。他人事と思っているかもしれないが、常にそういうものとは隣り合わせにある。

とくに危惧するべきは親の存在だ。

私の親は二次被害担当をしている最悪の存在であり、悪口を言われれば幻聴否定され、カウンセラートラブルがあれば私が悪人にされ、常に明るくなれそんなんじゃ駄目だと精神を追い詰めていた。

一般論にせよありがちな言葉にせよ、自分気持ちを見てくれてすらいない親というのは本当にいるのだ。

もし医者と話す機会があるなら、親が着いてきても、医者と二人きりで話すことが大切だ。

2017-03-28

ポジティブという宗教にハマった毒親

私の一家は基本ネガティブだった。

母は神経質で物に当たるし、他人の目を非常に気にした。

父は笑わせるつもりで言った言葉モラハラ発言で、気まぐれで怒鳴りつけたかと思えばおもちゃを買い与える不安定な親だった。

私もネガティブになった。公園にいたら知らない年上の女に絡まれたり、小学校デビューから陰湿かつスパルタそうな教師に怒鳴られたり、同級生に物を盗まれたり、トイレに閉じ込められて出れなかったのを信じてもらえなかったり、散々な目にあった。

私が小4の頃、変わった教師にあった。ポジティブが素晴らしいという本を教室に置き、ゲーム脳というものを信じて学級通信にそんな話を書いたり授業参観で語ったりしていた。

私の家は手伝いや勉強をしても理由こそ謎だが怒るとゲームを捨てるといい出すので、母がそれに影響を受けないかとても心配だった。

母は口からゲーム脳とたまに言うがあまり変化はなかった。しかしこの時にポジティブという宗教さらにハマってしまったのかもしれない。

この親は根が大変ネガティブなのだが、ポジティブを崇拝することでおかしくなったのだ。

誰かが悪事を働いてもそれを咎めず、むしろその人間のいい所を言うのだ。

テレビ上で悪人だろうと、実の娘を泣かせた相手だろうと、娘に唾を吐いたもの者であろうとだ。

私の前で私が名前を言ってる(方向が名前につくのでその度に言っていた)いじめっ子名前を出して褒めた時に、私はとても失望した。今も私はそれを憎んでいる。

しかし身内にはそういうそぶりはなく、むしろ性格が悪いと言われたり、ちゃんとしろと言われたり、可哀想な人だと言われたりした。

悪事を行動で判断するのではなく、家族かそうでないか判断する母の本で、自分を傷つけたもの否定してもらえず、受け取り方が悪いみたいな話をされ、言われたことを幻聴だと信じてもらえなかった。

常に無価値観と罪悪感が私の中にあって離れなくなった。

ポジティブというのは私を咎める凶器として昔から固定されてしまい、今の私は不安障害フラッシュバックパニックで泣かずに一日を終えることすらままならなくなった。

医療の場にあるポジティブ発言というものや、熱血という名の冷静さを欠いた医師に怒鳴られたり、否定してくるカウンセラーなど、足を運べば運ぶほど人がますます怖くなった。

ポジティブになれと言われるほど暗い気持ちになりポジティブを投げかける人間はみんな乱暴で冷たく、ポジティブを見てもネガティブな心境にあっても私は苦しむようになってしまった。

ポジティブに対してノイローゼになってしまった私には、ありきたりな物語電車広告も、格言も、自己啓発発言も、傷つくもので、誰にも相談出来なくなった。

2017-03-27

統合失調症って

糖質に限らないけど、大抵の精神病は申告で診察するものじゃん。

じゃあさ

本当に集団ストーカーして本当に幻聴と思わせる音を流し続ければ

健常者でも「医者から診断された本物の統合失調症患者」が完成するんじゃない

2017-03-17

これ、元ネタ作品がどっちも実在しないとしたら

ちょっと嫌らしくない?つまり

そして「XはAのパクリだ」と糾弾すれば、Xのあらゆる要素がAの丸パクリであるように見えてしまう。因果が逆で、本当はXからAが作り出されたのにね。

でもこれだけだとさすがに嘘臭い。だいいちそんなに似てる作品があったら、既にパクリ騒ぎが起きてなきゃおかしいくらいじゃん?

