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はてなキーワード: 手作りとは

2024-07-25

まじない手作りチョコレートに異物を混入させるなんてそんなの見た記憶ないけどな?

女の子の間で流行ってた恋愛成就のおまじないって、ノート好きな人名前を100回書いて自分名前を書いた消しゴムで消すとか

かばんに赤いリボンを結ぶとかとか、せいぜいそういうのじゃなかった?

2024-07-23

弱者男性こどおじだけどとてもじゃないけど結婚する気とか起きない

こどおじしてれば家事母親がやってくれる

母親手作りご飯は美味しい

部屋も居心地の良い子供部屋で家賃0

月に好きに50万くらい使える

彼女別にいらないしVtuberで十分だと気付いてしまった

この生活を捨てて得られるものが女様(笑)を一生養う権利とかギャグだろ

2024-07-18

anond:20240718140320

なるほどな。

>運営も金が入ってくるとは思ってないんだから

そうだよね。いや、そうわかってはいたけど、言葉で他の人から言ってもらうと安心できるわ。ありがとう

>差し入れ気持ち悪くない?

ちゃんとお店で買って梱包されてるやつならまだ不安がないかなと思っております。それも気持ち悪いもんなのかな?手作りとかはありえない無理気持ち悪いって感じだけど

anond:20240718110500

思い出すと色々あるが、狙って出すのはむずくね?

手作りジュエリーのワイヤーアートようの謎ペンチ群を見かけたときは驚いたな。

プレゼントでは村上春樹小説世界の終りと〜」が個人的にはそれだった。

2024-07-17

限界底辺独身貧民だけど週滅にしか調理しないし自炊に飽きた

平日は調理する時間がないので、粉末だしと醤油みりんを小さじ1/2とお湯300mlでうどんを煮るだけ。

それに納豆豆腐を別々で食べる。

たまたまほうれん草の湯がいたやつがある場合うどんほうれん草トッピングされる。

最近は週末も塩やきそばカレー肉じゃがポークステーキ親子丼小松菜厚揚げを煮たやつ、野菜シマシラーメン、ペペロンチーノカルボナーラ、何か野菜ベーコンを入れただけのコンソメスープサラダを付ける場合ポテトサラダもしくはレタス中心の適当サラダ、夏は冷しゃぶ、冬は湯豆腐のはずが具が多すぎる謎の鍋、シチューといった指で数えられる程度のローテーションになってきた。

人参玉ねぎキャベツなどの指定野菜かいうやつ以外の野菜は高いよね。だからこれ以外には手が出せない。

ご飯はある程度炊いて冷凍する。あの炊きたてご飯の味を僕はまだ知らない。

昔は唐揚げコロッケエビフライとんかつ天ぷら作ってみたけど、揚げ物はコストの割にベネフィットが少ない。

大量に作って冷凍して1ヶ月これだけで生きるとかやればベネフィットコストを上回るのか?

ラタトゥイユやら炊き込みご飯やらオムライスやらチャーハンなども作ってたけど飽きた。

貰い物のだし醤油を、付いてきたレシピで使い切ってみたりもしたが、そのだし醤油日常的に買わないので続かなかった。

お好み焼きは1回で4〜5枚程度作って冷凍するのだが、フライパンで1枚ずつ作るよりホットプレートで複数枚ずつ作る方が時間的にお得じゃね?と思い始めて、ホットプレートを買うまで作れなくなった。

ハンバーグは昔は手作りで、今は焼くだけのやつを買ってくるけどチーズを乗せたいから、チーズがクソ高くなって食べられなくなった。ハンバーグだけのためにケチャップを買うのもねえ。

