はてなキーワード: 集合体とは
この世界の宇宙にある星の生態系は絶えず新陳代謝(リセット)を繰り返していて「泡」という集合体はそのリセットさせるプログラムみたいなもん
「泡」には自我は無く、宇宙全体をランダムにクロールし生態系を見つけたらリセットをするだけの存在
自我は無いのだけど「泡」同士連携を取るために共鳴音(歌?)を出しているのね。でもその音は生物たちには聴こえない……
んで話は劇中の5年前
今回地球がリセット対象に選ばれ地球の生物を消し去ろうと、「泡」が世界中に降り注いだ!!
そんなとき「泡」の一部が「ヒビキ」という「泡」の共鳴音(歌?)が聴こえるイレギュラーに出会ってしまいバグが発生
当然ウタはヒビキとヒビキのいる世界を壊したくないと思うのよ(これはラブストーリーのオキテだから深くは考えるな。一目惚れってやつさ)
よく知らんがバグ「ウタ」は他の泡より強い権限を持っていて、その権限を使い世界崩壊を食い止めるべく世界中に降る泡を一箇所に集めて封印したのよ
なんで東京に集めたんだってツッコミはするなよ集まっちゃったんだよ。そんでなんか知らんが大爆発。東京沈没だよ。めっちゃ迷惑やん
ヒビキ少年はその爆発に巻き込まれ死にかけるんだけどウタが守った。それが終盤近くにある過去回想、東京タワー辺りのシーンね
そして劇中の時間に戻って
5年経って「泡」の封印が弱まってしまい、終盤のように再び地球を滅ぼそうと暴走し始めたのね
その暴走を食い止めるため「泡」に戻り、自分の持ってる強い権限を使用して地球をリセットしようとしていた「泡」のプログラムを書き換えたの
終盤「泡」が赤→青に変化していったシーンね(赤い泡が地球破壊プログラム、青がウタ)
身を挺して愛する人とその人が生きる世界を守った切ないラブストーリーさ
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/animovie/1652184109/585
長すぎん?これ全部読む人おるんか
超ご注意下さい。
ワクワクは取っておいて下さい。
。
。。
。。。
『ソ連の諜報員(KGB⁇)とのカーチェイス』や、『米国に爆弾が仕掛けられました。』とか、『米国への侵入ルート』みたいな話しになった時、
『え???? んな話し聞いたこと無いけど⁇⁇』自分達が知らないだけで、そんな『アルカポネ時代のマフィアとの抗争』みたいな、秘密裏の激戦が繰り広げられていたんだろうか…⁇
脚色⁇⁇
とか思ってたら、、、
騙された笑笑
この野郎…ww
自分の中では『ザ・ロックの大佐』『トゥルーマン・ショーのディレクター』とかのイメージがあるけど、
この人って頭良さそうで、凄い綺麗な目をしてるから、なんか『悪人』に見えないんだよね。
なんか訳があって『悪人』してる人。
みたいな。
個人的にメリッシュ出てるの良かったです。プライベートライアンの。
この人好き。
しかし初めて『ラッセル・クロウってスゲーんだな…』って思った。
中々出来ないよこの役と、この演技。
『誰々に子守を頼んだ、誰々に子守を頼んだ』みたいな事言ってんのとか、
奥さんに世話して貰って、足引きずりながら、あの中年がせっせと大学行く姿の物悲しさ…泣
しかもそれを後ろのバカな『自分よりずっと若い大学生』にバカにされてる…とか、、
あれは悲しいし、あの哀愁を漂わせたラッセル・クロウは本当に凄いと思った。
またあのシーンに、あの人の今までの人生の全てが要約されてると思う。
統合失調症で、幻覚や幻聴が聞こえてるのは、多分『24人のビリーミリガン』の『多重人格症状』と、かなり似ているケースだと思う。
『自分がこうなりたい自分』て願望が強く反映される…って聞いたことある。
そのクソ親父が『縄で吊るし上げの拘束をする』異常暴力者(多分極度のサディスト)だったから、
人格の1つに『縄抜けの達人』てのがいる。
他にも『ナンパが上手いやつ』とか、
場面、場面に分けて、色々な人格が用意されている。
ラッセル・クロウ演じる『ジョン・ナッシュ』の『ルームメイト』も、
彼にとって『必要だった』んじゃなかろうか??
