「拒絶反応」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 拒絶反応とは

2017-09-19

AKB拒絶反応が出る

もはやAKBは清楚系ではない、各々が好きなことをしてあからさまにぶりっ子している。

これはもう誰もが認めることだと思う。

これがだんだんいじめグループ所属する女集団に見えてくる。

イケメンや不良と常に行動し、いじめられっ子嘲笑うのは今のAKBのような女子だ。

から最近AKBに対して拒絶反応が出る

2017-09-18

リンダリンダの衝撃 又はドブネズミの歌と広島東洋カープ

カープ優勝のツイッターを眺めてたらトレンドに「リンダリンダ」が上がって来た。どうやらMステブルーハーツ過去映像が流れたらしく初見人達つぶやきが膨らんだらしい。曰く「ヤバイ」「この人クスリやってるだろ」「落ち着きなさ過ぎ」「障害者?」等々。まぁネガティブ。けどその衝撃を受け入れ切れない拒絶反応にも思える。

リアルタイムで見たあんとき我が家と一緒。

当時中学生家族テレビを観ていると件のリンダリンダ広島の更に奥地の田舎といえでも既に友達の間ではダビングテープが回ってきてたし先輩はコピーバンドを始めてたし、誰かがパクった吉本バナナブルーハーツ本は回し読みされてた。少なくとも自分の周りは皆パンクロックの熱に浮かされていた。で、リンダリンダ。母ちゃん「なんなん、この人、気色悪い」姉「狂っちょる」自分キチガイじゃね」 いや、カッコよかった。ぶちカッコよかった。おしっこちびった。カッコよかったと言いたかった。けど家族の手前言えんかった。火照ったまま二階に上がって布団に包まって雄叫びあげてセンズリこいた。

広島カープでは鉄人衣笠引退した。

2017-09-05

太田光が何言ってるかサッパリからない件(ドラム日野ビンタ

http://www.kansou-blog.jp/entry/2017/09/04/073456

この記事ブコメを見てると、太田共感を示してるようなコメ結構あるけど、みんな正気松本意見がどうかは置いといて、俺には太田のいうことがサッパリ理解できなかった。支離滅裂過ぎて。

太田「たいした音楽家じゃないでしょあの人」

この時点でもう無理。いきなりなぜ音楽家評価の話なる?凄い音楽家ならビンタOKってこと?

もし仮に、コイツが「暴力NG」という立場に立って発言してるんだとしたら、なおさらこの発言看過できない。失礼すぎるでしょ。ビンタNGだけど言葉暴力OKって言いたいわけ?だとしたらとんだダブスタだ。

太田だってコミュニケーションするのにビンタしなきゃいけないんだったら、たいした音楽家じゃないでしょ」

あの場面はどう見てもいきなりビンタから入ってるわけではなくて、コミュニケーションが取れなかった結果ビンタにつながったわけでしょ。この言い方だと日野氏が何でもかんでもビンタしてるように受け取れる。

意図的印象操作で悪意を感じるんで、個人的には拒絶反応モノなんだけど、みんななんで平気なの?

太田「じゃあ、日野さんのやったこと気に入らなかったら、日野さんのことビンタすりゃいいわけ?」

これもいきなり出てくる意味が分からない。そもそもビンタに繋がったのは中学生が気に入らなかったからじゃないでしょ。ショーの進行に支障が出るのにトチ狂った中学生が全く指示に従わなかったから。

それに、これは意図的矮小化であり、悪意を感じる。こういうのは気分が悪くなる。

太田「いや、言ってわかんなかったらビンタすりゃ良いってことは、日野さんのこれが気に入らないって人がいたらビンタすりゃいいわけ?」

言ってわからないということと、気に入らないということは別の事象。同一視するのはおかしい。意図的にやってる証拠。悪意を感じる。

太田「じゃあ例えばね、我々がお笑いでお客を笑わせたいと思ってるときに、客をくすぐっちゃうようなもんなんですよ。それやっちゃったら、それはもう自分のやってることの否定なっちゃうから

この例えは心底理解できない。くすぐるのは暴力じゃないし、親しい間柄なら別にやっても何の問題も無い。(金のないキモいオッサン女性にやると犯罪になるけど。)

話は暴力としてのビンタじゃなかったのか?なんでこんな美学みたいな話になってんの?マジで意味わかんねえ。

太田の話は一貫して、それっぽいことをその場その場でオウムのように言ってるだけで、全然話が繋がってないように思えるんだよね。だから支離滅裂に感じる。みんななんでこんなのに共感できるの?

2017-08-22

結局ジャンプ+は男社会男目線

※あまりURLを張ると色々だるいので、各自勝手検索して欲しい

何のつもりか知らないが、最近ジャンプ+でお色気枠(候補)の連載あるいは読み切りが時々見られる。

通常のブラウザではなくスマートデバイス用の専用のアプリジャンプ+を見ると、upvoteのできるコメント一覧を見ることができる。そして、コメントの傾向を見ると、直近では以下のお色気枠の漫画の評判が悪い。

一方、本日始まった "ハイリスクミッションセラピー" は今のところ好評である。この差は何か? 色々考えられるが、おそらく大きなウェイトを占めているのは "ヒロイン積極性" である

雑に言うと、不評だった漫画ヒロインは、自覚してる・してないを問わず、みんなエロいことに対して積極的である。一方、ハイリスクミッションセラピーヒロインエロいことに対して原則消極的である

まりジャンプ+を読んでる奴らのほとんどは「女性本位で性を楽しむこと」についてなんやかんや理屈をつけて拒絶反応を示す。「女は性に対して恥じらっておけ」というドレスコードでないと不快に感じるのだ。

結局これが、ジャンプ+を読んでるような奴らの正体である。「エロには(女の)恥じらいがないと」という男主体価値観自発的に性へ向き合おうとする女の自主性を認めない、勘違いした男どもである

ジャンプ+が男向けポルノであるというのであれば、それは当然のことであるので、それはそうあるべきだろう。

2017-08-21

asterpleo

サブイボ立つから珍しくNG入れたんだが

本人よりスター連打してるやつらが鬱陶しいな

なんかクロエ流儀思い出したわ

 

左翼でもフェミももー好きにしてくださいな。

>あとidコール一切見てません。

 