料理は魚が高くなってもう二度と食べられないねえ。

この料理レパートリーの少なさでは結婚できないし子育てもできない。

もちろん結婚できない要素は他に致命的なものいくらでもあるが。

2024-07-15

anond:20240715035013

最早ほぼ3次元で抜いてないけど結局クリエイター手作り供給が少なすぎるんだよ

TINTINモザイクがかからないようになればもう少しVRAVもどうにかなる

2024-07-14

余裕のない家庭で育った

Twitter?Xで流れてきたこの人

@Tree_kiki09

見てたら気分悪くなったからここで供養する

うちは俺入れて子供が4人いる家族だった

親はこの人と同じ、多分年収300万以下

父親は寝ていることが多かった、夜勤仕事

両親の実家は遠く頼ってなかった

今思うと祖父母すら貧困世帯だった

俺ら兄弟部活は入っていたがずっとサイズアウトしたスニーカーを履いていた

友達に誘われた遊びは断ることが多かった

みんながバーベキューしてる日、俺は図書室で本を読んでいた

それでも在学中に付き合ってくれた友人には感謝している

親にお小遣いが欲しい、サイズが合わないと言えなかった

家族行事もほぼなかった、クリスマスには手作りケーキを作っていた

一度でいいかケンタッキーが食べたかった

それでも幸せだと感じてたのは幼少期だけ

大きくなって外と比べられるようになると今までみたいに無条件で幸せだなんて思えなくなる

そうじゃない自分が惨めで恥ずかしかった

幸せと感じるのは本人次第、というが

子供は好きで生まれたわけじゃないのに急に放り出される

親は幸せだと言った、俺らはそうじゃなかった

世の支援は親に対するもので、俺らのことは見てないのが事実

お金出すのは親だからそうだろうが、結局親のものなのだ

俺は大学に行けなかった、積立はしてたが、行きたい学校と見合わなかった

親に言った、もうこれ以上は出せない、下の子お金もある

学校でこの学校は?と言われたが虚しくなって高卒で働く方を選んだ

2番目も行けなかった、そのおかげが3番目4番目は進学をした

大学に行かなくても十分な社会になる方がいいのはわかるけど、そうじゃないしそういう世界なのは事実で、行けるようにするのが親の義務だと思うがな

俺も弟も子供を持つのは諦めた

こんな苦労をさせたくない、から

この人が言うように持たない理由はたくさんある

この先の日本を思うと苦労することが目に見えている

この家庭の子供たちが幸せに行きたい大学に行けることを願う

2024-07-11

ときどき、くだものを食べる。

桃がおいしそうに並んでいたし、広告の品として手頃な価格で売られていたので買ってみた。

帰り道、私がいろんなところに当ててしまったのかそれとも選ぶのが下手なのか、皮を剥くとところどころ熟れてる。小さく切って口にすると、みずみずしいもののあまり酸味も甘味がなくて美味しい桃というよりは…な味わいだった。でも、冷やして食べたあの食感が好きなので満足。

 

桃なんて、子どもの頃は滅多に食べられなかった。7年に1回くらい?桃だけではない。我が家は誰が聞いても驚くほど貧乏だったので、日持ちもしない上に安価でもない果物なんて滅多に買われない。

 

数年に一度つくる誕生日クリスマス手作りケーキだっていちごが高いからとバナナを選ばれる頻度が高かったくらいだ。何度かに一度はいちごも買ってもらえるが、そーゆー時でもなければ苺は食卓になど出てこない。

 

バナナみかん。あとは、親戚から送られてくる梨。ごく稀にりんご。それ以外はほとんど買うことがなかった。

そりゃそうだ。果物はドがつくほど貧乏人の食べ物ではない。

 

でも今は、平均年収で働く会社員子どもを育ててるわけでも、ローン返済に追われてるわけでもない私は、比較的好きなとき果物が買える。

月に多くて2回くらいだろうか。デラウェアパイナップル(切られたやつ)、ぶどうバナナみかん、その他気になったり食べたくなったりする果物スーパーで買う。

なんという贅沢。ひとつ250円とか360円とか、肉や魚以外でそーゆー単価のものを買うことにものすごく「いけないこと」感がある。

桃をむく、苺を洗う、ぶどうタネを出す、金柑甘露煮にする…働き出すまで、人生でそれぞれ数回しか食べたことがない果物記憶を呼び起こして、どうやって食べてたかを思いだす。

 

キラキラつやつやの果物をお皿から食べる時、とても幸福気持ちになる。みずみずしくて、お菓子とはまた別の甘さ。ほんとうに、贅沢だ。

2024-07-09

自分の父が毒親だとわかった日

「30年近く同居している祖母精神疾患があると知った日」

https://anond.hatelabo.jp/20240706023024

数日前に↑を投稿した。

思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かにしたことほとんどなかったから。

前回の投稿追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリング相談に行った。

そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。

コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。

正直、私は今も自分の父を毒親という言葉表現していいのかはわからない。

でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。

長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。

私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。

悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。

私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。

それでも父は猛勉強して、希望していた大学合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母一人暮らしになり、このタイミング精神疾患発症し、精神科に3回入院していたようだ。

父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。

父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。

父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつ価値観になってしまった。

ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。

父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。

父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。

仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事ラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。

