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はてなキーワード: 古代ローマとは

2018-02-18

バカ日本人女を丸め込むのに、オリンピックほど都合のいいものはない

まず、愛国心に満ちたオリンピック選手

(若くて中性的、顔は多少悪くても可)を用意しま

 

彼に国旗競争主義をまとわせて、

日本は素晴らしい社会であることを喧伝しましょう

 

するとあら不思議

あれほど騒がれてたみーとぅーだのなんだのが嘘のように沈静化

誰もかれも競技に夢中です

 

そう、権利を主張してる革命闘志を黙らせるには

サーカスを用意すればいいだけの話

偉そうなこと言ってる連中も

股間を濡らすコンテンツさえあれば、簡単に手のひらを返すのです

 

人間本質は、古代ローマ時代から何一つ変わっていないのです

2018-01-12

anond:20180112144151

ま、ラテン語前立腺女性名詞ですしね

古代ローマ時代からそういうのはあったのでしょう(言ってみたかった)

2018-01-08

anond:20180104132743

そもそも大学入試不要、という意見ではないようなので、大学で学ぶのに必要能力としては古文漢文は該当しない、よって受験科目に入れるべきでないという主張ですよね。まず最初英語について考えてみるけど、英語能力必要なのは英語で書かれた知(論文だったり教科書だったり)にアクセスするためですよね。翻訳したものでは翻訳者バイアスがかかるから原文を読む事が求められているのだと考えます。そういう意味古文漢文古代の知に他者バイアスなしにアクセスできる能力なので英語必要というのと同じ程度には必要ではないでしょうか。欧米のまともな知識人古代ローマについて必ず学んでいます。そのためにラテン語も多くの大学必須科目になってます(ちなみにラテン語の代わりに漢文が認められる例があるようです)。もちろんこれは卒業要件の話であって、入学試験の話ではありませんが、あちらの大学入学簡単だけど卒業が難しい事はよく知られてますから、どのタイミング査定されるかの違いかと思います

2017-12-03

古代ローマとかギリシャって同性愛当たり前らしいじゃん?

LGBTブームってリベラルどころか、保守派こそ推進すべきものだろ

日本明治以降キリスト教真似た影響でホモフォビア根付いた訳だし

 

 

ああ、日本自称右翼統一教会とべったりの売国奴からかー

順調に国力落ちてますもんね

人手不足にかこつけ、韓国から労働力受け入れようとしてますもんねーw

韓国属州日本とかが夢なんでしょ?

2017-10-14

anond:20171014205936

古代ローマが滅びた時点なら、我々も「民主主義は失敗だった」と思ったんと違う?

あるとすれば一種共産主義

ただローマ民主主義と今の民主主義とが違うように、次に生まれ共産主義も我々が知っている共産主義とはシステム的に異なるものになるだろうね。

予想としては、人間を介さない再分配の形にはなるとは思うけど。

2017-10-08

東工大のアーチの何が面白いのか解説する

https://togetter.com/li/1158748

これについて。

面白いから良いんだよ!」「必要ないことをするのが芸術だ」というのは確かに正しいです。

ただ、そこから先、「なぜ面白いのか?」「建築において必要って何?」ということを考える上で知っておくとより楽しめる基礎知識について、建築の見るだけファンが少し書いてみます

そもそもアーチってなんのために存在するの?

ついこないだ、鉄筋コンクリート発明されるまでの西洋建築は、石(とサブで脆弱な木)だけでいかにかっこいい建物を建てるかの歴史でした。

今でもそうですが、かっこよさに重要なのはそのデカさです。石を適当に積んで泥で固めるだけでも、そこそこの家は作れますが、でかい建物になると梁や柱にかかる負担が大きくなって限界がありました。

そこで古代ローマ発明されたのが、東工大建物にも採用されているのと同じあの扇形のアーチです。

科学館とかの遊具で試したことがある人も多いと思いますが、アーチという構造は、他の方法で組むよりも何倍(何十倍Wikipediaに答えが書いてありそうな気がしますが見ずに進めます)も強度を高めます

主要な部分の強度が何倍かになれば、建物デカさ(≒かっこよさ)は何十倍にもできるわけで、このアーチという構造ローマ以降近代までの建築で猛威を振るいます

たとえばコロッセオはアーチ状の窓がたくさんついてますよね。あれはアーチが頑丈なお陰であんなに大きいのに今まで残ってるわけです。

それからは1500年くらいアーチをいか効率よくかっこよく使うかという問題建築にとってかなり(もっとも?)大きなテーマになっていました。

たとえば「大聖堂」で画像検索してみればわかりますが、(ルネサンス以降、ローマから1000年以上経っていても)アーチを数学的に多数組み合わせることであれだけ巨大でかっこいい建物を作っているわけです。

