はてなキーワード: たにしとは
好きだったソシャゲが死んだ。
死んだとは言っても、サ終したという訳ではない。「好きだった」部分が死んだのだ。かなり時間を使ってやりこんだし、過去に6万円程度のガチャ天井を4回しているので課金額もかなりのものだ。4年間ほど、いや今思えば楽しく遊んでいたのは3年間ほどだが、それでもかなり長い間楽しませてもらった訳だし時間と金を注ぎ込んだこと自体は後悔していない。ゲーム内でもゲーム外でもたくさんの出会いと喜びをくれたことには感謝している。だが、もう好きだったものはそこにはない。そう確信してしまった。
ここからはかなり具体的な話になるので、やり込んでいる人が読めばどのゲームか一発で分かってしまうだろう。こんなタイトルのURLを開いている時点で大丈夫だとは思うが、好きなゲームの悪口を言われたら気分が悪くなるような人は今のうちに引き返して欲しい。
●好きだったところ
そのゲームの特徴を聞かれた時、自分なら独自のシステムによる戦略性の高い戦闘を挙げる。場にランダムに出現するコマンドを敵と奪い合い、自分のやりたいことを通しつつ相手の行動を妨害しつつ戦う。運要素は完全に排除することができない程度には強いものの、一定ターンごとに任意のコマンドを使用して特殊なコマンドを使用することができたり、編成のリーダーのみが編成全体に与えることができる特殊効果がかなり強かったりするため、編成や立ち回りの方が重要度は高い。
自分も敵も様々な戦略で戦うことができ、使いやすさや汎用性にこそ差はあれどユニットのレアリティが存在せず、完全な上位互換下位互換というものは一応ない。様々なユニットおよび戦略を使うことを推奨され、難易度は現在実装されているメインストーリーの半分を読むだけでもかなり高いとされている。だが、様々な戦略の軸となるユニットを全てガチャで引き当てなければならないというわけではない。基本的に配布のユニットがかなり強いことと、実はやろうと思えば工夫次第で任意のユニットを軸にゴリ押すこともできなくはないこと、また実装されたのは最近のことではあるがそのステージのクリア編成とその編成での攻略の様子をゲーム内で見ることのできる機能もあることから、意外となんとかなってしまう。この「意外となんとかなる」がユーザーごとに全く違うゲーム体験を生み出しているのだ。他のユーザーの話を聞いたり公式サイトなどで未所持のユニットの性能を確認したりしていると、新しいユニットを手に入れることでゲームが更に広がるのだろうと感じられた。だからこそ、ガチャ産のユニットが無くてもクリア自体にそこまで支障のないゲーム性ながらも、遊びの幅をもっと広げるためにガチャ産のユニットで遊ぶために課金をしたものである。
このユニークな戦闘システムの面白さはよくカードゲームに例えられていた気がするが、リアルタイムでPvPも楽しむことができる。正直に言うと野良はかなり過疎っているが、特定のユニットをリーダーにして一定回数PvPイベントで勝利すると称号を貰うことができると知ってPvPイベントに参入して以来、趣味パで定期的に楽しんでいた。
また、グラフィックやストーリーや音楽もゲームの没入感を深めるにあたってとても貢献していた。イラストとストーリーは少し癖が強く万人受けするものではないのだが、良い意味でソシャゲらしくない重厚長大でシリアスなファンタジーだ。加えて戦闘中のキャラクターのモデルやBGMはどこに出しても恥ずかしくないハイクオリティである。他のゲームでは中々お目にかかれないような癖の強いキャラクターたちにも、愛着が湧くというものだ。
また、ソシャゲにありがちなギルド機能やフレンド機能もなく自分のペースで気楽に遊べるのも特徴だ。通常のイベントは低難易度のストーリークエストをクリアすれば誰でも確定で配布のユニットや装備を入手でき、ランキングなどはない。レイドイベントはあるが、育成が進んでいないユニットは個人で得られる報酬の量が減る代わりに育成済みの状態で使うことができ、さらに弱かろうとどんどん救援に入ってもらったほうが上級者も得をするシステムなので寄生はむしろ歓迎されている。システムさえ理解すればレイドイベントさえも気楽に遊べる。
