はてなキーワード: 自作小説とは
自分なりにずっと考えてきた今の生成AIに関する問題とこれからについてメモとして残しておく。
なお主に生成AIイラストについて言及するがその他のジャンルも関わる話だと思っている。
Xフォロワー3000人ぐらい、以前は特定ジャンルの同人誌も制作していた。
生成AIが今のまま進化と拡大を続ければおそらく5年以内に様々なクリエイター分野(イラスト、造形、音楽、文章など)で深刻な爪痕を残し修復不能になる可能性が高いので、特に大企業と政府が中心に規制を迅速に進めるべきだと考えている。
また、個々のクリエイターが無断AI学習に対して明確に反対スタンスを示すことは(学習阻害効果が得られる得られないに関わらず)企業や政府に耳を傾けさせるためのムーブメントとして必要なことなので決して無意味ではない。
なぜそう考えるのか?簡単に言うと
①AIの進化スピードは人の想像を超える、既存手描きクリエイター全員の完全な「アナザー」に等しいクオリティを再現出来るまで僅か
②ハイクオリティなAIで満足する発注者と一般人が増えれば、既存絵描きは職を失うし、素人絵描きも激減する
ということが起こりうると考えているからだ。
③まで辿り着くシナリオが決して妄想ではなく現実のものとして迫っているのが問題での核でそれ以外は「別次元の話」だと考えている。
ここで言う別次元の話は法律的な話や所謂AI推進派と反AIの感情論によるすったもんだ等を言う。根底にはこれも大きな問題ではあるけどあえてこの議論はしない。
現在プロイラストレーターで生成AIを推進または積極的に否定しない人々の多くは、さすがに③まで辿り着くことはないと高を括っているのではないかと思う。
あるいはAI絵師と呼ばれる人達で本当に「AIイラストには無限の可能性がある」と考えてる人がいるとすればその人たちもそうかもしれない(多くのAI絵師は「今さえ良ければ良い」と考えて現在の状況を享受してる人が多い気がする)。
今のままではそもそも絵描き業界が滅びるまであるという危機感が全体的にない。
強く警鐘を鳴らす専門家の意見をあまり見たことがない。AIの進化舐めすぎでしょ?手描きがどうか見分けなんてつけられなくなるし、現在でもLoRAで大量に既存イラストレーターや漫画家の学習モデルが規制なしで出回ってるのにあまりにも呑気すぎる。
そもそも生成AIの学習モデルに無断使用のモデル(文章や楽曲も含む)が無数に存在しているのは仮にそれが現行法で合法だったとしても倫理的にどうなのか?
その点は大いに問題があると思うけど、その良し悪しを議論している間にも、技術進歩とお金儲けの名のもとにAI使用は広がり続けるためあえてその問題には深くは触れない。
1番の問題は、今のまま強力な規制等がなくAI使用が広がっていくと、クリエイター達の多くが(お金を稼ぐプロ以外のアマチュア含む)創作意欲を失ってしまい、人の手で1から制作するクリエイターがどんどん居なくなってその分野が廃れてしまうことだと思う。
理屈の上ではAI を使用すれば手描きのイラストと何ら変わらないクオリティのイラストを安価に短期間に大量に作成することができる。これは発注者からすれば大きなメリットで、コストと効率だけを考えればこちらに流れない手はないわけである(現状は様々なリスクがあるためそこまでは広まっていないが)。
そしてそのイラストを享受する一般の人々も、手描きかAIか見分けのつかないものが世の中に蔓延すれば、実質見分けられないのだからこれまで通り享受するしかないのである。当初は疑心暗鬼になったりすることもあるだろうが、時間が経てばその状況にきっとみんな慣れてしまうと思う。
