はてなキーワード: 権利と義務とは
この意見は、自分が選挙に行かない理由として3つのポイントを挙げていますが、それぞれに問題点や矛盾点が存在します。これらを順に指摘していきます。
• 問題点: この考え方は、「みんなが投票しているから、その結果は最善だろう」との前提に基づいていますが、これは民主主義の本質を見誤っています。選挙は個々の意見が集まることで成り立っており、一人ひとりの投票が結果を形作るものです。個々の選択が反映されなければ、全体の結果も偏ってしまう可能性があります。また、全員が「他の人が行くから自分は行かない」と考えると、投票率が低下し、少数派の意見だけが反映されるリスクが高まります。
• 矛盾点: 多くの人が投票した結果が必ずしも「ベスト」だとは限りません。投票者の考えや意見は多様であり、必ずしも全員が最適な選択をするとは限らないため、自分の一票がその「ベスト」を補完する役割を果たします。
• 問題点: 選挙を通じて国の政策に影響を与えることは、民主主義において重要な市民の権利であり、同時に責任です。消費税のような具体例を出していますが、実際には多くの政策が選挙結果によって変わる可能性があります。自分が選挙に関与しないことで、望まない結果が生じてもそれを受け入れるしかないとしていますが、これは積極的な市民参加の重要性を過小評価しています。
• 矛盾点: この考え方では、自分が直接的に影響を与えられることを放棄しており、「文句はあれど従うしかない」と述べていますが、それは本来避けられるものです。選挙に参加することで、少なくとも自分の意見を反映させるチャンスがあるという点が無視されています。
• 問題点: 自己評価として「学もないから政治に関わらない方がいい」としていますが、これは誤解です。民主主義の根本は、すべての市民が政治に参加できるという考えに基づいており、特別な知識や学歴が必要なわけではありません。むしろ、多様な背景を持つ人々が集まり、それぞれの意見を反映させることが健全な政治を形作るために重要です。
• 矛盾点: 自分が「バカだから」として選挙に関わらない選択をする一方で、選挙権を売る可能性を示唆している点は問題です。選挙権は個人の権利であり、それを売買することは民主主義の根幹を揺るがします。また、選挙権を持つこと自体が個人の責任であり、それを「どうでもよい」としてしまう態度は、より健全な社会にとって有害です。
この意見は、一見して自己肯定的な論理に見えますが、選挙の本質や市民としての責任を見誤っている面が多々あります。選挙は個々人の意見が集まることで社会全体を形作り、選挙に参加することは市民としての権利と義務です。また、政治に関心がないことを理由に選挙を放棄することは、結果的に望まない政治や政策に影響されるリスクを高める行動です。
少子化対策に一夫多妻制という話が出てきたので、いろいろ考えてみた。
一言で一夫多妻制といっても、子供をどうやって育てるかによってパターンが違うと思う。大まかに分類するとこの3つ
1. 人口が減り助け合いが必要な時代において妻妾同居制はある意味理想的だと思う。原始時代ってそんなだったのかもね。猿山みたいな感じで。しかし人間には独占欲とか嫉妬心とか我が子びいきとかそういうものがある以上むちゃくちゃ泥沼になるのは目に見えてる。そもそもの価値観自体を塗り替える必要があるし無理があるのでは。核戦争の後なら実現できそう。
2. は、まあ割とスタンダードなパターンだし、これが時間差で発生しているのが現状かとも思う。しかし、妾の立場になりたい人ってそんなにいないよね。「愛人に子供ができたから離婚してくれ」という決まり文句が成立する程度に養育には父親が必要というのが常識であり、お金はわけられるけど父親はわけられない。最初から自分のほうは父親不在であることがわかってて産む人はレアだと思う。
3. これ、子供をどの程度夫に関与させるかでもめるやつなので、結婚制度解体したほうが早そう。女系の血のつながりだけで家族が規定されるイメージ。男に生まれたら一律に自分の子供を持つことはできないという点である意味平等。女の子が生まれれば家は存続できるし、女の子が生まれなかったらどこかから養子にもらわない限りはその家は断絶する。 すべての子供に平等に父親不在が確定してたら、さほど惨めでもない気がする。養育費用は人頭税とってそれを母親と祖母に還元するだけだからシンプル。