新感覚の戦闘システム!色んなキャラクターが活躍できる!美麗グラフィック!壮大なストーリー!個性豊かで魅力的なキャラクター達!と聞くと、有象無象のソシャゲで見たキャッチコピーみたいになるが、少なくとも自分の中ではこれらを真の意味で体現しているゲームであった。
本当に、好きなゲームだった。
●少しモヤモヤし始めた頃
最初にこのゲームに対して引っ掛かりを覚えたのは、あるイベントで配布されたユニットとそのイベントで顔見せがなされ半月ほど後に実装されたユニットにまつわる騒動であった(実は以前にもここに無関係ではないと思われる優良誤認騒動からの大規模な返金がなされているが、関連性の説明が憶測の域を出ないのでここでは割愛する)。どちらも既存のキャラクターの衣装違いのユニットであったが、前者のキャラクターの方はインストールして間もない頃にガチャで入手していてそれなりに愛着が湧いており、後者のキャラクターのことは元から少し苦手であった。
問題のイベントは、自分が色眼鏡で見ている部分もあることを否定はしないが、ストーリーでの後者のキャラクターに対する贔屓があからさま過ぎて酷いと感じてしまったのだ。これまでのイベントで配布されるユニットはいずれもストーリーの軸となるキャラクターで、配布としてそのまま主人公一行に定着する流れを一応描写しており、一方でガチャ産になるユニットに関しても顔見せから一時的に使用できない期間が生まれる理由付けが一応というレベルではあるがなされていた。初期のイベントはかなり雑な部分が目立っておりこの限りではないが、方針が定まった頃からは2年くらいずっとこの傾向であった。だから、配布キャラとしてバナーに載っている時点で、そのキャラクターが主役のイベントになると少なくとも自分は思っていた。しかし実際は半月後のガチャの方のキャラクターがずっとヨシヨシされるもので、イベントで配布されたキャラクターも、なんなら同時実装の方のガチャ産のキャラクター(半月後に実装されたキャラクターとは別)もイベント本編では完全におまけ、ヨイショ要員であった。イベントの内容に関しては賛否両論ではあったが、少なくとも自分は最低最悪だと思った。
性能面のバランスも酷いものであった。基本的に配布が強く、上位互換下位互換の概念はほとんどないゲームだったのだが、配布の方のユニットは採用する理由を考える方が難しいというレベルで扱いづらく、ほとんどの場面で初期に配布された別のユニットの方が扱いやすいとされるものだった。そして、半月後にガチャで実装された方のユニットはピン刺しでも当時実装されていたほとんどのステージを簡単に攻略できる、所謂「ぶっ壊れ」であった。しかも一緒に編成するユニットの行動に制限がかかるタイプの性能であったために、特定のユニットを除けば他のメンバーは特殊コマンドを発動させ、敵の攻撃を分散させて庇うだけの係である。編成や動きを工夫する楽しさが台無しである。余談だがこのユニットによってPvPの環境も崩壊し、ただでさえ少ないPvPの住人は更に減ったらしい。当時の自分は極たまに強いと聞いた編成で潜るくらいでやり込んではいなかったが、未だにトップメタで大暴れしている。
しかしここで一つ加えたいのは、自分はストーリーにも性能の調整にも怒ったが、個人的に一番嫌だったのはこの二つではない。大炎上し、直後の公式配信のコメントは全て荒れに荒れ、中の人がレイドボスに挑む配信にて配信部屋に運営に対する暴言ネームで入室したユーザーが出るとんでもない放送事故も発生した。荒らし行為をしないユーザーも自分を含めてたくさんの人が意見を送ったのだが、それを受けてのプロデューサーレターにざっくりこう書いてあったのだ。
「配布されたユニットは扱いやすく初心者向けの性能である。半月後のガチャで実装されたユニットは扱いづらい代わりに爆発力のある玄人向けの性能である、と認識している」
