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2017-06-13

平成風俗」 椎名林檎×斎藤ネコ

通勤中にiPhone聴くのは、最近ジャズばっかりだった。

昨日、たまたま平成風俗」の一曲目「ギャンブル」を聴いた。

から好きな曲だったけれど。

つり革を握りながら、涙が出た。

そこでアルバム通して聴いてみると……。

全曲、泣ける!

無罪モラトリアム」だけじゃなかったんだ。

平成風俗」があったんだ。

気がつかなかったのは、鈍感だったからか?

いや、聴こうとしていなかったのだろう。

それは東京事変がかっこよすぎたから?

そうなのかもしれない。

唐突に終わらざるを得なかったあのバンドの、最高に洗練された、かがやく絶頂期。

それを知ったあとに聴いたからね。

眼が曇っていたかな、おれは。

疑心暗鬼になっていたかな。

おれにとって、「平成風俗」は彼女代表する作品の筆頭だ。

一枚目アルバムとともに。

じゃあ、より新しいものは、どうだろう。

椎名林檎の変わらぬ姿を見せてくれているのかどうか、まだちゃんと確かめはいない。

身を削って作り上げるという彼女の全ての作品は、もとより彼女自身に他ならないけれど。

2017-06-04

右傾化の息の根を止めるなら鉄道趣味秋葉系弾圧せよ

2011年アニメ魔法少女まどか☆マギカ」に次のような描写がある。

敵の魔女攻撃を受けた魔法少女は死後に魔女となって復活した。魔女魔法少女を襲う敵だ。そこで魔法少女はその魔女を殺しにかかる。では魔法少女の亡霊は…?

そして、このような亡くなった魔法少女魔女化を引き起こしているのが宇宙人仕業だとわかり、魔法少女魔女になった魔法少女のためにも宇宙人を殺すことを決意する。

各地でサブカルチャー方面から右傾化が起きている。今までの所謂ネット原住民空間における安倍旋風問題に加えて今度は何故かサブカルという本来無関係なはずの方面から右傾化が始まり、今までサブカルチャー依存していた左派が動揺している。

そして最近調査では、ネット原住民空間特に2ちゃんねるでは左傾化が始まっており、鉄道趣味秋葉系がメインの右派人材供給源と化しているという報告がある。ネット右翼保守シンパはそれに気づいていない。2000年代とは右派供給源が変わっていることは明白だ。

さらに隠れ右派跋扈している可能性は、いまや日本鉄道趣味秋葉系界隈であればどこでも可能性がある。積極的右派活動はしないまでも、ひとつ間違えば左派でいうアニメオタクの例のように先鋭戦力化することもありうるのだ。

そこで「魔法少女まどか☆マギカ」の様相を呈する。

右派右翼跋扈するネット原住民攻撃するのなら、宇宙人魔女化した魔法少女魔法少女殺害したように、なぜ鉄道趣味秋葉系弾圧しないのか?

タイトルやこの文章はもちろん逆説的な意味である鉄道趣味秋葉系弾圧しても、ごく一部のウヨネトウヨを倒すだけで、ほとんどの被害者一般人ノンポリ左翼になってしまうからである

この冷静な判断がどうして日本左翼界隈ではできないのかを問いたいと思う。

魔法少女まどか☆マギカ」では疑心暗鬼かられた人間が、ついには仲間まで信用できなくなり、無実の人間同士が殺し合い、強い魔法能力を身につけた魔女も敵として魔法少女殺害される。そしてついには仲間の崩壊を招いた。

これと似た状況になりつつある。2011年人間の心の醜さを描いたアニメ魔法少女まどか☆マギカ」は見事である

はじめから望んで犯罪組織に入る人がいないように、人間ウヨネトウヨとして生まれるのではない。どこかで憎しみや愚かさを抱いた時、ウヨネトウヨになるのだ。ウヨネトウヨを倒して気勢を上げれば、その肉親は憎しみから娯楽や文化を殺すことを誓う。この連鎖はおそらくとどまることを知らないだろう。教育界隈や、警察界隈の腐敗がゆとりさとり世代暴力団暴走族という妖怪のような集団を生んだように、右派狩りさらなる過激右派を生むと思われる。

ひょっとしたら魔法実在していて、この動きをほくそ笑んでいるのかも知れない。

2017-05-28

他人の「好き」を潰す最低のマウント

「○○が好きなんじゃなくて、"○○を好きな自分"が好きなだけでしょ?」

誰にでもどのシチュエーションにでも当てはまる汎用性の高さ・便利さゆえなのか最近よく使われてる場面を見かける。

しかしこれ諸刃の剣そもそも雑な反論だし、おまえが相手メンツ潰すためにメタ視点マウント取りに行ってるわけじゃん。

ちゃぶ台ひっくり返してるだけ。誰も得しない、不毛論法なので使用自粛したほうがいいかと。誰も「好き」を言えなくなる。

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追記1

○○が好き・嫌い、と自己愛の有無はそれぞれ独立したパラメータと考えたほうがいいのでは。どの趣味にも人間性ヤバい人は混じる。

何かを好きになったり嫌った時に、自己嫌悪することもある。「お酒は好き。でも酒ばっかり飲んでる自分が嫌い」とか。依存症っぽいけど。

自己肯定感が低い人なら「自分自身が嫌い、でも自己憐憫に酔ってる自分もっと嫌い」とか。4パターンのどれもありうる。

自分に酔ってる感じがするからエゴが含まれてるから本当の好きではない、って前提はない。「本当に好きならなぁ〜」ってマウント合戦を始めるんかい

あんまり掘り下げるとコミュニケーション処世術とか、愛とはなんぞや、みたいな増田で書くにはメンドくさいテーマになっていきそうだが。

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追記2

この増田記事を書こうと思った背景というか文脈を明かすと、別に自分がどこかで誰かにそう言われて悔しかたからって話じゃ全然なくて。

まず、ちょっと前にたしかTwitterだったかで「映画好きのサブカルくそ野郎マウントとってきて、言い返してスッキリ」みたいなストーリー漫画が上がってて

その中でこういうセリフが使われてた。(ソース見つからない。タイトル忘れた…)その時もなんだかなぁ、とモヤモヤした気持ちがあったけど、まぁスルーした。

で、最近コーヒー好きが言いにくいって増田記事がヒットしてて、そのブクマコメントの中にそういうこと言いだしてるやつがまさにいたわけ。(わざわざ晒さないけど)

うわぁー実際に言ってるやついるよ、ちょっとひとこと言っておかないと伝家の宝刀みたいに使いまくるやつこれから増えそうだな、と思ってカァーっとなってこれを書きました。

他人の「好き」の定義に振り回されて萎縮というか、「自分はこれを本当に好きなのだろうか?」って疑心暗鬼になることないよなーっと。

ただ注意が必要なのは、よく主語警察がよく指摘してる"主語の大きさ"ってやつが問題になるように、ジャンルというか大きい括りでの○○好きを気軽に公言しない方がいい場面もあるだろうってところで。

例えばコーヒー好きと最初から大きく名乗るのではなく、「こういう状況で飲むどこそこの缶コーヒーが好きなんですよー」って小さく限定しておいてから、話を徐々に広げるとか。

古参ベテランメンツを立てるような配慮とか。妙な絡まれ方を避ける話の切り出し方ってのもあるかもね。

生理を男で例えるなら

話題になってる

セックスの予定ないのに生理する意味ってなんなんですかねw」

というアイドルファン迷言に対して、

セックスの予定ないのに射精する意味ってなんなんですかね」

と返してる人がいて、まぁある意味では的を得ているんだけど、結構拡散されているようだったから、ちょっと心配になった。

もし…もしこれで「女の生理は男でいうところの射精」のように勘違いする人がいたらどうしよう…

そんな奴いるわけないよ〜!と昨日までは思ってたけど、「ナプキンセックスの後に着けるものでしょ?」とかいトンデモ意見まで見てしまって心が疑心暗鬼で染まったので吐き出す。

男性射精にはマスターベーション気持ち良さが伴う、かつ、ある程度本人がタイミングコントロールできるのに対し、女性生理は突発的な上、マスターベーション気持ち良さとは一切無縁の、性的な色っぽさは何もないただの腹痛と出血です。

腹痛を伴って性器(内臓)から出血する現象。つまり内臓出血です。

から、男の場合に例えると「腹痛、吐き気目眩などを伴って、毎月約1週間の間、チンコから常に血が流れ続ける現象

が正しいと思います

まれ〜〜!

