はてなキーワード: 能天気とは
MCUの新作で「ワンダの扱いが悪い」「女性キャラばかりステレオタイプ化されてる」ってフェミが怒ってるけど
ソーは男だし一応ビッグ3なのにずーーーーーーーーーーーーーーっとめちゃくちゃ扱い悪かっただろ
単独作ではちょっと改善されたけど、本編では故郷の星はなくなるわ弟死ぬわ固有武器を他人に使われるわ彼女にフラれるわデブるはアル中になるわ、製作陣に嫌われてんの?ってぐらい酷かっただろ
そのくせ陽気な能天気として書かれて「マッチョイケメンは頭空っぽ」っていうステレオタイプばりばり
女で同じ扱いのキャラがいたら炎上なんてもんじゃすまないくらいの扱いを受けてるけど、大して批判もされてない
「女性キャラだからこんな酷い扱いを受けている」なんて見方が偏りすぎだし、単に自分が気に入らない描写をフェミニズムと絡めて燃やそうとすな
各方面からボロッカスに非難されてるキャリアモデルの対応バンド問題に関してWGの情報が出てきたが
個人的な感想としては「そりゃそうだよなぁ」という感想しかない。
スマホを調達するMNO側としては別に高機能である分には構わないが、要件ではない仕様に余計な金なんぞ出せない。
スマホ製造する側がコスト圧縮のために共通モデルを流用するなら好きにすればいい、という話だ。
そして、スマホを製造して販売する側としては、「搭載した機能に関しては検証しておかなければならない」という事のコストを
自分たちだけで持つなんてやりたくないから機能自体を削るのだ。
この状況でキャリアモデルで全バンド対応を必須という話にしてしまった場合、キャリアモデルは存在意義を失うので
金額の大きな専用モデル製造発注ではなく、MNO各社はSIMフリーモデルを必要な分だけ都度発注する形に変わるだろう。
端末製造メーカーが確保できる金額が大幅に目減りするわけだ。人口が減っていく日本国内で
その損失を埋める程SIMフリーモデルが売れるなんて能天気な予測を立てるメーカーなどいないだろう。
そうなると、今までMNOが個別に負担してくれていた製造コストが全部SIMフリーモデルに乗っかる形になる。
一定数の発注も期待できなくなるのでそもそも日本向けの販売はしない、という判断をするメーカーも出てくるだろう。
もし国内販売を継続するという判断をした場合でも、これから先人口が減って需要の先細りが確定してる日本限定の機能、
Xperiaですら海外ハイエンドモデルはFelica非対応だから、他メーカーだってそうなる。
それらのデメリットと引き換えに「通信キャリア乗り換えが楽になる」というメリットを得ることが果たしてユーザーにとっての利益といえるのだろうか?
総務省がどんなに頑張ったとしても、端末メーカー側での全バンドでの動作検証にかかる人的コストはどうにもできない。
需要を支える人口が増えていくならまだ需要増を見込んでなんとなかった可能性もあるが、国策で人口が減っていく現状では無理だ。
そんな状況でもFelica対応を全世界向けモデルで実装しているiPhoneの凄さがより明確になってしまうのは皮肉なことだ。
スマホの国内全バンド対応に関するコストをユーザーが負担する覚悟があるんだろうか?
総務省の割引規制でハイエンドモデルが売り上げランキングから姿を消したのを見れば、
価格上昇した端末の売り上げがどうなるかなど火を見るよりも明らかだ。
馬鹿正直に全バンド対応したとしても、値上げは国内ユーザーに受け入れられず、値上げして売り上げ減らして撤退するか
値上げせず損失を被って自滅して撤退するかのどちらかしか道はない。
体力のあるメーカーはローエンドモデルに日本独自の機能追加をしてSIMフリーモデルを売ってくれるかもしれない。
ミッドレンジモデルもキャリアのケツ持ち前提でスタートする事例が増えてきたので海外モデルの横流しですら入ってくるかどうか微妙だろう。
ただ、製造メーカーの公式参入ではなくて、モノ好きな商社が独自に個別モデルの販売代理店になる事例は今でもあるので
小説家志望の駿は、沖縄の離島で親戚のおばさんの営む宿に間借りして住み三年になる。彼は、毎日独りで海を見つめている男子高校生が気になって仕方がない。男子高校生の実央(みお)は孤児で、いまはよその家に世話になっているというが、その家には帰りたくなくて海を眺めて時間を潰しているらしい。
駿は実央に一目で惹かれてしまったのだが、実央は駿が自分を憐れみの目でみないところに惹かれていた。
だが、実央は本島の施設に移り、そのままほぼ音信が途絶えてしまった。ところが三年後、大人になった実央は駿のもとに帰ってきたのだった。
以前、続編の『春風のエトランゼ』を前提がよくわからないままなんのこっちゃと思いつつ読んだけど、こういう話だったのか。なるほどねー。
『春風の―』を読んだ時にも思ったが実央が攻めで駿が受けなのが意外だ。でも、商業BLでは年下攻めというのは案外多いらしい。攻めが未成年の場合はとくに。
絵が隅々まで綺麗でいいけど、絵に誤魔化されている感があるというか、素敵なシーンばかり見せられている感があるというか。ゲイの苦悩葛藤がなんか取って着けたように見えて仕方がない……。実央の「ノンケだけど駿のこと好きになっちゃったから大丈夫!」っていう能天気さが、ファンタスティック過ぎて私は着いていけないのかもしれない。
それに、北海道出身という設定の駿が家の為にゴリゴリに古風な祝言上げるところだったとか、元婚約者の桜子さんの大正浪漫と昭和レトロの中間的なお嬢様ぶりなところとかなー。北海道ってそんな旧態依然としたお土地柄なの? そうとは聞いたこと全くないのだが。結婚式は会費制くらいのことしか知らんけれども(そのさばさばした印象がつよいのか)。
個人的にはあまりハマれないなこれ。絵は綺麗でかわいいけど。(だがむしろ作者は百合の方が描きたいのでは? というくらいに脇役がめたくそ百合百合していた。メインのBLが霞むくらいに。そこもハマれない原因のひとつかもしれない)
今ならシーモアで丸々0円で読めるよ!