『イマジナリーフレンド(完全に妄想の場合もある。)』ってヤツで、結構『一人っ子』の『女の子』に多い。
『本や授業に出る暇はボクには無い』ってのも、あの集団の場では、極端な疎外感に苛まれるんじゃなかろうか。
実際以前海外で、『自閉症のピアニスト』の子供がテレビに出ていたんだけど、
『幼稚園や学校に行くのは、宇宙人の集団にほっぽり出されてる気分だった』って話してた。
本人は『どうしてもピアノが弾きたい』のに、
つって怒られてたのに対して、
『プリーーーズッッ‼︎泣』とかって泣き叫んでた。
が、教授の世間話しや、特に興味の無い討論とかで潰れるのが我慢ならないんだと思う。
『分かんない』だよ。仕方ない。
『分かろうとしない』んじゃないんだもん。
『それしか無い』んだよ。本当に。
だから多分、尚更『めちゃくちゃコンプレックス』が強いんだと思う。
『自分には無いものを沢山持ってる"生徒"』に対して『嫌悪感』みたいのが強く出て、『バカにしたような態度』を取ってたんだと思う。
『お前らにはどうせこの問題は分かんないだろ??笑』みたいな。
だけど結局『人前で話すこと』も、
『自信』も無いし、尚更『劣等感』が強くなっていって、
あの自室に籠るようになってったんじゃ無いかね…、、
だから多分『数学しか無い』この人が、自分を正当化させるには、
まあただ、実際あの『妄想の世界』の方が面白そうだし笑笑 自宅近くの納屋の中の秘密基地みたいな奴とか笑笑
ちなみに昔自分は精神障害を患った人の福祉施設で働いてたことがあるんだけど、
『負けず劣らず』凄い人がいる笑笑
例えば、弁護士会や医師会の『名簿リスト』の『チェック作業』てのがあって、
どちらも、専門・所属・所在地・勤務地・電話番号・年齢・名前・出身校、、、みたいな感じで、A4くらいの紙に、超細かく、嫌んなるくらいビッシリ情報が羅列されてんだけど、
それを逐一チェックしなきゃなんないんだけど、
ある利用者さんは、
5×5ぐらいに床とかに綺麗に並べて、
手元に『正しい見本の用紙』を手にすると、
だいたい10秒くらいで、
「あ、ここ間違ってます…」
とか言って『一文字だけ数字が違うヤツ』とか、名前がズレてるヤツとかを、かなり高速で、超正確にやる人が居た。
これが逆にコンピューターが無理で、
最終的に『人』しか居ないんだけど、それやれる人がその人しか居なくて、
バックが『弁護士会』と『医師会』とかだし、超正確無比なもんだから、
月に20万以上貰ってた。
オレは側から見てるだけで発狂するくらい興味も無いし、やりたくもない作業だったから、マジでその人は『神』
だと思った。
この『ビューティフル マインド』観た時は『モロにそれ思い出した』笑笑
まあ一種のサヴァン症候群のようなもの…てかサヴァン症候群だろ笑
瞬間記憶で超正確な絵が描ける人とか、、、
ちなみにこの症状、
『人と接する』事で、能力が弱くなったりするそうです。
『満足』しちゃうんだろうね。
人間は『承認欲求』はどうしてもあるんだよ。『役に立ちたい』とか。
この映画でも結局『数学』が主人公を救ったんだけど、実際は『生徒(てか同級生)』が彼をまた『教鞭の世界』に連れ戻したんだと思う。
ちなみに実際には奥さんとはこの頃既に離婚してるらしいので、私は彼を救ったのは、『同じ学び舎に居る生徒(学生)』だと思っています。
(日本の大学だったら例え『東大』でも、生徒の質がクソ過ぎてこうなって無かったかも笑笑)
また、この手の『病気』は、『脳の神経回路』や『脳内物質』の影響がほとんどなので、
『とにかく薬を飲まないと』良くなりません。
躁鬱の人がこの映画と同じく『自己判断で急に薬を辞めたり』して、
結果更に悪化したり、特に『躁状態』の時に『薬を辞めたり』するので、
最悪マジで『飛び降りちゃったり』します。若しくは『飛び込ん』じゃったり。
また日本の文豪の『芥川龍之介』も、晩年は『見ると死ぬ』と言われている『ドッペルゲンガー』に悩まされて居たらしいんだけど…、、
『自分とそっくりなドッペルゲンガーを見た者は死ぬ』。ってめちゃくちゃ有名な昔からの伝説なんだけど、
自分はただ単に、
『多分脳(若しくは精神)が完全に限界を超えてオーバーヒートしちゃってる人』がただ単に『幻覚』として見るんだと思う。