余談ですが、近代になってトランプのような暇な大金持ちが出てくるまでは基本的にかっこいい建物といえば教会でした。

人間はかっこいい建物をみるとすげーって思って宗教的ものを感じるので、かっこいい教会を建てるのは営業的にかなりプラスでした。

他にはすげー建物を建てるインセンティブがあってそれだけの余裕がある人はあまりいなかったので、近代までのすげー建物基本的宗教がらみです。最近新興宗教でもすげー建物を建てる傾向は健在ですね。余談終わり。

鉄骨とコンクリートの登場

さて、これまでは石を積んで建物を作る=かっこいい建物を作ろうと思えばアーチを使わざるを得ない、という状況だったわけですが、20世紀に入ってから鉄骨やコンクリートという技術建築に使えるようになりました。(たぶんWikipediaに詳しい説明があります

たとえばエッフェル塔は鉄骨を使うことで、それまでの石積みアーチでは間違いなく崩れるほどの高い=かっこいい建物を作り上げたわけです。

鉄骨とコンクリートを使えばアーチなんて使わなくてもでかい=かっこいい建物を作れるぜ!ってことでアーチを廃したやたらカクカクしてでかい建物が作られる(作れる)ようになりました。

今のビルマンションにつながるムーブメントですね。「モダニズム建築」で画像検索すれば雰囲気はわかると思います

ここまでが20世紀前半のことですが、20世紀後半になると「カクカクしてるのダサい」「いやいいでしょ」「むしろアーチが逆にいい」など色々な意見が出てきます。これが「ポストモダン建築」です(いまではほぼ思想用語ですが元は建築用語でした。当然ながらこの説明めっちゃ雑なのでWikipediaも見てください)。

ポストモダン建築としての東工大のあれ

はい。ようやく例の東工大建築まできました。

私の解釈ではあれは、「もともとアーチは必要不可欠だったが、建築技術進歩不要になった。しかし今でも伝統として無意味なアーチを採用している建物が多い。そもそもなんでアーチが存在するのかみんな忘れてない?」という意図を持って造られたのではないかと思います

その意味で、「なんかアーチが無意味面白い」という感想はまったく製作者の意図通りだったのではないかと。そして建築を専攻する学生であれば当然上記のような知識は知っているので、更に思考を進める役に立つのではないでしょうか。

冒頭で書いたとおりわたし建築素人なので、「もっとこんな意味が」とか「もっとここ書けば面白いのに」などは、詳しい人が記事書いてくれたらいいなーと思います。単純に間違ってる場所トラバブコメで指摘くれれば反映します。もっとネット建築関連の非専門家向けの記事増えろ!

2017-09-10

[]

トヨタ博物館に行ってまいりましたわ。

こちらでは古今東西の名車が展示されているのですわ。

実物が多くて一部はレプリカですわ。

古代ローマ戦車競技場を彷彿とさせる形状の展示室が

三階建てになっています

一階はおそらく整備工場で、二階が第二次世界大戦までのお車、

三階が第二次世界大戦以後のお車ですわ。

二階ではガソリン車よりも早く生まれ電気自動車

ベイカーエレクトリックが気になりましたの。

婦人にも好評だったそうで、わたくしにもふさわしくなくて?

時速40kmも出るのに安全性への配慮があまり見られなくて怖いですわ。

初期の車はみんなそうですわ。

しっかり箱型になってきてから戦前のお車はとても威厳がありました。

予備タイヤを前輪カバーの上に乗せる方式が素敵ですわ。

三階ではVW社のビートル1950年から2003年まで生産されていたことに

改めて驚きました。

ダットサンのお車のデザインだけは二階の車を思わせるものがありましたわ。

ガルウィングのお車もありましたけど、イセッタの前開きの形式おもしろかったです。

2017-07-26

(元)料理人サイゼリヤメニューについて雑に感想を述べる

自分は、客単¥5,000~¥10,000程度の中級店にて10年ほどフレンチ中心にイタリアンちょっと経験した(元)料理人

サイゼメニューについて「雑に」「適当に」感想を述べてみる。

(元)「料理人であるからして基本的には自分の好みではなく、料理としてどうなのかという点から感想を述べてみたい。

(自分の好みによるコメントも含まれるがあくまでも「基本的自分の好みではなく」な。)

もちろん、あの値段・業態なのだからそれらを無視して評価することはナンセンスと思っている。

(パスタはアルデンテであるべき!とかステーキの焼き方を聞くべき!とか、そういうのおかしいでしょ。)

分類名はサイゼ公式サイトメニューに準ずる。


サラダ

サラダは総じて悪くない。お好みで(自由に使える)粉チーズ黒胡椒をかけても楽しめる。ドレッシングもよい。

やわらかチキンは本当にやわらかく臭みもなくうま味も残っている。個人的おすすめシェフサラダ。クルミを使う等がワンランク上っぽいね


スープ

コーンクリームパンプキン共に悪くない。いずれも滑らかで素材の味を十分に表現できている。

食べたことないんで評価できないが、ミネストローネは期待できない気がしてしまう。

後述もされるが、サイゼ含め廉価店ではトマト系は総じて火の入れ加減が甘く、トマト嫌いが嫌がる香り・味を残した状態のまま提供されることが多いので。

(トマトはクーリのようにフレッシュ状態を残すか、しっかり煮込んだソースのどちらかがよいと思っている。

中途半端な火の入れ方のソース(料理)を食べた結果トマト嫌いが増えると経験上思っている。)