そして、チンコが流血してるのを想像してください。

2017-05-23

祝いの花輪を送りつけるんだよ

http://anond.hatelabo.jp/20170520130709

そんで自分は何食わぬ顔で出席するんだ

楽しい

花輪が飾られることはなくてもそういうことをした人間は居るって知って疑心暗鬼親族を眺めて楽しめ

自分ちのそばの花屋で注文するような間抜けはすんなよ

お祝い電報も良いぞ

2017-05-17

報われないJr応援している

9年連続出演、とても名誉なことだと思う。

でも、本人が9年連続出演といっても、いくら媚をうっても、一番に尊重されるのは他のグループ

同じグループメンバーも何度も出演しているのに一人だけ引き抜かれ出演。(発表当時)

仕事があることはいいことだけど、結果として楽しさ以外の感情が湧き上がることの方が多かった。

演目の中でも一人芝居で舞台を任されたり、座長の右腕として一目置かれる位置にいた。

だけれども新曲をもらえるのは他のグループだった。

そしてその紹介をしていたのは一番長く支えてきた彼だった。

仕事がある以上は幸せな事と思い、劇場に足を運んだが、結果、9年も支えてきたのはなんだったのかと悲しくなった。惨い。

舞台於いて、彼は駒でしかないのだなと感じた。

新しいグループになってからというもの、それだけでデリケートになっているというのに、

社長がつけた名前ではないわ(知名度・発信力がある人がこういう発言をすることは本当にやめてほしい)、グループ単位での仕事はないわ、一人だけ引き抜かれての舞台出演だわ、一体この先本当にグループとしてやっていけるのかと不安に思っていた。

他のグループ雑誌発言等で炎上のようになる度に、彼らの方が実力があるのに、と思い過敏になり疲弊していた。

ラジオに出演した際、今後は俳優を中心に進んで行きたい、と話していた。

少なからグループに関することを話すと思っていただけに驚いたし血の気がひいた。

グループのことはどうでもいいのだろうか…と周囲が落胆している様子もかなり辛かった。

いつもファンが知りたいことを100点満点で発信することが多いだけに、過剰に期待してしまった所はあったが、

今のこの時期にあんなことを言われると自分の事だけしか考えていなかったのだろうか、と疑心暗鬼してしまうのも無理はないなと思った。

そもそも、お前は芝居で行けなんて尊敬している人に言われたら否が応でもその道に進むに決まっている。

過去にお前は二枚目は無理だから三枚目で行けと言い、現在壁にぶち当たっている某氏を見ている為、非常に心配しかない。

(そして笑いのセンス昭和なせいか、私はみていて全く面白く感じない)

舞台の中でも、私は2幕が面白く感じずに辛かった為、今後は笑いを取り入れるなら時代にあった物をお願いしたい)

それでも座長尊敬し、ひたむきに努力し、その成果を舞台で十二分に発揮している姿を見ると、ファン勝手なしがらみで歩みを止めたくないと辛くなる。

私が過敏になっているだけであってほしい。

そう思いながらグループ全員が揃う5/26を待つばかりである

2017-05-14

「会って話そう」が正しい件

先ほどサンデル白熱教室トランプ派と反トランプ派の市民らで討論をやっていたが、

互いに意見披露しあった結果、実はどちらの側も価値観に大した違いが無いことが確認され、

両派の間の誤解が解かれた。

 

この番組を見て、実際に会って話すことの重要性を思い知らされた。

情に流されかねないというデメリットを、冷静な議論ができるというメリットはるかに上回っている。

会って話さないから、メディアに影響されて疑心暗鬼になって攻撃的になってしまうのだ。

2017-04-23

モラハラ夫と戦える気がしない

だってすぐ怒るんだもん。

怒ったら人が変わったみたいに暴言を吐くんだもん。

おかしいと思うじゃん?モラハラだと思うじゃん?

結婚してから月に一度キレる。

キレる原因は「お前の言い方が気に食わない」っていう、ちょっと何を気を付けたらいいのか抽象的すぎてわかんないようなのがほとんど。

最初は、人によっては受け取り方が違うから私も言葉遣いに気を付けないといけないな、って思って気を付けてたけど。

あるとき夫の言った一言で気が付いた。「同棲してた彼女とはケンカが絶えなくて別れたんだ」って。

あっ、ケンカばっかりしてるのってこいつのせいじゃんって。

私、悪くないわ。私、ケンカが絶えなくて別れたことないし。ケンカしたことあるけど毎月じゃないし。むしろケンカとかイヤだから溜め込むほうだし。

そういえば、「言い方が気に食わない」ってキレるけど、同じこと言ってもキレないときもあるし。要はストレスが溜まってキレるぞーってなったら何を言おうが言うまいがキレるんだなって。

前に「子供名前あだ名で呼ぶのは自立心が育たないからやめろ」って急に言われて、そんな説聞いた事ないし、呼び方くらい好きにさせろよって思うし、第一お前の母さんもお前のことあだ名で呼んでんじゃんって思ったけど、そんなこと言ったらブチ切れられんのわかってたか

「そっかー。知らなかったから調べてみるよー」とか「急には子供もびっくりするかもしれないから徐々にねー」とか「懇談のとき先生に聞いてみるよー」なんてネコナデ声で言ったんだけど、甲斐もなくブチ切れ。

「オレより先生のいうことを聞くのか」だって。まあ、正確にはどっちの言うことも聞かないけどね。呼び方なんて好きにしたらいいから。そっから延々1時間、大体「お前の考えは浅い」って言ってるかな。

あとは支離滅裂理解できないし、話が長くて聞いてない。

たぶんね、私がいうこと聞かなかったのがいけなかったんだよね。「へえー。そうなんだー。子供呼び方と自立心に因果関係があったなんて知らなかったー。あなたってすごーい!さっそく今日から子供のこと名前で呼ぶことにするねハート」って言えばよかったんすかね。

ほかには、子供学校でケガしたとき担任先生から電話がかかってきて事情説明してくれたって話をしたら「オレらのときはそんな、電話なんてかかってこなかったけどな。まったくゆとりだな」なんて鼻で笑ってて。「でも、子供説明ってイマイチよくわからいか先生から話してもらえると事情が分かってスッキリするよ。小学校ときからそうだったから、あんまり変に思わなかったけど」って言ったら、やっぱりブチ切れ。私が反論したのがいけなかったんだな。

「ほんとだよねー。全文同意!だからゆとりって言われるんじゃんねー。私、さっそく明日にでも先生にいちいち電話してくんなって、抗議するー。さすが旦那さまハート」って言えばよかったんすかね。で、そっから1時間また説教。仲直りのタイミングも夫次第。しかも2日後まで根に持ってぶすーっとしてる。

大体さ、ストレス溜まったらキレて、反論したらさらにキレて、「お前が間違ってる」「考えが浅いよ(フフン)」「なんでオレがお前に意見されなきゃいけないんだ」「こんな母親に育てられた子供がかわいそうだ」「友達もいないお前が人間関係のことに口出しすんな」なんて好き放題言って、夜中だろうがなんだろうが1時間でも2時間でも気が済むまでおんなじことしゃべって、こっちが黙ってたら「いつもお前は話を聞いてない」ってまたキレて、やっと黙ったかと思ったら、大げさにため息ついて、舌打ちして、三白眼でにらんで、好き放題してるくせにまだ気が収まらなくて2日もひきずるってどうなの?

「お前って言われたことないし、ケンカとき言われると怖いからお前って呼ぶのやめてくれる?」って言ったら「お前の口のききかたがなってないからだろ」って、「毎月ケンカってしんどいし、ケンカにならないようにお互い何か考えようよ」って言ったら「お前が態度を改めたらいいだろ?」ってどうなの?

で、自分が甘えたくなったら謝りもせず抱きついてきたりイチャイチャしようとするってどうなの?