そう、ユーザーの認識とは真逆なのであった。テストプレイをした時に何も思わなかったのか。元々そう認識していたにしても、ここまで色々直接送られて尚そう言えるのか。言いたいことは山ほどあったが、それまでまめに良かったところも直して欲しいところも意見として送っていたが呆れて何も書く気にならなかった。
半月後のガチャの方のキャラクターは人気であったから、人気のキャラクターを目立たせてからガチャに入れて儲けようという姿勢は否定しない。ソシャゲとして運営している以上インフレも否定しない。使いやすかったり汎用性が高かったりするユニットと、そうでないピーキーなユニットが出るのも仕方のないことである。しかし、性能に対する感覚のズレが顕になってしまった。これまで信頼していた運営のバランス調整の感覚に初めて明確な不信感を覚えた出来事となってしまった。
●ユーザー層の変化
先述した炎上したイベントは賛否両論ではあったが、ストーリーの質はおしなべて良かったためユーザーによってその方向での布教がなされていた。メインストーリーが進むと主人公とメインストーリーでの配布キャラクターが中心の冒険譚から、ガチャ産やイベント配布のキャラクターもほぼ全てが出演する群像劇へとシフトし、様々なキャラクターにフォーカスして個人のストーリーで描写されてきた伏線が回収されるようになった。好きなキャラクターが世界観の深掘りのなされるメインストーリーに大きく絡むと嬉しいものではあるが、同時にある歪みにも繋がっていった。
特定のキャラクターに関する掘り下げだけを目当てにメインストーリーを読もうとすると、戦闘が難し過ぎるのである。
布教する側はもちろん新感覚のシステムによる歯応えのある戦闘もストーリーやキャラクターとともにプッシュするのだが、いかんせんこの謳い文句が有象無象のソシャゲと同程度に捉えられがちである。キャラクターにレアリティがなく誰でも活躍できると言われても、しっかり考えて立ち回らなければ全く勝てないし、育成やレベリングによるゴリ押しはあっという間に効かなくなる。なんなら育成もストーリーをある程度進めないとドロップ素材の関係でストッパーがかかる。フレンドやギルドがなく自分のペースで遊べるが、裏を返せばフレンドの強いユニットやギルド機能等を使った育成素材の提供にも頼れないということでもある。
そこで布教した側が勧めたのが先述した炎上イベントの半月後のガチャで実装されたユニットであった。
当時実装されていたストーリーを読むだけであれば、ほぼ全て中途半端な育成状況でも簡単な立ち回りで可能にしてしまう性能で実質的に戦闘スキップ権となったのである。半年に1回のペースでガチャ産のユニットや装備を指名する権利を3000円ほどで購入する機会が訪れるため、とりあえずストーリーだけ読みたいならこのユニット!と言われていた。
だが、そのユニットだけで全てクリアできるというのも戦闘を楽しみたいユーザーにとって面白いはずがない。その声に応えようと、その後実装されるステージではそれだけでは絶対にクリアできないように敵の性能が調整されていった。「ぶっ壊れ」のユニットでクリアできないような搦手調整を行えば巻き添えで他のユニットが使いづらくなり、シンプルに「ぶっ壊れ」火力を耐えるHPを盛る調整が成されれば瞬間火力が出ないがどんな相手も固定値で削る等のユニットが使いづらくなってしまった。まあそれでも当の「ぶっ壊れ」はしれっとゴリ押せてるんだから笑える話であるが。ストーリーだけを読みたいユーザーにとっては3000円で購入した戦闘スキップ権が機能しなくなり、「戦闘が難し過ぎる」という声が大きくなっていった。