やっぱり夫婦揃って子供を育てる=幸せって幻想があるから、それを解体しないと難しいだろうね。
個人的には親の権利と義務を両方減らすのがいいんじゃないかと思ってるんだよね
やばくなったらすぐ児相が子供を取り上げるかわりに、子供が変に育っても親は悪くないという風潮にする。
もし犯罪者になっても「子ガチャ外れたねー」みたいな感じで、タコ部屋みたいなとこに送ればノーカウント、親子の縁が切れるシステムにしてほしい。
婚姻制度をなくす=多妻多夫だよね。親子関係の規定が「誰から生まれたか」だけになるのはシンプルだし、ベーシックインカムと組み合わせたら養育費とかも不要になるからいいよね
そのかわりむちゃくちゃな税率になると思うし、女と縁がない男が荒れて犯罪率は上がりそう。多産多死っぽいデザインになれば少子化自体は改善されるけど。
すべての国民に等しく当たり前の権利が認められるべき、だから当然暇にも認められるべき
っていうのは暇を支持するということにならない
お前の謎理論で言うと、たとえば「青葉真司被告は日本法にのっとり即射殺ではなく裁判を受ける権利がある」=「青葉真司被告を支持する」とか「晒し増田は日本(日本国籍でないならその国家)の行政サービスの恩恵に与る権利がある」=「晒し増田を支持する」になっちゃうわけ
意味がわからん。多分だけどお前は青葉真司被告とか晒し増田を支持してないと思う。
だから、ヴォルテールっぽい人の名言「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」は「私はあなたの言論の自由を擁護します」であっても「私はあなたを支持しています」ではないの。
仁藤夢乃が突っ込む側であっても、こんな風に一民の権利を自称左派政党や左派マスコミが彼女の性格は難があり全てデマであり攻撃と一蹴する事態だったら仁藤氏を支持したろう。
まず、仁藤が情報開示請求や住民監査請求や住民訴訟をするのを「デマ」として批判するとはどういうことなのか。それらはデマではない。
また、「攻撃」として批判するのは仁藤の国民としての権利を否定したことにはならない。
なぜなら、
↑
↑
というわけで仁藤の国民としての権利の肯定はむしろ前提となる。
・仁藤はそもそも開示請求したり住民訴訟をしたりする権利を持っていないと主張する
そして役所が仁藤の請求や訴訟を無視しないで実行した以上国民としての権利は侵害されてない。自称左派政党や左派マスコミは仁藤と国家の間の権利と義務の関係に横から茶々入れてるだけで、「一蹴」なんてする権限は持ち合わせていない。
多分お前が言いたかったことは「仁藤の日々の行いが悪いからといって、言ったことを全てデマとして一蹴したり請求や訴訟を起こすのを批判したりするのは仁藤の請求や訴訟を起こす権利の侵害である」ということだろうけどそんなことないから。もしそういうことが起こっても仁藤の支持なんてする必要ないよ。仁藤の出した訴訟書状を破り捨てる左派政党が出てきてから出直して。
つかお前は自分自身の文章の中ですら「支持」の使い方がブレてるんだよね
朝日や毎日やらの左派マスコミや民の味方ですとしてる左派政党やらが正常に機能するなら、こんなにも私は彼を支持する必要はなかったよ。
あのさあ
左派マスコミとか左派政党とかが機能してようが機能してまいが、お前の謎語法に則れば「暇の一民の当たり前の権利は保障すべき」=「暇を支持すべき」だ
朝日と毎日が機能してたら暇は訴訟する権利を奪われていい、なんてお前が思っているはずがない
そうではなく、お前はここで支持を急に本来の意味「ある意見・主張などに賛成して、その後押しをする」で使い始めただけ
「暇は国民としての権利を持ってる」というごく当たり前な主張で心のドアをちょっと開けさせた後に「暇の意見と行動に賛同する」と足を挟むフットインザドア
全然別のことなのにどちらも支持という言葉で括って同じものかのように見せかけた、バイアスで飲んで日本語を読ませない文章
ところでお前は
彼の性格に難があるところはそれはそれで突っ込めば良い
と言っているけれども、暇にツッコミを入れるには暇がしたことを晒さないといけないよね
お前はブコメの晒し上げ、リアル凸や別垢特定じゃなくてその垢でやった言動の晒し上げを卑怯だと批判してるけど、それができないならどうやってお前の性格の難にツッコミ入れればいいの?