ではこれまでそういったものを作っていた側のイラストレーターはどうなるかというと、当然仕事は減るし市場規模も劇的に縮小する。現時点で名が売れてる一握りの人々以外は仕事を失い専業イラストレーターはそのうち居なくなる。AIを使用したイラスト制作を専門とする人々がとって変わる。
数年もすると新規のイラストレーターが制作するイラストが激減することで、学習モデルそのものの進化が停滞し、似たような絵ばかりが世の中に蔓延するようになる。その時にはすでにイラストレーターや趣味でイラストを描く人々は殆ど居なくなっているのでそれを打破することもできない。
そして、業界全体の死が訪れる。
一度滅んだ文化を再興させるのは難しい、取り返しのつかないことになる前に、各々が問題提起をしてクリエイターを守る動きをすべきだと考える。
現在の問題を大きくしている要因がGAFAMなどの世界的企業が率先して生成AI を推進しているということ。
技術革新自体は人類の進化の上で必要なことなのかもしれないけど、急速に、性急に進めているがゆえ、ベースの技術が現行の著作権法等では制御できないことをいいことに倫理的に問題のある部分を含んでいてもそのまま進んでしまっている点、規制進める前に普及を進めたが故に各業界のクリエイターが悲鳴を上げていることに目をつぶっている点が大問題。
現在生成AI技術は様々な分野で人類に恩恵をもたらすとして急速に利用が広がっている。個人的にも人の営みが次のステージに進むために必須の技術だと確信している。
特に医療や犯罪捜査、農業や製造業といった人の生活に密接に関わる分野での有効活用の可能性は素晴らしいものがあり、業務効率化など一般企業レベルでも大いに恩恵をもたらすろもであると認識されている。これはもう後戻りできない。
また、おそらく一般の多くの人は今絵師達が危惧しているような「AIイラスト」に対する嫌悪感を持っていない。だから、企業側がAI生成のイラスト、楽器、物語などを積極的に採用する動きがあれば簡単に世の中に浸透してしまう可能性が高い。
芸術分野においては既存のクリエイターを淘汰、破壊しかねないので本来もっと慎重に導入されるべきだった。それが性急に進行したことにより、重大なハレーションを起こしているのが現在の生成AIを巡る状況だと思う。
結論に戻るが、これを止めるには特に大企業と政府が中心に規制を迅速に進めるのが必須である。
また個々のクリエイターも芸術分野でAI使用拡大の危険性をもっと広めて、一般レベルで認識してもらうように啓蒙活動をしていくしかない。
この投稿に対して「そんなことになるわけないだろ」と思う方々は大いに反論して、どんな素晴らしい解決法、未来があるのか教えて欲しい、そして私を安心させて欲しい。
以上
【以下は雑談】
話逸れるけど、たとえば自作小説を作ってる人でイラストをAIにつくらせたり、自作曲のPVにAIイラスト使うなんてのはよく見かける。そういう人たちはまだ自分の「手作り」領域に本格的にAIが侵食してきてないから安価で簡単に作れるAIを頼ってるのかもしれないけど、いざ自分の領域が侵されるってわかった瞬間に猛烈に反AIを謳ったりするものなのかな。
あと、もう一つ前から気になってること。所謂「反AI」と括られるような方々は中には過激な意見も見受けられる。AI技術そのものは否定しないという方が多いと感じるが、そもそも「完全クリーンな学習モデルのAIイラストジェネレーター」があったと仮定して、果たして多くの反AIの人々は「それならよし」となるのだろうか?
