はてなキーワード: ささやかとは
ささやかな胸でいい
大きすぎなくていい
誰も気づかない
有り触れた乳輪でいい
あなたが項垂れた その先に吸い付ける
そんな胸でいい
ただ黙々と 乳首伸ばして
ブラの隙間が大き過ぎるから
今日も倦んざりする程に
此の胸の丈を知るの
望まぬとも胸の離れは進み続ける
求めるほど遠ざかる 大事な肉こそ
腹の肉が攫ってゆく
思い出の身体に根を張ってる
此処で何時迄も待ってる
飾らない胸でいい
巨乳でなくていい
一頻りの唾液に 流されぬような
ふとした快楽を そっと覚えさせるような
そんな胸でいい
そんな胸がいい
ただ君が揉むなら僕も揉むから
その美しく強く伸びた乳首は
誰にも見えやしないけれど
ベッドの上に咲き誇れ
ただ君が揉むなら僕も揉むから
何十年先も揉み続ける胸
ベッドの上に さあ咲き誇れ
ささやかな胸でいい
大袈裟でなくていい
消して萎まない
そんな胸がいい
ささやかな胸でいい
大きすぎなくていい
誰も気づかない
有り触れた乳輪でいい
飾らない胸でいい
華やかでなくていい
あなたの喜びの上に 身があればいい
一頻りの唾液に流されぬような
ふとした快楽を そっと覚えさせるような
そんな胸がいい
今回の選挙の後の自分の周りの反応がいつもと異なっており、純粋に疑問を抱いたため考えをまとめる意味合いと、複数の意見を聞ければいいと思い文章にまとめている。関連の記事を読んで、自分も考えてみるかとなった。
これに尽きる。いつも意見合う友人だったから今回は真逆でびっくりした。
仲良くしたいから直接は聞けないけど、何でかは気になるからここに書いてる。理由は詳細版に書いてるが割愛。
空気感に煽られたとしても、今まで選挙に興味すらなかった層が10%以上選挙に足を運んだということだけでもかなりの快挙なんじゃないかと。そしてそういう層が今後も選挙に行ってくれるなら、国民のお気持ち1つで当選する人を選べるんじゃないか?
そもそも実際の政策に満足した層だっているはずなのに、ポピュリズムで括られてしまうのってどうなんだろうな。
ようするに、政治に関心はあるが詳しくない一般人であるということだけ理解して欲しい。そんな訳で意見などあれば、わかりやすく教えてくれると助かる。
最初にニュースを見た時のことはあまり覚えていないが、パワハラで人が亡くなってしまったということで、痛ましいなと思った。
その後、報道が多かったからか名前を見かける度に今どうなっているんだろうと経緯をネットニュースなどで調べたりしていた。そして調べる度に進捗がさしてないなと思っていたところ、辞められたので驚いたし、調査結果出たのかなと思ったら、出ていなかったので更に驚いた。
正直、公務員周りの仕組みや政治についての知識が乏しすぎるので、それが適正なのかどうか自分には判断ができなかった。
会社員の端くれとして、結果がわからないのに解雇されるようなものだと思うと何でだよと思っても許されるんじゃなかろうか。
そして知事選やるのかあと思っていたら、斎藤氏は辞めてもう一度選挙に出るるらしいし、稲村氏という票集めに強い人が担ぎ出されていたりした。まあ稲村氏が当選するんだろうなと、結局疑惑はうやむやにされてわからずじまいだろうなと考えていて、しばらく特に追うこともなくなった。
自分は毎回選挙に行ってるが、段々と生活が苦しくなる実感だけが肌に積もっていくのを感じながら、もうどうにもならないんだろうなと、世間の大多数の人同様、諦めに似た気持ちだった。
若年層でもっと投票率を上げるしかないとは思っていたが、もう難しいんだろうなと自分の昔を振り返ったりもしていた。
もっと教育に組込んで欲しいが、政治を動かしている政治家達は投票率が上がったら都合が悪いだろうから、絶対にやらないだろうなと。そして家庭内で行うには両親に依存しすぎだし、全体で見ると格差が酷く歪になるだろう。自分もそうだが、様々な理由で親から教育されないものが取りこぼされるし、そういった人々こそ選挙には行くべきだと思っている。
いつも選挙の時、票を投じたい人や政党など1つとしてなく、まさしく断腸の思いで投票するも、多数派には入れないのでいつもささやかな意思表示のみに留まっていた。
その選び方も、個人的最低を除外した後から選ぶのだが、その判断基準が選挙の度に酷くなっているなと自分でも思っている。年寄りよりは若い方がまだマシだろうお前もまだ数十年生きるんだらかな、といった具合なのでお察しだろう。
ここ数年は特にしんどくて、これ海外だったらもっと暴動起きてるんじゃないのか?と思いながら、でも自分自身も暴動を起こそうとは思えないので、他責がすぎるわけだが、思考の中でぐらい許してくれよと言い訳しながら、それでも何かある度に溜息と共に考えていた。
そうして選挙戦が始まり、投票日も近いしそろそろ情報収集するかと思ったところ、予想外に斎藤氏が善戦していて何があったんだ?というところから始まった。
知事選とは思えないぐらい、色んな情報が飛び交っていて、正直自分のレベルでは真偽が付けられなくて本当に困った。
公約などそのあたりを見るのはともかく、SNSを覗いたら先日の衆議院選よりもかなり過激な内容が飛び交っていたように感じた。事の発端を考えればそりゃそうかと思いつつも驚いた記憶がある。
もし過去に政治家や企業よりも国民のための政策を乱打してくれた実績があるなら自分の票をその人にいれるだろう。
全員そんな実績もなく、選挙の時だけ発動するお綺麗で薄っぺらい公約を掲げているだけなら、経験がなくても具体的でパワフルな公約を出してくれる人に入れる。
政策については短くキャッチーにまとめた方がわかりやすいというのはわかる。でも今はインターネットがあるんだから、アクセスしたい気持ちのある人に、わかりやすく伝える努力ぐらいはして欲しいし、実績ももっと掲載して欲しいよな、何回も当選されて、貢献したという自負があるなら華々しく載せて欲しいもんだ。
でも今回は政策や過去の実績についての言及というよりも、ヘイトスピーチにしても雑すぎないか?というようなものをたくさん見た気がする。気分が良くなかった。
だからといって発端の斎藤氏の件についても真偽が何1つわからなかった気がする。随分と盛り返しているので何か新しい事実か決定的なことでも出たのかなと思ったけど、おそらく出ていない。何かあったとしても情報の海に溺れてしまった自分にはわからなかった。
斎藤氏については事実は知り得ないが、最初の印象が最悪すぎた中、行ってきた政策の着手率が凄く高く、そこは好印象だったので無実でテコ入れしてくれたらいいなと市民として軽く考えていたぐらいだった。
無実ではなかったとしても、市民に良い政策、良い政治として還元してくれるなら正直構わないと個人的には思っている。
政治家に潔癖性を求めるには政治に対して疲弊しすぎているのだ、共に働く役所の方には申し訳ないが。今回の騒動は大きかったため、さすがに抑止力や監視力などがかなり働くと思うので、結局再当選した斎藤知事には本当に本当に気をつけてほしい。
あちこちで見聞きする裏金問題のことを考えれば、ここだけ切り取って好感を持っても許されるのでは?とすら思ってしまう。
そんなことでと思うなら、政治家の皆様はわかりやすく報酬をカットしたらいいんじゃないだろうか。その分、裏金が捗るというなら、どうしようもないが、いい加減その辺りは厳罰と返金を必須にするなどして欲しい。そこについても色々問題が、と言われても一般国民は難しいことはわからないのでは?というよりそれは国民が考える問題ではないでしょうよと思ってしまう。
