はてなキーワード: 妄信とは
れいわ新撰組の応援団。ほとんどが自分の怠慢や無知や愚かさで被害にあっており貧困状態。
https://togetter.com/li/1927874 支持政党ごとに調査すれば確実にれいわ新撰組信者の貯金額は他より低いことは確実。
でも一切反省はしてなくて全部社会のせいにしてる。そして何の努力もせずにれいわ新撰組が自分を救済してくれると妄信。
仲間意識が強く救済というワードが多く出るのは典型的な新興宗教の特徴。
新興宗教の典型的手口は不安を抱えた人に対して、自分の不幸の原因を自分以外に押し付け、ありもしない救済を訴えて人を勧誘。
参政党もれいわも、表向きは政治運動のふりをしているが実態は新興宗教。違うのは教祖が目立つか目立たないかの差だけ。
参政党のリーダーって何者だ? https://www.sanseito.jp/member/ 知らない人しかいない。 自称ゴールドマンサックス証券出身者との違いは?
忙しい人のために要約「信教の自由は人権の構成要素のひとつでとてもとても重いこと」
そして追記
ブコメ見てもトラバ見ても、本気で信仰のしの字も知らないまま書いてる人だらけなんだなというのがよくわかった
もちろん4、5人くらいはちゃんとわかってそうな人はいましたけども
少な過ぎだよね
そりゃはてなのカルトに対する雰囲気が不穏になるわ、と理解した
専門書が難しいならせめて新書の一冊でもいいから、キリスト教でも仏教でもいいので、何か宗教や信仰について学んでから議論に参加して欲しいかな
知らないということは恥ずかしいことではないけど、知らないことに目をつぶりながら自分の正義は世界の正義、みたいな雰囲気で語られても、こっちは恥ずかしい気持ちになるだけだったよ
以下本文
もちろん、反社会的行為や犯罪行為に対しては、法の範囲で粛々と対処する必要はある
国の在り方としては、教義がどうであろうと、犯罪行為が免責されるわけではないのだからそれは当たり前のこと
ただ、宗教とは科学ではないのだから非合理的な部分も多分にはらんでいるのが普通だよね
でも、だからといって現代社会で理解されにくいことをやっているから否定していい、というわけではない
そりゃあ、今の時代そんなことまだ信じてるの?あり得ないじゃん、みたいな話は多く含まれているよ
日本人は自身の宗教性に無自覚である人も多く、何なら宗教嫌いを自認している人も多いからピンとこないかもしれないけども、
宗教とは文化を作り、道徳を作り、習慣を作っている土台なわけよ
何百年生きている神社の大木に神秘性を感じるのも、おまもりを踏みつけたら何となく罰が当たりそうな気がするのも、日本人の宗教性だし、
お盆になったらじいちゃんのお墓行ってやるかー、というのも日本人の宗教性だよね
アホらしいわと言いながらも葬式なら坊さんに高い金を払うし、初詣に行けばお賽銭を払う
もっと宗教意識ないところでいうと、節分に豆をまくのも、桃の節句にひな人形を飾るのも魔除けだし宗教行事だ
もちろん信仰があるからやっている人は少ないだろうけど、ひな人形を飾る時は誰しも愛しい娘のためを思って飾っているはずだし、
もはや信仰を意識せずとも習慣レベルで宗教行事をやってしまう日本人って、世界一深い信仰を持った民族だと俺は思っているよ
まだまだあるぞ
女が土俵に上がれない、女は高野山に入れない、女は宗像大社の島に渡れない
不合理感増してきた?
女は教育を受ける必要がない、女は肌をさらしてはいけない、これはイスラムだけど、ここまでは許される文化でここからは許されない差別、だなんて線引きは可能?