昔は『脳の知識』や『精神の知識』なんて、特に無いしね。医学も薬も発達して無いし。
脳の角度は、僅か数%違うだけで、偉い支障が出る。
要は恐らく、『実は我々にもこの能力は備わっているんだけど、普段は脳がそれを"敢えて制御してる"状態』なんだと思う。
こんな風にやたらめったら脳にとめどなく情報が入って来たら『キツい』でしょ?? パンクすんだよ。
数字に色が着いてたり、とある文字だけ浮かびあって来たり、とある音だけ必ず拾っちゃったりね。
『人を人と捉えられていない』のかも知れない。
それにしても素晴らしい映画でした。
エド・ハリスに会えるんだったら、
困った事あったら助言してくれそうだし…、、笑笑
まあ、この人達は、『仕事出来なくなる』からキツいんだろうな。
生活出来ないもんね。
『目付き』から『歯並び』、
犬猫なんか、お父さんお母さんの毛並みそっくりで産まれてくるからね。
あれ不思議なんだけど、豹柄やブチがそのまんま子に反映されたりね。
『たまに患者さんで、』
『あっ!あなた〇〇さんの娘さんでしょ⁉︎』ってすぐ分かる程、
『耳ん中が』似てたり、
『鼻ん中』の『曲がり具合』とかが、
『ほぼ全く同じ(遺伝)』だったりする例が多い!
つって笑ってよ笑
そりゃ『名前』とか『顔』じゃなく、
『臓器(内臓とか肺とか胃、脳)』
も押し並べて、良く似るんだよ。
だからこの映画の天才数学者のジョン・ナッシュの、この『強烈な』思考性や、特徴は、かなり色濃く『子供』に遺伝しやすいと思うよ。
ラッセル・クロウが凄い。
エド・ハリスは素晴らしい笑
奥さん役の人も良いよね。
あと大学時代のライバルみたいな人が結構好き。主人公より全然『大人』なんだよな。(主人公はこの人に対して『強烈な劣等感』があったんだと思う。)
あの図書室みたいなところで、学生さん皆んなで丸テーブル囲んで話し合ってるのとか、めちゃくちゃほんのりする。
『ハンハラララ〜♫ハンハラララ〜♬』みたいな、謎の森の歌みたいなヤツ笑笑
スゲえ耳に入って来て好きだったわあ笑笑
素晴らしい映画でした。
次の日普通に仕事なのに、止めらんなくて夜中までぶっ通しで見ちゃいました。
勿論仕事はソ連とナチスの日本進行を食い止める大事な諜報活動です。
あー、忙し忙し…。。
『ジョン・ナッシュ』と、
『ジョン・フォン・ノイマン』を知っておくと、より映画が面白くなるかも知れない。
だろうけどね。
端的に言うと、
『今我々が使っているコンピューターや、AIの基礎を作った人』で、
我々は未だにそれを使ってる。
て感じの人。
ちなみに両者共映画になってる笑
年代も割と被ってるよ。
『社会科学』ってやつさ。
要するに主人公は、JKであるアイちゃんに能動的・主体的には性的な関わりを持とうとしない公徳心と自制心を持っている「きれいな男性」だけど、
・アイちゃんの積極性(主人公に好意を持つ、関心を持たれたがる、はじけた胸ボタンをお守りとして渡すなど)
・両者の関係やシチュエーション(痴漢から守る役を頼まれ密着するなど)
・偶発的な状況(アイちゃんがしゃがんで胸が股間にすれるなど)
時には明らかに勃起していることや、それをアイちゃんも承知していることが仄めかされたりする。
「自分は一切責任を負うことなく、JKとのエロの方が勝手に向こうからやってくる」というストーリーの構造になっている。
ラッキースケベは主人公を免罪するが、そのようなご都合主義的なシチュエーションを意図的に組み立てて提示しているのは作者だ。
比村奇石という男性作者が、都合よくそういう世界を作り上げ、それを主には男性読者が、良心の呵責を感じることなく都合よく消費できている。
そういう卑怯な構造を無視して、「胸が大きいことをコンプレックスにしていた女性が、
個人商店と一人の客とのトラブルを愚痴ツイートしてたら炎上した話がつい最近もあったよね。
↓のおじさんと6畳の店のやつ。
渡辺朗典@nabe_routen
書店さんにとって「立ち読み」は本来してほしくないことなのは理解します。
反面、書店の店頭でタイトルを見て興味を持った本の「中身を確認する」ために手にとって数ページ読むことは、普通やるんじゃなかろうか。