からAとは別の作品Bもでっち上げて、二つの作品から設定をパクった事にしてしまう。類似度が分散されて多少は自然になる。「Xのこの要素はAからパクった」って記述を「Bからパクった」に置き換えるだけだから、お手軽。

さらにA/B両方から持ってきた要素をつぎはぎに合体させたりもしている、ということにすればより悪質な印象も与えられる。

AとBの作品名を出さない(出せない)のは当然として、Xの名前も隠しているのがミソだよね。

「○○という作品パクリです。ただし元ネタ名前は出せません」じゃあまりにもマヌケすぎる。これだけ作品の要素を並べているんだから、Xの読者が読めばすぐにそれと分かるようになっているんだろうな。

まぁ、記事

"この文章を読んだあなた元ネタAとBを探そうとしても、それはきっと徒労に終わるだろう"

とか

"わたしは嘘つきだし、なんなら幻聴とかも聞く。"

なんて言いわけじみた文章があちこち散りばめられている時点で、事実なのかどうかなんて考えるまでもないんだけどさ。

http://anond.hatelabo.jp/20170316233648

2017-02-23

「安らかに眠ってる」

もう数十年前の話なんだけど、当時2歳になる子供が本当に可愛すぎて好きすぎてさ。

仕事から帰るともう寝てるんだけどその寝顔を見ては「お、今日も安らかにお眠りになられてるなぁ」とか冗談っぽく言ってさ。

すると決まって妻が「なんか死んでるみたいだからその言い方やめてよ」とこれまた冗談っぽく返してきてそんなやりとりをよくしてた。

数ヵ月後、朝起きたら布団の中で冷たくなってた。

そこから数日は警察とか葬式とかで忙しくて実感がわかなくて。

それが終わると一気に感情が押し寄せてきてさ。

自負の念に駆られて「安らかに眠ってる」とか冗談でも言わなければよかったとかさ、妻もそのことに関しては一切触れてこないし俺もなるべく考えないようにしてた。

でもさ、それからというもの何やってるときでも幻聴のようにずっと頭に響いてくるんだよね。外出中でも食事中でも風呂の中でも

「安らかに眠ってる」

夢の中ですらこだまする。

それから十数年たって、結局俺たち夫婦の間には子供はできなかったんだけど、でも夫婦としては仲睦まじくなんとかここまでやってきたんだけどさ。

でもずっと頭にもやもやが残ってて、いつかちゃんと夫婦であの事について話したいと思ってた。

でとうとうこの間の子供の命日に切り出したんだよ。

「あのさ」

「どうしたの?」

「ずっと後悔してる事があって、・・・安らかに眠ってるとかさ冗談でもああいうこと言わなければよかったって、言葉には魂が宿るっていうか、本当にそうなってしまうっていうか・・・