パン

パン類は総じて悪くない。

ちゃんとオーブン(パントリートースターがあるのかな?)で焼いてくるところは評価できる。


おつまみ

野菜ソースは玉ねぎ硫黄化合物系の臭いが残り、残念ながらサイゼでは最も評価できないものと思っているが、

グリルソーセージは秀逸。古典的ソーセージの味に近い。このソーセージ好きな人はシャルキュトリを楽しめる人だ。

野菜ソースやめて更には芋もいらないから、ディジョンマスタードを添えてくれないだろうか。

エスカルゴもよい。フォカッチャよりむしろミニフィセルを合わせることをお勧めする。

以前の自分スペシャリテでもエスカルゴはバジリックソースを合わせた。

ペルノでフランベして生クリームも使ってくれればそれに近づくが、サイゼではまぁ無理だな。

ほうれん草ソテーは、れん草が西洋種(苦みがある)と思われるので、若干ポーションを減らしてでも

東洋種(甘味が強い)を使ってもらえたらもっとよくなると思う。

残念だが評価できない筆頭はムール貝そもそもムール貝ではなくパーナ貝だし。

パーナ貝は食感が固くうまみ自体も乏しいので(しか野菜ソース使用)、メニューから外してしまってもよいくらいだと思ってしまう。


イタリアの味

おおむね悪くない。特にコメントもないが本当に悪くない。


パスタ

残念だが、これは全体的にいただけない。

食感は業態を考えれば致し方がないことなので評価対象としていないが、ソースがどれもだめ。

トマトの扱いについて前述しているが、どのソースも煮詰めが甘い。高級な素材を使用するのではなく、単にもっと煮詰めるだけでおいしくなる。

ただ煮詰めた分歩留まり悪化するので、ギリギリバランス提供していることは分かるが。

特にペペロンチーノ評価できない。

火を通したニンニクの良い香りはせず、人工香料に見られるような悪しき臭いのみが鼻につく。


ドリアグラタン

ドリアグラタン系は総じて悪くない。この値段にしてベシャメルはかなり頑張っていると思う。

低価格なベシャメルだと香料の粗悪な臭い(粉乳系のあれな)が鼻につくことが多いがサイゼではそのようなことがない。

このベシャメルが実現できるのにパスタソースの出来が悪いので残念に思う。


ピザ

ピザ系は総じて良い。生地についてはなんとも言えんが、業態を考えれば大変よくできている。

個人的感想申し訳ないが、コロコロ(ルーレット)いらない。ナイフフォークの方が食べやすい。(大人数で食べるならしかたないが。)

でもああいうところでコストダウンしてるから、あの値段で提供できるんだよね。


米料理

ごめん。食べことないので評価できない。どうなんですかね?増田諸君


肉料理

これらは妥当というしかいね。値段を(考えてはいけないんだけど)考えれば非常によく出ている。

前述しているが、野菜ソースサイゼで最も残念なものなので(素材の悪いところしか出ていない)

それを使ったメニューについてはお好みならどうぞという他ない。

どうでもいい話だが醤油ベースソースガルソースと名付けた意図はなんなのか。

ガルムとは古代ローマ時代から使われた魚醤(ナンプラーとかしょっつるとか)のことだが(ブオナッシージによる)、

こんなマニアック名称を使うのなら、サラダはインサラータと言ってほしかったし、ミネストローネもミネストラと言ってほしかったし(ry


■デザート

ごめん。ほとんど食べことないので評価できない。おそらくいずれも妥当と思われる。


■(おまけ)酒類

サイゼワインについては言わずもがなだが、グラッパ(少々癖がある)も悪くない。

興味がある人は一度食事(飲み)の最後に飲んでみることをお勧めする。

メニューには「ぶどう焼酎」などと書いてあるが、普段日本焼酎を好む人が好むものではなく、

ワインブランデーブドウ由来の酒をたしなむ人は気に入る可能性があると思う。


■(おまけ)その他

テーブル備え付けの荒く刻んだ唐辛子はよい。

オーリオピカンテではテーブルをベトベトにされてしまうだろうし、タバスコでは酢が立ってしまい辛味のみの提供とならない。

タバスコテーブルに置かなかった、しかし用意はされているのは大変に賢明であったと思う。

自分の好みだがベシャメル系の料理に卓上でタバスコをかけて食べるのが好きなので。

ちなみに、ベシャメルは古典的には塩とカイエンペッパーで調味するものであり白胡椒は使われなかった。(ベシャメルに限らず白いソースはほぼそうであった)