おそらく多くの人は、たとえクリーンなAIであっても否定的な考えになるのではと思う。理由は「AIで簡単に描けるなんてズルい」という感情論が根底にあるからだと思う。AI推進派と反AIの急先鋒はどちらも感情論でのぶつかり合いで全く議論になっていない。そんなことをしている場合ではないと思うのだが。。
Web漫画が無い(https://anond.hatelabo.jp/20241025190620)と言われたので新都社に限定して書いてみたいと思います。
この為にアカウント作った新米増田なので見やすいように記法整理できていないのはご容赦ください。
思ったより長くなりそうだったので追記で何とかするかも
定義はオリジナル(https://anond.hatelabo.jp/20241012181121)のレギュレーションに倣って
作者一人につき一作品、後世の作家への影響、社会的な影響を重視とします。
とはいえWeb漫画自体の歴史が長くないので、同時期作家への影響度合いを考慮ポイントにしています。
なお順番は思いついた順です。過去に掲載されていたが、現在は掲載されていないものなども含みます。
また、作者名については著作時の名義を使用しています。本投稿時点で商業での名義や別名義がある方もおられますがご了承ください。
誤字脱字衍字等ありましたら申し訳ありません。
新都社(にいとしゃ)は誰でも参加可能な自作漫画と自作小説のコミュニティサイトです。
一般通過読者
何でも読む悪食、とはいえ界隈が狭かったので作者読みだったりするのは一部作家くらいしかできない裏返しでもある。
ルーズリーフにシャーペンで描いている漫画の画力が10段階中で3くらいの感覚で画力については語っています。
2007年頃から2015年頃によく見ていた。以下の内容に異論あると思いますが是非お勧め教えてもらえればうれしいです。私は書いたんだからさ(同調圧力)
名前からどうしても忌諱してしまうと思われるが、原作も新都社の文藝となっており当時の話題性は高かった。
YOKO先生の前作品である痴漢男もスレが原作にあるものの、画力や隙間のストーリーの作りこみ、あるいはギャグが非常によくできていた。
以後の活動ではジャンプに連載作を持つ等、出世を果たしている。
どちらかと言えば作者による選出
漫画を論理的に考えて組み立てて作っている。後述のONE先生と共に裏サンデーのメンバーでバトンリレー漫画を作成した際に
どうにもならない?大風呂敷を何とか纏めたりするなど仕切りの面が有るが、Web漫画家は自由奔放だったり繊細な人が多いので顔役的な立ち回りは非常に重用されたことと考えられる。
以後の活動では、某たらこの漫画を描いてバズったりしているらしい。
新都社作品はアマ作品が多いのでどうしても商業誌に慣れている人からすると苦痛ともいえるほどの絵、MSペイントで描いたんか?みたいなものもある
ワンパンマン(ONE作画)についても1話は一般人には読むに耐えないようなものかと思われる。ただし、新都社においてはこのクオリティは高い側に属し、なによりストーリーが素晴らしかった。
当然アンパンマン系の二次創作については他にも多数あり、作画がこの時点で上回っていたものも他にあったが最終的に作画がつくことでメディアミックスも果たし、アニメの原作も複数担当するなど出世を果たした。
新都社作品の多くはストーリーは良いのに作画が商業誌が要求するラインに届かない/担保し続けられないため商業に乗れなかった人が多かったが、
原作としてつくことで花開いた新都社作家も多く、その先駆けともいえる。
スターシステムを活用し物語の奥深さを出している。作画/ストーリーどちらも申し分なく、その性癖を除けば万人受けすることだろう。
ただ、その性癖ゆえに売れている面もあるため、マーケティング的に仕方ないとも思う。
以後の活動では、メディアミックスや多くのアニメを送り出すなどしている。
作画カロリーを減らしながらもストーリーの1つ2つ捻った展開がその才能を感じさせた。
どうしても斜に構えがちなWeb漫画家はその掲載方法の故かストーリーが難解すぎたり破綻することも良くある、
しかし捻りがありつつもわかりやすいストーリー、明かされていく設定が他の作者にも学びがあったように思う。