短編集。男子中学生たちを主人公にした、耽美でレトロな物語。ちなみに、『紺碧』と『紺一点』は単行本『紺極まる』に続いている。
長野まゆみ先生の持ちネタが詰まっている。水琴窟とかバードベルとか義兄に恋しちゃう義弟とか。同じネタを使って毎度似ているようで違う話を作り出すのすごい。ストーリーの内容がどうとかいうよりも、物語のバリエーションと文章構成の素晴しさに感動してしまった。
瓜はめば子等思ほゆ栗はめば況して偲はゆ
と、山上憶良の長歌の出だし部分が引用されているのを見て、『左近の桜』の『瓜喰めば』の章を思い出したので、再読してみた。↓
主人公の桜蔵(さくら)は、男と男の忍び逢う宿〈左近〉の長男で高校2年生。彼はゴシックな体質を持っている。というのは、彼はこの世ならざる者を拾い、交わることで相手を成仏させてしまうようなのだ。そんな彼のことを、父の柾(まさき)や〈左近〉の常連客の浜尾は〈女〉と呼んでからかう。桜蔵は年上の女ともだちがいて男には一切興味がないので、〈女〉呼ばわりは不本意だと憤るのだった。
これは桜蔵がこの世ならざる者達に引かれ、此岸と彼岸の境目を彷徨う、妖しくで耽美な短編連作集。
夏休み、父の柾に連れられて弟の千菊(ちあき)と共に池畔の別荘地にやって来た桜蔵。父との夏休みを満喫する千菊。一方、桜蔵は柾に雇われ高額のバイト代目当てに雑用をこなす。
柾と千菊が出かけている間、バンガローの掃除に勤しむ桜蔵。彼の前に不器用に西瓜を売り歩く男が現れて……。
瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ
章のタイトルにこの歌を冠した通りに、柾が息子を可愛がる話なのだが、ただし柾がかまう相手は実子の千菊ばかりだ。柾の実子ではない桜蔵は柾から息子を息子とも思わぬような扱いをされているが、桜蔵も柾とは血縁関係のないことをわきまえ雑用アルバイトに徹している。……という、そのわきまえっぷりが地の文に長々~と書かれているんだけど、これだけわきまえてますから! とばかりに書かれると、負け惜しみに読めるw 桜蔵が実際に弟にやきもちを焼いて当たったり父に文句を言うような場面は、シリーズ中に一度も出てこないのだが。
桜蔵にとっては柾は単なる父親というよりは父性あるいは大人の男という概念が具現化したような存在であって、血の繋りがない事なんて大した問題ではないらしい。だが、血の繋りがないだけに、父性への憧れがなんかこう、恋心めいているように見える。
この章でもまた、桜蔵はこの世ならざる者に魂を抜かれて危うく死にかけたが、彼は窮地を柾によって救われたのか、桜蔵の欲求がそんな幻覚を見せただけのかは曖昧だ。
「(死人に)喰われたくなかったら、蛙のふりでもしてろ」
と桜蔵に言う柾。これは、
人来たら蛙となれよ冷やし瓜
という、小林一茶の俳句からの引用。これを私は、さすが風流なことを言いますなぁ、くらいにしかずっと思っていなかったのだが、今回再読して思った。瓜にそんな事を言い聞かせるのって何故? →自分が食いたいからに決まってるじゃん。
誰かが来たら蛙のふりでもしてろ。あとで私が食ってやるからさ(^_-)
激しく萌え散らかした。(だが、送られた当の桜蔵がそういう意味で受け取りときめいたかキモがったか、あるいは意味わからんと首を傾げたかは謎のまま、物語は終わってしまった)
後に、何章だったかで柾は選ぶ権利は〈男〉ではなく〈女〉にある(柾ほどの男でも〈女〉から選ばれなかったこともある)と言う場面が確かあった。選ぶ権利は〈女〉である桜蔵にあるからといって、俳句なぞ送ってアッピールしたろというのが柾の魂胆なのか、単に桜蔵をからかっただけなのかは不明だが、個人的には前者に賭けたい。
次はついでに読んだ第4章『骨箱』。
第3章にて謎の男の手により背中一面に蝶を転写されてしまった桜蔵だが、いまだに蝶を消すことが出来ないでいる。学期末となり秋の修学旅行の費用を支払わなくてはならないので、桜蔵は背中の診察もかねて柾の診療所を訪れる。旅費を出すことを二つ返事で了承した柾が桜蔵に手渡したのは、現金ではなく〈骨箱〉という銘の徳利と手書きの地図。柾は桜蔵に、〈骨箱〉を質屋〈八疋〉に売って金を工面しろと命じる。桜蔵は地図を頼りに〈八疋〉を探すが、たどり着いたのは「望月」と表札のある民家で……。
この章に登場するチャラ男の幽霊は桜生(さくらお)じゃないか。桜生かもしれないと思ってはいたが、かもしれないじゃなくて明らかに桜生だった。なんでそんな事も読み取れなかったの過去の私……。
桜生とは、桜蔵の戸籍上の伯父であり、過去に柾と付き合っていた人でもある。『左近の桜』の続編『咲くや、この花 左近の桜』で初めて名前が登場する(その時は高校生時代の容姿で桜蔵の目の前に現れる)。柾がちょっとひねくれた男を好んで愛人にしがちだということが他の章で書かれていたが、桜生もまたちょっと、いやかなり癖のある人物だ。後に、桜生に男を寝とられた〈女〉(生物学的には男性)が、桜生への報復として柾を寝とり返すというエピソードがあったりするくらい。