メインストーリーでストーリーだけを楽しみたい層と戦闘を楽しみたい層の両方を満足させることは難しいと考えたのか、次に開発は住み分けを試みようとしたようだった。ストーリーやイベントとは別にランダムに現れるボスやミッションに合わせて様々な編成を組んで攻略していくエンドコンテンツや、PvPをやり込みたいユーザーのためにPvPイベントを開催したりした。しかし、ここでも同志を増やしたくて一生懸命布教を行ったことが仇になってしまう。というのも、イベント産のユニットを入手するだけなら簡単で、フレンドやギルドがなくランキングイベントもないため自分のペースで気楽に遊べるという触れ込みでユーザーが布教を進めた結果、対人コンテンツやエンドコンテンツにアレルギーを持つユーザーが増えてしまったのである。エンドコンテンツの報酬は暇人向けの作成コストの重い装備の素材、PvPイベントの報酬は各種称号であった。自己満足であることを前提に自分はどちらもかなりやりこんだが、特に後者が特定ユニットで一定回数勝利することで対応したユニットに関する称号を得られるということが、キャラクター目当てかつ対人コンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまったのだ。前者も好きなキャラクターを極限まで強化したいのであれば作成コストが重かろうと作りたいものであり、こちらはエンドコンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまった。そうしてキャラクター目当てのユーザーからはどちらも不評となってしまったからなのか、エンドコンテンツの内容に関しては1年近く更新されておらず、PvPイベントは1度きりの開催となってしまった。当初はこれらで楽しんでいた戦闘が好きなユーザーもあっという間に離れていった。
気がついたら、戦闘を楽しみたいユーザーの方が少数派になってしまっていた。
●キャラゲー化
ストーリーとキャラクターだけを目当てにするユーザーが増え、戦闘を楽しみたいユーザーが減っていくと、必然的にこのゲームはキャラゲー路線を歩んでいくことになった。
まず、メインストーリーを戦闘なしである程度のところまで読むことができるというキャンペーンを定期的にやるようになった。ゲームなのにゲームをやらなくても良いって時点でもう意味が分からない。ゲームを楽しめないユーザーに楽しんでもらうための施策をして欲しいし、ゲームをやらないでストーリーを読みたいなんて言うユーザーに迎合しないで欲しい。
このゲームでは定期的に既存のユニットに渡せる専用の装備が実装される。専用の装備により、スキルのテキストが変わり使用感が改善されるのだ。実装したユニットのスキルの効果を直接いじる形の調整はほぼしないため、実質的なテコ入れである。また、キャラクターごとに衣装違いの別ユニットが存在する場合、現時点では片方だけを開発が選んで実装することになっている。この装備もはじめは使いづらいユニットから実装されていたが、徐々に元の使用感に関係なく直近のストーリーに登場したキャラクターなどから選定されるようになり、そのキャラクターの中でもより使いづらい方から手を入れるかと思えばそうでもなくなっていったた。ただ、先述の炎上イベントで開発の性能のバランス面に対する感覚が信用ならないことが判明してしまっているので、もしかしたら開発的には使いづらそうな方から実装しているのかもしれない。
次に、レベルキャップの解放が実装された。一見すると戦闘の幅が広がりそうな機能だが、これが大違いである。このレベルキャップ解放にはとんでもないコストがかかる。新しいキャラクターを10人ほど既存の最大レベルまで育成するよりもコストがかかる。だが、レベルキャップ解放により増えるステータスは雀の涙かつ全キャラ共通の固定値で、スキルのテキストも全く変わらない。つ Permalink | 記事への反応(2) | 07:36
フェミニズムという正義の一端を担ってるってのは、育児が人類の歴史の一部になるように、
大きな木の根に寄りかかってるような安心感がある。
しかも、フェミニズムの領域は常に前進を続けていて、ブクマフェミニスト、ツイッターフェミニスト、それぞれの問題領域で各人にあった課題が豊富にある。