以後の活動では、癖に全振りした異種族レビュアーズのヒットを出すなど精力的に活動している。
性癖が…とはいえ掲載している作品の数とコメント数から考えると同作者を挙げるのは必然である
また作品のクオリティは高く、丁寧な線から紡ぎだされる物語は非常にグロテスクな内容ながらも絵画を見ているかのような錯覚に陥る。
しかしながら感情に素手を突っ込み揺らすようなものもあり、その多彩な作画力はやはり癖のなせる業(ワザ/ゴウ)だと思われる。
個人的にはレギュレーション面で同先生の他作品だが、先生の作品として導入に見るのにはテンポの良い作品。
ジャンプのお家芸的な男の子大好きを集めたような作品。意外と正統派な作品が少ない新都社作者にとってこの作品の作画/ストーリーの影響は避けられないだろう。
その気になれば真似できそうな絵やストーリーだがきちんと読めるように落とし込んでおりクオリティが高い。
ヒロインを…というくだりを"シュミ"レーションした作品として類をあまり見なかった作品。Web漫画は作り直せる利点が他の作者にも影響があったと思える。私はどっちの結末も好き。
人狼系は一時期流行があり、現在においても類するものがあるが新都社でも本作品が光っていた
他にもたくさんありますがキリが無いので思い出したら追記します。
ランキングのトップの作品(侠,K)に関しても影響度はあると考えられるが、そのクオリティが評価されている面が強く
個人的には独自のストーリーと限られた画力でどういう風に見せていくのかというところが他作者への影響度に強く関係しているとみている。
Web漫画自体が結構独自色が強いものであるため、あまり影響軸で語るのは無理があるのかもしれない。
また歴史の部分を語ってしまうと新都社に対して裏サンデーやとなりのヤングジャンプ、ジャンプ+といった投稿する場の移行があるため
初期のころのメンバーくらいしか上げにくいという問題もある。つまり、2陣3陣目といったところが居ないためフォロワーみたいな観点で計測しにくい。
あと、改めてみたらやっぱり閉鎖してるものが多かったりして…無料HPサービスの閉鎖と共に消えた作品とかもあってなかなか悲しい
はやくよめよめ いのちあるうちに
俺は大昔に自作小説サイトを運営してたことがあって、こう言ったらあれだが、結構人気があった
という謎の自己肯定感の源になっていた
……が!
つい先日なんか胸騒ぎがして、昔のパソコンを漁って当時の小説を発掘して読み返してみた
それで、あ〜…ってなってしまった
文章自体は学生としてはまあまあよく書けていると思う、問題は内容だ
いや内容自体に罪はないのだが、もしやこれ、BLとして人気だったんでは!?、と今更ながらに気づいた
サイトのメインだった学園ミステリーも、長期掲載してたラノベっぽいやつも、いずれもバディもので
主役の男たちが深い信頼に基づいて助け合い、尊重しあい、関係を深めていた
こちらの意図としてはもちろん、彼らをヘテロ男性として描いている
この直感を裏付けるものがないかと、当時のBBS(懐かし…)のログを探して感想をピックアップした
実は俺は腐女子の妻と結婚しており、今ではそちら方面への理解が深まり、アンテナも磨かれている
その上で当時の感想を読み返した
「これからの2人の進展が楽しみ」
「このシーンの〇〇の反応が可愛い」
ストーリーへの言及はとても少なく、キャラクターの関係性についての感想がほとんどだった
恋愛や性愛に関する直接的な発言は少なかったが、今の俺にはこの当時の女性ファンたちが濃厚なBL愛好家だということが手にとるようにわかった
妻と同じ匂いがするのだ
そういう意図じゃないんだけどな〜とは思うけど、作品を好きになってくれたのは嬉しいことだ
ただちょっと怖いのは、俺はもしかして当時チヤホヤしてくれた腐女子の雰囲気が脳裏に染み付いたまま生活し、10年後に腐女子と出会ったらそのイメージが爆発して恋に落ち、そのまま結婚までしてしまったのではないかということだ
ケータイ小説っていうのがあってるのかわからないけど、なろう系とかじゃなく、その前? 並行して? あった、ガラケーで読んでた女子向け多かったやつね。
たまたま取引先の会社が何故かサイト運営してて、そっからの流れで。