桜生のもとへ桜蔵は柾から預かった「桜生の形見の品」を持って訪ねて行くことになったので、桜蔵は柾の差金で桜生と出会わされたと読んでもいいのだろうか。
なんの為に桜生に会わなければならないのか? 単に修学旅行費を稼ぐためばかりじゃなくて、桜蔵の背中に転写された蝶を消してもらうためだろう。
桜蔵が桜生のもとを訪ねたとき、望月家の界隈では水神祭が催されていた。また、望月家の庭には水神の井戸がある。『左近の桜』シリーズに登場する〈男〉と〈女〉が水神に関する何かだというのは『その花の名を知らず 左近の桜』で書かれていたので、水神祭の日に桜生が現れるのは偶々ではなさそう。
ということに気づかず読み流していた私の読解力やばすぎ。もっと落ち着いて丁寧に本を読もう、と反省。これまでの人生で読んで来たその他の本も大いに誤読してたり理解してなかったりしそうだから、あとで再読してみようと思った。
桜蔵は桜生と出会い言葉を交わしてそれ以上のこともするが、桜生のほんとうの相手である柾は桜生を見ることも出来ないらしいというのが、切なくていい。
浮気者の若旦那とその新妻の両方を狐が美女・美少年に化けてだます話。
泉鏡花の文章って私にとっては古文の範疇なのだが、古文というほどに現代語とかけ離れてはいないせいで現代語訳がないので、調べながら読むのが難しい。だからとても苦手。それで、『長野まゆみの偏愛耽美作品集』のページをめくる手は『狐』のとこで数週間止まっていたのだが、せっかく買ったものを積んでおくのもなんだから、頑張って読んださ。七ページしかなくてよかった。『海神別荘』みたいにくっそ長かったら辛かったから短くてよかった。
ちなみに、『海神別荘』を辛い辛いおめきながら読んだのは、『シャングリラの鳥』(座裏屋蘭丸)のなかで語られるおとぎ話の元ネタがそれだったから。あーなるほどと思った。
『狐』に話を戻すけど、耽美だからすごいというよりはオチが面白い話だった。
その他に『僕らの地球の歩き方』(ソライモネ)も読んだけど、これはあとで気が向いたら感想を書こう。Kindleでプライム0円で読めるよ!
良くも悪くもスニーカーの似合う女だ。
そしてそのスニーカー女は私に会うと2回に1回は転んだフリをして飲み物をかけてくる。
クリームは拭いても拭いてもなんとなくべたっとするし。
会話をした時間はこの一年で3分以下なのに、私が虐めている事になっている。
陰キャだから親しくない人と話したくなくて黙ってるだけなのに、あの人に威圧されていると泣くスニーカー女が憎い。
ハイヒールをやめて、アクセサリーをつけるのをやめれば?と言われたが、それがないと人前に出る勇気が出ない。
「それ本物ですかぁ?」と言ってブレスレットのチェーンを引っ張ってきたことがある。
チェーンがちぎれると思って怖くて振り払えなかった。
なぜか相手が転んだ。
かけられた紅茶はとても熱かった。
彼は流石に私を心配した。
「同じの欲しくて」と言ってペアリングそっくりのデザインを買ってきた。
三人でお揃いになった。
その日も私は黙っていた。
腹が立ったので、その日はかけられそうになったホットコーヒーを相手に押しやって相手がずぶ濡れになった。
一ヶ月後には私がスニーカー女にした虐めエピソードの一つになった。
彼氏は能天気だし、皆もわざと耳に入れないようにしているので私がスニーカー女を虐めているという噂を知らない。
スニーカー女をよく転ぶ友達だと思っているし、私にはもっと地味な服を着て人と仲良くなってほしいと思っている。
そんなちょっとアホな彼氏がかわいくて仕方ないが、彼女が飲み物をかけられているのに相手を疑わないのはちょっと嫌だ。
まんぼうが終わったらまた集まりがある。
病気の治療のために、薬を飲んで生理は止まったのだと友人が言う。
結婚しようと言ってくれる人はいるけれど、その人は子供が欲しい人なのだ、と彼女は言う。
今の時点の彼は、子供は授からなくてもいい、結婚しよう。と言ってくれているけれど、親せきの子供を
とても可愛がっている姿を見ると、そのうちに子供が欲しいと言い出すに違いないと彼女は言う。
その時、捨てられるのが怖い。それくらいなら、今別れておくのが得策なのだという。
彼女の病気は遺伝する可能性もあって、彼女は自分と同じ苦しみを味あわせるなら、
子供を持ちたくないのだという。一人で生きていかなければならないのだ。そう言う。
子供ができなくてもいいから!と結婚したって、……うん、心変わりはあるかもしれない。
だけど、できるかもしれないよ。って第三者の私は思うのだが、
自身の不妊のために離婚することになった人の話を聞くと、能天気すぎるかもな、って思う。
子供が欲しいって辛いなあ、と思う。