イチャイチャしてくるの断ったらまたキレるから我慢してるけどさ、こっちは言われたい放題に言われて反論もさせてもらえなくてさ、もやもやするよね。笑顔でウエルカムってわけにはいかないんだよね。

こんな感じで私は夫に対して疑心暗鬼になっていくんだけど、なんで調停になったかはまた今度。

2017-04-21

新規Hey! Say! JUMP伊野尾担の私が担降りしそうな話

私はHey! Say! JUMP伊野尾担だ。しかも好きになったのは一昨年10月というバリバリのいわゆる新規である

もともと嵐の二宮担の私は伊野尾くんのあの甘すぎるルックスとテキトーと言われる発言に心惹かれて、気がついたときにはFCに入会していた。

FCに入会したのが昨年7月、その後2カ月くらいは本当に楽しかった。コンサートのレポを探り、レギュラー番組を見て、ロケ地巡りもした。Hey! Say! JUMPを好きになって初めてのことがいっぱいで新鮮で、勢いのあるグループはこんな感じなんだ!と思った。2007とか08くらいの嵐を彷彿として、彼らの10周年は一緒にお祝いできることに、このタイミング出会えたことに心から感謝した。嵐オンリー担だった私がHey! Say! JUMPいいじゃん、って思えた。

Fantastic Timeリリースされて何回も何回もリピートして聞いていた9月の終わり、シンガポール事変が起こった。率直に言うと、伊野尾くんの熱愛報道が出た。ショックだった。だって事務所も認めちゃったんだもん。あと、伊野尾くんはスキャンダル全然出てなかった所も好きだったし。いつもは下ネタ満載なのに陰でプロ意識高いんだろうなって勝手判断してた。でもそれは幻想だった。2ショットって何よ、てか、そのシンガポール旅行の話結構してたよね?って。

(まああとその後の広島公演で落ち込んでたレポ見たときは正直呆れた。永遠担当二宮くんと比較してしまった。)

それでも良いメンバーに恵まれて、彼が名古屋オーラスを迎えたのが11/3。その頃には私も伊野尾くんもシンガポール事変なんてなかったかのように、毎日を過ごしていた。なんか割とモンペだったのかもしれない。「これでもう懲り懲りしたよね?もう撮られないでね」って伊野尾くんを信じてた。一度の失態を何度も繰り返すような頭の足りない男を好きになった覚えはないよって伊野尾くんに心の中で伝えた。

しかし、この男はまたもや週刊誌に載った。しか女子アナ2股だよ。果たして2股が本当だったのかは定かではないが、週刊誌に載ったってところがもうまずかった。誰かに怒られるかもしれないけど火のない所に煙は立たないよ。ね。

この傷も次第に癒えてくるだろうと思ってたけど、実際はすごく疑心暗鬼になってしまった。いのおピクチャーもそれ誰が撮ったの?雑誌の「友人が~」って言うのもそれ本当に友人なの?って疑ってしまう私がいつもいた。

それでも何とか私は女遊びの激しい男が好きなんだって自分に言い聞かせて、伊野尾くんの活動を見守っていた。

そんな私を変えたのは4月16日大運動会だった。年末年始コンサートも入らなかった私は今年初めて伊野尾くんに会うのをすごく楽しみにしていた。ただ、そこで予期せずサプライズ関ジュの推しが出演者一覧に載っていなかったにも関わらず、そこにいた。障害物競走で突然現れた彼に私はとんでもなく胸が動いた。天井席だったか双眼鏡必須だったのだが、ずっと私は関ジュの彼を追い掛けていた。正直、伊野尾くんのことなんて頭になかった。なんでいるの?かわいい。好き。って思った。SHOWTIMEでも探していたのは伊野尾くんじゃなかった。

伊野尾くんの圧倒的な顔面が好きだったのに雑誌ラッシュも追う気にならないし、頭の良さも好きなのにクイズ番組出演情報を知ってもなんとも思わなかった。

冷めてるな、わたしとも思った。

ただ今は正式に降りる気にはならない。10周年の現場に行きたいと思ってるし、実際問題DVDだって初回限定盤で予約している。

というか降りるというのも変なのかもしれない。嫌われがちな新規伊野尾担が何と言っても古参ファンには痛くもかゆくもないだろうし、いずれもしかしたら伊野尾くんのことを元担だとも思わなくなるかもしれない。ミーハーだったなってそれだけの感情になってしまうかもしれない。 

ごめんなさい。古参伊野尾担の方。私みたいなミーハーなんかが伊野尾くんのこと好きだって言ってしまって。

でも、伊野尾くん。まだ私は少し好きだ。ピーチガール試写会だって行きたかった。

こんな淡い恋心の炎が消えるか、また燃え上がるのかは分からないけれど、いつか来るその時まで、よろしくお願いします。

2017-04-10

のび太道徳教科書問題で問われる「ダメさ」の解

日本サヨク的な「ダメさ」の解は「ダメだという世間空気否定である

これは二重に悪手。

まず第一に、世間空気などそうたやすく対抗できるものではない。

どんなにネットで勇ましく吠えてみたところで、

現実空気効果のある反撃はできず、せいぜいグチをこぼしてその場限りの溜飲を下げるだけにすぎない。

第二に、仮に万一どれだけ周囲が100%配慮をしてくれたとしても、

自分自身の心のなかにある自己否定的な感情解決されない限りは、

周囲の配慮すらも疑心暗鬼によって否定されることになろう。

あるべき「ダメさ」への解は「ダメ自分ダメさの受容」である

俺ってダメ人間だな、でもそれでも俺は生きていくぜ、という態度である

未熟で中途半端でも、そんな自分自分から仕方がないというある意味諦めの境地である

これができずにもがき苦しんでいる人間が多い。

わざわざ太字で...横槍の入れられすぎで疑心暗鬼になってんですねえ

2017-03-31

惨めな思いだ

最近遅くまで仕事してたからか分からないけど、とにかく疲れた

同じ職場の人がわいわい話して自分1人でいると、ぼくは嫌われているんじゃないか、無理無理付き合ってるだけなんじゃないか疑心暗鬼になる。

とにかく眠りたい。

疲れた

明日休みだ。誰とも会いたくない。

これ

http://b.hatena.ne.jp/entry/329332668/comment/kusorurosuk

に沢山スターがついてるの凄いね

でも良いと思うよ

その疑心暗鬼気持ち司法にも行政にも立法府にも向けてみようよ

色々違った物が見えると思うよ

2017-03-11

約束を守らない理由

身近に約束を守らない人がいる。

待ち合わせには平気で2時間くらい遅れてくるし、頼み事をすると「いいよ、やっとくよ」と気軽に請け負うのに、やらないままになったことも数知れない。

私の夫のことである


そんな夫と暮らすのに、私はだいぶ疲れてしまった。

約束をしても、果たしてその約束が守られるのか分からない。

明日は一緒に出かけよう、と金曜日の夜に話をしても、土曜日になると何度声をかけてもベッドから出てこず(それどころか寝ぼけたまま「うるさい!」と怒られる)、結局夕方起きてきて約束反故になる。

洗っておくよ、と言ってくれた夕食の食器は翌朝までシンクに残っていて、炊いておくよ、と言ってくれたお米は翌朝炊けていない。


しかし、気まぐれのように約束通りに動くこともある。

朝早く起きて一緒に出かけたり、「やっとくよ」と言ってお風呂を洗っておいてくれたりもする。

そんなときはとても楽しく、うれしい。

しかし、どういう時に約束が守られて、どういう時に守られないのか、こちらにはさっぱり分からない。


そんな夫と暮らして3年、約束をするたび、今回は守ってくれるだろうか、大丈夫だろうか、本当に言った通りやるのだろうか、と心配不安で落ち着かない気分になるようになった。

なぜ、私との約束は大切にされないのだろうか、私は大切にされていないのだろうか、と疑心暗鬼になっている。


他にもいくつか理由はあるが、守られない約束に疲れてしまい、とうとう離婚について話し合うことになった。

「なぜ約束を守らないの?」

これまで何度も聞いてきて、はっきり答えてもらったことのない質問を、これで最後からと問いかけた。


夫の答えはこうだった。

自分自身のことが嫌いだ。

自分のことを価値のない人間だと考えている。

生きていても意味はない。

死ねるなら死にたいが、そうもいかいから生きている。

早く人生が終わればいいと思う。

そんな人間なのだから、周りの人も自分には価値がないと考えているはずだ。

したがって、自分との約束にも価値などない、重要ではない、と他人も考えているはずだ。

そうであるから自分約束を守ろうと守るまいと、他人に影響を与えることはない。

自分約束を守らなくても誰も困らないし、構わないだろう。」

夫の話しはまとまりに欠けていたが、まとめるとこういうことになる。


脱力した。

私には分からない理屈だった。

約束約束相手自分の大嫌いな人間でも、約束をしたら果たすものでは?自分自身価値があるなしに関わらず、約束は守るべきではないの?」と私が言うと、夫は「そういう考えもあるのか、目から鱗だ」と言った。