短編だったから、そんなに設定とか考えずにノリで書いたやつで。
一応ケータイ小説向けに、めっちゃ短文。怖いぐらいに描写を減らしてって寄せてみた。
そしたら、「凄い! 映像が浮かぶようです!」みたいな褒められかたした。
まあ、社交辞令だとは思うんだけど、ああいうスタイルが流行ったってことは妄想力とか凄いのかな。
そこで育ったから最適化されてるのか、元々女性ってそういう感受性? 想像力豊かなのか。
自分とかでもなろう読むスイッチ入れてなろう読んだら何にも気にならないナーロッパでも「ギルドだ。酒場が併設されている」でも情景浮かぶし、スイッチ切ったらなんじゃこれ、全然わからんってなるし。
放火犯と類似する点があることから同一人物を疑われているようだ。
ついでに、やたらと読みづらいことから糖質を疑われているっぽい。
で、ためしに読んでみたところ確かに読みづらいがそれほど糖質っぽさは感じない。
がんばれば解読できる程度の文章。
とたずねたら
こういう返答
むしろまともな返答かもしれん
しかし、裏じゃ逆
一番初め、つまり一番槍でパクりを目にしたのは
留年、これをパクった
というより
一番信用しちゃいけない会社を信用したのが間違い
多くの人は言う
「あのときムショに行かなければ」
でも、これ
後手の状況からみれば
あのクソアニメ会社が一番やりそうなことって
あの時点で原稿叩き落として裏切ることだったんだよな
どちらにしても
そして、後々パクられて原稿の意味がなくなってたことも、実は回避できなかった、ということだ
以前、私は京アニに「ロボットものを手がけてみてはどうだろうか」と原稿を送ってみた。
そのときの京アニの返答が「業界にも仁義がある」という類のものだった。
私としては、このような返答には異論はない。
(※ここでいう「業界にも仁義がある」とはなにか?恐らく「ロボットもの」の「原稿」を「送る選択」した結果、サンライズに類似する既存作があり京アニ(仮)からはパクリと判断されたのだろう。サンライズと明確に名前が出ていることから「原稿」は「ロボットもの」という程度の広い意味ではなく特定の作品に酷似したものだったと推測できる)
しかし、この「仁義を通す」姿勢は表向きのものに過ぎなかった。
なぜなら、京アニは「パクリ=仁義破りはよくない」としながら自分自身はパクリを行っていたためだ。
私が最初に京アニのパクリに気づいたのは「映画けいおん!」を視聴したときだ。
そのとき、私は気づいた。京アニは私の小説から「留年」というアイディアを盗んでいたのである。
「業界にも仁義がある」などと口にしておきながら、自らはパクリを行っていたわけだ。
いや違うな。業界の仁義を破ったというよりは相手によって態度を変えているのだろう。
サンライズのような強者には低姿勢だが、私のような弱者相手には平気で仁義を破る。
私の犯した最大の間違いはなんだったのか?
最も信用してはならない京アニという会社を信用したのが間違いだったのだろう。
当時、私の原稿がパクられたエピソードを周囲の人々に話したが誰も信用してはくれなかった。
私にはコンビニ強盗の容疑で刑務所に入れられたという負い目がある。
恐らく「前科者の言うことなど信用できない」ということなのだろう。
「あのとき犯罪を犯して刑務所に入れられていなければ……」と悔やむ日々を送った。
(※この辺は情報量が少なかったため何が言いたかったのかは他の部分から予想した。「間違い」に注目してみた)
当時の私はそのように犯罪を犯したことを責めていたが、今になって考えてみると悔やむべきポイントが間違っていた。
京アニに原稿を送っても「採用されず裏切られる」ことなど容易に想像できたはずだ。
あのときの私は信用すべきでない京アニの人間に原稿を送るような行動を回避しておけばよかったのだ。
そもそも「京アニに原稿を送った」という選択が間違いだったのだろう。
後知恵ではあるが、原稿を送ったにしても、原稿を送らなかったにしても、原稿は採用されなかったのだから。
そして、もしも原稿を送らなければ、パクられて原稿が無意味になることは回避できた。
(※「回避できなかった」については、
ではなく
と解釈するのが適切だろう)
文章が読みづらいだけで統合失調症よりは境界性人格障害っぽい?