結婚して子供を産んで、ってそれも叶わない人が世の中にあふれかえってる。
デート=初デート(相手を品定めするという思考)に繋がってしまう婚活民と、
デート=ツレと飯食うくらいの日常である恋愛上級者、または長年連れ添ったパートナーがいる人の差だよな。
日々相手を値踏みしていたり、デートが騙し騙されの気の抜けない戦争である婚活民にはあの絵を女が試されているように見え、腹が立つ。
一方恋愛上級者たちは何か可愛らしい絵がバズってるな、くらいの感想しか持つことができず何怒ってるの?とパロディ写真にイイねしたり自分たちでパロディ写真を撮りに行ったり楽しんでいる。
婚活民はそんな能天気な恋愛上級者の反応を見て腹が立ち更にヒートアップする。
そもそも婚活民にとってはデカい火だったのに、こうして更に火が大きくなっていったんだろうな。
婚活民も場数は踏んでるんだろうけど、それが全部戦争という名の初デートやそれに準ずるデートばっかでどれだけデートを重ねても恋愛上級者のパートナーとの日常デートにたどり着けないから、恋愛上級者の言うデートの概念を全く理解できない。
一方恋愛上級者もデートに対する感覚が違いすぎて婚活民のデートが戦争という感覚が理解できない。
互いに住む世界が違いすぎるから、相互理解が進むはずもなくただただ火が大きくなる。
反応の違いに恋愛格差が如実に現れていて、なんか辛いなって思いながら一連の流れを見てました。
しまちゃん家にはパパが二人いる。能天気でマイペースな茜パパと、理性的で優しい葵パパだ。
そんな二人に愛されすくすくと健やかに育ったしまちゃん。ところが、授業参観の後、パパが二人いてママがいないなんて変だとクラスメートに言われてしまう。
「変じゃない」と言い返したしまちゃん。だが、しまちゃんは自分の家族に何の不満もないものの、茜パパと葵パパがどうして結婚したのか、ふと疑問に思ったのだった。
授業参観の帰り道にパパ二人に疑問を投げかけたしまちゃんに、茜パパが葵パパとの馴初めを語ってくれた。そう、初めての出会いは、葵パパの「秘密基地」で……。
オメガバース作品。オメガバースとはなんぞ? というのは、ググれば私の説明よりもよっぽど解りやすい図解がいくつも出てくるので割愛。
私は普段、ツルツルテカテカな絵柄のビーボーイコミックスってあまり読まないんだけれども、表紙が助平じゃない作品は当たり率が高いという個人的観測により、試し読みを読んだ。そしたらパパ達の過去話の出落ち感が気に入ってしまい、購入してしまったという次第。実際のところ、わりと当たりだった。
オメガバース設定の作品は性質上悲惨になりがち……特にΩのほうが。そして悲惨な暮らしぶりのΩが理解のある彼くんに出逢って幸せになるというのがよくあるパターンのようだ。
だが、本作は型破りなストーリーだった。つまり、野性の本能に振り回された挙げ句の不幸展開ではなく、αもΩもそれぞれ本能を抑え着けてお互い相手を気遣って着々と幸せになっていったという、そんな結婚生活の序章話。
このご時世なんで、なるべくポリティカルコレクトネスに配慮したストーリー構成なのだろうか……。BLという時点で男性同性愛者の性的搾取だろけしからんと言われたら終わりだけれども。まあ、Ωが一方的にヤられて不幸になる話よりはストレスなく読めていいと思った。
茜と葵の若い頃に使っていたガラケーの型からして、彼らは00年代半ばくらいに高校生だった模様。ということは、現在は見た目は若いけど30代半ば。で、娘のしまちゃんが小学校低学年ぽいので、彼らはガチで計画的人生を歩んできたことがわかる。芸が細かい……。
とはいえ、エロシーンはエロい。別にエロがエロいのは悪くないけど、個人的にあんまり受けが派手にトロ顔するのは好きじゃないんで、そこだけは微妙と思った。
あ、これはネタバレになるけど、彼らはちゃんとゴムは着けていたというのが後のページに書かれていて、そんな後出し設定をだされてもなと思いつつ、ページを遡ってみたら、ほ、本当にゴムして致している!? それを修正が入らないように描くだなんて、なんつう芸と配慮の細かさなんだ……。半端ねぇ。
オメガバース設定はその性質と物語のよくあるパターンから、ずっとBL読みからも批判され一部からは嫌悪されて来たのだけれども、批判される部分を全て排除した作品も出て来るとは……。これもまた業界の自主的表現規制のたまものかと思えば、良し悪しだなぁ。そもそも、女性向けの作品で今時は古風な嫁入り譚とかが書きづらくなってきたというのも、オメガバース等特殊設定が流行った原因の一つだと思うので、オメガバまでクリーンになると行き場のない物語の受け入れ処が更になくなってしまうのでは。
この世ならざる者をホイホイ拾い、しかもまぐわうことで相手を成仏させるという特殊スキルを持った若者・左近桜蔵(さこんさくら)を主人公とした短編~中編連作集。シリーズは『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』『その花の名を知らず』の全部で四作品が刊行されている。