それすら許されない本屋なら僕はもう行けません
一連の超連ツイの内容はクソだけどさ、あくまで愚痴ツイートではある訳。一応店名も隠してたし。
この話なんか顕著だけどさ、個人の感想をFF関係ですらない間柄で匂わせ愚痴ツイートする程度でも相手には伝わって非常に傷つくことが起きる。
呉座さえぼーなんかは鍵垢でやってたけどスクショでチクられさえぼー氏が傷つき大きな騒動に発展した。
自殺に追い込まれた木村花さんの件ではほとんどが責任を問うのも難しい個人の感想の集合体だけど、それを目にした花さんは大いに傷つき自殺するに至った。
表現の自由はもちろんあるけど、他人を傷つける自由までは認められてないのは誹謗中傷の件から明らかだが、
個人が自由に文句を言って相手が傷つく可能性を考えると、一定程度まで控えるべきだという結論になるのは仕方がないと思う。
私が考えるラインとしては、個人を対象とするような文句は第三者に見られる場所では止めろ。ということだ。
個人が作った作品も個人と作品の区別をつけずに文句言うやつが多いからNGだ。
相手に見られる前提で書かない奴が多すぎるから。それで傷つくことを想定しない奴が多すぎるから。
それでも文句が言いたい?LINEでもmixiでも井戸端会議でもいいから本人に絶対聞こえない所でやれ。
陰口が言いたいんだから聞こえない所でやれよ。
せいぜい許されるのは公人を相手にする時や大企業を相手にする時くらいだ。
指摘を受ける責任が十分あったり、責任が分散されるなら許されるでしょう。
はてなーは
俺ビックリしたよ。
絶対コイツらともう作品の感想語りたくないって本気で思っちゃったもの。
たまにいるじゃん映画終わったあとの感想語っても、自分は凄い自慢に持ってくことしか考えてないから話しててめっちゃつまらないし噛み合わない奴ら。
それにしたって遠目で見てる分にはマウント合戦のための知識自慢が参考になったりするけど、もう今のはてなーって何の論拠もなく自慢だけするんだよね。
これはあの映画のこういう場面を参考にしていて、あのセリフはどこそこからの引用なんだって話ぐらいはしてから偉そうにしろって。
「自分は凄くセンスがある」っていう自分本位の大前提をいきなり持ち出して「それに沿っているからこの作品はセンスがある(ソレに沿ってないからセンスがない)」だけ言ってドヤっていく。
こんなん幼稚園児がママに「今日のカレーは甘すぎた(辛すぎた」と言ってるのとなんら変わらねえから。
それでなんで「ふふーん俺様の完璧なレビューが決まっちまいましたね」って顔してるのが完全に意味不明。
しかも何が意味不明って他人の脳みそに考えてもらう癖のついた人達が「あっ、じゃあ俺もその感想に乗っかります」って一口馬主みたいに☆入れまくってトップブコメに押し上げてること。
お前それでいいのか?
ドン引きと失望、いや侮蔑や嘲笑が主成分になっている感情が次々湧き上がってきた。
そうなんだ。
前からちょっと変な人達だと思ってたけど、この程度の連中のくせにあんなにも偉そうだったからいつもいつも物凄く歪で的外れだったんだなって確信に変わった。
本当に気持ち悪いよ。
書き込む前に自分のコメントが、他人から見て意味不明じゃないかを確認した方がいい。
自分の顔を鏡で見ないで手慣れで化粧をして、それをチェックもせずに街を出歩くようなもんだよ。
気づかないうちに眉毛片方切り落としてるのに本人だけが分からないで会社に行ってるような状態だよ。
それを見て「ぷぷぷ、本当にお似合いですね」と言われて「そう?いつもどおりだけど」って澄ましてるような気恥ずかしさ。
共感性羞恥だっけ。
君たちの言い方だと。
deamu はてなの人達ですら「妻のために他人を殴る」男を称賛しちゃう有様なのにびっくりしました。あと、他人に暴力を振るうハードルが低い男を高評価にしてたら、そりゃ家族に暴力を振るう夫を引きやすくなるよね
zenkamonozenkamono 和フェミ(はてフェミ含む)の矛盾っぷり、精神の幼児性、男女平等の都合のいい所だけのつまみ食い、普段「有害な男らしさ」とか言いながら女を守る暴力なら称賛するダブスタ、そんなのが明らかになった反応だったね
妻を庇ったことは確かだが「女だから庇った」事実はないのだが?