家族食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。

私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。

から母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。

気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。

喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。

いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。

学校休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。

でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。

行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。

父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。

中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。

そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。

その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。

え?お父さんとお母さんってこんなに普通に話すもの

友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。

え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの

友達の家の全てが衝撃だった。

私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか

私って、ひどい娘なんじゃないか

ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。

そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。

それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。

父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。

私が直接父に不満を言うことはなかった。

父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから父親が下手なのも当然だと思っていた。

父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。

父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。

自分父親大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。

それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。

こうして私は父を避けて生きるようになる。

ここから祖母の話になる。

正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロ相手をしてくれたことくらいだ。

日中妄想独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室手作り人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。

様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。

でもまともな祖母を見たことがなかった。だから祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。

祖母普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。

クラス友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんボケちゃって〜と笑っていた。

それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。

みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。

祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。

「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。

空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。

今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母普通じゃないんだ。それがわからなかった自分普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。

私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。

「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。

私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。

祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。

次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母無視してその場を離れた。

部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。

こんなことは日常茶飯事だった。

祖母がずっとずっと不気味だった。

でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。

祖母が早く死んだらいいのに。

そしたらこの家ももう少しはまともだったかもしれないのに。

そう思うこともあった。

そんなことを考える自分が情けなかった。

気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。

これが私から見た父と祖母だ。

もちろん書いたことが全てではない。

父や祖母から愛情を感じることもあったような気がする。

でもなぜか今は思い出せない。

父も祖母も、普通じゃなかった。

私は、気づくまで30年近くかかった。

2024-07-06

30年近く同居している祖母精神疾患があると知った日

10年以上冷戦状態だった父親喧嘩した。ら、タイトル通りのことを知ることになった。今後振り返ったときに実際に起こったことだけを認識できるよう残しとく。ただの喧嘩の記録。

当然だけど、精神疾患に対する批判偏見の話ではないことだけは記しておく。不快になる方がいたら本当にごめんなさい。

喧嘩きっかけは、30年近く続く父方の祖母被害妄想暴言が、ここ数年痴呆が進んだことでさらにひどくなり、毎日のように「10年間の生活費1000万と盗んだ着物を返せ」と母に言うようになったこと。また、ここ1週間は、「〇〇(私)がメル◯リで私の着物を売ったからないんだ」と独り言を言うようになっていた。

同居して30年近く経つのになぜか期間はいつも10年間で、金額が日によって300万になったり700万になったり、そもそも生活費を出していたのは父なのになぜ母に言うのか、着物に至っては祖母が着ているのを誰も見たことがないし、というか祖母着物自体、家で見たことがないので本当に存在するのか?という感じ。完全なる被害妄想

数年間取り合わないようにしていた母の堪忍袋の緒が先月から切れ始め、母も言い返すようになり、朝晩問わず大声で言い争うようになっていた。ここまでヒートアップする前に父が祖母に訳のわからんことを言うのはやめろと話したことも一度あったが、結局次の日には祖母は何の変化もなく母に暴言を吐き、父も何の変化もなく部屋に閉じ籠った。

どんなに2人が言い争っても部屋に閉じこもって我関せずの父が私は理解できず、病院に連れていってほしいと話したこともあるが鼻で笑われて終わった。

それでもこの連日のヒートアップする論争を私が聞くだけ、止めるだけでは何の意味もないし、この現状を知っていても我関せずの父への苛立ちが爆発し、父の部屋に突撃した。

「なぜこの状況をスルーできるの?この声が聞こえてない訳ないよね?なぜ祖母病院に連れて行かないの?」と聞いた。

父は「声なんて聞こえてない。そもそもお前の偉そうな言い方はなんなんや」と怒鳴り返してきた。確かに今思えばちゃんと段階を踏んで辛抱強く話せばよかった。このとき私自身苛立ちが収まらず、「じゃあ扉開けたから聞こえるよね。今私が話したいのは私の話し方ではなくて、なぜこの状況を我関せずでいられるかなんだけど」と返した。

私に文句を言いながら父は論争中の母と祖母がいるリビングに向かい祖母に対し「頭のおかしいことを言うのはもうやめろ」と言った。祖母が聞き入れるわけもなく、「この人が金を盗んだのになんでそんなことを言うんや」みたいなことを返したと思う(ここはちょっと覚えてない)。