他人の物を奪うなって当たり前すぎて子供でもわかることなのになと。
SNSで繋がっている友人知人は思考が似ている奴等が多く、選挙の度に見かけるツイートも共感するものが多かった。
ところが、今回はそうではなかったのだ。
斎藤氏が当選し、自分としては総合的には良かったなと思ったが、何人かの友人はそうではなかった(考えが違って当たり前なのは理解した上で、いつもより強めの乖離があるため気になったのだ)
特に①については若年層が今後投票に行く後押しになれるんじゃないかと思ってかなり嬉しかった。
②は①を起こすために必須なのでやっぱり嬉しい。
しかし先に述べていた友人の幾人かは、結果について激しい落胆だけを述べていたり、中身もなく煽られたポピュリズムのクソ結果じゃないかと、アメリカ大統領選と絡めてそんなことを言ったりしていた。
彼は自分よりも結果を重視するタイプだと思っていたので、驚いて、多分少しショックで、今こんな長々と書いてるんだろう。
勝手に落胆しているので悪いのはこちら側であるし、本人と揉めたい訳ではないので、不特定多数への問いかけという手法を取っているだけということは理解して欲しい。
新旧メディアの対決のように言われていて、最終的に形の掴みにくい「既得権益者達」と「ハメられた斎藤氏」という、権力に切り込もうとして虐げられた者という日本人の好きそうな構図に合致してしまったなとは思うが、先にも述べた通り斎藤氏自身の報酬のカットや学校関連の予算増額など、目に見えた恩恵を受けた県民だっているのだ。
面と向かってディベートできず匿名で文章を書いている自分は狡いとわかっているが、じゃあ今回はポピュリズムを嘆いている人達はどうしたら良かったと思うんだろう、今後どう政治を見ていけばいいのか教えてくれよと、そういうメッセージを投じたかった。
感情論も入った文章になっている自覚はあるが、自分と違う意見を非難したり馬鹿にしたいわけじゃなくて、自分の意見すらままならず、自分の思いもよらない考えの過程に思考が至らないだけなので、教えて欲しい。あと、あんまり怖いことや難しいこと言われると泣いてしまうので、なるべく優しく頼みたい。
その点、政治家はプロだ。そんな政治家の行ったことを、生きて暮らしている中で自分が感じた気持ちを投じて是非とするのが選挙だ。
期待されて当確した政治家がパッとしなかったら、次回はAを落としてBにする。それでいいと思うんだが、そんなに悪いことなんだろうか。ここ数年はどんなに否と叫ぶ人々がいてもその変更すらままならなかったと思うんだが。
そういう意味では空気感に煽られたとしても、今まで選挙に興味すらなかった層が10%以上選挙に足を運んだということだけでもかなりの快挙なんじゃないか。そしてそういう層が今後も選挙に行ってくれるなら、国民のお気持ち1つで当選する人を選べるんじゃないか?と期待したくなる。
前回の選挙で石丸氏に投票した若者がSNSで批判されまくってた時の気持ちに似てるのかなと思わなくはない。考えた末に鼻で笑われるとかたまったもんじゃない。わからなくても詳しくなくても知りたい気持ちはあるのだ。
任期付職員として某官庁に勤めた経験がある者だけど、2点だけ、斎藤元彦前兵庫県知事のおこないについて擁護してみたい。
といっても、「斎藤知事は悪くない!」という方向性ではない。そうじゃなくて、「これ、彼個人の問題じゃなくて霞ヶ関全体の問題なのに、彼個人が異常みたいに言われてて気の毒」という方向性である。
エレベータのドアが閉まると「お前はエレベータのボタンも押せないのか」と怒鳴る
霞ヶ関には高位の政治家や外国の要人に対する「エレベーターブロック」係が実在する。いや、もちろんエレベーターガールみたいに専属の職員がいるというわけではなく、行事のなかで「お前は◯◯と✕✕とエレベーターブロックをやれ」と命じられる、みたいな感じだけども。
霞ヶ関の官僚は「動線」をやたらと気にする。首脳会談なんかだと数十秒単位で計画し、お偉いさんが歩いてくるタイミングでエレベーターがやってくるように手配する。そして、たとえば民間のホテルなどであれば、他の客と鉢合わせないように手配もするという。増田はやったことないが、増田の上司は若い日に担当した仕事として語っていたし、今もやっているようなことを言っていた。偉い政治家の先生や外国からのお客様の動きがもたついたりしてはいけない、彼らがエレベーター前に着いたらすぐに扉が開いて乗り込むことができるようにしておく、というのが霞ヶ関のスタンダードなのである。
要するに、知事は「霞ヶ関の役人が偉い政治家に接するときのやり方」を兵庫県の役人にも求めていただけなのだ。彼が官僚時代は腰が低い方だったというのも、そりゃそうだろう。「官僚は政治家に尽くすもの」だと思っていたから官僚時代は腰が低く、知事(=政治家)になったら傲慢になった。それだけの話で、何も不思議なことはない。
下っ端の議員は知らないが、大臣以上の経験者ならこういう扱いを受けたことがあるはず(あるいは、副大臣や政務官の経験者ならこういう扱いを見たことがあるはず)で、口を拭って斎藤知事を批判するのはどうかと思う。あなたもスムースにエレベーターに乗れたことがあったでしょ? その裏にはこういうアホな仕事をしていた役人がいたんですよ。あなたもまた、斎藤知事というモンスターを育てたうちの1人なんですよ。
20mくらい自分で歩け。
斎藤知事は百条委員会で「歩かされたことではなく段取りを注意した」と言っているが、これはまさにその通りなんだろうと思う。知事の不満は、20m歩かされたことではない。「車止めがありますんで、そこからは徒歩で……」と事前に説明しておかなかった、あるいは、博物館側と交渉して知事が来るときだけ車止めを撤去しておかなかったという、部下の(霞ヶ関基準での)手際の悪さなのだ。
増田の経験ではこんなことがあった。あるホテルにお偉いさんが宿泊する。増田はそこまで迎えに行き、道路を挟んで目と鼻の先の会議場までお送りする。「車を使うとよけいに時間がかかるし、徒歩で行ってもらうってことでいいですよね」と確認したら、上司はこう宣った。「雨だったらどうするんですか?」……知らんがな、そうなったらそのときは傘でも差していただけや、と思ったのだが、つまり霞ヶ関の役人というのはこういう細かいところまで気を使う人種だということなのだ(あまつさえそのような「丁寧で緻密な仕事ぶり」を誇りにしている節すらある)。このささやかな挿話から上で書いたような「動線」へのこだわりがいかに根強いかということの片鱗を感じ取ってもらえれば幸いである。とにかく彼らは政治家も含む賓客に対してはそこいらのホテルマンも真っ青のおもてなし精神を発揮する生き物なのであり、そのおもてなし精神からすると、そりゃ車止めの存在を事前に知らせなかったり撤去しなかったりというのは立派な瑕疵だろうなぁ、と思う。
他の点について、たとえばおねだりとか顔写真とかそういった点において、斎藤元彦の異常さは際立っている。そこに異論はない。だがこの2点に関しては、「いや霞ヶ関基準ではそんなおかしくないよ」と言わざるを得ない。異常なのは斎藤元彦という個人ではなく霞ヶ関のカルチャーなのだ。
苦言を呈するくらいなら理解できるけど怒り狂ったり物を投げつけたりするのは異常と言われても仕方ないような。あるいは霞が関のお偉い様も皆そうだということかな?