「そんなこと気にしてたの?昔の話だしそんなことで後悔することないよ」

「ほんとうにごめんな」

「それに、言葉に魂なんか宿らないよ、だって

だって?」

「あれから毎日言ってるけど効果がないんだもの

2017-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20170203210126

ちょっとはみ出た、つづき

入院が決まった直後に、入院時に必要ものを買い込みレンタカーで母の元に向かった。

徘徊が多く、連絡手段も無い為、朝、荷物だらけの新居に迎えに行っても空振りになってしま可能性があったからだ。

荷物だらけのアパートに一晩泊まって見張るつもり位でいた。

破たんした呪い言葉を一晩聞き続ける程度だったら何とかなるだろうと踏んで寝袋を持って家を出た。

アパートにいた母を、最後の晩餐さならが母を食事に連れ出し、禊を済ませるが如く、深夜営業温泉に連れて行った。

これまで母の病気が進行してから、弟を含め3人で食事をすることは何度かあったが、

私が成人してから母と二人で食事をしたり、温泉に行ったりしたのは初めての事だったと思う。

しかし、あのアパートで母と二人きりで一晩を過ごすのはやはり心理的に無理だった。

そこで、仕事徹夜を強いられる彼女がいる自宅に、彼女に無理を言って連れて行く事にした。

自宅に母を招いたのも初めてだし、彼女に合わせるのも初めての事だった。

彼女も親に対してトラウマを抱えており、軽くパニックにさせてしまったのは本当に申し訳ないと思っている。

しかし、この母親に対して、親孝行らしい親孝行を始めてしたのかもしれない。

母は何度も夜中に起きて二人の息子が襲われる、警察に助けを呼ばないと、言った事を不安になってしゃべっていた、

うとうとすることもあるが、眠りかけた際は幻聴として聞こえる言葉をそのまま声に出してしゃべっていた様だ。

母にとってみれば、もう25年間、四六時中不安な時を過ごしているのだ。

翌日、車で病院に向かう途中、母は、私が子どもの頃、家族ドライブに行って以来車に乗れて楽しいと語った。

富士山山間から見えてとても綺麗だった。

医師に診断してもらいその場で医療保護入院が決まった。

家族同意があれば、本人の意思に関わらず強制的入院可能制度だ。

その際、思わず、ここまでとても長かったです。と医師に話した。医師も私の苦労を察してくれたようだ。

診断時、私から事情を話す際に、精神科へ行っても結果的治療が受けられない件を話したくだりで、

やっぱりそうか、といったニュアンスだろうか、ため息を漏らしていた。

法律上定まった手順であろう医師保護入院説明をを本人に読み上げる際も、

聞きはするが当人になにが起こるのか 理解していない様子だった。

閉鎖病棟に送る際、持ち込み禁止となる物が母の身に付けたものからいくつも出てきた。

不安からか何枚も重ね着した一張羅ポケットや、鍵だらけのウエストポーチからは、

刃物であるハサミや安全ピン、 南京錠などの金属、ワイヤー錠等のひも状のものが、

わんさと出てきた。しかし、 体を傷つける可能性のあるこれらのもの閉鎖病棟内には一切持ち込めないそうだ。

手続きを済ませ、病院に母を預け、弟や彼女に報告をし、帰路に向かう際は、

涙も出なかったし、ざまあみろ、といった感情にもならなかった。

これでひと段落ついたんだな。という感慨はあったが、正直、いまだに母への気持ちは整理がつかないし、

私が多分死ぬまでこのもやもやした気持ちに整理はつかないのかもしれない。

ともかく、これで弟にかかる負担も減るし、母の不安もいずれは多少なりとも解消されるかもしれない。

本人がいつか病識を持つようになって、まともに話せる日がくれば、また母に対して憎しみの感情が沸くかもしれないし。

そんな日は来ないかもしれないが、ともかくこれで一区切りついた事になる。

繰り返しになるが、「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という

声もあるだろうが、自分気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書いた。

自分を棚に上げてなにか説教じみた一言を添えて終わりたい気持ちを抑えてこれでこの長文は終わります

ここまで読んでくれた人がいたらありがとう

追記:少しだけ文章校正しました。多くの読んでくれた方、改めてありがとうございます

乱筆乱文、誤字脱字、事実誤認、諸々失礼。

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追記

たくさんのコメントいただき感謝に耐えません。

とても参考になる知見も多くいただきました。

これで終わりではないので、是非、今後に生かしたいと思います

この話は私の人生のある側面の、ある時間だけをバッサリ切り取ったもので、

別の面では幸せであり、大半の時間は、苦労はありますが、それなりに恵まれ生活を送っています

悲劇性や誘因性の強い文章になりましたが、自分自身を奮い立たせるために自己演出した部分も多分に含まれていますし、

それなりに珍しい経験をしたので「保育園落ちた日本死ね」位の話題にならないかなー、と。

助平根性で書いた面もあった事は表明しておきます

ただ事実と異なる事柄は書いていないつもりですが、母の性格を受け継いだせいか感情基準での記憶をする傾向があり

事実認識に多少の誤りがあるやもしれない事を明記しておきます

特に地元総合病院精神科医師が話してくれた、治療可能性や、相談内容、他の施設の紹介といった、

具体的な情報のくだりは、今思うと当時の余裕のない状況で色々思い違いをしていたり、

その時点で必要情報だけを記憶に留めようとした傾向があるので、もしかしたらきちんとした説明を受けていたのかもしれません。

心理面での負担や苦労をねぎらってくださるコメントも多くいただきましたが、

母の事で本当に辛いと感じていたのは母の病気発症するよりも前の方がはるかに多く、

病気が進行してからは、母の事であまり辛いと感じたことはなく、やっかい毎が面倒だ。

調べ物が面倒だ、なかなかうまい方法が見つからないで面倒だ、事務処理が面倒だ、

と、いったような仕事での面倒毎に近い感覚だったかもしれません。

もやっとした問題に対して、検索するには言葉あいまいで、答えも方法論も様々過ぎるし制度もたくさんあるしで、

的確な道順や回答を出せる所にいつまでも辿り着けず、情報迷子になった側面は多分にあります

普段Googleさんをそれなりに使いこなし問題解決の為のITリテラシーはそれなりに自信がありますが、

実は 『ケースワーカー』さんという言葉存在はかなり最近になってから人づてに知りました。

それまでは地元総合病院電話した際や行った等、もしかしたらそれに気づかず『受付の人』という認識相談をしたこともあったかもしれません。

本文には書きませんでしたが、昨年末あたりから精神科のある病院への電話問い合わせの窓口や、福祉センター精神保健福祉担当で、

ケースワーカーさんと相談したい』とわざわざ言ってから色々相談する様になって、

ここには書かなかった世帯分離の手続き等に対しての答えにも、光が見え始め徐々に事態好転してきた次第です。

ケースワーカー』さんはここ数年認知され始めたマジックワードで『当番弁護士を呼んでください』

という言葉を知っているか否か、みたいなものかもしれませんね。

もし、私と似たような境遇でどうしてよいかからない場合は、役所病院等へ電話をかけ、

まず『ケースワーカーさんと私の〇〇の問題について相談したい』と言うのが良いのかもしれません。

最後に、本文で書かなかったエピソードを一つ

地元総合病院精神科の待合室で、母と初めての診断を待つ際の事。

待合室の傍に、精神科病棟への通路があり、おそらく統合失調症の方が、看護師に連れ添われ、

意味不明な話しをしながら歩いて行くのを見て言った母の一言が最高でした。

『かわいそうにねー、頭がおかしいのねー』

今では母の相談をする際に、緊張を和らげる意味で使う鉄板ネタになっています

統合失調症の母をついに入院させた話

先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。

発症から入院までおよそ四半世紀程かかった。

ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。

そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族同意により強制的入院を行った。

「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、

自分気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書く。

母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。

興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。

日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、

時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。

母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。

父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、

「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。

たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。

夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、

母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。

そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃

別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、

「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。

しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、

母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。

専業主婦だった母は別居後、販売員仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。

そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。

余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。

ある日、私の学校開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?

という話になり、離婚調停最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。

再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め

自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。

中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に

なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。

対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。

私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。

しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。

母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。

仕事上での人間関係トラブルの話は祖母しょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。

その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、

次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。

しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、

しばらくは家族親族の誰もが病気可能であることを疑う事はなかった。

就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、

近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからいか一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが

自分性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家生活費を払う事をしなくなった。

近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。

母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。

しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり

まり会話をすることもなかった。

しかし、あれは確実に症状が進行し言動おかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。

私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、

落ち着いて説得することができず感情的しか対応できなかった。

その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。

弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。

おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障体育大学中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、

アルバイトをしながら、母の生活費もまかなっていた。

兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。

そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、

弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。

彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。

その頃私は都内仕事好調彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。

その後も自営業再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると

上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。

幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由さらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。

しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。

この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。

何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。

普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。

しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、

支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人しかなかった。

徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。

ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は

しょっちゅうだった様だ。たぶん地域警察官の中でもやっかい有名人であったと思う。

その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。

仕事はい私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。

ラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。

母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。

彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。

そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。

これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、

本人に自分病気だという意識病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。

そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」

という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。

入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。

私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活可能しかし治療を拒む状態だと、

いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間お金が無いとどうにもならない状態だった。

そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。

いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。

また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。

そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。

はらはらしながらの受診だったが、精神科医統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。

母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、

回復はほとんど見込めない旨。どこも満床ベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。

入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。

今ならわかるが、この医師からケースワーカー存在を紹介されることもなく、国立や県立病院可能性を教えてもらう事もなかった。

自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。

それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。

薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。

僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。

飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、

毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。

同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。

取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費対象であること。

医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担対象者であること。

そして手続きが煩雑という事を事前情報として聞いていたこと。

これらの判断から通院ができない母には不要であった。

今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。

という免罪符程度のものしか無い。という結論になった。

また、通院と同時に市役所への相談介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、

ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。

まず、加齢により体の不調があることも理由介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患介護認定の判定要素に

大きく加味されることが無く、介護度2となった。

ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。

母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。

そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。

そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、

実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)

そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。

結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。

そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。

過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、

今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。

どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女人生で登場した嫌な奴をののしったり、

幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。

以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察通報したり、私たちに電話をし、

一方的にしゃべり続けたりする大事必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。

近隣のトラブルはついにアパート不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパート契約更新一方的拒否され、退去を迫られた。

ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を

入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。

要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。

親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。

さら警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。

これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである

しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。

トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ

この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間

長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、

家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。

長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。

母が病気になってから知り合った人間名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。

この支援センターセンター長さんには感謝しきれない思いだ。

センター長さんの案で母を健康診断に連れ出す事ができた。

そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科受診させることもできた。

しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、

かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、

入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。

でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイ提案してくれた。

何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。

まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。

けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。

怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。

老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。

しかホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。

また、本人の意思尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。

また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。

ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能

正直にいうと少しだけ真剣完全犯罪を考えた事もある。

しか殺人容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。

こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、

母のきょうだいである叔母に当面の入院費を工面してもらった。

その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から

県立の精神病院存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。

アパート引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産アパートの引き渡しを済ませた。

殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。

翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。

事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。

状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。

そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。

電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日入院キャンセルになった関係で、

母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。

正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。

最初に誰かが県立の精神病院存在制度費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、

こんな苦労はしなかった。私自身、最初問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性

間違っている事に気付けなかった、しかし、役所介護福祉医療警察、の現場であった人も親類も、

これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。

正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、

自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。

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あと少しだけ以下に続きます

http://anond.hatelabo.jp/20170203210406

2017-01-20

飲み会悪口ばかりだから廃止しろと言い出した世界の中心マン

私は某企業新入社員サポート係をやっている。

うちの会社男性社員が多く、その殆どが口下手で無口。

自分ロッカー場所や、会社規則自販機場所

そんな細かなことまで、マニュアルに書いてやらないと分からない、同僚や上司に聞けない人間が多い。

新卒で入った彼らにはそこそこの研修費用が掛かっている。

から彼らが入社後すぐに辞めないように、小さな困りごとを解決してやったり、上司や同僚の架け橋役になったり、気軽に声を掛けて居心地を良くしてやるのが私の仕事

なんだけど最近つらい。辞めたくなってきた。

誰かを育てるくらいなら、自分バリバリ働いた方がマシ。

最近は「飲み会廃止してくれ」という要望があった。

自慢じゃないがコミュ障だらけの会社、もともとその手の付き合いはほぼ絶滅している。

さすがに歓迎会送別会くらいはあるものの、それすら自由参加。

歓迎される当事者すら欠席する、という自由っぷり。

今や我が社の飲み会は、酒好きな年寄りと数少ない女性社員癒しの場として存在している。

この人畜無害飲み会を、廃止する意味はあるのか。

そう問いただすと、「だって…」と彼は口を尖らせた。

最近ガチで、口を尖らせたり、にゃんとか言いだす男子存在する。

正直心底キモイ冗談は2次元だけにしてくれ。

だってどうせ俺の悪口で盛り上がるんでしょう?陰湿なんですよ飲み会なんてー!」

はっ?ねえわ。

…一行で否定してしまったが、彼の言い分はこうだった。

自分くしゃみがヘンだったり、アトピーキモかったりする。

そんな僕をヒマな主婦パートたちが給湯室なので嘲笑っている。

飲み会も僕タン悪口でもちきりに違いない。そんな陰湿飲み会廃止すべき!というのが彼の言い分だった。

いやいやいや、絶対にお前の話題なんて一言も出ないし、思い出しもしねーよ。

主婦パートも私も、この会社に長くいるベテランばかり。

から見慣れてんだよ、秋葉にいる程度のキモオタなんざ!

この会社には人知を超えた化け物がゴロゴロしている。

50キロ以下級でも、100キロ超級でもない、床掃いてんだろロングヘアでも、ハエたかるような服を着ている訳でもない彼なんてほんと普通

つか仕事が出来ればゴミ捨て場から掘り出してきたような服着てる人間でも許されるような職場で、アトピーときクスクス笑うだぁ?

会社保育所じゃねーんだぞアホンダラ。そんなクソ甘いイジメがあるか!

彼の脳内ではパートお気楽主婦ども。

人の動作挙動を見ては給湯室で陰湿悪口に盛り上がる…という設定になってたらしい。

あのさ、主婦である私はどっちかと言うとあんたの嫌いなそっちよりの人間なんですけど。

サポート係の前はパートしてたし。

あんたが暇な主婦は…、って言うたびに、私が眉根に寄せるシワ、気が付いてない訳じゃないよね?

もちろん○○さんはあんな奴らとは違いますけど、って私あんた寄りの人間なの?

一緒にすんなクソガキ。

私達は会社仕事しに行ってる。

定時に上がるためには、時間内に仕事を終わらせなくちゃいけないわけ。

そのばたばた忙しい中で、新卒のにーちゃんのくしゃみがヘンだから給湯室で笑ってただぁ?

アトピーで粉ふいてる肌がキモイと影で言ってるだぁ?

誰も見てねーよてめぇのことなんざ!

こういうガキみると、よっぽどチヤホヤされて育ってきたんだろうなって思う。

かまってちゃん被害者意識

もし幻聴が聞こえる系やガチイジメだったら困るから、一応周囲や会社契約してる精神科医先生にも相談したけど、問題は何もナシ、だった。

つか、私はこんな化けもんだらけの会社で、自分悪口対象になる!注目に値する!だなんて無邪気に信じられる彼のお幸せさに軽く嫉妬した。

ちゃんと構われてきたんだよねアンタ。

いいよね、自分世界の中心で。

よく、女の方が世界の中心だろって言う奴もいる。

『女はいいよな、化粧してかわいい服着てるだけでちやほやされて』

あのさ、そんなこと言う奴って大概本当の自分の方が価値があると思ってる傲慢野郎から

自分は男だから化粧やおしゃれが出来ないだけ。それさえクリアすればチヤホヤされる価値があると思ってる。

合コンなんて着飾って見た目だけじゃん、とか言い出す奴も同様。

虚飾を取り払った「本当の自分」にはちゃんと価値があるとか信じてんの。

言っとくけど、見た目やら知能やら、後付けされたもんを全部取っ払った本当の自分なんて言い出したら受精時代に戻るしかいから。

あんキモイもん、カワイイなんて喜んでくれるのはテメエの母ちゃんだけだからな?

いか、女だって化粧してかわいい服着ただけでチヤホヤされる奴はほんの一握り。

大多数はばっちりメイクして、気合入れた服着てるはずなのに、ちゃんとメイクしろよーとかお洒落しろよーとか言われてますから

あんたらの言う『化粧してかわいい服着てるだけで』チヤホヤされてる姫は、たとえブサイクだって男ウケいいメイク勉強したり、頭がヤバいと疑われるような服で町を闊歩したり、常人には出来ねぇ努力をしてるんだよ。

それを女に生まれりゃ人生イージーモードだぁ?