やっぱそういう頭の構造した人なのか

はてブはそういう層多いな

拒絶反応が凄い

2017-08-16

アイマスについて考えた

はじめに

自分にとっては、これから生きていく上で大事存在だとも言えるのが765プロアイドルである

先日にライブを終えた346プロの面々も、さわりくらいなら知ってはいるが、どうにも馴染めないクチである

キャラの魅力としては、より最近風でバリエーションにも富んでいて、知らない人が見比べれば「765プロアイドルは地味」という人もいるかもしれない。

しかしながら、自分にとっては何よりも765プロアイドルが一番であり、たぶんそういう人が他にもいると思う。

お盆に休暇を取ったもののヒマなので、いろいろ観たり聞いたりしながら、こうなったらと幅を広げて「アイマス」について考えた。


スター」について

今年の高校野球は、清宮というスーパースター選手がいた。彼はのちのちプロになり、輝かしい成績を残すのだと思う。

野球に限らず、あらゆる人気スポーツには「スター」と呼べる一握りのプレーヤーが必ず存在する。

競技のことをよく知らない人間を、まるでまんがかドラマかのような力で惹きつけ、人間を呼び集めることができる人間である

彼らは自然とそのような状態を作り、本人はただ勝っているだけなのだが、それはひとつ経済圏を生み出す。

渦巻くファン層に商売人が目をつけて、そこに広告をブチ込んでさらに大きな渦を作る。そしてカネを飛び交わせる。

いわゆるひとつバブル現象であり、今年の清宮などはこれの好例であったと言えよう(主に商売人側で盛り上がっていた気がするが)。


彼らのようなスター選手の中にも、2種類のタイプがいると思う。純粋暴力的な力でドラマを作る者と、あともうひとつである

前者は若い選手に多い。藤井四段も現在のところはこれである。彼らはただそこに在り、勝負に勝つだけで人を惹きつける。

ただ、それは得てして一過性のものである。何かのきっかけで敗北を喫すれば、ドラマはそこで終わってしまうからだ。

競技自体に興味のない、バブル層のなかで最も分厚い層を作る「競技を知らない」人々は、確実にここで去っていく。

藤井四段も、清宮も、あるいは自分が知らない間に大活躍したスター選手も、きっとみんな「あ~あの子ね」と言うと思う。

夏でもあるし、ここでは「花火型」とでも呼ぼうと思う。


後者で伏せていたもうひとつタイプは、自分自身生き様ドラマを作る者だ。

必然的に、これは歳を重ねた選手の方が多くなる。羽生善治王位も、たとえばイチロー、EVOで優勝したときどはこれにあてはまる。

彼らは自らの人生ドラマチックに生きてきた。ウメハラはたくさんの自著を持っていて、その大半が「人生観」についてである

瞬間最大風速は前者に劣るかもしれないが、継続性は後者が圧倒的に上だろう。

彼らが自分の信念に基づいて生き、たとえ負けが込んだとしても、いつか諦めずに優勝すれば前者よりも強く輝くはずだ。

イチローときどに魅入られたファンたちは、自分人生のお手本として信じ続け、彼らのことをずっと忘れない。

一見地味であっても、より強く歴史にその名前を刻むことになるのは後者人間である

こちらは「劇場型」とでも呼ぼうと思う。


765プロアイドルは「劇場スター

そろそろ765プロに話を戻そうと思う。

つまるところ、自分にとって天海春香如月千早は「後者」、「生き様で語る」アイドルなのだ

彼女らは空想上に作られた存在かもしれないが、物語というのは、事実でなくとも真実であるということに変わりはない。

物語が持つ真実の力を、現実のものと遜色ない力強さで手にしている、自分にとっては稀有存在だ。


天海春香のように、まっすぐキラキラ自分目標に向かって生きることは、どこか気恥ずかしいことだと思っていた。

如月千早のように、周囲に与することなく孤高の存在であり、自らが持つ力だけを持って世の中と戦うのはカッコいいことだと思っていた。

星井美希のように、自分にできることを程々にやり、何かひとつのことに一生懸命になることなどせずに生きるのは賢いことと思っていた。

けど現実はだいたい違っていて、自分の夢にアツい人は全員すげーと思うし、一人では限界がすぐに来てしまうし、飽きっぽい性格では何も面白くない。

765プロアイドル出会っていなければ、こういった当たり前のことに気づくのが遅かったかもしれないし、下手したら死んでいたかもしれない。


アイドルというのは「偶像」であって、それは「非現実的可愛い」だとか「彼女らが頑張るのを自分が支える(崇拝)」対象では決してない。

偶像=神の教えと言葉に従い、崇め奉るだけでは単なる「信仰」だけで完結してしまい、それはいつか「狂信」となるか「飽き」を迎えてしまう。

彼女らがファンに向けて送っているメッセージは、「私も頑張っているから、あなたも頑張って!」である自分は思っている。

ライブ課金ゲーム時間を使うという行為は、そのエネルギーや「言葉にしにくい真実」を交換しあう行為だと考える。

神というのはそもそも人間が生み出した概念であり、アイドルも同じで、決して向こう側から「与えてくれる」だけの存在ではない。

理想ドラマチックな生き方」をアイドルという「偶像」に依拠して、それを体現する者に自分から価値あるもの」を供出する。

そうしたプロセスを踏んでこそ、アイドルという存在がこの世に、人々にとって魅力的な存在であり続けることができる。


日本神様はどこにでもいて、誰からも忘れられたときにひっそりと消えるという。そのためにお祈りやお供え必要なのだ

昔の人にとっては、自分たちの食料となるもの、貴重なものを神に奉納するという行為があった。それくらい大事なことだからだ。

純粋に「異界の神」の存在を信じた人々もいたかもしれないが、それは「狂信」だと言ってよく、たびたび「非人道的な間違い」を起こす。

本質は、「自分たちを見守る存在」=「理想的生き方を守る存在」に「価値あるもの」を奉納し、その価値を高めるということにある。

自分たちの願い(神様偶像)がそこに結実していると確かめるための行為なのだ


10年代の「ソーシャル型」アイドル

要は、自分にとって理想アイドルは「劇場型」であり、「花火型」ではアイドルたりえないという話をしたかったのである

765プロアイドル以外は認めないのか」と問われれば、イエスと答える気がする。346プロも、ミリオンアイドルも今のところではそうだ。

自分としては、彼女らのように息が長く、大勢プロデューサー必要とされ、様々な歴史を与えられた彼女らに勝るアイドルはいないと言い切れる。

他のプロデューサー自分とでは、彼女らに求めているものが違うという実感はある。こういう話をして納得してもらえた経験がまったくないゆえだ。

自分自身羽海野チカ先生が言うように、「大事なことは全部、漫画アニメ(=フィクション)に教わったんだ!」という感じが近いからというのもある。


老害いたことを言うが、最近の新しいコンテンツキャラクターの薄利多売ぶりがすさまじいと思う。

これはデレマスミリマス、空前の大ブームであるソシャゲ全般を主として言えることで、あまりにもキャラが多い。