これはそうで、霞ヶ関基準でも怒鳴りつけたり物を投げつけたりするのはパワハラ。ということになっている。実際に増田の上司は叱責も極めてソフトにする方だったので。
いや、県知事ともなれば普通に「高位の政治家」の範疇でしょ……(だから過剰におもてなしすべきとは言ってない、念の為)
「選挙で選ばれた政治家が役人を顎で使うのは当然」って言い換えると民主主義になるんですよね。実際、そう言われたら賛同する人も多いんじゃないの? 増田も原理原則論としては賛成するもの。
増田は外から来た任期付職員だったから「霞ヶ関のカルチャーやべえな」って思えたけど、新卒で霞ヶ関に入ってたら「これが社会人/公務員として当然の働き方だ」みたいに洗n……いやいや、勘違いする人が一定数出るよなぁと思う。
たとえば、増田が公務員になる前にいた職場では紙を回して決裁を取るなんて習慣がなかったから、決裁を取るときやそれを回していくときに相当まごついたけど、そのときに「箸の上げ下げまで指示しないと駄目ですか」って言われて、なるほど紙を回して決裁を取るというローカル文化を社会人の普遍的な嗜みと思ってるんだなぁ、と思ったよね。逆に、一部の民間企業での常識を全ての社会人にとっての常識だと思い込んでるサラリーマンとか、大学での常識がほかの職場でも通用すべきだと思ってる学者とかもいるんじゃない? 他山の石としてほしいと思うよ。マジで。
いや、霞ヶ関だけじゃなくていわゆる大企業も同じ文化だろ。役員が動く時はロジ表管理するやん。大臣や首長は社長、政務官は役員だろう。
そうなんだ? 増田は大企業の役員とかと関わったことがないから知らなかった。教えてくれてありがとう。じゃあ、これは霞ヶ関のおかしさではなくて日本の大組織のおかしさということなのかな?
??? 20m歩かされた件は百条委員会でもふつうに追及されてるが??????>https://www.youtube.com/watch?v=XfbmhrWWyEs(4:47あたりから)
工作乙です。ロシアから発注された世論工作が日本国内で下請け&下受けを繰り返して、増田は5次受けくらいっすかね。どれくらい中抜きされてるんだろうね
知らん……何それ……怖……
私は国民民主党のふわっとした支持者だった。
神奈川県在住の20代で大卒、有名でも無名でもない企業の正社員だ。
玉木雄一郎の不倫騒動を受けて初めてはてなダイアリーに投稿しようと決めた。
むしろ政治家に自分の生活を良くしてもらえるかもしれないと、軽々に期待をした自分に深くがっかりした。
振り返れば国民民主党が気になりだしたのは3年ほど前だ。
自民党の政治に辟易した私は、それから既成政党の中では最も政策が優れていると思った国民民主党を応援し始めた。
例えばガソリン減税。
貴重な税収という意見もが、あり得ない二重課税は制度としてはあまりに下策だ。
また金融政策についても感覚が正しいと、少なくとも私には思えた。
追加利上げを強く主張する河野太郎や野党議員もいたが、国民民主党の姿勢は慎重だった。
私も同意見だ。
円安による悪影響は大きくなっていたとはいえ、今年の企業の想定為替レートは1ドル=145円程度にしているところが多かったように思う。
新NISAは良い制度だと思うが、「また政府にだまされた!」という人も出てくるかもしれない。
最近の103万の壁突破もいろいろ言われているが、現役世代の手取りを増やすことは何も間違ってはいない。
そもそも年金はマクロ経済スライドによって現役世代の所得が向上しない限り、インフレ下では受給額が減らされる。
現役世代の経済力を上げないと困るのは高齢者というのは本当だ。
公明党くんは、高齢者ばかりの住民税非課税世帯に金配って満足している場合ではない。
猛省してほしい。
そして、今回の衆議院選挙。
額面から30%弱もいろいろと天引きをされて悲しい思いをしている自分の生活も、ちょっとは良くなるかもしれないと胸が躍ったのは事実だ。
立憲民主党にも左派の活動家と不倫をしていた議員がいるし、思っている以上に社会人は不倫をしているのかもしれない。(気になる)
ただ、問題は不倫が許せるか否かにかかわらず、この騒動で国民民主党の評判はがた落ちしたことだ。
この報道を耳にして勝ち誇った立憲民主党や共産党の支持者のアカウントたち。
垂涎のイベント発生とばかりに、鬼畜の形相でツイートしていることだろう。
ともあれ、今の国民民主党には玉木の代わりになる政治家はいない。
衆議院議員は新人ばかりだし、当選回数を重ねている議員も得意な政策分野には強くとも、マルチで政策を語れるさえ政治家はいなはずだ。
そのため、私はおそらく国民民主党はここで終わったと思う。
少なくとも日本政治における政党型シンクタンク的な立場でかろうじて生き残ることはあっても、政権にかかわるゲームチェンジャーになることはないと思う。
玉木雄一郎は今、どう思っているのだろうか。
冒頭に述べた通り、私はこの件で玉木を責めてはいない。
もちろん過去の玉木の発言の通り、不倫はセキュリティクリアランス的に非常に問題だとは思うが、議員に過度にモラル的であれ。とは全く思わない。
(玉木のダブスタは良くない。おつ)
四方八方から「死ね」「人殺し」と言われても、耐えざるを得ないのは政治家ぐらいだろう。
同級生は外銀やコンサルで自由にそこそこ稼いでいるだろうに、秘書を雇い事務所を運営したら大して旨味もない給料で、
罵詈雑言に耐えて、クソみたいな仕事を代わりにやっていただいてる身だ。
自分が生まれ変わってもなりたくない職業ランキングでは、政治家は確実に上位に入る。
そんな仕事をわざわざやってくれて、感謝の念こそあれ、怒りなず湧くはずもない。
そう思っていたのに、こんな仕事を議員に押し付けておいて、日本という国家を適当に運転してもらうだけではなく、
今よりも自分の生活をよくしてほしいと、今回ちょっとでも思ってしまった。
本当はわかっていた。
今の日本は現役世代は血反吐をはいて仕事しても、1000万円でも富裕層と考えられて金を吸い上げられると。
中間層すら政府にとってはATMでしかなく、日本の治安維持と政治家の不手際を補うための金を捻出する人柱なのだと。
ちょっと前まではわかっていたのに、国民民主党なら違うと思った。
変えてくれると思った。
国民民主党の特徴の1つは、最近では稀な「他人に支持していると言いやすい」政党だったという点にあると思う。
自民党支持は恥ずかしいし、立民は活動家と一緒に「みんなきれいだね!」と内輪で盛り上がっているし、
公明党は宗教だし、共産党はパワハラ疑惑がささやかれている。れいわは「金よこせ!」と代表が歌いながら踊る。
保守党は……ね笑
そうした奇特な政党ばかりの中で、政策も議員も比較的まともだったと思えた。
「国民民主党ちょっといいよね」とかなり言いやすかったと実感のある人も多かったのではないだろうか。
今、国民民主党の支持者がほかの政党の支持者になんて言われているか知っているか。
「玉木は言動が軽かったから。ほら言った通り、お前ら騙されてんじゃんwww」
こう罵られている。
だよね、騙されたのかも。
■僕が地下に潜ろう■
なんかのネット番組で言われたそうで、政策はちゃんとしていて一部の人からは知られているけど、
そんな政党が今回の選挙で一気に表に出た。そして直後に評判は急落した。
他人にも支持を表明しやすかったのに、支持者は今、盛大に罵られている。
支持者にとってこんなにも屈辱があるだろうか。
国民民主党は地上に出た。
しかし、代わりに私はどこかの政治党を支持しているなんてことは、今後一切人に言わないと決めた。
こうした屈辱は二度とごめんだ。
国民民主党が政治にインパクトを残せるような政党になった時、私はまた支持できるだろうか。
今の状況だと、そもそもそうなりそうもないが。
しかし、万が一そうなった時には、政党・政治家に期待をしてはいけないと決意した私でも、