大学生の桜蔵は、父方の祖父の墓参りに行く為にバスに乗った。そこで彼はまた自分が異界に迷い込んだことを察知し身構えたが、起きたのはなんと交通事故。
そこで物語は四年前、彼が高校に上がる春に遡る。祖父の遺品を祖父の縁者に形見分けをする際、遺品の一つが函だけを遺して中身がないことが判明。桜蔵は無くなった茶碗〈ざくろ〉探しの手伝いをすることになった。桜蔵は〈ざくろ〉の手がかりを求めて、祖父の生家・白鳥家の家系を辿るが……。
『さくら、うるわし』までは幻想小説の体だったが、『その花の名を知らず』はそこにミステリー要素が加わる。といっても、殺人など事件が起きて主人公がその解決にのり出すという話ではない。テーマは茶碗〈ざくろ〉の行方探しというよりは、茶碗探しにかこつけて桜蔵と血の繋がりのない父親・柾の系譜を遡り、彼らの因縁を解き明かすことにある。
そもそも、『左近の桜』シリーズのはじまりは、桜蔵が柾に懐いた疑問、「どうして柾は子どもを持つことにしたのか」なので、今回もまたその謎に、一族の系譜を紐解くことで迫ろうということのようだ。
私はずっとこのシリーズをなんかよくわからん幻想小説と思って読んでいたので、物語にミステリー要素があるということを完全に見逃していた。なんなら、あれだけ頻繁に登場しまくる柾をただの味のある脇役くらいに思っていたりとか……。なんだかなぁ、すごい訳わかんない話だけどなんなのこれ? と。
ところが、最新作『その花の名を知らず』を読んでみて、既刊とテイストが違いミステリー要素があるのは一体何故なのかと不思議に思い、それから、万葉集などの和歌や謡曲などの引用があるのが気になった。もしかすると、このシリーズは単なる思いつきとインスピレーションで書かれた幻想小説というより、何らかの大仕掛けが仕込まれた大作なのでは? と思い付いて、シリーズ一作目から全部読み返した。ああ疲れた!
細かいことは全部省くけど、『左近の桜』ワールドには「蛇性」というかつては水神を祀っていた一族……その者達自身が蛇あるいは水神なのかも……と、その伴侶となる「女」の血筋があって、前者が柾の家系、後者が桜蔵の血筋のようだ。桜蔵の育った左近家は、何故か「女」の血を継いだ男の子を、養子にするなど何らかの形で代々引き取ってきたらしい。
「蛇」も桜蔵の血筋(おそらく、『左近の桜』に出てきた「とても長生きな蜃=龍の子ども」というのがこれだ)も長寿だというが、家系図をみれば、柾の先祖にも桜の先祖にも誰も度を超えて長生きした人物はいない。「長寿」というのは、血統が絶えることなく長く続いているという意味なのだろう。
そもそも、タイトルおよび主人公の名が「左近桜」に由来している。左近桜は京都御所にあるとても長い歴史を持った桜だが、すごく長生きな一本の木なのではなく、枯死するごとに新しい桜を植え替えて守り続けて今に至るものだ。『左近の桜』シリーズにおける「長寿」も、そういう意味での長寿なのだと思う。
まあそういうわけで。桜蔵は「蛇」の伴侶になる「女」で、彼の戸籍上の父親の柾は「蛇」だ。柾は過去に彼の最愛の「女」を亡くした模様。そこで柾は桜蔵を自分のあたらしい「女」にするべく桜蔵を育て、彼が大人の「女」になるのを待っているのか、それとも単に「女」を育てるのが自分の役目と思って育てただけなのかは、『その花の名を知らず』でもまだ不明。
まあ、柾×桜蔵というカップリングが成立するのかどうかってとこだけど、年齢差が20歳以上もあるから、どうなるんだか。
『その花の―』はストーリーの大部分が桜蔵の子ども時代の話で、柾と桜蔵が親子らしくキャッキャしているシーンが微笑ましくてよかった。それを読まされると、あーこの二人がカップリングになることは無いかもしれんなぁーという気もしてくるけども。
「猫飼停」と呼ばれる豪奢な屋敷に棲む兄弟達のもとへ、とある必然によって引き寄せられた男達のなんやかんや。
『左近の桜』シリーズみたいに深い謎があるわけではない、肩の力を抜いて読めるちょっとえっちなBL短編連作小説だったー。
猫シッターのアルバイトのつもりがセックスのポジション的な意味で猫にされてしまう大学生の話から始まったので、猫飼停に住まわされて客を取らされる話かなあと思ったら別にそんな話ではなかった。
BL要素以上に、猫飼停の和洋折衷の豪華絢爛な内装や調度を想像するのが、とても楽しかった。
今回はこれまで。最近某BLレビューサイトのくじが当たらないし、長野まゆみ先生の新刊待ちでBLに使えるお金が乏しいので、BL日照りだ……。
じゃあなおさら学ぶのはお前なんだよね……
お前が恐らく大学時代(にだけ)学んだのは、基本80年代のジェンダー論じゃないか
第三派フェミニズムとか第四派フェミニズムとかさわりしかやってないんじゃない?