そして、全員が全員似たようなことを言う。誰も彼も個性などあまりあったものでなく、先に挙げた765プロアイドルのように、強い物語性と動機などはない。

つまるところ、彼らのようなキャラクターに「劇場型」のようなドラマは生まれないのであるキャラクター自体存在は極めて薄いものなのだ

自分にとっては大変味気ないものであるキャラクターが大量にいるという前提もあり、どうにも(言葉は酷いが)「粗製乱造」といった印象が拭えない。


しかし、そこを補完しているのが「ソーシャル性・社会性」である。「大量のユーザー集合的無意識を共有している」という前提があるからこそ成立するキャラなのだ

ツイッターでの同好の士との、友人間でのグッズのための遠征ライブツアー同人作家の持ち上げなど、これらはすべて「社会性のもたらす快楽」が下支えしている活動だ。

如月千早のところで言ったように、人というのは一人では何もかもにすぐ限度が来てしまう。何かを面白がるにも、一人では見える範囲のことしかからず、すぐ飽きてしまう。

だが、誰かと共有することで可能領域は倍増し、それはたまらなく面白いことだと気づく。リア充だろうがオタクだろうが、誰かと会って話すのが人間は一番楽しいことなのだ。

ゆえに、キャラクターは「浅く広く」の方が都合はいいのだ。オタク的に深い造詣と知識がなければ弾かれるのなら、新規はやってこないしヘタなことは言い出せない。

大きなコミュニティを作り出し、まるで文化祭前夜がずっと続いているかのような熱狂の渦を保つには、共有対象簡素かつ魅力的であればあるほど好都合なのだ


自分は、彼女らのようなアイドルを「ソーシャルアイドル」とこっそり呼んでいた。

765プロアイドルのような「劇場アイドル」も初期は「ソーシャル型」だったのかもしれない。

ただ、いくらなんでも数が多すぎやしないだろうかという風に自分は捉えがちである

結果的にどれにも入れ込むことができない、自分のようなぼっちが前提のオタクにはつらいなぁという印象だ。


劇場型」と「ソーシャル型」

時代の移り変わりとともに、アイマスも形を変えたのだなというところに思考が落ち着いた。

掲示板にでも出入りしなければ「お一人様」性が強かったネットからスマホによるネット人口爆発や、ツイッターが台頭した環境変化に対応したと。

アイドルとの距離もより身近になり、春香の「後ろの席までみんな見えてるからね!」にありがたみを感じにくいご時世になったこともある。

自分にとってソシャゲアイドルはとっつきにくいものだが、彼女らについて(上辺だけでも)深く考えることができ、より765アイドルが好きになれた。


AV女優云々で騒いでいたのは、決して職業差別宣伝への嫌悪とかでなく、純粋に「社会」が乱されることへの強い拒絶反応であることもなんとなくわかる。

ソーシャル型」アイドル世代は、決してアイドルの一存ですべてが成立しないのだろう。自分たちで「デレマス社会」を守っていこうという意識が強いのだなと思える。

デレステ運営公式アカウントへの過度な許容もその現れだし、ライブが頻繁に行われていたり、声優さんが大量に現実いるからこそというのもあるはずだ。

旧型ぼっち重視オタクである自分には、深く考えるまでは「奇妙」の二文字で片付けていたが、しっかり考えるとなんとなく頷くことができる(自分とは違うのだなーと)。


自分はここまでで、「劇場型」と「ソーシャル型」を分けて考え、前者が自分には合っていてそれは765アイドルであるとしていた。

ただ、「花火型」とほぼイコールであるソーシャル型」アイドルも、中心にいる人々からすれば「劇場型」と捉えているのかもしれないとも思う。

自分が望むような「二次元でほぼすべてが完結できる」劇場型ではなく、「リアルツイッターゲームライブ声優」、それぞれをすべて同列に考えられる基準を持っているのだろう。

自分にとってそのような考え方は無理があることだし、それができるのは正直うらやましいことだ。きっと違う楽しみがあるに違いない。


おわりに

文字数文章としてのまとまり、書く時間制限をつけなかったので、たいそうバラバラ文章になったと思う。

自分としては、モヤモヤと考えていて喉元でつっかかっていたことがスッキリしたのでよかった。これぞ匿名ダイアリーパワー。


何かとレジェンド扱いされる天海春香さんだが、単に新しい展開が少なくなってしまったというだけである

基本的運営を信頼しているので、天海春香らしい新しいエピソード新曲、展開があるといいなといつも期待してはいる。

ミリシタは…………………………ログインボーナス継続中ですが………………音ゲー無理で……。据え置きで新作出いかなーと希望を。


上にも書いたように、自分には正直なところソシャゲアイマス系列にはどうしても馴染めないところがある。

大量のキャラを常に見回したり(自分にとっては全員が全員魅力的なのですよ)、リアル体験との併用が前提とされているような構造はすこしキツい。

しかしながら、アイマス全体を支えているのは間違いなく彼女らであり、そういった意味では応援している。アニメは観たし、CDもとりあえず買っている。

いまやソシャゲアイマスあってこその765プロアイドルである。いつか揺り戻しがあり、強いアイドル必要になったとき、また765のようなアイドルが観られればそれでいい。


いわゆるデレマス界隈は、人を多く集めまくったリスクとしていろんなトラブルがあったりするんだろうなと思う。

けど、大した問題にもなっていないようなので、すごいと思う(ぼっちゆえコミュニティの仕組みはわからない)。

自分にとってパリピめいて盛り上がるリア充なんだかオタクなんだかわからないPたちは正直無理である

が、デレマスアイマスを好きだという気持ちはたぶん同じなので、遠いところから同士よ! と応援している。


なんかすげー長く書けた。自分用のメモにしてもよかったんだけど、経験則的に、誰かに見てもらうって前提で文章を書いた方がわかりやすくなるのだ。

ということで投稿しつつ、ローカルに保存しつつ。よかったらなんかコメントとかくれると楽しいです。てーかここまで読む人おらなんだ。

読んでくださった方、ありがとうございます


2017-08-04

昼に池で捕獲したザリガニを池の水で茹でて晩飯として喰らう

【七原くん】ザリガニを食べ体が拒絶反応www【閲覧注意】 - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=4zK1Yh-VAAM

2017-07-08

https://anond.hatelabo.jp/20170708124907

人の嫌がることをしないのはその通りなんだけど、

性的なことはなかなか話されないし、

相手の嫌がることがなんなのかわからないって話なんだと思う。

嫌がれる=存在の拒絶なのか、嫌がれる=行為の拒絶なのかわからないでしょみたいな。

知らない人を襲ったらそりゃ存在拒絶反応以外にないけど。

2017-06-28

「おかずの最適化問題」を解決するための性癖拡張

■この記事下品話題は一切含まれていません■

性癖というものをどう考えているだろうか?