政策を見てまた馬鹿みたいに胸を踊らせてしまうような政党に変わっていてほしいと思う。
さようなら玉木。
一瞬でも夢を見せてくれてありがとう。
★おまけ
玉木さん、あなたの不倫が暴露されたのを財務省の陰謀だと思っている支持者がいるようです。
私は違うと思います。
それに万が一そうだったとしても、あなたが不倫をしたことは財務省の陰謀ではないはずですよね。
支持者にも変な人たちが増えて本当に大変ですね。
★おまけ2
ここまで読んでくれた人いるのかな。お目汚しの拙稿を大変失礼しました。
前回も言われてたけど、「分かりやすさ」だと思う。
ハリス側が「分かりやすくない」。高等教育を受けて複雑な言葉を駆使する仕事をして言語や文脈の読み解きに慣れていて社会政治構造をある程度理解していて、メディアやインターネットや人脈から新鮮な情報を得て、どっちが自分や周囲の利益になるか検討「できる人たち」向けに、政治がインフォメーションされている。
はっきり言って、難しすぎる。自分は言語の理解は高いけど、それでも政治のことは入り組んでいて全然わからない。そうするとざっくりした雰囲気、演説の中のインパクトある単語などで判断するしかない。
これは、高等教育を受けていない人間が馬鹿で愚かだという話ではない。
むしろ高等教育を受けている人間のあいだで現代社会の上澄みが複雑にこねくり回されているだけで、それは社会全体からするとものすごく特殊な状態だということを、当人たちが理解していない。
人間がささやかに幸福に暮らすために、全員がそのような複雑性を訓練して習得して理解すべきだなどというのはまったくシュールな話で、ありえない。
高等教育の上澄みの上澄みにいる人間たちは例外なく血を吐く努力をしている。それが当たり前だと思い、意識すらしてない者もいる。自分が死ぬほど努力してきたからそれが人として当然だと思い、あらゆる人間に強いるし、努力不足だとさげすむ。その心情は理解できるが、その感じ方はあくまでその階層のみで共有可能な心情であって、世の中のスタンダードな価値観にはなり得ない。
政治を伝えるには、複雑に利害を調整して複雑なままアナウンスするのでは足りない。そのままでは大半が理解できないのだから(私を含め)。社会の大半がその趣旨をよく理解できるように噛み砕いて、わかりやすく伝える、そこまでが政治の仕事である。それはポピュリズムとは違う。
複雑な物事を、本質を損なわずにわかりやすく人に伝えるのは、複雑なまま仲間同士で議論するより百倍難しい。世界があまりに複雑、煩雑になってエリートも含めみんながお手上げになるのはわかるし、自分もお手上げしたいので、気持ちはわかるけど。
あの戦時のことを、今の人たちに伝えるのは、正直難しいかもしれんが、わしなりに話してみるよ。
戦争中、毎日が緊張の連続だった。家族みんなで防空壕に走り込むことが日常で、空襲警報が鳴るたびに「今度こそ終わりかもしれん」と思ったものさ。あの防空壕の中、みんな息をひそめてただ静かに座っている。小さなわしには、その沈黙が何より怖かったよ。
友達も疎開したり、戦争で家族を亡くしたりして、どんどん減っていった。
でも、子どもながらに遊びの楽しみだけは見つけようとしてたよ。例えば、戦闘機の残骸を見つけて秘密基地みたいにしたり、田んぼのあぜ道で虫を取ったりな。それはささやかな喜びだったが、どこか心の底では「この楽しさもいつまで続くんだろう」と不安がつきまとっていた。
戦争が終わって、みんな「これでやっと普通に生きられる」と思ったけど、実際には瓦礫の山から立ち上がらなきゃならなくて、ゼロからのスタートだったんだ。
でも、不思議なもので、人はそれでも前に進んでいくんだな。今の若い人には平和が当たり前に感じられるかもしれんが、わしにとってはその当たり前がどれほど尊いものか、心から噛みしめて生きているよ。
森の深い場所で、狐は静かに佇んでいた。彼はぼくと別れてから、また自分の道へ戻った。森の空気は冷たく、夜の匂いが漂っている。時折、木々の間を風が通り抜け、彼の毛をそっと揺らす。それでも、狐は動かない。ただじっと、その場で立ち尽くしていた。何かを思うでもなく、何かを求めるでもなく。彼は、いつものようにそこにいるだけだった。
「彼もまた、影を抱えているんだな」狐は、ぽつりとつぶやいた。言葉が静かに夜の空気に溶けていく。
彼にとって、ぼくのような人間と出会うことは特別なことではなかった。人間は皆、それぞれの心の中に影を持っている。狐はその影を感じ取ることができた。それがどれほど深いものか、どれほど長いものか、どれだけ複雑に絡み合っているか。すべては一瞬でわかる。だからと言って、彼はその影に干渉しようとはしない。彼の役割は、ただそれを見守り、時折小さなきっかけを与えることだけだ。
「彼はまだ気づき始めたばかりだ。言葉が持つ重さに。影の存在に。そして、それがどう彼自身に返ってくるかに。」
狐は鼻先を少し持ち上げ、空の方を見た。暗い空には、いくつかの星がぽつぽつと光っている。まるで遠い昔からその場所にあるかのように、静かに輝いている。彼はいつもこうやって、静かに物事が動いていくのを見守ってきた。人間たちは、あまりに多くの言葉を使いすぎる。彼らはその言葉の意味を、そしてその背後に潜む影を、ほとんど理解していない。ただ音として言葉を吐き出し、そしてそのまま歩き続ける。それはまるで、足元に転がる小石に気づかないまま、ただひたすら前に進むのに似ている。
「影は消えない」と、狐は自分に言い聞かせるようにまたつぶやいた。彼はそれを知っていた。言葉が持つ力は、それを放った者の元へ必ず戻ってくる。それがいつになるかは誰にもわからない。でも、いつか必ず戻ってくる。ぼくが「キモい」と言うたびに、その言葉がぼく自身の中に小さな影を落としている。言葉は単なる音ではない。言葉は世界を作り出す。世界の形を変え、時には歪めることすらある。
「彼はどうするだろうか」狐はまた考える。彼の中には、何も期待も予測もなかった。ただ、ぼくが自分の影とどう向き合うか、それを見守るだけだった。影を避けて通ることはできない。人間は皆、それに気づくべきだ。影とともに歩くことができるかどうか。それが問題なのだ。
彼自身もまた、長い年月をかけて自分の影と向き合ってきた。狐は人間とは違うが、それでも影はある。影はどこにでもあり、何にでも宿る。重要なのは、その影をどのように扱うかだ。影を否定することはできない。だが、それを抱え込むこともまた間違いだ。
「彼は、そのうちに気づくだろう」と、狐は思った。気づきはいつも突然訪れる。そして、それは人間が思っているよりも、ずっとささやかで静かなものだ。
狐はゆっくりと歩き出した。彼の足音は枯葉の上でかすかに響くが、それは夜の静けさの中にすぐに消えていった。彼はぼくのことをもう忘れたわけではないが、特に気にかけているわけでもなかった。彼はただ、森の中で夜を過ごしながら、次の風の吹く瞬間を待っているだけだった。すべては流れていく。ぼくもまた、きっとその流れの中で何かに気づくだろう。
おわり
「増田さんはよくあの人の自慢話聞いていられるよね。」
はて?と、思った。
あの人と言うのは、休憩時間によくお喋りをしている職場のパートさんのことである。話す内容といえば昔働いていた職場は儲かっていたとか、息子さんに旅行に連れて行ってもらったとか。私はお菓子を食べながら、そのような話を「へぇ〜、いいですね!」と聞いている。
冒頭、私にそう言ってきたのはあの人と同世代の女性だ。あの人との付き合いは私よりも長く、あの人の話にも聞き飽きているらしい。(確かにあの人は何度も同じ話をするのは事実で、私も既に5回程聞いたことがある話はある。)
聞き飽きる、のと、自慢話に嫌気がさす、というのは違うよな?と思った。え?そもそもあの人が話していることって自慢話なの?自慢話ってつまり何?
