はてなキーワード: レコメンドとは
ただ、こうしてみんなが読書から離れて、スマホに夢中になるほど、ほぼ毎日本を読んでいる俺勝ち組。
youtubeにあるインフルエンサーやビジネス系の情報だけで世の中渡って行けると思った?
そんなに甘くないぞ?
見るにしてもある程度自走出来るくらいの思考力が無いと、自己啓発本を読んだ時みたいな地獄が待ってる。
Amazonなどの、ネット書店で本を選ぶんだって、ある程度の知識、経験が必要なんだよ(服だって最初からZOZOで買うの難しいだろ)
知識も経験も無いのに、どうやってネットで適切な買い物が出来るんだよ。 そうして今夜も大勢の人がレコメンドに流されて、メンタリストDaiGoが勧めていた意味不明な難しい本を買うんだろう
ネット通販で自分の知的レベルに合った本が買えるようになるまでは、書店なり図書館で多くのリアル本棚に触れる経験が必要だ。自分は3年かかった。
30年後には「止まらない! 日本人の思考力低下!」とか、ワイドショーで言ってそうだぜ。
がんばれおまえら。
Amazon Primeでレコメンデーションに俺の好みがどうしても反映されない。
だからこの匿名ダイアリーというクソの穴場で俺の好みを明確にしておくぜ。
まず「おっぱいガール系」というものがある。これは俺の好みではない。
つまり性的な何かを売りにしているタイプのものだ。サムネも性的な感じが少しでもあればブロック。
おっぱいガールがキャピキャピしているサムネのアニメはダメだし、同じ理屈でそういう洋画もダメ。
あとおっぱいガールのハーレムを楽しむ異世界転生とかそういう類もNG。
もちろんおっぱいガールとの恋愛も、コメディ的センスがない限りは基本NGである。ビックバンセオリーはコメディセンスがあるので例外的にOKだ。
おっぱいガール系で減点だが、コンセプトとしては良かったものがノーゲームノーライフだった。
ま、本当におっぱいガールを見たければxvideosで十分だろう。
次に「差別系」がある。どういうものかというと、人種や性別を平等に参加させようとしてかえって差別的になっているものだ。
Mr&Mrsスミスは、サムネで黒人とアジア人が手を繋いでいるからまずブロック対象。
MIBも古い作品は良かったが、最新のものはダメだ。フェミニストが「女だってやるときはやるのよ、負け犬男!」と言っている臭いがキツイ。
あとやたらグロテスクなサイコ系の作品もNG。俺はサイコパスではないので、グロは楽しめない。エイリアンは見ていて不快感しか感じない。ハンニバルもクソ。
他には「自己啓発系」というものは苦手だ。「弱キャラなんとか君」という作品があったが、東京人が気取っているだけの作品はやめてくれ。
では俺が得意な作品はなんなのか。
まずアメコミから生まれたSciFi作品は大歓迎だ。アイアンマン、X-men、スパイダーマン、いいじゃないか最高だ。
SciFiで言えばスタートレックはかなり良い線を言っている。少なくとも初期の作品においては。
こういうタイプの作品は最新ものになると急に内容が劣化してきて、映像クオリティしかウリがなくなるみたいなんだよな。
ハリーポッターやロードオブザリングは誰もが楽しめるタイプの作品と言って良いだろう。これらは王道だ。
見てみたいアニメとしては、Steins Gateが挙げられる。これは、たまたま「物理学者が見るべきアニメ」という海外記事で見かけて、面白そうだと思ったからだ。
現実主義のドキュメンタリーは基本的にはどれも面白く、モーガンフリーマン「時空を超えて」は最高のシリーズだ。ただ、私の環境では視聴制限がされている。
あとはミニマリストが何を考えているのか紹介するといったドキュメンタリーも見ていて面白い。
現実主義という点で言えば、シリコンバレー、Numb3rs、Mr.Robotも面白かった。テクノロジーや数学を紹介する作品は、背後に登場する概念が本物かどうかを見極めたくなるが、これらの作品では基本コンセプトとしてはまともなことを言っている。