仮に兄を庇って暴力を振るっていたらこのブクマカは「男だから庇った」と言うだろうか?言わないよね
結局ブクマカ本人に「有害な男らしさ」の思考がこびりついてるから
勝手に「女だから庇った」と勘違いし、勝手に批判してるだけでは
探すと他ブクマでもあるなー
tonton-jiji アレって要は「俺の女に手ぇ出しやがって」ってのと同じだからね。パターナリズムとマッチョイズムとトロフィーワイフの集合体。もちろん言う方も殴られる覚悟もってから言おうな。
adatom 単に日本では妻のために行動する勇猛(笑)が女性から過剰賞賛されてるのと、男性侮蔑はOKだが女性侮蔑はNGな人が多いだけ。あと日本では強い男が弱い男を一見正当な理由でボコるのを女性が好む。各種エンタメでも明らか
まったく明らかではないし、そこまで言い切るならデータ出そう
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220323202641
参考:ぼく勉のスカートめくりについて書いてたnote https://note.com/siotamari/n/n37a081298024
ぼく勉のスカートめくりは未就学児が大人に対してやっていて成幸はそれを叱っている。扱いが軽いと言うなら、どうするのが適切なのか聞いてみたい
いや軽いでしょ~~~。そこで戦おうとするのはやめようよ~~~~。
これだけ言って済ませたいのは山々なんだけど、ちょうど好きな漫画の話題だったので詳しく言うね。
まず未就学児は明確に事実誤認な。教師になった主人公の生徒なんだから当然就学児だよ。大人に対してっていうのは免罪符になるのか? よくわからんが。
なんで軽く見えるかと言えばまず「なななんてことを!」みたいに成幸が動揺しながら言ってるのがまず良くないと思うよ。真面目に叱ってる感じしないもの。しかもこの一言だけでその後で「あれは良くないことだ」みたいに諭すシーンもない。たとえるとボケに対するツッコミレベルなんだよね。一言叱ってそれで終わり。本気でやめさせる気あるようには見えないよ。
子どもたちが反省するシーンがないのも軽く見える理由の一つだよね。「逃げろ逃げろ」って言って逃げて終わり。スカートめくりって先生から叱られても逃げればいいような行為ってわけじゃないよね。「やってはいけないことなんだ」とこの子供が理解するシーンが一つもない。
ブコメでも言われてるけど「やった子供が本気で反省して二度とやらなくなる雰囲気でもないし例えばあれ読んだ子供が「こんなもんで済むのか」と思うほうが自然な内容」じゃん。軽い以外に言いようあるかこれ?(無論多くの子供は漫画でどう描写されていようが家庭や学校生活の中ですでにしてはいけないことだと理解しているだろうが)
例えば扱いの軽重を「お咎めなし」を0、「加害者が周囲から全否定され転校を余儀なくされる」を10としたときには明らかに0寄りだよね。
重さ軽さにもグラデーションあるし、10でなければならないとかは俺は全く賛同しないしむしろ0から10までいろんな漫画があっていいと思うけど、ぼく勉の描写が軽いのは明らかじゃん。
あとそもそもこういう描写を「軽くない」って擁護するのやめたほうがいいと思うんだよね。(本気で軽くないと思っている人には言ってもしょうがないが。このしょうがないというのは言っても無駄という意味ではなく、個人個人で感覚は全く違うのでという意味です)
なんでやめたほうがいいかというと、このレベルの昭和ノリで手癖で描いてるセクハラ描写を「軽くない」と擁護することのほうがリスクが高いから。
「軽くない」という言葉は「軽くないから問題がない」と捉えられるし、それは容易に「軽いものは問題だ」という主張に結びつく。
意図せずとも描写内容によっては規制されうるという危険性を孕んでんだよ。
じゃあこれが軽いか軽くないかっていうのをジャッジするのは誰かっていうと世間だけど、これ軽くないって判断されると思う? 少なくとも重くはないでしょ? 子供を諭してもいないし子どもたちは反省すらしてない。