天性のもの?あるいは生まれつき?環境によって育まれもの

すべて正解ではある。しか性癖が 「拡張」できるということを知ってるひとは意外と少ない。

例えば普通セックスAVを見るA君が居たとする。純愛モノのラブラブセックスAVでないとちんこ勃起しないとする。一例としてレイプモノを見せると拒絶反応を起こすレベルだと考える。

中身は違えども人は誰しもA君のような状態であるレイプモノは容認できてもスカトロモノは絶対容認できないと考えている人は多いと思う。

はっきり言って、これは単なる嘘であることを言っておきたい。

味の好き嫌いを直せるように、実は性癖好き嫌いも直せるのだ。

しか性癖というものは味の好き嫌いと違ってもっと自由コントロールすることが可能だと長年の研究により判明した。

それこそリョナであろうがスカトロであろうが射殺であろうが箱化であろうがダルマ女であろうがすべてのおかずで抜けるようになる。

しかし一体どういった 「メリット」があるのかと考えた人もいるかもしれない。

よく考えてみよう。人は最適なおかずを探すのにどれだけの時間無駄にしているのだろうか?おかず探しに1時間ぐらいかけた経験を持っている人もいると思う。

これは業界では有名なことではあるがズバリ「おかずの最適化問題である

例えばランダムに掴んだおかずが自分が抜くに値する最適なおかずである可能性はかなり低い。

統計的調査した結果、人がおかずを探してお目当てのおかずにたどり着くまでに平均で動画に4個、画像に60枚かかる。

そこでどんなおかずであっても抜ける人のことを考えてみよう。彼は文字通りどんなおかずでも抜ける。女優が思ったよりブスであってもブス好きの性癖があるので抜ける。逆に美人であっても普通に美人は嬉しいので抜ける。同じ要領でどんなおかずでも抜けることになる。

そして彼はおかず探しにとまどることはない。文字通り一枚目ですぐに抜けるからである

その域に行き着くまでの技術的な方法論は次回に続く。

2017-06-22

フォロワーやらおんリンクを貼ってくる

アルファルファ哲学まとめならギリギリ許せるがはちまやらおんは駄目だ。

体が拒絶反応を起こして悪寒がする。

リムーブすべきなのだろうか

2017-05-27

ダブスタじゃないって言う奴がダブスタになってね?

立命館のやつね。長いけどこれでも短くしようとしたか大目に見て。

自分気持ち吐き出したいんだ。どう思ってるかまとめたいし知ってほしい。

①始めに

二次創作は「創作自由」があるから著作権的に認められてない活動が出来ている。引用を認めないのであれば、それは論文を書く「表現の自由」を蔑ろにしたダブスタでは?

って発言

・取り上げられた10作品の中には、権利から二次創作規約で認められているものもありますが、そのことはいかがお考えでしょうか。私達はダブスタではありません!

と噛みつく場面を見かけたんだけど、あーはいはい、ニトロの「刀剣乱舞」ってジャンルね。

あのジャンルからダブスタじゃないって言う奴、ダブスタになってね?

前提:刀剣乱舞は盗用で大炎上した時期がある。
(いまだ調査中のままのものもある)

以下、刀剣乱舞ダブスタ奴を「刀:」表記します。

・今回の刀=立命館問題での行動。

・以前の刀=刀剣乱舞というゲームで盗用が発覚した時の行動。

(補足)


立命館論文引用引用でない=法律違反だと仮定して

今回の刀:引用引用になってない。法律違反から、あの論文は許されない。

以前の刀:刀剣乱舞というゲームアイコンキャラクター、はてはゲームUIまで盗用という法律違反だけど、私たち萌えられるから許される。


今回の刀:法律違反から即刻潰すべき。大学電話で抗議するし、教授学生未来はないと思え。

以前の刀:当事者間の問題から外野私たちは黙って今までと変わらずゲームをするべき。課金もするし二次創作もするし、盗用問題スルーして公式舞台化という未来を示してくれて嬉しい。

(この時、公式に疑問の声を上げたユーザー集団で責め立てられアカウントを消すなどに追い込まれるなど、Twitter内で言論統制じみた状況に)


二次創作は「公」ではない。「私」である仮定して

今回の刀:プロではない趣味作品を引っ張りだしてくるなんて言語道断。即刻消せ。

以前の刀:公募のお弁当コンテスト入賞者、アマチュア日記写真プロ水墨画etcを盗用しても、発覚して数か月経ってから差し替えたんだから無問題

プロのは比較的はやく対処してたのは笑った)


規約無視である仮定して。

今回の刀:pixivからひっぱってきたのって規約違反じゃ…?法律よりも優先されるべき!許されない!

以前の刀:個人趣味ブログゲーム素材で、利用規約が定めてあって、刀剣乱舞ではその規約違反してるけど、ネットアップロードしてるんだからこうなるのは覚悟済みでしょ。嫌ならやめろ

記憶曖昧ですが、確かブログ削除される)


お気持ちを察するべきであったと仮定して

今回の刀:論文使用するなら利用許可を取るべき。ましてやR-18だ。倫理観を疑う。

以前の刀:使ってやったんだから、むしろありがたく思え。

刀剣乱舞R-18ゲーム


⑥②~⑤を総括しての気持ち

お前ら矛盾しすぎだよ。立場変われば言うことも変わるとかいレベルじゃねーぞ

自分感情善悪変えて、著作権振りかざしてんじゃねーぞ!


二次創作が認められてる著作権関係ないジャンル」じゃなくて「そもそも原作著作権違反してるジャンル」なんだよ。

そんなゲーム尊いしてて、著作権語るのを自分でオカシイなって思わない?あ、思わない。自分萌えられれば良いのか。

自分の楽しみを奪うもの「悪」で、「善」たる法律コネコネして適用させて殴って、数を力にもみ消せば良いのか。


感情とか配慮とかの言い訳立命館に対して大口叩いてたけど、それもダブスタでしょ。

実在する刀と一言一句同じ名称キャラクター創作するのによく配慮せずにいられるよね。

刀の銘で検索して「チ●コ大好き~ザー●ン美味しい♡おま●まん疼くのぉ!」って文字や絵が出かねない事、刀の現在の所有者さんやそのファンの人に対してどう思ってんの?


盗用発覚から差し替えまでどれだけ時間かかったか分かってんの?

その間お前らゲーム続けてたよな?一時利用停止にしない公式を崇めてありがとうって言ってたよな?

今回どうよ。速攻論文消させて、当たり前って言ってたよね。開いた口が塞がらないよ。


「私は以前の刀:みたいなファンじゃない」って主張が絶対あるだろうけど、ゲーム続けてファン名乗ってる限り同類だよ。

容認」してるんなら何も違いはないよ。

それでも私は違うって声上げられる奴って、どれだけ自分のみ治外法権だよという感想しか湧かない。


最後

二次創作を認められてる」⇒「引用になってない論文に、私たち著作権違反で声をあげられる」

原作が盗用で著作権違反をしている」⇒「法律違反ダメだけど、私たち萌えられるならOKです。気にしません」


さてはおめぇの存在ダブスタだな?


