はてなキーワード: 発禁とは
結局のところ人類にとって妊娠出産における母体の負担がかなり洒落にならない部分が諸々の問題の根源になってる気がしなくもない。
仮に産む場合、妊娠時の長期的な負荷に加えて出産時の死が普通に見えてくる母体の負担に対して父側の負担が軽すぎる(性交時に出して終わり)のはまあ事実だろうし。
中絶するにしたって負担がかかるのは母体だけだし、中絶の負担自体も洒落にならない。
昔のヨーロッパの発禁エロ本で嫌がる尼さんを無理やり襲って云々ってシチュエーションが人気あったと何かの論説で読んだのだが、その際に紹介された作品の中の尼さんがセックスを嫌がる理由が、尊厳とか信仰ではなく単に「妊娠(と出産)して死にたくない」からだとさらっと書かれていてマジで衝撃を受けたのを覚えている。(ちなみにその尼さんは中に出さないから!とゴリ押されて流されていた)
現代は医療体制が整っているからそこまでではないにしても、人ひとり産まれてくるまでの負荷のかかり方の違いというか、性行為における侵襲性とか、そういった部分でどうしても男女が非対称になってしまうことは避けられないし、故に女性側が時に過敏すぎる反応をしてしまうのもある種仕方ない気もしないではない。他の哺乳類みたいにさらっと出産できる種なら、諸々もっと楽だったんじゃなかろうか。
次代以降のホモサピエンスがより安産に進化するか、あるいは人工子宮技術の完成を待たないと完全な解決は見えない気もしてきた。全部印象論だが。
女性オタクが共通して持ってる認識として、エロを日の当たるとこに出すことに対する忌避がある。
スレ違いトピ違いで荒れるという以前の問題として、「男性もいるこんな場所で大っぴらにそんな話をするな」って前提があって、自主的に自分たちを隔離してたというのは本当。その隔離プロセスは男からも見えるから、学級会で揉めてるみたいに見えるかもしれない。内情はもうちょっと違う。
で、もともと大っぴらにエロをやることへのタブー意識があるわけだから、男オタクがいうとこの「表現の自由」を守ることへのありがたみもないんだよね。赤松健に先生なんてつけないよw
BLが発禁になったら困るかもしれないが、広告からBL的、あるいはTL的な男性エロス表現が消えても困る女オタクはいないと思う。
ああいう広告表現って、本来は日陰のものだった女性向けエロ表現を表に持っていって半ばネタとしてうっすら馬鹿にしながら話題にしてやろうという意図でやってることだし、なくなったらなくなったで困らない。日陰で守られてたら問題ない。「女性向けの規制も、たわわレベルになるわよ!」なんて言われても、ほんと困らないんだよ。そこにすごい断絶があると思うよ。
この手の話しで、an-anのセックス特集をよく引き合いにだされるけど、あれはもともと「男性向けメディアではセックスが大っぴらに語られてるけど、女性はそうじゃないのは差別、女も大っぴらにセックスの話をしてキレイな男性を愛でよう!」って言う、女が昭和おっさんに同化することでの男女平等を目指す企画だった。
でも、今はもう昭和おっさんも迫害されてるわけだから、そういう昭和フェミの時代も終わったと思ってる。
男女問わず、人前でセックスの話はしない、フェティシズムを公の場に持ち込まない、平等でいいと思う。
実際、セックス特集買ってる女も、男のエロスを求めてるわけではなく「推しのXXくん」が見たいだけだし、半裸だったりセクシーなポーズでなくても何も問題ないんだよね。
https://www.otaru-uc.ac.jp/~egashira/diary/Cambridge/fukakai.htm
1907年『煩悶記』也奈義書房出版、岩本無縫篇。内容は藤村操が実は生き延びて書いたとする偽書。出版直後に発売禁止処分になる。
