はてなキーワード: 発禁とは
不祥事をやらかした俳優が出演している映画を公開すべきか・公開してもよいか問題と
不祥事をやらかした人物の功績を讃えるドキュメンタリー映画を公開すべきか・公開してもよいか問題
何か違いはあるんだろうか?
個人的には、結論としてはどちらも公開すべきだし、公開してもよいと考える。
その映画を見るか見ないか、見た結果どう感じるか、どう批評するかは、見る側が判断すればいいと思う。
「面白い内容だったのにあの出演者のせいで不祥事がちらついて集中できなかった」という感想が出るかもしれないし、「不祥事はともかく映画の出来はよかった」という感想が出るかもしれない。
それは小説やエッセイと同じで、著者に対して「あんな下衆なことしておいてどの面下げてこんな作品書いてんだ」という感想を持つ人だっているだろうのに発禁にしないのは普通のことだ。
不快に思って観に行かない人が増えるかもしれないが、かえって話題性(事件前最後の出演作みたいに)が出て観に行ってやろうという人が増えるかもしれない。
公開しなければ売上はゼロだが、公開すればいくらかは回収できる。不祥事による損害を少なく止めるという意味でも公開すればいいと思う。
俳優は、実社会で犯罪をしようがパワハラをしようが不倫をしようが、映画ではフィクションの役柄を演じている。
ほとんどの人は、アンソニー・ホプキンスがサイコパスの殺人鬼でないことや武田鉄矢が優れた教育者でないことは承知の上でフィクションを楽しんでいる。
だから俳優の実社会での行動は、フィクション映画に対する好感度を全く左右しない。私の場合ね。
まして他の出演者やスポンサーへの好感度なんて、全く下がらない。全然関係ない。
他方でドキュメンタリーはちょっと嫌な感じがする。それは実社会での人間性こそが映画への共感の元になるからだろうか。
従業員を罵倒したり殴ったりしている社長が会社を急成長させたとして、「従業員への態度と経営者としての手腕は別物」と切り分けることが果たしてできるのかという疑問がある。
『ジャニーズ事務所の輝かしい歴史、ジャニー喜多川のカリスマ性に迫る』みたいなドキュメンタリー映画があったら、私は眉を顰めてしまうだろう。監督やスポンサーに対して人を見る目がないなと思ってしまうかも。
それでも公開すべきと思うけどね。
やっぱり宗教的な何かに引っかかってるから文句を言わずにはいられないの?ああ、あれ?最近流行りの壺ってやつ?
そもそも『チ。』自体は『C教』だって言ってるのに、そういう人は「キリスト教は~」って話を始めるやん?
キリスト教をモチーフにした悪者ってかなりありふれたものだし、今までそういうものに全く触れてこなかったってことはないでしょ?
『ベルセルク』のモズグス様見て『「キリスト教は口先では博愛を唱えながらこんな凄惨な拷問をしていた」と言わんばかりの描写』とは言わんでしょ。
言わんよね?言うの?こわ~。
だから何?どこまで凄惨な拷問があったかは議論の余地があるのか知らんが、インドもアフリカも関係なく「魔女狩り」の歴史自体は消えないよ。
『チ。』を批判したいんだかキリスト教を守りたいんだかわかんないんだよな~。
『チ。』の描写が気に入らんのはいいよ。それを底本にして現実の話をするにしても、せいぜい
「『チ。』の世界では天動説から地動説への移り変わりはこうだったけど、我々の世界ではこう移り変わっていったよ!」
くらいのもんでしょ。それなら「ふーんそうなんだ!勉強になったよ!」ってなもんだけど、「だから『チ。』はクソ!」ってなったら「は?アホか?」ってなるよね。
「クソ!」くらいならまあ良いけど、なんなら青少年に悪影響だから発禁にしろくらいの勢いで批判するよね。