なお、当たりかハズレかわからない誰も知らないような作品というものがたまにレコメンドされるが、こういうものも俺の興味の一つである。
地味で誰も評価しない、世間からクソと言われている(しかし俺は言っていない)作品の中の会話を観察すると、笑えるポイントや興味深いところがあったりする。そういうのを探すのも映画鑑賞の楽しみとしてありだろう。
だが、性的なアニメやサイコ系映画の表示があまりにも精神を蝕んでいたので、Amazon連中が見てくれればと思って書いた。
俺をみくびっているからそんなクソなレコメンデーションをしているのか、それともアルゴリズムが本当に低レベルなのかはわからない。
どうしてだろうという思いをずっとしている。
私は一読者なので「そうか、芦原先生のあの素敵な作品の続きがもう二度と読めないのか」とぼんやり思っている。まだ本当に現実に起きたことなのかうまく受け入れられないでいるのだ。
本屋さんでなんの気なしに手に取ったことから始まったと思う。1.2巻だけ試しに買ったらとても面白くて母親と一緒に本屋に行くたびに買い足して親子ともども楽しんでいた。
読み始めた頃は小学生だったから正直全部を汲み取ったというより「そういうラブコメ」を見ているような感覚だった。藤くんかっこいいー、杏と大吾どうなるんだーみたいな。
でも次第に年齢を重ねながら読んでいくうちにこれはただの恋のお話ではないと気づく。主人公が何度もうまく生きれなくなる瞬間があって、その都度立ち上がったり、折れそうになったり、その生きづらさも繊細な強さにも何度も涙した。
多分砂時計を知っている人ならみんな思い浮かべるあの仁摩サンドミュージアム。
幼い頃に主人公が見上げたシーンも、大人になってから見上げたシーンもそれぞれとても印象に残っている。
主人公の記憶を追随したかった私は高校生のころ親にせがんで島根まで連れて行ってもらった。
幼少期の主人公は「たったこれだけの大きさか」と言っていたけれど私はその大きさに圧倒された。
「砂時計のあのシーンだ!」と何度も何度も上を見上げて感動の声を上げた。作品を読んでいたからこそその気持ちは何倍にも膨れ上がったのだと思う。
帰りに主人公が母親に買ってもらった同じサイズの砂時計を同じく母親に買ってもらい、とても嬉しかった。
大事に抱きしめて今でも箱まで取っておいてある。
そういう、私の私自身と、私の家族との思い出の中に砂時計はある。
それから以降の作品pieceもBread&Butterも読み、そして社会人になって「セクシー田中さん」に出会った。
正直めちゃくちゃ泣いた。
これは社会人の、いち女性であればあるほどすごく共感できてしまう漫画で、フィクションを越えて自分に置き換えて考えてしまう。とても大事な作品だった。
女性として生きていれば本当にどこにでもよくありそうな話がたくさんあった。砂時計とはまた少し違う、生きづらさがそこに描かれていた。
それでも登場人物の成長や、芦原先生によって紡がれる言葉に何度も励まされ、涙を流した。毎巻待ちきれずたまに雑誌を買うこともあった。そして実写化の話を知る。
正直私は実写化に反対だった。というのも全員キャスティングのイメージが違ったからだ。
キャストさんが悪いわけではなく、制作側が本当に本を読んだんだろうか?と思うほどあまりにもイメージが違ったのだ(漫画の田中さんはわりと骨っぽいイメージだけれど、演者さんは丸く可愛らしい感じだったりなど他にも言いたいことは山ほどある。)
それでも、私は一読者なので文句があるなら見なければいい、そういうスタンスだったためドラマの開始は知りつつも1話も見なかった。
知ってるキャストさんが何人か出ていて楽しそうにしていたけれど、「まぁイメージとは違うし、私には原作があるし」と対岸の火事だった。