お前が発言したソースを出さずにツッコミだけしたらそれこそ冤罪の可能性がある(「お前暴言吐いただろ」「してないって!ソース出してよ」)から卑怯だ
暇が東野とかに暴言吐いてたのを証明するのに暇の住所を割る必要はないけど暇の暴言ツイは晒す必要があった
https://anond.hatelabo.jp/20230921213642
室井佑月については「味方」の意味するところがよくわからないので賛同も反対もできない
暇のする一部の行動に賛同してるのか、一部ならどれとどれに賛同してるのか、それとも全部の行動に賛同してるのか、それか意見に賛同はしないけど心情や立場に共感するというのもありうる
だからなんともいえない
室井の言動を普段から追ってればわかるのかもしれないけど追ってないから知らないし、暇に嫌がらせを受けた人に室井がなにかしてあげたのかどうかも知らない
こういう意図不明なツイに真面目にブコメつけるとどうあがいても室井を藁人形化する(室井がどういう意図で味方と言ったのかを勝手に想像する)ことになってしまう
ここで一部ブクマカは「暇の妄言に賛同してる室井」という藁人形を作って室井を批判した
お前はその一部ブクマカを批判するときに「暇の人権を否定し、訴訟を支持しない人間」という藁人形を作り「私は暇の人権を擁護し、暇の訴訟を支持している」と食い違ったことを強弁して無事その藁人形が実在すると信じさせることができた
成立するのは「室井は暇の妄言に賛同してない、お前は藁人形を作った」のみ
双務契約は特定の権利関係についての話だから言いたかったこととは違うかな
個人がその主体となるには国家の構成員としての権利と義務が表裏一体で与えられ、一方のみは成立できないのではと思った
これは人権では自然権として権利のみを国民(人間)に自明とするけど、権利はあくまで法律上のものだと考えると
憲法上の権利を享有するためには国家が必要で国家成立のために個人は義務も等しく負っている
元の話をするうえでこういことを考えてたけど文章はおかしかった
反応してくれてありがとう、すこし整理できた
タイトル変わり過ぎてて草
権利と義務が対価関係にある例を示したけりゃ双務契約を出せば十分でしょ。「買主が物の引渡請求権を行使するには、金銭支払い義務を果たさなければならない。」(これは、元増田における考え方1でいうところの「売主の代金請求権は買主の代金支払義務である」とは別の話。為念)
しかし、全ての権利が何かと対価関係に立つわけではないのだから、「(およそ)権利の行使には義務の履行が必要」みたいな全称命題じみたスローガンは全く持って不適切で、有害だ。
命題っぽくしたけりゃ「買主が物の引き渡しを受けるには代金を払わなければならない」みたいに、権利を特定した言い方にする必要がある。
刑法についてを含めて、非対応義務とかの批判が権利と義務の対応関係に対してなされてはいるけど、目的と違うから捨象したつもりだったんだが
ここでは見解の対立を示すのが目的でホーフェルド以来の対応関係について厳密に考える必要性が無いと思った
あと公法云々は異なる私人間について適用される私法と、一方を国家とする公法を区別するためで刑法とか含めた一般論のためではないので
公法云々というか
憲法で言うところの公共の福祉と基本的人権のトレードオフの話ではないの
刑法においてはあまり権利や義務の文脈で語られるものはないと理解してるけど(刑法における罪を不作為義務と呼ぶなら義務だけど、それも結局は法益保護という公共の福祉と言える)
ミスが見つかった。ちょっとだけ修正しました。仕事に行くのでまた夜にでも修正するかも。
表題の文言については特に憲法など公法の分野においてよく言及されるが、これについては異なった見解が見られる
これはホーフェルドなどにみられる広義の権利と義務の対応に関する理解であって、一方の権利に対しては他方の義務が対応しているというものだ
二つ目はある主体が一般的な義務を果たさなければ一般的な権利を有しないというものである
これについては一つ目の立場から間違った理解であると批判されている
その理由としては人権は実定法ではなく生来の権利として有しているというものである
しかし同じ文言から異なる二つの解釈を導くことは可能であり、また前述の理由は正当な理由にならないのではないとも思う
例えば売買の買主は引渡請求ができる権利を有し、一方で売主は引渡を行う義務を負う
