はてなキーワード: 小動物とは
昔からのフォロワーがTLから減ったからたまにおすすめ欄を見るんだけど、最近になってまた一段とnot for meになった感がある。
政党間対立、弱者から権力者への罵詈雑言、男女間対立、外国人批判、政権批判、老人への苛立ち、若い子への情けないマウント、陰謀論、反ワクと反反ワク、AI信者とAIアンチ、環境破壊に無頓着な連中と過激な自然保護団体、Vtuberだか生主だかのスキャンダル、経歴や年収詐称のビジネス詐欺師連中、これらに挟まる広告、広告、広告。エトセトラエトセトラ。
ポジティブにもネガティブにも動揺したくないから好悪によらずミュートしてるのにきりがない。
かといって犬猫小動物をつかった承認欲求を満たすアカウントにももう興味ないし。かわいいけど。
芸能人にも野球にも競馬にもソシャゲにも興味がないからトレンドなんてもっての外。第一線で活躍する方々の輝かしい日常やら素晴らしいアートなんてこっちが惨めになるだけだ。押し付けがましい漫画も読みたくない。
私も酷い話だなと思うけど、なんでこんなこと企む人が出てきたんだろうと考えたら、今までの人類の行いのせいなのかもしれないと思えてきた。
人間は肉や卵をたくさん穫るために家畜を劣悪な環境で飼育したり、非道な品種改良(改悪)したりしてるよね。見た目の可愛さのためにわざと病気や障害のある個体を増やして販売したり。今は動植物の遺伝子までいじってるし。もちろん発展途上国の人たちからは当然のように搾取してる。人間ってやること酷いよね。
そういう非道で無神経な在り方が「人でも実験していいよね」「人ってもっと減ったほうがいいよね」みたいな考えにつながってる気がするんだよね。野良猫や小動物を痛めつける人間が最終的に人を標的にするように。
こういう安価な肉や卵でここまで人口が膨れ上がってしまったのかな。それなら私は死ぬべきなのかな、と考えることがある。動物福祉やフェアトレードを厳密に守ったら先進国らしい生活なんて到底できないだろう。私みたいな貧困層は特にね。それだけ今の暮らしは様々な搾取の上に成り立ってる。そして家畜をギリギリまで搾取しまくるのと同じやりかたで、人間も搾取されてる気がするんだよね。
先日も海外の医療系YouTuberさんが、モデルナが他の病気の予防接種についてもmRNAワクチンの開発を進めていると冷静に説明してたけど(https://www.youtube.com/watch?v=tFzTTuuzfH0)「これはテロだ」「今すぐ禁止しろ」「全員刑務所に入れ」などのコメントで溢れかえっていた。まあ確かに心配な話だけど、こういう不満は家畜たちが日頃人間に対して思ってることなんじゃないかな。私達は無意識のうちにかなり酷いことをしていて、その報いを別方向から受けてるだけなのかもしれない。
だからといってどうすればいいのかわからないけど……スーパーで売ってる肉や卵は食べないようにするかなあ。不買運動みたいになっちゃって申し訳ないけど。鳥インフルや豚熱が出るのも家畜に無理させてるからだって言われてるよね。もっと広々した環境で家畜を飼って、適正価格で販売されるようになればいいのかな。給食費とか上がるだろうね。大人はまだしも、子供たちが食べたいのに食べられなくなるのを見るのはつらい。代替肉が選択肢になるのかな。そのうち最高の環境で育てられた本物は金持ちだけの贅沢品で、庶民はフェイクでも食っとけってなるんだろうな……。まあ今までの消費行動を反省しているからといって、怪しい注射は打ちたくないけど。
ASDって共感できない訳じゃなくて、共感アンテナの感度が狂ってるんだよな
だから突然なんの接点もないような存在に激しい共感を示したり、並外れた自己犠牲心を発揮することがあったりする
そんでそれが日頃ASDマンを神経を擦り減らしながら支えてくれる人たちの徒労感をすんげぇ煽ることがあるんだよ
その共感性と自己犠牲心を周囲との関係性のメンテに発揮できていれば、みんなこんなに苦労しなくったってよかったのに、どうしてその共感性の1/10でもいいから自分たちには向けられないんだろう……って無力感を植え付けてしまうんだな
我々は常日頃周囲の人たちが思ってる「片付け早くやってくれないかな」「牛乳出しっぱなしにしないで」「たまには洗濯物干してよ」「いきなりいっぱい言われてもわかんないから、小出しにして」「もうちょっと小綺麗な格好したら?」みたいなサインには一向に気づかないくせに、なんの縁もゆかりもない人物に「なんてかわいそうなんだろう、是が非でも力になってあげたい」なんて共感アンテナの大暴走を起こすことがある生き物なんだな、悲しいことに
ただ、このASDの共感アンテナ暴走にはたま〜に成功する例もあって、私の場合だと小学生くらいのころに巣穴から落ちた小動物の子に対してこれが発揮されたときには、このままでは死んでしまうと保護のために奔走したり、大人を泣きながら説得したりしたことによって、数人のクラスメイトが「ほんとは優しかったんだ」と言って関わってくれるようになったりしたんだよ
たぶんこの手の共感アンテナの暴走は、社会的孤立のサインを感じ取ったASDが本能的にそれを避けるために起こしてるんじゃないのかなぁ、というのが今のところの私の仮説
そんで、その暴走した共感アンテナの作用を意図的に絡め取って吸い上げてしまうような団体とか個人とかがASDマンにとっての本当の敵なんじゃないかと思ったりする
なのでなんの接点もない、完全に訳のわからんやつに何故かものすごい共感してる場合、ほんとうのところASDマンにとっては身の回りの人間関係を点検して絆を繋ぎ直しましょうというサインだったりするから、同志諸君もこの点に十分注意して生きような、なんて思ったりする
よくさ、
野山で小動物やら何やら獲って食べるでしょ?