私も目から鱗だった。

夫が大事にしていないのは、私ではなく自分自身だったのか。

この人と生涯を共にしたい、生活を共にしたいと思った私の気持ちなど、この人にはまったく通じていないのか。

もう疲れた

私は私の人生が大切だ。夫の人生も大切だった。

ももうふたつの人生を同じように大切にしていくことは、できそうにない。

2017-03-10

セックスレスは法的に離婚理由になる

これを知らない人まだまだ日本に沢山いると思う

男性セックスしたがらない理由って見飽きたうんぬんよりも疲れからくることが割と大きい

もし可能なら40歳おっさん中学生男子の体にメタモルフォーゼ

そうすると心おっさんは見飽きた妻の体にさえ肉欲を抱くだろう

おっさんに性欲と若さを取り戻すのは運動サプリメントが最適

特に食習慣で戻る性欲ゲージもあるので奥さんは食事コントロールすることで性欲をもコントロールできると思う

 

ただし、女性側が断ってきたときに男はとても惨めな気持ちになる

セックスが下手なのかなとかもう俺に異性としての魅力はないんだとか

愛されてないんじゃないかとか不倫してるのかな?とか

そりゃもう女よりも女々しいくらい色々考えて不安になって断られた直後からめっちゃ悲しくなる

40歳おっさんが捨てられた子犬になる瞬間である

から女性の方にも正当な都合があるだろうができればなるべく断らないで欲しい

疲れているからとかならその日断っても調子のいい日に自分から誘っていくとかしてほしい

出ないと男はどんどん疑心暗鬼になっていく

風俗にいって慰めてもらうのも致し方なしだ

飼い主からネグレクトを受けた子犬非難するのは酷だというもの

どうか可哀想な彼らを責めないでやってほしい

2017-02-26

熊2017

森友のコドモタチは親に謝罪要求するようになる、訳でもなく不意になんだか学園がおぼろ気にしかいかめつく見え屋代は嫌だと泣きつく。その視線にハッと我に帰った親は子と別々の存在であることに気づく。そこから長い旅だ、となるわけでもなくコドモダチは光景のざわつきに疑心暗鬼に陥る。野の花のある遠くまで黙って出かけたコドモタチの行く手には熊が。

2017-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20170222215529

概ね友達関係というもの疑心暗鬼と表裏一体の脆い関係性だろ。それはそれで「友達」してるからいいんだよ。

ブロックチェーンを利用することによって浮き上がらせることのできるものは「誰とも関係性のない人間」だよ。

誰とも関係性のない人間は、評価されてないわけだからまり虐められている可能性が高いわけよ。

そういった生存バイアスの裏側にあるデータを引っ張り出してこれるんだからブロックチェーンは結構有用なんだぜ?

(といっても設計次第だけど)

2017-02-20

一日ネットをしないだけでわかったこと

昨日はネットサーフィンどころかtwitterほとんどせずに、日がなずっとゲームをしていた。

以下は一日ネットをしないだけでわかったことに関する記述です。

(本文の総字数は2000字程度です。)

性格が歪まない

ゲームだけしているだなんて性格が歪むんじゃなかろうかと思われがちだが、

ネット漬けになるよりゲーム漬けの方が案外性格は歪まない。

ネット漬けになっていると、摂取する情報日常生活に生きている人間に対する悪口嫌悪感ばかりに

なってしまう。その結果、ネットを離れて現実社会に繰り出してみても、

日常生活における人間の何気ない行動にあらぬ疑心暗鬼喚起してしまい、性格が歪む。

しかゲームだけをしていると摂取する情報の量が大幅に減少するだけであるから

世情には疎くなるが性格はさほど歪まない。

●神経質なことを考えずに済む

性格が歪む」の項に少し重複する部分もあるが、ネットをしないと

神経質なことを必要以上に考えずに済むという効用がある。

インターネットにのさばっている情報は、思いの外ネガティブ情報が多い。

(専ら、ネガティブ思考傾向を持つ人間ネガティブ情報アクセスやすくなるという

心理学研究結果の存在についても見聞きした覚えがある。僕自身ネガティブ思考傾向を

持っている人間なので、ネットサーフィンをしている最中ネガティブ情報アクセスやす

なってしまっているだけなのかもしれない……。)

ネットをしないでいるとネガティブ情報アクセスする機会が減少する。

その結果として、神経質的な、いやもっといえば神経症的なことを考えずに済む。

●目の前の物事に対する捉え方がシンプルになる

ネットをしないでいると、目の前の物事に対する捉え方がシンプルになるという効用がある。

端的にいうなら、ネットをしないでいる目の前に起きている物事に対して穿った見方をしなくなるという効用がある。

例え話をするのは難しい。最近の例でいえば、働き方改革に関するニュースネット情報を介さずに

接すると、働き方改革政府主導の単なる労働者待遇改善施策しかみえなってくる。

だけど働き方改革に関するニュースネット情報を介して接すると、

働き方改革企業長時間労働を深刻化させるような政府主導施策しかみえなくなってくる。

(もちろん、シンプルな捉え方とネットを介した捉え方という二つの捉え方の内、どちらか一方が

正しいという話ではない。どちらの捉え方にも良い点と悪い点もあるし、そもそも目の前の情報

対する捉え方に優劣があるというわけではないと僕は考えています)

自分欲求に素直になれる

ネットをしないでいると、自分欲求に素直になれる。

ネットをしていると、「〇〇をしている奴は△△な性格だ!」「■■をしている奴は教養がない!」という

ある種の性格・行動のステレオタイプに関する情報に接する機会が多い。(もしかしたら

これは僕の性格ゆえかもしれない!)

だけど、インターネットを離れて現実世界を見回してみると、実に多様な性格人間がいるものだと

関心させられるくらいであるし、同時に人間にはパターンにあてはめることができないくらいの

行動性向存在しているということに度々気付かされる。

からネットでいうように、「〇〇をしている奴は△△な性格だ!」とか、「■■をしている奴は教養がない!」だなんて

人間ステレオタイピングだなんてできるはずがない。各々の人間個体ごとに違った行動性向を持っているし、

そもそもの話、個体ごとに違った行動性向を持っている人間という社会的動物を、ステレオタイピングできるはずがない。

から、「〇〇をしている奴は△△な性格だ!」なんて本来的にはわかるはずもない。

〇〇をしていても△△じゃない性格人間も世の中には腐るほどいるし、〇〇をしていても▽▽な性格の奴も

世の中には腐るほどいる。

「〇〇をしている奴は△△な性格だ!」「■■をしている奴は教養がない!」という決めつけの色が強い

ネット情報に接する機会を減少させることで、

「〇〇をしている自分は△△な性格なのかもしれない…」だとか「■■をしている僕は周りから教養がない奴と思われえるかもしれない…」

だとかを必要以上に考えなくて済む、という理屈だ。

その結果として、「〇〇をしたい」とか「■■をしたい」といった自分の内側からわいてくる感情を、「あっ、自分はやっぱり〇〇やしたいんだな」とか

「■■をしている自分教養がないと思われるかもしれないけど、でもやっぱり■■が好きなんだ」というように

シンプルに処理することができる。

欲求も含めて、自分の内側からわいてくる感情シンプルに処理できるようになると、感情処理にかかる精神コスト

削減することができるため、日常生活を送る上で精神衛生健全に保つことが容易になるのではないかと考えられる。

■まとめ

以上をまとめると、ネットをしないでいると日常生活における4つの効用を得ることができることがわかった。

性格が歪まない

●神経質なことを考えずに済む

●目の前の物事に対する捉え方がシンプルになる

自分欲求に素直になれる

最後

駄文は以上です。本文の総字数は2000字程度になっています

今回の匿名日記は1時間で書きました。1時間で2000字だなんて正気の沙汰じゃない……!と思っていましたが、

案外書けるものなんですね。正直びっくりです。

最後になりますが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

皆様のより快適な精神衛生精神衛生に良いネットライフを心よりお祈り申し上げます

マスコミの酷さに絶句した

昨年あたりから文春砲」などと呼ばれて、スクープ記事を連発して持ち上げられることの多い週刊文春

だが、一方で言語道断とすら言える酷い記事掲載してきたのもまた週刊文春であることを忘れてはならない。中には名誉を著しく傷つけられて自殺に追いやられた人までいるのだ(聖嶽問題