統合失調症にありがちな「監視されてる」的な成分(集団ストーカー、仄めかし、思考盗聴、監視カメラなど)があまりないように思う。
対人交流をすべて統合失調症による妄想だと仮定すれば分かりづらい記述にも説明がつくというだけで……。
ちなみに境界性人格障害っぽさは「信用した」「裏切られた」という感情表現(「理想化とこき下ろし」)から、そう感じた。
そして確かに文章力は壊滅的だけど、このくらいの文章力の人は世の中には普通にいるのでは?
普段は身の回りの人たちとは文章ではなく会話で接しているから気がつかないだけで。
さらにいえば一般人でも酔っ払えばこんな風になってもおかしくはない。
起点として(ボカされてはいるが)「京アニに送った原稿(ロボットもの)が(サンライズの)パクリと判断された」という出来事があるようだ。
ようするに、ぜんぜん気にしてない風を装ってはいるが「自作小説をパクリとして扱われた」ことをよっぽど根に持っていたのではないか?
ある程度の文章読解能力があれば「パクリ認定」は「同じやり口でやりかえしている」類のものであることに気がつくはずだ。
この5chの書き込みが犯人と同一人物だとすれば「小説をパクリやがって」よりは「小説をパクリとして扱いやがって」が正しいのでは?
「信用すべきでない人間」「信用できない女」「恐竜の肉味ポテトチップスなんて送ってきた」など特定個人と交流があるらしい記述がある。
妄想や幻覚による架空の人物だろうか?文中の「信用すべきでない人間」が実在するとしても本当に京アニの関係者とは限らない。
京アニの関係者を騙っていた第三者かもしれない。例えば詐欺師や虚言癖などが考えられる。
当てずっぽうだが「京アニの関係者」を騙る人物が小説教室などを開いていて受講料を支払っていたとか?
第三者を媒介としていれば「京都アニメーション大賞には応募していない」という情報とも整合性が取れる。
私はもともと自ら進んで本を読むタイプではなく、現代文の授業も退屈に全く聞いていなかったので、何だか難しそうである日本近代文学というものも全く知らずに生きてきました。文学部とは反対に、実益に価値を置く商学部においてこのような人は多いと思います。それにも関わらず本講義を受講したのは、就活という制約のために労力をそれほどかけることができないという条件に合致し、次に近代文学に触れる可能性のない人生というのは少々勿体無いのものではないかと考え、何か読み始めるためのきっかけになるかもと興味が得られたためです。
この授業はそういう文学初心者には丁度いいものだったように感じます。扱う題材も文豪たちの探偵小説からということで、ある程度プロットがしっかりしていて初心者にもとっつきやすいものでした。また先生もそういう人たちに配慮して少しでも興味を持てるように工夫して授業を行なっていたように思います。大量のパワポの準備や、足を使って村を訪れるなど、手を抜かないところも好印象でした。作品や作者に対する解説や解釈も一歩踏み込んだものが多く、ここまで深い読みがあるのかと感心することも多かったです。
そのおかげか、小中高とあれだけ現代文の授業を毛嫌いしていた私にとっても、この講義は面白く興味深いものとなりました。と同時に、ある小説の一篇を長時間かけて解説させられる普遍的な現代文の授業スタイルがますます害悪のように思えてきました。
またレポートを提出させ、優秀なものをプリントにして共有するというのも良かったです。私の字数を埋めただけのようなレポートに比べて、同じ学生でもなんて中身のあるレポートを書くのかと刺激を受けることもありました。特に氾の妻についてのプロ顔負けの自作小説には驚きました。私も一度くらいプリントに載るようなレポートを書いてみたい気持ちもあったように思いますが、そもそもこれまで二回しかレポートを提出できていないので気のせいだったかもしれません。