タバスコをかけることとは全く違うけどね。


以上

異論突っ込みはたくさんあるでしょう。

2017-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20170612013603

いや実際これは大きな問題だよ。

かといって「もともと政治について詳しい人」にの投票権を与えると、

国民の総意を正確に反映した選挙が行えなくなる。

 

ここで求められるのは、

選挙の仕組みや政治のことがほとんどわからない人の意見も』

選挙の仕組みや政治のことを理解した上で投票する』

という矛盾した目的なんだよ。

 

しかしそれを実現する手段は、ある。

それがくじ引き選挙だ。

ランダムくじ引きに当たった人に、選挙の仕組みや政治のことを理解するだけの

教育時間を設けた上で投票してもらうのだ。

 

そうすれば「もともと政治について詳しい人」というバイアスを排した上で

選挙の仕組みや政治のことを理解した選挙が行える。

これは国民義務として拒否は出来ないようにする必要はあるけどね。

 

古代ローマでも同じようなことが行われていたらしいけれど、

現代でこれを行う場合には数学的に公平であることが証明できるくじ引き

コンピュータで行えるという点が大きい。

アルゴリズムや使った乱数シードを公開するわけだ。当たりのくじは

何千人か何万人かという単位になるだろうから、いわゆる乱数調整的なことも

(現実的には)行えないしね。

2017-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20170601204538

古代ローマ元老院なんかいけ好かない知的なヒョロガリの集まりだったと思うし、奈良平安時代日本支配層のお公家様たちも歌とか読んでばっかりだったようだし、暴力は一時期全然流行らなくなるんだよな。古代においては。

2017-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20170423191509

んー?

fascinateとは

魅(惑)する、悩殺する、(…の)魂を奪う、にらんですくませる

pflanzen_pfirsich_2さん 2016/12/116:34:28

イタリアファシスト党に由来します。

語源イタリア語ファッショ(束、集団)だそうです。

外来語英語由来ばかりではありません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ファスケス

ファスケス(ラテン語: fasces ファスケース)とは、「束」を意味するラテン語名詞ファスキス (fascis) の複数形で、通常は斧の周りに木の束を結びつけたものを指す。

古代ローマで高位公職者の周囲に付き従ったリクトルが捧げ持った権威標章として使用され、20世紀ファシズム語源ともなった。日本語では儀鉞(ぎえつ)や権標、木の棒を束ねていることから束桿(そっかん)などと訳される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョヴァンニ・バッティスタ・シドティ

んー起源はファスケス

んー語源はファスケス

2017-03-27

大相撲における「殺せ」コールの解禁について

大陸出身品格に欠ける外国人力士日本出身正統派横綱が倒すという戦後力道山のごとき構図が、それ自体品格的にどうなのかという疑問が呈されつつも喝采を集めているのは否定し難い事実だ。

ここに一層相撲人気を盛り上げるスパイスとして、「幽☆遊☆白書」の暗黒武術会編で観客がやっていた「殺せ」コールを導入するのはどうだろうか。対手を屠り神へ奉納することを象徴した言葉だ。語呂が良くてコールやすく、一体感を醸成し、気分を昂揚させる効果は間違いない。

古代ローマにおける大相撲に相当するコロッセオでの剣闘を描いた映画グラディエーター」でも観客が「Kill! Kill! Kill!」とコールしていたので、歴史的正統性問題ないだろう。

2017-02-14

「人の宗教を笑うな」

なんだろう、胸が色々と痛くなってる。自分の中にこんな感情存在するのか。yahoo!トップに踊り狂う、幸福科学文字新興宗教危険な敵というストーリーは、とってもわかりやすくて、スマホを覗き込むバラバラな「個人」となった僕たちに、そいういや日本人という集団の一員だった!とアイデンティティを再認識させてくれる。気持ちいいよね。

俺の父も、今回の清水さんとほとんど一緒。20年くらい前に”幸福”を求めて出家したんです。今回の騒動で「出家」なんて言葉使うんだと驚いてるんだけど、普通企業をやめて宗教団体職員になった父。出家、というのを”瀬戸内寂聴”と、お笑い芸人さんが笑いに変えていたみたいだけど、実際は坊さん的な状態になるわけでは無いと思われる。髪の毛もそのままでいいだろうし、食事制限もなさそうだ。お寺というより、彼らの趣味教会に近い。建物は大体、古代ローマ神殿みたいな感じ。父がお祈り用の仏壇みたいなのを部屋に持ち込んだ時期があったけど、ドラクエばっかりやってた俺は「これはもしや…ダーマ神殿!?」と思ったものだ。