だから本当につい最近まで何があったのかよく知らなかったのだ。
芦原先生のアカウントができたことを小耳に挟んでやったー!と小躍りで見に行ったらどうやらこんなことになっているようだぞ、と。
知らなかった。対岸の火事が一気に目の前まで広がって私は1人で勝手に怒り狂った。「やっぱりな!」「だから見てなかったんだよね!」「先生に辛い思いをさせるな!」など内心ぐちぐちしていた。
でもその時もこうなるとは思わなかった。
思うわけないじゃないか。
そう、だって私は芦原先生ではないので。ドラマすら見てない「対岸の火事」の人なわけで、芦原先生が辛い最中にいるとは知っていても理解していなかった。
私は見ないふりができるけど芦原先生はそれをせず向き合い続けなければならかった。
それをわかっておらず「私は原作派なので次の新刊楽しみにしてます」だなんて呑気に思っていたのだ。
火蓋が切られたのは脚本家さんのSNSだったように思う(もちろん原因はドラマ開始時から始まる、テレビ局含む地続きの話なのだけれど)。
本当にやるせない。やるせないでしかない。
もちろん誰かを責めるつもりはない。
SNSの怖さは知っている。軽く放った言葉はすぐに刃になってしまう。
先生の最後のツイートも、とても痛々しく胸に突き刺さる。だからこそやるせないのだ。
本当にたらればを考えてしまう。
ドラマ化の話がなかったら。
作者ではなく出版社が戦っていれば。
どうしてどうして。
どこかで誰かが止められなかったのかと思うけれど、何度考えても一読者の自分には何もできなかったと思うことが心苦しい。
同業の方々がそれぞれ悲しみの声を上げていて、
同じ気持ち(と言っていいかわからないけど)を抱えてくれてありがたいと思う一方で、自分勝手に辛くなってしまうのでSNSをそっと閉じた。
よくないとは思うが「会社」としてはそれぞれこれからのことを考えて欲しいと思う。
特に日本テレビの(正直自己擁護に見える)コメントには失望を超えて絶望した。
人の心ある?よくこの言葉を今言えたな、もっとほかに言い回しあったじゃん…本当にちゃんと考えてあのコメントを出したのか理解に苦しむ。
放つ言葉に責任を持って仕事をするのはメディアの仕事の範囲に含まれないのだろうか。
(まぁこんなことを言っても「一読者の私」の声なんて日本テレビには届かない。
問い合わせとかしたところでどうせ該当の人たちには届かないだろう。せいぜいコメントチェックした人が人間の感情がいきなりぶつかってきたことに不快になるだけだ)
どうしてどうしてと考えていたらこんな時間になり、朝を迎えてしまった。
何かを伝えたいとかもなく、自分の心の整理のために書いている。
ああこれから先、芦原先生の作品を見返せば素晴らしい作品だなあ!という感情以上に、
「セクシー田中さんが未完で終わってしまったこと」「先生が死んでしまったこと」を思い出してしまうんだなぁ。
島根に行って、仁摩サンドミュージアムに行っても出雲大社に行っても思い出して泣いてしまうんだ。
残される辛さを、砂時計で教えてくれたではないですか。私は今しにたい気持ちを必死に抑えられているのはその作品があったからですよ。
先生の苦しみは死で救われたのでしょうか。
天国とやらに行って何か美味しいものでも食べているのでしょうか。
私にはまだわかりませんが、そちらの世界が優しくあたたかな世界であることを願います。
そして今までたくさんの素敵な作品を生み出してくださりありがとうございます。
筆者は学部、院ともに京都にあるとある国立大を卒業しており、世間的には高学歴であろう。
当然、知り合う人々も似たような教養レベルであるため、レコメンドされるアカウントもまた同様で、フォローしてるアカウントには高学歴が多かった。
だが最近、趣味の広がりが増えてきたことで低学歴の知り合いも増え、フォローするアカウントにも低学歴が増えてきた。