そしてすぐ部屋に戻ろうとする父に更に苛立ち、「なぜ病院に連れて行かないの?それが理解できない」と聞いた。「なんでお前はそんな偉そうな口聞くねん」と父が論点をずらそうとしてきたので、「いや、私は病院に連れて行かない特別理由があるのか知りたいの」と聞いた。父は明らかにその話をしたがらず、はぐらかそうとしていた。でもこんな状況になってるのに引いてたまるかと、何度もやりとりを繰り返して、何度も聞いた。

「前、祖母に向かって気◯いだと言ってたのも聞いた。自分母親普通状態じゃないとわかってるのになぜ何年もスルーするの?」と聞くと、「そうや、このひとはもう気◯いや。気◯いの言うことなんかスルーしろ」と祖母を指差しながら返してきた。

自分母親を堂々と差別用語で指す父親に引きながらも、「なぜ頑なに病院に連れて行かないのか、それを知りたいだけや」と再度言うと、糸が切れたように、「そうやずっと病気やこのひとは。30年以上前精神科に3回入院してるからな」と言った。30年以上前、となると祖母の同居前どころか父母の結婚前になる。

初めて聞く話にびっくりして、「そんな話全く聞いたことなかった。なんで今まで話さなかった?」と聞くと、「みんな知ってることや。知らんのはお前だけ」と。

「みんなって誰?母も知ってるの?」と聞くと、そばで話を聞いていた母が「待って、そんな話は聞いたことない」と呆然としてた。父は「俺と妹(私の叔母)は知ってる」と言い、「それのどこが"みんな知ってる"なの?」と私は呆れ返った。

「なんで今まで話さなかった?というかそもそも結婚前とか同居前に母に話さなかったの?」と父に聞くと、「何も聞かれなかったから。今までお前にも母にも聞かれてもないから、話さなかっただけ」と平然と言った。そんな言い分が通ると父が思ってることにもびっくりして、しばらく何も言えなかった。その間も祖母はずっと母に対し妄言を言い続け、母の腕を叩くこともあり、母が痛がっていて、見てるのが辛かった。

父に「なんの病気なの?もしかして〇〇?」と聞くと「そう。だからおかしいねんこの人は。そもそも病気やって普通わかるやろ。なんで自分たち2人は聞き流せないわけ?」とのこと。なるほど、父の頭の中では私と母が悪いんだなと妙に冷静になったことを覚えてる。父は終始、私と母がなぜ祖母妄言に苦しんでるのか理解できない(したくない?)様子だった。

私が、「いや、子どもの時からずっとこうだったから、学生ときまで元からこう言う人なんだと思ってた。でも、ここ数年はあまりにも様子がおかしい。病気だろうというのは予測はしてた。だからなぜ病院に連れて行かないのか理解できなかった」と話すと、「病院に連れて行っても意味ない。入院したら落ち着くけど出てきたらまた元通りなだけ」と。

「だからといって症状があることを知った上で30年以上放置するのは理解できない。痴呆も明らかに進んでるし病院には行って欲しい。あなたが連れて行く気がなさそうだから私が近々連れて行こうと思ってた。地域相談センターにも電話して相談もしてた」と父に言った。実際、この喧嘩の数週間前にセンターの人が家を訪問し、祖母状態確認しにきてくれていた。部屋に引き篭っている父は知らなかったけど。

すると父は、「なんでそんな余計なことするわけ?受け流したらいいだけ。なぜそれができない?」と言うので、私と母で「もう何年も我慢してる。これからもこの人は病気なんだから我慢しろってこと?」と言う。「我慢じゃなくて受け流せって言ってる」と父は当たり前のように言うので、「その場を離れてもついてきてまで言われることもあるのに?こんな状況はもう限界」と返した。

「じゃあ病院に連れて行ったらいいな。それで文句ないな」とうんざりした様子だったので、「できるだけ早く連れて行って、その検査結果も必ず伝えて欲しいし、そもそももっと早く病気のことを伝えてくれてたらこんなことにはならなかった」と言うと、「何十年も問題なかったやろ。こんなふうになったのはここ数年の話やろ」と言うので、それにもびっくりした。祖母妄言で母や親戚とトラブルになるのは私が子どもの頃から度々あったから。部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室手作り人形を送りつけ、返送されることもあった。