線引きが可能だとするなら、その人は「自分の普通が人類の普通」と妄信している人だけだ
イスラムの男尊女卑は、かつて環境が過酷だったため、強い男性ができる限り多くの女子供の生存に責任を持つシステムが、集団として有利に働いた、という説もある
いま、多くの人が死を意識せず豊かに生きられる世界になっているため異質に見えるけど、選択圧が強い環境だとイスラム方式のほうが集団は遺伝的に強くなるでしょう
競走馬も同じだと思う
今でこそ女性解放は「正しいこと」だし女性への教育がノーベル賞になる時代で、俺自身もそれで正しいと思うけど、それと同時に、決して女性を抑圧する文化圏を否定していいものとも思えない
そういうわけで、どの国の人も、どの民族も、どの宗教の人も、それぞれがそれぞれ正しいと思う信仰を持っていて、それに基づいた習慣と価値観を持っているんだ
それを理解することは難しい
納得して、理解してあげよう、というのは大概の場合無理で、わからんなと思いつつ、ただその存在を認める、というのが多文化共生の基本と言われている
国際結婚もそう
結婚するほどお互い好きでひかれていたとしても、結局のところ結婚生活の秘訣って、「相手を理解しようとしないこと」って言われたりする
ただ認める、それだけでいいわけで、理解しようとすると破綻しやすくなる
そして、そのような価値観の多様性を認める上で、多くの先進国では「信教の自由」がある
第1項
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第2項
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
第3項
なので、どれだけ奇異にうつる内容でも、その人の信仰がそうならそれを認めるのが人として正しいこと、というのが現代国際社会の正しい振る舞いなのは間違いない
輸血を拒否して死ぬとしても、輸血が許されないことと信じているならそこに無理やり輸血してはいけない
現生で恵まれて生きるほど、あの世で魂がけがれる、と信じるなら、現生で信じられないほど貧しかったとしても助けてはいけない
我々だって、海外留学する時に家族が持たせてくれたお守りを、外人が馬鹿にして投げ捨てたりしたら嫌でしょう、何も意味はないんだけどさ
そしてこれは、海外文化だけではなくて、日本国内の新興宗教にも同様の態度でなきゃいけない
だからさ
犯罪を起こす人がちょいちょい出るから、危ない集団だ、というのはわかったとしても、その教義や信仰そのものを否定していいわけでもない
自分の意思で自分の財産を寄付したならそれを悪とすることはできない
その金額に上限をつけることも勿論できない
家族のお金や会社のお金を不当に寄付したなら当然そこは法の範囲で横領などで追及できる
でも、どんな人であれ、「その教義は間違っている」なんていうことはなできないんだよ
教義を実行したら犯罪になる場合だけ、それを犯罪行為として対処できるし、それが多発するなら公安の監視対象になるのが現状
そしてそれでいいと思っている
あまりに問題が多い場合に関してのみ、最小限の指導を入れる程度が限界だし、それ以上してはならないと思っている
信教の自由って重いよ
かつてクリスチャンの弾圧がヨーロッパでも日本でもあったの知っているでしょう?
信教の自由は最も重要な、「人権」を構成する要素のひとつなのは知っているでしょう?
知らない?
漫画表現とかでは「表現の自由戦士」とか言われるけど、俺はどっちかというと、「信教の自由戦士」というか、「人権戦士」なんだと思うわ
カルトだから、問題多いから、という理由だけで、ある人々にとってはおそらく純粋な信仰であるものを否定するのって、やっぱり間違っていると思う
幼稚園くらいから始めているところがある一方で、寝た子を起こすみたいな感じで教えずに大人にするというケースもあると思う。
後者には、子供に勝手に無謬性を期待し、性教育なんてセックスの仕方を教えるようなものだからするべきではないみたいな場合もある。
増田が指摘する通り、子供に性欲がないというのは、障がい者、老人など保護されるべき対象全般に性欲がないのと同じくらい周囲が勝手に思い込んでいることだと思う。
そんなあり得ない前提を妄信して作ったシステム自体があり得ないと思う。
子供の場合、支配欲か性欲かの前に、知らないからそれが問題行為だと認識できない、認識できないから遊びとしてやってしまうというのがあると思う。
それを大人に咎められても本人たちは何を咎められているのか理解できないだろう。
やめたところで「なんかわからんが大人ががみがみ言うからやめる」みたいな感じではないだろうか。
ちなみに、問題を問題として理解させるために、幼児のころから性教育を始めることに自分は肯定的だ。