そのとき、
鳥とかそこら辺のカエルとか捕まえて食べて
しかも生で食べるじゃない。
ガブって囓ったときに苦っ!ってなったりするじゃない。
狐が化けて人間になってもいいけど、
またキツネに戻ったときに野山の食べ物食べられるのかな?って心配になるわ。
逆に
やっぱり野山の新鮮な鳥とかカエルとかが美味いよね!ってキツネ本来の暮らしを楽しむキツネもいるかも知れないし。
いやー絶対肉とかは火を通した方が美味しいと思うんだけどって
生の鶏肉はちょちょっとって人間は鶏刺し以外そうなるじゃない。
だって美味しい鶏刺し料理を提供してくれるお店があってその女将さんが言うもん。
新鮮なうちの10分以内に食べ切って下さいね!それがこの鶏刺しの掟です!って
キツネのそれの生肉を食べる鮮度のどうのこうのより厳しい鮮度に目を光らせてない?
たぶんそのぐらい鮮度抜群な鶏刺しならきっとキツネも美味しい美味しい!って食べてくれるかも知れなくて、
狐が化けたときに人間と一緒にその美味しい鶏刺しを提供するお店に行ったとしたら、
って言うのか
へー人間もこんな美味しい生肉食べんじゃん!って見直されたりするのかしら?
どちらにせよ、
そんな好みの問題があると思うけれど
人間に化けた狐がたぶん美味しい炊き込みご飯とか食べちゃった日には、
あれやっぱり絶対美味しいと思うのよね。
さすがにキツネも美味しいと思ってくれるはずだと思うんだけど。
実際はどうなのかしらね?
分からないわ。
鳥に直に直接かぶりついていたら
それはそれでなんか泣きながらシャイニング観るわ。
ちょっと怖いわよね。
ハッと!目の前に美味しそうな捕まえられる鳥を捕って食べるときは
キツネがいま人間じゃないことを自覚しなくてはいけないわよね。
あと
よくある物語で
狐が人に化けるとき
なんか術を解かないと普通にずーっと人間で居続けられるじゃない。
相当な消耗をするはずなのよ。
化けるのに精神力をたくさん消費して
一度化けてしまえば以降精神力は消費しないタイプの術なのかしら?
そこのところもよく分からなくない?
あといきなり狐が化けた人がご飯を食べるとき箸を上手に使えるのか!とか。
まあ初めてなら難しいので犬食いになりがちかも知れないけれど、
慣れた狐が人に化けたときのご飯ならきっと箸も上手に使いこなせるのよね?
見失っちゃったりしないのかしら?
そう思わない?
あとふと思ったんだけど、
その美味しい鶏刺しを提供してくれる美味しいお店の女将って実は
キツネで美味しい自分たちの鶏の食べ方人間にも教えてやんよ!って意味合いで
美味しい鶏刺しのお店を出して
いろいろなお品書きがあるにもかかわらず
やっぱりキツネかも知れないわ。
今度訊いてみようかしら?
でも実際そうであってもそうです!って答えるわけないわよね。
うふふ。
なのでいつも買ってるサンドイッチ屋さんの他にもパンも売っているそんなお店の方がまだ1割ぐらい安いのよね。
だから
サンドイッチはこのお店!って決めているのよ。
すみやかに身体が失われた水分を求めるようにまるでポカリスエットか何かのキャッチコピーを思い浮かべてしまうように
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
虫が人間並みに大きくなると自重を支えきれないとかいう話は聞く。
ジアースが腕を動かしたら末端速度がえらいことになるという話も聞いたことがある。
まあその理科雄が既に扱ってそうだけど、俺は読んだことないから。
逆に人が物理的なことを無視して小動物並みに小さくなったとすると、身の回りのは物理的なことを考慮して同じスケールで小さくなれんのかい?
ガラスのフラスコとか、米粒みたいなサイズの熱したガラスに息を吹き込んであの形にできるのだろうか?