そういえば最近、私は講義を受けていなかったらまず読んでいなかった春琴抄を非常に面白く読み進めています。どうやら講義を受けるにあたって近代文学を知るきっかけにしたいという思いは気のせいではなかったようです。あとは単位さえ得られれば当初の目標をほぼ完璧に達成することができそうです。よろしくお願いいたします。
提出日時:2012/01/30 00:27
今日はちゃんと外に出た。恐らく36度あまりの炎天下の中、一時間ほど歩いてきた。
正直ちょっとだけきつかった。階段をのぼると、少しだけ筋肉痛になっていて、日ごろの運動不足が深刻な度合いに達しているような気がした。
スクワット、腕立て、背筋、できれば腹筋を鍛えるトレーニングをしたい。
一時間ほど炎天下の中を歩いた後は、適当にテレビを見て、その後は久々にギターを弾いた。
星野源の「恋」のコードもかなり覚えてきた。イントロ、Aメロ、サビが手元を見なくてもほぼ完ぺきに弾けるようになってきた。
ギターを弾いた後は、夕ご飯を食べ、自作小説を数行ほど書いた。
その後、入浴を間に挟みながら民俗学の本を読んだ。今回は地名の本と遠野地方のわらべ歌の本をそれぞれ30ページずつ読んだ。
メンタルの方も、徐々に復調しつつある気がする。明後日は心療内科だ。
就職の方も気になるが、とにかく何とか前向きに生きられるようになることを祈るばかり。
今日はちゃんと外に出た。恐らく36度あまりの炎天下の中、一時間ほど歩いてきた。
正直ちょっとだけきつかった。階段をのぼると、少しだけ筋肉痛になっていて、日ごろの運動不足が深刻な度合いに達しているような気がした。
スクワット、腕立て、背筋、できれば腹筋を鍛えるトレーニングをしたい。
一時間ほど炎天下の中を歩いた後は、適当にテレビを見て、その後は久々にギターを弾いた。
星野源の「恋」のコードもかなり覚えてきた。イントロ、Aメロ、サビが手元を見なくてもほぼ完ぺきに弾けるようになってきた。
ギターを弾いた後は、夕ご飯を食べ、自作小説を数行ほど書いた。
その後、入浴を間に挟みながら民俗学の本を読んだ。今回は地名の本と遠野地方のわらべ歌の本をそれぞれ30ページずつ読んだ。
メンタルの方も、徐々に復調しつつある気がする。明後日は心療内科だ。
就職の方も気になるが、とにかく何とか前向きに生きられるようになることを祈るばかり。
今日はちゃんと外に出た。恐らく36度あまりの炎天下の中、一時間ほど歩いてきた。
正直ちょっとだけきつかった。階段をのぼると、少しだけ筋肉痛になっていて、日ごろの運動不足が深刻な度合いに達しているような気がした。
スクワット、腕立て、背筋、できれば腹筋を鍛えるトレーニングをしたい。
一時間ほど炎天下の中を歩いた後は、適当にテレビを見て、その後は久々にギターを弾いた。
星野源の「恋」のコードもかなり覚えてきた。イントロ、Aメロ、サビが手元を見なくてもほぼ完ぺきに弾けるようになってきた。
ギターを弾いた後は、夕ご飯を食べ、自作小説を数行ほど書いた。
その後、入浴を間に挟みながら民俗学の本を読んだ。今回は地名の本と遠野地方のわらべ歌の本をそれぞれ30ページずつ読んだ。
メンタルの方も、徐々に復調しつつある気がする。明後日は心療内科だ。
就職の方も気になるが、とにかく何とか前向きに生きられるようになることを祈るばかり。
草食系とか非モテとかそういう談義が大変盛んで、みんなモテたいんだろーなと思うんだけど。