これは二者間に生ずる関係から導かれるものであり、主体は2つ必要である
そして上記のような関係を一般化することで権利義務関係について一般的な言明をしている
それによって国家と国民との関係についても権利と義務の対応が説明される
すると二つ目の見解は権利と義務の主体は同一であり、そのような主体における権利と義務の関係を述べていると言えるため、
両者の想定してる主体が異なっており、権利義務の内容も異なるのではないだろうか
確かに一つ目の見解からはある主体についての権利と義務は無数に考えらえることから二つ目の見解のような一般的な関係はないとの批判が考えらえる
しかしこと公法に関しては権利と義務の束については主体が同一とも考えられるのではないだろうか
例えばある人が特定の公法上の権利を国家に対して有する場合、主体は個人と国家であり二者間の関係となる
一方である人が国家に対して一般的な権利の束を有する場合には国家はある人を国民として権利を認めていることになる
このとき国家とは法人ではあるものの究極的には個人の結合体としての存在である
すると国家に対して権利を有する者は国家の一部として、自らを含めた国家の構成員に対して義務を有していることになる
ある個人は権利を有する主体であり、なおかつ国家の構成員としての義務を負う主体でもあるのである
この場合には同一の主体に権利と義務の対応関係が内在するのであり、一方のみでは成立しなくなる
上記の考えは人権については生来の権利であるとする自然法的な考えと異なり、憲法制定権者による内容画定であり、法的な理解として適切であると言える
前文
国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは、人の権利に対する無知、忘却、または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し、人の譲りわたすことのできない神聖な自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。この宣言が、社会全体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を不断に想起させるように。立法権および執行権の行為が、すべての政治制度の目的とつねに比較されうることで一層尊重されるように。市民の要求が、以後、簡潔で争いの余地のない原理に基づくことによって、つねに憲法の維持と万人の幸福に向かうように。こうして、国民議会は、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、人および市民の以下の諸権利を承認し、宣言する。
https://anond.hatelabo.jp/20230203110859
なんでこういう誤解が後を立たねーんだろうな
民法の規定を見ろよ?何処にも結婚すれば国から優遇されるなんて記載はないから。
結婚は単なる双務契約です。それによって生じるのは夫婦それぞれの、相手との間での権利と義務のみです
売買契約によって生じる、売り主が物を渡す義務と代金を受け取る権利、買い主が代金を支払う義務と物を受け取る権利、それと同じ事です。
同性婚が出来ないのが不平等なのは、「異性同士なら物を売り買いしてもいいけれど同性同士では駄目ですよ」という決まりがあるのと同じ事だからです。
そこを理解してない人が多すぎる
第二節 婚姻の効力
(夫婦の氏)
第七百五十条 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。
第七百五十一条 夫婦の一方が死亡したときは、生存配偶者は、婚姻前の氏に復することができる。
2 第七百六十九条の規定は、前項及び第七百二十八条第二項の場合について準用する。
第七百五十二条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。
第七百五十四条 夫婦間でした契約は、婚姻中、いつでも、夫婦の一方からこれを取り消すことができる。ただし、第三者の権利を害することはできない。
第七百五十五条 夫婦が、婚姻の届出前に、その財産について別段の契約をしなかったときは、その財産関係は、次款に定めるところによる。
第七百五十六条 夫婦が法定財産制と異なる契約をしたときは、婚姻の届出までにその登記をしなければ、これを夫婦の承継人及び第三者に対抗することができない。