私は子どもの頃に「お父さんとお母さんが離婚したらどっちについていきたい?」と祖母に笑いながら聞かれたりしたこともあった。「あんなお母さんいややなあ。かわいそうやなあ」と言われることもあった。小学生だった私は「なんで私にそんなことを言うんだろう」と思っていたが、その真意に気づいたときには父に頼ろう、相談しようと思う気持ちがなくなってた。だから母だけに話していた。

が、この際言ってしまおうとそのことを父に言うと、「そんなこと言われるのはお前個人に対してなにか野次ってやりたい気持ちがあるからやろ」とのこと。「祖母は私を嫌ってるってこと?6歳の頃から言われてたけど私がなにかをして、だから嫌なこと言ってやろうと思ってるってこと?」と聞くと、「そうなんじゃない。俺は知らんけど」と言われた。加えて、「それに、こんな母親でかわいそうっていうのは俺も思ってる」と母の前で平然と言った。

その姿を見て、なんだか自分の中で、自分父親って本当にこういうひとなんだなと諦めがついた。

今思えば「なんでこの人が自分母親なんだろうって思ったことはないけど、なんでこの人が自分父親なんだろうって高校生くらいか毎日思ってるよ」くらいは言ってやればよかったけど。

この後も偉そうだとか、なんで今更そんなことを言われなきゃいけないのか理解できないとか父に言われたけど、私は子どもの頃からあなたのこと信頼できない人だなと思ってたし、相談しようなんて今まで考えもしなかったからと伝えたら黙り込んでた。最後は「もういい」と部屋に戻って行った。

父親の60年の人生の総括みたいなもの今日のやりとりに詰まってた気がして、口論最後には目の前の父をすごく哀れに感じた。自分父親を哀れだと思う自分自身も少し嫌だったけど。

ただ、今日のこと、もっとこう話せばよかったと思うことはあっても、そもそもさなければよかったと思うことはなさそう。

振り返りながらこれを書いている今、強く感じたのは、10年近く避けていた父はこんなにも小さく、情けなく、自分プライドを守ることしか頭にない、どうしようもない人間だったこと。そして、心のどこかで恐れてた父にここまでぶつかれるようになっていた自分が頼もしかたこと。

もし父母が離れることになっても母のことは私が守りたいと思う。母は自身の両親が要介護になり、その2人の介護を1人でしつつ、家に帰っても姑の被害妄想に巻き込まれ、それでも私の前では明るく振る舞っている。一番しんどいはいつも母だ。

なんで増田に書いたかと言うと、こんな状況の人が周りにおらず(そもそもこんな状況を人に話せるわけもなく)、こんな情けない家うちくらいだろって、ずっと何年も1人で考えていたから。

同じような状況のひとに「自分の家だけじゃないんだ」って思ってもらえたらいいなーと。

そして、駄文をここまで読んでくれた人がいたら、本当に本当にありがとう。友人に話を聞いてもらった気分だ、救われます

(追記)

ネットの海に流れていくだけだと思っていたので、コメントまでしてもらえるなんて思っていなかった。感想を教えてくれた人、どう動くべきか教えてくれた人がこの世界にいるっていう事実が、私にとって本当に救いになってくれている。もちろん読んでくれただけでも十分すぎる。なんてありがたいんだろう。はてなビギナーすぎて、コメントの返信方法がわからず、この形でごめんなさい。

そして今日カウンセリングに行って相談してきた。カウンセリング中に思い出したこともあったので、少し加筆してます

カウンセラーの方には、「母と共に、それが難しければあなただけでも逃げるべき」とアドバイスをもらった。本当にそうだと思う。父が祖母病院に本当に連れて行くのか確認しつつ、次の手を考えたい。

そして、カウンセリングでびっくりしたのが、「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です。だから離れてください」と言われたこと。世の中には親に虐待されたり、人格否定されたりしたひとがいるんだから、私の父なんてまだまだ序の口で、こんなことで参ってる私は甘いなあなんてどこかで思っていたから。

これを読んでくれた人は、私の父をどう感じただろうか。

2024-07-04

社長手作り料理を「家の方が美味しい」と抜かした。俺の子供だ。

美味しんぼの「活きた魚」みたいに社長に気に居られるここ一番の重要場面で自分のガキが家の方が美味しいとか抜かす。山岡勝負ジャンキーじゃなかったらマジで人生終わってたと思う anond:20240704145109