正直なところ、表面的にはポストされる内容のレベルにそんなに差なんてない。
敢えて差を見出すのであれば、高学歴になるとちょっと長文になり、ちょっと漢字が多くなり、ちょっとブルーバッジ持ちが増える、という程度。
そんな中、たった一つだけ、絶対にこれ学歴と相関があるだろ、という差異を見つけてしまった。
それは「低学歴は、めったに調べない」ってこと。
高学歴は「○○ってどうしてなのかな」とポストした後、数分~数時間くらいで「調べてみたら○○だった」と続く。
あるいは、最初から「○○について調べてみたら、○○だった」と調べてみた結果をポストしてくる。
一方で、低学歴は「調べない」のだ。
調べればわかることなのに。
疑問は持つが、その疑問を積極的に解消しようとはせず、疑問は疑問のまま脳からフェイドアウトしてしまうらしい。
なぁぜなぁぜ?で脳が停止してしまうのだ。
知らないこと、分からないことを課題と捉えて、積極的に解消しようとする、それが高学歴の振舞いなのだろう。
低学歴の皆さんは、調べ方が分からないのか、あるいは手を動かさない人特有のメンドクサイが発動してしまうのか。
それどころか知らないことを解消するべき課題と認識していない可能性もある。
推理するに、その積み重ねが学業成績の差となり、学歴の差に結び付いたのだろう。
疑問を持つって素晴らしいことなんだ。
疑問を持ち、調べ、なぜかと考える、その過程が人間の知性を前に進ませる。
せっかく疑問を持ったのなら、調べようよ。
ノゲノラを見て「おお、スカッとするアニメやな」と思って、似たようなアニメがないかと「この作品を見た人はこれも見ています」を参考にたどった
見つけたのが「ようこそ実力至上主義の教室へ」というやつで、見てみたらネチネチしててなんにもスカッとしなかった
その後、弱キャラ友崎ってのをみたが、これもくだらないネチネチした人間劇でつまらない
なんというか「気取った東京人がクソ自己啓発本を読んでいる延長線です!」みたいなのは見たくないんだよな
かといって、洋画も洋画でサイコパスっぽいグロテスクなものばかりがレコメンドされる
「有名人と知り合いなんだ」とか「あの仕事俺がやったんだ」みたいな、絶対バレる嘘をつく人の気がしれない。小学生なら「注目されたかったんだな」と思えるけど、大人になってもそれをやってる人は何なんだろう。前に付き合ってた人がそうだった。
「あのMVで助監督やったんだよね、ロケがきつくてさ〜」と言ってたのでYouTubeを見に行ったらクレジットはないし、なんなら自分はその監督と知り合いだったので「◯◯って人が助監督やったらしいんですけど、どんな人だったんですか」みたいな話をしたら「誰? あー見習いの子かな」と言っていた。別の日は「俺は東大の院に通ってたからわかるけど、東大のヤツはみんなここで飲むんだよ」と神田の居酒屋で滔々と語っていた(彼の出身大学は東大ではなく、大学院も東大ではない)。中学生の時はMITのハッカーと一緒に活動していたらしい。著名人とも知り合いらしくて「Mrs. GREEN APPLEとは飲み友達で、藤田ニコルは合コンにすぐ呼べる仲」と言っていた。電通インターンに「研究室のツテ」で特別参加したと言っていたが、そんなイレギュラーはない。彼が「高校の時、恩師に勧めてもらってから大事にしてる」と私にレコメンドしてきた書籍は2年前に発売されたものだった。もっと細々した嘘はたくさんあったのだけど、ありすぎて思い出せなくなった。
彼の話をすべて真実だとうけとめると、彼はMIT公認のハッカーで、WOMBの舞台に立つDJで、有名ミュージシャンのMVを数多く手掛け、東大の修士を取得した、有名人とは飲み仲間の、しがない会社員ということになる。
耐えきれなくなったので「どうして嘘つくの?」と聞いたら「信じてくれないなんて酷い」と言われた。その後自然消滅したのだけど、あの人はなんだったんだろう。