第七百五十八条 夫婦の財産関係は、婚姻の届出後は、変更することができない。
2 夫婦の一方が、他の一方の財産を管理する場合において、管理が失当であったことによってその財産を危うくしたときは、他の一方は、自らその管理をすることを家庭裁判所に請求することができる。
3 共有財産については、前項の請求とともに、その分割を請求することができる。
第七百五十九条 前条の規定又は第七百五十五条の契約の結果により、財産の管理者を変更し、又は共有財産の分割をしたときは、その登記をしなければ、これを夫婦の承継人及び第三者に対抗することができない。
第二款 法定財産制
第七百六十条 夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する。
第七百六十一条 夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによって生じた債務について、連帯してその責任を負う。ただし、第三者に対し責任を負わない旨を予告した場合は、この限りでない。
第七百六十二条 夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産(夫婦の一方が単独で有する財産をいう。)とする。
王様の暴走は首が切られるまで止まらない、だから破滅の規模がでかい、
国民をステークホルダーとし過半数が「損」と認識した時点で損切りできるのが民主主義
大勢の知恵を結集し無謬のルールを作るのが民主主義及び多数決の主要機能であると信じているひとがいる
いわゆるみんなの合意で決めたルールなのだから一度作った法律は変えられない論
国民の権利と義務はその代表者を引きずり下ろすことでしかない、ルールそのものにはコミットしてない
多数決で作ったのだからやってみて反省があれば再度多数決で修正、廃止できる余地を担保しているのが民主主義で
少数派の意見も汲むのが民主主義とか言い出す連中を見るとイラッとする
挙げ句に民主主義は多数決では無いとか言い出すボケ、徹底して多数決の原則を守ることでしか民主主義は機能しない
半数が「損」と認識できるまで待つしかない、せいぜい「損」だと気づかせる啓蒙をする、コツコツと
時間もかかり手間もかかり、一見遠回りで不合理に見えるが、愚直に原理原則を守ったほうが結果として社会の幸福や利益は最大になると信じるのが民主主義
>100人の村で70人が結託して30人を奴隷にするよう多数決で決める」は民主主義ではない、
いいえ、民主主義です
結託した70人が、それでは社会の持続性が破綻し不条理な結果になることに気づいて軌道修正するときにやはり多数決の原則が守られてなければならない
犠牲も伴い、遠回りだけど、一時的な脱線や暴走も受け入れるのが民主主義の矜持、だからこそ民主社会では教育が重要。
そして憲法はフールプルーフではない、あってはならない、愚行を憲法で定義してはならない
日本の憲法は戦争を愚行と定義しているが、英仏米に聞いてみろ、戦争は正義だ。正解など無い。
憲法はせいぜいインターロックであり、国家の意思決定の振り幅を抑制しているにすぎない。
愚かな意思決定を抑制しているのではなく、愚行すらもやってみて失敗なら反省して民主的に軌道修正のPDCAをやるしかない。
そうやって社会を発展させていく。
俺はそう思うんだけどなぁ
結婚する気がなくその予定もない人間にとって、独身税は必要だと思う。俺がそうだから。
独身税は独身であることのペナルティではなく、独身を買う権利だと思っている。独身の理由はそれぞれだけど、容姿や経済性や性嗜好とかあるよね。そういうのを公的に認めてもらい変わりに税金を納めたい。仕事では独身だから転勤や残業もさせられるだろうが、それを込みで独身は買うものだと思うんだ。
逆に結婚した人たちは税負担を極力なくしてほしい。子育て世代が同じ税負担をして毎日残業してるとか意味がわからない。そのお金や時間を家族に費やしてくれ。
変わりに俺は仕事人間になって税金を多く払い子育てを支援する。そして独身を誇示する。
みんな大変ならできる人間が正当な権利と義務を負うほうがいいだろう?
これの問題は、会社で独身かそうでないかを区別する必要があるってことだが、よく考えるとそんなの気にしないのかもね。でも昨年まで結婚していた人が独身税課されるとつらいかな?