男性が不公正を訴えてきたら、まずは「わかる。それも解決しないとな」だし
アファーマティブアクションとかも最初の最初から是非込みの話なのにいきなり肯定するやつらが大半で変でしょ。
ツイフェミって言われてるやつらが使ってるの、大抵、昔のフェミニズムの理屈だからね。
現に、昔と同じ、女性や若者がむしろフェミニズムから離れだすというバックラッシュの再現もあるわけ。
現在20代女の私、生まれたときから父親はサバサバ、母親は娘かわいい。
当初は比較的家族仲もよく、ドライブにでかけることもしばしば。
小学生の時に時折「(人として)好きな人ランキング」をつけることがあったが、
母親は3位くらい。なぜなら基本かわいがってくれるけど時折怒るから。
他所の子である私のことは必ずかわいいかわいいしてくれたからねえ。
しかし、遅めの思春期が近づくにしたがって考えが変わってくる。
というより、もうこれからは自分でできることは自分でやれ、という感じだった。
母親は相変わらずかわいがってくれたし、色々世話もしてくれた。
私としては父親の干渉が少なくなったのはせいせいしたなあというくらいだった。
高校入学前の春休み、遊ぶ気満々だった自分が入学説明会でもらったのは、
「受験も終わったし、春休み一杯遊んで、入学したらバリバリ高校デビューだ!」という、
自分の甘い計画は崩れ去り、現実を受け入れられないまま課題はやり切れず放置。
もちろん成績はどん底に陥り、課題と成績のダブルで担任にどやされる日々。
担任は普段の圧力がウソのように、丁寧に優しく話をしてくださった。ケッ。
あと父親には後で成績表を見られてバレた。クソ叱られた。
後期で受かった隣県の駅弁に進学。これは高校の厳しい英語教育のおかげだった。
エリートコースを望んでいた父親には不満かと思ったが、特別何も言われなかった。
しかしここで何かが狂い始めた。
それ前提で受験したはずの自分は、片道2時間かけて通学する羽目に。
春期課題こそあるわけなかったものの、やはり大学デビューを計画していた私は、
友人のつてで現地のクソ楽なバイトも始めていた。
県外から通学している人も珍しくないので、そんなものかと思っていたけど、
一方で近くに一人暮らししている人が羨ましくて仕方なかった。
通学時間さえなければむしろ、定期券と家賃の差分くらい追加で稼げるのになあと思った。
リアルがそこそこ忙しくなりつつ、当時はやり始めたTwitterを通しての交友も広がった自分。
授業に出るのがダルすぎて自主休講し始める。いやそれだけなら計算づくでやってたからいい。
高校までは叩き起こされていたし、欠席しようものなら学校から連絡が来るだろう。
しかし大学では時間割がまばらな上に、先生も何も言わない。それがよくなかった。
寝過ごしによって必修の単位を落とし、とうとう留年が決まってしまった。
それはもう怒られた。それも母親に。留年分の学費は出せ、稼げるバイトをやれとどやされた。
震えながら片っ端から電話を掛けて、友人からブラックと聞いていた業種に飛び込んだ。
正直死ぬ気だった。当初のバイトからも手を引き、サークルからも自然消滅した。
半年間あまり授業を入れていない間に、大学の友人知人関係も消えてしまった。
こんな事情でブラックに飛び込むのも恥ずかしいと、ネット上の誰にも言えずアカウントも消した。
それなのに今更になってよく増田なんて書いてるねえ私。
もちろん留年なんてしたやつが悪い。両親に負担かけて申し訳ない限りだ。
母親に怒られたとさっき書いたけど、父親はショックを受けたのみだった。
春休みにひきこもる私に対しては、サバサバと、しかし優しい言葉をかけてくれた。
あれ?怒らないの?と思った。やらかしたら必ず怒られるものだと私は思っていた。
高校時代に放任主義になったせいもあるのだろうけど、父親の態度は軟化していた。
悪く言えばあきらめをつけられたのかもしれない。しかしそれでもありがたかった。
それでいて必要なことは色々と声をかけてくれる。連絡も事務的だった。
これからについて助言もしてくれる。相変わらずダメなことはダメと言ってくれる。
一つの原因は、高校入学時から私の体重が増えてきたことだった。