人が手で扱える量の水は表面張力ですごそう。コップの中身はコップよりすごく盛り上がってる?
ギアとかの歯車は…大きなものは腕時計の中身サイズぐらいだから動くか。じゃあ小さくなった腕時計は?
ガス火は無理そう。着火時の余分な炎で丸焼け?
小人作品は小さい人が小さいものを相対的に大きく扱うのが魅力のひとつだけど、それと同時に小人用サイズの道具が出るとこんな複雑なものを小さく作れるんかなって気になる。
「彼女が欲しいと言うっている人間が人間扱いしているのは明らか」
それ、虫や小動物潰すのにあきたらなくなった破壊衝動を持つ奴が
人間扱いしてほしいはどっちかっていうと「(性欲を刺激する)女なら誰でもいい男は嫌だ」とほぼ同義では?
この文章に対して,非モテの人間観を「虫や小動物潰すのにあきたらなくなった破壊衝動を持つ奴」や「奴隷の主人」になぞらえてくださるトラバが付いています。
以下の文章は,「コミュニケーションに何らかの問題があったとして,それを『人間扱い』などと態々大げさで曖昧な表現で非難してくるような人間はただの説教好き」だというのが中心的な主張だというのは明らかだと思いますが,丁寧に名乗りを上げていただき恐縮です。
このように,「人間扱い」という言葉は想像力と比喩,修辞でその意味を豊かに膨らませることのできる素敵な言葉で,いくらでも論点をずらしながら説教を続けることができるので,こうも説教中毒者を魅了してしまうのでしょう。
>それ、虫や小動物潰すのにあきたらなくなった破壊衝動を持つ奴が
>仮に奴隷の主人に「奴隷を人間扱いしてください」と言ったなら、
(中略)
>と返してくるはずだ
「あえて説明するなら属性で見るな、差別するなっていう面と、性欲を全面に出すなの2つがある。」
お説ごもっとも。しかし,「非モテは相手を属性で見て差別している,性欲を前面に出している」という偏見バリバリのこのような人間の説教を真に受ける必要がどこにあるだろうか。
断言するが,ほとんどすべての非モテは相手をすでに人間扱いし(ようとし)ている。相手は人間なのだから,普通にふるまえば当然そうなる。
確かにいくつかコミュニケーション上の問題があったりすることは多いだろうが,それを「相手を人間扱いしていない」と糾弾されるような必要がどこにあるだろうか。
「差別しない」とは言うが,こうしてネット上の架空の人物と会話する場合はともかく,現実に出会いあわよくば恋仲になりたいという人間に対して態々差別的になろうとする人間がどこにいるだろうか?
(いや,確かに恋愛工学やPUAやモラハラ男などの形で存在しているのだが,彼らはここでいう非モテではない。)
恋愛経験に限らず人間関係構築の経験が不足している人間は,足りないコミュニケーションを偏見で補ってしまい相手の地雷を踏むことがままあるが,ここで必要なのは具体的な会話例・行動例をもとにどのような偏見があったか検討することで,「差別するな」だの「人間扱いせよ」だの,強い言葉で非難する理由はどこにもない。
ところで,「属性による差別」は避けるべきとして,「貴方だから特別」はむしろ必須と言っていい。昨今も誰にでも優しい彼氏に対する不満が増田で複数観測されたことは記憶に新しい。依怙贔屓しないという道徳的に正しいことが恋愛でも正しい訳ではない。
「性欲を全面(前面では?)に出すな」というのも難癖に近く,性欲だけなら風俗に行けばよい話で,彼女が欲しいと言っている人間が性的な目的だけではないのは明らかではないか。
そもそも人間には性欲があるものなのに,それを出さないことが人間扱いというのもおかしな話だ。逆に,性欲を出さなかった者はこちらが人間扱いされず「ぬいぐるみ」で終わるということも,増田で頻繁に指摘されていることである。
こちらもまた,個別具体的な例をもとに何が「キモイ性欲の発露」で何が「貴方に恋愛感情があります」というメッセージになったか腑分けしていくことが重要で,「性欲を出すな」だの「人間扱いせよ」だの,強い言葉で非難する理由はどこにもない。
ネット上には非モテを人間扱いしていない説教中毒者が山のようにおり,そのような人間は「相手を人間扱いしていない」に代表されるように,非モテの信念に問題があると指摘してくるが,それが真であるごく少数例を除いては,もとから持っていなかった信念を改めようとする努力は当然失敗に終わる。
ネットで役に立つ助言は,苦しいながら自身の経験を具体的に語ったときにもらえる具体的助言と,「数をこなせ」というこれもまた苦しい助言だけで,それ以外は説教中毒者の中毒症状だと思った方がよい。
(と思っているはずなのにこうして助言めいたことをつい書いてしまうのだから人に助言したい・説教したいという欲求はまこと恐ろしいものです。)