そのうえスカートめくりされた次のページでスカートめくられた女の母親が「これも経験」って言ってるんだぞ?(スカートめくりそのものではなく、予防接種をするにあたって子どもたちを手懐けられず逃げられてることについてではあるけど、スカートめくりされたことも含んでいると読んでも違和感はない)
スカートめくりをしたことへの扱いが軽いって言われてもしょーがないでしょこんなもん。そのレベルで争ってもしかたないよ。スカートめくりに限った話じゃないけどぼく勉は全体的にラッキースケベ描写の扱いが雑すぎる。
同じジャンプでもゆらぎ荘だったらコガラシさんが全力で回避しようとしてるし、結果触ったり見たりしたら全力で謝ったり反省している。もっと昔のToLOVEるだってリトはそうだし、性欲全開で生きてる校長は女生徒から汚物のごとく扱われ、まともな人間扱いされてない。
ゆらぎ荘やToLOVEるはエロコメではあるけど、だからこそそれは本来やってはいけないんだというメッセージが込められているのに、ぼく勉にはそういった意識がほとんど見えない。反省も謝罪もなく一言怒られて終わり。何も考えず手癖で描いてるんだろうけどだから扱いが軽く見えるんだよ。
そうじゃなくって軽いけど問題はないんだってスタンスでいようよ。俺はこの立場だよ。
ぼく勉のセクハラ描写はクソ雑で苦笑いしたくなるけど、キャラの可愛さとか演出とかそういう側面が優れてるから好きだし、セクハラ描写だけを取り上げられて軽い軽くないで言い争われるのが嫌なんだよ。
軽いけどそういう漫画もあっていいし、軽いけどそれは悪い漫画というわけじゃないって話にしたいんだよ。
真面目に扱うのが適当なのかもしれないけど、そうするとテンポが悪くなるし漫画の雰囲気にも合わないからそうはしないってはっきり言えばいい。
軽く扱っていると言われても不快に思われても当然だけど、それはそれとしてこういう漫画があってもいいし、それを楽しむことは何も問題はない、規制しろと言われても応じる必要はない。そういう主張をしていけばいい。
軽くないでしょとかいうより軽いけどそれが何なんだと言ったほうがいい。
軽いか軽くないかを問題にした時点で、軽ければ規制される余地があるというのと同じことなんだから。
が適切だとお思いで?
いやそこまでやらんでも……ってどっちかというと引くけど。明確にスカートめくりを扱ってなにか描こうとしてる作品じゃなければやりすぎだろう。
ブコメにあったから引用しただけで10にしてるんだから極端な例だよ。お咎めなしを0にしてるんだから両極端な例として出したつもりなんだが伝わらないのかこれ?
普通に教師が諭して子供が反省するシーンがあれば「軽く」は見えないんじゃないかと俺は思うよ。
繰り返すけど軽いから悪いとは思わないし、それ以外の要素との全体のバランスもあるからそうすべきとは言わないよ。
でもそういうシーンがないんだから軽いと言われるのはしょうがないでしょう。
普通に教師が諭して子供が反省するシーンがあれば「軽く」は見えないんじゃないかと俺は思うよ。
うん、それくらいが妥当だね
いやまあ立ち入らないからいいんだけど、
作品の流れやバランス、作者の意向等々の理由で軽く扱うことは全然問題ない。ただそれはそれとしてできるストーリーだろうができないストーリーだろうが結果として軽いものが出てきてるんだから軽いって言われることは仕方ない。それより軽くてもいいんだって話をしよう
って話を最初から延々としてるんだがそんなに伝わりづらいかこれ。
読んだことなくて申し訳無いがおそらく「新米教師が生徒の予想しない行動に上手く対応できない」ことを描写シーンにおいて「厳然たる対応ができなかった」ことが「軽い」と評価される、ということですか?
読んだことないので仕方ないけど、この話の中ではむしろ未熟な研修医のヒロインと対比して一人前の教師である主人公という描かれ方をされているので「新米教師」というのは事実誤認。
「僕の感覚で0~10の尺度を作りました、この尺度によれば軽いということが分かります」という言説の危なっかしさが分からないもんかな?/転校を量刑10に設定する権利は誰にあるの?