セックスの仕方を教えるは完全なる誤解で、プライベートゾーンは大事なところだから他人のを見たり触ったりしないし、自分のを見せたり触らせたりしないから始めるものだと思う。
なんか一冊だったら『人間 この信じやすきもの』をおススメするよ
何でこれをおススメするかと言うと単純に読み物として面白い本だからだよ
ああいうの信じちゃう人がいるけど、こういう理由だからだよと根拠を示しながら、ばっさばっさと誤認あるあるを切り捨てていく様は読んでいて痛快で楽しい
また、なんとなくあれって胡散臭いと思うけど、その理由が言語化できないなあってことを平易な言葉で説明してくれて、ぼくとしては腑に落ちる感じがすごくしたよ
一冊限りでこの本をおススメする理由としては、この本を読むことで他の本の説明が理にかなっているか考えることができるようになるからだよ
この本は誤認を認知的・社会的側面からとらえた本でしかないから、そもそも科学を科学ってだけで妄信していいの?って思う人には『科学哲学の冒険』がおススメだよ
『科学哲学の冒険』を読むと、文系でも科学とは云々が語れるようになるし、疑似科学と科学の線引きができるようになるよ
哲学って難しいって思う人もいるだろうけど、この本はセンセイと文系のテツオくんと理系のリカちゃんの会話形式で話が進んでいくのでとても読みやすいんだ
『チ。』っていう漫画が最近話題になってたけど、『チ。』の登場人物のセリフの中には科学哲学の考えを元ネタにしてるものがあるから、『科学哲学の冒険』を読むと『チ。』について科学哲学的な話題がだせるようになるかも
ぼく自身は『チ。』の舞台は中世なのに、登場人物が自分が思いついたこととして、1900年代のポパーの反証可能性っぽいことを言及することについていまだに上手く気持ちの整理がついてないよ
結局作品を広めることではなくネット上の陣取り合戦に終始して、それを飯のタネにして稼ぐアフィサイトの影がチラついてどうにも建設的未来が見えてこないんだよな アメコミ雑語り対抗言論とその周辺は
あと妄信や迷信を批判しようとして宗教的な信仰そのものを全否定するようなエンタメ至上主義な態度が両陣営(という見方もネット上の対立煽りに毒されてるのかもだけど)ともに見受けられるから
もうアメコミにも日本漫画のファンダムにもこれ以上深入りしないようにしようと思った やっぱり真に徳のある子供達を育てようと思ったらエンタメ一本では限界がある、あくまで入門の為のキッカケに過ぎないってことを自覚すべき
もう既に自分は漫画を買う時より中村元先生の本を買ってる時の方が明らかに楽しくなってきてるんよ 仏教内部の対立や争いとそれを乗り越えようとする歴史の繰り返しの絶望と希望のジェットコースターから何かを学ぶことで
DaiGoはサロンやってないから、西野かホリエモンかな?DaiGoのはサロンじゃなくて動画配信のサブスクだから。
まぁサロンなんてどこに行っても教祖様マンセーの思考停止野郎しかいなくて気持ち悪いよ。
サロンで学べることが役に立つか立たないかは別にして、自分の人生に生かすために学ぼうみたいな姿勢がまるでなく、
「妄信してれば人生が良くなる」みたいな思い違いをして、情報の取捨選択をせずに教祖様のいう事を全部鵜呑みにする奴の多い事。
教祖様も人間だから間違ったことを言うのが当たり前なのに、教祖様の発言に間違いなど1ミリもないと、思い込んでる。
サロンで学べる事自体は、教祖様にもよるが本人なりに役に立つことを発信しようとしてるので教祖様そのものが悪いとは思わないけど
謹んでお悔やみ申し上げる。
私は上島さんをよくテレビでお見掛けするだけの名もなき視聴者の1人である。
上島さんが織りなす芸や喋りを見るのが好きで、特に有吉弘行さんとの掛け合いは抱腹絶倒であった。
しかし、お2人の掛け合いを見ていると有吉さんの側からやや踏み込んだ発言ではないかと思うことがあった。
有吉弘行の “イジり” にダチョウ上島激高「志村さんが呼んでんじゃない?」「寂しいよって」
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3903842/
私が引っかかったのは、有吉さんの「もう呼んでんじゃないですか? 志村さん、寂しくて。『竜ちゃん寂しいよ』っておっしゃってるんじゃないですかね、天国で」である。言葉では表現できないほど大切な関係を築いた人の死を揶揄されるのは、たとえ“お笑い”であったとしても心地よくないと感じるだろう。そういえば、彼は以前児嶋さんともご自身の発言で諍いを生じさせていた。
ただ、私はここで有吉さんを批判・誹謗中傷したいわけではない。それよりも、彼の“信者”に対する怒りを吐き出したいのである。