それ自体は憤るべきことだが、はっきり言って常にやりがいを欠かないのは戦士にとってはモチベーションになる。はてなブックマークの領域を担当できて誇りに思っている。
はてなブックマークで平和主義を推してる人はチラホラ居たが、今はそれほど勢いがない。
なぜか。
平和主義ってどちらかと言うとなだめる方向にいきがちだから、アドレナリンの助けを得られない。
そしてそれ以上に現在の状況がある。
ウクライナの危機の最中に「平和!」と叫ぶのは、ウクライナに降伏を勧めてるように聞こえる。
平和っていま言うべきことじゃない。
ウクライナの主権を守るためには「勝利!」の方が少なくとも今は適切だ。
平和の大義が力を無くすなんて思っても見なかった。自分は、フェミニズムの旗の輝きをせめて守っていこうと決意を新たにしてるよ。
マッチングアプリやそれを通して会う相手に責任を求めすぎな人が多い気がする。
アプリはツールでしかないし、相手はサービスを提供しに来ているわけではない。
どんな人にいいねを飛ばし、どんな内容のメッセージを何回交わし、どのようなタイミングでデートに進めるか、決めているのは自分。
もちろん「思ったのと違う」とか「盛り上がらない」とかはある。
でもデートに臨むと決めたのは(たとえ相手から誘われたにしても)自分なんだから、
ハズレデートの原因の半分は「プロフやメッセージでの想定が甘かった自分」のせいだ。
それを自覚して以降に活かそうとしない限りハズレ率は下がらないよ。
プロフを盛ったり嘘つく人がいたり、
メッセージと会っての印象が違うことも多い(これについては良くも悪くも。メッセージ微妙で会うと好印象な場合もある)。
そういった見込み違いがまあまあ起きると理解した上で利用すれば、
いちいちがっかりしたり落ち込んだりする度合いが減る。
プロフやメッセージでどんな感じなら会った時の確度が高いか検証していくのはもちろん、
デートとなれば会話はどんな球でも打ち返すぜ!!くらいの気概で挑みたい。
なんだかんだ誰でもノって語れる分野がいっこくらいはあるだろうし、それを引き出し、興味持って聞ける自分になっておく。
相手のためではなく、あくまで自分がその時間を楽しめるように。
そんな感じで期待しすぎず楽しんで続けられれば、そのうちいい相手に出会えることもあるはず。
私は約1年で20人ほどと会って結婚もできたので、マッチングアプリに感謝しています。
はてなブックマークは夫に教わりました。
アホなので夫と盛り上がって不用意な触れ合いを行ってしまったよ。3人目もすでに同様の経緯で作成して今現在あっぷあっぷであり、流石に……無理でしょう……という……。とりあえず婦人科行って経緯を説明し、塩対応に耐え、自分で禁忌等を調べ先生に確認し……。
覚悟していたより気持ち悪くなる、具合悪くなるなどの副作用は感じていないので良かったのですが24時間授乳禁止が辛い。めちゃ張るし、寝るまで泣き続けるし、座ると服を引っ張って泣かれる。もう離乳食も完了期なんで別になくても良いのですけど断乳ってめんどくせえな勝手にやめるまで続けよ……の気持ちを新たにしました。
あと次行ったときにちゃんとピル貰うよ。こどもたちの通院は行けるのに自分のを後回しにしてこども(未)を疎かにしたことを反省している。
どうなんだろうね、その終わりだねこの国っていう価値観も、SNSやらで可視化された価値観の一つな気がするし。
なんなら、明らかにヤバいスローガンだったにしろ、お国の為ならって堂々と経営者が表明してた時代の方が生産力はあったわけで。今の時代にそれを落とし込んでも、条件が違うからそうなるとは限らないけどさ。
自分の意見を持たない・持たない人々への扇動がかなりの脅威ではあるにしても、それこそ昔の地方選とかでは地元の名士のそれがはびこってて、今になって洗脳だ利権だなんて騒がれてるわけでしょ?
本当にやばいと思ってるまともな人間の方が少数派ならさっさと出ていけば良いってのが民主主義だとしたら、その扇動力も包括してなお自由な発言が許された時代の方が、本質的には自由だったのでは?と思ったりもしない?