そんな酷い記事の中に、平成15年に起きた福岡市「教師によるいじめ」事件がある。

上記リンク先のWikipediaにも詳しいが、事件の全容を記述した「でっちあげ」(福田ますみ著 新潮社)を読んで驚愕真相に戦慄さえ覚えた。

週刊文春記事で「殺人教師」と呼ばれ、児童に対する恐るべき虐待を行なったとされる川上譲(仮名)は、平成25年、事件発生から10年経ってやっと冤罪が晴れたそうである

実は、私も微かにそんなマスコミ報道に接した記憶があった。それが週刊文春であったのか朝日新聞であったのかは覚えてないが、報道に接して「酷い教師も世の中にはいるんだなぁ」のような感想を持ったように思う。

その後、民事裁判を通じてそれが冤罪であることがどんどんと暴かれていき、ついには福岡市人事委員会教師に対して完全無罪が言い渡されたのである、などと言うことは全く知らなかった。

まず驚くべきは何と言っても、児童の両親、と言うより母親の超絶モンスターペアレントぶりである。正直言って、本の前半を読みつつ「あまり教師側に偏りすぎてない?」と疑心暗鬼もあったのだけど、それくらい信じがたいほどの虚言のオンパレード

私も子持ちだから、我が子の学校モンペが色々といるくらいの話は身近に聞いてるし、マスコミやらネットなどでも色々と情報は得てはいたが、ここまでの超絶虚言癖モンスターペアレントは聞いたことがない。

そもそも、この教師、多分この本に書いてあるほぼその通りの人物だと思うけど、全く罪がないのである。ほんの僅かに当該児童を手の甲で叩いただけと言うような、その当該児童が別の児童暴力を振るっていたので、痛さを教えるつもりでやったことがある程度。ごくごく普通教育範囲である

それが、この児童の母、浅川和子(仮名)にかかると、根も葉もない作り話を大々的に付加されて極悪教師にされてしまうのだ。父親の方もとんでもない奴だが存在感ほとんどないのでどうでもいい。

ともかく、一般的モンスターペアレントが話をただ大げさに言うだけなのに対し、この浅川和子は思いっきでっちあげ捏造話を大々的に作り上げて、強硬なまでにありもしない被害を訴えて、遂にはありもしないPTSDなどと言う児童の症状まででっちあげ、病院に我が子を入院までさせ(これがあまりの元気っぷりなことが書かれたカルテ裁判公表されて思わず笑ってしまう)、遂にはなんと驚くなかれ550人もの弁護団を結成させて教師福岡市相手民事訴訟まで起こすのだから、そのモンペレベルの超絶ぶりが如何に凄まじいもの絶句せざるを得ないほどなのだ

 

と言うわけで、このモンペは本当に酷いのだけど、それ以上に酷いのがマスコミである

まんまと浅川和子の話をそのまま真に受け、ほとんど裏取り調査などすることもなく、いじめ事実を疑うことなど微塵もなしに、教師名誉を著しく傷つけるだけの記事掲載して売ったのだ。

中でも最も酷いのが週刊文春である。何たってタイトルが「史上最悪の『殺人教師』」だ。記事執筆者西岡研介は後になっても誤りを全く認めず、「自身記事が大筋において正しいことをアピール」していたそうだが、「でっちあげ」著者の福田ますみが丹念に調べ上げたような後追い取材すらしていない。

他、朝日新聞毎日西日本新聞なども酷いのだが、福田ますみが本書で書いたように、あの松本サリン事件で散々批判されたはずなのに全く反省などしていなかったと言わざるを得ない。

ちょっと取材したら、おかしいことは気付けたはずなのだ。以前から浅川家は悪評が立っていたとか、教師いじめを他の大人は誰も見てなかったとか。

一体全体、もし万が一、それが冤罪だったとしたら?、・・・とは露ほどにも考えないのか?

報道とは、ジャーナリズムとは、事の真相に迫ろうとする姿勢が最も大切なことではなかったのか?

マスコミの全部が悪いとは言わないけど、マスコミの酷い部分はどうやってもなくならないのか、残念でならない。

2017-02-09

印象。考察なし

http://anond.hatelabo.jp/20170208235429

寝落ちしそうだし消えると悲しいか更新かさねる

率直に書く。総合的な感想考察は落ち着いたら書くつもりだけど、壁打ち悲しいから書かないかも。(というか他作品観劇したらもう書けなくなるだろうから、勢いつかないと現実的に厳しそう)

トゥルーエンドではないけどグッドエンドはもう前回観れたから、推理の旅を終えていいようにも思っている。あとやはり証人が足りない。私の観たルートより先の話が展開されないと推理が苦しいし淋しい。

初見と印象が違いすぎる。

何が変わった? 私が変わった?

私のライフは零である。救いがまったくない。ほんとつらい。

今回はまったくもやもやしなかった。ただあるがまま受け止めてほんと苦しい。

今作はもうずっと『諸戸と簑浦』の話しかしていない。だからうつらい。世界に二人しか居ない。つらい。

嗚呼明日原作既読の友人にいろいろ質問しよう……

時系列順に。

ちなみに『私』と『箕浦』と《わたし》と《みのうら》と簑浦が出てきます

冒頭。諸戸屋敷にいる『私』。これめっちゃ幽霊に見えた。

手記の内容は、すべて完全に諸戸についての内容。つらすぎ。

『私』は諸戸を「哀れ」と評す。まじかよ。

奥さんがお茶を入れてくれてそれを飲んだはずなのに、誰かいませんか?的なことを言う。え、やっぱこの『私』お亡くなりになってない?

そして諸戸登場。語り部の『私』と会話する。おかしくない?

登場キャラクターが天の声に話しかけたりしなくない?

から最初は『私』も諸戸も亡くなってて、死後の世界に見えてならなかった。

てゆか、今日見た諸戸がこわくてこわくて、ずっとすごいこわくて。諸戸の亡霊みがやばかった。成仏してない霊感

初見は王子様のような諸戸だったのに、何が変わった? 私が変わった?

『私』と諸戸は二人で一緒に過去を振り返る。

諸戸との最初の決別、夜の告白の時、聞いてる時の『私』はものすごく悲しそうな切なく美しい顔をする。嫌悪の色ではない。

『私』は諸戸に「性愛には応えられないけれど一緒に遊んだりした友情には感謝しているし君もそれを喜んでいるように見えた」的なことを言うのだけど、これ少なくとも2回目撃している。隠喩だったかそのままだったか…どこだっけ思い出せない丈五郎と道雄だっけ…? すごいつらい。

あのね『私』と『箕浦』が互いに演じた《わたし》と《みのうら》、《わたし》は未来をすべて知っているようで(諸戸の死を含む)、《みのうら》は生きてるからすごく生命力のある反応をする。『私』が《みのうら》になって井戸出たときなんて、それまでとのギャップちょっとびっくりした。

ここで振り返ったのは過去から未来ではないけれど、どうにも諸戸から時間を感じない。(ミスリーみあるけど)

似てきたなと私が感じたのは、この冒頭の『私』と諸戸、諸戸親子、諸戸と吉ちゃん。親子はアフタートークでも言われていたけど…というかあの世界は「諸戸と簑浦に関すること以外すべてカット」されているので、全部が諸戸であり簑浦であってくるしくて無理。常にライフ削ってくる。

大人になってから。『箕浦』は「ここからは僕が」と言って登場する。おかしい。どうして語り部の語る内容にキャラクターが介入できる?