⑧3行でまとめろ

二次創作認められてると息巻くジャンル

原作そもそも盗用ゲーム

お前ダブスタじゃん


ユーリオンアイス萌えてる奴も同様。


刀剣乱舞というゲームの盗用問題についてはgoogleなどで検索すればwikiが出てきます。詳しくは自分で調べてクレメンス

 私はもう拒絶反応で吐く。記憶曖昧な部分とか間違ってるとことかあるかもだけど、確認するのに見返したくもないんだ。

※親殺されたの?って思われそうだけど、自分の中の二次創作への思いとか、このジャンルに色々殺された。

2017-04-12

おかんが出向の概念理解してくれない

帰省の折、来期からグループ会社に出向することになったと報告したら、そりゃもう大変な騒ぎになった。

せっかく本社就職したのにどういうことだ、左遷か、何かやらかしたのかと怒涛の質問責め。

ただの出向だと言っても、せっかく本社就職したのに(ry無限ループ

一旦鎮火した後に親父が「そのまま転属になることもある」とか言い出したもんだからさらに爆発。

父よ、それはまあ正しいんだけどさ、もうちょっと空気読んでくれよ…。

大体俺が就職した先は「本社」じゃない。これも何度も説明したっつーのに。

社内カンパニー制度は分かりにくいから仕方ないけど、まさか出向まで理解してくれないなんて思わなかった。

ていうか疲れたおかんは俺の社会的ステータス過大評価しすぎ。確かに知名度はある会社だけど俺が入った部門花形ではない。

自分が育てた成果物(俺)の分かりやす評価から、勤務先に固執するのは分かる。分かるけど、それがちょっとでも揺らぐとめちゃくちゃ拒絶反応を示すのは勘弁してくれ。

http://anond.hatelabo.jp/20170411161646

右派も、戦争可能にする状態をたった一度の立法で実現しようとは考えていない。

改憲でも、抵抗が生まれにくい分野から手をつけて国民改憲に慣れさせようと計画してるじゃないか

拒絶反応が起きないように少しずつ変えていくという相手戦略に対して、その都度警鐘を鳴らすのは当然。

それをオオカミ少年に例えるのは根本的に間違っている。

ブコメではオオカミ少年の例えを前提にして反論してるから、「左翼オオカミ少年を都合よく解釈している」と再反論されて議論脱線している。

あえて例え話にオオカミを絡めるなら、

オオカミははじめ遠くから村人に姿を見せ、だんだんと近づき、村人がすっかり慣れたところで羊を食べたが、村人は「オオカミから仕方ない」と、自分の子が噛み殺されても文句を言わなくなった。

という具合だろう。

2017-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20170321183016

好きでやってるだけでも、ハードワークっぽいことを口にすると物凄い拒絶反応が出て来る世の中だしな。

しかもその手の人たち、絶対的自分が正しいと思ってモノを言ってくるから、会話が成立しないことが多々。

2017-03-14

結婚して10年たつけどいまだにいつHしていいのかわからない

当方は夫で夫婦でそろそろ40って感じで子供は2人。俺が言うのもなんなんだけど奥さんはかなり美人

結婚から毎日オナニーしてたし俺は毎日でもHしたいんだけど、ほぼ断られる。

なんか同僚とかが話してる週1とかのペースまじ信じらんない。どうやってんの?うちは多くて2か月に1回だし約1年開いたこともある。

理由はいろいろなんだけどだいたい

1. やだ

2. お風呂に入ってない(疲れて次の日の朝入ることが多い)

3. 月のもの

こんな感じで、基本的にはなんかこうお膳立てがないというか、雰囲気がそうじゃないのにHに突入するのがいやなんだそうだ。

わかるんだけど、奥さんは早起きして上の子弁当つくってて、日中は小さい子の相手家事でくったくたになって、そのあと夜にそうなるのってほぼ無理ゲー

から俺がなんとなく無理やりキスしてるうちにー、とか、布団の中に隠れてて寝にきた奥さんにいきなり襲いかかったりとか、そういうノリでなんとか押し切る感じで夫婦生活を始めてる。

それはそれで奥さんもまんざらじゃない……、みたいのはほぼなくて時々マジで切れられてしまう。泣かれたこともある。ごめんなさい。

ただ、そうしなかったらHに至れる気がしない。

真剣な話し合いもしたし、私はもともとH苦手だから浮気してくれてもいい。しょうがないと思う。みたいに言われたりしたけど、いやそうじゃなくない?

行為にさえ突入すれば、嫌がってる様子はないと思うし、普段はろくに触らせてくれない美人の奥さんが俺に体を許してる、って思うと本当にすごい興奮する。

めったにHできないから、性行為マンネリで、みたいな悩みはまったくないし、Hしたい一心で奥さんの負担を減らすためにあれこれ腐心してるし、これはこれでいいのかもしれない。

ああ、でももっともっとセックスしたいよう。

追記)

いろいろアドバイスなどありがとうございます

Hを早く終わらせたいっていうのは、俺がそう感じなくてもぜったいあると思う。ただ、奥さんの場合、次の朝はやいとか、そういう心配があるならしない、というスタイルなのです。

今書いてて思ったんだけど、奥さんもともと体弱いし、Hの次の朝しんどくて起きれないとかわりとある

からそれも考えるとよけい億劫というのは理解できるのです。

Hに至ればいやじゃなさそうなのは大丈夫?っていうのは直接的、間接的にそうとう確認したんだけど、本人曰く性的快感乱れるのが恥ずかしくて自分嫌悪してしまうとか。

しかにご両親が性に対して相当保守的な方々で、奥さんをみてると端々に潜在意識まで教えというか躾が染み付いてる感じがする。下ネタにすごく拒絶反応でるとか。

なので、子供寝てる横でキスするだけで嫌がる。だからいつそういう雰囲気になってもいいように今日は!という夜は別室に布団しいて避妊具用意してる。まあ99.9%空振りなんだけど。

というわけで俺本人が嫌がられてるわけではない、はず。友人たちから子供からも仲良しすぎるっていわれるくらいだし、奥さんも俺が仕事やすんでデートとかするの喜んでくれてる。

俺がひとりでゲームしてるとくっついてきたりするし。その延長でついその夜に体を求めたくなるのが俺で、あー嬉しかった!で終わるのが奥さんって感じかなあ。

奥さんが泣いてしまうのは、Hそのものが嫌というわけじゃなくて、ほぼ俺の無理解が悲しいという理由。今まで5回ほど、だいたい2年に1回起きてる。

なんで俺がそうしてしまうかというと、基本100%だめって言われるので、もうちょっと探りたい、もうちょっとだけ!って感じで、いつの間にか一線を越えてしまう感じ。

申し訳ないです。

2017-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20170221160242

アレルギーって基本的に体からくる拒絶反応からさ。

同じものばっかり食うと良くないぞって警告出してるんじゃないかな。

栄養が偏るぞ!って。

2017-02-14

フィクション作品アメリカ大統領イメージって

トランプ型のやつもあった気がするんだけど

その手の作品では大半の人が違和感ないのに

なぜトランプだけ拒絶反応を見せるのか謎。トランプ×安倍

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。

※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356

夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。

とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね

まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?

舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。

物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)

延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。

舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい

そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-01-30

なでしこやまとの同性愛差別 本人はそれを差別だと自覚していない件

“息を吸うように交わされるホモ行為。もう男同士で手を繋いだりハグをしたり顔を近付けたりは日常茶飯事で、最初は「これユーリやなくて、ホーモやないかーい!」と陽気なツッコミエンジョイしていた自分も、回を重ねるごとに露骨になっていく描写に耐えきれなくなり、10話でエンゲージリング見立てペアリングを贈って疑似結婚式を始めたところで、完全にドン引きしました。このシーン、今思い出してもめちゃくちゃ気持ち悪かったです。

こうやって「気持ち悪い」とはっきり述べてしまうと、私はLGBT否定論者の差別主義者だと受け取られるかもしれません。しかし、私はゲイのもの拒絶反応を感じているのではなく、ゲイではないくせに(認めていないくせに)ゲイを気取っている男どもが気持ち悪いと感じただけ。そう、これだけ勇利とヴィクトルの2人は同性愛を匂わせていながら、互いがゲイであることに一切言及しないのが問題なんですよ!

断言できますが、もし勇利がヴィクトルのことを真剣に愛した上で指輪を贈っていたのなら、私は気持ちさなど微塵も感じることなく、2人のことを祝福していました。セクシャルマイノリティであろうと、周囲に何ら引け目を感じることなく、実直に求愛できるのは大変麗しいこと。でも、勇利がヴィクトル指輪を贈った理由には、「お守りだから」「お礼だから」という苦しい言い訳が入り、これだけ直接的な行為に及んでいながら、2人がゲイである事実から頑なに目を背けようとするから腹立たしくて。

10放送後、作者の久保ミツロウさんはTwitterで「この作品現実の皆さんがどのように思われても、この作品世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。」と、差別主義者には屈しない! というスタンス反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます

本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛肯定しながら、一方で師弟愛や友情隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思いますゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。

結局、本音ではホモを匂わせて腐女子釣りたいだけのくせして、差別がどうのこうのを持ち出して正当化させようとするから気持ち悪さを感じるのですよ。ユーリ!!! on ICEという素晴らしいアニメに対し、私はただひたすら絶賛だけがたかったのに、こんなくだらないことに長文を割かなくてはならないのが何よりも残念です。“ttp://ndsk.net/anime/yurionice.html

本人はこれを差別だと自覚していないようですが、なぜ勇利らが「ゲイであることを認めなければいけないのか考えが足りなすぎるのでは

そもそも恋愛性愛について「同性愛」「異性愛」「両性愛」「汎性愛」「全性愛」「無性愛」「ホモフレキシブル」「クエスチョニング」「ポモセクシャル」「ポリセクシャル」「バイキュリアス」「デミセクシャル」「オブジェクトゥムセクシャル」、、、、、と数限りない愛の形があるのに勝生勇利とヴィクトル自分たちを「ゲイ」と認めなければいけないのかよくわからない

5話で

【僕の愛。それはわかりやすい愛や恋ではなくて、ヴィクトルとの絆や家族地元に対する微妙気持ち ようやく自分の周りにある愛のような物に気付く事ができました。はじめて自分でつなぎ留めたいと思いたい人、それがヴィクトルです その感情名前はないけど、あえて愛と呼ぶことにしました】

彼の気持ちは「既存の愛ではない」と語られているのに、浅生大和(あそうやまと)氏はゲイゲイじゃないかというふうにしか二人の関係を考えられないってこと?

氏が引用している久保ミツロウ氏のツイートにしたって

【この作品現実の皆さんがどのように思われても、この作品世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。】

これについて

【と、差別主義者には屈しない! というスタンス反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます。本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛肯定しながら、一方で師弟愛や友情隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思いますゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。】