私は、大きな音が苦手だ。
私は、高い音が苦手だ。
私は、突発的な音が苦手だ。
聴覚過敏というやつだ。
「子供がいる近くには住みたくない」と「幹線道路沿いには住みたくない」「町工場の近くには住みたくない」は本質的に同じである。
音の発生源が子供だろうが、改造車だろうが、町工場だろうが、音は音。そこに差異はない。
ただ我慢できる音とできない音がある。
男児の声は我慢できるが、女児のキャーーッという声は我慢できない。
トラックのエンジン音は我慢できるが、改造車の音は我慢できない。
町工場のコンプレッサーの音は我慢できるが、金属加工音は我慢できない。
一概に「子供の声」といっても幅広く、一緒くたにして「騒音ではない(から文句いうな)」というのはあまりに乱暴。
「子供の声に文句言うやつは×××」と人格否定が始まったり、「そんなに嫌なら山奥で孤独に暮らせ」と言われたりするんだろうなぁ……。
最後に、たとえ法律ができたとしても音に苦しんでいる人間がいなくなるわけではない。
そのことだけでも心に留めておいてほしい。
https://twitter.com/MORI_Natsuko/status/1651836000791060483?s=20
@MORI_Natsuko
歌舞伎町タワーのオールジェンダートイレで日本人女性が性被害に遭う可能性についても、白人男性にとっては他人事ということでしょうか? 日本人女性のことを、いくらでも代わりはいる実験用の猿ぐらいにしか考えておられないということでしょうか? 残念な発言ですね。
このアカウントの所有者はツイートを表示できるアカウントを制限しているため、このツイートを表示できません。詳細はこちら
@MORI_Natsuko
私たち日本人女性にも白人男性同様、一人ひとりに人生があり、心があります。幼い女児から、お年を召した方まで。そして、その一人ひとりが心身に傷を負わずに暮らせることが、私の素朴な願いでもあります。
@MORI_Natsuko
女性スペースの防犯を求める女性たちの声は、これまでLGBT活動界隈による「トランス差別だ!」の怒声にかき消されてきました。そのような背景があるからこそ、小原ブラス氏は女性の安全を軽視した発言ができるのです。私たちは、「LGBTに配慮」が女性の安全よりも重視される風潮を見直すべきでは?
ゴィ
@BvTIvGvuH9oivF4
元エントリにはてブが1700もつき、Twitterでも関連ツイートが千バズ、万バズになり、それらの閲覧数の合計が7桁になっていたのにはびっくりした。
「言語化されていないが切実な課題」だったのだな、と強く感じている。
そして、「自分の解釈を傍に置いて読む」ことができない人がたくさんいたのには、予想はしていたけどさすがに笑ってしまった。
まーそれが人間の仕組みだしね、とは思っているけど、やはり笑ってしまう。
その一方で、読めている人が、しっかり読んだ上で切れ味鋭くコメントしてきているのも事実。
世の中はすごい人がたくさんいるな、とも改めて思ったし、賢い人を甘く見てはいけない、という思いを新たにした。
ということで、フィードバックがあった点を中心に、情報を補足したほうが良いと思った点について、自分の考えを箇条書きで書いていく。
おもろーい
https://www.nira.or.jp/paper/article/2022/wp04.html
今回の調査では、財政赤字について心配ないと考えているのか、それとも危機的水準だと考えているのか、その理由と共にたずねた。またこの議題に関する専門家の論考を読み、その論考のうちどの論点を参考に、人々の考えがどのように変化するかを検証した。
調査の結果、政府債務に対し危機意識を持っている人は少なくないが、それは反対の立場の意見を読むことにより揺らぎやすいものであることが分かった。また財政赤字に対する考え方により、専門家の論考のうち参考とする論点が異なっており、財政赤字を心配していない人は財政赤字を楽観視する論点を、危機的と感じている人は財政規律を重視する論点を選んでいる。
最も多くの人が選んだのが、「国債残高を無限に増やせるわけではなく、財政の持続性は確保しなくてはいけない。」と「現在の国の財政状況は、税収と公共サービスへの支出が、全然つり合っていない状態だ。これ以上は将来へのつけ回しに頼れない。」の2つであり、ともに財政規律を重視する論点である。