正直母親はスリムで美人だ。だからこそ私のことが許せなかったのだろう。
そのうち「お前みたいなデブは気持ち悪い。無理。」と言われ始めた。
当時理解できなかったのは、その「気持ち悪い」娘を普段はかわいがることだった。
私が朝起きたときの母親は、笑顔で娘をかわいがるか、しかめっ面で悪態をつくかの二択だった。
それが無意味な憶測であることに気付いたのは、私がハタチを過ぎてからだった。
以前のようなネット上の交友関係を捨てた自分は、かわりにまとめサイト等に目を通すようになる。
2chやらなにやらで男女間・夫婦間トラブルを扱うコンテンツを見始めた。
女性がまあまあバカにされるのは多少あれだったが、どちらかといえば確かに醜いなと思えた。
その中でもステレオイメージとして強かったのが、女はヒステリックな生き物という概念。
気に入らないことですぐギャーギャー言う、その機嫌に他人は振り回されるものだという認識。
思えば自分も昔はひどかったし、両親や周りの人には相当な迷惑をかけたことだろう。
しかしそれも子供時代の話。様々な人に触れていくにしたがって、私は自分の醜さを自覚しつつあった。
一方で母親のそれは悪化してきている。自覚があるのかどうかもわからない。
年を取るごとにしたがって、大人になるどころか子供に近づいているようなものだと思うと、
自分の中で一気に、母親という大人に対する失望が生まれ始めた。
顔を合わせるたびに態度が違うのも「機嫌ガチャ」だと認識できるようになった。
いやむしろただのガチャはない。だんだんと機嫌が悪い時のパターンが見えてきた。
朝から家事(という名の自己満足な模様替え)に追われているとき。
午後からパートが控えているとき。(とくに出かける前のアワアワは毎度のことだった)
その他大事な予定が控えているとき。(ひどいときは遊びの予定ですら予定時刻に焦っていた)
あともう一つあった。娘のことが心配なあまり悪夢を見たというとき。
自分は能天気なので悪夢はまず見ないが、悪夢を見たときのショックがあることは古い友人から聞いていた。
不安なあまりすがられるようなことがあったら自分も何とかしようと思えたかもしれない。
しかしそこで取る態度が「お前のせいで私が眠れない(怒」である。
愛想をつかしていた自分は内心(不眠症は病院行け)としか思えなかった。
というか後に実際に病院行ったらしい。うつ状態との診断をもらってきたとか。
でも「忙しくて薬もらいに行くのめんどくさいw」とか言ってきちんと通ってない。
そのくせ家の中は1か月ごとに模様替えされるのである。暇だなあ。
一方で、私は自分の中にトラウマがあるのではないかと疑い始めた。
遡ると小学生のときから、色々な大人から頭ごなしに怒られた経験がうっすら残っている。
このころにまず「誤解というのはとてもしんどいものだ」という経験則を得る。
それから母親にも一度だけ、わけもわからず怒られた経験があった。
普段の娘かわいいの態度からの豹変ぶりに、当時の私は戸惑うしかなかった。
「好きな人ランキング」で3位だったのは、この記憶があったからである。
おそらくこのころにはすでに「怒られると本能的に萎縮する」ようになってしまった。
そして怒られるのが怖い→隠蔽や逃亡の癖がつく→それがバレて怒られる→怒られるの怖い、
という負のスパイラルを、子供のうちに無自覚に起こしてしまっていた。
だから高校の時の担任が態度きつかったのは地獄に思えたが、しかしそのおかげで無事に卒業できた。
私は教師の怒りによって適切な方向にコントロールされていたのである。
それに気づいたのが、大学でさんざん落単してからのことであった。
当時の同級生から聞いた話によると、氏が担任を退いたあとに出会ったそうだが、
今のイチローのようにすっかり白髪交じりになった頭で、当時を穏やかに振り返っていたらしい。
彼は生徒のために厳しい態度を貫いたのであった。それを誰にも言い訳しなかった。
心を鬼にするというのはそういうことなのだろうと思った。
子供時代からわけのわからない怒りにおびえる私がそれを受けていたら?
トラウマを増幅されただけでなく、そもそも植え付けられた原因でもあるとしたら?