まず、自慢話には「ネガティブな自慢話」と「ポジティブな自慢話」があるように思える。内容がではなく、感じ方がネガティブかポジティブか。
「ネガティブな自慢話」からまず思い浮かんだのはスネ夫。「スネ夫が自慢話をする時のBGM」があるくらいだ。スネ夫の自慢話といえば、…グアムに行ったとかスポーツカーに乗せてもらったとか?それを今の私が聞いたらどう思うだろう?おそらく、「へー!すごいな!いいねぇ!」だ。のび太のようにドラえもんに愚痴ることもない。でも、私がスネ夫やのび太と同世代だったら?あの人と同世代の女性のように、近い年齢だと自分と相手を比べてガッカリしたり羨ましい気持ちになることが「ネガティブな自慢話」になるんだろうか。
次に「ポジティブな自慢話」。スネ夫のようにこれといった例はないが、なんとなく思い浮かべるシチュエーションとしては、あなたの自慢を教えてくださいと聞かれる、といったもの。聞かれた人はきっとそれぞれの自慢話をするだろう。有名人に会ったことがあります、財産がこれだけあります、とか。もっとささやかな自慢もあるだろう。それに対して、聞いた人は「ハ?自慢話してんじゃねーよ」とは思わないはず。だって自分で聞きたくて聞いてるんだもん。チャンネル登録しているYouTuberが海外旅行に行ったブイログを見て、自慢かよクソと思う人は少ないだろう。だって見たくて見てるんだもん。
いろいろごちゃごちゃ考えたが、自慢話とは聴く側の人間の立ち位置や、状況によって変わるものだと思った。同じ人から同じ話を聞いても、聴く側が変わればそれは自慢話すんなクソにも、へー!いいじゃん!にもなり得るのかな。
うわー自慢話されたー最悪ー!と人生で思ったこともあったかもしれないが、大体はへー!いいじゃん!と思う私にとって自慢話っていろいろ考えたけど…あんまりピンとこないなと思った。それと同時に、じゃあ私が過去に話したことも人によっては自慢話すんなクソだったのかな…と思うとなんだか憂鬱になってしまったのだった。
自慢話、奥が深いぜ。
まともな親(たとえ金少な目でも)の元に生まれて
大学を出て
自宅があり(ローン払ってるのじゃ知らないが)
要するに5000万程度は払える人生のくせに
学歴もなく
親ガチャも失敗
一回3000円の贅沢や
「うやらましい…」
っていってくるやつ
きしょすぎる
マジきっしょ
もう消えてくれよ頼むから
お互いにないものねだりだね😅
じゃねえんだよ
こっちは自由にできる5000万はねえんだよ
まじで消えてくれよ頼むから
なんでも持ってるやつが
なんもない奴が虚しい慰めをしてるのに
水さして楽しいか?
マジふざけんなよ
逮捕されずに書類送検されたがまだ起訴されていない状態は法令用語で被疑者、被疑者と被害者を間違えないように報道機関の考慮で被疑者を容疑者と呼んでるだけ。
だから宙ぶらりんでも何でもないんだよな。決してジャニーズ事務所への忖度ではありませんよみたいな言い訳じみた記事を見た気がするが、書類送検の段階で容疑者呼ばわりしてるニュース探せばあると思う。
容疑者呼ばわりだとイメージ悪くなるから容疑者を使うなって圧かけられて、容疑者って言葉自体は厳密な定義があるわけじゃないから使わなかったんだろうけど、報道機関の矜持としてさん付けは避けたんだろうな。
その結果生まれたメンバーというあの珍妙な敬称は苦肉の策なのかささやかな抵抗なのかはよく分からん。でも芸能事務所とメディアの悪辣な絆のシンボルみたいになって結果オーライだよね。
ネットを見ていると、フェミニズムの台頭により男女の対立が深まっているのを感じる。
だが、本来男女は助け合い、お互いに尊重し合い、これからの文明を築かなければならない。
女性がミサンドリーに陥る原因のひとつとして「性犯罪」が挙げられるだろう。
しかし、あれもこれも「加害」と定義しすぎたせいで、本来加害ではないものにすら、女性は傷つくことがあるのではないか。
その例として痴漢を挙げる。
もちろん合意のない痴漢は言語道断なのだが、痴漢はストレスフルな通勤・通学電車の中の「プレイ」であるという側面も忘れてはならない。
もちろんここで、女性を好きにしたいという欲望のあまり、女性の気持ちを考えずに行為に及ぶのは性犯罪者の思考。
その一環として「近づいてもたれかかる・手を握る」などの接近を行う。
いきなり胸を揉みしだかれたりしたら女性も驚くが、ただ接近するだけであれば加害ではないし、女性側はその時点で拒否することが可能だ。
セックスの時に「セックスしましょう」と合意を取るのが馬鹿らしいように、痴漢もまた、拒否できる状況を用意したうえで拒否がないのを確認して合意と見做すことができるのだ。
さて、ここで合意を確認できたところで、すぐさまスカートの中に手を入れるなどはやはり宜しくない。
首に息を吹きかける、胸を触るなど、段階的に行為を行い、いつでも拒否してプレイを中断できる状況を作る。
男女平等の社会においてはそぐわないかもしれないが、私は少なくともそう信じている。
それでも、どうしても行為に納得できなかったのであれば、痴漢を捕まえて駅長室に連れていき、示談にして解決する権利もある。
こういった、女性側の自由意志を尊重したうえで、本来あるべき痴漢はようやく成立する。
このあたりの文脈を理解せずに痴漢行為に及ぶ者や、十把一絡げに批判する者が、最近はあまりにも多い。
また、同じ時間の同じ車両で活動することで、女性側の避ける権利を担保する。
ここまで条件を揃えれば「加害」とは言い難い。
しかし、フェミニズムに煽られて「痴漢は全て加害です」というプロパガンダが行われたら?