彼をTinderで見かけたことがあったのだけど「港区在住」と書いていた。引っ越したのかもしれないけど、都内住みではないよね…。
最近、本屋での会計時にブックカバーをするかしないかを聞かれないことが増えている。コストカットなのかもしれないが、だったらamazonで買うよ、ってなる。ポイントとかも付くところもあるが、管理が面倒くさい。
東京駅付近の再開発で無くなった本屋は何故か建設会社が経営していたが、書籍卸に経営権が移譲された途端、色々コストカットしてその本屋のしおりとかも無くなった。本を購入後に、近くのカフェで一つ一つの本にその本屋のしおりを挟むのが楽しみだったので、その他の「改善」策が逆に本屋をつまらなくした点もあって、その本屋に行かなくなった。
そもそも本を何冊も買うとなるときに、日本の本屋では会計時にやや迷惑感がある。本を沢山買う人は、amazonで買うのがもはやマナーなのかもしれない。
「謎のコストカット」「本屋での体験を作れない」「本を大量に買う人の需要軽視」「使いにくいITシステム」などなど。それらは、薄利多売、付加価値を生むことが出来ない商売感覚、雑な顧客解像度、今までやってきたことをこれからもやりたい願望の表明、日本のダメな商売の典型例である気もする。
結局amazonのレコメンドやレビューのシステムを通じて新しい本に出会う機会が多いので、自分はこのインフラが繁栄していくことを最も重視するべきなのだろう。日本の本屋業界のリーダーがダサすぎるのは、少し残念だが。
'サービス 開発 リモートワーク 提供 機械学習 プロダクト ソリューション 大規模 技術 要件 する チーム 企画 運用 設計 検索 ため 推進 製品 活用 改善 通信 投資 terraform アーキテクチャ フレームワーク ポジション データ 用い cto プラットフォーム gcp 課題 ビジネス 備考 リーダー scala クラウドサービス 配信 利用 リード 特化 github 処理 ユーザー ci js パーソルクロステクノロジー 新規 喫煙 月額 ai 提案 ビッグデータ クラウド 検知 仕様 スクラム 受注 施策 連携 マーケティング 展開 主体的 インフラ メディア フレックスタイム制 翻訳 広告 社会 事業内容 年俸制 行動 対する マネジメント 音声 自然言語処理 東京メトロ django レコメンド 保養 docker 購入 分析 go メンバー 解決 フルフレックス 検討 jira sas ステークホルダー 折衝 基本給 定義 創業 表彰 新橋駅 インターネット ansible'
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分かった、君にとってゲームとは、競技性が高くルール変更にシビアなものだけがゲームなんだろう。
運営型ゲームの中でも原神のように1年先まで見据えているかのような舌を巻くバランス調整能力を見せるものもあり、ルールの変化が離れていた者にとっても必ずしも不利にならない世界も存在しているんだが、
そもそも一人プレイのコンピュータゲームの愛好家がそこまでルール変更にシビアさとリアルとの隔絶を求める理由もないので、やはりゲーマーには二種類おり、どんなゲームをするにあたってもゲームを通して他人と競いたい、張り合いたいタイプの人だったんだろう。
意地悪く言うと、ゲームを自分の強さ賢さを見せつけるためのツールとして認識しているとも言える。
そういうタイプなら日々刻々と更新されていく運営型ゲームが、適応コストが高すぎてどうしても受け入れられないのは仕方ない。
でも、思考ベースが他人を視野に入れてしまうタイプだとしても、必ずしも格ゲーばかりやっているわけではなく、オフラインのRPGをやることもあるだろう?