上記の発言について、有吉さんのファンを語るネットの声を見ると、「お2人の信頼関係があるからこのような発言ができる」とか「有吉さんの愛が溢れている」といった意見を見かける。また、「お2人の関係性をよく知らないのに発言を批難するのはおかしい」との発言も見られた。
言語道断である。ファンは支持対象を無批判に受容する狂信者を意味するのだろうか。いや、違う。ファンは支持対象を尊敬しつつも、時にはその振る舞いを諫めるべきである。
先ほどの上島さんに対する発言を自分事として捉えてみよう。大事な友人が亡くなって憔悴している自分に対して、「きっとそいつもはやくこっちに来いよなんて言ってるよ」と仲の良い第三者に言われたらどうだろうか。その場では笑って済ませるかもしれないが、内面は穏やかにならないはずである。
いやいや、一般人と芸能人では立場が異なるし、ましてやラジオの掛け合いごときに目くじら立ててどうすんのよ。そう言いたい者も多いはずである。
しかし、たとえラジオであろうと、リアリティを演出している以上その表象が現実世界の価値観に影響を与える可能性はあるだろう。まさにウェルテル効果なんてその極致だろう。
心を傷つけるような発言を「愛」とか「信頼関係」といった耳触りのよい言葉でその暴力性を覆い隠そうとする態度は、ファンとして誠実と言えるだろうか。
むしろファンであるなら「いや、それは言い過ぎじゃないですか」ぐらい言わないと駄目である。好きと妄信は違う。また、個別の不作為が必ずしも全体の否定につながるわけでもない。しかも、それは支持対象を世間の批判・誹謗中傷から守る砦になるかもしれない。
繰り返すが、私は有吉さんを批判・誹謗中傷したいわけではない。また、人を傷つける笑いをなくしたいわけでもない。ただ、あまりに問題がある内容なら、世間は批判という手段を使って解決を図る。その急先鋒でなければならないファンが問題を無条件に肯定し、あまつさえその暴力性を美辞麗句で覆い隠そうとしている現状は悲惨としか言いようがない。
人間は間違える。それは仕方がない。面白いや良いと思って講じた行動が裏目にでることもよくある。世間の批難が誤っていれば、ファンがそれを糺すべきかもしれない。しかし、あまりに暴力的であれば、ファンが諫めなければならない。それを怠れば、ただの“信者”、いや“狂信者”である。
検査総数が4桁とか比較にもならんような何の参考にもならない日本モデル時代の数字が頭にあるから
感染者3桁という結果だけを妄信して感染者4桁を「高止まり」なんて勘違いする人が出るのは当たり前。
ただ体制が整ってなかっただけなのか、数字を低く見せたい誰かが邪魔したのか、
余計に税金を使う責任を誰も背負いたがらなかったのか、パニックを防ぎたかったのか、
アベノミクスのボロが出始めてるのと同じように近視眼的な場当たり施策の長期的なデメリットが顕在化しつつある。
ワクチンすらなかったんだから今と同じレベルの検査数で調査してれば今より酷い数字が出ていた可能性は非常に高いが
そんな時代に「感染者数3桁以下」という幻想を打ち立てた結果、今になってそれが枷になっている。
実にアホらしい。
前回: https://anond.hatelabo.jp/20211226023139
このスタートアップで働いていくつか分かった事がある
一つ目は10年来の親友でも結構簡単に関係は壊れるということ(CTO, CEOみたいに)
二つ目はモチベが低い状態でスタートアップ最初期に参加するのはよくない
三つ目はちゃんとしたビジョンを描けてない状態で物事をすすめるのはダメだということ
四つ目はスーパーエンジニアだと言って、何でもできると妄信しないこと
とまあ色々教訓にはなった
疲れたけど
振り返ってみると
全体的にみんなノリだけだった気がする
VCもノリで金をだして
プロダクトもノリ
採用もノリ
何もかもが茶番だった
意識高いことだけ言って、何一つまともに出来なかったそんな印象
今でもGoogle photosに当時の写真が入ってて少し悲しい気持ちになる
ちなみにGoogleで検索すると当時のインタビュー記事とか取材記事とか出てくるけど、
取材してる人も話してる人も全員理解してないのにそれっぽい記事になってて吹きそうになる
CEO、CTOは違う会社で取締役をやってて、また懲りもせずメディアの取材に意識高い事を言っていた
なんか、「このプロジェクトは実証実験で想定通りの結果が出せた」みたいな事がプロフィール欄に書かれててどんだけポジティブなんだよって思った
Kさんについては連絡先を交換してないし、SNSをやってないみたいなので何をやってるか知らない
Gihtub見る限りなんかコード書いてるんだろうけど、話してはいない
当時は下に見ていた事もあって失礼な態度を取ってしまった