2024-06-24

anond:20240623165637

なくなってしまったお店のメニュー3つ。

代替わりする前の手作りだった香蘭餃子店の餃子

店主ご存命だったころ、今市にあったゼンジー南京チャーシューメン。

御料サーモンステーキハンバーグステーキカスタードプリン

小さい頃うちは貧乏

動物園に行きたい。そう親にねだると決まって連れていかれるのは東京駅だった。

はっきりとは覚えていないけど、そうして初めて東京駅に行ったとき親に聞いた気がする。

動物園じゃないじゃん、ここ東京駅だよ?と。父は頷いた。動物園のようなものだよ、ここは。

父はそう言って私に周りを見ることを促した。足早に歩く人。不機嫌そうな顔。酔っぱらって寝転んでいる人。

色々な人が居た。流れの中に立ち尽くし、ぶつかりそうになるところ父が手を引いてくれた記憶

お昼になると構内にある椅子一角でお弁当を食べた。おにぎりとか卵焼きの入った手作りのお弁当水筒

通り過ぎる人たちはたまに私たちを見つめたがすぐに興味を無くしたように前を向いた。

今日久しぶりに当時の夢を見た。懐かしく、今にして思うと父の言っていたことは案外間違いではなかったのかもしれない。

週末、お弁当を持って動物園に行ってこようかなと思った。

2024-06-21

弁当に冷食って…

ツイ廃をしていると、弁当に冷食いれるなんて…て声を時々聞く。愛情がどうの手間がどうの。

結論から言えば私は冷食弁当、断然いいと思っている。

なんならカップ占い付きのグラタンとかなんてむしろ入れて欲しいくらいだと思う。小中は給食だったので幼稚園高校と専門、弁当暮らしだったけどカップグラタンはうれしかった。

実際、幼稚園の時は偏食で枝豆卵焼きウインナーしか食べなかったそうだが、高校専門は冷食弁当だった。

チンした冷凍ご飯ふりかけ、おかずは昨日の晩御飯の残りとあとは全部冷食。卵焼きすら冷食だった。真ん中にカニカマみたいなものが入っている卵焼き

冷凍食品おいしいし、別に冷食弁当からって同年代の中や友人同士であげつらわれることもない。そもそも人の弁当の中に興味しんしんって子、結構おかしい部類…

パートして子供3人と父の面倒を見てくれた母には感謝している。

弁当なんて毎日洗ってきれいな弁当箱に、ナマモノや痛みやすものを避けて、食べられるものが詰めてあれば十分だと思う。日の丸だって立派な弁当

どちらかと言えば、子供としては「扱いに差がある」とかの方が全然気になるわけで。

うちなんて典型的な弟贔屓の母だったので、弟は冷凍食品2品程度に他は卵焼きを焼いたりトマトを入れて、朝ごはんを炊いてふりかけを小袋で持たせ、なんならスープジャーまでついていた。

私の5歳下の弟を、中学生頃まで丁寧に寝室に送り、明日朝ごはんメニュー確認し、小学生の時は代わりに時間割確認教科書をご用意して差し上げる母親だったので正直いつものという感じだったが、さすがにその扱いの差には引いた。ドン引きだった。

そういう事がなくても、差別は起こってるんじゃないかと思う。たとえば、下の子は偏食で食べられないものが多いから下の子だけおかずを手作りするだとか。ありそうな話だ。

子供はたぶん親の想定の数倍そういうことに気がついている。私はいまだにおやつの量が私と兄より5歳下の弟の方がずっと多かったことを忘れていない(笑)

冷食だどうだ、作り置きだどうだ、というより、兄弟間で差がある方がいやだな、と論争を見る度に思う。

いいじゃん冷食。楽していこうよ。

その分を自分差別していないか、悲しい思いをしてる我が子がいないかに配って欲しい。

2024-06-16

山奥SEOについての考え方と具体的なキーワード選定の解説

山奥SEOとは?

山奥SEOは、検索ボリュームが非常に少ないニッチキーワードターゲットにして検索エンジン上位表示を狙うSEO手法です。この手法は競合が少なく、特に小規模なサイト新規ブログにとって効果的です。

競合が少ない

競合が少ないため、比較的容易に上位表示可能です。

一次情報提供

オリジナルコンテンツ提供することで、被リンクサイテーションを獲得しやすく、専門性信頼性が向上します。

ユーザー感謝される

ユーザーの具体的な悩みや質問に応えることで、強いリピーターを獲得しやすくなります

山奥SEOについての考え方とキーワード選定の解説

当方は、以前から山奥SEO実践しており、山奥SEOを実践してみた ニッチなキーワード策定から結果までではその取り組みをお伝えしています

今回は、具体的に山奥SEOに使えそうなキーワードを具体的に挙げてみます。ぜひ、サイト作り・キーワード選定の参考にしてみてください。

注意点

『YMYL(Your Money or Your Life)』に該当しないニッチキーワードを中心に選定しています健康金融法務などのトピック個人サイトで戦える領域ではありません。避けるようにしましょう。