俺も長年オンラインゲームをやっていて、よく遭遇する質問として「今から始めても楽しめるか」とか、極端なものだと「最新でない(運営型)ゲームをやる意味はない」みたいな発想にふれることは多い。
ゲームがサービスとしてリアルタイムに進行していく性質特有の懸念だと思う。
だが、「ゲームの本質」がどこにあると思うのか、によってその答えは変わってくるだろう。
つまり、他人を視野にいれて、古参においつけるか、という意味なら、ほとんどの場合NOだ。
タイム・トゥ・ウィン度合いが少なくなっている最近のゲームであっても、やはり知識量などの引き出しは古参にかなわない。
けれど、競争要素がないソロ仕様の運営型ゲームにおいて、ゲームの主要コンテンツを楽しめるか、という意味では、
始めるのが早かろうと遅かろうと、ブランクを開けようと開けまいと、無課金だろうと微課金だろうと、十分に楽しめる作りになっている作品が今はほとんどだと俺は思う。
もちろん、強さやデータの充実に拘泥してしまえば、取り逃したモノに対する雑念を振り払うスキルなしには心の平穏を保てないかもしれないが。
本当に大切なものは、そんなデータ上の充実ではなく、プレイした我々が受け取る心の動きだと俺は思う。そう考えれば払拭しやすいだろう。
その点俺なんかは自慢できる部分が古参であるくらいで、新参プレーヤーが世界に没入して素晴らしい二次創作なんかを作っているのを見ると、感性の豊かさを羨ましく思う。
ルールの中で、他人と張り合う――そういう関わり方だけじゃない、世界観に浸る個人的なゲームとの付き合い方、現実とともにある多角的なゲームIPの楽しみ方を理解するようになれば、
推薦システムを開発しているが、テクが色々あるので匿名ダイアリーに公開しておく。
要点としては、一般的な仕組みを作って設定UIを作っておき、あとはUIから権力者にいじらせるということ。
まず、レコメンドの際に「フィルタリング」と「スコアリング」を分けて考える必要がある。
フィルタリングの段階では、除外するアイテムを指定して絞り込みを行う。「このユーザーは過去にこのアイテムを嫌いと言っているから、これに似ているアイテムは除外」とかそんな具合だ。
フィルタリングを行って残った集合Xに対して、スコアリング関数f1, f2, ..., fnを用意しておく。スコアはy_i = f_i(X)で出せる。
ここからが肝なんだが、「誰もが納得するソート基準」なんてものは基本的にないと考えて良い。
ステークホルダーの中で「俺が推薦システムのソート順を操るのだ」と権力を持つ人がいたら、そいつにソート順を操れるようにUIを作っておく。
社内では「台」と読んでいるものがあるが、台にはどのfを使うかを指定しておく。台j1,...,jmを用意しておき、対応するスコアリング関数f_I(j)が存在する。
z = Σ_{i∈I(j)}(α_i y_i)というようにαをいじれるようにする。
権力者の脳内基準こそが推薦システムの要である。社会的要件など様々なフィードバックが来るだろう。そうしたらひたすら忖度するのである。
(主に中国内で)技術革新と低廉化が進んだことで、事務作業しかしないのなら2,3万の中華ミニPCで十分なスペックが出せるようになったという文脈において、「安いのでいい」と言ってるにすぎなかったり
特にタイピングにこだわりのない一般人が使う道具としてのキーボードは数千円ので十分と言ってるにすぎなかったり
文脈を読めば別にそれより上位の存在意義を否定してるわけでもなく何なら自分は高級製品を使っている練度の高い人が、低価格帯の製品のコスパ進化を褒める意味で安いのを称賛してるにすぎないんだよ
それらで満足している人はそれでいいし、どんなものを使っていても凝る人は勝手に凝って上へあがっていくわけだから
どんな人かも分からんネットの他人に最初から無駄にハードルの高い上位ラインのを勧めてしまうのはだいぶ不誠実だろう
そういう高級品のレコメンドがほしければ、ちゃんとマニアが集ってるコミュニティだとか5chスレだとかそういう場で情報収集をすればいいだけだ