父はずっと家にいなかったから、俺と家族宗教への接点はほどんどなかった。そんな俺が「幸福の科学」のコミュニティに具体的に触れたことがあるのは、人生で3回。


大川隆法スーパーライブin東京ドーム

コラム】すごい昔「幸福の科学」の東京ドーム集会に潜入した時の話

http://rocketnews24.com/2017/02/13/862050/

これだよ、まさにこれ。リンク先見た途端、記憶のドアが開いた。23年前だから、当時10歳足らずの俺を、まだ宗教のことをよくわかってない母親がビクビクして連れて行った。姉は物心つく年齢だから置いてかれたんだと思う。この記事のように15歳くらいで見に行ったら、裏読みで楽しめたかもなんだけど、俺の脳が危険を察知したのか具体的な内容は覚えていない。(ただ竜に乗ったシーンは、リンク先を見ることで蘇った。脳すごい。)ただ、イベントが始まるとき、彼らにおける「お経」みたいなのをみんなで読むシーンだけ、今でも覚えている。周りは自分より背の大きな大人たちで暗いブルーな照明。黒山の人だかりが一斉に立ち上がり、全く前が見えなかった。子供ながらに感じたのは、大人たちの高揚感と空気。内容は違うにせよ、大人になって同じ場所ミスチルコンサートを見たときと、感じ取る空気感は変わらない。彼らにとってはハレの日であり、インディーズバンドメジャーデビューするような、お祭りだったんだね。


東京都内のどっかの集会

これも小学生の時。父親仕事を見る、的な学校課題があったのか?母と見に行ったら、ダーマ神殿内部の集会場みたいな場所で、老人相手に説法を説いている父がいた。イメージ葬式後に坊さんが喋る、ありがたい系の話だったような記憶がある。職員はそこの運営をやったり、教えを説いているっぽい。今回の清水さんは広告塔しての貢献度が高いから、映画出演や広報選挙戦出馬とかさせられるんだろう。ただ出家して職員になったら、教えを広めるのが基本の仕事だろうから、まあ似たようなイメージなのかと推測する。


総本山的な施設での墓の説明

これは大人になってから、なので7年くらい前かなあ。父親から話がある、と、おそらく人生一度きりになるだろう召集がかかった。どっかの山奥。この施設永代供養できる場所があり入りたい。お前の了承が欲しい、と。俺とか母は嫌なら自分で別の墓を選んでもいい、みたいな確認をして、かくかくしかじか。結局了承したんです。ずっと避けていた父の決意というか意思の固さやピュアさを前にして、何も言えなかった。というか、あれ?自分に彼を否定できる根拠ってあったっけ?とも感じました。他者への想像力の無さも、自身の信念があまりに脆いことも体感した。あの時は、あまりに無力だったなあ。んで、ずっとその場所っておじさんの声で呪文テープで流れてるんですよ。なんかこりゃ聴いたことあるなあ?って思ったら、あ!16年前の①のライブセットリスト1曲目のやつ!


散々コスられてきているように、俺もネタっぽく書いたように、”普通”とか”世間”と比較して見ると、みんなで嘲笑できるトンデモ面白い対象なんです。


③の施設見学したんだけど、彼らにはコミュニティがあって(地方経営難ゴルフ場なんかを買い取って作ってるから相当疎外された感はある)そこに怪しい金ピカのモニュメントとか作って、学校なんかも作っている。隔離されて、オリジナルの歌とか教科書とかを元に教育を受けるのだろう。子供はそれが当たり前だと思うんだから洗脳されちゃうよね。歴史教科書とかは興味本位で見てみたい。勝手に乗り移って本出せちゃうくらいなんだからアパホテルなんて比じゃないクオリティなんだろう(と予想される。ちゃんとした内容だったらすみません)。


出家して職員になった父を憎んでいたけど、尊敬していることもある。自分が信じている絶対世界を全く家族押し付けて来なかったこと。これは問題になっている清水さんの両親と圧倒的に違う差だと思う。本来自分課題や状況に合わせて、必要から門を叩く存在であるのが宗教だと思うんだけど。生まれた時から両親から信じ込ませられてしまったら敵わないでしょう。まあ信者の人からしたら、身近な子供自然教育してしまうんだろうし、そうやって宗教って続いてきた歴史もあるんだろうけけどさ。”必要とされている人”のところに、クリーンに行き届けばいいのになあ。


時は流れ、俺は結婚して子供が生まれた。寝息を立てる愛しい我が子を左横に見ながら、ベッドの上で増田投稿する文章ぽちぽち考えている。iPhoneスクロールしていくと、件のニュースに紐づいた感情的ヤフーコメントたちが姿を表す。”普通”の感覚からしたら、よくわかる。だけど自分が生きている世界が、価値観が、本当に正しいと”信じ込んでいる”という側面では、どっちも50歩100歩じゃないなのでは?とも思ってしまう。信じる人にかける言葉も、感情的コメント欄の彼らにかける言葉も、想像してもあまりにも答えがなくて、難しくて。どちらも真剣で、本当は笑っちゃいけない気がするんですよ。


そして自分の子供が物心ついた時にどんな言葉をかけられるのだろう。誰かを嘲笑するのをためらう想像力と、自分が信じるに値する経験を積んで欲しい。それってどう教育すりゃいいのだ?難しくね?