そもそも軽いから悪い、軽くないからいいという話にしてはいけないというのが俺の主張であって、軽重の話に主眼をおいていないのでそのたとえ話にツッコまれてもな……。いや本気で軽くないからいいんだと思っていて、そういう話がしたいならしょうがないけど。(このしょうがないというのは言っても無駄という意味ではなく、個人個人で感覚は全く違うのでという意味です)
尺度なんて個人個人で持つしかないでしょ? 俺がたとえてるんだから俺の尺度だよ。あなたの尺度で測ればこうだって話したいならすればいいじゃん。
別にスカートめくりが推奨されるを0に置いてもいいしスカートめくりをしたら死刑を10に置いてもいいしスカートめくりをしたことを真摯に反省して謝罪するを10に置いてもいいし。単に各々の持つ尺度の集合体が法学で言うところの「社会通念」になるというだけの話であって。
俺はそもそもそういう尺度で測った結果がなんであろうが漫画として描くのは自由だって立場だけど。
個人的にはなんでわざわざそういうお気持ち次第でどうにでもなる土俵に乗りたがるのか理解できない。しかもこんな不利な描写で。粛々と現実に悪影響がないんだから不快に思うかもしれないが規制する必要がないって言ってれば良くない?
いや本気で軽くないと思っているのであれば言ってもしょうがないが。このしょうがないというのは言っても無駄という意味ではなく、個人個人で感覚は全く違うのでという意味です。
そもそも軽い漫画なので重い描写はあり得ない。ギャグ漫画では傷害も軽く描写される。クソガキは人間扱いされてない。増田もTo LOVEるの校長はキモがられてるからOKとかダブスタで好き勝手言うよね。
医者であるヒロインの父親は昔主人公の父親を助けられず死なせてしまった。何年も経って離島で主人公とヒロインが再会して、主人公は子供を救うために怪我して重体になった。研修医になっていたヒロインが今度こそ主人公を手術して助ける。ってシリアスな展開をやったぼく勉に向かってなんて言葉を。 >軽い漫画
クソガキは人間扱いされてないToLOVEるの校長と同じ枠なので反省しようがしまいが無問題というのはまあ一理あるんだけど、作者はこのクソガキが洞窟に滑り落ちたのを主人公に助けられて説教されたことで洞窟に入ったことを反省するのを人と向き合うとか言ってるからな。
少なくともクソガキは作者の中では校長と同じような「理解できない生き物」という枠ではなく人間として描かれてるのでそれは採用できない。
校長を例に出したのはああいうことをすると人間として扱われず汚物扱いされるという描写だからだよ。ああいう扱いされてしまうようなことなんだな、やってはいけないんだなと思えるような描写だから。
まず君の考える「長期的」というのが全然長期的ではない、ということを認識してほしい。
まだ、インターネットが本格的に普及してから、20年かそこらしか経っていない。
生まれた瞬間からインターネットに触っていた人間は、今年二十歳になった人間のなかですら、少数派だ。まだ20年前はPCの無い家庭とか普通だった。
人間っていうのは大抵の場合、子供のころに最初に学んだことを、そのまま死ぬまで忘れないでいく。三つ子の魂百までは、観察できる事実であり、生物としてのヒトの性質だ。ヒトは大人になってから変化したりしない。しかも子供は親から学び、大抵は親と同じ信仰を持つようになる。
従って地域全体の傾向っていうのは、大人が大人のまま生きているうちは、変化しない。
ネットの影響で言えば、ダブルクリックも碌にわからないようなジジババたちが全員死んで、本は大抵電子書籍でよ読みますけど、ってやつらがジジババの地位を占めるようになって、初めて明確に表れるようになる。だからインターネットでヒトが賢くなったか、明確に判るようになるのは、まだずいぶん先の話だ。
たぶん今の40台が100歳になってもまだ早いだろう。その世代には、まだラインの返信も碌に使いこなせないようなやつが沢山いる。
そのうえで、本屋や図書館についていえば、これは存在することによって地域の知の底上げに資することがもうわかっています。明治や昭和の進学率の変化によって。
まじで代替手段が皆無の状態から、本屋図書館が増えた場合の話だけどね。既に大手本屋やアマゾンがあるのに、自称質の良い本屋が地域に増えたからといって、何か変化がおきるかというと起きないだろうな。
いいですか!日琉語族が弥生時代に朝鮮半島から伝来したのはもはや定説なんですよ!
仮に文字として記録に残っていない縄文時代の言語が日本語の起源であるならば、縄文人の遺伝子を最も強く受け継ぐアイヌの言語が日本語と全くの別系統である説明がつかないわけですよ。
アイヌ語族は鎌倉時代に現ロシア沿岸部、サハリンから流入した言語?何を馬鹿なこと言ってるんですか!