から私は、ああこれは『演劇なのだな、と気付く。原作では簑浦が口頭でこの物語を語ってくれるのだっけ?それとも小説? ここではその語り口が『演劇なのだと。

箕浦』は『私』が初代に渡そうとした指輪意気揚々と奪ってくる。《みのうら》演じている『箕浦』は本当に生命力に溢れてる。

嗚呼だめだ寝落ちたらもう思い出せない…『箕浦』だけは「諸戸と簑浦に関すること」が何もない存在だったようにも思えてくるけど、もう私の記憶証人として使えなくなってしまった。

『私』は決して初代を「美しい」と言わなかった。まわりくどく魅力を説明する。その形容自体違和感は無いが、乱歩が連載初期から意図的言語を使っていたのなら、初代を「美しい」と表現しないのは変だ。簑浦にとっての初代の価値が軽すぎる。

箕浦』は何についても「美しい」と言わなかった。やはり簑浦は矛盾や歪さを抱えていないか? それを『私』と『箕浦』で同時成立させていないか。『私』と『箕浦』は別々の役割をもった役者

初代は証言する。正面を向いて淡々と切々と語る。あれは諸戸のことではなかったかしら。初代だけに存在する追加情報の時だけ『箕浦』を見て『箕浦』に話しかけてやいなかったか

『私』のかんばせが本当に何の欠点も無いようなほど美しく、そしてとても表情豊かで観客をガンガン見てくる。目が合うとかじゃなくて、観客の目を見てくる。後方でも目を見てくる。つまり語りかけ度がぱない。あいつはメッセージを発している。

対して『箕浦からはそんな様子を受けない。《わたし》を演じる時間が短いからかもしれないし、セリフが少ないせいかもしれないし、ずっと座っているから私の座席位置がかすらずそう見えなかっただけかもしれない。

いや、ほかの『役者』もそうだった。わざわざ観客の目を見てきたりしない。あれは『私』だけだ。

箕浦』はハッキリと「ぼくは幸せだよ」と胸を張って言う。

(正確な表現を思い出せない…2時間以上の空間を丸暗記してそれを体験した自分心理思考記憶して寝落ちリセット回避はこのセリフ量だと流石に無理ゲー過ぎ…でも記録に残すならちゃんとしたい…)

初代が亡くなった時に現場での出来事にしっかり対応していたのは『私』。泣き崩れてずっと耐えているのが『箕浦』。

深山木を訪ねてからは、未来を知っている《わたし》役の『私』は度々悔しそう・つらそう・悲しそうな表情をする。

『私』には彼を救えないから? ねぇ、これ『私』にもそういった感情がちゃんとある描写だよ。

初代と深山木さんを亡くしてから場面転換の際にオープニング曲しか聞こえない音楽が入る。唸りをあげて悶絶する『箕浦』。あ、ここ襲いかかる諸戸の唸りと重なる。

諸戸に関係ないところでも、疑心暗鬼セリフはすべて『私』が言っていたように思ったけど…いやこれは断言して大丈夫では。

しかし確実に《みのうら》の口から「諸戸を疑っている」主旨の言葉が出たときは『箕浦』が発言するし、

諸戸から「君は疑っているんじゃないのかい」といった疑心暗鬼を抱いている主旨の言葉が出たときに対面しているのは『私』と、徹底していた。

諸戸と『箕浦』が家で初めて会話している時、諸戸を見つめる『私』がくそやばい。愛憎ぶちこんだ流し目破壊力軽蔑目線でもあっただろうか?嗚呼ほんと駄目だ脳がリセットされて正確に思い出せない!

ああ、でもここで諸戸を見つめる『私』は、『私』を見つめる諸戸に似ている。それは性愛を込めた時じゃなくて島で秀ちゃんに夢中になってる『私』を見ている時のそれ。

子ども残酷」って諸戸が説明したとき、めちゃくちゃ学生時代の簑浦思い出した。

しかし諸戸の話題が《みのうら》への愛についてから事件推理パートに移ってからはクソつまんなそうに家ん中ブラブラして諸戸の推理聞き流してる風に壺にしなだれかかってる『私』だるえろかわい過ぎだった。「ねぇ~まだぁ~?」してる子猫ちゃんかよ。たぶん唯一私が萌えれて心を緩められたシーン。

ずっと『私』は推理パートつまんなそうにしていたのかなと思いきや、だるえろかわいいのあそこだけで、曲技団に刑事と行った時とか身を乗り出して聞いていた。

いや、あれは『箕浦』の代わりに演じていたのか?

あそこ本当に諸戸が『箕浦』のことを狙っていた。すごくこわい。じわじわ距離詰めてくる。こわい。あれなんであそこにそんな描写入れたんだろう。あの時の話題は何だっけ…おとっつぁんについて?

深山木からの荷物を受け取るのはこの後だったかしら。

秀ちゃんの手記。まじつらい。ぜんぶ諸戸と簑浦の話でつらい。

ぜんぶ諸戸と簑浦の話であるから、『手記の秀ちゃん』に母親が居ないから、この舞台での諸戸にも母親が居なかった。(正確に言うと丈五郎母親の話をするが、諸戸は母親の話を一切しない)

原作未読であるので自分確認できないのだが、諸戸が母親について告白する場面はそんなにカット必要位置にあるのだろうか?

諸戸が母親から性的虐待を受け、それによって女性嫌悪感を持ち女性は愛せなくなったこと。親から愛情が与えられず性行為でだけ情を向けられたから、諸戸が簑浦へ向ける愛情性愛以外の多様さをみせられないこと。これらは諸戸の歪な愛を単なる超自我とイドのせめぎあいにさせず、諸戸が『かたわ』と比喩できる大きな理由となっていると思う。

それがカットされたというのはものすごく重大なのではないか

ここにある諸戸は性的虐待を受けていない世界線の諸戸?

手記の後に諸戸がどちらと会話をしていたか覚えていない…記憶の砂が零れ落ちていくの恐ろしい…

おそらく『箕浦』と話している? 系図帳から暗号見つけるのはここか?

島へ行く途中の列車?船?の中、諸戸が「疑っている?」と問いただすのは『私』で、その話題が終わるとすぐに『箕浦』に入れ替わる。

だめだここですべきは事実の羅列ではなく印象という目撃証言を残すことだ。

島に着いた夜。寝ていた『私』と『箕浦』。『私』だけが起き上がり、秀ちゃんと出会う。

そこに現れる諸戸。

私はここにめっちゃ違和感感じて、それまでの流れでやっぱり諸戸も登場人物なのかな…って思ってた気持ちが吹っ飛んだ。なんでここに諸戸が居るの?って思った。『私』と同じ次元存在から

で、原作既読の友人に確認してもらったら、原作ではここに諸戸は居ないししばらく諸戸と合流しないって……

それから呑気に毬遊びをする『私』と『箕浦』を見て、ここでも彼らは『役者』として並列であるめっちゃ感じた。対話をすることはあっても、物理的に直接交流するシーンはここが…あ、いや初代の指輪を奪ったね。そことここだけのはず。二人存在しないとできない行為から

まだ全然考察とか感想にまで至れていないけど、直感だけの変な話しだけど、

諸戸と『私』が同列であることと、『私』と『箕浦』が並列であることは、次元が違っているのですよ。だから諸戸と『箕浦』は同列ではない。

あ、それが《わたし》と『私』か。

わたし》と諸戸は同列。『私』と『箕浦』は並列に役者

五郎に帰れと言われてから、諸戸を助ける決心をして、諸戸からメッセージを受け取っているところも、井戸の中も、『箕浦』はずーっと冒険譚の主人公だった。キラキラクワク輝いていた。秀ちゃんへの恋とか初代の復讐とか諸戸への心配とかじゃなくて、冒険に夢中だった。

諸戸からメッセージを読むのは『私』で、あいつまた俺に変な気を起こしそうでいやだわ~的な愚痴をこぼし、『箕浦』もそれに乗っかる。「同性愛理解できない」ってまた言う。「頭では理解してるけど全然わかんねー」って言うのはどこだっけ。いやほんとに『箕浦』には友情以外まったく無い。微塵もない。清々しいほどに無い。脈ナシにも程がある。

前述した「諸戸も登場人物なのかな…って」考えに変化しかけたのは、同じく前述の事情聴取のシーンで《みのうら》を演じる『箕浦』をそれこそ蛇のような視線で諸戸が見つめていたから。スポットライトの当たらないところで。その時『私』はスポットライトの中で刑事事情聴取を聞き入っている。(時系列ぐちゃってごめん。でも記憶が蘇ったものをとにかく書いて残す)

ひえええあんな完全無欠の究極ノンケみたいな『箕浦』に言い寄っても絶対無理だよ諸戸なんで気付かないんだよ異常だろ…ってぐらい怖かった。対してワンチャンありそうに見えるのは『私』。否定してるんだけどなんか匂ってならない。なんか否定だけを信じられない。

あれか? 「『好き』の反対は『嫌い』じゃなくて『無関心』」ってやつか?