それを本人に言い出すこともできなかった。
落単を勘弁してもらえなかったのも私が先生に顔合わせる気にならなかったからだし、
自分のミスを申し出ることができずに被った不利益もたくさんあった。
もう面接に出る気力もなくなっていた。ただただ叱責が怖いばかりに。
このままではいけないと思った私は、少しでも自分で自分をコントロールしようと試みた。
怒られるのが怖いのは仕方ない。でもやらなきゃいけないことは覚悟を決めよう。
それよりも黙っていて、野放しにしていて被る不利益をきちんと計算しよう。
そうして徐々にではあるが、方向性を変えていけたような気がする。
ブラックと思って飛び込んだバイト先は、労基の指導でガラッと変わっていた。上司も同僚も優しかった。
大学もうまいこと授業を選んでなんとか通い終えた。学生の味方をしてくれる先生がありがたかった。
一回り上の友人の紹介という安心感を経て、新たな就職先も決まった。一人暮らしになるよう協力してくれた。
なにより古い友人は自分の不甲斐なさをそれとなく咎めつつ、それでいて優しく相談に乗ってくれた。
自称進学校を出たからこそ、合理的で頭のいい友人たちを持てたことは本当に感謝している。
いや、正確には切るつもりだった、が。
流石に恩が大きいのと、まあ娘が心配だから定期的に訪ねてくる。
当初は自分のテリトリーを侵害されて…と思った。実家時代からずっと思ってた。
しかしこの肉親とたまに会うだけの、コントロールから解き放たれた関係が、案外心地いい。
「あれだけウザかった両親と、離れて暮らしてみると意外と仲良くなれる」
「学生時代は反目しあっていた両親にも、今は会ってやりたいと思えている」
本当にその通りなのかもしれない。そして彼らはそれだけ大人であった。
ともかく今はあの頃のように一人胃を痛めることもなくなってきた。
仕事の理不尽は遠慮なく友人に愚痴れるしね。いやそうそうないけど。
むしろ一見アレな人にもこんな悩みがあるんだなって、社会人になってわかり始めている。
自分もようやく大人になりつつあるのかなと、恥ずかしながら思う。
あとあまり音沙汰ない父親にもどこかで何か言ってあげないと。彼らしいなあ。
ここまで書いてみると、やっぱり当時の自分はどれほど身勝手だったかとは思う。
これを読んだ人からもまたお叱りを頂戴するんだと思う。怖いなあ。
しかし一方で、当時の苦しみが偽物だったとも思わない
そしてその解決策が究極的には「離れること」だったことは間違いないと思ってる。
ニートだのひきこもりだの、毒親だの親ガチャだの、家庭内不和の話はいくらでも聞かれる。
もう既に、家族は無条件に仲良くするもの、できるものという認識でもなくなってきている気がする。
父親が失業からヒモ化したことがあって、一時期は離婚も考えたらしい。この子にしてこの親あり。
しばらくは両親が顔を合わせるたびに母親がきつく当たっていたが、
父親が祖母の介護で実家に移ってからは、たまに会うだけの関係になって比較的マシになった。
それでも夫婦としては冷めっぷりがひどく、まとめサイトと合わせて結婚というものに悪いイメージがついた。
今の私にも、結婚はおろか付き合ってもいいと思うほどの距離感の人はいない。
むしろ親友がイケメンすぎるので結婚したい。彼女も異性とは色々あって独身だ。
一回り上の友人に至ってはさんざん手のかかった奴にふと愛想つかしてバツ1である。
そんな自分もいずれはそれを考えるときがくるのかなあ。くるといいなあ。
自ら望んで距離を詰めた相手と不仲に陥るなんで皮肉だなあと思う。
ましてや、たまたま同じ一つ屋根の下に産んだ産まれただけの人間たちが仲良くできる保証なんてない。
誰が相手だろうと、人間関係において大事なのは適切な距離なんだと、ただただ痛感する日々である。
だから、一緒にいて心がしんどくなる人には、ソーシャルディスタンスをとるべき。
これが天の恵みと感じるような生活してるなら生活保護を申請しろ。
そうでないなら多大な経費を無駄に浪費するだけの愚策でしかない。
能天気なボンボンが配った10万は景気高揚も貧困救済もできなかったよ。
それでもみんな「あいつらだけずるいぞ!俺にもよこせ!」って喚く。
手元にたった10万来るためだけに何十億、何百億が無駄になるのか。
殆どの人が近視眼的にならざるを得ない程、日本という国の閉塞感が増してきてるんだろうな。
今国債で調達して金をばら撒いたところで、数十年先に自分が払った税金がその国債に吸われて消えるって分かってんだろうか。
バラ撒く範囲を最大限広げたところで、国債の償還時期には既に死んでる老人にとっては貰い得だが、
少しだけでもその辺考えようよ。
Twitterで能天気に「AVをオカズにしないなら普段何をオカズにしてるの?」って言ってる女がいてドン引いた。
私も付き合いで無修正のを見た事があるけど、この女性がどういう経緯でこのビデオに出演させられているのかと思ったら気が重くなった。
ああ言いたい事はわかるよ、決めつけるな、自分のセックスを他人に見せつけたい女性もいるだろって?
それじゃあ何で騙してまで若い女をAVに堕とす輩がいるんだい?
大半の女はそんな事したくないんだよ。(ここに同意してもらえないならもう文化が違うのでお話にならない)
金がないとか、騙されたとか、レイプに遭って「こんな事大した事ない」と自分に言い聞かせるために応募したとか、彼氏に逆らえなかったとか、親との仲が悪くて心配させたかったとか、ちやほやしてもらう手段が体しかないとか、そんな理由ばかりなんだよ。
「人様に正しいセックスの手順を知ってほしくて」とか「自分達の最高にエロくてイケてるプレイを自慢したい」とかもあるだろうけど、大半そうだと言えるか?
だから女の方が何も気の毒にならずに楽しめる二次元のオカズを欲している、薄い本を買うオタクは女の方が多いという話には納得しかなかったのに、そのオタク女の中に能天気な人が含まれているとは。
資料とか対位を知りたくてとか好奇心が理由ならまだ良かった。まさか他人の生身のセックスなんて想像力がまったくいらないオカズを使うオタクを名乗る女がいたなんて。
以上お気持ち表明。全て自分の勝手な思い込みとイデオロギーの押し付けである事は承知の上で自己主張をしたいという衝動に駆られて書いた。