一体どう解釈すればこのような文章を書けるのか疑問。てかホモゲイと書いている時点で立派な差別なんだがな、、、

同性愛について見識深いみやきち (id:miyakichi) さんの意見も伺いたい

2017-01-29

子育て問題諸悪の根源は「私の仕事じゃありません」という言い訳

自分たちの子どもを自分たちで育てていこう、という気持ちがなければそもそも集団教育組織である学校運営はうまくいくわけがない。

ただカネだけ出して終わりというなら単なる公営塾で良いわけだ。

みんな忙しいし、みんな余裕ないし、みんなお金ないんだよ。

だけれど、それ言い出したら誰も何もできなくなるから、厳しい状況の中でも何とかお金時間や労力を捻り出すのが子育て本質

困ったときお互い様、みんながみんなで助け合いましょうね、というのが本来スタート地点。

だけれど、賢しらな言い訳を用意してこれは私の仕事じゃありません、

から会議は出ません、お金も出しません、労力も提供しません、

でもPTAメリット享受したいです、というモンスターペアレンツが生まれ

無理が通れば道理が引っ込む形式でそういう勢力が増え始めると、

コスト負担するのは無駄で損だという意識が芽生え始める。

良かれと思って無償ボランティア気持ちでやる行為搾取されている感覚にとらわれてくる。

「なんで私がこんなことをやらなくちゃいけないんだ」という意識蔓延してくる。

持ち出すばっかりで、何も得られないじゃないか、と。

そうだ。

フリーライドする人間が増えれば増えるほど、

善意というのは苛烈搾取構造の中に組み込まれていく。

「私の仕事じゃありません」と抜け出て行く人間が増えれば増えるほど、

「やるだけ損だ」という負のインセンティブが爆増する。

チキンレースみたいになってくる。

でも、たしかPTAとか子育て界隈には理不尽なことが山ほどある。

から唯々諾々と受け入れてたら親が破滅する。

でもでも、子育てというのは、身を犠牲にしてでも子ども幸せのために何をかしたいという愛情結晶でもある。

そういう情緒を抜きにしたら、子どもを生むのは全くの損得勘定しかできなくなってしまう。

最近はそういう傾向もどんどん増えてきてはいる。

また、自己犠牲というのはあまりにも容易に搾取対象になりやすいがために、

子どものために身を犠牲にする、という考えそれ自体に大変な拒絶反応が起きるだろうことも想像に難くない。

でもでも、でも、だ。

もうコレ以上は無理だよ、というその無理のほんの薄皮一枚向こうの限界突破することが、

親としての、人間としての成長があるんじゃないかという気が私はするんだよね。

まあこれもブラック企業社長あたりが散々自分たち利益のために弄び続けたたぐいの物言いなので、

しろバッシングされるのがデフォルトの考え方であるだろうことも想像に難くない。

まあかといって今のままだったら、

「私の仕事じゃありません」

「私は知りません」

という人がどんどん増えて、

善意で引き受ける人が苛烈で過重な労力で押し潰されてどんどん少なくなって、

解決されない問題がどんどん増えて、

子育てで完全に詰みましたって人がどんどん増えていくしかないと思う。

それこそ「私は私だけの仕事して私の生活を守りますんで皆さんもあなただけの仕事を頑張って下さい」という人だけが生き残る、

自己責任弱肉強食世界になっていくだけだと思うんだけど、


みんな果たしてそれでいいの?っていう。

2016-12-26

以前、映画がはじまる前の長い映画紹介CM萌えアニメ映画宣伝を見た

見た瞬間ひどい嫌悪感を感じたことを覚えている

甲高く媚びた声にテンプレ化した台詞回しの声優演ずる

可愛い女の子キャラクターが画面を駆けずり回る

映像もまた非常にテンプレ臭い

キモい、と思った

子供の頃にアニメは見ていたし、

ずっと嫌いではないと思っていたし、

見たら楽しめるんだろうと思ってたが

それは思い違いだったと感じた

元増田の言うあざとさの谷とはあの感覚だろうか、

読んでて思い出した

分かりやすテンプレの媚に対する拒絶反応というか

http://anond.hatelabo.jp/20161225132530#tb

2016-12-21

ユーリ面白いね!

 ユーリ面白くて数時間後に迫った最終回が楽しみすぎるので思ってること書くよ!

 私は好きなものや気になったものについて、よく検索かけて他の人がどう言ってるのかを見たりする。勝手同意したり反論したりして楽しむ。まあこの習慣のせいで最近しんどい思いをすることも多くなってきたのでやめたほうがいいのかなとも思うんだけど。

 ユーリももにょ案件結構あった。ユーリにかこつけて実在のスケーターの画像BL的に消費して楽しむファンとか、最初面白かったのにホモ気持ち悪いとかトレパクとか。

 

 実在人物のそういうアレで大騒ぎするのは小学生が「AくんとBちゃんが付き合ってまーす!」って騒いでるみたいで品がないなあと思う。ああやって騒ぐタイプの人とは仲良くできないな。それこそいわゆる生物案件なんだから腐女子が得意な検索避けで楽しむべきなんじゃないの..あとユーリに限らずクソコラやめてほしいな〜〜〜〜楽しいのはわかるけど失礼じゃないかな...

 ホモ気持ち悪い、あるいはホモじゃないか尊い、みたいなゲイフォビア発言大手を振ってまかり通る日本はまだまだ遅れていて悲しいなあ。わかる、わかるよ、私も昔はどっちかってとBLに対し否定的だった。例の水泳アニメを見てうわあ...って思ったりもした。

 でも、今から思うと多分「普通じゃないこと」に対しびっくりしちゃっただけだったんだよね。「これまで自分の中で培われてきた常識から外れている」「衝撃的」な絵面に対する拒絶反応最近は考え方が変わって、どういう性別だろうと親愛の情を抱くことは当たり前のことだと思うようになったかユーリもなんの違和感なく見ている。キスたからって恋愛とは限らないし逆も然りじゃない?いろんな解釈があっていいと思う。全部当たり前で普通だよ。

 ここから個人的見解だけど勇利とヴィクトル関係師弟から始まってはいるけどいろんな愛情が混ざり合って結婚して当然だしセックスしててもおかしくないかなってくらいには発展してるとおもう...ただGPF終わったら離婚しそう(ごめん)っていうか、なんか一種青春みたいだよねっていうか、最後のGPFという刹那っていうか、まあこの辺は日本語得意な人に任せた!

 そしてトレパクはまあ専門外なので論ぜぬ。黒だったら残念って感じ。「検証画像フォトショ」みたいな反応も見かけたし個人的には白を信じたいけどな〜〜〜〜。

 あとまたこれは別の問題だけど、「ホモ気持ち悪いという感想をおおっぴらに言えないために鬱憤の溜まった人たちで構成された集団が好機とばかりに卵アイコンで叩いている」という印象が拭えないので、なんかもう、地獄だな、と。大勢好きだ、面白い肯定するもののよさが自分だけちっともわからないみたいときマジョリティに対する腹立たしさ、圧迫感みたいな気持ちめちゃくちゃよくわかるんだよ...それで鬱憤溜まるのも叩きたくなるのもわかるんだよ...地獄... 

 私とある漫画とあるマイナーキャラが大好きだったんだけど、その子理不尽に殺されて、でも殺した方のキャラが人気で、私は許せないのに殺した方のキャラ擁護する声の方が大きくて、あまつさえ「彼こそ主人公」みたいなコメントがたくさんあって、重要キャラから公式でもどんどん優遇されて、一方私の好きな彼はグッズやサブコンテンツでもハブられ続けて...そんな風潮を見て悔しくて悲しくて腹が立って、眠れない夜とかあったくらいなんですよ...だから気持ちはよーーーーーーーくわかる。しんどいよね。そのうちエネルギーが怒りに向かうんだ。 違う話だって?そう思うならごめん。でも私は一緒だと思う。

 あとはあれだ、「本格的じゃなかった」みたいな批判。まあそれはわかる。スポ根を期待して見たらスポーツを題材にした少女漫画だったのでがっかりした、という人がいてもおかしくはないかな。私は少女漫画も好きなのでこれはこれで、といった風に楽しんでるけれど。あと演技中の心理描写は本格的を謳うのにふさわしく緻密だと思うよ!きっと修行パートが足りないんだな。ユーリに12話は短いよ!!!!!

 個人的見解もういっちょ。ユーリ作品としてLGBT問題とくくりつけるのは賛同にせよ批判にせよお門違いだと思うよ!!!!!そんなにウェイト大きくないよ!!!理想の世界ではあるけど!!!まあユーリみたいな雰囲気創作物が増えたらいいなあとは思うかな。

 さて、こういう話はもういいかな!ここからJJの話させて!私はJJが大好きです!!!