(初見感想で書いた「《みのうら》も実は諸戸を愛していたのではないか?という容疑が浮かんでならない」のは、完全に『私』のせい。これは初見からそう。私はこれを初見で「諸戸カンチガイ乙‼」みたいに感じていたから、こいつは諸戸の疑心暗鬼が見せる簑浦だなと思っていた。)

諸戸は『私』を探しさまようラブファントムなのかと思っていたけど、全然《みのうら》演じてる『箕浦』も狙ってくる。

『私』と『箕浦』はだいたい一緒に舞台上に居るんだけど、諸戸が《みのうら》よりも『私』を優先して見つめたのは、

  • 箕浦』演じる《みのうら》が諸戸の手を握り返さなかった時
  • 箕浦』が寝ているところを抜け出して『私』が秀ちゃんと出会った時
  • 井戸の中で『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた時

諸戸は簑浦を探しさまようラブファントムという印象に落ち着く。

水責めから『私』はもがき出す。水喰らって噎せるし《みのうら》と諸戸に水ぶっかける。

序章でも鬼との出会いを思い出してる時に喉を掻くから原作にも白髪化がいつか描写されてないそうだし諸戸生理的拒否られてない可能ワンチャン…!?って一瞬思った。違った。

箕浦』ずっと脅えていて本当にかわいそう。諸戸に抱き締められてもノンケ過ぎて嫌悪感すら無い様でだだ死の恐怖に脅えている。…って、そうだ。『箕浦』は諸戸の性愛嫌悪感すら返していないわ。性愛なんてもの存在しないようにしか見えない。

ホモフォビア過ぎて逆に男性とキャッキャする現象」が何か科学的に存在しているのですか?(そんな感想を見かけた。)気になるので詳しい方に教えていただきたい。

そーいや江戸川乱歩同性愛を「研究」していたんだよねえ…

それまで『箕浦』を抱きしめて必死告白していた諸戸(この時の諸戸何故か記憶してない。零れ落ちた感覚もない)が、『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた瞬間、逆鱗に触れられたように(地雷ぶち抜かれたみたいに)目を見開いて、そのまま『箕浦から手を離し、表情も目線も変えず亡霊というか亡者みたいにゆらぁりと『私』の方に移動していき、「ああ、嫉妬している」と答える。

これほんとめっちゃこわい。ラブファントムこわい。ホラーフィクションでよくある悪霊に追いかけられていたのが御札を持った瞬間にこちらが相手から見えなくなってあっさり追いかけられなくなる・あるいは逆に結界崩壊してそれまで見向きもしなかった悪魔が突然こちらに向かってくる、あれ。完全にあれでこわい。ほんとこわい。

諸戸を否定して死んでたまるかと逃げ出す『私』。諸戸は唸り雄叫びを上げてから『私』を追いかけたっけ?

確かここ最前列目の前に諸戸が来たのに私は目をそらしてしまった。それまでずっと三人の内をを覗きこんでいたけど、目の合うところに居る諸戸の瞳を覗きこむことはできなかった。

そして遂に『私』を捕まえた諸戸。手を掴み上げ触る。

なんというかね、性的意図をもって犯そうとする時って、例えば、頬を触る(唇を奪おうとする脅迫)、腿を撫で上げる(局部に侵入しようとする脅迫)、みたいな仕草がイメージやすいんだけど。諸戸は手なんだよね。いや、手を撫でられるのも十分性的な接触になりえるし、手を撫でてくる痴漢とかクソ質悪いと思うんだけど(あれって痴漢に該当するの?冤罪増えそうだから流石に法的には該当しなさそうだよね?まじきもい腹立つ)、もっと分かりやすセクシャル表現にしても良かっただろうに、なぜしなかったのか。手なのか。

同じ手でも手を舐めるとか頬擦りするとか自分身体に触れさせるとか、方法はいろいろあるのに。

あ、そうだ。秀ちゃんは吉ちゃんの手を取って自分の胸に触れさせていた。超嫌がってたけどあれは同じ手の使用でも犯されている感がわかりやすい。

あえて手であることがわかりやすいのなら、それは何か。

井戸の中での死についてのくだりも、秀ちゃんの手記で隠喩されたまんまでほんとつらい。もう死んでしまいたいという諸戸の叫び

そうだここ『箕浦』も死んでしまいたいと絶望して挫折して復唱していたのに、『私』が水を挿したんだよね…亡霊を呼び起こしてしまった。

諸戸が嫉妬していることを認めたのが、《みのうら》と秀ちゃんが結ばれてしまうかもしれないことについてなのか。(そう明言してた気もするけど)

それとも「本当はかたわものではなく、簡単な手術で醜い自分を切り離すことができること」なのか。

醜い自分を殺したいけど、殺したらきっと自分も死んでしまうと思ってる諸戸…まじ…

助六さんに「生きたくなかったの?」って聞かれた時に、「世間に顔向けできない」と言った諸戸まじ魂抜けてた。心ここに在らず。ライフが0。助六さんに心の内を回答する必要いか大正解しかしイドの超自我破壊自我乗っ取りを止められなかったことは、この時の諸戸の回答もあながち嘘じゃないなと。

あれ?と言うか水嵩が増さなくなったって表現、昨日あったっけ?

私は水嵩が増さなくなったことを知ってるから、初見ではセリフがあったはず。

『私』と襲いかかる諸戸の図を見ている『箕浦』の表情は、「死者を冒涜せぬよう省略」と『箕浦』が言った場面しか見えなかった。

と言うかこのセリフ初見では聞き逃してたかテラびっくりしたんだけど!

【今】はいつだよ!?って疑問が再浮上した。

初見のとき、序章で『私』が「なお、現在では差別用語となる言葉が登場するが、当時のなんちゃらを変えないためそのまま使用します」云々言ってて、「えっ!?『現在』っていつ!?『当時』っていつ!? 『私』が執筆したとき? 乱歩執筆した時? 私が観劇している今? ねえあなたは『いつの人』なの!?」って、超混乱した。

やっぱ諸戸亡霊なのかあああ??????って。

まだ決めていない。

少なくとも、丈五郎を目にした諸戸や、井戸を出た時の諸戸は、『登場人物の諸戸』だったから。

それにしても《みのうら》になった『私』の生命力

佐藤さんの『私』は表情がくるくる変わるしよく動くし観客の目をガン見してきて語りかけ度がぱないけど、アクティブなのにどうにも《わたし》の時は幽霊っぽかったの間違いじゃなかったんだな。ってめちゃ思うぐらい「生きてるかどうか」がなんか明確に違うんだけど。演技力?すごない?やばない?

わたし》になった『箕浦』と、《みのうら》になった『私』も言葉を交わす。「語り忘れたことあるかな?」

ラストは『箕浦』が読んで、『私』が諸戸の訃報を初めて知ったような顔をしている。井戸で《わたし》役になってからの『箕浦』は、諸戸が鬼籍であることを既に知っていた。

箕浦』はあまり『私』も諸戸も見ない。助六さんと井戸脱出しようとした時から、『箕浦』は正面向いてどっしり座って痛ましそうな顔をしている。あれ…顔背けてるのかな…

座ってラストを読んだあと、やって来て『私』に手を伸ばす諸戸の手を宥めるように下ろさせる。

ああそうだ、『箕浦』に向き直った諸戸の表情は見えなかった。

そしてこの物語の語り部は諸戸を憐れにも思っていると序章で明言している。

諸戸の訃報を握り潰すところ。あれね《みのうら》の憎悪というよりも、醜い半身へのやりきれない憎しみに見えた。悔し泣きみたいに表情を潰すところは正直感情が読めなかったよ。ある意味復讐燃えていた『箕浦』の様子にも近かった。