それは痴漢を楽しみたい男性はもちろん、女性にとっても生きづらい世の中を作っていってしまう。
キリスト教ではない我が国では、昔はもっと性がおおらかなもので、それが日本人の価値観に合っていた。
これ以上、その流れを壊してはいけない。
今回はささやかな抵抗のひとつとして、痴漢と性的合意について書いてみた。
これを読んでいる男性は、痴漢プレイに限らず、女性の「したい」と「いやだ」を尊重するように。
数年前によく行ってた松のやでたまに見かけてたジジイの話。店に入ると券売機をガン無視して席に着き、水を持ってきた店員に向かって「◯◯!」と注文を怒鳴る。
店員が「あちらの券売機で…」なんて言おうものなら店内に響き渡るくらいの大声で怒鳴り散らし、決して券売機には行かず、必ず店員に注文取らせてた。
しばらくその店に行く機会がなくて、仕事の関係でまたその店に通うようになったらそのジジイいなくなってた。
その間にその店は食券に書かれた番号で呼び出されて自分で商品を取りに行くタイプに変わっていて、水もセルフで汲まなきゃいけなくなっていた。当然店員は近くに来ない。
最近、使うたびに面倒で複雑になっていく券売機のUIを眺めながら思う。あのジジイがやっていたのはささやかなレジスタンスだったのではないかと。まあ大半はわがままからの事だったのだろうが。
増田はココアに対して強い思い入れやこだわりがあるわけではない。ただ、少し寒い日にホットココアを飲んで温まりたいというささやかな願望はある。
今日ついに涼しくなりホットココアを買ったところ撃沈したので、なぜかまずいココアについて語りたい。
※増田の好きなココアはスタバのホットココア、ローソンのたんぱく質10gが摂れるココア。牛乳が嫌いかつ甘すぎない方が好みという基準がある。
※すべて個人の感想です。
今日撃沈したココアだ。前回も同じ思いをしたのに忘れて買ってしまった。
バンホーテン全般がダメなわけではない。純ココアにしろスティックココアにしろ、粉末状のものはかなり美味しい。
ただペットボトルになった瞬間話が変わる。飲んだ瞬間、カカオでもミルクでもない、甘い苦いとは別ベクトルの何とも言えない風味を感じてしまう。
言い表せないのにまずい。
人の共感を求めTwitter(自称X)で「バンホーテン まずい」で検索したが同じ意見は見つけられなかった。まずいと思っているのは増田だけのようだ。
粉末から液体になった瞬間なぜかまずくなる。バンホーテンでは粉末を溶かす過程で何を行なっているのだろう。そしてその何が原因で増田はまずいと感じるのだろう。気になる。
職場で飲もうと思って買ったところとんでもないものに出会ってしまった。
まずい。疑いようもなく。
バンホーテンは粉末はおいしかった。しかし、粉末かつあのネスレでこうなると思わなかった。
これまた言い表せないのだが、どうしようもないまずさだ。記憶も朧げだが、本来するだろう味がせず、本来しないだろう味がした。
初回のまずさは自分のコンディション不良かと思いリベンジしたが結果は変わらなかった。
あまりのまずさに母に譲ったが、母もギブアップした。増田は驚いた。母はだいたいのものは苦に思わず食べられるし、嫌いな食材以外でまずいと言っているところを見たことがなかった。ふわラテが第一号だ。
稼働直後に(時期は若干前後したものの)最高レアとして実装された古株同士で、得意タイプも一緒。
かつスキルもそれなりにシナジーがあり、性能自体初期キャラにある種特有の「シンプル故に代替が効きにくい」ものだったこともあり、稼働直後の選択肢が少ない頃には所謂理想編成の一角として、攻略サイトでは同時にパーティに組むことを推奨されていたりもした。
勿論シナリオ上の設定には(ちょっとした共通点はあったものの)一切の関わりのない同士だったが、そもそも初期キャラ故にその背景設定自体が非常にシンプルで、かつ「主人公の仲間として一緒に行動している」程度の妄想のできる余白はあったので、当初よりささやかながらファンコミュニティでもこの二人をペアとして扱う二次創作がいくつか散見されていた。
自分自身彼らを主力パーティとして同時に編成してプレイすることも多かったので、こんな風にちょっとした交流があったら面白いだろうなーと小さな妄想を楽しんでいた。カプ、というレベルでは無かった気がするが。
やがてゲームが軌道に乗り、キャラが増え、二人揃って理想編成から姿を消すことになっても、戦力が揃っていないプレイヤー向けのお薦め編成には長く二人揃って名前が残っていた。
また、この頃には「一つの大きなシナリオにてそれぞれの役割を担い、相互に詳細な人間関係が設定されているグループのキャラクター」が増え、かつゲーム自体の中心となってきていたが、自分が推す例の二人は相変わらずキャラクター単体でストーリーが完結していた……というか、実装時の紹介イベントのストーリーから一切ストーリー的な進展がないままだった(なので二人とも、古参のお馴染みキャラという立ち位置でこそあれ、人気自体はそこそこといったところであった)。
ゲームのメインストリームからは取り残されつつあったが、そもそもゲーム上の相性が良いだけでシナリオ的な根拠が一切ない二人を勝手に組ませて妄想している身としては(まことに身勝手な話だが)、都合が良かったのである。
二人のどちらにシナリオ上の進展が来たら間違いなくこの関係性は「そもそも存在しない」ものになるだろう、そうなっても、というかもともと「そう」なのだから文句は言えない、所詮は界隈で言う「顔カプ」である。
今のうちに楽しんでおこう……と、おそらく当時はそう覚悟できていたと思う。ここまでが前置き。
ある時、ついにこの二人にゲーム内での公式供給が発生した。しかもそれぞれではなく、二人同時に、両者の交流が描かれるという形で。
ゲーム内のミニイベントの更に1エピソードという大変ささやかなものではあったが、両者のちょっとした共通点に主眼を置き、二人が交流を通してその共通点から生じる問題に向き合い、互いの在り様を肯定するという、ありふれたものながら非常に「良い話」だった。
少なくとも自分はこういった形で両者の交流がゲーム上で実現、可視化されたことに快哉を叫んだし、界隈でも評判の良いエピソードとして捉えられた。
またエピソードで改めて二人の「共通点」が提示されたことで、今後その共通点を巡ってのシナリオの掘り下げを期待する空気も生まれた。
エピソード自体は恋愛の文脈に乗っかったものではなかったが、それを機に恋愛に振った二次創作も増えた。相変わらず二人のゲーム内での出番は増えなかったが、ひっそり自分の中で関係性のエモさを消費している分には全く問題はなかった。
もしかしたらまた進展があるかもしれないし、このまま何もなく古参キャラとして埋もれてしまうかもしれない。進展があったら嬉しい、ぐらいの気持ちでいた。それだけでも十分だった。
状況が変わったのはそれから更にしばらくのことだった。二人のうちの男の方(以降男をA、女をBとする)が、唐突に「一つの大きなストーリーに連なるキャラクター群」に編入されたのである。
それまで全く関連の描写がなかったのに、実はAはシナリオ上での重要な関係者であった、という設定が付与されたのであった。
Aが編入されたキャラクター群と彼らが背負うシナリオはゲームの根幹の一角を成す重要なものであり、注目度も人気も界隈内ではかなり高い。
編入に伴うストーリーはAがこれからそのシナリオグループ内でキャラクターとして新たな一歩を踏み出すに足る説得力を有していた。