実際に上位を獲得できそうなワード

以下は、2024年6月時点において上位クエリnote個人運営ブログ独自ドメイン)などのサイトが食い込んでいるクエリになります。ぜひ山奥SEO実践する際にこうしたキーワードを狙ってページを作ってみてください。

「古地図 コレクション 収納法」

コンテンツ: 古地図コレクションする際の収納方法や保管のコツ。

想起される関連ワード:「古地図 保存方法 自宅」「古地図 展示アイデア」「古地図 防湿対策」「古地図 クリーニング方法」「古地図 フレーム 選び方」「古地図 修復 自宅でできる方法」「古地図 デジタル方法」「古地図 アーカイブ作成」「古地図 専用収納ケース」「古地図 収納 アイデア DIY

DIY ドアストッパー 自作

コンテンツ: DIYで作るドアストッパーの作り方や材料の選び方。

想起される関連ワード:「DIY ドアストッパー 材料」「DIY ドアストッパー 木製 作り方」「DIY ドアストッパー おしゃれ」「DIY ドアストッパー 玄関用」「DIY ドアストッパー 重さ調整」「DIY ドアストッパー フェルト使用」「DIY ドアストッパー 滑り止め対策」「DIY ドアストッパー 再利用素材」「DIY ドアストッパー ゴム製」DIY ドアストッパー クリエイティブデザイン

ミニ四駆 カスタマイズ方法

コンテンツ: ミニ四駆カスタマイズ方法やパーツの選び方。

想起される関連ワード:「ミニ四駆量化 パーツ選び」「ミニ四駆 モーター交換 方法ミニ四駆 タイヤ チューニング」「ミニ四駆 シャーシ 強化方法」「ミニ四駆 空力パーツ 取り付け」「ミニ四駆 ベアリング カスタマイズ」「ミニ四駆 ウイング 自作方法」「ミニ四駆 ギア比 調整」「ミニ四駆 バッテリー 効率化」「ミニ四駆 車体塗装 テクニック

手作り石鹸 色付け 方法

コンテンツ: 手作り石鹸に色を付ける方法安全な着色料の紹介。

想起される関連ワード:「手作り石鹸 ナチュラルカラー 素材」「手作り石鹸 食用色素 使用方法」「手作り石鹸 マイカパウダー 色付け」「手作り石鹸 クレイ カラーリング」「手作り石鹸 酸化鉄 色付け」「手作り石鹸 スワール技法 色付け」「手作り石鹸 グラデーションカラー 方法」「手作り石鹸 ジェルカラー 使用方法」「手作り石鹸 フルーツピューレ 色付け」「手作り石鹸 ハーブ粉末 カラーリング」

ミニチュア家具 DIY 作り方」

コンテンツ: ミニチュア家具DIY方法必要材料

想起される関連ワード:「ミニチュア家具 木製 DIY」「ミニチュア家具 椅子 作り方」「ミニチュア家具 ソファ DIY」「ミニチュア家具 ペインテクニック」「ミニチュア家具 アンティーク風 作り方」「ミニチュア家具 引き出し付き 作り方」「ミニチュア家具 ベッド DIY」「ミニチュア家具 リサイクル素材 使用方法」「ミニチュア家具 デザイン図面 書き方」

手作り香水 初心者ガイド

コンテンツ: 初心者向けの手作り香水の作り方や材料の選び方。

想起される関連ワード:「手作り香水 天然素材 使用方法」「手作り香水 エッセンシャルオイル 選び方」「手作り香水 アルコール フリー レシピ手作り香水 持続時間 長くする方法」「手作り香水 ボトル 選び方」「手作り香水 フレグランスノート 組み合わせ」「手作り香水 固形タイプ 作り方」「手作り香水 初心者キット おすすめ手作り香水 季節ごとのレシピ」「手作り香水 プレゼントデザイン