ふと、わたしは一石を投じてみたくなった。それは「どこ」での話なんだろうか。
かくいうわたしはマジでモテない。ルックスは並以下だし、少々学歴は良いものの「とーだい」というレベルではなく、
女の子の好む話題など到底出来ない。テレビは見ない、読書オタク、少々創作文芸も嗜むという
いわゆる「文学部によくいるアレ」である。趣味は一人酒と喫茶店巡りだ。
もちろん、読書が好きな人間がまともな青春など送るわけがなく、中学高校と大変に恵まれない日々を生きて来た。
あんまり恵まれなさ過ぎて、蔵書が日々増えた。いわゆるオタク趣味のような仲間の作れるジャンルではなかったため
独り黙々と本を読み、文章を書いて暮らして来た。高校時代、女性と話した時間は断言できるがゼロである。
男女問わず、友人と話した時間で1時間行くかも怪しい。グループワークの必要な授業が何より嫌いで修学旅行は不参加だった。
そんなわたしだが、現在既婚者である。
というのも、わたしは大学では「モテた」とは言えないまでもそこそこ女性と縁が出来たのだ。
わたしの通った大学では「文学に詳しい」とか「ドイツ語が出来る」というのは、そこそこのモテ要素だったのである。
大学に入ったわたしはとりあえず、文芸サークルに入ってみた。折を同じくして、自作小説がとある文芸賞の佳作に引っ掛かった。
これで、人生にバーストがかかった。「なんかすごい奴」という風評が立ったのである。
わたしの挙動不審な喋り、垢抜けない服装、無駄な知識量などは尊敬を持って世間に受け入れられた。いわゆる「何かの間違い」である。
ひとたびそうなってみると、世界は全く変わって見えた。わたしは「原著で読むカント勉強会」を主催してみたり、
「物語論を読み込む会」を主催してみたり「サルトル再評価勉強会」を主催してみたりと、ニッチジャンルの帝王と化したのである。
自分で雑誌を主宰してみたり、あるいは「同人誌」(本来の意味での)を主催してみたりとまさに文学部、リア充大学生活を送った。
最終的には自主ゼミを二つ持ち、見事フル優で大学を卒業した。その勢いで就職は奇跡と呼ばれるほど良い場所に決まった。
あの時のわたしは輝いていたと思う、今でもたまに大学生活を夢に見ては枕を涙で濡らしている。
その後といえばわたしは就職前に学生結婚し、赴任地となった職場では見事スタートダッシュに失敗したかと思えば追走も空しく
見事なる「職場のキモい奴」として単身寮でゴミのような暮らしを送っている。(ヨメは介護の都合でついてこれなかった)
筆で食う、などという野望はとっくに四散し、その後は送れども送れども何の賞にも引っ掛からず。
ダイガクインニイキタイシゴトヤメタイオレハクリエイティブナニンゲンナンダと呪詛をはきながらはてなを汚して暮らしている。
職場の飲み会があれば何とか逃げる手段を模索し、定時になればそわそわと落ち着かず、モテるとかそういう以前に
まず人間関係が無い。いわば、高校時代に見事逆戻ったわけである。支店にテポドンでも落ちればいい。
要するにどういうことかといえば、人間には向いた場があるということだ。
ある場所ではクズであっても、ある場所では輝ける人材ということも決して少なくない。
モテたければ、「自分を変える」というのも一興だが、「環境を変える」というのも一つの手である。
要するにわたしは今すぐ環境を変えたい。「辞職届・書式」で検索しながら酒を飲む夜は今夜で最後にしたいのである。
人間というものは栄光の時期がひと時でもあると、その後の凋落が圧倒的に耐え難いものとなる。
誰でも、探せば特技の一つくらいはあるはずだ。「モテる」というのは「場に合っている」という意味である。