彼はそのストーリーの中で、かつてBとの間にあった「共通点」から生じる問題を、ストーリー内で登場した新キャラと一緒に見事に解決してみせた。
故に彼は一気にゲーム内の人気キャラへと出世した。ド栄転である。
Aを主題とした二次創作の数も爆発的に増えた。ただしその中にBの姿は当然ながら影も形もなかった。
その後、Aは自身を取り巻く大きなストーリーの中で、継続的に出番を得、新たな人間関係を構築し、キャラクターとして成長を続けている。
しかしそれはあくまでも彼の属するストーリーの人間関係の中でのことであり、Bについての新たな言及は編入以降一切ないままだ。
今やストーリーの中で大きな役割を担わされたAには、システム上のシナジーで人間関係を妄想できるような隙間自体皆無である。
やがて界隈からAとBがかつて何となくセット扱いされていたという記憶も薄れた。今なら、今でこそ、AとBはまだ設定が固まりきってない頃に勝手に妄想された顔カプと言われてしまうし、自分もそれを否定できない。
かつて予感していた「そもそも存在しない」状態が訪れたということだ。だから結局愚痴にしかならない。
ただもう一つ愚痴を重ねさせてもらうとすれば、Bについては相変わらず全くシナリオ上の出番も掘り下げもないまま時が経過してしまっていることだ。
Bもまた新しい人間関係の中に組み込まれ彼女なりの成長を描写されているのなら、AとBの邂逅はひとときのオタクの勝手な妄想として自分の中でケリをつけられた気がする。
しかしBは、それこそAとのミニイベント以降、キャラクターとしての時が止まったままなのである。それこそAのようにいきなりの設定を生やしてでも掘り下げる余地のいくらでもあるキャラなのに、と、思う。
SNSのTLでAが今の彼の仲間と肩を組んで笑っているイラストが流れてくる度、消化しきれない思いを自覚してしまい、それがちょっとした自己嫌悪になる。
……と、ここまで愚痴って思うが、なんかこれって失恋した側の未練ぽいな……結局は推しカプに失恋した単なるオタクの未練なのだ(そもそも恋自体始まらなかったというやつ)。
究極的にはゲーム辞めれば良いんだよな……という話なのだが、ゲームとしてはそれはそれで相変わらず楽しめているので、結局愚痴をだらだら書き残すしかない。この未練を抱えたまま。
この詩は、人生の不安定さや葛藤、個人のアイデンティティを模索する苦しみをテーマにしています。また、現実と理想、社会的な期待と個人的な願望の間で揺れ動く様子が描かれています。以下、いくつかの重要なテーマについて解説します。
1. 空と涙
• 「空の青さが 涙の滲んだ跡なら」と始まる部分は、空の青さを涙の象徴として捉え、個人の苦しみや感情が広がっているように表現しています。空が涙のように広がることは、内なる悲しみや孤独を示唆しています。
• 「方々世界のプライドは 微かな日常すらも重いだろう」とあるように、世界の誇りやプライドが、日常のささやかな瞬間を重く感じさせているという認識です。これは、社会的な期待やプレッシャーが、個人の日常生活を圧迫していることを示しています。
• 「納得のできる生き方など 死に方さえも人それぞれならば」といった表現では、各自が異なる人生観を持っていることを認めつつ、それでも何が正しいのかを問いかけています。自分の選んだ道に対して確信が持てない感情や不安を表しています。
• 「プレッシャー抱えた年下は 愚直に幼さを包み隠してる」との記述は、若者が社会的なプレッシャーにさらされ、まだ未熟でありながらそれを隠そうとする姿を描いています。年齢に関わらず、誰もが不安を抱えながら、社会に適応しようともがいているという認識です。
5. 行き先の不確かさと解放
• 「納得に代わる行き先など 後押しさえも矛盾の塊で」といった部分は、どこに向かうべきか、どの道が正しいかさえもわからない中での混乱を示しています。矛盾した社会の現実に直面しながらも、「いっそ全て抜け空だと 伝えようぜ僕ら」と、すべてを解放し、空っぽになることで何かを見出そうとする姿勢が描かれています。
• 全体を通して、個人が自分の感情や理想と現実のギャップにどう向き合い、何を大切にすべきかを模索している様子が感じられます。特に「夜闇の安らぎを消して 朝を背に泣きながら」といった表現は、暗闇から逃れ、朝という新たな始まりに向かってもなお、涙を拭えない人々の苦悩を表しています。
総括
この詩は、現代の社会で生きることの複雑さ、プレッシャー、そして自己の存在意義を問いかける作品です。感情や悩みを隠すことなく、むしろそれを正面から受け入れながら、未来に向かって歩んでいく決意を描いています。詩全体にわたる「空」と「涙」という象徴は、広がりと同時に内面的な深さを示しており、人間のもろさと強さを同時に感じさせます。
「抜け空(ヌケガラ)」というタイトルと「抜け殻」をかけていることを踏まえると、詩の意味がより深く理解できます。以下、その観点から解釈を深めます。
1. 「抜け殻」の象徴
• 「抜け殻」は、何かがそこから抜け出し、もぬけの殻になった状態を意味します。この場合、自分自身の精神的・感情的な中身が抜けた状態、つまり、かつての自分や社会の期待に囚われていた状態から解放されたことを象徴していると考えられます。
• 「ヌケガラ」になることは一見すると虚無的であり、空っぽになることはネガティブに感じられるかもしれませんが、この歌詞ではむしろ、その空っぽさや虚無を新たな始まりや解放の象徴として肯定的に捉えているように思えます。
2. 「抜け空」=「空っぽの空」
• 「抜け空」という表現は、ただの「空っぽ」ではなく、空という無限の広がりや可能性を持つものを指しているようです。空というのは無限に広がっており、可能性や未来を象徴する一方で、何もない「空虚」をも意味します。
• この「空っぽの空」は、今までの自分や他人の期待から解放された状態を象徴していると考えられます。つまり、何もない「空」は、逆に言えば新しいものを受け入れる準備ができている状態であり、これまでの自分を脱ぎ捨てた「抜け殻」としての自分が、新たな可能性や未来を受け入れようとしているのです。
3. 殻を破る=自分の殻を脱ぐこと
• 歌詞の中で、「羽化不全の翅で藻搔く」や「蛹の衝動で溺れたい」といった表現があります。これは、殻を破る準備ができていない、あるいはその過程で苦しむ姿を描いていると解釈できます。蛹は蝶に成長するために殻を破りますが、もし「羽化不全」であればその過程がうまくいかず、もがき苦しむことになります。
• しかし、この「抜け殻」になった後は、もがきから解放され、羽ばたく準備が整った状態として捉えられます。つまり、自己の変化や成長、さらにはその過程での痛みや葛藤を経て、「抜け殻」として新しい自分を迎える準備が整っているのです。
• 「納得のできる生き方など 死に方さえも人それぞれならば」という歌詞は、人生や生き方に明確な答えがないことを示唆しています。つまり、自分が納得するかどうかは個人の問題であり、社会が押し付ける価値観や期待に応じる必要はないというメッセージです。
• 空っぽになることで、つまり「ヌケガラ」となることで、逆に自由を得て、自分だけの答えを探すことができるのです。「いっそ全て抜け空だと 伝えようぜ僕ら」というフレーズは、その空っぽさを受け入れ、自分を縛るものから解放されようという呼びかけと捉えることができます。