ミニチュアガーデン 作り方 初心者向け」

コンテンツ: 初心者向けのミニチュアガーデンの作り方や材料の選び方。

想起される関連ワード:「ミニチュアガーデン 素材 選び方」「ミニチュアガーデン フェアリーハウス 作り方」「ミニチュアガーデン 初心者キット おすすめ」「ミニチュアガーデン 低予算 作り方」「ミニチュアガーデン ミニ植物 選び方」「ミニチュアガーデン リサイクル素材 使用方法」「ミニチュアガーデン 屋内栽培 方法」「ミニチュアガーデン 簡単デザイン アイデア」「ミニチュアガーデン 手作りアクセサリー 作り方」「ミニチュアガーデン メンテナンス 方法

ミニチュア家具 ペインテクニック

コンテンツ: ミニチュア家具ペイン方法使用するペイントの種類。

想起される関連ワード:「ミニチュア家具 エアブラシ ペイン方法」「ミニチュア家具 アクリル絵の具 使用方法」「ミニチュア家具 アンティークペイント」「ミニチュア家具 グラデーションペイン技法」「ミニチュア家具 ディストレス加工 ペイント」「ミニチュア家具 ゴールドリーフ ペイント」「ミニチュア家具 ステンシル ペイント」「ミニチュア家具 メタリックペイン使用方法」「ミニチュア家具 ペイントシラー 選び方」「ミニチュア家具 カラーブロック ペインテクニック

アンティークレース 使い方アイデア

コンテンツ: アンティークレースを使ったDIYアイデアデコレーション方法

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レトロ看板 コレクション方法

コンテンツ: レトロ看板コレクション方法や展示の仕方。

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折り紙 幾何学模様 作り方」

コンテンツ: 幾何学模様の折り紙の作り方やステップバイステップのガイド

想起される関連ワード:「折り紙 幾何学模様 立体作り方」「折り紙 幾何学模様 初心者向け」「折り紙 幾何学模様 キット おすすめ」「折り紙 幾何学模様 シンプルデザイン」「折り紙 幾何学模様 ペーパークラフト」「折り紙 幾何学模様 カラフルデザイン」「折り紙 幾何学模様 インテリアアート」「折り紙 幾何学模様 組み合わせ方法」「折り紙 幾何学模様 ランプシェード 作り方」「折り紙 幾何学模様 モダンデザイン

以上となります

2024-06-14

anond:20240613200606

男です。本当はやりたくなかったことなんてまぁそれなりにあります

 

※ 口に出すと叩かれる実情も多いので内容の多くは伏せていますが、まぁ色々察してください。



個人としては、女性のほうがやる気のときというのは、あんまりやりたくないっす。

プレイ時の双方のマインドセットとしては、

いやよダメよ恥ずかしい(もっと来てくれぐふふふ)

よいではないかーよいではないかー(よいではないかーよいではないかー)

というのが望ましいと思っています

からホテルいこうよやろうよとか、やるのが当然とか、妊活のような義務的ものというのは、あまり良いセックスにはならない。

そうですね、他の事情が絡んでいるセックスは、メンタルエンジンがあまりからない。

本当はやりたくないなんてことはまぁそれなりな数になります



僕としては、やはり相手を喜ばせなくてはいけないと思っている節はあります

中年以降の女性とするときタダラフィル(まぁバイアグラと読み替えて頂いてOK)を飲む。

なぜなら、彼女たちは、若い男が自分発情しているというのが大事なのです。

から必要以上にかたくしたほうが顧客満足度()が高くなるのではないかと考えています



長らく遊び人をやっていると、いろんな事情セックスをすることになるのです。

僕がこういう人だと知っていて二人でのみに行きたがる女性というのがいます

その場合は、こちらがあまりその気じゃなくても、相手に恥をかかせるわけにはいきません。

一部女性には、求められることがなくなったために、自尊心が減っているかたもおります

そういう方に大事なのは、丁寧な愛撫とギンギンなち◯こです。

それが透けて見えてしまっている方だと、やりたいからではなく、元気になってほしいかセックスを誘うことになります

セックスは難しいです。割と相手の心が透けて見えます

からそういうときでも、本心から抱きたいと思わないと、逆に相手を傷つけることになります

ここのマインドセットです。持っていかなくちゃいけません。



やれりゃいいくらいに考えている男性はそれなりに多いかもしれませんが、

セックスコミュニケーションの一つと考えている人間からすると、やりたくなくてもやることは増えていきます

手作りご飯が口に合わなくても満面の笑みで美味しいと応えることは簡単ですが、

セックス場合、更に男の場合萎えしまうので、

そこのコントロール比較的難しくなります

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