答えが出ずに途方にくれる、新米父さんの自分語りにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

2017-01-17

許嫁が妊娠。でも俺セックスしてない。

想像してみてください。

あなた古代ローマ時代男性です。

職業大工

当時はかなり高所得なそこそこのステータスのある職業です。

許嫁がいます

いいとこの綺麗な娘さんです。

はやく一緒に住みたい!

セックスしたい!

ある日許嫁がいいました。

処女だけど妊娠した!」

a 別れる

b 「きっと嫌なことがあったんだろう。問い詰めるのはよそう」と受け入れて、結婚前に寝取られ可哀想な男として馬鹿にされる

あなたならどちらを選ぶ?

2016-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20161226221702

ゲイって古代ローマ時代にも記載があるぐらい古い文化なんだぞ

日本では一時は武士の嗜みと言われるぐらい一般化していたが、今はどうだ?

遺伝するモンじゃねぇんだよ

2016-08-15

私の異常な性的嗜好

私は29歳の男性自分の性欲を極めて異常で汚らわしいと感じている。私は自分ほど価値のない人間はこの世に存在しないと思い、早く殺されるべきだとも思う。

中学の時、アンデルセン自伝を読んで、親を殺した17歳の少女恋人共に斬首される描写があり、非常に興奮した覚えがある。

それ以来、若い女性子供が、(性的暴行を受けて)殺されることを見聞きしただけで、勃起射精する。よくAVにあるような拷問には全く興味がない。私が興奮するのは、以下のような素材である

古代ローマキリスト教信者女性が、輪姦され乳房を抉られて殺された話。

・同じく古代ローマで、宰相セイヤヌス10歳の娘が、「処女処刑できない」という理由で、強姦されてから死刑に処された話。

・近現代イランでも、若い女性処刑される前に強姦されることはあるという(サトラピの漫画でも言及されていた)。

戦国時代に、親に連座した子供などが、串刺しや牛裂き、釜茹などの、苦痛の多い残虐な方法処刑された話。

清朝で、反乱を起こした20歳女性が、囚人たちに輪姦された後、凌遅刑公衆の前で裸にし、乳房をはじめ体中の肉を時間をかけて削ぎ落す刑)で処刑された話。

19世紀英国で7~10歳の男の子が、窃盗放火などの罪で、公衆の前で絞首刑となった話。しかもその絞首刑はロングドロップ発明される以前なので、窒息により十数分苦しむ方法体重の軽い子供が、中々死ねずに悶え苦しむ様を、皆が楽しく見物していたということ。

現代イランで、若い女性クレーンで絞首されて、なかなか死なずに足をバタバタさせて悶え苦しむ映像がある。

・18~19世紀西欧日本で、刑死者が本人の意志に関わりなく強制的献体され、特に女性男性医師興味本位性器子宮などを解剖された話。あるいは少年が皮を剥がれて本の装丁にされ、骨は標本として最近まで展示されていた話。

性的ポーズを取らされている「人体の不思議展」が、実は死刑囚の体を同意なしに加工しているという噂。

20世紀アメリカで、14歳黒人少年や16歳の黒人少女電気椅子処刑され、少女強制的献体させられた話。

アメリカ猟奇殺人犯A・フィッシュが、誘拐した少年を、棒で全身を殴って痛めつけて肉を柔らかくしてから、殺して食べた話。その他様々な、子供対象とした残虐な殺人事件

コンクリート詰め殺人事件台湾の白燕燕ちゃん事件ルーマニア女子大生暴行殺人事件などの詳細(被害女性いかに酷い性的虐待の末、命を奪われたか)。

現代における女性死刑囚と、その死刑執行ニュース最近では江藤幸子さんや吉田純子さんといった女性が、絞首された後、遺体全裸にされて、漏らした大小便を拭かれたのだろうと想像すること。

中国若い女性死刑執行前に見せる無念そうな顔と、その女性が頭を打ち抜かれて、物言わぬ肉塊となっている写真1990年代00年代自分と同じ空気を吸っていた若い女性が、今は腐って土となっていると思うこと。

こういった話や映像を見聞きするたびに、何度でも勃起射精する。おそらく、一人の人格女性子供)が、地獄のような苦痛と辱めを感じながら、短い人生の長い最期の時を過ごしたという事実に、強烈な万能感のようなものを感じるのだと思う。

宗教を信じていれば、苦痛の中で死んだ人も、来世で報われると信じることができるだろう。しかし、私は信仰が無いので、短い人生最期の瞬間をこのように悲惨な形で終えた人は、それでお終いなのだと思うしかない。この人たちの人生は、犯され辱められ、いたぶられて殺され、墓にも入れてもらえない、そんな目に遭うためのものだったのだと思うことが、快楽なのだ