今回は推理するために三人をずっとガン見するつもりでいたけど最前列譲っていただけたのでピクセルに余裕できて他の演者さんもかなりしっかり拝見できた。

2017-02-08

観劇2回目の備忘録 舞台「孤島の鬼」2017版

http://anond.hatelabo.jp/20170207171941

8日ソワレ情報量が多いので走り書きのみ。感想なし。考察なし。

A列上手での観劇。(初見はH列下手での観劇

なお、私は2回目の観劇を謎解きとして挑んだことを大変後悔している。

よほど命知らずの探偵さんでない限り、以下の内容に目を通すことはおすすめしない。


  • これは『演劇である
  • 幕が開いた時点で諸戸は既に亡くなっている
  • それを《わたし》は知っている
  • 亡くなった諸戸が《?》のもとを訪ねてくる
  • 《?》と諸戸は二人についての話をする
  • 『私』と『箕浦』は別の役者である
  • 『私』は諸戸から簑浦への性愛疑心暗鬼白髪になってからの生きている《みのうら》(それまでの《わたし》)を演じる
  • 箕浦』は「孤島の鬼」のミステリー冒険譚、ノンケでまったく諸戸の性愛理解できない・感知すらできない、白髪になるまでの《みのうら》(それ以降の《わたし》)を演じる
  • オープニングは諸戸の家に押し掛ける前に入る。悶絶する『箕浦』。
  • 『私』の一人称は【わたし
  • 『簑浦』の一人称は【ぼく】
  • 原作確認:秀ちゃんとの逢瀬を夜中に諸戸に見咎められているのか
  • この『演劇』は諸戸と《?》についての話であるので、二人の隠喩および冒険譚要素以外はすべてカット
  • 探偵コンビ結成(意訳)の時の握手、はじめ『箕浦』は手を握らない。ぎょっとして『私』を凝視する諸戸。(情報量が多く忘れてしまったが、『私』が某かの反応を返してから)ようやく諸戸の手を握る『箕浦』。
  • 水責め時点から苦しみ出す『私』。冒頭で『私』が鬼を思い出した時と同じように喉を掻く。
  • 井戸の中「嫉妬している?」と『私』が声をかけた瞬間から、諸戸の目には『箕浦』が見えていない。ひたすらに『私』を求める。「ああ、嫉妬している」と答える
  • 箕浦』も『私』に襲いかかる諸戸のことを化物のようと言っている(セリフ正確に覚えておらずすみません。確実に恐ろしいと否定をしている)。そして『箕浦』は「死者を冒涜することになるから詳しくは言えない」と襲われるシーンを省略
  • 原作確認:そう、『私』も『箕浦』も「省略」する。これは原作にもあるセリフなのか?
  • 井戸出たときの諸戸の泣き笑いはなんとも表現し難い。変動するものでもありそう。なんというか、この時点で既に諸戸のライフ零になっているので、追い討ち受けたようなさま。限界越えた時みたいな表情。
  • 箕浦から受け取った手紙とは別にから諸戸の訃報を受けとる。ずっと語り部は『箕浦』。『私』は手紙を握り潰し憎そうな表情に見えた。なんか明らかに嫌悪してそうだったんだけど。諸戸が『私』へ伸ばした手を『箕浦』が宥めるように下ろさせる。成仏させるように『箕浦』が諸戸を連れ立ってゆく。


  • 白い毬を置いたのはスタッフさん?
  • 毬は風の動きを表しているけど、家の中に誰も居ない表現であると同時に(アフタートークの内容関係なく思ったのだけど)諸戸の亡霊が現れた表現なのか?
  • 君は美しいと言う人
    • 諸戸→『私』
    • 『私』→(記憶なくてごめんたぶん言ったよね)諸戸、秀ちゃん
    • 箕浦』言わない
    • 深山木→『箕浦』、諸戸
    • 手記の中の秀ちゃん吉ちゃん→(記憶なくてごめんたぶん)秀ちゃん (原作確認:手記の外では二人は声を発さないのは原作どおりか?)
    • 五郎失恋した相手
  • 『私』と『箕浦』は別人。また、《わたしである時は未来を知っており、《みのうら》であるとき未来を知らない。
  • 箕浦』も仕事内容は『私』と同じ。
  • 『手記の秀ちゃん』と『島で会った秀ちゃん』は別の存在。『島で会った秀ちゃんと吉ちゃん』は声を発さない。
  • 白い毬
  • 諸戸の衣装の汚れ見えた。すごく緑色に見えた。照明の影響すごく受けるから何色なのかわからない。『私』には黒いススのような汚れしかないのが気になった。諸戸と半々ではないのかしらん?
  • 『私』が明らかに《みのうら》に見えるのは井戸出たとき。『箕浦』が明らかに《わたし》になっているのは諸戸に襲われている時。上手からではここの『箕浦』の表情が見えなかったことが悔い。
  • 初回は焦点が集中し過ぎて見えていなかったけど《わたし》になっても『箕浦』ずっといた。
  • 『私』が演じる《わたし》は諸戸に向けて感情を込めた視線をすごく送るけど、『箕浦』をそのように見つめない。『箕浦』が演じる《わたし》は『私』にも感情の籠った目線を向けることがあるが、基本ずっと座って正面を向いて険しい顔をしている。
  • 恐怖とは襲いかかってくる諸戸で固定されている印象も受ける。ただ、それ以上にやはり『私』と『箕浦』の差異重要そう

局所的に話題になっているけものフレンズの、無料の1話を見た。

ただの低品質アニメであった。

ただ、同時に純粋な感動を覚えた。

やさしい世界、という言葉ネットミームとして使われることがあるが、それをストレート表現していると感じた。

おそらく癒しアニメ現在形がこれなんだろう。

そう考えてしまうのは、自分俺ガイルの中で1番好きなキャラ戸塚彩加であることと無関係ではない。

戸塚はいわゆる男の娘だ。

見た目は中性的というのを通り越した存在ではあるが、心理的性別男性である

しかしながら、その性格古典的ヒロイン像にほど近い。

女子力の高さでは俺ガイル女性キャラの中でもトップクラスだ。

もし、戸塚女性キャラとして描かれていたら、と考えるのは容易い。

目も当てられないほどあざといキャラクターとなっていただろう。

彼女の行動ひとつひとつに裏があると感じてしまい、無用疑心暗鬼を抱えることになったであろう、と。

然るに、逆説的に戸塚というキャラクターは、男の娘であることによって古典的ヒロイン像を「臭み」なく成立させているのだ。

ただこういった心理的状況は、現実女性絶望した結果によるものとかといえば、それは微妙的外れな指摘といえる。

これは二次元キャラ文化が生み出した歴史の中で、王道パターンらせん状に1周回った、という現象なのだろう。

話を戻してけもフレである

この作品において最も重要キャラクターサーバルちゃんであることは疑いようがない。

ネット上で観測されるフレンズたちの口調もサーバルちゃんのそれだ。

わーい!

サーバルちゃんの特筆すべき点は、幼い知性の持ち主として描かれていることだ。

彼女が登場の先頭を切ったことにより、本作が野生の動物を扱っていることがまず示されている。

そして、そんなサーバルちゃんがカバンちゃんというホモサピエンス出会い交流を深めていく過程には、優しさがあふれている。

その優しさが妙に響くのは、サーバルちゃん、ひいてはフレンズが異なる価値観を持った異種族であるからだろう。

白痴美少女が同様の言動をとったとしても、これほどまでに響くことはないだろう。

そんな時代クラナドあたりで一つの区切りがついたように思う。

はいえ、こういった形式物語はすでに異種族交流ものとしてありふれている。

特に児童向けの物語においては、道徳教育としての扱いやすさもあるせいかよく見られる物語形式だ。

けもフレの癒し構造は上記の通りだが、癒し現在進行形と評したのは、そんな児童向けアニメをほぼ無加工状態大人向け(?)アニメとして持ってきたところにあるのかもしれない。

普通は、大人向けなら大人向けに加工する。

それをせずにド直球に投げつけられた本作は、それ故に見る人を強烈に選ぶ珍作となっている。

そして、だからこそ妙に抉られるのだろう。

ネット上でサーバルちゃんに話しかけたり、サーバルちゃんになりきったりしているフレンズたちを見て思うのは、けもフレの癒し効果だ。

決しておたく幼児退行したとかではない、ストレスに対する防衛機能の表れだよ。

みんなつかれてるんだ。

ごはんたべよ?

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