そしたら東北地方に残るアイヌ語族の地名が説明つかないし、大陸にアイヌ語族の痕跡がないのもおかしいじゃないですか!
そもそもですよ!日琉語族の痕跡が残っているのは唯一朝鮮半島だけなのです!
朝鮮半島の歴史書である三国史記に地名としての日琉語族の痕跡が残っている!
それ以前は各地の豪族の集合体、大王の連合が倭国だったのです。
そしてAD663年の白村江の戦いで大王たちのルーツであった伽耶任那、百済が滅亡したことをきっかけに「日本」を名乗るようになるのです。
ようするに手ほどきが雑なんだよ。もっといろいろな状況設定を自分でできてかつ自分で考えられるように、つまり応用が効くようになるためには言葉足らずだと思うんだ。
相対論レベルの話を大学受験のチャート式だとかみたいなノリで懇切丁寧に「手ほどき」するレベルまで人類は進歩してない。そもそも需要がない。
それは自分で教科書を唸りながら読んだりランダウくたばれと思いながら章末問題を解いたり論文を読んだり自分で研究をしたりして身につけるしかない。
物理の理論、特に相対論みたいなものは可能な限り一般的な法則を記述しようとしているわけで、工学みたいな「実例集」の集合体ではない。
実例集をいくら集めても、それを抽象化して一般的な形式にしそれが現象を正しく予測することを確かめなければ理論にはならない。
去年1年間、ブクマカをしていた。
2021年のブクマカのスター獲得ランキングに入っていたし(1万スター以上獲得)、それなりに活動していたと思う。
加えて増田のファーストブクマもしていた。2021年ファーストブクマカランキングに入っていたので、ファーストブクマカと言っても差し支えないないだろう。
あと増田も投稿していた。こちらはあいにくあまり活躍できず、2021年増田文学にかろうじて1つランクインしたくらいだった。200ブクマくらいなら数十件あるが、1000ブクマの壁は厚い。
それでなぜブクマカを半分引退したかというと、理由はいくつかある。
ニュースでも増田でも、これは伸びる、という記事がある。その記事の初めの方にするコメントは、基本的に伸びやすい。ここで変なコメントをすると、「トップコメはおかしい」などと吊るし上げられることすらある。だから初めの方にするコメントは割と推敲する。スターがもらいやすいのは、みんなの気持ちを代弁するようなコメント。すると、「自分が言いたいことはこのコメントが言ってくれてるから星をつけておこう」となるからたくさん星がもらえる。
そんな形で俺はスターを集めていたのだが、これが結構疲れる。ブクマカの気持ちを想像し、それを100文字でまとめ、早い段階でコメントをする必要があるので、エネルギーを使うのだ。またこれとは別に大喜利的な回答にしても、長文じゃないと人気コメントにならないので、長文の大喜利を考えないといけない。そんなこんなでブコメするのに疲れてしまった。
増田を見るときは、Chromeの拡張「コンパクトな増田」を利用し、長文もしくはトラバではない増田だけを見るのだが、実際ちゃんと見るには、すべての増田に目を通す必要がある。トラックバックに面白い増田がある場合もあるからだ。しかしこれがかなり精神に堪える。増田の大半はネガティブな内容なので、それに目を通すのは実際病んでしまう。しかも自分が良いと思った増田にファーストブクマしても、伸びないと結構悲しい。
また自分がファーストブクマしなくても、他のファーストブクマカがブクマしてくれてる場合も結構ある。なんだ、俺はいらないんじゃないか、そう思ってファーストブクマカもやめた。
今はブックマークもコメントもせず、はてなブックマークの人気エントリやコメントを読むだけにしている。ROM専だ。ただ増田にだけは時々投稿している。トラックバックはせず、自分の思いついた日記を単体で投稿する。数日後に伸びていてトラバやコメントが付いていると嬉しいしありがたい。
俺にはこの距離感が丁度良いのかもしれない。実際、前はブクマに依存していた。どこか、「はてブが俺の居場所。ブクマカや増田は俺の理解者」みたいになっていた。いやいや、これは危ない傾向だ。ブクマカや増田は個人ではないし、集合体だ。個人的に付き合うものではないし、時には斧が飛んでくる。そんなものに依存しちゃいけない。適度な距離を保って付き合うのがいい。
まあそんなことを言いながら、またブクマカをするかもしれない。だからタイトルに「半分引退」と書いた。俺がはてブに依存しないようになれれば、また戻ってくるかもしれない。