死刑が好きなのも、おそらく死刑囚の死は社会が望む死で、殺人被害者と違って悼まれることがないからだろう。あるいは自分死刑執行する権力の側に置くことで、いい気になっているのだ。

家族や友人・知人には無論、一切秘密である

精神科医簡単に話したことがあるが、「性癖治療必要はない」と言われた。確かに私は、痴漢暴行動物虐待などの犯罪はしようと思ったこともなく、表面的には紳士的な人物として通っている。

しかし、私の内面はこのように鬼畜にも劣る人格の持ち主だ。本当に死刑に相当するとさえ思う。しかし、今のところ自殺はする気にならないし、遺書に何て書いてよいのかもわからない。

誰かが私を誘拐し、「因果応報だ」と言いながら、私が自慰ネタにしていた方法で私を拷問し、処刑することがまっとうな気がする。

スーパー精肉コーナーに行くと、ここが私の居るべき場所のように思う。屠畜される牛や豚が羨ましい。私は「死にたくない!」と泣き叫びながらも屠殺場に引きずられ、そこで全裸にされて、股間から鋸で切断され、内臓を取り出され、枝肉にされたい。そして全国の大人子供に食べられたい。食べられて消化され、大小便となって排泄されたい。あるいは、家畜の糞尿と混ぜてミミズの餌とし肥料にして畑にまき、あるいは肉骨粉となって家畜飼料となって、牛糞や豚の糞となるのもよいだろう。あるいは猟奇殺人犯に捕まって、嬲り殺された後、トイレ殺人犯の糞尿と一緒に流されるのもよい。とにかく、私が死ぬことで誰も悲しむ者がいなく、逆に喜ぶ人がいるような、そんな死に方をしたい。墓や葬儀は嫌だ。生ゴミとして処理されたい。世界中から永遠に忘れられたい。

私は死にたいのではない。でも生きていても空虚しかない。自分を殺したい。命乞いする自分無慈悲に殺したい。なんのために生まれてきたのだろう?

追記)タイトルの誤字を「志向」→「嗜好」に訂正しました。(2016/08/18)

2016-05-19

ズートピア』が描くグロテスクな"多様性"

 『ズートピア』はオーウェル小説動物農場』のディズニー流のアップデートである舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間ほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。

 しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定ディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会酷似した)社会形態のを、グロテスクものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。

 「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。

 『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり権力立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠権力側の良いように用いることそのもの社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代イデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要はいったいどういう形のものなのか。

 まず、そもそものズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前一種ミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想のものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力象徴として現れる警察だって最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきもの還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。

 オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品ハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザインマジョリティマイノリティ形成マクロでいうところの都市デザインミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見しかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャル性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか

 だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニー子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのフォーカスをあてようとするのは、作品もつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品からしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである

 これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除忘却に支えられたグロテスク世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動欺瞞http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学根本を辿れば、動物植物をあしらった、古代ローマ美術様式の一つであるグロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウント形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つのグロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女暴行を働いたキツネギデオンウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。

 「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日アメリカ象徴し、公的権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在アメリカをはじめとする先進諸国社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビア女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスターガゼルモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまりガゼルトランスジェンダーポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。

ヘイルシーザー鑑賞メモ

※本編内容に抵触しま

劇場予告編を見て面白そうと思って観に行ったんだけど、予告編と内容ちょっと違い過ぎない…??

おかしいなと思ったので家に帰ってきて予告編見返したけど、あれだと出てくる俳優役の人物達が誘拐されたスターを捜すのになんか尽力してるみたいに見える(特にスカーレットハンソン

・主役の何でも屋さん(ジョシュ・ブローリン)のことを映画プロデューサー勘違いしてていつ何でも屋(というか探偵みたいな感じかと思ってた)が出てくるんだろうと…もうすでに出てたとは…。

1950年代の話なので、劇中映画なのか、そうじゃないのかたまに区別がつかなくなるというか、モノローグが劇中映画の中の話なのかなんなのかたまによくわからなくなった。1950年代って次代設定がもうなんか映画世界だったので。

字幕版だとモノローグが詩的で意味を把握するまでのタイムラグがきつかったな〜。英語理解できたらよかったのに。意味がわかるころには次の字幕へみたいな感じでちょっと辛い。

・でも吹き替えだとなまり面白さわかんなくなっちゃうしな…。

・昔のハリウッド映画あるあるなのかな?という話題もちらほらあって、赤狩りとかアメリカ文化を障りしか知らないと「???」となる場面があったり。

・なんか散らかり方が凄かったな…という印象。劇中劇ダンス、歌)とかやってみせたかっただけで、本筋になんの関係性もないよね?