• 歌全体を通して「空っぽでいること」や「ヌケガラでいること」が単に無力感を示すものではなく、むしろ自己の解放や再生の象徴であることが感じられます。空っぽの状態だからこそ、新しい可能性が無限に広がっている。そこから、次のステップや新しい自分に向かうための余白が生まれます。
• また、「朝を背に泣きながら」という表現は、苦しみや痛みを抱えながらも新たな一歩を踏み出そうとする姿を描いており、ヌケガラとしての自分が新しい一歩を踏み出す瞬間を表現していると言えるでしょう。
総括
「抜け空(ヌケガラ)」という歌詞は、単に「空っぽ」や「虚無」を表現しているのではなく、抜け殻になることで新たな可能性や自由を手に入れるプロセスを描いています。殻を脱ぎ捨て、空っぽの状態になることは、自分自身や周囲の期待、社会的なプレッシャーから解放され、新たな道を模索するための準備段階です。
この「ヌケガラ」とは、以下のような象徴として捉えることができます。
• 「抜け殻」になることで、過去の自分や制約から解放され、次のステージへ進む準備が整う。これは、殻を破ることで成長し、新たな自分に生まれ変わる過程を示唆しています。
• 空っぽな状態は一見すると弱さや虚無に感じられるかもしれませんが、この詩ではむしろ、それが自由であり、無限の可能性を秘めた状態として描かれています。すべてを手放し、何も持たないことで、逆に新しいものを受け入れる余白ができるのです。
• 詩全体を通して、社会的な期待やプレッシャーから解放されることの重要性が強調されています。自分の「納得できる生き方」は他人に決められるものではなく、空っぽになって初めて自分自身で見つけ出すことができるというメッセージです。
• 「同じ空が広がってんのさ 胸に広がってんだ」というフレーズからも、空っぽであることが新しい視点を得るための出発点であり、同じ世界でも別の見方や解釈が可能になることを暗示しています。過去の枠組みを超えて、新しい未来を模索する自由がそこにあるのです。
結論:
「抜け空(ヌケガラ)」は、空っぽになることの価値や、それによって得られる自己の解放と新しい可能性の象徴です。殻を破り捨て、空っぽになることで、個人は新たな未来に向かう準備が整い、自由を手にすることができるというポジティブなメッセージが込められています。
「はぁ…はぁ…」。
今日も、容赦なく太陽が照りつける。昨日の悪夢が蘇り、ライスシャワーの足取りは重い。それでも、学校へ行かなければ、お兄さまに申し訳ない。そう思って、ライスシャワーは、重い足を引きずって駅へと向かった。
ホームに降り立つと、湿気を含んだ熱気がライスシャワーを襲う。まるで、巨大な蒸し器の中に閉じ込められたようだ。
白いブラウスは、すでに汗で湿り、肌に張り付いている。薄い水色のカーディガンを羽織ってはいるものの、焼け石に水だ。汗は止まらず、額から流れ落ちる雫が、視界を遮る。
「どうしよう…、また、昨日のように…」。
ライスシャワーは、不安でたまらなかった。昨日、電車の中で味わった、あの恥ずかしい思いを、もう二度としたくない。
今日は、昨日とは違う、白地にピンクの花柄のブラジャーと、同じ柄のショーツを身につけている。可愛らしいフリルがあしらわれたデザインは、ライスのささやかなお気に入りだ。
しかし、そんな可愛らしい下着も、汗でびっしょりになってしまったら、意味がない。
ライスシャワーは、透け対策のカーディガンのボタンをしっかりと留め、胸元を隠した。これで、少しは安心できるはずだ。
「はぁ…」。
ため息をつきながら、ライスシャワーは、人混みをかき分け、車内へと乗り込んだ。
冷房は効いているものの、人の熱気で、車内の空気は生ぬるい。ライスシャワーの汗は、止まらない。
「どうしよう…、汗の匂い…」。
ライスシャワーは、周りの人の視線が気になって仕方がない。自分の汗の匂いが、周りの人に不快感を与えていないか、不安でたまらない。
その時だった。
「え…?」。
突然、ライスシャワーの体が、何かに引っ張られるような感覚に襲われた。
次の瞬間、ライスシャワーのカーディガンは、まるで魔法にかけられたかのように、宙を舞い、遠くへと飛んでいってしまった。
ライスシャワーは、何が起こったのか理解できず、呆然と立ち尽くした。
「ううっ…、やっぱり…、ライスは…」。
ライスシャワーは、自分の不幸体質を呪った。どうして、いつもこうなってしまうのだろう。
カーディガンを失ったライスシャワーは、再び、無防備な状態に晒されてしまった。白いブラウスは、汗で透け、中の下着が、周りの人の目にさらされている。
「どうしよう…、どうしよう…」。
ライスシャワーは、パニック状態に陥った。周りの視線が、まるで針のように、ライスシャワーの体を突き刺す。
白地にピンクの花柄のブラジャーは、ライスの小さな胸を強調し、汗で濡れて、その形をくっきりと浮かび上がらせている。スカートも、汗で太ももに張り付き、下着のラインが透けて見える。
「見ないで…、お願い…、見ないで…」。
ライスシャワーは、心の中で、そう叫んでいた。
周りの視線は、ますます強くなる。ライスシャワーは、まるで、裸にされたかのような恥ずかしさに、顔を真っ赤にする。
「ううっ…、もうダメ…」。
電車に揺られること30分。ライスシャワーは、地獄のような時間を過ごした。
「お兄さま…」。
心の中で、お兄さまの名前を呼ぶ。しかし、お兄さまは、ここにはいない。
「…がんばれ…、ライスシャワー…」。
そして、ようやく、電車が駅に到着した。
「ふぅ…」。
しかし、ホームに降り立った瞬間、ライスシャワーを襲ったのは、容赦のない太陽の光と、湿気を含んだ熱気だった。
「ううっ…」。
汗は、滝のように流れ落ちる。ブラウスは、完全に透け、中のブラジャーが丸見えだ。スカートも、汗でびっしょりになり、下着のラインがくっきりと浮かび上がっている。
「もう…、どうなってもいい…」。
駅のホームを歩くライスシャワーの姿は、周りの人々の目を引いた。しかし、ライスシャワーは、もうそんなことはどうでもよかった。
「早く…、学校へ…」。
学校に着く頃には、ライスシャワーの制服は、完全に原型をとどめていなかった。ブラウスは、汗でドロドロになり、中のブラジャーがはっきりと見える。スカートも、汗で濡れて、体のラインに張り付いている。
「どうしよう…」。
しかし、もう後戻りはできない。
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Gemini使用
>自分の欲望はささやかなもので、日々の労働の対価として当然に享受してもよい消費だと思っていた。 これくらいの消費行動・金銭感覚は周りを見渡しても当たり前で、パチンコで数万円負けた、なんて笑う同僚よりも自分はまともなんだと思っていた。 だが当然に現金はすぐになくなり、給料日を心待ちにする日々が続いた。
ここすごく共感したしまだ借金には手を出していない(※厳密にはクレジットカードを使っているし奨学金を借りてはいる)けど、身につまされた。自分のあり得る未来をみたような気がした。
私はここ最近、浪費のせいでクレカ引き落とし後の口座残高が10万を切る生活を続けている。転職後の会社でメンタルを病み、そこから時分を甘やかす生活が続いて学生時代〜1社目の時代に貯めた200万の貯金がずるずるとすり減っていった。
身の丈に合った派遣の仕事から離れられる気がしないし、あとはもう浪費をやめるしかないんだよな。なんでも好きなだけ買うのをやめたい。