自分に女になればチヤホヤされる価値があると思いこめるテメエの頭が一番イージーだわ。

最近、この手の若い男子を見るだけで反吐が出そう。

ヤバい、本気で病んでる。

仕事辞めたい。

だいだい、いくら仕事が出来るからって生ごみウェア出勤が許されてる当社もおかしいだろ。私のサポートは誰がしてくれんの。

もう人生無理ゲーだわくそったれ。

2017-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20170106103435

一人暮らしをしている私の兄弟が今まさに大家さんと不動産管理会社から退去勧告を出されている。

退去勧告と言っても

引っ越し代金は払うから出ていってもらえないか

という強制力のない「お願い」だが、おそらくもうそこの賃貸に住み続けることは不可能だろうから実質的には退去勧告だ。

私の兄弟はもう何年も前から幻聴被害妄想により隣人に対して罵声暴言を浴びせかけたり(バカヤロウ!死ね!殺すぞ!)、穴を開けるほどの勢いで壁を殴ったり蹴ったり、自宅の玄関ドアを蹴り続けたりと大暴れしており、何度となく警察沙汰にもなったし、一度は措置入院までしたのに、なぜか契約更新は滞りなくできていた。

だが、今回の大暴れでは夜中に隣人の家のドアを蹴り続けるという、今までにない直接的な攻撃行動に至り、ついに今回の退去勧告あいなった。

住民の方は相当怯えておられたようである

なお本人はその直後に医療保護入院しており、帰る家がないため現在入院中だ(生活保護受給しているため入院費用はかからない)。

統合失調症は厄介な病気である。何故なら本人に病識がないからだ。

普通賃貸に住むとこのように迷惑をかけてしまうので、次はグループホームに住んだほうがいいんじゃないかと思っている。

2016-12-29

親に教わったことを忘れたい

世間、周りの目が第一の親だった。私は常にそれに振り回されてきた。

人様に迷惑をかけるな、○○ちゃんが出来てるんだからあんたにも出来る。親は人が宝のように見えると言わんばかりだった。

親の付き合いでヤンママの子供にいじめられ、また他の親はスパルタで、子供は外で遊ぶべきと言われては知らない上級生にいじめられ、小学校入学から人間不信だった。

私が自信が持てるように親が何かさせる反面、比較されて自信を失う日々だった。

あんたのせいで私が頭を下げなきゃいけないと言われた時はもう何もしたくなくなった。

所詮赤の他人であるはずなのに、その他人との比較によって私は悪く言われてしまう。そう思うと友達という存在を喜べなくなった。

小学生は明るく元気という親からアニメから遠回しに伝わってくる理想像からはすでに遠のいていた。

宿題習い事もしてた上で、テストはどちらかと言えばましな点だったがゲーム捨てると散々脅された。理由はわからない。

手伝いをして欲しかった?しかしあの親は効率厨で、予定が狂うのが嫌いなので手伝いさせるなら自分でやる親なのだ

幻聴じゃない?人をそんな風に言うなんて可哀想な人といじめにあって不登校になった後に言われた時は心底ショックを受けた。

なんせいじめにあった当時にあったことは話していたし、玄関で泣き崩れたり、随分表に出していたのだ。相手は女なのに胸ぐらまで掴んできた。同じ女としてこれがまた酷くショックだった。名前オカマいじめられてから女の子らしくしなきゃというプレッシャーの中にいた私にとって恐ろしい事だった。だからやり返しもしなかった。

名指しで親には向こうがやってきたことを伝えたのに、一年後には学級だよりで加害者の話が出てきて胸ぐらつかみ女を褒めだした。さすがにキレた。

小学校の頃から、どこかに連れ去られたいという誘拐願望があったが、今もその気持ちは抜けない。

ちなみに私は医者から幻聴の症状はないと明言されているし、むしろ母の兄が統合失調症になった。

私はあれこれ精神科の症状を持っているが、妹は学習障害もある。そういう家系に生まれしまったのかもしれない。

そんな中で母は何も診断されていないが、それより今は母の記憶を消したいのである。そう思ったきっかけは年賀状は送るべきかという不安からだった。

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