誘拐はなんの謎でもなくて、割とさらっと問題解決するので、「誘拐事件」を本筋と思って観に行くとちょっと肩すかし食らう。

煽り文句みたいに全然難解な事件に挑んでない。

・「誘拐事件」を本筋と思ったらスカーレットハンソンの部分は丸ごとなくても大丈夫だし。

・正しくは、1950年代ハリウッド俳優たちが起こすドタバタ事件敬虔な何でも屋が問題解決していく!映画って刺激的で面白い!!が煽り文句だと思う。

・そう思ってみるととてもユーモラス溢れて、エッジの効いた俳優達がみんな愛おしく見えるし、主役の何でも屋の気苦労がわかる。

ジョージ・クルーニー無駄いかな…と思ったけど、最後劇中劇、大作映画の締めの台詞を言うためだけに起用されたんではないかと思った。あそこはジーンて胸にきた。

・または阿部寛テルマエロマエ)と同じ理由で…古代ローマ顔だから??

・とにかく変な編集された予告に騙された。先入観なかったらもっと面白かったかも。

・次に見たいのは「マネーモンスターhttp://www.moneymonster.jp/splash/

オーシャンズファンとしてはこの二人見ておかないと。ただミケランジェロプロジェクトとといい、ヘイルシーザーといい、大好きなジョージ・クルーニー出演作で微妙だな〜作品連発したので少し心配だけども監督ジョディフォスターなので信じて劇場に観に行く。

今日の予告で気になった映画…「怒り」http://www.ikari-movie.com/

滝藤賢一が気になるだけかもしれないけど…「SCOOP」http://scoop-movie.jp/ 滝藤さん出てるだけで全部見たくなるからほんと困る。

2016-05-04

Leicesterと書いてレスターと読む

ってまるでフランス語みたいに文字が飛んでんなと思った。

Leicesterは

(Roman) fort of the Ligore people

の意である

「-cester」はラテン語の「castra」に由来し、これがローマ軍の「砦(fort)」の意味である

「Manchester」とか「Lancaster」とかいろいろありますね。

「Lei-」は「ligore」であり、これはソアー川の昔の名前なのだが、

According to a suggestion due to William Somner (1701) the Soar river may formerly have been called the Leir, from Brittonic Ligera or Ligora, cognate with the French Loire.

で、フランス語の「loire」の説明を見ると、

「ロワール」という名前は、ラテン語のLigerから来ており、ガリア語ケルト語)での川の名前「liga」の転写であるガリア語で「liga」は「沈殿物」を意味する。この単語は、ぶどう酒などの澱を意味するフランス語lieや、英語のleesとなった。「liga」は、インドヨーロッパ祖語の「横たわる」を意味する「*legh-」から来ており、この祖語は英語のlay、ledge、lawなど多くの単語の元となった。

ということらしく、つまり「legh」→「liga」→「ligore」→「leir」→「lei-」なのか。

一方で、

レイア(Leir)は、ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』に登場する、伝説的なブリトン人の王。その話はウィリアム・シェイクスピアの『リア王』の材源になった。レイア王の伝説ウェールズ神話海神スィール(Llŷr)の形からまり、後に歴史的背景が与えられたものと考えられている。

(中略)

ジェフリーの『ブリタニア列王史』では、レイアは父ブラドッドの後を継いでブリタニア王となり、ブリタニア王では最長となる60年間統治した。レイアはソアー川(River Soar)沿いにカールレイア(現レスター)という町を建設した。

であり、つまりどういうことだってばよ

古代ローマ時代にすでに砦があったんならレイア王の「カールレイア」は後付けくさいが。

ともあれ、レスター優勝おめでとう!

2016-01-15

天空の城ラピュタ』はそんなに面白いか?

ストーリーは『ルパン三世 カリオストロの城』の焼き直しである

しかも、『カリオストロの城』はきちんとラストが盛り上がるのに対し、『ラピュタ』はティディス要塞での攻防がクライマックスであり、その後は盛り上がらない。

ラピュタ崩壊時計台崩壊は同じなのだが、『カリオストロの城』では古代ローマ都市が現れることでストーリーが完結する。

一方で『ラピュタ』ではムスカとの戦いを放棄してしまい、ほろびの言葉を使ってお話を投げ出してしまう。

この違いがなぜ生じたかというと、『カリオストロの城』には山崎晴哉氏という本業脚本家が付いたからだろう。

しかしながら、ティディス要塞でのシータ救出の盛り上がりは大変なものである

画、セリフ音楽、すべてがシンクロする瞬間は鳥肌ものだ。

バルス祭り“なるものが行われるようだが、『ラピュタ』ではパズーシータを救出する瞬間、「シータ!!!」で盛り上がるべきだと思う。

2015-12-15

[] pleb

日本語で言うところの「底辺」「DQN」に相当する煽り文句。もっぱらイギリス英語で使われるスラング

古代ローマ階級制度におけるプレブス平民)に由来する。

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