逆に参考になったとした人が最も少なかったのが、「日本の通貨である円は日本銀行が作っているので、政府の資金が不足したら、日銀がお金を刷ればよい。」と「日本の国債残高はほかの国よりも大きいが、それを今すぐ減らすべきだとは言い切れない。」の2つで、ともに財政赤字を楽観視する意見である。
また、政治・政府への不信が強いことが両者に共通している点は興味深い。
財政赤字は心配ないと考える人は、政府が国民に負担を求めていることに疑問を感じている一方で、財政赤字は危機的水準と考える人は政府が無駄遣いをしていると考えており、不信の要因はそれぞれに異なってはいるが、ともに政府の言動を信じていない。
日本において政府への信頼が国際的に見ても低いことは知られているが、本調査でも、国の政治への信頼はかなり低いという結果が出ている。
MMTに対する強い不信感
財政規律を重視する岩本教授の意見に賛同する意見が目立つ一方で、主な批判対象となったのが井上智洋・駒澤大准教授が示した「インフレにならない限り、財政赤字がどれだけ膨れ上がっても問題ない」という現代貨幣理論(MMT)だ。
多くの参加者が財政規律についてよく知らないというグループだったため、理論的な批判は出てこなかった。しかし、「赤字が膨れ上がっても問題ない」という主張に違和感を持つ人が続出した。
「お金を刷ればいいというのは、できればうれしいが、こんなに簡単には行かないのが世の中」(30代男性)という心理的な拒否感を訴える声のほか、「財政の規律を乱してしまう」(50代男性)と放漫財政への懸念、また、「コロナでダメージを受けている。これまでインフレがなかったにしても今後はどうだろう」と新型コロナウイルスによる国の状況悪化を指摘する声もあった。
また、みずほリサーチ&テクノロジーズの門間一夫氏の「個人や企業が持っている資産の額は、政府の借金の額を上回る」というコメントに対しても、「個人や企業の資産は国のものではない」などと指摘する批判的な意見が複数出た。
ほぼ全員に共通した「無駄をカットする」というのは財政規律の問題というより、政治の前提だ。
財政規律を守るべきである、と考えるのであれば、現状を鑑みて、大幅な支出カットや増税の議論は不可欠なはずだが、その論点を司会(古田)から提示をしても、そこに踏み込む議論はほとんどなかった。
それでも、岩本教授の財政規律論に支持が集まったのはなぜか。3人の意見を引用する。
自民党を支持してきたという40代男性はこう述べた。「本当を言うと、ちょっといいときには増税する、悪いときにはちょっと減税するぐらいのバランスを取ってやってくれたらなと今までは思っていたんです。そうしたら、ずっと失敗をしてきたじゃないですか。
アベノミクスにすごい期待をして、結果、賃金だけが上がらない。ですから、やっぱり最後の意見は消極的にC(財政規律)なんです」
また、30代女性はMMTや個人や企業の資産は国債残高を超えているなどの専門家コメントに対して、「赤字があっても大丈夫という考え方と思う」と感想を述べた上で、こう指摘した。
「理解ができていなくて、えたいの知れない不安がある。だから多少のサービスの制限とかがあっても、やっぱりC(岩本教授の財政規律論)に寄せられてしまう。多分、分かりやすいからなのかなと思うんです」。
その上でこう付け加えている。「増税や自分が使っているサービスがなくなることになると、社会一般的には反対運動が起こると思うので、そう簡単には実現は難しいと思いました」
より率直に、諦めに近い境地を語ったのは「現状維持」と述べた40代男性だ。
「諦めたらあかんのじゃけれども、もうわれわれの世代ではきっと変わらない」とグループインタビューの終盤に吐露した。
行政サービスカットや増税に結びつく財政規律論に支持が集まったのは、この3人が口にした政治への失望や不安が背景にあるのではないだろうか。
昔の彼女からそういう言動取られたことあるけど(もちろん状況境遇色々違うので一概に同じとは言わないが)、言われた側としては「関係性を終わらせることを盾に自分の都合を通そうとしている」としか認識できない(だからパートナー氏は「本当は何を言いたいんだ、何に困っているんだ」と確認しているわけだが)。恐らくパートナー氏は「思っていたよりダメだったな。もうちょっと負荷かけないように配慮しないと付き合い継続できねーわ」と認識を新たにしていることであろう。その上でパートナー氏が付き合い継続するか絶つかを選択するかは知らんけど。
まあ心身のコンディションがそれなりに安定していて波の少ない人じゃないと同居してると疲れることが多いのは確かだな。
お前さんと一緒くたにしないでくれ