 あーJJ!!!!!!!大好き!!!!!!!初登場回の初演技で、あのずっとこちらと目が合ったままの謎スピン一目惚れしました。アニメに限らず、スケートにも限らず、私ああいう根っからエンターテイナーな選手が大好きなんです!!!

 パフォーマーには二種類いると思ってる。一つは己の内面を見つめ己を表現するアーティスト型。もう一つはお客さんを感動させることを目的とするエンターテイナー型。両者の違いは端的に言えば内向的か外向的かってところなんだろうと思う。ユウリカツキなんかは典型的な前者だよね。そして私の解釈ではJJことジャン・ジャック・ルロワは絶対後者スケートどころか、氷上に限らず彼の生き方のものエンターテイナー。あー好き!!!!!!!!

 JJ彼女も大好き。イザベラちゃんっていうらしいねJJってたくさんのJJガールズに愛想振りまいて、EDでは左右に女侍らせてたりもして、それでもイザベラちゃんは全く意に介してないどころかJJガールズの存在を自慢にまでしていている。多分左右に女侍らすJJを見ても「さすが私のJJね!」って肯定してくれそうだし、イザベラちゃんはジャンジャックルロワの「JJ」という理想生き方をまるごと肯定してくれる女性なんだなって思った。JJみたいなタイプの極めて外向的なパーソナリティを支えるには最高のパートナーだと思う。

 どーも最近コンテンツでは「飾らない自分を愛してくれる」みたいな、たとえ世界中否定されてもたった一人に肯定してもらえればそれでいい的なことを信奉しがちな気がするけど、JJはそんなこと求めてないんだと思う多分。たった一人に肯定されるだけじゃ足りないからどこまでもどこまでもストイックに上を向く、立ち止まらない、立ち止まれない状況に自らを追い込む。そんなJJに向かって「あなたの良さは私が知ってるから十分でしょ」みたいなこと言うタイプパートナーは窮屈だろうなと思うよ。今のところは。

 オーケー、優勝を逃し婚約がおじゃんになって、イザベラちゃんの前でどういう顔をしたらいいのかわからない19歳のただのジャンの前で、エンゲージリングをはめたままの薬指を愛おしそうに握り込めて「楽しみだわ、JJ」ってイザベラちゃんが微笑んでくれるところまで妄想した。さあ来い最終回!!!!!!

 (さっき今のところは、って言ったんだけど、私はもともとオタクとして闇属性なのでどうしてもこのGPFまでがJJ選手としての絶頂だったとしたらって事態想像してしまう。大会に出ても成績が振るわず、どんどん優勝が退いていくJJに対してイザベラちゃんがどう反応するのかってのは...まあ...気になる...)

 否!!!!!!!!!!!!!!!!一人のJJガールズとして宣言しま!!!!!!!!!私はJJの大逆転優勝を信じてる!!!!!!!!!!頑張れJJ!!!!!!!頑張れイザベラちゃん!!!!!!!!!!!!!ジャン・ジャック・ルロワをどうかよろしく!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最終回楽しみ!!!!!!!!!

クソと呼ばれたくなくなった

本名の下の名前の語感的に、昔からよく「クソ」というあだ名を付けられてた。

子どもの頃からそうだったので、あまり気にしてはいなかったが、最近急に拒絶反応が出たのか、そう呼ばれることがすごく嫌になった。

ちなみに(ジェンダーとか何とか言われそうだけど)

この手の下ネタ男性に多いと思うけど、女性同士の話です。

twitterでそう呼ばれたら返信しないし、LINEで呼ばれても既読無視するようになった。

自分でもなぜ急にそうなったのか分からず、理由がつかず、どうして友人らに説明しようか悩んでる。

友人らを無視してるのでやや顰蹙買ってると思うけど、でも今まで通りはどうしても嫌だ。

2016-11-22

今度公開される某映画について、

うそう、あれあれ。こんど公開される予定のあの作品ですよ、あれだよあれ。寝る前にあれのこと書きたくなった。

あれさ、予告を見る限り、細田守ファンタジー作品みたいなストーリーを匂わせつつ

岡田麿里作品のような思春期ローティーンの悩みや心の揺れ動きを描くような作りになっているように感じたんだけど、

今のところいったい誰がこの作品を見に映画館へ足を運ぶんだろうかと、すごく心配になるんだよね。

まず映画館一般の人が予告を観たとしても、”よくわからないオタク向け萌えアニメ”というカテゴライズがされる気がしてて

勝手な印象だけど、一般人萌えアニメへの拒絶反応萌え絵への不気味の谷のようなもの)に対していま流してる予告の絵面と内容では、

不気味の谷を超えてでも見に行きたい何かを提供していないように思えるんだよ。なので予告やCMを目にした一般の人に認知されて

その人達映画館に見に来るという状況にならないんじゃないかと感じるわけですよ。

次に、プリキュア的なプロットや必修化されたダンスなんかを作中要素に入れてるみたいなので小学校高学年くらいまでの女の子への

フックが効くように作ってるとは思うんだけど、どうしても上に書いたような萌え絵問題のせいでその子達のママさんの足は重いんじゃないだろうかと思うんだよね。

(今年のクリスマスの思い出にと、劇場萌えアニメを見せにいく母親がどれほどいるだろうか?)

あとさすがに女子中高生はJCJKにもなればプリキュア卒業してるだろうからいくらアニメ映画流行ってるからといって

わざわざ冬休み彼氏友達と連れ立ってプリキュアみのある作品を見に来ることは考えづらいと思うし、あてもなく映画館へ来た子や見たい作品が満員だった子たちがいたとしても

このアニメ作品を見るくらいなら公開終了が近そうな君の名は。か、この世界の片隅に へ流れてしまうんじゃないだろうかと思うわけですよ。

となると残るは我々男性オタクアニメ視聴者層となるのだが、これも心許ないんじゃないかな?

いかんせんオリジナル劇場アニメから深夜作品ゲームのように熱心な層の地盤もなくて

さらに今期の美少女動物園作品惨状を見るに、さすがの萌豚さんたちも食傷気味なんではないだろうかと思ってしまう。

尚且つ、XX周年記念作品だと銘打っているけどこの制作会社の記念作品からという理由リピート鑑賞するような

熱狂的な信者がいるのかも疑わしい気がするし...。

というわけで君の名は。聲の形この世界の片隅にと、好調な波が来ているさなかここは何としても

ひと山当てたいこととお察ししますが、個人的には2.5億と予想を立ててみました。

あと一ヶ月あるので広報さん、プロデューサーさん頑張ってください。

それじゃ、おやすみ

2016-11-17

副交感神経優位状態

星状神経節を指でブロック成功

副交感神経優位な状態って瞑想状態に近い?

ぺろぺろっとその辺の論文を眺めてみたけど

拒絶反応なしで通読できた。

これってよい傾向?

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