藤村は自殺未遂後、下山し、海賊船で世界を巡り、パリで悟りを開く。それを原稿にまとめて知人に託したものをまとめたものとする。「予は迷ひ初めたり。予は疑ひ初めたり。予は泣きたり、煩悶したり」と始まる。内容は社会主義や無政府主義の強い影響を受けており、発禁処分もそのためとも言われる。現在、3冊しか存在が確認されていない希少本であり、神田古本まつりに出展された際には、147万円の高値がついたことがある。そのうちの一冊は、野間光辰が所有していたことが判明し、また別の一冊を谷沢永一が所有しており、その全文が『遊星群 時代を語る好書録 明治篇』[31]に掲載されている[32][注釈 2]。また、城市郎の所蔵していたものが、明治大学に「城市郎文庫」として寄贈されている。[34]
表現の自由戦士やオタクの人たちは、「女子高生漫画広告を見た人が痴漢や女性差別をする」というダイレクトな因果関係など全くないと言う。それはそうなんだけど、論点はそこではなくて、「日経新聞のように公共性の高いメディアで女子高生を性的に表象する」ことで、「未成年の女性を性的に眼差してもいいというお墨付きを与えること」が問題なの。なんでいつまで経っても理解しようとしないんだろうね。
「ヤンキー漫画を禁止すべきなのか」なんていう屁理屈を繰り出す人もいるけど、件の漫画を発禁にしろなど誰も言っていない。今回問題になっていることに当てはめれば、「不良が同級生をいじめている(ように見える)場面を朝日や日軽が全面広告で採用する」ということけど、それはダメでしょという話。
ていうか、オタクの人たちは、満員電車で巨乳が男性に密着するという内容まであるのに、件の漫画が性的な要素がないなどという真っ赤な嘘をどうして平然とつけるんだろうね。表現の自由云々の前に、嘘をやめよう。
小宮氏とCDB氏の「論争」についても、CDB氏が何が論点なのかを分かっていないまま噛み付いているので、小宮氏が議論そのものを拒否するような態度になるのは理解できる。ただSNS上のパフォーマンスとしては悪印象なので、それはどうかとは思うけど。
人を殺すのも殴るのもNGだけど、フェミがやってるのは「人を殺す漫画と人を殴る漫画、ついでに人を殴りそうな奴が出てくる漫画を発禁にしよう」という活動であって
「殺した奴、殴った奴を補足して罰を与えよう」ではないから頭おかしいんじゃないか?と思ってるよ
それ殺人と暴力をなくしたいわけじゃなくて漫画を発禁にしたいだけだよね
殺人と暴力をなくしたい or 減らしたい ならもっと先にやることあるよね
そんな状況で「殺人と暴力をなくすことに協力しろ!もしお前は暴力シーンの出てくる漫画を持っているならまずそれを燃やせ」みたいなこと言われても困惑する
これに対し逮捕当時から「資料用だろう」などという擁護の声が上がっていたが
これは擁護にはならない。それどころか二次元の表現の存在を揺るがす深刻な後ろ弾である。
(今回のケースでは当人がそのような言い訳をしたことは一切ない)
そもそも何故児童ポルノが違法となるのか、それが分かってないからこうした手合が湧いてくるのだろう。
二次元を規制したい向きにもよく見られる勘違いだが、児童ポルノが規制されるのは決して小児性愛者の欲望が気持ち悪いからではない。
同意なく裸を撮影するのが児童に対する搾取であり虐待だからである。
その映像が公開されるのが児童に対する搾取であり虐待だからである。
そして児童には自分の意思でそれに同意するだけの知識や判断力がないからである。
最近であれば成人年齢の引き下げによるAV出演問題や性交同意年齢の議論と隣接したものである。
児童ポルノの存在を認めたいならば子供に十分な判断能力を認めるか、性的虐待を肯定するしかない。
その映像は虐待の記録であり、その映像が出回ることそのものも虐待である。
であれば必然その映像を元に絵を描くことも、描かれた絵も虐待である。
これは実際に過去に例がある。
https://www.asahi.com/articles/ASN1Y6V2SN1YUTIL03X.html
本当に資料であったなら該当の漫画は発禁にすべきだし、場合によっては購入者も児童ポルノの単純所持ということにもなるだろう。
良かった
https://togetter.com/li/1819253
今回のケースには当てはまらないし、どのような状況であれ国内で違法な場合に逮捕し有罪になることに異論はないが、
今は国際的に統一されつつあるようだが、児童の基準が国によって違うことはある。